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野球害毒論争研究 : 新聞社間による部数獲得競争の視点から

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Academic year: 2021

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(1)53. 十. 野球 害 母. 払. 面田. 争研究. 一― 新聞社 間 による部数獲得競争 の視点 か ら一一. 玉. 置. 通. 夫. Study of the“ Baseball Canker Controversy(1911)" ―――一 fron■. the perspective of competition between newspapers―. TAMAKIIMichio Abstract: This paper presents a study of the“ Baseball{Canker Controversy"of 1911.This was the first con― troversy concerning student baseball in Japan and was taken up at length by 17 Tokyo―. based newspapers.. Newspapers at the time,the end of Mctti era,COnsisted of 4 or 6 pages and contained political,financial,so― cial and literary columns: independent sports columns did not exist at the tilnc and sports news was inserted into social columns. Their intensive treatlnent of the controversy was therefore very unusual and, further― more,had a great bearing on each newspaper's circulatlon。. 1.メ. 聞紙面 に盛 んに取 り上 げ られるようになる。 そんな 事件"が ,野 中,東 京 の新聞各紙 を舞台に起 こった “. デ ィ ア とス ポ ー ッ. 日本で,明 治時代以降の近代 メディアに初めて登場. 球害毒論争 だった。 19H(明 治 44)年 8月 29日 か ら 始 まった朝 日の「野球 と其害毒」 (以 下害毒論 )と い. 5. うキヤンペー ン記事 が引 き金 とな り,9月 下旬 までの. したスポーツは,大 相撲 だった。 1881(明 治 14)年. 掲載 された「相撲天覧の記」がスポー ツ記事 の嗜矢 と. 約 lヶ 月 にわたって繰 り広げられた「野球 をめ ぐる論 争」 は,ま さにメデイアがスポーツを大 々的に取 り上. なるもので,1段 25字 で 83行 の力作 だ。 内容 は,5. げた初の出来事だった とい えよう。. 月 14日. ,東 京 日日新聞. (以 下 日日,新 聞 は省略 )に. 月 9日 に島津邸で行 われた天覧相撲 の模様 で,横 綱境 川 の土俵入 り,30番 に及ぶ取 り組み評 の後 ,明 治天. 2.野. 球 害毒 論 争. 皇の要望によりぶつか り稽古 を披露 した ことまでが描 写 されてい る。83(明 治 16)年 になる と,朝 日に も 相撲記事が登場 し,各 紙 とも相撲 を積極的 に取材す る よ うになる。 また,そ の他 のスポーツでは,83年 6 月 4日 の 日日に前 日の 3日 ,東 京 ・隅田川で行 なわれ た「海軍 レガッタ」 の模様 を伝 える記事が 目新 しい。 記事 は,わ ずか に 30行 (1行 は 20字 )で ,勿 論写真 はない。賑やかな応援 の様子が描写 されてお り,明 治. 20年 代 になると,大 相撲 に旧制高等学校 の野球が各 紙 の紙面 を賑わす ようになる。 さらに,明 治 30年 代 に入 ると,野 球熱が早稲 田や 慶應 などの私立大学 を始め,中 等学校 にも広が り,新. この野球害毒論争 は,い くつかの注 目点がある。そ れを列挙 してみる と,次 のようになる。 ①舞台 は東京,大 阪の読者 は全 く読 むことがで きな かった。 ②朝 日に対 して前面対決を積極的 に仕掛 けたのは. ,. 毎 日と読売。 ③朝 日の記事 には事実誤認や一方的記述が多 く,拙 速 と思 い込みが突出。 ④朝 日の指摘 にも,一 部正当性があ った。 ⑤朝 日,日 日,読 売 の部数競争 に影響があった。.

