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民 俗 宗 教 研 究 に お け る ジ ェ ン ダ ー 視 点 の 必 要 性

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一  問題の所在

 

││  ﹁おなごの修行はおのこの七倍﹂  ││   昨夏︑愛知県のとある木曽御嶽講の教会で新たに修行者としての道を選んだ女性のお披露目があった︒当日は︑

その教会で戦後から昭和五〇年時代まで第二代目教会長を務めたT霊神の供養祭でもあった︒

T霊神は女性行者で︑死後は﹁霊神﹂の神位を授かって祀られ︑現在は教会の歴代霊神の一柱として崇拝されてい

稿

民 俗 宗 教 研 究 に お け る ジ ェ ン ダ ー 視 点 の 必 要 性

││  女性行者を中心に  ││

小   林   奈 央 子

(2)

る︒生前は︑御嶽講で行われる﹁御 ﹂︵神降ろし儀礼︶において︑自らの身体に神霊の降臨を受ける中 なか︵神 かみしろ

として活躍していたが︑死後は御座において霊神として降臨し︑人びとに託宣を下している︒その日も御座の場に降臨し︑お披露目された女性に対して︑以下の託宣をした︒

女の身において神に仕え︑助けを請うものを救う︒ただしおなごの修行はおのこの七倍︒その選んだ道は艱難

辛苦の道である︒⁝⁝おなごの修行の︑すべてのことを振り切ることの難しさ⁝⁝ただわれはおなごの行者を見捨ててはおかない

  同じ女性として行者の道を選んだ女性に対し︑その道の厳しさと守護を伝える託宣である︒﹁おなごの修行はお

のこの七倍﹂にもなる艱難辛苦の道であり︑﹁すべてのことを振り切ることの難しさ﹂があるという︒つまり︑お

なご︵女性︶か︑おのこ︵男性︶か︑性別の違いによって修行の厳しさに大きな差異があるということである︒

  では︑この﹁七倍﹂の﹁艱難辛苦﹂︑﹁振り切れない﹂すべてのこととは何を指すのか︒後日︑この教会の教会長

である五〇代の男性先達に尋ねると﹁女性ゆえに五障があり成仏が困難であるという難しさがまずある﹂との回答

があった︒この教会は旧教派神道・神道十三派の一つである御嶽教に属す教会であり︑神道的な儀礼をおこなっている︒そうした教会でありながら仏教の文脈による五障︑すなわち︑女性は生まれながらに梵天王・帝釈天・魔

王・転輪聖王・仏の五つにはなれないという五つの障りが説かれ︑それが第一の困難であるというのである︒ま

た︑女性の行者は﹁赤不浄︵月経︶がある期間中は神前に出ることが憚れるため︑一年のうち七〇日から八〇日︑一〇年間でいえば二年も﹃おもて﹄︵私的空間も含めた神事全般︶の修行ができない﹂難しさもあるという︒

  ほかにはどのような﹁困難﹂が考えられるであろうか︒T霊神の生涯を考えたとき︑推測されることがいくつか

(3)

ある︒T霊神は行者の道を選んだことで結婚はしないと決め︑家庭をもたなかった︒一方で今回お披露目された女性は家庭をもち子どもを育てている女性であった︒その点から︑﹁振り切ること﹂のできないものとは︑﹁家庭﹂や

﹁家族﹂そしてそれに伴う﹁女性ゆえに課されているさまざまな役割︵妻・嫁・母︶﹂も指すであろうと筆者は捉え

た︒夜に行われることの多い修行会︑御山での長期籠山︑月に何度もある各種勤行・祭礼行事への出仕︱家庭や子どもを持つ女性にはなかなか両立しがたい︒筆者はいままで何人もの女性行者に会ってきたが︑修行生活を全うす

るため生涯独身を貫いたという女性が多くいた︒また︑修行生活と家庭生活の両立にゆきづまり離婚を選択した人︑

家庭があるためにそもそも修行者の道は選べず︑生涯信徒として生きることを決めたという女性は数知れない 1︒   翻って男性行者の場合はどうであろうか︒修行のために生涯独身を貫いたという行者にはめったに出会ったこと

がない︒また︑行者になったことで休日や昼夜問わず修行に明け暮れ︑家族を顧みなかったという嘆きは﹁家族の

側﹂からはしばしば聞くが 2︑行者本人から︑家庭と修行との両立に﹁苦悩した﹂という話はほとんど聞いたことが

ない︒これを一般社会に当てはめてみれば︑家事や育児︑あるいは介護などで仕事との両立に苦しむ︵あるいはその末に仕事をあきらめる︶女性は多いが︑男性の場合はその限りではないということにも通底する︒日本の社会に

