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密教文化 Vol. 1978 No. 124 001山本 智教「韓国古美術巡礼 P1-30」

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韓 国 は 中 国 文 化 圏 内 に あ り、 そ の 仏 教 美 術 は 中 国 系 で あ る が、 独 自 性 も あ る。 と く に 百 済、 新 羅 の 都 を 中 心 と し て 石 像 銅 像、 瓦 塘 類 な ど 今 日 に の こ る も の が 多 く、 そ の 上 日 本 の 上 代 仏 教 美 術 へ の 影 響 も 大 き い の で、 イ ン ド に 始 ま っ た 東 ア ジ ア の 仏 教 美 術 史 上 ユ ニ ー ク な 地 位 を し め て い る。 私 は か ね て か ら 図 版 類 な ど に よ っ て そ の 研 究 を す す め て い た が、 一 度 は 直 接 に 眼 で 見 た い と 思 っ て い た。 よ う や く 昭 和 五 十 三 年 一 月 二 十 三 日 に 釜 山 に 飛 び、 そ こ か ら 慶 州、 扶 余、 公 州、 ソ ウ ル 利 川、 俗 離 山 法 住 寺、 智 異 山 華 厳 寺 な ど、 主 と し て 新 羅 百 済 の 遺 物 に 接 す る こ と が で き、 二 月 十 二 日 に 帰 国 し た。 二 十 一 日 間 の 旅 で あ っ た。 釜 山 に 二 十 三 日 午 後 二 時 に 着 き、 高 速 バ ス で 七 時 頃 慶 州 ( キ ョ ン ジ ュ) に つ く。 慶 州 に 約 一 週 間 滞 在 し て 遺 跡 を 見 る。 古 墳 の 町 慶 州 慶 州 に は 古 墳 が 多 い。 古 墳 は 直 接 仏 教 の も の で な い が 仏 教 以 前 の 状 態 を 参 考 資 料 と し て 知 る こ と は 大 切 で あ る。 慶 州 の 町 の 外 に 出 て 慶 州 を 見 る と 目 立 つ の は 円 頭 の 古 墳 群 で あ る。 西 川 の 対 岸 か ら 慶 州 を 見 る と、 あ ち ら に も こ ち ら に も、 屋 並 よ り 高 い 古 墳 が 円 頭 を 見 せ て い る。 韓 国 独 立 後 慶 州 の 町 の 中 に 古 墳 公 園 を つ く っ て 国 家 の 手 で 古 墳 を 管 理 保 存 し て い る け れ ど も、 そ れ に 納 ま ら ず、 そ の 外 に あ る 古 墳 の 方 が 多 い。 関 野 朝 鮮 美 術 史 に よ る と、 古 墳 は 古 新 羅 時 代 と 新 羅 統 一 時 代 に 分 れ る。 古 新 羅 時 代 と は 新 羅 の 建 国 か ら 太 宗 武 烈 王 の 即 位 ま で で あ る。 こ の 時 代 を 前 後 二 期 に 分 け る。 前 期 ( 四 世 紀 ー 五 一 〇 年) は 国 の 初 か ら 智 証 王 ま で、 後 期 は 法 興 王 か ら 太 宗 ま で 韓 国 古 美 術 巡 礼

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密 教 文, 化 ( 五 一 〇 ー 六 五 四) で あ る。 前 期 は 新 羅 固 有 の 文 化 に 中 国 文 化 が 影 響 し た 時 代 で あ り、 後 期 は 仏 教 の 興 隆 と と も に 中 国 の 南 北 朝 文 化 が 輸 入 さ れ た 時 代 で あ る。 古 新 羅 時 代 の 遺 物 は 主 と し て 古 墳 と 古 墳 か ら の 出 土 品 で あ る。 古 新 羅 の 後 期 に は 仏 塔 仏 像、 瓦 博、 工 芸 品 な ど が 少 し の こ っ て い る。 慶 州 の 古 墳 の 中 で 一 番 古 い 形 式 の も の は 積 石 塚 で あ っ て 多 く 平 地 に つ く る。 ま ず 地 面 を あ る 深 さ ま で 掘 り 下 げ、 そ の 底 に 手 頃 の 野 石 を し き つ め、 そ の 上 に 木 榔 を お き、 榔 の 中 に 棺 を 入 れ、 榔 と 棺 の 間 に 明 器 を お く。 木 榔 の ま わ り に 野 石 を 詰 め、 ま た そ の 上 に 野 石 を 重 ね て あ る 高 さ ま で 至 り、 内 部 に 雨 水 が 浸 透 す る の を 防 ぐ た め に 粘 土 で 被 覆 し、 そ の 上 に ふ つ う の 土 と 砂 利 を 交 互 に お く。 木 榔 は ま も な く 腐 朽 し て そ こ に 野 石 が お ち こ む。 だ か ら 副 葬 品 を 盗 掘 し よ う と す れ ば、 全 封 土 の 少 な く と も 四 分 の 三 以 上 を 取 り 除 か ね ば、 周 囲 の 野 石 が 崩 れ て く る か ら 遺 品 を と り 出 せ な い。 こ の 種 の 古 墳 は 一 般 に 大 き い か ら こ れ を 盗 掘 す る こ と は 困 難 で あ る。 だ か ら 新 羅 の 古 墳 は 盗 掘 さ れ な か っ た。 そ れ で 高 句 麗 や 百 済 の 古 墳 と ち が っ て、 新 羅 の 古 墳 は 現 代 の 組 織 的 発 掘 に よ っ て 豊 か な 出 土 品 を 出 し た の で あ る。 大 正 四 年 七 月 に 関 野 氏 と 谷 井 氏 が 慶 州 南 門 外 の 一 古 墳 ( 剣 塚) を 発 掘 し た の が こ の 種 古 墳 の 最 初 の 調 査 で あ っ た。 そ の 時 に 鉄 剣、 鉄 槍、 陶 器 が 出 た (朝 鮮 古 蹟 図 譜 皿)。 大 正 七 年 七 月 八 日 に 原 田 氏 は 慶 州 東 方 約 四 キ ロ の 一 古 墳 を 発 掘 し 耳 飾、 金 釧、 銀 釧、 指 環、 曲 玉、 管 玉、 小 玉、 帯 金 具、 鉄 槍、 銅 鏡 馬 具 な ど を 発 見 し た。 慶 州 南 門 外 に 古 墳 が 多 い。 最 大 の 古 墳 鳳 鳳 台 は 高 さ 二 一 m 基 辺 の 径 約 八 二 m、 そ の 西 に 高 さ 一 二 m 一 径 四 二 ・ 四 m の 古 墳 が あ っ た。 大 正 十 年 に 豊 か な 出 土 品 が あ っ た。 主 な も の は 黄 金 の 宝 冠、 耳 飾、 帯 飾、 腕 環、 指 輪、 剣、 槍、 鞍 金 具、 鐙、 杏 葉 な ど の 馬 具、 金 盒、 金 銅 盒、 鉄 釜、 土 器 類、 侃 玉 類、 布 畠 な ど で あ る。 破 璃 の 杯、 錐 斗 も あ っ た。 積 石 塚 の 次 の 時 代 に 封 土 内 に 石 榔 を お く も の が で き た。 積 石 塚 の 中 に は 木 榔 を 用 い た が、 木 榔 は 腐 朽 し 易 い の で、 之 に 代 え て 石 榔 を 用 い る よ う に な っ た。 こ の 形 式 の 古 墳 に 竪 穴 式 と 横 穴 式 が あ る。 ま ず 竪 穴 式、 つ ぎ に 横 穴 式 が 行 な わ れ た。 竪 穴 式 で は ま ず 地 下 に 長 方 形 の 穴 を ほ り、 そ の 底 に 野 石 を 並 べ て 砂 利 を 敷 い て 床 と す る。 そ れ か ら 野 石 で 四 壁 を つ く り、 や や 内 に 傾 け る。 そ の 上 に 大 き な 石 を 並 べ て 天 井 と す る。 天

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井 の 上 を 野 石 と 粘 土 で 覆 い、 さ ら に 封 土 を お く。 玄 室 の 四 壁 と 天 井 に 漆 灰 を ぬ る。 小 規 模 の 墳 は 竪 穴 の 四 壁 を 各 一 枚 の 粘 板 岩 で 組 み 合 せ、 そ の 上 に 粘 板 岩 で 天 井 を つ く る。 箱 型 の 墳 で あ る。 横 穴 式 の 墳 墓 は 一 般 に 竪 穴 式 よ り 規 模 が 大 き く、 地 面 以 上 に 野 石 で 長 方 形 の 玄 室 を 築 き、 そ の 前 面 の 中 央 か ど ち ら か 一 方 寄 り に 羨 道 を つ く る。 天 井 に 大 き な 石 材 を 用 い、 内 部 に 漆 灰 を ぬ る。 玄 室 内 に 野 石 一 個 か 二 個 の 床 を つ く り、 そ の 上 に 砂 利 を 敷 い て 棺 を 安 置 し、 奥 壁 に 近 い 所 に 多 く の 副 葬 品 を お く。 慶 州 市 内 に 約 四 十 の 古 墳 が あ る。 多 く は 王 陵 と 考 え ら れ て い る。 関 野 氏 に よ っ て 古 墳 を 見 よ う。 ( 関 野 ・ 朝 鮮 の 建 築 と 芸 術) 初 期 の 陵 墓 は 平 面 円 形 で 半 球 形 の 土 饅 頭 で あ る。 底 面 の 径 約 二 九 m、 高 さ 約 一 〇 m、 天 然 の 円 石 を 空 積 す る こ と 四 ・ 五 四 m、 そ の 上 を 厚 さ 一 五cm 盛 土 す る。 そ れ ら は 径 二 〇 ー 三 〇 m が ふ つ う で あ る が、 五 〇 ー 七 〇 m の も の が あ る。 高 さ は 二 五 i 二 七 m の も の が あ る。 鳳 風 台 は 径 八 二 m、 皇 南 洞 九 八 号 墳 は 長 さ 一 一 〇 m、 高 さ 二 三 m で あ る。 初 期 の 陵 墓 と し て 五 陵 が あ る。 始 祖 朴 赫 居 世 王、 始 祖 王 妃、 南 解 王、 儒 理 王、 婆 娑 王 の 陵 と 伝 え ら れ る が 実 体 は 不 明 で あ る。 内 容 の 判 明 し て い る 古 墳 は 偶 然 に 発 見 さ れ た 金 冠 塚、 学 術 調 査 の 実 施 さ れ た 金 鈴 塚、 飾 履 塚、 瑞 鳳 塚、 壷 秤 塚 で あ る。 ど れ も 積 石 木 榔 の 古 墳 で あ る。 木 棺 は 早 く 腐 朽 し た が、 も と は 長 さ 三 ー 四 m、 幅 一 ー 二 m の 箱 形 で あ っ た と 推 定 さ れ る。 装 身 具 を つ け た 遺 骸 を 木 棺 内 に 安 置 し た。 副 葬 品 は 木 棺 の 内 に も 外 に も お い て あ っ た。 副 葬 品 は 墳 墓 の 年 代、 死 者 の 身 分 に よ っ て ち が い、 内 容 の 豊 富 な も の も 貧 弱 な も の も あ る。 1、 金 属 製 服 飾 品 ー 宝 冠、 耳 飾、 腕 釧、 脚 釧、 指 輪、 帯 飾 金 具、 侃 飾 金 具、 履 2、 珠 玉、 破 璃 類 ー 曲 玉、 管 玉、 丸 玉、 小 玉、 切 子 玉、 破 璃 杯 3、 武 器 類 ー 刀、 剣、 斧、 鎗、 刀 子 4、 馬 具 類 i 鞍、 鐙、 杏 葉、 雲 珠、 鐸、 鈴 5、 銅 鉄 器 ー 銅 鏡、 錐 斗、 鏡、 鉄 釜 6、 土 器 ー 圷、 高 杯、 増、 脚 付 堆、 碗、 缶、 瓶、 甕、 墳 7、 布 畠 ー 布、 絹、 綾 出 土 し た 副 葬 品 の 代 表 は 宝 冠 で あ る。 黄 金 製 の 宝 冠 は 金 冠 韓 国 古 美 術 巡 礼

