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銭 恂 著 述 図 書 目 録 と 解 説

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(1)

銭恂著述図書目録と解説 はじめに

本稿は︑清末の外交官︑銭恂︵一八五三〜一九二七︶が

著わした図書に関する目録である︒銭恂は草創期の早稲

田大学図書館に多くの漢籍を寄贈し︑多大な貢献をして

いる︒筆者は﹁早稲田大学開校期における銭恂の寄贈図

書について﹂と題し︑明治三十四年から翌三十五年にか

けて︑銭恂が当館に寄贈した図書の現況と︑銭恂自らが

記した寄贈目録の翻刻を発表した︵﹃早稲田大学図書館紀

要﹄第五十五号

二○○八︶

︒さらに

︑その作業をおこな

うにあたり︑銭恂に関するまとまった伝記資料がないこ

とをかんがみ︑今後の銭恂研究に資するために︑﹁銭恂 年譜﹂を作成した︵﹃早稲田大学図書館紀要﹄第五十六号 

二○○九︶︒今回︑﹁銭恂年譜﹂においては︑じゅうぶん

にふれることができなかった︑銭恂が書き遺した著作に

ついて︑その概要を明らかにすることを試みた︒銭恂の

著作刊行物は︑どのようなものだったのだろうか︒清末

から民国期にかけて刊行され︑国内の図書館および研究

機関に現存する図書に関する実地調査が︑この目録の基

礎となっている︒さらに関連資料について︑できるかぎ

り収録し︑今後︑銭恂研究の参考資料として使用にたえ

うるように努めた︒

  本稿の構成は︑大きく二つの部分からなる︒まず最初

に︑﹁一・著述図書目録﹂として︑光緒年間から民国期

銭恂著述図書目録と解説

高  木  理久夫

(2)

に出版された銭恂の著述図書に関する目録を記した︒刊

本については︑当館所蔵本をはじめ︑﹁全國漢籍データ

ベース

﹂によって︑各館の所蔵状況を確認した上で︑実

際に足をはこび︑一点一点を手に取り︑調査をおこなっ

︵二○○九年度︶

︒次に

︑﹁二

・解説﹂

として︑各図書

に関する解説をまとめた︒その際︑銭恂が編纂し︑民国

十年︵一九二一︶に刊行された︑呉興銭氏の家譜︑﹃呉興

錢氏家乘﹄巻三に記されている︑銭恂による﹁自著解題﹂

を基礎資料として活用した︒これは︑銭恂自身がその著

述図書に関して︑いかなる経緯で出版されたのか︑また

自身がどのような感想をもっていたのか︑うかがい知る

ことができる重要な資料である︒

  資料の読解︑目録の記述について誤りがあれば︑大方

の御叱正を賜りたい︒本稿が微力たりとも︑学内外にお

ける︑銭恂および中国近代史研究の一助となることを︑

心から願う次第である︒

︵1︶ ﹁全国漢籍データベース協議会﹂が作成した︑日本の主

要な公共図書館︑大学図書館が所蔵する﹁漢籍﹂の書誌情 報に関するデータベース︒二○一一年三月現在︑六十九機

関︑八一四︑二○三レコードを収納している

 

  ︵

http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/kansekikyogikai/

凡例  一・著述図書目録について

・銭恂の著述図書について︑﹁自著解題﹂等に従い︑著

述年代順に図書を掲げた︒

・版本が異なる場合︑︵一︶︵二︶等として記述を分けた︒・︵附記︶として︑主に刊行に関わる記載を原本から転

写した︒・︿所蔵﹀として︑当該刊本の所蔵館名と所蔵番号を記

載した︒また寄贈者が判明しているものについては︑

︵ ︶で寄贈者名を補った︒

  二・解説について

・銭恂による﹁自著解題﹂のあるものについては︑冒頭

にそれを掲げた︒

(3)

銭恂著述図書目録と解説 ・註に記載した引用資料の出版事項については︑記述の

繁雑さを避けるために巻末の︻参考資料一覧︼に記載

した︒

一・著述図書目録

韻目表一巻

︵一︶  韻目表一巻

錢學嘉撰  光緒七年︵一八八一︶歸安錢氏刻本 一冊︵三十一張︶

︵附記︶

 

封面裏﹁歸安錢氏﹂︑巻尾﹁光緒七年正月金陵陳恭超鐫﹂

︿所蔵﹀

 

早稲田大学図書館  ホ四│二○六︵錢恂寄贈本  明治三

四年三月二三日︶

神戸市立中央図書館  吉川文庫  経│X│四│二三︵朱印

本︶

京都大学人文科学研究所  東方  經│X│四│七七

︵二︶  韻目表一巻

錢學嘉撰  民國元年︵一九一二︶歸安錢氏杭州再

刻本  一冊︵三十一張︶ ︵附記︶

 

封面裏﹁玄

黓困敦九月歸安錢氏

緟栞于杭州﹂︑巻尾﹁玄 黓困敦之歳再刊於杭州﹂

︿所蔵﹀

 

東京大学東洋文化研究所

  經│

小學

│韻書

│一八

・五○

︵浙江省立圖書館寄贈︶

京都大学人文科学研究所  東方  經│X│四│七八

史目表

  史目表一

錢恂撰  民國元年︵一九一二︶歸安錢氏杭州刻本 一冊︵五十張︶

︵附記︶

 

封面裏﹁玄

黓困敦窒玄月歸安錢氏栞于杭州﹂︑版心﹁史

一﹂

︿所蔵﹀

 

東京大学東洋文化研究所  史部│史評│二一・五︵浙江

省立圖書館寄贈︶

京都大学人文科学研究所  東方  史│XVⅡ│一│六

唐韻考五巻

  唐韻考五巻

紀容舒撰

錢熙祚

錢恂重

光緒六年

︵一八 八○︶

定州王氏重校刻本

畿輔叢書収載

二冊

(4)

︵第一冊=提要二張・巻一〜三  四十五張︑第二冊=

巻四〜五  三十七張・跋二張︶

︵附記︶

 

封面裏﹁光緒卯年定州王氏齋重校刊行﹂︑版心﹁畿

輔叢書﹂

︿所蔵﹀

 

早稲田大学図書館  ホ四│四四│一〜二︑ホ四│四五│一

〜二︵銭恂寄贈本  明治三五年一月九日︶

中外交渉類要表  光緒通商綜覈表

︵一︶  中外交渉類要表  光緒通商綜覈表

錢學嘉撰  光緒間重刻本  二冊︵第一冊=表叙一

張・表目一張・類要表十九張・綜覈表二十九張︑第

二冊=綜覈表五十四張・表跋一張︶

︵附記︶綜覈表データは光緒十三年まで︒

︿所蔵﹀

 

早稲田大学図書館  カ五│一五一│一〜二︵銭恂寄贈本 明治三四年四月二三日︶

︵二︶  中外交渉類要表  光緒通商綜覈表

錢學嘉撰  光緒間重刻本  二冊︵第一冊=表叙一

張・表目一張・類要表十九張・綜覈表二十九張︑第

二冊=綜覈表五十六張・表跋一張︑附各表の項目一 覧表一枚︶

︵附記︶綜覈表データは光緒十四年まで︒

︿所蔵﹀

 

東洋文庫  Ⅱ│一五│B│二二︵題箋に﹁戸部北

房陝西

司續纂合刻﹂と書き込みあり︶

一橋大学図書館 

Yc

n e

│八︵項目一覧表は無し︶

京都大学人文科学研究所  東方  史│XⅢ│一一│二三

︵三︶  中外交渉類要表  光緒通商綜覈表

錢學嘉撰  光緒間戸部重刻本  二冊︵第一冊=表

叙一張・表目一張・類要表十九張・綜覈表三十四張︑

第二冊=綜覈表六十七張・表跋一張︑附各表の項目

一覧表一枚︶

︵附記︶綜覈表データは光緒十七年まで︒

︿所蔵﹀

 

