Title
国際関係の中の個人
Author(s)
組原, 洋
Citation
沖大法学 = Okidai Hōgaku(16): 33-78
Issue Date
1995-03-17
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/6602
国際関係の中の個人
まえがき昨年度二九九三年度)から私は、沖縄大学の国際法の講義を担当している。八一年度に担当して以来のことである。
八一年度で国際法を担当するのを終えた時は、再びこの科目を担当することがあるなどとは思ってもいなかった。そし
て、講義を終えようとする時期に書き上げた拙稿「国際法における目的と構造」(沖大法学第四号(一九八二年)所収)
も、いわば国際法との訣別宣言のつもりであった。 まえがき) 一国際法の主体 二「自決」と「共生」の間 三個人を支える組織 国際関係の中の個人目次
組原
洋
 ̄  ̄  ̄ ■■■■■■■■■■1-今回国際法を担当することになったのは、他に適当な教員がいないということで、いわばピンチヒッターとしてであ
る。そういうことで、一年きりの担当のつもりでやっていたが、事情により今年度(九四年度)も継続して担当してい
る。しかし、今年度きりの予定である。ところで、九一一一年度と九四年度における私の担当講義科目は、国際法のほか、法人類学と国際私法である。この三科
目で法学関係の国際関係科目をほぼ網羅できよう。考えようによっては非常に恵まれた状況といえる。そこで、今回国
際法を担当することが決まった時から、何らかの形でその経験を活字にしたいと思っていた。
当面、何よりも関心を持っていたのは、講義を担当しなかった一○余年の間に、国際法の分野でどのような変化が起
こつたかだった。私が国際法から離れた理由は、簡単に言えば、悪い意味での理想主義に愛想が尽きたということであっ
た。それで、法人類学を担当することで、事実レベルの問題に関心を集中してきた。両者の距離は埋まったのだろうか。
例えば、前記の拙稿で私は、民族の視点から考えることの必要性を述べたが、この一○年ほどで、民族抜きでは何も論
じられないというほどに状況は変化したのである。そういった問題状況の変化が国際法における理論構成にどのような
変化を及ぼしているのであろうか。このような関心を持って講義をしだしてやがて二年目になる。まだやっている途中でもあり、荒削りな部分が多い。
実際、執筆するうちに、次から次へと新たな疑問が湧いてきた。しかし、印象が鮮明な今のうちに何らかの形でメモを
残しておきたいという強い気持ちは一貫としてあって、その気持ちの表現として、あえてこのような形でまとめてみた。
忌揮のないご意見。ご批判を期待している。 沖大法学第十六号 四1
以前、一九八○年度と八一年度の一一か年、国際法の講義を担当した時に考えたことを活字にしたのが、まえがきに記
した拙稿であり、これが私の処女論文である。内容を簡単に要約すると次のようになる。まず最初に「平和」が国際法なのだろうかという問題提起をした。「正義」との関連で考えてみると、「いい」平和
もあるし、「よくない」平和だってあるのではないか。核があるためよくない状態だとは思いながらも我慢するといっ
た、いわば「やむをえない」平和もあろう。つまりは、さまざまな平和があるということだ。その後、拙稿「「平和」
考」(沖大法学第一○号二九九一年)所収)でこの問題について引き続いて考え、結論として、各個人の尊重という
ことを実現する方向での平和概念の普遍化と相対化とがともに必要ではないかと述べた。各個人の尊重ということは、
その文化を尊重するということだから、普遍化とともに相対化も必要であるということになったのだが、理論的にはと
もかく、実際に「普遍化」と「相対化」とがうまく折り合えるのかどうか、十分に考えたわけではなかった。そして、
実は、ここらへんのところが本稿の主要なテーマの一つである。それから、国際法が法として未熟で遅れているという、国際法の分野の中でも伝統的に指摘されてきたことの評価を
試みた。要するに、国内法における国家機関に相当するものが存在しないので、強制的な実現可能性が低いということ
である。このことは特に場面がシリアスになればなるほど指摘できることである。しょせんは力に従属してしか機能し
ないのではないかと。法人類学で扱われる部族法段階とも言えなくはなかろう。 国際関係の中の個人 国際法の主体 五そういうことで、八一年度から、この拙稿で駆け足で見た「民族の目で見た世界」を、法人類学の講義を担当すると
いう形で、順にゆっくりと見てきたわけである。まだその作業は継続中であるが、ともかく一○年余りそういう作業を
継続してきて、少しは蓄積ができた。個別の民族誌の域を多少越えて、民族問の「関係」とか「構造」とかの問題にも
関心を振り向けられるようになってきた。一九八一年度に国際法と法人類学の講義を両方持った時は、内容の振り分け
ところが、国際法の理論世界では、|種の理想主義があるのか、国際社会は現実にすでに一体性を獲得したかのよう な前提で理論構成する傾向が見られるということである。それに対して、私は、まだまだ一体性は現実のものとなって いないということを、「民族」の観点から、ざっと概観してみたのである。そして、本当だ-体性が実現していないと ころで、一体性の実現を前提とした理論を当てはめても無用の混乱を招くだけではないかと考えた。 この稿のさしあたっての結論としてそのような意見を述べたが、では、何を国際社会の基本単位とすべきであろうかと考えて、現在のところ国家が早急に消滅することはなさそうだが、例えば地域主義の主張というのが国家を超えねば
ならないとする主張とうまくかみ合うといったようなことも述べた。 以上が拙稿の簡単な要約である。 これからわかるように、私が国際法から離れたのは、無意味な理想論をやっても仕方がないではないかという気持ち からであった。世界をどうするこうするという議論は、少なくとも個人的には、世界の現状をちゃんと把握してからに しよう、と。それから、国家という組織を論ずることに当時は魅力を感じないということもあった。 沖大法学第十六号 2 ’一一一ハなど余り考えなかったことを考えると、多少は前進したのではないかと考えている。 実際、国際法の講義をすることが内定して、講義の準備を意識し始めると、法人類学の講義でやって来たことでその まま使える材料が多いのにあらためて気がついた。例えば、当時、法人類学との関係でいわゆる「新しい人権」につい て調べていたが、その過程で、「第三世代の人権」についても調べることになった(詳しくは、拙稿「「新しい人権」 と沖縄」(沖縄大学地域研究所年報第四号二九九三年)所収)参照)。この「第三世代の人権」などは国際法の分野 で主張されるようになったものである。 更に、実際に九三年度の講義が始まってすぐに、両方と関係するテーマにぶつかった。九三年度の講義が始まる直前 に、私はボランティア活動関係の講演をした(詳細は、拙稿「時間・空間と人間の設計」(沖大法学第一五号(’九九 四年)所収)参照)。そういうことで、法人類学の講義では最初の三回ほど、この関係のことを扱って、入門にあてた。 ところで、周知のように九三年四月八日、カンボジアで、国連ボランティアとして選挙監視を担当していた中田厚仁氏 (当時二五歳)が射殺された。中田氏の父親がインタビューを受けているのをテレビで見ると、薄笑いさえ浮かべ、 「覚悟の上だ」といっていた。すごいことである。とにかく、国際法も、「日常」として講義ができるほどになったの だなあと痛感したことである。この国連ボランティアとか、国際NGOとかが一般に議論されるようになったのはこの 事件によるところが多い。 3 国際法の講義を始めるに当たって、導入部分をどのように構成するか、非常に迷ったが、》」のNGOなどを取り上げ 国際関係の中の個人 七
