Title イヌへの臨床応用を目指した十全大補湯の薬理作用に関する研究( 本文(Fulltext) ) Author(s) 篠原, 祐太 Report No.(Doctoral Degree) 博士(獣医学) 甲第558号 Issue Date 2020-03-13 Type 博士論文 Version ETD URL http://hdl.handle.net/20.500.12099/79359 ※この資料の著作権は、各資料の著者・学協会・出版社等に帰属します。
イヌへの臨床応用を目指した
十全大補湯の薬理作用に関する研究
2019年
岐阜大学大学院連合獣医学研究科
(東京農工大学)
篠 原 祐 太
イヌへの臨床応用を目指した
十全大補湯の薬理作用に関する研究
【目次】
序論 ... 1 第 1 章 イヌにおける十全大補湯の抗酸化作用の検討 ... 7 緒言 ... 8 材料と方法 ... 10 結果 ... 14 考察 ... 16 小括 ... 19 第 2 章 十全大補湯のイヌにおける抗がん剤の副作用軽減効果についての検討 ... 20 緒言 ... 21 材料と方法 ... 23 結果 ... 27 考察 ... 30 小括 ... 34 第 3 章 十全大補湯の薬物代謝を介した薬物間相互作用の可能性についての検 討 ... 35 緒言 ... 36 材料と方法 ... 38 結果 ... 47 考察 ... 49 小括 ... 51 結論 ... 52 謝辞 ... 57 Figures ... 58 Tables ... 78 文献 ... 81 要旨 ... 90 Abstract ... 931 序論 現代の日本では,ペットフードの改良や飼育状況の改善等に伴い,イヌの寿命が延 び,ヒト同様に,ペットであるイヌにおいても高齢化が進んでいる。例えば,1990 年に はイヌの平均寿命は,8.6 歳であったが,2018 年には 14.3 歳であったという報告がな されている [19, 22, 56]。ヒトにおいて, 加齢とともに, がん, 心臓血管疾患, 代謝疾 患など様々な疾患を患いやすくなるように [2], イヌにおいても, 加齢とともにがんに かかりやすくなることや, 各種血液パラメーターの値が悪化すること等が報告されてい る [8]。また,7 歳以上の高齢犬では,それ未満の年齢のイヌに比べて,動物病院に 通う回数が多くなるという報告もある [20]。加齢とともに疾患にかかりやすくなり,動物 病院へ通うことが多くなることは,ペットおよびその飼い主の両方にとって負担が増加 するため,現代日本では,ヒトに限らず,ペットの高齢化も対処すべき課題の一つとい える。 加齢と,それに伴う疾病の発生へ影響を及ぼす要因の一つとして, 酸化ストレスの 増加が考えられている [12, 46]。生体内では, フリーラジカルや活性酸素などによる 酸化反応と, ビタミン C や E などによる抗酸化反応の両方が起こっている [77]。酸化 反応を引き起こす物質には, フリーラジカルや活性酸素がある。フリーラジカルは, 不 対電子をもつ分子や原子のことを指し, 不対電子が対になろうとするため, フリーラジ カルは一般に不安定で反応性が大きい [77]。活性酸素は, 活性の高い酸素種を総 称して呼び, スーパーオキシド, ヒドロキシルラジカル, 過酸化水素, 一重項酸素を 狭義の活性酸素と呼ぶ [77]。スーパーオキシドとヒドロキシルラジカルは, フリーラジ カルにも含まれる [77]。フリーラジカルと活性酸素は, その高い反応性により, 脂質, 核酸, アミノ酸など,多くの生体内分子を酸化させる [77]。一方で生体には, これらの 酸化反応に対するため, ビタミン C やビタミン E などの抗酸化反応を起こす物質も存
2 在する。しかし,酸化反応と抗酸化反応のバランスが崩れ, 酸化反応が過剰となった 場合, 酸化ストレスとして生体に負荷がかかる [77]。加齢は,酸化ストレスを増加させ る要因の一つであると報告されている [12]。ヒトにおいては,酸化ストレスの増加は, がんや心臓血管疾患, 脳梗塞などの疾患に繋がることが報告されている [68]。イヌに おいても, 酸化ストレスの増加は, がんや心臓血管疾患と関係があるという報告がなさ れている [7, 34]。 現在,がんは,日本人の死亡原因の第 1 位である。獣医療分野においても,がんは, 高齢犬において最も多い死因の一つと言われている [40]。現在, 獣医療分野におけ るがん治療では, 外科治療, 放射線療法, 化学療法がメインとなっている。その中で, 抗がん剤を用いる化学療法は, 外科治療や放射線療法では治癒できない広範囲の 腫瘍や, がんが播種して外科治療での治療が見込めない場合に効果を発揮する [40]。例えば, リンパ腫や白血病などの全身性腫瘍の治療や, 骨肉腫や血管肉腫な どの転移性腫瘍のコントロールのために用いられることが多く, 血球系の悪性腫瘍に 対しては, 化学療法以外に治療法はないともいわれている [51]。抗がん剤は,腫瘍 細胞の増殖を抑制することで,その効果を発揮する [51]。しかし,正常細胞も,ほぼ 同じ過程を経て増殖するため,抗がん剤は正常細胞へも影響を及ぼし,特に,一般的 に細胞増殖が盛んな組織である,骨髄や消化管粘膜等に対しては,強い毒性を示し やすい [51]。その結果,血液毒性や消化器毒性等の副作用を引き起こしてしまう可 能性がある [51]。獣医療分野において, 抗がん剤による副作用は, 現れた症状の 強さや頻度等から, Veterinary Co-operative Group Common Terminology Criteria for Adverse Events(VCOG-CTCAE)によってグレード分けすることができる [64]。例え ば, ある抗がん剤をイヌに投与し,明らかな体重減少を伴う食欲不振が 3~5 日持続し た場合は, 副作用として, グレード 3 の食欲不振, と評価できる [64]。グレードは 1~ 5 に分かれる。このような激しい副作用が現れた場合, 抗がん剤の使用量や使用する
3 抗がん剤の変更等をせざるを得なくなり, 治療効果を減弱させたり, 理想的な治療が 実施できない可能性もある [33]。また, 獣医学領域で実施される化学療法の多くは, 数ヶ月単位での生存期間延長を期待した,緩和目的で使用される [49]。緩和を目的 として化学療法を行う場合では, 抗がん剤の投与による副作用で,生活の質(QOL) を著しく低下させてしまうのは, 本末転倒とも言えかねない。これらのことから,抗がん 剤投与によって現れる副作用を減弱させることは, 非常に重要である。 漢方薬は,現在,日本のヒト医療分野でよく使用されている薬の一つである。また, 現代の日本では,獣医師がイヌやネコに漢方薬を使用する場合もある。このように,日 本において漢方は広く認知されている。しかしながら,漢方の起源は中国の伝統医学 である中医学に遡る。中医学が 7~8 世紀の頃に日本に伝来し,日本の風土に合わ せて独自の医療体系として進化をとげ,現在の日本の漢方となったと言われている [78]。基本的に漢方薬は, 薬効を持つ植物や動物から得られる生薬を, 複数組み合 わせることによって得られる薬である。漢方薬には多数の種類が存在し,日本におい て保険適応となっている漢方薬だけでも,100 種類を超える。漢方薬は,大きく分ける と,症状を改善する薬と,身体の状態を補う薬に分類される。前者には,風邪等の時に よく使用される,葛根湯や桂枝湯等が含まれ,後者には,体力低下や虚弱体質の時 等に使用される, 補中益気湯や十全大補湯等が含まれる。これらの漢方薬の中で, 十全大補湯は,よく使用される漢方薬の一つである。十全大補湯は, 黄耆, 桂皮, 地 黄, 芍薬, 川芎, 蒼朮, 当帰, 人参, 茯苓および甘草, という 10 種類の生薬から構 成され,バランス良く身体を補うことができる。十全大補湯は, ヒトの医療において, 体 力低下,疲労倦怠,食欲不振,手足の冷え,貧血等に対して効能をもつ漢方薬として 使用されている。より具体的には,ヒトにおいて,術後の体力低下,消化器疾患による 食欲減退,慢性炎症性疾患による貧血等に対して使用されている [30]。年齢を重ね ると,体力や食欲が低下することが多いため,十全大補湯は,高齢者のケアにおいて
