「働・学・研」協同こそわが人生 : 走り学んだ半
生記
著者
納富 義宝
雑誌名
名古屋学院大学論集 社会科学篇
巻
56
号
3
ページ
73-79
発行年
2020-01-31
URL
http://doi.org/10.15012/00001208
発行日 2020 年 1 月 31 日
「働・学・研」協同こそわが人生
―走り学んだ半生記―
納 富 義 宝
名古屋学院大学(非常勤講師) 〔特集〕 要 旨 本論は,34 才で大学 1 年生になってから古希を迎えた今日までの,「働き学び研究する」わ が半生を綴ったものである。記述は,三つの分野から構成されている。 一つは,生きることの源泉でもある,わがランニング人生を反芻したものであり。二つは, 30 才代の大学1年生から 30 数年間にわたる「働きつつ学び研究し走る」活動を論じたもので ある。三つは,学んだものを業界・学会活動に結びつけるために,如何に奮闘していったかを 綴ったものである。 あるべき社会人研究者像を模索する研究スタイルは,一貫して「働・学・研」の融合であった。 キーワード:働き・学び・走る,時間との戦い,武者修行Learning and studying while working is my life
―Half a century’s learned through running―
Yoshitaka NOUTOMI
Part-time lecturer Nagoya Gakuin University
名古屋学院大学論集 1 はじめに 名古屋駅の地下鉄階段を下りる途中,思いが けない事故に遭遇した。つい最近(2019年6 月初旬)のことである。階段を踏み外して転倒 し,突然動けなくなる。大腿部骨折という大怪 我をしてしまったのである。時間が止まってし まったように感じた。人間は歩いたり,走った りすることが如何に大切か。このときほど,痛 感したことはない。 20才代は好きなことを最優先し,嫌いな勉 強は置いてきぼりで,「文武両道」など出来な かった。社会に出て初めて学問の必要性に気づ く。大学進学は働きながら果たして可能か? 悶々と模索する。「挫折したとしても,進んだ だけ自分のものになる」。そのように考え,大 学進学を選択した。34才で,晴れて大学1年生 となる。そこから,「働・学・研」協同の人生, すなわち「走り学んだ半生記」が始まるのであ る。 小論は,三つの分野から構成されている。 一つは,生きることの源泉でもある,わがラ ンニング人生を綴ったものである。高校の部活 から,実業団に入って懸命に走った青春時代, さらに健康マラソンにいたるまでの,陸上競技 生活である。 二つは,34才の大学1年生から今日までの 30数年間にわたる「働きつつ学び研究し走る」 活動についてである。「二足のわらじ」生活を ふり返り,社会人研究者のあり方,その意義と 展望を考察する。 三つは,学んだものを如何に業界・学会活動 に結びつけていった活動についてであり,それ を検証しようと試みたものである。 2 走ることは生きること 2.1 仕事よりスポーツ 私は学問も陸上もエリートではない。むしろ, その逆でノンエリートである。 陸上は,体が小さくて素質もないのに単純に 強くなりたいとう欲求から,懸命に夢を追った だけであった。神戸製鋼へは高校卒業と同時に 入社し中央研究所に配属になった。当時はス ポーツ(陸上)と仕事の“2足のわらじ”を図 ろうとしていたが,気持ちはスポーツにあった。 陸上現役時代,研究所所属とはいえ,明確な研 究テーマや目的意識もなく,スポーツと文化活 動(映画サークル/演劇活動)に情熱を注いで いたのが現実であった。 2.2 競走時代 入社して2年目から陸上部は強化され,元オ リンピック選手や箱根駅伝,全国高校駅伝で活 躍した有名選手達が集まってきた。私は73年 から陸上部(短距離,長距離,投擲,女子)の 主将に任命され,自覚的に練習に取り組むよう になる。