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東南アジア研究と、等しく、異なる言語 (特集「英語の世紀」の地域研究)

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Academic year: 2021

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東南アジア研究と、等しく、異なる言語 (特集「英

語の世紀」の地域研究)

著者

相沢 伸広

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名

アジ研ワールド・トレンド

178

ページ

11-13

発行年

2010-07

出版者

日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00004460

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アジ研ワールド・トレンド No.178 (2010. 7)

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●フルートをめぐって

  三人の子供がフルートをめぐっ て話していた。アンナは、 「フルー トを吹けるのは私だけだから、私 が 貰 う べ き だ わ 」、 と い っ た。 そ れ に 対 し て ボ ブ は、 「 こ の 中 で ほ かにおもちゃを持っていないのは 僕だけなんだ。だから、せめてフ ル ー ト は 僕 が 手 に す べ き だ 」、 と やり返した。最後にカーラは、 「こ のフルートを作ったのは私で、ど れだけ苦労したことか。だから私 が貰うべきなのよ」 、と主張した。 こ れ は、 経 済 学 者 ア マ ル テ ィ ア・ センが二〇〇九年に出版した「正 義 の 理 念( The Idea of Just ice )」 において、複数の「等しく」根拠 のある正義の理念が、衝突する局 面 を 表 す の に 用 い た 寓 話 で あ る。 フルートが有効に使われることが 一番だと考えればアンナを、経済 的な平等を大切に考えるならばボ ブを、労働の対価を受け取る権利 を 侵 し て は い け な い と 考 え れ ば カーラを、それぞれ支持するであ ろ う。 こ の 世 界 の 様 々な 正 し さ の 衝 突 は 、 こ う し た「 等 し く 」 根 拠 のある複数の正義同士の対話から 始めなければならない。センは例 え話を用いてこのように議論を喚 起する。さて、この例えをもう少 しだけ現実により近い形で考えて みたい。   もしも、 この三人の子供たちが、 異 な る 言 語 を 話 し て い た と し た ら?   相手が「等しく」正しい考 え方をもっていることを、理解す る言葉がなかったとしたら?   三 人の子供は、他の正しさに耳を傾 けることなく、実力行使にでるか もしれない。   地域研究をしていると、異なる 言語世界に特有の、異なる理念の 衝突や齟齬に絶えず直面する。そ の度に研究者は、私がインドネシ アの大統領だったら、タイの学生 活 動 家 で あ っ た な ら ば 、 マ レ ー 半 島 の 漁 民 で あ っ た ら 、 と 研 究 す る 人 々 の 思 考 を 歴 史 、 政 治 、 社 会 、 あ ら ゆ る 知 見 を 集 め て 想 像 す る 。 研 究 者 が 探 し 求 め る 彼 ら の 思 考 、 理 念 は 、 最 終 的 に は 言 語 に 束 縛 さ れ て い る 面 が 強 く 、 そ の 為 、 我 々 が 地 域 を 研 究 す る 過 程 で 、 学 習 の 中 核 に は 常 に 言 語 が あ っ た 。 新 た に 学 ぶ 現 地 語 に 、 他 の 言 語 に は な い 「 等 し く 」 説 得 力 の あ る 理 念 を 見 出 し 、 セ ン の 寓 話 のよ う な 相 互 に 論 争 可 能 な 局 面 に ま で 、 引 き 上 げ 、 突 き 合 わ せ る こ と は 、 地 域 研 究 者 に 課 さ れ た 重 要 な 仕 事 で あ ろ う 。

●言語に宿る歴史

  私は、京都大学アジアアフリカ 地域研究研究科という、地域研究 をその名に冠した大学院でトレー ニングを受けた。大学院には言語 習得のコースがあり、言語を覚え るためにも、現地調査に赴き、現 地語で書かれた一次資料を分析し て新しい発見を求めた。東南アジ ア 研 究 を 世 界 的 に リ ー ド し て き た、米国のコーネル大学やエール 大学でも、言語を重視する伝統は 日本と同じであった。一九五〇年 代、米国の東南アジア地域戦略に 資 す る 人 材 を と い う 名 目 で 研 究、 教育資金を受けることになった米 国の両大学において、地域戦略に 資する人材とは、何よりも東南ア ジアの現地語を理解し、英語で説 明してくれる人材であった。学問 の 専 門 化 傾 向 の 影 響 も 手 伝 っ て、 九〇年代以降米国の地域研究は低 迷し、二〇〇八年の経済危機がア メリカの各大学を襲い、地域研究 に対する二重の予算削減圧力が近 年かかった。それでも、両大学と も地域研究プログラムにおける言 語教育にかかる予算だけは、頑な に削らなかった。このことは現在 に至るまで、言語の習得こそが地 域研究プログラムにおける中核で あるという認識を、なによりも顕 していた。   強調すべき点は、地域研究にお ける言語の習得とは、流暢に話す

