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社会実践型ラボラトリーのそもそも

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Academic year: 2021

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(1)70. 特集:社会実践のデザイン学. 塩瀬隆之(モデレータ) Shiose Takayuki 京都大学. Kyoto University. 社会実践型ラボラトリーのそもそも いま、なぜこの活動をはじめたの? The Reason Why are you Designing in Society ?. ・日程:2019年12月18日(水) ・時間:13:00∼16:00 ・会場:京都大学学術情報メディアセンター南館4階セ ミナー室 ・問うひと:塩瀬隆之(京都大学) ・問われるひと:社会実践型ラボメンバー(原田泰、宮 田義郎、元木環、横溝賢) ・わかろうとするひと:富田直秀(京都大学) 、三河侑矢 (札幌市立大学)、三野宮定理(ソフトディバイス/は こだて未来大学大学院)、上芝智裕(中京大学/はこ だて未来大学大学院)、岩倉正司(京都大学/京都工. 図1 社会実践と研究のそもそもを語らう人たち. 芸繊維大学大学院). 1.はじめに. について、メタ視点で議論したいと考えた。. 本特集号は、科学研究費補助金による研究「当事者デ. 本章では、塩瀬隆之氏をモデレータとして迎え、「社. ザインを循環させる社会実践型ラボラトリーのモデル構. 会実践のデザイン学」のそもそもについて議論した対話. 築」(課題/領域番号18K11957)の取り組みを紹介する. の内容を紹介する。. 国際紛争により高騰するガソリンなど、暮らしに欠かせ. 2.本特集号で語りたいこと 2.1. だれに、なにを、どうやって伝えたいか. 目的で編集された。人手不足により閉店するコンビニ、 ないサービスや資源は、個人の理解の及ばない社会的、 政治的情勢に左右されている。そういう中だからこそ、. 塩瀬 最初にキーワードでも場所でも実践でも景色でも. 私たちは生活や仕事の現場で向き合う課題に対して当事. いいので、この特集号の中で語りたいこと、入れたいこ. 者意識を持って活動することが大切である。ユーザとい. とってなに?ということを教えてください。. う市場ではなく、実在する地域に生活する人や集団のい る場に出向き、話を聞き、学び、自分にできることを やってみるという生々しい実践は、いわゆる科学技術分. 原田 何よりもこの特集号の役目として、デザイン研究 に関わる卒論、修論、D 論に取り組んでいる実践系の人. 野の研究、実験と異なり再現性はない。社会実践型ラボ. たちに、こういう論文を書いてくれないかなぁっていう. ラトリーという活動は、そんな実践をどうやったら論述. 道しるべを示したいというのが、一番のポイント。. できるのか?実践は本当に研究のかたちになるのか?と. デザイナーはフレームワークを知ってることよりも、. いう問いへの挑戦である。メンバーらは、みなルールや. やりながら自分なりの手法や考え方を毎回生み出してい. 法則に則って活動をするような質(たち)ではない。社. く専門家なので、そのような実践を研究として扱おう!. 会の変化を読み取り直感的に活動をしている。だから、. という議論をここでしたい感じです。. 「なぜ、いま、社会実践をデザイン学の対象とするのか」.

(2) デザイン学研究特集号  Vol.27-2 No.102. 宮田 僕は「人にとってデザインっていうのは何か」っ. ないと、自分がある実践の状況においてそういう活動が. ていうことを踏まえたデザイン研究の観点のようなもの. できたっていうことは、説明できないと思います。だか. を描きたいなと思っていて。その「人にとって」という. らこの特集号で伝えたいのは、こういう深い内省をどう. のは、「学問として、あるいは職業としてのデザイン」. やって、研究として伝わる形にするかっていうこと。実. という以前に、より広い意味で「そもそも人が生きるこ. 践者らのデザインの知というものを、伝えていくための. との中でデザインとは何か?」ということを考えるため. 方法をデザイン学の分野にちゃんと根付かせること。今. に、人間の感情というか価値観とか人間の行為とかが、. の社会人デザイナーがやってる実践は研究になるんだ。. 人間の歴史の中でどういうふうに変わってきたか、今ど. 研究やってかないと、次の実践につながらないし、デザ. ういう状態になっているのかということを踏まえたうえ. インは社会に必要とされなくなるよ、みたいな、何かそ. で、じゃあ、自分たちはどういうデザインをしようとし. ういう危機感もあるので、それを読者に伝えてく特集号. ているのか?ということをちゃんと語りたい。. にしたいという思いがあります。. 横溝 今、デザインの問題は「社会を形づくるデザイ. 元木 私は、京大の中でデザインを実践してきていて、. ン」というところまで来ています。それがどこからス. 仕事の評価を科学技術の培ってきた物差し、価値観で見. タートして現在に至ったのかというのは、須永先生が執. られがちです。でも現場で一緒に実践した相手とは、そ. 筆された「デザインの知恵」という本に書かれています. の物差しや価値観では測れない、別の価値があることを. [注1]。社会をかたちづくるデザインの問題は、非専門. お互い認識している。この価値を認める、認めない、の. 家である市民がデザイン実践できるようになることにあ. 間にあるギャップは何だろうっていうことは、ずっと考. ります。サービスデザインまでが、いわゆる UX とかそ. えていることです。自分の博論や、この特集号、科研費. うした世界。江戸時代のころまでは、人々が自分に必要. の研究なんかをやっていくうちに、それは共創というの. なものは自分で作っていた。当時の人々は生きるために. か、お互いに一緒につくる過程で、互いに生まれる価. それができた。こういう道具があると生活って良くなる. 値、その価値が生まれる仕組みのところを、もう少し言. よねっていうイメージを目の前に投影して、描いたり木. 語化したい。それは、さまざまなデザイン分野全般に共. を削ったりしてアイデアをかたちにしていくっていうこ. 通するとは言えないかもしれないけれども、あるデザイ. とを、普通の人がやれていた。だけどデザイナーが専門. ン分野には共創に価値があるっていうことが、今はまだ. 家として、人びとの代わりに道具を作るようになると、. 理解してもらえていない層に示せればいいなと思ってい. 人びとはそうした能力を使う必要がなくなっちゃった。. ます。. 社会をかたちづくるってなったときに、人びとが自分 たちに必要なものは何なのかを考えながらやろうとする. 塩瀬 誰に、に関しては、原田先生がおっしゃったよう. と、明治以降の産業社会による実践のブランクができて. にデザイナーの卵とか、D 論修論を書く人とか。受け手. しまってることにあらためて気付いたんです。そのとき. としての一般市民にも伝えたいっていうのが宮田先生、. に、デザインは、半歩先の未来、こうあるといいんじゃ. 横溝さんとか。横溝さんがおっしゃってた社会人は「デ. ないかっていうビジョンを持てる能力や、やってみなが. ザイナー」にということですか?. ら目の前に、頭の中のイメージを投影して、形づくって いくっていう能力をどうやって市民に戻すのかっていう. 横溝 社会人デザイナーですね。. 問題が、われわれの側にあると。 そうすると、デザイナーは、現場で何を考えて表現し ているのかということを、きちんと語れるようにならな. 塩瀬 現役の社会人デザイナーと、デザインを学んでい る学生と、あと一般市民というのでいいの?. きゃいけない。これまでは、基本的に出来上がったもの の特徴と効果の関係を説明することが、デザイン学の. 元木 あと、デザイン以外の分野の研究者ですかね。. ミッションでもあった。そういうときのデザイン学は、 うまくいく方法をすぐにメソッド化してしまう。デザイ. 塩瀬 特に「デザイン」って言葉だけを消費しようとし. ンプロセスを段階化し、各段階のゴールを抽象化してし. ている人たち、かな?. まうと、本人もわかったつもりになっちゃう。だけど、 なぜうまくいったのかっていうことは、かなり具体的な 経験を深く、子どもの頃の経験まで探って、探っていか. 一同 そのとおり。. 71.