早稲田大学図書館  カ五│一五○│一〜二︵銭恂寄贈本

明治三四年三月二三日︶

東京大学東洋文化研究所  大木文庫│政外交│約章│一六

︵四︶  中外交渉類要表  光緒通商綜覈表

錢學嘉撰  光緒二十年︵一八九四︶上海醉六堂刻

本 二冊︵第一冊=類要表叙一張・表目一張・類要

(5)

銭恂著述図書目録と解説 表十九張・綜覈表跋一張・綜覈表二十九張︑第二冊

=綜覈表五十七張・後跋一張︶

︵附記︶

 

封面裏﹁甲午四月印行寄存上海醉六堂發兌﹂︑綜覈表

データは光緒十三年まで︒

︿所蔵﹀

 

東京大学東洋文化研究所  史│政書│交渉│一四︵一︶

京都大学人文科学研究所  東方  史│XⅢ│一一│一○八

︵五︶  中外交渉類要表  光緒通商綜覈表

錢學嘉撰

上海書局石印本

二冊

︵第一冊=表

序一張・表目一張・類要表十九張・綜覈表二十七張︑

第二冊=綜覈表四十九張・表跋一張︶

︵附記︶

 

封面表﹁中外交渉類要表  光緒通商綜覈表﹂︑裏﹁上海

書局石印﹂︑巻尾﹁蘇城郡廟東首謝文翰齋刻印﹂︑綜覈

表データは光緒十三年まで︒

︿所蔵﹀東洋文庫  藤Ⅱ│一五│C│九四

︵六︶  中外交渉類要表

錢學嘉撰

光緒二十九年

︵一九○三︶

石印本

中外政學五種第三冊収載

一冊

︵叙一張

・目二

張・表二十張︶ ︵附記︶

 

封面表﹁中外交渉類要表﹂︑裏﹁甲午四月印行寄存上

海醉六堂發兌﹂

︿所蔵﹀早稲田大学図書館  カ一│二二二七│一

東洋文庫Ⅱ│一五│A│一○一

︵七︶  中外交渉類要表

錢學嘉撰

光緒二十三年

︵一八九七︶

慎記書莊 石印本

西政叢書

第三一冊収載

︵叙一張

︑目

録・表十二張︶

︵附記︶封面裏﹁光緒丁酉仲夏慎記書莊石印﹂

︿所蔵﹀

 

東京大学東洋文化研究所  大木文庫│總志書│斷代│七二

一橋大学図書館  舊陸軍經理學校圖書 

Ya

│四四

︵八︶  光緒通商綜覈表

錢學嘉撰

光緒二十九年

︵一九○三︶

石印本

 中外政學五種第四︑五冊収載  二冊︵第一冊=

叙一張・表四十張︑第二冊=表三十六張﹇第四一│

七六張﹈︶

︵附記︶

 

封面表﹁光緒通商綜覈表﹂︑裏﹁甲午四月印行寄存上

海醉六堂發兌﹂

(6)

︿所蔵﹀早稲田大学図書館  カ一│二二二七│二

東洋文庫Ⅱ│一五│A│一○一

︵九︶  光緒通商綜覈表

錢學嘉撰

光緒二十三年

︵一八九七︶

慎記書莊 石印本

西政叢書

第三二冊収載

︵目録一張

表五十四張︶

︵附記︶封面裏﹁光緒丁酉仲夏慎記書莊石印﹂

︿所蔵﹀

 

東京大学東洋文化研究所  大木文庫│總志書│斷代│七二

一橋大学図書館  舊陸軍經理學校圖書 

Ya

│四四

帕米爾圖説

帕米爾圖説  圖一幅  叙例一巻  英人楊哈思班游記  俄人

康穆才甫斯基游記

英人戈登游記  附帕米爾圖叙例洋文地名摘要表

錢恂撰  光緒十八年︵一八九二︶彼得堡︵ペテル

ブルク︶清國駐俄使館  彩色石印図一幅︵軸装︶

石印本一冊︵本文二十八張︑帕米爾圖叙例洋文地名

摘要表八張︶

︿所蔵﹀

 

早稲田大学図書館  ル一一│四○五︵図︶︑ル七│三○七 三︵石印本︶︵銭恂寄贈本  明治三四年三月二三日︶

中俄界約

斠注

︵一︶  中俄界約

斠  注七卷首一巻

錢恂撰  光緒間刻本  二冊︵第一冊=首八張・巻

一 十九張・巻二  十六張・巻三  二十二張︑第二 冊=巻四  二十二張・巻五  二十五張・巻六  十七 張・巻七  十二張︶

︵附記︶巻尾﹁蘇城郡廟東首謝文翰齋刻印﹂

︿所蔵﹀

 

早稲田大学図書館  ワ二○│一四七│一〜二︵錢恂寄贈

本  明治三四年三月二三日︶

東洋文庫  Ⅱ│一五│C│九四︵首巻の第一張が二枚あり︑

第二張がない︶

︵二︶  中俄界約

斠  注七卷首一巻 錢恂撰

光緒二十年

︵一八九四︶

上海醉六堂刻

本 二冊︵第一冊=序一張・首八張・巻一 十九張・

巻二  十六張・巻三  二十二張︑第二冊=巻四  二 十二張・巻五  二十五張・巻六  十七張・巻七  十

二張︶

(7)

銭恂著述図書目録と解説 ︵附記︶

 

封面裏﹁光緒廿年三月刊版存上海酔六堂印行發兌﹂︑

巻尾﹁蘇城郡廟東首謝文翰齋刻印﹂

︿所蔵﹀

 

東京大学東洋文化研究所  史│政書│交渉│一四︵二︶︑

︵三︶東京都立中央図書館  市村文庫  三一九│IW│八 国立公文書館  内閣文庫二八九│一七 京都大学人文科学研究所  東方  史│XⅢ│一一│一○八

*都立中央図書館本︑公文書館本ともに全体的に印字

のかすれが目立つ︵特に都立中央図書館本︶︒かな

り回数を重ねた摺本らしい︒

︵三︶  中俄界約

斠  注七卷首一巻 錢恂撰

上海書局石印本

二冊

︵第一冊=序一 張・首八張・巻一 十八張・巻二  十六張・巻三 

二十一張︑第二冊=巻四 

二 十

張・

巻 五 

二十三張・

巻六  十七張・巻七  十二張︶

︵附記︶

 

封面表﹁中俄界約

斠注﹂・裏﹁上海書局石印﹂︑巻尾﹁蘇

城郡廟東首謝文翰齋刻印﹂

︿所蔵﹀東洋文庫  藤Ⅱ│一五│c│九四 ︵四︶  中俄界約

斠  注七卷首一巻 錢恂撰

光緒二十九年

︵一九○三︶

石印本

  錢

恂撰  中外政學五種第六︑七冊収載  二冊︵第一

冊=首四張・巻一 五張・巻二 五張・巻三 八張・

巻四  六張︑第二冊=巻五  七張・巻六  五張・巻

七 四張︶

︵附記︶

 

封面表﹁中俄界約

斠注﹂・裏﹁光緒廿年三月刊版存上

海醉六堂印行發兌﹂︑巻首題﹁中俄界務﹂

︿所蔵﹀東洋文庫  Ⅱ│一五│A│一○一

︵五︶

 

中俄界約

斠   注六巻首一巻帕米爾分界私議中俄界

錢簡明説

錢恂撰

光緒二十三年

︵一八九七︶

武昌質學會

刻本  質學叢書初集第三函第二三│二六冊収載 四冊︵第一冊=中俄界約

斠注叙例七張・中俄界約

斠 注巻一  十九張・巻二  十五張︑第二冊=巻三  二 十 一

張・

巻 四  二十一張︑第三冊=巻五  二十五張・ 巻六  十二張︑第四冊=帕米爾分界私議  五張・中俄 界錢簡明説  十一張︶

(8)