九三年度の後期に、法人類学の講義で曰本の未批准条約を検討した。国際人権法を総合的に見てみることで、その続
きをすることもできるのではないかというもくろみもあった。並行して読んだのは、まず、松井やより、R・ルプレヒト編「NGO、ODA援助は誰のためか曰本とドイツと第
三世界」(明石書店・一九九二年)である。すばらしく面白い。「援助」ということもまた、ボランティアと密接に関
連する。この本を読んでいると、人権面と同時に経済協力面を見ていかなければならないということを痛感させられる。
「国際」という大きなポウルの中で、いろんな要素・機能がごちゃごちゃになっている現実をまず正確に把握する必要
があると思うとともに、漠然とした感じで、「人権」というのはやはり、普遍化できない面を持つのではなかろうかと
も考えた。「民主主義」だけでは地球はとてもやっていけないのではないか。人権は、「当面の武器」である、といっ
た感じがしてならない。その先がよく見えない。それから、久保田洋他「国連・NGO実践ハンドブック」(岩波ブックレット二九九三年)がちょうど出版された。
現場の空気を生き生きと伝えてくれる。 (信山社。一九九○年)である。で主体ということも考えた方がいいのではないかと考えたのである。使用した教材は、久保田洋「入門国際人権法」
いった具合にまとめてしまうより、テーマに則して、どういう機関がどういうふうに具体的に動いているのかを見た上
そういった関心から、思いきって国際人権法の分野を概観してみることにした。最初に国際法の主体はこれとこれ、と
ると必然的にNGOも出てくるわけである。主体とテーマとの間にまた、何らかの相関関係が見いだせるのではないか・
ょうとすれば、同時にテーマの方も決まるという関係にある。私が特に興味を持っていた人権などのテーマを取り上げ
沖大法学第十六号 八このような入門を終えてから、法源論をやった。清水良三「現代国際法諸説(増訂版)」(酒井書店。一九九○年) を使った。’○余年前講義した時も、同氏の、「国際法における伝統と革新(増補版)」(同。一九八○年)にはお世 話になった。量的には少ないとは言えないが、文章に順々に読ませる何かがあって、私とは相性がいいらしい。こざか しい感じがしないのが好きである。 更に、沖縄大学法学会の講演会や、ゼミとの関係で、青年海外協力隊の方々の話をきく機会も何度か持てた。この時 特に、那覇市教育委員会の中村英雄氏にお世話になったが、氏は、ちょうどドミニカから帰ってこられたばかりだった。 青年会の組織づくりの手伝いをやっていたということだが、こういった種類の活動など、それまでの私にはぴんと来な いところがあって、一つの驚きだった。何というか、私は「ただ見る」というセンスでの旅が長かったのである。 五月の半ばで、一応、「入門国際人権法」は終えた。だんだんと、読み始めた頃の興奮は抜けていったが、私個人と しても大きな収穫だった。お陰で、田畑茂二郎「国際化時代の人権問題」(岩波書店・’九八八年)も読み始められそ うだと思った。それまで、国際法の分野で人権など扱ってみても、という悲観的な先入観を持ち過ぎていた。 ところで、人権法ということで、国連NGO(国連憲章七一条)が中心に扱われているが、NGOが活躍しているの は人権の分野だけではない。そして国連憲章に基づかないNGOも多いのである。環境や難民などに関してはNGOが 先導的役割を果たしたといえる。この点について、福田菊「国連とNGO」(三省堂・’九八八年)は、NGOの活動 を全体的に扱っている。つまみ読みした程度であるが、とても面白い。 国際関係の中の個人 4 九
形成と同様に、解釈も大部分が諸国家の手によって行われる。通常、国際法は、国際裁判所などにおいてよりも、諸
国の外務省において解釈される。清水氏が指摘しているように、国際裁判所は特に管轄権に問題が多い上、次のような
理由で利用は多くない。第一に、不利益な判決が出る可能性があれば司法的解決方法は受諾しがたいものとなろう。裁
判所に付託される事件の大部分は比較的重要でない問題に関係していたし、死活の重要性を有する事件が付託されるこ
とはなかった。第二に、敗訴が予想されるような事件を裁判所に持ち込もうとする国家は事実としてまれである。そのような場合は通常、司法的解決よりは交渉の方が好まれる。第三に、いくつかの国家が国際裁判所によって適用される
であろうと考えられる法に批判的である。旧ソ連など。アジア。アフリカ世界もこの裁判所とは比較的わずかな接触し
か持ってこなかった。非西側から見れば、規則は中立的ではなく、西側サイドである。これまで付託された紛争を見る
と、国際法の内容と機能とについてだいたい同じような意見を持っている国家同士であった。いわゆる裁判の独立性は、
強力な国家から見れば不利益と映る。かくして、一般に考えられているよりはるかに多く、国内裁判所が国際法上の諸
問題を決定することになる。しかし、国際的な「先例拘束」の理論が存在しないため、区々になることが多い。国内裁
判所固有の偏見から逃れることも難しいし、権力分立理論からくる判断回避の可能性もある。次に国際法と国内法の関係を取り上げた頃、ちょうど、子どもの権利条約の批准が問題になっていた。周知のように、
政界変動のあおりを食って、この条約が批准されたのは結局、九四年になってからである(五月一三日発効)。八九年
一一月二○日に国連総会で採択されて以来四年半経過後で、何と、一五八番目の批准国だというのだから恐れ入る。批
