NII-Electronic Library Service
泰
澄
の
人
物
像
N工工一Electronlc Llbrary Servlce
小
林
崇
仁
は
じ
め
に
泰 澄の人 物像 (小 林) 奈 良期
か ら 平安
期 の 宗 教 の あ り 方 を 考察
す る 手段
と し て 、当
代
の 人 物 に 焦点
を あ て た考
察
を 重 ね 、 今 ま で に 、 徳 一 菩 薩 や勝
道 上 人 、満
願 禅 師 な ど を 取 り 上 げ て き た 。 こ う し た 人物
の 共 通 点 と し て 、 世俗
を 離 れ て山
林
を 跋 渉 し 、( 1 ) 聖 地 に 至 っ て 修 道 に 励 む “ 斗
薮
” と い う修
行
形 態 を と っ て い た こ と が 推察
さ れ る 。彼
ら は各
地 を 遍 歴 し 、山
林 に お( 2 ) わ す 神 祗 に
対
し て 読 経 ・ 写 経 ・ 造 像 ・ 造寺
と い っ た仏
法 に よ る供
養
を 行 い 、 そ の 加 護 を期
し た と み ら れ 、 さ ら に は陀
羅
尼 を 呪 す 、 あ る い は ゆ か り の 場 所 よ り 遺物
と し て 密教
法 旦 ハ が出
土 す る な ど 、 い わ ゆ る雑
密 へ の信
仰
が 予 想 さ れ る 。 当 代 の僧
尼 や私
度 の 間 で 頻 繁 に 行 わ れ て い た山
林
修 行 に つ い て は 、 そ の 具体
的 な 目 的 や 内 容 に つ い て 不 明 な点
が多
い が 、後
の 平安
仏
教 、 さ ら に は 修験
道 が 起 こ っ て く る 土 壌 と い う 意 味 か ら し て も 、 さ ら に 研 究 さ れ る べ き 課 題 で あ る 。 そ の際
に 手 が か り と な る の は 、 天 武期
以 降 、国
家 的 規 模 で導
入 さ れ た 仏 教 、 と り わ け朝
廷 や僧
尼 ・ 優 婆 塞 、 あ る い は 私 度 の間
に徐
々 に浸
透 し て ゆ く雑
密的
信
仰 と 、本
格的
な 仏教
受 容 に よ り 逆 に改
め て 意 識 さ れ た で あ ろ う 、 わ が国
古
来 の 神祗
へ の 信 仰 と の 関 係 で は な い か と 考 え て い る 。 一63
一智 山学報 第 五十二 輯 こ う し た 観
点
か ら 、 今 回 は 奈 良 初 期 ( 八 世 紀 第1
四 半 期 ) に 北陸
の 白 山 を開
い た こ と で 名 高 い 泰 澄 を 取 り 上 げ た い 。 白 山 ( 主 峰 ・ 御 前 峰 ・ 標 高 二 、 七 〇 ニ メ ー ト ル ) は 、福
井 ( 越 前 ) 、 石 川 ( 加 賀 ) 、岐
阜 ( 美 濃 ) 、 三県
の県
境 に 位 置 し 、積
雪 が 大 変 多 い こ と か ら 古 く は シ ラ ヤ マ と呼
ば れ た 。 そ の豊
富
な 雪 溶 け 水 は 、 三 県 そ れ ぞ れ の 扇 状 地 を 潤 し 、古
来
よ り山
麓 周 辺 の信
仰
を 集 め た 霊山
で あ る 。 養 老 元年
( 七 一 七 ) に 泰 澄 が開
山 し て 以 来 修 行 者 が増
え 、 天長
九年
( 八 ( 3 ) 三 二 ) に は 三 国 の 登 り 口 に そ れ ぞ れ 馬 場 が 開 設 さ れ た と 伝 え ら れ る 。 ま た 入 唐 八家
の 一 人 、 宗 叡 も 承和
年 間 ( 八 三 ( 4 ) 四 〜 八 四 八 ) に 白 山 に 赴 い て 修 行 を 積 ん だ と の 記 録 が あ る こ と か ら 、 既 に 平 安 前期
に は 僧 尼 や優
婆 塞 の 山 林 修 行 の場
と し て 整 え ら れ つ つ あ っ た こ と が 知 ら れ る 。 そ の後
、平
安
中
後 期 を 経 て 白 山修
験 道 の 聖 地 と し て 整 備 さ れ 、立
山
・ 富 士山
と と も に 日 本 三大
霊 山 の 一 つ に 数 え ら れ る に 至 っ た 。白
山 を 開 い た と さ れ る 泰 澄 は 、 古 く か ら 越 の 小大
徳
と 称 さ れ 、 今 で も 北陸
仏
教 開創
の 偉 人 と し て広
く信
仰 さ れ て ( 5 ) い る 。 そ し て 当代
の 宗 教 を 論 ず る 上 で 看 過 し 得 な い 人物
の 一 人 で も あ る 。 つ ま り 、 天平
期 ( 八 世 紀 第2
四 半 紀 ) 以降
、 山林
修 行 ・ 神仏
習
合 ・ 雑密
的
信 仰 等 の事
例
が に わ か に 表面
化 し て く る が 、泰
澄 に 関 わ る 伝 承 で は 、泰
澄 は こ う し た あ り 方 の 先 駆者
と し て 位 置 づ け ら れ て い る 。 例 え ば 、 十 四 世 紀初
め の 「 元亨
釈 書 」 以 来 、泰
澄 は 役小
角 と と も に弘
( 6 ) 法 大 師 空 海 以前
の 密 乗 感得
者
と さ れ 、 現 在 で も 空海
以前
の 密教
を 論 ず る際
に は 名前
が 挙 が る 。 し か し 、 そ の 実 態 と な る と 史料
的 な制
約 が 多 く 、 研 究 は 困難
で あ り 、 課 題 は山
積
し て い る 。 そ こ で 、 今 回 の論
攷 は 泰 澄 研 究 の 導 入 と し て 、 諸 史料
の 伝 え る 泰 澄 像 を 整 理 し 、今
後 の 課 題 を 確 認 す る に留
め て お き た い 。 一64
一 一問
題
の所
在
NII-Electronic Library Service 泰澄の 人物像 (小林) (
1
)『
泰
澄
和
尚
伝
』 の説
く
泰
澄
像
泰
澄 に 関す
る史
料
と し て ま ず 挙 げ る べ き は 『 泰 澄 和尚
伝
』 ( 以 下 『 伝 記 』 と 略 す ) で あ る 。本
書 は 泰 澄 の 生 涯 を辿
り な が ら白
山
の 由 来 を記
し た 、 い わ ゆ る 縁 起物
と さ れ る テ キ ス ト で あ る が 、成
立 問 題 を は じ め 、 そ の 取 り扱
い に は ( 7 ) 問 題 が多
い 。 奥 書 に は 、 天 徳 元 ( 九 五 七 ) 年 に 浄 蔵 の 口 筆 を そ の 門 人 神 與 が 注 記 し た と あ る が 、 そ の 文 体 や内
容
か ( 8 ) ら し て 、実
際
に は さ ら に 下 っ て 平安
中後
期
頃 、 あ る い は鎌
倉期
か ら 室 町 前 期頃
と の 比 定 が な さ れ て い る 。 具 体 的 な 問 題点
は 、私
年
号 や 官位
な ど の 表 記 が奈
良 期 の 記録
と 相容
れ な い こ と 、密
教 思 想 に 基 づ く描
写 が 見 ら れ る こ と 、 三所
権 現 な ど体
系
的 に 整 っ た 神 仏 習合
思 想 が 説 か れ る こ と な ど で あ る 。後
世
の付
会 や 潤 色 と 見 ら れ る箇
所
も少
な く な く 、本
書 の伝
承 を そ の ま ま 泰 澄 の実
像 と 見 る こ と は で き な い 。 し か し 、 現在