︵附記︶

 

封面表﹁中俄界約

斠注六巻附帕米爾分界私議界錢簡明

説右一巻﹂・裏﹁光緒廿有三年丁酉春三月武昌質學會

據歸安錢氏自刻本重琱甘鵬雲書﹂

︿所蔵﹀京都大学人文科学研究所  東方  叢│Ⅰ│五│八五

西悉畢利鐵路攷

  西悉畢利鐵路攷

錢恂譯述

光緒二十九年

︵一九○三︶

石印本

 中外政學五種第七冊収載︵八張︶

︵附記︶

 

封面表﹁西悉畢利鐵路攷﹂・裏﹁癸卯正月依原譯本重

校英華譯齋石印﹂

︿所蔵﹀東洋文庫Ⅱ│一五│A│一○一

財政四綱四巻

︵一︶  財政四綱四巻

錢恂撰

光緒二十九年

︵一九○三︶

石印本

  中

外政學五種第一

︑二冊収載

二冊

︵第一冊=叙

目二張・巻一租税  二十一張・巻二貨幣  十七張︑ 第二冊=巻三銀行  十六張・巻四國債  十七張︶

︵附記︶

 

第一冊叢書封面表﹁錢恂撰  中外政學五種﹂・裏﹁癸 卯正月彙付石印  稟准立案翻刊重究﹂︑版心﹁錢氏政學

叢書﹂

︿所蔵﹀早稲田大学図書館  カ一│二二二七│一

東洋文庫  Ⅱ│一五│A│一○一

︵二︶  財政四綱四巻

錢恂撰

光緒間石印本

四冊

︵第一冊=自序一 張・目録二張・租税  四十張︑第二冊=貨幣  三十五張︑

第三冊=銀行  三十五張︑第四冊國債  三十六張︶

︵附記︶題箋﹁錢輯財政考﹂

︿所蔵﹀

 

東京都立中央図書館  實藤文庫  一○八六│一〜四

日本法規解字

︵一︶  日本法規解字

錢恂︑菫鴻

禕    編纂上海商務印書館光緒三十

三年初版鉛印本  一冊︵目録  十二張・本文  百一

張︶

︵附記︶

 

封面﹁解字  計一冊  新譯日本法規大全﹂︑奥付﹁光緒

三十三年上海商務印書館印行﹂

︿所蔵﹀

 

京都大学人文科学研究所  東方  史│XⅢ│二│一一八

(9)

銭恂著述図書目録と解説 ︵二︶  日本法規解字

錢恂︑菫鴻

禕    編纂上海商務印書館光緒三十

三年再版鉛印本  一冊︵目録  十二張・本文  百一

張︶

︵附記︶

 

封面﹁光緒三十三年九月  日本  法規解字  上海  商務印

書館﹂︑奥付﹁光緒三十三年正月初版  光緒三十三年九

月再版﹂

︿所蔵﹀東京都立中央図書館  實藤文庫  一○六八

二二五五疏二巻

  二二五五疏二巻

錢恂撰  民國間歸安錢氏鉛印本  二冊︵第一冊

=序目  三張・巻上  四十四張︑第二冊=巻下  五十三

張︶

︵附記︶

 

自序﹁民國八年﹂︑版心﹁上海衆珍倣宋印書局印﹂

︿所蔵﹀東洋文庫  Ⅱ│一三│B│八三

神戸市立中央図書館  吉川文庫  史│VⅢ│二 京都大学人文科学研究所  東方  史│XⅢ│二│三二七︑

三二八 壬子文瀾閣所存書目︵一︶  壬子文瀾閣所存書目五巻

錢恂撰  民國間杭州浙江圖書館刻本  四冊︵第

一冊=巻一經部  四十三張・補遺  一張・巻二史部  四 十五張︑第二冊=巻三子部  六十八張︑第三冊=巻四 集部  百八張・補遺  一張︑第四冊=巻五之一目録考 證之部  二張・巻五之二誤鈔書之部  三張・巻五之三 續藏書之部  三張・巻五之四古今圖書集成  二十八張・

巻五之五武英殿

眾   珍本叢書八張・巻五之六待訪之書 六張・補遺  一張・巻五之七待訪之巻  十二張︶

︵附記︶

 

第二冊第五十七張﹁宋裨類鈔三十六巻全缺﹂の記事上

欄外に﹁此書光復前借出民國三年収回凡十八冊補鈔者

十七冊舊鈔存幾卷三十五三十六﹂と刻記あり︒

︿所蔵﹀

 

東京大学東洋文化研究所  史部│目錄│經籍│一四︑大木

文庫│史部│書目類│五一

︵二︶  壬子文瀾閣所存書目五巻補一巻

錢恂撰  章箴編  陶傳堯校  民國十二年︵一九二

三︶

杭州浙江圖書館

補刻本

四冊

︵第一冊=

(10)

総目  一張・巻一經部四十三張・補遺  一張・巻二史 部  四十五張︑第二冊=巻三子部  六十八張︑第三冊

=巻四集部  百八張︑補遺  一張︑第四冊=巻五之一 目録考證之部  二張・巻五之二誤鈔書之部附遺存書之 部  三張・巻五之三續藏書之部  三張・巻五之四古今 圖書集成  二十八張・巻五之五武英殿

眾  珍本叢書八 張・巻五之六待訪之書  六張・補遺  一張・巻五之七 待訪之巻  十二張・壬子文瀾閣所存書目巻一補遺  一 張・文瀾閣目補  十三張︶

︵附記︶

 

封面表﹁文瀾閣目五巻閣目補一巻﹂・裏﹁癸亥六月浙

江公立圖書館補栞﹂︑版心﹁民國十二年補刊︵第一冊

総目及び第四冊文瀾閣目補の張︶︑第四冊巻五之六第

五張﹁宋裨類鈔三十六巻全缺﹂の記事上欄外﹁此書光

復前借出民國三年収回﹂と刻記あり︒

︿所蔵﹀国立国会図書館  八九七│一○五

京都大学人文科学研究所  東方  史│XⅣ│一│八○

清代進書表録存

  清代進書表録存

錢恂撰  民國間鉛印本  一冊︵十張︶ ︵附記︶

 

巻首題﹁清代進書表録存﹂︑版心題﹁清代進書表録存目﹂︑

版心下﹁

眾珍倣宋印書局印﹂

︿所蔵﹀神戸市立中央図書館  吉川文庫  史│XⅢ│三│二

京都大学人文科学研究所  東方  史│XⅢ│三│一九

二・解説韻目表一巻

  ﹁自著解題﹂には︑次のように記されている︒

韻目表一巻  光緒五年初刊︒用學嘉名︑學呂公所命

也︒生平所撰︑此最精刊亦最早刊︒貲爲許文肅師景

澄四川歸

軺所賜︒原板燬於醉六堂︑書坊廠肆有翻刻

本︑不知誰氏所爲︒歲壬子︑予又重刊︑改用恂名︒

因恂名行巳久也︒

︻訳文︼韻目表一巻  光緒五年︵一八七九︶の初刊である︒

その際︑﹁學嘉﹂の名を用いたが︑これは伯父の銭

振倫︵学呂公︶が命名したものである︒生涯におい

て撰刊した本の中で︑最も優れた刊本であり︑最も

(11)