(2) 甲南女子大学研 究紀要 第 47号. 54. 文学 ・文化編. (20H年 3月. ). 以上 の各 問題点 につい て,具 体 的 に論証 してみ た い 。. 3.各 紙 の 対 応. まず ,① だが ,大 阪朝 日 (現 朝 日新 聞大阪本社 )に は,記 事 が一切 掲 載 されて い な い 。 ただ ,「 東 京紙 面 で掲載 中」 との 宣伝社告 は計 2回 掲載 されてお り,大. 当時,東 京 には 38社 ほ どの新聞社が内務省 に登録. 阪本社 に 申 し込めば購 読す るこ とは 出来 た。 しか し. されてい るが,実 際に新聞を定期的に発行 していたの. よつぽ ど関心 の あ る人や俎上 に乗せ られて い る学校. は 17社 にす ぎなか った。 この うち,害 毒論 に関わっ. ,. ,. 学 生 の 関係者以外 には,大 阪在住 で購 読す る人 は見 当. たのは 13紙 だが,内 容 は積極派 と消極派 に 2分 で き. た らなか っただろ う。具体 的 な購 読者数 の記述 は社 史. る。複数回の企画記事 を掲載 したのは 6紙 あ り,残 る. に もな く不 明 だが ,ま ず ,そ う断言 して間違 い な い も. 7紙 は 1回 程度の論説や コラムのほか,投 書 ,野 球講. の と思 われ る。 このため ,朝 日と同様 ,大 阪か ら東京 へ 進 出 した大阪毎 日も,東 京 日日の題字で発行 して い. 演会の予告,講 演会記事 を数回掲載 してお茶 を濁 して い る'。 しか し,現 在 のような運動面な どはな くめ,ス. た東京紙面 だ けで ,大 阪紙面 で は全 く扱 ってい な い。. ポー ツ記事が事件や事故な どとともに社会面に同居 し. 読売 は東京 の地域新 聞 で あ つたため ,大 阪 で は購 読 で. ていたことを考 えれば,条 件 の悪 い なかで,こ れだけ. きなか った。. 多 くの新聞が スポーツを論 じた ことは画期的で,ス ポ. そ こで ,疑 間が わ く。 なぜ ,大 阪朝 日は 「野球 と其 害毒 」 を掲載 しなか ったのか 。 この 点 に関 して も,社 史には記述が ない。 このため ,あ えて傍証 となる よ う. ー ツジャーナリズム史に特筆 される「事件」 だったこ とを証明 してい るといって も過言ではない。 さらに,各 紙 の立場 を分析すると,朝 日を無条件 に. な事 象 を探 してみ る と,当 時 の東京 と大 阪 の対立 ,も. 支持する論調は見当たらない。朝 日のように,学 生が. つ と具体 的 にみ る と,こ の 害毒論 を仕掛 けた東京社 会. 野球 をやること自体 を問題視するのではな く,大 部分. 部 の渋川玄耳部長 に対す るア レルギ ー の よ うな ものが. は,学 生 と野球 ,教 育 とスポー ツの視点か ら,野 球 を. あ ったので はない か。渋川部長 は「東京社会部 こそが 新 聞社 の 中心」が持論 で ,政 治や経 済 とい った本来 の. やることには理解 を示 してい る。つ まり,朝 日の主張 する野球 の害毒 は認めつつ,そ れ以上に野球 の利点な. 社 会部 の守備範囲 で はない分野 に対 して も積極 的 に取. どを強調する言説が 目立つ。「野球 は面白いスポ ー ッ. 材 させ ,記 事化 した。 このため ,政 治部や経済部 との. だか ら,熱 中 しす ぎて各種 の弊害 を生む。過熱 しない. 軋蝶 が絶 えず ,ま た プライバ シー を も考慮 しな い徹 底. ように指導す るのが教育者 の責務」 といった意見が多. 的 で 強引 な取材指揮 には社 内外 か らの批判 も多 く,そ. く,な かには,野 球 の利害 を離れて教育問題 に傾斜 し. の「勇名」 は大阪本社 に も届 い て い た。元 来 ,ど の社 で あ って も,東 西対 立 はあ る もので い,と くに個性 が. て しまう言説 もある。 いずれ に して も,当 時の学校教 育の現場 で,人 気 スポーツとなった野球へ の対応が大. 強 い大 阪発祥 の 新 聞社 に とっては,か な り大 きな問題. きな問題 になってい ることを示 してい る。. で あ つた。現在 で も,記 事 の扱 い な ど紙面制作 上 の対. 積極派 6紙 は,仕 掛 けた朝 日の 22回 を除けば,日. H回 ,国 民 6. 立 構造 は解消 して い な い。 あ くまで も類推 の域 を出な. 日 23回 を筆頭 に読 売 16回 ,中 外商業. い が ,新 聞社 の基本 的 な対立構 造 か ら考 える と,渋 川. 回,海 国 日報 3回 の企画記事 を掲載 してい る。 この う. ア レルギ ー は 本 質 の一 端 を突 い て い るの か も しれ な. ち,異 彩 を放 っているのは,中 外商業 だ。「野球界春. い。. 秋戦国」 の タイ トルで,特 に自らの立場 を鮮 明 にせ. しか し,結 果論 的 に言 えば,大 阪紙面 で害毒論 を扱. ず,各 紙 の記事内容 を論評する紙面批判,評 論家的な. わなか った ことで ,4年 後 に中等学校 野球 の全 国大 会. ス タイルをとってい る。 また,国 民 は「野球 の利害」. (現 夏 の 高校 野球 )を 開催す る際 に救 われた こ とだ け. と題 し,大 隈重信 (早 稲田大学総長),鎌 田栄吉 (慶. は確 かだろ う。 も し,大 阪紙面 で も扱 っていた ら,と. 應義塾大学塾長)ら の談話 を集め,反 朝 日の姿勢 を鮮. て も開催 は覚 束 なか った と類推 され る。「散 々野球 の. 明に して い る。 海国 日報 は,害 毒論争 を導火線 に し. 悪 口 を言 っていた舌 の根 も乾か ぬ うちに」 との批 判 を. て,目 的意識なき学生気質に矛先 をむけてい るのが特. 浴 びるの は必 定 だか らだ。実際 ,大 阪紙面 で は扱 って. 徴的だ。. い ない に も関わ らず ,同 様 の謗 りを受 け続 けた の も事 」 実 だ 。 それ ほ ど,こ の 害毒 論 は,強 い 印象 を与 えた. 4.朝 日,日. 日,読 売 の 関係. とい える。. 積極的 に関わつた朝 日,東 京 日日,読 売 3紙 の状況.

