はじめに 1. 恵那地方における障害児の就学運動と母親 の存在 家の中だけで過ごした「障害児」の母親たちが, もし教育の機会を得て,教師と共に学び合えた ならば,母親らは子どもを一人の人間として認 め連帯できるだろうか。中部日本に位置する恵 那地方では,1970 年代から 1980 年代に,就学 猶予・免除の「障害児」の地域就学運動・「障害 者」の地域生活運動が展開された 2 )。 1 ) 「障害児者」は学童期までは障害児,成人して障 害者と社会で呼称されることを示す。 2 ) 恵那地域で 1970 年代に就学運動が,1980 年代中 津川市で地域生活運動が展開された。この運動は, 恵那地方は,1970 年代においても家観念が色 濃く残存し,「障害児者」は家に招かれざる者と して隠される存在であった。その母親は招かれ ざる人を産んだ者として,肩身狭く過ごしていた。 当時重度「障害児」は就学できず遠方の施設入 所か自宅で隠れて暮らしていた。そのような中で, 恵那地方の教師達は,誰もが学習権をもち,「ど んなに重い「障害」があろうと地域の学校で学 ぶべきだ」という声を有志らと挙げ3 ),1979 年の 養護学校義務化4 )を地域の学校通学を可能にする 母親集団,教師集団,「障害者」本人を示す仲間 集団の連帯で成就した。 3 ) 当時,運動に関わった元増倉笑香教諭への 2014 年 10 月 12 月の断続的な聞き取り調査による。 4 ) 1979 年から養護学校の就学及び設置の義務設置制 を実施する旨の予告「学校教育法中養護学校にお ける就学義務及び養護学校の設置義務に関する部
原著論文
地域に立ち向かう母親の共同的アイデンティティ
―恵那「障害児者」
1)運動の源としての『かやのみ』より―
篠 原 眞紀子
(立命館大学大学院先端総合学術研究科) 1970 ∼ 80 年代,中部日本に位置する恵那地方では,教師,親,生徒の連帯による「障害児者」運 動が存在した。就学猶予・免除の下で「障害児」の生活は自宅待機か施設入所であった。母子分離 活動の「かやのみ教室」は就学保障の発端となった。当教室は 1973 年から 1981 年開かれ,開設 5 年後に綴り方文集『かやのみ』が母親により綴られた。ここには教師の強い働きかけが推測された。 教師の働きかけを作用因と仮定し,人間関係と利己的感情・利他的行動に関する仮説を立てた。1 号 では母親間にピアが形成され,母子のライフストーリーが語られるのではないか。3 号では,仲間内 で連帯する社会的行動の言説が多いのではないかと仮説を立てた。テクストを人間関係と利己的感 情・利他的行動に絞って KJ 法で分類項目を絞り込み,テクストの仮説検証をした。最終的には,サ トウタツヤの TEM やカチナキューブの表示方法を参考にし,仮説検証からモデルを生成した。1 号 の言説の集合には仮説の確認と,人間関係の大切さを綴る集合が認められた。3 号では,仲間内の連 帯より,母親は地域社会に向けて「障害児者」への連帯を求める言説の集合が多かった。筆者は母 親が共同的アイデンティティ形成したものと結論に達した。 キーワード:かやのみ,生活綴り方,恵那の教育,「障害児者」運動,共同的アイデンティティ 立命館人間科学研究,No.33,45 61,2016.法的根拠とみなし,完全就学に向けて方策を練っ た。教師集団は自宅に籠る母子を学校に導くよう 尽力し,1973 年には課外母子分離教室「かやの み教室」開設に至った。この教室が恵那地方の 就学運動の推進力の一翼となった5 )。 恵那地方では,戦後から 1980 年代にかけ,「自 ら考える教育」を行おうと,教師らが生活綴り方・ 地域教育運動を実践した。1966 年,恵那の教師 たちは,教科主義をとる教育科学研究会の方針か ら離れ,東濃民主教育研究会を結成し,幼保・小・ 中・高・地域住民が生活綴り方を書き,その内容 について討議する「地域に根差した教育」を実践 していった6 )。実践の中に親らと対話があった。 「かやのみ教室」に通う「障害児」の母親の多くは, 綴り方を書いて育った人たちである。 「かやのみ教室」では,綴り方集『かやのみ』 が書かれているが,1 号と 3 号を比較すると,各々 の母親から同じような複数の言説の集合が想定 された。例えば 1 号では母親と我が子だけに限 られた利己的な感情を表す言説の集合が推定さ れ,3 号では他の母子を思いやる利他的な行動 についての言説の集合が推定された。従って, 対象とする全ての綴り方を分節化し,一定の尺 度をふまえて抽象化し,そのうえで綴り方の内 容を細かく分類して図で可視化すれば,その過 程をより客観的に呈示できるであろう,という 仮説を立てた。それを具体的に示すモデルを作 り,その仮説を検証する。 分の施行期日を定める政令」公布。1979 年度から 養 護 学 校 教 育 が 義 務 教 育 確 定。( 文 部 科 学 省 http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/ others/detail/1318338.htm) 5 ) 1981 年まで継続。その後,仲間集団の合同教室と 合体し,地域生活運動展開。 6 ) 恵那地方では,1980 年代まで至る場所で総会・集 会が実施され,綴り方から浮上した問題や課題を 討議し,そこから具体的なめあてを合意により導 いた。なお,本研究では恵那の子どもたちの綴り 方 集『 恵 那 の 子 』(1 ∼ 39 号,1952 ∼ 1990 年, 恵那教育研究所)および「かやのみ教室」で学び 合った親たちによる綴方文集『かやのみ』1 ∼ 3 号(1978 ∼ 1981 年,障害児者の権利を守る会) を全て参照・分析し,本稿の対象に絞り込んだ。 よって本論では,「かやのみ教室」を恵那の「障 害児者」運動の母親集団形成の源と仮定し,母 親が綴った生活綴り方集『かやのみ』を取り上げ, その内容から仮説を立てそれを検証したい。 2.研究の目的と方法 本研究の目的は綴り方における母親の言説の 集合を通して,その意識の変容を明らかにする ことである。研究方法は,恵那地方の教育とい うコンテクストにおける「かやのみ教室」の位 置づけを行い,テクスト分析で仮説を検証する ことである。コンテクストは「かやのみ教室」 で綴り方集『かやのみ』が綴られる至る通時的 側面を示す。テクスト分析では『かやのみ』1 号と 3 号の記述の一致点を通じて各々の母親の 感情・行動に関する言説分析を行いコンテクス ト分析とテクスト分析を併せて行うことで,1 号と 3 号の言説集合の比較・検討から仮説を具 体的に確かめる。 「かやのみ教室」を開催したのは教師である。 教師がどのような計画の下にこの教室を開催し たのか,経緯を示さなくては恵那という社会の 中で暮らしている母親の適切な位置づけはでき ない。共時的な分析の切り口として,母親が「か やのみ教室」の学習機会を得るために,教師の 働きかけがあったことをふまえて,本稿では教 師の働きかけを「作用因」と位置づけた。第 3 者としての教師の働きかけによって「我が子の ことだけを思う」という利己的な感情から,「地 域で暮らせない「障害児」の地域生活を実現し てもらうために運動しよう」という利他的行動 へという綴りの集合的変容の有無を明らかにす ることが可能になる。言説の集合を明らかにす るには対象とするテクストの言説を調べてみる 必要がある。仮説通りに言説の集合の存在が有 るのであれば,図で可視化することにより,そ の集合ははっきりとするはずである。 では,コンテクストの明示とテクストの関係