東南

研究

言語

地域研究

特 集

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こととは異なる課題を重視してい る点である。その課題とは、言語 を通じてそこに宿された歴史や文 化、社会的な背景を概念として理 解することを意味していた。その 為、言語を学ぶには、現地に滞在 するだけでは足りず、体系的な学 習が必要な営みであり、ゆえに大 学 院 教 育 が 重 視 さ れ た の で あ る。 そのようなレベルを早くに達成で きなかった私のようなできの悪い 大学院生は、現地で演劇などを観 ていても、気の利いた風刺や皮肉 で会場中が沸いている時に、一人 だ け そ の 笑 い か ら 取 り 残 さ れ た。 「 抑 揚 の な い ジ ャ ワ 語 な ま り の イ ンドネシア語のスピーチ=スハル ト大統領」といったことがわから なければ、スハルトと売春婦が下 ネタで丁々発止にやり合う様を模 して、政権批判を展開しているこ となど、合点がいくはずもなかっ たのである。   言葉の苦労といえば、東南アジ アの特色として主要言語が大きく 分かれているという点にも触れて おかなければならない。人口でみ た時の東南アジアの主要三言語を みてみると、インドネシア語、ベ ト ナ ム 語、 タ イ 語 が あ げ ら れ る。 構造も文字も随分異なるこれら三 言語を一人でカバーすることので きる研究者は皆無であった。ラテ ン ア メ リ カ に お け る ス ペ イ ン 語、 アフリカにおける英語やフランス 語 に あ た る 地 域 内 の 準 普 遍 語 が、 東 南 ア ジ ア に は な か っ た の で あ る 。

●東

る「

の世紀」

  東南アジア地域研究は、現在は 低迷しているとはいえ、米国にお いて一九五〇年代から九〇年代初 頭にかけて、東南アジアが一つの 地域として戦略的な意味を付与さ れた時代に、大きく発展した。日 本語での東南アジア研究もこの間 大きく進展し、アジア経済研究所 や京都大学東南アジア研究所を中 心 と し て 多 数 の 書 籍 が 出 版 さ れ た。ただ、量としては英語での出 版が圧倒的であり、その蓄積が日 本を含め世界中の次の世代の東南 ア ジ ア 研 究 者 の 大 き な 礎 と な っ た。かくして、現在、東南アジア 研究を行うということは、現地語 を学ぶだけでなく、英語を読むこ とも当然視されている。   英語が東南アジア研究の流通言 語としての地位を確立しつつある ことのインパクトは、なによりも 現地研究者の英語発信力の伸びに 表れている。 シンガポール、 マレー シ ア は 英 国 の 旧 植 民 地 で あ り、 フ ィ リ ピ ン は 米 国 の 植 民 地 下 に あった経緯から、もともと英語で 執 筆 す る 事 の で き る 研 究 者 は 多 かった。そこに、一九六〇年代以 降、米国に留学した東南アジアの 研究者らが加わり、彼らは次々と 英語で本を書き、 論文を発表した。 そ し て 今、 そ の 世 代 の 子 供 た ち、 つまり親の留学や影響等で、米国 や英国、オーストラリアで教育を 受けた次世代、 次々世代が加わり、 東南アジアの研究者コミュニティ に流通する英語の量は、半世紀を かけて飛躍的に増えつつある。   東南アジア研究における「英語 の世紀」は、こうして日本で論じ ら れ る よ り 早 く か ら 始 ま っ て い た。現在ではブログをはじめとす る電子メディアの拡大により、現 地語のみならず、英語で収集でき る 情 報 量 は 飛 躍 的 に 増 加 し て い る。二〇一〇年五月のバンコクの 争乱の際には、英語ブログや英語 メーリングリストが、タイ語では 流通できない情報も含めてリアル タイムで世界に向けて情報を発信 し続けた。東南アジアにおける英 語での情報流通の拡大は、いまや 調査言語としても英語が欠かせな いことを示している。

 何

か、

いて書くのか

  東南アジア地域研究の中核に現 地語理解の重要性がある以上、英 語の世紀においても、調べる言語 としての現地語の重要性が変わる ことはしばらくないだろう。 いま、 地域研究者にとって悩み深い問題 は、何語で書くべきなのかという 点である。   東南アジアにおける英語の浸透 は、何よりも英語での執筆がます ま す 効 果 的 に な る こ と を 意 味 す る。自然科学、 社会科学を問わず、 学術的貢献はその時代の普遍語で なされることが、当然視されてき た。この点は地域研究とて同じで あり、広く読者を求める活動の場 を広げようと思うならば、人文学 特有の困難があっても、やはり英 語で書くほかはない。また、東南 アジア研究の中核を今後担ってい くのは、なによりも世界中の東南 アジア出身の研究者であろう。英 語で書くということは、その東南 アジアの人に読んでもらえるよう になる事を意味する。   このことは、複数の主要現地語 がある東南アジアだからこそ、さ

