• 検索結果がありません。

事実行為の処分性に関する一考察 利用統計を見る

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "事実行為の処分性に関する一考察 利用統計を見る"

Copied!
74
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

事実行為の処分性に関する一考察

著者

高木 英行

著者別名

Hideyuki TAKAGI

雑誌名

東洋法学

64

3

ページ

1-73

発行年

2021-03-25

URL

http://doi.org/10.34428/00012272

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止

(2)

《 論  説 》

事実行為の処分性に関する一考察

髙木 英行

第一章 はじめに  処分性とは、専ら、ある行政活動が取消訴訟(を含む抗告訴訟。以下同じ)の 対象となるか否かを問う、行政事件訴訟法(以下「行訴法」)上の訴訟要件問題 である。行訴法 3 条 2 項は、処分性のある行政活動の定義として、「行政庁の 処分その他公権力の行使に当たる行為」と定めている。  このうち「行政庁の処分」は、講学上の「行政行為(行政処分)」を指すも のと解されてきた。これに対して、「その他公権力の行使に当たる行為」は、 平成26年改正前の行政不服審査法(以下「行審法」)で言う、「公権力の行使に 当たる事実上の行為で、人の収容、物の留置その他その内容が継続的性質を有 するもの(以下「事実行為」という。)」、すなわち「公権力的事実行為」を指す ものと解されてきた( 1 ) 。  以上のことから、《上記行政活動(行政行為+公権力的事実行為)以外の行政 活動》、例えば行政指導、行政立法、行政計画、精神表示的な事実行為( 2 ) 等の 行政活動については、処分性が認められず、取消訴訟を通じて争えないとされ てきた( 3 ) 。もっとも、従来から学説では、取消訴訟を通じた権利救済の機会を 柔軟に認めるため、《上記行政活動以外の行政活動》であっても処分性を認め るべきとする、「処分性拡大論」が有力に唱えられてきた( 4 ) 。  しかしながら、処分性拡大論は、《上記行政活動以外の行政活動》につき、 市民の権利救済の機会を拡大する結果をもたらす反面、それらにつき「行政行 為」と同じ扱いとすることから、いわゆる行政行為の「特殊な効力」――公定

(3)

力(抗告訴訟の排他的管轄)や不可争力(取消訴訟の出訴期間)――が拡大する結 果をもたらす懸念( 5 ) も指摘されてきた(処分性拡大に伴う「副作用」問題)( 6 ) 。  筆者はこれまで、専ら「行政庁の処分」、すなわち「行政行為」概念を念頭 に置いて、処分性拡大に関し研究してきた( 7 )。他方で筆者は、これまで、「そ の他公権力の行使に当たる行為」、すなわち「公権力的事実行為」に関わる処 分性拡大に関しては、正面からは研究してこなかった( 8 ) 。  その理由として、後者に取り組むに当たっては、前者の考察結果を踏まえる ことが有益であるとともに、後者に関わって、「受忍義務」という概念をいか に理解するかという重たい課題があったからである。本稿執筆時点において、 前者の考察結果がある程度得られてきたので、あらためて後者について取り掛 かることとしたい。  もっとも本稿は、「事実行為の処分性」問題に関して、一定の〈法理〉を論 証することまでをも考察目標に置くものではない。むしろ、こうした将来の論 証に向けての準備作業として、本稿では、同問題をめぐるこれまでの判例学説 を整理検討し、同問題をめぐる議論の到達水準、残された課題、この課題への 対応の方向性を論ずることに力点を置くこととしたい。  以下第二章では、戦前戦後に及ぶ「事実行為の処分性」問題( 9 ) をめぐる議論 動向について「学説」を中心に検討する。それとともに、事実行為に伴う《相 手方市民の受忍義務》を含め、いくつかの重要論点を浮き彫りにしていく。  第三章では、「事実行為の処分性」問題の構図が、「公共施設の供用」をめぐ る紛争に関わって大きく変容した経緯について、代表的な判例を素材に検討す るとともに、事実行為に伴う《周辺住民の受忍義務》を含む重要論点につい て、学説の議論を検討する。  また第三章では、こうした判例学説の検討を踏まえ、残された課題について 浮き彫りにする。そして、こうした課題への対応の方向性に関して、さしあた り現段階で筆者として考えるところを、覚え書き程度に論じておくこととした い。  第四章では、以上の考察結果を踏まえ、今後の研究課題を指摘する。

(4)

第二章 相手方市民の受忍義務  事実行為の処分性をめぐっては、大きく分けて、行政裁判法(明治23年10月 1 日施行。昭和22年 5 月 3 日廃止)時代、行政事件訴訟特例法(昭和23年 7 月15 日施行。昭和37年10月 1 日廃止。以下「特例法」)時代(10) 、行政事件訴訟法(昭和 37年10月 1 日施行)時代、それぞれの実定法に関わる時代区分を通じて(11) 、判 例学説上さかんに論じられてきた(12) 。本来であれば、各時代区分に応じ、判例 学説の議論動向の特徴について、全般的な時代状況の推移をも踏まえながら、 考察を進めていくべきであろう。  もっとも、本稿全体の趣旨目的、また筆者の能力の限界をも踏まえ、以下本 章では、「戦前戦後」という大まかな枠組みの中で、かつ、代表的な「学説」 を中心として、議論動向を大ざっぱに検討するにとどめたい。またこうした水 準の検討を通じてであっても、本章でさしあたりの考察目標とする、事実行為 の処分性をめぐる論点整理を行うことが可能となるものと思われる(13) 。 第一節 二元的裁判所制度の下で  大日本帝国憲法(明治憲法)61条は、「行政官庁ノ違法処分ニ由リ権利ヲ傷 害セラレタリトスルノ訴訟ニシテ別ニ法律ヲ以テ定メタル行政裁判所ノ裁判ニ 属スヘキモノハ司法裁判所ニ於テ受理スルノ限ニ在ラス」として、二元的裁判 所制度を採用していた(14) 。司法権(裁判所)に属する司法裁判所と、行政権 (内閣)に属する行政裁判所が並立するとともに、行政事件に関しては後者の 裁判所が管轄するとの憲法上の制度である(15) 。そしてこの憲法上の制度を具体 化するため、「行政裁判法」が制定されていた。  行政裁判法は、「行政裁判所ハ法律勅令ニ依リ行政裁判所ニ出訴ヲ許シタル 事件ヲ審判ス」(同15条)などと規定するとともに、関連する「行政庁ノ違法 処分ニ関スル行政裁判ノ件」(明治23年法律第106号。昭和22年 5 月 3 日廃止)も、 「法律勅令ニ別段ノ規程アルモノヲ除ク外左ニ揭クル事件ニ付行政庁ノ違法処 分ニ由リ權利ヲ毀損セラレタリトスル者ハ行政裁判所ニ出訴スルコトヲ得」と

(5)

して、〈五種の事件〉(16) についてのみ、行政裁判所へ出訴できるものと定めてい た。いわゆる限定列挙主義である。  こうした制度下での「事実行為の処分性」論として、美濃部達吉氏の所説が 代表的である。美濃部氏(17)は、行政訴訟の目的とされる「処分」という語が、 法律上の効果を発生させる意思表示を指す意味に用いられるのが普通であると する一方、処分に「道路河川など公共用の公物に関する工事の施行の如き事実 上の作用」が含まれないと断定すべき根拠もないという。そしてこの点の判断 に当たっては、「其の文字上の意義に依るよりは、社会的利益及社会的正義の 要求に照して、如何に解するのが最も適当であるのかに依つて、決せられねば ならぬ。」と主張する。  ひるがえって、戦前において大審院(18) は、道路や河川等の公共の用に供され ている公物についての施設に関して、私経済的性質の作用とは異なることを理 由に、民事訴訟の目的たるには適しないとして、司法裁判所の管轄には属しな いものと判断していた(19) 。美濃部氏は、これを正当な見解であろうと評しなが らも、公共工事の施行により私人に権利毀損が生じる場合には、何らかの方法 での権利救済の必要があるとする。要するに、民事訴訟の目的として司法裁判 所で審理されえないのであれば、行政裁判所で審理せねばならないというので ある。  以上のことから、「自分は行政裁判所の判例に於いて、法律の所謂『行政庁 ノ違法処分ニ由リ権利ヲ毀損セラレタリトスル者』とは、必ずしも行政庁の意 思表示に依る場合のみならず、公共的の工事の施行をも包含するものであると 解して居るのを以て、正当の解釈なりと信ずる」とする(20) 。  とはいえ美濃部氏によると、「此の種類の訴訟は、普通の行政処分に対する 訴とは其の目的を異にするもので、普通の行政処分に対しては、其の取消を求 むるのであるが、公共の工事の如き事実上の作用に対しては、固より取消は有 り得ないのであるから、取消を求むる訴ではなくして、差止、設計変更、原状 回復又は除外施設を求むることが、其の訴訟の目的となる」ともいう。  美濃部氏別文献(21) でも、公共工事に処分性を認めない立場を採用すると、許