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密 教 文 化 塚、 金 鈴 塚、 瑞 鳳 塚 か ら 三 例 発 見 さ れ た。 他 の 古 墳 か ら 金 銅 製 や 銀 製 が 発 見 さ れ た。 こ の 三 つ の 古 墳 か ら 黄 金 製 の 鋳 帯 金 具、 腰 侃 ( 腰 飾) が 発 見 さ れ た。 黄 金 の 耳 飾 は 当 時 の 金 属 工 ,芸 の 水 準 の 高 さ を 示 す。 表 面 に 微 粒 を お く filigree の 技 法 が 見 え る。 北 イ ン ド の タ ク シ ラ で マ ー シ ャ ル が 発 見 し た 耳 飾 と ひ じ ょ う に よ く 似 て い る。 あ れ は 西 紀 一 世 紀 頃 の も の で あ る か ら、 こ の 技 法 は イ ン ド か ら 伝 わ っ た 可 能 性 が あ る。 他 の 装 身 具 に は 腕 釧、 脚 釧、 指 輪、 玉 類、 か ん ざ し が あ る。 ま た 甲 冑、 刀 剣、 馬 具、 釜、 青 銅 錐 斗、 青 銅 壷、 ガ ラ ス 杯 な ど。 古 墳 公 園 に 指 定 さ れ た 古 墳 の 中 慶 州 皇 南 洞 一 五 五 号 墳 ( 天 馬 塚) か ら す ば ら し い 遺 物 が 出 た。 千 余 点 も の 遺 物 が 発 見 さ れ た。 樺 の 皮 に え が い た 天 馬 像、 騎 馬 人 物 像、 金 冠 に 緑 色 の 曲 玉 を 多 く つ る す も の が あ る。 金 冠 の 意 匠 は 山 字 を 重 ね た も の と 樹 木 を 象 ど る も の に 宝 珠 形 の 金 片 を つ け た も の で あ る。 そ の 金 冠 の 中 に 被 る 黄 金 の 内 冠 は 烏 帽 子 形 を な し、 こ ま か い 透 彫 を も っ て い る。 同 じ 天 馬 塚 か ら 青 銅 錐 斗 や 琉 璃 色 ( 青 色) の ガ ラ ス の コ ッ プ な ど も 出 た。 こ の 天 馬 塚 を 放 射 線 炭 素 測 定 に よ っ て 西 紀 三 四 〇 年 と 推 定 す る。 測 定 の 誤 差 を 考 慮 し て も 詑 解 王 時 代 ( 三 一 〇-三 五 五) と い え る。 新 羅 統 一 時 代 の 古 墳 新 羅 第 二 十 九 代 武 烈 王 か ら 第 五 十 六 代 敬 順 王 ま で (六 五 四 -九 三 五) が 新 羅 統 一 時 代 で あ る。 そ の う ち 前 期 第 二 十 九 代 武 烈 王 か ら 第 三 十 六 代 恵 恭 王 ま で 八 王 の 時 代 ( 六 五四-七 七 九) が 新 羅 全 盛 時 代 で あ る。 第 三 十 七 代 宣 徳 王 か ら 第 五 十 六 代 敬 順 王 ま で (七 八 ○ ー 九 三 五) は や や お と ろ え る。 こ の 時 代 の 墳 丘 は 前 か ら の 円 墳 が 多 い。 石 積 木 榔 は な く な り、 横 穴 式 石 室 が 発 達 し、 切 石 を 使 用 す る 石 室 も あ る。 唐 制 の 影 響 を う け て 固 有 の 発 展 を し た。 は じ め ら 墳 の 基 底 部 を 天 然 石 で か た め ( 武 烈 王 陵) 次 に 切 石 を 積 む の に 所 々 に 控 石 を お く (神 文 王 陵)。 周 囲 の 護 石 が 発 達 し て 葛 石、 立 石、 地 覆 石、 束 石 を 用 い る。 束 石 に 十 二 支 の 方 位 に あ わ せ て 十 二 支 神 像 を 彫 り、 さ ら に そ の 周 囲 に 石 禍 ( 玉 垣) を め ぐ ら す。 ( 掛 陵、 角 干 墓、 憲 徳 王 陵、 興 徳 王 陵)。 土 饅 頭 の 墳 の 周 囲 に 玉 垣 を め ぐ ら す の は 奇 し く も 古 代 イ ン ド の ス ト ゥ ー パ に 玉 垣 を め ぐ ら す の に 酷 似 す る。 し か し 偶 然 の 一 致 で あ る。 陵 墓 の 方 位 は 前 に は 一 定 し な か っ た が、 後 に は 南 面 す る よ う に な っ た ( 憲 徳 王 陵、 興 徳 王 陵)。 そ の 位 置 は も と は 平 地 で も 台 地 で も か ま わ な か っ た が、 興 徳 王 陵 か ら 地 相 を え ら ぶ よ う に な っ た。 武 烈 王 陵 に 唐 制 の 墓 碑 を 立

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て る。 掛 陵 に は 石 獅 子、 文 人 石、 武 人 石、 石 華 表 を 前 面 に 対 列 す る。 興 徳 王 陵 で は 石 獅 子 を 墳 の 四 隅 に 配 置 す る。 十 二 支 神 を も っ て 墳 を ま も る の は 中 国 に 前 例 が な い。 太 宗 武 烈 王 陵 (古 蹟 図 譜VI, 1642、 関 野、 建 築 と 芸 術Fig. 396, 444 中 村 慶 州 の 美 術P.129, Pl.87) こ の 王 陵 は 慶 州 の 西 南 西 岳 里 に あ る。 武 烈 王 の 在 位 は 六 五 四 -六 六 一 年 で あ る。 陵 は 西 岳 の 麓 の 平 地 に あ っ て 東 面 す る。 径 約 三 三 m、 高 さ 約 一 一 m、 周 囲 一 〇 四 m の 円 墳 で あ る。 周 辺 を 天 然 石 で か た め る。 前 に 石 床 ( 供 物 石) が あ り、 別 に 石 碑 が あ る。 石 碑 の 銘 に よ る と、 制 作 は 文 武 王 元 年 ( 六 六 二) で あ る。 石 碑 の 手 法 は 初 唐 風 で す ぐ れ て い る。 碑 身 は な く な っ た が 蠣 首 と 亀 跣 が の こ る。 亀 の 頭 の 下 に 宝 相 華 文 を ほ り、 背 中 に 亀 甲 文、 周 縁 に 飛 雲 文 を あ ら わ す。 背 の 中 央 に 蓮 座 が あ り、 碑 身 を さ し こ む 孔 が あ る。 亀 鉄 の 幅 二 ・ 五 四 m 長 さ 三 ・ 三 三 m。 蟷 首 は 後 脚 で 宝 珠 を 捧 げ る 六 頭 の 龍 が 複 雑 に か ら み 合 う 意 匠 で あ り、 中 央 に ﹁ 太 宗 武 烈 大 王 之 碑 ﹂ の 題 を 二 行 に 分 け て 彫 る。 伝 金 陽 墓 ( 古 蹟 図 譜 V 一 六 七 五) こ の 墳 墓 は 武 烈 王 陵 の 前 面 に あ る。 そ ぽ に 亀 朕 の み が の こ る。 亀 跣 は そ の 形 式 か ら 見 て 太 宗 の 没 後 あ ま り 長 く な い 時 代 の も の で 武 烈 王 碑 の 亀 跣 に 似 る。 金 陽 の 墓 と 伝 え る が、 そ の 死 は 八 五 七 年 で あ る。 だ か ら 金 陽 の 墓 と し て は 形 式 が 一 致 し な い。 こ の 墓 は 金 庚 信 の 墓 か も し れ な い。 神 文 王 陵 ( 古 蹟 図 譜V1691-1692 関 野 ・ 建 築 と 美 術 Fig. 397) 慶 州 狼 山 の 南 七 〇 〇 m に あ っ て、 南 面 す る。 文 武 王 陵 に 比 す る と 簡 単 で あ る。 墳 の 周 囲 に 切 石 を 四 層 に お き、 そ の 上 に 葛 石 を お く。 三 角 形 の 控 石 を 放 射 線 状 に お く。 玉 垣 も 石 人 も 石 獅 も な い。 彫 刻 は な い。 神 文 王 は 六 九 二 年 に 没 し た。 伝 金 痩 信 ( 金 角 干) 墓 (古 蹟 図 譜V,1687-1690 関 野Fig. 410 金 載 元 韓 国 美 術Fig. 64, 65) 慶 州 の 西 約 一 キ ロ 松 花 山 の 東 の 小 さ い 丘 の 上 に あ っ て 後 に や や 高 い 小 山 を 負 う。 地 勢 が 美 し く 山 に 小 松 が 一 面 に 生 え て い る。 陵 は 南 面 す る。 関 野 博 士 に ょ る と、 金 庚 信 の 墓 と 伝 え る け れ ど も そ う で な く て 長 く 唐 に い た 金 仁 間 の 墓 で あ ろ う と。 そ の 理 由 は こ の 墓 の 地 勢 が 中 国 の 唐 の 高 宗 の 乾 陵 に 似 て い る か ら と。 基 辺 に 葛 石、 立 石、 束 石、 地 覆 石 を 用 い る の は 神 文 王 陵 よ り 進 ん だ 方 式 で あ る。 北 に あ た る 子 神 か ら は じ ま り 丑、 寅、 卯、 辰、 巳、 午、 未、 申、 酉 戌、 亥 の 十 二 支 神 の 浮 彫 は 保 存 も よ い し す ぐ れ て い る。 彫 り 韓 国 古 美 術 巡 礼

