* 2013年%月30日受理,山笠,舁き棒,木構造,博多,北部九州
** 倉敷市立短期大学
***九州大学
博多 ! 園山笠舁き棒の取り付け方および 構造的変遷について
――北部九州一円にみる山車との比較考察――*
松 内 紀 之
**石 村 眞 一
***" 序 章
"―" はじめに
"―# 研究方法
"―$ 研究対象
# 起源から明治期までの博多!園山笠
#―" 萌芽期の博多!園山笠を探る
#―# 江戸時代後期から明治期の博多!園山笠
$ 北部九州における山車分布と分類
$―" 山車の分布
$―# 山笠構造比較項目の整理
$―$ 北部九州山笠の系統分類
% 北部九州山笠系統分類根拠と(棒の取り付けに係る)各系統別構造的特徴
%―" 北部九州山笠(系統の分類とその根拠
%―# 北部九州山笠(系統の比較
%―$ 棒の取り付けに係る各系統別構造的特徴
& 北部九州山笠の比較考察と博多!園山笠の変遷
&―" 舁き棒本数と長さの変化
&―# 舁き棒位置(横架材との上下位置関係)変化の事例
&―$ 舁き棒位置変化の理由
' 結 語
67
#
序 章"―" はじめに
山笠(やまかさ)とは,山車状の祭礼具である。地方によって 担ぎ山 山鉾 鉾 屋台 などと呼ばれるが,山笠は主に北部九州で用いられる。山笠の基礎構造部分は装飾部分を支え る木構造で,土台あるいは山台と言われる。北部九州一円の山笠は山台部分を含め,今でも地 域によっては,祭礼の時期となれば組み立てられ,時期が過ぎれば分解されて収納保管される。
制作スタッフに大工専門職が加わる場合もあるが,地域住民の手による分解・組み立て方式の 構築物である。
山台および舁き棒・曳き棒の取り付け方を含めて山笠は,幾多の変遷を遂げてきた。祭礼の 見せ場を演出する装置である山笠は時世を反映した装飾を冠しているが,支える山台はいかな る背景をもって変遷してきたのであろうか。山笠研究の中でも,山台の変遷に焦点をあてた研 究は管見の限り見あたらない。北部九州山車の多くを見て比較検討することから,博多!園山 笠山台と舁き棒の取り付け方について,構造的変遷とその背景を辿ってゆくことを本研究の目 的とする。
"―# 研究方法
本研究では画像資料調査,文献資料調査,フィールド調査により得られた情報を収集整理し,
検証・分類する。
"―$ 研究対象
[画像資料]としては,①博多!園山笠の江戸期以降の絵画史料(絵馬や"風絵など)・写真 ② 北部九州各地山車の江戸期以降の絵画史料(絵馬や"風絵など)・写真 ③現代の博多!園山笠 図面(栄進建設・名越工務店提供図面)④現代の北部九州各地山車図面
[フィールド調査]としては,①現代の博多!園山笠実測と撮影画像,それに基づく模式図作成 および聞き取り調査 ②現代の北部九州各地山車実測と撮影画像,それに基づく模式図作成お よび聞き取り調査
[文献資料]としては,各教育委員会および保存会制作の資料などを調査対象とした。
$
起源から明治期までの博多!
園山笠#―" 萌芽期の博多!園山笠を探る
博多山笠巡行図屏風は六曲"風で博多!園山笠を描いた史料としては最も古い絵画史料であ り,江戸時代初期(17世紀)の作とされる。図中に描かれた%基の山笠について分布してゆく。
第二扇に建設中の山笠,第四扇に疾走中の山笠,第五扇と第六扇にまたがって東山という札
技術と文明 18巻$号(132)
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が立てられた山笠が描かれている。まずは,第二扇 建設中山笠(図$・%)をみてゆきたい。ここで注 目したいのは,棒ぐりの窪みの向きである。この窪 みに舁き棒が嵌められるとすれば,棒は横架材の下 に取り付けられていたことになる。図&は現代の博 多!園山笠の山解き作業現場である。江戸時代"風(#)
絵建設中山笠と現代山笠では,窪みの向きが逆であ り,横架材と舁き棒の上下位置関係も逆であったこ とがわかる。また舁き棒本数は,&本であったこと もわかる。窪みが穿たれているのはフレーム内側(柱 の内側)で,舁き棒は&本ともフレーム内側に取り 付けられようとしている点に留意しておきたい。
第四扇下部疾走中の山笠について,棒と横架材の
(#) 博多!園山笠において祭礼終了後に山台を分解すること。
図" 図#の部分 図# 図$の部分 図$ 博多!園山笠山解き作業(栄進建設篠栗 作業所)
図! 作者不明『博多!園山笠巡行図"風』(江戸時代初期/17世紀/福岡市博物館蔵)
図% 図#の部分
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位置関係および棒本数を読み取った(図()。舁き棒本数は%本で,木構造フレームの内側(柱 間)に$本,外側(柱外側)に$本が取り付けられている。フレーム内側の棒本数に関して,
第二扇建設中山笠とは違っている。横架材と舁き棒の上下位置関係は,どのようになっている であろうか。台幕が描かれていて判然としない。しかしながら棒間から見える横架材は棒の下($)
に位置しているように描かれている(図'・()。横架材に舁き棒を載せているとすれば,現代 博多!園山笠と同じ方式をとっていることになる。
次に"風左側,「東山」の札が立てられた第五扇と第六扇にまたがって描かれた山笠を見て ゆく(図))。ここでは棒の本数を考えてゆきたい。舁き棒は人垣やたなびき雲の合間から見 え隠れしているが,図*①は,舁き棒の一部と思われるところを黒く塗りつぶして示したもの である。図*②は表と見送り側で同一の舁き棒であると読み取ったことを示す線を施した。図
*③は見え隠れする棒から類推して見送り側(後ろ側)にある%本の舁き棒を補足的に加筆し たものである。そのさらに外側(画面上左側すなわち進行方向では右側)にも棒が存在する。棒の 姿はわずかしか見えないが,図*④に示すように舁き手がこの棒の存在を示している。これで
&本の舁き棒を確認することができた。しかし,表に見えている舁き棒(進行方向左側の舁き棒)
をフレーム左外側(進行方向右側にわずかに見える)舁き棒と見比べると位置が左右対称ではな い。杉壁コーナーを基準にすると分かりやすい。進行方向左側の舁き棒はかなり内側に入って いる。表に見える舁き棒の外側に舁き棒がもう#本存在するのではないだろうか(図*⑤)。こ の#本は未確定であるとしても,この山笠絵図に&本の舁き棒を確認することができた。未確 定の棒#本を含めれば,合計'本の舁き棒を数えることができた。初期山笠にも舁き棒&〜' 本方式が存在した可能性を示す絵図である。
($) 山笠台の周囲に取り付ける幕のこと。