(6)

可を伴わずに行政庁が自ら公共工事を施行する場合、行政処分(許可)が存在 しないがゆえに行政訴訟の目的がない結果となってしまう問題を指摘する。ま た大審院は、こうした事件につき民事事件ではないとして却下しているので、 司法裁判所による権利救済も阻まれている。  その上で美濃部氏は、「結局何処にも救済を求むる途が無いといふことにな らねばならぬのであって、それは如何にも不合理であり、此の不合理を避くる 為には、法律の所謂『処分』という語を厳格な意味に解せず、此の如き公共的 な営造物を築造する為にする事実上の作用をも包含する意味に解せねばなら ぬ。」と述べ、行政裁判所の判例においてもこの見解が支持されている旨を解 説する(22) 。  要するに美濃部説は、公共工事につき処分性を認めないと、司法裁判所も行 政裁判所もいずれも裁判事件として受け付けないこととなってしまうとの、権 利救済の見地からみて「不合理」な帰結が生じることを想定した上で、処分性 を肯定するわけである(23) 。こうした美濃部説(24) の論法は、近年の原告適格拡大 判例や処分性拡大判例に通じる「ある種の思考実験を伴う背理法的論法」(25) の 《先駆け》とも評価しうる(26) 。戦前戦後を通じた《行政法解釈》の連続性とい う点で興味深い(27) 。  もっとも、こうした行政法解釈方法論の視角からのさらなる検討について は、今後の研究課題としたい(28) 。さしあたりここでは、「事実行為の処分性」 を肯定する美濃部説の出発点が、「社会的正義」の観点からの「拡張解釈」 ――ある種の思考実験を伴う背理法的論法を駆使した拡張解釈――にあったこ と(29) 、また具体的な行政訴訟の形態として「工事の差止・復旧・除外施設 等」(30) を求める請求が念頭に置かれたていたことを留意するにとどめる(31) 。 第二節 一元的裁判所制度の下で  戦後、日本国憲法76条が制定されたことに伴い、行政裁判所が廃止され、日 本の裁判所制度は、行政事件も含め、司法裁判所が管轄する一元的な制度へと 転換した(32) 。こうした制度転換に伴い、戦前において拡張的な処分性解釈を用

(7)

いて、行政裁判所が管轄するものとされていた〈公共工事〉に関しても、戦後 は、行政訴訟ではなく、民事訴訟を通じて争えばよいと解されることとなっ た(33) 。もっとも「事実行為の処分性」は、引き続き論じ続けられる。以下この あたりの議論の経緯を学説に照らしみていこう。  例えば雄川一郎氏(34) は、司法裁判所が行政事件を扱えないとされていた(= 公の行政として行なわれる事実行為を行政裁判所で争わせる必要があった)戦前の 二元的裁判所制度の下でとは異なり、戦後の一元的裁判所制度の下では、裁判 所が行政作用の違法性の問題を一般的に審理裁判することができることになっ た点を重視する。  その上で、効力を失わしめるに抗告訴訟手続を要する、法行為たる行政行為 とは異なって、「それ自体法的な行為でない事実行為については、抗告訴訟に よるを要せず、その違法を認定して工事の差止、原状回復等を命ずることがで きる」とした上で、「現行法上は事実行為は一般的に、形式上抗告訴訟の対象 とならないのではないか」、したがって「訴えの提起に関する訴願前置、出訴 期間の適用はない。」として、「民事訴訟」――厳密に言えば「一種の公法上の訴 訟」――(35) を通じ争う余地を示唆する(36) 。  もっとも雄川氏は、以上の議論が及ぶのは「行政権が始から事実行為の形を とって発動した場合」という留保を加えるとともに、強制隔離や交通遮断など 「事実行為が一面で法行為としての性質をもつ」場合には、「法行為としての性 質に着目して、行政行為と扱うべき」とも主張する。  田中二郎氏(37) は、「道路・河川工事、違法な広告物の撤去、腐敗食品の廃棄 等の事実行為」に関しては、相手方の意思の拘束という意味での法律的効力が 生じないのが通常で、行為そのものの無効とか取消とかの問題が生じない点 で、「行政行為」とは区別されるという(38) 。  一方で、「強制検診とか強制隔離とかの事実上の執行行為が、同時に、相手 方に対するこれらの措置を受忍すべき旨の命令を包含しているものと解される べき場合」があり(39) 、「かような場合には、事実行為が高権的な意思を体現し ているとみることができ、従って、事実行為であると同時に行政行為としての

(8)

意味をもつことを認めることができる」と論ずる(40) 。  戦後の一元的裁判所制度の下でも、一定の事実行為に処分性が認められうる 場合を指摘するとともに、その理由として、そうした事実行為が行政行為と同 様に〈高権的意思〉に基づきうること、またそうした事実行為が行政行為と同 様に〈相手方市民への受忍義務〉を課すというかたちで法的効果を及ぼすこ と(41) を挙げるのが注目される。  さらに田中氏別文献(42) では、行訴法 3 条 2 項において、「行政庁の処分」と 並んで、「その他公権力の行使に当たる行為」にも処分性が認められることの 意義について、「これは、単に意思的行為のみならず、行政庁が一方的にその 受忍を強要する事実行為0 0 0 0についても、それが公権力の行使にあたる限りにおい て、その公権性(公定力)を排除するための取消しの訴えを認める趣旨であ る。」と解説する。  戦前の二元的裁判所制度の下で、行政裁判所と司法裁判所との間での《救済 の谷間》を埋める議論として誕生した「事実行為の処分性」論に、戦前から戦 後にかけて確立していった「行政行為の公定力」概念(43) を《接続》する試みで あろう。  また田中氏は、(平成26年改正前)行審法 2 条 1 項で(44) 、不服申立ての対象と なりうる「処分」には「事実行為」――「公権力の行使に当たる事実上の行為 で、人の収容、物の留置その他その内容が継続的性質を有するもの」――が含まれ るとの規定があるところ(45) 、こうした規定のない行訴法において、同 3 条 2 項 を解釈するなら、「公権力の行使にあたる事実行為」は、「処分」のうちではな く、「その他公権力の行使に当たる行為」に属すと解すべきとも指摘する(46) 。  加えて杉本良吉氏(47) は、行訴法が事実行為的処分も取消訴訟の対象となると した理由について、その「処分が一応行政権の責任ある判断によってなされた ものであるのに、その効果を私人に勝手に否定させては、行政目的の実現に 種々の障害の生じる」おそれがあるとともに、「職権証拠調べ、執行停止、事 情判決等の規定」が適用されうる処理が妥当である点では、「法律行為的処 分」も、「事実行為的処分」も変わらないことを挙げる(48) 。

(9)

