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著者 張 文良

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Academic year: 2021

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『涅槃経』と中国唐代仏性論 : 法宝・澄観・湛然 の仏性説を中心として (第1回学術大会テーマ 東ア ジアにおける仏性・如来蔵思想の受容と変容)

著者 張 文良

雑誌名 東アジア仏教学術論集 = Proceedings of the

International Conference on East Asian Buddism : 韓・中・日国際仏教学術大会論文集

号 1

ページ 235‑251

発行年 2013‑03

URL http://doi.org/10.34428/00007383

Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by‑nc‑nd/3.0/deed.ja

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張珍寧氏のコメントに対する回答

張文良 (中国 人民大学)

まず初めに、張先生、精彩のあるコメントをありがとうございます。わたしの論文 に対して、張先生が問題提起してくださったことによって、関連する問題についてさ らに深くほりさげて考察することができ、本当によい学びの機会となりました。ただ、

時間の都合がありますので、ごく手短に答えさせていただきます。

最初の問題は、澄観の教判論と成仏論です。まず、どうして澄観は大乗終教と円 教をともに法性宗におさめているのかという点です。実は、澄観の思想において「円 教」の「円」は、二つの意味を含みます。ひとつは「円満」の意であり、華厳思想 が大乗終教よりもより円満であるということです。この意味における「円教」は、

いわゆる円教至上主義のニュアンスを有しています。ただし、あくまでも「円」は

「円融」「円摂」の意味であって、華厳思想が大乗終教・大乗始教および小乗教を そのうちに包摂しているということです。教判においては、法蔵が円教の至上性を 強調するのとは異なり、澄観は円教の円融性を強調します。言い換えれば、円教と 大乗終教との差異よりも、両者のあいだに共通する性質に澄観はより注意をはらっ ています。このような理由によって、澄観は円教と終教とを法性宗のカテゴリーの なかに収めたのです。

次に、成仏の問題についてお答えします。澄観の成仏論の特徴は、「性」と「相」

の両面から、成仏の問題を立体的にあつかうところにあります。つまり、「性」の立 場においては、有情と無情とがみな成仏できることを認め、それと同時に、「相」の 立場においては、非情成仏の可能性を否定します。この立場は、華厳宗の成仏論と矛 盾するものでしょうか。もし法蔵の成仏論を華厳宗の正統と見なすならば、澄観の成 仏論と法蔵の見方には同じではないところがはっきりと見て取れます。しかし、澄観 は「性」の立場において非情成仏を認めており、澄観と法蔵とのあいだには、思想の 連続性があり、かならずしも完全な矛盾ではありません。ただ言いうるのは、澄観は 法蔵の成仏思想を継承したうえで、それを新しく創造し、発展させていったというこ

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257 とです。

澄観の性起説と華厳宗の伝統の性起説との差異に関しては、もし法蔵の性起説を伝 統的な性起説と見なすならば、澄観の性起説と法蔵の性起説には、確実に微妙な相違 があります。両者の相違は、どのように如来蔵縁起を位置づけるかということに起因 します。ちょうど竹村牧男先生が基調講演において指摘されたように、法蔵は四教判 において最高位の教説と見なしますが、五教判においては大乗終教であって、円教に は含めません。澄観においては、如来蔵縁起と円教の境界がよりいっそうあいまいで す。たとえば、『大乗起信論』の説明を直接引用して円教の教理を説明する例などは、

真如縁起と如来蔵縁起とを融合する澄観の傾向を示しています。

私が特に指摘したいのは、張先生がコメントで何度も言及された「華厳宗の伝統」

という概念そのものを私が流動的な概念と捉えているということです。いわゆる華厳 宗の初祖・二祖・三祖・四祖といった祖統説は澄観のあとの時代のもので、「華厳宗」

という概念自体は、非常に遅く出現したものです。澄観の思想は、まちがいなく法蔵 の影響をうけており、法蔵の弟子である慧苑に対する澄観の批判を見ると、澄観には 法蔵思想の正統性を擁護するという強烈な意識があります。ただ、このことが澄観に 明確な宗派意識があるということを意味するわけではありません。少なくとも澄観の 時代においては、「華厳宗」は存在しておらず、「華厳宗の伝統」というものも存在し ていません。澄観と法蔵の社会的な背景が同じではないことを考慮すると、彼らの思 想が同じでないことも自然なことでしょう。逆に、もし澄観が完全に法蔵の考えを踏 襲していれば、その事情を理解することは困難です。

最後に、湛然・澄観の思想と中国伝統思想の関連という問題に関してです。中国 の儒教と道教は、自然観において大きな差異があります。簡単にいうと、儒家は日 常経験を尊重し、人と無生命の自然物との相違を強調しますが、道教は気一元論か ら出発し,有情と無情との間の相互の転換を主張します。澄観の伝記によると、彼 は若いころから儒家の経典を熟読しており、儒家の教養をそなえていました。彼の 著作におけることば遣いや文章の書き方から見ると、彼の思惟方法が儒家の影響を 受けていることはひとめで見て取ることができます。これらが彼の仏性観に影響を 与えたこともまた自然なことでしょう。当然、この問題は非常に複雑であり、これ を論証するためには、さらに詳細な分析が必要です。私は、本論文において一つの 問題点を提起したにすぎません。これによって皆さんの関心を呼び起こせたらと期 待しています。

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最後に、張先生の精彩のあるコメントと問題提起に対して、改めて感謝の意を表さ せていただきたいと思います。

(翻訳担当:中西俊英)

参照

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