コインに軍配 -- イランのおかねよもやま話 (特集
途上国とコイン)
著者
岩? 葉子
権利
Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization
(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名
アジ研ワールド・トレンド
巻
215
ページ
24-25
発行年
2013-08
出版者
日本貿易振興機構アジア経済研究所
URL
http://hdl.handle.net/2344/00003650
テヘランでコインを使って最後 に何かを買ったのはいったいいつ のことであったろうか、とんと思 い出せない。ケータイが普及して 公衆電話のお世話になることもな くなり、ただでさえ少なかったコ インの出番は激減した。いまでは プリペイドカードなぞの番号のス クラッチや、栓抜き代わりに使う 程度である。 重い、大きい、使いでがない、 と三拍子揃ったイランのコインは イラン人にも敬遠されがちで、台 所のすみの空き瓶に溜まるか、財 布を軽くしたい人々が町のそここ こにある「慈善募金箱」に投げ込 んでいくばかりである。 イラン中央銀行のウェブサイト によれば、目下イランでは記念硬 貨を除くと五種類のコインが鋳造 されている。イランの通貨単位は 「 リ ヤ ー ル 」 と い う が、 そ れ ぞ れ 五〇リヤール、一〇〇リヤール、 二 五 〇 リ ヤ ー ル、 五 〇 〇 リ ヤ ー ル、一〇〇〇リヤールのコインで ある。このうち一〇〇、五〇〇、 一〇〇〇については同額の紙幣も ある(二〇一三年五月末現在、一 〇〇〇リヤールは八円ちょっとく らい) 。 ところが現在のイランでは日常 的にこの「リヤール」という単位 を耳にすることはほとんどない。 人々が使うのは「トマーン」とい う単位である。一トマーンは一〇 リヤールに相当する。なので、手 の ひ ら に 一 〇 〇 〇 リ ヤ ー ル と 銘 打ったコインを載せていても、〇 をひとつ落として「一〇〇トマー ン」と呼ぶのである。外国人の筆 者はつい「額面どおり」に数えて しまうが、イラン人はもはや無意 識にこれを切り替えられる。 ところが困ったことには、レス トランのメニューなど何かに 書か 0 0 れた 0 0 価格はリヤール単位であるこ とも多い。だから家具や家電など 相場観のない高額商品を前にした ときは、ずらずらと景気よく並ん だ値札の数字がいったい「リヤー ル」なのか「トマーン」なのか、 確認せねばとんでもないことにな る。もちろん値札の単位がどちら であっても、店員に値段を訊けば 彼 は「 ト マ ー ン 」 単 位 で 返 答 す る。しかも「トマーン」すら省い ていう場合もあって、ややこしい ことこのうえない。 さてリヤール表示のコインの裏 面には、イラン人が一生に一度は 詣でたいマシュハドのエマーム・ レ ザ ー の 聖 所 や、 古 都 エ ス フ ァ ハ ー ン の 観 光 名 所 で あ る サ フ ァ ヴ ィ ー 朝 期 の 巨 大 な 石 橋 ポ レ・ ハージュなどの絵がかわいらしく 彫られている。これに加えて五〇 〇リヤールコインには一三世紀の 著名なペルシア詩人サアディーの 廟も。さすがは世界有数の文学大 国、これらを見るとイラン人が自 国 に つ い て 何 を と り わ け 自 慢 に 思っているか、力強く伝わってく る。 ちなみに紙幣のほうには、一九 七九年のイラン革命の指導者ホメ イニー師の肖像や、農村部で革命 の理念に燃える農夫が畑を耕して いる場面などが印刷されていて、 政治色が濃い。それに比べると、 コインのほうはもっぱら文化遺産 が採用されたデザインといえよう か。見本をご覧になりたい方はこ ち ら( http://www .cbi.ir/section /1374.aspx )をご参照あれ。 さて、こうしたコインはインフ レ が す ご い 勢 い で 進 行 す る な か で、そもそも日常の買い物にさえ 使われることが少なくなってしま い、最近ではいずれもあまりお目 にかからない。いまどき一〇〇〇 リヤール単位でおさまる代金とい えば、その辺の文房具屋でやって くれるA4サイズのコピーサービ スや、身体に悪そうな子どもの駄 菓子くらいである。財布がずっし り重いのは気分の悪いことではな いが、たいして使いでのない小銭
特 集
途上国とコイン
コ