一 般 に知
ら れ て い る 泰 澄伝
は 、 本書
を 基本
と し た も の が 大 半 を占
め 、 そ の 生 涯 を編
年
的 に 記 し た史
( 9 )料
と し て は唯
一 の も の で あ る か ら 、 ま ず は 本書
の 記 す 泰 澄伝
を確
認 し て お き た い 。 な お 『 伝 記 』 は鎌
倉 後 期 に 、虎
関
師 練 の 『元
亨
釈 書 」 と 栄 海 の 『 真 言伝
』 に 引 用 さ れ る 。表
中
の コ 兀 ( 『 元 亨 釈 書 』 ) 」 ・ 「真
( 『墓
言 伝 』 ) 」 の項
に て 、 ( 10 ) そ の有
無 を 示 し て い る 。 元 号BC
歳 事 跡 元 真 白 鳳 二 二 年 六 八 二 一 越 前 国 麻 生 津 に て 、 父 三 神 安 角 ・ 母 伊 野 氏 の 女 性 の 間 に 次 男 と し て 生 ま れ る 。 ○ ○ 五 、 六 巷 の 遊 び に は 関 心 が な く 、 泥 土 で 仏 像 を 作 り 草 木 で 堂 塔 を 建 て て 、 日 々 供 養 礼 拝 す る 。 ○ × 持 統 七 年 六 九 三 一 一 入 唐 僧 道 昭 が 北 陸 を 遍 歴 し 、 こ の 地 に 訪 れ た 際 、 泰 澄 を 神 童 と 見 抜 く 。 ○ ○ 大 化 元 年 六 九 五 一 四 夢 に 高 僧 が 現 れ て 告 げ る 。 「 汝 、 比 丘 形 を 以 て 、 十 一 面 利 生 大 光 普 照 の 徳 を 施 す べ し 。 」 ○ × 夜 毎 外 出 し 、 越 知 峰 の 坂 本 の 岩 屋 に 通 い 数 百 遍 礼 拝 す る 。 さ ら に 岩 屋 よ り 越 知 峰 に 登 る 。 ○ ○ 一65
一 N工工一Electronlc Llbrary智 山学 報第五十二輯 越 知 峰 に 住 み 久 し く 修 行 す る 。 自 ら 鬢 髪 を 落 と し 、 比 丘 形 と な る 。 生 得 智 解 、 忽 に 発 る 。 ○ ○ 大 宝 二 年 七 〇 二 二 一 修 験 に 秀 で 呪 功 に 際 だ つ こ と か ら 、 鎮 護 国 家 の 法 師 と さ れ る 。 勅 使 は 伴 安 麻 呂 で あ っ た 。 ○ X 能 登 島 か ら き た 小 沙 弥 を 弟 子 と す る 。 影 の 様 に 泰 澄 に 付 き 従 っ た 。 臥 行 者 と 呼 ば れ る 。 ○ ○ 和 銅 五 年 七 一 二 ゴ = 臥 行 者 に よ る 飛 鉢 伝 説 。 出 羽 か ら の 官 の 運 搬 船 に 鉢 を 飛 ば し て 米 を 乞 う 。 船 頭 神 部 浄 定 が 断 わ る と 、 米 は 飛 ん で 越 知 山 に 来 集 す る 。 船 頭 浄 定 は 泰 澄 に 帰 依 し 弟 子 と な る 。 ○ ○ 越 知 峰 よ り 白 山 を 仰 ぎ 常 に 念 ず 。 「 雪 嶺 に 登 り 、 衆 生 利 益 の 為 に 霊 神 を 行 顕 し 奉 る べ し 。 」 ○ × 霊 亀 二 年 七 一 六 三 五 夢 に 天 衣 を ま と い 瓔 珞 を つ け た 貴 女 が 現 れ て 告 げ る 。 「 霊 感 の 時 至 れ り 、 早 く 来 る べ し 。 」 ○ × 養 老 元 年 七 一 七 三 六 越 知 峰 を 出 て 、 白 山 の 麓 ・ 大 野 の 隈 の 筥 川 の 東 、 伊 野 原 と い う 所 に 宿 す 。 ○ ○ 夢 に 再 び 貴 女 が 現 れ て 告 げ る 。 「 こ こ は 汝 の 悲 母 の 産 褥 の 地 、 結 界 に あ ら ず 。 こ の 東 の 林 泉 は 、 吾 が 遊 止 の 地 な り 。 早 く 来 る べ し 。 」 林 泉 に 赴 き 、 日 夜 大 声 に て 礼 拝 念 誦 す る 。 ○ ○ 貴 女 が 姿 を 現 し 告 げ る 。 「 我 、 天 嶺 ( 白 山 山 頂 ) に 在 る と 雖 も 、 恒 に こ の 林 中 に 遊 ぶ 。 吾 は 伊 弉 冉 尊 な り 。 今 は 妙 理 大 菩 薩 と 号 す 。 本 地 真 身 は 天 嶺 に あ り 。 往 き て 礼 す べ し 。 」 ○ ○ 白 山 の 天 嶺 に よ じ 登 り 、 緑 碧 湖 の 畔 に て 礼 念 加 持 す る 。 池 の 中 よ り 九 頭 竜 王 が 形 を 示 す 。 泰 澄 が そ れ は 方 便 の 示 現 で あ る と 責 め る と 、 つ い に 十 一 面 観 音 が 真 身 を 顕 す 。 ○ ○ 左 孤 峰 で 聖 観 音 の 現 身 で あ る 小 白 山 別 山 大 行 事 、 右 孤 峰 で 阿 弥 陀 の 現 身 の 大 己 貴 を 拝 す 。 ○ ○ 養 老 元 年 養 老 三 年 七 一 七 七 一 九 三 六 三 八 白 山 に て 二 行 者 ( 臥 ・ 浄 定 ) と と も に 千 日 間 修 行 す る 。 同 四 年 以 降 、 ほ か の 行 人 も 登 り 修 行 す る 。 ○ ○ 養 老 六 年 七 二 二 四 一 元 正 天 皇 の 不 予 に 際 し 、 浄 定 行 者 と 共 に 参 内 し 、 三 鈷 を 以 て 玉 体 を 加 持 す る 。 効 験 あ り 。 ○ ○ そ の 功 に よ り 天 皇 は 泰 澄 に 帰 依 し 、 護 持 僧 と す る 。 禅 師 の 位 を 受 け 、 神 融 禅 師 と 号 す 。 ○ × 神 亀 二 年 七 二 五 四 四 白 山 に 参 詣 中 の 行 基 と 出 会 う 。 白 山 で の 現 瑞 を 語 り 、 浄 土 で の 再 会 を 誓 う 。 ○ × 一
66
一NII-Electronic Library Service 天 平 八 年 七 三 六 五 五 入 唐 僧 玄 肪 を 訪 ね 、 唐 よ り 将 来 の 経 論 五 千 余 巻 を 披 閲 す る 。 特 に 十 一 面 経 を 授 け ら れ る 。 × × 天 平 九 年 七 三 七 五 六 疱 瘡 の 流 行 に 際 し、 勅 に よ り 十 一 面 法 を 修 す 。 日 数 を 経 ず し て 、 疱 瘡 の 流 行 が 治 ま る 。 ○ ○ そ の 功 に よ り 大 和 尚 位 を 賜 り 、 泰 澄 と 号 す 。 ○ X 天 平 宝 字 二 年 七 五 八 七 七 か つ て 白 山 登 頂 以 前 に 難 行 を 積 ん だ 、 越 知 峰 ・ 大 谷 の 仙 窟 に 蟄 居 す る 。 ○ ○ 神 護 景 雲 元 年 七 六 七 八 六 称 徳 天 皇 の 百 万 塔 陀 羅 尼 造 立 に 際 し 、 一 万 基 を 勧 進 し て 造 立 す る 。 × ○ 同 年 二 月 称 徳 天 皇 に 書 状 を 奉 呈 し 、 往 生 を 予 告 す る 。 浄 土 で の 再 会 を 願 う 。 △ × 同 年 三 月 予 告 通 り 、 結 跏 趺 坐 し て 、 大 日 の 定 印 を 結 び 、 奄 然 と し て 入 定 遷 化 す る 。 享 年 八 十 六 歳。 ○ ○
N工工一Electronlc Llbrary Servlce
泰澄の人物像 (小林) こ の よ う に 、 泰 澄 は 白 鳳 二
十