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密 教 文 化 方 は 浅 い が 瑞 々 し い。 持 物 は 刀 剣、 槍、 鉢、 槌、 二 叉、 宝 珠 な ど。 寅 石 だ け が ひ ど く 荒 れ て い る。 十 二 支 神 の 石 の 問 に 一 本 ず つ の 束 石 を は め る。 外 側 の 玉 垣 の 竪 柱 は 三 十 八 本 で あ っ た が、 そ の 大 多 数 は な く な っ て、 い ま は 新 し い 石 で 補 な う。 貫 は 上 下 二 本 ず つ あ っ た が、 多 く は な く な っ て 新 し い 石 材 で 補 な う。 掛 陵 ( ケ ー ヌ ン) 新 羅 第 三 十 八 代 元 聖 王 陵 ( 七 八 五 ー 七 九 八) と い う こ と が 判 明 し た。 新 羅 統 一 時 代 の 王 陵 の 典 型 で あ る。 墳 の ま わ り に 十 二 支 神 を 一 石 ず つ 浮 彫 る。 子 が 北 か ら は じ ま り、 右 廻 り に 丑、 寅、 卯、 辰、 巳 ( 南)、 午、 未、 申、 酉、 戌、 亥 の 十 二 本 の 束 石 を た て る。 十 二 支 神 石 の 各 中 間 に 二 本 ず つ の 束 石 が あ る。 円 墳 の 周 囲 に 玉 垣 竪 柱 四 十 二 本 が あ る。 貫 石 は な く な っ た が、 柄 孔 は 上 下 に 各 二 個 あ る。 玉 垣 と 円 墳 の 中 間 は 幅 一 m ほ ど の 右 邊 路 に な っ て い る。 参 道 に は 石 獅 子、 文 人 石、 武 人 石 が あ り、 唐 の 陵 墓 に 似 る。 武 人 が あ ご ひ げ を 生 や し 目 が 大 き い の で ペ ル シ ャ 人 だ と い う が、 こ れ を あ ま り 強 調 す る 理 由 は な い。 石 華 表 は 八 角 の 石 柱 で 頂 部 を 失 な う。 慶 州 の 古 墳 以 外 の 遺 跡 購 星 台 (チ ョ ム ソ ン デ ー) 四 角 形 の 地 台 石 の 上 に 正 方 形 の 花 嵩 岩 を 円 筒 形 に 積 み あ げ る。 二 十 七 層 の 石 積 の 中 に 四 角 形 の 孔 が あ り、 上 に 井 籠 形 の 石 が あ る。 高 さ 九 ・ 四 m、 基 部 の 直 径 五 ・ 五 m、 全 体 は 下 太 く 上 細 い 徳 利 形。 一 年 を あ ら わ す 三 六 五 個 の 花 闘 岩 材 を つ む。 底 に 水 を た め て 水 鏡 に う つ る 星 の 動 き を 観 察 し て 農 耕 に 役 立 て た と い う。 新 羅 善 徳 女 王 時 代 ( 西 紀 六 三 二 ー 六 四 七) 鶏 林 新 羅 王 朝 の 四 代 王 金 氏 脱 解 王 が こ こ に 誕 生 し た と 伝 え る 地 点。 小 さ い 木 立 の 中 に 桐 が あ る。 半 月 城 新 羅 の 王 宮 の あ っ た 台 地。 周 囲 の 平 原 よ り 高 い こ と 一 〇 m か ら 二 〇 m 位 で あ る。 沓 曲 し て 流 れ る 南 川 に 沿 う 地 面 が 半 月 形 で あ る か ら、 半 月 城 と い う。 自 然 の 台 地 に 石 と 土 で 城 壁 を 築 い て 補 強 し た。 城 壁 は 東 西 北 の 側 面 で 長 さ 七 〇 〇 m。 こ の 地 は 西 紀 五 七 年 か ら 新 羅 滅 亡 の 直 前 九 三 五 年 ま で 八 八 ○ 年 間 新 羅 王 宮 の あ っ た 所 で、 い ま 瓦 の 破 片 な ど が 散 乱 し て い る。

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半 刀 城 内 に 石 造 の 氷 庫 が あ る。 切 石 を 積 ん で 天 井 を ト ン ネ ル 式 に し て 氷 を 蓄 え た。 智 証 王 六 年 ( 五 〇 六) か ら 使 用 し 冬 の 氷 を 夏 ま で 保 存 し た と い う。 と け た 氷 の 排 水 口 や 天 井 の 通 風 溝 ま で あ る。 雁 鴨 池 新 羅 文 武 王 十 四 年 ( 六 七 四) に 三 国 統 一 の 事 業 を 記 念 す る た め に 臨 海 殿 と い う 離 宮 を 建 て た。 そ の 境 内 に 雁 鴨 池 と い う 池 を つ く っ た。 こ の 池 に は 中 国 の 巫 山 の 十 二 峯 を 象 ど り 多 く の 鳥 を お き 花 を 植 え て 楽 園 を つ く っ た。 臨 海 殿 趾 を い ま 発 掘 し、 池 の 岸 を 花 簡 岩 で 修 築 し て い る。 こ の 地 か ら 出 た 宝 相 華 文 の あ る 方 壇 や 蓮 花 文 丸 瓦 は 新 羅 時 代 の も っ と も 優 美 な も の で あ る。 飽 石 亭 吐 ( ポ ソ ク ジ ョ ン) 南 山 の 西 麓 に あ た り 国 王 の 離 宮 の あ っ た 所 で 憲 康 王 (八 七 五 ー 八 八 五) が た び た び 行 幸 し 清 遊 し た。 花 簡 岩 で つ く っ た 飽 形 の 水 溝 に 南 山 か ら 湧 水 を 引 い て 曲 水 の 宴 を 催 し た。 九 二 七 年 景 哀 王 が こ こ に 遊 ぶ 最 中 に 後 百 済 の 蛾 萱 に よ っ て 伐 た れ た と 伝 え る。 仏 教 建 築 新 羅 に 仏 教 が 興 っ た の は 法 興 王 ( 五 一 四-五 三 九) の 時 か ら で あ る。 五 二 七 年 に 宮 廷 は 仏 教 を 公 認 し た。 法 興 王 は 仏 教 を 正 法 と し、 そ れ に よ っ て 国 を 守 ろ う と し た。 そ し て 中 国 の 制 度 文 物 を と り 入 れ た。 そ の 時 代 の 中 国 で は 北 に は 北 魏、 南 に は 梁 が 立 ち、 ど こ で も 仏 教 は 盛 ん で あ っ た。 梁 の 武 帝 は 有 名 な 崇 仏 家 で あ っ た。 法 興 王 は 興 輪 寺、 皇 龍 寺、 券 皇 寺、 祇 園 寺 を 建 て た。 そ こ で 新 羅 の 人 々 は み な 仏 法 に 帰 依 し、 仏 寺 仏 塔 の 建 立 が 相 つ い で 行 な わ れ た。 慶 州 附 近 だ け で も 皇 龍 寺、 券 皇 寺、 興 輪 寺 以 下 五 十 八 ケ 寺 の 名 が 知 ら れ る。 真 興 王 五 年 ( 五 四 四) 興 輪 寺 真 興 王 代 祇 園 寺、 実 際 寺、 永 興 寺、 皇 龍 寺 真 平 王 十 九 年 ( 五 九 七) 三 郎 寺 善 徳 王 三 年 ( 六 一二 四) 芥 皇 寺 文 武 王 二 十 年 ( 六 八 ○) 四 天 王 寺 孝 昭 王 元 年 ( 六 九 二) 望 徳 寺 孝 昭 王 代 栢 栗 寺 景 徳 王 代 掘 仏 寺、 四 面 石 仏 恵 恭 王 七 年 ( 七 七 一) 奉 徳 寺 の 鐘 韓 国 仏 教 史 文 献 に は 約 二 百 ヶ 寺 の 名 を あ げ る が、 そ の 中 現 韓 国 古 美 術 巡 礼

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密 教 文 化 存 す る 寺 は 券 皇 寺、 栢 栗 寺、 仏 国 寺、 祇 林 寺 な ど で、 寺 趾 の の こ る も の は 二 十 七 ケ 所、 擬 定 さ れ た 寺 趾 約 三 十 ケ 所 で あ る そ こ に の こ る 遺 物 は 石 塔、 博 塔、 石 碑、 土 壇、 石 灯、 塔 趾、 金 堂 趾、 古 仏 像、 礎 石、 瓦 博、 憧 竿 支 柱 な ど で あ る。 仏 寺 の あ る の は 平 地 と 台 地 と 山 地 で あ る。 平 地 の 寺 は 主 と し て 新 羅 統 一 時 代 以 前 の 古 寺 で あ る。 例 え ば 興 輪 寺、 皇 龍 寺、 券 皇 寺、 三 郎 寺。 台 地 ま た は 山 麓 の 寺 は 四 天 王 寺、 望 徳 寺、 仏 国 寺 な ど で、 前 に は 平 潤 な 地 が あ り 後 に 山 を 負 う 地 形 で あ る。 こ れ ら は 主 と し て 新 羅 統 一 時 代 の も の で あ る。 山 地 の 例 は 人 里 は な れ た 山 地 に あ る。 慶 州 南 山 に こ の よ う な 山 寺 の 廃 趾 が あ る。 こ れ ら の 新 羅 の 寺 塔 は 当 時 盛 ん に 輸 入 さ れ た 唐 代 文 物 の 圧 倒 的 影 響 下 に あ り、 あ た か も 唐 文 化 の 一 部 分 の 感 を い だ か せ る。 新 羅 時 代 に は 恵 通、 義 湘、 元 暁 な ど の 名 僧 が 輩 出 し、 入 唐 す る 人 が あ り、 慧 超 は 入 竺 さ え し た ( ペ リ オ 発 見 慧 超 往 五 天 竺 国 伝)。 当 時 の 仏 教 は 国 家 鎮 護 の 法 と し て 尊 崇 さ れ た の で あ る か ら、 伽 藍 を 国 費 で 造 営 し た。 ﹁国 に 国 統、 州 に 州 統、 郡 に 郡 統 と い う 僧 官 が あ り、 ま た 四 天 王 寺、 奉 聖 寺、 感 恩 寺、 奉 徳 寺、 奉 恩 寺、 霊 廟 寺、 永 興 寺 な ど の 造 営 や 修 理 の た め の 成 典 と い う 役 僧 が あ っ た。 け れ ど も 仏 教 崇 拝 の あ ま り 弊 害 も あ っ た の で、 寺 へ の 寄 進、 仏 寺 の 新 規 建 立 を 禁 じ な け れ ば な ら ん こ と も あ っ た。 興 輪 寺 は 真 興 王 五 年 ( 五 四 四) に 落 成 し た 国 家 守 護 の 寺 で あ っ た。 い ま そ の 遺 跡 は 慶 州 の 町 の 南、 南 川 の 北 側 に の こ る。 東 西 五 〇 m、 南 北 三 〇 m、 高 さ 二 ・ 四 m の 土 坦 が 金 堂 の 趾 と い わ れ る。 皇 龍 寺 趾 は 半 月 城 の 東 北 約 一 キ ロ 半 の 地 点 に あ る。 新 羅 真 興 王 十 四 年 ( 五 五 三) 勅 命 に よ っ て 着 工 し 同 二 十 七 年 に 落 慶 し、 同 三 十 年 ( 五 六 九) に 周 囲 の 堂 宇 が 完 成 し た が 金 堂 や 塔 は お く れ た。 本 尊 丈 六 仏 像 の 鋳 造 は 真 興 王 三 十 五 年 ( 五 七 四) で あ り、 金 堂 は 真 平 王 六 年 ( 五 八 四) に 成 り、 塔 は 善 徳 女 王 十 二 年 ( 六 四 三) に 起 工 し、 翌 々 年 (六 四 五) に 完 成 し た。 金 堂 は 九 間 九 間 東 西 四 五 ・ 四 m、 南 北 二 〇 m、 塔 は 方 七 間、 高 さ 六 八 m の 九 層 の 木 造 塔 で あ っ た。 近 来 皇 龍 寺 趾 の 発 掘 が 行 な わ れ て す で に 三 年 を 経 た。 し か し な お 三 年 を 要 す る 由。 そ の 礎 石 の 大 き く 数 の 多 い こ と は 驚 く ば か り で あ り、 そ の 出 土 品 の 豊 富 な こ と は 期 し て 待 つ べ き も の が あ る。 な お、 当 寺 の 伽 藍 配 置 は 南 か ら 南 大 門、 中 門、 塔、, 金 堂、 講 堂 と 一 列 に 並 ぶ も の で 日 本 の 飛 鳥 時 代 の 諸 寺 の 設 計 図 の 先 躍 で あ る。

