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生活の合理化(二)-香川大学学術情報リポジトリ

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Academic year: 2021

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(1)

三 家庭生酒の合理佗 家庭は、人間生活の第一歩であり、あらゆる人間活動の淵源℡ある。従つてあらゆる生活の合理化は家庭の合 理化より始めねぼならぬ。彼の世界大磯に於て、弼逸が殆ど全世界を敵として載ひ、而もー歩も園内に敵の牒躇 を許さなかったこと、其の後の思るペき経臍的困窮に際してよく之に堪え、また1く問に今日の快復を致したる ことなどは一に料率磯達の賜であり、而も北ハの敬達は家庭生活の合理化、科革化に負ふ虚が甚だ多いのであるJ ・礪逸では、子供はいはゞ生れると共に科挙の殿堂に育つのである。従って、塾校に於て畢ぶ前に己に科畢的生活 をなし、畢校で畢んだ慶は直に家庭に於て菅験し、復習することが出来る。かくて始めてか1る科箪の普及敬達 が出来たのであつて、叩単に串校のみに於て科箪的知識を授け、螢校に於ける授柴が家庭並に政倉の現状と甚しき 懸隔のある我が国に於て科挙の進歩の遅々たるは常然である。今、狗逸の家庭生活が如何に合理的なるかを推知 する馬めに、二三の例を撃げむ。

第玉谷 第二航

盤活の合理偲 ︵三

︵﹂四入︶ 四〇

(2)

猫逸の家の各窒のガラス窓には、其の内側と外側とに各二川の寒暖計があつて、窒内の溜歴と窒外の澗度とを 示して屠る。之れ、外出に際して、戸外に出て初めて窒外の猛虎を知少、着物を調節する手段を省く焉め1である 即ち、手探り的に済度の測定をせザ、寒暖計といふ客観的標準によりて、預め防寒の用意をなすのである。 弼乙の下宿屋に入つて多くの人が境初に面喰ふのは、入湯の過度をきかる1ことである。下宿屋の女中が﹁あ なたは何度の風呂に入りますか﹂と開く。私も此の間に而喰った一人である。軍貰私は自分の好む風呂の温度は 知らなかつた、それで餞濾より少しは温い方がよいだらうと思って﹁四十度﹂と答へた。そして風呂に入つて見る と、浴槽申に浮べる塞唆計は正に四十庇を示して居る。然し、とてもあつくて入ることば出来ない、私はこのと き初めて私の入浴の脱皮は三十六七度であることを知ったっ 覇乙では普通朝食にはバタ付。ハン、牛乳、コーヒー、ネヂ卯を用ゆる。下宿へ行くと主婦が﹁どんな堅さのふ ヂ卯がお好きですか﹂と尋ね、翌朝朝食の後、﹁今日の卵の煮方はお束に召しましたか﹂と聞く。﹁恰庇よい﹂とい ったならぼ其の次からは、いつも全く同じ堅さに煮て来る。それは基朗の合理化の賜である。即ち芸所には必ず 時計と術とが備へられ、バケツ其他の容終には凡て容韮の桝日が記されてある。故に主婦は卵何グラムに何リッ トルの水を入れ、何度の瓦斯火忙何分聞かけて煮れぼどの位の堅さのチデ卵が出来るかをよく知って、此の客観 的標準によつて凡てを行ふから、炊事を正確に簡便にし、其の間に考寧紅賛す必繋がないのである? かゝる垂範中に育てる猫乙図民に如何に科革的知識が普及して居るかについて⋮二の例を貌げやう。 額活の合埋化 ︵・一門九︶ 四−

(3)