 また杉本氏は、「事実行為的処分は、行政庁の一方的意思決定に基づき、特 定の行政目的のために国民の身体、財産等に実力を加えて行政上必要な状態を 実現させようとする権力的行為であるから、法律行為的処分と同様に法の根拠 を要するとともに、国民の権利自由に対する侵害の可能性をもつ行為でなけれ ばならない。」との観点を提示する。  この観点から、「行政上の強制執行関係における代執行としてなされる義務 実現行為、あるいはいわゆる直接強制による諸行為、または行政上の即時強制 (たとえば精神病患者の即時強制収容)として許されている諸行為」については、 事実行為的処分に当たると解しうる一方、上記侵害の可能性を持たない「単な る事実上の通知、勧告等の行為または行政機関内部もしくは相互間の承認等の 行為」に関しては、事実行為的処分に当たると解しえないと指摘する。さらに 「道路、河川等の公共工事等」に関して事実行為的処分に当たるかについて は、実定法に行政処分に準ずる旨の定めがない限りは、疑問があると述べる。  そして杉本氏は、「事実行為的処分を処分の取消しの訴えの対象と認めたこ とは、事実行為的処分についても法律行為的処分と同様公定力が認められるこ とを前提として、これを他の訴訟形態によって争うことを認めない趣旨であ る」とし、事実行為に処分性を認めることに伴い、公定力(取消訴訟ないし抗 告訴訟の排他的管轄)が生じる理解も示唆する。  以上雄川・田中・杉本の三説から、次のような整理ができるのではないか。 事実行為の処分性は、戦前の二元的裁判所制度の下では、専ら、公共工事に関 わる紛争に係る裁判管轄分配の問題意識から、かつ、差止等を求める訴訟の文 脈において論じられていた(49) 。これに対し戦後の一元的裁判所制度下では、専 ら、行政強制(とくに即時強制)に関する紛争について、行政行為と同様の権 利救済の機会をもたらす問題意識から、かつ、取消を求める訴訟の文脈におい て論じられることが顕著になってきた。  こうした議論の変遷の背景として、本節冒頭でも指摘があったように、さし あたり、戦前の二元的裁判所制度の下で〈救済の谷間〉に落ち込んでいた〈公 共工事〉の差止等を求める紛争については、戦後の一元的裁判所制度の下で

(10)

は、「民事訴訟」で対応可能になったとの理解がある。 第三節 「事実行為の取消訴訟」への疑問  事実行為の処分性につき、差止等を求める訴訟の文脈ではなく、取消訴訟の 文脈で論じられるようになったことに伴い、そうした「事実行為の取消訴訟」 の存在意義を問う議論も出てきた。代表的な論者として柳瀬良幹氏(50) が挙げら れる。同氏は、行政行為取消訴訟と事実行為取消訴訟の最大の違いについて、 「それに依つて取消されるものの相違」にあるとした上で、前者は「行政庁の 行為の効果」、後者は「行政庁の行為の事実」という。  その上で、行政行為取消訴訟の請求認容判決は、行政庁の行為の効果を取消 すということでよいが、事実行為取消訴訟の請求認容判決は、裁判所自ら事実 上その行為をなくす行為をするか、または、行政庁に対してそれをなくすこと を命ぜねばならないはずとする(51) 。  この点、(平成26年改正前)行審法をみても、行政行為に関しては、裁決庁・ 決定庁においてその行政行為を「取消す」という裁決・決定すべきとするのに 対し、事実行為に関しては、裁決庁であれば処分庁に対しその「撤廃」を命 じ、決定庁であれば自らそれを「撤廃」すべきとすることからも窺われるとい う(40条 3 項~ 5 項、47条 3 項 4 項)。  しかるところ、(平成16年改正前)行訴法上、裁判所に許されているのは、取 消すという判決をすることだけで、裁判所自ら事実上その行為をなくす判決 も、行政庁に対し事実上その行為をなくすことを命ずる判決も下しえない(52) 。  また、「何とかしてその取消すという判決から取消せという意味を導き出 し、即ち事実上にそれをなくする行政庁の義務を演繹することはできないか」 との考えも、その前提として、行政庁の行為の事実は裁判所の判決によって取 り消されうるとの立場に立っており、上述のごとくこの立場が誤りである以 上、成り立ちえないなどとして否定する。  以上のことから柳瀬氏は、事実行為取消訴訟は「何と考えても、行政庁に対 して人を保護するためのものとしては全く意味のないものと言う外ない」(53) と

(11)

して、現行法の解釈論上消極的な結論へと至る(54) 。  柳瀬説に対し、広木重喜氏(55) は、「事実行為の取消しというのは、取消しの 理念からして奇異に感ぜられるとの議論がしばしばなされている。」とした上 で、「しかし、それは、民事法にいう、意思表示の取消しの観念をそのまま、 処分の取消しという、司法権による行政処分の法的抑制の方法にあてはめる結 果生ずる奇異感にすぎないのではあるまいか。」との疑問を提起する。その上 で、事実行為の取消「判決における『取消す』との主文は、司法権が行政庁に 対しその行為の公権力性を否定するものと解することができ、単なる法律行為 (意思表示)の取消しとパラレルに考えるべきものではない」と反論する。  雄川一郎(56) 氏も、事実行為の取消という観念は無理との議論に対して、かつ ての行政裁判所でも、事実行為に対する行政訴訟を認めていたことから(57) 、 「大きな難点ではない」と指摘する(58) 。また杉本良吉(59) 氏も、事実行為と言っ ても全くの事実を意味するわけではなく、「当該事実に表現された意思決定が ある」ので(60) 、この意思決定の取消しという意味で事実行為の「取消」を考え ればよいと指摘する(61) 。  さらに田中二郎氏(62) は、柳瀬説が提起する疑問につき、「事実行為であって も、公権力の行使にあたる行為は、単純な事実行為と異なり、むしろ処分と同 様、一方的に相手方の受忍を強要する公定力又はこれに相当する効力を生ずる ものと考えられるので、その公権力性(公定力)を排除し、相手方の受忍義務 を解除するための措置として、取消しの訴えの形態を認めたものと解される。」 と論ずる。  田中説は、行政行為の法的効果(相手方市民の権利義務の一方的変動)に対応 する、事実行為の法的効果として、相手方市民の受忍義務を前提とするととも に、公権力性の要素として公定力をも介在させながら、事実行為の取消訴訟の 存在意義を論じている(63) 。しかし田中説を通じて浮上してくることは、そもそ も《事実行為に伴う相手方市民の受忍義務》とはいったい何であるのかという 問題である。

(12)

第四節 合成的行政処分論の登場  《事実行為に伴う相手方市民の受忍義務》の性質について、深く考察した論 者として、広岡隆氏(64) がいる。広岡氏は、(西)ドイツ法の知見を踏まえ(65) 、 事実行為の典型例である即時強制に関わって、「合成的行政処分」論を提唱す る(66) 。この理論は、「行政上の即時強制を、相手方に一定の態度を命ずる命令 と、それを実現するための強制手段の戒告、決定及び執行とから成る合成物と 考える理論」(67) であって、「主として、即時強制に対する取消訴訟を認めるとい う目的論的見地から構成された」(68) ものである。  この理論を採ることで、「即時強制において、あたかも執行力ある行政行為 におけると同様の法的性質が認められ」、その結果、即時強制という名の行政 権による事実行為においても、行政行為と同じく、相手方市民に対する具体的 な受忍義務を構成することができる(69) 。また、「即時強制を事実的執行行為と 受忍下命とからなる合成物として考える」ことにより、即時強制の取消訴訟に ついて、物理的な事実行為の取消しを求めるのではなく、受忍下命の法的効果 を失わせるための訴訟として理解することができるという(70) 。  「即時強制の公定力」についても、「その物理的作用そのものの公定力ではな く、それに化体して存する精神的要素、即ち受忍下命の公定力0 0 0 0 0 0 0 0であって、受忍 を要求する行政的意思に優越した妥当力が認められるからこそ、相手方が自己 の判断でそれに対する服従を拒否できない法的地位におかれる」(71) と説明する。  その上で、「即時強制の取消訴訟」の説明に関しても、「その受忍下命の公定 力を失わしめることによって、即時強制に対する受忍義務を消滅させる(取消 の判決があれば、受忍義務があるものと考えてはならないことになり、相手方は服 従を拒否し得ると同時に、判決の拘束力により、行政権の側でも、受忍義務のない 相手方に対して事実上受忍を強いる状態を継続することができなくなる)訴訟」と して(72) 、取消訴訟の観念の中で考えることが可能であるという(73) 。  さらに、処分性の認められる事実行為については、「即時強制か又はそれに 準ずべき〈受忍下命を含む事実行為〉という内容をもち得るものに限られ」、 「河川工事や道路工事などは、本来〈受忍下命を含む事実行為〉という内容を