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東南アジア研究と、等しく、異なる言語

らに効果は大きい。東南アジアの 事実上の経済的統合が進む過程で 隣国への関心が高まり、また、国 単位ではない国境を超える地域単 位の研究テーマがますます重要視 されるようになると、そのテーマ に取り組む研究者は複数の国にま たがって読者を求める必要が高ま る。 そ の 時 に 有 効 な 執 筆 言 語 は、 現在英語しかないのである。   ただ、英語で書かなければなら ないという課題を引き受けながら も、東南アジア地域研究者が悩む のは、普遍語による学術貢献とは 異なる極めて重要な知的貢献があ ることを、多くの人が承知してい るからであろう。その側面を、日 本語で書くことの意義を通じて確 認しておきたい。   東南アジアについて、日本語で 書くことの意義は少なくとも二つ ある。第一の意義は、日本自身が 東南アジアのメインプレーヤーの ひとりであるという歴史、地政学 的な条件に由来する。例えば、東 南アジアの経済発展は一九八五年 のプラザ合意以降の日系企業の東 南アジア進出を抜きには理解でき ない。チェンマイ・イニシアティ ブから、東アジア共同体構想を巡 る政治過程を理解する為にも、日 本が呈示してきた理念の理解は外 せない。東南アジアと日本社会の 関係の近さゆえに、東南アジアの 知見を共有すべき当事者たる読者 が日本にはある。読者が当事者で あるがゆえに、要求される内容水 準も高まり、ゆえに日本語で執筆 する意義を高め、さらには研究の 発展を支えてくれるのである。   第二の意義として、日本語での 執筆を通じて、地域研究のテーマ 選択における異なる言語コミュニ ティ間の比較ができるという利点 がある。ごく単純化した例を挙げ たい。日本の東南アジア研究にお いては、経済に関心の中心がある が、米国では政治、安全保障が関 心の中心となっている。 そのため、 日本では経済的統合の産業構造へ の影響等を問うことに関心が集ま り、他方米国ではイスラムと民主 主義の親和性や、イスラムとテロ の関係に自然と関心が集まる。こ のようなテーマ選択の違いや癖と いうのは、現地語そのものに内在 するのではなく、執筆言語の研究 コミュニティの歴史とその研究コ ミュニティと東南アジアとの政治 経 済 的 な 関 わ り 方 の 違 い に 因 る。 したがって、英語と現地語以外に 執筆可能な言語を有していること は、英語の研究コミュニティで注 目されるテーマ選択を相対化する ことができ、常に批判的な検証を 行う素地を育む。   地 域 研 究 に つ い て は 、 長 年 、 専 門 化 さ れ た デ ィ シ プ リ ン と の 間 で 、 方 法 論 を 巡る 論 争 が 続 け ら れ て き た 。 そ こ で の 論 争 は 主 と し て 「 ど の よ う に し て 」 分 析 す る の か を 巡 る 議 論 で あ っ た 。 現 在 我 々 に 投 げ か け ら れ て い る 、 ど の 言 語 で 表 現 す る の か と い う 問 い は 、 そ れ に 対 し て 、「 な に に つ い て 」 分 析 す る の か を 巡 る 論 争 に 繋 が る 。 複 数 の 言 語 コ ミ ュ ニ テ ィ に 属 し て い る 者 は 「 な に に つ い て 」 分 析 す る か 、 言 語 ご と の 複 数 の 選 択 基 準 を 意 識 す る が ゆ え に 、 自 ず と 一 段 階 追 加 検 討 を 迫 ら れ る か も し れ な い 。   ただ、多くの先達が示してきて くれたように、現地語に通じ、か つ日本語と英語の、二つの執筆言 語を持つ日本人の東南アジア地域 研 究 者 は、 英 語 の 世 紀 に お い て、 特別な位置にあるといえる。一人 の研究者が、イスラムと政治の関 係については英語で執筆し、経済 統合の話は日本語でと読者の多い 言語でそれぞれ執筆するというよ うに、執筆言語に応じた効果的な 研究発表方法の選択も、研究の重 要性を測る言語でとの複数の尺度 の比較を通じて可能となる。その 意義は英語での情報流通が拡大す る程ますます大きく思われる。英 語 以 外 の 執 筆 言 語 を も つ こ と は、 英語で書く上でも、英語の研究コ ミュニティを相対化することを可 能にし、さらには東南アジアのよ うな多くの言葉に分化した地域を 英語という単一言語で表す時に生 じる歪みに、気付き易くさせてく れるであろう。   センが用いた三人の子供の寓話 において、ボブとカーラは英語を 話しているが、アンナだけが日本 語で話をしていたとしたらどうだ ろうか?   アンナは、ボブとカー ラに、なんとか自分の主張を訴え る為に英語で話すだろう。 その点、 アンナは人一倍苦労しなければな らない。そうなると、この世の中 には三つの「等しく」異なる正し さが存在していることを誰が最も 理解し、説明しうる可能性を持っ ているだろうか。その時、地域研 究者として、普遍語ではない言葉 を複数持つ者の強みが発揮される と、悩みつつも、望みたい。 ( あ い ざ わ   の ぶ ひ ろ / 在 イ サ カ 海 外派遣員)

参照

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荒神衣美(こうじんえみ) アジア経済研究所 地域研究センター研究員。ベトナム の農業・農村発展について研究しており、