第五巻 第二眈 ︵一五〇︶ 四こ 私がベルリンエ科大串のメーデ幡士の心理箪蜜験宝で畢んで居たときであつた。そこへ小輩校五年の少年三人 が被験者として連れて来られて釆た。何れも労働者の子供にして小畢校の成績は中位以下の着であつた。将士は 此等の子供を一人々々嘗験宝に呼び込んで次の固を示し、其の作用及び用途を閃はれた。而して、此の内二人の 子供は大鰐満足な答をなしたのである。︵即ち、がス.即燃え 水の温厚が上昇すれば水銀の温度も上昇すろ倦め、際限してガ ス管な塞ぐから、火力.い弱くなる。火力が弱くなれげ水の温度 り. が下従って、水銭が収縮してガス管が開き。ガスか多鹿に 火に到ろ。かくて自働的に水の漉鹿を調節して一定に保りので ぁろ。かゝる考案l‡成ろ一定の脱帽み常に保っ必要のあろ麗に 装置すれば£い、例へげ洗面所や理髪屋のやうにJ 叉、私の友人が其の下宿の女中に冬の戎日、日本の雪 祭色のエハガキを示して次の質問を饗した。其の女中は 二十才位にして小箪校を卒発したものであつた。﹁日本で は約▲をちぎつた様な大きな駕が降り、それが粗の薬や小 枝にか1つてこんな発しい美観を賞するが、猫乙では粉 のやうな雪が降り、且つ雪は地上に落ちて横の枚に少し

(4)

も止らないのは何故なるか﹂。之に勤して女中は次のやうな明確な答をなしたといつて私の友人は驚いて軍た。 ︵日本ほ鼠候が温かいから、雪が地上に近づくに従つて彗の結晶の同園がごけて澤嵐を帯び、多くの粉彗.が塊ハて一国ねなして 落▼る食め締の球な雪が降り、叉、其の溜嵐の秀め、樹の業や枚にも肘讃すろのでぁろ。︶ 魂が困の家庭を省るとき、到る恋非合理的な弊が存して居るが、之を改善せんとするには先づ家の目的を考へ て合理化の基準とし、此の目的に添ふ様にすべきである。 菟釆、家は穴居時代の狐狸の棲研の如き穴や、熱帯地方に於ける鳥の奥の如き家より、文化民族の堂々たる家 屋に至るまで凡て或る共通の目的を弔する。就中、健駿の保持、安慰なる休憩、子女の養育、生命財産の安全は 其の最も主なるものである。 人間の鰹濾は常に三十六度飴を倣って居らねぼならぬ、慣通がこれよりも上昇或は下降すれぼ病的現象を起す 従って皮樹、血管は常に此の∵定の温度を供つ焉めに全力を托ぐのであるが、外気のあまり冷きとき、又は皮膚 表面が過れるときは館内の過度は此の垂範によりて俸導、放散せられ、身髄は之に抗するを得す、途に風邪にか ゝるのである。叉、外の過度が牒渦に近く、且つ、換気が憩いとき忙は身憾各部の活動より生する飴分の熱が放 散、倍導されざる焉めやはり病的現象を起すのである。密閉したる窒内に多数の人が居るときは、気分が悪くな りメマヒを起すのは此の悠である。昔は人が多数襟閉したる堂忙居るときメマヒを起すのは、身濃から所謂人寿 がHて之に中毒するのであると思はれ、化撃の畿建と共に人毒紛は否定せられて呼吸によりて基気中に二酸化狭 鹿沼の合理化 ︵一五一︶ 四三

(5)

︵︼五二︶ 四四

第玉谷 第二班

素が増加し、酸素が稀薄になる篤めであるといはれたが、人腰に有寄になる程に二酸化炭素が増加することはメ ックに滋いことはアメリカ合衆閥衛生調査倉によりて十数年前驚験的に誇明せられた。即ち、かゝる宝内に居る 者に外部より通風管にて新鮮なる基気を供給し之を呼吸せしめて亀何等の効なく、叉、望外に居る人にか1る堂 内の基気を呼吸せしめても何等の寄はないのである。 次に︰慧息すべきは採光である。光が人間の仕事の能率や気分、衛生に蚤大なる関係のあることは今更事新しく いふ程のことはなからう。日光の封入に闘しては近頃新築の家はよほどよく留意せられて居るやうであるが、人 工照明即ち電燈に関しては、堂だ甚だ考慮が足らぬやうである。其の内最も慣むべきは直接照明、即ち、光源が 直接人の限にふれるやうな照明の仕方である。か1る照明に於ては電球の光度は其の附近の事物の光度より散常 備も強く、従って人の祀野内に極めて先の視き鮎と極めて先の粛き鮎とが存する盗め掛党を甚しく悩まし、イラ イラした不快の感を生するのである。完全な間接照明装碇は日本建築に於ては困難なれども、光淑を十分牛透明 なシェードにて羞ふて光を分散せしめ、以て光波から直接強い光が眼にあたらぬ様にせねぼならない。 碕陸眠申は、窒内の照明を全部消して曙黒にすべきである。そは、叫には、明き慶に於ては光線が常に脹の印 綬む刑場する焉め十分深い睡眠が出来ず、叉窒内が明きときは外細から窒内の様子がよく分り、泥坊の括入を容 易ならしむるからである。窒外が明く、宅内が曙きときは外部から窒内をのぞぺことは決して出来ないのである 錦泥坊匿封する安全に踊して二ぎしたきは、外出する際、家の外部から鋭をかけることである。これは雨戸をし