(13)

示し得るものではないので、取消訴訟によらないで、裁判所がその違法を認定 してその差止め又は原状回復を命じ得る」(74) とする。  以上広岡説は、事実行為(即時強制)に行政行為の契機(受忍下命)を見出 すことを通じて、行政行為の論理(相手方市民の法的地位の変動、公定力、取消 訴訟の排他的管轄)を事実行為にも推し及ぼしている。その意味で田中説の論 理を精緻化するものと言えよう(75) 。もっともこの種の理論構成(76) に関しては、 次節で紹介するように批判的な見解も提起されてきた。 第五節 合成的行政処分論への批判  今村成和(77) 氏は、広岡説に対して、即時強制により相手方に受忍義務が課さ れるのではなく、法律上相手方に受忍義務があることを前提に即時強制が行わ れることからすると、「即時強制に下命意思を含むと解するのは、所詮は、一 つの擬制に過ぎない」と批判する(78) 。他方で今村氏は、事実行為取消訴訟を無 意味とする柳瀬説も批判する(79) 。なぜなら、「取消それ自体は、無内容な行為 であるにしても、それは、裁判所の違法判断の表明に外ならない」ので、「事 実行為の取消判決は、その違法宣言判決と解することができる。」からであ る(80) 。  すなわちその判決は、「何らの形成的効果を生み出すものではないけれど も、取消判決に付着せしめられた拘束力(行政事件訴訟法33条)により、行政 庁は、判決の趣旨に従って行動するを要するから、当該事実行為の違法なこと を認め、それを廃止しなくてはならぬことと」なるのである(81) 。  また今村氏は、事実行為の違法を公に宣言する判決を求める「法律上の利 益」は、「事実行為が、権力の担い手によって行なわれる結果として、その適 法性の如何に拘らず、事実上の強制力(通用力)をもっていることの故に認め られる」とする一方、「しかし、この事実上の通用力を、行政行為の公定力に なぞらえて、事実行為の公定力に基づくものとして、取消判決は、その公権性 =公定性を排除する意味をもつ、と説く見解には賛成できない」とも指摘す る。

(14)

 そして今村氏は、行政行為の公定力の性質についてあらためて検討し、それ を事実行為に当てはめて考察した上でいわく(82) 。「行為の適法性の如何に拘ら ず、相手方に受忍義務を生ずるという意味での事実行為の公定力なる観念は、 行政作用の公権性にまどわされた、幻想の所産に外ならない」。「権力作用とし ての事実行為は、相手方が拒否しても執行することができ、そうでなくても、 罰則によりその実効性が担保されているのだから、その上公定力を認めて、違 法な執行迄も保護する必要はない。いわんやそれによって、相手方の正当な権 利を防衛する途を一切封鎖してしまうことは、到底正当な見解とは思えぬ」。  また今村氏(83) は、事実行為の取消を求めるには取消訴訟の形式によらなくて はならぬという意味での《取消訴訟の排他的管轄》を認める一方で、事実行為 の違法を理由とする通常の民事訴訟(物の留置の違法を理由とする返還請求訴訟 など)に関しては、行政行為の場合とは異なり事実行為の場合には「効力問 題」が前提とされない以上は(84) 、許されるとする。  事実行為の《取消訴訟の出訴期間》に関しても、人の収容や物の留置等の継 続的性質の事実行為であれば、それが終わるまでは出訴期間は進行しないと解 すべきとする(85) 。加えて、事実行為が終了すれば"訴えの利益"が消滅するの が通常だから、事実行為に関して出訴期間はほとんど意味を持たないと指摘す る(86) 。  広木重喜氏は、「事実状態の変容は、そのこと自体、直接的に個人の身体・ 財産・自由等に多大の影響をもたらすものである以上、かかる結果をもたらす に至った、行政庁の事実行為をとらえ、それが違法な公権力の行使としてなさ れたものである場合には、その違法な事実状態を排除し、公権力による拘束か ら解放させる方途が講ぜられるべきであり、事実行為の取消訴訟は、まさにこ のような場合に十分機能するよう、行訴法にとりいれられた救済方法」(87) と理 解する。〈違法状態の排除〉という趣旨を読み込んだ上で、事実行為の取消訴 訟の存在意義を理解している(88)。もっとも広木氏は、広岡説について、今村説 同様、「そのような概念構成の必要があるといえるのか、または、あまりに擬 制にすぎるものではあるまいか。」(89) と疑問を提起する。

(15)

 今村・広木両説は、柳瀬説による、事実行為の取消訴訟〈無意味論〉を排撃 する一方(90) 、事実行為を行政行為に引き付けて処分性を正当化する広岡説の 〈技巧性〉をも排除する。むしろ両説は、事実行為がもたらす実際的不利益を 基礎に、事実行為の権力性を認知するとともに、事実行為の取消判決がもたら す権利救済機能を模索することを通じて、柳瀬説や広岡説を批判的に克服しよ うとする。  兼子仁氏(91) も、事実行為の取消しなどあり得ないとする柳瀬説につき「速断 的」として疑問を呈する一方、事実行為の中でも、「国民の身体・財産に即座 に実力行使を加える行為にあっては、それに不服な国民にも受忍義務を行政が 自力強制的に課しているという一種の手続法的な効果」があると主張する。ま た、この種の事実行為に関する「取消判決は、たんなる違法宣言にとどまら ず、国民の受忍義務の解除という効果をもつ」とも理解する。  他方で兼子氏は、受忍下命を介在させる広岡説に対しては、その種の構成を する必要性はないとも指摘する。また兼子氏は、事実行為に処分性を認めて も、公定力ないし取消訴訟の排他的管轄を認めない余地を主張する。そして、 この主張を支える理論として、救済の必要性から処分性を認めても、公定力な いし取消訴訟の排他的管轄を認めないとの議論、すなわち「形式的行政処分 論」(92) を示唆する(93) 。 第六節 「事実行為の処分性」をめぐる三つの論点  前節までの学説の議論を通じて、事実行為の処分性に関する論点整理ができ るように思われる。すなわち、①処分性の認められる「事実行為」はどのよう なものか、②その事実行為が相手方市民へもたらす効果をどのように解するの か。例えば相手方市民に対し「受忍義務」なる、行政行為に相応した法的効果 が生じるものと理解するか否か。また③その事実行為につき、行政行為に認め られるのと同様の特殊な効力、すなわち公定力や不可争力――言い換えれば取 消訴訟の制度的効果(排他的管轄や出訴期間)――が生じるものと理解するか否 か。

(16)