おいて︑女性が行者の道を選ぶということは︑直ちに家庭生活︑そしてそれに伴う女性に課されてきた性役割との

両立の問題を生み︑大きな障壁として立ちはだかる︒

  ﹁艱難辛苦﹂を生むさらなる要因としては︑男性中心の行者社会の中で︑同じ行者であっても女性というだけで

差別的な扱いを受けたり︑劣位に置かれたりした女性行者の生きづらさなどもあるだろう︒T霊神は二代目教会長

を長く続けた人ではあったが︑当初は︑﹁教会長は男性であるべき﹂との意見が教会内で大勢であり︑男性である

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というだけで︑修行が未熟だった男性の弟弟子に継承されることになっていた︒それにT霊神自らが強く反発し︑

教会長の座を勝ち取ったという︒

  しかし︑T霊神は先代教会長の一番弟子である︒T霊神が男性ならば﹁勝ち取る﹂必要もなく︑そのままスムー

ズに教会長になっていたはずである︒また︑そのときもし︑T霊神が結婚して︑家庭があったら︱おそらく周囲の

判断で継承の対象から外れ︵外され︶ていたのではないだろうか︒実際に︑T霊神の御座を前 まえ︵中座に降臨した神霊を統御する役︶として支えた︑既婚の女性行者であったK霊神は︑生前失せ物探しや病

治しで並外れた法力を発揮し︑崇める信者も非常に多かったが︑﹁女性である﹂という理由で︑信者からの支持や

行者としての能力はK霊神にはるかにおよばない夫が教会長となった︒すなわち︑表に立つ﹁公 パブリック的﹂な領域は男性 が担うという 3典型的な事例である︒   五障︑血の穢れ︑家庭との両立︑男性中心の行者社会など︑﹁女性﹂が修行生活を選択する場合︑男性にはない

厳しさや苦労がつきまとうことをT霊神の託宣は示している︒しかし明治から昭和にかけて生きた女性行者が経験

した艱難辛苦を︑現代の女性行者がなおも引き受けなくてはならないことを伝える託宣には嘆息がもれる︒

  本稿では︑民俗宗教の分野で研究が進められてきた山岳信仰の世界およびそこで活動する行者について︑とりわ

け女性の行者が置かれてきた歴史的状況と現況についてジェンダーの視点を通して考察する︒山岳信仰の世界は家

父長制的な制度や慣習︑男性中心主義がいまなお根強く残る︒そうした山岳信仰の世界を︑性別にかかわる差異や非対称性︑性をめぐる関係性の中で生じる権力作用を明らかにするジェンダーの視点を通して見ることで︑そこに

いかなる﹁偏り﹂があり︑何が問題となっているか検証する︒また︑山岳信仰やそこで活動する行者の研究を︑中

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心的に扱ってきた民俗学的研究およびその研究手法に依拠した民俗宗教研究が︑今日まで女性あるいは宗教にかかわる女性たちをどのように定義し︑描出してきたか︑研究者の研究姿勢にかかわる問題についても批判的に検討し

たい︒そして︑最後に筆者自身の立場を顧みつつ︑研究者や宗教者の意識改革の必要性︑そして︑宗教教団が真に

ジェンダー平等を実現するためにはどうしたらよいか考えてみたい︒

二  ﹁女性行者﹂をめぐるセクシュアリティの問題   ﹁女性行者﹂というだけで︑常人とは違う特別な能力や経験を持っている女性という見方はいまだに根強い︒民

俗研究の領域においては︑柳田国男が説いた宗教儀礼にかかわる﹁女の霊力﹂﹁女性の霊的優位性﹂が長く自明のものとされてきた︒またそうした能力が︑女性の出産機能に基づく生理現象と関連付けられ︑女性に本質的なもの

であるという見方が広く浸透することにもなった︒そして︑民俗学的な研究手法をとる宗教学研究においても同様

の見解が引き継がれたのである︒

  柳田国男は女性祭祀者について︑姉妹が霊的に兄弟を守護するという琉球における﹁オナリ信仰﹂と宗教祭祀に

おける女性の優位性に着目し︑それらが日本の古代信仰にも通じるとした︒そしてそこでは﹁生み育てる﹂女性の

﹁特殊生理﹂が﹁神を見︑神の声を聴くに適して居た﹂からであると説いた 4︒以後︑こうした女性の出産にかかわる生理現象と女性の霊力や神がかりとを結びつける研究が︑多くの研究者に影響を与え︑継承されていくことにな

