472 人 工 知 能 33 巻 4 号(2018 年 7 月)
1.は じ め に
私達は外部世界を見たり,聞いたり,感じたりするこ とができる.それと同様に,外部世界を遮断しても,内 面世界の出来事を,現実味をもって経験することができ る.例えば夜見る夢や空想なども内面世界の経験である. 進化心理学者・哲学者ニコラス・ハンフリー(1943 年 ∼)は,この内面世界における経験は,それを知覚する 内面の眼や耳のような機能が働くことで可能となると説 明している.このような内面世界における観察は「省察」, すなわち自己の経験について考えることであり,以下, 省察という意味での自己意識の特徴と脳の仕組みについ て考察する. 1・1 自己省察的循環が自己意識を生む ハンフリーは,内面世界を自己省察的な循環と捉えた [Humphrey 86].外部世界の情報は目などの感覚器に入 力されるとともに内面の眼にも入力され,その出力は, 内面の眼それ自体の入力の一部にもなる.この自己省察 的循環が自己意識を生むという考えである. これを整理すると,自己言及システムは図 1 のような 二段構えになっており,著者はそれらを別々のシステム であると提案したい.内面の眼への入力により,知覚へ の意識「メタ認知」が生じ,内面の眼の出入力の循環に より「自己の経験への省察:自己意識」が形成される. この循環は構造上何次元でも可能かもしれないが,おそ らく 1 ∼ 2 回の循環で,自己意識は成立するのではない だろうか.循環と自己意識の関係についての科学的研究 はほとんどないため,今後の検証が必要であろう.メタ 認知は心理物理実験などによって人間も動物においても その存在が確認されているが,省察は人間に特異的なシ ステムと考えられている.この省察の大きな特徴の一つ が,省察は眼が映し出すものの完全なコピーではないと いう点である.自己意識はゆがみをもつ.次に,省察に 特徴的な自己意識のゆがみに着目したい. 1・2 自己意識のゆがみ § 1 鏡像認知 身体を自分のものとして意識しているという意味であ る種の自己意識をもつとされる動物がいる.これはマー クテストやルージュテストと呼ばれる鏡像認知テストに よって,低次な自己身体意識の有無が確認される.その 方法は,チンパンジーが麻酔されている間に,もしくは, ヒトの乳幼児が寝ている間に,赤い染料や口紅を眉や額 につけて,鏡を見せたときに赤い部分に触れるかどうか を観察する.チンパンジーは鏡に映った像を見て赤い染 料部分に触れることから,自分の体を意識していると捉 え得る [Gallup 70].乳幼児の場合は,1 歳以下では鏡像 に対して他人のように振る舞うが,2 歳前後になるとルー ジュテストを通過するようになる [Amsterdam 72]. チンパンジーやオランウータンなど,ごく一部の限ら れた動物に認める自分の体を意識できる能力とは別に,人 間には自分自身の意識を意識するという,循環によって もたらされるだろう,さらに上のレベルの自己意識があ る.私達は,日頃鏡に映る姿を見て,髪が乱れていない か,お化粧でシミが隠せているか,服装が似合っている かなど自分の見た目を確認するのではないだろうか.こ れらはすべて他人からどう見られるか,他人にどんな印 象を与えるかを気にするためであり,私達は,他人に少 なからず魅力的に見られたいわけである.人間以外の動 物で,鏡を見て身なりを整える例はおそらくないだろう.省察という意味での自己意識
Self-Consciousness in the Sense of Self-Refl ection
山田 真希子
量子科学技術研究開発機構放射線医学総合研究所脳機能イメージング研究部Makiko Yamada National Institutes for Quantum and Radiological Science and Technology. [email protected]
Keywords:
consciousness, self, refl ection, superiority illusion, dopamine. 「意識とメタ過程」図 1 ハンフリーの枠組みを用いた「知覚─メタ認知─自己意識」 の関係