をどう示したらよいか。前者は歴史的記述であ り,後者の分析は言説集合の明示である。本論 の特徴は,それぞれの研究を別々のものとして 扱わないところにある。筆者は,歴史の中に, 具体的には教師と子どもに関わる母親という対 人間の作用の中で,母親たちの意識の集合知と その変容を示すことができ,それによって偉人 史観や観念史観に陥らない母親側から恵那の就 学運動の歴史を再構成することができるのでは ないかと考えた。時間的流れを示しつつ,綴り 方を書いた時点での人間の織りなす感情や行動 の一端を一目で表すモデルが必要である。そこ で,仮説モデルでは時系列を示しつつ,この綴 り方の言説の中で最も人間対人間の営みを端的 に示している概念に注目した。すなわち,人間 関係と利他的行動という概念である。人間関係 の軸と,「かやのみ教室」の学習成果を示してい るものと仮定される「利己的感情」(自分の事ば かり考えて何もしない)から「利他的行動」(他 の人のために行動する)という言説を結ぶモデ ルを考えた。以下の図 1 は,人間関係方向の個 人としての母親から母親間への矢印は綴るとい う行為が母親間に表出する行為であることを示 すものである。 3.研究対象 1970 年代から 1980 年代の恵那地方の綴り方 や地域教育については,これまでに普通児を対 象とする教育学研究はすでに行われてきた。恵 那の教育実践については千葉大学,岐阜大学, 武庫川女子大学,日本福祉大学,日本体育大学, 東京大学,都留文科大学の学生が授業観察を断 続的に行っている。恵那の教育運動史について は地域の教育自治の観点から研究がなされてい る(森田 1979; 1986; 1998; 2000,坂元 2000,田中 1983; 1988)。一方,「障害児」教育に関しては当 該の教師の実践報告に留まり,「障害児者」の就 学や生活運動は小出信也元教諭の記述(小出 2000)と私的書誌記録に留まる(小出 1976)7 )。 「かやのみ教室」全体の構成は単元により,学 習は毎回フィードバックし,そこから次の学習 へと経験を基に進められた。『かやのみ』は「か やのみ教室」に参加する親の綴り方文集で,1 号 23 作 品(1978 年 ),2 号 20 作 品(1980 年 ), 3 号 19 作品(1981 年)の合計 62 作品が収録さ れている。1 号は母親がどう歩んできたかの綴 7 ) 恵那の教育東濃民主教育研究会(1977 ∼ 97)『人間・ 生活・教育』.東濃民教研機関誌実践報告。田中 昌也(1989)『せ・な・か・が・い・た・い ― ひとりひとりにあわせた手作り教具』恵那の障害 児教育編集委員会より出版。 図 1 仮説モデル X䠄ே㛫㛵ಀ䠅 Y(ⓗ⾜ື䠅 Ꮚ ᩍᖌ䛾ാ䛝䛛䛡䠄స⏝ᅉ䠅 ẕぶ௰㛫䛾ཷ䛡䛸䜑 1. 䛄䛛䜔䛾䜏䛅1ྕ ẕ Y(ⓗ⾜ື䠅 X䠄ே㛫㛵ಀ䠅 ᩍᖌ䛾ാ䛝䛛䛡䠄స⏝ᅉ䠅 ẕぶ௰㛫䛾ᅋ⤖ 2䠊 䛄䛛䜔䛾䜏䛅3ྕ ẕ X ㍈ࡣЍ᪉ྥከࡃࡢே㛫㛵ಀྥ࠺ࡇࢆ♧ࡍࠋ Y ㍈ࡣЌ᪉ྥ ⓗ⾜ືྥ࠺ࡇࢆ♧ࡍࠋ
りが多い。2 号には特質される綴りはなかった。 3 号は母親同士が結束していく言い回しが多く, 彼女らにとって,綴られた 1981 年の年に大きな 意味があることが推測された。それは 1971 年に 初めて東小学校に重度「障害児」が入学し,連 携する第 2 中学校に入学した人たちが卒業目前 の年だからである。彼らの地域生活を実現しな いと,遠方の施設入所か自宅待機の道しかない。 そこで筆者は母親が教師の力をかりて他の母親 と連携することで困難を乗り切ろうと利他的行 動に移るのではないかと推測した。そのため, 今回は 1 号と 3 号に対象を絞った。「かやのみ教 室」と文集『かやのみ』のコンテクストで母親 に大きく働きかける作用のステークホルダーは 教師である。この教師の働きかけを考慮して仮 説モデルを作った。 モデル作成に関して,『かやのみ』1 号と 3 号 の時間的隔たりをどう同時に示し得るかが問題 となる。そこで,時系列の捨象なくモデル構成 が可能な TEM やカチナキューブを教育社会学 の事象へ応用する8 )。1 号では,教師に学び合い を働きかけられた母親は,子どもだけに執着し ていた感情を綴り方で表出し,その綴り方を「か やのみ教室」のピアに打明けたのではないかと 推測した。3 号では,教師の働きかけで母親は さらにエンパワーされ母親集団の連帯を結んだ のではないかと推測した。2 つの推測の道筋を 仮説モデルとして 1 つの空間に表示したのが図 1 である。X 軸に時間を置き,Y 軸に利他的行 動を置き,Z 軸に人間関係を置いた。 テクスト内容の類型化についてはフレーミン グの仕方が問題になる。フレーミングに関して は,昔話の機能的及び構造的類型分析を行った Propp の方法を参考にし(Propp 1987),テクス ト自体の分類は KJ 法を用い(川喜田 1999),綴 8 ) サトウタツヤが提唱する Trajectory Equifinality Model の略。時間を捨象せず質的研究の多様性が 提示できる。カチナキューブは TEM を 3 次元化 したものである。 り方全 42 作品をすべて分節化し,12 項目まで 絞り込んだ。分析項目の設定は感情プロフィー ル POMS9 )や日本語版組織市民行動尺度 OCB10) を参考にした(奥井 2009)。また,当時の関係 者への聞き取り調査を補足的に行った。 4.倫理的配慮 綴り方『かやのみ』を取り扱う際に,次の 2 点の経緯をふまえ倫理的な配慮をした。 ① 綴り方文集『かやのみ』は実名で印刷されるが, 当時,まず,何事も受け入れ理解し合う親と 教師間の学習会の討議に使われ,各学校の PTA において,母親たちは『かやのみ』の綴 り方を発表し,母親の思いを訴えた。また, 市議会に訴え,『かやのみ』は「障害児」の現 状を討議する議論の題材となった。その意味 で,市民に公開の印刷物で一般公開できるも のと判断される。 ② 今では,執筆者に故人も含まれ,消息を辿れ ない人もいる。念のため,当地で現在も綴方 文集や事例等を取扱う恵那教育研究所に筆者 の意向を申し出,研究所で検討してもらい, 判断を仰いだ。分析に際しては匿名表記で, 綴り方そのものを取り扱う場合は書き手確認 が取れる場合,書き手の意向に従った。 インタビュー・個人資料について インタビューを得た方々は個人名公表の承諾 を得た。又,個人資料は記録・所有者より, 研究の理解を得て,提供・貸借され,論文等 提示の際,提供者名を明記する了承を得た。