図" 図'のトレース 図! 図#部分
技術と文明 18巻$号(134)
70
① ②
③ ④
⑤
"―" 江戸時代後期から明治期の博多!園山笠
図10は1821(文政%)年に描かれた『筑前名所図絵』「櫛田入り」である。「櫛田入り」は,
追い山笠行事の一部で,櫛田神社境内の短い距離を舁いて回る場面である。現在も博多!園山($)
笠行事で最大の見せ場となっている。各流(
(%)
ながれ)のタイムが測定され,スピードを競う場 となっている。ここに描かれた山笠には'本の舁き棒が取り付けられている(図11)。
1830(文政13)年に描かれた図12の絵馬(福岡市早良区横山神社蔵)も櫛田入の様子を描いて いる。ここにも'本の舁き棒を確認することができた(図14)。しかしながら,木構造フレー ム横架材と舁き棒の上下位置関係までは描かれていない。台幕によって隠されている。
江戸末期以降掛け軸や絵馬などに博多山笠の姿をいくつか探すことができたが,棒を支持す(&)
る横架材との位置(上下)関係まで読み取れるのは「山笠図絵馬 追い山図 」,1854(嘉永()
年(図15)と「絵馬(通称浴衣山)」,1875(明治))年(図13)の二つだけであった。「山笠図絵 馬 追い山図 」には'基の山笠が描かれていて,'基とも明瞭に読み取れることはなかった
($) 博多!園山笠において,定められたコース(約&km)で山笠の巡行時間を競う行事。現代の博 多!園山笠では祭礼のクライマックスとなっている。博多以外の地域でも同様の行事が行われること もある。
(%) 流(ながれ)は博多!園山笠における各地域の山笠運営組織で,チームのようなものである。博 多!園山笠には現在七つの流がある。
(&) ①掛け軸,1834(天保&)年 ②山笠下絵,1845(弘化#)年 ③山笠図絵馬「追い山図」,1854
(嘉永()年 ④山笠版画,1861(文久元)年 ⑤山笠図,1869(明治#)年 ⑥最古の山笠写真,1871
(明治%)年 ⑦絵馬(浴衣山),1875(明治))年
図# 図"の部分 図$①〜⑤ 図)のトレース
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図10 筑前名所図会 櫛田入り(1821/部分) 図11 図10の部分トレース
図12『櫛田入り』絵馬(福岡市早良区横山神社蔵) 図13 絵馬(通称浴衣山)(1875年/福 岡市博多区櫛田神社蔵)
技術と文明 18巻!号(136)
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が,比較的明瞭に読み取れる山笠を線画で写し取った(図16)。同様に「絵馬(通称浴衣山)」
もトレースした(図17)。いずれの絵馬の山笠も舁き棒は%本描かれ,横架材の上に舁き棒を 載せていた。
以上第"章を要するに,江戸時代初期,棒本数および取りつけ方など山台の構造方式におい て,複数の方式が併存していたことがわかる。
①舁き棒本数は$本〜%本が併存。②舁き棒と横架材の上下関係は「棒が下,横架材は上」の 場合とその逆が混在していた。江戸時代後期から明治時代初期の絵画史料を見ると,①棒本数 は%本 ②棒と横架材の上下関係は「棒が上,横架材は下」が定着し,現代の博多!園山笠(図 18)と同じ方式となっていた。次章以降も舁き棒本数と舁き棒と横架材の上下関係を主要な論
点として,博多!園山笠山台が変遷した理由を探ってゆく。
#
北部九州における山車分布と分類"―! 山車の分布
今回訪問し調査を行った40か所の山車分布図を次に示す。併せて「舁き山か曳き山か」およ び,「棒本数」データをプロットした。北部九州には,ここに挙げた山笠以外にも多くの山笠 が存続している。今調査では,国・県・市指定重要無形文化財に指定されているものや ハカ タウツシ と呼ばれ,嘗てから文化習俗面で博多との関係が深いとされる地域の山笠を優先的(%)
図15 山笠図絵馬『追い山図』(1854年/
櫛田神社山笠会館蔵)
図16 山笠図絵馬『追い山図』(図15部 分),トレース
図18 現在の博多!園山笠構造部分 図17 絵馬(通称浴衣山)(図13部分),トレース
図14『櫛田入り』絵馬(図 12部分),トレース
73
図19 北部九州における山車分布状況
に調査した。また,今井!園山笠のように曳き山と舁き山がセットで存続している場合は舁き 山を調査対象とし,構造的特徴上元々曳き山であったと考えられる山笠は(&) $章以降調査対象か ら除外した。
"―! 山笠構造比較項目の整理
本研究に重要な位置を占める比較項目を選択し,マトリクスに整理した(表")。
"―" 北部九州山笠の系統分類
北部九州山笠を'つの系統に分類した(図20)。ただし,図20五段目浜崎系山笠は,性格が 異なる。既述のように本研究$章以降では,基本的に,発祥当時から曳き山である山笠は調査 対象としなかった。八幡系の畑の!園山笠はかつて「舁き山」であったことが記憶され,筑豊 系の木屋瀬宿場祭山笠は明治・大正期の奉納絵馬にも「舁き山」で描かれている。よって調査
(%) 博多の習俗と類似した民俗行事は博多周辺部に多く見られる。ハカタウツシとはこの文化交流を 表現する言葉。民間で言い習わされてきた言葉である。
(&) 元来曳き山であったとの判別は,次のような場合とした。①同一地区に曳き山と舁き山の両方が
セットで存続している場合,当該地区の曳き山は元来曳き山であると判別した。②発祥の際に影響を 受けた(形態を移入した)山車が明確であり,その山車が曳き山である場合 ③曳き棒は山車後部に しかなく舵取り棒として用いられ,山車前部には曳き綱が取り付けられている場合。
また,現在曳き山であるが元々舁き山であった可能性を示す事象は,次のような場合とした。①棒 で山車を曳いているが, 舁き棒 との呼称が存続している。②おおむね肩で担ぐ位置(高さ)に舁 き棒が取り付けられている。③舁き山であったことが参加者によって記憶されている。
技術と文明 18巻#号(138)
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表!山笠構造比較
鐘 崎 山 笠 田 熊 山 笠 津 屋 崎 ! 園 山 笠
大 島 ! 園 山 笠
博 多 ! 園 山 笠
篠 栗 ! 園 山 笠
上 須 恵 ! 園 山 笠
飯 塚 ! 園 山 笠
東 黒 山 の ! 園 山 笠
小 友 ! 園 山 笠
甘 木 ! 園 山 笠
小 竹 ! 園 山 笠
大 隈 ! 園 山 笠
木 屋 瀬 ! 園 宿 場 祭 の 山 笠
直 方 ! 園 山 笠
川 渡 り 神 幸 祭 山 笠 畑 の ! 園