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券 皇 寺 ( プ ン フ ァ ン サ) 券 皇 寺 は 新 羅 善 徳 女 王 三 年 ( 六 三 四) 百 済 か ら 建 築 家 を 呼 ん で 建 て た 寺 で あ る が、 今 の こ る の は 石 塔 だ け で あ る。 も と 九 層 の 石 塔 で あ っ た が、 壬 辰 の 乱 に 大 破 損 し い ま 三 層 を の こ す。 こ の 塔 は 博 の よ う な 薄 く 細 長 い 安 山 岩 で 造 築 し、 初 層 は 幅 六 ・ 五 m、 高 さ 二 ・ 六 m、 二 層 三 層 と 上 に な る に 従 っ て 大 い さ と 高 さ を 減 ず る。 遺 跡 は 皇 龍 寺 趾 の 北 に あ っ て、 現 存 す る の は 石 塔 の 他 に は 撞 竿 支 柱 一 対 だ け で あ る。 境 内 に は 礎 石 石 灯 籠 台 石 な ど が 散 乱 す る。 石 塔 の 初 層 の 内 部 は 一 ・ 五 〇 m ほ ど。 四 面 に 入 口 を つ く り そ の 左 右 の 石 に 金 剛 力 士 像 を 浮 彫 る。 そ の 様 式 は 初 唐 の も の に 似 て か な り 写 実 的 で あ る。 総 督 府 が こ の 塔 を 修 理 し た 時 に 二 層 と 三 層 の 間 か ら 石 函 を 発 見 し、 そ の 中 か ら 多 く の 曲 玉、 管 玉、 丸 玉、 透 明 飾 金 具、 鋏、 針 筒 な ど が 出 た。 入 口 左 右 の 金 剛 力 士 の 石 像 と と も に 善 徳 女 王 建 立 の 記 録 を 傍 証 す る こ と に な っ た。 塔 の 基 壇 の 四 隅 に 石 獅 子 を お く。 金 剛 力 士 像 あ ま り 誇 張 し な い で し か も ス カ ー フ は う す く モ デ リ ン グ は 充 分 で あ る。 七 世 紀 も 後 半 ま で 行 か ず、 そ の は じ め 頃、 つ ま り 初 唐 様 式 を う け て い る。 す な わ ち こ れ は 塔 創 建 時 代 (六 三 四) の も の と 認 め て よ い。 だ か ら 同 時 代 の 唐 様 式 を う つ し た と い え る。 太 宗 皇 帝 時 代 の 長 安 大 雁 塔 の 聖 教 序 な ど に 見 る 彫 像 と 比 較 す べ き で あ る か ら、 韓 国 美 術 史 の 資 料 と し て だ け で な く、 中 国 彫 刻 史 の 参 考 資 料 と し て も 貴 重 で あ る。 入 体 の 金 剛 力 士 の ポ ー ズ は い ろ い ろ で あ る。 右 腕 を ま げ て 肩 よ り 上 に 上 げ る も の 三 体、 ま げ な い で 上 げ る も の 一 体、 胸 ま た は 腰 に つ け る も の が 四 体、 左 腕 ま た は 腰 に つ け る も の が 七 体、 頭 に 上 げ る も の が 一 体 で あ る。 一 つ の 入 口 で は 左 右 均 斉 に せ ず に そ れ を 破 っ て 変 化 を も た せ る。 各 像 は 無 文 の 円 頭 光、 固 形 の 胸 飾、 イ ン ド の ド ホ ー テ ィ ー を つ け、 ス カ ー フ を 垂 ら す。 ス カ ー フ の 一 端 は 風 に 吹 き 上 る。 風 雨 で い く ら か 摩 損 し て い る が 八 体 と も 完 存 す る の は 喜 ぶ べ き こ と で あ る。 石 獅 子 (西 南、 西 北、 東 北、 東 南 の 隅 々) 細 部 は 風 雨 に 磨 損 し て い る が、 立 派 な 初 唐 式 の 獅 子 で あ る。 西 南 隅 の も の は た て が み や 前 両 脚 を 失 な わ ず に の こ し て い る。 四 天 王 寺 趾 ( サ チ ョ ン ワ ン サ) 四 天 王 寺 の 趾 は 慶 州 東 南 方 の 内 東 面 排 盤 里 の 台 地 に あ る。 韓 国 古 美 術 巡 礼

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密 教 文 化 そ の 草 創 は 文 武 王 二 十 年 ( 六 八 ○) と さ れ る。 遣 跡 の 中 心 に 金 堂 趾 の 大 土 壇 が あ る。 礎 石 は 大 方 の こ っ て お り 正 面 五 間、 側 面 三 間、 礎 石 は 方 柱 座 上 に 二 重 の 円 柱 座 を つ く る。 堂 の 中 央 の 左 右 に 径 三 六cm の 円 形 の 造 り 出 し を な し 中 央 に 円 孔 の あ る 石 が 一 個 ず つ あ る。 塔 の 跡 は 金 堂 前 面 に 左 右 対 称 の 位 置 に あ る か ら、 東 塔 西 塔 と す る こ と が で き、 方 形 土 壇 と 礎 石 を の こ す。 中 心 礎 ま た は 方 柱 座 の 中 央 に 方 形 の 舎 利 器 孔 を 掘 っ て あ る。 も と 金 堂 を 中 心 に 廻 廊 を め ぐ ら し、 内 部 に 東 西 両 塔 を 配 し、 四 隅 に 天 王 堂 が 一 つ ず つ あ っ た よ う で あ る。 東 西 両 塔 は わ が 日 本 の 薬 師 寺 の 伽 藍 配 置 の 新 羅 に お け る 前 躍 と す る こ と が で き る。 こ の 遺 跡 か ら 四 天 王 像 の 博 が 数 枚 発 見 さ れ て い る。 雄 勤 な 博 で あ る。 台 地 の 下 の た ん ぽ の 中 に 二 個 の 亀 跣 が 半 ば 埋 も れ て い る。 武 烈 王 の 亀 跣 に 比 し て さ ほ ど 見 劣 り す る も の で も な い の に こ の よ う に 放 置 さ れ て い る の は、 さ す が に 慶 州 な る か な と 驚 い た。 遺 跡 が 多 す ぎ て ま だ 整 理 の 手 が 及 ぼ な い の だ。 台 地 の 廃 肚 に は 屋 根 瓦 や 壇 の 破 片 が 散 乱 し て い る。 望 徳 寺 祉 慶 州 内 東 面 排 盤 里 の 神 文 王 陵 と 道 を へ だ て て 対 す る 西 の 台 地 上 に 望 徳 寺 の 遺 趾 が あ る。 木 造 の 塔 玩 や 金 堂 趾 が あ る。 塔 は 金 堂 前 面 東 西 に 二 つ 並 ん で い た。 こ れ も 前 の 四 天 王 寺 と 同 様 の 配 置 で あ る。 こ の 寺 の 草 創 は 孝 昭 王 元 年 (六 九 二) と す れ ば、 四 天 王 寺 の 創 建 よ り 十 三 年 後 で あ る。 日 本 で い え ば 持 統 天 皇 の 時 代 に あ た る。 古 新 羅 時 代 の 仏 像 石 造 半 蹴 思 惟 像 慶 州 郡 府 内 面 西 岳 里 松 花 山 麓 出 土 ( 関 野 朝 鮮 美 術 史、 松 原 要 説 Fig. 14、 中 村 慶 州 の 美 術 Fig. 66、 金 載 元 韓 国 美 術Pl.51、 中 吉 新 羅 高 麗 の 仏 像 Fig. 45、 中 吉 海 東 の 仏 教 Fig. 47) 頭 部 と 両 腕 を 欠 く が や や 大 き い 石 像 ( 高 一 ・ 二 三 m) で 半 跳 思 惟 像 中 で 重 要 で あ る。 左 の 足 の 指 が 見 え、 そ の 左 右 に 懸 裳 が ほ ぼ 垂 直 に 垂 れ る。 そ の ひ だ は 陰 刻 線 で な く 段 を な す ひ だ で あ っ て、 そ こ に な お 隆 起 線 の お も か げ を の こ す。 中 国 で 類 例 を 求 め る と す れ ば、 西 安 出 土 の 像 ( 松 原 研 究Pl. 68、 要 説Fig. 109 北 魏) だ が、 あ の 像 の よ う に ひ だ が 広 が ら な い の は あ れ よ り お そ い 相 と 見 え る。 し か し そ の ひ だ は な お か な り 厚 く て 複 雑 で あ る。 北 斉 以 前 の 東 魏 (西 紀 五 四 〇 こ ろ) の 様 式 を う け て い る よ う で あ る。 年 代 は 六 〇 〇 年 前 後 か。 ( Cf. 北 斉 半 珈 思 惟 像

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松 原 研 究Pl.1096) 石 造 釈 迦 仏 坐 像 慶 州 郡 府 内 面 仁 旺 里 発 見 国 立 慶 州 博 物 館 蔵 ( 古 蹟 図 譜III1360、 世 界 文 化 史 大 系XIX, Fig. 198) 無 文 の 円 頭 光、 ひ く く て ひ ろ い 肉 髪、 肩 に と ど く 耳、 童 顔 喉 の 三 道 は 荒 れ て は っ き り し な い。 二 道 か も し れ ぬ。 衣 は あ つ い 段 階 状 の ひ だ。 磨 損 甚 し く 両 手 を 失 な う。 両 膝 の 張 り は せ ま い。 小 ぎ れ い な か わ い い 仏 像。 か け 裳 は ま っ す ぐ 垂 れ る が、 ひ だ が 多 い。 北 斉 初 期 ご ろ の 様 式 を そ な え る。 南 山 禅 房 谷 寺 趾 ( 拝 里) 三 体 石 仏 ( 小 場 藤 田 梅 原、 慶 州 南 山 の 仏 蹟PL.34, 35, 36、 中 村 慶 州 の 美 術Fig. 71、 中 吉 新 羅 高 麗 の 仏 像 Fig. 107、 中 吉 海 東 の 仏 教Fig. 44、 金 載 元 韓 国 美 術Fig. 53) 中 尊 は 通 肩 に し て 右 肩 に 少 し か か る。 衣 文 は 思 い 切 っ て 省 略 し て い る か ら 北 斉 以 後 の 風 で あ る。 手 の 形 は よ く て か な り 入 念 に つ く り 出 す。 衣 文 は 身 中 線 上 で 湾 曲 し わ ず か に 五 本 し か な い。 そ し て 二 本 一 組 で あ る。 足 は か た く て 形 式 的 で あ る。 肉 髪 は ひ ろ く て 低 い。 頭 の 上 の 方 と 肉 髪 に 髪 は な い が、 頭 の 下 の 方 だ け に 螺 髪 が あ る。 こ れ は 珍 ら し い。 顔 は 丸 顔 で 童 顔 で あ る。 身 体 が 短 か く 童 顔 に よ く 一 致 す る。 北 魏 風 で な く 北 斉 の 風 を う け て い る。 向 っ て 左 の 脇 侍 は 左 手 に 蓮 花 を も っ て 左 肩 に あ げ る。 大 き な 華 婁 を 足 ま で 垂 ら す。 童 顔 で 背 が 低 い。 こ の 尊 だ け が 蓮 花 座 に 立 つ。 向 っ て 右 の 尊 は 両 側 に ス カ ー フ が 垂 れ る か ら 菩 薩 で あ る。 顔 も 衣 文 も 荒 れ て よ く わ か ら ぬ。 も と か ら ひ だ の 線 は 少 な か っ た よ う だ。 三 尊 と も 概 し て 衣 は う す い が、 前 面 は 扁 平 で あ っ て 肉 付 は よ く な い。 階 式 で な い し、 勿 論 唐 式 ま で 行 っ て い な い。 イ ン ド 風 な の は 螺 髪 だ け で あ る。 け っ き ょ く の 所 北 斉 頃 の 薄 衣 の 彫 像 法 を う け た も の か。 様 式 は 北 斉、 製 作 年 代 は 六 世 紀末-七 世 紀 初 と 見 れ ば よ い。 こ れ と 比 較 す べ き も の は 東 京 書 道 博 物 館 蔵 北 周 天 和 二 年 ( 五 六 七) 銘 石 造 菩 薩 立 像 (水 野 中 国 の 彫 刻 Pl.66A) で あ る。 南 山 長 倉 谷 三 尊 石 仏 ( 南 山 の 仏 蹟Pl.5, 6、 中 村 慶 州 の 美 術Fig. 67, 68、 金 載 元 韓 国 美 術Fig. 55, 56、 中 吉 新 羅 高 麗 の 仏 像Fig. 66) 国 立 慶 州 博 物 館 蔵 南 山 長 倉 谷 に 古 新 羅 の 古 墳 五-六 基 が あ る。 最 大 の 古 墳 か ら 石 彫 仏 碕 像 が 発 見 さ れ、 ま た 民 家 に 石 彫 二 菩 薩 像 が か く さ れ て い た。 こ れ ら の 三 像 は 一 具 の も の で あ る。 中 尊 の 仏 碕 像 は 全 高 一 ・ 六 二 m、 円 頭 光 に 蓮 花 を 中 心 と し て 陰 刻 す る。 肉 髪 頭 部 に 髪 が な い。 肉 髪 は わ り に 小 さ く て 低 い。 耳 は 長 く て 蛮 曲 し 肩 ま で と ど く。 眉 の 線 は 鼻 根 に 連 な 韓 国 古 美 術 巡 礼