(6)

めて思くと同株に、泥坊を訪癒するものである。換言すれば﹁此の家は今不在なり﹂といふことを餌食するのであ る。そしていかに丈夫な錠でも泥坊は釘抜一つで容卦甚捜すことが出来るのである。 毅匪に放て故も重大なる役目を損ずるのは主婦である。家庭生活が合埋化するもせざるも殆ど凡て主婦の努力 如何によるといつても過言ではなからう。殊に家庭合理化の基本ともいふべき芸所の改善や、次代の国民たる子 孫の萎常に踊して科塾的な合理的な方法を研究し其の改脊に努力するは主婦たるもの1第剛の任務である。然る に姦夙の仕事に於ても、子女の養育に於ても、従来俸承約手探り的な仕方をなして徒らに時間、努力及び経費を 碁資し、子女の自然的蟄育を却って妨ぐることが多い。例へぼ、嬰克が泣くことば、嬰兄にとつて唯一可能なる 全身的運動である。それ・藍日日的愛情忙かられて直に抱きあげ、或は括るから極めて発効な嬰兇の胴其他の磯管 に故障を生じ、見違勤不足の馬めに肖戯の拍化が出来す、自ら身鰹各部の哉達が妨ぐることが少くない。子供が 長じて小串校へ入鍵するに到れば、徒らに復習琢召の助けをなし、時には教師の教ゆる桝単打iEする。かくすれ ば子供は白然教師よりも父母の方が偉ひと思ひ込み、迭には教師の教を琵硯するに至るのである。溺愛されたる 子供や、富裕な家掟劣等或は不良な子供が比較的多いことを見れば恩隼に過ぐるものがあらう。 叉應急草常に摘しても童婦は山通りの知識むもたねぼならぬ。倣奮、風邪、胃腸病、疫利等の應急事常に要す る率品及び器具即ち瞼過器、氷袋、水枕、ガーゼ、ホークイ、脱胎紬、薦脇器、下剤、下熟剤、傷薬等は之を常 に備へ置き、暫帥の診断を乞ふ前に適宜の應金手常を臥すべきである。疫痢の如きは病勢が急激に進み留帥の来 生活の合甥化 ︵二血三︶ 四五 仁∴遍

(7)

第玉食 第二携

︵−エ五四︶ 四大

診の際には已に手首の過れることが少くない。而し匿小妃の婆熟は大概消化不良に起因するものなる政、凡ての

場合下剤を輿へ洗傷をして圏紬の来診を待つペく、之に下熟剤を典ふれば往々心臓を害し病肝を益々恵化せしむ

ることがある。

国 風習の合理化

風習は、遠き甜兜が其の環境に順應する馬めの鼓艮なる行動や、生活の仕方を累代無意識的に模倣し俸承し来

り、昔々も誕生以来或は家庭に於て或は蓼校や赦倉に於て無意識的に之を模倣し、習慣性となつたものである。

従つて昔々の殆ど凡ての生活牲風習に支配せられ、−撃争議足まで凡ての人々が民族的共通性をもつて居るの である。例へば外囲人より見れば日本人と支那人とは殆ど区別が出来ないC然し、吾々は外観の鞘で遥か彼方を

