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Microsoft Word - 03-特集_中山

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特集:「環境条約の国内実施に関する学際的研究」プロジェクト:世界遺産条約

世界遺産条約の国内実施の実態・

小笠原諸島の事例

中 山 隆 治

はじめに

小笠原諸島は2011 (平成23) 年 6 月、我が国第 4 番目の世界自然遺産と して登録された。著者は、初代の小笠原首席自然保護官として 5 年間勤 務(うち 3 年間は父島に駐在)し、遺産登録の準備も一から中心的に関 わってきた。本稿においては、この小笠原諸島を事例に世界遺産条約の 国内実施の実態について解説したい。なお、筆者は技術系行政官であり、 用語は法学的に吟味されていないがお許しいただきたい。

1. 小笠原諸島とは

小笠原諸島は東京都小笠原村、東京から南に1,000キロほど離れた亜熱 帯の島々である。ちなみに小笠原諸島とは地理学的な概念ではなく、小笠 原振興開発特別措置法により規定されているものであって、自然地理学で いう小笠原群島、火山列島(硫黄列島)、西之島、南鳥島、沖ノ鳥島の 3 つ の孤立島からなる地域で、その範囲は小笠原村と同一である。小笠原群島 はさらに聟島列島、父島列島、母島列島に分かれる。世界自然遺産「小笠 原諸島」と言っても、その範囲としては自然地理学的な概念が優先して、 小笠原群島、西之島、火山列島の範囲(ここから集落地等一部を除く)ま でとしている。(図 1 ) 人口は2600人、有人島は父島と母島で、それぞれ人口2100人と500人で ある。あえて言うと硫黄島にも数百人の自衛隊員他が住む。全く基地の島

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図 1 小笠原諸島の位置 であり、旧硫黄島民は帰島を許されていない。アクセスは飛行場がなく、 おおよそ 6 日に 1 便の船「おがさわら丸」で東京から25時間半かけて行く ことが出来る。母島にはさらに父島から「ははじま丸」で 3 時間半である。 歴史的には、小笠原諸島は江戸時代に信州松本の大名だった小笠原家の 一門「小笠原貞頼」が発見したと伝えられているが、実際に確かなのはイ ギリスの測量船が発見したとのことのようである。イギリスの測量船が来 島した後ではあるが、江戸幕府も調査船を派遣して調査を行っている。江 戸時代には難破した漁船が流されており、我が国でもこれらの島々の所在 が知られていた。当時は巽無人島(たつみむにんじま)と呼ばれていたと いう。 最初に定住したのはナサニエル・セボレーというアメリカ人(マサチュ ーセッツ州出身)で、その他にイタリア人やドイツ人等の欧米人が入植し た。彼らに随伴してハワイの先住民、南太平洋の島々の住民たちが、主に 使用人として来島した。彼らは捕鯨船への食糧や薪炭の供給を生業にして いた。今でもこれらの方々の子孫が島に在住しており、私が在島中には隣 近所がこれらの人々であったために、非常に良くしてもらった。また、国 や地方自治体の公務員をしているものも多く、一緒に仕事もした。 小笠原諸島の領有権を巡っては、我が国とイギリス、アメリカが対立し たが、明治政府は小笠原貞頼が最初に発見したと主張した。それを記載し た論文が、こともあろうにお膝元の大英博物館に収められていたというこ ともあって、イギリスは領有権を放棄せざるを得ず、日本が領有すること になったという経緯があるのだそうだ。ちなみに島民は聟島をケータと呼 ぶが、これはイギリスの測量船が命名した名称で、当時のイギリス政府の 測量局長の名前だそうだ。 その後、八丈島出身者を中心として移民が行われた。戦前は温暖な気候 を活かした農業が盛んであった。「几帳面かつ実直な」日本人たちによっ て、父島や母島の可耕地はほとんど徹底的に開拓しつくされた。開拓の手 は弟島や聟島等、属島にも及んだ。が、第 2 次世界大戦の戦局の悪化によ って、全員の島民すべてが内地へ強制疎開させられ、敗戦後23年間の間、 米軍の占領下に置かれ、その間は欧米や南太平洋にルーツを持つごく少数 の住民のみが帰島を許され、多くの住民(いわば日系の住民)は、1968 (昭 和43) 年の返還まで帰島を許されなかった。 戦争中は父島を要塞にするため、日本軍は父島の隅々まで軍道を開削し、 岩場にはトンネルを掘ってトーチカを穿った。このように戦前の農地開発、 要塞化によって、実は多くの自然が破壊されている。現在の自然環境は、 米軍占領下に放置されたことによる、自然な回復の成果である。一方で、 戦前、戦争中に持ち込まれた有用植物は逸走し、外来生物として島に定着 した。米軍は食糧やハンティングの対象とするため、ヤギや牛、豚などを 山野に放った。今、父島母島に多く生息するグリーンアノールというトカ ゲ(北米原産)も兵士のペットとして持ち込まれたといわれる(米軍の物 資にまぎれたという説もある)。 1968 (昭和43) 年に小笠原諸島は米軍施政下から日本政府に返還され、こ れにより多くの小笠原住民が島に戻ることができた。しかしながら、居住 は父島の大村地区と母島沖村地区に限定されたものになり(今では、父島 の扇浦・小曲地区にも居住出来るようになっている。また、母島への帰島 は、インフラ整備のため父島に遅れること 5 年が必要だった。)、居住が許 されなかった島や地域については、結果として自然環境はより回復するこ ととなった。1972 (昭和47) 年に小笠原国立公園が指定されている。 今の小笠原は、欧米や南太平洋にルーツのある人たち(在来島民という) や戦前八丈島などから移民してきて、苦労して返還後に帰島した人たち (旧島民という)より、戦後、島々の魅力にひかれて移り住んだ人たち(新

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島民という。)が多い。企業の経営者など支配階層は旧島民が中心といっ てよいが、人口比は新島民が 3 分の 2 以上と言われる。ちなみに私たち国 や都の公務員は「一時島民」という。住民の入れ替わりも激しく、移民も 多ければ、「内地に引き上げる」者も多い。流入が激しいので若い人が多 く、子供も多く(父島の小中学校は複式学級ではない)、「過疎の島」では ない。(写真 1 )