4 も良く使用される。研究面では,十全大補湯が,ラットにおいて抗酸化作用を持つこと が報告されている [18]。また,十全大補湯は, マウスやラットの実験において,抗がん 剤の副作用を軽減する作用も報告されている [57, 61]。しかし,十全大補湯のこれら の作用は,イヌでは明らかになっていない。 酸化ストレスに関しては,ヒトにおいて, フリーラジカルを減らし, 抗酸化物質を摂取 する等の, 抗酸化療法についての報告がなされている [59]。抗酸化療法は,酸化スト レスとの関連が示唆されている疾患の治療や予防に関して,有用性が期待されている [59]。しかし,イヌにおける報告は少なく,まだまだ発展途上である。十全大補湯が,イ ヌにおいて抗酸化作用をもてば, がんや心臓血管疾患など [7, 34], 酸化ストレスと関 連する疾患に対して有益である可能性を示すことができる。そこで筆者は, 第 1 章で, 十全大補湯がイヌにおいて,抗酸化作用を有するかどうか, について検討した。 また,イヌのがん治療において抗がん剤を使用して副作用が生じた場合,その副作 用に対処するために追加の薬を使用することがある。例えば,好中球が減少した場合 には,感染予防のために抗生物質が投与されることがあり,下痢や嘔吐が生じた場合 には,制吐剤や下痢止め薬を投与されることがある [44]。副作用の発現と,その対処 のため治療で使用する薬が増えていくことは,飼い主をがん治療に対して消極的にし てしまう場合もある [44]。一方で,がん治療において,一般的に使用される各種の薬 物と一緒に, あるいは,その代わりに, 漢方薬の使用を求める飼い主は多い [38]。そ のため,十全大補湯がイヌにおいても,抗がん剤の副作用軽減作用をもてば,抗がん 剤の副作用による治療効果の減弱等の弊害を軽減することができ,また,そのための 薬として飼い主が取り入れやすい可能性もあるため,より理想的なイヌのがん治療を実 現できる可能性がある。そこで筆者は,第 2 章で, 十全大補湯をイヌに投与し, 獣医 療分野でよく使用される抗がん剤の一種である,ビンクリスチンの投与による, 消化器 毒性や血液毒性といった副作用を軽減するかどうかについて検討した。
5 漢方薬は, 一般的に効果が表れるまでの期間が, 西洋薬に比べて長いと言われ る。そのため, 獣医臨床において, 抗酸化作用を期待する等して十全大補湯を投与 する場合, 他の薬と十全大補湯が併用投与される可能性が十分考えられる。また, 抗 がん剤の副作用軽減作用を期待する場合, 明らかに抗がん剤と併用される。このよう に, 複数の薬物を併用する場合には, 薬物間相互作用の可能性について検討する 必要がある。薬物間相互作用とは, 2 種類以上の薬を併用投与した時に, 一方の薬 が他方に影響を及ぼして有害作用を発現することである [9]。薬物間相互作用には, 薬力学的なものや薬物動態学的なものがあり,後者の場合の多くは薬物代謝反応を 介した相互作用である [21]。 薬物代謝は,投与された薬が生体内から消失するための重要な過程であり,その 過程には,多くの薬物代謝酵素が関わっている。薬は,薬物代謝酵素による酸化,還 元,加水分解,抱合等を受け代謝される [50]。代謝は,第Ⅰ相反応と第Ⅱ相反応の 2 段階で行われることが多い。第Ⅰ相反応では,薬は酸化,還元あるいは加水分解を 受け,水酸基やカルボキシル基等の官能基を増やす [50]。その後,官能基が増えた 薬の多くは,アミノ酸等とエステル結合やエーテル結合し,この反応を,第Ⅱ相反応あ るいは抱合と呼ぶ [50]。その結果,水溶性が高まり,多くの抱合体は尿中に排泄さ れ,一部の抱合体は胆汁中に分泌される [50]。 薬物代謝酵素の一つに,チトクローム P450(CYP)がある。CYP は,多くの薬を酸化 するが,一部の薬に対しては還元する [21,50]。CYP には複数の分子種が存在し, それぞれ基質特異性は異なっている [79]。第Ⅰ相反応における,CYP による薬の酸 化は,薬物代謝において主要な経路となっている [50]。そして,CYP は,薬物代謝 反応を介した薬物間相互作用の 9 割以上に関与しているとも言われている [21]。 CYP が関わる薬物間相互作用は, 酵素阻害と酵素誘導に基づくものに分類されるが, 大半は酵素阻害に基づくものである [79]。酵素阻害が生じる場合, 薬の代謝が遅く
6 なり, 有害作用を発現する可能性がある。そのため, 酵素阻害による薬物間相互作用 を検討することは非常に重要である。例えば, もし仮に十全大補湯が, 複数ある CYP 分子種の内のいずれかに対して, 阻害作用をもたらすとなった場合, 阻害を受ける CYP 分子種で代謝される他の薬が, 十全大補湯と共にイヌに投与されると, その代謝 が遅くなり, イヌにおいて有害な作用を発現する可能性が生じてしまう。そこで第 3 章 では, 十全大補湯の,獣医臨床でのより安全な使用について明らかにするため, 犬 肝抽出マイクロソームを用いた, 酵素阻害に起因する薬物間相互作用の可能性につ いての検討を行った。 以上のように,筆者は,十全大補湯のイヌへの臨床応用を目指し,十全大補湯の, イヌにおける抗酸化作用と抗がん剤の副作用軽減作用を検討し,また,臨床現場での より安全な使用のため,犬肝抽出マイクロソームを用いた薬物間相互作用のリスクを評 価した。
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8 緒言 生体内では, 酸化反応と抗酸化反応の両方が行われている。酸化反応を引き起こ す物質には, フリーラジカルや活性酸素があり,高い反応性を持つ。例えば,好中球 が細菌により活性化された場合には,爆発的にフリーラジカルの一種であるスーパー オキシドを産生されて,抗菌作用をもたらす等する。そのため,フリーラジカルや活性 酸素は生体防御の点で重要な役割を果たしているという側面がある [77]。一方では, 生体では, フリーラジカルに対して,それを捕捉消去する,ビタミン C やビタミン E など による抗酸化反応も生じているおり, 生理的条件下では,フリーラジカルや活性酸素 は必ずしも生体に害を及ぼすものではない [77]。しかし,フリーラジカルや活性酸素 の過剰な生産や, それらを消去する物質の減少などにより,酸化反応と抗酸化反応の バランスが崩れ,酸化反応が過剰となった場合,酸化ストレスとして,生体膜, 核酸, 蛋白, 生体内活性因子などに種々の障害を与え,様々な疾患を引き起こす要因となり える [67]。例えば,ヒトにおいて,慢性腎不全と,抗酸化物質等の減少には,関連が ある可能性が示唆されている [17]。また,ヒトでは, 前立腺癌の発がん過程において, 酸化ストレスが増加しているという報告がある [28]。さらに, 酸化ストレスが心臓血管 疾患と関係があるということも報告されており, Wang らは, 酸化ストレスと深い関係にあ る myeloperoxidase の血中濃度と, 心臓血管疾患の発生は相関関係にあるということ を報告している [69]。過去のコホート研究においても, 血漿中の酸化ストレスレベル が, がんの致死率や心臓血管疾患と非常に関係しているということが報告されている [47]。 近年, ヒトと同様に高齢化が進展し, 酸化ストレスの増加が考えられるイヌにおいて も, 酸化ストレスと疾病の間に関係があることが報告されている。脂質過酸化の最終産 物である Malondialdehyde (MDA)は, 一般的に酸化ストレスのマーカーとして使用され
9 ているが, 担癌犬においては, 健常犬よりも血漿中の MDA 濃度が有意に高いという ことが明らかになっている [34]。さらに, 抗酸化物質はイヌにおいて不整脈の発症を 減少させたという報告もある [7]。ヒトにおいては, フリーラジカル等を減らし, 抗酸化 物質を摂取する等の, 抗酸化療法についての報告もなされているが [59], イヌにお いてはその報告は少なく, まだまだ発展途上である。 多くの漢方薬は, 抗酸化物質を含有することが報告されており, ヒトにおいては酸 化ストレスと関連した各種疾病に対して使用されている報告もある。例えば, 漢方薬が 酸化ストレスを阻害することで虚血性心疾患を予防したという報告もある [14, 68]。さら に近年の研究では, 漢方薬を構成する生薬には, 抗酸化作用をもつものがあることが 明らかになった [4]。十全大補湯でも,マウスにおいて, 肝臓における酸化物質の量 を減少させたという報告がなされている [61]。 このように, 漢方薬はヒトやマウスにおいては抗酸化作用についての報告がなされ ているにもかかわらず, 十全大補湯がイヌに対して抗酸化作用を持つかどうかについ ては, 明らかになっていない。そこで, 本研究では, 十全大補湯のイヌへの投与が抗 酸化力と酸化ストレスレベルを改善するかどうか, について検討した。また, 血液流動 性は, 様々な要因によりコントロールされており, 生体の抗酸化力もその一つであると 考えられている [36]。そのため, 本研究では, 十全大補湯のイヌに対する抗酸化作 用を評価する指標の一つとして, 血液流動性についての計測も行った。