473 省察という意味での自己意識 § 2 鏡像認知のゆがみ しかし,私達は鏡に映る自己像を必ずしも正確に見て いるわけではない.自分の鏡像をどれくらい正確に知覚 できているかを調べた Mölbert らの研究 [Mölbert 17] を 紹介しよう.彼らの研究では,ボディスキャンを用いて 被験者のアバターを作成し,そのアバターを一定の割合 で太くしたもの,細くしたものを準備した(図 2).被 験者は,画面に提示されるさまざまな太さのアバターを 見て,本当の自分の姿であるか否かを回答する.そうす ると,多くの被験者が,実際の肥満度(ボディマス指数 BMI)よりも約 5 ∼ 15%小さい BMI のアバターを自分 の姿とみなしていることが判明した.一方,他人のアバ ターについては,肥満度の過小評価は見られなかった. すなわち,自分自身に対してのみ,私達は本来よりも少 しスリムな自分の姿を鏡の中に見ているのだ.内面の眼 は「自分にとって好ましい・見たい姿」を映し出し,そ れしか見ることができない私達は,自分が錯覚している という事実になかなか気付くことができない.他人が錯 覚していることにはよく気付くにもかかわらず. § 3 自己概念のゆがみ 心理学領域では,「自分は平均より優れている」とい う思い込み「優越の錯覚」が存在することが知られてい る.例えば,大学教授の 94%が平均的な教授と比べて 自分の教授としての能力は上だと評価するという結果 [Cross 77]や,85%の人が協調性が平均より上とみなし, 70%の人が統率力が平均より上だとみなすなど多数報告 されている.しかし,統計学上,集団の大多数が平均よ り上になることはできない.これは,自分について省察 するときに生じる,誰もが陥りやすい錯覚であり,自分 のことを都合良くポジティブに捉える傾向をもっている ことを示す.Tayler と Brown は,健康な人ほど,自分 をポジティブに捉える優越の錯覚をもつことを見いだし ている [Tayler 86]. さらに,シミュレーションによる計算モデルによって, ポジティブな錯覚をもつことは,不確実性の高い競争社 会で有利に働き,社会的成功につながることから,進化 論上適応性が高いことが示されている [Johnson 11].こ のことは,楽観主義が人類や社会の発展に寄与した重要 な心のプロセスであるという人類学的視点とも合致する だろう [Tiger 76].古代ギリシア神殿には,「汝自身を知 れ」,「度を超すことなかれ」という碑文が掲げられてい るように,人間には元来自分自身について過大評価して しまう傾向があるのだろう. このような内面世界で創造される自己意識のゆがみが どのような脳のメカニズムにより生じるかを調べた著者 らの研究 [Yamada 13] を以下に紹介する.
2.自己意識のゆがみを生む脳の仕組み
§ 1 優越の錯覚の計測 優越の錯覚の測定方法を紹介しよう.被験者は,パソ コン画面上に提示されるさまざまな性格語について,平 均的な人と比べて自分がどれくらい上か下かを,視覚的 評価スケール上のカーソルを動かして自分の位置を回答 する(図 3).各単語の健常者の平均カーソル移動位置 を図 4 に示す.ポジティブな単語に対しては,平均より 上に,ネガティブな単語に対しては平均より下にカーソ ルを動かしていることがわかる.私達はみんな,自分が 平均的な人よりも謙虚で,寛大で,親切で,ユーモアが あり,人気者と結構自信をもっているのだ. 図 5 のヒストグラムは,健常者 176 人の各個人ごと に全単語のカーソル移動距離を平均した値(ネガティブ な単語に対しては正負逆転させた値)を表す.横軸の中 央が自分を平均的とみなす場合を意味するが,得られた データ分布は中央より右(平均より上)方向にシフトし ており,全体の約 8 割が自分自身を平均以上と評価した. この割合は,これまで欧米で行われることの多かった研 究報告とほぼ一致し,謙虚な日本人も優越の錯覚を十二 分にもっていることが確認された. § 2 ドーパミンの役割 神経伝達物質であるドーパミンは,報酬期待,快情 動,意欲,学習,運動調節,ホルモン調節などに関わる. ドーパミンの前駆物質である L-Dopa を使った薬理実験 によって,ドーパミンの量を増加させると,ポジティブ な期待 [Sharot 09] や楽観主義バイアス [Sharot 12] が増 大することが報告されている.