である。 条約にしろ、慣習法にしろ、基本的に国家間の合意が基礎になっているという点において、以前とかわりはないよう 沖大法学第十六号 四○准を推進してきたサイドでは画期的な条約であると言われているのに対して、文部省サイドでは批准によって何ら変わ らないみたいなことを言っているが、そうはいくまい。そういった状況を眺めていて、国際法の内容を実効的なものと する上で、ある意味で国内法化に勝るものはないということを痛感した。それは、間接的であれ、国際法を国内法にリ ンクすることになる。実態は国際的圧力というか外圧が国内の変化をせまっているという面が、特に曰本では強いと思 うが、批准によって国内に受容されると、国内法が国際法を確かなものとしているかのようにも見えるのである。 以上が、「基本構造」として説明したことであるが、やってみて結局、国際法の主体としてどのようなものを考える かが大きな問題だと確認した。 三年)五五頁以下参照)。 「基本構造」のあと、その「主体」に入った。 九三年度はとにかく、まず個人についてみてみたいという気持ちが強かった。というより、「国家については、でき るだけ後の段階で扱いたい」というほうが正直だろう。それによって、国家が置かれている位置、状況がよりよく見え るだろう、ということである。 「主体」の一つとして個人が論じられる場合、条約に個人の権利・義務が規定されているというだけで個人が国際法 の主体となったとは言えないと述べられるのが通常である(例えば、松井芳郎他「国際法[新版]」(有斐閣・’九九 国際法は国と国の間の関係を規律するところから出発した。具体的には条約や慣習法(その他にもあるのではないか 国際関係の中の個人 5 四 一
という論議はここでは省く)を国家が能動的に作っていって、かつそれを守る義務を負うということになる。ところが、 国家以外の主体は、国家が条約や慣習法で認めた範囲で限定的な法主体性を持つに過ぎないし、また、国際組織が一定 の範囲で条約締結能力を認められ、その権限の範囲で慣習法形成能力が認められる場合があるのを別にすれば、原則と して、能動的な国際法創造能力はないとされるのである。 個人の国際法主体性に関して問題となる典型的なケースとして、例えば、いわゆる原爆訴訟判決が挙げられよう(東 京地方裁判所一九六三年(昭和三八年)一一一月七日判決、下級裁判所民事裁判例集一四巻一一四三五頁)。この判決内容 を私なりにまとめると次のようになる。 ①原爆投下は国際法上違法であった。その理由は、国際慣習法となっていた軍事目標主義に反するし、戦争に際し不 要な苦痛を与えるものや非人道的なものは害敵手段として禁止されるという国際法上の原則にも反するからである。 ②被害者個人の損害賠償権の成否については、 a個人は、国際法上個人の権利義務が規定されているというだけでは国際法上の権利主体であるとは言えない。 具体的に条約によって出訴権が承認されていて初めて権利主体となったといえる。 b外交的保護権の行使は国家自身が、国家自身の名において、独自に行うものである。国民を代理してするもの cしたがって、被害者個人が国際法上損害賠償を請求する道はない。 d残るのは、交戦国の一方または双方の国内裁判所に救済を求めることが可能かどうか。 ではない。 沖大法学第十六号 四一 一
条約で個人の権利・義務を規定する条約は極めて多いし、それに関する慣習法も次第に形成されつつあるが、そうい うものの大部分は、締約国がお互いに相手国の国民に自国の国内法上の権利・義務を与えることを約束するとかといっ たように、国と国との間の問題ととらえられるのである。個人の主体性が認められたといえるためには、更に例えば、 ②aの出訴権が認められたとかということが必要だとされるのである。こういった例は現在のところ限られていて、少 ここで放棄されている曰本国民の請求権というのは、日本国民の国内法上の請求権である。 hところが、前記e、fに述べたとおり、被害者個人は国内法上の請求が認められない。だから、被害者はそも そも喪失すべき権利を持たないのである。だから放棄責任もないのである。 i戦争災害に対しては当然に結果責任に基づく国家補償の問題が生ずるであろうが、それは国会と内閣の職責で ある。 アメリカの国内裁判所では、主権免責の法理のため、米国と米国大統領に対して不法行為責任を問えない。 f国内法に基づいて不法行為責任を問う場合もeと同じである。 g対日平和条約一九条aは「連合国及びその国民に対する曰本国及びその国民のすべての請求権を放棄」する旨 e(国内法として受容された)国際法に基づいて国内裁判所に請求する場合頤 日本の国内裁判所による救済は、国家が他の国家の民事裁判権には服しないという国際法上確立した原則によっ 規定。 国際関係の中の個人 て認められない。 四 =  ̄
八月二曰から夏休みで東京に出た。この一週間後に細川連立内閣が発足した。連立の合意として、戦争責任を認める
ということが言われていた。上京の翌日、新宿紀伊國屋書店で、高木健一「従軍慰安婦と戦後補償」(一一|一書一房・一九
こういう状況の中で、個人に国際法主体性を認める要件として出訴権等を要求することは、少ないながら出訴権等の
認められる例が出てきたことの意義を評価するのにやぶさかではないが、余りに高い障壁を設けることになるだろう。
事聰実として国際問題においても個人の比重がどんどん高まっていく中で、理論が取り残されることに力を貸すことにな
らないだろうか。あるいは、国際法上請求が認められなくても、国内法上認められれば、結果的には問題はないのかも
しれない。しかし、原爆訴訟の場合、②e、fで述べたようにこれも否定した。ともかく講義では、個人ということで、このような論議の他に、外国人に関して問題となっていることをまとめてみ
た。個人的には、難民に関して、いろいろ勉強して、時代の変化を感じた。この難民という言葉、分かるようで、範囲
があいまいなところがあり、実感が伴わなかったので、国際人道問題独立委員会(ICIHI)釦坐呈盲「難害尿化の力受1
人は、なぜ追い立てられるか」(第三文明社・’九九○年)を読んだ。とても分かりやすく、興味深い。
ないので、この立場に立てば、多くの場合個人の国際法主体性は否定されるということになる。出訴権等が認められていないと個人が主体性を認められたとは一一一一口えない、ということの妥当性を考えてみると、前項
4で述べたように、国内法の場合と異なり、国際法の場合、国家についてさえも出訴権が認められたとは必ずしも常に
は言えない状況である。 沖大法学第十六号 6 四四九二年)を買って、読んだ。条約で菫璽水権放棄をしても、それでカバーされるのは、国対国間のものと、外交的保護権
だけであり、個人の菫亜水権がそれによってなくなるのではないということはその通りであろう。問題は、その「個人の
》狙水権」というのは国内法上のものなのか国際法上のものなのか。国際性上のものと解しても、外国を被告として訴え てもだめだとされている。とすると、国内法上のものというしかないのだろうか。従軍慰安婦問題の場合、国家賠償的 性格を持つ、つまりは不法行為である。過ちを償え、と。このように解すれば、国籍条項がおかしいということはよく分かる。しかし、在日ではない韓国人が一請求する場合、これは「国際法上」のものではないのか。ないんだろうな。不
法行為をなしたのがたまたま国家であるというだけなんだから。この場合国は被告となることを拒否できるのであろう か。拒否できないというのであれば、同じ菫坦水を、国際法上のものとしてはできなくても国内法、というよりは国際私法上のものとしてはできることになる。例えば、原爆訴訟の場合、個人の睾亜水権は残っていて、それは国際私法上の請