9 ) POMS(Profiles of Mood Status の略。(1971)の 日本語版(横山他 1990)。
10) OCB(Organizational Citizenship Behavior の略。 (1983)の日本語版組織市民行動尺度作成による。
Ⅰ.「かやのみ教室」のコンテクスト 1. 「障害児」の完全就学を目指す運動と「かや のみ教室」 1970 年代から 1980 年代の「障害児」の就学 に関して,杉本章は,本人の運動,母親の運動, 教師の運動に分類している(杉本 2008)。当該 は教師が関与する運動に属する。一般に 1970 年 代の教師が関与した運動は,「障害」の程度区分 による選別により養護学校への分離教育運動と なった(野崎 2010; 立岩 2010)。恵那は普通学 校の中での養護教育の充実を図り,中でも中津 川市においては,それが「障害者」の地域生活 運動に発展した。 恵 那 地 方 の「 障 害 児 教 育 」 の 根 本 理 念 は, 1947 年を発端とする。同年施行された日本国憲 法 26 条の「一人ひとりの教育権」を,教師はさ まざまな事情を有する子どもでもすべて学ぶ権 利があると解釈し,支持した。恵那地方の教師 らは自らが考え出す教育を志し,1948 年に恵那 教育研究所を設置し,生活綴り方・地域教育運 動を実践した(恵那教育研究所 1984)。発足当 時より特殊研究児童部門を設け事例研究を進め た。同年,三宅武夫教諭は「共育」の理念を打 ち出し,同年から 1961 年にかけて市立第 2 中学 校内で「知的障害児」教育を実践した(社会福 祉法人ひがし福祉会 2011, 1, 13―15)。1956 年に 三宅は養護学級設置の建白書を市の教育委員会 に提出し,第 2 中学校,中津南小学校に特殊学 級が設置された。三宅の建白書提出以降,中津 川市は形式上「障害児」受け入れ体制を整えた が11),教師たちは,家の奥に隠された「障害児」 の家には踏み込めなかった。 1970 年代,1979 年の養護学校義務化に向けて 活動が盛んになると,公にその活動が可能となっ 11) 1956 年に中津川市立第 2 中学校と市立南小学校 に,1964 年に市立坂本小学校,1965 年に市立坂 本中学校に「特殊学級」設置。 た。障害児担当渡辺つやの教諭の記録では,就学 猶予・免除の児童宅を訪問指導し,完全就学への 目標が記されている。1971 年重度「障害児」が 東小学校に入学すると同時に,渡辺はじめ教師有 志は放課後,休日を利用し訪問学習に乗り込み, まずは課外の「かやのみ教室」に誘った12)。訪問 先の家では何度も拒否が続いた。同僚で訪問を続 けた増倉笑香元教諭は,「かやのみ教室」開設時 も極力人目を忍んだ参加だったと語る13)。 教師たちは,遠方の大型施設で住む児童に対 しても就学を想定し,福祉関係者から施設入所 情報を得て教室出席を促した。その動きを受け, 守る会は市に帰省費用要求を行った。守る会メ ンバーの資格は市民であれば誰でもよく,教師 は会員となり,計画立案の際は教師として,要 求執行時は守る会一員として動いた。 2. 障害児教育及び地域生活構想における教師 たちの「かやのみ教室」の位置づけ 「かやのみ教室」の目的は,教師側からすると, 自主的な母親集団を形成することにあった。「か やのみ教室」と同時進行で仲間集団,教師集団 を作りあげるために「合同教室」が行われてい たが,教師たちは,両教室で組織化した集団を 合体させ,1981 年国際障害者年を機に,「合同 教室」が中津川市の養護学校に匹敵するものと 制度的に認めさせようとしていた14)。 「恵那の教育」は,生活綴り方を主軸に置くも のであるが,生活は学校だけでないという考え 方から地域教育を重視するところに特徴がある。 1956 年から 1962 年にかけた教師に対する勤務 評定に対し,恵那地方の教師たちは住民との対 話によって地域と学校が連帯し「恵那教育会議」 を立ち上げ,教育の自由自治を守り,学校と地 12) 渡辺つやの元教諭の記録資料と当時関わった増倉 笑香元教諭,「かやのみ教室」に通った親や本人 からの聞き取り調査より。 13) 3)に同じ。 14) 渡辺元教諭の記録資料より。
表 1 第 3 回かやのみの集い(土曜教室)内容 Ꮚࡶࡢάື ぶࡢάື ࡑࡢࡢ ➨3 ᅇ 48 ᖺ 11 ᭶ 30 ᪥ ཧຍ⪅20 ྡ Ꮫ⩦ ᑵᏛ⏦ㄳᡭ⥆ࡁᏛ⡠ၥ㢟ࠋ Ꮫ༊ไࠕ㞀ᐖඣࠖᩍ⫱ ࡘ࠸࡚࣭ࠕ㞀ᐖࠖᗂඣࡢ⌧≧ ᚋࡢࡾࡃࡳࡘ࠸࡚ ࣭ࡃࡳᮌ࠶ࡑࡧ㸦స㸧 ࣭࠺ࡓࣜࢬ࣒࠶ࡑࡧ ࣭࠼ࡁ㸦T ࡕࡷ ࢇࡽ➗㢦ࡀࡳ࠼ࡓ㸧 48 ᖺ 7 ᭶ ♫⚟♴ົᡤᐙ ᗞዊဨ 1 ྡ㓄⨨ࡉ ࢀࡿ 表 2 かやのみの集いの参加者数の推移 㛤ദ᪥ ཧຍ⪅ᩘ ഛ⪃ 㛤ദ᪥ ཧຍ⪅ᩘ 㛤ദ᪥ 㛤ദ᪥ ཧຍ⪅ᩘ ➨1 ᅇ 1973 ᖺ8᭶12᪥ 25ྡࡢࠕ㞀ᐖ ඣࠖ ῧ37ྡ 21ྡᅋဨ 9ྡࡢᣦᑟ ⪅ ➨15 ᅇ 1974 ᖺ10᭶29᪥ 23 ᅇ ㎾ グ㍕ ➨29 ᅇ 1975 ᖺ9᭶19᪥ ➨43 ᅇ 1977 ᖺ3᭶11᪥ ➨2 ᅇ 1973 ᖺ10᭶29᪥12ྡ ➨16 ᅇ 1974 ᖺ11᭶27᪥ ➨30 ᅇ 1975 ᖺ10᭶24᪥ ➨44 ᅇ 1977 ᖺ8᭶12᪥ 45ྡ ᕷ ෆ ᑠ ୰ Ꮫ ᰯ ᩍ ᖌ ከ ᩘ ຓᛂ ➨3 ᅇ 1973 ᖺ11᭶3᪥ 20ྡ ➨17 ᅇ 1974 ᖺ12᭶10᪥ ➨31 ᅇ 1975 ᖺ11᭶7᪥ ➨45 ᅇ 1977 ᖺ10᭶20᪥ 47ྡ ➨4 ᅇ 1973 ᖺ12᭶15᪥18ྡ ➨18 ᅇ 1974 ᖺ 12᭶20᪥ ➨32 ᅇ 1975 ᖺ11᭶21᪥ ➨46 ᅇ 1977 ᖺ12᭶10᪥ 53ྡ ➨5 ᅇ 1974 ᖺ1᭶26᪥ 17ྡ ➨19 ᅇ 1975 ᖺ1᭶17᪥ ➨33 ᅇ 1975 ᖺ12᭶5᪥ ➨47 ᅇ 1978 ᖺ2᭶22᪥ ➨6 ᅇ 1974 ᖺ2᭶22᪥ 22ྡ ➨20 ᅇ 1975 ᖺ2᭶3᪥ ➨34 ᅇ 1975 ᖺ12᭶19᪥ ➨48 ᅇ 1978 ᖺ5᭶30᪥ ➨ 7 ᅇ 1974 ᖺ 3 ᭶ 22᪥ 17ྡ 6 ྡ ࡢ ᣦ ᑟ⪅ ➨ᖺ2᭶19᪥21 ᅇ 1975 ➨ᖺ1᭶23᪥35 ᅇ 1976➨ᖺ7᭶20᪥49 ᅇ 1978 ➨ 8 ᅇ 1974 ᖺ 4 ᭶ 24᪥ 14ྡ 4 ྡ ࡢ ᣦ ᑟ ⪅ ➨22 ᅇ 1975 ᖺ3᭶4᪥ ➨36 ᅇ 1976 ᖺ3᭶19᪥ ➨50 ᅇ 1978 ᖺ8᭶16᪥ 47ྡ ➨9 ᅇ 1974 ᖺ5᭶28᪥ 19ྡ 8 ྡ ࡢ ᣦ ᑟ⪅ ➨23 ᅇ 1975 ᖺ3᭶19᪥ ➨37 ᅇ 1976 ᖺ5᭶4᪥ ➨51 ᅇ 1978 ᖺ9᭶8᪥ ➨ 10 ᅇ 1974 ᖺ 6 ᭶ 28᪥ 18ྡ 4 ྡ ࡢ ᣦ ᑟ⪅ ➨ᖺ5᭶23᪥24 ᅇ 197530ྡ ➨ᖺ6᭶25᪥38 ᅇ 1976➨ᖺ10᭶28᪥52 ᅇ 1978 ➨ 11 ᅇ 1974ᖺ7᭶ 25ྡ 5 ྡ ࡢ ᣦ ᑟ⪅ ➨25 ᅇ 1975 ᖺ6᭶6᪥ 43ᅇࡲ࡛ཧຍ⪅ᩘグ ➨39 ᅇ 1976 ᖺ8᭶4᪥ ➨53 ᅇ 1978 ᖺ12᭶16᪥ ➨ 12 ᅇ 1974 ᖺ 8 ᭶ 14᪥ 24ྡ 3 ྡ ࡢ ᣦ ᑟ⪅ ➨ᖺ6 ᭶20᪥26 ᅇ 1975 ➨ᖺ10᭶22᪥40 ᅇ 1976➨ᖺ1᭶23᪥54 ᅇ 1980100ྡ ➨ 13 ᅇ 1974 ᖺ 8 ᭶ 30᪥ 19ྡ ➨ᖺ7᭶4᪥27 ᅇ 1975 ➨ᖺ11᭶26᪥41 ᅇ 1976 ➨55 ᅇ 1980 ᖺ2 ᭶ ᪥ グ ㍕ ➨ 14 ᅇ 1974 ᖺ 9 ᭶ 20᪥ 18ྡ 3 ྡ ࡢ ᣦ ᑟ⪅ ➨ᖺ8᭶8᪥28 ᅇ 1975 ➨ᖺ2᭶3᪥42 ᅇ 1977 注:渡辺つやの元教諭覚書・小出信也元教諭覚書・東小学校障害児教育担当者会議議事録・「かやのみ教室」に関 する記録・合同教室に関する記録(1973 ∼ 81)より 注; 渡辺つやの元教諭覚書・小出信也元教諭覚書(1973 ∼ 81)・「東小学校障害児教育担当者会議議事録」・「かや のみ教室」に関する記録・合同教室に関する記録より
