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平成22(2010)年9月25日発刊

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平成26(2014)年 5 月 25 日発刊 6

越冬を終えて

54 次日本南極地域観測隊 越冬隊長 橋田 元

平成 26(2014)年 3 月 15 日朝、「しら せ」はサーキュラー・キーを通り過ぎ、ハ ーバー・ブリッジをくぐり抜け、ホワイト・ ベイに接岸した。昭和基地の空は底抜けに 蒼く澄み切って美しい。この日、シドニー の空も、喩えようもなく蒼かった。 節電・燃料節約に関する諸事情は、越冬 中に本誌へ寄稿した通りであり(第21 号)、 その後も消費ペースを維持して、燃料備蓄 を減らすことなく越冬を終えることができ た。第 54 次隊夏期において、「しらせ」の 接岸のみならず氷上物資輸送ができなかっ たことなどにより、基地に輸送できた燃料 は約 502 ㎘(予定量の約 77%)であった。 備蓄量の低減を最小限に留めるべく節電お よび燃料節約に努め、年間消費量を約 509 ㎘(第53 次越冬隊年間消費量:約 547 ㎘) に抑えることができた。この制約の中でも、 当初予定通りの観測と基地設備を維持でき た。

南極OB会 会報

発行 南極OB 会 会長 国分 征 編集 広報委員会

No.22

今号の主な内容 ○越冬を終えて ○帰国隊員らの報告会・歓迎会開く ○先代しらせの現状と今後 ○地図と空中写真で巡る南極大陸 〇南極関連情報 ○第14 その 2、15 回「南極の歴史」講話会 ○支部便り ○隊次報告 ○会員の広場 ○広報委員会からのお知らせ

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気象、潮汐、GPS 等の定常観測、および 宙空圏変動、気水圏変動、地殻圏変動、地 球観測衛星データ受信、ペンギン個体数観 測などのモニタリング観測は、いずれも、 広大な南極大陸における国際的な観測ネッ トワークの一翼を担う極めて貴重な観測で ある。順調に観測を行い、高品質の資試料 を取得することができた。重点研究観測「南 極域中層・超高層大気を通して探る地球環 境変動」は、第Ⅷ期6 か年計画 3 年次にあ たる今次隊にとっても優先度の高い観測で ある。この中心となる大型大気レーダーは、 夏期間「しらせ」接岸断念・氷上輸送断念 の中でも、可能な限りの物資を輸送して1/2 システム相当の26 群を設置した。通年の運 用にあたっては燃料制約と兼ね合いが憂慮 されたが、研究グループの協力を得て、第 53 次越冬期間中に開始した 12 群での連続 観測を継続し、年間を通してデータを取得 した。また、26 群全体での調整も行い試験 観測に成功した。重点研究観測としては、 レイリーライダー、ミリ波分光計、MFレ ーダー、全天単色イメージャーなどと併せ、 新たに開始した水蒸気ゾンデ観測にも成功 し、広高度領域において南極初となる多面 的な物理・化学諸量の総合観測を行った。 野外活動も可能な限り実施した。9 月~ 11 月にはラングホブデ、スカルブスネス、 スカーレンなどの沿岸露岸域に展開した無 人観測装置の保守やペンギン個体数調査な どのため、多くの調査旅行を行った。内陸 域では、みずほ基地近傍までの旅行を 10 月に実施した。みずほ基地から約 40km の NMD30 地点に、第 54 次隊夏期ドーム旅行 において損傷した大型橇が残置されていた が、厳しい条件下での溶接補修を度々行い ながら、大型橇をS16 まで持ち帰ることに 成功した。 11 月以降は、DROMLAN 対応や第 55 次 隊の受入準備に取り組んだ。11 月 14 日、 20 日、22 日、26 日の 4 回、ノボラザレフ スカヤ滑走路からプログレス基地に移動す る途中のバズラー・ターボ機が給油のため にオングル海氷の滑走路に立ち寄った。な お、最初の便には第 55 次観測隊の先遣隊と して、越冬隊員 2 名が本隊より約1か月早 く 到 着 し て 、 引 継 ぎ 作 業 等 に 従 事 し た 。 2009 年(第 50 次隊)以降の多雪傾向は継 続し、今次隊でも積雪は多く、8 月~11 月 において月最深積雪は 6 か月連続で各月の 1位を更新し、歴代記録の 1 位(2013 年 9 月4 日)、3 位(2013 年 8 月 5 日)、4 位(2013 年11 月 1 日)、5 位(2013 年 10 月 3 日)、 7 位(2013 年 7 月 27 日)にランクインし た。11 月以降の基地幹線道路や中心部の本 格除雪は、大変厳しい作業であった。また、 第54 次隊夏期の海氷状況に鑑み、海氷状況 を越冬期間中に第 55 次隊など関係者に定 期的報告し、また、11 月後半からは、「し らせ」砕氷航行ルート選定のため、想定さ れる領域の多地点での氷厚測定を実施した。 12 月上旬には、氷状が緩み選択肢が限られ る中ではあったが、先行氷上輸送ルートを 設定する事ができた。 3 月 17 日の晩に空路シドニーを離れ、翌 18 日朝に香港で乗り継ぎ、昼過ぎに春一番 の吹く羽田空港に到着し、30 名の越冬隊員 は、470 日の出張を終えた。越冬隊の目的 は、定められたミッションを過不足なく遣 りきり、無事に帰国することに尽きると私 は考える。これが容易なことではないこと は、越冬中も、帰国した今もなお、日々思 うところであるが、基地設備の運営や保守 が順調に行われ、事故停電も無く、隊員の 健康状態は大きな傷病の発生もなく概ね良 好であった。そして、一人一人がなにがし かの達成感を持って全員揃って帰国できた ことは、個々として、またチームとして最 善を尽くしたことの証に他ならない。同時 に、関係者の方々による数多の支援や OB の皆様からの絶え間ない励ましがなければ、 このように晴れて帰国もできなかったこと であろう。この紙面をお借りして、深く感 謝申し上げる次第である。

帰国隊員らの報告会・歓迎会開く

帰国した第54 次越冬隊および第 55 次夏隊 の帰国報告会と歓迎会が、平成 26(2014) 年4 月 8 日(火)夕刻から東京・千代田区九 段北のアルカディア市ヶ谷(私学会館)で、 国立極地研究所主催で開催された。 54 次隊は夏隊 35 名、越冬隊 30 名の 65 名