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密 教 文 化 り 眼 は 西 イ ン ド の ア ジ ャ ン タ の 諸 像 の よ う に は っ き り し な い が、 下 向 き の 伏 し 目 で グ プ タ 風 と 考 え て よ い。 鼻 が わ り に 大 き く 口 は 小 さ く 唇 が う す い。 顔 が 身 体 に 比 し て 大 き い の で 子 供 の よ う に 無 邪 気 で あ る。 肩 幅 は せ ま く て な で 肩 で あ る。 衣 は 通 肩 で い わ ゆ る 羽 織 式、 し か し 衣 は う す く な っ て い る か ら 北 斉 風 で あ っ て、 そ れ 以 前 の 北 魏 末 の 様 式 で な い。 内 衣 の 帯 の 結 び 目 を あ ら わ す の は 北 魏 後 期 以 来 の 風 で あ る。 ひ だ は う す く て 段 に な っ て い る。 脛 の と こ ろ で 渦 巻 の よ う に ひ だ が 円 く な っ て い る。 両 手 と も に 四 指 を ま げ る。 手 は や や 柔 か い の に 足 の 指 は ま っ す ぐ で 固 い。 六 世 紀 後 半 の 中 国 仏 像 の 様 式 を う け て 動 き が な い が 清 純 で あ る。 こ れ に 対 し て 両 脇 侍 は ど う か。 花 嵩 岩 造 の 背 の 低 い 可 愛 い い 像 で あ る。 円 頭 光 に 装 飾 な く、 三 面 宝 冠 を つ け る。 顔 が 大 き く て 身 体 は 小 さ い。 ひ だ は 形 式 化 す る。 脚 は 小 さ く 足 は 指 だ け を 示 す。 全 く 動 き が な い。 高 さ は 約 一 m、 ひ だ を か な り 多 く 現 わ し 天 龍 山 の 北 斉 の 像 よ り 古 様 で あ る。 光 背 が 無 文 円 形 で 北 斉 風 で あ る。 北 斉 の 五 五 〇 年 頃 の 様 式 を 伝 え て い る。 実 年 代 は 六 〇 〇 年 前 後 か。 右 の 菩 薩 は 右 に 蓮 花 の 蕾 を と り、 左 に 荷 葉 を と り、 左 の 菩 薩 は 手 に 楽 器 様 の も の を も ち、 右 手 は 指 を 捻 ず。 以 上 は 私 の 考 え で あ る が、 黄 寿 永 に ょ る と、 こ の 三 尊 は も と の 三 花 嶺 の 生 義 寺 の 石 造 弥 勒 三 尊 と 推 定 さ れ、 年 代 は 善 徳 女 王 十 二 年 (六 四 四) に 当 た る と。 南 山 茸 長 寺 趾 坐 像 (南 山 の 仏 蹟Pl.62-68、 中 村 慶 州 の 美 術P. 117, Pl.82、 金 載 元 韓 国 美 術Fig.73、 中 吉 新 羅 高 麗 の 仏 像Fig. 59) 仏 像 で あ る か 比 丘 像 で あ る か 疑 わ し い 首 な し 像 で あ る。 も し も こ れ が 仏 像 で あ る な ら ば 衣 は 北 魏 後 期 の 羽 織 風 の 衣 に 近 い。 し か し 衣 端 が 突 出 し て と が る こ と は こ こ で は な い か ら、 そ の 点 は 北 魏 風 で な く 北 斉 あ た り の や わ ら か い 衣 の 処 理 法 を 示 し て い る。 小 場 氏 が い う よ う に 新 羅 盛 時 の 唐 様 式 と 認 め る こ と は 到 底 で き な い。 は ん じ ょ く な も か け 座 は 北 魏 後 期 の 名 残 で あ る。 も し 僧 形 と す る な ら ば 袈 裟 は 写 実 的 と 解 す る こ と が で き て も、 も か け 座 は 不 可 解 で あ る。 ど う し て も 八 世 紀 の 唐 風 で は な い。 例 え ば 石 窟 庵 の 本 尊 よ り は 以 前 で な け れ ば な ら な い。 ず ん ぐ り し た 体 躯 も こ の こ と を 支 持 す る よ う で あ る。 頭 部 が な い の で 仏 か 比 丘 か 明 確 で な い が、 い ろ い ろ の 兆 候 か ら す る と、 北 斉 北 周 様 式 の ず ん ぐ り し た 型 ( も か け 座 に 北 魏 風 を の こ す) の 仏 像 で あ る と 見 る の が 穏 当 の よ う で あ る。 印 は 触 地 印 と 定 印 で あ る と 見 え る。 七 世 紀 の 製 作 で あ ろ う。

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南 山 茸 長 渓 寺 祉 仏 頭 ( 南 山 の 仏 蹟P.61) 南 山 茸 長 渓 寺 趾 よ り 渓 を 湖 る こ と 三 〇 〇 m の 所 で 大 正 十 四 年 に 渡 理 文 哉 氏 が 仏 頭 一 個 を 発 見 し た。 い ま 慶 州 国 立 博 物 館 に あ る。 仏 頭 の 長 さ〇 ・ 五 三 m、 幅〇 ・ 四 二 m、 頸 の 部 分 が 欠 損 し て い る。 こ の 仏 頭 は ま る 顔 で 童 顔 で あ る。 頭 に 毛 が な い。 眼 は 伏 し 目 だ が 境 界 線 は は っ き り し な い。 大 き な 白 毫 が あ る。 古 い 型 で あ っ て 石 窟 庵 本 尊 に 比 べ る と こ の 方 が 古 い。 類 例 は 上 記 の 諸 作 品 で あ る。 様 式 は 北 斉 ・ 階 と い う と こ ろ、 制 作 は 七 世 紀 に 入 る か も し れ な い。 金 銅 半 蹴 思 惟 像 ( 古 蹟 図 譜II, 1361-64、 関 野 建 築 と 美 術Pl.11, Fig. 318、 松 原 要 説 Fig. 150、 新 羅 口同 麗 の 仏 像32、 ソ ウ ル 中 央 博 図 録 113) 慶 尚 北 道 安 東 地 区 出 ソ ウ ル 国 立 中 央 博 物 館 蔵 高 さ 八 三 ・ 二cm、 古 新 羅 時 代六-七 世 紀 保 存 の 完 好 な や や 大 き い 像 で あ る。 大 き な 頭 冠 を い た だ き 頭 冠 か ら リ ボ ン が 左 右 に 垂 れ、 上 半 身 は ほ そ く、 う す い ス カ ー フ を ま と う。 腕 も ほ そ い。 肩 の 部 分 に か か る ス カ ー フ が 左 右 に は ね て い る の は 北 魏 末 の な ご り で あ る。 脚 に ま と う ス カ ー フ は や や 写 実 的 に 隆 起 線 で あ ら わ す が、 そ れ 以 外 の か け も は 形 式 化 し て 主 と し て 陰 刻 線 に 頼 る。 そ れ ら は 垂 直 に 垂 れ て や や 固 定 化 し て い る。 左 足 は 別 の 小 蓮 花 を ふ む。 中 宮 寺、 広 隆 寺 の 半 蜘 思 惟 像 に 似 る。 北 斉 天 保 頃 の 像 を 原 型 と し て い る。 例 え ば 松 原 要 説140 図 天 保 元 年 ( 五 五 〇) 像 や142 図 天 保 八 年 ( 五 五 八) 像 な ど と 比 較 す べ き か。 製 作 は六-七 世 紀 と さ れ て い る。 金 銅 半 珈 思 惟 像 ( 図 譜III 1365, 1366 関 野 同 書 Fig. 319 松 原 要 説Fig. 16 中 吉 新 羅 高 麗33 ソ ウ ル 中 央 博 図 録114) も と 徳 寿 宮 美 術 館、 い ま ソ ウ ル 国 立 博 物 館 所 蔵、 慶 州 南 五 陵 出 土 高 さ 九 三cm、 六-七 世 紀 前 の 像 よ り も 太 い け れ ど も、 こ れ だ け 見 る と 太 い と は い え な い。 簡 単 な 頭 飾 を な し、 う つ 向 き 加 減 で 静 か に 内 省 す る す が た。 胸 に 一 種 の 胸 飾 が あ る 以 外 に 上 半 身 は ほ と ん ど 裸 体 に 近 い の で、 ま こ と に す っ き り し て い る。 北 斉 末 の 様 式 に 近 い。 下 裳 の ひ だ は 複 雑 で あ る が、 充 分 や わ ら か な、 ふ ん わ り し た 布 の 感 じ を 出 し て い る。 北 斉 の 天 保 河 清 こ ろ に こ の よ う な 自 由 な ひ だ が つ く ら れ て い る。 裸 体 の 上 半 身 と 下 裳 は こ の 像 を 前 の 像 よ り お そ い と 見 る こ と を 許 す。 こ れ は 側 面 観 を 意 識 し て つ く ら れ て い る。 国 立 中 央 博 の 近 頃 で き た 陳 列 品 図 録 に は こ の 像 を 三 国 時 代 百 済 の 作 と し、 そ の 裸 体 は 中 国 南 朝 の 作 風 に 淵 源 す る と 認 め る。 こ の 考 え 方 韓 国 古 美 術 巡 礼