銭恂著述図書目録と解説 早く刊行されたものである︒刊行資金は私の師である許景澄︵文肅︶が四川から帰任する際にいただい

︒原板は酔六堂で焼かれてしまい︑書店や工房に

よる翻刻本があるが︑誰が作製したものか不明であ

︒壬子の年

︵一九一二︶

に︑自分で重刊したが

その際﹁錢恂﹂と改めた︒恂の名がすでに久しく用

いられていたからである︒

  本書は︑漢字の古音韻に関する書物︑﹃篆韻譜﹄︑﹃古

文四聲韻﹄︑﹃廣韻﹄︑﹃集韻﹄︑﹃五音集韻﹄︑﹃韻會舉要﹄

について︑その内容を対照表形式にまとめたものである︒

︵一︶は︑第三十一葉末尾に︑﹁光緒七年正月金陵陳恭超

鐫﹂と刊刻年と刊刻者が記されている︒神戸市立中央図

書館の刊本は︑朱色で摺られている︒︵二︶の封面裏と巻

末尾にある﹁玄

黓困敦﹂は干支では﹁壬子﹂の年︵一九

一二︶にあたる︒中華民国政府成立後︑陽暦が採用され︑

その前年︑辛亥十一月十三日をもって中華民国元年一月

一日とされた︒したがって﹁壬子﹂の年は︑民国元年と

いうことになる

︒ ︵1︶ 許景澄は︑光緒五年当時︑四川の郷試考官︵光緒五年己

卯科︶の任にあった︵錢實甫編﹃清代職官年表﹄第四冊 二九八一頁︶︒

︵2︶ 鄭鶴聲﹃近世中西史日對照表﹄七九三頁参照

史目表

  ﹁自著解題﹂には︑次のように記されている︒

史目表二巻  第一巻成時︑學呂公謂︑確較洪表爲勝︒

第二巻則友力助成︒

︻訳文︼史目表二巻  第一巻が成った時︑銭振倫は︑

洪亮吉

が著した﹃史目表﹄より優れていると言った︒

第二巻は友人の協力により刊行された︒

  本書の内容は︑歴代正史二十四史︵史記︑漢書︑後漢書︑

三国志︑晋書︑宋書︑斉書︑梁書︑陳書︑北斉書︑周書︑南史︑

北史︑隋書︑旧唐書︑唐書︑旧五代史︑五代史記︑宋史︑遼史︑

金史︑元史︑明史︶の本紀︑志︑書︑列伝の目次一覧表で

ある︒  伯父銭振倫が本書を評して︑洪亮吉の﹃史目表﹄より

優れていると述べたという洪氏の同本は︑銭恂が当館に

(12)

寄贈した﹃洪北江先生遺書﹄︵早稲田大学図書館所蔵  請求

記号イ四│三六八︶に収載されている︒銭恂は︑この﹃史

目表﹄一冊を長男の銭稲孫

を通じて︑民国二年︵一九一

三︶八月九日︑魯迅に贈っている

︵1︶ 洪亮吉︵一七四六│一八○九︶は︑清代江蘇陽湖の人︒詩︑

経史︑説文の学で名高い︵近藤春雄﹃中国学芸大事典﹄二

一五頁︶︒

︵2︶ 銭稲孫︵一八八七〜一九六六︶の事蹟については︑鈴木

智夫訳注﹃癸卯旅行記訳注│銭稲孫の母の見た世界│﹄︵ⅶ

〜ⅷ頁︶︑及び邱巍﹃

吴 兴 钱家・・近代学

术文化家族的断

裂与

传承﹄︵二○○〜二三八頁︶に詳しい︒

︵3︶ ﹃魯迅日記﹄上巻  五八頁︒

唐韻考五巻

  ﹁自著解題﹂には︑次のように記されている︒

唐韻考五巻  此書無恂名︒齋王氏刊畿輔叢書︑恂

爲校勘也︒學呂公頗賞此書︒

︻訳文︼唐韻考五巻  この書に銭恂の名はない︒王

灝が畿輔叢書

を刊行するにあたり︑私が校勘をおこ

なった︒銭振倫はこの書をたいへんほめている︒   本書は︑﹃韻目表﹄と同様︑漢字の古音韻に関する書

物﹃唐韻五巻﹄︵唐・孫

愐︶に清代︑案文を附して出版さ

れたものである︒提要は王氏︑跋文は錢熙祚によるもの

であり︑巻首には﹁唐韻攷一  河間紀容舒元本  金山錢熙

祚元

  齋重

斠栞﹂とある︒

  しかし︑﹁自著解題﹂において︑氏名は記されていな

いが自分が重校したと銭恂は記している︒この記載にし

たがい︑ここでは﹁錢恂重

斠﹂と記した︒後に編纂され

た﹁百部叢書﹂︵台北藝文印書館  一九六八︶に影印収録さ

れている﹁畿輔叢書﹂︵第九四部第三二函︶中の同書の巻首

には︑﹁重

斠   唐韻攷一紀容舒著錢熙祚元

  錢恂重

斠﹂

と補正されている︒なお︑本書の封面裏には﹁光緒卯年

定州王氏齋重校刊行﹂とある︒﹁光緒卯年﹂は︑﹁光緒

己卯年﹂︑すなわち光緒五年と考えられるが︑﹁提要﹂巻

尾には︑﹁唐韵攷五卷︑金山錢錫之刻入守山閣叢書︒今

據以重

斠栞行發凡三條︑附見第一巻中︒光緒六年七月定

州王灝文泉識於

齋﹂と王氏の跋文が記載されている

︵この部分は︑﹁百部叢書﹂収録版では削除されている︶︒これ

(13)

銭恂著述図書目録と解説 に従えば﹁光緒六年﹂に重校されたと推察される︒︵1

︶ 清の王灝編︑光緒五年︵一八七九︶刊︒畿輔︵河北省︶

地方の先賢の著書三三五種を収載したものである︵近藤春

雄﹃中国学芸大事典﹄一二八頁︶︒

中外交渉類要表  光緒通商綜覈表

  ﹁自著解題﹂には︑次のように記されている︒

光緒通商綜覈表  中外交渉類要表  此兩表均光緒十

三年所撰刊︒時橐筆甬上︑得讀光緒元年以來海關冊︑

因成綜覈表︒同治十三年以前關冊︑有英文無漢文︑

故表始乙亥︒翁文恭長戸部︑命北

檔房循例續纂至十

八年止︒有戸部官本︒其後一再續補︑一再翻刻︑一

再經他人改取︑不可究詰矣︒

︻訳文︼光緒通商綜覈表  中外交渉類要表  このふた

つの表はともに光緒一三年︵一八八七︶撰刊である︒

その当時は文書業務に従事しており

︑光緒元年︵一

八七五︶以降の海関資料

を読むことができ︑それら

により﹃綜覈表﹄を作成した︒同治一三年︵一八七四︶

以前の海関資料には︑英文はあっても漢文のものは なく︑したがって表は乙亥︵光緒元年︒一八七五︶か

ら始まっている︒翁文恭が戸部の長官になり︑北

房に同じように編纂するように命じて

︑光緒一八年

︵一八九二︶まで続いた︒戸部による官本がある︒そ

の後︑続補︑翻刻と︑繰り返し他人の手が加えられ︑

とても刊行状況を把握できない︒

すなわち︑銭恂が光緒十三年に撰刊して以来︑この書は

後に幾たびも刊刻がおこなわれており︑刊本の状況は実

に複雑である︒元来︑﹃中外交渉類要表  光緒通商綜覈表﹄

として刊刻されたものが︑目録にあるように︑後には﹃中

外交渉類要表﹄と﹃光緒通商綜覈表﹄に分冊されて刊刻

されたりしている︒光緒期における貿易統計表としてそ

の利便性は当時随一のものであったと思われる︒刊行形

態に従い︑刊本は目録に記したように左記の三つのタイ

プに整理できる︒すなわち︑

︿類要表綜覈表﹀︵一︶〜︵五︶

︿類要表﹀︵六︶〜︵七︶

︿綜覈表﹀︵八︶〜︵九︶

(14)

