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神器が織りなす政体――西部カリマンタンのダヤック人王権の事例から―― [An Indigenous Polity Centered around a Sacred Heirloom: A Case Study of the Ulu Ai’ in Western Kalimantan]

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Academic year: 2021

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神器が織りなす政体

―西部カリマンタンのダヤック人王権の事例から―

西 島   薫 *

An Indigenous Polity Centered around a Sacred Heirloom:

A Case Study of the Ulu Ai’ in Western Kalimantan

Nishijima Kaoru*

Abstract

The Bosi Koling Tongkat Raya’at, a sacred heirloom of the Ulu Ai’, a Dayak king in western Kalimantan, plays an essential role in shaping an indigenous polity. Previous studies on kingship in Southeast Asia tend to explain the institutional structures of kingships by identifying them with structures of kinship groups. However, many indigenous polities of Southeast Asia, including the Ulu Ai’, track their origins back to incestuous marriages of mythical primordial siblings, which clearly contradicts kinship norms. This paper examines the two predominant variations of the origin myths, both indicating that the office of the Ulu Ai’ cannot be understood in relation to kinship groups. Second, this paper shows that the polity of the Ulu Ai’ consists of face-to-face networks connecting the sacred heirloom and the people worshipping its paramount sacredness. This polity becomes tangible only when worshippers congregate at the house of the Ulu Ai’ for the heirloom purification ritual. This paper concludes that the polity of the Ulu Ai’ consists not of kinship groups but rather of dormant networks of the heirloom, Ulu Ai’, and the worshippers, which take the form of active polity only when the king conducts the ritual.

Keywords: Dayak kingship, indigenous polity, kinship, sacred heirloom, Kalimantan

キーワード:ダヤック人王権,在来政体,親族,神器,カリマンタン

* 京都大学学際融合教育研究推進センター 特定助教;The Center for the Promotion of Interdisciplinary, Education and Research, Kyoto University, Yoshida Honmachi, Sakyo-ku, Kyoto 606-8501, Japan

e-mail: [email protected] DOI: 10.20495/tak.57.2_109

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I はじめに

東南アジア島嶼部には,勲功祭祀や祖先祭祀を中心に形成される儀礼的共同体,平地部の広 大な水田耕作地帯に支えられた内陸部の王権あるいは交易活動を支配してきた港市国家などさ まざまな社会集団が勃興してきた。そして,これら在来の社会集団についての先行研究では家 社会(house society),起源(origin)と序列(precedence),外来王権論(stranger-kingship)な どさまざまな視点から研究がおこなわれてきた。しかし,これらの先行研究では,王国や首長 国のような政体と親族集団が区別されることなく語られてきた。本稿は,西部カリマンタンの ウルアイ王権の事例から,政体が親族集団とは区別されるべきであること,および王を媒介と した神器と人々の結びつきが政体を成り立たせていることを明らかにする。 東南アジア島嶼部の社会集団に関する先行研究では,政体と親族集団が同じ視点からとらえ られてきた。例えば,エリントンは家社会に焦点を当て,カリマンタン,ジャワ,そしてス ラウェシなど東南アジア島嶼中央部に広がる双方社会の組織原理について考察している [Errington 1989]。1)エリントンによれば,双方社会の統合原理は「家」における兄弟姉妹の再 統合である。東南アジア島嶼中央部の親族において近親婚は禁忌である。そのため,同じ「家」 に生まれた兄弟姉妹のどちらかはほかの「家」へ婚出しなければならない。ただし,同地域の 双方社会では,親族間の紐帯を維持するため第1イトコから第3イトコまでの近親婚が好まれ る。そのため,いちど離別した兄弟姉妹の関係は数世代のちに同じ「家」において再統合され る[ibid.: 254–256, 258–262]。エリントンは,同地域の双方社会において親族集団が内向的に 再統合される傾向を指摘している。ただし,エリントンの議論では,南スラウェシのルウ王国 の王宮からイバン人のロングハウスの世帯(ビレック)までが一貫して「家」として区別され ることなく論じられている。このことからも,エリントンの議論では,政体と親族が区別され ていないことが指摘できる。 1990年代にオーストラリア国立大学を中心に進められたオーストロネシア比較研究プロジェ クトでは,「起源」と「序列」の視点から社会集団の比較研究がおこなわれた[Fox 1995; 2006;

Fox and Sather 2006; Vischer 2009]。オーストロネシア語族の間では,先住者や土地の開祖など

の「起源」とされる人々は「根本・根幹」(再構築形:puqun)と呼ばれる[Fox 2006: 6]。そ

して,「根本・根幹」からの系譜的な遠近にもとづいて人々の関係が「序列」によって配列さ

れていることが指摘された[Fox 1995; 2006; Fox and Sather 2006; Vischer 2009]。同研究プロ

ジェクトでは,北西ボルネオのイバン人のロングハウス社会から西部ティモールのメト人の父 系氏族社会そして中部フローレスのシッカ人の王権までさまざまな社会集団が「起源」と「序

1) エリントンの王権論には本稿の論点とは別の観点からも多くの批判が寄せられていることを付言して

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列」の概念によって分析されており,政体と親族集団が区別されてこなかった[cf. Lewis 1988; 2006; 2010; MacWilliam 2009; Sather 2006]。 近年のサーリンズによる外来王権論においても政体は親族集団の延長としてとらえられてい る。オーストロネシア語族社会では,政体の起源を外来者の神話に求める事例がひろく存在す る。外来王神話は,海の彼方,天界あるいは異国から来訪した外来者が,土地の先住者の娘と 婚姻することで王国を創始する神話を典型としている[サーリンズ 1993; Sahlins 2008; 2012;

Graeber and Sahlins 2017]。サーリンズは外来者と先住者の関係は婚姻連帯における姻族と血族

の婚姻連帯を原型としており,外来王権は親族の延長線上に置かれている[Sahlins 2008: 196]。

外来王論に関しては次の項で詳述する。

本稿で取り上げるのは,西部カリマンタンのウルアイ王(Raja Ulu Ai’)と呼ばれるダヤック

人の王である。ウルアイ王は西カリマンタン州クタパン県ブヌアクリオ行政村スンクワン集落

に居住している(地図1参照)。ウルアイ王はボシ・コリン・トンカット・ラヤット(Bosi

Koling Tongkat Raya’at,字義;黄色い短剣・人々を支える柱)と呼ばれる神器を相続しており,

この神器の神聖性は,クタパン県南部からサンガウ県南部に暮らすダヤック人たちの間で信奉

されている。そして,神器の神聖性を信奉する人々の集合は九村十長(Desa Sembilan Domong

Sepuluh)と呼ばれる。また,ウルアイ王は,20世紀中頃までクタパン県の沿岸部に存続した マタン シンパンウル郡 0 50 100km プサグアン川 0 50 100km ポンティアナック市 ムリアウ郡 タヤンヒリール郡 スカダナ クタパン マタン王宮跡 パランカラヤ 中カリマンタン州 サンピット トバ郡 タンジュ ンプラ タナメラ クタパン県 ナンガタヤップ郡 クリオ 川 ビハ川 サンダイ郡 ウルスンガイ郡 スンクワン集落 サンガウ県 アイルウパス郡 ムンパワ県 スンガイインギン集落 道路 州境界 県境界 郡境界 河川 [地図1:西カリマンタン州地図] 0 500 1000km 地図1 西カリマンタン州地図 出所:筆者作成