歩いて居る人を見ると、其の歩き方や姿勢で日本人と支部人とを見分けることが出来るのである。

かく、風習は我々の生活行動の炭底までも浸潤して居る焉め、之を反省し欒改することは極めて困難である。

加之、叫の風習は他の触感の風習と密接な闘係を有して居り、其の妄改めたのみで全部薮改めねば生活合珊化

にあまり大なる効果なきことが抄くない。例へば、道路を舗装することは交通上極めて大なる利益がある′にちが

いないけれども、弔問の姦の道のみ舗装したのでは、単や履物が附近の道路から土を運んで来るから遠く郊外

の遭まで舗装するを婁し、又、下駄で鋪道を歩くと塵めて不快な晋をたてるから、番人凡て靴を履くやうにせね

(8)

ばならぬ。凡ての人が靴を履けば家の梼造を改めて戯敢を厳し靴のネ㌻1上り得る様にし、之に應じて家具を凡て 改めねぼならぬやうになる。 かく風習は之を改むることが困難であり、其の関する虞も亦甚だ靡く大なれども、時代世相の欒遷と共に改め ねばならぬものも亦抄くない。前蓮の如く.、風習は曹々の組兼が往古以来其の環境に封する最も適切なる順應の 仕〃と認めて行ひたることが倦承され機械化したるものである。従つて現代の如く、外観の風習が極めて急速に 常々の生活様式中に入り来り、漸次昏々の環境の状態が欒化したる時に於ては、たとい幾多の鵬時的不便や囚簸 ありとも改攣の必婁切なるものが少くない。 勿論、余は↓西洋に於ては斯々する故に我々も斯々せねばならぬ﹂といふ様な無定見な蔑綾な改攣の仕方には 全然賛成することは出来ない。例へぼ婦人の洋装は便利であるからとて、直に和装を玲て1洋装にすることは甚 だしき洪である。尭釆服装は単に寒暑を凌げぼ足るものではない。特に購入の服装に於ては契感は食も登大なる 役割を弼ずるものであり、その美感は婦人の動作姿勢との調和に於て出水るも.のである。菟衆、日本寓東の如徳 申敢も茸緋されたるは謙議員淑である。其の精伸ば自然に態度姿勢にもあらはれて、女は首を前に屈め、うつむ いて歩く。其の焉め、重力の関係から歩行の際攻囲の如き姿勢をとるやうになる 生活の合理化 ︵一玉東︶ 四七

(9)

此の姿勢の醜さ整徴ふ焉めには和服が盈も通常である。身鰐の姿勢のま1を外部に示す洋式の服装をする蔑め

には、日本姉人の歩行の習慣が西洋婦人のそれの如くなつた時でなくてはならぬ。即ち、子供時代より洋装し、

子供時代より、西洋の第仙の婦徳たる﹁快活﹂を油蕃されて、西洋婦人の如き姿勢をなす習慣をつけられたるもの

即ち現代の小畢校又は幼稚園の生徒が成長したる彼のことである。

かくの如く風俗習鱒甲には今急に改攣し柑ざるものが多いが、こゝにかく他め事情とあまり甚しき摘係を有せ

す、今直に改むペき、月つ改め得べきもの一箪二三顔げて見やう。

発づ第一に時間を守ることである。特に借地芳に於ては所謂﹁讃岐時間﹂といふものがある、六時の倉合といへ

ぼ八時或は九時に葉ればよいと心得て居る。かくては折角建割に参集したるものは二時間も三時間もあたら発雷

な時間を重安せねぼならぬ。未だ時計が普及せず世の中がかくまで化しくなかった時代に、案内する方にも多少

掛値があり、参集する方にも餌引があつた。現代の如く刻州刻を寧ふ競はねばならぬ時代には時間だけばjE確に 第立懸 欝こ鱗 ︵西洋婦人の歩行の姿勢︶ ︵日本編人の歩行の姿勢︶ ︵一正六︶・四人

(10)