という三タイプである︒さらに﹃中外交渉類要表﹄およ

び﹃光緒通商綜覈表﹄に収載されている表の内容を確認

してみると︑表データの採録初年と最終年は︑次のとお

りになる︒

﹃中外交渉類要表﹄全四表︒

・各國換訂約章表一︵康熙二十八年〜光緒十三年︶

・江海口岸貿易表二︵道光二十二年〜光緒十四年︶

・陸路口岸貿易表三︵康熙二十八年〜光緒十三年︶

・使臣出洋分駐表四︵光緒元年〜十四年︶

ただし表四について︑﹃中外政學五種﹄第三冊収載の︵六︶

は︑採録最終年が光緒二十六年である︒

﹃光緒通商綜覈表﹄全十七表︒

・洋關税鈔歳入表一︵光緒元年〜十三年︶

・各關税鈔分列表二︵同右︶

・滞征洋藥釐金表三︵同右︶

・内地半税細數表四︵同右︶

・進出貨價贏

絀表五︵同右︶

・各國往來貨價表六︵同右︶ ・進口貨價類列表七︵同右︶

・出口貨價類列表八︵同右︶

・各國運銷茶數表九︵同右︶

  ただし︑︵二︶の採録最終年は光緒十四年︑︵三︶のそれ

は光緒十七年である︒

・俄國運茶另數表十︵光緒五〜十三年︶

  ただし︑︵二︶の採録最終年は光緒十四年︑︵三︶のそれ

は光緒十七年である︒

・各口運銷洋藥表十一︵光緒元年〜十三年︶

  ただし︑︵二︶の採録最終年は光緒十四年︑︵三︶のそれ

は光緒十七年である︒

・進口雜貨衰旺表十二︵光緒元年〜十三年︶

  ただし︑︵一︶の採録最終年は光緒十二年︑︵二︶のそれ

は光緒十四年︑︵三︶のそれは光緒十七年である︒

・進口雜貨衰旺表十三︵光緒元年〜十三年︶

・出口雜貨衰旺表十四︵同右︶

・出口雜貨衰旺表十五︵同右︶

・出口雜貨衰旺表十六︵同右︶

(15)

銭恂著述図書目録と解説 各表データの採録初年と最終年中外交渉類要表

書名『中外交 渉類要表  光緒通商 綜覈表』『中外交渉 類要表』『光緒通商 綜覈表』

(一)(二)(三)(四)(五)(六)(七)(八)(九)

各國換訂約章表一康煕28─光緒13康煕28─光緒13康煕28─光緒13康煕28─光緒13康煕28─光緒13康煕28─光緒13康煕28─光緒13──

江海口岸貿易表二道光22─光緒14道光22─光緒14道光22─光緒14道光22─光緒14道光22─光緒14道光22─光緒14道光22─光緒14──

陸路口岸貿易表三康煕28─光緒13康煕28─光緒13康煕28─光緒13康煕28─光緒13康煕28─光緒13康煕28─光緒13康煕28─光緒13──

使臣出洋分駐表四光緒元─光緒14光緒元─光緒14光緒元─光緒14光緒元─光緒14光緒元─光緒14光緒元─光緒26光緒元─光緒14──

光緒通商綜覈表

書名『中外交 渉類要表  光緒通商 綜覈表』『中外交渉 類要表』『光緒通商 綜覈表』

(一)(二)(三)(四)(五)(六)(七)(八)(九)

洋關税鈔歳入表一光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒13──光緒元─光緒13光緒元─光緒13

各關税鈔分列表二光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒13──光緒元─光緒13光緒元─光緒13

滞征洋藥釐金表三光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒13──光緒元─光緒13光緒元─光緒13

内地半税細數表四光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒13──光緒元─光緒13光緒元─光緒13

進出貨價贏表五光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒13──光緒元─光緒13光緒元─光緒13

各國往來貨價表六光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒13──光緒元─光緒13光緒元─光緒13

進口貨價類列表七光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒13──光緒元─光緒13光緒元─光緒13

出口貨價類列表八光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒13──光緒元─光緒13光緒元─光緒13

各國運銷茶數表九光緒元─光緒13光緒元─光緒14光緒元─光緒17光緒元─光緒13光緒元─光緒13──光緒元─光緒13光緒元─光緒13

俄國運茶另數表十光緒5─光緒13光緒5─光緒14光緒5─光緒17光緒5─光緒13光緒5─光緒13──光緒5─光緒13光緒5─光緒13

各口運銷洋藥表十一光緒元─光緒13光緒元─光緒14光緒元─光緒17光緒元─光緒13光緒元─光緒13──光緒元─光緒13光緒元─光緒13

進口雜貨衰旺表十二光緒元─光緒12光緒元─光緒14光緒元─光緒17光緒元─光緒13光緒元─光緒13──光緒元─光緒13光緒元─光緒13

進口雜貨衰旺表十三光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒13──光緒元─光緒13光緒元─光緒13

出口雜貨衰旺表十四光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒13──光緒元─光緒13光緒元─光緒13

出口雜貨衰旺表十五光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒13──光緒元─光緒13光緒元─光緒13

出口雜貨衰旺表十六光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒17光緒元─光緒13光緒元─光緒13──光緒元─光緒13光緒元─光緒13

中西紀年周始表光緒元─光緒13光緒元─光緒13光緒元─光緒17光緒元─光緒13光緒元─光緒13──光緒元─光緒13光緒元─光緒13

(16)

  ただし︑︵三︶の採録最終年は︑光緒十七年である︒

・中西紀年周始表︵光緒元〜十三年︶

  ただし︑︵三︶の採録最終年は光緒十七年である︒

  以上について︑﹁各表データの採録初年と最終年﹂

して︑一覧にまとめてみた︒右記から︑特に﹃光緒通商

綜覈表﹄に関しては︑データ採録最終年に拠ることが︑

版本識別のポイントのひとつであるといえるだろう︒こ

れをふまえて︑それぞれの版本の特徴を見てみることに

しよう︒

︿類要表綜覈表﹀

  ﹃光緒通商綜覈表﹄の表跋最後尾に︑﹁著雍困敦冬十月

歸安錢學嘉自跋  學嘉又名恂﹂と記載されている︒﹁著雍﹂

は十干の戊︑﹁困敦﹂は十二支の子の異称であるので︑

戊子の年︑すなわち光緒十四年︵一八八八︶に︑跋文が

記されたことがわかる︒したがって︑﹃光緒通商綜覈表﹄

表データが光緒十三年のものが︑もっとも初版に近いと

考えられる︒また︑その後の刊行状況について︑﹁自著

解題﹂には︑﹁翁文恭が戸部の長官になり︑北

檔房に同 じように編纂するように命じ︑光緒十八年︵一八九二︶

まで続いた﹂とあり︑銭恂自筆の﹃清國人錢恂寄贈圖書

目錄﹄には︑﹁錢恂初版通商表︑至光緒十三年止︒此政

府戸部再版︑同十七年止也﹂︵銭恂初版の通商表は︑光緒十

三年までを記載している︒政府戸部の再版は︑同十七年までを

記載している︶と記されている

︒これらの記述により︑︿類

要表綜覈表﹀は︑銭恂の初版あるいは戸部による再版

であると推察されるもの︵一︶︵三︶と︑書店によって再

版されたもの︵四︶︵六︶の二つに分けられる︒さらに︑

頁数および前述の﹃光緒通商綜覈表﹄表データ採録最終

年に拠り︑︵一︶︵光緒十三年までのデータ︶︑︵二︶︵光緒十四

年までのデータ︶︑︵三︶︵光緒十七年までのデータ︶のもとに

各館の所蔵本がまとめられる︒戸部版と推察されるもの

は︑いずれも封面がなく︑厚手の良質紙が使われている

のが特徴である︒さらに︑︵四︶上海酔六堂光緒二十年刻

本には︑第二冊最後に後跋一葉があり︑次のように記さ

れている︒

此書學嘉刊板後︑節随節出游英法俄德等國︒癸巳回

(17)