有名な一流選手たちと切磋琢磨し徐々 に力をつけていく。私自身,高校時代は全く無 名の選手であり,入社後も大きくは成長しな かった。しかし,引退前には,モントリオール オリンピック最終選考会の日本手権大会(ト ラック)に出場した。最終オリンピック選考会 の琵琶湖毎日マラソン大会にも出場し,12位 に終わった。それらは,わが青壮年時のささや かな誇りでもある。 《主なマラソン記録》 ① 1974.2.3 第23回毎日マラソン(別府)2 時間21分43秒21位。 ② 1975.12.7 第10回福岡国際マラソン 2時 間21分26秒39位。
③ 1976.4.18 第31回毎日マラソン(琵琶湖) 2時間24分22秒12位。(モントリオール オリンピック最終選考会,3位までがオリ ンピック代表選手) 2.3 健康マラソンと研究 26才11 ヶ月で,陸上を引退する。神戸から 名古屋に転勤し,会社の仕事は鉄鋼営業になっ た。仕事一筋になり,初めての営業で生活リズ ムが変調をきたす。そこで,健康維持を目標に 土日はジョギングを続けた。日頃のストレス発 散にジョギングは欠かせなくなる。走ると脳の 働きがよくなり,新たな意欲が湧くことが実感 された。楽しいことが想像され,いろんなアイ デアや発見が生まれる。私にとって走ることは 考えることであり,生きる源泉となった。又, 私は血糖値が高いので,糖尿病対策としても意 識的に走っている。 人はなぜ,走るのか?それは永遠のテーマで ある。人はいつまでも元気でいたいという積極 的な考え方が,足を動かす行動に出る。そうい う意味で,走ることは人類の本質的な特徴とい える。 40数年ぶりに長野フルマラソンを走った。 記録は3時間26分55秒(雑誌社の集計:2015 年日本年齢別64才40位)だった。久々のマラ ソンは足の痙攣で,ほうほうの体でゴール。こ の記録はノーベル賞受賞者の京都大iPS細胞研 究所長山中教授とほぼ同じである。54才で3時 間27分45秒は強い。かなりの練習を積んでい ないと出せない記録である。研究と健康マラソ ンの「二足のわらじ」は,今後ともバランスよ く続けていきたい。 2.4 陸上の経験を活かし陸上指導で社会貢献 陸上の経験を活かし,現在は私の母校とも なった愛知大学で,週に数回は陸上の指導も やっている。名古屋学院大学では,講師活動を 行っている。 大学の箱根駅伝は大人気であるが,実際は ローカル駅伝であり,関東の大学しか参加でき ない。熱田神宮―伊勢神宮間を走る全日本大学 駅伝こそ,唯一の大学日本一を決める駅伝と なっている。箱根駅伝を走ることが夢の学生は 関東に集まるので関東勢に比較して,関東以外 の学生陸上のレベルは低い。だが,走る潜在能 力を待った選手は何処にでもいる。高校時代は 野球部に所属し,陸上はやっていなかった選手 が,その一例である。陸上部に入り1年間みっ ちり基礎練習させたら,この地区の一流選手に 追いつくまでに成長した。そして,東海学連選 抜の選手に選ばれ,全日本大学駅伝に出場する までに成長し,新聞に大きく取り上げられるま でに成長した。「元高校球児大舞台で力走」と「朝 日新聞」(2018.11.5)に掲載された。 彼に刺激され,他選手も次から次に自己新を 出すようになった。選手に真摯に競技に取り組 む姿勢があり,ポイント練習など,選手間どう し切磋琢磨すれば,関東勢に負けないくらい選 手は伸びると私は実感した。 3 社会人研究者をめざして(30代・1976― 83年) 3.1 34才の大学生 勉強は後回しの反省から,34才で夜間大学 の1年生になった。愛知大学では法学部に籍を おき,憲法や刑法を学んだ。 なぜ法学部か?会社の先輩から人権派弁護士 正木ひろしの『首なし事件』の本をもらい読ん で驚いた。権力の横暴を憎み,それとの戦いに 生涯を費やした正木ひろしの弁護士活動に限り