(3) 72. 特集:社会実践のデザイン学. 塩瀬 この特集号を「読んでくださいね」って語り掛け. ことからちょっと外れる。それを分かった上でしようが. られる、受け手の方の主語は?デザイナーの卵として聞. なく使っているんだっていうような感じに聞こえる。工. いたらいいのか、社会人デザイナーとして聞いたらいい. 学とは違いますね。. のか、異分野の研究者として聞いたらいいのか、どうで すか?. 塩瀬 理学的な「わかる」もたくさんあるうちの中から 1個発見するけど、工学的な「わかる」は、それを100. 原田 異分野の人たちには、自分たち側の視点から見て. 回中の99回が社会に実装されるという意味でのわかる、. もらえばいいと思います。それが共創の基本かな。. できたっていうところだと思うので、その中でデザイン が見抜いている「わかる」っていうのは「何ぞ?」って. 塩瀬 共創の相手として、この本を読む人は、デザイン. 切り分けが、まさに立ち位置の作り方でもあるだろう. 系学生視点で読むか、工学系、科学系学生として読む. し。. かってときに、「私」って書いてある「私」はどっちの 私なんだろう。. 横溝 だから、加藤文俊先生が言ったように「わかった つもりになっちゃいけないよ」っていうことをわかるみ. 原田 発する側は「私」を主語で書いてるからデザイ. たいな[注2]。. ナー視点。共創の相手側からは、「あなた」的な位置付 けになるんじゃないかな。. 塩瀬 先月、ノーベル平和賞受賞者のムハマド・ユヌス さんが来日されたときに、高校生と対話する場を作る機. 横溝 読み手はやっぱりデザインをやっている人が多い. 会があったのですが[注3]、そのときに「貧困とは何. ので、そういう人たちが自分のデザイン実践に置き換え. か」を高校生に30日書き続けてもらいました。そのとき. て読めるようにしたいな・・・。. の高校生の感想文に「自分が安易に成果を求めていると いうことの不安にとらわれていて、正解を出そうとして. 原田 デザイン系の人には、私っていうのは「私」とし. る自分から逃れるのがすごく大変だった」って書いて. て。例えば工学部の人に、「私」は理解できるかな?. あって。. 横溝 ただ、目次構成の仕掛けとしては、社会実践のデ. 富田 工学の「わかる」はコピーできるわかるだけど、. ザイン学に対して工学はこういうふうに見てるよってい. 皆さんが言ってる「わかる」はコピーできない「わか. う話をいくつか差し込んでいくことによって「デザイ. る」だから。. ナーの主張は工学から見るとこういう意味がある」って いうことを伝えたい。そういう工学の視点と比較しなが. 一同 すごい、わかりやすい。. ら、自分たちのデザイン実践の意味を何とか組み立てて いくっていうような構成になってると思います。. 塩瀬 多分、それが工学とデザインが一緒に社会に対し て働きかけると可能性があるっていう共創の価値だよ. 元木 学生は、最初読んだときにはわからないかもしれ. ね。工学は再現性があってあわよくば100人に届けと. ないけれど、こういう世界があるんだってところから、. 思ってやってるけれど、それでは足りないから多分デザ. もしかしたら社会に飛び込むとこういうことなのか、と. インに求めてるところがあるわけですよね。工学の「わ. か、読んですぐ「わかる」感じじゃないかもしれない。. かる」の場合は、「事実」でなくて「事実にしてしまう」 ところが力としてあると思う。技術として、社会に実装. 2.2. 社会実践のデザイン学における「わかる」 ということ. させてしまうことで、みんなが使うところまで落とし込. 富田 すみません。 「わかる」っていう言葉の使い方が. 使っているであろう、わからないことに向き合う姿勢が. 工学とデザインでは違う気がします。工学の分かるは外. 欲しくて、デザインっていう言葉に手を出そうとして. 在化させたりとかマニュアル化したり構造化したりと. いるわけなんだけど、工学の「わかる」で対象をわかろ. か、情報化・対象化したりしたものだということは分か. うとするから、安易に(工学側に)引き込もうとしてし. るんですけども、この集団(社会実践型ラボラトリー). まう。. の「わかる」は、工学のそれだとむしろ本当に言いたい. めるのも一つの手段なので。それに対してデザインが.

(4) デザイン学研究特集号  Vol.27-2 No.102. 元木 それに対してデザイン側の人も形式化、外在化し て伝えなきゃいけないと思い込んじゃう。自分もだけ ど。言葉で伝えようとするけれど、重要な、芯のところ が説明が難しくて、表面だけ真似されても困る。. 参考にならない。「QOL 的にこっちのほうがいい」と言. われても、それは「わたし」の生活でもなければ、「わ たし」のクオリティでもない。誰かの LIFE であって、. 「わたし」の LIFE ではない。もちろん医療従事者からす ると、拠り所がないのは困るんで、それはクオリティー. 塩瀬 須永先生が著書にも書いてくださっていましたが、. とかライフに対して定義がないと動けないからですけ. 昔、京大のサマーデザインスクールで最初に優勝したア. ど、個別に向き合うと、やることが全部バラバラなので. イデアが動物園の情報アプリだったんですが、動物園の. 質が担保できないのもよくわかります。多分デザイナー. ゾウの魅力を伝えるときに、an elephant を the elephant に. は、その質の担保の仕方を自分でつくれてるのかもしれ. できるかどうかが、一番重要だという提案です。その京. ないし、だから提供できるものをアレンジできる強さは. 都市動物園にはミトちゃんっていうゾウがいて、それを. あると思うんですけど、それを100、1,000、1万とかに. ミトちゃんとしてみんなで共有できるかどうかが、1個. 提供しようと思うと、身が持たないんじゃないかなと。. 体しかない個体を知るってことなんやけど、これはゾウ. なのでエンジニア側がさっきのデザイナーが語る「わか. を知るためのアプリなんで。ライオンが走っている姿と. る」を欲しがる理由は分かるんですけど、デザイナー側. か映像で出されると、動物園でライオン走らないんで、. が、エンジニアリングに限らず、共創しようとする理由. そのライオンじゃなくなるし、そのゾウじゃなくなるけ. はなんなんですかね?デザイナー側は1人と向き合えて. ど、エンジニアリングはそれを再配分可能な形で作るの. るにもかかわらず、なにゆえエンジニアリングとかとコ. で、そこにせっかくいる固有名詞から離れてしまうって. ラボしたいと思うのか。. いう。. さっきの市民に取り戻す話も、結構難しいことかな. でも多分そのデザインとか目の前にいる人への向き合. と。市民が作ってた時代から、提供されたものを受け取. いって、匿名化されない固有名詞の持っている価値に気. る、単なる消費者になってしまったときに、アルビン・. 付けることだと思うんですけど、工学からするとそれは. トフラーが言ってるみたいな、製造する・つくる消費者. 怖いんですね。ひとつの事例に向き合うことの不安みた. に今から本当に生まれ変われるのか[注5]。3D プリ. いなものが。でも今、多分、医療も工学でもパーソナラ イズされた一人一人の経験を支えたいけど、経験がみん. ンターが出回っても、ボタンを押してる人は限られてる し、3D CAD でデータ作る人も限られているし、みん. な一緒っていう仮定でやったほうが工学は楽だから、そ. ながプロシューマーにはなってないですよね。そのとき. こはたぶん不安なんじゃないか。本当にみんなに向き合. のデザイナーの立ち位置っていうのは、本当に市民に. うこと。だから向き合っているデザイナーは腹立つんだ. 技術提供する側になってるのか。そこまでを求めてる. と思う。一方、エンジニアからすると、デザインは、. のか。. 「みんなは一緒じゃないんだぞ」って言うのはいいけど、 「どうすんだよ!」っというのは多分、工学者側の嫉妬 かなっていうイメージもある。. 原田 居場所、かな。みんなデザイナーになれ、ではな くて。デザイナーはコミュニティーの中で「自分がやれ るからやるよ」みたいな立ち位置。デザイナーが自分の. 横溝 こないだ某学会で、共創をテーマにした研究発表. コミュニティーの中にみんなを引き寄せてやるというよ. をしてきました[注4]。そのときがまさにそういう工. りは、相手のコミュニティーに参加することでデザイン. 学をベースにした人たちがたくさんいる中で、ある町に. 力を発揮する関係だから、デザイナーのことをわかって. おけるある個人との共創の話をしたときに、「この人は、. ほしい。自分たちはできちゃうし、答えを見せられるん. 何を話しているんだろう?」「その研究は再配分できる. だけど、見せられた側はある意味、突然その答えが出て. の?」という冷ややかな目にさらされるのは非常に苦し. きたようにしか見えていないことで、この人は自分と違. かった。本当に。なんか汗かいて。慣れない特殊な環境. うみたいな扱いを受けることが多いんですよね。だか. で、自分は発表しているなっていうのを感じた。. ら、そういうときにもっと分かってほしいなという気持 ちになる。. 塩瀬 医療の世界でも、QOL(クオリティー・オブ・. デザイナーは基本的にマゾだから、自分を使ってほし. ライフ)とかもまさにそうで、QOL 表っていう判断基. いとすごく思って入っていくんだけど、すごく抵抗され. 準がありますが、それはあくまでも統計的にみた平均値. たりとか、しばらく出番がなかったりとか。工学部なん. で、一人一人の生活に照らせば、当事者視点ではあまり. かに行くと本当に「君、関係ないから」みたいな感じに. 73.