2. なぜ小笠原諸島が世界自然遺産になったのか。

2.1 小笠原の地形地質 地球の表面をおおう地殻は数枚のプレートに分かれている。これらには ユーラシアプレートや太平洋プレートといった名称が付いている。プレー トの接線である海溝には平行して火山の島弧(列島)が見られる。フィリ ピン海プレートと太平洋プレートの接線である伊豆小笠原海溝の場合、伊 豆諸島~西之島~火山列島がそれにあたる。これらは、比較的新しい島弧 であるが、その一世代前の古い島弧が小笠原である。小笠原群島はフィリ ピン海プレートの形成初期にできた古い島弧火山であり、本来であれば海 面下で海底火山となっているところが、ちょっと理由があって海面上に顔 を出すまで隆起している。 この理由とは、太平洋プレートがフィリピン海プレートの下に潜り込ん でいるその場に大型の海底火山があって、これが太平洋プレートとともに フィリピン海プレートの下に潜り込んでいるため、くさびのようになって、 写真 1 東京都無形文化財「南洋踊り」 その上側にある小笠原群島を隆起させているのだそうである。これにより、 本来深海底にしかない岩石が海面上に現れている。この岩石を小笠原の古 名をとって「無人岩(むにんがん)」「ボニナイト」という。ボニナイトと は小笠原諸島の英語名「ボニンアイランド」から来ているのは言うまでも 無い。長年ボニナイトを通じて火山の研究をされている金沢大学海野教授 によれば、この岩石はフィリピン海プレートの形成初期にできた岩石であ り、マグネシウムが豊富な特殊な組成で、ボニナイトに含まれる「単斜エ ンスタタイト」は、ボニナイト以外では隕石にしか見られないという。そ して、ボニナイトが地上に大きく露出して存在するのは、小笠原諸島のみ だそうである。この岩石の研究により、プレート生成初期の状態等がわか ってきたことが、「大陸の出来方」の研究に大きく寄与したという。そこ で地球史の証拠としての小笠原諸島は世界自然遺産たると考えた。 2.2 小笠原の生態系・生物多様性 小笠原は一度も大陸とつながったことがない「海洋島」(大洋島ともい う)であり、そこに住む生き物はすべて海を越え、自ら泳いできたか、飛 んできたか、流れてきた生物である。これが、生物のいなかった島に定着 し、独自の進化を経て、独自の生物相と独自の生態系を持つに至っている。 実はこれは海洋島では普通の現象で、多くの海洋島が独自の進化を遂げて いる。(写真 2 、3 ) 小笠原の植物は、本州や東南アジア、太平洋の諸島等を起源に持つ。独 自の進化により固有種となっており、世界中で小笠原にしか生育しない希 少なものが多い。ムニンツツジは、すでに絶滅寸前で、野生株は 1 株しか 無く、人為的に増殖を行っている。また、ムニンノボタン、アサヒエビネ、 ホシツルランなど、数株から、せいぜい数百株という種も多い。ウラジロ コムラサキも希少であるが、これは外来種であるノヤギにより食害された ものであり、一時は数株と言われたが、ノヤギが根絶された兄島などの 島々では地下茎から息を吹き返し、急速にその数を回復しつつある。 小笠原の動物は、ほ乳類はオガサワラオオコウモリしか生息しない。ノ ヤギやネズミなどその他のほ乳類は一切が外来種である。海水に弱いカエ ル等両生類は生息しない。現在多く見られるオオヒキガエルは、害虫駆除 のため人為的に導入された外来種であり、固有昆虫類などに大きな影響を

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写真 2 小笠原の景観、絶滅危惧の固有植物 左上、上空から見た父島、南島 右上 ムニンツツジ 野生株は地球上に 1 株しか残っていない。 右下 アサヒエビネ ランの一種。数百株しか残っていない。 左下 リュウモンサンゴとユウゼン ユウゼンは伊豆諸島と小笠原に固有の魚 中下 ムニンノボタン 父島固有のノボタン 4 枚しか花びらがない。 (ノボタンは通常 5 弁) 写真提供:環境省 写真 3 小笠原の主要な動物 写真提供:環境省 与えている。また、ウシガエルは環境省の駆除プロジェクトによりすでに 根絶された(これは我が国におけるウシガエルの初の根絶事例である)。 爬虫類はオガサワラトカゲ 1 種のみで、オガサワラヤモリやグリーンアノ ールは外来種である。一方、鳥類や昆虫類は多くの固有種が知られている し、定期的に渡ってくる渡り鳥や、自ら渡ってきて定着した鳥類も多い。 アカガシラカラスバトというのは世界に40~50羽しか生息しないハトで、 カラスバトから分化したもの。メグロはメジロの近縁種で小笠原固有種で ある。海鳥類も豊富で、近年のトピックとしては、2 月 7 日に独立行政法 人森林総合研究所等が、絶滅したと思われていた海鳥の一種「ブライアン ズ・シアウォーター」を、小笠原諸島で発見したと発表した。この際、和 名を「オガサワラヒメミズナギドリ」と命名している。 そしてなんと言っても陸産貝類が豊富である。ミミズなどの分解者がい ない小笠原では、陸産貝類が主要な分解者であった。陸産貝類の天敵がい ないことも幸いしていた。移動性の小さな生き物であることもあり、それ ぞれの環境に適応する形で多くの種類に分化していることが知られてい る。残念ながら、今は天敵である貝食性のプラナリアも導入されてしまい、 その数を減らしている。 何も生物が生息しない島にやってきた限られた生物をルーツに、内地と は違う独自の進化がどんどん進んで、このような固有種の植物、固有種の 動物からなる小笠原独自の生態系が形成された。これが世界自然遺産とし てふさわしい、唯一無二の価値として認められると考えた。 この他、海の生物についても多様で、アオウミガメの世界 4 大繁殖地の 1 つ、ザトウクジラも北太平洋の 3 大繁殖地の 1 つであり、マッコウクジラ も生息する。しかし世界一ではない。サンゴも見られるが、残念ながら量、 種数ともに沖縄にも及ばない。このため、海について世界遺産としての価 値を説明することは難しいと考えた。 2.3 世界遺産委員会の評価 2011年「小笠原諸島」については、クライテリアのうち、「Ⅸ 生態系」 に合致することが認められ、「記載」の勧告、つまり登録決定された。評 価の内容としては、「小笠原諸島においては、固有種が多いことと適応放 散の証拠の多いことの両方が、他の進化過程を示す資産とは異なっている。

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その小面積を考慮すると、小笠原諸島は陸貝と維管束植物において例外的 に高い固有率を示している。」とされている。残念ながら地形地質の価値 は認められなかった。