(3) 玉置. 通夫 :野 球害毒論争研 究. につ い て説 明す る と,大 阪か ら東京 に進 出 したのは. ,. 入 る前 に ,朝 日は 2つ の 前奏 的 な記 事 を掲 載 して い. H月. 朝 日と毎 日。 ともに全 国紙 と しての態勢 を整 えつつ あ. る。 まず ,前 年 の 明治 43年. り,朝 日は東 京朝 日 (通 称 東 朝 ),毎 日は東 京 日 日. 行化」 と題 し,学 生 の クラブ活動 で あ りなが ら,観 客. (通 称 日日)の 題字 で発行 して い た。. か ら試合 の入場料 を徴収 して い るこ とに絞 った 問題提. この 2紙 は,大 阪 で激 しい 部数獲得競争 を展 開 して. 25日 に「野球 の興. 起 を行 な ってい る。 しか し, この記事 は 1回 だ けで. ,. い た。 毎 日の前 身 で あ る大 阪 日報 は 1876(明 治 9)年. 掲載 の 意 図 は不 明 だが ,お そ ら く,早 稲 田や慶應 の試. に創刊 され ,大 阪朝 日は 3年 後 に発干Uし た。その後. 合 に入場料 を取 ってい る との情報 を基 に書 い たの は 間. 大毎 ,大 朝 の名称 で人気 を 2分 し,東 京 へ の進 出は 朝 日が早 く,1888(明 治 遅 れ の 1906(同. ,. ,. 21)年 。 一 方 ,大 毎 は 18年. 39)年 に よ うや く東 京 へ 出 て ,H. 44)年 3月 ,東 京 の最古 参紙 で あ る東京 日日を買 収 し,東 京 で も朝 日との部数競争 を繰 り広 げて い た。 そ ん な ところで 発 生 したのが野球 害毒 論 争 で ,日 日 は ,朝 日の害 毒 論 が始 まった 3日 後 か ら「 学 生 と野 (同. 球」 の タイ トル をつ けて連載 を開始 した。「野球擁護」. 違 い ない 。 さらに,同 44年 8月 20日 か ら「野球界 の 諸 問題」 の タイ トルで 4回 の記事連載 に踏み切 ってい る。 内容 は,早 稲 田 と慶應 を槍 玉 にあ げ,「 米 国遠征 の 間 ,全 く授 業 を欠席 して い るが ,単 位 は 取 れ るの か」,「 入場料 の使途 が不 明朗 。選手が料理屋 な どで遊 興す る費用 に当てて い るので はない のか」 とい つた疑 問点 を提示 して い る。 この 2つ の前奏 的記事 の うち,と くに後者 の「野球. の主 張 を掲 げ る投 稿 が 主 体 で ,徹 底 的 に対 立 した の. 界 の諸 問題」 は,当 時 の読者が抱 きやす い疑 間 を記事. も,両 紙 の 関係 か ら考 える と当然 だった。 い わば,害. に してお り,裏 付 け る資料 こそ ない ものの ,そ れ な り. 毒論争 は,大 阪 で展 開中 の「大朝. VS大 毎」 の代 理戦. 争 だった とみ るのが 妥 当 だろ う。論争分析 には欠かせ ない視 点 で あ る。. の 反響 があ ったので はない か と推察 で きる。 そ こで. ,. 意 を強 くして ,徹 底 的 に問題点 を追求す る性癖 が顕著 な渋川社 会 部長9が ,勝 負 に出たの は 自然 な成 り行 き. 一 方 ,読 売 は,こ の 2紙 とは異 な り,1874(同 7). だ った 。 しか し,「 野球 と其害毒 」 は ,功 を焦 りす ぎ. 年東京 で発干Jさ れた。 当時 は東京周辺 だ け を購 読範 囲. た 感 じが強 い 。