大雄山最乗寺と紅葉
大雄山線 緑町駅
大雄山線小田原駅から電車で1分、 緑町駅ホームにある「名所案内版」 緑町駅を出て踏切を渡り、東海道線・新幹線のガードをくぐり直進する事約3分、小田急線踏切の先 に位置する「高長寺」
高長寺の入り口
高長寺は、小田原北条時代に創立された高源院と 長吉寺が明治33年(1900)に合併したとき、 両寺号の頭文字をとり高長寺と称されたそうです。 入口には右の写真のようなお寺の説明板が設置され ており読むだけでも楽しいかも! 境内にある白木蓮の大木も花期には見事だそうです。高長寺を後に、更に1分歩くと右手に「大稲荷神社」が見えてきます。 大稲荷神社は、往古は田中稲荷と称していたが、宝永3年 (1706)5月、小田原城主大久保加賀守忠増 によって現在地に勧請され、谷津村、竹の花町、 須藤町、大工町の鎮守として大稲荷神社と称され たそうです。 ここにも大稲荷神社の説明板が設置されてるよ! 宮司さんによると、神社に階段があるのは、神様との境を示しており、 階段を一段上がるたびに体を浄め、神聖な心で神様と対峙し願い事をす るためだそうです。階段の無い平坦地の神社では池や川を渡る赤い橋を 境としているそうです。鳥居の輪は最初に左足から左側へくぐり、次に 右足から右側へくぐり、最後に正面からくぐって本殿へ向かい参拝する と願い事が叶うとか。 お社の彫刻もすばらしいです。
大稲荷神社を右へ出るとすぐ横に、小田原城を中心として、東に弁財天、寿老人、西に大黒尊天、南 に福禄寿、布袋尊、恵比寿神、北に毘沙門天が配された小田原七福神のひとつ「満願弁財天・福泉寺」 があります。
大雄山線 井細田駅
小田原駅から電車に乗って約3分の 井細田駅ホームにある「名所案内版」 駅を出て左へ、踏切を渡るとすぐにある若宮八幡神社 ここにも説明板はあるけどかなり古いです!創立は天正年間、星野冶郎右衛門の歓請に起り井細田の 鎮守として村民の信仰が篤かったと書かれています。 次は「長安寺」尐し離れてるけど行ってみてはい かがですか? 若宮八幡神社を左に出て通りを進むとR255 の交 差点があります。そこの歩道橋を渡り国道を緑町 方面へ、大きい歩道橋が見えたらもうすぐ。 歩道橋の左脇すぐのところに入口があります。 若宮八幡神社から約15分くらいかな?大雄山線 五百羅漢駅
小田原駅から電車に乗って約5分の 五百羅漢駅ホームにある「名所案内版」駅を出て、駅前の県道を右へ100m程進み右折 すると「玉宝寺」の山門が正面に見えます。 現在、526体の羅漢像が安置されているそうです。 ここにも説明板があり、読むとなるほど・・・ 玉宝寺は、五百羅漢を安置する寺として知られ、 当時は多くの人が寺名を呼ばないで、多古の五百羅漢 と呼んでいたそうです。
玉宝寺を出て右折し、1分程歩くと左手に「白山神社」 へ上がる道があります。 ここにもしっかり説明板がありますよ 新編相模風土記に「白山社村の鎮守なり本地仏 正観音を安ず」とある古きより村の氏神として 尊崇せられ明治六年七月白山神社に改称と記さ れてます。 白山神社を出て通りを右折し5分ほど歩くと右側に 小田原七福神のひとつ「毘沙門天・潮音寺」があり ます。
ここにもあります説明板! 大徳山潮音寺と号し、天文23年(1554 年) 大休宗恵大和尚により開創され聖観世音菩薩 をご本尊とする霊場である。 毘沙門堂には七福神の一つである毘沙門天が 安置され、特に小田原七福神として広く知ら れている、と記されてます。
大雄山線 穴部駅
小田原駅から電車に乗って約7分の 穴部駅ホームにある「名所案内版」 穴部駅階段を下りて左折し、通りの横断歩道(信号を直進)を渡り直進して50mくらい行くと分 かれ道があり右側の道へ、住宅街を進むこと 約5分、右手に「姥神社」の鳥居が見えてき ます。鳥居をくぐって趣のある階段を登ると 正面にお社が! 階段からの眺めもいいですよ! 久野古墳群へ行くには穴部駅からだと分かりにくく道も狭 く、尐し遠いかも!五百羅漢駅からのが分かりやすいです!大雄山線 飯田岡駅
小田原駅から電車に乗って約10分の 飯田岡駅ホームにある「名所案内版」 飯田神社は尐し距離があります。駅を出て 狩川を渡り直進、仙了川(小さい川)を過ぎて4つ目の路地を左折し200m位進むと右側にありま す。境内は広いです 飯田神社は、保延2年(1136年)に比叡山の八王子の分霊を勧請したと伝えられているそう です。
大雄山線 相模沼田駅
小田原駅から電車に乗って約12分の 相模沼田駅ホームにある「名所案内版」 「天野康景の墓(西念寺)」へは、駅を出て駅前の信号を渡り直進、200m位進み右折するとまも なく左手に。西念寺は永和元年(1375年)に創建された浄 土宗の寺院だそうです。元々は飯田岡にあったが、 文安3年(1446年)、酒匂川が氾濫した際に 流失し、現在地に移転したと伝えられているそう です。
天野康景とは家康公の家臣、三河三奉行の一人で家康公の側近に仕えていたそうです。慶長6年 (1601年)に駿河国興国時の城主となったが、慶長12年(1607年)に城主の座を捨てて 興国寺を去り浪人となり、小田原城主の大久保忠隣の保護を受け西念寺に隠れ住んだが慶長18年 (1613年)没したそうです。 西念寺を出て右へ、最初の路地を右折するとすぐ左手に正面からではないけど「八乙女神社」の入り 口が! 昔から沼田の鎮守として深く信仰されてきたそうで、明治六年に「西念寺」と分離し「八乙女神社」 と改称したそうです。
大雄山線 岩原駅
小田原駅から電車に乗って約13分の 岩原駅ホームにある「名所案内版」 岩原駅の階段をおりて左折、信号のある横断歩道を渡り50m位進み川を渡って左折、右へカーブす ると正面に「岩原八幡神社」の山門が見えます。参道は長く、階段を上がると途中に赤い鳥居があり 更に上がるとお社の前にくぐり輪が!