る︒

  柳田に師事した折口信夫も︑巫女は神の妻であり︑﹁月経を以て︑神の召されたしるし﹂と見なしたと︑女性祭

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祀者と女性の生理現象を結び付けた 5︒折口と同時代を生きた中山太郎は︑﹁近づくべからず︑触るるべからず︑と 禁 忌﹂視されてきた女性の月経を用いる呪術は﹁大いに巫女に利用され﹂たと説き 6︑さらに﹁感受性に富み︑神 ヒステリカル経的な性情を多分に有している女性が︑男性に比して霊媒者たる可能性を有っていることは言うまでもない﹂と述べて

いる 7︒そして当時は︑女性のヒステリーが月経と結び付けられ︑月経そのものが病の元として見なされる言説が社 会に多く見られた 8︒   戦後以降の民俗研究でも女性の性質を本質主義的に語る傾向は続いてゆく︒宮田登は柳田国男の﹁妹の力﹂の一

方にある﹁ケガレ﹂という性差別の問題にも言及し︑﹁妹の力﹂を再考しようと試みていたが︑女性の月経は﹁﹃産

む性﹄を支えるものであって︑⁝高い文化的価値を示すもの﹂であり︑﹁子を産み︑育てるという母と子には⁝異

常な力がそこに付着している﹂と述べている 9︒近年では︑西海賢二が﹁古来女とは︱女人のあり方﹂と題して︑﹁日本人本来の基層文化︑いいかえるならば固有信仰のうちにも︑女性のもつ生理的特質によってこれを不浄視︵赤不

浄・白不浄︶したのではという見方が一般的であるが︑ここで忘れてはならない女性のもつほかの特質を認めてお

く必要がある﹂として︑神 女やイタコを挙げながら︑子を産む女性の性質と﹁神と一体化する巫女﹂とを関連付けて論じている A︒

  こうした女性の生殖能力と霊的能力を結びつける見方がなされる一方で︑﹁女性行者﹂が結婚していたり︑子ど

もがいたりすると︑驚かれたり珍しがられたりする︒これが男性行者だった場合︑その人が結婚し家族がいることに同じくらい驚きがあるだろうか︒これは︑男性僧侶のほとんどが既婚者で家庭を持っているのにもかかわらず︑

女性僧侶は独身を貫く︵貫かざるを得ない状況に置かれる︶人が多い︑日本の既成仏教教団の状況とよく似てい

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る︒そして︑生涯独身を貫くことで担保される処女性や清浄なイメージ︑結婚生活を封印した貞潔の姿はロマン化され︑称揚される︒逆にそれを貫かなければ非難の対象となることもある︒曹洞宗の女性僧侶で︑尼寺で育った飯

島惠道は﹁尼僧は結婚しない﹂﹁尼僧は結婚してはいけない﹂﹁結婚する尼僧はけがらわしい﹂﹁尼僧は結婚するな

ら還俗すべき﹂﹁結婚したら尼僧をしていてはいけない﹂という文言をいつの間にか叩き込まれ︑自分でも結婚しないことは﹁尼僧としては当然のことだと思っていた﹂という B︒

  同様に︑御嶽講の女性行者も前出のT霊神のように︑自分の身に神霊を降ろす中座︵神代︶となる女性行者には

未婚の人が多く︑その場合は︑神の降臨を受ける身であるため︑独身を貫き貞操を守るべきであるという考え方が

みられる︒他方︑男性で中座を務める行者について︑性生活を伴う結婚生活が否定的に扱われるようなことはな

く︑問題視されることもない︒

  中部地域の御嶽講では︑平成一〇年代ごろまで︑弘法大師を祀る弘法講で独座︵単独での神がかり︶による弘法 降ろし︵弘法大師空海の神霊を身に降ろす︶をしていた女性行者が︑憑 よりまし坐としての能力を買われ︑御嶽講の御座にも出仕することがしばしばあった C︒明治後半から大正初期くらいまでの生まれの女性たちが多く︑そのほとんどが

未婚で︑中には真言宗の尼僧として庵寺︵アンデラ︶に住む人もいた︒名古屋市中川区の自宅を庵として弘法講や

御嶽講で活動していた︑大正時代初めの生まれで二〇〇六年に亡くなったDさんも生涯未婚を貫いた女性行者であった︒Dさんは独座で弘法大師の神霊を降ろし︑信者の相談に託宣を通して回答していた︒

  イギリスのフェミニスト宗教学者であるウルスラ・キングは︑女性にとってすでに確立された社会的役割︵妻や

母など︶を捨てた女性が宗教者として採用され︑宗教的な祭祀者が同時に妻でも母でもある例は珍しいと主張して

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いる D︒しかし周知のように︑一方で男性の祭祀者︵宗教者︶が同時に夫でも父でもある例はいくらでもある︒   以上のように修行のために生涯未婚を貫く女性行者がいる一方で︑世間体を考え︑やむを得ず男性と籍を入れた女性行者もいる︒愛知県の西北部で中座を務めていた女性行者のKさんは︑修