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編成であったが、2 年続けて「しらせ」が接 岸できず、物資補給が十分でなかったため、 55 次隊は夏隊 39 名、越冬隊 24 名の 63 名編 成となり、越冬隊の規模が縮小され、医療、 調理の2 名体制が 1 名になっている。 しかし今年は接岸に成功、持って行った物 資の全部を運び込む事ができたので、開会の 挨拶に立った白石和行極地研所長も、宮岡宏 55 次隊長もこのことに触れ、昨年のこの会と は異なった安堵の雰囲気が漂った。 帰国報告会で橋田元 54 次越冬隊長は、接 岸不能で燃料備蓄が減少する中で①観測の質、 量の維持②燃料備蓄の低減を抑える(節エネ) ③多雪を乗り越える、をモットーにした、と 説明した。そうした厳しい状況下で、52 次か ら始まった大型大気レーダー(PANSY)の観 測継続、計画された各種基本観測、内陸旅行 調査など順調に行われた。 昭和基地はこのところ気温が低く、降雪が 多いという。昨年 5 月は歴代 2 位の低温で、 積雪も多かったそうだ。この多雪でブリザー ド後の除雪が大仕事だった由。 55 次隊の宮岡宏隊長は、優先課題は燃料を 100%送り込むことで、ヘリコプターの 1 番 機が飛び立つ前に、氷上輸送隊を発進させ、 一番機の到着前に氷上部隊が基地に着いたと いう。幸いにも「しらせ」は接岸でき、持っ て行った全物資1,159 トンを搬入、基地の燃料 タンクを満杯にする輸送をする事ができた。 持ち帰り輸送も並行して実施し、総量約 500 トン、そのうち接岸不能で溜まっていた廃棄物 275 トン(過去最高)を持ち帰ることができた という。 PANSY 観測計画のシステム専用の発電機 も送り込み、これからパワーアップした観測 ができるとのことだった。 東京海洋大学・海鷹丸は、オーストラリア のフリマントルから東経110 度線を南下、海 洋物理・化学の定常観測をはじめ研究観測、 モニタリング観測などをした。セール・ロン ダーネ山地でも絶対重力観測や GPS 観測な どを実施し、多角的な観測活動を展開した。 この帰国報告会の後、会場を移し、歓迎会 を開催し、54 次、55 次、海鷹丸関係者、帰 国した「しらせ」の関係者など多数が参加し た。白石所長開会の挨拶に続き下村博文文部 科学相や国会議員らの来賓の祝辞があり、牛 尾収輝 55 次越冬隊長が昭和基地から発信し た祝辞などが披露された後吉田栄夫日本極地 研究振興会理事長(2,16,20,27 夏、4,8, 22 冬)の発声で乾杯、この後懇談に入り、帰 国した隊員たちの労をねぎらい、最近の南極 事情などに話題が広がった。 (深瀬和巳)

話 題

先代しらせの現状と今後

~会員皆様との協力関係を構築するためにも~

先代しらせは株式会社ウェザーニューズ が“環境のシンボル”として活用すること を目的として、SHIRASE という名称に改 称し、2010 年 5 月より千葉県船橋港にて一 般公開を行ってきた。 当初は申込制による一般公開を行ってい たものの、2011 年 3 月 11 日の東北地方太 平洋沖地震の影響により、係留している岸 壁で液状化現象が発生したため、公開を一 旦中止した。その後、震災復興にむけた元 帰国歓迎会の様子 壇上は白石和行国立極地研究所所長

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気づけ支援を目的として、同社の創業と縁 深い福島県小名浜港へ曳航し、1 万 3 千人 の方に来場して頂いた。また、同年 9 月か ら 10 月にかけては新しらせが船橋港に入 港し、新旧揃い踏みが実現した(来場者数 1 万人)。それ以降、2 週間に 1 度の頻度で申 込制による公開を行ってきたが、地域の皆 様や財団関係者から利活用案や協力したい との声が出てきたため、関係機関に対して、 所有権移転を打診。2013 年 9 月に一般財団 法人 WNI 気象文化創造センターによる管 理・運営のもと、新たなスタートを切るこ とになった。 WNI 気 象 文 化 創 造 セ ン タ ー で は 、 SHIRASE を 定 期 的 に 一 般 開 放 し 、 SHIRASE のチャレンジ精神や五象(宙象・ 気象・地象・水象・海象)・五季(春・梅雨・ 夏・秋・冬)を五感(視覚・聴覚・触覚・味 覚・嗅覚)で感じ取るといったコンセプトの もと、様々なチャレンジをしている人たち によるトークセッションや地域の皆様によ る店舗の出店、五象の体験コーナーといっ た内容の催事を年間 5~6 日の頻度で実施 していく計画である。 昨年 12 月に第 1 回目を実施し、三浦雄 一郎氏による世界最高峰、最高齢のチャレ ンジについてのトークセッションを皮切り に催事がスタートした。今年第 1 回目とな る3 月 9 日には宇宙へのチャレンジとして、 小型衛星開発に関するプロジェクト秘話に ついてのトークセッションや、スタンプラ リー、プラネタリウムなど、多彩な催事が 実施され、親子連れなど 2105 名の来場者 で賑わった。2014 年の第 2 回目以降の催事 は 4 月 20 日、5 月 24 日、25 日(マリンフ ェスタ 2014 in FUNABASHI と併催)、7 月27 日、10 月 19 日、12 月 21 日を予定し ている。 この催事は南極 OB 会の皆様による来場 者への南極観測の解説・南極グッズ販売の 協力や極地研の資料提供協力なども得なが ら実施しており、来場者 の評価も高い。したがっ て、南極OB 会会員の皆様 や オ ー ロ ラ 会( 乗 組 員 の 会)の皆様との協力関係を 更に構築していくことが 必要である。その一方で、 南極 OB 会会員やオーロ ラ会会員の皆様にとって は、過去の姿に想いを馳 せたいという気持ちも強 い 。 皆 様 に と っ て は SHIRASE を“伝える場” (来場者への解説ボランテ ィアや過去の資料を紹介 す るた めの 役割)として、 “想いを深める場”(隊次同士による懇親会 の会場)として是非とも利用して頂ければ と考えている。また、今後は OB 会による 専用の部屋なども設けて、活動を発信する 一拠点として機能できないかとも考えてい る。 ボランティアとしての関わりを持ちたい と考えていらっしゃる方や、懇親会の会場 として利用されたいと考えていらっしゃる 方は以下の問合せ先までご相談いただきた い。 (一財)WNI 気象文化創造センター事務 局(担当:三枝、37 次夏) ☎043−274−3191 または shirase-goiken@wni.com まで。

地図と空中写真で巡る南極大陸

私が所属する国土地理院は、第1次南極 地域観測隊(1956 年)から毎次の観測隊に 職員を連続して派遣し、担当している基本 観測(定常観測部門)の測地観測である基 準点測量、水準測量、重力・地磁気測量、 GNSS(GPS)連続観測、写真測量による ヘリ甲板にて地元食材を利用した食べ物の出店や南極グッズの物販、 ギタリストによる演奏を実施。多くの来場者で賑わう。