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ムラユ人のマタン王国と対の王権として語られることもある。2)本稿II章で仔細に述べるが, マタン王国の起源神話では,マジャパヒト王国から漂流してきた王子が先住者の娘と婚姻した ことが語られる。 本稿は,ウルアイ王権の事例をつうじて,政体と親族集団は区別して考えられるべき社会集 団であることを明らかにする。とくに本事例では,神器とその信奉者たちの関係が政体を成り 立たせるうえで重要な役割を果たしており,政体と親族集団は一致しない。政体と親族集団の 不整合な関係を明らかにすることで,親族の規範の延長線上で政体をとらえてきた外来王権論 を批判的に検討することが可能になる。 西部カリマンタンはインドネシア共和国の行政単位における西カリマンタン州と一致する。3) 西カリマンタン州の面積は約14,700 km2であり,人口は約486万人である[BPS Kalimantan Barat 2017]。西部カリマンタンの沿岸部にはアラブ人,ブギス人,ジャワ人そしてムラユ人が 居住している。他方で,内陸部にはダヤック人たちが居住している。沿岸部のアラブ人,ブ ギス人やムラユ人がムスリムであるのに対して,ダヤック人のほとんどがキリスト教徒であ る。西部カリマンタンのダヤック人たちの間では,カトリックの信仰は宗教(agama)として, 神器への信仰を含む在来の信仰は慣習(adat)として明確に区別されており両者は併存して いる。 本稿の対象となる地域は,西カリマンタン州の中でもクタパン県とサンガウ県南部にあたる 南西カリマンタンである。また,クタパン地域で話されるマレー語やクリオ語は西部マラヨ・ ポリネシア語派に属しインドネシア共和国の公用語であるインドネシア語と語彙が大きく重な り合う。そのため,本稿ではクリオ地域で使われるクリオ語表現にのみ Kr. と付して区別する。 本稿のデータは,2014年9月から2016年3月までの19カ月間の長期調査および2017年8月 の1カ月間の短期調査で得られたデータを用いている。調査は,西カリマンタン州クタパン県 ウルスンガイ郡ブヌアクリオ行政村を拠点におこなった。また北はサンガウ県タヤンヒリール 郡から南はクタパン県アイルウパス郡までの範囲の集落およびマタン王宮のあるムリアクルタ 行政村を短期で訪問した。 2) マタン王国はかつてスカダナ王国として知られており,スカダナを拠点としていた。スカダナ王国は 16世紀頃に内陸のマタン,そして 18 世紀末にガヨン(現在のサンダイ付近)に遷都した[Ota 2010: 70, 78]。現地の伝承ではマタン王国はその後,タナメラ集落そしてタンジュンプラ集落に移動し,そ の後,19 世紀後半に現在のムリアクルタ集落に移動した。 3) 本稿では地理的範囲を指す場合には西部カリマンタンとして表記する。

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II 先行研究の問題点と本研究の位置づけ

II–1 外来王論における婚姻連帯

オーストロネシア語族の人々が暮らす地域では,外来者と土地の先住者の娘との婚姻に政体

の起源を求める外来王神話が数多く存在する[Fox 2008; Henley and Caldwell 2008]。この外来

王権は,外来者と先住者の二者間の婚姻関係によって成立しているとされており,親族組織を 原型とした社会集団とされている。外来王論は次のようにまとめることができる。 1. 王の起源は天界,海の彼方や異国からの外来者に求められる。外来者は権力闘争,王国 からの追放あるいは漂流などの理由により故地を離れ新しい土地にたどり着く。しか し,外来者はその土地のものでないため,土地の先住者たちにとって受け入れることの できない存在である。神話では外来者は食人や近親婚など先住者たちの社会規範を逸脱 した行為を犯した人物として語られる[Graeber 2017: 403; サーリンズ 1993: 107; Sahlins 2012: 138]。 2. 外来王と先住者の権威は相補的な状態で共存している。外来者は,先住者の首長の娘と 婚姻することで初めてその土地に取り込まれる。外来者は,先住者の首長の娘との婚姻 を通じて,先住者から支配の正当性を承認される。そして,外来者は土地に秩序と繁 栄をもたらす王として君臨することができる。他方,先住者は土地への儀礼的権威や 作物の豊凶と密接に結びついた人々である[サーリンズ 1993: 119; Sahlins 2012: 132, 137–138]。 3. 外来王と先住者の関係は相補的であるものの対立を内包している。先住者たちは,土地 への儀礼的支配や作物の豊凶をつかさどる儀礼的権威を持ち,その力によって外来者へ の優位性を主張する。他方で,外来王は社会から逸脱した攻撃的で超越的な力で土地 に秩序と繁栄をもたらすことで先住者への優位性を主張する[Sahlins 2008: 183–184; 2012: 137]。 4. 外来王と先住者の関係は,非対称的な婚姻連帯における姻族関係(affinal relationship) を原型(archetype)としている[Sahlins 2008: 184, 196]。外来王権と非対称的な婚姻連 帯には3つの共通点がある。第1に,ある姻族にとっての血族はその土地の先住者であ り,その血族にとって姻族は外部からやってきた外来者である。両者の関係は,外来王 権論における先住者と外来者の関係と同じである。第2に,婚姻によってある血族とそ の姻族は与妻者と受妻者の関係になり,両者の関係には優劣が生じる。与妻者と受妻者 は相互に補完しあう関係にある一方,両者の優劣は対立の要因となる。両者の相補的か つ対立的な関係は,外来王権論の先住者と外来者の関係と同じである。第3に,婚出し

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た女性の子供は母方の親族集団,つまり姻族から儀礼的あるいは物質的な庇護を受ける ことで血族に生命と繁栄ともたらす。この関係は,外来者が先住者に繁栄と秩序をもた らすことと同じである[ibid.: 196–197]。つまり,外来王権とは血族と姻族の関係を「原 型」(archetype)とする権力の外来性の典型である[ibid.: 196]。4) サーリンズの外来王論では,外来王権は外来者と先住者の婚姻連帯の延長線上にあるものと して語られている。非対称的な婚姻連帯では血族と姻族はそれぞれ与妻者と受妻者の関係にあ り,両者の間での婚姻が理想とされる。しかし,管見の限り,東南アジア島嶼部の外来王神話 において,外来者の親族集団と先住者の間で婚姻連帯のように与妻者集団と受妻者集団の関係 が結ばれた事例を見つけることはできない。そうであるならば,外来王権と婚姻連帯の類比は 成立せず,外来者と先住者の関係は婚姻連帯の延長線上にないことが指摘できる。 II–2 東南アジア島嶼部の兄弟姉妹に関する研究 本稿では,外来王権を再考するうえで兄弟姉妹の関係に着目する。東南アジア島嶼部からオ セアニアにかけてのオーストロネシア語族地域では兄弟姉妹の相補的な関係が社会集団間の関 係や儀礼において重要な役割を果たしている[Errington 1989: 214–215]。とくに本稿との関連 で重要なのは,兄弟姉妹の未分離な関係から,政体が親族とは不整合な関係にあることが指摘 されていることである。 オーストロネシア語族地域における兄弟姉妹の関係に着目した研究の嚆矢として,馬淵によ る一連の研究が挙げられる[馬淵 1974]。台湾,琉球そして東南アジア島嶼部からオセアニア にかけて,姉妹が兄弟の霊的な庇護者になり,兄弟が姉妹の世俗的な後援者になるという信仰 実践がある[cf.柳田他 1998; 伊波他 1974]。馬淵はこの兄弟姉妹の関係に着目し,他集団に婚 出した姉妹の親族とその兄弟の親族の関係において,姉妹(とその女系子孫)が兄弟(とその 男系子孫)に優位するオセアニア型,兄弟(とその男系子孫)が姉妹(とその女系子孫)に優 位するインドネシア型の2つのタイプを提起した[馬淵 1974: 149–152]。5)この分類で焦点が当 てられているのは,婚出することで分離した姉妹とその兄弟の優劣である。 他方で,婚出しなかった姉妹とその兄弟の未分離な関係がオーストロネシア語族社会におけ る政体の統合原理になっていることが指摘されている。杉島は,中部フローレスの未婚の女性 首長の事例から,兄弟姉妹の未分離な関係が政体を成立させる重要な要因となっており,政体 4) サーリンズは,非対称的な婚姻連帯における姻族のほかにも外来の財や首狩りの首級などの事例を列 挙しつつ,そもそも権力の外来性は生活の様々な側面にみられる普遍的現象であることを指摘してい る[Sahlins 2008: 187–188]。 5) インドネシア型とオセアニア型の分類で想定されているのは父系親族社会である[馬淵 1974: 147]。