10 材料と方法 使用動物 ビーグル犬 5 匹(メス, 38-41 ヶ月齢, 8.6-10.7 kg)を一般財団法人生物科学安全研 究所(神奈川, 日本)より購入し, 1 ヶ月間の訓化期間を設けた後, 本研究に使用した。 ビーグル犬は, 管理された環境下で, 個別にステンレスケージで飼育し, 商用ドライ フード(ワンラックミール, 株式会社森乳サンワールド, 東京, 日本)および缶詰フード (d.b.f, デビフペット株式会社, 新潟, 日本)を決められた時間に給餌し, 水は自由に 飲める様にした。動物の扱いについて, 本研究は, 東京農工大学動物実験に関する 規定に従って実施した (受付番号:30-54)。 使用薬物 十全大補湯は株式会社ツムラ(東京, 日本)から, ヘパリンは持田製薬株式会社 (東京, 日本)から, それぞれ購入し実験に使用した。 実験デザイン 5 匹のビーグル犬に,十全大補湯 150 mg/kg/day または 450 mg/kg/day を缶詰フ ード(10 g/kg)で包み,ドライフードの上に乗せることで,餌と一緒に 28 日間経口投与 した。0, 7, 14, 21, 28 日目に橈側皮静脈からヘパリン処置を行いながら採血を行った。 採取した血液を用いて抗酸化力, 酸化ストレスレベルおよび血液流動性を測定した (Fig. 1)。まず,5 匹のビーグル犬に十全大補湯 150 mg/kg/day を 28 日間投与して 上記 3 項目について測定し,28 日間の休薬期間後,十全大補湯 450 mg/kg/day を 28 日間投与し,同様の項目について測定した。十全大補湯,150 mg/kg/day は,ヒト での臨床投与量である。今回は, まず,十全大補湯のヒトでの臨床投与量と同じ 150
11 mg/kg/day を投与した。また,漢方薬は,効果を高めることを期待して,その使用量を 2~3 倍増やすことは良くあるため,それにならい,ヒトでの臨床投与量の 3 倍となる, 450 mg/kg/day を投与する場合の試験も行った。また, 本実験と同じ方法で, イヌに おいて抗酸化力と酸化ストレスレベルを調べた先行研究では, オスとメスの区別が重 要視されていなかったため [42], 本実験では, 扱いの容易なメスを選択して実験を 行った。 抗酸化力の測定
本研究では, 抗酸化力の測定には, Biological Antioxidant Potential test (BAP テス ト)を採用した。BAP テストは, 動物の血清や血漿の還元力を測定し, 生体の抗酸化 力を分析する試験である。 5 匹のビーグル犬からヘパリン処置を行い 0.2 ml の血液を採取し, 1200 g で 2 分間 遠心分離して血漿を分離した。次に, 分離した血漿サンプルを, Fe3+イオンを含む赤 色の液体が入ったキュベットに加えた。すると, 血漿中の抗酸化物質の作用で Fe3+イ オンが Fe2+イオンに還元され, キュベット内の液体が脱色される。その色の変化を,
FREE Carrio Duo (株式会社ウィスマー, 東京, 日本)により測光法を用いて定量し, 抗酸化力を評価した (Fig. 2)。BAP テストの値が高いことは, 生体の抗酸化力が高い ことを示している。先行研究では, 健常犬の標準抗酸化力レベルは, 1440- 3260 mM であるという報告がなされている [42]。
酸化ストレスレベルの測定
酸化ストレスレベルの測定には, Derivatives of Reactive Oxygen Metabolites test (d-ROMs テスト)を採用した。d-ROMs テストは, 動物の血清や血漿を使用して, 生体 の酸化ストレスレベルを測定する試験である。
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5 匹のビーグル犬からヘパリン処置を行い 0.2 ml の血液を採取し, 1200 g で 2 分間 遠心分離して血漿を分離した。その後, 血漿を, Fe2+イオンと Fe3+イオンを含有する無
色の液体が入ったキュベットに滴下して混合した。すると, 主に血中の酸化ストレス度 のマーカーである hydroperoxide がキュベット内で Fe2+イオンおよび Fe3+イオンとフェン
トン反応に起こし, alkoxyl radical および peroxyl radical を産生する。その後, これらの ラジカルは, 同じくキュベットに入っていた N, N-dietylparaphenylendiamine を酸化す ることで, キュベット内の液体をピンク色に呈色させる。この色の変化を, FREE Carrio Duo (株式会社ウィスマー, 東京, 日本)により測光法を用いて定量し, 酸化ストレスレ ベルを評価した。d-ROMs テストの単位は U.CARR (Carratelli Units)であり, 1 U.CARR は hydrogen peroxide 0.8 mg/L に相当する (Fig. 3)。d-ROMs テストの値が高いこと は, 酸化ストレスレベルが高いことを示している。先行研究では, 健常犬の標準酸化 ストレスレベルは, 59.4- 91.4 U.CARR であるという報告がなされている [42]。 血液流動性の測定 血液流動性は, MC-FAN (MC ヘルスケア株式会社, 東京, 日本)を使用して測定 した。MC-FAN の内部には, シリコンでつくられた幅 7 m の流路があり, 適用した血 液がその流路を通過する時間を計測することで, 血液流動性を評価した (Fig. 4)。こ のシステムでは, 流路通過時間が 180 秒以内の場合には測定することができ, 180 秒 を超えた場合は測定不可として除外された。 十全大補湯 450 mg/kg/day を 5 匹のイヌに投与した後, ヘパリン処置を行い, およ そ 1.5 ml の血液を採取し, 採取後 10 分以内にMC-FAN に 100 l を適用し, 血液が 流路を通過する時間を計測することで, 血液流動性を評価した (Fig. 4)。 統計解析
13 BAP テスト, d-ROMs テストおよび流路通過時間のいずれにおいても, ウェルチの t 検定を使用し, 0 日目の値と 7, 14, 21, 28 日目の値をそれぞれ比較して, 有意差検定 を行った。また, ホルム法も使用した。今回の実験のように,等分散を前提とできない 場合には,多重性の問題に対応するため,F 検定を行わずに,はじめからウェルチの t 検定を行うことがある。そのため,ここでは, はじめからウェルチの t 検定を行った。ま た、ホルム法は,多重比較の問題を避けるための,多重比較法の一種である。P 値が 0.05 未満の場合を統計学的に有意差ありとした。
14 結果 十全大補湯のイヌへの長期投与による血中抗酸化力への影響 筆者はまず BAP テストを行い, 十全大補湯のイヌにおける抗酸化力への影響を測 定した。本研究を行う前, 28 日間十全大補湯の投与なしに, 5 匹のビーグル犬を用い て毎週 BAP テストを行ったが, 平均 1536~1665 mM 程度の間で推移し, その値にあ まり変化は認められなかった。 本研究では, 150 mg/kg/day の十全大補湯または 450 mg/kg/day の十全大補湯 を, それぞれ 28 日間, 5 匹のビーグル犬へ投与し, 毎週血液を採取して BAP テストを 実施したが, いずれの濃度の場合においても, BAP テストの値に変化は認められなか った (Fig. 5A, B)。また本研究において, イヌは与えられた食事を完食し続け, 摂餌 量に変化は認められなかった。また, 体重も, 平均 9.2~9.4 kg 程度で推移し, 変化 は認められなかった。 十全大補湯のイヌへの長期投与による血中酸化ストレスレベルへの影響 続いて筆者は, d-ROMs テストを行い, 十全大補湯のイヌにおける酸化ストレスレベ ルへの影響を測定した。本研究を行う前, 28 日間十全大補湯の投与なしに, 5 匹のビ ーグル犬を用いて毎週 d-ROMs テストを行ったが, 平均 75~85 U.CARR 程度の間で 推移し, その値にあまり変化は認められなかった。 本研究では, 150 mg/kg/day の十全大補湯または 450 mg/kg/day の十全大補湯を 5 匹のビーグル犬へ投与後, 血液を採取して毎週 d-ROMs テストを行った。150 mg/kg/day の十全大補湯を投与した場合では, 測定期間中 d-ROMs テストの値に変 化は認められなかった(Fig. 6A)。450 mg/kg/day の十全大補湯を投与した場合では,