3. 世界遺産の仕組みなど~事例による解説

本来この項で事細かに手続きなどについて明らかにしなくてはなら ないところであるが、同時に発表される東京大学田中助教の論文にそれ は譲りたい。ここでは、小笠原などでの実例に絞ってお話ししたい。 3.1 日本における世界自然遺産登録の経緯 日本は1992 (平成 4 ) 年に世界遺産条約に批准し、1993 (平成 5 ) 年には屋 久島と白神山地がまず世界自然遺産で登録された。その後2003 (平成15) 年 に、環境省と林野庁によって、世界自然遺産候補地に関する検討会が設置 され、知床、小笠原諸島、琉球諸島の 3 つを国内候補地として選んだ後に、 まず知床の登録作業に取り組んだ。知床から着手した理由は、地元が熱心 だったことも大きな理由だが、それだけでは無く、やはり宿題が少なかっ たと言うことが最大の理由である。知床は2004 (平成16) 年から作業を開始 して、2005 (平成17) 年には登録しているが、小笠原には 6 年間が必要で、 比較的時間がかかっている。小笠原には後述するよういろいろ宿題があっ たということに他ならない。琉球諸島に至っては、未だに登録のめどが立 たない。この理由は、米軍基地の返還など自然保護行政の範疇に収まらな い問題があり、宿題が大変なボリュームだからである。 3.2 オペレーショナルガイドライン、クライテリア、OUV、完全性の証明、 勧告 世界遺産を語るのに、オペレーショナルガイドライン(運用指針)、ク ライテリアと顕著で普遍的な価値 (OUV)、完全性、勧告と言うキーワー ドが必須である。詳細は田中論文に譲りたいが、オペレーショナルガイド ラインとは、世界遺産委員会が定める、世界遺産登録や管理運営に関する 一連のルールである。クライテリアとは、「記載基準」ともいい、世界自 然遺産になるためのいわば選択科目である。「地形地質」、「景観」、「生態 系」、「生物多様性」の 4 つのタイプがあり、このどれかで世界一でなくて はならない。 「顕著で普遍的な価値」 (OUV) とは、おおざっぱに言うと世界一の価値 ということである。例えば、2003 (平成15) 年の検討会は、富士山は世界自 然遺産に登録できないと判断したが、なぜかというと、あのような成層火 山で、もっと規模が大きいものが世界遺産で登録されているからである。 具体的には、成層火山では、アフリカ最高峰 (5,895m) の活火山、キリマン ジャロ国立公園 (タンザニア) があり、その他にも火山性登録地としてはカ ムチャツカの火山群(ロシア)やトンガリロ国立公園(ニュージーランド) があるが、これらの中にも成層火山が含まれていて、ライバルと言うこと である。世界一は当然一つしかないので、後から行くものには不利である。 さて、小笠原の場合、「地形地質」、「生態系」、「生物多様性」の 3 つのク ライテリアでエントリーすることにした。地形地質は先に述べたボニナイ トに代表される地球史の証拠としての価値を OUV に位置づける。生態系 については、独特の進化によって成立した独特の種群からなる唯一無二の 生態系が OUV である。「生物多様性」については、大洋島ゆえに独特では あるが、種類数が少ない生物相が、多様と言えるかどうか疑問であったが、 生物多様性保全を業務とする自然環境局としては、ダメでもエントリーし ようという、無茶な主張で決まった。こう言っては何だが、どれか 1 つ OUV として認められれば良いので、手を上げる分には損はないのである。結果 は「生態系」のクライテリアのみで OUV が認められた。 「完全性の証明」とは、簡単に言うと、OUV たる資産が、将来にわたっ て、すべて保護、保存されているか、と言うことを説明し、将来にわたっ て担保し続けなくてはならない。具体的には、まずは法律による保護がな されているか、次に、法律を知らず守ってはくれない外来生物や気候変動 といった課題に対してはさらにどのような対策が講じられるか、と言った ことである。 小笠原の場合、2003 (平成15) 年の検討会ですでに宿題として示されてい た、保護担保措置の強化、つまり法律による規制地域の拡大強化、次に外 来生物対策の実施の 2 点については、これらが実施されないと完全性が証 明できないということである。すなわち、顕著で普遍的な価値を持つと考 えられる、固有種で成立する独特の森林と固有希少動植物の生息生育地・

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繁殖地等、ボニナイトの露頭などは法律による保護を行う必要がある。小 笠原群島で最も保護上重要と考えられる兄島の森林は、空港建設予定地と して取り置かれ、最も緩い法規制しかかけられていなかった。1991 (平成 3 ) 年に公表された兄島における空港整備計画は環境庁の強力な主張によ り撤回してもらっているが、島民感情などを考え、規制の強さはそのまま であった。また、前述のように多くの外来生物が侵入拡大し、絶滅寸前の 動植物も多く保護増殖対策が必要であった。このような状況では世界自然 遺産登録は難しい。このため、環境省は筆者を中心にこれらの課題を処理 するべく2004 (平成16) 年から作業を開始した。 完全性が確保できていなかったり、確保できない恐れがあると、世界遺 産委員会や IUCN により締約国に対し具体的な「決議」や「勧告」がなさ れる。知床は登録と同時にすでに勧告を受けており、以来勧告対応に対す る報告とそれに対する再勧告という形で関与が続いている。より厳しい決 議はともかく、勧告を受けることは自然環境保全行政にとって決して悪い ことではない。勧告が追い風になって、従来難しかった新たな施策(例え ば、知床における、サケ科魚類の生息環境改善のためのダムの撤去・改善 など)が進捗することがあるからである。 3.3 世界遺産の登録のメリット 北海道大学の庄子准教授が知床に関してアンケート調査を行ったとこ ろ、知床にやってくる観光客の多くは世界自然遺産だから旅行先として選 んだとのことである。すなわち、地域にとっての世界自然遺産登録の最大 のメリットは観光客の増加、そして「ブランド化」であるのは間違いない。 実際、小笠原諸島では遺産登録によって前年比1.4倍の観光客が来島した という。冒頭に述べたような、非常にアクセスの悪いところでもそうだっ たわけである。 では、環境省や林野庁にはどのようなメリットがあるのだろうか。筆者 は「旗」だと主張している。あるいは「のし紙」とも。旗とは、バスガイ ドが持っている旗で、世界自然遺産登録に向けて関係者が一丸となってい こうと言って連れていくためのものだと思っている。のし紙は複数の政策 をパッケージにする、その表紙の意味である。現実的な話としては予算要 求の名目にもなる。 環境省の行政目的には必ずしも観光客増加が含まれているわけではな く、それはそもそも世界遺産条約の目的でもない。あくまで世界自然遺産 登録を推進していくのは、環境保全のための施策を進めるための名分であ り、地元の方々や関係機関を一体として取り組んでもらうためのいわば 1 つの目印であると考えている。ただし、国立公園としては観光客が増える のも別に悪いことではなく、地域へのご褒美になるし、適正な利用に誘導 できれば良いのであって、それらの誘導のための施策は、知床、小笠原と もに行っているし、環境省としても本来行いたい施策の 1 つである。 3.4 世界自然遺産登録へのプロセス この項についても詳細は田中氏の論文に譲りたいが、世界自然遺産登録 へのプロセスとしては、①世界遺産条約関係省庁連絡会議(後述)で承認 後、暫定リストに記載。ちなみに暫定リストには各国政府が載せようとい う気があれば記載することが出来、必要な資料も簡素である。②世界遺産 条約関係省庁連絡会議で承認後、世界遺産委員会に推薦書を提出、③諮問 機関である国際自然保護連合(IUCN)が現地調査を行い、書類審査を行 って、世界遺産委員会に意見を出す。④世界遺産委員会で登録の可否を決 定、となる。(図 2 ) 図 2 小笠原遺産登録に関する手続

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まず、暫定リスト記載について、世界自然遺産を担当する環境省と世界 文化遺産を担当する文化庁では、対応方針がずいぶん異なる。環境省はト ップダウン、文化庁はボトムアップ型といわれる。暫定リストに記載する と、その地元の方々が世界遺産に向けて期待し、努力するということにな り得ることから、登録まで面倒を見切れるところだけを暫定リストに記載 するというのが環境省の考え方である。したがって、小笠原を暫定リスト に記載するまでも相当時間がかかり、2004 (平成16) 年に筆者らが作業に着 手してからも 3 年ほど必要であった。登録の確実性を高めるためには、外 来種問題とか保護担保措置の強化という「宿題」に一定のめどが付くこと が必要だったためである。 しかし、その 3 年ではこれらの宿題は片付かなかった。膨大な外来生物 を前に、3 年で対策を十分に取るなど不可能なのである。そこで①の「暫 定リスト」記載時、2007 (平成19) 年 1 月から 3 年程度、すなわち2010 (平 成22) 年 1 月までに課題となっている外来種の駆除をある程度進めること によって、登録に必要な条件を整え、推薦書を提出しようと考えた。これ には裏話がある。環境省は、国際自然保護連合(IUCN)において長年世 界自然遺産の登録審査に携わってきた専門家であるモロイ氏(ニュージー ランド)を招へいし、現地調査を踏まえたアドバイスをいただいた。モロ イ氏の現地調査の計画全般は筆者が作成し、現地調査に同行したが、ここ で得られた示唆はその後のふるまいを定めていく上で重要であった。モロ イ氏は小笠原の自然環境と外来生物の現状をつぶさに見て、「OUV は十分 にある。しかし、外来生物対策を十分に進める必要があることから、10年 間対策に没頭すべき。」と述べた。10年も待てない私たちは、何とかする ためにはどうすればいいか教えを乞うた。「計画を示したところで実績が なければ信憑性がない。」とも言われた。それで考え出したのが、今まで の 3 年+今後の 3 年で実績を紡ぎだし、3 年分のアクションプランと長期計 画をつけて、信憑性のある計画を作りだす作戦であった。「今までの 3 年+ 今後の 3 年」で十分な実績を作れたかについては、寝食を忘れ没頭した成 果とは言え正直言って全く自信がなかったが、審査の過程では高く評価し て頂いたので、「あんなもんで良かったのか」というのが感想である。