「兎 に角やれ」 と部員 に発破 をか けて. とした地域 紙 で ,小 説 な どの 文芸物 を中心 とした紙面. の長期連載 だが ,内 容 的 には拙 速 でか な り問題点 も多. が特色 だった。 このため ,事 件 の よ うな社会面 ネタに. い。. は消極 的 な傾 向があ り,販 売戦略 に乏 しい 「文芸紙」. そ の 第 一 は,事 実誤 認 が 目立 つ こ とだ。 22回 の企. と椰楡 され る こ と も多 く,部 数 も 2,3万 部程 度 で 他. 画 は,最 終 回 の ア ンケ ー ト調査分析 を除 き,談 話 と投. 紙 との部数獲得競争 には,大 き く遅 れ を とっていた。. 稿 形 式。延 べ 36人 が意見 を開陳 して い るが ,こ の う. この 害毒 論 争 で は ,野 球擁 護 の立 場 か ら著 名 な教 育. ち 22人 が談話 に よって登 場 して い る。 つ ま り,談 話. 者 ,学 者が談話形式 で 見解 を発表す る「 問題 となれ る. 中心 で あ るのが ,こ のキ ャ ンペ ー ン企画の特色 だ。 こ. 野球 」 を計 16回 連載 して い る ものの ,談 話 主 の 言 説. れ は,こ の種 の企 画記事 では異夕1で あ る。 しか し,談. も比較 的淡 白な うえ,前 半 と後半 は連 日掲載 で ない た. 話 を掲載 した人たちは「教育 に関係 あ る先達 の公 平 な. め,東 京 日日の企画記事 「学 生 と野球」 に比 べ て迫 力. る意 見 」 と初 回 の 前 文 で 明記 して い る に もか か わ ら. 不足 ,印 象 の 薄 さは否定 で きない 。 しか し,ほ とん ど. ず ,野 球 は害毒 との立 場 が ほ とん どで ,公 平 な人選 と. が擁護派 で あ る弁士 を集 めた講演 会 を開 き,内 容 を紙. は とて も思 えない。 しか も,談 話 には信憑性 が乏 しか. 面 で完全収録 した手法 は見事 で ,東 京 生 え抜 きの各紙. った り,明 らか に事実誤認ではない か と思 われ る部分. の なかで は存在感 を示 した とい える。 ちなみ に,読 売. が散見 され る。談話 の 内容 を確 かめた り,本 人 に問 い. は大 正 末期 か ら昭和 にか け て ,ラ ジオ面 の創設や米大. 合 わせ た よ うな感 じがせず ,本 人の言 った こ とをその. リー グチ ーム の招請 で飛躍 的 に部数 を伸 ば したが ,朝. まま載せ て い るの は明 白で あ る。 事前 の確認作業 が行. 日や毎 日の よ うな全 国紙 態 勢 に な るの は ,戦 後 の 52. なわれて い ない な らば,現 在 な らば,ま ず掲載不 能 で. (昭 和. 27)年 に大阪へ 進 出 してか らであ る。. あ る。 ジ ャー ナ リズ ム と して の基本 を逸脱 して い る と い言 わ ざるを得 ない 。. 5。. 「 野 球 と其 害 毒 」 の 問 題 点. 具体 的 に指摘 す る と,2回 目に登 場 した東京府 立一 中 (現 東京都 立 日比谷 高 )の 川 田正激校 長 は,「 野 球. それでは,論 争 の火付 け役 となった朝 日の「野球 と. 選手が実際 出来 ぬ と云ふ 今 一 つ の証拠 は慶應 の神吉 と. 其害毒」について考えてみ よう。 このキャンペー ンに. 云ふ選手 です。彼 の選手 は選手 と して私が知 ってか ら.