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佐藤豊弘新館長 地形図作成等を通して、南極大陸における 位置の基準を整備すると共に科学的・基礎 的情報の整備に貢献しています。 これら、南極地域観測事業により蓄積し てきた地形図、衛星画像、基準点測量の測 量結果等を、このたび国土地理院のホーム ページから提供することになりました。新 たに公開するホームページ「南極の地理空 間情報データ」では、誰でも南極の地形図 や空中写真等を閲覧又はダウンロードして いただけますので、南極への理解を深めて いただくと共に、地球環境変化の把握等の 基礎資料として活用されることが期待され ます。 主な提供項目としては、これまでに作成 した紙地図等を画像化データ(TIFF 形式) で公開します。これにより、一般の方でも 南極の地形の様子や山・池等の名称を知る ことができます。また、衛星画像と地形図 を重ね合わせた地図や空中写真画像もあり、 より視覚的また詳細に南極を捉えることが できます。その他、合計 13 の観測項目、 600 件以上の情報を閲覧又はダウンロード 提供していきます。 なお、整備の完了した成果については随 時追加公開していく予定です。 平岡喜文(45 次夏隊) 白瀬南極探検隊記念館の新館長 白 瀬 南 極 探 検 隊記念館では北村 正館長が退職し、 佐藤豊弘氏が就任 した。 昭和基地アマチュア無線局の話題 5 月 5 日、日本アマチュア無線連盟(東京・ 大塚)に集合したアマチュア無線の資格を持 つ小中学生たちと、昭和基地のアマチュア無 線局・8J1RL が交信するイベントが行われ、 その模様が(株)パイルアップ プロダクツの ニュースサイトに紹介されている。 http://www.hamlife.jp/2014/05/05/8j1rl-ja1rl/ <南極の地理空間情報データ> URL http://antarctic.gsi.go.jp/index.html <主な提供項目> 地形図ベクトルデータ 地図画像(ラスタ画像) 衛星画像図 空中写真画像(正射写真を含む) デジタル標高データ(グリッドデータ) 基準点の位置情報や重力データ 磁気図 水準測量で捉えたオングル島の上下変動 GNSS 連続観測で捉えた南極大陸の地殻変 動 GNSS 繰り返し観測で捉えた S16 周辺の氷 床変動 「 南 極 の 地 理 空 間 情 報 デ ー タ」トップページ

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第 14 回「南極の歴史」講話会 その2

(2013 年 9 月 28 日(土)14:00~16:30 日本大学理工学部 1 号館 132 教室)

イプシロンロケット打ち上げに因んで、『オーロラ観測ロケット』の話および気候変動に関 連する南極気象研究の最近の成果を話していただいた。今回は、その2として、『南極観測技 術シリーズII. イプシロンロケット発射に因んで』をテーマにした、「ペンシルロケットから 南極オーロラロケット」島野邦雄氏(14 次越冬)、「南極ロケットの打ち上げ計画」芦田成生 氏(11 次越冬、14 次越冬)、「ロケット観測とは」梶川征毅氏(14 次越冬)の話題で、お三 方に執筆頂いた講演概要について報告する。 ロケット機種と打上げ実績一覧 機 種 到達高度(km) 隊次別等打上げ数 合計機数 MT-135JA 60 26 次/11 機 11 機 S-160JA 85 11 次/2 機 12 次/1 機 13 次/1 機 4 機 S-210JA 120 12 次/6 機 13 次/6 機 14 次/7 機 17 次/6 機 18 次/4 機 19 次/2 機 31 機 S-310JA 220 17 次/1 機 18 次/2 機 19 次/4 機 25 次/3 機 26 次/2 機 12 機 S-520 330 内之浦で 9 機

「ペンシルロケットから南極オーロラロケット」

島野邦雄(14 次越冬)

1.はじめに IGY(国際地球観測年 1957(昭 32)年 7 月~1958(昭 33)年 12 月))は、世界中 の科学者が参加し、地球全体規模で共同観 測を行う大プロジェクトであった。 1954(昭 29)年この準備会がローマ及びブ ラッセルで行われ日本は地球上の 9 観測点 の1ヶ所に選ばれた。 さらに、特別プロジェクトとして、①南 極大陸の観測、②ロケットによる大気層上 層の観測にも参加することを表明した。 南極観測については、東京大学の永田 武 教授、ロケット観測については糸川英夫教 授を中心にスタートした。この時点では、 “ロケットと南極”は別々のプロジェクト であり、15 年後に(1970(昭 45)年 2 月南極 昭和基地でロケットを打上げるとは夢想だ にしなかった。 2.ロケットの開発 固体ロケットの開発は、東京大学生産技 術研究所(現宇宙航空研究開発機構)が中 心となり開発が始まった。 ペンシルロケット→ベビーロケット→カ ッパーロケットまでが観測ロケットの役割 を持つものであり、その後のラムダーロケ ット→ミユーロケット→イプシロンロケッ ト と 発 展 す る が こ れ ら は 人 工 衛 星 打 上 げ が 主 目 的 で あ る。 開 発 の 歴 史 のなかで特筆すべき4 点がある。 1)ペンシルロケットからカッパーロケ ットK-4 型までは、固体推進薬にダブルベ ース推進薬(無煙火薬)を用いていたので、 あまり効率よいロケットでは無かった。 2)K-6 型からはコンポジット推進薬(混 合火薬)に代わり世界水準のロケットにな った。 講演する島崎邦雄氏 イプシロンロケットの1段目