域住民が関わる土壌をつくった15)。「かやのみ教 室」での親集団の結成は,恵那の地域教育にお ける組織化戦略の一端でもある。つまり,3 つ の位置づけ①親の集団,②地域に「障害」があ ろうとも教育の拠点をつくる,③地域づくりを すすめる,などである。 Ⅱ.「障害児」の母親が綴った『かやのみ』 1.「かやのみ教室」の概況 中津川市と恵那市は文化的地域を示す場合, 恵那地方と呼ばれ,そこでの教育は「恵那の教育」 と称され独自な展開をしてきた。この地域にも, 「障害児者」を隠す風習があり16),戦後から 1970 年初頭は,恵那の「障害児」は自宅待機が多く, 都市部の大型収容施設入所は,恵那地方の一般 通念としては「恵まれている方だ」と思われて いた17)。 「障害」のある自宅待機児童が学校に足を踏み 入れる第 1 歩として,1973 年 8 月に中津川市の 中で最も人目につかない南小学校の川上分校で 「日曜学校」が始まった。1974 年 2 月に日曜学 校は「土曜教室」となり,街中の東小学校で開 かれ,すでに通常学級に入学した「障害児」も 参加した。「土曜教室」は革新市政の誕生を記念 して,教室の名前を 1975 年に「かやのみ教室」 と改称した。綴り方文集は 1978 年 1 号,1980 年 2 号,1981 年 3 号が刊行された。教室は 1981 15) 佐貫浩(2014)参照。及び当時の会議に参加した 依田和子元教諭と丹羽徳子元教諭からの聞き取り 調査より。 16) 島崎藤村の『夜明け前』には,主人公の父,青山 半蔵が心を病み,屋敷牢に幽閉される様子が描写 されている。 17) 当該の重度「障害児」は施設入所も断られ,就学 猶予の名の下に自宅待機する他なかったが,国内 事情として,1958 年国立秩父学園設置時,施設入 所の際,就学猶予・免除を条件とし,以後,公立・ 民間を問わず施設入所要件に就学猶予・免除があ げられるようになる福祉の動向があり,一方,就 学の妥当性の判定を前面に出す文部行政の動向が ある。 年に 50 回を迎え,中津川市内全域の「障害児」 教育を行う教師,児童生徒,親が週 2 回東小学 校に集まる「合同教室」(1975 年 4 月開始)と 合併して規模を拡大した(1981 年)。次に示す のは,活動内容例である18)。 最初は 20 名前後の参加者数だったが,回を重 ねる毎に増え,介助者として沢山の教師他ボラ ンティアが参加した。「かやのみ教室」は内外に 話題となり,役所関係者,外部の見学者も訪れた。 同質の「障害者」だけでなく,さまざまな人が 参加・関与した。 2. 「かやのみ教室」の後半期で母親が綴った『か やのみ』19)文集 筆者の調査によって,恵那教育研究所,ひが し生活の家資料室,中津川市立東小学校資料庫 に,多くの綴り方文集が残存していることが明 らかとなり,関係者たちから作成事情を調査す ることができた。『かやのみ』全三号は「かやの み教室」で学んだ親の綴り方集であり,親の意 識を知ることができる。 18) 「かやのみ教室」は 1981 年 50 回を迎え,中津川 市内全域の「障害児」教育を行う教師,児童生徒 が週 2 回東小学校で開催「合同教室」(1975 年 4 月開始)と合併拡大した(1981 年)。この存在を 法律上,当地の実質上の養護学校とみなす請願が 行われる。 19) ひがし生活の家資料室にて,筆者資料収集の折, 『かやのみ』の所在を確認する。 写真 1 綴り方集『かやのみ』 撮映場所・日:2014 年 8 月筆者ひがし生活の家資料室撮影 注記:所有管理者の許諾を得て掲載
(1) 『かやのみ』言説の図表示より得られた母 親の実感の集合知 研究方法で示した仮説モデルに従い,言説記 述では表せない集合知を,図示することで仮説 検証し,最終的に 1 号と 3 号の検証結果を 1 つ のモデルとして生成する。具体的には,作用する 教師を基軸におき,分節化した言説を時間,人 間関係,利他的行動の該当する場所に附置し,1 号は図 3,3 号は図 4 に示して言説の集合を確認 し仮説を検証する。1 号と 3 号の合計 42 作品を 全て書き出し,内容をラべル表示した。配列項目 は,感情プロフィール POMS20)や日本語版組織 20) 9 ),10)に同じ。 市民行動尺度 OCB を参考としたが21),綴り方は母 集団の操作は不可能で参考に留めた。『かやのみ』 1 号,3 号全ての言説を,内容・意味に注目し 148 のカテゴリーに分類した。綴り方の言説を読 み取っていくと,自分自身を省みるという作業が あって,次に教師との学習があることは,大きい ものと類推された。恵那の教育では,自分自身で 考えることに重きを置くが,『かやのみ』の言説 にもその反映が認められた。母親は自省し,振り 返りを教師に受け止められて,そこから学習が出 発する。受け身の学習に留まらず,利他的行動 へと進むプロセスが認められる。この分岐点は言 21) 20)に同じ。 ⾜ 䛝 ワ 䜚 Ᏻ 䠺 ⾜ 䛝 ワ 䜚 㛢㛢㙐ⓗឤ䠄ex.