(4) 甲南女子大学研究紀要 第 47号. 文学 。文化編. (20H年 3月. ). 既 に十年 になる。毎年落 第 して居 る と思 はれ る」 と断. 「小生 が記者 に対 して云 い た る事 と相 違 し居 る」 と し. 言 して い る。 ところが ,日 日紙 上 で 野 球 擁 護 派 の 作. て ,「 野 球 に 対 す る 余 の 意 見」 の タ イ トル で 投 稿 し. 家 ,押 川春 浪か ら「氏 は慶應幼稚 舎 よ りの純慶應 出身. た。内容 は,朝 日の記者が 「早稲 田なぞ に入 らず高等. に して選手 として約十年 間其名 を知 られたるは彼が運. 商業 に入 った な らば今頃 は もっ と幸福 で した ら うね」. 動 家 と して優秀 な りしが為 のみ ,学 業 に於 て も常 に中. と言 つたので ,「 人間 の幸不幸 は六 ヶ敷 (注 難 しい ). 位 以 上 を 占 め (以 下 略 )」 と反 論 され る 有 様 で ,結. 問題 で或 は御説 の 通 りか も しれん。思 ひや うに よって. 局 ,川 田校 長 は全 文 の 取 り消 しを朝 日に 申 し出 て い. は さう思 へ ぬで もない が」 と返 答 したが ,都 合 の 良 い. る。 この取 り消 し文 は「川 田氏 の 談 中神吉選手 に関す. 部分 だけ を取 り出 して脚色 された と強調 して い る。 ま. る分 は相違 の 点あ る由川 田氏 よ り申越 あ りた るを以 て. さに業 界 で「引 っ掛 ける」 と称す る手法 を使 ったわ け. 川 田氏 の 談 と しては全部之 を取消す」 とあ り,間 違 え. で ,河 野 は嵌 め られた ことになる。. た川 田氏が悪 い とい った ニ ュア ンスが感 じられ ,現 代 で は とて も考 え られ な い 文言 だ。 また ,「 知 名 の 選 手. 6。. 「 学 生 と野球 」 ,. 「 問題 となれ る野球 」 の 問題 点. の性行経歴 に関 しては別 に本社 に於 て詳細 に取調 べ あ るを以て他 日掲載 の機会あ るべ し」 とも記 し,事 態 を 深刻 に受 け止めて い る様子が伺 える。 しか し,不 確実. それで は,反 朝 日の急先鋒 だった 日日と読売 の記事. な談話 を掲載 した とい う事実 は残 るわけで ,朝 日の責. には,問 題点が ないの だろ うか。 ともに野球擁護 の立. 任が軽減 された こ とにはな らない 。. 場 を鮮 明 に してお り,と くに 日日は,朝 日の記事 の矛. 第二 は,談 話 の都 合 の 良 い部分 だけ を取 り出 して脚. 盾点 を突 く攻 め 方 は的 を射 て い ただけに面 白 く,読 者. 点だ。 この 問題 は現在 で も談話記事 の 中 で 色 して い る′. の共感 を得た。作 家 の押川春浪 が慶応大 ・神吉選手 ヘ. 指摘 され る ことが 多 く,ジ ャー ナ リズム に とつては永. の誤解 を指摘 した部分 では,朝 日も全文取 り消 しをせ. 年 の 課題 とい つて も良 い だろ う。害毒論 で は ,「 奮選. ざるを得 なか った し,早 稲 田大 ・河野講師 に対す る朝. 手 の懺悔」 との タイ トルで登場 した早稲 田大学講 師 ・. 日の取材態度 な どを難詰 して ,朝 日紙上 に河野 の 反論. 河野安通志氏 の 談話が問題視 された。河野氏 は,か つ. を掲載 させ た。 しか し,問 題点探 しが 一段 落す る と. て早稲 田大学野球部 の主 将 をつ とめ ,当 時 は母校 の 講. 押 川 の論調 も,枝 葉末節 に拘 った揚 げ足取 り,難 癖付. 師 を しなが ら野球部 の 面任1も みて い た。球 界全体 に も. けが多 くな り,そ の筆鋒 が感情論 に傾斜す る よ うにな. 広 く顔が売 れてお り,代 表的 な人物 だった。 そ の河野 氏が紙 上 で発 した談話 は,自 らの立場 を全否定す る強. ,. る。 このため ,最 後 は説得力 を欠 い た きらいが あ り 「 贔贋 の 引 き倒 し」 と他紙 に酷評 され るあ りさまつで ,. ,. ただ反対 のための 反対 に収敏 されて しま った。. 烈 な ものだった。 つ ま り,河 野氏 は ,「 後悔 して い る」 と大 見 出 しの. 読売 の 連載 は ,日 日に次 ぐ 16回 に及 んだ もの の. ,. 