前 田 ! 園 山 笠
黒 崎 ! 園 山 笠
戸 畑 ! 園 山 笠
小 石 提 灯 山 笠
脇 田 ! 園 山 笠
竹 並 ! 園 山 笠
苅 田 山 笠 ︵ 集 地 区 ︶ 苅 田 山 笠 ︵ 馬 場 地 区 ︶
今 井 ! 園 元 永 山 笠
生 立 八 幡 神 社 山 笠
八 屋 ! 園 山 笠
糸 田 ! 園 山 笠
枝 光 ! 園 山 笠
加 布 里 山 笠
加 布 里 山 笠 ︵ 子 供 山 ︶
小 友 ! 園 山 笠 ︵ 子 供 山 ︶
浜 崎 ! 園 山 笠
舁き棒本数$%%$%%$$$$$$""""###""""""""""""""" 舁き棒長さ(m)
8 ・ 1 5 ・ 5 7 ・ 1 5 ・ 7 5 ・ 5 5 ・ 5 6 ・ 9 3 ・ 8 5 ・ 4 7 ・ 2 5 ・ 2 4 ・ 9 6 ・ 9 7 ・ 0 5 ・ 8 5 ・ 5 7 ・ 5 7 ・ 5 7 ・ 5
117
・ 9 12 ・ 35 9 ・ 4
1012131
0 ・ 2 8 ・ 6 9 ・ 7 5 ・ 7 4 ・ 6 3 ・ 3 3 ・ 4 3 ・ 4
舁き山か曵き山か舁舁舁曵舁舁舁舁舁舁曵曵曵曵曵曵曵曵曵舁曵舁舁曵曵舁舁舁舁曵曵曵曵曵
棒 と 横 架 材 の 上 下 位 置 関 係 棒は横架材の上●●●●●●●●●●●●●●●●● 棒は横架材の下●● 棒の上下に横架材●●●●●●●●●●●● 柱に横づけ●●●
棒 と 柱 の 水 平 位 置 関 係
棒配置は木構造フレームの内側のみ●●●●●● 棒配置は木構造フレームの外側のみ●●●●●●●●●●●●● 棒配置は木構造フレームの内外両側●●●●●●●●●●●●●●● 毎年の組み立て・分解●●●●●●●●●●●●●●●●● 棒のみの取り外し●●●●●● 山台と装飾部構造の一体性●●●●●●●●●●●●●●●●● 追い山笠の実施●●●● 急旋回・揺撼させる操作●●●●●●
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苅田山笠
(京築系)
生立八幡神社山笠
(京築系)
今井祇園元永山笠
(京築系)
八屋祇園山笠
(京築系)
糸田祇園山笠
(京築系)
枝光祇園山笠
(京築系と八幡系 の中間的系統)
畑の祇園
(八幡系)
前田祇園山笠
(八幡系)
黒崎祇園山笠
(八幡系)
戸畑祇園山笠
(戸畑系)
小石提灯山笠
(戸畑系)
竹並祇園山笠
(若松系)
脇田祇園山笠
(若松系)
木屋瀬祇園宿場祭の山笠
(筑豊系)
直方祇園山笠
(筑豊系)
大隈祇園山笠
(筑豊系)
甘木祇園山笠 小竹祇園山笠
博多祇園山笠
(博多系)
上須恵祇園山笠
(博多系)
飯塚祇園山笠
(博多系)
篠栗祇園山笠
(博多系)
東黒山の祇園山笠
(博多系)
小友祇園山笠
(博多系)
鐘崎山笠
(博多系)
田熊山笠
(津屋崎系)
津屋崎祇園山笠
(津屋崎系)
大島祇園山笠
(津屋崎系)
加布里山笠
(浜崎系)
加布里子供山笠
(浜崎系)
小友祇園子供山笠
(浜崎系)
浜崎祇園山笠
(浜崎系)
(博多系と筑豊系の中間的系統)
図20 北部九州山笠の山台(山笠構造部)CG模式図による系統分類 技術と文明 18巻!号(140)
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表" 山笠の系統分類根拠と各系統に属する山笠
各系統の名称 分類の根拠 各系統に属する山笠
京 築 系 山 笠
舁き棒と他部材の 位置関係
構造フレーム外に両棒配置 今井!園元永山笠 糸田!園山笠 苅田山笠 生立八幡神社山笠 八屋!園山笠 舁き棒の下に横架材
舁き棒本数・長さ "本・8.9m以上
戸 畑 系 山 笠
舁き棒と他部材の 位置関係
構造フレーム内に両棒配置
戸畑!園大山笠 小石提灯山笠 舁き棒の上下に横架材
舁き棒本数・長さ "本・7.9m以上
若 松 系 山 笠
舁き棒と他部材の 位置関係
構造フレーム外に両棒配置
竹並!園山笠 脇田!園山笠 柱の横(舁き棒の上下に横架材なし)
舁き棒本数・長さ "本・9.2m以上
八 幡 系 山 笠 舁き棒本数 #本
畑の!園山笠 前田!園山笠 黒崎!園山笠
筑 豊 系 山 笠
舁き棒と他部材の 位置関係
構造フレーム内側に両棒配置
(柱とは接しない)
木屋瀬宿場祭山笠 直方!園山笠 舁き棒の上下に横架材
舁き棒本数 "本
舁き山か曵き山か 曵き山
博 多 系 山 笠
舁き棒本数 $〜%本 博多!園山笠
上須恵!園山笠 舁き山か曵き山か 舁き山 篠栗山笠
津屋崎系山笠
舁き棒本数 $〜%本 鐘崎山笠
大島!園山笠 津屋崎!園山笠
舁き山か曵き山か 舁き山
分布地域 宗像市,福津市
対象とした。一方,浜崎系山笠は,浜崎!園山笠を中心とする系統で,元来曳き山であった。
しかしながら,小友!園山笠をはじめとする近隣の山笠と形態的関わりがうかがえる。(') #章ま では含めたが,$章以降は対象外とした。
$
北部九州山笠系統分類根拠と(棒の取り付けに係る)各系統別構造的特徴#―! 北部九州山笠$系統の分類とその根拠
北部九州山笠を&つの系統に分類し,その特徴を比較してゆく。分類根拠と各系統に属する 山車を次の表に示す。
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#―! 北部九州山笠$系統の比較
京築系・戸畑系・若松系・筑豊系と博多系・津屋崎系に関して,前者は「舁き棒#本」方式 であり,後者は「舁き棒%本以上」の方式である。八幡系はその中間,「舁き棒$本」方式の 山笠である。地理的にも八幡は博多と京築地域の中間に位置する。
「曳き山」と「舁き山」の違いで見た場合,八幡系と筑豊系が現在は,「曳き山」であり,京 築系と博多系をはじめとするその他の系統が「舁き山」である。
小竹!園山笠と甘木!園山笠は,「舁き棒%本」で「曳き山」である。筑豊系と博多系の中 間的系統であると分類した。
枝光!園山笠は,「舁き棒#本」で京築系に近似するが,舁き棒長は短く,山笠操作も八幡 系に近い。京築系と八幡系の中間的系統であると分類した。
戸畑系と若松系も,京築系と近似する系統であるが,棒の保持方法として,それぞれ独自の 方法が採られている。
#―" 棒の取り付けに係る各系統別構造的特徴
本節では各系統別に北部九州山笠の構造的特質を述べてゆくが,紙面的制約もあることから,
棒の取り付け方法を中心に述べてゆく。
(") 京築系山笠