銭恂著述図書目録と解説 華︑知戸部陝西司有官刊板︑且用元例︑賡續至光緒十七年止︒學嘉此作不過排比之事︑而當軸以爲有用︑爲之續纂重刊︑将以垂諸久遠︑能無自愧︒今茲又将再游英法︑用舊板重印誌︒其起縁如此︒光緒甲午季春︒歸安錢學嘉誌︒︻訳文︼この書を刊行した後︑使節にしたがい英国︑

フランス︑ロシア︑ドイツ等の国に外遊にでかけた

光緒十七年に帰国後︑戸部陝西司が刊行した版本が

あり︑それは私の本の体例を用い︑光緒十七年まで

を引きついだものであることを知った︒私のこの書

は単に事柄を並べただけに過ぎないけれど︑本書が

有用とされ︑続けて編纂し刊行を重ねられることは︑

まさに久しく我が名を伝えることであり︑誇りとす

るところである︒今また英国︑フランスへ外遊に向

かうに際して︑旧版を用いて重ねて印行する︒この

書の由来はかくのとおりである︒光緒二十年︵一八

九四︶春︒帰安銭学嘉記す︒

  すなわち記述されている内容は︑﹁自著解題﹂および ﹃清國人錢恂寄贈圖書目錄﹄とほぼ同じであり︑光緒十

七年分まで再版が刊行されたと記されている︒

  なお︑﹃近代中國史料叢刊續編﹄第四八輯第四七七│八

冊︵台北  文海出版社  民國六十六︶

に収められている

錢恂製﹃中外交渉類要表  光緒通商綜覈表﹄は︑︵四︶

海酔六堂光緒二十年刻本の影印本である︒

︿類要表﹀︿綜覈表﹀

︿類要表﹀︿綜覈表﹀は︑いずれも叢書の一部として

出版されたものである︒検索等の利便性を考慮してか︑

﹃中外交渉類要表﹄と﹃光緒通商綜覈表﹄とが別々に独

立して扱われているのが特徴である︒︵六︶︵八︶は︑光

緒二十九年に出版された﹁錢念劬先生撰  中外政學五種﹂

︵封面題による︒封面裏には﹁癸卯正月彙付石印  稟准立案翻

刊重究﹂と記されている︒なお題箋には﹁錢氏政學五種﹂︑版

心題には﹁錢氏政學叢書﹂とある︶のひとつである︒他の

収載書は︑﹃財政四綱﹄︑﹃中俄交界攷﹄︑﹃西悉畢利攷﹄

であるが︑当館では﹃中俄交界攷﹄と﹃西悉畢利攷﹄は

欠本であり︑第一〜三冊︵﹃財政四綱﹄と﹃中外交渉類要表﹄︶

(18)

と第四〜五冊︵﹃光緒通商綜覈表﹄︶は合本して二冊となっ

ている︒︵六︶﹁中外交渉類要表﹂と︵八︶﹁光緒通商綜覈

表﹂にはそれぞれ封面があり︑封面裏には両表ともに︑

﹁甲午四月印行寄存  上海酔六堂發兌﹂と記されている︒

甲午の年は光緒二十年︵一八九四︶にあたる︒また︑︵六︶

﹁中外交渉類要表﹂中︑﹁使臣出洋分駐表﹂には︑光緒十

四年の表欄に続けて︑光緒十五年から二十六年の表欄一

葉が綴じられている︒

︵1︶ ﹁橐筆﹂は︑書を盛る嚢と筆のこと︒﹃漢書﹄趙充国伝に

記す﹁安世本持嚢簪筆︑事孝武帝数十年﹂による︵﹃大漢

和辭典﹄巻六  五五一頁︶︒﹁甬上﹂の﹁甬﹂は︑やとい人 の意で︑傭に通じるという︵﹃大漢和辭典﹄巻七  一○四九

頁︶︒

︵2︶ 海関は︑清朝が外国貿易のために設けた関税徴収機関で

あるが︑清政府から委任された外国人監督官である総税務

司︵

Inspector

General

of  C ustoms

︶の権限が強化される に従い

︑ 海関行政はイギリスの支配下に置かれるように

なった︒清国人の海関監督は︑いても形式的な存在にすぎ

なくなっていったという︒海関資料は英文が主であったこ

とは︑このような事情による︵参考資料﹃アジア歴史事典﹄ 第二︑五巻﹁海関﹂︑﹁総税務司﹂の項︶︒

︵3︶ 清代の中央官庁のひとつである戸部は︑十四の区域に置

かれ︑税務処理︑出納監査︑その他︑事務をおこなった︒

現代日本で言えば︑いわば財務省にあたる︒北

檔房は︑戸

部の役職のひとつである﹁堂主事﹂が置かれたところで︑

専ら軍需品を配当したり︑奏章を校勘したという︵織田萬

﹃清國行政法汎論﹄三二六│三三○頁︶︒

︵4︶ ﹁早稲田大学開校期における銭恂の寄贈図書について﹂︵﹃早稲田大学図書館紀要﹄第五十五号  二〇〇八︶

︵5︶ 銭恂は︑光緒十三年︵一八八七︶に本書を撰刊後︑光緒

十五年︵一八八九︶六月︑薛福成に随いヨーロッパへ渡航

する︒

帕米爾圖説

  ﹁自著解題﹂には︑次のように記されている︒

帕米爾圖説  當帕米爾爭端初起時︑駐俄使館中無知

其地者︒文肅師知予之向談交界也︑命予考之︒因成

圖一幅︑敘例一卷︒

︻訳文︼帕米爾︵パミール︶図説  パミールで紛争が

起きた当初

︑駐ロシア使館にはパミールのことを知

る者がいなかった︒許景澄

は︑私がロシアとの国境

(19)

銭恂著述図書目録と解説 について語っているのを知り︑この問題を考えるように命じた︒そこで図一幅と叙例一巻を作成した︒

これによれば︑銭恂は︑許景澄に命ぜられ︑パミールの

地勢に関する図一幅と﹁叙例﹂一巻を作成したと記して

いる︒﹃帕米爾圖﹄について︑﹃清國人錢恂寄贈圖書目錄﹄

には

︑﹁彼得堡石印

此圖集

眾西文帕米爾圖而成﹂

︵ペテ

ルブルク石印  この図は欧文のパミール図を集めて作成した︶

と記されている︒﹃帕米爾圖叙例﹄には︑パミールの概略︑

上記﹁帕米爾圖﹂の概要及び参考資料等について記され︑

本文最後に︑次のような記載がある︒

始於今年七月凡三閲月而告竣︒任其事者歸安錢恂︑

暨德意志人金楷理︑錄寫者大興董宗漢也︒光緒十八

年秋九月嘉興許景澄識於駐俄使館︒

すなわち︑光緒十八年七月から三ヶ月かかってパミール

図を作製した︒作製にあたった者は︑歸安の錢恂︑およ

びドイツ人の金楷理

︑記録

︑書写は大興の董宗漢があ

たったという︒﹁英人楊哈思班游記﹂と﹁俄人康穆才甫

斯基游記﹂は︑英国人︵楊哈思班=

Younghusband

︒一九○ 三年︑英国軍を率いてラサに到る︶とロシア人︵康穆才甫斯

基︶によるパミール探訪記の漢語訳で︑訳者による注釈

が施されている︒﹁帕米爾圖叙例洋文地名摘要表﹂は︑

﹁帕米爾圖﹂の漢文・俄文・英文地名対照表索引であり︑

経度︑緯度で地名を引けるようになっている︒パミール

にロシアが進攻したことに対して中国は︑緊急に外交対

策を打ち出す必要に迫られた︒まずは︑情報収集である︒

そのために地図が作成され︑さらにパミールの地政を把

握するために︑イギリス人やロシア人が記したパミール

探訪記録が翻訳され︑資料として附せられた︒すなわち

﹃帕米爾圖﹄と﹃帕米爾圖叙例﹄を合わせて︑この﹃帕

米爾圖説﹄がまとめられたのであろう︒なお︑当館所蔵

資料の﹃漸學廬叢書  第一集﹄︵光緒二十三年廬氏石印本︒

請求記号ル七│三一○四│二︶及び﹃皇朝藩輿地叢書﹄︵光緒

二十九年金匱浦氏石印本︒請求記号ル五│八四三│一六︶には︑

﹃帕米爾圖説﹄と題されて︑﹁帕米爾圖叙例﹂﹁英人楊哈

思班游記﹂﹁俄人康穆才甫斯基游記﹂﹁英人戈登游記﹂が

収載されている︒﹁帕米爾圖叙例﹂については︑両本とも︑

(20)

