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複 製 模 造 復 元 模 造 及 び 実 物 という 呼 称 用 語 は 些 末 な 問 題 なのだが 紛 らわしいため 本 稿 では 以 下 としたい 遺 跡 から 出 土 した 遺 物 遺 構 がすなわち 実 物 オリジナル である 実 物 の 外 見 上 の 姿 ( 形 状 色 調 質 感

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Academic year: 2021

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「甦る古代の輝き」・文化財の復元模造品を考える

増田

埋蔵文化財の復元模造品は、美しくわかりやすい展示物というだけではなく、様々な興味深 い情報を孕んだ存在である。具体例を引きつつ、制作側の立場からその情報の整理と考察を行 い、また資料としての価値のアピールを試みる。

1:はじめに

博物館・資料館での考古学の展示で、遺跡から出土した埋蔵文化財をモデルに、そのかつて の姿を甦らせた「復元模造品」がしばしば用いられる。金色の外観の銅鐸、畏怖を誘う刀剣や 武具、きらびやかな装身具など様々な展示で目にされた方は少なからずおられよう。 我が国の遺跡から出土する遺物は土中で長い時間を経てほとんどの場合多かれ少なかれ腐朽 ・変質・破損し、ほとんどの場合当初の形態をとどめておらず、特に布などの有機質や酸化し やすい金属の残りは概して良好ではない。しかし遺構に残ったわずかな痕跡をも見逃さない綿 密な発掘調査で遺物についての様々な情報が明らかとなり、遺物の当初の姿を推定し復元する ことが可能となる。 考古学の展示においては、研究者が見いだした情報の源である遺物や遺構そのものを展示す るのが本来である。しかし、展示を見る方々に向けて調査成果の最もわかりやすい姿として遺 物の当初の姿を復元模造し展示する事は、そこに具体的な物が存在するだけに大きな効果をも たらす。遺跡を発掘する考古学が土中に刻まれた過去の人間の活動の復元を目的とするならば、 「その遺物」という極めて限定された範囲とはいえ、遺物の復元模造は考古学の目的の一つの 具現と言えるかもしれない。 埋蔵文化財の復元模造は、一般に遺物の情報を持つ考古学者や博物館学芸員と、様々な伝統 工芸の職人技を持つ技術者との協力で行われるが、実際には両者の間で制作管理を行う調整役 も必要で、筆者は幾度となくその任を与えられた。本稿ではその経験を基に文化財の復元模造 品について分析と考察を試みたい。

2:用語の問題・「復元模造品」とは何だろう

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複製・模造・復元模造及び実物という呼称・用語は些末な問題なのだが紛らわしいため、本 稿では以下としたい。 遺跡から出土した遺物・遺構がすなわち「実物」「オリジナル」である。実物の外見上の姿 (形状・色調・質感)を忠実に再現して、一見実物と全く同じに見える物をもう一点作ったも のが「複製」である。これは遺物の本来の姿に加えて生じた腐朽・変質・破損も再現が必要で あり、それが最も確実な方法として実物を型取りする場合が多い。(注1)また外見を似せる ための表現技法に有利な方法・材料が用いられるため、製作に用いる材質は実物と同じではな い場合が多い。造形用の合成樹脂材料や色彩表現が自在な画材など自由度の高い材料を用いて 人工的に同じ形状・色調・質感に表現するのである。(注2) 一方、実物と同じ材質で、実物が作られたのと同じ、もしくは近いと思われる方法を使って 作られるのが「模造」である。複製と同様、実物の現状を忠実に再現する場合が「現状模造」。 実物に腐朽・変質・破損などが見られる場合、人工的に同じ事を起こすのは場合により困難で あり、劣化を表現するため実物と同じ材料に加えて画材などの表現用の材料を併用する場合が ある。一方、腐朽・変質・破損を再現せず、それらを復旧して実物が作られたときの当初の姿 とする場合が「復元模造」である。「復元」とだけ称する場合の方が多いのだが、断片化して 出土した土器や埴輪(実物)を接合し欠損部分を補填する事や皮綴がはずれて倒壊した短甲(実 物)を当初のかたちに組み立てる事も「復元」であるから、実物を部品としては用いていない という意味で「復元模造」とする方がわかりやすい。 これら複製・模造は共に「○○遺跡から出土した○○の複製・模造」という名前を持つ。同 じ「本物ではない物」とはいえ捏造品・贋物と複製・模造は本質的に異なり、混用するべきで はない。ちなみに件の捏造事件はある遺物を本来それが含まれない遺跡から出土したように見 せかける、「遺物の名前をつけ替える行為」であった。 実際の博物館の現場では多くの館でこのように表記がなされているものの、館によっては異 なる表記が用いられる場合もあり、一定の基準を持った統一はなされていない。また共通認識 もないと思われる。

