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わいふ : 285号 (2000.9)

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(1)

平成9年t2月19日 第3種郵便物認可 2000年9月1日第285号(奇数月の旧)発行 {

特集◆美容と私

座談会●公園育児ってこんなもの

●私の男女共同参画体験記

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(2)

子とも

こ振り回されてはいませんか?

正しい子育ては、ラワな子育てです

     ニコー・マザ‘i>グシステム(NMS)を

      ぜひ試してみて(ださい。 ●NMSについて知ったころ、膿は4か目でまだおすわりもできない状態でし たが、私はすでに心身ともに疲れ切っていました。 「赤ちゃんが泣いたらとに か(だっこが六t刀1と思いこんでいたのです。今では寝かせるのも齋当につク で、自分からベッドに行こうとしますし、断乳も自然にできました。しかしい つも思うのは、あまやかさないで子供を可愛がるのはパワーがいるなというこ とです。ついついこちらも面倒になって、まあいいか、と六目に見てしまいそ うになるのには、気をつけようと思っています. (神奈川県 1・Aさん) ●テキストに、 「赤ちゃんは何でも知っている」とあり、屋初のころはrホン トかな一」と半値半疑でしたが、一歳五か目の匿t‡を観察していると、好き勝 手な行動をしているようでも、実は親の言葉を実によ(理解しているようなの です。彼t‡はいまではお片付けも上手ですし、眠(なると、 rバイバイ」とい って自分のふとんのなかにハって寝てしまいます。 (六阪府 M・Mさん) ●とういうことが子供をスポイルするか、懲惰的にはわかっていたのですが、 具伽的な日々の行動としては全(わかっていまぜんでした。でもアドバイザー の一吉一言は、実に説得力がありました。はっきりいってこのシステムは、私 には口うるさい親のような存在です。 (神奈川県 K・Kさん) ●私が変わったことというか、六切に思うようになったことは、 r反人をつ( ろう、外の世界に出て行こう、私が私らし(、幸ぜになる道をさがそう」と思 うようになったことである。毎回、同じアドバイザーの方が担当して(ださる ということも膿しかつた。 「困ったことがあっても六文宍」という心強さを磁 じた。 (宗良県 M・Yさん)

(3)

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(4)

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高額な美罫用痩聖二田サキ

おしやればやめられない!入江由里 三種の神器のサメ・馬・蚕鴨川典子 きれいになりたい 砂原富美子

たかが化粧、されど化粧清水司

私が化粧をしないわけ中野正美

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酒器

デザイン/宮塚真由美 題 字/石渡希和子 表紙イラスト/箕輪絵衣子 イラスト/荒井知恵 荒田ゆり子 梅村 苺 奥島干恵子 小沢恵子 力ステラネンコ 弘法堂建二 小林正子  佐藤瑞江子 Jasnime 田沼千恵 西宮さき 山田京子 114 113 110 109 108 104 103

94 90

母の病気  林直美

座談会 私も言いたい

公園育児ってこんなもの

柴尾恵子・高木飛鳥・山本洋子 おすすめの一冊  桜井淳子

かいま見た中国の家庭  潮繋千恵

ブック情報

私の意見・あなたの意見

後藤 晶

ワーキングライフ

和田美代子 おすすめの一冊  和田好子 コミック これが子供の生きる道⑰  栗田笑

(5)

29 30 40 51 52 60 70 81 82 嘲筆両断⑰  西田淑子

私の男女共同参画体験記

エッセイスト・クラブ

福島みさを・幾野真理子・加藤智恵子 青島典子・中村哲子 おすすめの■冊  野杢実希子 連載4

いのち、はるか■老墾護の日々1

フリートーク

高梨陽子・藤 広見・高松恭子・笠原静枝 斉藤きよみ・田中慶子・太田啓子 連載2

リラの花

笑える一・

大久保れい子

桜の花浅野素女

森 茉美 小林智枝 ズバリ=一一一口 花岡京子・広瀬サカエ・井上暁子・島 初美・柴尾恵子 118 125 140 142 144

子育てフォ⊥フム●NMSのページ●

隅田美幸・両角葉子・由美あき子

あなたヘスマッシュ

飯島まゆみ・匿名・麦穂・林 夏子・菊池喜恵子 末永真理子・山口遼子・後藤 晶・高宮みか 十文字圭子・井上暁子・森本満美子・岩崎八恵

私もひとこと

伊藤琴子・鴨川典子・海林寺ひろい 石井しのぶ・立山花恵・斉藤きよみ・奈桃有子 匿名・サト ウタ・草野ゆき・永田道子 コこ、ック

毎日が平日海砂

情報コーナー スタッフから 募集します 編集だより 文章講座のおすすめ i39 バックナンバー 自費出版はわいふへ−I169 お友達にわいふを

(6)

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一一一一一一一一一一一一t一一一一一 満開の花菖蒲を前に記念写真 1“...●・●●●.●D。・●。.●・.●●。■●●●●●●・騨・。■・■・。・●。・・●●■■・●●・。●■●●。・・●●●・●●・… @●。..・●●.・

観ました

梅襲襲黙茎慧

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 ﹁わいふ﹂編集部主催の拙義塾酉という のは、昔︵東哀編集部発足後の十数年、つま り今から十五年くらい前Vはかなり行われた ように記憶しています。  新宿の中村屋や随園、神楽坂のイタリア料 理屋ソリッソ、あちこちでご馳走を食べた覚 えがあります。  あのころは編集部も暇があったのか? い や忙しくはあっても、編集長や副編集長がま だ若くて、元気だったからか?  どちらとも言置ませんが、近年はやらない 年が増えてきました。  今回の後楽園では、何年前であったか、編 集部周辺の内々ばかり十人前後が集まってお

(7)

鑑ゴ ビルに囲まれた小石川後楽園は、都心のオアシス

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「今後もわいふをよろしく!] O

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趨∵∵聯、羅冨叛∴t、∵.勧謎蔦轟罪〉 出席者全員で乾杯! 一一一一e一一一一一一一一“一一一一一一一一一一e一一一一一一一一一一一一一一一e一一t一一一一一一一一一一一一 のお花見、これは半年前に申し込みをしない と席が取れないため、開花予想がはずれてし まうのです。そこで今年は趣同を変え、花期 の長い花葺浦をねらいました。  ねらいは当たって写真にあるとおり、ちょ うど満開でした。荏昌浦は梅雨どきの花です が、幸い短い晴れ間にも恵まれて、楽しいひ とときを過ごすことができたのです。  酒壷亭のお弁当で昼食会、ビール少々が入 ったところでお一人ずつ、自己紹介を兼ねて 近況を話していただきました。みなさん本当 にいろいろな活動をしていらっしゃり、﹁わ いふ﹂のム苔貝は元気印ぞろいであることがよ く分かりました。

(8)

難解羅熱田盤 一一一一一一一一t一一一一一一 庭園には中国の名所をミニチュア化して、﹁西 湖の堤﹂などと名付け、中国趣味溢れる異色の 景観を作っており、﹁円月橋﹂という石橋は朱 舜水の設計といわれています。

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(9)

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「今日初めての樋沢さんを誘ってきました」と八城安悪子さん (中央)。樋沢功子さん(右)と「わいふ」編集長田中喜美子(左) 魏磁

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麟翻麟鐸 「『わいふ』の講座への参加かきっかけ」と言う須藤範子さん (右)と「わいふ」副編集長和田好子(左) 1∴警 P議外

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(10)