(5) 74. 特集:社会実践のデザイン学. なっちゃう。そういう中でもっと貢献できるんだから分. るような気もします。. かってほしい、っていう感じかな。 塩瀬 今、岩倉さんと一緒に、博物館資料の三高時代の 塩瀬 エンジニアリングに限らず、社会にむけて何か提. 物理実験教育機器の使い方を先生に反芻してもらって、. 供する側は、分かりやすくこのモノを提供すると何かが. それをビデオで残すっていうのをやってます[注6]。. 変わるっていう効果のほうが交換しやすいわけですよ. 今まで技術資料は文献資料としか見なかったんですね。. ね。デザイナーもプロダクトで渡すとか、ガワで渡す. 実験道具の歴史的経緯を学ぶんだけど、実際に使って実. と、その対価がもらいやすくなるし。学校の先生で言え. 験してみると全然違って。去年と一昨年のは、太陽光を. ば、教える知識が見えたほうが教えやすいんだけど、ア. 鏡で反射して部屋の中に入れて、太陽光をプリズムで七. クティブラーニングでみんなが学ぶのを引き出すって言. 色に分けて、分けた七色を鏡七つで、もう1回合体させ. われると、先生は何も教えられないかもしれない。明ら. たら白になるっていう実験なんですけど、反射させて鏡. かに、有能な先生がいるかいないかで子どもたちの学び. 動かしている間に元の太陽が動いちゃう。太陽、は. はガラッと変わるんだけど、そのときの居場所で自分が. やっ!ってことがすごいわかる。. 何をしたかっていうのを言明しにくいわけですね。見え る知識を教えたほうが、テキストこんだけ、授業50分. 富田 三河くんの発表[注7]は、学会で、その札幌軟. しゃべりましたって言いやすいから。そこをなくしたと. 石をパコンと割ったときの感動を伝えるために、わざわ. きの先生の立ち位置に、すごいもしかしたら近い?. ざ山形の学会会場に石を運んだわけでしょう。あれ、 割ったのをビデオで見ててもいいわけですよね。それを. 一同 なるほど。そういう面もありますね。. わざわざ大変な思いして石を運んだっていう理由は何か あるの。. 塩瀬 ある集団の活動をファシリテートしたことで、そ の集団のクリエイティビティーが上がったということ. 三河 あれ触らないと分からないんです、全てが。石っ. は、もしかしたら記述しないといけないかもしれないと. ていうと、どうしても石材屋さんに売ってるような、. いうことですよね。学校の中で、授業レクチャーの垂れ. 触っても汚れないみたいなきれいな石を思い浮かべるん. 流し方をアクティブラーニングに変えたときに、生徒は. じゃないですか。札幌軟石っていう、あの石。触ってす. どう変わったのか。知識量で測ると、減りますよね。で. ごい汚れるんですよ。それがどうしても映像だと残りに. も自分で考える力が増えてとかっていうところだと、垂. くい。あと思ったより軽い。でも、まとめて持ってくと. れ流した50分より、子どもたちは明らかに変わるだろう. すごい重たいんです。あれっと思って。. し。そこの記述がもしかしたら、必要かもしれんなと いう。. 塩瀬 京大博物館の鉱物展のときの、欲望の重さってい. そこで、何で伝えるかっていう中で、原田先生がおっ. う話。リュックの中にみんなで拾った石を入れて、必死. しゃってたんだけど、生み出す専門家として考えると、. で持って帰る。必死だからそのときは力が出るらしく. この科研の活動の位置付けも、生み出す専門家として出. て、欲望の重さのリュックを背負い、帰っていくって。. せばいいんじゃないかな。だから、みんなに見てもらう. 多分その手触りみたいなものが、特に摩擦とかも伝わら. 方法は論文とか、本とかって既存の手段だけじゃなく. ないし見た目とは違うなって。人の手垢や温もりの部分. て、みんなに共有する主体もこの活動で生み出せばいい. をいかに伝わるようにするか、以前に比べると伝えられ. んじゃないかってことですよね。. るコンテンツも伝えるための媒体も増えてる。岩倉さん に撮影してもらってるやつは、再現実験のビデオを全部. 2.3. 社会実践のデザイン学における「つたえる」 ということ. 途中でクリップごとに分けてもらって、本当はクリップ. 富田 僕自身は「行為」と「しぐさ」で分けてるんです. すよね。DOI(Digital Object Identifier)を振るのと同じ. 単位で引用できればいいのかなっていう話をしてたんで. けども、これが例えば文章になったりすると、しゃべっ. ように、映像もそういう引用ができるんじゃないかな. たという「行為」だけはみんなに伝わるけど、「しぐさ」. と。リアルタイムドキュメンテーション(RTD)がビ. 的なものは伝わりにくいんですよね。だけど、今もこう. デオでも行われたように、ビデオの「この部分と同じ方. やって録画を録っていますけど、もしかしたら「しぐ. 法でしてみました、この部分は自分は違う方法やってみ. さ」的なものも伝わるような方法論が、発達してきてい. ました、そしたら違うものになりました」っていうこと.