このことから,著者らは, ポジティブな錯覚である優越の錯覚にもドーパミンが関 図 2 (a)異なる肥満度の自分のアバターを見て,本当の自分の 姿を言い当ててもらうと,(b)多くの人が本来の自分の姿 よりも少しスリムな鏡像を認知する ([Mölbert 17] より) 図 3 優越の錯覚の測定方法. カーソルを左右に動かして自分がどれくら い平均より上,下の位置にいるか答える474 人 工 知 能 33 巻 4 号(2018 年 7 月) 与する可能性を考えた. ドーパミン作動性神経は,起始核である黒質・腹側被 蓋野から主に線条体に投射されている.線条体にはドー パミン D2 受容体が豊富に存在し,[11C] ラクロプライ ドというドーパミン D2 受容体拮抗薬を用いた陽電子放 射断層撮像法(Positron Emission Tomography:PET) によって,線条体のドーパミン D2 受容体結合能を定量 化することが可能である.ドーパミン D2 受容体結合能 は,D2 受容体密度を反映する.これまでの [11C] ラク ロプライドを使用した PET 研究によって,ドーパミン D2受容体密度の個人差は,性格,気分,精神症状など と関連することが報告されている [Reeves 07,など ]. 優越の錯覚との関連についての検討により,線条体 ドーパミン D2 受容体密度は,安静時の機能的磁気共 鳴画像法(functional magnetic resonance imaging: fMRI)により得られた線条体と前部帯状回の機能的結 合と正の相関をもち,機能的結合と優越の錯覚は負の相 関を示すことが判明した.さらに媒介解析により,線条 体ドーパミン神経伝達の状態は,線条体と前部帯状回の 機能的結合を介して,優越の錯覚に影響を及ぼすという 因果関係が判明した(図 6).線条体ドーパミン D2 受容 体結合能とドーパミン生成能は相補的関係にあることか ら [Ito 11],ドーパミン受容体密度が低いとドーパミン が生成されやすいことを示唆する.したがって,ドーパ ミン量が多いと,線条体と前部帯状回の機能的結合が弱 まり,優越の錯覚が高くなる. 依存症患者の線条体ドーパミン D2 受容体密度は低下 していることが知られている.そのような患者では,前 頭葉の血流が低下しており,衝動性の制御・抑制に障害 が生じることが報告されている [Volkow 08].さらに, D2作動薬が認知作業中の前頭葉の活動を抑制すること や [Kimberg 01],D2 受容体の遺伝子型がデフォルトモー ドネットワークと線条体の機能的結合の強さを修飾する ことが見いだされている [Sambataro 13].優越の錯覚 においても同様に,ドーパミン量が多いと,行動や認知 の制御・抑制に関わる線条体と前部帯状回の同調性が低 下し(機能的結合が弱い),優越の錯覚は抑制されにくい. 一方,ドーパミン量が少ないと,制御機構の働きが強ま りすぎるため(機能的結合が強い),優越の錯覚が抑制 されやすい状態と解釈できるだろう.
3.ま と め
人間は,自分のことを尊重されたい,他人から価値あ る存在と認められたいという欲求をもつ.これは,マズ 図 5 日本人 176 人のヒストグラム. 平均より上に自分を評価した人は全体の 約 8 割いた 図 6 優越の錯覚が生じる脳の仕組み 図 4 各単語の平均カーソル移動位置(平均値と 95%信頼区間 を示す). ポジティブな単語は平均より上に,ネガティブな単語に 対しては平均より下と回答している475 省察という意味での自己意識 ローの欲求段階説により「尊重・承認の欲求」として, 生理的欲求,安全の欲求,社会的欲求の次の段階に位置 付けられている [Maslow 43].尊重の欲求が妨害される と,劣等感や無力感などの負の感情が生じるため,この 欲求を満たすことはこころの健康に非常に重要である. 価値を認められたいというポジティブな期待は,脳内の ドーパミン神経システムが関係しており,自己意識がポ ジティブ方向にゆがむ動機付けになっているのだろう. 私達の内面世界が生む自己意識は,他者の存在が根底 にあり,外から見た自分に満足を得るための脳内システ ムが働くことで,私達は知らずと少しゆがんだ自己意識 をもっているのだ.バラ色のメガネをかけた内面の眼で, 自己への省察がなされているのである.
◇ 参 考 文 献 ◇
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2018年 5 月 21 日 受理