二 年 ( 六 八 二 ) 、 越前
国 に 生 ま れ 、 十 四 歳 の時
出
家 し て越
知山
に 修 行 す る と さ れ る 。 こ の 峰 よ り白
山 を 仰 ぎ 、 登 頂 を 志 し て い た と こ ろ 、 霊 亀 二年
( 七 一 六 ) に 貴 女 の告
知 に 導 か れ て 、白
山 山 麓 の伊
野 原 、 さ ら に は東
の林
泉
へ と 向 か う 。 そ こ で 貴 女 が実
は 伊弉
冉尊
で あ り 、 真身
は 山 頂 に あ る こ と を 告 げ ら れ 、 山 頂 に 達 し た泰
澄 は 、湖
畔
に て 遂 に 十 一 面 観音
を ま の あ た り に し 、 そ こ で 三 年 間修
道 し た と さ れ る 。 そ の後
、養
老 六年
( 七 二 二 ) に は 元 正 天 皇 の 不 予 に 際 し 参内
し て 玉 体 を加
持
し 、 ま た 天 平 九 年 ( 七 三 七 ) の 天 然 痘 の 流行
に は 十 一 面法
を修
し た と い う 。 そ し て 天平
宝 字 二 年 ( 七 五 八 ) に は 越 知 山 に 隠 居 し 、 神 謹景
雲 元年
( 七 六 七 ) 八十
六歳
で 遷 化 し た と伝
え ら れ る 。 そ の 生 涯 を 大 別 す れ ば 、 出 家 し て 越 知 山 を 拠 点 に修
行
し た 時期
( 十 四 〜 三 十 四 歳 ) 、白
山 に 登頂
し て 修 道 し た 時 期 ( 三 十 五 〜 四 十 歳 ) 、天
皇 の 護持
僧 と し て修
法 等 を も 行 っ た時
期 ( 四 十 一 〜 八 十 六 歳 ) の 三 つ に分
け る こ と が で き 、総
じ ( 11 ) て山
林
修行
者 、白
山 開 山 者 、 密 教 僧 、 朝 廷 護 持 僧 と し て の泰
澄 が 記 さ れ て い る 。 一67
一智山学報第五十二 輯 (
2
)先
行
研
究
に おけ
る評
価
( 12 ) さ て 、 こ う し た 泰 澄 像 へ の 評 価 ・
解
釈 は、 研 究者
に よ っ て 大分
差 が あ る 。 た と え ば高
瀬 重 雄氏
は 、 伝 そ の も の に は 不 明 な 点 が 多 い と し な が ら も 、本
書
の伝
承 を ふ ま え 、泰
澄 は 「 在 野 の 私度
僧 以 上 に 、 越 の 大徳
と よ ば れ る に ふ さ わ し い 教 養 の あ る 僧 侶 」 で あ る と と も に 、 「 役小
角
・ 道 昭 ・ 行 基 な ど の 一 面 に 見 ら れ る よ う に 、 上 の 慈 恩 に酬
い る よ り 、 下 の 民衆
を 救 う こ と に 重 点 を お い た 民 間 信仰
指 導者
」 で あ る と し て い る 。 高瀬
氏
は 基 本 的 に本
書 の伝
承 に従
う 立場
を と っ て お り 、 そ の史
実 性 に関
す る 議 論 は ほ と ん ど な さ れ て い な い 。 ( 13 ) 一方
、 下 出積
與 氏 は 、本
書 の 内容
の 問 題 点 を数
々 挙 げ 、 こ の泰
澄 伝 は 平安
時 代 以降
に 作 為 さ れ た極
め て信
憑 性 の 薄 い も の で あ り 、 泰 澄 は 「 越 前 の 民 間 仏 教者
の 一 人 で あ っ た と い う こ と 以外
、 そ の 史実
性
は 認 め ら れ 」 ず 、 「 伝 承 の伝
え る 事 績 は 、 権 威 付 け の た め の 修 飾 に す ぎ な い 」 と 述 べ て い る 。 従 来 の 泰 澄 信仰
と も 言 う べ き盲
目 的 な 研究
を 批判
し た意
味
で そ の 功 績 は 大 き い 。 し か し 下出
氏
は 、奈
良 期 の仏
教 に 、 朝廷
中 心 の官
府 的 仏 教 ・ 学解
仏 教 と 、農
民
の間
の 民 間 仏教
・ 山 林 仏教
と い う 二 つ の 潮 流 を設
定
し 、 互 い が 無 関 係 に 並存
し て い た と の 前 提 に 立 っ て い る 。暗
黙
の う ち に泰
澄 は 民 間 仏 教 の 側 に位
置 づ け ら れ 、結
果
的 に そ の範
疇 と 対 立 す る と さ れ る 朝 廷 や 密 教 に 関 す る 伝 承 はす
べ て 否 定 さ れ て い る 。 こ れ に対
し て 近 年 で は 、 『 伝 記 」 の 伝 承 を そ の ま ま 容 認 す る の で は な く 、時
代
状
況 を 踏 ま え て泰
澄 像 を多
面
的
に 検 証 す る試
み も な さ れ て い る 。 ( 14 ) 本 郷 真 紹 氏 は 、 本 書 を い く つ か の 部分
に分
け 、 そ れ ぞ れ に つ い て 詳 細 な 考察
を 加 え た 上 で 、 「奈
良 時 代 に自
ら山
林 修 行 を 志 し 、 人 跡 未 踏 の 神 聖 な る白
山 山 嶺 に 立 ち 入 り 、 そ こ を 行 場 と し て 開 拓 し た 僧 が存
在 し た と し て も 、少
し も 不 思議
で は な い 。 そ れ は 、 一 人 の僧
で あ る必
要
も な く 、何
人 も の 、 何代
に も わ た る 山 林修
行 の 足跡
が 、後
世 泰 澄 一68
一NII-Electronic Library Service と い う 一 人 の 僧 に 凝 縮 し て 語 ら れ た と い う 可 能 性 も
想
定 し う る 。 」 と し 、 『伝
記 』 の 説 く 泰 澄 像 を概
ね容
認 し て い る 。( 15 )
氏
の 研究
に よ り 『 伝 記 』 に 基 づ く 泰 澄 の 研 究 は 、 一 つ の 到 達 点 に 至 っ た感
が あ る 。 こ う し た 先 行研
究 に よ り 、 泰 澄 の 研 究 は 次 第 に 積 み 重 ね ら れ て き た が 、 た だ し そ れ は 基 本 的 に 『伝
記
』 に 依 る も の で あ り 、 ま た ど ち ら か と言
え ば 北 陸 と い う 一 地 域 、泰
澄 と い う 一 人 物 に限
定 さ れ た も の で あ っ た 。 こ れ を 踏 ま え た残
さ れ た 課 題 と し て 、 一 つ に は 『 伝 記 』 以 外 の 別 伝 の 説 く 泰 澄像
も 確 認 し て お く こ と 、 一 つ に は同
時
代 の 別 の 地域
や 人 物 に お け る類
似 し た事
例
と 比 較検
討
す る こ と が考
え ら れ る 。 本 論文
で は 、 ま ず は 別 伝 を 含 め た泰
澄 に 関 す る史
料
を 整 理 し 、 そ こ に 描 か れ て い る 泰 澄像
を 確 認 す る こ と に 主 眼 を 置 き た い 。N工工一Electronlc Llbrary Servlce
泰澄の人物像 (小林 ) 二
泰
澄
に
関
す
る
別
伝
( 一 )異
な る3
系
統
の伝
『 泰 澄 和 尚伝
」 『 大 日本
国 法華
験
記 』 『 本 朝神
仙
伝 」 別 伝 と し て ま ず挙
げ る べ き は 、 叡 山横
川首
楞 厳 院 の僧
鎮 源 が 長久