名古屋学院大学論集 ない憧憬を描いた。三鷹事件,菅生事件,白鳥 事件などで権力側のフレームアップを打ちくだ いた。松本清張の『日本の黒い霧』を読んだの もこの頃であった。 卒業論文では「法経学会賞」をもらい,聴講 生ではあったが大学院で引き続き「憲法」講義 を聞いた。だが,論文を書くには法律の知識に 乏しく,なかなか書けない。切り口が見つから ずに悩んだ。最初の挫折であった。その反省か ら,もっと身近なテーマを研究したほうがいい のではないかと思い,軌道修正する。 一方,仕事のほうは鋳鍛造業の需要家が多く, 鋳物師や鍛冶屋の話が面白く,私の関心は中小 鉄工業に傾いてきた。そこで考えたのが,仕事 と研究の一本化である。仕事上での一人者にな れば,研究上でも一人者になれるのではないか と考えるようになり,鉄鋼や鋳物産業の研究に 的を絞った。 3.2 夜間大学と中国/浙せっ江こう大学大学院に学ぶ (1983―98年) その頃,社会人を対象にした大学院が都市部 では開講されるようになっていた。勤務を抱え たままでの遠距離通学は考えにくいので,近く の大学院の開講を待っていた。そのとき,新聞 に中国の政治経済および文化が名古屋で学べる という見出しが載った。中国/浙江大学大学院 (日本校)である。但し,修論は日本語以外(中 国語・英語)が義務付けられていたので躊躇し た。入学試験の中国語にも抵抗があったが,こ の機会を逃せばチャンスはないと一大奮起し, 中国語は近くの高校の公開講座に応募し短期間 で基礎をマスターした。 毎週土曜日の大学院ゼミは,中国人,日本人 を交えて活発な議論が交わされ,自身の研究を 大きく刺激し社会人研究者として自立していく 過程を醸成してくれた。 最後の一年は,修士論文に傾注する。論文タ イトルは「銑鉄鋳物製造業の現状及び将来の研 究」で,仕事と研究が一致するものであった。 難関の修論口頭試験(中国語)は中国浙江大学 で行われた。論文の要約を中国語の棒読みで終 えた。 3.3 名古屋学院大学 社会人大学院に入学 (1999―2002) 97年中国/浙江大学大学院での修士論文で は満足できず,1999年,名古屋学院大学大学 院の後期博士課程に進み,十名ゼミ(産業シス テム研究会)に入った。きっかけは中国/浙江 大学のとき一緒だった友人から,名古屋学院大 学に「鉄鋼産業論」をやっている先生がおられ ると紹介される。十名教授とは同じ鉄鋼メー カーに勤務していたが,全く面識はなかった。 本格的な研究生活が始まるのは,十名教授の 指導を受けるようになってからである。十名教 授の指導で特に印象に残ったものに,「論文は 時間との戦い」であるとの指摘である。自分を 律すること。自分自身に厳しくしようとしても, 心の中で甘えが出て,まだ時間があるから大丈 夫,ちょっとだけ気分転換しても大丈夫と考え てしまう。それとどう戦うか。その要領を,何 回も教えてもらった。 論文執筆は自分自身との戦いでなので,誰も 注意することができない。自ら学ぶ姿勢をどう つくるかが一番難しい。研究対象への厳しい姿 勢がないと,オリジナルな論文は出来ない。そ れゆえ,先行研究,武者修行,他流試合,を積 極的に取り入れ,そこから自分流の理論展開を すべし。そのように解釈した。 十名教授からの適切な指導と働き学ぶ仲間た ちとの議論を通して一気呵成に論文仕上げに向
かった。各地の鋳物組合をよく訪問し,少しず つ資料は集めていた。そのため,先行研究はよ く書けた。そのあとの論文の構築が難しかった。 予備審査では関係する複数の教授から厳しい批 判もいただき,一部修正しながらも何とか博士 論文を書き上げることができた。53才であった。 4 業界・学会活動 4.1 JMICでの活躍 十名教授の指導の1つに,積極的に他流試合・ 武者修行に参加せよ,があった。肝に銘じ積極 的に業界・学会活動に参画するようにした。 その1つが,「JMIC」(熟年ものづくり国際 協力センター)である。2006年1月にNPO法 人として設立され活動を開始した。