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1958(昭和 33)年 9 月に 6kg の搭載機 器部を高度60km に打上げ IGY の公約を果 たしている。 3 ) 昭 和 基 地 で 第 11 次 隊 に よ り S-160JA-1 号機が打上げられたのは 1970 (昭45)年 2 月 10 日であり、ラムダーロ ケット(L-4S-5 号機)により日本初の人工 衛星「おおすみ」が打上げられたのが翌日 (2 月 11 日)であった。 4)イプシロンロケットは、日本の基幹 ロケットとして高性能・低コストの新時代 の固体ロケットである。(初号機打上げ: 2013.9.14 筆者も 5 月~9 月まで参加した) M-V ロケット計画が終了し、約 9 年の空 白期間があったがこの半世紀で蓄積された 固体ロケット技術の集大成であり、搭載機 器(火工品点火薬の点検も含む)の点検を ロケット自身が自律的に行い、発射管制も パソコン数台で行い打上げることが可能で ある。 イプシロンロケットは、3 段式ロケット (2.5mφ×全長 25m、全質量 91 トン)で一 段目の推進薬重量は65 トン、推進力は約 180 トン、二段、三段のロケットも M-V で打上げ 実績のある球形ロケットを用いた人工衛星 打上げ(1.2 トン~450kg)用である。 2-1 ペンシルロケット 1952(昭和 27)年 GHQ(米司令部)から の航空機工業の再開許可がなされ翌年、東 京大学糸川教授を中心にロケット開発がス タートした。 固体推進薬は、火薬であることから専門 メ ー カ ー の 日 本 油 脂(株 )< 愛 知 県 武 豊 町 (当時)>の協力を得て当時現存する唯一 のダブルベース推進薬(無煙火薬)を入手し 小型ロケット=ペンシルロケットを製作し、 工場内の(富士精密工業(株)荻窪工場)テ ストスタンドで 150 発を超える地上燃焼試 験を実施し、燃焼性能等のデータを取得し た。(1954(昭 29)年 10 月) 標準型のペンシルロケットは、全長 230 ㎜、外径 18 ㎜φ、重量 186g で推進力=約 30kg、推進薬の燃焼時間=約 0.1 秒であっ た。 また、ダブルベース推進薬は、マカロニ 形状で(外径 9.3 ㎜φ、内径 2.9 ㎜φ、長 さ123 ㎜)13g であった。 その後 1955(昭 30)年 4 月ペンシルロ ケットは、水平発射試験を国分寺駅付近の 機 関 銃 工 場 跡 地 の 半 地 下 壕 で 公 開 試 験 を (29 発)行い飛翔性能を確認した。 1955(昭 30)年 8 月上旬には秋田県道川 海岸でペンシルロケット 300 型(全長が 300 ㎜)6 機の打上げを実施した。 到達高度 600m、水平距離 700m、飛翔 時間16.8 秒、これが日本初のフライト結果 だった。 2-2 ベビーロケット その後、日本油脂(株)で 1kg のダブルベ ース推進薬(外径 65 ㎜φ、内径 6 ㎜φ、 長さ180 ㎜)の製造が可能となり、ベビー ロケットの開発となった。 試験では、ロケットの燃焼室の構造(耐 熱性、推進薬の固定方法)、推進薬の組成(燃 速を低く抑える)、燃焼試験スタンド、推進 力計測方法、等々の研究が行われた。 このロケット(飛翔体)の大きさは、全 長 120~130cm、外径 80 ㎜φ、で質量約 10kg の 2 段式の形状であった。 飛翔試験は、ペンシルと同じ秋田県道川 海岸で 1955(昭 30)年 8 月下旬~12 月ま でに36 機を打上げた。 ベビーロケットは、S 型、T 型、R 型の 三種類があり、S 型は発煙剤を積んで光学 観測で飛翔軌跡を確認した、T 型は、日本 初のテレメータを搭載したロケットである、 R 型は小型カメラを搭載し飛翔中の地上を 撮影し、パラシュートにより海上回収した。 最高到達高度は6km であった、種々問題 はあったが着実に成果をあげ、次のカッパ ーへと繋がった。 2-3 カッパーロケット カッパーロケットの開発はK-6 型を境に 飛躍的な変化をした。 それは、推進薬がダブルベース推進薬か らコンポジット推進薬に代わったことであ ランチャーにセットされた イプシロンロケット

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る。 このコンポジット推進薬は、合成ゴム= 燃料兼粘結剤(ポリエステル、ポリサルフ ァイド、ポリウレタン等)に酸化剤として 過塩素酸アンモニウムを錬り込んだ混合火 薬である。 酸化剤の過塩素酸アンモニウムの粒度を 調整することで燃焼速度をコントロールす ることも可能となり、さらにゴムなので固 まるまではドロドロとした液状でありロケ ットのケース(燃焼室)に直接注入する直 填方式が最終的には可能となった。 K-6 型は、2 段式ロケット(150 ㎜φ+ 250 ㎜φ、全長 5.4m)で、1958(昭 33)年 9 月IGY としての役目を果たす打上げとなっ た。(観測機器部(6kg)を到達高度 60km に 打上げる) 引き続き観測ロケットは、より高い高度 へと開発が進みK-8 型(250 ㎜φ+420 ㎜φ、 全長 10m)は 1960(昭 35)年 7 月打上げで 到達高度200km としている。 コンポジット推進薬(この時点では燃料 兼粘結剤=合成ゴム材質はポリサルファイ ド系を使用)の優秀さが世界的なものとな り、この研究は、さらに進みポリサルファ イドからポリウレタンに、そして低温特性 にも優れるポリブタジエンに代わってきた。 (南極用ロケットはこのポリブタジエン系 である) K-9M 型については、K-8 型を機体の軽 量化や種々改良をし、固体燃料は、ポリウ レ タ ン 系 を 使 用 す る 2 段 式 ロ ケ ッ ト で 1962(昭 37)年 11 月初号機は 2 段目に点 火 し な い ト ラ ブ ル が あ っ た が 、 半 年 後 (1963 年 5 月)には正常に飛翔し、到達高 度350km をクリアーした。 また K-9M の高性能化を予測し打上げ射 場 を 鹿 児 島 県 内 之 浦 に 開 設 し て い る 。 (1962(昭 37)年 2 月) 観測ロケットとしてはかなり完成度の高 いもので 70 機以上の打上げ実績があった が近年は 330km の到達高度をもつシング ルロケット(S-520 ロケット)が開発され たことから観測ロケットとして多段式ロケ ットはあまり使用されなくなった。 2-4 単段式ロケット(気象・南極オ ーロラ観測) 観測ロケットも取扱い操作性が簡便で安 価な到達高度別のシングルロケットが必要 とされてきた。 この草分けは、高度50~60km にパラシ ュート付ゾンデを打上げる MT-135 気象観 測ロケット(135 ㎜φ×3.3m)である。 1964(昭 39)年 3 月内之浦射場でテストフ ライト後、気象庁は、岩手県三陸海岸の綾 里に「気象ロケット観測所」を開設し、世 界気象機関の国際同時観測に参加し、毎週 定時観測のため打上げていた。 ロケット機体はパラシュートにより緩降 下 させ漁 船への 危険 防止 策とし た、1993 (平 5)年には 1 千発以上の打上げ実績と なった。 南極のオーロラ観測ロケットは、極地で の厳しい環境と少人数のオペレーションで 打上げることから、低温環境特性に優れた ポリブタジエン系固体推進薬、そしてチタ ン材質などの構造部材、導電性耐熱塗料(静 電気対策)などを具備し、さらに輸送方法 なども考慮したものである。 現在は、打上げ高度別に 5 種類のロケッ ト が 有 り、 オ ーロ ラ が出 現 す る約 100~ 300km をカバー出来るものとなっている。 ロケット機種と概略の到達高度、これま での打上げ隊次及び打上げ機数は、講話会 報告冒頭の通りであり、南極での打上げは、 (S-520 を除き)合計 58 機を打上げすべて 成功している。 3.あとがき 南極でのロケットによるオーロラ観測は、 1970 年(11 次隊)のテストフライトから 始まり、IGY、IMS、MAP など国際規模で の観測に参加し、1985 年(26 次隊)で終了し た。 東京大学糸川教授、富士精密工業(株)戸 田康明取締役航空事業部長を中心に研究開 発してきた固体ロケット技術は、現在も社 名は変っているが(株)IHI エアロスペース (群馬県富岡市)で継承し、日本の宇宙開 発の中枢となり稼働している。 「南極の歴史」講話会の模様を記録したビデオは、南極OB 会のホームページの「南極の歴史 講話会」のコーナーに順次掲載されています。遠隔地や当日参加できなかった方は、こちらを ご覧ください。(http://www.jare.org/jare_history/nankyoku_history_index.html)