年 間 ( 一 〇 四 〇 〜 一 〇 四 四 ) に撰
し た 「 大 日本
国 ( 16 ) 法 華 験 記 』 ( 以 下 「 法 華 験 記 』 と 略 す ) で あ る 。 日本
で の 法 華経
の 霊 験譚
計
百 二 十 九話
を 収録
し た 仏教
説
話
集 で あ り 、 奈 良 期 の 『 日本
霊 異 記 』 と平
安 後 期 の 『 今昔
物 語集
』 の 中間
に位
置 す る 。 こ の下
巻 に は 「 越 後 国神
融 法師
伝
」 と し て 、 神融
と い う沙
弥
の 説 話 が 収 録 さ れ て い る 。 沙弥
神
融
は俗
に 「 古 志 の小
大 徳 」 と 呼 ば れ 「 越 後 国 古 志 郡 の 人 」 と さ れ 、 「法
華
経
を 読 誦 し て 、 深 く 薫 修 あ り 、練
行 す る に 比 な し 。鬼
神
は命
を 受 け 、 国 王 は 遙 か に 帰依
し 、 万 民 は近
し く 崇 敬 す 。 」 と 伝 え ら れ る 。 こ こ に は 、 其 の 国 の 中 に国
上 山 有 り 。 一 の 檀那
有 り 。 発 心 し作
善 し て 、 宝 塔 を 造 立 す 。供
養 せ ん と 欲 す る時
、 雷 電霹
靂 し 、 一69
一智山 学報 第五十二 輯 雷 、 塔 を 破
壊
し て 、 各 々分
散
し 、 摧折
し て 去 れ り 。 檀 那 、 歎 を懐
き て 、 悲 し み 泣 く こ と限
り 無 し 。 〈 … 中 略 … 〉神
融
上 人 、檀
那 に 語 り て 曰 く 、 悲 歎 を 生 ず る こ と な か れ 。 我 、妙
法 力 を 以 て 、 宝塔
を 守 護 し 、 破 壊 せ ざ ら し め た な び て 、 当 に 汝 が 願 を 成 ず べ し と い え り 。 即 ち 塔 の本
に 住 し て 、法
華
経 を 誦 せ り 。 爰 に 靉 靆 き て 雲 を布
き 、 細 な る し ば し ば雨
数
降 り て 、 雷 電 晃 り 曜 け り 。 願 主 、 而 し て 是 の 念 を作
さ く 、 雷 の塔
を破
る 相 な り と お も え り 。 悲歎
し て憂
愁 す 。 神融
上 人誓
を 立 て て 、高
声 に法
華 を 誦 せ り 。 時 に 一 の童
男
有 り 。 空 よ り 下 り 落 つ 。 其 の 形体
を 見 る に 、頭
髪
は 蓬 の ご と く 乱 れ 、形
貌怖
る 可 し 。年
十 五 、 六 歳 な り 。 五 処 を 縛 ら れ て涙
を 流 す 。 〈 … 中 略 … 〉 神融
上 人 、雷
神
に 告 げ て 云 く 、 汝 、 仏 法 に 随 い て 、 違 い逆
う こ と を 作 さ ず 、 善 心 を 発 起 し て 、 宝塔
を 破 ら ざ れ ば 、 尤 も 当 に 汝 を 利 益 す べ し 。 〈 … 後 略 … 〉 と あ る 。 越 後 国 の 国 上 山 に 檀越
が 宝 塔 を 造 立 し て供
養 し よ う と す る と 、 雷 が お こ り塔
が壊
さ れ て し ま う 。 こ れ を 見 ( 17 ) た神
融 が 法華
経 を 読 誦 す る と 、 空 か ら 童 子 形 の 雷神
が 落 ち 、 捕 ら え て 改 心 さ せ た と の 説話
で あ る 。在
来 の 神 祗信
仰圏
へ 新 た な仏
教 信仰
が 入 る 際 の 障 難 が 、 雷 神 に よ る 宝塔
の 破 砕 に よ っ て 象 徴 さ れ て い る 。 こ こ に 越後
国 の 法 華持
経者
と し て 登 場 す る神
融 は 、 後 述 す る よ う に 、 後 世 に は白
山 を 開 い た 泰 澄 と 同 一 人物
と さ れ る 。 ( 18 ) ま た 、 別 の 系 統 の 伝 と し て 『本
朝
神 仙 伝 』 ( 以 下 『 神 仙 伝 』 と 略 す ) を 挙 げ な け れ ば な ら な い 。 院 政 期 の 公卿
で そ ( 19 ) の学
識 の 名 声 極 め て高
か っ た 大 江匡
房
( 一 〇 四 → 〜=
=
) の 撰 と さ れ る 本 書 に は 、 日本
に お け る 三 十 七 名 ( 内 六 名 は 欠 ) の神
仙
的
人物
の 伝 が 収 録 さ れ て い る 。 こ こ に 「 泰 澄 は 、加
州 の 人 な り 。世
に 越 の 小 大 徳 と 謂 う 。 」 と は じ ま る 泰 澄 伝 が あ り 、続
け て 、 神 験 多端
な り 。 万 里 の 地 と 雖 も 、 一 旦 に し て 到 り 、 翼 な く し て 飛 び つ 。 白 山 の 聖跡
を顕
し て 、 兼 て 其 の 賦 を 作 ね ん ご ろ れ り 。今
に 世 に伝
え た り 。吉
野
山 に 到 り て 、 一言
主 の縛
を 解 か ん と 欲 し 、 試 み に 苦 に 加持
す る に 、 三 匝 し て 已 に 解 け ぬ 。暗
に 声 あ り て 之 を 叱 り 、 繋 縛 す る こ と 元 の 如 し 。 又 、諸
の 神 社 に向
い て 、 其 の 本 覚 を 問 へ り 。 稲 一70
一NII-Electronic Library Service 泰澄の人物 像 (小 林)
荷
社
に て数
日念
誦
す る に 、夢
に 一 の女
有 り 。帳
の 中 よ り 出 で て 告 げ て 云 く 、本
体 は 観世
音
な り 、 常 に補
陀
洛 に在
り て 、 衆生
を度
せ ん が為
の故
に 、大
明 神 を 示 現 す と い え り 。 阿 蘇 社 に詣
つ る に 、 九 頭 の 竜 王 有 り て 、 池 の 上 に 現 じ た り 。泰
澄 曰 く 、豈
に畜
類 の身
を 以 て 、 此 の 霊 地 を 領 せ ん や 。 真実
を示
す 可 し と い え り 。 日 漸 く に 晩 んま し ま と す る と き 、
金
色 の 三 尺 の千
手
観 音有
し て 、夕
陽 の 前 、 地 水 の 上 に 現 じ た ま え り 。 泰 澄 、 数 百 年 を 経 て 死 な ず 、其
の 終 を 知 ら ず 。 と あ る 。 泰 澄 は 神験
を多
く 顕 し 、 た っ た 一 日 で 万 里 に 至 り 、 翼 も な い の に 飛 ぶ と さ れ る 。 白山
の 聖 跡 を 顕 し た の ち 、( 20 )
吉
野 山 に て 一 言 主 の 呪縛
を 解 こ う と し た り 、 稲荷
社
や阿
蘇社
な ど諸
々 の 神 社 に向
か い 、 霊神
の 本 覚 を 問 う た と い う 。 そ し て数
百 年 を 経 て も 死 な ず 、 そ の 終 わ り を 知 ら な い と 結 ば れ て い る 。 山 に入
る こ と 、 天 空 を 飛 行 す る こ と 、 鬼 神 を 呪 縛 す る こ と 、長
寿
で そ の行
方
を眩
ま す こ と な ど は 、 『神
仙 伝 』 に 収録
さ れ た 他 の 人物
に も 共 通 し て 見 ら れ る特
( 21 )徴
で あ り 、 こ こ に 大 江匡
房
の 神仙
観
が 窺 い 知 れ る 。 逆 に 言 え ば 、少
な く と も十
二世
紀前
半 ま で に は 、 泰 澄 を神