15 0 日目に比べて, 14, 21, 28 日目では, d-ROMs テストの値が有意に低下していること が認められた (Fig. 6B)。 十全大補湯のイヌへの長期投与による血液流動性への影響 血液流動性は,その変動に活性酸素が深くかかわっていることが示唆されている [45]。そのため, 十全大補湯のイヌでの抗酸化作用および生理機能への影響の指標 の一つとして, 血液流動性の測定を行った。血液流動性の指標として, 我々は MC-FAN を使用して, 血液の流路通過時間を測定した。本研究を行う前, 28 日間十全大 補湯を投与することなしに, 5 匹のビーグル犬を用いて毎週血液流動性の測定を行っ たが, 平均 33~37 sec.程度の値で推移し, 流路通過時間に変化は認められなかっ た。 本研究では, 150 mg/kg/day の十全大補湯または 450 mg/kg/day の十全大補湯を それぞれ 28 日間, 5 匹のビーグル犬へ投与し, 毎週血液を採取して血液流動性の測 定を行ったが, いずれの濃度の場合においても, 流路通過時間に変化は認められな かった(Fig. 7A, B)。
16 考察
十全大補湯のイヌにおける抗酸化作用を評価するため, 筆者は 150 mg/kg/day ま たは 450 mg/kg/day の十全大補湯を 28 日間イヌに経口投与し, 抗酸化力, 酸化スト レスレベルおよび血液流動性の改善がなされるかどうか, について調べた。抗酸化力 は BAP テストにて,酸化ストレスレベルは d-ROMs テストにて評価を行った。BAP テス トにおいては変化が認められなかった (Fig. 5A, B)。一方。d-ROMs テストでは,450 mg/kg/day の十全大補湯を投与した場合において,その値が有意に低下し,血中の 酸化ストレスレベルが減少したことが示された (Fig. 6A, B)。血液流動性には変化は認 められなかった(Fig. 7A, B) Sechi らは, ポリフェノールを含有する抗酸化サプリメントをイヌに投与すると, d-ROMs テストの値は改善したが, BAP テストの値は改善しなかったことを報告している [48]。また彼らは,特に BAP テストの値が標準的なイヌでは,d-ROMs テストの値に比 べ,BAP テストの値は変化しにくい可能性を示唆している [48]。本研究において, 実 験開始時の 5 匹のイヌの BAP テストの値は,1700 mM 程度と,標準的な値であったた め [42],本研究にて BAP テストの値が変化しなかった要因の一つと考えられる。また, 十全大補湯は 10 種類の生薬を含有し, その内ほとんどの生薬がポリフェノールを含 有している [24, 55]。ポリフェノールは BAP テストの値に影響を及ぼす抗酸化物質の 一つである。しかし,今回の実験においては,十全大補湯が含有するポリフェノールの 量や投与する期間が, 標準的な BAP テストの値をもつイヌでは,その値を改善する程 には不十分であった可能性も考えられる。 酸化ストレスレベルを評価するのに使用した d-ROMs テストは,主に Reactive Oxygen Species (ROS)産生の指標として使用される。多くの先行研究が, ROS によっ て, 心臓血管疾患や神経疾患, 肺疾患, 糖尿病, そしてがんなどの, 慢性炎症およ
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び慢性疾患が引き起こされることを報告している [14]。人参は, 十全大補湯に使用さ れている生薬で, 強壮剤として有名であるが, 人参のエチルアセテート抽出物と, そ の主要構成成分は , マウスの細胞において, ROS の産生を阻害し , superoxide dismutase 活性を増強したという報告がなされている [18]。また, 十全大補湯の構成 生薬の一つである甘草から抽出された, glycyrrhizic acid と 18β-glycyrrhetinic acid は, マウスの単球マクロファージにおいて ROS の産生を阻害したという報告もなされて いる [67]。さらに, metallothionein は ROS に対して抗酸化作用をもち, フリーラジカル に対して除去作用をもつタンパク質であるが, 十全大補湯の腹腔内投与が, マウスの 肝臓において, metallothionein を増加させたという報告がなされている [80]。これらの 報告から考えると, イヌへの十全大補湯の投与は, ROS の産生阻害および肝臓での metallothionein の増加により, 酸化ストレスレベルを減少させたことが考えられる。また, マイタケやウコン等から構成される抗酸化サプリメントをイヌに投与し, 抗酸化作用を 評価した研究では, 抗酸化作用が現れるのに 6 か月を要したとことが報告されている [48]。本研究では, 抗酸化作用は, 十全大補湯の投与 14 日目から認められたので, 十全大補湯は, イヌにおいて比較的早く抗酸化作用を現す可能性が示唆された。 血液流動性の減少は心臓血管疾患など, 多くの疾患と関係していることが考えられ ている [54]。血液流動性は, 様々な要因によりコントロールされているが, 抗酸化作 用とも関係していることが知られている。先行研究では,ヒトに抗酸化作用を持つ物質 であるアスタキサンチンを食事と共に摂取させ, MC-FAN を使用して血液流動性の変 化を調査した結果, アスタキサンチンを食事と共に摂取したヒトの群では,摂取してい ないヒトの群に対して,有意に流路通過時間が減少し, 血液流動性が改善されたとい うことが報告されている [36]。抗酸化作用を持つ物質の摂取は, 赤血球膜の柔軟性 を維持することで, 血液流動性を改善することが考えられている [36]。Fig.7A, B に示 されているように, 本研究においては, 150 mg/kg/day および 450 mg/kg/day の十全
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大補湯を投与した場合においても, MC-FAN における流路通過時間に変化は認めら れなかった (Fig. 7A, B)。d-ROMs テストの結果を考えると, 十全大補湯はイヌにおい て, 酸化ストレスレベルを減少させたことが考えられるが, 血液流動性を改善するには, その働きが十分ではなかったことが考えられる。
19 小括 近年,日本において,イヌにおいても高齢化が進行しており,生体における酸化スト レスの増加が懸念される。酸化ストレスの増加は,ヒトやイヌにおいて,がんや心疾患と も関係があることが報告されている [7, 34]。多くの漢方薬は,抗酸化物質を含有する ことが報告されている。本研究では,漢方薬の一種である十全大補湯の投与が, イヌ に お い て 抗 酸 化 作 用 を 持 つ か ど う か を 検 討 し た 。 150 mg/kg/day ま た は 450 mg/kg/day の十全大補湯をイヌに 28 日間経口投与し, 血液を採取し, BAP テストによ る抗酸化力の測定, d-ROMsテストによる酸化ストレスレベルの測定, 血液流動性の測 定を行った。150 mg/kg/day の十全大補湯の投与は, 抗酸化力, 酸化ストレスレベル および血液流動性に変化をもたらさなかった。450 mg/kg/day の十全大補湯の投与も, 抗酸化力および血液流動性には変化を及ぼさなかった。しかし, 酸化ストレスレベル では, 450 mg/kg/day の十全大補湯投与により,投与 14 日目以降に, 有意な減少が 認められた。本研究により,十全大補湯の投与が,イヌにおいて,酸化ストレスレベル を減少させることを,初めて明らかにした。これにより,十全大補湯の投与は,イヌにお いて,酸化ストレスと関連する疾患に対して有益である可能性が示唆された。