岩原八幡神社は、源頼義が陸奥の鎮守としておもむく途中に建立し、その後、源頼朝が富士の巻狩の 途中ここに参拝して社殿の改修を命じ、巻狩の無事を祈願したと伝えられているそうです。また、駿河 から小田原へ進入してきた守護大名の大森氏や、伊豆から出てきて大森氏をほろぼした小田原の北条氏 もこの八幡神社を深くうやまい大切にしたそうです。
「岩原八幡神社」のすぐ下隣に「薬師堂」があり ます。 この「薬師堂」の本尊は、古城略記によると 聖徳太子の作で、大森氏の守り本尊であった そうです。
「岩原城址」は塚原駅からのが分かりやすいです。 塚原駅を出て左折、踏切を渡り信号のある横断歩道を渡り道なりにひたすら直進、300~400m くらい行ったT字路を右折、100mくらい進むと上記左写真の案内があります。民家の駐車場の間に 写真右のような階段が2段あり、その先30mくらいのところに「岩原城址」があります。
岩原城址 岩原城は室町時代、箱根外輪山明神岳から東方 に延び、足柄平野を望む標高60mの丘陵の南斜 面に大森氏によって築城されたと記されてます。
大雄山線 塚原駅
小田原駅から電車に乗って約14分の 塚原駅ホームにある「名所案内版」 天王院塚原駅を降りて左へ、踏切を渡り 信号の交差点を右折ししばらく歩くと 橋の手前を斜め左に分かれます。そこ を左に土手を進むと 「しんめいばし」が見えてきます。 橋を過ぎて3つ目の道を左折すると 正面に「天王院」が見えます。
「天王院」を出て右折し、道な りに真っ直ぐ(分かれ道みたいの は基本右側へ)山の方へ約2km 進むと広域農道に出ます。農道を 真っ直ぐに山の方へ進むと 「長泉院参道」が見えてきます。 参道に入り300m程進と、参道入り口があり ます。そこを進むこと約600m、山門に到着 します。途中には変わった屋根つきの歩道があ り神秘的ですよ。
歩道を抜けてさらに進むと山門が
山門をくぐりさらに奥へ進むと本殿へ 続く階段があります
階段を登ると目の前に「長泉院本殿」が 中へ入ると素敵な世界が広がり ます。 塚原駅から約2kmちょっと、 ですがひたすら登りが続くので、 歩いていくには尐し遠いかも! それでも紅葉の時期は一段といい かも! 1度行ってみてはいかがですか! 長泉院は、6世紀はじめに金毘羅 大権現の分身である黄色大権現として祭られており、1416年、当時の小田原城主だった大森頼春の 子、氏頼が岩原の地に奇栖庵と称した清泉院を建て菩提所としたそうです。 1470年に氏頼を開基、太寧和尚を開山とする長泉院を大森一族の菩提寺として現在地に建立した そうです。
大雄山線 和田河原駅
小田原駅から電車に乗って約17分の 和田河原駅ホームにある「名所案内版」 「中沼薬師堂」へは、和田河原駅前の道を右折、 信号のある交差点を3つ直進すると狩川の橋にで ます。その橋を渡り左折、土手を50mくらい進 んで右側へ下り100m程進むと右側にみえてき ます。 薬師如来坐像は、三角形の鼻に突出した口を持つ 顔つき、高い肉髻などが伊勢原市の宝城坊(日向 薬師)薬師如来坐像によく似ており、地域的にも 近いことから、両像の関係が密接であると考えら れているそうです。「竹松報徳堀」は、和田河原駅改札を出て右側へ 線路沿いに進み右折、踏切を渡り約700m直進、 橋を渡って30m位を右折(富士フイルム工場の 裏)し、約200m進むと左側にあります。 「報徳堀」は、水の多すぎる田んぼを、二宮尊徳 の指導を受けて村民が水抜きの堀を作ったと言わ れているそうです。
大雄山線 富士フイルム前駅
小田原駅から電車に乗って約20分の 富士フイルム前駅ホームにある 「名所案内版」 「浮泉の池(清左衛門地獄)」へは、富士フイルム前駅を出て左へ進み、信号の交差点を渡って直進、 狩川の橋を渡ってひたすら真っ直ぐ進み、次の信号の交差点を左折(奥の通り)、狩野駐在所(警察) の路地を右折し進むと分かれ道に標 識があります。その方向へ100m 程進むと見えてきます。湧水ということで水はとても綺麗です!