守り磨いものである。

窮二には生活を規律正しくすることである。動労と休養と娯楽との時間を判然直別することである。勤労の時

間にグヅ′\して居るが故に多大の人員を蟄し其の仕事が高憤になる。叉、休蕃の時間にグヅ′1せる焉め十分

な休養が出来ないのである。而して勤労時間に自己の自由妄應抑せる後には、完全に自由なる娯楽を求めねばな

らぬ。従来日本の娯楽は多くはあまりに将帥を労したるを以て、現代の如く将帥的勤労の激しくなれる時代には

不通笛なものが多い。囲聖階梯、歌かるた寄付れも印材的遊戯としては極めて興味沫く、弼洋の将棋やかるた

に比して遷に優つて居るものであらうけれども、精帥的勤労を慰するには殆ど何の益もない。精面的勤労多き現

代に於ては須らく身鰻的な、戸外の娯楽を求むペきである。猫乙ベルリンの郊外には到る慶五坪又ぼ十坪位に匡

劃せる既い農園があり、其の申に小さい小屋がある。此の農園は市内屏住着が各々借地して叫日の勤労が経りた

る後直に一家族打つれてこ1に出かけ、男が鍬を以て排す問に主婦はコーヒーを用意し、一日の疲労を欝するの′

である。

第三に休柴Hを十分に活用することである。欧米に於てぼ日曜や祭日には郡市の人は殆ど全部郊外散歩に出るノ

攫つて、湖畔も、公園も、林閲も、テ芸コートも比等の人で非常に娠ふのである。我が国に於ても漸次此の傾

向があるが碗叫般の人々に休嘉臼の惜値が認められす、岬ケ月に叫日又は二日の休業日を典へらる1のみであ少

此の普選なる休英日も徒らに活動蔓騒共地盤内の娯楽に費され、郊外へ出かける者は比較的少ないのである。

生活の合理化 ︵二血七︶ 四九

(11)

︵一五入︶ ′五〇

筋玉谷 第二披

由釆、我が国民は人を訪問するにもグラシがない。格別の用事もなく、格別の親みもない者が、何等相手の嚢 閑を顧慮せすに突然訪問して長居するが如き、或は日曜日や土曜日午後の如き完全に各自の自由に時間を消費す べき時に人む訪るが如き怒習は須らく速に止めねぼならぬ。 第掴、親が子女を何磨へでもつれゆくぼ日本の親子の実しい愛情のあらはれであらう。けれども、音響禽、劇 坂、活動需虞舘等へ子女を連れゆくことは、子女に封Lて何等利谷なきのみならす、却つて悪い影響を輿へ、且 つ喧喚の雷め他の人々へ迷惑を異へるのみである。猶乙に於て劇場、活動露虞、音楽禽、舞踏婁、カフェ、バ1 等へ十五才以下の子供を入場せしめたる窃合には其の支配人が罰せらる1ことになつて居ることばとつて以て鉦 とせねばならぬ。

蕊 高松市内外の改尊

高校市は日本の他の多くの郡市と同様に、新時代に適應すべく各般に官すて叫大改造の必要に迫られて居る。 就中、郡市計劃、下水道の設琶、道路の窮張整頓等は其の鹿も大なる問題である。然れども之等の問題に戴きて は巳に市富局に於て計測離査中であり、且つこゝで諭するにはあまりに大なる問題であるから、余の気附ける鮎 を大略述べて置きたい。 第∵に郡市計割の問題である。由来都南計測といへぼ郡市濃張即ち隣接町村の併合がつきものであるが、余の

(12)