仙 的 な 人 物 と み る 見方
が中
央
に お い て成
立 し て い た と 言 え よ う 。 さ き に挙
げ た 「 法華
験 記 』 の神
融
と 、 『神
仙
伝
』 の 泰 澄 は 、 と も に 古 志 ( 越 ) の 小 大 徳 と 俗称
さ れ た こ と で 一致
す る が 、 一 方 は 越後
、 一方
は 加賀
の 人 と 伝 え ら れ る 。 ま た 、 当 然 の こ と で は あ る が 、 そ れ ぞ れ の 伝 が 収録
さ れ た 説 話 集 の 編 纂 意 図 に 沿 っ た人
物
と し て 登場
し て い る 。 他方
、 前節
で ふ れ た 『 伝 記 」 は 「本
名 は 越 大 徳 、 神 融禅
師
と 號 す 。 俗 姓 は 三神
氏
。 越 前 国麻
生津
、 三神
安 角 の 二 男 な り 。 」 と 始 ま り 、白
山
開
山 者 と し て の 側 面 を強
調 し た伝
が 続 く 。 出 身 地 と 人 物 像 を 異 に す る 三者
が伝
え ら れ て い る が 、 こ れ ら は 古 志 ( 越 ) の ( 小 ) 大徳
と い う尊
称
に お い て 共 通 し て お り 、 少 な く と も十
四 世 紀 前 半 に は 同 一 人 物 と し て 纏 め ら れ る に 至 る 。 一71
一 N工工一Electronlc Llbrary智 山学報第 五十二輯 (
2
)3
つ の伝
を
ふ ま え た僧
伝
『 元亨
釈
書 』 『 真 言 伝 』 『 伝 記 』 『 法 華 験 記 』 『 神 仙 伝 」 の 三 つ の 伝 を 、 泰 澄 と い う 一 人 の人
物
と し て 纏 め た 僧 伝 に 、 虎関
師 練 の 「 元亨
釈
書 」 と栄
海 の 『 真 言伝
』 が あ る 。 ( 22 ) 鎌 倉 後 期 の 五 山 禅 僧 で あ る 虎 関師
練
( 一 二 七 八 〜;
西
六 ) の著
し た 『 元亨
釈
書 』 ( 三 二 二 年 成 立 ) に は 、 仏 教 伝来
期 か ら鎌
倉 期 ま で の 四 百 人 を 超 え る 僧 伝 が十
科 に 分 か れ て 記 さ れ 、泰
澄 伝 は 「 方 應 」 の項
に 、 聖徳
太 子 ・ 役小
角 な ( 23 ) と ど 共 に 収 録 さ れ る 。 こ こ で は 『 伝 記 」 を 底 本 と し て 、 『 法 華 験 記 』 『 神 仙 伝 」 が編
年 的 に 組 み 込 ま れ て い る 。 内 容 に つ い て は 、若
干 の 差 違 は あ る も の の 三 つ の 別 伝 を 踏襲
し て い る 。 し か し 、 そ の 語 句 表現
を 大 幅 に 換 え て い る の が特
徴
で あ る 。伝
の 最後
に は 、賛
に 曰 く 。 予 、 此 の 書 を 修 せ ん と し て 広 く諸
記 を索
む る に 、 澄師
の 事 を得
る こ と 多 し 。 其 の 間 、 怪 誕寡
な か ら ず 。 弊 朽 せ る 一軸
あ り 。 後 に 題 し て 云 く 、 天 徳 二年
、浄
蔵 が 門 人 神 興 、 口 授 を 受 け て 伝 を 作 る と 。蔵
公 の 霊 応 こ れ博
究 な り 。 思 う に 興 が 所 聞 は 妄 な ら ず 。 今 の 撰 纂 は 諸 を 興 の伝
に 采 れ り 。 と い う 師 練 に よ る讃
が 付 記 さ れ 、 泰 澄 の伝
承
は数
多 い が 、 ど れ も信
憑 性 に疑
い が あ る と す る 。 た だ 、 中 で も 題後
に 「 天 徳 二年
浄
蔵
門 人 神 興 受 口 授 作 伝 」 と あ る 弊朽
し た 一軸
に つ い て は 、浄
蔵 と そ の 門 人 神 與 へ の信
頼
か ら 、 こ れ を ( 24 ) 主 に 採 用 し た と す る 。 の ち に 周 知 の 如 く 、 こ こ に 言 う 一 軸 と は 『伝
記 』 で あ る と の 比 定 が な さ れ て い る 。 ま た 、讃
に続
い て 、 論 に 曰 く 。 或 ひ と の 言 く 、 泰 澄 、密
乗
を 感 悟 す と 。 豈 に 其 れ然
ら ん や 。 何 と な れ ば 、 李 唐 の 開 元 四年
、 善 無畏
始 め て 至 り 。 七 年 、 金 剛智
継 い で来
る 。 二 師 、初
め て 密 教 を伝
う 。 先 に 垂 拱 三 年 、菩
提 流 志唐
に 入 り 、 密 経 を は じ め 訳 す と 雖 も 宗 趣 を 立 て ず 。 支 那 に密
乗
有 る は 、 畏 と 智 と を 倡 と な す 。本
朝 に は 此 の時
、 未 だ 密 教 の 名 を 聞 か ず 。 一72
一NII-Electronic Library Service 泰澄の人 物像 (小林) 澄 公 、
神
異 無方
な り と雖
も 、 豈 に 之 れ 有 ら ん や 。 〈 … 中 略 … 〉 対 え て 曰 く 。 故無
く し て 感 ず る は 、 感 の 霊 な る 者 な り 。故
有
り て 感 ず る は 、 想 に し て 浅 し 。 〈 : ・ 後 略 … V と い う 論 が 記 さ れ 、 あ る質
疑
と そ れ に 対 す る 師練
の 応 答 が 述 べ ら れ る 。 こ こ で は 、密
教 は善
無 畏 . 金 剛智
に よ っ て 中 国 に 伝 え ら れ 、 二 師 ( 最 澄 ・ 空 海 ) に よ っ て初
め て 日 本 に 伝 え ら れ た の だ か ら 、 二師
以 前 の泰
澄 が密
乗 を 感悟
す る こ と が あ り得
る の か と い う質
疑 に対
し 、 歴 史 的 な 道 理 を 超 え て密
乗 を 感 得 し た の だ か ら 、 泰 澄 は 感 の 霊 な る 者 な の だ と 応 答 す る 。 密教
史
的 に も 、 奈 良 期 密 教 の 実 態 に つ い て は 今後
の 課 題 で あ ろ う が 、少
な く と も 『 元 亨 釈 書 』 成 立 当 時 、実
証史
的
に 疑義
を 呈 す る も の が あ る と 同 時 に 、 泰 澄 を 密教
の 自 然 感 得者
と す る 見 方 も 多 く あ り 、 師 練 も そ れ を容
認 し た こ と が 知 ら れ る 。 ( 25 ) 一方
、 同 時 期 に 勧 修 寺 慈 尊 院 の真
言 僧 で あ る 栄 海 ( 一 二 七 八 〜 一 三 四 七 ) は 、 真 言 宗 の高
僧伝
『 真 言伝
』 ( 一 三 二 五 年 成 立 ) を撰
レ た 。 こ こ に 泰 澄 は 、 役小
角
と と も に 空海
以 前 の 人物
と し て挙
げ ら れ る 。 『 元亨
釈
書
』 と は 異 な り 、 ま ず 『伝
記 」 を伝
と し て 挙 げ 、 別伝
と し て 『法
華
験
記 』 『 神 仙 伝 』 を そ れ ぞ れ 挙 げ て い る 。 そ の内
容
表 現 に つ い て は 、 ほ ぼ 原 典 に 添 っ て 書 き下
し つ つ 、 い く つ か の箇
所 を 省 略 し て い る と 見 ら れ る 。 別 伝 に 続 け て 最 後 に 、 私 云 。 此和