(6) デザイン学研究特集号  Vol.27-2 No.102. を、今は指差ししにくいところが、映像で指差ししやす. 元木 博物館でも、他分野でも、残して研究するとか、. いものになったんじゃないかな。そうなると、研究者の. 研究成果を社会の仕組みに生かすルートみたいなものと. 残し方としては、紙は今までの(デザイナーの)ツール. か、社会の中での位置付け、居場所みたいなものがある. の範囲内だと思うけど、RTD をそのまま共有するとか。. と思うんです。ただ、デザインやってる人は、そのとき. しておきたいのか、受け手にとってそれが有益だと思う. としてのプロダクトはもちろんあったりするんだけど、. からなのか、書き手の側から見たとき同じ経験を自分で. 結局それに込めた知恵みたいなものは、選ぶ選ばない以. もしてみたいからなのか。自分だったらこうしたいって. 前に、あまりにも何も残らないと感じていて、残らない. ときに参照できればいいのかなと思うと、論文を書くこ. がゆえにそこに社会としてお金を付けるとか、そういう. とが目的ではなくて参照することの方が目的になるん. ところにも全然つながらないんですね。普通は、国立大. じゃないかな。. 学とかにもデザイン研究する場所もないし。別の世界で. あとは、研究を残す理由として、本人の願望として残. には、とても感謝されるとかいいねとかなったり成果物. 分かれたまま暮らせさせられてきている感じがすごくす 原田 歴史博物館の仕事をしてるんで、歴史資料として. るんです。私は、たまたま京大に来たから、こんなふう. という視点はあるんです[注8]。過去は、残っている. に(他分野の研究は)社会と社会を動かす部分とつな. ものからしか解釈できないわけです。中世近世でもだ. がってるんだって。幸せな形で循環してるかどうかは別. し、現代史でも、資料が残ってることの意味はすごく大. として。. 事なのかなと。それが限定された資料しか残ってない と、残ってることからしかそのときその場は思い起こせ. 塩瀬 ラスコーの洞窟とか、あれ描いた人って当時でい. ない、というか推測できない。もっと周辺の資料がたく. うとデザイナーなんですかね。暮らしの中でみんながあ. さん残っていたほうがいいなって。. あやって残せたわけではなくて、当時ビジュアライズで きた人があそこに刻んで残ったんじゃないかな。その時. 塩瀬 どっちにとっていいんですか?残す側にとって?. 代そんな時代にその技術を持ってビジュアライズできる. 受け手側にとって?. 人が残したものが今に残ってるのかもしれないって思っ たら、全員が全員、表現を残すわけではないですよね。. 原田 直感的に、未来の人たちにとって、今がどうなっ ているかという資料をどれだけ残せるかというのは、必. 元木 ラスコーよりもっと時代を後にしてもいいんです. 要なんじゃないかっていう思いはある。. けど、それを描いた人はどういう人だったのかっていう 資料って極端に少ないなというのがあって。. 塩瀬 博物館だと、残すことが大事っていうスタンスの 人と、捨てることが大事っていうスタンスの人とって、. 塩瀬 技術資料を調べてたときに、昔の顕微鏡のライカ. 分かれますね。スミソニアンとかでも、私の仕事は捨て. のレンズとか調査したら、ドイツのライカの本社にその. ることだ、捨てることは結局、残すものを選ぶことにも. 年代例えば1915年とか18年ぐらいの顕微鏡だと、磨いた. なるので、峻別することが必要で、全部残すと大変です. 職人さんの名前が向こうの台帳に残ってて。それぐらい. よって。例えば全員のお箸を残したときに、それはその. マイスターを大事にしている。日本は仕組みとしてもの. 時代の人たちの生活だと言われても、全員の箸を置くス. を作っている国だから、工学側も没個性的にものを作っ. ペースで次の世代の何かを置けなくなるのなら、1個で. ていて、デザイナーもその中に残そうと思うと、日本だ. いいだろうし、1個だと損失するのであれば、10個でい. と個人としては多分残らない。今だと仕組みとしても残. いのかってことで、全部トレードオフになってしまう。. らないっていう意識があるのかもしれないけど、どんな. だから、全部を残すことは全部を残さないことにつなが. ふうに残すか。爪痕を。. るというのが、捨てる側の理屈。一方で、消えるかもし れないから意地でもと、峻別する立場を次の世代に送. 元木 デザイナー個人を残すという話ではなくて、プロ. る、私たちの仕事は残すことだ、っていう人たちもい. セス的なものかな。どういう知恵を働かせたかみたいな. る。以前よりも残せるようになったがゆえに、時間など. ところの例がたまっていく方が、次参考にできたり、. で区切ったときに、誰にとってその残ったものが価値を. すごいよかったねっていうものを、また違う形で再現で. 生むかは・・・。. きるかもしれないっていう意味で、残したいなという 感じ。. 75.

(7) 76. 特集:社会実践のデザイン学. 富田 先ほど言ったコピーできる「わかる」を残したい. 横溝 残すっていうと、そうですよね。今の話でいうと. のか、コピーできない「わかる」を残したいのか、なん. 少し負荷のある行為なんだなって思いました。でも、本. ですけど。こないだマティスの教会(ロザリオ礼拝堂). 来あった能力を復元してんだよみたいなことを伝えたい. に行ったんです。マティスの単純な線はコピーできるん. のがあるかな。身体で感じたものを次に技術に転換して. ですけれども、それを見る人にそれぞれの生き生きとし. くっていうのは、もともとみんな持ってるはずなのに。. た意味を想起させる。だけど実際に原画を見ると、もの. それを工学の人も含めて、さっき富田先生が「昔の特許. すごい迷いの線がいっぱいあるんですよ。それを見る. 関係の技術って身体性を伴う実験をやってたという記憶. と、コピーできない「わかる」を創り出す過程もある程. があるから、そういうのを今度見せようと思っている」. 度伝わってきますよね。だけど彼が追求したのは本当は. みたいな話をしていましたけど、工学の人も普通に身体. ミッフィーみたいな、コピーできる形ですよね。でも. 性を伴った実践をやってたんだっていうところがおもし. 迷った線も残したいですよね。. ろい。 工学でももともとやれていた能力が今、失われてし. 原田 むしろそっちを伝えるべきなんじゃないかって思. まって、実験のやり方だけが残った。原初的に持ってた. いもあるし。さっきの博物館の続きだけど、資料として. 能力を必要としない世界になっちゃった。そんな状態か. ちょうど今、江戸末期から明治期に日本から持ち出され. ら、かつてやれていた能力を復元できるのかっていうと. た工芸品の調査を世界中でやっていて、それらの資料の. ころから、これから情報技術がどんどん進んでく中で、. アーカイブを作ってるところで[注9]、現物を見る機. 人の原初的な能力を包括的に捉えないでどうするんだ、. 会もあるんですけど、どう見ても今は作れないものばっ. そういう危機感が何かあります。デザイナーはその辺を. かりなんですよ。技術的にも材料的にもあり得ないもの. 本能的に感じてやっているからやれているんだけど、工. が、あり得ないかたちで出来上がっているというのが、. 学系の人は一向に何かそこら辺、気付いてくれないとい. モノしか残ってなくて。それを今、誰も作れないと思う. うもどかしさがある。だから伝えたいことには、その辺. んです。それがすごくもったいなくて。再現するのにゼ. もあるのかな。. ロスタートどころか、マイナススタートからそれをやり 始めなきゃいけないみたいなことが起きていることを考 えると、今やってるデザインはもっと社会に密接だし、. 2.4. デザインの実践知をどのように残すのか?. 塩瀬 もう1回確認すると、「私」はデザイン側にいる. デザイナーが苦労していろんなものを生み出している、. 人で、伝えたい相手は「あなた」。メインで読んでもら. やってることを伝えなくちゃもったいないっていうの. えるといいなと思うのは、「私」の後継者(デザイン側. が、すごくあるんですよね。. にいる人)で、工学とか異分野、社会の側からデザイ ナーと共創してくれるであろう人でもあるっていうスタ. 塩瀬 技の伝承の研究をしてた中でいうと、成功事例は. ンスでいいのかな。. 式年遷宮なんですね。その時代の職人さんの技を残す手 段としては、もう一度作るというのが一番、伝え方とし. 元木 そう。今までデザイン分野の若い人に伝えたいと. て成功した唯一の例では。生成継承性っていう、つくっ. いうことだったけど、デザインの分野のあたりに、他分. たものを死守するんじゃなくて、生み出しながら次の時. 野のデザイン分野が来て広がっちゃった感じなんです. 代に伝える。式年遷宮が20年に1回やるのは、3世代の. よ。工学の人とかも「デザインやりたいんですけど」、. 職人が同時に仕事できるためで、必ずつくって壊す。3. とか。そういう意味も含めて異分野の研究者も対象にし. 回前から総部品を残すようになりましたけど、それまで. ている。若者には、デザインの技術、つまりいかにきれ. は全部燃やしてたんで。でも式年遷宮って1回やるのに. いに早くつくるかみたいな話とは別に、ここも知ってほ. 600億かかるんですよね。600億をかけて技を残そうとす. しいっていう部分がある。異分野の人には、ここがわ. るかどうかが、1,300年続いてきた手段だと考えたときに、. かってもらえると、別のデザイナーとも次の仕事を共同. それだけのコストを集めないとあれだけのものは残せな. で、共創できるよっていうことが言いたいのかも。(技. い。残すのは力そのものだから、力を手に入れないと。も. 術的に)作れるようになって欲しいというより、一緒に. ちろん言葉も力のひとつだし、ビジュアライズすること. 作れるマインドを持ってもらう、一緒にデザインできる. 自体が力だから。言葉以上に消えない力みたいなものを. マインドを持ってもらえれば、自分以外のいろんなデザ. 身に付けるということ、もしかしたらそれがデザインが. イナーと組むときにも、すごく役に立つんじゃないか。. やりたいことなんだとすると、それが一つかもしれない。. もっといいものができるようになるんじゃないかな。.