求権であると解すれば、被爆者はアメリカに損害賠償謹亜水権を有するということになるわけである。ある請求権が、国際法上のものか国際私法上のものかは、いずれかで妻盟水が認められるなら、たいしたことではないようにも思われる。
「原爆投下は国際法上違法。被爆者は投下国に損害賠償菫亜水権を有する。渉外事件として投下国を訴えることができる。
」こういうことか。渉外事件だというなら、まず準拠法を決定せねばならないだろう。それは不法行為地である原爆投 下地だとすれば、日本法が準拠法である、か。で、日本法上は原爆投下は違法であるという国際法を国内法として受容 しているわけで(原爆訴訟判決が認定しているように)、曰本法によって損害賠償拳亜水は認められるということになる のか。これでおかしいのだろうか。やっぱり、国際法上違法ということと、国内法上違法ということとは全然違うこと なのか。従軍慰安婦の場合、原爆と違うのは、敵に対する行為ではなく、味方というか、自国民に対するものである。 国際関係の中の個人 四五浅井基文「国家と国境国際化社会における秩序と民族自決問題」メモ
国家というものの位置づけに大きな揺れが生じたのはソ連が崩壊したことが大きい。浅井基文「国家と国境」(ほる
ぷ出版・’九九二年)を利用した。ただし、同氏の「国家は役に立つ」論には、あんまり説得力を感じなかった。以下
に、この本から作成したメモを掲げる。 とだったのだが。 思でではなく外国人になったからといって、問題がそれで変わるというわけではないように思われる。これだと国内事件であるということがよく分かる。当時、韓国人も曰本の支配下にあったのである。あとで、自分の意
その直後、赤澤史朗「東京裁判」(岩波ブックレット・シリーズ昭和史肌皿・一九八九年)を読んだら、その四三頁
から四四頁にかけて、講和条約発効後、岡本尚一弁護士が、「原爆民訴惑問」というパンフレットを発行し、被爆者や
遺族はアメリカに対して損害賠償請求訴訟を起こすべきだと提唱したことが書かれていた。 なお、戦後補償の問題は九三年度後期に法人類学の講義で扱った。 *激動の時代である、と。 7 この後後期に入り、国家というものを考えるところから始めることにした。国家についてはできるだけ後でという}」 沖大法学第十六号 四 六ソ連が解体して世界に民族問題が飛び火した。 米ソ対決時代より、中小国への内政干渉がやりやすくなっている。
一国では対処できないような問題も生まれている(途上国の貧困、公害・環境汚染、人口爆発・食糧、核兵器や化学
兵器・生物兵器などの大量殺りく兵器の蔓延防止、麻薬、テロリズム)。 湾岸危機・戦争で、国連にどういうことができるのか厳しく問われた。 ①「民族自決」原則のほころび 戦後最初に民族自決原則を定めたのは国連憲章一条2、五五条(ソ連の提案による。植民地の民族的独立を考えてい た)。一九六○年、植民地独立付与宣言。しかし、民族自決とは名ばかりで新支配者が従来と同じように人々を苦しめ 圧迫するというケースが頻繁に起こる。民族自決原則は植民地から独立する場合だけでない。例えばイスラエル人に対するパレスチナ人の闘争、北方領土の
要求、領士の分離独立の要求等もカバーされるのであろうか。どこまで認めればいいのか。 ②「内政不干渉」原則のほころび 経済的相互依存の深まりによる主権制限。 普遍的価値観の適用。反共であればいい↓(ソ連の脅威から解放)人権問題の重視。 国際的安全に対する脅威を名目にした軍事行動。トリポリ空爆、パナマ侵攻(ノリェガ将軍を捕まえる)。アメリカは最近急に核拡散防止重視し出す。核保有五か国以外に対しては不平等ではないか。イスラエル、南アフリカ、インド、
湾岸危機・戦争で、 *新しい問題の発生 国際関係の中の個人 四七ポーダーレス社会になり人。物。資本。技術の国境を越える移動が相当自由になり、量も増大して国境の壁は低くなっ
たが、それにより、各国の国内法の基準や法制度の違いが障壁として国際的な摩擦を生じさせる。国際社会は、国民国
家の併存体系として存在し、国際法の規律は「普遍的基準」による均質化と、「多様性の許容」の要請との間の微妙な
バランスによって成り立っている。かっては国境の内側では、国家の絶対的、排他的、主権的な力が及ぶとされていた
が、現代国際法においては、領土保全は、国家がその領域内で国際法が定める内政の基準を有効に実現するかぎりで保
護法益として認められるのだ、と。それによって、領土保全は、主権の不可分の属性としての意味を薄め、いわば国際
ほころびから、 この後者の、 際関係法」⑤ に述べている。主権、国家平等、主権免除の原則、不干渉の義務などからイメージされる国家像は崩れつつあるということ。つまり、
国家が、内部からも、外部からも、その独立性を脅かされつつあるということであるcそれが、|っは民族自決原則の
ほころびから、もう一つは内政不干渉原則のほころびから起こっているというのは、その通りであると思う。
この後者の、内政不干渉原則のほころびということに関して、九四年度の講義で利用した奥脇直也。横山潤編箸「国
際関係法」(放送大学教材)(放送大学教育振興会二九九四年)の「7国境と国際法」(奥脇氏執筆)は次のよう
ありそうなところを集中的に破壊した。湾岸戦争後は北朝鮮の核査察に熱心。パキスタン等の国は早くから核兵器を開発したのではないかといわれている。湾岸戦争で、イラクの核兵器開発に関連
自らを治める能力(統治能力)がないという理由で内政介入。 大国による国連利用。 沖大法学第十六号 四八法の機能へと変質する。その結果、何が「領土保全」を害する行為かも、行為目的との関係における手段の相当性が勘
案される必要性が生じる。例えば、武装勢力が国境を越えたというだけでただちにその違法性が確定されるわけではな く、国際社会の一体性が強調され、その共通利益が明らかに認識されるに従い、領土保全を害するかどうかは、それら の軍事力行使によって実現されようとしている利益の性質、国際社会にとっての重要性や緊急性、とられた軍事的措置 の限定性など勘案して評価する必要がある、と。 しかし、挙げられた具体例を見ると、イランにおける人質救出事件、パナマのノリェガ逮捕事件等、アメリカが当事 者であったもの、あるいは、クルド人保護の名目での多国籍軍のイラクへの軍事介入(国連安保理決議六八八二九九 一年)参照)等、アメリカが中心となったものが多い。領土保全概念が、絶対的価値を前提するものから、民主主義や 人権、民族自決、環境保護のような国際社会の協力によって実現されるべき高度の価値あるいは共通価値実現のための 媒介的・手段的概念に変質しつつあり、国家領域は国際法実現のための機能的空間ととらえられ始めている、というの は、一般論として妥当かもしれないが、強大国のごり押しという面も少なからずあるのではないか。 8 国際組織については、EC(ヨーロッパ共同体)ないしEU(ヨーロッパ連ムロ)と、国連を取り上げた。 EC、EUに関してはちょうど、九一一一年二月一曰にヨーロッパ連合条約(マーストリヒト条約)が発効しようとし ていた。が、同時に、不況が影響して、ヨーロッパ統合の機運はしぼみつつあるとも報道されていた(例えば、朝曰新 聞(東京版)九一一一年一○月一一一一曰の記事)。九四年の段階でも、北欧三国の加盟が問題となっている等報道されている 国際関係の中の個人 四九第4章連邦制下の世界政府