3:復元模造品を構成する情報

それでは一般論として復元模造品の制作の流れを追ってみよう。 ①制作の趣旨・目的とその対象の決定。何を作るのか、またどういう展示、もしくは目的のた めに作るのかという企画原案がまず生まれる。 ②モデルの設定と復元のための考察。何をモデルにして復元するかを決定し、それに関係する 様々な情報を収集する。モデルとなる実物についての資料、それを補強する類例資料、文献を

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含む同時代資料等が選ばれる。 ③復元案(復元図など)の確定。材質と製作技法の設定。復元作業が可能となるまで具体的な 設定や制作図面、材料・技法を決定する。どの資料にどう語らせるか、重要なポイントである。 ここでは A:「はっきりした根拠に基づく要素」、B:「一応の根拠に従った要素」に対し、C: 「想像に任さざるを得ない要素」が生じる。事実誤認を避け、完璧を期する事はもちろんなの だが、それは A・B の要素であり、C の要素についてはできる限りの情報を盛り込んだ上で想 像力が大いに試される。また後のため設定 ABC の整理が不可欠である。一般に限界があるの は材質や製作技法面で、材料入手の方法まで視野に入れると考古学上解明されていない要素が 絡むこともある。根拠薄弱な要素が多い場合は復元模造品の完成時に「ここはよくわかってい ません」という表現を盛り込む場合がある。また予算や材料の入手困難などの理由で代替材料 を使用する場合がある。 ④復元案に基づく制作。伝統工芸の制作技術を持った技術者に制作を依頼する場合が多い。モ デルとなった実物の時代の技術と現代の伝統工芸技術は必ずしも一致しないため、委託する際 に良く理解を求め、また理解していただける方と仕事をすべきである。また分かった上で現代 の技術を併用する場合が往々にしてある。 ⑤復元品の評価。凝って作った復元模造品ほど、それから新たに分かってくることが多く、ま さに実験考古学として成果をフィードバックすることができる。復元模造に関与して最も大き な喜びでもある。これには A:制作を行ったことにより分かる事、B:完成品を使用してみて 分かる事、があり、また新たな謎が生じる事も多い。時としてモデルとなった遺物の発掘調査 の成果に新たな考察を投げかけるといった場合がある。

4:復元模造品の制作例

以上は具体性に欠けるので、ここで一つの復元模造品の制作報告を取り上げ、「復元模造品 を構成する情報」がどのように絡むのか検証してみよう。以下は弥生文化博物館に提出した復 元報告(未公表)を許可を得て掲載するものである。 青銅製腕釧の復元 【1:制作の経緯】 大阪府立弥生文化博物館98年度秋季特別展「卑弥呼の宝石箱 ちょっとオシャレな弥生人」 において「縄紋∼弥生時代の装身イメージの変遷」(展示図録13ページ:挿図NO21)として 展示された、北部九州の弥生中期女性が身につける装身具として、様々な装身具と共に青銅 製腕釧(銅釧 以下同)の復元制作が計画された。 以上が「①制作の趣旨・目的とその対象の決定」に当たる。