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アジ研ワールド・トレンド No.215 (2013. 8)で 財 布 が ぱ ん ぱ ん に 膨 ら む よ り は、五〇〇リヤールや一〇〇〇リ ヤールのような同額紙幣を使って 買い物するほうがスマートだ。 し か し 、 筆 者 は 同 じ 価 値 な ら あ え て コ イ ン に 軍 配 を 上 げ た い 。 と い う の も 、 イ ラ ン の 小 額 紙 幣 に は 、 コ イ ン の 使 い 勝 手 の 悪 さ を も 凌 駕 す る 大 問 題 が ある から だ 。 す な わ ち 、 紙 の 質 の せ い か ( 材 質 は 一 〇 〇 % コ ッ ト ン だ そ う だ が )、 は た ま た 人 々 の 扱 い が ぞ ん ざ い な せ い か 、 た い へ ん に も ろ い 0 0 0 の で あ る 。 日本の紙幣は、一回くらい洗濯 機で洗ってしまってもびくともし ない強さがある。世界に誇る和紙 を素材に、国立印刷局の職人気質 の技術者が凝りに凝って作ってい るのだから当然だ。ところがイラ ンでうっかりこれをやると、ちょ うどティッシュペーパーを汚れ物 と一緒に洗ってしまったときのよ うに、絶望的な状態に溶解してし まう。 洗濯機で洗わないまでも、流通 している間に紙幣はみるみる劣化 する。手垢にまみれて、心なしか 異臭さえ放つ、古代エジプトの遺 跡から出土したパピルスよろしく 崩壊寸前になっている一〇〇〇リ ヤールを「おつりだよ」と渡され た と き に は、 即 座 に 断 る の が 賢 い。ぼんやり受け取ったが最後、 いつまでたっても自分の財布から 去ってくれない。買い物に使いた くても、みなそれをババ抜きのバ バのように嫌がって、受け取って くれないからだ。 とは言え、イランで出回ってい る紙幣は十中八九(少なくともそ の よ う に 感 じ る )、 ど こ か し ら に 欠 損・ 破 損 の あ る し ろ も の な の で、 日 本 の 感 覚 か ら い え ば「 え え、これもまだ現役なんですか」 と 驚 愕 す る よ う な お 札 も あ え て 大 事 に 使 わ ね ばならない。 だ か ら 筆 者 は 夜 な べ 仕 事 に、 折 り 目 に そ っ て き れ い に 半 分 に 割 れ そ う に な っ て い る 何 枚 も の 紙 幣 を セ ロ ハ ン テ ー プ で 補 強 し、 バ バ にならぬよう気をつけたものであ る。うっかりババを作りたくない と考える人は他にもいるらしく、 ときどき糊の弱いごわごわしたイ ラン製セロハンテープで、しかし 几帳面にお札の角が補修されてい るものが回ってきたりする。 嗚呼これが、一〇〇〇リヤール コインであったなら。もちろん、 銀行へ持っていけば新しいお札と 替えてくれる。しかしいったい誰 が、一〇〇〇リヤールの新札のた めに時間と交通費を使ってそんな ことをするだろうか? こうして大事に使おうと骨を折 る市民がいる一方で、紙幣をメモ 用 紙 が わ り に 使 う 不 埒 な 輩 も あ る。イランの紙幣はボロボロなば かりではなく、たいがい、何やら 汚らしい「走り書き」がしてある のだ。 誰かのケータイの番号、怪しげ な七、八桁の数字、住所……いつ ぞやは、女子学生風の丸文字(ア ラビア文字でもこういう類のハン ドライティングがある)で紙幣の 片面にびっしりと何かが箇条書き に 書 き 込 ま れ て い る も の が あ っ た。むむ、おおかたこれは学校に ノートを忘れて、お札に授業内容 でも書いたのかとよく読んでみる と、料理のレシピであった。 イランの人々はこれを案外、意 に介さない。メモ用紙になったお 札はババではないところが不思議 である。 コインはもちろん、このような 不当な扱いを受けることはない。 破損もない。安心である。重くて 使いでがないコインが細々と流通 し続けているのは、何はともあれ 耐久性に優れているからかも知れ ない。 紙幣に比べて持ちのいいコイン は、気長に待っていればお宝に化 ける可能性すらある。ネット上の 古銭商サイトを覗くと、つい数年 前までよく見かけた二五〇リヤー ル( 大 き な バ イ メ タ ル 貨 で あ っ た)がなんと早くも売りに出され ている。日常生活における出番が あまりに少ないので、持って歩く のが面倒でつい空き瓶に溜め込ん でいた筆者は猛省。お馴染みの二 五〇リヤールコインが、サーサー ン 朝 ペ ル シ ア の コ イ ン と と も に ネ ッ ト 上 で 売 ら れ て い る の を 見 て、我が家にも世界中の好事家の 垂涎の的がたっぷり眠っているこ とに気づいた。 ( い わ さ き よ う こ / ア ジ ア 経 済 研 究所 中東研究グループ) 筆者撮影