観る彪によれぼ、郡市計割0主旨は其の郡市の合理的生餌を促進するものでなくてはならぬ。従って現在の郡市 は少くと艮向政市に就きていへぼ濁張よりむむしろ鮨少すべきであらう。日本本来の那覇ば平癒的なる薦め、水 道を数濁するにしても道路を整備するにしても、多舶の費用を嬰し到底完備し得ざるのである。次に郡市の摘発 地域工発砲竣、任宅地城を判然分ちて各々其れ特有の要求に適合するやう施設せねぼならぬ。例へば、商業地城 は主として公的穂倉的生活を営むべき虚である。従って商柴地域に私有の庭園を許すが如きは大なる洪である。 住宅地城は安息桝であるから、基気清澄にして吸音少くき彪とし、家岸建坪を少しく庭園を靡くすることが必婁 であるの 下水道に銅しては目下三年計測で調査中ときくからこゝに只、蚊や流行病の多い高松揖に於ては、郡市の醍面 上からも叉街盤上からも叫日も速に其の完成を望み、市民全般の協力を望む次第である。 高給市の交通に至つてはいふペきことが甚だ多い。党づ遺路を見よ、今の道路は高速度の乗物なき時代に作ら れたま1の道路である。従って今日の如く、間断なき自動串の馳走を許さむには党づあの道路を贋くし、人道と 草道とを分ちて、危険を防止し、道路を飾鼓して通行者に砂咲と泥沫とをぶつかける無機を禁止せねばならぬ。 次に竃軍事箪の不親切に闇しては市内の小新聞にしきりに非推せられて居るやうであるが、そは電気愈政常春 者の作業合理化の頑がたいことに起因する。高松苗の電撃の如き乗り替へのない畢叫級に於ては初符に只⋮ケ朗 降車辟にのみ鋏を入るれぼそれで十分であるのに、﹁日附﹂に⋮ケ朗或はニケ朗、﹁乗車朗﹂、﹁降聾朗﹂、﹁上り﹂、 生活の合理庇 ︵∵荒九︶ 五一 惑

(13)

﹁下り﹂など四五ケ夙に鋏を入れ、何等の効なき手数を費さしめ、其の蔑め嘩草には乗客匹親切を恕す飴裕がない のである。之を欧米の状態に比較して見よ、彼應に於ては電車もバスも共に降車朗に鋏を入れたる切符を眉へぼ 之を降車の際申掌に渡す必要はないのである。只﹁係員が調べることがあるかも知れぬから御陣中までは此の切 符を失はぬ頗に脚ひます﹂と切符に記されてあるのである。 電車もバスも来客の促不便には殆ど何等関係なくなつて屠る、折角汽車がついても活動東顔が経っても其の時 間に直に電串やバスに来り得ることはメックにない。従って昏々は待つよりも歩いた方がよいといふ気になるの である。 次に高松市内の娯欒横路む叫弊せむ、其の汲も大衆的なるは活動荒屋である。活動需虞館に文政別瘍に於て吾 人の鼓も不快に感するのは開演中飲食物を労うすること1、観客の無作法とである。舘主の方から見れぼ飲食物 の放資は利益を撃げる手段であらうが、観客は髄質の気分叡殺がる1ことが極めて多い。これは朋客が開演中決 して飲食物を賢はぬやう習慣づけれぽ自ら臍せらるゝこと1恩ふ。観客の無作法中特に甚しきは、場内で帽子を 被りて居る者が多いことである。帽子は戸外のみに於て、被るべきものにして、車内に於ても家内に於ても決し て被るべきものではない。それを凱場などで被りてうしろの観客の妨をすることは甚しき無瑛である。侍、子供 を連れて之等の場所に入場し晴暁の篤め山般槻聖者の観賞の気分を寄ふことは是非お互此憾まねばならぬことで ある。 第荒谷 第二概 ︵一六〇︶ 五こ

(14)

次に、運動としては高放では野球が非常に盛である。然し運動を兢ることが盛であつたり、箪警部の人が競 技に上達することは運動の本旨ではない。吾人は老若男女をとはす何人も欒み得るやうな運動が盛にならむこと を切に望むものである。 眼む緒じて郊外を﹁瞥せむ。 先づ屋島を見よ、先年ケーブル・カーの出来て以来山上の設備は着々と改善せられた。然れども山上の設備が ぁぁ首に人工化しっ1あることを曹Å憾むものである。眺望任なる麗必ず茶店があり、造に自然忙座Lて自然に 親交むとする者とする者の気分は遠慮なく茶店女の呼び聾にかき乱さるゝ。 栗林公園は庭園式公開としては天下に冠たるものであらう。只こ1にも茶屋が多すき、座すペき芝蕉を快げる を憾む。︵完︶ 附竃永稿ほ昨年八月本校に於て開かれ㌣ろ成人教育講座に於て述べたろ警墨抄鋲ぜるものでぁる。 生活め合理化 ︵﹂六ご 五三 汐

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