䛂ᡃᏊ䛾䛜㢌䛛䜙㞳䜜䛺䛔䛃䛂㔜䛔㖄䛜䛚䛚䛔䛛䜆 ၥ㢟⾜ືᅔᝨឤ䠄䛂⤯ᮃⓗ䛺ᝒ㬆䛒䛢䛃䛂䛣䜜䛷᭱ᚋ䛛䛸ఱᗘ 䝟䝙䝑䜽ᑐᛂᜍᛧ䠄䛂ᐙ䛜ቯ䜜䛶䛧䜎䛖䞉䝜䜲䝻䞊䝊䛷⅊Ⰽ䛾ẖ ⤯ᮃឤ䠄䛂┠䛾๓䛜┿䛳ᬯ䛃䛂✺䛝ⴠ䛸䛥䜜䜛䛃䞉ⱞ䛧䜏(䛂᮶䜛᪥䜒 ᮶䜛᪥䜒᳨ᰝ䛃䛂㍺⾑䛷Ꮚ䛹䜒䛾ᚰ⮚䛜ఱṆ䜎䜛䛾䛛Ẽ䛜Ẽ 䛷╀䜜䜙䜜䛺䛔ⱞ䛧䛔ẖ᪥䛃䛂ங䛜䛿䛳䛶䛹䛖䛧䜘䛖䜒䛺䛔䛃䞉ᝒ䛧 䜏䛂䛩䜉䛶䛜ᝒほⓗ䛃䛂⬚䛾୰䛷ᛮ䛖䛣䛸䛜䜏䜣䛺ᾦ䛻ኚ䛳䛯䛃䛂䛣䜏ୖ䛢 䛶ᾦ䛜䛷䛷䛹䛖䛩䜛䛣䛸䜒䛷䛝䛺䛛䛳䛯䛃 ㄆ㆑↓䞉䛣䛰䜟䜚䜈䛾ᝒჃ䞉↔䜚䠄䛂㏵᪉䜒䛺䛔䛒䛜䛝䛃䠅 䛂㞀ᐖ䛃ㄆ㆑ᣄྰ䞉䛔䛾䛺䛔カ⦎ᇳ⾜ 㞀䛜䛔䛾䛒䜚䛾䜎䜎ཷᐜ䞉⒪ຠᯝ䛺䛔䛣䛸䜈䛾ㅉ䜑䞉ᝏᚠ⎔ ㄌ⏕䞉㞀䛜䛔䜈䛾ᅇ䞉⮬ศ⮬㌟䛾ぢ┤䛧䞉㏉䛻䜘䜛㐍Ṍ䛻 ᩍ⫱ᶵᕼᮃ䞉㞟ᅋᏛ⩦䜈䛾㢪䛔 ඛ⏕䛸䛾ྥ䛝ྜ䛔䠄䜰䝗䞂䜯䜲䝇䞉ᐇឤ⾲᫂䛸㆟ㄽ䞉ᩍᖌⱞປ▱ 䛂㞀ᐖ䛃䛛䜙䛾Ꮫ⩦䠄࿘䜚䛾䛒䛯䛯䛛䛔ບ䜎䛧䞉ྠ㞀⪅䜢䜏䛶ᴦ䛻䛺 ᮏே⮬㌟⊂ຊ㐩ᡂ䛾႐䜃䠄⏕䛝䛶䛔䜛䞉㏻Ꮫ䛧䛶䛔䜛䛸䛔䛖ᐇ ឤ䞉ᚰ䛻䛂㞀ᐖ䛃䛺䛧䞉Ꮚ⮬❧䛻Ꮚ㞳䜜䛾ᚲせᛶᐇឤ䞉⮬❧䜈 㞟ᅋάື䛷䛾ᡂ㛗䛾Ⓨぢ䠄ᮏே䛻ྜ䛖ྍ⬟ᛶ䞉Ꮚ䛹䜒䛾Ⓨ㐩⌮ ᮍ᮶Ᏻ䠄䛂䛣䜜䛛䜙䛹䜣䛺ே⏕䜢Ṍ䛔䛶䛔䛟䛛䛃䠅䞉᪂䛧䛔䛣䛸䜢䛩䜛䛾 ⚄⤒㉁ឤ䠄୰യ㐣ᩄ䞉⚗Ṇ䞉ྏ㈐䠅 㞀䛜䛔䛾ཷᐜ䠄䜙䛪Ⓨ㐩↓ㄆ 䜑䞉ぬᝅ䞉ᝏᚠ⎔⮬ぬ䠅 䜚㏉䜚䠄ㄌ⏕䞉㞀䛜䛔䛾ᅇ䞉⮬ ඛ⏕䛸䛾ྥ䛝ྜ䛔䠄ᡴ䛱᫂䛡䜛䞉 ᣦ䛻㆟ㄽ䛧ྜ䛖䠅 ᚰ䛾䜅䜜䛒䛔䠄䛂ບ䜎䛧䞉䜅䜜ྜ 䛔䞉⫱ඣ䛾ሗ䠅 ᮏே⮬㌟⊂ຊ㐩ᡂ䛾႐䜃(ᐇឤ䞉 㞟ᅋάື䛷䛾ᡂ㛗䛾Ⓨぢ䠄Ꮚ䛹 䜒䛾Ⓨಙ⌮ゎ ♫ⓗ⮬❧䜈䛾㢪䛔䛸༠ຊᚰ 䠄௰㛫䛴䛟䜚 䞉୍ே䜂䛸䜚䛾ᡂ 䜘䛔⟇ᐇ䜈䛾㢪ᮃ䠄㞀䛜䛔⪅ ⮬ศ䛯䛱䛷䜝䛖䛸䛩䜛ඞᕫ(Ꮚ ᩍ⫱ᶵᕼᮃ(Ꮫ⩦ᶵ䠄䛛䜔䛾 䜏䞉ぢᏛ䞉ㅮ₇䠅 㞟⣙䛧䛯 ୍⯡㡯┠ Ᏻ ᝎ 䜏 ᐃᆺⓎ 㐩↓䜈 䛾↔䜚 䛂㞀ᐖ䛃ྰㄆ ⮬ ┬ ᩍᖌ䛸 Ꮫ⩦ ே䛸䛾 㛵䜟䜚 Ꮚ䛾 ⮬❧ ᩍᖌ䛸䛾 㐃ᦠ ᨻⓗᛮ⪃ ⮬䜙 ື䛟 ඛ⏕䞉༠ຊ⪅䜈䛾ឤㅰ Ꮫᰯ䛸ᐙᗞ⏕ά䛾㐃ᦠ῝䜈䛾ᛮ䛔 䛂㞀ᐖ䛃䛜䛒䛳䛶䜒⏕䛝䜛ᶒ䛜䛒䜛䛸䛔䛖 ᕷᙺᡤ䞉ᕷ㆟䞉ᆅᇦ䜈⌮ゎ䛾㢪䛔 Ꮫ❺ᐇ⌧䛛䜙⏕ά䛾ᐙ䜚䜈䛾ᛮ䛔 ே௵䛫䛷䛺䛟⮬ศ䛯䛱䛾䜝䛖䛸䛩䜛 ᅋ⤖䛧㡹ᙇ䜚䞉⏕䛝䜘䛖䛸䛩䜛Ỵព 3ྕ䛷ከ䛟䜏䜙䜜䛯ẕぶ䛾ឤ ே䞉㞀䛜䛔䜈䛾ᛮ䛔䜔䜚 Ꮫᰯ䞉ᐙᗞ㐃ᦠ῝䜈䛾㢪䛔 ඛ⏕䞉༠ຊ⪅䜈䛾ឤㅰ Ꮫ❺䞉⏕ά䛾ᐙ䜚䜈䛾㢪䛔 ே䛿ⓙᖹ➼䛻⏕䛝䜛ᶒ᭷䛸䛔䛖⮬ ᅋ⤖䛧㡹ᙇ䜚䞉⏕䛝䜘䛖䛸䛩䜛Ỵព 1ྕ䛷䜏䜙䜜䛯ẕぶ䛾ᐇឤ ⨥㈐ឤ䠄ex.䛂⸆䜢䛒䜣䛺䛻㣧䜎䛥䛺䛡䜜䜀䛃䛂Ẽ䜢䛴䛡䛶䛔䜜 ⮬ẅ䞉ᚰ୰⾪ື䠄ex.䛂ఱᗘ䛣䛾Ꮚ䛸ඹ䛻䛃䠅 ᛌ᪉䞉ᡂ㛗Ᏻ䠄ᣦ䛥䛧䛾䛟䛺䛔 䞉ἥ䛷䛝䛺䛔䠅 㐺ྜ䜈䛾Ᏻ䠄᪂䛧䛔䞉㞟ᅋᏛ⩦䠅 㐣ಖㆤ䠄᠃䞉䛛䜟䛔䛭䛖䞉䛂㞀ᐖ䛃䜢௦䛳䛶䛒䛢䛯䛔䠅 ♫⮬❧䜈䛾㢪䛔䛸༠ຊᚰ䠄᫂䜛䛔ᚰᣢ⥆䛡䛯 ே䞉㞀䛜䛔䜈䛾ᛮ䛔䜔䜚 䛣䜜䜙䛾㡯┠䛻䛴䛔䛶 䛿䠈3ྕ䛷ヱᙜ䛩䜛䜒 䛾 䛜䛺䛛䛳䛯䚹 図 2 『かやのみ』1 号 3 号から最終的に絞り込んだ 12 項目 注: 左側は『かやのみ』1 号の言説全てを KJ 法で絞込んだ項目。右側は『かやのみ』3 号の言説全てを KJ 法で絞 込んだ項目を提示。
説の中で重要な意味をもってきているものと判 断された。そのため,上から下へ「利己的思考」 から「社会的行動」に項目を配置した。KJ 法に 従い(川喜多 1999),共通する抽象項目にまとめ 絞り込みを繰り返し,図 2 は最終的に利他的行 動に収斂した 12 項目である。 各々の図における横軸の人間関係は,図 3, 図 4 とも,欄外に障害告知し最大の影響を母親 に与える医療関係者を置いた。分析目的は,母 親のプライベートな内容が表出される言説の集 合の確認である。『かやのみ』1 号と『かやのみ』 3 号の合計 42 作品を全て書き出し,その内容に ラべル表示した。横軸は,母子 2 者に限られる 人間関係から,教師の介在による 3 者関係,特 定複数の子ども集団,家族,母親仲間,不特定 多数の地域社会を置いた。縦軸は,自分だけが 報われない母親自身と我が子だけに限られ思う ことだけにとどまっている言説から,自省し, 教師との学び合いで,利己的な感情から利他的 な社会的行動に移る綴りが多くみられた。 「障害」否認の感情と受容する感情の葛藤を経 て,利他的行動に変容するという意味で,上よ り「行き詰まり」,「不安」,「悩み」,「定型発達 無への焦り」,「「障害」の否認」,「利己」と「利 他」の分岐点に相当する「自省」,「教師と学習」 から,「人との関わり合い」,「子の自立承認」,「教 師との連携」,「政治的アクティビティ」,「社会 連帯への動き」とおいた。a,b,c…は教室に参加 し『かやのみ』を綴った母親個人を指す。 a さんの綴り方 1 号を例にしてみる。綴り方 の文章を全て分節化し,文章いくつかを 1 つの 内容を 1 つのフレームとして,図には 1 記号で 示した。「あの時風邪をひかせなかったら,或い は,こんな子どもになっていなかったかも。∼」 は絞り込んで 12 項目中の最上「行き詰まり」に 対応するので図上に記号 a を付記した。「この子 ෆྥⓗᛮ⪃䛸ே䛸䛾㛵䜟䜚䠄≉䛻ᩍᖌ䛸䛾㛵ಀ䠅䛻⩌䛩䜛ẕ䛾ᐇឤ ẕᏊ ẕ䠉ᩍᖌ䠉Ꮚ Ꮚ㞟ᅋ ᐙ᪘ ẕぶ௰㛫 ᆅᇦ♫ 㻞ே 㻟ே ≉ᐃ」ᩘ ≉ᐃ」ᩘ ≉ᐃ」ᩘ ≉ᐃከᩘ ⾜ 㼍㻌㼑 㼍㻌㼑㻌㼕㻌㼛 㼙 㼟 ᕫ 䛝 㼕㻌㼙㻌㼚 㼍㻌㼓㻌㼙㻌㼚 㼛 㼞 㻌 㼗 㻌 㼏 ワ ⓗ ᛮ 䜚 㼏㻌㼙㻌㼞㻌㼟 㼏㻌㼐㻌㼙㻌㼚㻌㼞㻌㼟 㼏㻌㼐㻌㼔㻌㼞 㼑 㼙 㼞 㼟 ⪃ 㼏㻌 㼍㻌㼚 㼐㻌㼓㻌㼘㻌㼙 㼒 Ᏻ 㼓㻌㻵㻌㼞 㼑㻌㼕 㼟 㼒 㼎 㼎㻌㼔㻌㼛 㼙㻌㼜 ᝎ 㼍 㼐㻌㼚 㻌㼖㻌㼚 㼛㻌 㼙 䜏 㼚 㼐㻌㼗 㼐㻌㼙 㼚㻌 㼓㻌㼕 㼚 㼐㻌㼓㻌㼕㻌㼙㻌㼞㻌 㻌㼚㻌㼛 䜰䞁 ᐃᆺⓎ㐩↓ 㼔 㼙 䝡䝞 䜈䛾↔䜚 㼓㻌㼟 㼐㻌㼑㻌㼞 㼐 㼞 㻌 㼙 㻌 㼓 䛃 ᐖ 㞀 䛂 䝺 㼑 㼟 䞁 䛾ྰㄆ 㼍㻌㼏㻌 㼍㻌㼛 㼓㻌㼙㻌 㼛 䝖 ⮬ 㼟㻌 㼍㻌㼓㻌㼔 㼓㻌㼕㻌㼚㻌㼟 㼟 㼏 ┬ 㼍㻌㼙㻌 㼟 㼟 ᩍᖌ ᩍᖌ䛸 㼓㻌㻌㼚㻌㻌㼟 㼔㻌㼝 㼕㻌㻌㻌㼖 㼑㻌㻌㼖㻌㼙 㼕 Ꮫ⩦ 㼗 㼒㻌㻌㻌㼘㻌㻌㻌㼟㻌 㼗㻌㼙 㼒 㼟 㼒 ኴ⥺䛿ᩍᖌ䛻 ே䛸䛾 㼟 㼚㻌㻌㼔㻌㻌㼞㻌㻌㼟 㼍㻌㼎㻌㼐 㼔㻌㼟 䜘䜛ே䛸䛾 㼓 䜚 䜟 㛵 㼟 㛵䜟䜚䛾ᇶⅬ ྜ䛔 㼗 㼕 㼑 㼗㻌 㼑 㼕 䜢♧䛩 Ꮚ䛾⮬❧ 㻌㼚㻌㼟 㼒㻌㼛㻌㼟 㼑㻌㼟 㻌㼒㻌㼕㻌㼟 㼑 㼝 㼐 㼎㻌㼏 ᢎㄆ 㻌 㼐㻌㼒㻌㼓㻌㼚㻌㼜 㼗㻌㼛 㼐 㻌㼕㻌㼖㻌㼚㻌㼟㻌 㼐䚷䡍 㼟 㼟 㻌 㼛 㻌 㼗 㻌 㼕 䛾 䛸 ᖌ ᩍ ⓗ 㼗㻌㼙㻌㼚㻌 㼚㻌㼟 㼚㻌㼟 㼞㻌㻌㼟 㼓㻌㼚 㼟 ᦠ 㐃 㼕 ⾜ ᨻⓗ 㼔 㼟 䜰䜽䝔䜱䝡䝔䜱㼏 㼏㻌㻌㼞㻌㻌㼟 㼞 ື ♫㐃ᖏ 㼜 㼟 㼞㻌㻌㼟 䜈䛾 㼞㻌㼐㻝 ື䛝 㼞㻌㼐㻝 ་⒪㛵ಀ⪅ї ẕ a b d e ᕫⓗ」ᩘゝㄝ᭷ ᕫⓗཪࡣ ⓗ㸦༢ᩘ㸧ゝㄝ᭷ ⓗ」ᩘゝㄝ᭷ 図 3 『かやのみ』1 号 母親の綴り方にみる人間関係と利他的行動 * a,b,c…は教室に参加し『かやのみ』を綴った母親個人を指し,附置箇所は言説の内容ごとに人間関係から見た 位置と社会的行動(思考)から見た位置を示す。 * 表の横軸は左から右にかけて人間関係の広がりを示し,縦軸は上から下にかけて利己的思考から利他的行動を示す。