舁き山で舁き棒#本を構造フレーム両外に配置し,横架材の上に棒を載せる方式の山笠であ る。生立八幡神社山笠(みやこ町)はその代表例である。装飾頂上は10mにも達する。重量感 ある山笠を#本の棒で担ぎあげるために,棒直径は30cmにおよぶ。舁き棒の取り付け方をみ てゆくと,柱の両外側,ホゾ穴から横架材が突起した部分に舁き棒を載せている。舁き棒自重 は鉛直下向きであるが,交差方向(内側)へ両棒を互いに引き寄せる力が加えられる。棒取り 付け作業時,棒端付近で人力によって力が加えられる(図22)。幾分弯曲させた後に縄で巻き 締められる。棒全長にわたる弾力を生かし,構造フレームは,両外側から締め付けて補強され ている。さらに舁き棒は,床梁と麻製大縄で斜め方向に括りつけられる。舁き棒自重は鉛直下 向き方向で,両棒を互いに引き寄せる方向は水平方向内側であるので,合力は内側斜め下向き となるが,麻製大縄による舁き棒の括りはこの方向と一致する(図23)。柱と横架材の突起部 分がなす入隅(コーナー)に押し付けるかのような力が加えられている。断面形状が円形の舁 き棒をコーナーに押し付けることは,転がり方向のずれ抑止には効果的であると言えよう。
(') 浜崎!園山笠は(注&)で述べたことに関わる型の曳き山である。曳き棒は見送り側(後ろ)に しかなく,舵取り棒としての機能に特化している。しかしながら浜崎系山笠は,周辺の山笠と形態的 関連が見て取れる。よって,$章までは調査対象として含めた。
浜崎系山笠の浜崎!園山笠・加布里山笠には,構造部分から上部の装飾部分に及ぶ木構造の櫓がみ られる。近隣の小友!園山笠は舁き山であり, 博多系山笠 と分類したが,浜崎!園山笠構造部分 に似た櫓状の構造をみることができる。
技術と文明 18巻#号(142)
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京築地域に多くみられるこの方法は施工性に優れ,他地域でも用いられる。佐賀県の小友! 園,福岡県前原市の加布里両山笠では,「舁き棒は横架材の下」方式が用いられている。とこ ろが当地区子供用山笠には,京築のこの方式が用いられている。
(") 戸畑系山笠
舁き棒"本の舁き山で京築系に近い形態の山笠である。京築系と異なる点として,舁き棒"
本が構造フレーム内側に取り付けられていることを指摘できる。加えて,戸畑!園大山笠の場 合,舁き棒は上下の横架材に挟まれて保持される。上方横架材と舁き棒の隙間には楔が打ち込 まれ,担ぎ上げられる時の支え方は,横架材の下に舁き棒が取り付けられる方式の山笠と同様 である。つまり,木部(舁き棒)で木部(上部横架材)を持ち上げる方式である。よって,担ぎ 上げる瞬間に縄の緩衝性を生かすことはできないが,戸畑!園大山笠において,激しい取回し がなされることはない。上下方向水平方向ともに木構造フレーム内側に舁き棒が取り付けられ た張り出しの少ない山台の形態は,装飾時の流麗な姿にふさわしい(図25)。
(#) 若松系山笠
若松系山笠舁き棒は,舁き棒を横架材の上に載せる方式でもなく,下に吊るす方式でもない。
図21 生立八幡神社山笠 図22 生立八幡山笠神社棒締め縄
図23 舁き棒を両外側から引き寄せる。 図24 棒自重と引き寄せ縄の合力
79
柱側面に縄で横づけされる。
担ぎ始められると,静止時に緩んでいた大綱に張 力が加わり,山台の重みを大綱が受けて巡行される
(図27②)。一方,静止時に舁き棒(#本 合 わ せ て"t におよぶ)の重さを受けて張力が加わっている麻縄
(図27③)は,巡行時は緩んでいる(図27①)。山笠が 止まると(地面に置かれると),再び大綱は緩み(図27
④),麻縄に舁き棒の重みがぶら下がる(図27③)。 動き出す時も止まる時も,縄の緩衝性が生かされて いる。
巡行時の力の加わり方は,舁き棒を横架材に載せ る方式と同じである。すなわち,山台を縄で吊るし て巡行している。
(%) 八幡系山笠
畑の!園山笠は現在曳き山であるが,舁き山で あったことが記憶されている。畑の!園祭りは,杉 森神社所有の古文書によれば今井!園(京築系)から勧請した,とのことである。$本棒の内,
中央舁き棒は傾斜面をつづら折れに下る際に舵取りとして有効に作用している。黒崎・前田両(')
山笠両端の舁き棒の取り付けは,京築系山笠の方式に近似している。横架材に載せる方式,上 下の横架材で挟む方式など畑・黒崎・前田$山笠には,様々な舁き棒保持方式をみることがで きる。
(&) 筑豊系山笠
舁き棒は#本方式で,上下横架材によって強固に挟んで保持される。両棒ともに構造フレー ム内側に取り付けられる。また,両棒とも中央よりに取り付けられ,柱に接することはない。
(') 八幡系山笠は曳き山ではあるが,棒は 舁き棒 と呼ばれる。
図25 戸畑大山笠正面模式図(山台と幡山/
":80)
図27 竹並!園山笠側面模式図(":80)
図26 竹 並!園 山 笠 正 面 模 式 図
(":80)
技術と文明 18巻#号(144)
80
表・見送り側両側ともに#本ずつ,舁き棒と交差方向に押し棒が取り付けられる。舁き棒が内 側中央よりに位置しているので舁き手が外側へ張り出すことはない。激しい操作がなされる山 笠特有の舁き棒取り付け方法であろうか。
($) 津屋崎系山笠
津屋崎系山笠は構造部分を見る限り,博多系の一部として差し支えな い形態であるが,福津市(旧津屋崎町,旧福間町),宗像市地域に分布す る山笠を津屋崎系として分類した。博多同様追い山に適する形態へ変化 している。正面図は博多!園山笠と酷似しているが,平面図は異なって いる(図30)。津屋崎山笠舁き棒は,両側へゆくにしたがって短くなっ ている。巡行をスムーズに行なうために,津屋崎波折神社周辺の道路幅 員に合わせて構造部分が変化してきたと言われる。
(%) 博多系山笠
博多系および津屋崎系山笠は,現在の博多!園山笠山台と酷似したグ ループとそうではないグループに分けて考えることができる。篠栗!園 山笠(博多系),田熊山笠(津屋
(10)
崎系),飯塚!園山笠(博多系)は特に類 似した山台を持つ。比較的近年まで博多からの技術移入が行われた結果 である。一方,小友!園山笠,東黒山の!園山笠は博多と類似した要素 を持ちながらも,地域独自の特徴をもっている。こちらのグループに博 多の古形態を窺える可能性が高いと考える。東黒山の!園山笠は,舁き 棒の取り付けにおいて,麻縄による不完全な箱結びと蔓による緊結がな される。ここでいう「不完全な箱結び」とは,博多!園山笠棒締め縄の
(10) 田熊山笠は現在使用している山笠(2008年設計・施工)から博多!園山笠に特に近い形態になっ た。
図28 木屋瀬宿場祭山笠正面模式図・側面模式図(側 面は前後に大きく揺らした状況)(":100)
図29 揺らせながら旋回する操作(直方)(":100)