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「南極ロケット打ち上げ計画」

芦田成生(11 次、14 次越冬)

南極昭和基地で観測ロケットを打上げよ うという計画は、1967 年 3 月に日本学術会 議南極特別委員会が勧告し、国立科学博物 館極地部が協力、南極地域観測総合本部に よって決定された。私がその計画を知った のは、1965(昭 40)年 3 月東大宇宙研のロ ケット打上げ実験が行われていた内之浦で、 永田隊長との雑談の中で聞かされた。正式 決定の2 年も前である。 ○第1 期 1968~1974 第 10 次隊~14 次隊 ・10 次隊:昭和基地ロケット発射場建設準 備として組立調整室、レーダ・テレメータ 室、コントロールセンター、推薬庫を建設。 ・11 次隊:ロケット発射台、追尾レーダ、 管制盤等ロケット打上げ可能なように整備。 夏 季 に 2 機 の ロ ケ ッ ト 打 上 げ を 行 う 。 S-160JA1,2 号機 ・12 次隊~14 次隊:12 次隊でテレメータ 受信装置設置。観測ロケットを夏季、冬季 に 打 上 げ 、 本 観 測 を 行 う 。S-160JA 、 S-210JA ○第2 期 1975~1979 第 17 次隊~19 次隊 ・S-210JA、S-310JA ○第3 期 1983~1986 第 25 次隊~26 次隊 ・S-210JA、S-310JA、MT-135JA 第11 次隊のオペレ-ション (1)国内でのオペレーション会議 ・オペレーション会議:36 回に及ぶ会議を 行い、ロケット隊員を中心に実行計画が進 められた。 ・ロケット班訓練:44 年 8 月~11 月まで 各場所で実施した。鹿児島宇宙空間実験所、 日産自動車(荻窪、川越)、明星電気守谷工 場、極地研板橋分 室で、オペレーシ ョン訓練、機体取 扱い、搭載機器・ レーダ取扱い、そ の他設備訓練。 (2)昭和基地でのオペレーション ・輸送:ロケット関係物品は、「ふじ」接岸 (1970.1.4)以降順調に行われた。ロケッ ト本体、パワーリーチ、大型建物以外は、 全てロケット基地内の第 2 ヘリポート近辺 にスリング輸送された。ロケット本体2機 は、金属コンテナに収納され、「ふじ」格納 庫に2段積みし輸送された。 ・ロケット発射設備:旋回可能な直径 8m のターンテーブルがあり、その上にランチ ャーがある。発射台の組立は、1 月 10 日~ 15 日、ターンテーブルは 19 日に完成。レ ーダ・管制設備は1 月 17 日~27 日でほぼ 完了。 ・12 次隊以降での変更:12 次隊は「ふじ」 が接岸できず、発射台上屋(ドーム)建設 が不可能になった。そのため気温が低下し 始めた 4 月に打上げオペレーションが開始 されたので、ロケットを保温する必要から、 鉄材、ビニールシート、紙を使用して保温 枠を作成した。暖房は組調室の暖房機から のダクトを継ぎ足し保温した。テレメータ 受信設備の設置。レーダ受信アンテナを移 設した。 (3)打上げオペレーション ○打上げ実施:2 月 1 日:レーダ・オペ訓 練開始。2 月 5 日:1 号機リハーサル。一 講演する芦田成生氏 ロケット発射設備の建設作業 ロケット組立棟における ロケット組立作業

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般公開。2 月 9 日悪天候のため、発射中止。 2 月 11 日 1 号機発射 X:15:30。2 月 17 日2 号機発射 X:15:19(X:打上げ時刻) ○打上げタイムスケジュール: X-2 時間;ロケット準備、ランチャー方位 角度設定、搭載機器電源結線を終了。 X-1 時間:ランチャーIG 結線、ランチャー 角度設定終了。 X-30 分:ロケットバンド外し、IG 系結線 終了。 X-10 分:IG 系最終結線。 X-5 分:管制盤系全てスイッチオン。搭載 機器内部電源オン。受信確認。 X-3 分:発射準備完了、 X-2 分:管制盤キースイッチオン。 X-1 分:コントローラーオン。 X 秒:発射(X) X+20 分:ロケット実験終了。 ○追尾レーダ運用:ロケットは風向きに影 響され、向かい風は頭を風向きに、追い風 は尾部が下がる。ロケット追尾は、レーダ の追尾速度が速くないため、地上から追尾 するのは難しい。そこでロケットが電波受 信ビームの中に入ってくるように、アンテ ナをあらかじめ角度をつけて待ち受ける。 ビーム内に電波が入って来た時に自動捕捉 にする。 ○追尾結果:1 号機、2 号機共風補正を行い、 無事トラッキングに成功した。 1号機:最高高度 86.9km 水平距離 88km 飛翔時間 4 分 30 秒 オゾン・電子密度 2号機:最高高度 87.6km 水平距離 91km 飛翔時間 4 分 38 秒 電子密度

「イプシロンロケット発射に因んで」

梶川 征毅(

14 次越冬)

○観測ロケットとは 現在までの世界の主なロケットは、大き さで比較すると 100m級のサターン、50m 級のスペースシャトル、アリアン、ソユー ズ、長征、H-ⅡA ロケットおよび 30m級の M-V、イプシロンロケット等がある。 目的別には探査用ロケット、衛星打上用 ロケット、観測用ロケットに分類される。 日本の主力ロケット H-ⅡA は、2~4 トン 級の衛星打上用ロケットで全長53m、質量 285 トン。M-V は、1.8 トン級の衛星打上用ロ ケットで、全長30m、質量 139 トン、既に打 上げ完了。これに代わるのはイプシロンで ある。 南 極 観 測 ロ ケ ッ ト に は 、MT-135JA 、 S-160JA、S-210JA、S-310JA があり、全 長はそれぞれ、3.3m、3.9m、5.2m、7.1 mで、観測高度は それぞれ、60km、 85km 、 120km 、 220km である。 こ れ ら の ロ ケ ットは、昭和基地 か ら オ ー ロ ラ 観 測用と気象観測用に打上げられてきた。打 ち上げ実績は巻頭の一覧表参照。 オーロラの高度は 100km~300km で、 ロケット観測には、この発生空間を直接観 測することができるメリットがある。 昭 和 基 地 の ロ ケ ッ ト 施 設 は 、RT 室 、 RT/TLM アンテナ、推薬庫、組調室、ラン チャーおよび各施設間をつなぐケーブル類 等で構成されている。 ロケット設備には、ロケットの点火およ 講演する梶川征毅氏 昭和基地での打上げ初号機 (S-160JA-1)