昔、清左衛門という人が良い水源を探しにここ まで来ると、乗っていた馬と一緒に地中深く落 ちてしまい、そこから勢いよくたくさんの水が 湧き出し、それから土地の人々が行って「清左 衛門、清左衛門」と呼ぶといっそう勢いよく水 が湧き出した、というこの池に昔から伝わる伝 説があるそうです。 「浮泉の池」を後に来た道を戻り標識のある分かれ道を過ぎて10m程行くと、「極楽寺」への標識が 見えてきます。小さいので見落とさないように! その道を進んでいくと「極楽寺」の横に出ます。
「極楽寺」の案内版が見えたら左折すると入口に 着きますよ。
正面から入ると素敵な参道から本殿へ入ることが出来ます。 「極楽寺」を立てた人は駿河(静岡県)の今川 義元の数代前の血筋を引く仏満禅師という和尚 さんで、今から六百数十年前だそうです。 今川氏は駿河の守護大名で戦国時代には、織田 信長、徳川家康、上杉謙信、武田信玄等と共に、 日本中にその名が聞こえていた大名です。 1394年(応永元年)に大雄山最乗寺を開い た了庵慧明禅師は寺の建立中に、この極楽寺に 泊まって毎日山に通ったのだそうです。
大雄山線 大雄山駅
小田原駅から電車に乗って約21分の 大雄山駅ホームにある「名所案内版」
「龍福寺」へは、大雄山駅を出て駅前の通りを右に進みます。二つ目の信号の交差点を過ぎるとすぐに 左側に見えてきます。
本像は阿弥陀如来坐像で、藤沢の 遊行寺を本山とする時宗の二祖真 教上人が遊行廻国の旅の途次、永 仁六年(1298年)に当地に至 り当時の開山となられたそうで、 昔から関本の三福寺の一つの下寺 として有名なお寺だそうです。 「大雄山最乗寺」へは大雄山駅を出て右へ、バスロータリーの1番線から「道了尊」行き伊豆箱根バス で終点まで、所用時間は約10分です。伊豆箱根タクシーもバスロータリーに停まってます。 「最乗寺」の開山、 了りょう庵あん慧え明禅師みょうぜんじ は曽我の里に竺土ち く ど庵あんを結んだ。 ある日、1羽の大鷲が禅師の袈裟 をつかんで足柄の山中に飛び、大 松の枝に掛ける奇瑞を現じた。そ の啓示により、応永元年(1394) に足柄の山中に大寺を建立、大雄 山最乗寺と号したそうです。 大雄山開創に当たり空を飛んで了 庵禅師の下に参じてその大事業 を成し遂げたのが修験道の満位の行 者ぎょうじゃ相模房さ が み ぼ う道どうりょう了尊者そんじゃとして知られた道どう了大薩埵りょうだいさつたであり、その力量は 1人にして5百人に及び霊験は極めて多い。また、道了大薩埵は了庵禅師が遷化されたあと、「以後山 中にあって大雄山を護り多くの人々を利済する」と五大誓願文を唱えて姿を変え、火焔を背負い右手に 拄杖、左手に綱を持ち白狐の背に立って、天地鳴動して山中に身をかくされ、以後、諸願成就の道了大 薩埵と称され絶大な尊崇をあつめ、十一面観世音菩薩の御化身であるとのご信仰を深くしているとのこ とです。
バスの終点で降り、山の方へ尐し歩くと石塔が出迎 え道が分かれます。右側は車道なので左側の石の階 段を上っていきましょう。 ひたすら頑張って上りましょう!
5分程上ると左へ上がる階段があります。
その階段を上がると「瑠璃門」があり、門をくぐ ると「書院」の正面に出ます。 瑠 璃 門 書 院 「書院」の前の広場を左へ行くと、右手に「本堂」 が見えてきます。その階段を上がり左へ行くと 「御真殿」へ続きます。 本 堂
「
御真殿」へ上がる階段御 真 殿 階段を上りきると 正面に「御真殿」があります。 「御真殿」を左に曲がると 「大下駄」に出会えますよ! 「大下駄」を過ぎるといよいよ 「奥ノ院」へ続く階段が・・・・ 354段を上りいざ「奥ノ院」へ
道了尊行きバスの終点で降りるとすぐ横に「伊豆箱根鉄道の売店」が・・・ 最乗寺へ参拝する前にちょっと一服、小腹が空いたらお蕎麦はいかがですか! お土産を買うなら帰りの方が良いですよ! 天狗煎餅も有名ですよ