図30 津 屋 崎!園 山 笠 平 面 及 び 正 面 模式図(":100)
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ように水平方向巻き締め(図31①)が行われない箱結びのことである。蔓は,下部横架材と舁 き棒"m程度の間に渡される(図32③)。一方,博多!園山笠では,対称性とバランスが考慮 され,中央部から麻縄の箱結びで舁き棒は取り付けられる。蔓は用いられないが,東黒山の!
園山笠で蔓が取り付けられている位置に,その形跡とおぼしき装飾をみることができる(図31
②)。棒締め材料は,麻縄と蔓から麻縄へ集約されたのであろうか。小友!園山笠と博多!園 山笠の大きな違いは,舁き棒と横架材の上下位置関係である。小友は横架材の下に舁き棒が括 りつけられる。小友!園山笠において,棒締めには,博多同様麻縄が用いられる。しかしなが ら,山笠を担ぎ上げる瞬間に縄の緩衝性を生かすことはできない。木部(舁き棒)で木部(横 架材)を持ち上げることになる。また,小友・東黒山両山笠に比して,博多!園山笠は,いわ ば 線が細い 印象を受ける。小友!園山笠柱径は145(正面方向柱間1060,柱径/柱間はおよそ
"/7.31)であり,博多!園山笠(中洲流)柱径は120(正面方向柱間1450 柱径/柱間はおよそ"
/12.1)である。そもそも小友!園・東黒山の!園両山笠は%本棒方式であり,博多!園山笠 は'本棒方式である。博多!園山笠が,巡行速度向上(軽やかな構造と推進力増加)に向けて変 化を遂げてきたことが窺える。
(() 各系統山笠構造的特徴のまとめ
これまでにみてきた各系統山笠の構造的特徴を表$にまとめた。
&
北部九州山笠の比較考察と博多!
園山笠の変遷"―! 舁き棒本数と長さの変化
江戸時代初期,博多!園山笠舁き棒本数が%本から'本であったが,江戸時代末期には'本 方式が定着した。舁き棒とそれを直接支える横架材の上下位置関係も,いくつかの方式が混在 図31 博多!園山笠正面模式図(":
50)
図32 東黒山山笠正面模式図
(":50)
図33 小友!園山笠側面模式図
(":50)
技術と文明 18巻#号(146)
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していたが,江戸時代末期には, 舁き棒が上 方式が定着していったことは,$章で述べた。
本節では,舁き棒本数変化とそれに伴う舁き棒長さ変化の理由を類推する。
再度『博多!園山笠巡行図"風』中,第四扇下部疾走中の山笠(図34)をみてゆきたい。舁 き手を見てゆくと,右肩#番棒(画面一番手前の舁き棒)の表側だけで&人もの舁き手が就いて いる(現代は$人が就く)。同じく右肩#番棒表側の舁き手人数に関して,『筑前名所図会』「櫛
表! 各系統別にみる山笠の構造的特徴
各系統の名称 棒の取り付け方,棒の力学的特徴,その他各系統の構造的特徴
京 築 系 山 笠 ・棒の自重と両棒の引き寄せる力,これらの合力方向に縄が巻かれ,舁き棒が保持される
(京築系を代表する生立八幡山笠をはじめ,今井!園元永山笠や苅田山笠に見られる)。
戸 畑 系 山 笠
・両棒は,木構造フレーム内側に取り付けられる。また上下横架材に挟んで保持される。
・よって$本の棒は,水平方向垂直方向ともに木構造フレーム内側に取り付けられる。
・張り出しの少ない山台形態は,装飾時の流麗な姿にふさわしい。
若 松 系 山 笠
・静止時,縄によって舁き棒は横架材から吊り下げられる。
・巡行時,山台は舁き棒から渡された大綱によって吊り下げられる。
・巡行時,静止時,いずれの場合も縄の緩衝性・伸縮性を生かしている。
八 幡 系 山 笠
・舁き棒%本方式の山笠で,取り付けには蔓が用いられる。
・両端と中央では取り付け方法が異なる場合があり,同一山笠でも,上下の横架材で挟む 方法,横架材に載せる方法など異なる取り付け方式が混在することもある。
筑 豊 系 山 笠
・舁き棒は木構造フレーム内側に取り付けられるが,舁き棒と柱が接しないほどに内側へ 寄せられている。
・よって両側の曵き手が外へ張り出しすぎることはない。
・曵き山の激しい山笠操作に適した構造である。
博 多 系 山 笠
・博多系山笠は,博多!園山笠と酷似した山笠グループと,地域独自の特徴を色濃く伝え る山笠グループに分けて考えることができる。博多!園山笠と酷似した山笠グループは,
後者と比較することによって特質を明確化できる。
・東黒山の!園山笠舁き棒は,蔓と麻縄の両方を用いて取り付けられる。一方,博多!園 山笠舁き棒は,麻縄のみで取り付けられる。
・東黒山の!園山笠舁き棒の麻縄を用いた縄巻は不完全な箱結びが用いられる。一方,博 多!園山笠の棒締め縄巻では,中央から両端へ向かってバランスを考慮した箱結びが用 いられる。
・小友!園山笠では,横架材の下に舁き棒が取り付けられる。よって巡行時,舁き棒で山 台を持ち上げる(木部材で木部材を持ち上げる)ことになる。よって縄の緩衝性・伸縮性 は生かされない。一方,博多!園山笠では,横架材の上に舁き棒が取り付けられ,舁き 棒を取りつけた縄によって,山台を吊るす方式で運行され,縄の緩衝性・伸縮性が生か される。
・東黒山の!園山笠・小友!園山笠に比して,博多!園山笠は線の細かい山笠である。(主 要構造部材径の対柱間比が小さい。)
津屋崎系山笠
・津屋崎!園山笠の正面図は博多!園山笠と酷似している。
・しかしながら,平面形は異なる。舁き棒は両端へゆくにつれて短くされている。博多と 同様に追い山行事が,狭い道路を含むコースで行われる。そのために遂げた変化である。
・いずれにせよ,博多から強い影響を受けた地域であり,山笠である。
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図35 博多!園山笠$本棒方式の舁き手出入り想定図(左)と%本棒方式(現状)舁き手出入り図(右)
田入り」(図11)には%人,『櫛田入り』絵馬(図14)
には$人を数えることができる。推進力とスピー ドが求められていたことが窺える。棒長は現在よ り長いが,舁き手は密集した状態で走っており,
危険な状態であった。江戸時代末,舁き棒$本方 式が姿を消し,より多くの舁き手が就ける%本方 式が定着したことは自然なことであったと言えよ う。
貞享$年(1687年),町と町の諍いを契機に舁き山笠の競争である追い山笠行事が発祥したと 伝えら
れる。また,かつて博多!園山笠も一時曳き山となった年があった。(11)
今年六番山笠当番須崎町中,台に車をつけしが,所々にて庇を損じ,其上怪我人もありて 取除く(『博多!園山笠記録(1771年記録)』)