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が親族組織の規範からは逸脱していることを指摘している[杉島 2017]。中部フローレスでは, 大首長の姉妹の中に未婚のまま婚出することのない女性首長がいる。一般的に,中部フローレ スの親族の規範では,婚出しなかった未婚の女性は否定的な存在とされる。また,未婚の女性 が自身の氏族の祖先祭祀に関わることも禁忌である。しかし,中部フローレスのリセ首長国で は大首長の姉妹に未婚のまま婚出することのない姉妹が存在し,その姉妹が各地の小首長たち が参集する農耕儀礼において政体の豊穣をつかさどる重要な役割を果たしている[同上書: 134]。杉島は,大首長と未婚の姉妹の未分離な関係は,親族の規範を逸脱している一方で,政 体の重要な統合原理になっていることを指摘している[同上書: 156]。同様に,杉島は中部フ ローレスの諸首長国には原初的な兄弟姉妹(以下,原初対)の未分離な関係が政体の起源とさ れる事例が数多くあり,さまざまなタイプの原初対が政体の起源となっていることを指摘して いる[同上書]。 本論との関係で重要なのは「婿入婚型」と呼ばれる,入り婿を迎えたために婚出しなかった 姉妹とその兄弟の原初対が政体の起源とされる事例である。「婿入婚型」は「分岐型」と「未 分型」の2つに分類できる[同上書: 148–149]。「分岐型」に分類されるリセデトゥ首長国では, 原初対の姉妹に入り婿した男性とその姉妹の兄弟が別々の氏族を形成している。先住者である 姉妹の兄弟を始祖とする氏族には「母父の首長」がおり,婿入した男性を始祖とする氏族には 「根本の首長」という首長がいる。「根本の首長」は原初対の姉妹に男が婿入りしたことで新し く氏族が分岐したため創始された地位であり,両者はもともとひとつのものが分化した関係に あった[同上書: 147]。他方,「婿入婚型」には,ブー首長国のように入り婿の男が妻方に吸収 され,入り婿と原初対が区別されず一体となっている「未分型」というサブ・タイプがある[同 上書: 141–143, 144–149]。「婿入婚型」の事例では,入り婿の側から原初対の側に婚資の支払が おこなわれていないため姉妹は婚出しておらず,兄弟姉妹の未分離な状態が保たれている[同 上書: 137–138, 146]。 本稿でも論じるように,西部カリマンタンのウルアイ王の起源も原初対や外来者が関わって おり,原初対に焦点を当てることで外来王論を再考することが可能である。さらに,本稿では ウルアイ王に関する神器祭祀の事例を通じて,儀礼においてのみ顕在する政体も親族集団とは 無関係に成立していることを明らかにする。本稿では,中部フローレスの事例との比較の視点 を適宜導入しつつ,ウルアイ王権の事例では政体が親族を基盤に成立しておらず,親族集団を 超えた範囲に影響力を及ぼしていることを論じる。

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III 南西カリマンタンにおける

2 つの王権

III–1 ウルアイ王とマタン王 中国大陸とジャワ島の交易路にのぞむ西部カリマンタンは,東南アジア島嶼部の中でも中国 との交易がさかんな地域のひとつだった。西部カリマンタンは,木材,ツバメの巣,グタ・ペ ルチャ(天然樹脂)や金などの天然資源の産出地である。交易品の集積地となる沿岸部や大河 川の結節点にはマタン王国,シンタン王国やポンティアナック王国など数多くの港市国家が勃 興してきた。これらの王国はムスリムのムラユ人王国である。他方で,内陸部にはダヤック人 たちがひろく居住している。 20世紀まで西部カリマンタンでは内陸部と沿岸部を結ぶ河川が交易の経路になってきた。南 西カリマンタンにはパワン川が北東から南西方向へ流れている。内陸部に暮らす人々が採集し た林産物がパワン川を経由して沿岸部で交易活動に従事する王族や商人と取引された。他方 で,米,織物そして陶器などの外来品が沿岸部の王族や商人を経由してダヤック人たちと取引 された[Dewall 1862: 46; Müller 1843: 92, 98; Ota 2010: 89–90]。マタン王族とダヤック人たちの 間には社会的地位に圧倒的な差があり,「スラ交易」とよばれるマタン王族たちによる一方的 な価格設定での取引が慣習化していた[Dewall 1862: 13–14; Müller 1843: 108]。 南西カリマンタンの交易路だったパワン川の川下と川上に「キョウダイ」関係にあるとされ る2つの王権が存在した。マタン王国の成立年代は不明であるが,西部カリマンタン最古の王 国であるスカダナ王国の系譜を引いている。かつてマタン王国の影響力は現在のムンパワや ランダックにまで及んでおり,西部カリマンタンでもっとも強力な王権だった[Müller 1843: 87; Ota 2010: 69–70]。19世紀後半に,オランダ植民地政府が西部カリマンタンへの影響力を強 めるようになると,マタン王国は沿岸部のムリアクルタ集落に遷都した。オランダ植民地政府 下で,マタン王国はマタン自治領(landschap Matan)として存続した。マタン王は自治領長と して王宮を率いていたが,日本軍政期に,謀反計画の容疑をかけられ射殺された[Borneo-Shinbun June 1, 1944]。その後,マタン王国は3人の王子が率いるマタン王国政府会議として 存続したものの,1959年の行政再編ともに解体された。6)現在でもマタン王宮の周囲にはウティ (Uti)やグスティ(Gusti)などのかつての貴族の称号を冠したマタン王族の末裔たちが居住し ている。 パワン川上流にはダヤック人の王であるウルアイ王が存続してきた。ウルアイ(Ulu Ai’)は 上流を意味する。ウルアイ王はパワン川支流のクリオ川流域にあるブヌアクリオ行政村スンク ワン集落に居住している。ダヤック人たちの中でも,クリオ川流域に住む人々はクリオ語を話 6) 行政再編とはクタパン自治区(Swapraja Ketapang)の解体のことである。

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すクリオ人と呼ばれる。クリオ人の人口に関して正確な統計はないものの,その数は5,000人

程度であると考えられる[BPS Ketapang 2017]。クリオ人たちはクリオ川上流のププ・タグ

ア・パビオ・タナ・タラ(Pupu Tagua Pabio Tana Tara; 以下,ププ・タグア)を起源の土地であ

るとする人々である。後述するように,マタン王族にとってもププ・タグアは起源の土地で ある。 ウルアイ王は政治経済的な影響力が皆無であり,オランダ植民地政府やインドネシア共和国 の行政機構に取り込まれることはなかった。7)そのため,ウルアイ王はオランダ植民地期から 現在までの体制転換の直接的な影響をこうむることなく今日まで存在している。また,管見の 限りウルアイ王に関する歴史資料は1862年までしか遡ることはできない[cf. Dewall 1862]。ウ ルアイ王の系譜についても様々な異説があり,最長の説では51代目であるとされる一方,最 短の説では7代目であるとされる。系譜の長短に関して異説があるのは次章で述べるウルアイ 王の2つの起源神話間の違いと関係している。 III–2 ダヤック人たちの先住性 西部カリマンタンにおける政体について考察する場合,どのような集団が先住者あるいは外 来者とされているかを明らかにする必要がある。西部カリマンタンには様々な民族集団が居住 しているものの,先住者と外来者は明確に区別して語られる。西部カリマンタン中でも最大の 民族集団はダヤック人とムラユ人である。ダヤック人とムラユ人たちはおよその居住地の地理