*世界国家や世界帝国ではだめである。解決できない問題が多過ぎる。最大の難問が民族問題。
「中央集権」的国民国家ではだめ。|民族に一国家を振りつけるのは現実的とは言えない。民族って、最低六○○はある。
むしろ、国境の壁を内にも外にも低くしていった方がいいのである。内方向では民族間の(つまりは個人の)異質性を認め、そこで起こる問題は、三層の政府が分担解決。
外方向には個人の自由移動を認め、連邦際政府が問題解決。恒松制治編著「連邦制のすすめ地方分権から地方主権へ」(学陽書房・’九九三年)メモ
る。ゆる地方分権化の問題を取り上げてみた。その時使った「連邦制のすすめ」という本から作成したメモを以下に掲げ
科目となっているそうである。九三年の講義の際、EC、EUの問題とくっつけて、当時盛んに論じられていた、いわ
らEC法の解説だったのでびっくりした記憶がある。EC構成諸国の大学の法学部では、かなり以前からEC法が必修
講義した。五~六年ぐらい前、ロンドンの本屋に行った時、コミュニティ・ロ-という題の本を見つけた。内容を見た
進んでいくだろう。講義では主に、安江則子「ヨーロッパ市民権の誕生」(丸善ライブラリー・’九九二年)をもとに
(同九四年一○月一三日の記事)が、条約発効後足踏み状態のようである。しかし、長期的にはヨーロッパは一体化が
沖大法学第十六号 五○まず地方政府に主権託す。それを州政府が補完、更に連邦政府が補完。 上下、優劣といった順序関係は存在しない。 連邦際政府として世界政府はつくられる。 EU政府がその原型たりうる。世界政府はEU政府に比べずっと弱い政府になるだろう。それでいいが、個人と政府 という関係では基盤を固める必要がある。 浅井氏の前掲「国家と国境」は、ポーダーレスといわれる時代にあってECというのは、従来のような国家そのもの をなくすということではなく、むしろ伝統的な国家の形をより大きな規模の存在に変えていくということにつながると *連邦制 ③補完性 ②〉小さな政府 ①主権在民 主権は国家にではなく生活者・市民に由来する。 世界の緊急課題は、一つは地球規模の公害問題、もう一つは国境を越えた人権の確立。 現代は大通商時代。世界の個人が自分の足で都市を選択する時代。社会の多様化。 政府の多層化で外交の多元化がもたらされる。 安いからだけでなく、権力は必ず腐敗するから。 国際関係の中の個人 五 一
その後、前掲・松井他「国際法[新版]」にならって、「国際法における空間秩序」として地球の空間割りを見てい
たら、ゆっくりやっている時間はないことが明瞭になってきたので、最低限、国際協力と武力紛争法に触れて、九三年
度の講義は締めくくった。「国際法の主体」の問題に引っ張られ過ぎた感じである。
講義目次の配列の際にいつも考えていた、個人の重視と、国家をサンドイッチにしているものの重視ということは、
だろう。ところである。そして、こういった現象も「ポーダーレス」と言えば一一一一口えなくもないが、ボーダー拡張という方が適当
大国、特にアメリカの突出については、国際私法の分野でも、独占禁止法等の域外適用の問題として論じられてきた
大国の国連利用が明瞭に現れている。(かもがわブックレット・’九九三年)の中の、松井氏の論稿「変容する国連・国際秩序の課題と国際法」も読んだ。
岸戦争と国際連合」(日本評論社・’九九三年)を参照した。非核の政府を求める会編「いま国連、改憲論を問う」
て面白い。安保理の決議を一一一つほど、資料として利用して構成した。いわゆる武力行使容認決議などは、松井芳郎「湾
国連」(岩波セミナーブックスニ九九一年)で自然にまとまってきた。湾岸戦争関係の安保理決議などが使われてい
国連に関しては、どの本を下敷きにして講義案を作ろうかと随分迷ったのだが、結局、浅井氏の「新しい世界秩序と
高くするという考えなのだ、と(同書七二頁)。そうだろうか。ちょっと違うんではないかという印象を持っている。
述べている。つまり、従来の国境の壁を低くし、そのかわり、ECというより大きな「連邦国家」的な「国境」の壁を
沖大法学第十六号 9 五一 一それなりに実行できた。実際は、個人も国家をサンドイッチにする材碗料の一つという意識が強かった。だからこそ、主
体の中でも個人を第一番目に見た。それがまた、個人の重視ということにもつながると考えていた。それはまた、個人
と、NGOとか民族団体との関係を予定調和的に考えていたということかもしれない。しかし、九三年度の講義を終えた時点で感じたのは、個人の国際法主”悴性にこだわることについての意味づけを吟味
し直す必要があろうということである。個人というのは大切だ、それはいい。問題は、個人が個人として動いても力に はならないということである。個人にかかわる問題が多く発生している。これも事実である。だから個人の言い分がよ りよく通るようになったと言えるのだろうか。こういったあたりに疑問を感じるようになった。 九三年度の国際法の講義では、国家を個人と国際組織とでサンドイッチにしたのだが、個人の方がこれを支え切れな いで、こぼれてしまうのではなかろうかという感じだった。 個人を個人としてではなく、その置かれた環境の中で尊重すべきである、ということはすでに拙稿「法人類学の内容 (V)」(沖大法学第二・’一一合併号(一九九一年)所収)で論じたことがある。国際法の問題を考える時も同様の アプローチでいいはずだ。それで、次節で述べるように、自治体の国際法の主体としての可能性をあれこれ考えること にもなっているのだが、ともかく、このような問題意識をまとめると、「「自決」と「共生」の間」といったものにな 二「自決」と「共生」の間 国際関係の中の個人 五①川上昌子(淑徳大学)、大野勇夫(日本福祉大学) 「聴覚障害者が生きることとその基盤」 (曰本福祉大学研究紀要第八八号(一九九三・一)所収) *習志野市の聴覚障害者の実態調査結果二九九一年九月実施) る。このような問題意識は、一九九四年六月一三日那覇市中央公民館で、要約筆記講座の一環として講演した際に意 識化された。要約筆記というのは、聴覚障害者のために、発言者の話を要約してノートやOHPに書き写し、発言内容 を把握してもらうものである(前記の拙稿「時間・空間と人間の設計」参照)。 まず、この時配布したレジュメを以下にそのまま掲げる。 ●まえおき} 1、聞こえない悲しみ、聞こえる悲しみ 2、弱いものと弱いものの関係、強いものと強いものの関係 3、「セルフヘルプ」とは何か 文献一覧 要約筆記講座講演目次 沖大法学第十六号 五四
②梅棹忠夫「夜はま霊 ③同「人生をかたる」 ⑦⑥⑤④ ⑧
講演の準備を始めてからすぐに気づいたのは、聴覚障害者といっても、その程度や状態は多様であり、一律には論じ
られないということである。私自身が中途難聴者であるといっても、聴覚障害者の団体とかにも所属しておらず、他の
聴覚障害者の状況を、まずできるだけ客観的に把握することが不可欠であると思った。沖縄大学図書館で大学紀要をあ