行の道を全うするため長く未婚を貫いていたが︑中年になり年若い男性の弟子をとった時に﹁未婚女性の家に若い

男性の出入りがあるのは世間体が悪い﹂と周囲から言われ︑形式の上だけでもその男性と籍を入れるという形をとった︒

三  ﹁家父長制社会﹂の中の女性行者   筆者はかつて拙論において︑家族に恵まれない︑家庭での不幸や不遇が﹁女性行者﹂に付帯する特徴のように本質化し︑時にそうした過酷な境遇が苛烈な修行に向かわせるかのようにロマン化されて語られる問題点を指摘し

た E︒というのも︑そうした不幸や不遇とみなされる境遇の多くが︑﹁行者﹂という宗教にかかわる属性に起因した

ものではなく︑男性中心主義や家父長制社会の中で︑﹁女性﹂という性別であるがゆえに︑引き受けざるを得なかった事例が多いよう見受けられたからである︒

  ﹁女性の霊力﹂を鼓吹した柳田が強い関心を寄せ︑﹃妹の力﹄の着想にも大きな影響を与えたとされる沖縄の民俗 学者・伊波普猷は︑自身の母親も高い霊能力をもち︑神事にも通じていた︒一方の伊波も柳田を敬愛していたが︑憲法学者の若尾典子は︑伊波と柳田の女性論は﹁鋭く対立して﹂いたとする F︒柳田は女性に対し﹁前代社会の家刀

自﹂の在り方を理想とし︑﹁女は家に居る者と昔はきまつて居﹂て︑﹁家を大きくし且貴くする力が女に在る﹂

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︑すなわち家長に服しつつ﹁世帯のきりもりを一身に引き受け﹂﹁﹃家﹄と密接なつながりをもった女性︑しかも家事・育児に携わる女性が核になっている﹂という G︒一方で伊波は︑柳田がいうところ

の﹁家刀自の理想﹂であり︑高い霊的能力を有していた自身の母に対して︑それを理想化したり︑沖縄の女性にお

しつけたりすることもなく︑逆にその母が︑夫の女遊びにより﹁妻としての人格を無視されるつらさが身をさいなみ︑その苦しみゆえ﹂に神がかりすること︑﹁女性の宗教行動の根底に︑性=人格に加えられる現実的苦痛がある

こと﹂をみつめ︑実践的に﹁沖縄の女性が現実にかかえている問題と真正面から取り組むことになった﹂とする H︒

すなわち︑柳田は家長である男性の理想として主婦論の枠内で女性の主体性を論じ︑伊波は﹁女性に対し自分自身

を含めてどう関わるのか﹂という問題意識︑﹁女性の人権を射程に入れた﹂視点があったという I︒   この伊波の母親の話は︑山岳信仰における女性行者の問題を考える際にも示唆的である︒   ﹁女性行者﹂の中には既婚者であったが︑支配的にふるまう夫からの抑圧や暴力︑夫の借金や女性問題などいわ

ゆる﹁家﹂に起因する問題に苦しみ︑その苦しみから逃れるために行者となり修行に没頭した女性も少なくない︒すなわち修行の契機は宗教的な素質から来るばかりではなく︑家長支配の﹁家﹂によって引き起こされる諸問題に

起因するものも多いのである︒

  先日調査においてこんなことがあった︒明治時代の終わりに名古屋市西区に生まれ︑弘法講と御嶽講の行者を兼ね︑長く教会を率いていた女性行者の足跡を︑いまは子孫が住むお宅で調査していたときのことである︒いまも残

る立派な神殿︑数々の登拝の記録に感銘を受けた筆者が﹁ここまでおばあさまが信仰・修行に熱心に向かった理由

はなぜでしょう﹂と子孫の方に尋ねた︒すると﹁まあ⁝おじいちゃんの女遊びもかなりあったみたいだから⁝﹂と

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子孫の方同士で顔を合わせながら答えられたことがあった︒予想外の回答に一瞬戸惑ったが︑男性が家族︵母・ 妻・娘︶とともに住む同じ都市空間の中に︑買春が日常行為として組み込まれていた時代 Jを生きた女性の行者についてそうした話を聞くのは初めてではない︒まさに﹁妻としての人格に加えられる現実的苦痛﹂がより熱心な﹁宗