老後は、年金が一・五倍に使える町に移住しよう一・ 安心の町30ヵ所を解説付で紹介。

円   主婦の投稿誌わい51編集部編       四 その町とは  交通機関が通っている、安くて豊富な食料が手 に入る、病院が複数ある、老人ホームがある、温暖な土地であ る 農園や園芸ができる、家賃が東京の50%以下、その上温泉 が近い⋮。この条件に合った30の自治体を選び、老後を年金だ けで豊かに暮らせる町を資料・解説付で紹介。気にいった町が あれば、すぐにも移住計画がたてられ定年後の人生設計を考え るガイドブ・ク。 http ://www. (価格は当別) ttO3−3813−8 }宅急便380円

会文切

戸審

新版日本流行歌史︵上中下︶

日本を知る事典

歴史の研究︵全3巻︶

定訳菊と刀−日本文化の型

自分にあった学校をえら席私立高校ガイド

〒101子代田区西神田2−4−6 eO3(5211)TIT5

教育史料出版会

★る教育内容は? 入学してからでは遅すぎる! 服装・頭髪規定は?生活指導の中身は? どんな行事があるのか? 力を入れてい         進学への取り組みは? 学校生活がこの一冊で見えてくる! 圃園胴凹わいみ編集部編4月末刊★20。o円+税 圃岡胴凹公立校も収録/5月末刊★20。o円+税

子ども捗なぜ★⋮一

渡辺位学校に行く6か

自分にあった★,、。,・.・

早川裕子高校のえらび方

●生徒・父母・教師が綴る私の重星余市物語 北星学園余市高校● 中退生を受け入れる北の学園!

(11)

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高額な美容費用に反発

横浜市緑区

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︵64歳︶

思春期終わりの頃

 思春期の頃私の顔は、ニキビのみで 出来あがっているようなひどいもの だった。顔の肌は常に油でどろどろし ていて、化粧をする年頃になっても、 それすら出来ないありさまだった。 ,昭和三十年私が十九歳の時、ある病 いで電気治療師に電気あんまをしても らう事になった。そして毎日三十分間 それを続ける事になった。金鎚みたい な器具でお腹や足の裏書を、こんこん こんとたたくのである。温かい器具な ので身体がほんわかして、とても気持 が良かった。  その治療を半年問続けたある日、ふ と気がついてみるといつの間にか病気 も直っていた。そして嬉しい事に、あ んなに頑固にはびこつていたニキビが 私の顔から姿を消していた。私はとび あがって喜んだ。常日頃﹁神様、私は 美人になりたいなんて、欲ばりな事は 申しません。せめて普通の肌、化粧の 出来る肌にして下さい﹂と祈ったもの だった。

ニキビが直っても

 二十代に入ってニキビの無くなった 私に、一抹の希望が芽生え、本気で肌 の手入れをするようになった。ニキビ のブツブツは無くなっても油でべとつ く肌はそのままである。ファンデー ションやパウダーできれいにメークし ても、一時間も経てば顔全体に油がに じみ出て化粧くずれして見られたもの ではない。毎日朝な夕なに洗顔して、 肌に磨きをかけたが油性はなかなか直 らなかった。

少し高価な

化粧品を使って

 そして四十代前半から少々高額な化 粧品を使い、また本格的な手入れをし てみた。洗顔、パック、マッサージと あらゆる事に気を使い、一生懸命努力

(13)

をしてみた。だがその成果は得られ ず、肌は依然としてあかぬけなかった。

お金をかけずに

楽しい手入法を教わる

 そして十年位過ぎた頃、近所の豆腐 屋さんにきれいな娘さんがいた。その 人は化粧は全くしてないが、肌がもの すごくきれいでとってもあかぬけた顔 をしていた。そこで思い切って普段ど んな手入れをしているか聞いてみた。 するとその人が仕事の手を休めて、自 分の手入れの方法を教えてくれた。 h私は、けちだから化粧品にお金をか けないですましている。先ず洗顔のあ と、ジョンソンベビーローションを顔 にぬり、熱いお湯につけたタオルをし ぼり、手早く顔に当てしばらくそのま まにして肌を蒸らし毛穴を開く。する と毛穴の中の汚れが外に出てしまう。 そこで手早く洗顔してヘチマ水をぱち ぱちとたたき込み肌をひきしめる。  さらにジョンソンベビーローション を乳液として使い、その上からマダム ジュジュクリームE︵大昔から使われ ていた︶をぬりこんで終り。そして メーク落としも、ジョンソンベビー ローションでふきとる﹂と言った。そ の方は毎日それを続けているという。 私は早速その安あがりの化粧品、つま りジョンソンベビーローション︵六百 円︶、ヘチマ水︵八百円︶、マダムジュ ジュクリームE︵六百円︶を買い求め 言われた通りにやってみた。

スチーム美顔術を

始める

 少し経った頃新聞の広告欄で、ス チームを顔に当てる美顔術のあるのを 知った。これはいいかも、蒸しタオル を顔に当てるよりもっと効果があるの ではないかと思い、早速その器具︵二 万円︶を取りよせ使い始めた。私には 一寸高価すぎるかなあとも思ったが、 何より化粧品にお金がかからないので、 これくらいはいいだろうと思った。  その器具は一寸深みのあるお皿のよ うな釜が付いていて、その釜に湯を沸 ●llll特集 美容と私 かしその上に顔がすっぽり入る大きさ の、かこいが付いている。その面に顔 を当てて湯気がたち始めてから十五分 間位顔にスチームを当てて毛穴の中の 汚れをとるのである。そして豆腐屋さ んに教えていただいた通りのスキンケ アをするようになった。これを週二回 ほど行なって二、三年も過ぎた頃には、 あの頑固な油性も大分少なくなってき た。化粧くずれも昔ほどではなくなっ た。磨けど磨けど、どす黒かった私の 肌も、少しはあかぬけたのではないか と心ひそかに思っている毎日であった。

さらに欲を出して失敗

 そうした中、私はさらに欲を出し、 この大きな毛穴のある私の顔を、きめ の細かい肌にしたくてある野心を持っ た。やはり新聞広告で見つけた﹁淡谷 のり子さんの使っているという美容 ローラー﹂を、今にも美肌になれるよ うな甘い宣伝文句につりこまれ、使っ てみようと思い早速注文して取りよせ

(14)

た。そして三カ月間毎日スチームをや めて、ローラーを顔にころがしてみた ︵毎日三十分間︶が、これは大きな失 敗だった。何の効果もない。  この間スチームを休、んでいたので、 ローラーを使う前より肌に吹出物が出 来て、かえってきたなくなった。宣伝 の甘い言葉に乗せられて、そんな物を 使う気になった自分の心のあさはかさ に、腹が立つ思いをした。

手ぬきしても

 そして押し入れにそ一つとしまって おいたスチーム器を取り出して、再び こつこつと休む事なく肌の手入れに専 念するようになった。そのスチームを 当てた後の自分の肌を両手でそ一つと なでてみると、実にしっとりしてとて も気持がよい。それに日頃の化粧のの りが、とっても良いのである。  昔美容師に聞いた事がある。﹁高級 な化粧品でも安い物と比べると中身は ほとんど変わらない。ただ違うのは香

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ρ 料だけだ﹂。そんな裏話を聞いてなる ほどと思った。私の身のまわりに、ポー ラ化粧品を使って一個一万円以上もす るクリーム等を買っている人がいる。  その人と一個六百円のクリームしか 使ってない私の肌とくらべてみると、 全く同じような皮膚をしているのに気 がついた。そして、むやみに高額な化 粧品を使わなくとも、自分の肌に合っ た手入れをしていれば、化粧くずれの しない肌を保つ事が出来ると分かって きた。