4. 世界遺産に関わる組織、意思決定・合意形成の仕組み

世界遺産条約の関係者は幅広く、行政機関の間でも意思の統一は難しい。 このため、知床の関係者などから管理機関の統一が必要とか、統一できて いないことによる弊害などの指摘があるのは承知している。しかしながら、 筆者に言わせれば、無理な話と言わざるを得ない。そもそも、世界遺産地 域の管理上有利だからと言って政府の省庁を統合できるはずもないし(出 先だけでもと言う意見もあるかもしれないが、本省が違えば、見た目一体 でも内部で分裂するものである)、自治体と国の省庁を合併することも出 来ない。地方分権により北海道にすべてを一元化すると言うことはあるか もしれないが、道の財政やマンパワーを鑑み、知床の関係者でそれが望ま しいと考えている者はおそらくいないし、そうしたところで、国の窓口機 能まで道にお願いすることは出来ない。現実的に考えると、関係者がそれ ぞれの権限、予算、人員を持ちよって、一定の計画の元に協調して地域管 理を進めていかなくてはならないことは明白である。この考えに基づいて 小笠原では(知床でも)、現地の調整組織を立ち上げてきたし、それで良 かったと考えている。 4.1 国の行政機関(中央)の関わり 霞ヶ関の中央省庁においては世界遺産条約関係省庁連絡会議が外務省 の中に設けられ、ここでとりまとめられている。関係省庁の代表者(各省 局長級)による会議で、推薦書提出など、日本政府としての意思をここで 最終的に決めることになっている。議長は外務省、副議長が環境省と文化 庁で、環境省が自然遺産を、文化庁が文化遺産を担当する。この他に林野 庁、水産庁、国土交通省、宮内庁が参加している。ただし、この会議で意 思決定を行うまでには、地域レベルでの合意形成の積み重ねも重要であり、 この時点では非常に形式的に、いわゆる「シャンシャン」と終わるのが普 通である。 環境省の担当セクションは自然環境局自然環境計画課であり、さらには 保護担保措置を所管する国立公園課、野生生物課なども関連がある。林野 庁の担当セクションは、森林整備部の研究保全課であるが、現場を預かる 国有林野部経営企画課の関与が大きい。また計画部計画課も関わっている。

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組織としての話だけではなく、予算もそれぞれから様々な形で与えられ るので、入り組んでいる。環境省の場合、公共事業費も使えば、外来生物 駆除の予算も使う。一番少ないのが世界遺産の予算であった。林野庁も一 般会計と特別会計のそれぞれから予算が投入されていたようである。ちな みに東京都の予算の大半は国土交通省の補助事業である。小笠原の開発業 務は、小笠原振興開発特別措置法により、国土交通省に一元化されており、 予算もそこから出ている。 4.2 地方組織 環境省は、関東地方環境事務所(さいたま市)の主に国立公園・保全整 備課が担当(野生生物課が一部を担当)しており、現地では小笠原自然保 護官事務所が対応する。保護官事務所は、始めは 2 名、最終的には 6 名体 制で、自然公園法の専決権を持つ首席自然保護官(当時は筆者)、自然保護 官、自然保護官補佐(アクティブレンジャー)等 3 名、事務 1 名であった。 林野庁は、関東森林管理局(前橋市)が担当するが関係課は多岐にわたり、 東京に駐在する「自然遺産保全調整官」がとりまとめを行っている。現地 は国土交通省の小笠原総合事務所の国有林課が担当する。小笠原総合事務 所は返還当時に設立された機関で、入国管理官や植物防疫官、労働基準監 督官、税務署員等が所属している。以前は郵便局や法務局もあったそうで ある。林野庁は加えて小笠原生態系保全室を現地に設け、現在は 3 人ほど の人員を駐在させている。二重体制で入り組んでいるようではあるが、執 務室は前出の国有林課に居候しており、実質的には問題はないようである。 地方自治体は東京都と小笠原村、加えて小笠原村教育委員会である。東 京都は都庁(新宿)に環境局緑環境課があり、ここに自然公園担当課長が いて、そのスタッフ(補佐や係長など)とともに全体を管理している。現 地には小笠原支庁があり、歴史的に自然公園を担当してきた土木課が業務 を担当している。ここに自然公園係がある他、遺産担当の課長職、係長、 都知事の肝いりで設けられた「都レンジャー」がおり、業務を実施してい る。意外なことに縦割りがひどく、あまり効率的ではない。一般に地方分 権した方が効率的に行政が行われると思われているが、決してそのような ことはないという見本のようだ。遺産の仕事をして来て、自治体は窮屈で あるとつくづく感じた。あえてフォローすれば、職員は非常に優秀である。 一方、小笠原村はこじんまりとした役所であり、課長級の担当副参事が、 遺産と言えば何でも担当する体制であった。しかしフットワークは軽く良 く助けてもらった。 環境省や東京都がまとまった事業を発注するので、内地のコンサルタン ト 2 社が 1 ~ 3 名体制の事務所を設けてくれた。その他のコンサルタントも、 長期出張を強いられている。島内でも事業を受注したり、助成金を使って 半ばボランタリーに外来種対策等に取り組む特定非営利活動法人 (NPO) 等の団体もある。彼らもまた我々の仕事仲間である。 4.3 科学委員会と地域連絡会議、世界自然遺産地域管理計画 このように多岐に渡る行政機関をまとめ、地域レベルの合意形成をはか る仕組みについて説明する。 2006 (平成18) 年に小笠原諸島世界自然遺産候補地科学委員会(以下、科 学委員会。登録と同時に「小笠原諸島世界自然遺産地域科学委員会」)と 小笠原諸島世界自然遺産候補地地域連絡会議(以下、地域連絡会議。登録 と同時に名称から「候補地」がとれて「小笠原諸島世界自然遺産地域連絡 会議」)という 2 つの会議が、遺産地域の「管理機関」と位置づけられる環 境省(関東地方環境事務所)、林野庁(関東森林管理局)、東京都、小笠原 村の 4 者によって設立された(図 3 )。先に世界自然遺産に登録された知床 図 3 小笠原世界遺産管理に関する組織