文 中 ,「 早稲 田なぞへ 入 らず に高等 商業 へ で も入 った. 前半 と後半 に休載が重 な り,盛 り上が りに欠 け た きら. らば ,と 時 々思 は ぬ で もな い 」,「 獅子 内君“は 自分 で. い が あ る。 嘉納 治 五 郎 (東 京高等 師範学校 長 ),三 土. も云 って居 るが全 く早稲 田 の野球 の 為 に犠牲 になった. 忠 造 (代 議士 )と い った 異 色 の 人材 を起 用 した り. 人」 と言 い 切 り,「 選 手 を買収 す 」 の 見 出 しで は. ,. ,. 「 野 球 は 普 及 しな い 」 との 意 見 も掲 載 して い る もの. 「 (野 球 を学校が広告 に遣 う との指摘 に対 し)如 何 に も. の ,日 日の よ うな記事量 もな く迫力が感 じられ ない。. 明治 は私 も非度 い と思 って居 る早稲 田 の 第二 選手 の投 手 であ った山下 な どは明治 へ 買収 されて行 った形辺が. 反対 に,講 演会 の 詳報 は,ほ とん どが一方 的 な朝 日糾 弾 の うえ,歯 切 れの良 い言説 ばか りとあ つて ,面 白か. あ る」 と語 った。 も し,こ の 発言 内容が本当な らば. った。 しか し,講 演者 の 内容 は大 同小異 のため ,一 気. ,. 河野氏 は相 当な覚悟 を しなければな らない はず だ。講. に大量 の 反害毒論 を読 まされた読者 は,辟 易 した に違. 師 は辞 さなければな らない し,大 学野球部 とも完全 に. い ない 。記事が多 けれ ば よい とい うもので はない か ら. 縁 を切 つて しまわなけれ ばな らな い だろ う。 そ の 後 の. だ。. 人生 を変 える ぐらいの衝撃的 な発言 で ,朝 日の紙面 を み た野 球部長 の安倍磯 雄教授が河野氏 の も とに駆 けつ. 7.部 数 な どへ の 影 響. け ,真 意 を質 したの も当然 の 動 きだ った 。 そ れ くら い ,イ ンパ ク トの あ る談話 だったのだ。 あ わてた河野氏 は,す ぐに反撃 した。 まず ,日 日に. ではいったい,こ の害毒論争 は,各 紙 ,と りわけ朝 日,毎 日,読 売の部数 にどんな影響 を与えたのだろ う.

(5) 玉置 通夫 :野 球害毒論争研究. か。明治末期 か ら大正 にか け ての発行部数 をみてみ る. 57. と言 うべ きだろ う。. と,害 毒論争 の流 れ を反映 して い る こ とが鮮 明 に分 か. 一 方 ,害 毒論争 で野球擁護派 の牙城 となって部数増. 11(明 治 44)年 の東京 にお け る元 日部数 は,朝. に結 びつ け た 日日 =大 毎 は,中 等学校 野球 へ の 関心 を. 日 12万 余 に対 し,日 日は 7万 6千 余 ,読 売 は 3万. 持 ちなが らも,主 催 して い た中等学校 のテ ニ ス大会が. 余"。 読売 は低迷期 だった こ と もあ り,12年 以 降 もそ. 盛況 だつた こと もあ って,野 球大会 開催 には様子見 を. れほ どの伸 びは見 られず ,害 毒論争 の恩恵 に浴 した と. 決 め込 んだ。 しか し,近 畿勢 の相 次 ぐ優勝 もあ って大. は, とて もい えるJ犬 況 で はなか った。 しか し, 日日は. 会 人気 は沸騰 し,大 毎 には焦 りが生 じた。 このため. 社説 も動員 した徹底 的 な反朝 日キ ャ ンペ ー ンが ,見 事. 20(大 正 9)年 ,「 球 界 の正 常 化 」 を ス ロー ガ ンに慶. 45)年 は朝 日の 12万 5千 余 に対 し,10万 3千 余 と 2万 余 まで迫 った 。 13(大 正 2)年 には約 1万 まで差 を縮 め ,つ い に 13(同 3) 年 には約 2千 の差 で朝 日を追 い越 した。. 応大 や明治大 な どで活躍 した選手 を入社 させ ,大 毎野. こ う してみ る と,や は り害毒論争 は朝 日に とって大. な野球 を介 した ライバ ル争 い は,複 雑 な始原 の 糸 を手. きな傷跡 を残 した とい えるだろ う。 と くに朝 日に とっ. 繰 って行 け ば,明 治末年 の害毒論争が源流 となって い. て痛手 だったのは,日 日紙上 で健筆 を振 るった押川春. るこ とを,如 実 に物語 って い る。. 9。. る. に功 を奏 した形 だ。 12(同. 球 団 を結 成 して各 地 で 試 合 を行 っ た (同. H)。. ,. さ らに ,24. 