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の将来は,どうなるんだろうか」を「不安」の 項目に a と付記,「1 日 24 時間,我が子の事が, 頭から離れる事はないと思います。」を項目「悩 み」に,「ある日は,本当にやさしい親であり, ある日は衣服の脱ぎ着,食事等すべてスムーズ にできないはがゆさに,つい手を貸してしまっ たりです。」を「障害の否認」にと,該当する項 目へ付記していった。a さんは 3 号の綴り方で 複数回「人の心が通じ合ったようでうれしい」 という文章を書いているが,この場合は a(①②) と記載した。又, 1 人の綴り方の中で,「前はこ うだったが,今はこうだ」という言説が目立っ たが,前の状態にあてはまる項目については記 号を()で括り,後の状態にあてはまる項目の 前に矢印の先を表示した。この手順で作成した のが図 3 と図 4 である。a1, b1 などの表示はアル ファベット数より書き手が多かったことを示す。 図表示で 3 つの事項が明らかとなった。第 1 に, 『かやのみ』1 号を示す図 3 では母子に集中した 分布がある。第 2 に,中央太横線で示した教師 を基点に集中した分布がみられる。この点は, 分析によって明らかになったことである。仮説 では教師の働きかけを置いたがその内容は不明 であった。しかし,図では明確である。「教師と の学習」の項目に「先生のアドヴァイス」,「先 生も同様の苦労があることを知る」,「あたたか い愛情に励まされる」他類似した言説がみられ, 「教師との連携」では「学校と家庭生活の連絡を 深めたい」,「先生・協力者に感謝」他など,教 師と連携することによって母親と教師の関係だ けでなく,母親は学校と家庭生活とのつながり の深化がうかがえるようになった。また,他者 に対しても教師や協力者への感謝の意識の芽ば えといった語りで,教師との関係が深まってい る。そういった母親の変化は,教師の働きかけ によるものといえる。図 3 にも,『かやのみ』3 号を示す図 4 にも共通してみられる一緒に学習 していくことの言説が多くみられた。第 3 に, 図 4 は利他的行動に集中した分布がみられる。 図 4 の母親の連帯を示す右 2 列目の仲間内で利 他的行動の集合は,仮定に合致するが,むしろ, 地域社会に関する言説集合の分布が多い。それ ぞれを詳しく説明しよう。 第 1 の図 3 の母子に集中した分布は,行き詰 まり,罪責感(「薬をあんなに飲まさなければ」 他),利己的感情(「我が子のことが頭から離れ ない」他),自殺・心中衝動(「何度この子と共 に」),絶望感(「目の前が真っ暗」他),苦しみ (「輸血で子どもの心臓が何時止まるのか気が気 で眠れない苦しい毎日」他),悲しみ(「全てが 悲観的」)などがある。問題行動に対する困惑感 があり,他害やパニックへの恐怖(「気が違った ように泣き気が狂いそう」など)などで,母子 の人間関係だけに限られた利己的な内容である。 第 2 は,教師を基点とした下部の利他的行動 の集合は,図 4 で『かやのみ』3 号の分布に認 められるが,図 3 で『かやのみ』1 号にも言説 の集合が認められた。『かやのみ』1 号が書かれ た年は,「かやのみ教室」が開催されて既に 5 年 を経過し,綴られた同年(1978 年)5 月に母親 たちの要求で東小学校内に障害児学童保育所を 建てた年である。 第 3 は,3 号 だ け の 言 説 の 集 合 で,「「 障 害 」 があっても生きる権利があるという自覚」,「市 役所・市議会・地域へ理解の願い」など,政治 的な思考から実際に行政を動かそうとする項目 がみられる。図 4 では,母親だけで行動する, 子どもと一緒に行動する言説の集合もあり,特 に地域に向けての言説の集合は仮説にはない。 「学童保育所実現から「生活の家」創りへの思い」, 「他人任せでなく自分たちで創ろうとする克己 心」,「団結し頑張り・生きようとする決意」は 母親が自ら動いて連帯する言説の集合である。 (2)テクスト分析の結果を説明する事例 仮説を確認するため,関連する事例で図の結
果と照合する。『かやのみ』1 号の母子に集中し た事例をあげる。 先生(医者)から「もう駄目です。どうぞあきら めてください。まだ若い,またすぐ出来ますよ」 目の前が真っ暗になり,とめどなくあふれる涙を おさえ切れませんでした。 (『かやのみ』1 号 c さんの綴り方より) これは図 3 左上の母子関係だけに見られる言 説群の一例である。c さんの喜ぶべき出産が一 変し,子の生死に立ち会い,医療関係者の不治 宣告を受ける内容だが,『かやのみ』1 号には医 療関係者からの宣告で,「目の前が真っ暗になる」 という綴りの集合が認められた。教師の介在を 仮定したが,『かやのみ』1 号と『かやのみ』3 号に教師との相互作用を示すような言説の集合 が認められた。教師に感謝する常套句も多かっ たが,下の事例のように教師と母親の連絡ノー トの綴りのやりとりと話し合いの様子が示され ている。 東小に入学して 2 年間,担任の小出先生に Y の発 達のおちこみと,親の心構えについて,直接的に 言われ続けました。私はその度に,苦しみと悲し みで傷つきました。現在,2 年後の今日やっと, 先生の言われる意味が理解できました。 (『かやのみ』1 号 n さんの綴り方より) Y の「どじょっこ」のクラスでは,子供の発達を きめ細かく分析し,要求を受け入れ乍ら,教師集 団の中で研究を重ね,子供一人ひとりにあった教 育の追及を行っています。又,学校との連絡ノー トで,子供の家庭での状態を綴り,又,先生に直 接合って話を聞き,普通の子供以上に,パイプを つなげ乍ら子供の発達を願い,私は学校の先生を 信頼し,困った事,嬉しかった事などノートに起 して,子供の成長と心の過程など,連絡を密にし ています。それと同じ様に「生活の家」の指導員 の先生方も,若いバイタリティにあふれ,放課後 の生活・学習の中で,子供の生きる場作りの運動 の為に,日夜大奮闘を続けております。 (『かやのみ』3 号 n さんの綴りより) 写真 2 学習討論 撮影場所:ひがし生活の家内・出典:「地域に生きる 障害児者運動四〇周年記念共に生きる」冊子より。 著作権者:社会福祉法人ひがし福祉会 鳥居広明 注記:写真掲載に関し著作権者の許諾を得て掲載。 写真 3 婦人集会で訴える「かやのみ教室」の 母子たち 撮影場所: 中津川市文化会館。1981 年冬 出典: 「地域に生きる障害児者運動四〇周年記念共に 生きる」冊子より。 著作権者:社会福祉法人ひがし福祉会 鳥居広明 注記:写真掲載に関し著作権者の許諾を得て掲載。
同じ n さんの綴りであるが,教師との関わり を経て,n さんの意識が変わってきている。 先の図 4 の下白色の分布は,母親たちが仲間 内で利他的行動を実感し合う言説集合だったが, それにも増し,図最右の不特定多数の地域社会 の人達に「障害者」の地域生活の場作りを求め ていることが,同時に左項目の「生活の家」づ くりの願いを投げかけ,d さんの事例でそのこ とが確認できる。 とてもできそうにないと思っていたひがし「生活 の家」本館建設構想を 15 人の親がいかにして自 分のものにするかで,何度も何度も話し合いを続 けました。資金がつくれなければ 15 人が背負っ てたたなければならないが,その覚悟ができるか どうかまで確認しあいました。そして最後は,子 どももろともこの家にころげこむ覚悟で,子ども の家,自分の家,自分の家をつくるつもりになっ て市民の中に訴えてまわろうと話し合いました。 まずは 1 軒でも 2 軒でも,「生活の家」の趣旨を 訴え,募金に協力してもらおうということで,募 金帳を手にして市民をまわりました。「そんな事 業は,国や県ですることではないか。」