巻首題に続いて﹁嘉興許景澄﹂とある︒前述の本文最後

にある文章に拠り︑後から撰者として追記されたのであ

ろう︒しかし︑だれを撰者とするかは︑この本が作成さ

れた経緯からすると︑許景澄とすることは微妙なところ

である︒自分が実際の撰刊作業にあたった本だと記す銭

恂の名を挙げても間違いではないと思う︒

︵1︶ 一八九一年八月︑ロシアは学術研究の名目で︑パミール

高原に進出した︒彼の地はアフガニスタン︑カシミール︑

及び清国領トルキスタンに通じる要衝であり︑清国は事態

を憂慮し︑当時の英国領インド総督は︑これに抗議をした

ので︑ロシア兵はいったんは退却したが︑翌一八九二年春︑

今度は完全武装で来攻︑七月十二日︑ソマタッシでアフガ

ニスタン兵と衝突し︑これを敗走させた︵有賀長雄﹃最近

三十年外交史﹄上巻  三九五│三九六頁︶︒

︵2︶ 光緒十七︑十八年当時︵一八九一│一八九二︶︑許景澄は︑

駐俄︑徳兼奥︑荷大臣︵駐ロシア︑ドイツ︑オーストリア︑

オランダ大臣︶であった︵錢實甫編﹃清代職官年表﹄第四

冊  三○三七頁︶︒

︵3︶ 金楷理︵

Carl

Traugott

Kreyer

︶の事績については︑高 田時雄﹁金楷理傳略﹂︵﹃日本東方學  第一

辑﹄二六○│二七 六頁︶に詳しい︒

中俄界約

斠注

  ﹁自著解題﹂には︑次のように記されている︒

中俄界約

斠  注七卷中俄交界條約︑大率滿人主政︑

故約文恆不通︑約地更茫然︒讀之匪易︑

斠注更難︒

自有予書︑始有人繼讀界約︒刊於光緒癸已年︒

︻訳文︼中俄界約

斠  注七卷中国とロシアの国境条

約は︑ほとんど満州人が政務を主導していたので︑

条文は常に意味がわからず︑画定した領土は︑はっ

きりしなかった︒これを読むことは至難の業で︑そ

の校注を読むことはさらに難しかった︒そこで私が

漢文による本書を書いてから︑始めて人たちが引き

継いで条約を読んでくれるようになった︒光緒一九

年︵一八九三︶に刊行した︒

  本書は︑ロシアと結ばれた国境条約の条文等について︑

銭恂による按文を附し︑漢文で記したものである

  首巻には光緒十九年二月付︑銭恂の序文がある︒本書

の内容は次のとおりである︒

(21)

銭恂著述図書目録と解説 巻一  

 

康煕二十八年黒龍江界約咸豐八年愛琿條約咸豐八年天津條約咸豐十年北京條約咸豐十一年勘分東界約記

巻二  

 

光緒十二年重勘琿春東界約記

︵以上屬東界

者凡六︶

巻三   雍正五年恰克圖界約

乾隆三十三年修改恰克圖界約第十條︵以上

屬北界者凡二︶

巻四   咸豐十年北京條約

同治三年勘分西北界約記

同治九年鳥里雅蘇臺界約

同治八年科布多界約

同治九年塔爾巴哈臺界約

巻五   光緒七年中俄改訂條約

光緒九年科布多界約

光緒九年喀巴河上約 光緒九年阿拉克別克河口約光緒九年阿勒喀別克河口約光緒九年塔爾巴哈臺界約

巻六   光緒八年伊犁界約

光緒八年喀什噶爾境東北界約

光緒十年喀什噶爾境西北界約

︵以上屬西界

者凡十四︶

帕米爾分界私議坿

巻七   中俄界錢簡明説

なお︑﹃小方壺齋輿地叢鈔續編﹄︵南清河王氏鑄版  光緒間

上海著易堂石印本︶第二帙所載の﹁帕米爾分界私議﹂︑﹁中

俄界線簡明説﹂は︑本書の巻六﹁帕米爾分界私議坿﹂︑

巻七﹁中俄界錢簡明説﹂から採録されている︒

︵二︶は︑上海酔六堂が印行した刊本︑︵三︶は︑上海書

局による石印本︑︵四︶は︑封面裏の記載に従えば︑︵二︶

をもとに作成した石印本で︑﹁中外政學五種﹂のひとつ

である︒︵五︶は︑光緒二十二年から二十三年にかけて︑

武昌質学会が原刻本により刊行した﹃質學叢書初集﹄に

(22)

収載されたものである︒校訂者は各巻ごとに︑

中俄界約

斠  注巻一巻末﹁松滋雷以震東湖黄穀元同校﹂

同巻二  巻末﹁監利楊昌萃潛江謝炳樸同校﹂

同巻三  巻末﹁江夏鄭壽黎興山余光輔同校﹂

同巻四  巻末﹁東湖黄穀元松滋雷以震同校﹂

同巻五  巻末﹁潛江呉元勛羅田王葆心同校﹂

同巻六  巻末﹁東湖黄穀元松滋雷以震同校﹂

帕米爾分界私議   末尾﹁天門胡子明潛江甘鵬鶱同校﹂

  中俄界錢簡明説   末尾﹁黄梅石世英羅田王煜同校﹂

と記されている︒

︵1︶ 清とロシアの国境画定交渉について︑本書を含め︑当時

の史料に拠った最近の研究論文としては︑陳維新﹁同︑光

年間中俄伊犁邊界交渉探討│以中俄訂定之條約及界圖爲例﹂︵﹃故宮學術季刊﹄第二十七巻  第一期  國立故宮博物院  民

國九十八︶がある︒

西悉畢利鐵路攷

  本文は︑﹃中外政學五種﹄第七冊に﹃中俄界約

斠注﹄

に続いて収録されているものである︒内容は︑シベリア 鉄道に関する建設と地勢等の概要を記したものであり︑﹁鐵路工料估價表上下﹂︵上表は鉄道の建設費や運営維持費用︑

下表は線路︑車両の設備費用に関する表︶︑﹁西悉畢利幅員戸

日餘糧表﹂︵鉄道建設労働者と沿線の人口および食糧生産に関

する表︶からなり︑さらにシベリア鉄道の経常収益につ

いて付記されている︒原資料は不詳であるが︑シベリア

鉄道に関する︑何らかの報告書の訳出であると思われる︒

なお︑本文に関連すると思われる記事が︑﹃汪康年師友

書札︵三︶﹄に収録されている︑銭恂の汪康年

宛書信中

にある︒すなわち︑左記のとおりである︒

・俄西伯利鐵路估價及工程次第︑譯本十六紙︑係弟昔

年從俄國譯回︑可刻時務報中︑可速刻︵三○○二〜

三○○三頁︶

・鐵路估工法︑初稿四紙寄上︑如此法人人不礙︑而自

己亦成一説︒請閲︒用畢請并手摺寄回︑至要至要︒

如欲弟代叙亦可︑請統寄下︒頌穀兄︒恂頓首︒廿八

日︵三○○三頁︶︒

記述年月日が不明ではあるが︑﹃時務報﹄への掲載につ

(23)