(8) デザイン学研究特集号  Vol.27-2 No.102. 横溝 この社会実践型ラボでは、ラボ活動に関わった人. るかを自分で振り返れる。自分で撮って、自分で見る。. や社会に対して、その土地に根ざして共に生きて共に. 言葉とか絵で説明されてもようわからんことを、動画と. やっていけるような可能性を呈示するっていうことを大. して共有するっていうのは、伝えるべきことが動きその. 事にしている。可能性呈示は当事者のマインドづくりに. ものであるとか、そのほうが言葉以上に伝わるものがあ. もつながっている。可能性呈示という言葉は加藤文俊先. るなら、それでいい気がするし、言葉の中に乗っかって. 生からいただきました[注10]。. 説明することになるならば、文字にすればいい。. 塩瀬 そろそろ社会実践型ラボの話にいきたいんですけ. ときに、文字にするのは歴史なのか実践なのか。研究と. ど。原田先生は、この本を通じて、デザイン系学生、デ. して生み出すことは語りなのか。それか、まだほかにレ. ザイナーやデザイナーの卵が、自分たちの実践を残して. パートリーがあるだとか。. 今回、紙の中で文字としてチャレンジするっていった. いく手段として、さっき0/1(ゼロイチ)を生み出 すっていうことを実践して、残し方も、伝えるための方. 横溝 今回のラボ活動をやってて最近よく思うのは、研. 法も、ゼロイチで生み出しゃあいいんじゃないかとお話. 究を伝えるためのメディアとして紙、論文もあるかもし. しされました。宮田先生はその中に歴史、ここに至るま. れないし、パネルもあるかもしれないし展示もあるかも. での経緯みたいなものを含めた今のデザインを位置付け. しれないし、っていうときに、今の教材の話聞いても実. ることが大事じゃないかとおっしゃっていた。横溝さん. 践した本人がそのメディアの横にいてそれを使って語る. は実践をそのまま残すという話と、元木さんはさっき、. と、圧倒的にそのリアリティーが違う。ナラティブって. 残す方法は、語り「から」始めるしかないんじゃない. いうことの意味って、作ったものと実践者が一緒に組み. かって言ったけど、その辺の手段、方法のレパートリー. 合わさることによって、聴いてる人が、話し手の実践に. として、今言った以外にもあるのか。今言ったものを載. 関わってなくても、その人がどんな生き方を持ってその. せるとしたら、全部文字に残した状態で実践するのか。. 実践に関わったのかっていうことを、その人を見ながら たくましく想像できるっていう面白さは、ラボをやりな. 原田 未来を考えれば、メディアはいろいろあり得ると. がらすごく感じてるところです。願わくばそれを伝えた. 思うんだけれども、いまの制約としてこの特集号で、何. いんですけど、毎回、特集号を配って、その場で語ると. ができるかっていう落としどころを見つけたい。いろい. いうわけにはいきませんからね。. ろなことはやれるんだけれども、この文字と紙、メディ アっていう制約の中で、何ができるのかっていうチャレ. 塩瀬 例えば論文で、普通に論文が書いてあって始めに. ンジをしてみたいなっていうのはある。できればデザイ. から1章、2章、3章、4章が書いてあって参考文献が. ンすることを記述するやり方の例を見せたいと思うの. あって最後、著者略歴がプロフィールがありますよね。. で。仮で「論画」って言ってるんだけど、論文的に従来. ものすごいナラティブなプロフィールを思いっきり前に. のフレームワークから、ちょっとはみ出た語り口ってい. 持ってって、私、実はこういうつもりでこういう研究を. うのを盛り込んだ・・・。. 始めたんですけどみたいなところから入る。1ページ目 プロフィールから入って、2ページ目から論文になると. 塩瀬 教育の中で教科書がテキストから写真とか動画に. 伝わるとか、どう?. なったときに、動画のセッティングってうまくいかな かったんですよね。見てもらえなくて。最初にうまく. 一同 確かに。それやってみよう。. いったのが体育。それまで柔道の技は、ヤワラちゃんの マンガが一番、評判としてはよかった。動きが細かかっ. 塩瀬 普段の一般的な論文ってのはそういうのを消すわ. たから。それ以外は静止画で、どこからそのスタンスが. けですよね。没個として伝えて、出した人の責任とし. 入るのか分からなかった。DVD になってから柔道教室. て、著者紹介があるんだけど。著者紹介を思いっきり前. とかでも、それを見て真似ができるようになって、動画. に出して、こんなことをしてきた私がこんな思いでやっ. を動画として伝える、さっきの言葉にならないもの、絵. て、こんなのがあって先に読めっていうのを最初に入れ. にならないものを伝える手段として、動画が普及した。. てから読むと、どういうエピソードでこの研究に入った. iPad が学校の教室に入ったときも、授業での使い方を. 考えあぐねている中、一番最初にみんなが使ったのは逆 上がりの記録なんだよね。逆上がりがどこまでできてい. のか、伝わるかな? ただそれは、今までの論文の共有の仕方からすると、 すごいアンチテーゼだし、刃向かってることになると思. 77.