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【2:制作方針】 制作方針として弥生文化博物館より、以下の点が指示された。 Ⅰ:福岡県吉武高木遺跡110号甕棺墓出土銅釧(国指定重要文化財)をモデルとし、刊行さ れている調査報告書に掲載された実測図(調査報告書43ページ・Fig.39)を基本にして制作 する。( 110号墓出土銅釧は円環状の外観を呈し、人骨が残存している類例より判断して女 性用の銅釧であるとされている。) Ⅱ:弥生時代の姿を復元するために、実際に青銅で鋳造する。 Ⅲ:青銅の成分の、銅・錫・鉛の構成比については佐賀県宇木汲田遺跡出土銅釧を科学分析 したデーターに基づく。 主成分 銅79.57% 錫12.95% 鉛6.96% 少量及び微量成分 銀0.1% ビスマス0.02% 鉄0.06% ニッケル0.1% アンチモン 0.1%砒素0.1 % 計 99.96% Ⅳ:展示用2点と体験学習用1点の計3点制作する。 これを受けて以下の点を提案した。 Ⅴ:鋳造用の鋳型は、奈良県唐古・鍵遺跡61次調査で出土した青銅器鋳型外枠のDタイプ(田 原本町教育委員会 平成8年度唐古・鍵遺跡第61次発掘調査概報55ページ第36図)を模造。 Ⅵ:鋳造は銅鐸復元鋳造を多数手掛けられている(有)和銅寛の小泉武寛氏に依頼する。 これが「②モデルの設定と復元のための考察」「③復元案(復元図など)の確定及び材質と 製作技法の設定」に当たる。本稿ではそれを補強するため以下に考察を加える。 【3:復元にあたっての問題】 (1)石鋳型について 銅釧の鋳型としては大阪府鬼虎川遺跡の例などをはじめとする石製鋳型がいくつか知られ ている。また畿内の弥生青銅器の鋳造は石鋳型から土鋳型と変遷するのに対し、北部九州は 続けて石鋳型を使用するという対比が可能との研究(注1)からすると、モデルになった吉 武高木110号墓出土銅釧は石鋳型による製品の可能性が高い。 石鋳型による鋳造技術は、弥生時代には確立された技術だが、その後に受け継がれず、基 本的に絶えてしまった技術であるため未解明な点が多い。特に鋳造時に発生するガスを抜く 方法が不明で、銅鐸をはじめとする復元実験でも成功例はまれで、多くはガスによる鬆など の鋳造不良が発生している。これは技術の断絶のため、「鋳造用の石材」がよく分からない ためで、おそらくどこかに鋳造の加熱・冷却を経ても割れたりせずに使用に耐え、なおかつ ガス抜けも良いという石材が存在すると考えられる。 出土している石製鋳型の材質的な分析と、現在入手できる石材に対する材料テストにより

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いずれ解明が期待されるところである。また、今では忘れられたガス抜きの技術が存在した のではないかという説もある。(注2) (2)鋳型の構造について 銅釧に関しては銅鐸や武器型青銅器に対して地味なためか、復元例自体が見あたらない。 銅釧が銅鐸や武器型青銅器と違う点として、鋳型が片面だけの構造である可能性が考えら れる。銅鐸・銅矛は中子を持つ3分割の鋳型、銅剣・銅戈は2分割の合わせ型で鋳造された ことは異論の余地なしと言って良いだろうが、銅釧や小型仿製鏡の場合「たこ焼き」の型の ように片面のみの構造で、湯口を持たず、解放されている上面から直接溶けた金属を流して 作ったとも考えられる。またこれは技術的に片面型→分割型と発展するとも考えられている。 (注3)また片面型の場合は解放されているため石型のガス抜きの問題が生じないとも考え られる。 (3)土鋳型について 唐古・鍵遺跡3次調査と61次調査で、遺跡南東部から青銅器鋳造に関係した遺物が多数出 土しており、特に様々な形状の土製鋳型の外枠が確認された。報告では4類6種に分類され た鋳型外枠のうち、最も小型のDタイプは銅鏡・銅釧の鋳型の可能性が考察されている。 小泉武寛氏の手により、唐古・鍵遺跡の鋳型外枠(報告書の分類ではAタイプ)と同構造 の鋳型を使って実際に銅鐸の鋳造復元が成功しており、これらの鋳造関係遺物が実用性を有 した物であることは確実である。(注4) なお、唐古・鍵遺跡の鋳型外枠は分割の合わせを確実にする刻線が付けられた例があるが、 銅釧用の可能性のあるDタイプに関しては刻線の有無は確認されておらず、合わせ構造の型 か片面のみの型かの決め手には欠ける。もちろん同時期に合わせ型があるので合わせ構造を 持っていても何ら不思議は無い。 以上は「②モデルの設定と復元のための考察」「③復元案(復元図など)の確定及び材質と 製作技法の設定」を補足する考察である。 【4:制作】 (1)鋳型の制作 以上の問題点の考察により、今回は石鋳型はあきらめ、唐古・鍵遺跡Dタイプの土鋳型を 「合わせ型」、「片面型」の2種制作する事となった。 1:外型の図面制作 報告書の形状と銅釧の形状から鋳型の復元図を制作した。 2:外枠の制作 通常の赤土の粘土(「すいひ」されたもの。砂粒などは混合せず。)を使用して外枠を制 作。乾燥後、焼成した。 残念ながら最初の一組は焼成後にクラックの発生が認められたため使用をあきらめ、サン