銭恂著述図書目録と解説

いてふれられており

︑光緒二十二〜二十四年の間

︵ ﹃ 時

務報﹄刊行期間︶のことであろう︒

︵1︶ 汪康年︵一八六○│一九一一︶は銭恂と同じく︑張之洞

に仕え︑その後︑雑誌﹃時務報﹄を創刊し︑その経営に携

わった人物である︒

財政四綱四巻

  本書は︑欧米や日本の財政事情に関する入門概説書で

ある︒銭恂は︑この書籍の刊行により︑少なからぬ利益

を得たようである

︒﹁自著解題﹂において︑銭恂は次の

ように記している︒

財政四綱四卷  凡書最謬者︑必可獲利︒此書果謬︑

果獲利︑不足言箸﹇著﹈撰也︒

︻訳文︼財政四綱四卷

およそ書籍について最も

誤った考えは︑それで利益を獲ようとすることであ

る︒この書は︑はたしてその誤りをおかし︑金を獲

たもので︑自分の著作と言うに足りないものである︒

この﹁凡書最謬者必可獲利﹂という銭恂の言葉は︑商品

として書籍を扱うのが当たり前だと思い込んでいる現代 人にとって︑よく理解できない考えだと思われる︒前近代の中国の文化人にとって︑書物は元来︑売り物︑商品ではない︒書店は︑自分の利益のためだけに刊記を改ざんしたり︑封面を削除したりして文化財としての書籍を著しく損ねてきたという歴史的経緯がある︒すなわち中国の出版事業は︑文人による個人出版が正統であり︑自分の蔵書を一族の援助を募り︑版刻︑製本し︑せいぜい五十部︑多くて百部ほどを出版し︑それを贈答品として無償で配布したのである︒﹁蔵之名山︑伝之其人﹂︵良書

を多くたくわえて︑それにふさわしい人に伝えていく︶とい

うことこそが︑伝統的な書物伝播の理念であり︑かくあ

るべき書物によって金を稼ぐなどという魂胆は︑言語道

断というわけである

︒銭恂の自己批判ともいうべき言葉

は︑まさに書物のあるべき理念からはずれ︑自己の利益

のためにだけ記したものではないのかという自責の念か

ら発せられたのだろう︒これは︑銭恂の伝統的な中国の

文人としての一面をうかがわせる記述であると思う︒当

館所蔵本︵一︶は︑前出﹃中外交渉類要表﹄︵六︶

︑ ﹃ 光 緒

(24)

通商綜覈表﹄︵八︶と同じく︑光緒二十九年に出版された

﹁錢念劬先生撰  中外政學五種﹂のひとつである︒自序に

よれば︑銭恂は︑光緒二十七年︵一九○一︶七月︑日本

で序文を書き上げている︒都立中央図書館所蔵本︵二︶は︑

紙面のインクが滲んでいたり︑文字がすれている箇所が

目立つ︒︵1︶ 邱巍著﹃

吴 兴 钱家・・近代学

术文化家族的断裂与

传承﹄

八七頁︒なお︑﹃汪康年師友書札㈢﹄に収載されている銭

恂の書信中︑﹃財政四綱﹄に言及している書信は︑三十三

︵光緒二十八年十一月七日︶︑三十四︑三十五︑四十五︵い

づれも年月日不詳︶の四通ある︒

︵2︶ 高木理久夫﹁中国書物文化の断面〜﹁中国古籍﹂私話﹂︵﹃ふみくら  早稲田大学図書館報﹄四九号  一九九五︶参照︒

日本法規解字

  本書については︑商務印書館による紹介文︵︵二︶奥書︶

を左に掲げておく︒

本館翻譯日本法規大全︒以書中名詞不易解釋︑特請

錢念劬︑菫恂士兩先生編成是書︒將書中所有名詞詳

加詮注︑分部排列︑以備檢討業經︑出版附于法規大 全之後嗣︒因近來東譯盛行︑政法等書多沿日本名詞︑初學頗以爲苦︒又將是書刊爲單行本︒以備讀東譯者之參考︑或不無少助云︒商務印書館誌︒︻訳文︼本館は﹃日本法規大全﹄を翻訳した︒その

中の名詞で解釈が難しいものについては︑特に錢念

劬︵銭恂︶︑菫恂士︵菫鴻

禕︶両先生に請い︑本書を

編纂していただいた︒出てくる名詞には詳しく注釈

をつけてもらい︑部首ごとに排列して検索できるよ

うにし︑﹃法規大全﹄の最後に附して出版した︒最

近日本語書籍の翻訳が盛んにおこなわれ︑政治法律

等の書籍は日本語名詞を多く採用しているので︑初

学者にはたいへん理解が難しい︒そこで本書を単行

本として刊行することにした︒日本語書籍の訳本の

参考として備えれば︑少なからず役に立つでしょう︒

商務印書館誌︒

これによれば︑当時︑日本語の政治︑法律等の書籍の漢

訳本が︑和製漢語をそのまま流用していたので︑読者の

理解が難しいことが︑多々あったことがうかがわれる︒

(25)

銭恂著述図書目録と解説 共編者の菫鴻

禕は︑銭恂の次女︑銭潤輝の夫である︒な

お︑前掲︵二︶奥書の裏は︑﹁商務印書館廣告﹂の頁になっ

ており︑図書販売リストの筆頭に﹁日本法規大全  都凡

八十冊  附解字一冊  二十五元﹂と記されている︒

  なお点校本として︑﹃新

译日本法

规大全︵点校本︶法

解字﹄︵

钱恂︑董

鸿 祎 编纂 何勤

华   点校北京商

务印 书 馆 

二○○七︶がある︒

︵1︶ 菫鴻

禕︵一八七八〜一九一六︶については︑邱巍﹃

吴 兴 钱家・・近代学

术文化家族的断裂与

传承﹄︵一○四〜一○

七頁︶に詳しい︒

二二五五疏二巻

  ﹁自著解題﹂において︑銭恂は次のように記している︒

二二五五疏  予之奉使︑不由賄力︑故一年而調一國︑

再一年而逐予矣︒此二年二國之中︑凡上五十五疏︒

其中有關係︑可質諸天地而無

媿者︑亦二十疏以外︒

故付印︒︻訳文︼二二五五疏  私が国に奉使したのは︑賄賂

によるものではなく︑それゆえ一年で一国に赴任し て︑また一年赴任して任を解かれてしまった︒この二年で二国の赴任中︑およそ五十五の疏を記した︒その中には外交と関連して︑もろもろの世の事象をただし︑自ら誇りとするものが︑二十疏にはのぼる︒それゆえに刊行した︒

  すなわち︑書名は︑二年間で二カ国︵オランダ︑イタリ

ア︶における五十五篇の疏︵上奏文︒清国政府への報告文︶

という意味であるという︒銭恂は︑光緒三十三年︵一九

○七︶三月︑五十五歳で出使荷蘭大臣︑翌年︵一九○八︶

二月︑出使義国大臣を歴任し︑同年十一月︑離任し︑帰

国の途に着いた︒このような事情も含めて︑﹃二二五五

疏﹄自序において︑銭恂は次のように本書について記し

ている︒

二二五五疏自序

恂以疏逖微官蒙︑徳宗景皇帝傳旨召見︑傳旨記名︒

越十年︑蒙御筆圏任出和國大臣︑時光緒三十三年也︒

次年︑調使義︑又次年罷官︒蓋宣統元年矣︒以二年

之期任使二國︑良稱奇遇︒此二年中︑上摺片凡五十

参照

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