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でも同様の会議が設置されており、遺産地域の管理計画の策定などを行う とともに、遺産登録後は遺産地域の管理の中心となっている。なお、小笠 原の場合、事務局は前述の 4 者共同であるが、知床の場合は斜里町や羅臼 町は事務局ではない。 これらの設置は知床を踏襲したように見えるだろうが、正確には小笠原 ならではの事情がある。小笠原というのは非常に遠く不便なので、科学者、 専門家に現場で集まってもらうというのは難しいことから、東京で開催す る科学委員会と現地開催が鉄則の地域連絡会議の 2 つに分けたという経緯 がある。しかし、この後、これがスタンダードになり、従来科学委員会を 持たなかった白神山地や屋久島でも地域連絡会議とは別に科学委員会が 発足した。 小笠原では、科学委員会は主に小笠原をフィールドとして研究を行って いる有識者から構成され、役割は、管理機関 4 者に対し、遺産地域の管理 等について、科学的見地から助言を行うことである。 また、地域連絡会議の構成は管理機関 4 者と地域の関係団体(商工会、 小笠原村観光協会、母島観光協会、農業協同組合、小笠原島漁業協同組合、 母島漁業協同組合、小笠原ホエールウォッチング協会、NPO 小笠原自然文 化研究所、NPO 小笠原野生生物研究会)及び国土交通省小笠原総合事務所 からなり、その役割は、遺産地域の管理等について審議を行い地域の合意 を形成することである。 遺産地域の管理には 4 者が関わるため、いわゆる「縦割り」になりかね ない。小笠原諸島の場合、特に外来種対策の推進が必要であるが、関係者 の連携が必須である。したがって管理機関 4 者が協力し、地域の関係団体 の意見を聞きながら、統一された計画に基づき対応を進めることにより、 効果的、かつ、早急な対策を講じることを可能にするため、この 2 つの会 議が設けられた。これらの会議の事務局長は環境省であるが、事務局とし て 4 者は平等な立場であり、事務局会議自体が行政間の横の連絡を取る場 となっている。 今まで、この 2 つの会議では、「遺産の区域」を決め、さらには世界遺産 委員会の事務局であるユネスコ世界遺産センターに提出された「推薦書」 と「世界自然遺産地域管理計画」を策定してきた。加えて、これらに添付 された外来種対策についての「アクションプラン」も策定し、これらの達 成状況をモニタリングしている。管理計画は推薦書に添付されて、ある意 味、国際公約となり、いまや小笠原の自然保護の憲法となった。この管理 計画を環境省だけでなく、科学委員会と地域連絡会議という枠組みを通じ て林野庁や東京都、小笠原村とともにみんなで議論を策定したわけである。 これにより広範な関係者の参画によって自然環境保全の取り組みが遂行 されることが担保された。 課題としては、両者の構成メンバーを考えると致し方ないこともあるが、 どうしても科学委員会の方が活発で、地域連絡会議が追認に回ることが多 いことであろう。これを考えるとき、本当に科学委員会と地域連絡会議を 並列させる知床方式が白神や屋久島にふさわしかったのか疑問が残る。小 笠原と知床、それぞれの事情により導入された方式であるからだ。また、 メンバーを一般から公募する自然再生協議会のような「拡張性」がないた め、これ以上の公衆参画が得られないことも課題であり、今後は、第一次 産業や観光業などの産業サイドのメンバーのより積極的な遺産地域管理 への参画をどう確保していくか考えていく必要がある。

5. 締約国の義務~保護担保措置の充実

世界自然遺産として登録されるためには「完全性」を確保せねばならな い。つまり、国内法で守られた遺産区域に顕著で普遍的な価値が網羅的か つ悉皆的に含まれていることがまずは必要である。 我が国の世界自然遺産については、自然公園法に基づく国立公園もしく は、国定公園、自然環境保全法に基づく原生自然環境保全地域もしくは自 然環境保全地域(いずれも環境省所管)、文化財保護法にもとづく天然記 念物(文化庁所管)、法律に基づくものではない(あえて言えば民法)が国 有林の所有権を背景にした森林生態系保護地域(林野庁所管)の制度を運 用することで、その保護担保を図っている。 特に、屋久島、知床、小笠原の 3 資産については、中心となる保護制度 は国立公園と森林生態系保護地域であり(白神山地は、自然環境保全地域 と森林生態系保護地域が保護担保措置の中心で、一部国定公園の特別保護 地区が存在する)、補足的にその他の制度が活用されている。特に国立公 園については、最も保護規制の厳しい特別保護地区とそれに準ずる第 1 種

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特別地域を原則としている(例外はある)。一方、遺産地域内の国有林は 原則すべて森林生態系保護地域である。知床国立公園では、遺産登録に合 わせた公園計画(保護規制を含む)の見直しを行っておらず、国立公園に は含まれない森林生態系保護地域が遺産地域になっている地区もある。 小笠原の場合は、国立公園、原生自然環境保全地域、天然記念物、森林 生態系保護地域の制度を運用することになるが、そのうち、もっとも広範 な範囲をカバーすることを求められたのが国立公園である。 小笠原国立公園の公園計画等は、1972 (昭和47) 年10月に指定された後、 一切見直しが行われていなかった。公園計画とは、国立公園の保護と利用 に関する計画であり、保護のための規制計画を含む。この規制が遺産の保 護担保措置として完全性を満たす観点から十分かが問われるわけである。 この観点からの宿題はなんといっても先にも述べた空港予定地、兄島に 所在した普通地域である。当該地には公園指定前から飛行場の予定地とし て計画があったことから、自然環境は非常に豊かで希少性が高いにもかか わらず、国立公園内の規制としては最も穏やかな普通地域とされたようで ある。ちなみに国立公園の特別地域などでは開発行為を行うにあたり環境 大臣の許可が必要とされているが、普通地域では届出でよいとされている。 しかしながら、当該地に所在する乾性低木林と、そこにすむ多様な固有陸 産貝類に関する自然保護上の重要性から環境庁が反対し飛行場計画は中 止となった。この地域は、そのまま普通地域として残っており、格上げが 必須であった。当該地域はほぼ全域が国有林であったが、同じ理由で保護 対象とはなっていなかった。また、小笠原国立公園の地種区分は、海岸の 海食崖景観を中心に保護されており、各島の内陸部は、そこに所在する民 有地に配慮し、多くが第 2 種特別地域であった。生態系保全の観点からは、 これら内陸部の方が重要であり、格上げが必要であった。 また、小笠原は言うまでもなく島嶼であり、知床のケースも踏まえると、 世界自然遺産の審査機関であり、海域の保全に熱心な IUCN からは、海域 には顕著で普遍的な価値がないとしても、海域の保全の強化を求められる 可能性もあった。 このため、懸案であった国立公園計画の見直しを進め(2009 (平成21) 年 11月告示)、①兄島普通地域をはじめ、すべての無人島を特別保護地区に した。②有人島である父島・母島においても、世界遺産としての価値の認 められる範囲は原則として、特別保護地区か第 1 種特別地域とした。一方、 外来種がはびこる地域は格下げした。①及び②の過程では、過去にとられ たすべての航空写真や、小笠原空港建設等のために集められたものをはじ め各種の自然環境データを徹底して集め、整理し、さらには自前で空中写 真を撮影しこれを解析して植生図等の各種データを調製して、これらをも とに GAP 分析を行いながら地種区分を定めた。GAP 分析とは、保護対象 となる地域と実際の法的保護区域を地図上で重複させ、そのギャップを分 析する手法で、海外の保護地域設定において普通に行われている検討手法 である。小笠原のこの検討は、我が国の国立公園計画で GAP 分析により地 種区分を決めた稀有なケースと考えられる。これらのデータは林野庁にも 提供され、森林生態系保護地域の設定にも活用された。 この他、③ザトウクジラ等の海洋生物が回遊する周辺海域については沖 合 5 kmまでを普通地域とするとともに、サンゴの豊かな地域を中心に海中 公園地区(現:海域公園地区)の面積をほぼ倍増した。母島漁協からの要 望もあり、それぞれの海中公園地区には係留施設を計画し、ダイビング船 の投錨によるサンゴの破壊を防ぐための係留ブイを設けることとした(従 来は母島漁協がダイビング用係留ブイを設置し、サンゴ保護に努めてい た。)。父島の小笠原島漁協には、指定にあたり一部海域の施設漁業権を解 除していただき、また、海中公園地区全域において漁業対象種も含めた禁 漁を自主的に実施していただいている(海中公園では、水産魚種は採捕規 制していない)。また、④全域で外来種対策が可能なよう、自然再生施設 事業の実施が公園全域で可能なようにすることとした。予想通り IUCN は、 登録に当たって、海域の遺産区域拡大を求めてきたが、事前に大規模拡張 してあった海中公園地区を遺産区域に編入すればよく、高く評価された。 この公園計画変更はこの数十年来の全国の公園計画見直しと比べて相 当に野心的なものであったが、通常は調整が最も難しいとされる林野庁や、 東京都の開発部局、地元小笠原村については、世界自然遺産登録を協力し て進める立場もあって、理解を得やすかった。通常であれば困難を極める ことであることは容易に予想された。関係者の理解を得られたという成功 の大きな理由は、世界自然遺産推進の枠組みを作って臨んだことが大きい。 また、小笠原村をはじめとする地元の関係者には、村の考える飛行場計画 とあらたな公園計画 (ひいては遺産区域) が整合したことが大きかったと