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プルとして残すこととした。 3:真土の盛りつけ 真土(まね)は伝統的に鋳造に使用する物で、焼成された土を粉砕した粉末を再度粘土に 混合したものである。乾燥時に収縮がほとんどない性質を持つ。 外枠に鋳物用の真土を盛り、乾燥。その後まず二つの型それぞれの面の中心を位置出しし て、コンパスで円を描く。(両面に同じ位置の円が描かれる。)それから必要な深さに彫り くぼめる。また、湯口を設ける。 (2)鋳造 1:炉と青銅 炉はコークスを燃料に、電動送風機で送風、坩堝は黒鉛坩堝を使用。青銅は成分比に従い、 通常の手順で銅→錫→鉛の溶解温度の高い順に溶解する。 2:鋳型 鋳型は余熱し、針金を使って確実に合わせる。 (以上の要素は弥生時代の技術範疇から逸脱している。木炭、人力ふいごもしくは自然送風、 素焼き坩堝の使用、銅銭などの既存青銅器を破砕しての溶解、土器片と土粘土を使っての鋳 型の合わせ等、机上での考察上は決して不可能ではないが、実際面で時間と経費面の制約か ら今回は省略。) 3:鋳造 合わせ型は鋳型を地面を掘りくぼめて固定し、片面型はそのまま地面に平置きして湯を流 す。一瞬で鋳造終了。 なお、今回は銅釧を複数点制作のため、展示品製作用としては「ガス型」を併用した。ガ ス型は現代の鋳造技法で、水ガラスを混入した真土を原形に盛りつけ、炭酸ガスを注入して 硬化させて鋳型を作る方法である。 (3)研磨 湯が冷めてから型を開き、鋳上がった銅釧を取り出す。電動工具を使用してバリを落とし、 研磨。バフがけして光沢仕上げし、完成。 (同じく研磨も弥生時代の技術では無いが、同様に省略。) 「④復元案に基づく制作」の工程である。本例の場合シンプルな構成のため多くを語らない が、現代技法を混用したことのチェックは行っている。なお完成した復元模造品は同展での展 示とともに弥生文化博物館刊行の「弥生倶楽部」に掲載された。 【5:考察】