といった 反論も受けました。現実に「障害」をもつ子を抱 えて困っている様子を訴えても,なかなか理解を してもらえない方もありました。中には本当に襟 を正して聞かなければならないような,尊い意見 も聞かせてもらうことができました。「障害」を もちながらも,人間らしく精一杯生きようとする 子どもたちと,より人間らしく生きられる場を保 障してやりたいと願う。 (『かやのみ』3 号 d さんの綴り方より) 上記「ひがし「生活の家」」は,「かやのみ教室」 を端諸に,周辺地域の住民も含め,母親たち, 教師たち,本人たちも手伝い学内に建てた障害 児学童保育所をその前身とする。卒業後の「ひ がし「生活の家」」は,市民の募金活動で設立さ れた経緯がある。 『かやのみ』3 号では,母親たちは,教師に感 謝の辞を述べ,母親のありのままを見つめる内 容が綴られており,最後は「みんなで「生活の家」 創りを頑張ろう」の言い回しで終る常套句が共 通して示されている。 「障害」の悩みを教師に投げかけ,母親間も話 し合った。「障害」も違い,考えも違う。議論を 徹底して行うことは恵那に特徴的にみられる。 多数意見を確認し,反対の少数意見について話 し合う。納得できるまで原則として討議を繰り 返す。すべてを多数決の原理に任せず,そのプ ロセスを踏むので,反対意見者も協力する。教 室参加の浅い母親が行政側に説得されてしまう 様子に,熟慮した母親はこちら側の意見を如何 に受け入れさせるか交渉方法を伝えた。各学校 PTA や市行政職員や議員に訴えたが,「障害児」 の親と PTA の親とは敵対関係になりかねない 存在でもあった。この親たちに対し「かやのみ 教室」の母親たちは,各学校の PTA 総会で「障 害児」と共に壇上に上がり,綴り方で「障害児」 の現状を伝え「一生地域で当たり前に暮らすこ とに協力してほしい」と訴えた。 Ⅲ.考察 恵那地方の「障害児」の就学をめぐる事情から, 「かやのみ教室」の位置づけと母親の綴り方文集 『かやのみ』が書かれたコンテクストを示した。 教師の介在を仮定して綴り方作品の中に母親の 利他的行動への言説の集合があるという仮説モ デルをつくり,図示することによってテクスト 分析を行った。ここでは,その結果から得られ た事項を仮説と照合し,共通性と相違の有無を 考察する。 図表示の目的は,『かやのみ』1 号と『かやのみ』 3 号にみられる言説の集合を端的に可視化する ことである。具体的には,人間関係と利他的行
動の関係に絞り母親の言説の集合を検証する。 仮説として,『かやのみ』1 号では教師の働きか けにより,母親は子どもだけに利己的感情を示 す言説の集合が存在するのではないかと仮定し たが,実際その通りであることが明らかとなっ た。図 3 の黒い部分は利己的言説の集合といえ る。これは共依存(河北 2012)とも考えられるが, 「綴る」行為は内に籠った気持ちを表出すること であり,そのためには自己を振り返る過酷な葛 藤が伴われる。n さんは綴り方で教師にその気 持ちをぶつけ,教師とのやり取りで我が子の「障 害」を受容する姿を示している。これは当時, 恵那の綴り方教育で盛んに行われた「さらけ出 す」理念に追随している。 『かやのみ』1 号の言説を示す図 3 では,仮説 で想定しなかった人との関わりや学習し合いに 関する言説の集合が認められた(縦軸の教師を 基点とした中央白色部分)。仮説では,『かやのみ』 3 号で母親仲間内の連帯を推測したが,実際は 図 4 の言説の集合が示すように,地域社会と母 親自身,教師と子どもと母親自身,母親仲間で 地域に関わる言説の集合があり,仲間内よりも 地域社会への言説の集合が多いことが注目され る。 筆者が恵那地方に特有のものと理解されるの は,『かやのみ』1 号も『かやのみ』3 号も横軸 の母−教師−子に対し,縦軸の教師との関わり により,学習すること,人との関わり合い,子 どもの自立しようとする姿の承認,教師との連 携などの共通する言説の集合である。『かやのみ』 の編集者は教師で,運動を一緒にしてもらいた い存在で,教師を持ち上げる「感謝」「挨拶」は, 辞令としての常套句ともいえる。しかし,先に あげた n さんの事例のように気持ちをぶつけ, 一緒に学習していく内容のものも多い(図中教 師基点より下部)。 1 号と 3 号のテクスト分析では,卒業後の恵 那地方での生活の場作りに関する言説の集合が 多く確認された。これは,都市部と異なり,恵 那地方には「障害」のある人が生活する場がな い現実があったからであろう。「かやのみ教室」 の運動は,我が子がその人らしく恵那で生活で きるか,その運命がかかっていた。 図表示による検証で,横軸右の人間関係と縦 軸の利己的思考から利他的行動に変容する母親 の言説の集合を確認することができた。そこに は母親の地域に「向かい合う」意識が認められた。 何故このような広がりが可能になったのか。一 つは,母親たちが「かやのみ教室」で教師を介 在としながら話し合い,合意形成に至ったこと にある(井出 2010)。あと一つは地域社会に訴 えかけていったことにある。私的な部分である 各々の母親たちの綴りによる訴えを,母親たち は教師に PTA 総会や市議会の公的部分へとつ なげるよう懇願した。事例や PTA へ訴える写 真は,綴り方を開示し訴える様子である。これは, 図 4 の右下と左下の共通言説の集合で示されて いる。市民は時に批判的な意見をもち,母親た ちに対し無理解でもある。d さんの事例は何度 も地域の人から反論を受けながらも協力を求め ている。これは図の最右下 2 列の政治的アクティ ビティと社会的連帯の集合だが,母親は地域社 会に政治的アクションを起こしている。 連帯といえば,母親だけの結束と仮定したが, 図 4 が示すように,むしろ,言説の集合は地域 社会との連帯の切望を示している。『かやのみ』 3 号の左下の言説の集合が示すように,社会的 連帯のために独りでも動くのである。d さんの 綴り方事例のように母達は見知らぬ市民の家を 訪ね「障害者」の地域生活への協力を求めた。 子どもと教師とも連帯しようとする言説の集合 を図 4 の最下左 2 列目に確認できる。これは, 先に就学運動から地域生活運動に発展し,「生活 の家」作りでの母親集団,教師集団,障害児本 人の仲間集団の 3 集団が連帯していく源がここ にあるといえよう。