13)年 に選抜 中等学校 野球大会 を開催 して ,中 等. 球界 に参入 した。朝 日よ り遅 れ る こ と 9年 ,こ の よ う. 浪 ら野球擁護派が読 売 とは別個 の演説会 を開 き,朝 日 の不買運動 を仕掛 け た り,広 告 を出稿 しない よ うに企. 業へ働 きかける決議 をしたことだ。実際に,ど のよう な働 きかけがなされたのかは資料や証言 も残 ってお ら ず不明 だが,当 時,朝 日は 1面 を全面広告 にする大胆. )王. 1)新 聞紙 面 は ,発 刊 地域 に よって 大 き く異 な る。 大 阪 紙 面 で一 面 トップ記 事 が東 京 で は一 行 もの って い な い 現 象 もあ るほ どだ。. なページ取 りが売 り物 だっただけに,広 告 の質の劣化. 2)1914(大 正 3)年 に中等学校 野球 の三 高大 会 へ の支援 要 請 に対 し,大 阪朝 日新 聞 の 村 山龍 平社 長 は即 座 に こ. は直接経営 に響 く重大事であ り,こ の広告不掲載 を呼. とわ ってい るが ,そ の理 由 は害毒論 だ とみ られて い る。. びか ける攻勢 は相当応 えたようだ。朝 日の社史. 日. (朝. ││ら 野球擁護派は)朝 新聞百年史 ・明治編 )は 「 (押 り. 日の競争紙 である東 日 (東 京 日日)の 紙上 をか りて反 撃 し,(中 略)演 説会 をひらいて 『東朝不買』『広告不 掲載』 を決議 した。問題が深刻化 したので,東 朝 も (中. 略 )二 十 二 回で打 ち切 り,よ うや く妥協 が なっ. た」 と総括 してお り,「 妥協 がなった」 との表現 に. ,. 苦境 を逃れるために収拾 策 を模索 した ことを窺がわせ. 3)各 紙 の掲載 一 覧 は,別 紙 資料① 参照。 4)運 動 面 が登 場 す るの は,各 紙 が増 ペ ー ジ態 勢 とな る 昭和 に入 って か ら。 朝 日,毎 日が 1931(昭 和 6)年 に 創 設 し,読 売 は 29年 に運動欄 を新設。. 5)1908(明 治 41)年 6月 15日 ,作 家 の川上 眉 山が 自殺 した際 ,朝 日は ,短 い 通信社 の 記 事 で お茶 を濁 し,大 き く報 じる他 紙 に遅 れ を取 った 。 この ため ,渋 川 は川 上 の 家計 を徹 底 的 に洗 い ,預 金 通 帳 まで入 手 して調 べ た。 この手法 は,辱 愛 を買 った。. てい る。具体的なや り取 りな どは不明だが,朝 日は深. 6)早 大 出身で京浜電鉄社員 ,獅 子 内謹 一 郎。 7)9月 24日 読売 の「 問題 となれ る野 球 」 第 十 六. 刻に受け止め,と りあえず企画の掲載 を終了すること. 回 =筆 者注 )中 ,内 務書記官 ・潮恵之助 の言。. (最 終. なった。害毒論 を仕掛 けた東朝社会部長 ・渋川玄耳に. 8)別 紙 資料② 参照。 9)当 時 は ,元 日の 発 行 部 数 を内務 省 に届 け る こ とが 義 務 づ け られ て い た。 部 数 は ,朝 日 =朝 日新 聞百 年 史 ・ 明治編 ,日 日 =毎 日の 3世 紀 に依 ったが ,読 売 新 開発. 対す る大朝側 のアレルギーは拡幅 され,今 後ギクシャ. 展 史 に は明 治 32年 か ら大 正 12年 まで の 読 売 の 部 数 が. にした もの と考えてよいだろ う。 さらに,朝 日社内では,東 西本社間の対立が顕著に. クした関係が続 くことになる。害毒論 の紙面掲載 に与 しなかった大朝は,4年 後 ,大 毎 との部数競争 を意識 し,時 期尚早 とみ られていた中等学校野球 の全 国大会 開催に踏み込 んだ。全 くの賭 けだ ったが,回 を重なる. 省略 されてお り,読 売 の 部数 は推 定数。. 10)第 1回 中等 学校 優 勝 野球 大 会. (現 夏 の 大 会 )の 開催. 社 告 は ,東 京 紙 面 に掲 載 されず ,試 合 内容 も短 くお ざ な りだ った。. 11)プ ロ野 球 が なか った 当時 ,最 強 の チ ー ム とい われ. ,. たびに観客が増 え,夏 の高校野球 として定着す る「当. 米 国遠征 の 際 に は ホ ワ イ トハ ウ ス に も招 か れ ,大 統 領. た り事業」 とな り,当 初 は非協力的 だった東朝 Dも 巻. と記念写真 を写す ほ どの歓迎ぶ りだ つた。. き込んで社内融和 の原動力になったのは,皮 肉な展開.