自動車・電 機の部品,鋳造・鍛造・プレス・金型などの素 形材の各分野で活躍し,豊かな経験とネット ワークを持った熟年エキスパートの集団である。 その,技術・技能集団を引っ張っていったの が田村啓治氏である。田村氏は東京大学大学院 修了後,鋳造業,鋳造機械メーカー,(財)素 形材センター等を通して,鋳造技術や鋳造機械 の研究および開発に尽力し,業界に多大な功績 を残していた。 調査報告で特筆すべきは,経産省の2008年 事業「アジア・サポーティングインダストリー の技術水準分析調査」(みずほ情報総研から委 託)を受託したことである。調査に当たっては, JMIC会員の今までの経験と知識をフルに活用 した「現場視点からの技術評価」という,独自 に開発した評価手法での成果は高く評価された。 私はJMICの理事を務め,その役割は国内外 の鉄鋼と鋳物分野の調査を担当した。中でも, 当時2年に一度開催されていたメタル・チャイ ナの参加と調査が主であった。中国の鋳物博覧 会に参加するたびに中国科学技術の発展が確認 できた。 2012年の博覧会では,超軽量のダクタイル・ タービン(超薄肉;0.3ミリの宇宙装置)製造 から32万トンタンカーの舵掛けアーム(160 トン鋳鋼)の大型製品まで。それに航空,造船, 海洋科学,宇宙科学,自動車,半導体等大規模 な科学技術の成果を誇るハイエンドの鋳物製品 の展示であった。 この頃の中国科学技術の発展を見ると, 2010年8月には,中国が自力設計・自主開発し た初の有人深海調査船7000m級の深海調査船 「蛟こうりゅう龙 」が深さ3,000m級の潜水テストに成功 したと報道された。 2012年には,中国の有人宇宙船「神舟9号」 が6月に打ち上げられた。そして,2013年12 月には中国月面探査機「嫦じょうが娥3号」が着陸に成 功。月面着陸は,37年ぶりで旧ソ連,アメリ カについで中国は3カ国目となる。宇宙技術も 急成長し海洋・宇宙の科学技術の進展ぶりを誇 示した。 調査した内容は,その都度JMICの例会で報 告し,『鋳造ジャーナル』に掲載された。科学 技術の進展に呼応した中国鋳造産業の発展段階 を目の当たりできたのは,私のかけがえのない 記録・実績となった。 中小企業の支援活動で思い出深いのは,中国 蘇州の張家港市企業誘致説明会を日本の中小問 屋主催で行ったことである。 その後,主催した会社の会長共々,張家港市 と民営・沙鋼製鉄所から招待を受け,製鉄所を 見学する機会を得た。又,愛知万博では蘇州市 から招待を受けた。蘇州市の出展物を見学した だけではなく,蘇州市の最大規模を誇る沙鋼製 鉄所の沈文栄総裁と交流を持つことができたこ とは,私の貴重な体験でもあり財産になった。
名古屋学院大学論集 4.2 御鋳い物も師じ会参加の11年間(2007~2018) 御鋳物師とは何か。鋳工は,奈良時代の律令 体制下では国家の支配におかれていた。中世に おいて,鋳物業を営むには鋳物師職許状が必要 であった。当時の需要は神社仏閣の梵鐘,燈篭, 鳥居から民需の鍋釜,農機具など幅広い需要を 一手にひきうけ,当時では最先端の技術集団で あった。そうした由緒ある鋳物師たちの子孫は 今でも「御鋳物師会」を結成して日本鋳物の将 来について語り合っている。 「御鋳物師会」は,2年に1度開催されている。 私 は2007年から2018年の間に計5回(16, 17,18,20,21回)参加し,それぞれ専門雑 誌の『鋳造ジャーナル』に発表している。 参加者は,御鋳物師会をはじめ,伝統技術を 継承するその末裔達が中心となっている。そこ に,行政機関からは経済産業省,民間大手の高 炉メーカー及びその関係者らも参加している。 訪問先は,いずれも日本を代表する老舗企業 である。栃木県天明鋳物の発祥地「佐野の天明 鋳物」,「たたら製鉄」,茶の千利休時代からの 釜師である,京都の大西清右衛門の仕事場から, 織田信長が岐阜城に入城する前の1560年から この地で鋳物業を営む,老舗の(株)岡本・鍋 屋バイテック(株)など。 