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21 緒言 がんは,現在の日本人の死因の第 1 位である。また,高齢犬においても,がんは最も 多い死因の一つと言われている [40]。発がんには様々な要素が関わっており, 酸化 ストレスもがんとの関係が示唆されている [34]。がんを発症した場合, 獣医療分野で の主な治療法は, 外科療法, 放射線療法および化学療法である。抗がん剤を用いる 化学療法は, 外科治療や放射線療法では治癒できない, 広範囲の腫瘍等に適応が できる利点がある [40]。一方で, 抗がん剤のほとんどが強力な細胞毒性を持ち, 血液 毒性や消化器毒性などの副作用を惹起してしまう [40]。著しい副作用は, がん治療 を受けているイヌを弱らせて, QOL を低下させたり,治療効果を減弱させる可能性があ る。また,これらの副作用が生じることで,飼い主の治療に対する熱意を, 低下させて しまう可能性もある [50]。そのため,抗がん剤投与によって現れる副作用へ対応する ことは, 非常に重要である。 獣医療での化学療法においてよく使用される抗がん剤の一つにビンクリスチンがあ る。ビンクリスチンは, 植物アルカロイドであり, 微小管の構成タンパク質であるチュブ リンと結合して可溶化する [9]。その結果, M 期に紡錘体が形成されず, 分裂が停止 し, 抗がん作用を発揮する [9]。ビンクリスチンは, イヌのリンパ腫や血液性のがんな どで使用される [50, 71]。ビンクリスチンは,イヌのリンパ腫の治療において,単独での 使用でも有効性が示されている [6]。また,がん細胞は,時間とともに遺伝子変異を起 こすなどして,抗がん剤に対して耐性を獲得する可能性が時間と共に高まる。そのた め,現在の化学療法では,いくつかの抗がん剤を組み合わせて投与する多剤併用療 法の方が有効とされ,実際に臨床現場で行われることが多い [41]イヌのリンパ腫では, シクロフォスファミド,ドキソルビシン,ビンクリスチン,プレドニゾロンを併用する CHOP プロトコール,という多剤併用療法がよく行われており,このプロトコールの中でも,ビン
22 クリスチンは使用されている [6]。また,ビンクリスチンには,他の抗がん剤と比較して 安価であり,使用されやすいという側面もある [44]。しかし,ビンクリスチンの投与は, イヌにおいて, 消化器毒性, 血液毒性および神経毒性などの副作用も知られている [1,44,60]。中でも, 一般的な副作用は消化器毒性であり [44], 嘔吐や下痢, 食欲 不振などの副作用が現れやすい [63]。 イヌの腫瘍ケアにおいて, 漢方薬の使用を望む飼い主は多い [38]。十全大補湯は, ヒトの医療分野において, 体力の低下や食欲不振などに対する効能をもつ漢方薬とし て使われており, がん患者の食欲不振を改善するために使用されることもある。また, 十全大補湯には, 抗がん剤によってもたらされる血液毒性を軽減した, という報告もな されている [39, 57]。しかしながら, 十全大補湯がイヌにおいて, 抗がん剤による消化 器毒性や血液毒性を軽減するという報告は, 今までになされていない。 筆者は, まず, イヌにおける十全大補湯の投与が, 胃の運動性や血液パラメータ ーに変化を及ぼすかどうか, について検討した。さらに, 十全大補湯がイヌにおいて, ビンクリスチン投与によってもたらされる, 消化器毒性および血液毒性を軽減するかど うか, について検討した。
23 材料と方法 使用動物 ビーグル犬 5 匹(メス, 45 ヶ月齢, 8.0-9.0 kg)を一般財団法人生物科学安全研究所 (神奈川, 日本)より購入し, 1 ヶ月間の訓化期間を設けた後, 本実験に使用した。ビ ーグル犬は, 管理された環境下で, 個別にステンレスケージで飼育し, 商用ドライフ ード(ワンラックミール, 株式会社森乳サンワールド, 東京, 日本)および缶詰フード (d.b.f, デビフペット株式会社, 新潟, 日本)を決められた時間に給餌し, 水は自由に 飲める様にした。動物の扱いについて, 本研究は, 東京農工大学動物実験に関する 規定に従って実施した (受付番号:30-55)。 使用薬物 十全大補湯は株式会社ツムラ(東京, 日本)から, ヘパリンは持田製薬株式会社 (東京, 日本)から, ビンクリスチンは日本化薬株式会社(東京, 日本)から, それぞれ 購入し実験に使用した。 超音波検査装置による胃運動の測定 本実験では, 6.5-MHz phased array のコンベックス探触子を用いて, 超音波検査装 置 EUB-7500(株式会社日立メディコ, 千葉, 日本)を使用し, 超音波検査は, 一人 の術者によって行われた。超音波検査の実施30分前に, 缶詰フード(10 g/kg)を与え, 胃の運動性を測定し, 超音波検査実施後に, 追加のドライフードを与えた。超音波検 査は, イヌを立位の状態で保定した状態で行い, 肝左葉部に近づけた状態で, 胃前 庭の横断面が, 最大に描出できるように探触子を当てた。計測は3分間行い, 胃運動 の拡張期,および収縮期の両方の画像を,撮影して保存した (Fig. 9A)。横断面の面
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25 実験デザイン 本研究は, 以下3つの実験から構成されている。 [1. 十全大補湯単独投与実験] 十全大補湯 450 mg/kg/day を缶詰フードで包みながら, 14 日間イヌに経口投与し た。14 日の間, 5 匹のビーグル犬に対して, 0, 7 および 14 日目に, 超音波検査および 血液検査を実施した(Fig. 8)。超音波検査は, 上述した方法で行い, Motility index を 算出した。血液は, 橈側皮静脈からヘパリン処置を行いながら採取し, 血液検査に使 用した。この実験の後,28 日間の休薬期間を設け, Motility index の値等が,十全大 補湯投与前と同程度に戻ったことを確認し, 2. の実験を行った。 [2. ビンクリスチン単独投与実験] この実験では, ビンクリスチン 0.75 mg/m2を単独で, イヌに経静脈投与した。このビ ンクリスチンの投与量は, 獣医臨床において一般的に使用される量である [1]。0 日 目を基準とし, 1 日目にビンクリスチンを, 超音波検査の実施 30 分前に投与した。超 音波検査は, 0 日目~6 日目まで毎日実施した。血液検査は, 0, 2, 3, 4 および 6 日目 に実施した。この実験後,42 日間の休薬期間を設け, 5 匹のビーグル犬において, 一 般状態, Motility index の値および各種血液パラメーターの状態が,十全大補湯投与 前と同程度の正常な状態に回復したことを確認してから, 3. の実験を行った(Fig. 8)。 [3. 十全大補湯およびビンクリスチン併用投与実験] この実験では, 十全大補湯とビンクリスチンをイヌに併用投与した。0 日目を基準と し, 1 日目にビンクリスチン 0.75 mg/m2を, 超音波検査の実施 30 分前に経静脈投与 した。十全大補湯は, 450 mg/kg/day をビンクリスチンの投与 7 日前(-6 日目)から 13 日間に渡って, イヌに経口投与した。これは, 一般的に, 漢方薬は西洋薬に比べ, 効 果が現れるのに時間がかかると言われているからであり, 本研究と同じように, 漢方薬 を併用することで, 抗がん剤の副作用軽減作用を検討している実験でも, 抗がん剤の
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投与に前もって漢方薬の投与を行っている [70]。超音波検査は, 0 日目~6 日目まで 毎日実施し, 血液検査は, 0, 2, 3, 4 および 6 日目に実施した (Fig. 8)。