的分布が分かれている。沿岸部には,「海の人」(orang laut)あるいは「商人」(nyaga)とも呼

ばれてきたムスリムのムラユ人たちが暮らしている。他方で,内陸部には「陸の人」(orang

darat)と呼ばれるダヤック人たちが暮らしている。20世紀初頭から西部カリマンタンのダ

7) 本稿で後述するが,ウルアイ王の周囲には神器の管理を補佐する役職者がいるのみであり,王は人々

を強制的に動員することのできる組織を持っていない。また,東南アジア島嶼部における政治経済的 な影響力を持たない祭祀首長の事例としては,西部ティモールのインサナや中部ティモールのウェ ハーリの祭祀首長の事例が挙げられる[H. G. Schulte Nordholt 1971; Therik 2004]。これらティモール の政体の中心には,政治経済的に無力な祭祀首長が鎮座していた[H. G. Schulte Nordholt 1971: 200, 236, 238; Therik 2004: xvi, 65, 185]。祭祀首長は「食べて飲むだけ」あるいは「横になって食べ,横に なって飲む」だけの首長であり,「(妊娠した)大きな腹」とも呼ばれる男性であるものの「女性的」 な王だった[H. G. Schulte Nordholt 1971: 200, 202, 212; Therik 2004: 101, 135, 185, 223]。祭祀首長は 「臍」にも比定される領域の中心部に留まり,領域を儀礼的に「冷たい」状態に保ちつつ,土地の豊 饒をつかさどっていた[H. G. Schulte Nordholt 1971: 201–202, 236; Therik 2004: 212–213]。他方,政 治経済的な影響力を持つ「男性的」な首長たちが祭祀首長を取り巻き,祭祀首長を支えていた[H. G. Schulte Nordholt 1971: 209, 218, 236–237; Therik 2004: 63, 75–76, 83–84]。本稿で取り上げるウルアイ王 とティモールの祭祀首長に関しては,数多くの禁忌に取り囲まれている点,移動が制限されている点, 人々を強制することのできる組織を持ってない点,周囲に政治経済的な影響力を持つ王や首長がいる 点など共通点も多い。また本稿ではティモールの祭祀首長に関しては便宜的に「首長」と記述してい るが,祭祀首長を中心とした領域を政体あるいは親族組織のどちらの位相との関連でとらえるかに関 しては慎重な検討が必要であり,稿をあらためて検討したい。

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ヤック人たちは徐々にカトリックやプロテスタントに入信するようになった[Aritonang and Steenbrink 2008: 504]。 西部カリマンタンで先住者であるとされるのはダヤック人たちである。ダヤック人は複数の サブ・グループに分けられるものの,それらの間では特定のサブ・グループの先住性やそれに もとづく優位性が競われることはない。ダヤック人のサブ・グループはそれぞれ異なった起源 神話を持っている。一般的に,ダヤック人たちは河川流域に居住しており,各々が暮らしてい る河川の上流域に起源が求められる。クリオ人たちもクリオ川上流にあるププ・タグアを起源 の土地とみなしていた。パワン川に次ぐ河川であるプサグアン川流域に暮らすプサグアン人た ちも,プサグアン川上流を起源の土地であるとみなしている。他方,少数であるものの西部カ リマンタンのダヤック人たちの中にはカリマンタンの外に起源を求める人々がいる。例えば, サンガウ県南部のデサ人たちはジャワを起源の土地であると主張する。サンガウ県ムランガウ 集落のE氏の話では,デサ人の祖先はかつて10人の首長が率いる9つの集団(desa)に分かれ て西部カリマンタンの土地にたどり着き,カプアス河流域に移住した。8)デサ人たちは無主地 にたどり着いた先住者であり,周辺地域の人々から外来者であると言われることはない。つま り,その起源が外来であったとしても,土地に最初に住み着いた人々は先住者とされるのであ る。また,西部カリマンタンのダヤック人の親族組織は双方的であり外婚集団が存在しない。 そのため,さまざまな起源を主張する人々の間で婚姻関係が結ばれている。複雑に結ばれた通 婚関係が先住者としてのダヤック人の一体性を裏付けている。つまり,ダヤック人たちの間で は様々な起源を主張する集団がいるものの,それぞれの間で先住性が論争の対象になることは なく,ダヤック人の中で外来者であるとされる集団もいない。ダヤック人であればみなカリ マンタンの先住者(orang asli)であるとされる。9) 他方で,西部カリマンタンにおいて「外来者」(pendatang)であるとされるのはムラユ人た ちである。西部カリマンタンでは宗教と民族は相関関係にあり,ムラユ人であればムスリムで あるとみなされる。そのため,イスラームに改宗することは「ムラユ人になる」(masuk Melayu)ことであると語られる。歴史的には多くのダヤック人たちがイスラームに改宗するこ とでムラユ人に吸収されてきた。しかし,西部カリマンタンではイスラームに改宗したダヤッ ク人たちが,ダヤック人としての出自を認めることは稀である。イスラームが外来起源である ため,ムスリムであるムラユ人たちは外来者であると言われる。 8) 九村十長はデサ人たちの起源神話にも登場するものの,デサ人たちの起源神話はウルアイ王とは関係 がない。 9) 現在の西部カリマンタンでは,インドネシア語の orang asli は,民族主義との関係において,ダヤック 人たちの先住性を強調するさいに用いられる場合が多い。ただし,ダヤック人たちが書いた文字資料 が確認できるのは,一部のダヤック人エリートたちが台頭したオランダ植民地末期からであり,orang asliという表現がダヤック人たちの間でいつ頃から使われるようになったのかは不明である。

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西部カリマンタンでは,ダヤック人たちが先住者であるとされてきた一方で,ムラユ人たち は外来者とされてきた。ダヤック人たちが先住者とみなされてきた歴史を明確に遡ることはで きない。ただし,1820年代にオランダ植民地政府の役人Georg Müllerが南西カリマンタンを訪 れたときには,ムラユ人とダヤック人たちは居住地や生業,家屋などあらゆる点において明確 に異なった集団だった[cf. Müller 1843: 65, 75, 102–106]。

IV ウルアイ王の起源神話

IV–1 マタン王族側の起源神話 ウルアイ王の起源神話に関しては様々な異譚が語られるものの,いずれの神話も兄弟姉妹が 登場する原初対神話である。ウルアイ王の起源神話は,南西カリマンタンの広範な地域で語ら れるバージョンとクリオ地域で語られるバージョンの2つに分類できる。マタン王族の末裔や ダヤック人の集落では兄弟姉妹の近親婚から7人の姉妹が生まれる原初対神話が聞かれる。そ の一方で,クリオ地域では,ウルアイ王の始祖がクリオ人の義兄姉妹に婿入りしたことが語ら れ,マタン王とは独立した起源神話が語られる。本章では,いずれの起源神話も原初対神話の バリエーションであり,外来者と先住者の婚姻連帯とみなすことはできないことを論じる。 南西カリマンタンでもっとも広く知られている神話は,原初対から誕生した7人の姉妹が登 場する起源神話である。7人の姉妹が生まれた7節の竹はクタパン県の県章にも採用されてい る。ただし,同神話は細部にわたって様々な違いも存在する。次に記すマタン王国の起源神話 は,マタン王族の末裔が記した起源神話を要約したものである。 かつて天界にテルナ・ムニンとテルナ・ムナンがいた。テルナ・ムニンとテルナ・ム ナンから姉ダラ・ドンダンと弟ビジャン・ビンクンの双子の兄弟姉妹が生まれた。やがて 二人は結ばれてダラ・ドンダンは妊娠した。 妊娠したダラ・ドンダンは白い猿の肝を食べたいという欲求にかられた。そこで,ダ ラ・ドンダンは白い猿を狩ってくるようにビジャン・ビンクンに頼んだ。10)ビジャン・ 10) クタパン地域のダヤック人たちの間でも同様の神話が知られている。ビハ川流域出身の慣習長によれ ば,ある日,ビジャン・ビンクンとダラ・ドンダンは釜で炊いたご飯の取り分をめぐって喧嘩になっ た。ダラ・ドンダンはビジャン・ビンクンの頭を木の棒で殴った。怒ったビジャン・ビンクンは家を 出ていき,そのまま村に帰ることはなかった。大人になったビジャン・ビンクンが村へ戻ると美しい 女性を見つけた。その女性とはダラ・ドンダンだった。しかし,2 人は互いに兄弟姉妹であるとは気 づかず結ばれた。ある日,ダラ・ドンダンがビジャン・ビンクンの蚤取りをしていると頭に傷を発見 した。ダラ・ドンダンはその男が弟であることに気付いた。ダラ・ドンダンは,婚姻の条件としてビ ジャン・ビンクンに白い猿の肝を見つけてくるように言いつけた。中部フローレスにも同系統の神話 がある[杉島 2017: 140–141]。