肌の手入れも

メークも安価で

そして基礎化粧もこんなに安価な物 で、手間ひまかけずに使用している。 こうして出来あがつた顔にメーキャッ プするその方も、今ではすこぶる簡単 で安あがりな方法で行なっている。先 ず洗顔してスキンケアしたあと、ファ ンデーションをぬり粉おしろいをたた きこみ、上まぶたの目のふちにグレー のアイシャド:をぬる。  上側だけの目のふちに、一本の糸ほ どの細い線で真っ黒のアイラインを描 くのである。  そして、眉毛の形を整える程度に眉 ずみをぬる。口紅を付けて終り。  四十代の頃美容師のすすめるままに 高い化粧品を買いこみ、肌の手入れを するのに幾通りもの物を使って毎日一 生懸命だった。今となってはまわりの 人から﹁顔の肌が若いね、何か特別の ことをやっているの?﹂と言われなが ら、ちょっぴり嬉しくなっている。こ こへくるのに、ずい分まわり道をし た。  もったいない事をしたと思う今日こ の頃である。

(15)

おしやればやめられない1

京都府乙訓郡

入江由里

︵32歳︶  私が美容に目覚めたのは二十八歳の 夏、久しぶりの海水浴でヒリヒリ痛く なるほど真っ赤に焼けてからだ。  二十歳過ぎまでこんな事は何回も あったが、結婚して初めて、しかも三 十前で、地黒になるのでは⋮⋮シミだ らけになるんじゃ⋮⋮η 不安という より恐怖で居ても立ってもいられなく なり、当時、新発売のホワイトニング ︵五千円︶を買った。それ以来、年 中、冬でもホワイトニングは欠かさな くなり他の製品にも興味を持ち出した のだ。  それまでの私は、洗顔、化粧水だけ でメイク落としも使ってなかった。独 身時代は夜中飲んだくれて帰り、その まま寝るのもしょっちゅう。それでも 肌がきれいと言われてんだから若いっ てすごいーー一  今の基礎化粧品を紹介すると、朝、 ①美容器具のスチームを当てながら洗 顔 ②雪肌精︵コーセー︶でホワイト ニング ③化粧水 ④フェースアップ

美容液⑤UVカット入乳液⑥目元

クリーム ⑦まゆ毛と口紅のみのメイ ク︵お出かけ時はファンデ、マスカラ もします︶。  ポイントはいつもファンデをつけ ず、UV乳液で紫外線カットする事、 せっかく毛穴をきれいにしたのにすぐ ファンデで汚くするなんて嫌です。 ゆっくりできる日曜日の朝は泥パック

●−特集美容と私

や毛穴パックもします。  ちなみに商品名が書いてあるのはお 気に入りだと思って下さい。  夜は、①DHCクレンジングオイル プラス +②洗顔は入浴中に、③雪肌精 ④化 粧水⑤フェースアップは朝と同じで すが、心持ちたっぷりめです、⑥DH Cオリーブオイルで保湿、⑦目元クリ ーム、または目元パック。ポイントは ⑥のオリーブオイルを髪や手にも使う 事、べとっかずサラサラになります。  こう書くと非常に面倒くさそうで やってられない、と思う人もいると思 うけど、テレビ見てゴロゴロしながら         ロ   コ       コ     なので、肌や心をいやしてくれる欠か せないリラックスタイムとなってい る。お手入れ最後にもう一本、などの コピーの美容液を使った事もあった が、基本+自分の気になってる部分ケ アをする、多すぎず少なすぎずの今の やり方が性に合ってるかもしれない。  他の体部分もケアしてます。手はも ちろん、ひざ、かかとにクリーム、お 風呂で塩もみしたり、冷水シャワーな

(16)

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箏識 ・鐘 ﹁剛購・ ど手頃なモノは試してみて、続くか続 かないかは自分が気持ちいいと感じる か感じないかです。効果があるかない か自分では分からないものだと思う し、ハッキリ言って目元クリームを欠 かさなくても目元のシワが深くなった し、クマも取れない。年齢より若く見 られる事もあまりないーー  これではダ メだと目元のパリを保つという美容器 具︵三万三千円︶を買ったばかりだ。 ダイエットのように体重が少しでも減 るとその効果を確かめられるが、これ だけは﹁十年後に差が出る﹂との言葉 を信じるしかない。でも差ってきちん とケアしてない人との差でしょ? こ のメーカーとあっちのメーカー使い続 けた人との差、五千円と千円を使い続 けた人との差なんてないのかな∼?  いかにも美容に無頓着な人に勝って も、うれしいわけがない。たくさんこ ういう人を見かけるが、内心、まだ若 いのにもつたいない、と思う。また反 対にきれいな肌の人を見ると見習おう と思う。美人やスタイルなどの外見 じゃなく、いつまでもきれいでいた い、いようと心がけている人が内面か ら素敵になっていくのでは?と思う。  それじゃ化粧品なんてどれも同じ?  これは永遠の疑問、先ほどの﹁十年 後に差が出る﹂と同じくらい未知の テーマだ。  でも私はこのテーマを逆に楽しんで いる。一本化粧水が終りかけの頃、次

(17)

は何を使おうか雑誌で情報収集し、真 剣に悩む。実はこの時が服のショッピ ングと同じ感覚でウキウキするのだ。 そして、初めて肌につける瞬間のワク ワク感、おニューの服に袖を通すウキ ウキ感と全く同じ。唯一、我慢ならな いのは、新製品が出て、﹁いやつ、よ さそうやんーー ﹂とすぐ飛びつきたいの に、現在、使用中の物がたっぷり残っ てる時だ。何度かそれを無視して買っ て置き場所には困るわ、古くなってボ ディスプレー用にしてもったいない事 をしたので、使い切ってから買うこと にしてるのだ。これは店頭で気に入っ た服を見つけたのに、もうすぐバーゲ ンや⋮⋮と我慢する事に似ている。そ して、お気に入りのアイテムに出会っ たうれしさは、何回着ても買ってよ

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’採㌔ かったと思う服と同じかナ? ﹁十年後の差﹂は近所の人と比べる低 レベルじゃなく、今の自分との差,シ ワの数や体重が変わらないのが理想。 そして今のように美を追い求める心を 保っていたい。  実は最近、自分の写真を見て、老け たと実感し妥協しかけたのだが、あき らめるのは早い、と思い直した。きっ とこれからも何度も自分の顔を見て、 ギョッロとする事があるだろう。で も、もうええわ、と逃げたらダメだ。 いつまでも若い時の自分と比べてため 息しないで、その時その顔を受け入れ て好きになれたらいいな。       り   む  それにしても、このマメさと情熱、 他の事にも注げたらいいのだが、料理 や裁縫なんててんでダメ。そして自分 でも不思議な事にメイクも全く興味な く、下手でマスカラやアイラインなん てひどいものだ。主婦代表美容ライ ターになりたいなんて思ってるのだ が、メイク商品にも詳しくないとダメ だろう。

(18)