たってみて見つけたのが文献①の調査である。習志野市の身体障害者手帳所持者のうち「聴覚障害者」として登載され
ている者全員を対象とした調査である(習志野市の人口一四万八九○○人中、対象者一二一一一人、回収は一七九人)。こ
ういう調査が行われたということ自体、大きな驚きを感じた。調査報告の最初にも述べられているように聴覚障害は
「見えない障害」である。中途難聴者としてはむしろ、「無視された障害」であると長らく感じさせられてきた。最近
梅棹忠夫「夜はまだあけぬか」(講談社二九八九)(「梅棹忠夫著作集第一二巻人生と学問」(中央公論社・’九九二所収)
上前淳一郎「狂気lピアノ殺人事件l」(文藝春秋・’九七八)
佐野芳子「近隣騒音とのたたかい十七年の軌跡」(ぎようせい・’九八九)
アップルガス「ワーキングフリー」(有斐閣・’九八五) R・ヘドリー、J・D・スミス編「市民生活とボランティアーヨーロッパの現実」 (新教出版社・’九九三) 森嶋通夫「サッチャー時代のイギリス」(岩波新書二九八八) 国際関係の中の個人 五五になって、いわゆる高齢化とともに、聴覚障害は近視や老眼などと同じく、誰でもが経験する可能性のある障害と言え るようになってきた。私が補聴器を持つようになった一九六○年代前半は、特に国産の補聴器は性能自体非常に悪かっ た。目立つのを我慢して補聴器をつけても期待するほどの効果はなかった。欧米のものを持つようになってはじめて実 用に耐えるようになった。その後、ふと気づくとウォークマンが普及するようになっていて、補聴器のイヤホーンをつ けていてもウォークマンだと勘違いされることが増えた。騒音が社会的な問題となってきた。 この調査結果によれば、六五歳以上の者とそれ以下の者がほぼ半々である。そして、六五歳以下の場合一、二級の重 度の者が三分の一一を占めるのに対して、六五歳以上の場合、三割以下と少ない。そして、六五歳以下の場合、九歳以下 で難聴のため初めて診てもらった者が三割弱であるのに対し、六五歳以上の場合、一、二級で九歳以下で聞こえが悪く なった者は非常に少なく、多くは中途聴覚障害者である。常識的な推測に合致した結果といえよう。調査では、年齢、 障害程度等に応じ、経済生活面とコミュニケーション障害の面とに分けて、各別に生活上の特徴が記述されている。 六五歳以上の場合、聴覚障害は高齢化の結果と考えられる面が多いだろう。そうすると、障害の重さに比例して行動 の幅がせばまるということは容易に想像される。これに対して、六五歳以下の場合、特にコミュニケーション障害の面 から見ると、むしろ一、二級の重度の者の方がいい状況だといえそうである。障害が重度であることから、ろう学校に 行くことになる者が多い。コミュニケーション手段として手話等が使える者が多く、特に、夫婦とも手話が使える場合 は家庭内でも手話をコミュニケーション手段として利用できる。障害が重いことがプラスに作用しているといえよう。 実際、例えば列車内等で、手話で会話している人達の底抜けに明るい表情に出会ったことのある人は多いはずである。 これに対して、軽度になっていくと、「見えない」ということも作用して、障害に対する対応が不十分になっていく。 沖大法学第十六号 五六
というか、むしろ、軽度になればなるほど、障害を隠そうとする傾向が生まれるだろう。障害持ちであることを明らか にしても何ら益するところはないということになりやすいから。 もっと細かい点にも興味を持たれた方は直接文献①に当たってみてほしい。 このように、一口に聴覚障害者といっても、状況は多様であるが、にもかかわらず、調査報告を読んでいて感じさせ られた共通の傾向みたいなものもある。 例えば、財産面で、自分の家を持つ者が極めて少ないことがわかる。要するにストックがない。それは安定した仕事 がなかなか得られないとかいう客観的側面も大きいだろう。長いサイズの計画が立てられないということがある。しか しそれだけでなく、むしろ、聴覚障害者の特性ともいえるような側面もあるのではないか。いわば、現金主義というか、 現金決済主義というか、そういった傾向が見られるのではないかと憶測している。何十年もかけて決済する住宅ローン なんて、実際私には、今もってやる気になれそうにない。 それからコミュニケーションが多少とも「おおむね」になることが多いせいか、「おおむね」でよしとする傾向が万 事に広がる傾向も見られるかもしれない。 それから、健常者と対等に争っても勝ち目がないということから、競争回避型パーソナリティみたいなものも見いだ せるかもしれない。私など、いい意味でも悪い意味でも「遠慮の人生」を送ってきたような印象を持っている。不満が あってもなかなか外には出さない。昂じれば泣き寝入りになる。 以上のような調査結果をもとに、何を述べるか。考えたのは、一つは、覚悟の問題というか、考え方の問題。もう一 つは、この調査結果に現れている社会学的、人類学的な特徴について述べること。 国際関係の中の個人 五七
さすがに大学者である。数か月で覚悟を決めている。気が長く対応できたのは、失明前の人生論のお陰だろうか。材 木として生きるのはやめよう、「散木」として生きようという人生論には、私は多大な影響を受けた。 梅棹氏は、自らの人生を顧みて「区切りがない人生」だったといわれる。この点に私は、自由關達に学問の世界を歩 むことができた氏の幸運を感じる。 講演の目次は、こういう個人的な覚悟の問題はおいて、一般論として論じられることはないかという問題意識で作成 起こさない。クール。遊びのことを「プレイ」という。ハンドルのゆるみ。 生き急いでいる。休みがこんなにつらいものとは思わなかった。神仏にすがるという気持ちはない。気が長い。短気は 少し見えるようになって、また見えなくなった。受け入れるのに数か月かかった。結局覚悟の問題。これで生きると。 しては大いに変わっていったんだが。目が見えなくなったのは六六歳の時。三週間ぐらいでなおるつもりだった。実際 「莊然と」生きてきた、と。「しかたなく生きている」。くつに目的があって生きているわけじゃない、と。結果と 献②③を読んで感じたことである。文献③からのメモを以下に掲げる。 前者は、要するに、障害をどう受け止めるかは最終的には個人個人の覚悟の問題だということである。これは特に文 講演の目次は、 したものである。 「1、聞こえない悲しみ、聞こえる悲しみ」で言おうとしたことは、聴覚障害者はともすれば聞こえさえすれば問題 はすべて解決するはずだと考えがちだが、必ずしもそうではなく、例えば逆に「聞こえ過ぎる」ことによっても問題は 沖大法学第十六号 五八
「聞こえ過ぎる」ことから発生した事件の例として、いわゆるピアノ殺人事件が挙げられよう。文献④⑤はそれに関
するものである。このピアノ殺人事件は、法人類学の講義でも毎年のように取り上げてきている。曰本の社会が音に鈍
感な社会であることは、例えば最近目にしたものでは、本多勝一「貧困なる精神Y集」(毎曰新聞社・’九九四年)
所収の「騒音鈍感民族の中で生きるための新しい耳セビ等で指摘されており、ピアノ殺人事件も、自宅にまで騒音が