以下これら三論点を念頭に置きながら、学説の展開を補足的に見ていく。  まず①に関して、高木光氏(94) は、事実行為に関し、「精神作用たる事実行 為」――「主として『情報』という観点からの事実状態の変動が法の関心の対象と なるもの」――と、「物理作用的たる事実行為」――「専ら物理的な事実状態の 変動が法の関心の対象となるもの」――に分類して論ずる。こうした分類論が有 力に唱えられてきた一方(95) 、別角度から検討する論者として、森田寛二氏(96) が いる。  森田氏は、法律学的な行為論の基礎にある、「言述行為」と「非言述行為」 の相違に着目する。例えば、工作物の除却を命令する行為やそれに先立って工 作物の除却を勧告する行為が前者に、現に除却する行為が後者に属す。同氏 は、この言述・非言述の行為分類を基礎に、「法行為」と「事実行為」の概念 を定式化する(97) 。  前掲②に関わって、濱西隆男氏は、「即時強制と下命の関係」について、「物 理的な実力の行使が向けられるか精神的な意思の表示が向けられるかという大 きな相違点はあるが、その向けられた者に対して、法律の規定に基づき、受忍 義務であれ受命義務(作為義務又は不作為義務)であれ、事実上の効果としてで はなく、直接の法効果を生じるところに共通点がある」と指摘する(98) 。  事実行為(即時強制)と狭義の処分(行政行為)を、同じ「法行為」、かつ、 同じ「公権力の行使に当たる行為」として相対的に把握する論理(99) を媒介に、 事実行為に伴う受忍義務を行政行為の法的効果に引き付けて構成する(100) 。ま た③に関わって、濱西氏は、即時強制につきその具体的な受忍義務を手掛りと して、公定力(取消訴訟の排他的管轄)を認めるとともに、取消訴訟の出訴期 間の扱いに関しても、「即時強制に伴い受忍義務が課せられたことを知ったと きから計算され」、「不可争力」も認められる扱いを支持する(101) 。  渡部吉隆(102) 氏は、「行政庁が公権力の行使として行う事実行為も、単純な事 実行為とは異なり、一方的に相手方の意思を強制する意味において、『公定 力』ないしそれに類似する効力を生ずる」と理解した上で、事実行為取消訴訟 についても「公定力を排除して私人の行為と同様のものたらしめる」意義があ

(17)

るという。  もっとも渡部氏は、「行政庁の行う事実行為であっても、これについて公定 力を認めることが明らかに無意味、不合理であると思われるようなものについ ては、取消訴訟によるまでもなく、直接民事訴訟により、これが違法であると 主張して行為の結果の排除等を請求することができるものと解すべき」とも指 摘する。 第七節 小括  本章の議論を整理する。「事実行為」と言っても、「精神的作用」に関わるも のと「物理的作用」に関わるものがある。本章は後者を中心に検討してきた。 戦前の二元的裁判所制度の下では、専ら、〈公共工事〉を念頭に、差止等を求 める訴訟が論じられた。戦後の一元的裁判所制度の下では、〈即時強制〉を念 頭に、取消訴訟が論じられることが増えた(103) 。  行訴法制定による立法的解決としては、同法 3 条 2 項に「行政庁の処分」の ほか「その他公権力の行使に当たる行為」を定め、そうすることで、行政強制 に関わる一定の事実行為に限って処分性が認められることとなった(104) 。  学説では、①事実行為とは何かという問題のほか、②事実行為に伴う相手方 市民の受忍義務とは何か、③事実行為に処分性が認められることに伴い公定力 や不可争力も認めるかといった問題についても、議論が深められていく。  ①に関しては、時代を経るにつれ、「精神的作用」としての事実行為に関連 して、「行政指導」からの救済が論じられることが多くなった(105) 。近年では、 病院開設中止勧告事件(最判平成17年 7 月15日:民集59巻 6 号1661頁)や病院病 床数削減勧告事件(最判平成17年10月25日:判時1920号32頁)の理解の文脈で、 議論が積み重ねられてきている(106) 。もっともこの点、「物理的作用」としての 「事実行為」の脈絡で、処分性拡大を考察している本稿ではこれ以上掘り下げ ない(107)  ②に関しては、事実行為に伴う法的地位の変動をいかに論理構成するかとの 問題である。換言すれば、〈行政行為に相応して考えられうる、事実行為の

(18)

【規律効】(108) を裏付けるところの、「受忍義務」とは何であるか〉という問題で ある。しかしここで問題となる受忍義務とは、あくまでも《相手方市民に対す る受忍義務》である。  次章で検討していくように、「事実行為の処分性」をめぐる議論は、大阪国 際空港訴訟をもきっかけとして、「即時強制」問題を超え、「公共施設の供用」 問題に焦点が当てられるようになっていく。また救済方法についても、「取消 訴訟」ではなく、「民事差止訴訟」が念頭に置かれることになる。さらに、受 忍義務についても、相手方市民との関係においてではなく、むしろ公共施設の 周辺住民との関係において論じられることになる。  これらのことから、事実行為の処分性問題は、従来のように、事実行為(即 時強制)につき処分性を認めて、相手方市民による取消訴訟の提起を積極的に 認めるべきではないかとの〈前向き〉な議論ではなくなった。むしろ、事実行 為(公共施設の供用)に処分性が認められることに伴い、その事実行為に【遮 断効】――以下、公定力(抗告訴訟の排他的管轄)と不可争力(取消訴訟の出訴期 間)の両者を含む概念として用いる(109) ――が認められることとなるので、その公 共施設の供用に関わる周辺住民による民事差止訴訟は不適法になるのではない かとの〈後向き〉な議論へと変貌することとなったのである。 第三章 周辺住民の受忍義務  大阪国際空港訴訟(昭和56年12月16日:民集35巻10号1369頁)や、第一次厚木 基地訴訟(最判平成 5 年 2 月25日:民集47巻 2 号643頁)を契機に、①事実行為と して想定される行政活動が、「行政強制(とくに即時強制)」から「公共施設の 供用」にも拡大した。また、②事実行為に伴う受忍義務も、両判決を契機に、 「相手方市民」だけではなく「周辺住民」に関わっても問題とされるように なった。加えて、③事実行為の処分性という議論が、「権利救済」ではなく、 むしろ公定力概念を介して「権利救済阻害」の文脈でなされることとなっ た(110) 。これらの「規律と遮断のメカニズム」(111) をめぐる議論状況の変貌ととも に、判例学説を通じて公共施設の供用をめぐる裁判の「受け皿」論争が展開し

(19)

ていく。  他方で、平成16年行訴法改正による、「法定抗告訴訟」としての「差止訴 訟」(行訴法 3 条 7 項、37条の 4 、以下「法定差止訴訟」)の創設、同訴訟に関す る重要判例である日の丸君が代訴訟(最判平成24年 2 月 9 日:民集66巻 2 号183 頁)が出される。そして、これらの背景事情の変遷をも踏まえて、第四次厚木 基地訴訟(最判平成28年12月 8 日:民集70巻 8 号1833頁)が、「裁判の受け皿」問 題に関する一定の解決をもたらす。さらに今日、第四次厚木基地訴訟を受けて の「残された課題」への対応が模索されている。本章では、以上の議論動向を 整理した上で、残された課題への対応に関して、若干ではあるが検討する。 第一節 大阪国際空港訴訟  国営空港の航空機騒音が人格権を侵害しているなどとして、空港周辺住民ら (原告ら)が夜間における航空機の離着陸のためにする空港の供用差止めを求 める民事差止訴訟等を提起した(112) 。一審、二審判決は、それぞれ原告らの差 止請求を一部ないし全部認容した。  最高裁は、「航空機の離着陸の規制そのもの等、本件空港の本来の機能の達 成実現に直接にかかわる事項自体については、空港管理権に基づく管理と航空 行政権に基づく規制とが、空港管理権者としての運輸大臣と航空行政権の主管 者としての運輸大臣のそれぞれ別個の判断に基づいて分離独立的に行われ、両 者の間に矛盾乖離を生じ、本件空港を国営空港とした本旨を没却し又はこれに 支障を与える結果を生ずることがないよう、いわば両者が不即不離、不可分一 体的に行使実現されているものと解するのが相当である。」とする(113) 。  その上で、原告らの「請求は、事理の当然として、不可避的に航空行政権の 行使の取消変更ないしその発動を求める請求を包含することとなる」ので、原 告らが「行政訴訟の方法により何らかの請求をすることができるかどうかはと もかくとして」、民事上の請求として差止めを求めることはできないといった 理由から、原告らの訴えを不適法とした。  大阪国際空港訴訟調査官解説は、「航空行政権」(114) と「空港管理権」という

(20)