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びタイマーを始動する点火タイマー管制装 置、また各搭載機器の on/off、バッテリー の内部/外部切替を行う搭載機器管制装置。 ロケットの飛翔軌道を評定するレーダ追尾 装置および観測データの記録、再生、処理 を行うテレメータ受信設備等が設置されて いる。 オーロラの観測には、太陽・月、雲がな く、風もなく、地磁気が乱れ良いオーロラ がロケット発射方向に、且つロケット・観 測機器がすべて正常に動作している必要が ある。更にロケット発射指令が出てからロ ケットが所望の高度まで上昇し、観測開始 までに約 2 分間を要するため、オーロラの 出現を少なくても2 分前に予測しなければ オーロラに命中することが出来ない難しさ がある。 オーロラの励起機構/入射粒子と電離層 の電離/オーロラの電場、電流/オーロラ の電磁波等を観測する目的でそれぞれの観 測器を搭載したロケットを設計、製造、整 備した。 各種の観測器はロケット先端の PI 部へ、 またバッテリー、タイマー、レーダ、テレ メータ等の基本機器はCI 部へ搭載した。 14 次隊のオペレーションでは、搭載機器 はすべて単体で昭和基地へ搬入し、昭和基 地のRT 室で頭胴部を組立・動作チェック、 タイマーチェック、等各種試験を行い打上 げに万全を期することとした。組み立てら れた頭胴部は、RT 室から組調室まで二人で 担いで搬送した。頭胴部は、組調室でイグ ナイター装填等、整備されたロケット本体 と結合され、ランチャーにセットし、保温 槽を被せ組立が完了する。 打上げ時は、第 2 スタンバイで発射指令 を待つこととした。ロケット機体は保温槽 の後端より温風を吹き込み、ロケット機体 を約 5~10℃より低下しない様保温した。 また、搭載機器は動作確認の後、外部電源 にて動作待機し、発射指令を待つ状態であ る。 発射指令後、コントローラスタートボタ ンを押すまでの約10 秒間で。搭載電源内部、 受信確認、記録の確認、レーダ待ち受け角 確認を行い、スタートボタン(1 分前)を 押す。 発射までの1 分間で、タイマースタート アンサー確認、着コネ離脱確認、記録スピ ード確認を行う。ロケットは X=0 秒で発射 し、X+45 秒でスピン点火、X+60 秒脱頭、 X+62 秒プローブ展開し、観測を開始し、 X+300 秒の着氷まで観測を継続しデータを 取得する。(S-210A の場合) これらのオペレーションは、第 2 スタン バイまでの準備段階および発射時のオーロ ラの出現予測、発射指令、カウントダウン 等、ロケットメンバー3 名+7 名の計 10 名 で実施された。作業量が多く人手を要する 箇所は、作業時間および期間の延長でカバ ーし、効率の良いオペレーションで無事切 りぬけた。 ランチャーにセットされた S-160JA-1 ロケットの夜間打上げ

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第 15 回「南極の歴史」講話会

(2014 年 3 月 29 日(土)14:00~16:00 日本大学理工学部 1 号館 121 会議室)

話題は、「セール・ロンダーネ山地の地理・地形と調査史」岩田修二氏(26 次夏、32 次夏、 地形調査担当)、「リュツォ・ホルム湾氷海の脅威」茂原清二氏(40、 41 次「しらせ」艦長) の2 つであった。お二方に執筆頂いた講演概要について報告する。

「セール・ロンダーネ山地の地理・地形と調査史」

岩田修二(26 次夏、32 次夏)

セール・ロンダーネ山地は、昭和基地の 西約 700km の東経 22〜28 度、南緯 71.5 〜72.5 度にひろがる、東西 220km、南北 100km の大山地である。北は 200km で南 極 海 ( ブ ラ イ ド 湾 ) に 至 り 、 南 方 の 高 さ 3000m の高原氷床をダムのように堰き止 めている。多くの地塁状山塊から構成され、 山塊の間を貫いて高原氷床から氷河が北流 する。標高2500m を超える多くのピークが あり、最高峰は2996m、合計の露岩面積は 2300 ㎢(東京都より広く神奈川県より狭い) である。山地は、北麓の島状ヌナタク帯、 北半部のアルプス型山岳帯(急峻な山岳が 多く針峰群を含む)、南半部の台地状山岳帯 (雪氷に覆われ緩やかに氷床面に続く)、南 側の高原氷床の氷冠ヌナタク帯、東端部の 氷食丘陵帯(バルヒェン)に大きく 5 区分 できる。 1937 年 2 月6日ノルウェー探検隊の航 空機が氷床中に露岩山地を発見し、母国の ロンダーネ山地にちなんで南(セール)ロ ンダーネ山地と命名した。国際地球観測年 を契機に1958 年〜1961 年、1964 年〜1967 年にはベルギー隊とベルギー・オランダ合 同隊によるロア=ボードワン基地での越冬、 山地での学術調査がおこなわれた。 1981 年から JARE(日本南極地域観測隊) による空中写真撮影、その支援を兼ねた昭 和から山地東端までの偵察トラバース旅行、 「ふじ」によるブライド湾偵察などがおこ なわれた。初代「しらせ」の就航にあわせ て1983 年の JARE-25 次隊から本格調査が 始まり、1991 年末(JARE-32 次隊)まで、 夏隊による山地と周辺部での地形図作成や、 地学調査、あらたに建設されたあすか観測 拠点での越冬と超高層・隕石・生物など多 分野の観測・調査がおこなわれた。 2003 年頃から、 ベ ル ギ ー 隊 が セ ール・ロンダーネ 山 地 に 新 基 地 を 建 設 す る と い う 動 き が ド ロ ー ニ ン グ モ ー ド ラ ン ド航空ネットワーク(DROMLAN)の設置 と共に進み、2004 年 11〜12 月のベルギー 新基地設置偵察(ベルギー隊と共同)の後、 2007 年〜2012 年には JARE-49、50、51、 53 次地学調査隊が派遣された。これらは、 DOROMRAN を利用したスノーモービル と軽量テントによる長期間の地学野外調査 であった。 山地北側の標高800〜1500m の氷床には 小ヌナタクが散在している。その一つのシ ール岩近くにあるあすか観測拠点は強風と 多積雪に悩まされた。 山地東端にあるバルヒェン山塊は全体が 氷床の面的削剥を受けた低い露岩帯である。 その中には深い氷食谷が刻まれている。バ ード氷河の西側を占める山地東部のベルゲ ルセン山塊には針峰群がある。その中のホ 山 地 中 央 部 の ル ン ケ 山 稜 か ら イ エ ル 氷 河 の 南 東,アルエン山塊を望む(1985 年1月 21 日撮 影) 講演する岩田修二氏