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思われる(島民にはあまり理解されていないが、航空会社は飛行場がある から路線を維持するのではなく、利用者がいるからそうするのである。遺 産登録によって、飛行場建設の可能性は高まったといえるであろう)。 林野庁は同様の宿題として、森林生態系保護地域の大規模な拡張を行っ た。従来は母島の東部にのみ指定されていた森林生態系保護地域を、父島 やその他の無人島に広がる国有林のほぼ全域(硫黄島をのぞく)への拡張 に取り組み、これらの地域を利用していた自然ガイドや戦跡ガイドと対立 したが、全国に例のない森林生態系保護地域保存地区のルールつき利用を 認めることで、これを克服した。 知床と異なり、小笠原の場合、遺産地域はほぼ国立公園に包含され、特 別保護地区及び第 1 種特別地域となっている。例外的にごく一部であるが、 第 3 種特別地域かつ森林生態系保護地域、公園区域外かつ森林生態系保護 地域という地区が父島に所在する。これは、いかにも日本的であるが、林 野庁の面目を守るための配慮である。同様の理由で、まず森林生態系保護 地域を拡張してから、その後にようやく国立公園の手続を行った(どうし てそうしなくてはならないか理解に苦しむが、そういうものらしい)。 文化庁は、南島と周辺海域を天然記念物に指定した。何事においても国 を出し抜くのがお好きな石原東京都知事に配慮して、東京都教育庁ががん ばって、あらかじめ東京都指定の天然記念物に指定されていたものである。 海域については環境省所管の海中公園地区より広いため、天然記念物のみ が保護担保措置となっている海域が存在する。そもそも地形地質のクライ テリアで OUV が認められなかったので、遺産地域にここまで入れる必要 もないのではあるが、やはり広い方が良い。 このように日本的な事情も含めて保護担保措置も非常に入り組んでい るのではあるが、結果的には非常にレベルの高い法規制等が行われること になったので、むしろ高く評価すべきである。

6. 締約国の義務~資産の適切な管理・小笠原の場合・外来種対策

小笠原において完全性を確保するためのもう一つの難題が、まさに 「OUVを食らう」外来種対策である。 1830年の小笠原入植以後、人間の手によって多くの外来種が小笠原諸 島に持ち込まれてきた。これらの外来種は様々な形で自然環境に悪影響 を与えており、特に近年、それは顕著である。このため環境省は、2003 (平成15)年度より小笠原地域自然再生推進調査を開始し、2004(平成 16)年には有識者や地元関係者、関係行政機関等の参画を得て「小笠原 自然再生推進検討会」(座長:奥富清東京農工大学名誉教授)を設けて 検討を始め、2007 (平成19) 年にはその成果を「小笠原の自然環境の保 全と再生に関する基本計画」としてとりまとめた。この基本計画におい て、特に影響の大きい侵略的な外来種と考えられる13種類、すなわち、 アカギ、モクマオウ、ギンネム、タケ、キバンジロウ、ノヤギ、ノブタ、 ノネコ、クマネズミ、グリーンアノール、オオヒキガエル、ウシガエル、 ニューギニアヤリガタリクウズムシを取り上げてその対策方針を示し た。 左上 グリーンアノール、北米原産のトカゲ。フロリダでは絶滅危惧種である。 父島・母島の固有昆虫類を激減させた。 右上 グリーンアノール捕獲用のトラップ。見ての通り、ゴキブリ用を改良し た特注品である。 左中 弟島のノブタ。根絶した。(自然環境研究センター撮影) 左下 弟島のウシガエル。根絶した。(自然環境研究センター撮影) 右下 ノヤギに食い尽くされた媒島(なこうどじま)。 赤いのは赤土で、流れ出して湾内にたまっている。(東京都提供) 写真 4 小笠原の外来生物と被害