「両権限の不即不離、不可分一体的な行使実現、あるいは複合的観点に立った 航空機の離着陸の規制とは何を意味するか、また、それは何故に本件差止請求 を不適法ならしめるのかが問題になるが、この点について、多数意見は特に説 明を加えていない」(115)ことを認めた上で、この原因の一つにつき、「補足意見 が付されていることからも窺われるとおり、多数意見が 9 人の裁判官の間の最 大公約数的な見解であることによるのであろうと推測される。」(116) と指摘する。 13名中 9 名の多数意見を形成することを優先し、個々の裁判官の間での、細か い論理構成上の見解の差異までは詰め切れなかったとの見立てであろう。  大阪国際空港訴訟に関しては、航空機の離着陸規制をめぐる運輸大臣の権限 行使が、周辺住民との関係でも「公権力の行使」に当たるから、それに随伴す る「公定力」を理由として、「民事差止訴訟」の提起が不適法というのが〈建 前の論理〉である(117) 。しかし、民事差止訴訟の提起を不適法ならしめる帰結 をもたらしたいがゆえに(118) 、「公定力」という理由付けを必要とし、この理由 付けを正当化する論理構成として、航空機の離着陸規制をめぐる運輸大臣の権 限行使が、周辺住民との関係でも「公権力の行使」に当たるというのが〈本音 の論理〉であろう。  この目的論的解釈論と言うか、結論ありきの強引な解釈論については、学説 より激しい批判を受けてきた(119) 。こうした解釈論の延長線上の判決として、 次節で紹介する《第一次厚木基地訴訟》がある。またこの拡張を支えた論理こ そが、「公権力の行使」該当性を裏付けるための論理構成、《周辺住民の受忍義 務》論だった。  大阪国際空港訴訟では、個別意見(120) (さらには調査官解説(121) )の中ではとも かくとして、多数意見の中でこの新たなタイプの受忍義務が、少なくとも正面 からは論じられなかった(122) 。ともあれ、第二章で整理検討してきたように、 「行政強制」の文脈で、かつ《相手方市民》に関わって構築されてきた《受忍 義務》論が、大阪国際空港訴訟を一つの契機として、公共施設の供用の場面で 注目されるようになっていく。  大阪国際空港訴訟では、こうした《規律効》をめぐる議論(周辺住民の受忍

(21)

義務論)が不明確であったばかりでなく、公定力(抗告訴訟の排他的管轄)(123) や 不可争力(取消訴訟の出訴期間)(124) をどのように論ずべきかという問題(125) 、そ の限りで《遮断効》の程度や範囲に関しても不明確であった(126) 。加えて同訴 訟では、民事差止訴訟不適法との結論を下すだけで、国営空港の騒音を差し止 めるための何らかの行政訴訟の途が開かれているか否か、また開かれていると してどのような行政訴訟が提起可能なのかについても不明確であった(127) 。  以上、大阪国際空港訴訟が残した問題は、航空機の離着陸規制をめぐる運輸 大臣の権限行使なる「公権力の行使」が「周辺住民」に及ぼす【規律と遮断の メカニズム】をいかに解するかという問題と、こうした紛争事案において周辺 住民が提起しうる【裁判の受け皿】はいかなるものであるのかという問題であ る。両問題が絡まり合って、その後の議論の様相を複雑化していくこととなっ た。 第二節 第一次厚木基地訴訟  第一次厚木基地訴訟(最判平成 5 年 2 月25日:民集47巻 2 号643頁)は、基地騒 音が人格権を侵害しているなどとして、周辺住民らが夜間における自衛隊機の 離着陸の差止めを求める民事差止訴訟などを提起した事案である。一審判決 は、自衛隊機の運航には「防衛行政権」の行使が密接不可分に関わるとの、大 阪国際空港訴訟の論理を〈準用〉した理由でもって、不適法却下。これに対し 二審判決は、「統治行為」論を持ち出して、不適法却下。最高裁も結論として 訴えを不適法と判断した(128) 。しかしその理由は一審、二審と異なるものであっ た。  本判決は「防衛庁長官の権限」に着目する。防衛庁長官は、「防衛等の任務 の遂行のため自衛隊機の運航を統括し、その航行の安全及び航行に起因する障 害の防止を図るため必要な規制を行う権限を有する」とともに、「自衛隊機の 運航にはその性質上必然的に騒音等の発生を伴うものであり、防衛庁長官は、 右騒音等による周辺住民への影響にも配慮して自衛隊機の運航を規制し、統括 すべき」と判示し、周辺住民への騒音障害に対する配慮を防衛庁長官の権限行

(22)

使の一環として位置づける。  さらに本判決は、「自衛隊機の運航に伴う騒音等の影響は飛行場周辺に広く 及ぶことが不可避であるから、自衛隊機の運航に関する防衛庁長官の権限の行 使は、その運航に必然的に伴う騒音等について周辺住民の受忍を義務づけるも のといわなければならない。そうすると、右権限の行使は、右騒音等により影 響を受ける周辺住民との関係において、公権力の行使に当たる行為というべき である。」と判示する。周辺住民の「受忍義務」という法的地位を媒介に(129) 、 防衛庁長官の権限行使を「公権力の行使」と性格づけるのである(130) 。  大阪国際空港訴訟は、「航空行政権」と「空港管理権」との不可分一体論と いった論理構成に依拠して、運輸大臣の権限行使の「公権力の行使」該当性を 正当化した一方で、周辺住民の受忍義務論を正面から論じなかった。これに対 し第一次厚木基地訴訟は、大阪国際空港訴訟(を踏まえた一審判決)のように 「防衛行政権」なる大ざっぱな概念に依拠しなかった一方で(131) 、大阪国際空港 訴訟では不明確であった、《周辺住民の受忍義務》論を正面から打ち出して、 この議論をもって、防衛庁長官の権限行使の「公権力の行使」該当性を正当化 した(132) 。  この点、第一次厚木基地訴訟調査官解説では、「自衛隊の任務の性質及び右 任務に由来する自衛隊機の運航の特殊性から、自衛隊機の運航により空港の周 辺住民に騒音等の影響が及ぶことは内在的に予定されているのであって、―― 防衛庁長官は、右騒音等による周辺住民への影響にも配慮して自衛隊機の運航 を規制すべきであるが――周辺住民は、その運航に伴う避けることのできない 不利益な結果(右のような配慮をしても、なお避けることのできない不利益な結果) を受忍すべき一般的な拘束を受けている」(133) と説明する。  しかし他方で、同調査官解説は、「自衛隊法上、右のような受忍義務を直接 に定めた規定は見当たらない。」(134) ことも認める。《周辺住民の受忍義務》論の "いかがわしさ"ということで、本章第三節でみるように、学説から強い批判 を受けることになる。ともあれ【規律効】に関する表面的な説明という見地か らすれば、第一次厚木基地訴訟は、大阪国際空港訴訟の説明を――それが成功

(23)

しているか否かはさて置くとして――論理的に一歩進めた――ただしそれが良い 方向か悪い方向かはさて置くとしてであるが――とも言えるのかもしれない(135) 。 もちろん、「航空行政権」(大阪国際空港訴訟)であれ、「受忍義務」(第一次厚木 基地訴訟)であれ、法律に明確な規定がない概念を作り出して、それを手掛か りに「公権力の行使」を正当化しようとする点では《五十歩百歩》とも言えよ うが。  第一次厚木基地訴訟は、「公権力の行使」である旨を導く論理構成の点で、 大阪国際空港訴訟と相違が認められるものの、結論部分に向かう論理に関して は、原告らの差止「請求は、必然的に防衛庁長官にゆだねられた前記のような 自衛隊機の運航に関する権限の行使の取消変更ないしその発動を求める請求を 包含することになるものといわなければならないから、行政訴訟としてどのよ うな要件の下にどのような請求をすることができるかはともかくとして、右差 止請求は不適法」として、大阪国際空港訴訟の論理をそのまま当てはめてい る。第一次厚木基地訴訟調査官解説は、大阪国際空港訴訟と第一次厚木基地訴 訟では、「公共性の程度及び達成しようとする行政目的の点において差異を求 めることは困難」であるからとの理由を挙げて、この〈準用〉を正当化してい る(136) 。  この民事差止訴訟不適法の判断部分に関しては、「防衛庁長官の騒音配慮に 関する権限の行使については、抗告訴訟が排他性を有し、住民等は民事訴訟の 利用が認められない」という――本稿で言うところの――【遮断効】の説明で あるが、「原子力発電施設の設置許可に際しての住民の健康等に対する免許権 者の配慮義務は、住民の原子力発電にかかる免許人を相手とする民事訴訟を排 除しないとする」最高裁の判例との「論理的整合性」が問題とされてきた(137) 。  また第一次厚木基地訴訟は、ここで、大阪国際空港訴訟に倣って行政訴訟と してならば争えるか否かに関して明確な判断を下していない。第一次厚木基地 訴訟調査官解説も、自衛隊機の運航に関する防衛庁長官の権限行使の適法性を 争う行政訴訟の形態に関して、本判決が「今後の判例の展開にゆだねた」と指 摘する(138) 。【裁判の受け皿】問題の見地からすれば、第一次厚木基地訴訟は、