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密 教 文 化 は さ い し ょ 関 野 博 士 か ら 出 た の で あ る 。 た し か に 理 由 の あ る こ と で あ ろ う が、 こ れ と 比 較 す べ き 南 朝 の 作 品 が 皆 無 で あ る か ら、 こ れ を 積 極 的 に 主 張 す る 根 拠 は な い 。 細 身 の 像 は 南 朝 風 か も し れ な い が 北 朝 に も な い こ と は な い 。 例 え ば 山 東 省 蓮 華 洞 の 脇 侍 は 細 長 い 。 ま た 金 銅 像 で は 細 長 い 像 が 北 方 に 沢 山 あ る 。 こ の 像 も ま た 中 宮 寺、 広 隆 寺 の 両 像 と 比 較 す べ き で あ る 。 三 尊 石 仏 慶 北 軍 威 郡 南 山 洞 陽 山 中 腹 石 窟 内 所 在 ( 美 術 研 究 二 五 〇 号昭42pp.1-21松 原 三 郎 軍 威 石 窟 三 尊 仏 中 吉 海 東 の 仏 教 83 ) 一 九 六 一・ 年 九 月 黄 寿 永 発 見 奥 行 と 高 さ と も に 四 ・ 三 m、 幅 三 ・ 八 m、 岩 壁 は 花 嵩 岩、 仏 像 は 他 処 で つ く っ て 運 び 上 げ た 丸 彫 の 花 簡 岩 造、 光 背 に 唐 草 文 と 火 炎 文 あ り 。 本 尊 の 全 高 二 八 六cm の 坐 像 。 大 き な 頭 部 円 柱 状 の 胴 な ど 全 く 階 様 式 で あ る 。 中 国 で の 類 例 は 竜 門 薬 方 洞 本 尊 阿 弥 陀 坐 像 を あ げ る こ と が で き る 。 脇 侍 は 彫 り が や や 簡 単 で 精 細 で な い が、 ボ ス ト ン 博 物 館 に あ る 階 代 菩 薩 像 ( 六 一 七 ) に 近 い 。 こ の よ う に 見 る と 軍 威 石 窟 三 尊 像 は 六 〇 〇 ー 六 一 七 年 こ ろ の 様 式 で あ る 。 こ こ は 韓 国 で あ る か ら 時 間 的 な ず れ を 見 込 ん で 七 世 紀 前 半 ( 古 新 羅 末 期 ) の 像 と 見 る こ と が で き よ う 。 新 羅 統 一 時 代 の 仏 教 美 術 新 羅 統 一 時 代 の 仏 教 の 遺 物 を 主 な も の に 限 っ て 年 代 順 に と り あ げ、 そ の 時 代 の 状 勢 を 知 る 手 だ て と し よ う 。 感 恩 寺 ( 韓 国 国 立 博 物 館 報 告 第 二 冊 一 九 六 一 年 金 載 元 ・ 罪 武 柄 感 恩 寺、 こ れ を 熊 谷 宣 夫 が 美 術 史 47 号 に 紹 介、 金 載 元 韓 国 美 術Fig. 5, 30, 62, 63 ) 慶 北 月 城 郡 陽 北 面 竜 堂 里 所 在、 新 羅 統 一 時 代 新 羅 第 三 十 一 代 神 文 王 が 開 耀 二 年 (六 八 二 ) に 建 て た 。 伽 藍 配 置 は 金 堂 の 前 面 左 右 に 東 西 両 塔 を お く 形 式 で あ る 。 塔 は 三 層 石 塔 で あ り、 金 堂 の 床 張 は 石 材 を も っ て す る 。 床 を 石 張 り と し 上 層 の 構 築 を 木 造 と す る こ と は 仏 国 寺 多 宝 塔 や 石 窟 庵 の 構 築 を 可 能 に し た 下 地 と し て 考 え ら れ る 。 塔 の 中 で 発 見 さ れ た 青 銅 舎 利 寵 の 外 壁 に 漆 で 四 天 王 を 附 着 し て あ っ た 。 各 面 に 一 体 ず つ で あ る 。 四 天 王 の あ る も の は 獣 座 に の る 。 金 剛 力 士 の よ う に 誇 張 し た 恰 好 を と ら な い が、 天 衣 の は し は 翻 え る 。 こ れ に よ っ て 唐 代 の 四 天 王 の 型 を 知 る こ と が で き る 。 各 天 王 の 左 右 に 宝 相 華 の よ う な 花、 連 珠 を く わ え る 獅 子 面 (Kirtimukha ) を お く 。 舎 利 を 守 護 す る 意 味 で あ る 。 四 注 形 の 蓋 の 各 面 に 鳳 鳳 を 配 し そ の 境 界 線 に 雲 文 を お

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く。 四 天 王 の う ち 牛 に の る 持 国 天 は 槍 を も つ。 頭 の ま わ り に 環 が あ る。 少 し だ け 眼 を 瞑 ら し、 右 の 手 を 拳 に し て 腰 に お く。 頭 飾 の リ ボ ン は 風 に 吹 き 上 げ ら れ、 ス カ ー フ も 風 に 吹 き 上 げ ら れ る。 そ れ だ け が 身 体 の 動 き で あ る。 そ の 他 に 動 き は な い が、 力 が 内 に 充 実 し て い る。 小 像 で あ る の に 巨 像 の よ う な 力 を そ な え て い る。 像 の 全 面 に 緑 青 が ふ い て い る。 初 唐 の 様 式 で あ る。 七 世 紀 前 半 の 唐 様 式 で あ る。 増 長 天 の 乗 獣 は な く な り 多 聞 天 は 邪 鬼 に の る。 仏 寵 内 に 仏 壇 形 の 銅 の 舎 利 器 を 入 れ る。 壇 上 四 面 も 四 本 柱 を た て 勾 欄 を め ぐ ら し、 連 珠 垂 飾 な ど を つ る し、 飛 天 楽 天 を 配 し、 坦 上 中 央 に 安 置 す る ガ ラ ス と 銅 の 二 重 瓶 に 収 蔵 す る 舎 利 を 供 養 す る 仕 組 み で あ る。 仏 壇 の 上 方 に は 天 蓋 に な ぞ ら え た 唐 草 文 そ の 他 の 装 飾 が あ り、 基 坦 の 四 面 に 格 狭 間 に 合 掌 す る 菩 薩 や 薬 叉、 徐 儒 を お く。 全 体 と し て 稀 に 見 る 精 巧 な 工 芸 品 で あ っ て、 こ れ に よ っ て 唐 代 盛 期 の 工 芸 を 見 る に 足 る。 皇 福 寺 三 層 石 塔 発 見 舎 利 器 ソ ウ ル 博 物 館 所 蔵 ( 美 術 研 究 昭25・9No. 一 五 六 号 梅 原 末 治 紹 介、 慶 州 狼 山 東 麓 九 黄 里 所 在、 杉 山 信 三 朝 鮮 の 石 塔 に 九 黄 里 三 層 石 塔 と し て 出 る) 皇 福 寺 趾 三 層 石 塔 の 第 二 層 屋 蓋 中 央 に 凹 み が あ っ て 銅 の 舎 利 器 が 入 っ て い た。 銅 函 の 中 に 銀 の 小 筥 が あ り、 銀 の 小 筥 の 中 に 金 の 小 筥 が 入 れ 子 に な っ て い た。 四 粒 の け し 粒 大 の 號 珀 色 の 舎 利 は も と 破 璃 の 舎 利 器 に 入 れ ら れ ( 破 璃 瓶 は 粉 砕 さ れ て 見 つ か る)、 そ の 瓶 が 金 銀 銅 の 三 重 の 筥 に 収 め ら れ て い た。 こ の よ う に 舎 利 を 三 重 四 重 に 入 れ 子 に す る の は イ ン ド 仏 教 の 初 期 か ら 行 な わ れ、 イ ン ド に い く つ も の 類 例 が 知 ら れ て い る 金 銅 外 函 の 側 面 に 四 面 と も 上 下 三 段 に 点 文 で 二 層 塔 九 十 六 基 を あ ら わ す。 蓋 の 内 面 に 十 八 行 各 行 二 十 字 の 漢 字 銘 文 が あ る。 銘 文 に よ る と、 こ の 石 塔 は 天 授 三 年 ( 六 九 二) に 神 文 王 の 嘉 去 に よ っ て 皇 后 と 孝 昭 王 が 発 願 し て 聖 暦 三 年 ( 七 〇 〇) ま で の 間 に 建 立 さ れ た。 聖 徳 王 五 年 (七 〇 六) に 孝 昭 王 と 神 畦 太 后 の た め に 右 の 塔 の 第 二 層 屋 蓋 に さ ら に 舎 利 一 具 を 奉 納 し た。 黄 金 小 筥 は 方 一 寸 ( 三cm) の も の で 作 り は 打 物 ら し い。 銀 小 筥 は 方 一 寸 七 分 ( 約 五cm)、 お よ そ 同 形 の も の で あ る。 こ れ ら の 小 筥 と と も に 黄 金 の 仏 小 立 像 と 仏 小 坐 像 が 各 一 躯 発 見 さ れ た。 黄 金 仏 小 立 像 ソ ウ ル 国 立 博 物 館 ( ソ ウ ル 図 録131) 宝 珠 形 の 透 し 彫 の あ る 美 し い 光 背 を い た だ く。 そ の 中 心 は 蓮 花 で あ る。 外 縁 は 火 焔 で あ る。 光 背 を ふ く ん で 高 さ 虞cm。 韓 国 古 美 術 巡 礼

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密 教 文 化 頭 部 と 肉 髪 に 毛 が な い。 へ ん だ ん 右 肩。 衣 は や や 厚 く、 衣 の は し は ま っ す ぐ 垂 れ る が、 肉 体 は あ ま り は っ き り し な い。 イ ン ド の 影 響 は 認 め ら れ な い。 階 式 で な い し 動 き も な い。 右 手 施 無 畏、 左 手 迦 裟 角 を と る。 一 言 に し て い え ば 唐 式 の 動 き の な い ず ん ぐ り 型 で あ っ て、 唐 代 初 期 の 風 を つ た え る。 黄 金 仏 小 坐 像 ソ ゥ ル 国 立 博 物 館 宝 珠 形 頭 光 と 楕 円 身 光 を 組 み 合 わ す。 蓮 花、 唐 草 文 火 焔 文 を す か し 彫 と す る。 こ の 坐 像 の 衣 文 は 鋭 く て 厚 い。 顔 は 丸 顔 で 肉 髪 頭 部 に 毛 が な い。 も か け 座 で あ る が 北 魏 風 に 左 右 に 突 出 し な い で 唐 式 に 垂 下 す る。 前 の 立 像 よ り も 整 っ た 感 じ で、 側 面 観 で も 仏 は 身 体 を ま っ す ぐ に 保 っ て い る。 前 の 立 像 は 少 し 前 か が み で あ り、 胴 が 厚 い。 唐 代 初 期 の 風 と 見 る べ き で あ る。 銘 文 に よ る と こ の 坐 仏 は 阿 弥 陀 仏 で あ る。 七 世 紀 後 半 の 制 作。 石 造 阿 弥 陀 如 来 立 像 慶 州 外 東 面 上 薪 里 廃 甘 山 寺 出 土 ( 古 蹟 図 譜V1923 中 吉 海 東 の 仏 教 Fig. 78 金 載 元Pl.67) ソ ウ ル 国 立 博 物 館、 光 背 に 銘 が あ り、 開 元 七 年 ( 七 一 九) の 造 像 と す る。 台 座 は 八 角 の 台 を 二 段 に 重 ね、 そ の 上 に 蓮 花 を 二 つ 重 ね て、 そ の 上 に 仏 立 像 を お く。 仏 衣 の ひ だ の 数 は 多 い が う す い。 右 手 施 無 畏 左 手 迦 裟 角 を と る。 衣 が う す く て 肉 体 の 盛 り 上 り が よ く 見 え る。 肉 髪 は か な り 高 い。 衣 の ひ だ は 円 弧 を 描 い て 両 肩 か ら 垂 れ、 肉 身 の ふ く ら み を 柔 ら か く 表 わ し て い る。 中 国 の 武 后 時 代 の、 即 ち 盛 唐 時 代 の 像 に 比 し て 見 劣 り し な い。 光 背 は 楕 円 身 光 と 円 頭 光 で あ っ て、 そ の 周 縁 に 火 焔 が あ る。 石 造 弥 勒 菩 薩 立 像 同 じ 甘 山 寺 出 (図 譜V1927 中 吉 海 東 の 仏 教Fig. 77 金 載 元 韓 国 美 術Pl.66) ソ ウ ル 国 立 博 物 館 像 高 一 八 三cm、 こ の 像 も 同 じ 場 所 に 同 じ 年 に ま つ ら れ て あ っ た。 現 存 在 銘 仏 像 中 最 古 の も の で あ る。 相 好 は 端 厳 で 姿 勢 が よ く 整 い、 細 い 衣 文 を 透 し て 肉 体 美 を う か が わ せ る。 菩 薩 は ド ホ ー テ ィ ー を 巻 き、 す そ を 上 に 少 し か ら げ る 恰 好 を し て い る。 こ の よ う な ド ホ ー テ ィ ー を つ け た 像 が 日 本 の 四 十 八 体 仏 の 菩 薩 の 中 に も あ る。 衣 摺 は 細 く 浅 く 数 が 多 い。 台 座 は 八 角 座 の 上 に 仰 臆 蓮 花 座 を の せ る。 背 の 高 い す ら り と し た、 し か も や や 腰 を ひ ね る 温 雅 な 像 で あ る。 右 手 を 下 げ 左 肱 を ま げ て 手 を 胸 に あ て る。 唐 代 様 式 に ち が い は な い が、 石 窟 庵 本 尊 よ り 古 い。 掘 仏 寺 四 面 石 仏 慶 尚 北 道 慶 州 郡 川 北 面 所 在 ( 古 蹟 図譜V 1933-1937 中 吉 功 Fig. 69 金 載 元Pl.69) 小 金 剛 山 の 麓 栢 栗 寺 の 登 り 口 に あ る。 大 き な 岩 石 の 四 面 に