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この検討会は、2006 (平成18) 年11月に設けられた科学委員会の雛形 になり、基本計画は遺産地域管理計画及び「生態系保全アクションプラ ン」(推薦時からの 3 カ年計画)の基礎となった。現在ではこのアクシ ョンプランにしたがって外来種対策を進めている。2012 (平成24) 年 6 月 の段階で、すでにノブタ、ウシガエルは根絶を完了しており、父島を除 く島々ではノヤギも根絶した。聟島、西島、東島、兄島、弟島等でクマ ネズミ根絶対策が実施され、ノネコ、グリーンアノ-ル、アカギ、モク マオウなどについて対策が進んでいる。外来種対策については、種毎に 様々であるので、いくつか事例を挙げたい。(写真 4 ) 6.1 個別種毎の外来種対策~アカギについて~ 6.1.1 農薬(除草剤)の利用と対策方針の策定 母島ではアカギという外来樹木の侵入が激しい。母島は、米軍占領時 代は全くの無人島で、戦前に薪炭材として移入されていたアカギが拡散 し、一部ではアカギの純林が成立している。駆除には林野庁が当たって きた。伐り倒したり、樹幹の外皮を環状にはぎ取ることで枯死させる方 法が採られてきたが、これでは根は枯れず、萌芽力が著しく強いために すぐ再生し、駆除が難しかった。 (独) 森林総合研究所は環境省の研究費を活用し、除草剤「ラウンドア ップハイロード」の樹幹注入による枯殺手法を開発した。この手法なら 根も枯れるが農薬取締法の制限から事業化には課題があった。このため、 森林総研の研究成果を基に環境省が事業規模で駆除試験を行って、この 結果を用いて農薬メーカーに農薬法に基づく農薬の適用拡大申請を行 ってもらい、アカギ駆除事業での活用が可能になった。その後、薬剤の モデルチェンジがあり、対象は拡大し、モクマオウ等の外来樹木にも利 用が可能である。ラウンドアップは人体への影響がない除草剤であり、 使い勝手がよい。今後多くの外来植物対策において、上手に活用するべ きである。 現在では環境省(国立公園内の民有林)のみならず林野庁(国有林) もこの方法で駆除を進めている。環境省事業では、母島北部等の一部の 地域においてアカギの地域的根絶作業を終了した。林野庁も環境省も手 掛けることのできない農地のアカギについては、地権者への技術講習を 環境省において行い、駆除に協力している。駆除手法が確定したことか ら、環境省は林野庁の協力を得て、地域間の優先順位や林野庁との役割 分担なども含めた「アカギに関する対応方針」を策定した。前出のIUCN の専門家モロイ氏には、「遺産登録への審査までには、外来種がすべて 駆除できている必要があるが、それが無理なら一定の駆除実績を上げ、 それを踏まえて実効性を説明できる計画を策定する必要がある」とアド バイスされたが、アカギについてはカッコがついた、と思っている。今 後は、地域ごとに根絶を達成しながら、最終的に母島全域での根絶を達 成したい。(写真 5 ) 6.1.2 地権者了解等の課題と今後 さて、アカギ駆除の最大の障害であるが、それは地権者の了解を得る 手続である。迷惑な外来種であっても立木であり、地権者にとっては資 産ともいえる(実際にはアカギを内地に搬出し活用することを考えると、 その経費と相殺され、全く資産価値はないのであるが)。このため、地 権者の了解を得て駆除しているが、地権者は戦時中の強制疎開によって 四散し、ほとんどが不在地主であり、捜索に手間がかかり、その費用は 駆除作業の費用に匹敵するし、最後まで行方不明の地権者も多く、事業 写真 5 アカギの駆除

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実施の壁となっている。実は、小笠原村には、村条例を作って地権者か らの了解に関する手続を大幅に簡素化してほしいと要望し、複数の法学 者の参画を得て勉強会を行い、条例の雛型も作成したが、結局、役場幹 部のごく一部に理解がなく、日の目は見なかった。とても残念であるし、 自分の努力不足を反省している。 もうひとつの問題として、アカギが純林化している場合、アカギを駆 除してもアカギが再び導入される可能性が高いことから、植生回復を組 み込んだ駆除スキームを確立する必要がある。こちらは環境省事業の中 で試験検討が進められている。 一方、最近の明るい話題としては、アカギ対策をはじめとする自然環 境保全や、地域振興等に取り組む地元団体「小笠原環境計画研究所」を 母島の皆さんが設立した。今後は環境省、林野庁、母島の地域住民が一 体となってアカギ対策を進めていくことが一層鮮明になったともいえ る。母島ではアカギを用いた木工教室や、ボランティア活動を組み込ん だツアーの実施などを行ってきたが、母島地域の振興にもつながってほ しいと考えている。 6.2 個別種毎の協働の事例~ノネコ対策~ 人によりペットとして、また、ネズミ対策として小笠原に持ち込まれた ネコの一部は、小笠原の山中で主にクマネズミを主食にしながらノネコ、 ノラネコとして生活していると考えられる。海洋島である小笠原には、独 自に進化した固有の陸鳥と多くの海鳥が繁殖しているが、ネコはとても有 能なハンターで、当然、ネズミだけではなく、これらの鳥類も捕食してい ることが明かになった。 6.2.1 母島南崎でのノネコによる海鳥食害 小笠原の有人島の 1 つである母島の最南端が南崎である。南崎には、小 笠原で唯一となった有人島にある海鳥繁殖地があり、カツオドリが10~20 巣、オナガミズナギドリが10巣程度、毎年繁殖が確認されていた。ところ が、近年その数が減り、そしてたくさんの海鳥の死体が発見された。この ため、小笠原で鳥類等の調査研究を行っている NPO 法人小笠原自然文化研 究所(以下、自然文化研)がこの死体を調べたところ、死体の羽軸に残る 歯形からネコによる捕食が示唆され、その後、自動撮影カメラによりカツ オドリを捕獲し咥えているネコが自然文化研により撮影された。この事態 を重く見た環境省小笠原自然保護官事務所と小笠原総合事務所国有林課、 東京都小笠原支庁は、自然文化研や母島住民の協力によりこれらのネコを 捕獲することにした。問題は捕獲後のネコの扱いであった。殺処分すると すれば、愛護団体の反対等から社会的な合意が得られないおそれがあった。 このような状況の中で、島外に搬出したネコの引取りを実施したのが東 京都獣医師会に所属する獣医師であった。その後、(社)東京都獣医師会が 団体として、小笠原諸島の世界自然遺産登録に協力するという観点から、 これら捕獲ネコを受け入れるようになった。 その後南崎では、住民の協力を受けた自然文化研によりネコ侵入防止柵 が建設され、ネコの捕獲も海鳥類の繁殖期に継続して実施されている。観 察を続ける自然文化研によれば2007 (平成19) 年の年末から、オナガミズナ ギドリが巣立つようになった。なお、このネコ侵入防止柵は2008 (平成20) 年 3 月に環境省により自然再生事業の一環としてリニューアルされた。 6.2.2 父島東平でのネコ捕獲事業 南崎でのネコ捕獲の後、父島東平におけるアカガシラカラスバトのノネ コによる食害の危険が指摘された。このハトは、この地球上に40~50羽程 度しかいないとも言われる小笠原固有の鳥類で、我が国で最も絶滅の危険 性が高い鳥類のひとつであることは間違いなく、種の保存法に基づき国内 希少野生動植物種に指定されている。この鳥が主要な繁殖地としている東 平において、このハトを襲おうとしたネコが目撃され、今後の食害が危惧 された。そこで南崎での協働の成功を基に、東平でも南崎の枠組みを拡大 してネコを共同で捕獲し、島外に搬出することにした。役割分担について は、予算的制約から、関係機関が出来ることを行う「持ち寄り式」とした。 実施時期はハトの繁殖期である12月から 3 月までの 4 ヶ月間で、毎夕、ワ ナをかけ、早朝未明にワナを撤去した。夜間のみの捕獲としたのは、日中 はネコではなくハトが捕獲される懸念があったためである。捕獲作業は参 画機関の職員やボランティアにより行われた。夜間・早朝であるため管理 職が対応した機関もあり、これらも含め職員についてもほとんどがボラン ティア参加であった。