尚 ノ 事 。 伝 ノ中
ヨ リ 略 シ テ書
出侍
リ 。彼
伝
天 暦 元年
作 云 云 。伝
ノ文
章 古 ノ 文 体 二 似 ス 。能
ク 是 ヲ 尋 ヘ シ 。 伝 ニ ハ 生 得 ノ 恵 解有
リ テ 真 言 ノ効
験 ヲ施
ス ト 云 ヘ リ 。其
上師
承 ヲ尋
ネ 及 ハ ス 。 シ カ レ ト モ猶
正 説 ヲ 勘 ヘ キ事
也 。 と の栄
海
の 私 見 が 述 べ ら れ る 。 栄 海 が 典 拠 と し た本
は 天 暦 元年
の作
で あ り 、 『 元亨
釈書
』 が典
拠
と し た 一 軸 と は 異 な る が 、 内 容 か ら し て 現存
の 『伝
記 』 と 同本
で あ っ た こ と は 疑 い な い 。 た だ し栄
海 は 、 こ の伝
の文
章 が古
の 文 体 で な い こ と と 、 泰 澄 の付
法 の 師 匠 が 明 ら か で な い こ と に 疑 念 を抱
い て い る 。 法 流 を 重 ん ず る 密乗
の 立場
か ら 、 泰 澄 が 大師
以前
に密
乗 を 感得
し た と す る 見 方 に は や や 懐 疑 的 で あ っ た と 見 ら れ る 。 一73
一 N工工一Electronlc Llbrary智 山学 報第 五十二輯
十
四 世 紀前
半 に 成 立 し た 『 元 亨 釈書
』 と 『真
言
伝 」 か ら 知 れ る こ と と し て 、 泰 澄 伝 は 数 多 く あ る が 、 ど れ も信
憑 性 に欠
け る と い う こ と 。 と は い え 『 伝 記 』 は 浄蔵
口 述 と 記 さ れ 、 こ れ を泰
澄 伝 の 基本
と し た こ と 。 『 法 華 験 記 」 と 『 神 仙伝
』 が 別 伝 と し て採
用 さ れ た こ と 。 真 言 宗 内外
に 関 わ ら ず 、 泰 澄 は 最 澄 ・ 空海
以 前 の密
乗
の 験 者 と し て 認 知 さ れ て い た が 、 こ れ を 疑 問視
す る 向 き も あ っ た こ と な ど が 挙 げ ら れ る だ ろ う 。(
3
)そ の ほ か
中
央
の学
匠
・学
僧
に よ る別
伝
こ の 他 に も 、
中
央 の 学 匠 や 学 僧 に よ る史
料 が あ る の で ふ れ て お き た い 。ま ず 、 『
本
朝 続 文 粋 』 に は 、 院 政 期 を 代 表 す る 学 匠 、 藤 原 敦 光 ( 一 〇 六一 二 〜 一 一 四 四 ) に よ る 『 白 山 上 人歓
謹 』 が 収 録 さ れ て い る 。 こ こ に は 、白 山 は
山
嶽
の 神 秀 な り 。 美 濃 、 飛 騨 、 越 前 、 越 中 、 加賀
、 五 箇 国 の境
に 介在
す 。其
の 高 さ は 幾 千 仭 に 如 か ず 。其 の
周
は 遙 か 一数
百 里 に 亘 る 。 天地
積 陰 し て 冬 夏 に 雪有
り 。譬
え ば葱
嶺 の 如 し 。故
に 白 山 と 日 う 。 夏 季 と 秋初
に 、
気
は 暄 く 雪 は 消 え 、 四 節 の花
、 一 時 に争
い 開 く 。 側聞
す る に 、 養 老年
中 、 一 の 聖 僧有
り 。泰
澄 大 師 是 れ なり 。
初
め て 霊崛
を 占 い 、権
現 を崇
め 奉 り て 以 降 、 効 験 は 遐 迩 に 被 り 、 利 益 は幽
顕
に 及 ぶ 。 其 の場
に 参 詣 す る者
、百 日 は 葷 腥 を 断 じ 、 其 の 砌 に
来
至 す る者
、 二 里 に 涕 唾 を 禁 ず 。 信 心 の清
浄 に依
り て 、 感 応 の 掲焉
有 り 。 爰 に 西因 と い っ ぱ 、 本 と 是 れ 肥 前 国 、
松
浦 郡 の 人 な り 。 齢 十 有 四 に し て出
家求
道 し 、本
郷
を離
れ て 台山
に 登 る 。 登 壇受 戒 し 、 其 の 後 、 年 々
歳
々 、在
々 処 々 に 難 行苦
行 し、 休 息有
る こ と 無 し 。 遂 に 此 の 山 に 到 り 、永
ら く 其 の棲
とな し 、
久
し く 練行
を修
す 。 〈 … 後 略 … 〉( 27 ) と あ り 、
養
老
年 中 に泰
澄 大 師 が初
め て 白山
の 霊崛
を 占 し て 権現
を 奉 じ た と し て い る 。 し か し 、本
伝
に 言 う 白 山 ⊥ 人 は 、 西 因 と い う 阿 弥陀
信仰
者 を指
し 、 主 と し て こ の 人 物 に纏
わ る 白 山 の 縁 起 が 記 さ れ て い る 。白
山
に お け る 阿弥
陀NII-Electronic Library Service 泰 澄の 人物像 (小 林 )
( 28 )
信
仰
に つ い て 論 じ た研
究 も あ り 、 霊 山 に お け る多
様 な 信仰
形 態 が 予 想 さ れ る 。 い ず れ に し て も 、 敦 光 に よ っ て 保安
二年
(=
二 一 ) に 成 立 し た 本 伝 に 、 養 老年
中 の泰
澄 に よ る 白山
開
山 が 明 記 さ れ て い る こ と は 、 注 目 に 値 す る 。 先 に挙
げ た 大 江匡
房 の 『神
仙 伝 』 (=
〇 二 〜 一 一 〇 八 頃 成 立 ) の 記事
と併
せ て 、 こ の頃
ま で に は 確 実 に 、 泰 澄 は 白 山 開 山者
と し て 認 知 さ れ て い た こ と が 知 ら れ る 。( 29V
一 方 、 源
顕
兼
の 『 古事
談 』 に続
く 説 話 集 と し て 、 承 久 元 年 ( 一 二 一 九 ) に 成 立 し た 『 続 古 事 談 」 に も 、泰
澄 に 関 す る 記事
が 収 録 さ れ て い る 。 第 四 巻 「 神 社 仏寺
」 の 巌間
寺 の 項 に 、巖
間 寺 。 正法
寺
ト イ フ 。 山城
国
宇 治 ノ 郡 上 醍 醐 ノ奥
ノ 笠 取 山 ノ 東 ノ峯
也 。越
ノ 小 大 徳 ト イ フ ヲ コ ナ ヒ人
。 十 二年
ヲ コ ナ ヒ タ ル所
也 。 日 本第
三 ノ 霊 験 所 ト ゾ 。 一 ハ 熊 野 。 ニ ハ 金峯
山
也 。 コ ノ 大 徳 ヲ バ泰
澄 法師
ト モ イ フ 。 又金
鎮
法 師 ト 云 。 越 後 国古
志 郡 ノ 人 也 。 白 山 ヲ コ ナ ヒ テ 。 次 二 此 所 ニ キ タ レ リ 。 一 操手
半 ノ 金 銅 ノ千
手 観音
ヲ 本尊 ニ テ 。 身 ヲ ハ ナ タ ズ イ タ 、 ・ キ マ ツ リ ケ ル ヲ 。 此
所
ノ ヒ ツ ジ サ ル ノ方
二 桂 木 ノ ア リ ケ ル ヲ 切 テ 。自
手 等身
ノ 千手 観
音
ヲ 作 テ 。 此 金 銅 ノ仏
ヲ 篭 タ テ マ ツ リ テ 置 之 タ ル 也 。 コ ノ 人 ハ 唐 ヘ ワ タ リ テ 。 カ レ ニ テ ウ セ ニ ケ リ 。 と あ り 、 越 の 小 大 徳 は 白 山 に て修
行
し た後
、 山 城 国 宇 治 郡 笠 取 山 ( 現 ・ 滋 賀 県 大 津 市 、 西 国 第 + 二 番 札 所 、 岩 間 山 正 法 寺 ) に て十
二 年 間修
行
し た と す る 。 こ の大
徳
は 泰澄
法
師
と い い 、 ま た 金 鎮法
師