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ビンクンは,白い猿を探しに森へ入り,ガジュマルの木の上に白い猿がいるのを見つける と,吹矢で射止めた。吹き矢に射られ死を悟った白い猿は,森中の動物たちを呼び寄せた。 白い猿は「私たちが従ってきた慣習(adat)を人間に返そう」と述べ,この世の慣習につ いて動物たちに語り息途絶えた。ビジャン・ビンクンは白い猿の肝を持ってダラ・ドン ダンのもとへ帰った。ビジャン・ビンクンはダラ・ドンダンに白い猿が死ぬときの様子を 語った。兄弟姉妹の婚姻が禁忌であることを知ったダラ・ドンダンは,生まれてくる子供 たちを捨ててしまおうと決意した。2人は生まれてきた7人の子供を7節の大きな竹に入 れて,クリオ川上流のププ・タグアに捨てた。ププ・タグアには,シアック・バフルン・ テドゥン・ルシ(以下シアック・バフルン)と呼ばれる首長がいた。 シアック・バフルンは,ある日,畑に7節の大きな竹が生えているのに気付いた。シアッ ク・バフルンが7節の竹を割るとそれぞれの節から7人の姉妹が出てきた。しかし,姉妹 が生まれてからというもののププ・タグアでは災厄が続いた。シアック・バフルンは村の 老人たちと相談し,夢見によって,末子ダヤン・ポトンが原因であることを知った。11) アック・バフルンは,ダヤン・ポトンを筏に乗せてクリオ川に捨てた。ダヤン・ポトンは パワン川下流まで流される途中で,魚についばまれたりワニに拾われ養育されたりしつつ も,美しい女性に成長していた。ダヤン・ポトンはランガ・スンタップという男に拾われ 育てられた。同じころ,ジャワのマジャパヒト王国の王子プラブ・ジャヤが南西カリマン タンへ漂着した。12)プラブ・ジャヤはパワン川で綺麗な女性の髪を見つけた。その髪の主 を探すため,プラブ・ジャヤはさらに上流へ行くとダヤン・ポトンを見つけた。2人は結 婚しマタン王国を創始した。その後,ダヤン・ポトンはププ・タグアに戻り,プラブ・ ジャヤがジャワから携えてきた世界を統べる神器ボシ・コリンを義父であるシアック・ バフルンに渡した。13)神器を手にしたシアック・バフルンはウルアイ王に即位した。[Uti Muchtadin 1980] ダヤン・ポトンがシアック・バフルンに神器を渡した部分はほかのバージョンの神話では語 られることはく,上記の神話ではマタン王の優越性が語られている。同神話のタイプ文書をウ ルアイ王に見せたことがあるが,ウルアイ王はしばらく文章を読んだ後,「(マタン王の)一人 勝ちだ」(menang sendiri)と一言述べて冊子を筆者に返した。 原初対の近親婚から7人の姉妹が生まれたことはどのバージョンでも共通して語られる。た 11) ダヤン・ポトンはジュンジュン・ブイと呼ばれることもあるが,本稿ではダヤン・ポトンで統一する。 12) ブラウィ・ジャヤやプラウィ・ジャヤなどとも呼ばれるが,本稿では現地で一般的なプラブ・ジャヤ で統一する。 13) 神話ではボシ・コリンは「これを握ったものは誰であれ世界の秩序を握るウルアイ王になる」と語ら れる[Uti Muchtadin 1980]。

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だし,シアック・バフルンからどの姉妹に神器が相続されたのかは諸説ある。また,シン パン・ウル地域では,双子の兄弟姉妹であるビジャン・ビンクンとダラ・ドンダンから7人の 兄弟姉妹が生まれ,神器とともに生まれた長子がウルアイ王の始祖となり,末子ダヤン・ポ トンがプラブ・ジャヤと婚姻しマタン王の始祖となった神話が知られている[Djuweng 1999]。 いずれにせよ,原初対から誕生した7人の(兄弟)姉妹がマタン王とウルアイ王の始祖とされ ている。 7人の(兄弟)姉妹が登場する原初対神話を外来王論のように,プラブ・ジャヤとダヤン・ ポトンの婚姻連帯と解釈することはできない。なぜなら,マジャパヒト王国の王族とダヤック 人たちの通婚が理想的な婚姻としては語られないためである。14)むしろ,ウルアイ王とマタン 王の事例は中部フローレスの「分岐型」の事例と大きく重なり合う。中部フローレスのリセデ トゥ首長国では,起源神話における入り婿と姉妹の末裔が,姉妹の兄弟の末裔たちと別のリ ニージを形成していた。同様に,7人の姉妹を起源とする神話でもプラブ・ジャヤが女性の姉 妹へ婿入りしたことをきっかけに,6人の姉妹とその末子(ダヤン・ポトン)が別々の集団を 形成したことが語られている。クリオ人たちはダヤン・ポトンについて「イスラームに入った」 と表現するが,このことも,6人の姉妹と末子が別々の集団になったことを示している。末子 と年長の姉妹たちが別集団に分かれたことは,ウルアイ王とマタン王の事例が中部フローレス の「分岐型」と類似していることを示唆している。 ただし,ダヤック人とマタン王族は2つの別々の政体を形成していたわけではない。この原 初対神話と関連する次の神話では,ダヤン・ポトンが6人の年長の姉妹たちにとっての土地の 主になった経緯について語られる。プラブ・ジャヤと婚姻したダヤン・ポトンはある日,プ プ・タグアに戻ってきた。義父シアック・バフルンはすでに他界しており,6人の姉妹たちも ダヤン・ポトンのことを覚えていなかった。ダヤン・ポトンは親の相続を6人の姉妹に求めた が拒否された。ダヤン・ポトンが相続を求め続けたところ,姉妹は囲炉裏の土(tanah dapur) を投げつけた。ダヤン・ポトンは,「これからは私が土地の主である。今後,収穫物を届けな

ければ,『稲は雑草になり,芋は石になる』(padi selalang, kelibang ka batu)」と6人の姉妹に言

いつけた。15)ダヤン・ポトンが6人の姉妹を呪詛したため,ダヤック人たちはマタン王まで貢 納を届けなければいけなくなった。16) ダヤック人たちがマタン王族に貢納を納めることは儀礼的な義務だった。現在でもクリオ地 域で5月におこなわれる収穫儀礼は,ダヤン・ポトンに収穫物を返納することを目的におこな 14) 神話ではダヤン・ポトンの娘がマジャパヒト王国のパンゲラン・マスという男と婚姻したことが語ら れている[Uti Muchtadin 1980]。 15) この呪詛の表現に関してはスマトラにも同様の表現がある[大林 1985: 140]。 16) ナンガタヤップ郡の I 氏は,インドネシア独立後にマタン王国が廃絶した後も,マタン王族の末裔が この呪詛を引き合いに出してダヤック人たちから収穫物を巻き上げていたことを語ってくれた。