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(1)鋳型の構造について 湯口の上面(空気と接した面)は荒れた面となる。湯口(さらに大型であったり複雑な鋳 物の場合、湯口に対応する「上がり」も設ける。)を設ける理由はこの荒れた面を一点に集 め、切断する事にもあると考えられる。その点、片面が解放された型は解放面が全て湯口の 上面の様に荒れた上がりになるので、鋳上がりが美しくない。もちろんその分を見込んで大 きめに作り、大幅に磨き落とせば、合わせ型による製品と同等な製品を得ることは可能だが、 労力の面で無駄があまりに多い。 また湯口にたまった分の青銅は再度溶かして使用できるが、片面型で成形した物を研磨す る場合、削りくずの回収も容易ではなく、材料面での無駄もかえって多い。 そのため、この形式しか存在しなかったということで無ければ、片面型を好んで使用する 意味は考えにくい。また半両銭のような裏面が平面の鋳造品も、片面が解放された鋳型では なく、平板状の裏型があって、合わせ型にして湯口から鋳造したとの想定がなされるところ である。銅釧の石鋳型についても、使われた時には合わせ型であった可能性を考えたい。 しかしながら玉製装身具などの制作に用いられた大変な労力を考えるならば、一概にそう とは言えないかもしれない。 (2)唐古・鍵遺跡のD タイプ鋳型について 今回の復元の場合、制作者の感想としては製品に比べて鋳型が大きすぎ、この約半分の厚 みの物で同様の製品の鋳造は十分可能との事である。実際の銅釧の土製鋳型はもっと薄い物 であったかもしれない。またこの鋳型はもう少し厚みのある物を鋳造するのに使用されたも のなのかもしれない。 以上は復元模造品の評価のうち「A 製作を行ったことにより分かったこと」である。完成し た復元模造品を展示するだけでは伝えることの出来ない情報でもある (3)銅釧の装着 復元銅釧は、実際に装着してみたところ、女性の手の場合に自由に脱着が可能で、かつ手 を下に向けても簡単に抜け落ちてしまわない微妙なサイズで作られていることが分かった。 また、実物は左腕に2個装着して検出されているが、実際にこのように装着した場合、装着 した人の動作によって2個の釧がぶつかり、ちょうど錫杖の環の様に心地の良い音を出すこ とが分かった。同様の機能は弥生時代にも期待されていたことは想像に難くない。上層階級 や祭祀者の持ち物としてふさわしいものと言えよう。 これは「B 復元模造品を使用してみて分かること」である。 【6:附記】 鋳造後、型を開いた状態を維持して展示できるように、真土及び外枠に土層断面強化用の 樹脂を塗布・含浸させた。またクラックの入った外枠にはクラック部分にアクリル樹脂を含

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浸させて割れないように強化した後、エポキシワーカブルレジンで真土を模造して取り付け た。模造真土は展示に応じて取り外すことが出来る。 参考文献 福岡市教育委員会 「吉武遺跡群」 田原本町教育委員会 「平成8年度唐古・鍵遺跡第61次発掘調査概報」1997年 (注1)鋳造遺跡研究会編「第8回鋳造遺跡研究会 弥生時代の鋳造」 (注2)久野雄一郎氏をはじめとする石製鋳型についての各種考察より (注3)佐原真著「祭りのカネ銅鐸」歴史発掘8 講談社 第三章 銅鐸の作り方 (注4)国立歴史民俗博物館「銅鐸の美」 野洲町立歴史民俗博物館(銅鐸博物館)「大岩山銅鐸」、「銅鐸をつくる」ほか 制作:小泉 武寛 文責:増田 啓 1998年9月 上記の報告書ではことさらに強調していないが、復元模造した銅釧は筆者の手にはすんなり 入る大きさではなく、無理にはめてもとれなくなりそう、といった状態で装着できず、中には 華奢な手の人もいるかも知れないが、一般に男性の手には装着は困難であるといって良い。一 方実際に試してみてもらったところ多くの女性の手にはすっと入り、かつ手を開いて下げると 抜け落ちない絶妙の大きさである。このことは調査報告にある被葬者女性説を補強できると言 って良いであろう。

5:復元模造の報告書という問題

以上の復元報告ではモデルが重要で著名な遺跡の出土品だけにそれだけでも新たなる論考の 起点となりうるかも知れない、と思うのは筆者だけであろうか。復元模造品が語る事柄は一応 の物的証拠に基づくだけに雄弁である。(注4)もちろん同じ観察から違う考察が生まれる事 はあるのだが、そういう議論の基となることにも復元模造品を製作した価値がある。ただ、問 題を俎上に引き出すために手続は必要で、それはやはり情報を共有するために必要な報告書で ある。 報告書の問題は残念ながらまずそれをほとんど目にすることがない、ということにつきる。 大規模な遺跡公園の復元報告など立派な報告書にまとまる場合(注5)もあるが、多くの場合 復元そのもので力つき、情報をまとめて報告書にするところまで至らない場合が多いと見て良 いであろう。また文書になっても発掘調査報告書や博物館の展示解説書の編集にタイミングが

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合えば掲載される事も考えられるが、それ以外に単独で復元報告が刊行される場はあまり無い。 せっかく復元報告が刊行されても、刊行の情報をキャッチする事も入手する事も困難な場合が ある。 復元模造品には様々な興味深い情報が埋蔵されている事があり、その情報はあたかも遺跡の 調査そのもののように発掘され研究されて報告されるべきである。