教行動﹂につながった可能性も否定できないのではないだろうか︒そしてこうした苦痛は︑おそらく行者の女性に

限らず︑当時の多くの女性たちが抱えていた問題でもあったはずである︒

  買春・売春︵遊興のための性︶の大衆化は︑他方で︑﹁良妻賢母﹂を規範として求める生殖としての性や近代に おける家族や﹁家﹂のあり方の問題と深くつながっているとされる K︒近代日本における壮年男性の多くは﹁自分の 妻や娘には良妻賢母を求めつつ︑同じ時間的空間の中で︑あたりまえのように買春をするという二重基準 L﹂を有し ていたのである︒伊波も遊郭は﹁家族制度﹂︵戸主制度︶に付き物であると述べているが M︑近代の家においては家長である男性の下で女性はその生き方︑性のあり方を規定され︑対等な関係を結ぶことはできなかったのである︒

  文化人類学者の船曳建夫は柳田国男の﹃遠野物語﹄に出てくる山々の奥に住む山人の話を例に︑山 人を﹁人さらいにあった者の悲劇﹂︑﹁﹃異界﹄の者と結婚と結婚をして帰れなくなった﹃異類婚﹄の変形﹂としてのみ解釈してよいのか︑そこに﹁山の深さ﹂だけを感じ取ればよいのかと疑問を投げかける N︒これは山の物語が語

られる﹁平地の生活﹂を入れた視界の中で読み直せば︑﹁家の中で︑権利の弱い︑重い労働を課されてきた﹂女性

たちの︑実家からも婚家からも﹁逃れられない﹂状況にあった一九世紀末ごろの﹁実際﹂であり︑そこから何らかの理由で家を逃れ︑山に入った女性たちの﹁実話﹂ではないかとみる︒特に﹃遠野物語﹄の八番目に収められてい

る﹁寒戸の婆﹂の話︑すなわち﹁若き娘梨の樹の下に草履を脱ぎ置きたるまま行方を知らずなり﹂などは︑﹁文字

(11)

どおり覚悟の家出であって﹂︑それはそのまま女たちの置かれたつらい生活からの﹁出奔の記録﹂であり︑明治以降の﹁近代﹂の性格を帯びた事件であるとする O︒つまり︑﹃遠野物語﹄は︑雪女や川童︑天狗などが登場する岩手

県遠野地方に伝わる奇異で不思議な昔話というだけでなく︑遠野の︑山々に囲まれた﹁平地﹂における当時の社会

状況の一端を示しているとも考えられるのである︒船曳のこの指摘は︑ロマン化された﹁物語﹂の背景にある﹁実際の話﹂に目を向けることの重要性を教えてくれる︒

  以上のように︑家族や家庭に関する不遇は﹁女性行者﹂という︑特定の︑限られた女性に起こる事態ではなく︑

行者ではない女性たちも抱えた︑男性主体の﹁家﹂をめぐる問題が背景にあることにも着目すべきである︒そし

て︑その男性支配が﹁家﹂のみならず︑地域共同体や宗教など社会のあらゆる組織に及び︑なおかつその影響が現

代にも根強く存在していることが問題なのである︒

  二〇〇六年七月︑筆者が調査のために参加したある修験道教団の修行で出会った二〇代の女性行者は︑行者だっ

た祖父の影響によりその教団の内部で籠山修行をし始め︑筆者が出会った当時は籠山四年目であった︒実家の父親は暴力によって家族を支配し︑その横暴は︑彼女はもちろん︑彼女の兄弟にも及んだという︒出家し籠山するため

会社員をやめ︑父親からも解放されたのはよかったが︑籠山修行中の彼女はひどく疲弊していた︒聞けば︑﹁神仏

と向き合えるのはうれしい︒でも修行なのか︵教団に︶こき使われているのかわからない時がある︒つらい︑立てないくらい忙しいんです﹂︑﹁︵神仏のもとに来ているのに︶つらくて妄想でもしていないと乗り切れない﹂とこぼ

した︒教団内はほぼ男性の僧侶と行者で占められ︑幹部はすべて男性であった︒筆者も参加した修行の満行後の宴

会で︑彼女は教団幹部の男性僧侶に必死にお酒を注いでまわっていた︒そして筆者に対しても︑﹁︵幹部に︶お酒は

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注いでおいた方がいいですよ﹂と耳打ちした︒というのも︑彼女によれば幹部の男性僧侶は﹁お酒を注ぎに来なか

った人は覚えていて﹂︑注いでいない人は冷遇されるということだった︒出家してもなお男性の酌をすることから逃れられない︱この修験道教団の女性行者の置かれた状況は︑家長支配の︿家﹀のありようと寸分も変わらないで

はないかと感じた︒実はこの宴会の折︑筆者はこの教団の男性幹部から﹁どうしたら女性の修行者がもっと来てく

れるだろうか﹂と尋ねられた︒﹁男性幹部に酌をすることを暗黙の了解とするような教団に喜んでくる女性などいない﹂と口にこそしなかったが︑家父長制的なあり方から脱していない修験道教団の現況を垣間見た気がした︒