三種の神器のサメ・馬・蚕

静岡県小笠郡

鴨川典子

︵46歳︶  整理整頓が格別下手なので、なるべ く物を持たないようにしているが、唯 一の例外は帽子。農作業用︵家はミカ ン農家︶のも含めると、なんと一ダー スを状況に合わせて、とっかえ、ひっ かえ被っている。色こそ臼、青、紺で 地味だが、素材も形も種々で、綿、 絹、フェルト、化繊に、サンバイザー 型、多機能型、雅子様型まである。  帽子好きというわけではなくて、た だひたすらUVケアのためだ。全く化 粧しない私は、直射日光に当たるのだ けは避けたいのだ。妹が職場で、姉は 外を一メートル歩く時でも、帽子を被 る人だと言ったら、 ﹁オゾンホールも拡大してるから、 オーストラリアでは帽子どころか、長 袖・長ズボン着用が国策ですってよし などと言った人から、﹁お姉さんて、 なんて大げさな人﹂と言った人まで、 賛否は半々だったとか。  まあ、なんと言われようと私は帽子 なしでは暮らせない。面倒だし蒸れる し、暑苦しい。髪もペチャンコにな り、視界も悪くなるので本当は被りた くはないのだが⋮⋮。  最近、サンケア関係の記事で、人は 二十歳までに一生分の三分の一以上の 紫外線を浴びると書いてあった。小さ い頃から外遊びが好きで、中学校時代 からずっとテニス部に所属していた私 など、きっとものすごい量を浴びてし まっているはずだ。ただでさえ加齢現 象顕著な肌に、これ以上の紫外線をの さばらせてはならじ⋮⋮。  それにしてもテニス時代通算六年、 元は色白であるはずの私がなんて色黒 だったことか。今でも忘れられない思 い出が幾つかある。  その①大学一年の夏、名古屋市に 試合に出かけたおり、銭湯に入った私 は鏡に写った自分の姿を見て驚いた。 なんと下着を着けたまま風呂場に入っ てしまった︵と思った︶。よほど疲れ ているんだなあと、恥ずかしさで飛び 出そうとしたとたん、気づいた。上下 の下着部分だけ、やや日焼けを免れて いたので、チラと見た目には着衣のま まのように見えたのだった。  その②同じく二年の時、夏の大会 に出場後、電車で乗り合わせた小さな 女の子が、私達を見て祖父らしい人に 尋ねた。﹁なんでこの人達、こんなに 黒い出してるの﹂。おじいさん、悠然 と答えていわく、 ﹁塩水を被って外にずっと立っていれ

(19)

ば、ああなる﹂  このラケットを見て下さいと、私達 は言い返したかったけれど、笑いをこ らえるのに一生懸命だった。今どきの ガングロ姉チャンにも勝てそうな黒さ だった。  その③大学一年の春休み明け、教 室に行ったら、ひとりの男子が私をま じまじ見つめて、 ﹁なんだ、君だったのか。あまり変 わってしまったんで、誰だかわからな かったよ﹂  春の紫外線が、よほど強かったらし い。世の中の人が色白な季節、休み中 コートにいた私は、部員皆まつ黒なの で、自分の黒さに気づかなかったの だ。  体育会系クラブで、週二回は午後半 日、日曜、祝日も大部分コートにい た。色黒の女の子を見たらテニス部 か、陸上部と思えば間違いないという のが、学内の定説だった。UVケアな んて言葉も知らない色気なしの学生 だったが、五月に教育実習を控えてい 護、

T特集 美容と量

ることもあり、四年の春休みに、つい に日焼け止めファンデーションを買っ た。ところが元来荒れ性の上、下地に 油性の物を塗るなんて芸当もできな かったので、肌が荒れてしまった。な ぜかファンデーションを塗った日に 限って、テニスの調子も悪い。黒い上 に荒れてしまった顔を鏡の中に見つめ ながら、スランプ状態の私は、自分の 肌に真剣に言い渡した。﹁申し訳ない が、あなたには手をかけてやれない。 自分で何とかしてちょうだい﹂。心の 隅で、以後肌に何か塗る︵化粧する︶ ことは、たぶんしないだろうという予 感がした。  卒業後も何年間かは、紫外線には無 頓着だった。子どもを外で遊ばせなが ら、平気で日向に座って本を読んでい たりした。  その後、近くの公民館のボランティ ア司書をした時、日本消費者連盟刊の 化粧品の害を書いたシリーズを読む機 会があった。  無精な私には都合のいいことが書か

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れていた。肌に塗る物は全て肌にとっ ては汚れであるから、何も塗るな。 フェイスブラシなんてもってのほか、 洗顔は自分の手の指がベスト、水道の 流水でOK。  それまでもメイク・アップ用品は持 っていなかったが、これらの本のおか げでますます化粧しない決意が固まっ た。それでも気の張る式典に出席する 機会に、必要に迫られて口紅と粉おし ろいをひとつずつ、合計四千円を買っ て、今まで五回ほど使ったが、その時 の写真を見ると、﹁わたしでないわた し﹂が写っている。いつもの素顔の方 がよほど﹁見られる﹂のはなぜだろう。  前述のように元来が乾性・荒れ性 で、名にし負う﹁遠州からっ風﹂の吹 く所に住んでいるので、冬場には少々 油分が要る。特にくちびるとその周囲 が荒れるので、スクワランオイルと聖 油をつけることもある。  そんな私の肌でも﹁きれい﹂、﹁素肌 美人﹂︵ホメ殺しか︶と言ってくれる 人もいるので、化粧品代ほとんどゼロ の私は、実にお安い女なのだ。

 さて髪。テニス時代、美容院で

﹁いったいどんな生活をしているの﹂ と聞かれたほど傷んでいた。紫外線で 傷み、アンツーカーのほこりで傷み、 枝毛もできて赤茶けていた。化粧品害 についての本を読んだ時、合成シャン プーが毛髪に与えるダメージについて も知った。そして一大決心をして石け んシャンプーに替えた。なぜ決心が必 要だったかと言うと、合成シャンプー で知らず知らずに傷んでいるので、石 けんに替えるとしばらくの間、髪がこ わっくこともあると書いてあったから だ。  心配したほどリバウンドもなく、毛 質も徐々に改善され、この頃の馬歯軍 団の中では、私の髪などは見事な﹁カ ラスの濡れ羽色﹂だ。市販のリンス代 わりに、﹁お湯洗面器一杯に、おちよ こ一杯の酢﹂。お安い女極まれり。だ が、この石けんシャンプー︵私のは太 陽油脂のバックス・ナチュロンシャン プー︶と酢のリンスのコンビはとても いい。抜け毛も減ったし細くてコシが なかった髪が、とても丈夫になった。  では、ここで再度、私の素肌対策を 列挙。

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2 一 陛 ●一特集 美容と私 ①何も塗らない ②直射日光に当たらない ③汚れたと思ったら、すぐ洗う  軽く八難以上有するお顔の持ち主で あるが、目指せ美肌! 目指せ美白!  ﹁富士山の見える所﹂に生まれ育っ て、定住しているという大ハンディな んて何のその。サメ︵スクワランオイ ル︶と、馬︵馬歯︶に助けられて、ひ たすら歩む四十路。おっと忘れてい た。洗い晒しの木綿がとても好きだ が、なぜかシルクも大好きで、タンス や引出しを開けると、あるわあるわ、 くつ下、ショーツ、スカーフ、タンク トップ、ブラウス、パンツにジャケッ ト⋮⋮。シルク一〇〇%のオンパレー ドだ。シルクにはUVカットの陸質が あると近頃知り、一石二鳥のラッキー 気分。  本当はお安くはない女であること を、自己発見してしまったが、犬・猿 ・キジならぬサメ・馬・蚕を引き連れ て、以後もこの直面︵ヒタメン︶路線 でいこうと、決意した次第である。