3 つの実験全てにおいて, 血液検査では, 血球系に関して、赤血球数(RBC), ヘマ トクリット値(HCT), ヘモグロビン値(Hgb), 血小板数(Plat), 白血球数 (WBC), リンパ 球数(Lym), 好中球数 (Neu)および好酸球数(Eos) を, IDEXX Laboratories (東京, 日 本)に委託して測定した。また, 体重の測定および一般状態(嘔吐, 下痢, 食欲不振) の観察も, 各実験の期間中, 毎日行った。また, ビンクリスチンの薬効や副作用につ いて, イヌの性差が影響を及ぼすという報告が見当たらなかったため, 本実験では, 取り扱いの容易なメスを選択し, 実験に使用した。 統計解析 結果は, 平均値±S.D.で示している。対応のある t 検定およびウェルチの t 検定を 使用し, P 値が 0.05 未満または 0.01 未満の場合を, 統計学的に有意差があるとした。
27 結果
アトロピン投与によるイヌにおける胃運動性への影響
アトロピン(0.04 mg/kg)を筋肉内注射にてイヌに投与し, その 30 分後に, 超音波 検査装置にて Motility index の計測を行った結果, 投与しなかった場合と比べて, 有 意に Motility index の低下が認められた (Fig. 9B)。
十全大補湯投与によるイヌにおける胃運動性への影響
十全大補湯は, ヒトにおいて食欲不振の場合などに使用される。しかしながら, 十 全大補湯による, イヌにおける消化器症状への影響についての報告は, これまでなさ れていない。そのため, 十全大補湯の, イヌにおける消化器症状への影響を検討す る指標として, 超音波検査による Motility index の計測を行った。十全大補湯 450 mg/kg/day を単独でイヌに 14 日間経口投与し, 超音波検査にて Motility index の計 測を 0, 7 および 14 日目に行った結果, 0 日目に比べて, 14 日目に, Motility index の 有意な上昇が認められた(Fig. 9C)。 十全大補湯投与によるイヌにおける血液パラメーターへの影響 続いて, 十全大補湯投与による抗がん剤の血液毒性への影響を調べる指標として, 血液パラメーターへの影響を調べた。十全大補湯 450 mg/kg/day を単独でイヌに 14 日間経口投与し, 0, 7 および 14 日目に血液検査を行った。RBC, HCT, Hgb, Plat, WBC, Lym, Neu および Eos について検査をしたが, 十全大補湯の投与を行っても, これらの値に変化は認められなった(Fig. 10, 11)。
28 液毒性への影響 十全大補湯が, イヌにおいて, ビンクリスチンが誘発する消化器毒性や血液毒性を 軽減するかどうかを検討するため, まずは, ビンクリスチンを単独でイヌに投与し, これ らの副作用の発現を確認した。0.75 mg/m2のビンクリスチンをイヌに投与した結果, 投 与前日である 0 日目に比べ, 2, 3 および 4 日目では, Motility index の有意な低下が 認められ (Fig. 12),胃運動性の低下を確認した。血液検査では, 0 日目に比べ, RBC (Fig13A), HCT (Fig13B), Hgb (Fig13C), Plat (Fig13D), WBC (Fig14A), Lym (Fig14B), Neu (Fig14C)および Eos (Fig14D)において, 観察を行った 6 日目までに 有意な低下が認められ,ビンクリスチンの血液毒性を確認した。体重に関しては,ビン クリスチン投与前の 0 日目では,7.9-9.2 kg(平均 8.6 ㎏),6 日目では,7.6-9.0 kg(平 均 8.5 ㎏)であった。1~5 日目においても,これらと同程度の体重であり,ビンクリスチ ンの投与を行っても, 体重にはほぼ変化は認められなかった。嘔吐は, 実験で使用し た 5 頭の内 1 頭において, 6 日目に 1 回認められた。下痢は, 5 頭の内 1 頭において, 2 および 3 日目に 1 回ずつ認められた。 一方, 十全大補湯 450 mg/kg/day とビンクリスチン 0.75 mg/m2を併用投与した場 合では, ビンクリスチン単独投与の時に認められた Motility index の低下は認められ なかった (Fig. 12)。しかし, 十全大補湯とビンクリスチンの併用投与を行っても, ビン ク リ ス チ ン が 誘 発 す る , RBC (Fig13A), HCT (Fig13B), Hgb (Fig13C), Plat (Fig13D), WBC (Fig14A), Lym (Fig14B), Neu (Fig14C)および Eos (Fig14D)の減 少には, ほとんど変化を与えなかった。体重に関しては,十全大補湯投与前の-7 日 目では,7.7-9.2 kg(平均 8.6 ㎏),ビンクリスチン投与前の 0 日目では,7.6-9.4 kg(平 均 8.5 ㎏),6 日目では,7.6-9.2 kg(平均 8.5 ㎏)であった。-6~5 日目においても, これらと同程度の体重であり,併用投与時においても,体重にはほぼ変化は認められ なかった。併用投与時, 嘔吐は, 実験で使用した 5 頭の内 1 頭において, 3 日目に 1
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30 考察 本研究では,十全大補湯の投与が, イヌにおいて,胃の運動性や血液パラメーター に変化を及ぼすかどうか,および, ビンクリスチン投与によってもたらされる, 消化器 毒性および血液毒性を軽減するかどうか, 検討した。 抗がん剤投与による消化器毒性では, 嘔吐や下痢, 食欲不振などの症状が現れ, これらの症状は, 胃の運動性と関連があるという報告がなされている [63]。胃の運動 性の測定方法の一つに,超音波検査装置を使用して, 一定時間内の胃の収縮と拡 張の程度, および収縮頻度を測定して, 胃の運動性を測定する方法が報告されてい る [62, 63]。超音波検査装置による測定は, リアルタイムで, かつ非侵襲的に胃運動 性を測定することができる, という利点がある。そのため, ヒトにおいて胃の運動性を測 定するのにも使用され, ヒトの胃運動低下の発症要因を探索するための大規模な調 査においても, この方法が使用されたことがある [62]。また, 先行研究において, イヌ においても, 超音波検査装置を使用して Motility index を算出することで, 胃の運動 性を評価することが可能であることが示されている [62, 63]。さらに,超音波検査装置 は, 獣医師が日々の診察でよく使用する機器の一つであり, 獣医療分野では一般的 な機器といえる。そこで本研究では, 超音波検査装置を使用して胃の運動性の測定 を行い, イヌにおける消化器毒性への影響の指標として用いることとした。本研究にお いて, 消化管運動抑制作用があるアトロピンを,筋肉内注射にて投与した場合,投与 しなかった場合と比べて, 有意に Motility index の低下が認められた (Fig. 9B)。この ことから, 超音波検査による Motility index の計測が, イヌの胃の運動性, 特に胃の 運動性の低下を評価できることを確認できた。
十全大補湯は, ヒトにおいて, 食欲不振があるとき等に使用される。Fig. 9C で示さ れているように, 十全大補湯のイヌへの投与は, Motility index を有意に上昇させた。