これらに,巡行の高速化と安全性が模索されてきたことが読み取れる。
高さ$m程度の 舁き山 と装飾専用であり,巡行されないが高さが'm程度もある 飾 り山 に分化したのは,大正期に路面電車の架線が張られた時代であった。舁き山・飾り山の 分化よりはるか前,江戸期から速い山笠の巡行が求められてきたと言えよう。1894(明治27)
年には既に追い山笠行事は注目を集め,各流の所要時間が新聞に掲載されて
(12)
いる。
操作性や曲がり角での取回しに関しては,舁き棒は短い方が有利である。同じ舁き手人数(図 35では26人)で山笠を担ぐとすれば,$本棒方式より%本棒方式の方が舁き棒を短くすること ができる。また,$本棒方式に比して,%本棒方式の方が,メンバーチェンジの危険度を幾分 か軽減でき,頻繁にメンバーチェンジが行える(図35右)。
巡行方式に関して,長い棒を撓らせて(図36
(13)
左図)巡行する山笠構造より,短い舁き棒を傾
(11)『山笠記録(1687年)』
(12) 福岡日日新聞1894(明治27)年&月18日記事
(13) 博多!園山笠,脇田!園山笠舁き棒は杉心材が用いられている。杉材ヤング係数(103kgf/cm2) は70。
図34 図"部分
技術と文明 18巻#号(148)
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図36 脇田!園山笠の巡行状況(左図)と博多!園山笠(現代)の巡行状況(右図)
斜させた状態で巡行する現代の博多!園山笠の方が,スピードが出しやすい。路面と衝突しな がらであってもこちらの方が取回しやすい(図36右図)。'本方式定着の理由は推進力や走行性 能に係ると考えられる。
図36では,現代博多!園山笠の対極をなす事例として,若松系脇田!園山笠を挙げたが,京 築系山笠,戸畑系山笠,若松系の竹並!園山笠も同様に,現代も長い#本棒を用いた巡行がな され,山笠高さ(装飾部分を含む)も大きなものである(戸畑大山笠で7.4m)。巡行速度を競うこ とは,おこなわれていない。
これらの系統は,発展過程から現代に至るまで,「大きいものを巡行する」「見せる」ことに 主眼が置かれてきた(図37・38)。
また,津屋崎系の津屋崎!園山笠や筑豊系については,既に述べたように(%章%―$),高 さは%m程度で棒長も&m程度までであり,追い山行事や激しい山笠の取回しが行われてい る。
しかしながら,発展過程における木屋瀬宿場祭!園山笠(筑豊系)や津屋崎!園山笠(津屋崎 系)の図像をみると,高さ10mにおよばんとする山笠が建てられ,巡行されていた(図39・40・
41)ことがわかる。これらの系統も,博多!園山笠舁き山と同様,現代ではその形態も祭礼が 求める素早い巡行に合わせて変遷を遂げてきた。
"―! 舁き棒位置(横架材との上下位置関係)変化の事例
博多!園山笠舁き棒と横架材の上下位置関係が 舁き棒が下 方式から 舁き棒が上 方式 へ変化したことを史料から述べてきたが, 舁き棒が下 方式を示す事例としては,『博多山笠 巡行図"風』第二扇の建設中山笠が唯一である。
北部九州一円の事例も含めれば, 舁き棒が下 方式から 舁き棒が上 方式へ変化した事 例を他に見ることができるのであろうか,検索した。
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(") 事例"―飯塚・大分八幡宮神社絵馬
図42は,福岡県飯塚市大分八幡宮にある絵馬である。この絵馬は宝暦$(1755)年の奉納で,
少々わかりにくいのでトレースをしながら読み取った(図42右図)。この絵馬の横架材も窪みが 下向きに穿たれている。この神社に山笠が奉納されたことはないが,近隣の飯塚!園山笠を描 いたものではないかと言われる。これが飯塚!園山笠の古の姿であれば,飯塚!園山笠も棒と 横架材の位置関係は,棒が下から上へ変化したことになる。
図37 竹並!園山笠(年代不詳・
昭和初期か) 図38 竹並!園山笠2012年度町内掲示ポスター
図39 木屋瀬宿場祭山 笠絵馬(明治18年)
図40 木屋瀬宿場祭山笠 図41 津屋崎!園山笠(明治期)
技術と文明 18巻#号(150)
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(") 事例"―畑,黒崎,前田
図44〜47は,左から畑!園山笠,黒崎!園山笠,前田!園山笠である。畑!園山笠では舁き 棒は#本とも上下の横架材に挟まれている。次に図46の前田!園山笠を見ると,中央舁き棒上 方,横架材との間に空隙があり,挟む方式であるとは言えない。よって,前田!園山笠の舁き 棒は,#本とも横架材に載せる方式である。図45の黒崎!園山笠をみると,両端の舁き棒は,
横架材に載せられている。中央の舁き棒も詳しくみてゆくと(図47),横架材との間にわずか 図42 大分八幡宮所蔵山笠絵馬・同絵馬(部分)・同部分棒ぐり(横架材)トレース
図43 飯塚!園山笠構造部分・同部分棒ぐり(横架材)トレース
図44 畑 の!園 山 笠 正面模式図
図45 黒崎!園山笠正面 模式図
図46 前田!園山笠正 面模式図
図47 黒崎!園山笠正面模式図
(部分)
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図48 八屋!園山笠正面模 式図
図49 糸田!園 山 笠 正 面模式図
図50 生立八幡神社山笠正 面模式図
図53 生立八幡神社山笠 図52 糸田!園山笠
図51 八屋!園山笠
に隙間がある。よって,黒崎!園山笠でも,#本とも舁き棒は横架材に載せられていることに なる。しかしながら,中央舁き棒上の横架材は,下向きに丸く穿たれている(図47)。上から 舁き棒を押さえるための丸みであり,蔓の伸縮性を考慮した隙間である。これも上下の横架材 で挟む方式の一種と考えたい。畑!園山笠の方式から黒崎!園山笠の方式を経て前田!園山笠 の方式へ,すなわち,挟む方式から挟む方式と載せる方式の混在を経て,載せる方式へ変化し ていった,との類推も成り立つのではなかろうか。
(#) 事例#―八屋!園山笠,糸田!園山笠,生立八幡神社山笠
図48〜53の模式図と写真は,八屋!園山笠,糸田!園山笠,生立八幡神社山笠である。
#つの山笠を比較してゆく。まず,舁き棒に対する縄や蔓の掛け方をみてゆくと,図48の八 屋!園山笠には,下部(地面近く)横架材と棒に渡る括りがない。が,図49の糸田!園山笠,
図50の生立八幡神社山笠には,下部(地面近く)横架材と棒に渡る括りがなされている。