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きれいになりたい

熊本県八代郡

砂原富美子

︵43歳︶  私は姉妹の中でも一番色が黒い。四 人姉妹の一番下だから、﹁あんたはで がらしだね﹂と言われて育った。  でがらしとはお茶の残りのこと。お 茶の味も悪くなり段々色が濃くなり、 まずくなる。  長女は雪のような肌をして、次女も まあまあ色白で、三女は普通の恥い 肌。ところが私ときたら、色が黒い。  姉達が色白だから幼い頃よりコンプ レックスが強まる。これじゃ、みにく いアヒルの子の人間版だと思ったりし た。  それでも子供の時は、日焼けも気に せず、川や野原で遊んでいたが、さす がに高校生になると、悩みはじめた。  アルバイトで少額の金銭を手に入れ るようになると、さっそく化粧品を買 い始めた。  ファンデーションは高くて買えな かったので、その頃、TVで宣伝して いた﹁ロゼット洗顔パスタ﹂を使うこ とにした。白子さんと黒子さんが風呂 に入って顔を洗う場面が気に入った。 やがて黒子さんも、真っ白い肌に。  初めて使った時は独得のイオウの香 りに驚いたが、泡だちも良く、洗い流 すと肌がつるつるしてきた。  高校三年間は使い続けた記憶があ る。しかし宣伝のようには卜い肌には なれなかった。毎日二時間以上も太陽 に照らされ、通学や運動したりの日々 は、洗顔料の力だけでは、日焼けを防 げなかった。  大学生になってファンデーションを 使い始めると、一応人並みに臼い肌に 変身できた。  価格は高価でセットで集めると、す ぐ一万円札が飛んでいく。  基礎化粧品だけメーカー品にして、 表面をぬる分は、当時流行した百円化 粧品を利用することにした。  しかし中には肌がひりひりしたり、 ぶつぶつができたりと合わない商品も あった。  ニキビの年頃も重なり、思いきって 化粧品を使うのをやめて、友達のお母 さんからすすめられたアロエ石けんを 使い始めた。普通だと石けんで洗うと 顔がつっぱった感じがしたが、このア ロエ石けんだとつつばらず、肌がしっ とりしてくる感じがした。  アロエ石けんをしばらく続けている と、少しだが、色が賢くなったみたい だ。  社会人になると、化粧もうまくなつ

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て、地肌の黒さもカバーできるように なった。  ただ机に向かう事務職は運動不足を 招きやすく、朝食ぬきの毎日が原因な のか、私はガンコな便秘になり肌が荒 れた。  その時、ふと見た週刊誌で、いい物 を発見した。それが美容洗顔器、エレ ンスパックだ。  四万円は高い値段とは思わなかっ た。水をいっぱいに満たした透明な容 器は、下部のヒーターのある本体に よって温められ、小さな気泡を発生 し、ただじっと顔を水面に浸すだけ 9

T特集 美容と私

で、振動によって肌の奥の汚れを取っ てくれるという商品だ。  時間がくるまで息を止めているのは 大変だが、タイマーが止まり、水面に なにやら臼いゴミのようなものが浮い ていると、きれいになった気がしたも のだ。  私は朝夕顔を洗い、これで美人にな れるぞとおおいに期待した。  ところがある夕方のニュースで、私 は自分の耳を疑った。 ﹁美顔器という名のもとに発売された 商品はまったく効果のないものと判明 しました﹂  ニュースの画面に現われたのは、私 が買ったあの美容洗顔器にまちがいな い。  買ってから一カ月もしないうちに、 私の期待は水の泡になってしまった。  週刊誌にも話題となって、美容洗顔 器としては効果はないが、痔の治療に はいいかもという記事まであった。イ ラストには、洗顔器に、顔ではなくお 尻を浸している老人の姿が描いてあっ

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た。ああ、ショック!  しばらくすると、スーパーの日用雑 貨売場に、なんとあの美容洗顔器が、 五百円で売られてあった。  私は四万円で買ったのに、この三万 九千五百円の差はなんなのよ。すごく ソンした気分でしばらくは落ち込んだ 日々を過ごした。  一度でこりれば済むものを、その後 も歯のマニキュアや、脱毛処理器な ど、美容広告を見るとこれこそ求めて いた商品だと買ってしまうありさま。  効果のある商品はほんの一部。ほと んど途中であきらめたり、捨てたり、 押し入れに片づけたりと、ずいぶん無 意味な金を使った気がする。  外から手入れしても、効果があると は限らない。そう気づいた私は、食べ る美容食や、飲む美容飲料に替えるこ とにした。  現在私は、ビタミン剤を飲んでい る。  化粧品は、外出しない限り使わな い。家にいる時はノーメイク主義。便 曳.

節に気をつかいファイバー飲料も飲ん でいる。  野菜不足は血液の流れが悪くなる。 野菜類が不足気味かなあと思ったの で、青粒も通販で手に入れた。  化粧品を入れるドレッサーの中は私 の宝物が入っている。

 ビタミンA、B、C、E、その他健

康薬品もそろっているのである。  私がたどりついた美への追求は、体 の中から美しくという結論になった。  ただし、コラーゲンとローヤルゼ リーば高価なので、ただいまストック は空っぽです。

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たかが化粧、されど化粧

東京都大田区

清水 司

﹁そんなバカな⋮⋮﹂本屋の書棚から 何気なく抜き取った本を開いてみて愕 然とした。﹁読んではいけない。は まってしまったら大変な事になる﹂と 思いつつ、数日のうちに全巻読破して しまったのが、船瀬俊介著﹃あぶない 化粧品シリーズ﹄。  そもそも私が探していた本は、笑い 雛を目立たなくさせる化粧法の載って いるものだった。体を動かすけいこ事 を始めて、自然に十キロ以上痩せたの はいいけれど、本人はバリバリに元気 なのに、近所で﹁どこか病気?﹂と噂 されるのだ。頬がこけて見え、口元に は笑い雛にファンデーションがくっき りと線を作り、よけいに疲れた表情に 映ってしまう。その頃はやりの目もと クッキリシートを、口元に使っても何 の効果もなかった。  そしてもう一つ気になっていたのは 左頬のしみだった。最初はちょっと気 になるほくろのような点だったもの が、あっという間に米粒大まで拡がっ ていた。しみ隠しのスポットファン デーションのようなものも買った。 が、化粧はかえってそのしみを目立た せてしまう。そこへ持ってきて化粧品 被害の数々の事例。化学物質による累 積性皮膚炎のしみなのだとすぐに理解 した。即刻ノーメイクを決意する。  しかし、化粧を始めて二十年余、化 粧することがあたりまえ、素顔で人前 ●−llI特集 美容と私 に出るのは罪悪だとさえ思っていた。 化粧した顔を見慣れていると、素顔は とても疲れて見える。化粧を落とした ら絶対に買い物にも出なかった人間 が、ノーメイクで外出したらどうなる か。まず、会う人ごとに﹁どうした の?﹂と質問責めにあう。その度に ﹁え∼と、そのう⋮⋮﹂としどろもど ろ中途半端な言い訳をくり返す。まだ 質問される時はいいが、何も言われな い時は相手の視線が妙に顔に突きささ る感じがして、いてもたってもいられ ない気持ちになる。人前で素顔でいる ことが、あたかも全身を裸でさらされ ているような恥ずかしさなのだ。  化粧がこんなに女性の行動に影響を 及ぼすとは、思いもよらなかった。外 出しようと思っても、﹁ノーメイクで あんな所へ出掛けるなんて﹂と躊躇し てしまうのである。世間の一般的な常 識として、化粧は女性の最低限の身だ しなみだ。四十歳近い女が、近所の買 い物でもないのに素顔で電車に乗って いると、回りの人が皆軽蔑の眼差しで