  その後も﹁神仏と向き合える﹂喜びを語る一方︑異様に疲れていた彼女のことが気がかりであったが︑ある時そ

の教団に所属する年配の女性行者から︑その後彼女が自ら命を絶ったという話を聞いた︒やるせない気持ちになっ

た︒

  その修行の折には︑彼女のように籠山修行はしていないが︑在家として日常生活を送りつつ修行や法要など特別

な行事の時だけ参列する︑教団所属の女性行者たちの姿もあった︒そのなかには夫からのDVに苦しむ︑あるいは

その末に離婚したという女性も複数いた︒女性行者の抱える家庭や家族に関する不遇は︑霊的あるいは宗教的に目覚めた特別な女性であるがゆえの︑特殊なものではなく︑ほかの多くの女性たちが日常生活の中で経験しているこ

とと地続きの問題でもあるのである︒

四  民俗研究における固着化した女性のイメージとジェンダー視点の必要性   ここまで述べてきたように︑女性行者を宗教者として生きることを選んだ﹁異質な他者﹂︑一般女性とは異なる

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特殊な女性と見ることは妥当ではない︒さらに︑筆者自身を含め︑彼女たちを研究の対象とし︑その語りを引き出し︑記述してきた研究者が︑女性行者に対する固着化したイメージを無意識のうちに作り上げてきた可能性も否定 できない P︒こうした適切さを欠いた研究に陥らないためにも︑﹁調査者︱被調査者﹂﹁研究者︱研究対象﹂の間に横 たわる権力関係を自覚させ︑自省を促してくれるジェンダーの視点は不可欠である Q︒また︑﹁自分がどのような立場から︑誰に向けて︑何のために語っているのかとの問いに内省的になる︑自己再帰的なまなざし R﹂も研究者には

求められる︒

  民俗調査において筆者が日々感じることは︑名刺一枚差し出すことの権力性である︒名刺に記す肩書が大学院生

だったころと大学の准教授である現在とで︑名刺を差し出したときの相手の態度が明らかに変わるという経験を幾度となくしている︒また神事や祭礼行事など日本の民俗宗教の現場は︑現地の男性が担い手の中心︵あるいはすべ

て男性︶になっているところが非常に多い︒調査を首尾よく進めるためにはそうした︿男性たち﹀に認知され︑受

け入れられなければならないが︑初回の調査では﹁研究者が来ると聞いていたけど女か﹂と冷たく言われることも少なくない︒ある地方自治体で自治体史の民俗編の編纂にかかわっていた女性も︑調査時に﹁氏子総代や檀家総代

のおじさんたちに﹃女が来たか﹄と言われるのがつらい﹂と話していた︒こうした経験は︑大学でしかるべきポス

トを有した男性研究者にはあまりないことと思われる︒しかし一方で︑筆者が女性ということで冷遇された後に自分の名刺を差し出し自己紹介すると︑﹁大学の先生か!﹂と急に相手の態度が豹変することもある︒そのたびに︑

自分は大学教員という﹁権力﹂をもち︑ある部分ではその力が調査を可能にしているのだということを批判的に自

覚するのである︒

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  またもうひとつ︑民俗調査における﹁女性の視点﹂の功罪の問題である︒日本民俗学では︑ほかの学問分野と比

べ︑早くから女性の生き方に着目した︒それは女性たちが政治や行政などの中心から周縁化された生活の場に密着していたため︑人びとの生活文化の歴史や伝承を明らかにする民俗学研究の重要な対象者となったからである︒柳

田国男は女性が民俗を研究すること︑すなわち﹁女性の視点﹂の重要性を主張し︑女性研究者を育てることに寄与

した︒そうしたきっかけをつくった瀬川清子と柳田の出会いは︑﹁女性民俗研究会﹂を成立させ︑現在まで続く学術雑誌﹃女性と経験﹄の発刊につながっている︒

  瀬川は︑明治維新の賊軍︑南部藩の没落士族の家に生まれ︑男の働き手がいない家で女がどのように賃稼ぎをし

なければならないか身をもって体験していた︒その生い立ちにも起因し︑農山漁村で﹁働く女性﹂への高い関心が

あったとされる S︒しかし︑瀬川の農山漁村の女性の描き方は︑都会の給与生活者の妻と比較しながら︑﹁健気︑賢明﹂といった表現を用い︑働く女性に心情を寄せるようなものとなっている T︒つまり給与生活者の妻より農山漁村