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われる。収穫儀礼では,各世帯で収穫された米を樹皮の袋に入れた供物が土地の呪術師の家に 集められる。そして,慣習長が上げる祝詞では,ダヤン・ポトンへ収穫物を返納することが明 言される。17)もし返納を怠れば飢饉が訪れるとされており,スンクワン集落の元村長であるM 氏は「昔の人は本当にダヤン・ポトンの呪詛を恐れていた」と語っていた。かつて収穫儀礼後 に,慣習長たちが収穫物を貢納としてマタン王宮に運んでいた。ダヤック人たちはダヤン・ポ トンの末裔としてのマタン王族に貢納を納めていたのであり,外来の入り婿へ納めていたわけ ではなかった。18)そうであるならば,ダヤック人とマタン王族の関係を規定していたのは,外 来者と先住者の婚姻連帯ではなく同じ原初対から生まれた(兄弟)姉妹としての一体性である。 ウルアイ王とマタン王は原初対からの系譜を代表する子孫であり,両者の未分離な関係は政 体を統合する重要な要因だった。内陸部のダヤック人の老人たちやマタン王族の末裔の間で は,ダヤック人首長たちがマタン王宮に貢納を納めるために出かけていた時期に,ウルアイ王 もマタン王宮を訪れていたことが知られている。マタン王国政府会議の3人の王子の1人グス ティ・クンチャナの息子P氏によれば,ウルアイ王が到着するまではマタン王宮での儀礼を始 めることができなかった。そして,マタン王宮でおこなわれる儀礼ではウルアイ王とマタン王 は隣り合って座っていたという。また,オランダ植民地期の文献にも,ウルアイ王とマタン王 の特異な関係を裏書きする以下のような記録がある。 クリオ地区には王女[ダヤン・ポトン]の兄弟(broeder)からの系譜を引く有力な3世帯 の家族が存続しており,いかなる税金と労役からも自由だった。その家長はダヤック人た

ちからもムスリムからもバンサ・パティBansa Patiあるいはイラ・パティIra Patiの称号と

ともにウルアイ王と呼ばれていた。19)ほかのダヤック人首長はこの称号を冠してはならな かった。ウルアイ王は,マタン王に対して言葉遣いこそ従属的だったが,とるべき礼儀作 法をとることなく,王と対面していた。[Dewall 1862: 2]([ ]内は筆者による補足) オランダ植民地期に,ダヤック人たちはムラユ人王族たちの支配下で貢納や労役を課されて いた。ダヤック人たちとマタン王族たちの社会的地位の格差を考えるならば,ウルアイ王はマ タン王の年長系の王として定位していたと言えるだろう。 17) クリオ地域の慣習法を記録した文書(出所不明)では,土地の主(pemilik tanah)であるダヤン・ポトン に収穫物を返納することが明記されている。スンクワン集落の人々もダヤン・ポトンが土地の主であ ることを語る。 18) クタパン県南部地域では,ウルアイ王が来訪したことがないにもかかわらずウルアイ王の存在が広く 知られている。南部地域に暮らす人々によれば,かつて貢納をマタン王宮に運んでいた時期には村落 の首長が王宮に集まっていた。王宮から帰ってきた慣習長たちからの口承により村人たちにまでウル アイ王の存在が知られていたという。 19) クリオ地域の伝承ではバンサ・パティは 5 代前のウルアイ王である(図 1 参照)。

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ダヤック人首長たちによるマタン王への貢納の献上は,つまり,年長の姉妹による末子ダ ヤン・ポトンへの収穫物の返納だった。作物の豊凶を左右する貢納の献上とウルアイ王とマ タン王が関係していたことは,大首長の未婚の姉妹が土地の豊穣と結びついていた中部フロー レスのリセ首長国の事例と大きく重なり合う。両方の事例に共通するのは「兄弟姉妹」として の一体性である。マタン王とウルアイ王は,原初対からの系譜を引くマタン王族とダヤック人 たちを統合し,政体として成立させる装置として作用していた。 IV–2 クリオ人側の起源神話 ウルアイ王とマタン王が「キョウダイ」関係にあったことは南西カリマンタンではひろく認 められている。他方で,クリオ地域では原初対から誕生した姉妹を起源とする神話とは異なる バージョンの神話が聞かれる。クリオ地域の起源神話ではウルアイ王はマタン王からは独立し た王として語られる。クリオ地域ではウルアイ王の起源は次のように語られる。 「太陽の昇る土地」(クリオ地域の東)に「鍛冶師のスンクマン」がいた。スンクマンは, 7日7夜かけて短剣を作ろうとしたが失敗し続けた。怒ったスンクマンは失敗した短剣を 捨ててしまった。同じころ,バタン・コリン(兄)とドゥフン・キウン(弟)という2人 の兄弟がいた。スンクマンは,2人の兄弟に短剣を見つけた方が王になり,柄を見つけた 方が奴隷となると伝えた。 結局,兄バタン・コリンが剣を見つけウルアイ王になり弟ドゥフン・キウンが奴隷と なった。スンクマンは,バタン・コリンに神器に関わる儀礼と禁忌を教えた。バタン・コ リンはウルアイ王として即位した。その後,バタン・コリンは長きにわたってウルアイ王 として君臨したものの,バタン・コリンは病死した。奴隷だったドゥフン・キウンはバ タン・コリンが死んだ隙を見て,短剣を盗んで太陽の沈む方角に逃げた。ドゥフン・キ ウンは村々を渡り歩いたが,神器とドゥフン・キウンのもたらす禁忌をおそれた村人たち は受け入れを拒否した。やがてドゥフン・キウンはププ・タグアへたどり着いた。そこに はクンディンという慣習長がいた。ドゥフン・キウンはクンディンの妻の妹(adik ipar) と結婚した。その女性の名まえは知られていない。ドゥフン・キウンとクンディンはとも にププ・タグアを統治していた。やがて,ウルアイ王の影響力が大きくなると,クン ディンはドゥフン・キウンの神器を奪おうとした。危険を感じたドゥフン・キウンは下流 に移住した。[cf. Salib 1979] この神話も外来王神話とみなすことはできない。すでに述べたように,ダヤック人たちの間 では先住者や外来者の区別がない。そのため,先住者と外来者という外来王権論の前提となる

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二項対立が成立しておらず,ウルアイ王とクリオ人たちの関係は外来者と先住者と姻族関係で あるとは言えない。 クリオ地域の神話は,クリオ人の義兄弟姉妹にウルアイ王の始祖が婿入りした点で,「入り 婿婚型」との類似性が指摘できる。双方社会であるクリオ人たちの間では,明確に分離したリ ニージは形成されない。そのため,ウルアイ王はクリオ人たちと分離した親族集団を形成して いない。クリオ人たちは長大な系譜を記憶しているわけではなく,多くの人々の系譜的知識は 3代ほどで途絶える。また,禁婚範囲も第3従イトコ(Kr. sana’ inik)までであり,第4従イト コ(Kr. sana’ iyang)を超えれば他人であるとみなされ親族とは認識されない。ただし,集落の 人々はお互いに何らかの親族関係があると考えられており,系譜関係を明確に辿ることができ ない場合でも「同じ集落の親族(keluagra sekampung)」などと表現されることもある。ウルア イ王とその親族もクリオ人たちの婚姻規則に従っており,親族組織の観点からみると,ウルア イ王とその親族はクリオ人たちのなかに埋没している。 ただし,ウルアイ王と神器は完全にクリオ人たちに同化しているわけではない。ウルアイ王 と神器はその役職体系においてクリオ人たちとは明確に区別される。神器に関する役職にはウ