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︵ 0 窮 見ているように感じる。でも、たしか に化粧品に含まれる化学物質の有害性 は理解できるから、ノーメイクは実践 したい。ジレンマ。ひきこもりがちに なる自分に決心が揺らぐ。  それでも化粧に手が伸びなかったの は左頬のしみのおかげだった。薄く なったのだ。まるで生き物のように少 しずつ形も変わっていく。 ﹁一年間ノーメイクでがんばろう。こ のしみがどうなるか、自分の顔で実験 だ﹂  決意さえ揺るがなければあとは慣れ である。隈のある目元も、色のない唇 も、これが素のままの自分と納得して 気にしない。純せっけんを使って洗 いっぱなしの顔は︵基礎化粧品がいち ばん皮膚に悪いということは、化粧品 被害の常識である︶、カサカサと粉が ふくように皮がむけ続け、四六時中 つっぱっていたし、リップクリームも 塗らない唇は、スーパーにいる時でも 構わず割れて流血する。でも、半年く らいがまんした頃、そんな症状もなく

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なった。最初、けげんな顔で見ていた 母も、肌の艶が良くなったとほめてく れた。  ただ、困ったことに洗いっぱなしの 顔に慣れてくると、鏡を見るのを忘れ てしまうようになった。うぶ毛のひげ が生えていても、眉毛が雑草のように ぼうぼうでも、あげくの果てに髪の毛 が逆立ちしていても気にせず外出する ようになってきた。気がつくとピアス すらしていない自分に、﹁なんか私、 女を捨ててるような気がする⋮⋮﹂と 深くため息をついたものだ。  あの本に出会ってから一年半が過ぎ た。今でもノーメイクを基本にした生 活は続いている。化粧する時間が削ら れて、朝はのんびりと好きな事ができ る。化粧品を買わないので家計にずい 分と余裕もできた︵考えてみると今ま で二十年余、いったいどのくらい化粧 品費としてお金を捨ててきたのだろ う? 気が遠くなりそうだ︶。気骨の しみは完全にはなくなっていない。け れど確実に少しずつ少しずつ薄くなっ ている。皮膚の奥深くに沈着したもの は二年くらいかかる、と書いてあった ので、もう少しかな、と期待しながら 鏡を覗くのも楽しみだ。紫外線防止の ため、ベランダに出る時も外出する時 も一年中帽子を被っているが、いろん な帽子がはやっているのであれこれ選 ぶ楽しみも増えた。夏は帽子と日傘の ダブルブロック。多少の日焼けによる しみは覚悟して、あえて日焼け止めク リームも使わない。  化粧する事については、当初ほどこ だわらなくなった。女としてより美し く見せたいと願うのは当然の事だし、 女の勝負時にお守りがわりに化粧で武 装するのも、必要だと思うからだ︵こ れはノーメイクを経験した上で改めて 深く理解できたように思う︶。老人 ホームのお年寄りが化粧をしたら元気 になったり、あざのある人がメイクで 人生が変わったり、舞台メイクに至っ ては必要不可欠なものだ。 “メイク アップ”には本当に多くの利点があ る。要は、化粧品の成分には皮膚に悪 ●Illl特集 美容と里 いものが必ずと言っていいほど含まれ ているということを、本人が認識した 上で使用することなのだと思う。化粧 品を使っている人の大部分は、成分と して表示されているものが人体に有害 だということも知らないで、毎日せっ せと顔にいろいろなものを塗りたくっ ている。化粧品業界の打つ宣伝に洗脳 され、化粧品を使うのがあたりまえと 考えてしまう。化粧品についての正し い知識を学んだ上で、素顔の美しさを 損わない生き方もできるということ を、一人でも多くの人が知ってくれれ ばいいと思う。  私だって、もっときれいでありたい という気持ちは常に持ち続けている。 和服を着る時、パーティに出席する 時、大切な友達に逢う時、夫とたま∼ に出掛ける時、ここぞとばかりにがん ばってメイクアップに励む。でも普段 の自分は、化粧でごまかさなくても胸 をはって生きていたい。心が満たされ て瞳が輝いていれば、それが一番美し い自分であると信じて。

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私が化粧をしないわけ

大阪府南河内郡

中野正美

たく生気がなく土色。唇の赤味もほとん どないゆお化粧をしたときの顔とのあま りの違いにショックを受けてしまった。  そのとき、私はやっぱりいつどんな ときでも、同じ顔でいたいなあと強く 思った。これが化粧をしなくなった最 初のきっかけである。

化粧品との出会い

 高校三年生の時、ある化粧品会社主 催の美容講習会があった。 一応希望者 対象ということだったと思うが、私も 参加したところをみると、その頃は まったく化粧に興味がなかったわけで もなさそうだ。そのときサンプルでも らったのが、私が手にした最初の化粧 品である。その中にきれいな色のマニ キュアが入っていたので塗ってみた。 しばらくすると、はげて汚なくなって きたが、どのようにして取ればいいの かわからない。友人に尋ねて、除光液 というものがあるのをはじめて知っ た。化粧品についての知識もその程度 のものであった。

化粧をやめたきっかけ

 高校を卒業してからは、そんな私も 時々口紅を塗ったり、アイシャドーを つけてみたりと、まったくノーメイク ではなかったが、ある時、私が化粧をや めるきっかけになる出来ごとがあった。  私の友人の一さんは、いわゆる化粧 ばえのする顔立ちで、とても美しい人 だった。その人と旅行に行ったことが あったのだが、夜お風呂に入ったあと のお化粧を取った素顔を見て驚いた。 眉毛は半分以上ない。皮膚の色はまつ

なぜ女性だけが化粧?・

 ところで、学生時代の女性に化粧を しなさいと言う人はあまりいない。若 い美しい肌にわざわざ化粧する必要は ない。自然のままが一番いいとか言わ れる。ところが働くようになると、肌 の状態はそんなに急に変化するわけで はないのに、言われることは百八十度 変わってしまう。化粧は女性のたしな みとか、素顔のままではまわりの人に 失礼であるとか、色々理由をつけられ て、今度は化粧することを強制される のである。  幸い私の勤め先は学校で、あまりう るさく言われることもなかったが、他

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の職場だったら、居心地の悪い思いを したかもしれない。  だいたい女性は人に素顔を見せるの は失礼だなんて、なんと失礼なと私は 怒りを覚える。男性も化粧しなければ いけないと言われているのなら、まだ

少しは許せるかもしれないけれど⋮⋮。 なぜ女性だけが言われるのだろうか。  こういうまわりの風潮に気付いたと き、私は絶対に化粧はしないでおこう と思った。私が化粧をしない第二の理 由は抵抗である。  ゴ  舞

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T特集 美容と私

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ノーメイクの利点

 ノーメイクは何よりも快適である。 夏は涼しい。汗をかいてもすぐ顔を洗 える。時間がかからない。お金もかか らない。そして肌のためにも一番いい ように思う。  化学物質の固まりのような化粧品を 塗ることは、皮膚呼吸も妨げられ、い かにも体に悪そうな気がする。  実はノーメイクというだけではな く、いわゆる基礎化粧品といわれるも のも私は一切使っていない。以前は何 度か使ったことがあるのだが、いつも 使って一週間ぐらいすると、肌が黒ず んでくるような気がするのだ。そうい うことが何度かあり、とうとう使わな くなってしまった。  唯一の手入れ︵と言えるかは疑問だ が︶はお風呂に入ったときに、ベビー 石けんで顔を洗うことである。もちろ んそのあとは何もつけない。  それと、ここ数年気をつけているの