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石 仏 を ほ る。 東 面 薬 師、 西 面 阿 弥 陀、 南 面 釈 迦、 北 面 弥 勒、 他 に 六 鷺 十 一 面 観 音 線 刻 八 世 紀 前 半 四 面 石 仏 の 正 面 ( 西 面) の 幅 約 三 ・ 六 三 m、 阿 弥 陀 三 尊 立 像 を 浮 彫 る。 本 尊 は 高 さ 約 三 ・ 六 三 m、 頭 部 を 丸 彫 と し、 体 躯 を 浮 彫 と し 衣 文 を 陰 刻 す る。 両 脇 侍 は 丸 彫 で 高 さ 約 二 ・ 七 〇 m、 中 尊 の 体 躯 は う す い 浮 彫 で あ る。 ひ だ は 階 段 状 を な し き わ め て う す い。 し か し 体 の ま る み を 充 分 出 し て い な い。 そ の 線 は 栢 栗 寺 の 薬 師 の よ う に 奪 曲 線 の 下 底 部 で や や 尖 っ て い る の が 特 色 で あ る。 頭 部 は 別 石 で 丸 彫 と す る。 左 脇 侍 の 面 相 は 中 尊 に 似 て い る か ら 同 時 代 で あ ろ う。 右 脇 侍 の 頭 部 は 破 損 し た。 菩 薩 の 両 脚 の ひ だ は 段 を な し、 栢 栗 寺 薬 師 の ひ だ に 近 い。 こ れ ら の 像 は グ プ タ 様 式 と い わ れ る が、 そ れ は 衣 が 薄 い と い う こ と だ け で あ っ て、 ひ だ の 数 は 多 い の は グ プ タ 風 で な く ガ ン ダ ー ラ 風 で あ る し、 面 相 は イ ン ド 風 で な く 中 国 風 で あ る。 南 面 の 釈 迦 像 と 脇 侍 像 は ど う か。 仏 は 頭 部 を 失 な っ た。 衣 は グ ブ タ 風 の 薄 衣 で あ る。 衣 文 は 陰 刻 線 で 全 身 の り ん か く が は っ き り す る。 右 手 を 垂 れ 左 手 を 上 げ る。 菩 薩 の 尊 名 は 不 詳 こ れ も 軽 快 な 表 現 で 盛 唐 様 式 で あ る。 東 面 の 薬 師 如 来 は 左 手 に 薬 壷 を も つ。 膝 前 の 一 部 が 失 な わ れ て い る。 両 膝 の 幅 は ひ ろ い。 彫 は あ さ い。 光 背 は 後 の 岩 面 に 陰 刻 す る。 北 面 の 十 一 面 観 音 の 陰 刻 を 拓 本 で 示 す。 浮 彫 の 菩 薩 像 は 南 面 の 菩 薩 像 に 似 る。 八 世 紀 前 半 こ れ ら は 様 式 上 長 安 宝 慶 寺 の 諸 像 に 近 い。 慶 州 南 山 の 諸 尊 像 ( 小 場 慶 州 南 山 の 仏 蹟) 南 山 ( ナ ム サ ン) は 首 都 慶 州 の あ る 盆 地 の 中 心 に あ っ て 南 北 八 キ ロ 東 西 三 キ ロ の 小 山 脈 で あ っ て、 最 高 は 四 六 八 m の 金 贅 山 で あ る。 全 山 が 花 闇 岩 よ り 成 り、 上 方 は 奇 岩 怪 石 や 断 崖 絶 壁 が あ っ て 登 り 難 い 部 分 が あ る。 古 く か ら 新 羅 人 が 弥 勒 の 浄 土、 弥 陀 の 浄 土 と し て 尊 崇 し 古 墳 を つ く り 舎 利 を お さ め た。 舎 利 器 と し て の 印 花 文 土 器 が 多 く 発 見 さ れ た。 ま た 仏 教 の 堂 塔 が 全 山 を 蔽 う。 谷 合 い、 山 麓、 渓 流 の 畔、 あ る い は 大 岩 石 の 上 な ど に 営 ま れ た 寺 は 八 十 ヵ 所 も あ っ た と い い、 そ こ ご こ に 石 塔、 仏 像、 磨 崖 仏 な ど が あ り、 あ る い は 廃 滅 し た 寺 々 の 礎 石 や 蓮 花 台、 灯 籠 石、 瓦 当、 浮 彫 あ る 石 の 破 片 な ど が 散 乱 し て、 仏 教 の 盛 ん で あ っ た 日 を 物 語 る。 南 山 に あ っ た 新 羅 統 一 時 代 以 前 の 古 像 に つ い て は す で に の べ た の で、 こ こ で は 統 一 時 代 の 遺 物 を 列 挙 し ょ う。 韓 国 古 美 術 巡 礼

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密 教 文 化 昌 林 寺 趾 石 仏 坐 像 ( 慶 州 南 山 の 仏 蹟Pl.10) 衣 文 が か な り 荒 れ て い る が、 も と も と 浅 い 陰 刻 線 だ っ た の だ ろ う。 首 を 失 な う。 通 肩 ら し く、 た ぶ ん 唐 風 を う け た よ う に 見 え る。 慶 州 博 物 館 に こ こ か ら 出 た 毘 盧 舎 那 仏 坐 像 が あ る 昌 林 寺 の 石 塔 の 基 壇 の 側 石 に 浮 彫 る 神 衆 像 は 盛 唐 様 式 に 近 い。 い ま 慶 州 博 物 館 に あ る。 碁 巌 谷 寺 趾 そ の 一 首 な し 石 仏 坐 像 (同 書Pl.31b) 降 魔 触 地 印、 へ ん だ ん で あ る が 荒 れ て い る。 衣 の ひ だ は は っ き り し な い。 左 肩 か ら 右 脇 腹 に か け て 流 れ る。 肩 幅 ひ ろ く 両 膝 の 幅 も ひ ろ い。 新 羅 盛 期 の 像 だ ろ う。 三 陵 渓 寺 趾 そ の 三 石 造 釈 迦 仏 坐 像 (Pl.43, 44, 45) 新 羅 盛 時 ( 八 世 紀) の 石 仏 坐 像 で あ っ て、 石 窟 庵 本 尊 に 近 い。 光 背 は 頭 光 と 身 光 で、 外 縁 は 火 焔 文 で あ る。 か な り 古 い 要 素 が あ る。 頭 光 の 頂 部 は 欠 失 す る。 へ ん だ ん 右 肩、 触 地 印 を す る。 両 肩 ひ ろ く 堂 々 た る 量 感 を も つ。 口 と あ ご を 欠 く の は 惜 し い。 台 座 の 蓮 花 の 下 に 八 角 の 竿 が あ る。 三 陵 渓 石 造 仏 坐 像 (Pl.46, 47) ソ ウ ル 中 央 博 物 館。 右 手 を 膝 に あ て、 左 手 に 何 か を も つ。 も し 薬 壼 な ら ば 薬 師 と す る こ と が で き よ う。 伏 し 目 で あ る。 顔 面 と 胴 部 は し っ か り し て い る が、 両 膝 の 幅 は せ ま い。 三 陵 渓 の 釈 迦 像 よ り 劣 る。 蓮 座 を 支 え る 八 角 束 石 に 格 狭 間 の 中 に 礼 拝 者 像 を ほ り 正 面 に 香 炉 を ほ る。 二 重 光 背 は 完 好 で あ っ て、 化 仏 を 浮 彫 り 外 周 に 火 焔 文 を あ ら わ す。 笠 谷 寺 趾 石 仏 断 片 (Pl.51, 52) 光 背 を 負 う 仏 の 胸 像 で あ る。 す ぐ れ て グ プ タ 風 の 新 羅 仏 で あ る。 螺 髪、 方 形 耳 朶、 つ り 上 る 伏 し 目、 三 道、 う す い 通 肩 の 衣、 ほ と ん ど ひ だ が な い。 腹 以 下 を 失 う。 光 背 も 上 と 下 を 失 う が 円 頭 光 と 円 身 光 ら し い。 ほ と ん ど 装 飾 が な い。 た だ し 左 上 の は し に 説 法 印 の 化 仏 を あ ら わ す。 グ. ブ タ 風 を う け た 新 羅 盛 時 の 仏 像 で あ る が、 破 片 で あ る。 薬 水 渓 寺 趾 ( そ の 三) 仏 像 (Pl.53-44) へ ん だ ん の 衣 を 着 る 触 地 印 の 仏 坐 像 は 両 肩 も 両 膝 も ひ ろ い。 衣 は う す く て グ プ タ 唐 式 で あ る。 頭 部 な し。 胸 か ら 腹 へ 移 行 す る 脇 の 線 が イ ン ド 式 に 細 く な る。 装 飾 的 蓮 花 座 も 格 狭 間 内 の 浮 彫 も よ い。 新 羅 盛 時 八 世 紀 茸 長 渓 寺 虻 ( そ の 一) 薬 師 仏 坐 像 (Pl.59) ソ ゥ ル 中 央 博 蔵。 光 背 は 木 の 葉 形 の 二 重 光 背 で あ っ て そ の 基 部 を 失 う。 全 面 に パ ル メ ッ ト 唐 草 を ほ る。 右 手 は 降 魔 印 左 手 に 薬 壼 ( ?) を