と も い い 、 越 後 国 古 志 郡 の 人 と さ れ る 。 先 に挙
げ た 『 神 仙伝
』 に 説 か れ る 泰 澄 は 、 白山
を 開 い た 後 、 吉 野山
、 稲 荷 社 、 そ し て 阿 蘇社
に ま で 赴 い た と い う 。 『 続 古 事 談 』 の説
く 泰 澄 も 、 白 山 の後
に 、 笠 取山
に 到 来 し 、 唐 へ と渡
っ た と す る 。 こ こ に 各 地 を 遍 歴 す る泰
澄 像 を読
み と る こ と も 可 能 で あ ろ う 。さ ら に 、 比 叡 山 の 僧 光
宗
は 、 応 長 元 年 ( = 二=
) か ら 貞 和 四年
2
三 四 八 ) に か け て 、山
王 神 道 や本
覚
思 想 に 基( 30 ) つ い て 天 台 の 諸
相
を 説 明 し た 『 渓 嵐 拾 葉 集 』 を 編 纂 し て い る 。 「 護 法事
」 に お い て 、 侍者
を 呪 力 で も っ て使
役
し た 例 と し て 、役
小 角 ・伝
教 大師
・ 弘法
大 師 な ど に先
が け て 泰 澄 の 伝 を 挙 げ 、 一75
一 N工工一Electronlc Llbrary智 山学 報第五十二 輯 一 。 泰 澄
大
師
の 事 。 越 州 浅 津 の船
渡 の 子 な り 。 武 烈 天皇
御
宇
の 人 な り 。 仏 法 未 だ 度 ら ざ る 時分
な る が 故 に 仏 像 之 れ 無 し 。仍
り て 初 め 石 上 に 扶 立 す る を 以 て 本 尊 と 為 し行
じ 給 う 。 次 に 越 智 の 峯 に 登 り て 行 じ 給 う 。 然 る 後 ち 、 白 山 建 立 し給
え り 。 云 々 。 此 の 泰 澄 に 二 人 の 侍者
護 法 あ り 。 所 以 に 一 に は 臥 行 者 と名
つ く 、 法 師 な り 。 二 に は 立 行 者 と名
つ く 、 俗 体 な り 。 其 の 名 を 清 定 と 日 う 、 船 渡 な り 。 此 の 二 人 の 行 者 、真
俗
二 諦 に 至 る な り 。 定恵
の 二 徳 な り 。 と し 、 『伝
記 」 に も 説 く 二 人 の 弟 子 に つ い て ふ れ て い る 。 こ こ で 泰 澄 は 、 「 伝 記 』 と 同様
に 、 越 前 国浅
津 の 人 で 、 越 知峰
に て修
行 し た の ち 白山
を 開 い た と さ れ る が 、 そ の 時 期 は 仏 教伝
来 以前
の 武 烈期
で あ る と し て い る 。 『 元 亨 釈 書 」 な ど が 、数
多 く の泰
澄 伝 の 信 憑性
を 疑 問 視 し て い る の は 、 こ の 辺 り の 伝 承 を も 踏 ま え て の こ と で あ 臥 兜 。( 32 ) さ ら に
下
っ て 、十
四世
紀 中 頃 に 成立
し た 神 社 の縁
起 物 か ら な る 『 神 道 集 」 に は 、 抑 も 白 山 権 現 と は 、 北 陰 加 賀 の 国 、 白 山 の 雪 山 に 跡 を 垂 れ給
え り 。 彼 の御
山 と申
せ ば 、千
歳 の 寒 氷 、 永 ら く 結 び て 解 け ず 、 四 節 の 名 花 は 一 時 に 競 い 開 く と 云 々 。 胡 紫 の白
根 は 、 白 雪 を 積 み て 潔 し 。 婆 梨 を 申 べ て 山 と せ り 。 此 の 如 く の 清 浄 の 霊 地 に 、 応跡
和
光 の事
を ば 、 代 何 れ の 何 の 時 と か 云 わ ん 。 此 の 山 は 高 く 聳 ち て 、 白 雪初
め て 雨 ふ り下
り け る昔
を ぞ 、 権 現応
跡
の 示 現 の 初 め と 申 す べ き こ と 、仏
眼神
眼 の み 吉 く 此 を知
う し 食 す 。 今 顕 れ 始 め 奉 り し 事 に 付 き て 両 説 あ り 。 → の 日 記 に は 、 元 正 天 王 の 御 時 、 霊 亀 二 年 丙 辰 の年
、 白山
権
現 に は 顕 れ始
め 給 え り 。 此 の 帝 と は 日本
の 四十
四 代 に て 女体
な り 。 諸 国 の国
分 寺 は 、 此 の 御 時 よ り始
ま れ り と 云 々 。 一 の 日 記 に は 、光
仁
天 王 の御
宇 、 宝 亀 二年
辛 亥 の 年 、 大朝
大師
、 此 を 顕 し奉
り 給 え り 。 此 の帝
は 人 王 四十
九代
に て御
在
す 。 已 上 六代
な れ ば 、 五 十 五 年 の前
後 な り 。 元 正 天 王 の御
宇
に 付 か ば 、 五 百 歳 に 余 り 給 え り 。 大 朝 大師
を ば 、 越 後 の 国 に て は 金 智 大 師 と 云 う 。 〈 … 後 略 … 〉 と あ り 、白
山 の 開 山 年 代 に つ い て 二 説 を 挙 げ 、 一 つ は諸
伝
と 同様
に 元 正期
の 霊 亀 二年
( 七 一 六 ) 、 一 つ は 奈良
後
期 に 一 一NII-Electronic Library Service あ た る 光 仁 期 の 宝 亀 二
年
( 七 七 一 ) と し て い る 。 ま た 後者
に つ い て 、 そ の開
山
者
を 大 朝 大師
と し 、 越後
国 金 智 大 師 の こ と で あ る と し て い る 。 先 に挙
げ た 『 続 古 事談
』 も 、 泰 澄 の 別 名 を 金鎮
法 師 、 越 後 国 の 人 と し て お り 、 こ れ ら に( 33 ) 僅 か な が ら 『 法 華
験
記
』 系 統 の 伝 の影
響 が 窺 え る 。( 34 ) 最 後 に
参
考
史 料 と し て 『寧
楽 遺文
』 に は 、 根 本説
一 切 有部
毘奈
耶雑
事
巻 二 一天
平
二 年 庚 午 年 六 月 七 目 、為
上 酬 慈蔭
、下
救
衆
生 、 謹書
写 畢 。 泰 澄 。 と 記 さ れ た 写経
に 関 す る 文 書 が 残 さ れ て い る 。 天 平 二年
( 七 三 〇 ) に 『 根 本 説 一 切 有部
毘 奈 耶 雑 事 』巻
二 一 を 書 写 し 終 わ っ た泰
澄 な る人
物
が 、白
山 を開
い た と さ れ る泰
澄 と 同 一 人 物 で あ る か は 不 明 で あ る 。N工工一Electronlc Llbrary Servlce
泰澄の人物像 (小林)
三
泰
澄
の人
物
像
以 上 、泰
澄 に 関 す る 史料
を 挙 げ て そ の 内 容 を 整 理 し て き た が 、 を 確 認 し て お き た い 。 以下
、 比較
的 妥 当 性 の高
い 順 に挙
げ た い 。 (1
)白
山
開
山
者
本
稿 の ま と め と し て 、 そ こ に描
か れ て い た 泰 澄 像大
江匡
房
の 『 神 仙 伝 』 、 藤 原 敦 光 の 『 白 山 上 人縁
起 』 に よ っ て 確 認 で き る よ う に 、 少 な く と も院
政 期十
二世
紀
初
頭 に は 、 養 老 年 間 に 泰 澄 が 白 山 を 開 い た と い う 伝 承 が成
立 し て い た 。 ま た 、 先 に 挙 げ た史
料
の 内 、 『 法 華 験 記 』 以 外 の す べ て に 、 泰 澄 の 白 山 開 山 が 記 さ れ て い る 。 た だ し 、 『 神 道 集 』 に は光