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  、 ジ     ・諸 が紫外線である。夏には日傘をさすよ うになり、海やスキー場では日焼け止 めを塗るようになった。おなかなど日 の当たらない部分の皮膚がとてもきれ いなことから考えても、紫外線は皮膚 にとってかなり与そうである。紫外線 対策はもっと若いころからしておけば よかったと少し後悔している。  このように何もしていない私の肌 は、まつ黒でしみやしわだらけかとい うとそうでもない。それどころか時に は年齢の割には肌がきれいだと、褒め られることもあるくらいだ。基礎化粧 品で手入れすることが本当に肌のため にいいのか、疑問に思っている。

自分で納得できる

美しさを求めて

 私は四十六歳である。化粧をしなく ても美しい年齢はもうとつくの昔に過 ぎてしまった。時には化粧をしたら、 もう少しましに見えたり少しは若く見 えるかな。いつまでも意地を張ってい ないで、してみたらと思ったりするこ ともあるが、結局はやめておこうとい うことになる。  ただ化粧をしていないから、身なり もかまわない人とは思われたくない。 化粧しないからこそ、おしゃれな人に なろうと心がけている。  まず、服はバーゲンなどを利用し て、できるだけ質のよいものを購入す る。自分に似合う色を研究し、体型を カバーできるデザインを選ぶ。朝、服 を着たら必ず大きな鏡に全身を写し、 前や横、時には後ろ姿もチェックす る。なるべくいい姿勢で颯爽と歩く。 以上のようなことに気をつけている。  できるだけ自然のままの姿を大切に し、納得のできるおしゃれをし、自分 らしい美しさを求めていきたいなあと 思っている。      ︵え・田沼千恵︶

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森㈱初婿齢大翻⑰

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これは

入閥猴補

総理尤臣

大蔵大臣

靖務穴臣

外務穴臣

文墨門島

厘垂大臣

農水大臣

通産夫臣

遅輸犬臣

郵政夫距

労働大臣

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私の男女共同参画体験記

森 茉美

 四月、毎日少しずつ暖かさを増し、 新しいことが始まる季節にこの話も始 まる。 ﹁H市の生涯学習課のYと申します が、今回、男女共同参画社会づくりの 推進委員をお願いしたいと思いまし て﹂という電話が、この話の発端だ。  女性団体には所属していないし、市 の行政とは何の接点も持たなかったか ら、﹁何で私?﹂というのが素直な気 持ちだった。  そのころの私は、県で主催する生涯 学習講座を修了し、そこで出会った先 生のカウンセリングの研究会に入った ばかりで、これに夢中で他のことを考 えるゆとりはなかった。確かに修了講 座の中には、女性学やジェンダーにつ いての講座もあったけど、できれば、 向き合いたくはないという気持ちの方 が強かったから、推進委員なんてとん でもないと思った。 ﹁お声を掛けて頂いて大変ありがたい と思いますが、この件に関して、あま り問題意識をもっておりませんので、 お役に立てないと思います﹂ と答えた。 ﹁森さんは生涯学習講座を修了されて ますよね﹂と、言われて思い出した。 講座修了者名簿が、市町村へ人材リス トとして配付されていたのだ。このリ ストは有名無実でほとんど役に立たな いという評判だったから、すっかり失 念していた。ふ一ん、役に立つことも あるのね、などと思っていると、 ﹁これは、市民の皆さんのご意見を伺 うというのが目的で、是非、引き受け

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て頂きたいのです。五回、夜の会合に 出席して頂けば結構ですので﹂ と敵もしぶとい。  このとき、ちょっと違和感を覚えた のだが、それが何であるのか分からな かった。  今思えばもっと認識するべきだった のだが、﹁まあ、五回ならいいか。役 所に顔をつなげておけば、なんかいい ことあるかもしれない﹂と思ってし まった。  我ながら浅ましいと思う。これから の体験はこんな私への戒めだったの か。けれども一方ではカウンセリング の場面で、女性であることに起因した 悩みにも気付いた頃だったから、いい 機会なのかも知れないと思ったことも 事実だ︵言い訳みたいだけど︶。  ともかく、﹁そういうことでした ら、やらせていただきます﹂と、電話 を切ったものの、焦った。男女の不平 等やジェンダーについて私にはいい加 減な認識しかなかったから、会合に 行って、ひとり的外れな意見なんか

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●llllI私の男女共同参画体験記 言っちゃって、﹁あなた、論点がずれ てない?﹂な一んで言われないように 勉強しなくちゃ。  慌てて図書館に行き、関係する本を 借りて読んだ。ほかの委員の迷惑にな らないように、せめて話についていけ るように出来るだけの努力をしょうと 思った。  Y市で共同参画の情報紙の編集をし ているMさんや、女性学の勉強をして いたFさん、Sさんに話を聞いてもら い、自分なりに問題点を整理した。行 政の側からは、高齢社会での労働力の 確保、少子化の歯止めへの期待がある ということ。女性の側からは、区別は 差別であり何より人権問題だというこ とを確認した。個人的には、今女性が 抱えている多くの心の問題に関わって いるのではないかと強く感じた。  こうして一カ月後、最初の会合の日 はやってきた。  人数は十五人、男性七人、女性八 人。内訳は、自営業者、保育関係者、

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教師、女性団体の方等、何の団体にも 属さない専業主婦の私はちょっと異質 な存在だったと思う。自己紹介のあと 委員長︵男性︶、副委員長︵女性︶を 決めた。担当職員から、この会の主旨 説明、今なぜ男女共同参画なのかとい う話があった。さらに県のモデルケー スとして行われる政策の一部であっ て、これは当市がこの件について、進 歩的で前向きなのだ、と説明を受け た。その時、委員長が、﹁質問がある んですけど、ジェンダーってなんです か?﹂と発言。私は、??何ぞれ? ジェンダー知らなくて委員長なんか やっていいわけ?と思った。更に驚い たのは、担当職員が即答できずに、資 料をバサバサとさせてやっと、﹁生物 学的な性に対して、社会的文化的に作 られた性のことです﹂と答えたこと。 こんな基本の基本くらいすぐに答えて よと思っているうち、ある男性委員が 口を開いた。 ﹁ジェンダーが日本語に訳されていな いということからも分かるように、こ ういうのは日本の風土に合わない。私 は、色々世界にも目を向けているが、 イスラム社会のように女性に参政権が なくてもうまくやっている国もあるの だから、日本の伝統の良さを守ってい くというのも大切なことではないか﹂  彼が話しているうちから私は顔が熱 くなり、手が震えた。聞きたくなかっ た。感情的に怒りを感じたが、その時 はまだ余裕があった。的外れな彼を哀 れにさえ思った。誰かが反論してくれ るはずだと思ったから。  けれども、年配の男性が﹁そうだよ なあ、男女それぞれ、特性ってある し、何でも平等がいいっていうもので もないなあ﹂  さらに中年男性が﹁うちなんか、僕 は家事を手伝いませんけど、手を出し

