― 5 ― ― 4 ― 東京オリンピック大会開催を今夏に控えた 2020 年 3 月.新型コロナウィルスの大規模感染による リスクを回避するため,首相の唐突な要請に従い,日本社会は 2 月末から諸行事の自粛や学校休校な どの対応を余儀なくされている.実質的な生活困難に陥る人々も多く,私たちは大きな社会的不安と 混乱の中で新年度を迎えることになった.トイレットペーパーやマスク等の生活必需品が不足すると いうデマの情報が拡散され,高額転売目的の大量買い占めや,品薄不安による買いだめ行為によって, 長蛇の列に並ぶ余裕のない人に必需品が渡らないなど,新たな社会問題も生じている. 「持続可能で包摂的な社会」を実現していくためには,各個人が情報の真偽を検討し,情報発信を 含めた行動を選択する力を持つことが必要だ.しかしそもそも情報リテラシーの向上は,主権者であ る国民が共有すべき多様な情報に公正にアクセスできる権利,および発信できる権利が保障されてい なければ実現できない.情報が偏り不安が増大すれば,適切な判断力は削がれていく.権力の一極集 中によって,情報に関わる諸権利が制限されるような社会になれば,個々人の判断力や意思決定の力 が阻害され,結果的に「持続可能で包摂的な社会」の実現は困難になるだろう. * * * 日本スポーツとジェンダー学会(JSSGS)は,国連が 2015 年に策定した SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)に基づいて「持続可能で包摂的な社会」という社会像を 描き,ジェンダー視点を含めたインターセクショナルな分析や議論を進めている.2018 年からの 3 年間は「スポーツとジェンダーを展望する─東京 2020 大会後を見据えて」とする包括テーマを掲げ, 2 年目の第 18 回大会では「インターセクショナルな視点からスポーツとダイバーシティを問う」と 大会テーマを設定した. 昨今の日本の経済界では,多種多様な人材を登用してグローバルに経営展開していくための合言葉 のようにダイバーシティという言葉が称揚されている.しかし,ブレイディみかこ氏は福岡伸一氏と の対談1)で,世界中で展開されるグローバル企業のサービスの画一性について触れ,次のように指 摘している.「結局は効率的に売り上げを最大化しているだけで,自分の利益のことしか考えていな いんじゃないでしょうか.多様性とは真逆の方向に見えます」.これに同意して福岡氏は生物学者の 視点もからめつつ,「真の多様性とは,違う者の共存を受け入れるという,言わば利他的な概念です」 と応答し,「(中略)多様性は,利己性より利他性になじみがあると思う」と続けている. * * * JSSGS 第 18 回大会のシンポジウムテーマは,「多様性を包摂するためのスポーツの課題」であった. 基調講演に登壇いただいた清水晶子氏は,「多様性の包摂」が,好ましいものとそうでないものを区 別し,選別されたものだけが主流(社会で権力を持つ側)に同化させられる方向性をもつことを指摘 した.「多様性の包摂」の推進は同時進行的に,さらに周辺化される人々を「ダイバーシティの他者」2) として生み出しているという. 同シンポジウムでは,スポーツにおけるダイバーシティをめぐる課題のひとつとして,キャスター・ セメンヤ選手ら「高アンドロゲン症」とされる女性選手の競技会参加資格をめぐる問題が議論された3). 巻頭随想
「持続可能で包摂的な社会」とスポーツの再構築
熊安貴美江(大阪府立大学)
― 5 ― ― 4 ― セメンヤ選手に対する視線には,アフリカ系女性の身体を「女性」に含めて考えていない人種差別に 基づくまなざしも交差している,と清水氏は指摘する.スポーツにおいて「どういう身体があってよ い」と考えられているのかが問われているということだ.どのような身体を「女性選手」として受け 入れるのかという問いは,特定の線引きによって区別された女性を「女性選手」とみなさないような スポーツ文化を,私たちがどのように評価するのかという問いに発展させることができる.同シンポ ジウムでの來田享子氏の言葉を借りれば,セメンヤ選手らの参加をめぐる問題は,スポーツ文化のあ り方そのものを問い直す,「スポーツの再構築」の問題なのだといえる. スポーツにおけるダイバーシティの問題を,ジェンダー視点を含めたインターセクショナルな視点 から読み解くということは,主流のスポーツから「だれ」が「どのように」排除されているのかとい うメカニズムを明らかにしつつ,「スポーツ」そのもののありかたを問い直すための重要な作業である. 2020 年 9 月 8 日から 12 日にかけて,2020 横浜スポーツ学術会議4)が開催される.JSSGS も企画 のひとつとして,「スポーツにおける性別二元制と高アンドロゲン症規定」と題するシンポジウムを 担当する(9 月 10 日).この企画では,女性選手の出場資格をホルモンレベルで決定しようとする「高 アンドロゲン症規定」の問題点や撤廃の取り組み等について,JSSGS 会員を含む国内外 3 名の研究者, 当事者選手,活動家に登壇いただき,議論する予定である. * * * コロナ感染拡大防止をめぐる国際的な混乱の中,東京オリンピック大会の開催への懸念が高まって いる.東日本大震災や原発事故からの復興という「復興五輪」をスローガンに掲げた東京オリンピッ クは,福島県を聖火リレーのスタート点としているが,主催者側の意気込みと被災者の受け止めとの 落差の大きさもかねてから指摘されている5).一口に被災者と言っても,立場はそれぞれに多様では あるが,「復興五輪」を疑問視する立場の声6)は,都合の悪いものとして他者化され,かき消されて いるのではないか. オリンピック大会をはじめ,スポーツ・メガイベントがもたらす社会的インパクトについて,「持 続可能で包摂的な社会」をめざす観点から徹底して考え直す機会ととらえてみてはどうだろう. 注 1) 「対談 多様性って何だ 誰も否定されないこと」(朝日新聞オピニオン 2020 年 1 月 1 日) 2)清水晶子「多様性の可視化がもたらす意義と課題」日本スポーツとジェンダー学会第 18 回大会プログラム& 発表抄録集,12 頁 https://jssgs.org/hp2018/wp-content/uploads/2019/06/JSSGS18th_program2019-1.pdf 3)以下の清水氏,來田氏の発言は,JSSGS 第 18 回大会シンポジウムにおける質疑応答でのコメントより 4)全体テーマ:「多様な人々が共に生きる世界をめざして:体育・健康・スポーツ科学の貢献」 https://yokohama2020.jp/jp/index_jp.html 同学術会議では JSSGS が関わる企画として,「祝賀資本主義とスポーツ・メガイベント,そして東京 2020 オ リンピック」(講演),「サステナブルな社会実現のためのスポーツ法のフレームワーク(案)」(シンポジウム) なども予定されている 5) 「福島聖火リレー『きれいな地点切り取った』復興五輪の影」(朝日新聞デジタル,2020 年 2 月 25 日) https://digital.asahi.com/articles/ASN2T5CQHN2RULBJ001.html 6)「『オリンピックどごろでねえ』聖火リレー出発地・福島,『復興五輪』 に喜べず」(AFP BB News,2020 年 3 月 10 日)https://www.afpbb.com/articles/-/3272421