(9) 78. 特集:社会実践のデザイン学. うんですけど。それを伝え方のゼロイチとして生み出し. ういう個人的なところに振るのは、めちゃめちゃ面白. たということでいけるのか。. そうな気がしてきた。実際、書いてるのはそうなってる しな。. 横溝 アレクサンダー・カルダーのドキュメンタリーを 見ると、はじめは犬と散歩してるシーンから始まります. 元木 これを見て、私もそうしようかってなる人がいれ. からね。犬にまったく相手にされないカルダーみたい. ばいいな。. な。作品制作の風景は映さず、生きることと作ることを 同一としている日常生活の一部を見せることはとても重. 横溝 原田先生はものすごく特殊能力があるので、複雑. 要ですよね。. なもの、出来事をビジュアライズしてしまう。宮田先生 は、私の解釈なんですけども、論文を伝統的な論述方法. 塩瀬 そうやって書いたページと同じもの(対象)を全. に則ってきちんと形を整えて記述できる。工学でも、デ. く客観的に書いたページと両方あって、どっちがよかっ. ザインでもどちらの分野でも伝わる論文だと感じていま. たです?って聞くとか。. す。僕は、実践がそもそも、なぜ、ある状況のときに、 そういうことを判断をしてやったのかっていうことの経. 元木 先日のデザイン学会の秋季大会の「論文のあり方. 験を、すごく深く掘り下げて、省察して、記述してみる. 討論会」に出たんですけど、最後に両角先生が「一応実. ことに挑戦しようかなと思って書いてます。そうやっ. 践代表で、僕が代表っていうのはちょっとあれですけど. て、連続した経験をひたすら記述することになるので、. しゃべります」って、いろいろお話いただいて。「僕が. やたらと一人称の記述が長くなってしまうんですけど。. 今一番、こういう論文がいいと思うのを持ってきまし. デザインプロセスを経てできあがった成果物の説明より. た」って。「実践的な論文というか、デザインの論文は. も、経験と技術の話が長くなっちゃう。. みんな前置きというか前提というかそこが重要で、でも そこがどうしても長くなっちゃうから、例えばそこだけ. 塩瀬 残し方のフォーマットは一緒に作れるといいのか. は無制限で何でも資料を付けてもいいとか、そういうこ. な。技の伝承研究で熟練者インタビューをすると、みん. とにできませんかね、ということを提案しておきま. な武勇伝語りをするので。インタビューの中で、一番情. す」って仰ってました。. 報量があるのは分かれ道があったときにどっちを選んだ かという「枝刈り」 。行かなかったほうの道が一番、情. 塩瀬 論文っていう体裁が紙に載る文字で載るフォー. 報としてはリッチです。システムを作るときには、行か. マットの中で、タイトル、アブストラクト、著者アブス. なかったほうの道とその道を捨てた理由、そこを頼りに. トラクト、はじめに、1、2、3、4、終わりに、その. 作るんですけど。. フォーマットに載ることが制約条件だと考えたときに、 どっかちょっとずつ崩していくのだとすると、文字を崩. 横溝 失敗談ですね。. すのか、紙を崩すのか、フォーマットを崩すのかってい う中で順序もある。対象を客体化するのではなく、個人. 塩瀬 いわゆる失敗談も、本人が無意識に削っている. としてのパーソナリティーを思いっきり出して、別にそ. 「枝刈り」がすごい重要で、そこを聞くようにはしてい. れで伝わらんかったら、パーソナリティーを出すという. て。そこに至るまでに捨てたこと、トライして諦めたも. 作戦ではないんだな∼ということを結果論としてみれば. の。諦めたことっていうのは、結構ぎりぎりまでそれが. いい。うっとうしいと言われて終わりかもしれないし、. いいと思っててできなかった。理由がなければやってた. そのほうがいいって言われるかもしれないし、たまに. んじゃないかっていうような。. だったら許されるのかもしれないし。でももし、この研 究に取り組んでる個人を共有することが、研究方法を共. 富田 われわれの医療の分野で、最近リミテーション. 有する上で重要なんだと、仮説が立ってるのであれば、. (Limitation)というのをよく使うんですよね。論文の最. 多分それも意味がありますよね。. 後に、この研究はこういったリミテーション(研究の限 界)があるんだ、と付け加える。100パーセント正しく. 原田 本当に、そういう意味では1個1個の事例にちゃ. はない題材でも、つまり本来コピーできない「わかる」. んと向き合うっていうことをメッセージには込めたいっ. を表現したいところを、結局コピーできる形に表現し. ていうのがあるので。しかも特集号だし。思いっきりそ. ちゃったので、「なんちゃって」っていうか P.S. という.

(10) デザイン学研究特集号  Vol.27-2 No.102. か、その辺を最後に一言入れるような形式があると、だ. をすることなのかもしれないなとは思っています。. いぶ違ってくる気がします。 原田 本当に強くそう願ってるんですけどね。 横溝 リミテーションって、具体的にどういうものなん ですか?. 元木 人数の違いですかね。. 富田 今よく使われているのは、実験手技の至らなかっ. 原田 誰も見てくんないですよね。. たところとか、そういうものを指すんですけど。ただ今 ここで僕が言いたいのは、ボケとツッコミ的なところで. 元木 ひとりで例えば工学部という違う陣地の中に、デ. す。先ほどちらっと言いましたけれど[注11]、「もっ. ザイナー1人で入っていっても、できることってすごく. と、京大変人講座」という本に書かせていただいて、そ. 少ない気がするけど、逆にデザイナーの中に別の分野の. こで今までどうしても文章では書けなかったことを書け. 人 が ぽ ん っ と 入 っ て く る の は、( デ ザ イ ナ ー ら は ). たような気がしています。それは私の話に対してツッコ ミを入れてもらえたので、ばっと言ってしまったことに. 「ちょっと学べるかもしれない」って思ってる気がする じゃないですか。. 対して、「そうですか」ではなくて、「それはおかしいで しょう」って言ってもらえる内容を一つの本の中に含め. 塩瀬 (デザイナーの)若い人へのアドバイス。1人で. られたので、安心して本にできたってことがあるんで. 行ってはいけない、必ず3人で、とか。. す。自分がある一つの仮定でもって、または一つの世界 観で も っ て ば ぁ ぁ っ て 書 い た も ん に、 最 後 に「なん. 元木 自分たちの(デザインの)フィールドに呼び寄せ. ちゃって」を入れるだけで真実味がぼんと増すような。. なさいみたいな感じかもしれないけど。. または生のものが伝わる気がするんです。 原田 いや、お互いにアウェーになる場所に行けばいい 塩瀬 漫才で、ボケをかましたけど、ツッコミによって. んじゃないかっていう感じはあるね。. 戻される感じですね。リミテーションって、つっこみど ころ。. 塩瀬 インクルーシブデザインはそういう感じなんです よね。結局、目の見えない人に向き合ったことがないの. 富田 そう。. で、目の見えない人の前に工学系のエンジニアとデザイ ナーが一緒にいて、難しい問題に出くわすと2人で何と. 塩瀬 「知らんけど論文」みたいな。知らんけど・・・. かせにゃいかんなってなるから。ドラゴンボール方式。. と思うけど。. 普通はどっちかのフィールドに入ると寄せてしまいます. それぐらい、「みんなで共有できる」と「共有できな. よね。そして自分の方が真実だと思い込んでしまう。. い」の間ぐらいを論じていることをちゃんと断った上で 共有できれば、それは十分価値だと思うんですよね。論. 元木 多分、工学的な考え方っていうのが、染み込んで. 文だからみんなと共有できる、わかるんだってふりをす. るのかもしれないですね。どちらかっていうとね。だか. るから偽科学的になってしまうし。でも個人の経験から. ら違うところに行くときでも、人数比が。結構、大事だ. でも、絶対、習いたいことはあるので、これは個人の経. なとは思ったりはしているのかもしれない。. 験ですと分かった上で、その経験の背中から学ぶことは 充分ある。それが言葉になるか、言葉にならないかは別. 塩瀬 工学は基本、労働集約型なんで。人数寄せてい. なんですね。言葉とマニュアルに継承されるされないか. く。それが実装の手段。そこに巻き込まれる。. は別で。構造があるものは次に反復されるので、言葉に ならないままでも、そういうふうにちゃんと伝える。た. 原田 デザイン研究も、最近は比較的こっちの領地を守. だそれは一緒に仕事をするとか伝え方があって、レパー. ろうというか、デザイン領域の人たちが集まって何かし. トリーがあるので。式年遷宮もそれは一緒に新たなもの. てる感があって。それも何かちょっと残念っていうか。. を創り出すという手段だから。さっきの共創ということ. だから共創っていう話についても、デザイン領域の中だ. の一つは、デザイナーの持ってる景色とか経験みたいな. とデザインのコミュニティーの中にそういうステークホ. ものを社会にインストールする手段が工学と一緒に仕事. ルダーを集めて、みたいなことを言ってる感じの人が意. 79.