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講演する茂原清二氏 ルナ峰2427m は 1997 年1月にノルウェー の登山家によって登頂された。山地中央部 のメーフィエル山塊では広い氷食谷がドラ イバレーをなしている。ブラットニーパネ 山塊はあすか観測拠点から近いので詳しく 調査された。低所には凍土現象が広く分布 し、融解・再凍結した氷が多くみられるが、 高所は乾燥したサバク環境である。山地中 央部からグンネスタ氷河を隔てた西側の山 地には高くどっしりした山塊がある。ビー デレー山塊最高峰(2996m)は 2007 年1 月ノルウェー登山隊に登頂され、第2峰村 山 が 岳 (2980m ) と ビ キ ン グ ヘ グ ダ 山 (2751m)は、それぞれ 30 次隊と 31 次隊 に登頂された。山地西部にはテーブル型の 台地が多くニルスラルセン山は厚い堆積物 を載せている。 山地の南側にある高原氷床(ナンセン氷 原)へは、山地を貫く氷河のどん詰まりが クレバス帯になっているので通過できず、 高原氷床の上に出るためには山地西側を大 回りする必要がある。高原氷床の裸氷帯で は多くの隕石が発見された。 1985 年から始まった JARE-26 次〜32 次 夏隊による5 万分の 1 地形図作成作業や地 学調査はおおきな成果を挙げ、2007 年以降 の JARE-49〜53 次隊にひきつがれ、現在 も調査が続いている。

「リュッツォ・ホルム湾における氷海の脅威」

茂原清二氏(40, 41 次「しらせ」艦長)

我が国の南極観測船が過去半世紀、昭和 基地沖の氷海内において海氷との壮絶な格 闘の中、様々な脅威に晒されてきましたが、 特に約35 年前、私が「ふじ」航海士として 勤務した折に遭遇した第19 次行動時の「ふ じ」の漂流事案についての話を致します。 昭和 52 年 11 月 25 日、東京港晴海を出 港した「ふじ」は、途中フリマントル経由 南極に向け、暴風圏内を木の葉のように片 舷40 度以上も傾けながらも一路南下、竜宮 岬沿岸調査支援を実施の後、昭和基地に向 かいました。 海氷は、大きくは定着氷(海岸に接して 形成された定着している海氷)と流氷(定 着氷以外の全ての海氷域を含める広義の用 語)とに分かれ、更に流氷は氷縁氷域(海 氷が海洋との接する氷域)と本日の話の主 役であり、最も脅威となるずれ氷域とに分 かれます。 ずれ氷域は、沖合の流氷が陸岸に向かっ て動くと“ずれ”、“収束”、“氷脈化”を起 こす乱氷帯であり、特に氷縁氷域とずれ氷 域との境界線では氷域境界における段差は 水面上だけでも4~5mにもなり、氷縁氷域 の 流 氷 は 風 向 に よ り 常 に 変 化 す る も の の 0.1~0.2kt で西側に流れ、第 35 次行動時、 先代「しらせ」でも、境界線突破に15 日間 もの日数を強いられておりますが、第 19 次行動時に、「ふじ」が行動の自由を奪われ、 一 昼 夜 に 及 ぶ 漂 流 を 余 儀 な く さ れ た 定 着 氷 域 と ず れ 氷 域 と 境 界 線 に おいても、氷縁氷域とずれ氷域との境界線 に似た現象が生じます。 年も押し迫った昭和52 年 12 月 29 日、「ふ じ」は竜宮岬沿岸調査支援の為、現地時間 17 時 15 分、密群氷域に入り、翌 30 日には 竜宮岬沿岸調査支援を実施しつつ大利根水 道(分離帯水路)が開いていることを航空 偵察で確認し、大利根水道を利用して昭和 基地近接を図るべく更に南下を続けました。 31 日、大利根水道に「ふじ」は入ること ができたものの、水路の一部が既に閉塞し ており、6 時 26 分には 2 つの氷盤の接点に 阻まれ「ふじ」は航行不能となり、氷盤の 接点を爆破し突破を図ろうとしましたが、 爆破後には 2 つの氷盤の接点が再び盛り上 がり、それ以上の爆破作業は危険な状況と 判断、氷盤の爆破を断念し、その場に待機 していましたが、その後、14 時 28 分、氷 盤が徐々に自然と離れ、航行可能な状態と なり、砕氷航行を再開しました。 砕氷航行を再開した時には風は北よりに 変わり、大利根水道は狭くなっており、艦 長は氷山附近でビセットされ氷に閉じ込め られることを懸念、定着氷に窪みをつくっ

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て係留、氷状の好転を待つこととし、18 時 33 分に定着氷縁に係留しました。 当初は定着氷内に艦がスッポリ隠れる様 な窪みを作りたかったものの、定着氷縁の 氷厚は3~7mと厚く、積雪も約 1m ありま した。 悲 し い か な 様 々 な デ ー タ を 分 析 し て も 「ふじ」の砕氷能力では 1.5m 程度の氷厚 が太刀打ち出来る氷の限度であり、結局は 当初の意図と大幅に異なり、定着氷縁に十 分な窪みを作ることも叶わず、僅かな窪み (その後遭遇したずれ運動に対しては、頭 隠して尻隠さず状態)での係留となりまし た。 1 月 1 日、2 日ともに流氷域の氷状に好 転の兆しは見えず、「ふじ」は引き続き同係 留地点で待機を続行していましが、翌 3 日、 乗員及び観測隊員が皆寝静まった深夜2 時 30 分頃、東北東の風が急に強まり、その後、 大利根水道の流氷も次第に詰まってくると 同時に、鉄砲水の如く西側に流れ始めまし た。 「ふじ」はブリザードの中、約 10 時間係 留地点で一生懸命踏み止まりましたが、次 第に係留状態が不安定となり、12 時 13 分、 流氷域に押し出されました。 この時点では既に、船底も全て氷に覆わ れ機械も舵も効かない、動かしたくても動 かせない状態で、更に氷の圧力で流氷域側 に最大約 17 度も船体を傾けさせられなが ら0.3kt の速さで漂流を始めました。 「ふじ」は流れの遥か 11km 先にある巨 大な氷山に向かって艦を傾けたまま流され ましたが、その氷山をギリギリでかわし(流 されるままに身をまかせ)、氷山の裏側に押 し流され、その淀みで態勢を立て直すこと ができました。 流氷に翻弄されて艦が無傷で済むはずも なく、漂流中に氷と接触した鉄製の突起物 は水飴の如くグニャと曲がり、固い氷の恐 ろしさをいやと言うほど思い知らされまし たが、最大のダメージは、左舷推進軸(木 の幹のように太い鉄の固まり)を約 7cm も 湾曲させた事であり、氷とは、それほど大 きな力を秘めており、決して侮れるもので はありませんでした。

連載 支部便り⑱

(北海道支部道北分会)