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これにより, 十全大補湯の投与が, イヌにおいて胃の運動性を促進したことを示され た。一方,ビンクリスチンを単独投与した場合では,Motility index の有意な減少が認 められた(Fig. 12)。そして, 十全大補湯とビンクリスチンを併用投与した場合では,十 全大補湯は, ビンクリスチン誘発性の Motility index の減少を有意に減弱させ (Fig. 12),ビンクリスチンによる胃の運動性の低下を減弱させた。これらの結果から, 十全大 補湯の投与が, ビンクリスチンによる, イヌにおける消化器毒性に対して,保護作用を 持つ可能性が示唆された。また,十全大補湯を単独でイヌに投与した場合,胃の運動 性が促進したのは,投与後 14 日目になってからであった (Fig. 9C)。しかし,十全大 補湯とビンクリスチンを併用投与した場合では,ビンクリスチン単独投与時の 2,3,4 日 目に認められた胃運動性の低下を減弱させた (Fig. 12)。これらのことから,十全大補 湯は,生体が正常である時に投与されるのと比べて,抗がん剤投与のような生体に害 を及ぼしかねない,いわば生体の緊急時には,比較的速やかに,その効果を発揮す る可能性が考えられた。これは,一般的に言われているような,漢方薬は生体のバラン スを整えることができる,ということを示唆している可能性が考えられた。先行研究では, ビンクリスチンの処置による胃の運動性の低下は, 嘔吐や下痢などの消化器症状の 発生と関係があるということが報告されている [62]。しかし, 本研究ではビンクリスチン を単独投与したとき, 胃の運動性の低下は認められたが, 嘔吐や下痢などの症状は あまり確認できなかった。そのため, 十全大補湯の投与がこれらの症状に影響を及ぼ すかどうかについては確認することができなかった。 胃の収縮運動には, 様々な要因が影響を及ぼすことが考えられており, 例えば, セ ロトニン, ドパミン, グレリン等は, ヒトやイヌにおいて, 胃運動を制御することが知られ ている [1, 62, 75]。十全大補湯の構成生薬である, 蒼朮, 桂皮, 甘草および人参は, セロトニン, ドパミン, グレリンと関係があることが報告されている。蒼朮は, ホソバオケ ラの根茎を乾燥させた生薬で, 日本や中国では, 消化不良や胃腸の働きが弱ってい
32 る時などに使用される。蒼朮の抽出物は, マウスの実験において, ドパミン D2 受容体 を阻害することで, 胃排出を促進することが報告されている [25]。桂皮は, トンキンニ ッケイ等の植物の樹皮を乾燥させてもので, 漢方では, 胃腸の調子を整える時にも使 用される生薬である。桂皮の抽出物は, ヒトの細胞においてグレリンの発現を増加させ たという報告がなされている [32]。人参は, オタネニンジンの根を乾燥させたもので, 漢方では, 胃腸の働きが悪い時などにも使用されている。人参は,ヒトの細胞におい て, グレリンの放出を増加させたという報告がなされている [71]。甘草は, カンゾウ属 植物の根を乾燥させたものであり, 甘草の中に含まれる isoliquiritigenin は, セロトニン 2B 受容体に拮抗することで, グレリンの分泌を回復することが報告されている [72]。こ れらの報告から考えると, イヌへの十全大補湯の投与は, ドパミン D2 受容体やセロト ニン 2B 受容体を阻害し, グレリンの放出を促進することで, 胃の運動性を促進した可 能性が考えられる。 また, ビンクリスチンによる血液毒性は,血液検査にて血球系の血液パラメーター を調べることで評価することとした。本実験でも,ビンクリスチンのイヌへの投与が, RBC (Fig13A), HCT (Fig13B), Hgb (Fig13C), Plat (Fig13D), WBC (Fig14A), Lym (Fig14B), Neu (Fig14C)および Eos (Fig14D)を減少させ,ビンクリスチンの血液毒性を 確認することができた。これまで, 十全大補湯には, 抗がん剤誘発性の血液毒性に対 して, 保護的な作用を示したという報告がなされている。例えば, マウスにおいて, 十 全大補湯の投与が, シスプラチンが誘発した WBC や Plat の減少や骨髄細胞の減少 を減弱し, 血液毒性に対して保護作用をもたらしたという報告がなされている [57]。ま た, マウスにおいて, 十全大補湯の投与が, テガフール・ギメラシル・オテラシルの 3 つの成分から構成される TS-1 という抗がん剤によって誘発された骨髄抑制に対して, 保護的な作用を示したという報告もなされている [39]。本研究においては, 十全大補 湯の単独投与は,血球系の血液パラメーターに変化を及ぼさなかった。また,十全大
33 補湯はビンクリスチンと併用投与しても, ビンクリスチンによって引き起こされる,血球 系の血液パラメーターの減少には, ほとんど影響を及ぼさなかった。マウスの実験に おいて, 十全大補湯がシスプラチン誘発性の血液毒性に保護作用をもたらした研究 では, 1.7 g/kg/day の十全大補湯が投与されていた。一方, 本研究のイヌへの十全大 補湯の投与量は, 450 mg/kg/day であり, マウスの研究での投与量よりもかなり少ない。 そのため, 今回十全大補湯の投与が, イヌにおいては, ビンクリスチン誘発性の血液 毒性を減弱させなかった要因の一つとしては, 十全大補湯の投与量が十分ではなか った可能性が考えられる。
34 小括 がん治療では, 抗がん剤を使用した化学療法が重要な役割を担う。しかし, 抗がん 剤には数多くの副作用も同時に認められる。イヌのがん治療においてよく使用される 抗がん剤であるビンクリスチンも,血液毒性と消化器毒性があることが報告されている。 十全大補湯は, ヒトでは食欲不振の改善などの目的で使用されており,マウスにおい ては, 抗がん剤誘発性の血液毒性を軽減したという報告もなされている [39, 57]。そこ で本章では, イヌへの十全大補湯の投与が, 胃の運動性や血液パラメーターへ影響 を及ぼすかどうか,また,ビンクリスチンによる消化器毒性や血液毒性を軽減するかど うか,について検討した。まず, 450 mg/kg/day の十全大補湯をイヌに経口投与し, 超音波検査装置により非侵襲的に Motility index を計測し,胃の運動性を測定した。 投与 0 日目に比べて, 14 日目に, Motility index の有意な上昇が認められ,胃の運動 性が促進されることが示された。一方, 450 mg/kg/day の十全大補湯をイヌに経口投 与しても,血球系に関する血液検査では変化は認められなかった。続いて,0.75 mg/m2のビンクリスチンを単独でイヌに経静脈投与し, Motility index に有意な低下が 認められた。しかし,0.75 mg/m2 のビンクリスチンおよび 450 mg/kg/day の十全大補 湯を併用投与した場合では, Motility index における低下は認められなかった。このこ とから,十全大補湯が,イヌにおいて,ビンクリスチン誘発性の胃運動の低下を減弱さ せることが明らかになった。一方,0.75 mg/m2のビンクリスチン単独投与の場合も, 0.75 mg/m2 のビンクリスチンおよび 450 mg/kg/day の十全大補湯の併用投与の場合も, 血球系に関する血液検査においては, 同程度の低下が認められ,ビンクリスチン誘発 性の血液毒性に対しては,十全大補湯投与は,効果が認められなかった。以上の結 果から, 十全大補湯の投与が, 抗がん剤投与に起因する消化器毒性に対し,保護的 な作用をもつ可能性が示唆された。
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36 緒言 筆者は, 第 1 章において, 十全大補湯の投与が, イヌにおいて, 抗酸化作用を持 つことを明らかにし, 第 2 章では, 十全大補湯の投与が, イヌにおいて, 胃運動性を 促進させることと,ビンクリスチン誘発性の胃運動性低下を減弱させることを明らかにし た。このように, これまで筆者は, 十全大補湯が, 獣医臨床において有益な薬理作用 を有する可能性を示した。しかし,十全大補湯は漢方薬という性質上, 効果を発揮す るためには, 一定の期間が必要となる可能性があり,投与期間中に別の薬が併用され ることが十分に考えられる。薬を併用投与する場合には, 薬物間相互作用を検討する 必要がある。薬物間相互作用は, 2 種類以上の薬を併用投与した時に, 一方の薬が 他方に影響を及ぼして有害作用を発現することである [9]。薬物間相互作用には, 薬 力学的なものや薬物動態学的なものがある。後者の場合,多くは代謝反応を介した相 互作用であり, その 9 割以上にチトクローム P450(CYP)が関与していると言われてい る [19]。CYP は, 薬物代謝に関わる酵素で, 約 500 個のアミノ酸からなる分子量約 5,000 のヘムタンパク質である [50]。CYP には複数の分子種が存在し,それぞれ基質 特異性は異なっている [79]。イヌでは,CYP1A,2C,2D,3A などの分子種の存在が 明らかになっている [35]。それぞれの CYP 分子種で代謝される薬物の例として, CYP1A では,イストラデフィリンやグラニセトロン,CYP2C では,アミオダロンやロペラミ ド,CYP2D では,パロキセチンやジフェンヒドラミン,CYP3A では,シクロスポリンやミダ ゾラム等がある [73]。この中で CYP3A は,CYP で代謝される薬物のうち,約 50%を 基質として代謝すると言われているため,薬物代謝にかかわる酵素の中で最も重要で あるとも言われている [73]。 CYP が関わる薬物間相互作用には, 酵素阻害と酵素誘導があるが, その大半が 酵素阻害に基づくものであるという報告がある [79]。酵素阻害が起こる場合, 薬物の