(11) 80. 特集:社会実践のデザイン学. 外と多いなと思って、周りを見ると。だから、こういう. セッションで[注2] 、加藤文俊先生を呼びましたが、加. 専門のコミュニティーができることで、それを守ろうと. 藤先生が紹介した学生のゼミ活動のお話が今話していた. する力がすごく働くっていうことに対しても、かき乱し. あたりも理解していたなと思って。その話は、横浜で生. たいなっていう思いはあるかな。. まれ育ったゼミ学生が、親のフォトアルバムを見ながら、 両親が横浜をデートして、結婚して、家族で巡り撮った. 2.5. 若手がほんとうに知りたいこと. 写真の場所に、もういちど自分が行って写真を撮ってく. 塩瀬 今の話を聞いていたひとたちに、これがもし紙面. るっていう活動の紹介だったんです。その彼は、写真か. で読めてたとすると、その中のどこをかいつまんで聞き. ら建物を特定して、両親が行った場所と写真のシーン、. たいか、面白かったか、もっと深掘りしたいのか、聞き. アングルをすべて再現することに注力しているうちに、. たいなと思うんですけど。. 自分自身の子どものころの保育園の集合写真が出てきた。 その集合写真は再現できないけれど、写真に写っている. 三野宮 さっきの論文構成の話で、1枚目にプロフィー. 人で、一人だけ連絡がつく人がいたのが当時の担任の先. ルがきて、私がこれをしたって語られて、なるほど原田. 生だった。先生と無事連絡が取れて、写真と同じ幼稚園. 先生はこんなことしたんかって読みといた後に、「で?」. の部屋で、先生と2人で肩組んで写真を撮った。初めて. の部分が載ってるのか、載ってないのか。どっちでいく. これまで繋がっていなかった人にコミュニケーションし. つもりなのかなっていうところはちょっと気になった。. て、一度途切れたコミュニティを再生したっていうよう. 塩瀬 プロフィールと実践と「で?」って。. な話だったんですよ。それを「Asset-Based Community. Development アプローチ(本特集号:「デザインという. かかわり」加藤文俊執筆稿 参照)」を使って説明したん 三野宮 「で?」は自分で考えてくださいっていう態度. です。ナラティブに近い学生の活動紹介のあとに、もう. でいいのか、「で?」まで書いてくれているのか。. 1回ちゃんと。これがどういうふうなコミュニティーの 広がりだったのかっていうことを、社会学の視座で話を. 塩瀬 プロフィール、実践、「で?」があるかどうか。 「で?」まであるとうれしい?. したんです。加藤先生は、個別具体的な実践でも、社会 学の理論に置き換えて論述することはしっかり押さえて いる。私たちデザインは、実践をデザインの理論に置き. 三野宮 いや、わかんない。. 換えて話をすることがまだできていない。生々しい話で 終わっちゃう、エッセーっぽく終わっちゃうと思う。そ. 塩瀬 そこも分からないってことね。「で?」はもしか. こはちゃんと押さえないとなぁ。. したら自分に委ねられたほうがいいのかもしれない。 元木 あと、 「で?」っていうのは、一般的なプロフィー 三野宮 かもしれないし、くれるんなら欲しいですけど。. ルというよりは、その後に続く文章で自分が伝えたいと 思っている自分の実践に向けて、こういう経験とか素地. 塩瀬 くれるならもらうけど。. があってここに臨んでますっていうことを表明するもの でないと。どういう人が関わったのかは伝わらないし、. 横溝 「で?」って多くの人は思いそうな感じもします. そこがこのようなデザインになったことに深く関わって. ね。. いて。今までにこういう経験があったから、そういう経 験があった人に、こうこうこういう話が来たんだとか、. 塩瀬 それがエッセーだと言われないために、エッセー. ここから関わったんだみたいなことを伝える必要はある. 以上の価値がある個人的体験っていうもの、その人の独. かな。. 特の世界観みたいなものが本当に共有されるのであれ ば。ただのエッセーだと、こんなの見て楽しかったうれ. 原田 事実としてやったことの説明については、やった. しかった、こう思ったで終わるわけだけれども、自分語. ことしか言ってないから、さっき塩瀬さんが言ったよう. りをしてもエッセーにならないための書き方っていうの. に、あるタイミングごとの判断とかを総括して、その出. があるのであれば。作り方次第、かもしれないな。. 来事をどういうふうに自分が受け止めてるかっていう意 味付けみたいなことは、あえて言わなきゃいけないと思. 横溝 2017年度デザイン学会春季大会のオーガナイズド. うし、そこまでは責任を取る。それをどう受け止めるか.