の女性︵の生き方︶が﹁勝る﹂者であるような印象を読み手に持たせる記述をしている︒日本民俗学におけるフェ

ミニズム視点とジェンダー概念導入の必要性を訴え続けている靏理恵子は︑﹁日本民俗学は早くから女性をその研究対象に取り上げてきたリベラルな学問だと評価されてきたが﹂一方では︑民俗学でこれまで描き出されてきた農

山漁村の女性像に﹁ある偏り︵たくましく働き者の女性︶﹂があると指摘する U︒にもかかわらず︑ムラの寄り合い

や宮座等に女性がいないことを︑話者も研究者も自明視し︑﹁女性の不在﹂の状態に疑問を持たずに来たこと︑また女性ばかりで成り立つ念仏講や子安講において︑男性はどうしているかという問いが立てられることもなかった

とする V︒つまり︑女性に関する研究について︑女性研究者が﹁女性の視点﹂でもって調査・研究をおこなったとし

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ても︑民俗のなかに見出される固着化した女性のイメージはなかなか解消されず︑それが結果的に︑実際の生活の場に存在する︑性別をめぐる周縁化や不均衡の問題を不可視化してきた面がある︒

  一九九九年に︑民俗学を専門とする女性研究者が中心となって出版された﹃女の眼で見る民俗学﹄ は︑﹁たんに女性民俗というステレオタイプ化した領域にこだわらずに︑ジェンダーの視点から再検討する﹂ことを目指したとされる W︒しかし︑本書は成女儀礼や月経についてま

とめた﹁女になる﹂と題された章から始まり︑婚姻︑出産︑育児︑女の財産︑主婦︑死に関する七つの章が立てら

れ︑章立てそのものは従前の女性を対象とした民俗学と変わらない内容となっている︒中には男女の非対称性への

言及などジェンダー視点がみられる論考もあるが︑本書末尾に付された宮田登による︻解説︼では︑﹁女性たちの

経験文化にはそれぞれの文化的意義があり︑それは民俗学によってある程度解き明かされてきている︒しかしその

成果は︑多くの女性︑とりわけ若い母親たちにはほとんど知られていない︒そこで︑啓蒙的な意味をこめて︑女性

の眼から捉えられている民俗の仕組みを︑女性民俗学者の手でまとめたらどうだろうか﹂という本書成立の経緯が述べられている X︒すなわち︑女性を研究対象にした際の﹁女性の視点﹂の有用性を疑わない態度︑また女性を結

婚︑出産︑育児といった固定化したテーマに押し込め︑その研究成果を﹁女性︑とりわけ若い母親たち﹂に﹁啓蒙

的な意味をこめて﹂提供するというのである︒そこには﹁研究者︱非研究者﹂間にある権力関係や﹁女性による︑女性の﹂搾取の可能性 Yへの自省は見られない︒

  さらに︑民俗宗教に関する研究での固着化した女性のイメージは︑しばしば熱心に神仏に手を合わせる﹁信心深 い女性﹂という形であらわれる Z︒日本の仏教僧侶を研究する宗教人類学者のマーク・ロウは︑男性僧侶たちが﹁革

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新的で外交的な﹂姿で積極的にあらわされる一方で︑女性僧侶については﹁信仰という狭い部分に焦点をあてる傾 向﹂︑﹁主として信仰に動機づけられた女性ばかり﹂が散見される問題を指摘している a︒   以上の問題からも︑民俗学やその研究手法をとる民俗宗教研究にもジェンダーの視点を投入していくことは必須 であると思われる︒しかし︑いまだにジェンダーの視点がどのような学問分野にも欠かせない分析視角 bであるとい う認識が︑この分野の研究者に共有されていないと感じることも少なくない c︒ジェンダーの視点こそが﹁他者を搾取あるいは支配しない関係性の構築に不可欠 d﹂という認識をより多くの研究者がもつことが望まれる︒

五  おわりに

 

││  研究者および宗教者の意識改革の必要性  ││   以上のように︑本稿では︑山岳信仰の現場における﹁女性行者﹂を中心的な事例に挙げながら︑民俗学研究および民俗宗教研究におけるジェンダー視点の必要性について述べてきた︒筆者も執筆にかかわった︑宗教研究におけ

るジェンダー視点の重要性に言及する﹃宗教とジェンダーのポリティクス││フェミニスト人類学のまなざし﹄

を書評した永岡崇は︑その末文において︑﹁︵本書のような︶仕事にふれたあとで︑何事もなかったかのように男性中心主義的なイメージの再生産を続けるのか︑あるいは本書の呼びかけに応え︑新たな宗教理解へと出