ルアイ王のほか,1人の副王(wakil raja)と2人の儀礼役(Kr. sutragi)がある。20)これら3

の役職者はスンクワン集落の人々の中から適任者が選ばれる。神器に関する儀礼では,この3

人の役職者が祝詞をあげ供物をささげることで儀礼をとりおこなう。また,この3人の役職者

がウルアイ王の代理として周辺の集落でおこなわれる儀礼に出席し,神器に関する儀礼をとり

おこなう。他方で,スンクワン集落では慣習長(domong)と偉大な戸長(lawang agung)が儀

礼的な役職者である。特に村人たちの土地や農耕と密接に関わる集落儀礼は慣習長を中心にと りおこなわれ,ウルアイ王が参加することはない。また,スンクワン集落の系譜を見ると,そ のときどきの村落の有力者が歴代の慣習長になっている一方,神器の保持者であるウルアイ王 の系譜だけが垂直に立ち上がっている(図1参照)。ウルアイ王の親族はクリオ人たちのなか に埋没しているものの,ウルアイ王と神器のみがクリオ人と同化することなく併存している。 ウルアイ王の起源に関しては2つの異なる神話が併存している。いずれの起源神話について も,政体は外来者と先住者の婚姻連帯として説明することはできない。原初対の近親婚を起源 とする神話では,マタン王とウルアイ王の不可分な関係が政体を統合する不可欠な要素だっ た。他方で,クリオ地域の神話では,神器を携え姉妹に入り婿したウルアイ王の始祖もクリオ 人たちもダヤック人であり先住者である。そして,そのウルアイ王とクリオ人たちは外来王論

20) 2人の儀礼役とは若儀礼役(Kr. sutragi muda)と老儀礼役(Kr. sutragi tuha)である。副王と儀礼役の

間には明確な役割分担があるわけではない。ただし,副王は来客の対応など儀礼以外の場面で,ウル アイ王の代理として振る舞うことが多い。他方で,儀礼役は主に儀礼を構成する規則の遂行と密接に 関わっている。

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で前提とされている相補的な関係を取り結ぶことなく,むしろ,両者は併存している。どちら の起源神話においても,ウルアイ王と神器の位相は親族規範によって位置付けることはでき ない。

V 政体を規定する神器

V–1 「世界」を支える柱としての神器 スラウェシやバリにおける政体では王とともに神器も政体の中核を構成していたことが指摘 されている[Andaya 1975: 120; Errington 1989: 126–129; Heine-Geldern 1956: 13–14; H. Schulte

Nordholt 1996: 152]。ただし,スラウェシやバリの事例では王を頂点とした親族集団も政体を支 える重要な要素であるとされる。他方で,西部カリマンタンのウルアイ王の事例では,神器の中 心性がより顕著であり,神器とウルアイ王が親族集団から分離していることが明確に示される。 ウルアイ王の儀礼的権威の根源は短剣のかたちをした神器にあるとされている。神器はウル アイ王の家屋の一室に置かれている木箱に納められており,木箱の上には「禁忌の皿」(Kr. pinggang pemali)とよばれる大皿が黄色い布にくるまれて置かれている。さらに,木箱の上に は天井から黄色い傘がつるされており,木箱の横には絶えることなく蝋燭の火が灯されてい る。神器祭祀の期間を除いては,ウルアイ王だけが神器の納められた部屋に入ることができる。 神器はその影響が及ぶとされる事象の範囲において,各地のダヤック人集落で信仰されてい る聖物とは根本的に異なる。多くのダヤック人集落では古木,巨石あるいは水源などが聖物と されており,それぞれの集落に暮らす人々の栄枯盛衰と関わっている。ただし,これらの聖物 図1 ウルアイ王の系譜図 出所:筆者作成

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と関連付けられる人々の健康や自然災害などの事象の範囲が一集落を超えて広がることはな い。例えば,スンクワン集落で最も重要な聖物である「聖なる水源」(pancur keramat)はスン クワン集落に暮らす人々の体調や災厄の原因として語られることはあっても,ほかの地域で起 きた事象の原因とされることはない。そのため,遠方の集落からスンクワン集落の聖物に加護 を祈るためにやってくるものはいない。他方で,神器は集落を超えた地域で起こる事象の原因 として語られる。例えば,筆者がスンクワン集落に滞在していた2014年11月,ウルアイ王の もとに2人の男性が神器に加護を求めにやってきた。男性たちによれば,スンクワン集落から 約100 km離れた彼らの集落でバッタが大量に発生し,稲を食い尽くしてしまった。そのため, 2人の男性たちは神器に加護を懇願するために訪れたという。ウルアイ王が不在だったため, 副王たちが翌朝,簡単な儀礼をおこない,男たちに供物を持って翌年の神器祭祀に参加するよ うに伝えた。 神器は,「人々を支える柱」あるいは「天空を支える柱」(tongkat langit)と呼ばれるように 「人々」や「天空」を根底から支えるものとして語られる。スンクワン集落の老人K氏は神器に ついて,1世紀ずつ世界(dunia)を支える柱(神器)はずれており,7世紀経つと柱が外れ「世 界」も消滅する。すでに2世紀が経っていると説明してくれた。「人々」,「天空」あるいは「世 界」を支える柱としての神器は,日々の生活の中では,天候の循環,人間の身体や耕作物の豊 凶との関係で語られる。21)とくに「太陽の昇る土地」から来たとされる神器は,やはり太陽の運 行と関連付けられる。例えば,スンクワン集落では多くの家屋が北から南に流れるクリオ川と 並行するように並んでおり,それぞれの家屋の戸口は東西のいずれかを向いている。他方で, ウルアイ王の家屋の戸口は南を向いており,「太陽の昇る方角」と「太陽の沈む方角」を左右 に据えている。神器に関する儀礼のときには,儀礼役や副王は「太陽の昇る方角」と「太陽の 沈む方角」を確認して,東西に一握りの米を振り撒くことで儀礼を始める。ナンガタヤップ郡 の男性は神器を納めた木箱のそばで灯されている蝋燭の火が消えれば「(日が消えて)世界 (dunia)が暗くなる」と述べていた。ウルスンガイ郡のY氏は,耕作物の豊凶,天候や太陽の運 行など自然現象と密接に結びつくウルアイ王を「世界の王」(raja alam)であると説明してくれた。 ウルアイ王の神器は,人々の間で耕作物の豊凶,災害あるいは天候など「世界」で起こる様々 な事象の原因とされている。「世界」とされる範囲と特定の親族集団の境界は無関係である。 そのため,神器への信仰は特定の地域や親族集団の境界を越えて広がりうる可能性を持って いる。 21) 2015年にはスンクワン集落でスンガイインギン集落の人々が集まる儀礼がおこなわれた。スンガイ インギン集落の女性が子宝に恵まれるよう神器に祈った結果,妊娠したために神器に返礼をおこなう 儀礼だった。

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V–2 神器の媒介者としてのウルアイ王 神器は「世界」を支える柱であるとされるものの,木箱の中に納められており誰も見ること はできない。そのため,神器そのものが人々を引きつけているわけではない。木箱に納められ た神器が人々を引きつける求心力を持つためには,神器と人々を媒介するものが必要である。 じっさいに神器と人々を結び付ける役割を担っているのは,神器の管理者であるウルアイ王で ある。