(12) デザイン学研究特集号  Vol.27-2 No.102. については、むしろ多様性ということが大事だと思うか. 人でサイエンスを全部明らかにできないから、誰かが踏. ら、答えをあげるみたいな話には絶対ならないんで。君. んでくれた地面は踏まなくてもいいやとか、自分で疑っ. はどう思いますかみたいな感じにするしかないのかな。. ていればそこを踏み直すけれども。デザインの場合はど うなのか。. 塩瀬 皆さんがお互いの研究を発表し合ったときに、質 疑応答のところで出た、「もうちょっと教えて」ってと. 横溝 デザインの場合は、僕はオリジナリティーを高め. ころがどこだったのか。そこにフォーカスされてるいる. るためにメタファー(隠喩)とメトノミー(換喩)を駆. と「で?」に近いのかなと思って。自分のプレゼンテー. 動させていると思う。見て経験したことをどうやって伝. ションだけで終わってしまえば、そこに書かれたものだ. えるかという発想をするとき、隠喩はそれを助けてくれ. けなんだけど、その場で聞かれること、なんでそっちに. る。また他者の表現を解釈しようとするときは、換喩が. したんですかって質問が出てたはず。他にも代替案が. それを助けてくれる。その知の働きにオリジナリティー. あったんじゃないですか、とかが後ろに載ってるといい. が発現するんじゃないかな。. のかも。今までやってきた、研究開発されてきた中で. 同じ事象や他者の語りを読みながらデザイナーは、も. 突っ込まれたことを踏まえての内省として、後ろに載っ. し同じ状況になったときに、自分はその状況をどのよう. ている。元木さんが言うような、どういうスタンスで臨. に解釈して、どのように表現するかということを常に意. んだのか、とか。. 識してるはずなんです。自分だったらこういう表現、そ れは子どものときからずっと積み重ねてきたあそびと学. 元木 私はそういうことを質問したいと思いながら発表. びの経験にある。あるものを見たときに何をイメージす. 聞いたりしてるかな。. るかっていうのは個々人によって全然、違うので。そこ は多分、判断。いろんな岐路に立ったときに、どう判断. 3.社会実践のデザイン学研究のオリジナリ ティーはどこにある? 3.1. デザイン研究のオリジナリティと再現性. するかっていうのは多分、ロジックじゃなくて経験から. 塩瀬 サイエンスの論文の場合は、再現性だから。そこ. ないかなと考えて動く。そのメタファーの想起を楽しむ. で用意した実験とかの過程をもう1回再現して、同じ追. ことを積み重ねていくと、個性が培われて、いろんな状. 試ができるかどうかがサイエンスの場合における論文の. 況を面白く展開していけるようになる。. 想像や解釈をして、メトノミーをはたらかせる。 そしてこんな表現(メタファー)だったらいいんじゃ. 再現性として大事なんです。原田先生も原稿の中に書い てあった、オリジナリティーっていうのがどこにあるの. 元木 ちょっとひっくり返しちゃうかもしれないけど・・・。. かっていったときに、再現性とオリジナリティーという. 私、全てのデザイン研究の発表にはオリジナリティー. のは矛盾するわけですよね?. があると思っているんです。というのは、絶対にその人 にはなれないから。どんな学生でも、どんな人の発表で. 原田 そうそう。. も、それをやってる人、背景にオリジナリティーがある というスタンスで私は捉えてるんですよね。状況が全部. 塩瀬 論文っていうものがもし再現性のために存在する. 違うから。だからオリジナリティーがあるかないかを審. んだとすると、オリジナリティーのためには論文を書い. 査してみたいな気持ちは全然なくって、オリジナリ. ちゃいけないことになりますよね。でももし、みんなの. ティーがあるっていう敬意を持ってる。. オリジナリティーをさらに助長するために論文による引. ただ、発表とか論文を見たときに、この人はどういう. 用があるんだとするならば、他の人のを見た上で、自分. ことからこういう判断をしたのか、言語化されていない. のオリジナリティーを高めるために引用するんですよ. 状況や背景があるんじゃないかって思うので、質問す. ね。そのときの判断に要する情報って何やろ。そっちに. る。その人の中には確固とした根拠があるとか状況があ. は俺は行かないぞっていうことなのか、パクれる所はパ. るってことがわかると「私から見てもそういうあなたの. クれるぞっていうことなのか。デザイナーとして他者の. 状況だったらそれがベストだったと思う」と言えると. 経験を自分に内省化するときのスタンスが、サイエン. か。そういう目線で発表を聞いているなと思います。. ティストの論文の読み方と違うはずなんです。オリジナ リティーの求め方の違いなのかもしれないし。他者の経. 原田 同じ状況で、全く同じタイミングだったとしても. 験へのアサインの仕方みたいな。サイエンスの場合は1. 人が違ったら結果も全く違うっていうのがデザインのプ. 81.

(13) 82. 特集:社会実践のデザイン学. ロジェクトだと思うんですね。同じ知識を持った人で. とめられて読んだときわかった気にはなるけど、具体的. も、同じ人でも2回やったら違う結果になるというよう. に何なんだ?それこそイリイチの本[注12]みたいに、. なものだから。. 全体を見てわかるけど 、一文一文、一言一言聞き取っ. オリジナリティーについては、個別のことから始まっ. てみると、結局これは何なんだろうってなる気になるの. てる時点でオリジナルなのかなと。前にこういう例が. がどうしても文章だと思うんですよね。なので残し方っ. あって、これは違うから差分でこうですみたいな説明も. ていう部分はすごい気にはなるなっていうふうに思うん. 意外と難しくて。アイデアを考え突き詰めていくと、似. ですよね。文章だけだと・・・。. たような結果が出てくるっていうこともよくあるので。 そういう意味で似ているからといってオリジナルじゃ. 横溝 読んだらわかったつもりになっちゃう。だから. ないとも言えないみたいなところもあるんですよね。だ. 一生携えてもらうしかないですよね。付箋だらけで。こ. から・・・。. ういうことだったんだって10年後ぐらいにわかるみた いな。. 塩瀬 そうですね。ただサイエンスの中で提言してるオ リジナリティーと再現性は、同じ状況で同じ場所で、違. 原田 まず1回読んで、身体に入ったら実践に使えるみ. う人がやっても同じことができるっていうことを再現性. たいな感じで、いいんじゃないですか。簡単にはいかな. と呼ぼうといってるわけだから。それとは違うオリジナ. いけど、そんなイメージでは。. リティーとか、それとは違う再現性を語るっていうこと を言明しないと、サイエンティストが読むと勘違いして しまう。. 横溝 だから、この特集号の次の特集号は、ミッちゃん (三河)やさんちゃん(三野宮)たちがわかった気に なってやってみたら、実際はこうだった!っていうふう. 元木 そうか。じゃあオリジナリティーというのは全部. に続くといいね。. に備わっているので、そこは問いませんっていうぐらい 宣言したほうがいい話なのかなっていう気もします。. 塩瀬 やってみたけど、違うじゃないか、原田!って なるんじゃないですか。アンサーペーパー。そうです. 富田 僕はちょっとエキセントリックな考えを持ってい. よね。. るんですけど、オリジナリティーなんかないと思ってる んです。 個 々 の 現 象 は コピ ー 不 可 能 で あ る の に、 人 やコン. 原田 でも、まさにそういう意味で。だって知らんけ ど、って書いたじゃんって。. ピュータは情報化によってコピー可能と捉えてしまう。 コピーされたものが偽物だよっていうことをわかった上. 塩瀬 言うてたけど、知らんけど。があっていいと思う. でそこに真剣に絶望的に取り組めば、それはオリジナリ. んですよね。. ティーだと思うんです。この人が創ったものだっていう 匂いのようなもの、それこそがオリジナリティー。. 宮田 僕が今書こうとしてるのは「で?」の部分を多分、 「デザイン原理」という形で書いていると思うんです。. 3.2.「で?」そのあとどうすればいいの? ∼研究が読み手に投げかける「問い」とは∼. それで、皆さんが書いていらっしゃる実践の中に、自分. 三河 さっき、この社会実践の研究を論述する方法とし. か、というパターンがたくさんあるんです。しかしそれ. て、まず著者のパーソナリティーを先に提示しようと。. は皆さんに確認がとれていないので、幾つか簡単に触れ. パーソナリティはわかった。「で ?」の部分、僕は欲しい. なと思うんですよね。知りたいですよね。最終的に、. 「で?」の部分が知らんけどで、論文が終わってもいい と思うんですよね。全然、知らんけどで、そうなんだ、 なるほどって思うとは思うんです。読み手としては。そ れを知れたことがよかったぐらいの感じなので、そこ. の書いているデザイン原理に多分あてはまるんじゃない. るだけにしました。また、そのデザイン原理、つまり 「で?」は、自分の今までのいろんな実践とか経験とか からもちろん来てるんだけど、それについてはあんまり 書いてないんですよね。もうページが足りないので、 「で ?」しか書いてない。自分のやってるのは、こういう 意味があるんじゃないかってことを主に書きました。. は。でもそこで何かちょっと思うのは、わかった気にな る気がするんですよね。今の話を本として文章としてま. 横溝 確かに、今回の特集号の宮田先生の原稿構成は、.

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