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[講演要旨] 寛政西津軽地震・津波による津軽西海岸地域の被害と地形変化

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Academic year: 2021

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(1)歴史地震 第 23 号(2008) 149 頁. [講演要旨]寛政西津軽地震・津波による津軽西海岸地域の被害と地形変化 弘前大学大学院 地域社会研究科 §1. はじめに 寛政西津軽地震は、寛政四年十二月二十八日 (1793 年 2 月 8 日)昼八ツ時(午後 2 時半)頃に発生し た地震で、主な被災地域は鰺ヶ沢・深浦を中心とする 津軽領西海岸の町や村である。 推定マグニチュードは 6.9 から 7.1、震源は大戸瀬 崎の約 13 ㎞沖合であり、推定震度は深浦・鰺ヶ沢で Ⅵ、弘前までがⅤ程度である。地震にともない、即刻 津波も発生したとされ、「弘前藩庁日記 御国日記」 (以下、「御国日記」)には、沿岸で家屋が潰れたり流 失したという記事も見える。. 白石睦弥. 状況が記されている。それほど大きい被害にも思わ れないが、弘前藩では、この地震を重大な危機として 認識しており、領内寺社で祈祷が行われた。この「国 家安全」祈祷は、近世期津軽領最大の地震とされる 明和三年(1766)の明和津軽大地震や、元禄飢饉・天 明大飢饉、寛政期の異国船来航などに際して執行さ れたものと同様である。同地震は対外危機や食糧危 機などの国家的危機と同等、もしくはそれに準ずるも のとして捉えられていたと考えられる。. §3.西海岸地域の地形変化 本地域の地形変化でこれまで知られているものとし て、千畳敷海岸の形成があげられるだろう。当時「荒 §2. 津軽領西岸の被害と弘前藩の対応 崎」と呼ばれた、緑色凝灰岩の海食台地は、寛政西 同地震に際し、城下での揺れも強かったようで、当 津軽地震に際して深浦で 20 ㎝、もっとも顕著であっ 日の「御国日記」にも「地震強シ」と記されている。し た大戸瀬で 350 ㎝隆起し、離水したと考えられている。 かし、弘前藩は地震発生の初期段階で西岸地域の 「津軽俗説後々拾遺 千八百解」にも「深浦街道干潟 被害を全く認識していなかった。これは、弘前城下と 西岸一円をつなぐ街道が地震のため通行不能となり、 になりて、今の街道者むかしの海中なりと云」と記され、 その景色は筆に尽くしがたいものであったようだ。隆 第一報が遅れたためである。それでも、十二月三十 起後の大戸瀬は山形岳仙の「合浦山水観」などにも 日に鰺ヶ沢町奉行、翌年正月朔日には深浦町奉行 描かれ、現在も景勝地として知られている。 からの報告が寄せられ、二月一日には全体の被災状 しかし、一方で文政 7 年(1824 年)の百川文平筆 況を把握し、江戸屋敷へ飛脚を立てた。 この地震にともなう余震はわりあい長く続いたようで、 「陸奥国津軽郡之図」によれば、同地震に際して海中 に沈んだ場所があるという。この絵図には、鰺ヶ沢付 正月十日に至り、弘前城内では、玄関前に仮御用所 近に「此処、辨天崎ト云、先年大地震、後、悉海中 を設置、そちらで政務を執り行った。「御国日記」にお 入」と記され、鰺ヶ沢の弁天崎という場所が、寛政西 そらく最後と思われる余震が記されるのは、寛政五年 津軽地震と推察される大地震の後に、全て海中へ没 (1793)正月二十四日のこと、「地震相止候」と記され、 してしまったとしている。 災害後の状況が一応の収束を見せるのは、同二月 寛文二年(1662 年)に成立した「陸奥国鰺ヶ沢之 二十日のことである。 図」には、浜町付近の海岸より突出した弁天崎と推定 同正月二十六日条には、鰺ヶ沢をはじめ高杉や木 される部分を見ることができる。しかし、同地震後描か 造の御蔵に入っていたもののほか、移動中の百姓が れた、元治元年(1864 年)の「東奥津軽山里海観図」 津波に見舞われるなどして 531 俵の駄下米が濡米と では弁天崎を確認できず、海中に幅 5 尺長さ 7 町の 1なったことが記録されている。これらの濡米は、放置 「長瀬」が存在すると記されている。 すれば朽米となってしまうため、藩庁では先の仮御用 これら 2 地点での地形変化について、詳細な検討 所で早速沙汰を下し、鰺ヶ沢・深浦・赤石組など被害 は今後の課題としたい。 の大きかった地域に手当としてほとんどが施与される こととなった。 主要参考史料・絵図 他にも内陸に入った沢目の村々では、山崩れも発 「弘前藩庁日記 御国日記」,弘前市立弘前図書館蔵津軽家 生し、追良瀬川では川が塞き止められてダム状のも 文書. のが形成され、のちに決壊し、洪水が発生するなど、 「津軽俗説後々拾遺 千八百解」,弘前市立弘前図書館蔵岩 多様な被災状況が発生した。なお、このような山崩れ 見文庫. によって川だけでなく田の用水堰も埋まるなどしたよう 「陸奥国津軽郡之図」,弘前市立弘前図書館蔵津軽家文書. で、藩庁では三月末に至り、人夫 12,000 人余りを動 「合浦山水観」,青森県立郷土館蔵. 「陸奥国鰺ヶ沢之図」函館市立中央図書館蔵,(「新編 弘前 員して、この普請工事にあたっている。 市史」編纂委員会編,1996,新編 弘前市史 資料編 2 近世 先述の「御国日記」同二月朔日条の被害一覧には 編 1 付図). 全体で死者が 12 人、「潰家」が 154 軒など、主な被害 「東奥津軽山里海観図」,青森県立郷土館蔵.. - 149 -.

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