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たら却って迷惑がられると思います よ﹂  ⋮⋮誰も反論しない。私はパニック を起こしていた。こういう人達と議論 したくない。でも卑しい、どうしょ う、どきどきしながら考えていると、 職員の方が、﹁そういう意見に対する ものとしては⋮⋮﹂と教科書的ながら もこの問題の意義を話し出し少しほっ としたものの、﹁まあそんなこと言っ てたら、オリンピックだって男女一緒 に走るのがほんとですよね。ははは⋮ ⋮﹂と結んだ時には、泣きたくなって しまった。 ﹁あのう、いいでしょうか? 私は専 業主婦をしていますけど、それは私が 選んだからであって、女だからそうし ろと言われたら嫌です﹂  話さずにはいられなかった。 ﹁社会で、女だからこうあるべきと 思って欲しくないし、まずその個人を・ 見て欲しいと思います。女なんだから こうするべき、女なんだからこうする のは望ましくないと言われたくない し、そうされることでどれだけの人が その能力を発揮できないでいるのか 知って欲しい。それに少子化や、将来 の労働力の問題について、これは避け て通れない事だと思っています﹂  こんなことを言ったと思う。落ち着 いて考えれば穴だらけだけど、私には これが精一杯だった。私にはきちんと 反論できるだけの十分置知識もなく、 議論の方法も未熟すぎた。  全く予期しない展開に、すっかり取 り乱して家に帰った。とにかく悔しく て、悲しかった。夫に事の次第を涙な がらに訴えると、一言、﹁田舎の意識 なんてそんなものじゃないか。いった い何を期待していたの?﹂  期待? 私は何を期待していたんだ ろう。何でこんなに傷ついたんだろ う。  その夜興奮した頭で考えたのは、私 は、私が意識しているよりずっと深く ﹁女であること﹂に傷ついていたんだ ●一私の男女共同参画体験記 ということ。女であるというだけで得 られなかったいろいろなこと、開かれ なかった道や、理不尽な態度・差別、 忘れようとしていた不愉快な出来事を 不意に目の前に見せ付けられて取り乱 したのだと思う。  その場で私は女性が感じている﹁差 別﹂を、彼らにわかってもらうための 議論をする用意は全くなかった。女性 のおかれている現状に何の問題も感じ ない人達に、女性の抱えている問題を 分かってもらうのは並大抵のことでは ない。そういう人達には﹁その考えで いいですから、せめて邪魔しないでく ださい﹂とお願いするしかないと思っ ていた。  けれども﹁推進﹂委員会だと勝手に 思い込んでいたために、みんなで同じ 方向に向かって話し合えるのだと期待 していたために、それを微塵も疑わな かったために、思わぬ言葉の攻撃をま ともに食らってしまったのだ。私に とってまさに闇討ちにあったようなも のだった。

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 最初に私が感じた違和感は、これ だったのだ。まず、軽すぎた。私が 知っている男女共同参画の活動をして いる人達は、すごく勉強しているし、 色々な方面で問題意識を持っている。 私のようなものがたった五回、数時間 の会合で何かできるほど甘くはないの だ。次に、一番引っ掛かっていたのは ﹁推進委員﹂という言葉と、﹁市民の皆 さんのご意見を伺う会合﹂という言葉 のギャップ。私は勝手に﹁推進するた めにはどうしたらいいのか話し合う 会﹂だと思っていたのだ。この勝手な 思い込みのために不意打ちを食らい、 胃の痛む眠れぬ夜を過ごすはめになっ たのだ。後悔しきりである。いまだに 私は納得できない。推進って、どうい う意味なの?  もうあんな人達に会いたくない、話 もしたくない、やめてしまいたい。今 までの私の暮らしのなかには、こんな 不愉快なことはなかった。私が選んだ 夫や友人に囲まれて、小さいあたたか い世界でぬくぬくと生きてきた私に とって、それは耐えがたいストレス だったのだ。ずっと社会の中に活躍の 場があった逆なら、こんなことはな かったのかもしれない。私の人生で、 議論する能力は評価されたり期待され るものではなかった。議論することよ り、争い事にならないようになだめ役 になることを期待されていたのだか ら。  私は専業主婦に満足していた。外で 働かなくてもある程度の生活を保証さ れ、金銭的に許される範囲ならば、ど んな活動をしても何も言われない。テ ニス、ろうの花、片道二時間の学習会 も、好意的に認められた。何より、料 理や洋裁といったことが得意だったの で、たっぷりの時間を自由に使え、好 きなことをして過ごす毎日にそれなり に満足していた。だから、ともすると 専業主婦が﹁敵﹂のようにいわれる女 性運動には、二の足を踏んでしまう。 こんな私は男女共同参画とは対極にい るようなものだと思っていた。  それがどうして興味をもつように なったのか? それは私が私自身を、 女性であることで卑下してきたことに 気づいたから。私は三人姉妹の長女 で、生まれたときから﹁この子が男の 子だったら﹂と言われて育った。男で ないために両親を悲しませている、私 の心の中にはいつもこの思いがあっ た。それは次第に自分自身の存在を否 定し、生きていることの実感さえ希薄 になっていった。私自身のこんな体験 からカウンセリングに興味をもったの だが、気づいてみると、女性であると いう理由で傷ついている女性は驚くほ ど多い。女性であるために背負わされ た荷物に気づかないまま、その苦しみ を自分の責任として耐えていたり、耐 えきれずに病んでしまう女性のなんと 多いことか。そんな人達に気づいても らいたい。あなたのせいではないのだ と、思い込まされているだけなのだ と、気づいてもらいたい。そのために 私の出来ることは、社会に蔓延してい るジェンダーに気づき、伝えること。

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そして最終的には男女共同参画社会の 実現こそが理想なのではないかと思い 始めていた。  こうして精神的なことから興味を繋 げたために、私はつい過剰なほど感情 的になってしまったのだと思う。私に とって課題は、感情的にならずに議論 することだった。あと四回の委員会を 嫌な思いをしないで無事やっていける 自信はなかったが、逃げるのも嫌だっ た。私がいなくなったら果たしてあの 人達にこの問題を考える事ができるだ ろうか? そんな考えもあって何とか 続けていく気持ちを作った。  さて、二回目以降の内容は、男女共 同参画社会実現のための標語の募集 と、毎年開催されるフォーラムへの協 力、県下の現状の学習などだった。標 語についてはなかなか応募がなく、 あっても主旨が分かっていなかった り、正反対に男らしく女らしくしょう と言ったものまであって的を射たのは 数えるほどだった。このことからもい かに問題として促えられていないか良

く分かった。この中から数点選び

フォーラムの場で発表することになっ た。  フォーラムでは落語家の桂文也さん を招いてジェンダー落語を語ってもら い、そのあと茶話会を開くというもの だった。この時までに委員会は四回目 終え、後はフォーラムと反省会を残す

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法/へ奪

び⑳

●llllI私の男女共同参画体験記

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だけだった。  フォーラムの当日は友人を誘って参 加した。文也さんのお話はとてもおも しろく、初めてジェンダーにふれる人 にも分かりやすい内容だった。一部に 高齢の男性の苦虫を噛みつぶしたよう

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な顔もあったことはあったが、概ね参 加者の反応はよく、講演会荒らしを自 称する友人にも﹁今日のは、Aクラ ス﹂と満足してもらった。茶話会は 程々の出来栄えといった感じで私は すっかり肩の荷を降ろし、反省会の日 つ・ を迎えた。  波乱の﹁回目から九カ月あまり、今 日でおしまいといった雰囲気の中、最 後の委員会は始まった。穏やかな気持 ちだった。フォーラムの成功もあっ て、寛容な気持ちになっていた。頭を 切り替えられない男達も、仕方のない ことかもしれないと許せた。多少の暴 言ならもう大丈夫、取り乱したりはし ない。  けれど⋮⋮﹁フォーラムの感想はい かがでしょうか?﹂との問い掛けの答 えに私は耳を疑った。 ﹁文也さんの話は一方的で、ちょっと ついていけませんね。何でも平等にと 言ったり、女性の権利ばかりが主張さ れた感じで。ちょっとやりすぎじゃな いですか。最近はセクハラにしても、 騒ぎ過ぎですよ﹂  教師である彼はそう言って隣の女性 をちらりと見た。 ﹁私もそう思います。なんだかぎく しゃくした感じで、ゆとりがないって

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