入り込んでくるのを〈選慢せよという社会構造の中で発生したものである。そういう音に我慢できない「敏感な」人は「普通」には生きていけないらしいのである。その結果として、人から「変な人」という烙印を押されることになる。
聞こえない悲しみを持った人と、聞こえる悲しみを持った人とは、人物像としてはかなり似ているのではなかろうか。
聞こえないということ自体が苦しいというよりは、望ましい人間関係が形成できない、保てないということが大きい。
それは「聞こえ過ぎる」場合も同じではなかろうか。どちらも「普通」でない分、「場」がより必要である。特に休み 発生し得るということである。 「2、弱いものと弱いものの関係、強いものと強いものの関係」で言おうとしたことは、弱いもの同士こそ連帯を必 要としているということである。 実はこれは、当時、土地所有権史を勉強していて、それとの関連で考えたことである。篠塚昭次「土地所有権と現代」(NHKブックス・’九七四年)に述べられているが、フランス革命で、農民の耕作権は所有権と認められたが、広大
な旧領土は新興ブルジョアが買い占めたため、耕作小農民たちは広い「共同利用地」をあてにしないとやっていけなかっ た。そのため、一世紀後の一八九○年、共同利用地が復活されたという。 場所が必要である。 それは「聞こえ過》 国際関係の中の個人 五九ところで、①の調査結果を読んで、あらためて圧倒的に感じたのは、血縁・地縁の弱さ、社縁の冷たさである。日本
社会はもともと血縁関係の強い社会とは言いにくい。家族は社会に対して、家族の構成員の防壁とはなってくれなかっ
た。そういう、もともとの弱さに加えて、現在、従来経験しなかった状況に直面している。これほどの高齢化も初めて
だし、核家族さえ雑汚待できないかもしれないという状況も初めてである。慣例通りにやっていれば家族は続いていくと
いう条件がすでに崩壊している。そういうことで、血縁の弱さが更に強く前面に出てきている。地縁も、特に都会では
すでに崩壊しているといえよう。にもかかわらず、お上には弱いという構造だけはまだまだ残っている。社縁の冷たさ
ということで最近特鰯》的なのは、本‐釆みんなのためであるべき公が私のものとしてダシにされているということであろ
う。一連の汚辱職事件等にそれが鮮明に現れている。これは、日本だけではなく、世界的に見られる現象かもしれない。
こうして眺めてみると、周囲にろくな「縁」がないではないか。そういう意味では誰もが、望ましい人間関係の設定に
多かれ少なかれ困難を感ずる時代になってきているといえる。自分を殺さないで(つまりは個人を尊重しながら)他人
との関係のネットワークを形成していくこと、これこそが時代の課題である。それをキャッチフレーズ風に言えば、
「自決」と「共生」の両立、とでも言えようか。そういう課題を達成するにはどうしても、「ぎらぎらしない人生論」
みたいなものが必要かもしれない。ぼ-つとして役に立たないでいようという「散木」論などもこの系譜に連なる考え
方と言えよう。関係ないといえばないのだが、たまたま、講演の前曰の六月一一百に、娘につき添う形で、沖教組那覇支部青年部主
催の「第一三回南部戦場地域をたずねる」というフィールドワークに参加した。コースは、嘉数(宜野湾)↓首里を経
て、南風原陸軍病院跡↓アプチラガマ↓平和祈念公園で食事後、平和祈念資料館↓魂睨の塔↓万華の塔、馬魂の碑、砲
沖大法学第十六号 六○文献⑦から推測すると、セルフヘルプ・グループとか相互扶助グループというのは、「共通した問題や関心をもち、 それについて共に集まり、何かをしようとする人びとによって形成される」ものだそうで、例えば、ヘルペス協会、安 定剤依存症に関するもの、アルツハイマー病協会、乳房切除手術を受けた人びとなどが具体例として挙げられ、一般的 にいって隔離の問題があるところや、人びとが社会的に無視されていると感じているところに存在するとされる。障害 に関して助言を受ける必要性と、障害者として区別されたくないので同じ者同士で集まるといった側面と両方あるだろ 〔ノ○ かを述べている。 かって「揺りか} 右翼はこんな碑までこしらえてけしからんということになるのだろうか、それとも、馬だって生き物だという発想にな る。こんなものがあるのは初めて知った。これを見て小中学生たちがどう感じるだろうかと興味を持った。どうだろう。 兵山吹の塔↓白梅の塔の順である。ガイドは与儀喜一郎氏だった。この中で、馬魂の碑というのは軍馬のための碑であ 障害者が一番望んでいるのは、安定した職場ではないかと思うが、例えば文献⑥で述べられているワークシェアリン グなどが普及するような基盤があれぱなあと思う。曰本においては厳しい。 「3、「セルフヘルプ」とは何か」のセルフヘルプという言葉は、文献⑦で初めて知った。 文献⑦は、イギリスを中心とするヨーロッパのボランティア活動の状況や問題点を包括的に紹介している。文献①は、 かって「揺りかごから墓場まで」といわれていたイギリスで長期保守党政権になってからどのようなことが起こったの るのだろうか。 セルフヘルプ・グループと相互扶助グループとが同じようなものとして並べられているが、文献⑦によれば、もとも 国際関係の中の個人 一ハ’
とセルフヘルプというのは一九世紀の経済学者、道徳学者であるサムェル・スマイルズが使ったもので、「自ら二本の 足で立つこと」、自らの努力によって対処し、うまくやれることというふうに定義されるのに対して、クロポトキンに よれば相互扶助というのは起源は集合主義にあると。つまり、セルフヘルプというのが、人に頼らず自分で何とかする というイメージがあるため、同じもの同士が集まるのがなぜセルフヘルプなのかわかりにくい。 この点をはっきりさせたくて、九四年一○月七日、この問題に詳しいという、那覇市社会福祉協議会の仲根建作氏に 会って、話を聞いた。仲根氏自身の書いた「福祉の主人公は華呼」という文章の載っている、社会参加開拓誌「うまん ちゅだより」七号(一九九四・一一一・’一二発行)をいただいた。セルフヘルプ・グループというのは、同じ困難、悩みを 持った人々がお互いに支えあう(「連帯」ですかというと、ちょっとピンと来ないようだった)グループだそうである。 そういうセルフヘルプ・グループがたくさんできると社会変革につながる力を持つという展望をもっているのだそうだ。 一番活発にやっているのはアメリカだということである。何か、セツルメント運動の中の一つの流れのようである。要 するに、困っている者がばらばらでなく、横につながるわけである。そうすると、セルフヘルプという言葉は、前記の ようにある意味でミスリードではないかと思うのだが、ちょうどボランティアという言葉と同様、そのまま使われてい るそうだ。同じ困難の人が集まるというのは、必要性が非常に高いわけで、そういう意味で集団としてのパワーは強い。 しかし、その困難を持っていない人は無関心というのが普通だろう。 セルフヘルプー繭動を活用した車開》的な埋盗型〃法の中で最近注目されているのが、ビア・カウンセリング己の臼8目の①一言叩の 技術だそうである。ビアというのは仲間のことである。つまり、同じ障害等をもった者同士でディスカッションしなが ら解決策を見つける技法らしい。確かに、障害等で悩みを持つようになってからそれを「乗り越える」までに、類似の 沖大法学第十六号 一ハーー