仁
期
の 白 山 開山
と い う 別 伝 を 載 せ て い る 。 白山
の よ う な標
高
二千
メ ー ト ル を 超 す高
山 の 開山
と い え ば 、天
応 元 年 ( 七 八 二 ) の 勝 道 に よ る補
陀 洛山
( 現 ・ 栃 木 一77
一智 山学 報第五十二 輯 県 日 光 男 体 山 )
開
山 が 挙 げ ら れ る 。 勝 道 の場
合
、神
護 景 雲 元 年 ( 七 六 七 ) に 登 拝 を 志 し て 以 来 、 十 五年
掛
か っ て 登 頂 に成
功
し 、 翌 々年
( 七 八 四 ) に は 山麓
南
湖 の 勝 地 に 神 宮寺
を 建 立 し て 数 年 間 修 道 し て い る 。 そ の後
、 上 野 国講
師 に ( 35 )任
ぜ ら れ 、 ま た 干 魃 に 際 し て は 州 司 の 要 請 に よ り雨
を 祈 っ た と さ れ る 。 こ う し た 勝 道 の事
績
と 比 較 し て 、 『 伝 記 』 の説
く 泰 澄 の 有 り 様 に は 土 ハ 通 す る 点 が 頗 る 多 い 。 た だ し 、 泰 澄 の 白 山 開 山 は 養 老期
と さ れ 、 半世
紀 以 上 前 の こ と で あ る 。 両者
を 比 較 検 討 す る こ と に よ り 奈良
期 に お け る 山 岳 信仰
の 問 題 を 考察
で き よ う が 、今
後 の 課 題 と し て お き た い 。 (2
)遍
歴
修
行
者
『 神 仙伝
」 の泰
澄 は 、 白 山 を開
い た 後 、 吉 野山
( 奈 良 県 ) に て 一言
主 の 呪 縛 を解
こ う と し 、 ま た 稲荷
社 ( 京 都 府 ) 、 阿 蘇 社 ( 熊 本 県 ) な ど 、 諸 々 の神
社
に 赴 い て そ の 本 身 を 顕 し た と い う 。 ま た 、 『続
古 事 談 』 に 説 く 泰澄
は 、 白 山 よ り笠
取
山 ( 滋 賀 県 ) に 到 来 し て 、十
二 年 間 修 行 し た の ち去
っ て い っ た と さ れ る 。 さ ら に 『 法 華 験 記 』 「神
融
伝 」 を は じ め神
融 ・ 泰 澄 に ま つ わ る 伝 承 は 、 北陸
を 中 心 に 近 江 さ ら に は 畿内
ま で 広 範 囲 に 残 さ れ て い る 。 こ れ ら は 諸 々 の 聖 地 に到
来 し 、 修 道 し た 後 に 去 っ て い く 、 遍 歴 修 行 者 を予
想 さ せ る も の で あ る 。奈
良 期 に お け る 、 こ う し た 人 物 の 典 型 と し て 、 ま ず満
願
が 挙 げ ら れ る 。 彼 は 天平
勝
宝 元 年 ( 七 四 九 ) に 鹿 嶋 ( 茨 城 県 ) 、 天平
宝 字 四 年 ( 七 六 〇 ) に 箱 根 ( 神 奈 川 県 ) 、 そ し て 同 七 年 ( 七 六 三 ) に は 多 度 ( 三 重 県 ) に到
来 し 、各
地 で神
( 36 ) 宮 寺 を 建 立 し数
年 間 修 道 し て い る 。 ま た 、 最 澄 と 激 し い 論 争 を し た こ と で も 有 名 な 奈 良 後 期 の法
相
宗 の徳
一 も 、京
〔 37 ) ( 38 ) を 離 れ て 遍 歴 修 行 し 、 筑波
( 茨 城 県 ) 、 い わ き ・会
津 ( 福 島 県 ) な ど広
範 囲 に そ の 足 跡 を残
し た 。 (3
)神
祗
信
仰
者
一78
一NII-Electronic Library Service 泰澄の人物 像 (小林) 上 記 の 遍
歴
修
行 と密
接
に 関 わ っ て く る の が 、 到来
し た 霊 地 に お け る神
祗
信仰
と の関
わ り で あ る 。満
願
は 鹿 嶋 .多
度
な ど に て神
宮
寺 を 建 立 し て い る 。 ま た先
の 勝 道 も補
陀洛
山 に登
頂 す る際
、神
祗 に経
像
を 供 進 し て神
宮
寺 を 建 て て い る 。 こ う し た 事 態 の 一背
景 と し て 、 古 来 よ り の神
祗 が お わ す 聖 地 に 、仏
教 信 仰 が浸
透 し て い く 過 程 で 、 仏教
修 行者
と し て は 在地
の 神 祗 を供
養 し て障
難 を 避 け 、 逆 に加
護 を期
し た こ と が推
察
さ れ る 。 泰 澄 の 伝 承 の な か で も 、 『 法 華 験 記 」 は 在 地 の神
祗
信
仰 と 新 興 の 仏教
信 仰 と の 関 係 性 が テ ー マ と し て 描 か れ て お り 、 ま た 『神
仙伝
』 に は 、稲
荷 社 ・阿
蘇社
と い っ た神
祗 と の関
連 が 記 さ れ 、 さ ら に 『 伝 記 』 に は 、 体 系 的 な本
地 垂 迹 思 想 が 説 か れ て い る 。 こ の よ う に泰
澄 に は 、 神 祗 信仰
に 関 わ る 伝 承 が い く つ か 見 ら れ る こ と か ら し て も 、 満願
を 典 型 と す る遍
歴 修 行者
、神
祗
信
仰 者 と の 共 通 性 が予
想 さ れ る が 、 奈 良 期 に お け る初
期 の神
仏
交 渉 の問
題 と 併 せ て 、今
後
の 課 題 と し た い 。 (4
)密
教
信
仰
の先
駆
者
『 伝 記 』 に は 、密
教
僧
的 な 泰 澄 像 が 描 か れ て い る 。 つ ま り 、 白 山山
頂
に て 十 一 面 観 音 の 真 身 を 顕 し た り 、 疱 瘡 の 流行
に 際 し十
一面
法 を 修 す な ど 、変
化観
音
の 一 つ で あ る 十 一面
観音
に 関 わ る 記 述 や 、 元 正 天 皇 の 不 予 に 際 し て 忿 怒 の 明咒
を 唱 え 、 白山
山 頂 よ り持
っ て き た 三 鈷 を 以 て加
持
す る 、 さ ら に は 遷化
に 際 し て 結跏
趺 坐 し 大 日 の 定 印 を 結 ぶ 等 の 記 述 が あ る 。 こ れ を 踏 ま え て 『 元 亨釈
書 』 や 『 真言
伝
』 に は 、泰
澄 を 空 海 以前
の 真言
の 験 者 と 見 る 立 場 を 載 せ て い る 。 こ う し た 見方
を 踏襲
し て 、 現 在 も 大 師 以 前 の密
教
を 論 ず る 上 で 泰 澄 を 挙 げ る 論攷
が 見 ら れ る 。 『大
日 経 』 『 金剛
頂経
』 に 基 。 つ く い わ ゆ る 純 密 は 、 空 海 に よ っ て 日 本 へ 伝 え ら れ大
成 し た 。 し か し そ れ 以 前 に 、 い わ ゆ る 雑 密 的 信撫
・ 一 般 の仏
教
信
仰 に 含 ま れ て特
に 区 別 さ れ る ・ と な く杲
に 伝来
し て い る 。 聖 武 期 に は 入唐
僧 や 渡来
僧 に よ り大
量 の 経 典 が伝
え ら れ 、 官 立 の 写 経 所 を 中 心 に 写経
が行
わ れ 、 諸 国 に 経典
が流
布 し た 。 そ の 中 で 特 一79
一 N工工一Electronlc Llbrary智山学報第五十二輯 に