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も つ。 衣 は イ ン ド 式 な へ ん だ ん、 や や 厚 い。 台 座 は 下 か ら 上 へ 臆 蓮 花、 八 角 体、 仰 蓮 花 で あ っ て、 こ れ は 唐 式 で あ る。 喉 に 三 道 が あ り、 腋 の 下 の く い 込 み な ど イ ン ド ・ 唐 式 と い え る。 新 羅 統 一 時 代 の 唐 式 を う け た も の で あ る が、 そ の 唐 式 に は イ ン ド の グ ブ タ 式 が ふ く ま れ て い る。 茸 長 寺 趾 摩 崖 仏 坐 像 (Pl. 68) 日 本 の 天 平 時 代 の 銅 打 出 仏 に 似 る 外 貌。 衣 の ひ だ は 多 い。 充 分 に 発 達 し た 様 式 で あ る が 彫 り は 浅 い。 円 頭 光 と 円 身 光 に 装 飾 が あ る。 整 美 な 唐 仏 の 様 式 を う け て い る。 弥 勒 谷 伝 菩 提 寺 趾 石 造 仏 坐 像 (Pl.93-94) き わ め て す ぐ れ た 彫 像 で 保 存 も よ い。 触 地 印 の 仏 坐 像 は 八 角 中 台 の あ る 蓮 花 座 上 に 坐 す る。 二 重 光 背 の 上 部 は 欠 損 す る。 光 背 の 周 縁 に 火 焔、 中 心 に 近 く 花 文、 化 仏 が あ る。 仏 像 は ほ ぼ 完 全 に 保 存 さ れ る。 螺 髪、 長 耳、 細 い 耳、 鼻 筋 通 る。 あ ご に く び れ、 喉 の 三 道、 通 肩、 薄 衣、 隆 起 す る ひ だ の 線。 甘 山 寺 石 仏 に 近 い 新 羅 盛 時 八 世 紀 の 像。 南 山 里 渓 寺 祉 ( そ の 一) 磨 崖 釈 迦 三 尊 像 (Pl.108, 109) 仏 坐 像 と 両 脇 侍 菩 薩。 仏 は 触 地 印 を な し、 衣 は へ ん だ ん で 螺 髪 は な い。 ひ だ は 段 に な っ た 線 で か な り 重 厚 で あ る。 光 背 は 無 文 の 円 頭 光、 座 具 は 蓮 花 座。 脇 侍 の う ち 向 っ て 右 は 花 を も ち 左 は 水 瓶 を も つ。 水 瓶 を も つ の が 観 音 と す れ ぽ 花 を も つ の は 勢 至 か。 両 菩 薩 の 光 背 は 無 文 の 宝 珠 形。 唐 様 式。 南 山 里 渓 摩 崖 四 面 仏 (Pl.106, 107) 東 南 西 北 の 各 面 に 仏 坐 像 が あ る。 前 の 三 尊 像 と 同 じ 場 所 に あ る。 ど れ も 豊 満 な 蓮 花 座 に 坐 し、 大 き な 無 文 の 宝 珠 形 頭 光 を 負 う。 人 工 的 に 荒 ら さ れ て い な い が、 自 然 に 少 し 摩 損 し て い る。 し か し 保 存 は ま あ よ い 方 で あ る。 衣 は 中 国 風 の 羽 織 式 で あ る。 前 の 三 尊 像 と 同 時 代 の も の。 南 山 里 渓 神 仙 庵 摩 崖 半 珈 像 (Pl.111) の ぼ り 難 い 懸 崖 上 に あ り、 岩 面 が 前 か が み に な っ て い る か ら、 尊 像 の 保 存 は よ い。 雲 の 上 に 半 助 坐 し 右 手 に 何 か を も つ 菩 薩 で あ る。 か な り 複 雑 な 形 態 を う ま く 薄 浮 彫 で あ ら わ す。 全 体 を 尖 っ た 花 弁 状 の あ さ い 寵 形 に お さ め る。 雲 形 は 優 美 で あ る。 新 羅 盛 時 の も の で、 し か も 保 存 が よ い。 以 上 慶 州 南 山 の 諸 尊 像 銅 造 薬 師 仏 立 像 慶 北 慶 州 郡 川 北 面 栢 栗 寺 慶 州 博 物 館 所 蔵 高 さ 二 ・ 八〇 m ( 図 譜V1945 松 原 要 説37 刈 中 吉 新 羅 高 麗 の 仏 像Fig. 79 金 載 元 韓 国 美 術) 韓 国 古 美 術 巡 礼

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密 教 文 化 豊 満 な 肉 身 を つ つ む 衣 の ひ だ は ほ そ い 隆 起 線 で あ っ て、 わ が 香 薬 師 の ひ だ を 思 わ せ る。 ひ だ の 数 は 少 な い。 洗 練 さ れ て い る が、 同 時 に 固 定 化 の 兆 し を 示 し て い る。 ひ だ の 波 は 身 中 線 を 中 心 と し て 左 右 に 上 る。 細 部 は グ プ タ 唐 式 を う け る が、 扁 平 で あ っ て 立 体 感 に 乏 し い。 栢 栗 寺 は 慶 州 の 北 に あ た る 小 金 剛 山 の 中 腹 に あ る。 そ も そ も の 創 建 は 神 文 王 の 時 と 伝 え る が、 こ の 像 の 製 作 は 様 式 上 仏 国 寺 の 金 銅 の 両 像 よ り 後 で あ ろ う。 八 世 紀 後 半 か。 仏 国 寺 (プ ル ク ク サ) 仏 国 寺 は 新 羅 時 代 の 遺 物 を も っ と も 多 く 保 存 す る 韓 国 第 一 の 名 刹 で あ る。 寺 は 新 羅 法 興 王 の 時 代 に 草 創 さ れ、 真 興 王 の 時 代 に 重 興 さ れ、 文 武 王 の 時 に 無 説 殿 を 建 て た が、 景 徳 王 の 十 年 ( 唐 天 宝 十 一 載 七 五 一 年) 金 大 城 が 本 格 的 に 造 営 し た。 現 存 の 石 壇 石 塔 は こ の 時 の も の で あ る。 ま た 吐 含 山 石 窟 庵 も 同 じ く 金 大 城 が 同 時 に 造 営 し た も の で あ る。 即 ち 八 世 紀 半 ば の も の と 見 れ ば よ い。 当 時 の 伽 藍 の 規 模 は 今 の 十 倍 も 大 き か っ た と 伝 え る。 そ の 後 秀 吉 の 侵 略 軍 の 手 に よ っ て 諸 堂 が 焼 失 し た の は ま こ と に 遺 憾 で あ る。 仏 国 寺 は 山 麓 の 傾 斜 面 に 建 て ら れ て い る か ら、 入 る に つ れ て 次 第 に 登 る わ け で あ る。 伽 藍 の 東 半 分 は 二 段 の 高 い 壇 上 に 立 つ。 こ れ が 主 た る 境 内 で あ る。 西 半 分 は 一 段 の 壇 上 に あ, っ て そ れ ほ ど 高 く な い。 こ の 二 つ の 境 内 が 石 階 で 連 続 し て い る。 寺 は 南 面 し て、 前 に 渓 流 が あ り 形 勝 の 地 で あ る。 古 い 道 は 渓 流 に 沿 う て 東 は 吐 含 山 石 窟 庵 に の ぼ り、 西 は 掛 陵 ( ヶ ー ヌ ン) に 通 じ て い た。 昭 和 九 年 に 新 築 し た 石 橋 の 附 近 に も と は 南 大 門 が あ っ た。 今 は そ の 痕 跡 も な い。 こ の よ う に 広 い 前 庭 を も ち 高 い 石 壇 を 築 い て 仏 の 境 内 を つ く る こ と は 新 羅 時 代 の 造 寺 の 特 色 で あ っ て、 華 厳 寺、 海 印 寺 そ の 他 の 寺 に も 石 壇 を 築 く。 石 壇 の 前 で 東 に は 白 雲 橋、 青 雲 橋 が か か り、 西 に は 七 宝 橋、 蓮 華 橋 が か か る。 な ぜ 橋 に し た か と い え ば、 も と そ の 下 に 水 が あ っ た か ら で あ る。 白 雲 橋、 青 雲 橋 を の ぼ る と 紫 霞 門 が 立 っ て い る。 紫 霞 門 の 西 に 活 影 楼 の 遺 構 が あ り、 こ れ ら を つ な ぐ 魍 廊 も 今 で は 大 昔 の よ う に 再 建 さ れ て い る。 す べ て の 木 造 建 造 物 は 新 し く て、 新 羅 時 代 の も の で は な い。 新 羅 統 一 時 代 八 世 紀 半 ば の も の は 前 面 で は 花 歯 岩 の 大 石 壇 と 石 橋 石 階 だ け で あ る。 紫 霞 門 を 入 る と 右 手 に 石 造 多 宝 仏 塔、 左 手 に 石 造 釈 迦 塔 が 立 つ。 こ れ ら 両 塔 の 後 に 石 燈 が 立 つ。 こ の 三 つ の 石 造 建 造 物

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が 新 羅 時 代 の 遺 物 で あ る。 そ の 後 に 大 雄 殿 即 ち 金 堂 が 立 つ。 大 雄 殿 の 後 の 高 い 所 に 無 説 殿 が あ る。 そ れ は 講 堂 に あ た る。 ま た そ の 後 の さ ら に 高 い 所 に 毘 盧 殿、 観 音 殿 な ど を 今 で は 立 派 に 再 建 し て い る。 境 内 は 大 正 十 三 年 以 来 数 度 の 修 理 を 経、 昭 和 九 年 十 年 に 石 壇 の 前 の 境 内 を 整 理 し 参 道 を 改 修 し、 韓 国 独 立 後 は 寺 域 の 周 辺 の 発 掘 調 査、 昔 あ っ た 木 造 建 築 再 建 を 行 な い、 い ま は 伽 藍 と し て 整 備 し て い る。 木 造 建 造 物 は 多 彩 に 彩 色 さ れ て い る。 も と あ っ た 南 大 門 か ら 石 段 を の ぼ っ て 紫 霞 門 ( 中 門) を 通 り、 左 右 両 塔 の 間 を す ぎ て 大 雄 殿 ( 金 堂) に 至 り、 そ の 後 に 無 説 殿 ( 講 堂) が あ る と い う 伽 藍 配 置 で あ っ た。 即 ち 新 羅 の 四 天 王 寺 な ど と 同 様 の 双 塔 式 配 置 で あ る。 ( 日 本 で は 薬 師 寺 に 見 る)。 西 の 境 内 で は 七 宝 橋、 蓮 華 橋 の あ る 石 階 を の ぼ る と、 安 養 門 を 通 り 極 楽 殿 に 至 る。 極 楽 殿 の 前 面 両 側 に 僧 房 が 立 っ て い る。 ま た 極 楽 殿 の 背 後 に 香 炉 殿、 西 北 隅 の 一 郭 に 講 堂 趾 が あ る。 前 面 に 大 石 坦 を つ み 上 げ、 壇 に 登 る 石 階 は 下 が 本 格 的 な ア ー チ に な っ て い る。 そ れ で こ れ を 橋 と い う。 橋 を 中 心 に し て 上 層 は 七 段、 下 層 は 十 段 で あ る。 中 央 に 登 桁 を つ く り、 左 右 に 石 階 を つ く る。 両 側 に も と 石 欄 を 設 け て あ っ た の を 今 で は も と の よ う に 石 欄 を 新 築 し て あ る。 昔 の 大 石 壇 を の こ し、 欠 け た 石 材 を 補 な っ て 旧 に 復 す る。 東 の 境 内 の 前 面 の 両 端 に 東 楼 と 西 楼 (乏 影 楼) を 復 旧 し て、 前 面 の 景 観 に 変 化 を 与 え て 美 化 す る。 前 に 突 き 出 た 翼 楼 の 柱 を 下 か ら 支 え る 石 組 の 変 化 に と む 意 匠 も 心 憎 い。 多 宝 塔 (古 蹟 図 譜IV1435-1437 刈 仏 国 寺 と 石 窟 庵Pl.9, 10 関 野 朝 鮮 の 建 築 と 芸 術Pl. 18 中 吉 海 東 の 仏 教Fig. 52) 西 紀 七 五 一 年 建 造 多 宝 仏 塔 は 良 質 の 花 闘 岩 で つ く り、 基 壇 は 方 形 の 四 面 に 階 段 が つ い て、 全 体 で 平 面 が 十 字 形 で あ る。 そ の 四 方 の 下 端 に 八 本 の 石 欄 柱 を 立 て る。 初 層 は 箱 形 で な く 四 本 の 柱 よ り 成 る 即 ち 中 央 に 方 形 の 中 心 柱 と 四 隅 に 矩 形 の 柱 を 立 て、 そ の 上 頑 丈 な 肘 木 状 の 持 送 石 を い た だ い て そ れ に よ っ て 上 部 構 造 を 支 え る。 持 送 の 上 に は 薄 く て 広 い 板 石 を の せ る。 そ の 四 隅 は 上 に そ る の で、 ひ じ ょ う に 軽 快 に 見 え る。 こ の 大 き な 板 石 の 上 に 小 さ な 四 角 形 の 壇 を の せ、 そ の 上 に 勾 欄 を の せ る。 勾 欄 は 木 造 の も の を 模 し て つ く る。 方 形 壇 の 上 は 八 角 形 に 変 え る。 八 角 形 の 構 造 物 は 三 層 よ り 成 る。 三 層 の う ち 下 層 は 八 本 の 柱 韓 国、 古 美 術 巡 礼

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