(6) 文学 ・文化編. 甲南女子大学研 究紀 要 第 47号. 58. (20H年 3月. ). 資料① (各 紙掲載一覧〉 H月 25日. 記事. 8月 20日. 企画. 企画 2. 22日. 企画 3. 23日. 企画 4. 29日. 企画. 30日. 企画 2. 31目. 企画 3. 9月 1日. 企画 4. 企画. 企画 5. 企画 2. 卜画 6. 企画 3. 企画 7. 企画 4. 企画 8. 企画 5. 企画 9. 企画 6. 企画 lo. 企画 7. 13日. 日本. 万朝報. 二六新報. 報知. 国民. 中央. 海 国 日報 中外 商業. 1. 21日. 10日. や まと 時事新報. 東京 日日. 朝 日. 1. コ ラム. 広告. 広告. l. 記事 企画. 1. 企画 2 企画 企画 3. 企画. ll. 企画 8. 企画 4. 企画. 12. 企画 9. 企画 5. 企画. 13. 企画 10. 企画 6. H. 社説. 1. 企画. 企画 2. 投書. 社説. 社説. 企画. 企画 2. 企画 4. 企画 2. 企画 3. 企画. 企画 3. 企画 4. 3. 5. 企画 5. 企画 6. 企画 14. 企画. 企画. 企画 12. 企画 7. 企画 16. 企画. 企画. 企画. 企画 14. 企画 9. 企画 8. 企 画 15. 企画 10. 企画 9. 企画. 15. 18. 社告. 13. 16日. 企画 19 ※企画. 17日. 企画 20 ※企画. 企画 6 コ ラム. 8. l. 企画. 1. 企画 12. ll. 記事. 己事. 企画 7. 社説. 企画 10. 記事. 企画. 企画 22. H. コ ラム. 企画 21 19日. 1. 1. 企画. 企画. 18. 20日. 企画 19. 己事. 21日. 企 画 20. 企 画 13. 22日. 企画 21. 企画 14. 23日. 企画 22. 企画. 24日. 企画 23. 企画 16. 記事. 記事. 15. 記事. 談話記事. 記事. 短信. 社説. 短信. ※名称 としての新聞 は省略Э H月 25日 は明治 43年 ,以 後 は明治 44年 。 ※ (朝 日企画〉「野球 の興行化」 (11月 25日 )▽ 「野球界の諸問題」 (8月 20日 -23日 )▽ 「野球 と其害毒」 (8月 29日 か ら22回 )(東 京 日日 企画〉「学生 と野球」 (9月 1日 から23回 )〈 読売企画〉「問題 となれる野球」 (9月 3日 か ら 16回 )(国 民企画〉「野球の利害」 (9月 6日 か ら 6 回)(海 国企画〉「現代学生論」 (9月 8日 か ら3回 )(中 外企画〉「野球界春秋戦国」 (9月 7日 か ら H回 ) ※東京 日日の 16,17両 日は社説 と企画「野球が与ふる偉大な教訓」上下 も掲載 ※読売 の 8日 は コラムもあ り,10日 は社告 も。20日 の記事 は主催演説会詳報 (8ペ ージ). 資料②. 朝 日と毎 日の部数〉 〈 (明 治 43年 〉. 東京. 〈 明治 44年 〉. (明 治 45年 〉. 大正 2年 〉 〈. 朝 日. 毎 日. 朝 日. 毎 日. 朝 日. 毎 日. 朝 日. 111292. 96161. 120422. 76398. 125630. 103186. 134394. (大 正. 3年 〉. 毎日. 朝 日. 毎 日. 124321. 148495. 150014. 大阪. 166100. 166684. 182900. 269260. 190800. 293497. 198700. 307130. 241800. 321454. 合計. 277392. 262845. 303322. 345658. 336430. 386683. 333094. 431451. 396295. 471468. ※部数 は元 日調 査 した もの 。明治 44年 の毎 日 。東京 のみ 東京 日日との 合併 のため 3月 1日 調査 の 数字。 出典 は両社 史。.

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参照

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