次に,舁き棒と横架材の関係をみてゆくと,図48の八屋!園山笠,図49の糸田!園山笠は,
挟む方式で舁き棒は保持されている。が,図50の生立八幡神社山笠は,載せる方式で舁き棒は,
保持されている。
八屋!園山笠の方式から糸田!園山笠の方式を経て生立八幡神社山笠の方式へ変遷したと考 えることはできないであろうか。下部(地面近く)の横架材と舁き棒を蔓や縄で緊結すること が, 挟む方式 から 載せる方式 への変化に繋がったと推測することはできないだろうか。
以上みた事例から類推するに,北部九州山笠において,舁き棒は横架材の上に 載せる方式
技術と文明 18巻"号(152)
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へ変化していった傾向が窺える。
"―! 舁き棒位置変化の理由
(") 祭礼準備の手間と施工性
最後に,舁き棒を横架材に 載せる方式(棒が上) が定着していった理由を類推してみたい。
まず,施工の合理性から考えてみたい。
佐賀県呼子の小友!園山笠では,横架材の下に%
本の舁き棒を麻縄で括りつける方式が採られている。
取り付ける際は下からの支えが必要であり,専用の 治具や結束バンドが用いられる(図54)。棒%本の 取り付けに#時間$分を要した(2012年'月棒締めに おいて)。
一方,博多!園山笠の舁き棒&本を横架材上に載 せる取り付け作業(棒締め)では,二人が棒の上に 載って,作業が進められる。二人の体重で,棒を押 さえながら棒締め作業は進められる。表・見送り同 時に(山笠前後同時に)作業(棒締め)は進められ,
棒上二人の内一人は,表側担当であり,もう一人は 見送り側担当である。棒締め時の縄を締める力(引っ 張る力)は,てこの原理を利用するための道具(お
図55 博多!園山笠(東流)棒締め
図54 小友!園山笠棒締め用仮支え治具
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図56 木屋瀬宿場祭山笠(昭和 11年)
図57 木屋瀬宿場祭山笠格納庫 図58 木屋瀬宿場祭山笠格納庫 やし棒)によって下向きの力に変換される。おやし棒に体重をかけて棒は締められる。その他,
おやし棒に縄を巻きつける人や締まり具合に偏りがないように木槌で縄を叩く人を含めて15人 程度で進められ,#時間$分程度の作業であった(2013年$月の棒締めにおいて)。小友!園山笠 より棒数は#本多いが,ほぼ同じ時間で棒締めは終了した。
博多!園山笠をはじめとする横架材上に棒を載せる方式の 棒締め は体重を合理的に用い た作業が可能であり,施工性の高い方式であると言えよう。
さらに,祭りの準備,手間について付け加えたい。木屋瀬!園山笠1936(昭和11)年の写真
(図56)には,山台内側に斜め方向の縄巻をみることができるが,現在では縄でフレーム内側 を括ることはなくなり,鉄製プレートが用いられている(図57)。解体しにくい状態になった と言える。現在木屋瀬宿場祭山笠では,舁き棒の取り付け取り外しは,毎年行われるが,フレー ムの組み立て・解体は行われていない。山車小屋が設けられ,組みあがったまま収納されてい る。木屋瀬宿場祭!園山笠に限らず,仮設でない山小屋(山車小屋)が設置(表"参照)される 地域は多い。これは毎年の組み立て・解体を行わなくなったことを意味する。現代社会のスピー ド感と気忙しさの中,限られた時間で貴重な祭礼を存続する工夫がなされている。
(#) 縄の緩衝性
舁き棒取り付け位置変化の理由として,既述の施工性の問題もあるが,次に縄の緩衝性の問 題を考えてゆきたい。
博多!園山笠祭礼最高潮(追い山笠行事)で求められる速度によって,あるいは,架線敷設 による飾り山笠と舁き山笠の分化によって,舁き山笠は巡行性が高められた。
舁き山笠は,飾り山笠のように10m近くの高さにおよぶことはなく,4.5m以内である。し かしながら,重量は枝折りに載せられる装飾部分も含めて"t近くにおよぶ。舁き手26人が掛 け声を発しタイミングを合わせて一気に担ぐ時,舁き棒に衝撃が走る。縄の伸縮性・緩衝性が
技術と文明 18巻#号(154)
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この衝撃を緩和し,山台構造を維持している。
舁きだし(舁き始め)とともに,巡行時の道路(アスファルト舗装)との衝撃や前後のアンバ ランス(図36右図)に対しても,縄の伸縮性・緩衝性が有効に作用している。
巡行時に山台を吊り下げることによっていささか伸びた縄であっても,静止時には,縄は舁 き棒に追従して縮み,舁き棒緊結を保つ。縄の伸縮性を期待して,勢い水(きおいみず)が,
沿道から浴びせられながら山笠は巡行する。
縄の伸縮性・緩衝性の活用は,既に&章&―%(%)で述べたように,若松系・竹並!園山笠 と若松系・脇田!園山笠にもみることができる。若松系両山笠では,$本方式の舁き棒は,両 棒合わせて#tにおよぶ。担ぎ上げる時(舁き始め)の山台が舁き棒に与える衝撃とともに,山 笠を地面に下す時(舁き終わり),舁き棒自重が舁き棒に与える衝撃にも対応する縄の掛け方が なされている(図27)。
'
結 語本研究では,博多!園山笠構造部分(山台)の形態的変遷を辿り,変化の要因を考察した。
その調査手法として,江戸時代初期から明治初期における形態的変遷については,『博多!園 山笠巡行図屏風』や奉納絵馬などの絵画史料分析を行った。さらに,北部九州一円約40地域の 山車山台と比較することによって博多!園山笠の形態的特徴を解析した。以下に得られた知見 を示す。
(#) 江戸時代初期,博多!園山笠舁き棒本数は,&本ないし'本であったが,江戸時代末期 には,'本方式が定着した。また,舁き棒とそれを支える横架材との上下位置関係も,いくつ かの方式が混在していた。これも江戸時代末期には, 舁き棒を横架材の上に載せる 方式が 定着していった。
($) 祭礼最高潮の場面(追い山行事)において,速い巡行と操作を実現する強い推進力を生 み出すためには,舁き棒&本から'本方式への移行,そして,舁き棒を短くすることが必要で あった。
(%)『博多!園山笠巡行図"風』第二扇に描かれる建設中山笠の絵図が,江戸時代初期にお いて,舁き棒が横架材の下に取り付けられていたことを示す根拠である。が,これ以外の 舁 き棒が横架材の下 を示す事例を九州一円の山車から探した。結果,飯塚市大分八幡宮奉納絵 馬に,横架材下側に窪みのある山笠が描かれていることを確認した。そのほか畑の!園山笠,