(24)

大阪国際空港訴訟から《全く進歩がない》と言えるだろう。  もっとも、第一次厚木基地訴訟橋元四郎平裁判官補足意見によれば、受忍義 務を課される周辺住民は、自衛隊機運航に関する防衛庁長官の権限行使の適法 性をめぐって、行政訴訟を提起する原告適格ないし訴えの利益を有するとい う。またこの行政訴訟の形態として、自衛隊機運航に係る(防衛庁長官の)個 別的または包括的な命令の全部又は一部の取消訴訟が考えられうるとする一方 で、この種の命令は自衛隊内部のものだから(139) 、部外者である周辺住民がそ の内容を知ることはほとんど不可能として、実際上適切な争訟手段になりえな いとする。  そこで橋元裁判官は、「防衛庁長官に対して、特定の飛行場における離着陸 を伴う自衛隊機の運航で一定の時間帯又は一定の限度以上の音量に係るもの等 についての命令を発してはならないとの不作為を求める」「無名抗告訴訟」 ――「予防的不作為訴訟」(140) ――の提起を提案する。その上で、このような無 名抗告訴訟の提起が適法と認められるためには、無名抗告訴訟一般の訴訟要件 を踏まえ、「周辺住民が自衛隊機の運航に伴う騒音等により受けている被害が 今後も反復継続することが確実と見込まれ、あらかじめこれを防止しなければ 回復し難い著しい障害を受けるおそれがある等事前の救済を認めないと著しく 不相当となる事情が存することを要する」と述べる。  民事差止訴訟の代わりに、「無名抗告訴訟」(行訴法 3 条、以下「法定外抗告訴 訟」とも言及する)としての行政処分差止訴訟を活用すべしということで、基 地騒音問題に関する「裁判の受け皿」を提示するわけである。ひるがえって、 大阪国際空港訴訟団藤重光裁判官反対意見は、国営空港騒音問題の裁判の受け 皿を論ずる中で、「公法上の当事者訴訟」(行訴法 4 条)の活用の余地をも示唆 していたところであった。こうした公共施設の供用に関わる裁判の受け皿問 題(141) に関しても、本章第四節にみるように、学説により様々な議論が展開さ れていくこととなる(142)

(25)

第三節 周辺住民の受忍義務論への批判  第一次厚木基地訴訟の《周辺住民の受忍義務》論をめぐって、様々な批判が 提起されてきた。例えば岡田正則氏は、同訴訟の、「周辺住民への配慮規定を 含んだ規制権限の根拠規定から、周辺住民に受忍義務を課す権限を導き出し、 これをもって周辺住民に対する公権力の行使とみなす」論理に対して、日本原 演習訴訟(最判昭和62年 5 月28日:判時1246号80頁)(143) ――自衛隊演習場内での実 弾射撃訓練等に対する(法定外抗告訴訟としての)差止訴訟につき、同訓練等が公 権力の行使に該当しないとして、民事訴訟を提起すべきであったとして不適法とさ れた事件――との整合性を手掛りに批判する(144) 。  すなわち、第一次厚木基地訴訟がいう、防衛庁長官の権限行使の前提たる、 「騒音等による周辺住民への影響にも配慮して自衛隊機の運航を規制し、統括 すべき」義務は、自衛隊法等に根拠を有するものではなく、「公用財産の相隣 関係から出てくる私法上の義務ないし憲法的行為規範としての義務に他ならな い」こと、またそれとともに、周辺住民においても公物に係る「相隣関係上の 義務を超える受忍義務を自衛隊法等から導き出すことは、法解釈によってもで きない」こと、さらにこの相隣関係上の「義務と長官が指揮・監督権によって 賦課しうる義務とを同最判[第一次厚木基地訴訟:髙木注]が混同しているた めに、本来私法的関係とみなすべき航空基地の使用関係を公権力的な関係と誤 解している」ことを論ずる。  以上のことから、第一次厚木基地訴訟が「法的なレベルでの公権力性の根拠 を示しえなかった」と指摘するとともに、この公権力性の前提たる、周辺住民 の受忍「義務」からして、防衛庁長官が「周辺住民に対する履行確保手段を まったく有していない」ので、「従来の判例からすると特異な公権力理解」で あると指摘する(145) 。総じて岡田氏は、第一次厚木基地訴訟につき、「誤解と論 理的破綻の所産であって、配慮義務・受忍義務・公権力性の認定といったいず れについても判例としての役割を果たしうるものではな」いと述べ、基地騒音 事件に関しては「民事訴訟」によって解決されうると判断する。  さらに神橋一彦氏によると、行政法には三つの「義務」概念があるとい

(26)

う(146) 。①「行政法一般における『義務』の概念」は、法律の留保や命令的行 政行為の場面で問題となる義務であり、「意思の自由の拘束」を内容とする。 ②「事実行為の受忍『義務』」は、強制執行や即時強制などの場面での、相手 方の抵抗の禁止を捉え受忍「義務」と表現する。この義務も突き詰めると「意 思の自由の拘束」を内容とすると解しうるとする。  ③「周辺住民の受忍『義務』?」(147) であるが、これは公定力論との関係で民 事差止訴訟の不適法を導く義務である。②の受忍義務と異なり、③の受忍義務 は「意思の自由の拘束」を内容としえないとともに、どんな行為をもって受忍 義務違反を語ることができるのか想定できないという。  また、第一次厚木基地訴訟が言う「防衛庁長官の権限の行使」は、「実際に は複数の機関が介在した複数の行為からなる」とした上で、そのうち防衛庁長 官の訓令制定行為は一種の「内部行為」にすぎず、受命自衛官を拘束するのみ で一般私人を義務づけないとも言えるし、また実際の航空機の運航そのものは 「物理的な事実行為」であって、それ自体私人に何らかの法的効果を及ぼすも のではないとする(148) 。  加えて、第一次厚木基地訴訟が論ずる《受忍義務》に関しても、その内容を 突き詰めて考えると(149) 、「周辺住民が事実として騒音にさらされるということ を指し示す程度の、実は極めて不明確なもの」であるという(150) 。また、この ように周辺住民の受忍義務なるものが「法的にみて極めて無内容」であること からすれば(151) 、――第一次厚木基地訴訟調査官解説が指摘する――その受忍義務 につき法律の根拠規定が見当たらないということは、「ある意味で当然」であ ると指摘する(152) 。  以上を踏まえ神橋氏(153) は、第一次厚木基地訴訟の周辺住民の受忍義務論が、 「従来から命令的行政行為について論ぜられ、そのぶん行政法を論ずる者の耳 になじんだ『義務』なる用語と同じ用語を用いることによって『公権力の行使 に当たる行為』なる要件を容易に突破しようとした」議論であり、「かように 法理論的に『義務』と性格づけられないものを『義務』となし、以て『公権力 の行使に当たる行為』か否かが論ぜられるとすれば、結果として行訴法 3 条の

(27)