立するのか︒私自身もふくめたすべての宗教研究者が問われている﹂と述べている e︒このようにジェンダーの問題

を﹁自分にもかかわるもの﹂として﹁当たり前に﹂受け止められる研究者が今後増えていくことを望む︒

  筆者の場合は︑木曽御嶽の行者であった祖父をもち︑研究・調査のためにさまざまな霊山で山岳修行に参与して

いるが︑行者ではなく︑当事者ではない︒その当事者ではない筆者がこうして﹁女性行者﹂について調査し︑﹁書

(17)

く﹂という行為をすることには︑常に当事者になりかわって何かを代弁する︑あるいは対象を本質化・固着化したイメージで描出するという過ちを犯す可能性をはらんでいる︒その点には十分自覚的・自省的になりながらも︑山

岳信仰の現場の一端を知る者として︑山岳信仰の世界に根強くある家父長制的で男性中心主義的な制度や慣習を廃

し︑関係する誰もが平等な地平に立って︑山岳信仰のもたらす恵みを享受できるよう︑研究を通して発信を続けていきたいと考えている︒

  そうした︿偏りのない﹀山岳信仰の世界を目指すためには︑まず修験道・山岳信仰教団自らが︑ジェンダーの視

点の重要性を認識し︑現行の教団の制度やしくみ︑慣習の再検討を行う必要がある︒そしてそれには教団幹部︵ほ

とんどが男性︶の意識改革が欠かせない︒多くの修験道・山岳信仰教団︑また背後にある仏教あるいは神道の組織には︑多くの女性行者︵教師︶が所属している f︒にもかかわらず︑教団方針や運営を決める意思決定機関はほぼ男

性で占められている︒まずそのアンバランスに目を向け︑それを自明視しないことである︒ジェンダーの視点は︑

そうした男性中心主義の均質化された集団に埋没している男性宗教者にとっても︑自己内省的な視点を得る手掛かりとなる可能性がある g︒まずは教団の方針や運営に直接かかわることのできる女性役員の割合を増やすことが肝要

である︒

  また︑日本では台湾や中国などほかのアジア諸国と比べても︑自らの教団に所属する女性宗教者を︑教団自身 0000

が︑男性宗教者と比べて下位に位置付けることがしばしばあると指摘されている h︒﹁身内﹂︵の女性︶を劣位におく

という傾向は︑宗教教団に限らず日本の社会全般にみられることでもある︒まずは自らの教団に所属する女性の宗

教者︵行者・僧侶︶を︑同じ教団を支えていく対等なパートナーとして認識することはもちろん︑教団内で抑圧

(18)

的・差別的な扱いを受ける人が生まれない環境を整えていくことは︑宗教者として生きる者としても必要な責務で

はないだろうか︒川橋範子は︑近年宗教教団による﹁宗教の公益性︵宗教者の社会貢献︶﹂の言説が流行しているが︑教団は﹁弱者に寄り添う﹂﹁絆をはぐくむ﹂といった宗教の公共性を声高に論じる一方で︑身近にあるジェン

ダー問題には無自覚といった欺瞞があると指摘する i︒﹁どうしたら女性の修行者がもっと来てくれるだろうか﹂と

教団外の人間に尋ねるより前に︑自らの教団の現状を真摯に把握するまなざしが求められる︒

  ﹁おなごの修行はおのこの七倍﹂︱この託宣が下った当時︑御座の場にいた教師・信徒はそれを当たり前のよう

に受け止め︑聞いていた︒しかし︑なぜそうした託宣が下るのか︑なぜ﹁おなごとおのこ﹂には差異があるのか︒

行者の高齢化や減少が続くなか︑新たに修行者の道に踏み出した女性の門出に際し︑同じ教団に属する誰もがその

託宣について︑一度立ち止まって考えてみる︑そうした意識が教団内部から生まれることを願ってやまない︒

  1﹂︵︶︑ ︒﹁︑﹁ ︑﹁ 姿   2西

(19)

eds. by Michelle Zimbalist Rosaldo and Louise Lamphere (Stanford, Calif., Stanford University Press, 1974), p. 23.   Michelle Zimbalist Rosaldo, Women, Culture and Society: A Theoretical Overview, in , 3

  4﹄︵︶︑

︑﹁﹂︵︶︑   5﹂︵﹃︶︑

  6

  7

﹄︵︶︑︶︑ segregated sex education debate in Japan: based on the discourses of menstruation and sexual desire in the 1900s﹂︵﹃   The emergence of the gender-8   9

11

10  西

︶︑ 11  ﹂︵

︶︑ 12  ﹁︿﹂︵﹃﹁

13  Ursula King ed.,  (Oxford, Blackwell, 1995), p. 16.

︶︑ 14  ﹂︵

15  ﹂︵︶︑

16  ﹂︵︶︑

17   18  

参照

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