黒崎!園山笠,前田!園山笠の順に比較すれば,並びに,八屋!園山笠,糸田!園山笠,生立 八幡山笠の順に比較すれば,舁き棒を横架材で挟む方式から載せる方式へ変化したと見ること もできる。舁き棒の取り付け方について,載せる方式への変化は,総じて北部九州一円におけ る傾向であった。
(&) 舁き棒の取り付け方について 載せる方式 への変化した理由として,施工性の良さを
91
挙げることができる。横架材に載せる方式で施工することは,舁き棒を下から支える(仮支え)
する必要がない。横架材に載せてから,縄巻(棒締め)を行なうことができる。また,北部九 州一円をみると祭礼準備において,手間の合理化が進んでいる。
(#) 舁き棒の取り付け方について 載せる方式 への変化した理由として,縄の緩衝性・伸 縮性の利用を挙げることができる。祭礼最高潮の場面(追い山行事)において,舁き手が一斉 に担ぎ上げる時や,見送り側台脚(後部山台柱)が道路に衝突しながら巡行する時,舁き棒に 対する瞬時の衝撃を軽減する縄の緩衝性能が期待されている。
【参考文献】
『日本の美術 第516号』(至文堂 2009)
落石栄吉『博多!園山笠今昔物語』(1952)
落石栄吉『博多山笠史談』(1961)
博多山笠振興会『博多山笠記録』(1975)
『FUKUOKA STYlE Vol.$』(星雲社 1994)
福岡市博物館『福岡市博物館 常設展示案内』(2010)
北九州市教育委員会社会教育部文化課『戸畑!園大山笠行事』(1986)
『二百年の祭 戸畑!園大山笠行事 二百年記念誌』(2004)
奥村寿康『黒崎!園』(1981)
加布里山笠保存会『奉納加布里山笠』(1998)
Tying Procedures and structural Changes of lifting Rods used in Hakata Gion Yamakasa
:A comparative Study of Floats throughout northern Kyushuby
Noriyuki MATSUUCHI & Shin-ichi ISHIMYRA
(Kurashiki City College/kyushu University)
A yamakasa is a term commonly used in northern Kyushu to refer to a float used in festi- vals. Depending on the region, these floats are also known by other terms, such as katsugi- yama, yamahoko, hoko, and yatai. The base structure of the yamakasa, referred to as a do- dai or yamadai, is a wooden frame that supports an ornamental structure on top of it.
Yamakasa have undergone a number of changes over time. As structures that are featured as the highlight of a festival, they are adorned with decorations that reflect their time and place. However, under what conditions have the supporting frames undergone change?
Based on a firsthand comparative survey of numerous festival floats in northern Kyushu, this study examines the background of changes in the supporting frames of the Hakata Gion yamakasa and the way in which the techniques of local communities have spread and evolved.
Several conclusions can be drawn from this study.
Examples used in the study include changes in the number of lifting rods and the position of 技術と文明 18巻"号(156)
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rod rests, utilization of rope as a shock absorber in Hakata-area yamakasa to accommodate the growing popularity of float racing, the shift in Chikuho-area yamakasa from kakiyama(floats carried on the shoulders)to hikiyama(dragged floats), and the continuing tradition of lifting and displaying huge yamakasa in the Keichiku area. Although the general trend has been to- ward streamlining procedures for assembly and transport, this trend is not seen in every dis- trict of northern Kyushu. Such disparities offer glimpses into trends of the times, the spirit of local citizens to stand firm against such trends, and the sentiments of local citizens toward their festivals. Even today, yamakasa and their supporting frames continue to exhibit changes with the passage of time.
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