解釈論を徒に混乱させかねない」と批判する。  かくして、第一次厚木基地訴訟の《周辺住民の受忍義務》論をめぐっては、 ①受忍義務の法的根拠が不明であること、②名宛人たる自衛隊員との関係では 「行政庁の処分」ではない行政主体内部の命令が、第三者たる周辺住民との関 係ではなぜ「行政庁の処分」になるのか不明であること、③周辺住民の受忍義 務と言ってもその「義務」の内容が不明であること、④民事訴訟が認められな いなら、それ以外のどのような訴訟が認められるのかが不明であることな ど(154) 、様々な問題が論じられてきた。 第四節 公共施設の供用をめぐる「裁判の受け皿」をどうするか  大阪国際空港訴訟・第一次厚木基地訴訟は、民事差止訴訟のほか、どのよう な訴訟が提起可能であるのかを明らかにしなかった。こうした最高裁の曖昧な 態度を受けて、学説では、公共施設の供用問題についての「裁判の受け皿」と して、どのような訴訟類型を選択すべきなのかめぐり、激しく議論が展開され ることになった。以下簡単にではあるが、議論の内容を振り返ってみたい。  ①民事訴訟(民事差止訴訟)説。この説は、両訴訟の法理――すなわち「公権 力の行使」概念を拡大的に解釈し、大臣の権限行使につきその該当性を認めた上で、 同行使に公定力ないし抗告訴訟の排他的管轄も拡大的に適用されると理解すること を通じて、民事差止訴訟を不適法へと導く議論――が、端的に《誤り》であると の前提認識に立つ。その上で最高裁としてこの誤りを正面から認め、両訴訟の 法理を《判例変更》し、そうすることで公共施設の供用問題に関しても民事差 止訴訟の提起を適法とすべきと結論付ける(155) 。  この説に対しては、最高裁に〈判例変更〉を迫るという現実的に考えて極め て困難な目標を設定することの是非はさて措くとしても、そもそも「公権力の 行使と私経済的作用とが複雑に混合している法律関係」(156) に関わる裁判の受け 皿を民事訴訟にゆだねてしまっても良いのかなど疑問もある(157)  ②権力的妨害排除訴訟(法定外抗告訴訟)説。この説は、現実的な解釈論と しては、両訴訟の法理は前提として受け入れざるをえないとの認識に立つ。そ

(28)

の上で、両訴訟が替わりの訴訟手段として曖昧な言及に留めた「行政訴訟」の 中でも、「公権力の行使」を争う《抗告訴訟》の類型の中に、裁判の受け皿を 模索しようとする。  もっともそうは言っても、抗告訴訟のうち、「法定」抗告訴訟――平成16年 行訴法改正前の段階では取消訴訟・無効等確認訴訟・不作為違法確認訴訟――を受 け皿として、公共施設の供用問題をめぐる適法性を争う困難さについても併せ て認識する(158) 。そこでこの説は、同問題をめぐる適法性を争うための受け皿 として、「権力的妨害排除訴訟」という新たな「法定外」抗告訴訟を《開発》 する(159) 。  伝統的に抗告訴訟を中心に、行政訴訟のあり方が考えられていたこと、また 一定の訴訟要件(一義的明白性・緊急性・補充性)が認められれば、例外的に法 定外抗告訴訟が提起しうるとされていること(160) を踏まえた説である(161) 。  しかし②説に関しては、両訴訟の根本的な問題点、包括的な「公権力の行 使」観を前提とはいえ受け入れることの是非はさて措くとしても(162) 、権力的 妨害排除訴訟も民事差止訴訟も実体審理のあり方はほとんど変わりないような ので(163) 、あえて民事訴訟ではなく抗告訴訟として争わせる必要性や合理性が どこまであるのかなど疑問もある(164) 。  ③当事者訴訟(実質的当事者訴訟)説。①説と同様、両訴訟の法理には反対 する学説である。もっとも①説とは異なり、公共施設の供用問題に関しては、 公法上の問題としての特殊性をも踏まえ、民事訴訟を通じてではなく、行政訴 訟を通じて争わせるべきとする。この点で②説と共通する。もっとも行政訴訟 と言っても、両訴訟の論理を受け止め「公権力の行使」要件を拡張解釈する② 説とは袂を分かち、そもそも「公権力の行使」要件が前提とならない行政訴 訟、すなわち実質的当事者訴訟を通じて争うべきとする(165) 。  先にも触れたが、伝統的な行政訴訟のありようは、取消訴訟をはじめとする 《抗告訴訟中心主義》であった。裏返せば、行訴法上抗告訴訟と並んで規定さ れている当事者訴訟なる訴訟類型は、実際的にはあまり顧みられる類型ではな かった(166) 。しかし③説はこのことを反省し、むしろ公共施設の供用問題をめ

(29)

ぐる適法性を争う受け皿として、当事者訴訟を活用すべきと主張するのであ る(167) 。  「実体公法の復権」(168) なるスローガンでもって、③説の議論射程を裁判の受 け皿問題から行政法総論の体系問題にまで突き進めて考察していくこと――ま たその結果として見方によっては戦前の「公法私法二元論」的な考え方へと立ち入っ ていくこと(169) ――の是非はさて措くとしても(170) 、当事者訴訟は制度上、民事 訴訟とほとんど変わらない体裁を採用していること(171) 、またそうであるがゆ えに、民事差止訴訟と実質的当事者訴訟との間でも――民事差止訴訟と権力的 妨害排除請求訴訟との間と同様にあるいはそれ以上に(172) ――実体審理手続の面で はほとんど代わり映えがないのであるから(173) 、あえて当事者訴訟という訴訟 類型を通じて争わせる必要性や合理性があるのかなど疑問もある(174) 。  以上三説のほかにも、平成16年行訴法改正前の時代において、公共施設の供 用問題の裁判の受け皿として、④差止訴訟(法定外抗告訴訟)説(175) や、⑤義務 付け訴訟説(法定外抗告訴訟)(176) も唱えられる向きもあった。しかしこの時代、 差止訴訟や義務付け訴訟は、「法定外抗告訴訟」とされていたのだから、それ に伴う非常に厳しい訴訟要件(一義的明白性・緊急性・補充性)に直面せねばな らず、どこまで現実的な救済手段と言えたのかは疑問もあった(177) 。  とはいえ時代が下がって、平成16年行訴法改正により、これら義務付け訴訟 や差止訴訟が「法定抗告訴訟」化されることとなった。これに伴い、④ ʼ 差止 訴訟(法定抗告訴訟)説(178) や、⑤ ʼ 義務付け訴訟(法定抗告訴訟)説(179) が、公共 施設の供用問題を争う裁判の受け皿の、現実的な選択肢として、本格的に議論 されるに至った(180) 。また同改正を通じて、(実質的)当事者訴訟の活用を促す 立法者意思が明確化されるに至ったこと(行訴法 4 条)も見過ごせない(181) 。そ れに伴い③説(182) の説得力も相当程度増したように思われる(183) 。  さらに学説では、法定抗告訴訟としての、義務付け訴訟であれ差止訴訟であ れ、その提起を適法とするとともに、民事差止訴訟の提起も適法とすべきとす る「併用説」も提唱されることとなった(184) 。類似の併用説は従来から唱えら れてきたところであるが(185) 、その進化形態とも言えようか。事実行為の遮断

参照

関連したドキュメント

 そこで,2016年 Green Paper は,LTIPs に係る改善方策として,その一 部に譲渡制限株式報酬 (restricted share) を利用すること,ストック・オ プションの行使期間を 3

こうした思考は︑処分の 職権取消 および4廃止 ︑ 負担の賦課既にもみられる︒すなわち︑博士によれば︑処分を

Hellwig は異なる見解を主張した。Hellwig によると、同条にいう「持参

問題例 問題 1 この行為は不正行為である。 問題 2 この行為を見つかったら、マスコミに告発すべき。 問題 3 この行為は不正行為である。 問題

砂質土に分類して表したものである 。粘性土、砂質土 とも両者の間にはよい相関があることが読みとれる。一 次式による回帰分析を行い,相関係数 R2

 処分の違法を主張したとしても、処分の効力あるいは法効果を争うことに

10) Wolff/ Bachof/ Stober/ Kluth, Verwaltungsrecht Bd.1, 13.Aufl., 2017, S.337ff... 法を知る」という格言で言い慣わされてきた

※ 硬化時 間につ いては 使用材 料によ って異 なるの で使用 材料の 特性を 十分熟 知する こと