写真展「南極 7 人展」の開催

日本最北の市稚内は、タロジロらカラフ ト犬の訓練を行なった1次隊から南極観測 と の 縁 が あ り、青少年科 学 館 に は 居 住 棟 や 雪 上 車 な ど の 南 極 展 示 コ ー ナ ー が あ り ます。夏祭り にも「みなと 南極まつり」と名づけています。 稚内は人口3 万 7 千人の辺境の街ですが、 南極 OB が現在 7 人住んでいます。門馬勝 彦(21 次通信・元海上保安庁)、高木知敬 (21 次医学・28 次医療・市立病院)、佐藤 健(40 次・46 次気象・気象台)、松本亨(46 次機械・海上保安部)、近江幸秀(46 次庶 務・市役所)、高見英治(51 次気象・気象 台)、市川正和(52 次庶務・市役所)の七 人の侍です。 稚内地方気象台長から 46 次観測隊長に 就任した松原廣司さんによると、稚内市は、 南極 OB 密度日本一ではないかとのことで 「ふじ」より見た海氷と氷山 稚内の7 人

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す。われわれは勝手に「南極観測のふるさ と稚内」と名のっています。 稚内では南極 OB の集まる機会はなにか と多く、集会は居酒屋で年 6 回ほど行なっ ています。2013 年 1 月に「南極 5 人展」を 開催したのにつづいて、2014 年 1 月 15 日 から2 月 1 日の期間で写真展「南極 7 人展」 を市内のイタリアレストラン2 階にあるギ ャラリー・スタイル K で行いました。各隊 員が 3 点ずつの南極写真を持ち寄り、新旧 の南極基地風景、越冬生活、自然風景など を展示しました。北海道新聞をはじめ地元 紙、NHK、FM 放送などが好意的に報道し てくれ、見学者数もまずまずでした。「南極 7 人展」は郊外の大沼バードハウスに場所 を移して、さらに展示がつづきます。 南極 OB 会は親睦団体であり、なおかつ 現 役 観 測 隊 の 応 援 団 で も あ ります。小さな 地 方 都 市 の ふ つ う の 市 民 が 元 南 極 観 測 隊 員 で あ る こ と で、住民と南極観測隊の距離は非常に近い のです。われわれの活動により、地方の若 者が南極観測に興味をもち、将来は隊員と し て 活 躍 し て く れ る の を 願 っ て い ま す 。 (高木知敬)

連載「帰国後の各隊の動き」

第 30 次南極観測隊 25 周

年記念同窓会開催の報告

昭和 63 年 11 月に晴海ふ頭を出 港した第 30 次隊。昭和基地の夏オ ペ期間に昭和天皇の崩御の報を受 け、7 日間の昭和 64 年をあわただ しく過ごし、平成元年(1989 年)1 月 16 日には前次隊に事故発生で 「しらせ」は救助に行き、2 月 1 日に暫定的に越冬生活に入った。 その満 25 周年を記念して平成 26 (2014 年)年 2 月 1 日に江尻隊長 が別宅として居住する熱海におい て同窓会が開かれました。 江尻隊長、竹内副隊長はもちろん、北か ら南から総勢 21 名(越冬隊 15 名、夏隊 6 名)が参集しました。会場は熱海温泉の老 舗旅館。(なかなか予約がとれないと聞いて いましたが、地元在住の江尻隊長の人脈は 広い。)温泉と豪華料理に皆さん大満足。さ てさて、あれから 25 年の歳月は、お互いに 顔合わせたとたん紙の端と端を合わせるが ごとく消え、当時に思いを馳せたのであり ました。皆の近況報告が終わる頃には、「き れいどころ」も同席となり「えーっ!皆さ ん、南極に行っていたんですかぁ」の声に、 あちらこちらで、あーだ・こーだと自慢や らゴタクやら解説やら…。 大盛会の一次会を終えた一行は、元気に 「きれいどころ」と一緒に満開の「あたみ 桜」の夜桜見物に繰り出しました。その後 は夜の街で盛大に二次会。 事故にあった前次隊の隊員を救出して 「しらせ」はケープタウンに負傷者を移送 後、ブライド湾経由で 2 月 14 日に再び昭和 基地に。昭和基地から夏隊がピックアップ されたのは 3 月 3 日。もしかしたら、(当直 もやっているし)夏隊も越冬か…という当 時の事態に思いを馳せた記念同窓会は、こ うして夜が更けたのでした。 その後、「南極って好き」という「きれい どころ」とメル友となり、立川の南極・北 極科学館を案内して一献酌み交わしたのが いる…らしいと小耳に挟んだけど。 (川久保 守) 30 次隊参加者の皆さん 展示した作品の前で

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おめでとうございます:叙勲、受賞

佐藤薫(44 次冬)、佐藤亨(53 次夏)、堤雅基(40 次冬,49、50 夏)、西村耕司(53 次冬) 平成 26 年度 科学技術分野の文部科学大臣表彰科学技術賞 受賞理由:南極大型大気レーダーの開発 田邊優貴子 氏(49、51、53 次夏) 平成 26 年度科学技術分野の文部科学大臣表彰若手科学者賞 受賞理由: 南極湖沼生態系の環境応答と遷移過程に関する研究 福地光男 氏(20 次夏、23 次冬、27 次夏) 2014 年度日本海洋学会宇田賞 受賞理由: 我が国における極域海洋学研究の発展と国際的・学際的共同研究推進

訃報

ご遺族や会員の方からお知らせ頂きました。謹んでお悔やみ申し上げます。

(敬称略) お名前 隊次 部門 逝去月 享年 お名前 隊次 部門 逝去月 享年 古井貞男 12 海自 H25.11 80 鈴木淳平 8s 設営 H26.2 81 窪田公二 41s,42s,43w 機械 H26.2 58 原田美道 2s,3s,6s 地形・測地 H26.3 94

2014 年度南極OB会総会・ミッドウィンター祭の開催について

日 時:2014 年 6 月 21 日(土)受付 14:00 より 場 所:レストラン『アラスカ』パレスサイド店(東京都千代田区一ツ橋パレスサイドビル 9F) 詳細は、同封リーフレットを確認ください。

南極OB会アーカイブ事業報告

南極OB会は元観測隊員等が保管していた隊運営資料、生活一般資料、観測・設営機材、 装備・衣料品、記録ノート、スライド、写真、グッズ等を常時、受け入れています。資料の 受け入れについては南極OB会事務局にお気軽にご相談ください。

*** 広報委員会からのお知らせ ***

○ 通信費納入のお願い 年度初めに当たり通信会費の納入のお願いと振込用紙を同封しました。また、会員の皆さ んから通信費納入状況についての問い合わせが多いため、過去(5 年間)と今年度の通信費 納入状況を封筒の宛名ラベルに記入するようにしました。 ***************************************************************************** 南極OB会事務局 〒101-0065 東京都千代田区西神田 2-3-2 牧ビル 301 電話 :03-5210-2252 FAX :03-5275-1635 メール :nankyoku-ob@mbp.nifty.com 郵便振込:加入者名 南極OB会 00110-1-428672 南極OB会ホームページ :http://www.jare.org / *****************************************************************************

会員の広場

参照

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