日本の技術力は高いと評価されているのは, こうした先祖の高い技術が根底をなし,その上 に技術が構築されているからである。鋳物技術 は,人類の文明に大きく貢献してきた。温故知 新とはよく言ったものだ。昔の物事を研究し, 今日的に理解してそこから新しい知識や見解を 得る。そのことが明日の鋳物の発展につながる のである。 4.3 消失模型研究会(2008~) 消失模型鋳造法は,「鋳型内の模型と溶湯を 置換しながら鋳物を製造する鋳造方法」である。 模型に発泡スチロールを使用する。模型の発泡 スチロールは溶湯と置換され消えてなくなるの で,少量生産の鋳物に向いている。 日本鋳造工学会関西支部の消失模型鋳造法研 究会は,田村啓治氏が立ち上げ,初代委員長も 務められた。田村啓治氏と私は,2003年の国 際非鉄&特殊鋳造展覧会に参加して以降,この 研究会で報告するようになった。 そして田村哲治氏亡きあとも,現在の関西支 部消失模型鋳造法の委員長である池永明先生に 発表を促され,毎回のように消失模型研究会に 参加している。 消失模型研究会は年に4 ~ 5回の研究発表会 を開催し,私は2008年11月から2018年9月ま で,20数回の研究発表を行っている。 田村啓治氏と共に調査研究した十数年の記録 は,「消失模型研究会」で報告し,雑誌『鋳造 工学』に「新世紀を開く中国鋳物」~田村啓治 氏と共に歩いた10年~として掲載された。 2019年4月には,中国の「2019河南鋳鍛工 業年次総会」で「日本鋳物産業の現状と発展動 向」を発表してきたばかりである。帰国後すぐ に「消失模型研究会」で報告するつもりでいた が,「転倒」で果たせなかった。 その後,手術,リハビリに専念し,やっと 2019年10月に「河南省鋳鍛工業協会2019年次 総会」の報告を終えることができた。 4.4 中国との協力関係を創る 日本の素形材産業の海外展開が,徐々に進ん でいる。逆に日本の素形材産業では,外国人労 働者の雇用が促進されることが閣議決定される など,鋳物業界の先行きは決して明るくない。 中小企業といえ,グローバリゼーションの波 は避けて通れない。中小企業も,グローバル事
業展開を視野に入れ,対応策を考えて手を打つ 必要がある。私は鋳造業者の顧問として,日本 と中国の鋳物産業の発展活動に尽力している。 現在重点を絞っている中国河南省鋳鍛工業協 会には田村啓治氏と旧知の仲であった,「中国 河南省鋳鍛工業協会」名誉会長の王上均先生の 存在が大きい。現在,この協会の鋳造企業とビ ジネスプラン(*FS:フィージビリティース タディ)を進めている。 その事業には,十名ゼミの博士OBである程 永帥(鄭州軽工業学院),程永元(河南財経政 法大学)両氏の協力を得ることができ,心強い ばかりである。 5 おわりに 学位修得から17年が経過した。この間,あ るべき「社会人研究者(「働・学・研」協同) をめざして歩いてきた。果たしてこれでいいの か,絶えず疑問に思い自分に問いかけてきた。 そして,迷いながらも現在も歩み続けている。 私に社会人研究者としての自立を導いてくれた 十名直喜教授も名古屋学院大学での指導・研究 に別れを告げようとしている。十名教授は私よ り1才年上である。まだ若い,指導に深謝する とともに,今後とも元気に研究活動に邁進して 欲しいと願うばかりである。 主要業績 「素形材産業と基盤的技術」十名直喜編『地域創生の 産業システム』水曜社,2015年。 「国際的再編下における中国鉄鋼業の台頭」『名古屋 学院大学論集(社会科学篇)』 第42巻,第1号(上),第2号(下)(2005)。 「再編進む国際鉄鋼業」―二人の鉄鋼王を通じて― 『ISSC 現代中国ジャーナル 』第 4 巻,第 1 号 (2011)。 「新世紀を開く中国鋳物―田村啓治氏と共に歩いた 10年」『鋳造工学』第86巻,第7号(2014)