値が貫かれている。 右田紀久枝編著「自治型地域福祉の展開」(法律文化社二九九三年)の「Ⅲ地域福祉と民間性」の「4日本に おけるセルフヘルプ(ひとりだち。たすけあい)運動への支援」(岡知史氏執筆)には次のようなことが記されている。 過程を経ることが多い。 *欧米では八○年代に入ってからセルフヘルプが掌術的に大きく論じられるようになった。 福祉・医療サービス予算増大の限界性とともに。 *曰本には以前から、「自助努力」や「相互扶助」奨励政策があった。それとの違い。 稲作農業等に付鵬てて、ユイなどの互助組織が伝統的に結成されてきたが、平等・対等で、しかも相互に援助し合う ことを目的とするものだったとは言いがたい。 属性によってではなく、「場」を共有しているということでできている集団が多い。 *「セルフヘルプ」を曰常語表現にする試みI 「たすけあい」である。一人で行うものをセルフヘルプとは言わない。 同じ問題をもった者同士のたすけあい。 メンバー一人一人がもたれ合うことなく「ひとりだち」することが求められている。つまり、独立・自立・自律の価 ということで、「ひとりだち。たすけあい」。 国際関係の中の個人 一ハーーー
このように、セルフヘルプという言葉の意味を考えることによって私は、「自決」と「共生」とのバランスのとり方 を考えてみたかったのである。どちらも必要であるのは確かだが、具体的には千差万別になり得る。 なお、実際に講演をやってみて感じたことをここに付記しておくと、要約筆記をやろうという人は思ったより若い人 が多い。女性が多いのは予想通りだった。講演には沖縄県難聴・中途失聴者協会の方々も来てくれていて、講演後、こ れらの方々も一緒に公民館の事務室で歓談したが、このとき、要約筆記というのをはじめてじかに見た。目まぐるしく 手が動く。手話も、肩や頸を痛めることがあるというが、こっちも大変ではないかなあ。そのため、’○分ぐらいごと 交替するようだ。ああ、だから人数が必要なんだなと納得がいった。 また、最近、暉峻淑子「豊かさとは何か」(岩波新書・’九八九年)という本を読んでいたら、五七頁以下に「自助 グループ」というのが出てきた。旧西ドイツに関するものだが、例として、グラウェ・パンター(グレイ・パンサー) という老人グループが挙げられている。年金、老人ホーム、デイケアセンターのことなど次々に政府に要求を出す。議 会ロビー活動もする。相互に助け合い、情報交換し、苦情を受け付け、月一度食事をする、等々の活動。旧西ドイツに おいては、生活の土台を支える公的な政策は、市民たちの多くの「自助グループ」によって支えられ、監視され、生か されてきたのだそうだ。そして、曰本では「自助」というと、誰にも頼らず、自分で自分の生活を責任をもってやるこ とと解されるが、旧西ドイツでは、公的な補助金は出させるが、運営や活動は自分たちでするというのが自助だと。つ まり、自助というのは、公的権力に対抗して市民相互で助け合った歴史から生まれ、自分たちが払った税金は当然返し てもらうという精神に立っているのだという。そういったグループがベルリン自由大学社会学教授が把握しているだけ でも四万以上あると。 沖大法学第十六号 六四
こういうことで、九四年度は、個人を個人として重視するというよりは、個人を支える組織としてどのようなものが 考えられるかという関心をもって考えている。 個人との関連でも、国家Ⅱ悪みたいに単純に割り切れない問題も多い。例えば、領域内の庇護、政治犯罪人の不引き 渡し、難民の保護の問題などはその適例だろう。これらは、独立した国家の領域を想定して初めて考え得るものである。 国家の領域というものが、人権にかなう方向で機能しているといえよう(もっとも国家が積極的にそれらを承認するか どうかは別の問題である)。 個人を支える組織に関して、現在一番問題と思われるのは、民族の問題をどう考えるかだろう。 八○年代のうちに民族問題は常識の範囲に属する問題となったが、その性格づけも大きく変わってきたように感じて いる。「民族自決」という時、最初のころは、人権問題とほとんどダブった問題と意識されることが多かった。それが、 特に九○年代に入る頃からは、逆に、人権と対極にある問題であるかのようにとらえられがちになったのではないか。 民族紛争という名での、無意味とも思える残虐な紛争が次々に起こったことによるのだろう。例えば、「VISION Ⅲ」シリーズ血2「私から始める国際貢献」(ほんの木・一九九四年)という本の第一部で、江橋崇氏が「市民がっな 三個人を支える組織 国際関係の中の個人 2 1 六五
*八○年代の国家 国際率IGO(政府間組織)とNGOが勝利していく一○年だった。国際社会が国家間の関係に終始するなどとはい
まや誰も思わない。決定的要因となったチェルノブイリ原発事故とサハロフ流人権運動(人権侵害に対する告発運動)。
国際社会というのはお友達社会。 国内”国家だけで処理できない問題群。国民国家ではうまく行かないところを市民運動が解決していった。*「旧ユーゴの実情などを見ると、民族という名のもとに人々がまとまるのは非常に不幸なこと」「概して民族などと
いうものは、いい加減なものです」。民族一国民で一国家をつくるのは、そんなに幸せなことではありません」「民
族主義を強調すると、旧ユーゴで起きているような「民族純化」という動きがすぐにでてきます」「民族純化というの
*曰亘ご丙○]。ご巴]ご》シ○一s。。&]]・ 二目丙○」・宮]]二言・巨晋シsSo8]]]・地域での行動が地球の運命に深く結びついていることを自覚せよ。地球は小さいということと、神奈川なら神奈川の大きさと。曰本のGNPは世界の七分の一である。七軒の一軒みたいなもの。
神奈川は一軒の家の一部屋ぐらいに相当する。エレクトロニクスの最先端技術の集約されている地域は川崎。
*八○年代は決定的な一○年だった。①技術革命(今曰私たちの生活で使われている技術で七○年代からあったものは
そんなに多くない)。②通信・情報革命。③運輸・交通革命。④国境を越えた人の移動が非常に盛んになった(ホモ。 ぐ三つの政治」と題して次のような講演をしておられる。 モビリ々〆ス)○ 沖大法学第十六号 一ハ|ハしかしもともとは、民族問題は民族自決の問題で、つまりは自己決定権の問題であったはずである(前掲・拙稿「法 人類学の内容(V)」参照)。民族問題をこのように狭く限局してしまって、例えばここに述べられている「民族純化」 が民族問題のすべてであるかのようにとらえられるとすれば、明らかに誤解を招く。 実際、江橋氏も、この講演の「質疑応答」で、人権概念がもともと欧米中心に組み立てられてきたこと、そして、い わゆる人権帝国主義というのがあって、人権のためなら他国への武力行使も可とするような動きが現にあることを指摘