ウルアイ王は,日常的に「王」(Pak Raja, Datu’ Raja)と呼ばれているが,そのおもな役割は

神器にまつわる禁忌にしたがった生活を送ることで神器を儀礼的に適切な状態に保つことであ る。ウルアイ王が禁忌に従うことで,「世界」は正常に運行するとされる。スンクワン集落で はウルアイ王は神器の「世話」をする「管理者」(pemangku)であると言われる。「pemangku」 の語根である「pangku」は膝や懐を意味する。その動詞形「memangku」は母親が赤子を膝の 上に乗せる動作を指す[Wilkinson 1901: 463]。つまり,「pemangku」という表現は,ウルアイ 王が神器を膝の上に乗せて「世話」をする状態を含意しており,王は神器に付随するさまざま な規則とその生活を一体化させることで神器を管理している。 ウルアイ王の従うべき禁忌は,食事,移動,労働そして発言など日常生活のさまざまな領域 におよんでいる。例えば,ウルアイ王はほかの集落へ巡行するほかは,神器の傍を長期で離れ ることは禁忌である。ウルアイ王が神器の傍を離れるときには,その親族がウルアイ王の家屋 で寝泊まりし,神器の傍にいることが慣例だった。また,労働に関してもロタン,樹脂やゴム の栽培や採集はかたく禁じられている。これらの林産物の採集は,かつてからダヤック人の現 金収入の糧であり,経済的富の蓄積につながるあらゆる労働がウルアイ王の禁忌とされてきた と言える。22)そして,ウルアイ王が禁忌を犯せば,「世界」の運行を乱しているとして人々から の批判にさらされる。とくにクリオ地域ではウルアイ王が禁忌に従っているかは人々の関心事 である。スンクワン集落の元村長M氏は,ウルアイ王が従うべき禁忌を犯しているため,集 落の周辺で土砂崩れが起こり,天候が不順になり,集落で形の変わった家畜が産まれたと王を 批判していた。 他方,スンクワン集落から離れた地域で暮らす人々の間では,ウルアイ王がじっさいに禁忌 に従い神器を管理しているかが関心事になることはない。南西カリマンタンの内陸部一帯に神 器の信奉者たちが広く存在するのは,ウルアイ王が周辺地域を繰り返し巡行してきたためであ る。歴代のウルアイ王は従者を引き連れて現在のタヤンヒリール郡からクタパン県ナンガタ ヤップ郡までの間にある集落を訪問してきた。とくに1916年,オランダ植民地政府が現在の 22) ウルアイ王は宗教に入信してはいけないとも言われている。先代の頃まではウルアイ王はカトリック に入信していなかった。また,現在のウルアイ王は王に即位する前にカトリックに入信しているもの の,王に即位してからは集落の教会での礼拝には参加していない。

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サンダイ郡付近からカプアス河をつなぐ幹線道路を開通させたこともあり,3世代前のウルア イ王の頃からカプアス河流域まで陸路で巡行できるようになった。23)そして,マタン王国崩壊 後もウルアイ王は各集落への訪問を続けることで,内陸部に暮らすダヤック人たちの神器への 信仰を持続させてきた。 クリオ地域ではウルアイ王自身は神器の管理者であるとされる一方で,遠方地域ではウルア イ王自身も神聖視されてきた。先代のころまでウルアイ王が集落に向かっているとの知らせを 聞くと,村人たちは銅鑼を打ち盛大に王を迎え入れた。村人たちはウルアイ王の足を水で洗い その水を飲むとともに豊作を願ってその水を畑にまいた。この洗足儀礼はひろくおこなわれて おり,ウルスンガイ郡からタヤンヒリール郡までの広範な地域の老人たちが記憶している。か つてシンパン地域に暮らしていた老人は,ウルアイ王が村落に来ると「あらゆる安寧がもたら された」と述べていた。また,ウルアイ王の発する言葉にも神聖性が宿っているとされており, 王の舌には黒い斑点があったと語られる。24)ウルアイ王の発した言葉は現実に起こるとされて おり,王自身も人前で言葉を発することは少なかった。先々代のウルアイ王は,かつて訪問し た集落では従者を介して村人たちと話していたことが知られている。サンガウ県タヤンヒリー ル郡の慣習長は,「王は喋ることができないのではなく,喋りたがらなかった」と語っていた。 また同集落では,ウルアイ王が「世界が半分沈み,世界を洗う」と言ったため,じっさいにカ プアス河が氾濫したという伝承が残っている。25) ウルアイ王自身が神聖であるとみなされるのは,王が儀礼的にも物理的にも神器と密接な状 態に置かれているためである。ウルアイ王の神聖性は系譜的に継承されているわけではなく, 王の親族であっても神聖視されることはない。他方で,周辺地域の人々の間では神器を管理し ていることで,ウルアイ王にさまざまな身体的な変容があらわれることが語られる。ウルアイ 王であることの最も顕著な徴候は,王の片目が盲目であることである。26)ウルアイ王の片目が 盲目である原因は,王が欲求を抑えきれず神器を覗き見てしまったためであるとされている。 つまり,ウルアイ王であることの徴候も系譜的に継承されるわけではなく,神器を管理してい ることに起因している。27) また,神聖性と系譜は関係がないため,ウルアイ王の親族でなくても,神器の管理に携わる 人物は神聖視されることがある。例えば,副王であるT氏は,ウルアイ王の代理として他集落 でおこなわれた神器に加護を祈る儀礼に参加したさい,自分の吐いたビンロウジとキンマの葉 23) 幹線道路の開通に関しては Helliwell[2001: 28]に記述がある。 24) 北部スマトラのシンガ・マンガラジャの舌にも黒い斑点があったとされる[大林 1985: 125, 127]。 25) 現在でも人々の間ではウルアイ王が「雨が降る」と言えば,じっさいに雨が降ることが語られる。サン ガウ県トバ郡の慣習長は「ウルアイ王が来たら雨が降るから早く帰ってもらうのだ」と筆者に語って くれた。 26) 2代前のウルアイ王は片目が盲目であり,現在のウルアイ王も片目が斜視である。 27) また先代のウルアイ王は神器を納めた木箱を膝の上に置いたため,睾丸が肥大化したことが語られる。

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が混ざった唾液までも人々が薬として持っていくのだと語ってくれたことがある。T氏はウル アイ王とは親族関係にないものの,神器祭祀においてウルアイ王の代理として神器に供物を捧 げる役割を果たしており神器の管理に携わっている。つまり,ウルアイ王やそれを取り巻く 人々の神聖性は系譜的に継承されるのではなく,神器との近接性にもとづいていると言える。28) クリオ地域でも遠方の地域でも,災厄に見舞われれば人々はウルアイ王ではなく神器に加護 を祈る。この点で,この政体の中核にあるのは神器への信仰である。ただし,不可視の神器が 求心力を発揮するうえで,ウルアイ王が媒介者としての役割を果たしている。クリオ地域では ウルアイ王が神器を管理することで,神器は儀礼的に適切な状態に置かれ「世界」は正常に運 行するとされる。さらに,神器と近接したウルアイ王が周辺集落を巡行し村人たちへ儀礼をお こなうことで人々を神器に引きつけてきた。つまり,ウルアイ王は神器の管理者であると同時 に,神器と人々を結び付けてきた媒介者だったと言える。 V–3 神器祭祀と九村十長 神器の神聖性を支持する信奉者たちは耕作物の豊作,妊娠あるいは病気の治癒などを願うと き,ウルアイ王のもとを訪れるか各集落で儀礼をおこなうことで神器へ加護を祈る。そのため, 日々の生活の中で九村十長が集団として顕在することはない。ただし,ウルアイ王がおこなう 神器祭祀であるマルバ(Maruba)では神器を中心とした九村十長が顕在する。 マルバは,毎年6月25日にウルアイ王がおこなう神器祭祀である。南西カリマンタンでは 一般的に,米の収穫は2月から3月にかけておこなわれる。そして,5月になると集落の人々 が合同で収穫儀礼をおこない,農耕サイクルは終了する。つまり,マルバは翌耕作年度への移 行期におこなわれる神器祭祀である。そして,ウルアイ王はこの神器祭祀で神器の入った木箱 の蓋の隙間からヤシ油で神器を清め,その状態を確認することで翌耕作年度の天候を占うとと もに1年の災厄を洗い流す。 マルバには南西カリマンタン各地からダヤック人の慣習長や村人たちが参加する。その範囲 は,北はタヤンヒリール郡,南はアイルウパス郡にいたる。ただし,マルバの参加者の数やそ の地理的範囲は流動的である。その時々の神器とウルアイ王への信仰の盛衰によって参加する 人々の数や地理的範囲も大きく変化する。例えば,南のアイルウパス郡の集落は2001年の民 族紛争と政情不安の高まりの中,ウルアイ王に儀礼的加護を求めたことをきっかけにマルバに 参加するようになった。 以下の記述は,2015年におこなわれたマルバの進行過程である。マルバの儀礼の規模は大き 28) 神器に関する役職者である儀礼役は,クリオ地域ではなんらかの権威を持つとされることはない。た だし,クリオ地域から離れた地域では儀礼役は慣習的称号であるトゥモンゴンと呼ばれ,その地位は 格上げされる傾向にある。

参照

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