6:制作価格の問題

本論とは意を事にする内容だが、復元模造は総じて高価なものというのが大勢の認識ではな いだろうか。価格はむやみに高いのでは決してない。その内訳は、制作に必要な資材・材料の 費用と、制作の係わる人々(個人及び法人)が制作に必要な時間の間、健康で文化的に生活で き、かつ税金や年金、健康保険などの義務を果たすのに十分な収入である、と言って良い。そ こに必要以上の収入、たとえば高級車に乗ったり豪邸に住むための収入が加わっているかどう かは見抜くべきだが、当初から赤字仕事を強いるような予算は問題である。現実は書類数枚の 審査であり、この点でももっと情報の発信と収集は必要である。なお、公立からの発注の場合 入札制度が導入される場合が多いが、参加資格審査など付加される手間がずいぶん増えるため、 自ずと制作費以外の費用が増える。私感としては事業規模からも事業の性質からも違和感は否 めず、良好な復元資料をより安価に制作するための新しい知恵が求められるところである。あ わせて専門職サイドの皆様のさらなる学究に伴い権限の強化が認められることを希望したい。

7:結びとして

文化財複製品の論考(注6)を補完するものとして復元模造品を取り上げるという企図であ ったが、斯様にまとまり無く、第5項においても脆弱で当たり前の結論を記す事に無力さを感 じる次第。筆者自身本論に掲載した報告以外にこれら情報をいくつも死蔵させていると告白し、 せめてどなたかのお役に立てればとの想いをあわせ、今後の発表の場を求めつつ結びとしたい。 末筆ではありますが復元制作報告の掲載を快諾いただいた大阪府立弥生文化博物館学芸課の 皆様に心より感謝を申し上げます。 (ますだ けい 株式会社スタジオ三十三) 注1 「型取り」は問題を孕む技術であることに注意を払って頂きたい。文化財を取り扱う常 識として型取りで実物を傷めることは不可だが、一般的に造形の仕事において原型を絶対保全 というのは実は特異な条件である。型取り造形の技術と文化財の型取りの技術とは決して同じ ではない。

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注2 複製の制作技術として近年注目されているのが、レーザー光線などを使った非接触計測 技術と光硬化樹脂を使う光造形法などの立体出力技術を組み合わせたデジタル複製技術であ る。シリコーン樹脂を用いた型取りと異なり完全非接触である。部分的に既存の技術を併用す れば技術的には実用段階に達している。 注3 弥生・古墳時代など古代をテーマとする限り工芸ジャンルは次の通り。 金工(鋳造、鍛金、彫金、象嵌、)繊維(織物、染色、縫製、組み紐、)木工、漆工、漆箔、 陶芸、石工(水晶、瑪瑙工芸)、ガラス工芸など。モデルや設定によるが他の造形経験から容 易に転用の効く場合からかなりの習熟度が要求される場合まで様々で、同じ専門職でも個人の 技量の差が生じる場合がある。また多用なジャンルが1つに組み合わさる工芸としては刀匠(日 本刀の制作は刀本体と鞘、金物、下げ緒等が分業制。)甲冑師(逆に一人で金工・皮革工芸・ 漆工などをこなす場合がある)、弓師などがある)。 注4 例えば青銅やりがんなは刃物として十分実用に耐え、凸線鈕銅鐸は強度的に吊下可能、 細型銅剣の刃は鉄刃に劣らぬ切れ味を持つ。しかし細型銅剣の短い茎ではねじる力で容易に雌 型の木柄を割る。細型銅剣は戦闘時の使用に耐えない、と言えば顰蹙だろうか。凸線鈕銅鐸は 鈕のすれ跡や内凸帯の打痕は普通なく、細型銅剣の切っ先が人骨に刺さった状態の出土例があ るという考古学的な事実。しかし復元模造品からすると凸線鈕銅鐸が吊下不可能ということも 細型銅剣が実戦向きということもない、といいたいのだが、放言をご容赦頂きたい。 注5 建設省他 国営吉野ヶ里歴史公園建物等復元検討調査報告書 1996 年 和泉市教育委員会他 池上曽根遺跡「いずみの高殿」復元報告書 1999 年 注6 『レプリカ文化財学』「文化財学論集」1994 年

参照

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