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6.2.3 総合的なネコ対策へ この捕獲を契機に始めた打ち合わせ会議をそのまま組織化して「小笠原 ネコに関する連絡会議」が発足した。現在はこの会を中心に、様々な「自 然保護のためのネコ対策」が実施され、さらに、アカガシラカラスバトの 保護活動も本格化している。メンバーは、環境省小笠原自然保護官事務所、 小笠原総合事務所国有林課、東京都小笠原支庁(土木課・産業課)、小笠 原村、小笠原村教育委員会、NPO 小笠原自然文化研究所である(ほぼ科学 委員会の事務局と同じ)。 母島南崎・父島東平、それぞれの捕獲事業は「緊急捕獲事業」として行 われていて、対症療法でしかない。ネコを捕獲し続け、島外搬出している だけでは何も解決しない。したがって、まずは島内のネコの適正飼養が必 要になる。すなわち、小笠原村がすでに制定している飼いネコ管理条例も 踏まえ、マイクロチップ挿入による個体識別と登録、不妊去勢の普及徹底、 屋内飼養するなど責任ある飼い方を推奨した。さらには、小笠原村が従来 行っている集落内のノラネコの不妊去勢事業の充実を図るとともに、山野 に生息するノネコ・ノラネコを減らすため、侵入防護柵・分断柵を設置し、 広域的捕獲事業を開始した。これらは、これを行える者、行うべき者が、 役割分担し協力しながら進めていく他にはなく、ネコ連絡会議を中心とし た協働作業が今後も続いていくことになる。 2008 (平成20) 年 1 月に、IUCN の保全繁殖専門家グループの支援を受け て、父島において「アカガシラカラスバト保全計画づくり国際ワークショ ップ」が開催された。このワークショップ自体が、予算的には環境省、東 京都、NPO 小笠原自然文化研究所、小笠原村、林野庁が支出して実施され、 準備作業の多くは自然文化研究所や東京動物園協会、NPO どうぶつたちの 病院などが、多くの住民の協力も得て担当した。各種シミュレーションを 駆使したワークショップでは、アカガシラカラスバトの保全にとって最も 大きな障害はネコによる食害であるとされた。ワークショップに設けられ た地域住民を主体とした分科会では、ネコについての取り組みと住民自身 による取り組みが議論され、その後、これらの結果を踏まえた行政の活動 や住民活動も様々に行われている。 現在、父島東平は環境省が整備した全長 4 kmのヤギ・ネコ侵入防止柵に よって守られ、この中のほぼすべてのネコが捕獲された。また、父島母島 全域でネコの捕獲が進んでおり、父島を中心に約340頭のネコが捕獲され、 330頭以上が東京都獣医師会に搬出・引き渡された。父島のネコの密度が 格段に下がったことにより、アカガシラカラスバトの繁殖成功の報告も格 段に増えている。また、年 1 回、2 週間に及ぶ東京都獣医師会による出張 診療が行われ、ワクチン接種やマイクロチップ導入、不妊去勢などのサー ビスを島で設けることが出来る。これにより、飼いネコのほとんどがマイ クロチップ導入済み、不妊去勢済みとなっている。都内に搬出されたネコ は、動物病院での馴化の後、希望者に引き取られている。引き取りの中心 人物、東京都獣医師会小松副会長の弁によれば「アカガシラカラスバトは 島でしか生きられないが、ネコは東京で幸せに生きることが出来る」(写 真 6 )ということである。 写真 6 ノネコ 左上 捕獲直後、カゴわな内で暴れるノネコ「マイケル」、凶暴である。 自分より大きなカツオドリを襲っていた。 右下 馴化したマイケル(左上と同一個体)、今では小太りの甘えん坊 左下 馴化したノネコ、一般家庭で幸せに暮らしている。 右上 ノネコ一時収容施設「ねこ待ち」と協力者(島民)の皆さん。 (左下、右下 東京都獣医師会・右上、左上 小笠原自然文化研究所 提供)

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7. まとめ

以上、五月雨的ではあるが、小笠原諸島を事例に、世界遺産条約の国内 実施の実際について述べた。 我が国における世界遺産条約の国内実施とは、世界自然遺産について言 えば、関係行政機関の連携を強化し、国内法を整理し、地元関係者の参画 を得ながら、国内組織を設立、運営し、候補地の自然環境(OUV)を保全 することである。様々なインセンティブ、IUCNによる関与と保護強化と 言ったことが、推進力となり得る。特に、国立公園行政に携わって来た筆 者が特筆すべきことは、「林野庁をはじめとする他省庁とより関係が深く なる」、「インセンティブを与える力が強い」、「環境省が自分で言えないこ とをIUCNや科学委員会が言ってくれる」、と言ったことだろうか。非常 に「ゆるい」のも特徴であろう。つまり、ルールガチガチの「法治」では なく、IUCNや科学委員会という調整者が介入することを前提として、個 別の対応を許しつつ、「よりよい状況を形成する」よう誘導していくシス テムである。 舌足らずなところもあり、申し訳ない。環境省で立ち上げたホームペー ジ「小笠原自然情報センター」(http://ogasawara-info.jp)には、従来の経 緯も含め、各種のデータが掲載されている。また、同様に知床における 各種資料は「知床データセンター」(http://dc.shiretoko-whc.com/)に掲載 してある。是非参考にしていただきたい。

おわりに

プロセスの項など、「尻切れトンボ」と感じられた方もいらっしゃると 思う。家族の内地での入院などということもあり、我が職場ではそれでも 長いと言われる 3 年間で、父島を後にし、内地に引き上げていた。したが って、登録直前の詳細は不知であり、割愛した。田中氏の論文を参考にし て頂きたい。父島に行く前の準備期間 2 年を含むと小笠原担当 5 年間であ った。新任地は国立公園課の総括補佐だったため、一番力を入れた小笠原 国立公園計画の再検討は最後の最後まで自分で担当することが出来た。 IUCN の現地調査については、生物多様性条約締約国会議の愛知開催が近 かったことから、本来の担当課長ではなく、我が上司である国立公園課長 が対応要員となった。留守番の筆者は、折悪しく、上司不在のまま国立公 園課の№ 2 として「事業仕分け」に「耐える」こととなり、現地調査どこ ろではなかったが、その経緯を見守ることができた。 世界遺産委員会の当日は、「自分で仕込んだ外来種対策の進捗によりす でに決着は付いているはず」と思いつつ、霞ヶ関界隈の居酒屋で、同様に 関係者の元上司と、飲みながら「当選」を待った。帰る頃にようやく登録 決定が伝わってきた。でももうこのときは、現在の任地「北海道釧路市」 に赴任が内示されていて、新しい夢に胸が膨らんでいた。役所の異動ペー スは速く、よくあることである。 最後に、多くの関係機関、団体、島民や島外関係者の皆様、研究者や獣 医さん達、そして特に、心を鬼にして血生臭く、やってて辛い外来種対策 に汗と涙を流してくれた皆様に感謝したい。そしてそして、何も悪いこと してないのに殺された多くの生き物にはこの場をお借りしておわびさせ ていただきたい。 なお、本論考は、2011年10月15日の北海道大学グローバル COE・環境法 政策研究会における報告原稿を、当日の議論及びその後の検討を踏まえて 加筆修正したものである。このような機会を与えていただいた、北海道大 学児矢野マリ教授、東京大学田中特任助教他の皆様に感謝いたします。

図 1   小笠原諸島の位置  であり、旧硫黄島民は帰島を許されていない。アクセスは飛行場がなく、 おおよそ 6 日に 1 便の船「おがさわら丸」で東京から25時間半かけて行く ことが出来る。母島にはさらに父島から「ははじま丸」で 3 時間半である。    歴史的には、小笠原諸島は江戸時代に信州松本の大名だった小笠原家の 一門「小笠原貞頼」が発見したと伝えられているが、実際に確かなのはイ ギリスの測量船が発見したとのことのようである。イギリスの測量船が来 島した後ではあるが、江戸幕府も調査船を派遣して調査を

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