37 代謝が遅れ, 想定していたよりも大きな薬効が表れてしまう危険性がある。例えば, エ リスロマイシンのなどのマクロライド系抗生物質やケトコナゾールなどのアゾール系抗 真菌薬は, CYP3A を阻害するため, CYP3 A によって代謝される他の薬の代謝や, 体 内からの消失を遅らせ, 有害作用を発現する可能性がある [50]。そのため, CYP の 主要な分子種に対しての酵素阻害を検討することは, 薬物間相互作用を考慮する上 で大変重要である。 しかしながら, 獣医療分野での, 十全大補湯の他の薬との併用を想定し, イヌを用 いて薬物間相互作用の研究されたことは, これまでない。よって本章では, 十全大補 湯の獣医臨床での, より安全な使用に寄与することを目的に, イヌにおける主要な CYP 分子種である CYP1A,2D,および 3A に対して,犬肝抽出マイクロソームを用い て,十全大補湯の酵素阻害に起因する薬物間相互作用の可能性を検討した。
38 材料と方法
使用機器と試薬
十全大補湯はツムラ(東京, 日本)から購入した。
超音波洗浄機(US CLEANER)は, アズワン株式会社(大阪, 日本)から購入した。 インキュベーター(LAB-THERMO SHAKER TS-20)は, Advantec Toyo Kaisha, Ltd. (東京,日本)から購入した。 紫外線可視分光光度計(UV mini 1240), 分光蛍光光度計(RF-1500)は, 島津製 作所(京都, 日本)から購入した。 HPLC システムでは, ポンプ(LC-9A), UV 検出器(SPD-6A), 分光蛍光検出器 (RF-10AXL), インテグレーター(CHROMATOPAC-R7Aplus)を, 島津製作所(京都, 日本)から購入した。また, ループインジェクター(7125)は Rheodyne, L.P.(Rohnert Park, California, U.S.A.)から購入し, カラム(TSKgel ODS-120T)は東ソー株式会社 (東京, 日本)から購入し, HPLC システムで使用した。
シリンジフィルター(GL クロマトディスク)は, ジーエルサイエンス株式会社(東京, 日本)より購入した。
牛血清アルブミン(Albumin Standard 2 ㎎/ml)は, Thermo Fisher Scientific 株式会 社(東京, 日本)から購入した。
KCL, Glycerol, EDTA ・ 2Na, ( ± )-Dithiothreitol (DTT), Phenylmethylsulfonyl Fluoride (PMSF), MgCl2, HClO4, Acetonitorile, Dimethyl Sulfoxide (DMSO) は和光純
薬工業 (大阪, 日本)より購入した。
Resorufin (RF), ethoxyresorufin (eRF), Glucose-6-Phosphate Dyhydrogenase (G6P-DH), D-Glucose 6-phosphate disodium salt hydrate (G-6-P-Na2), bufuralol
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1’-hydroxybufuralol (BF-OH), 1’-hydroxymidazolam (1’-OH MD), 4-hydroxymidazolam (4-OH MDZ) は第一化学薬品株式会社(東京, 日本)より購入し た。 Midazolam (MDZ)は,アステラス製薬株式会社(東京, 日本)より購入した マイクロソームの精製 本実験では, マイクロソームの精製にあたり, 2009 年にビーグル犬 5 匹から摘出し, 本研究室の冷凍庫で-80℃にて, 個体ごとに凍結保存してある肝臓を利用した。この 肝臓については, 事前の予備実験を行い,肝臓内のマイクロソームの酵素活性につ いて確認した。肝臓から下記の方法で精製したマイクロソームを使用し,主要な CYP 種である CYP1A,2D,および 3A に対して,それぞれの特異基質である,eRF 約 1.04 M,BF 約 16.8 M,MDZ 約 120 M(すべて反応液中濃度)をそれぞれ反応させ, 反応速度を算出した。反応速度は,CYP1A では 0.101 ± 0.030 nmol/min/mg protein, CYP2D では 0.023 ± 0.005 nmol/min/mg protein, CYP3A の 1’位水酸化の場合で は 0.748 ± 0.172 nmol/min/mg protein, CYP3A の 4 位水酸化の場合では 0.143 ± 0.034 nmol/min/mg protein であった。これらの値は,これまで当研究室にて,正常な イヌの CYP 活性を調べた研究で得られている反応速度の値と,さほど変わらなかった。 このことより,本実験で使用するイヌの肝臓において,肝臓内のマイクロソームが十分 な酵素活性をもつことを確認し,実験に使用した。
マイクロソームの精製は,van der Hoeven et al. により報告された方法に従って行っ た [65]。まず,KCL 23 g, Glycerol 400 g, EDTA・2Na 0.149 g, DTT 0.031 g, PMSF 0.03484 g を純水に溶解し,全量を 2 l として,マイクロソームバッファーを作成した。 -80 ℃にて凍結保存していた肝臓をアシストチューブに入れ, 肝臓 5.5 g に対して 10 ml となるように, マイクロソームバッファーを加えた。次に, 肝臓とマイクロソームバッフ
40 ァーが入ったチューブを, 氷の入ったビーカーにいれ, 氷冷しながら約1分間ホモジ ェナイズした。ホモジェナイズ後, 遠心分離用のチューブに移し替え, 4 ℃, 10,000 G で 20 分間遠心分離して上清を作成し, その上清を別のチューブに移して, 同じ条件 でもう一度遠心分離を行った。2 回の遠心分離により作成した上清を, できる限り氷冷 しながら超遠心管に分注し, 4 ℃, 105,000 G で 90 分間超遠心分離を行った。その後, 上清を捨て, マイクロソームバッファーを加えて, 3 回洗浄した。洗浄後, 超遠心管 1 本あたりに 2.5 ml のマイクロソームバッファーを加えてホモジェナイズした。ホモジェナ イズした液はよく撹拌し, 氷冷しながら, サンプリングチューブに 500l ずつ分注して, -80 ℃にて保存した。 マイクロソームの蛋白濃度測定
Protein Assay キット(Bio-rad, Alfred Nobel Drive Hercules, California, USA)を用い, 以下そのプロトコールに沿って測定した。
Protein assay Dye Regent Concentrate を純水で 5 倍希釈し, 遮光しつつ濾紙で濾 過した。次に, 牛血清アルブミンを 0, 200, 400, 600, 800, 1,000 g/ml に希釈してスタ ンダードとし, それぞれ 100 l ずつ取り, そこに濾過した Protein assay Dye Regent Concentrate を 5 ml ずつ加え, 混和した。その後, 0 g/ml のスタンダードでゼロ補正 をし, 各スタンダードを, 分光光度計を用いて波長 595 nm にて吸光度を測定して, 検 量線を引いた。続いて, -80 ℃にて保存していたマイクロソームを流水中にて解凍し, 純水で 10 倍希釈した。希釈したマイクロソームを 100 ml とり, 濾過した Protein assay Dye Regent Concentrate を 5 ml 加え, スタンダードと同様に分光光度計を用いて, 波 長 595 nm にて吸光度を測定した。
検量線は, x 軸にスタンダードの蛋白濃度, y 軸に吸光度を取り, y=ax+b の式に近 似する。x=(y-b)/a の式の y に, サンプルから得られた吸光度を代入し, アッセイ中で