社会的連帯は,一般的には仲間内で相互依存 的に密接な関係を指すが(安部 2007),「かやの み教室」の母たちは密接な関係でありながら, 図 4 の自己省察の言説の集合が示すように,他 者に依存せず自律的に活動している。これは, 教師から巣立っていることを意味するだろう。 「自分たち」という綴りは,まさに仲間内のアイ デンティティを認める語法である。集合的アイ デンティティは,相互に交流する諸個人によっ て生み出されるという点で相互作用的であり, かつ共有される閉じた特徴をもつ。しかし,母 たちが掲げる「生活の家」創りは閉じられたも のではなく,地域社会に開かれた存在としてあ る。地域に開かれることは,固定的な固有実体 を意味しない「共同性」22)が母親たちに親和して いることを示すものであろう。 このような結果考察より,結論として,以下 の図 5 のような双方向のモデルを生成した。母 親同志が向き合い合意形成し,不特定多数の市 民に向き合い訴えたこと,筆者はこの絡まり合 いの運動展開するに至った母親の結束を,共同 的アイデンティティの形成と結論づけた。 22) 共同性とは開放的共同体の意識と解釈した。 おわりに 本論では,1978 ∼ 1980 年に恵那地方の「障 害児」の母親が綴った『かやのみ』に関する時 系列的なコンテクストを記述し,仮定に基づく テクスト分析を行い,モデルを生成した。恵那 地方の運動は教師集団,生徒集団,母親集団の 3 集団がなくては市民を巻き込み行政を動かし えなかったという。今後,教師側についての調査, 生徒集団の調査研究も併行し,恵那地方の「障 害児」の就学運動・「障害者」の地域生活運動を 探究したい。 謝辞 本研究で閲覧・収集許可して下さったひがし 「生活の家」,恵那教育研究所,中津川市立東小 学校に感謝の辞を述べる。またインタビューに 応じて下さった方々に感謝を述べたい。 引用文献 安部彰(2007)社会的連帯‐再考―他者の存在の〈保 障〉と〈承認〉をめぐる/のための試論―.現 代社会学理論研究,日本社会学理論学会,1,70― 図 5 教師作用因仮説からマトリクス検証の結果得られた双方向生成モデル Y(ⓗ⾜ື䠅 X䠄ே㛫㛵ಀ䠅 1. 䛄䛛䜔䛾䜏䛅1ྕ Ꮚ ᩍᖌ䛾ാ䛝䛛䛡䛸ཷ䛡Ṇ䜑 ẕぶ௰㛫䛾ཷ䛡䛸䜑 ẕ Y(ⓗ⾜ື䠅 X䠄ே㛫㛵ಀ䠅 2. 䛄䛛䜔䛾䜏䛅3ྕ ẕ ᐙ ᩍᖌ䛾ാ䛝䛛䛡䛸ཷ䛡Ṇ䜑 ẕぶ௰㛫䛾ᅋ⤖ ᆅᇦ♫䛻 ❧䛱ྥ䛛䛖 X ㍈ࡣЍ᪉ྥከࡃࡢே㛫㛵ಀྥ࠺ࡇࢆ♧ࡍࠋ Y ㍈ࡣЌ᪉ྥ ⓗ⾜ືྥ࠺ࡇࢆ♧ࡍࠋ
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Original Article
The Process of Developing Collective Identity of
Mothers whose Children are Disabled:
The Origin of Social Movement in Ena Region, Japan,
from 1970s to 1980s, through Text-analysis of Essays
in
SHINOHARA Makiko
(Graduate School of Core Ethics and Frontier Sciences, Ritsumeikan University)
From 1970s to 1980s, there was the movement for disabled people to live in Ena region led by solidarity among teachers group, parents group and disabled people s group in Ena region, Japan. Disabled children were not able to go to school partly because of exemption from enrolment at school and partly because the family tried to hide their existence. They were able to live on only at home or in distant facilities. Teachers in Ena region, who believed every child has right to receive proper education in schools, encouraged mothers to bring their children out, and opened extra-curricular school for disabled children, , from 1973 to 1981. At first, mothers only worry about themselves and about their children, but by 1981 they had developed solidarity among themselves and worked together to appeal to the general public. The paper aims to verify the development process of solidarity among mothers by text analysis of collection of essays written by mothers in 1978 and 1981 with KJ methods, TEM and KACHINA CUBE of Tatsuya Sato. Hypothesis models for vol.1 published in 1978, in that mothers only concerned about them and their children; and for vol.3, published in 1981 as the last volume, is that mothers developed peers among them. The results of text analysis show that mothers had already developed peers in vol.1, and by vol.3 mothers had developed so strong solidarity that they together appealed to general public in Ena to accept disabled people in the region. In conclusion, the text analysis of mothers essays objectively verified the process of mothers developing not only solidarity among themselves but also establishing the collective identity of Ena region, that later triggered the regional movement for disabled people.
Key Words : Kayanomi, the way of literary essay, Ena s Education, disabled children and people movement, collective identity