浄
影
寺
慧
遠
の
仏
性
義
に
つ
い
て
原
隆
政
浄影寺慧 遠の仏性義に つ い て (原隆政) 〔 レ ジ ュ メ 〕 今 回 の テ ー マ は 仏 性 を 地 論 宗 の 慧 遠 を 中 心 に し て 華 厳 宗 の 法 蔵 ま で の 変 遷 を 見 て い く 。 最 終 的 に 、 仏 性 義 を 中 心 と し た の 宗 は 法 蔵 の 五 教 判 の う ち の 大 乗 終 教 の 第 三 番 目 に 位 置 さ れ る 。 ち な み
笑
師 に よ ・ て は讓
宗 を 法 蔵 自 身楚
義 付 け た 五 教 判 の 如議
教 睡 第 三沓
に 位 置 付 け ら れ る と い う 誤 解 が餐
祝 ・ 仏 性 義 と い う テ ー マ は 幅 広 い 。 し か し 的 を 絞 る と 、 北 魏 仏 教 の 総 合 と し て の 『 大 乗 義 章 』 を 著 し た 慧 遠 は 地 論 宗 南 道 派 に 分 類 さ れ る 一 方 、 智 儼 の 教 学 そ し て 法 蔵 の 教 学 へ 連 な る 契 機 を 持 つ 人 物 で あ る 。 す な わ ち 、 お も に 彼 ら は 地 論 宗 か ら 華 厳 宗 へ の 流 を 作 る 人 脈 で あ る 。 し た が っ て 厳 華 宗 − 地 論 宗 の 線 で 仏 性 義 を 検 討 し て み た い 。 ま ず は 、 慧 遠 の 時 代 の 仏 性 義 を 見 て い く が 、 吉 蔵 の 『 大 乗 玄 論 』 ・ 『 涅 槃 遊 意 』 ま た 『 大 乗 起 信 論 』 ・ 曇 遷 の 『 亡 是 非 論 』 な ど を 慧 遠 の 仏 性 義 と 比 較 し て み る 。 ま た 、 コ 心 L と い う こ と で は 、 『 十 地 経 論 』 の 三 界 唯 心 偈 も 見 て み た 。 〔1
〕仏
性
議
論
ま ず 一般
的 と 言 わ れ る 仏 性義
を 見 て 行 く こ と にす
る 。 一 般論
的 に 用 い ら れ て い る 論 疏 は慧
遠 に も 引 か れ て い る 。 こ こ で は 『 宝 性 論 』 や 『 仏 性 論 』 な ど も挙
げ る が 、 特 に こ の 両 論 の 成 立 真 撰 ・偽
撰 の 問 題 は 当 論 の文
脈
上 間 わ な い こ と と す る 。A
『 究竟
一 乗 宝 性 論 』仏
性 の 規.定
は 、 仏 性 が 三 宝 生 み 出 す の だ が、 仏 性 が 衆 生 の 中 に あ っ て か つ 煩 悩 に 包 ま れ て い る とき
こ れ を如
来 蔵 一 111 一智山学報第四十一輯 ( 注 2 ) と よ ぶ 、 と い う こ と で あ る 。 し か も 、 こ の 仏 性 は 空 を
否
定
し て有
と し て の 仏 性 を 立 て て い る 。後
で 述 べ る が 慧 遠 の 「 仏 性 義 」 で は 、 「 弁体
」 の 項 で 性 を 分 け て い く 中 、10
に分
け る 場 合 を こ の 論 を引
い て 詳 し く 述 べ て い る 。 「 経 論 」 の項
で は 、 衆 生 と 仏 性 と の あ る べ き 姿 を 説 く と き に も こ の論
が 用 い ら れ て い る 。B
『 仏 性 論 』 冒 頭 で 、 全 て の 衆 生 に は 仏 性 が あ る 、 と言
っ て い る 。 そ の と き の 仏性
と は 、 人 と諸
物
と の 二 つ が 空 に よ っ て 現 れ て い る 真 理 【 真 如 】 の こ と を い う の で あ る 。 そ し て 、 如来
蔵
と い う 定 義 で は 、 そ の 仏 性 が 煩悩
に 包 ま れ て い る 状 態 を 指 し て い る 。 こ の 論 は慧
遠 に は引
用 さ れ て い な い 。 こ のA
・B
両 論 に お い て 仏 性 は衆
生 に 内 属 す る 、 転 依 し て 仏 と な る た め の 可 能態
と 言 う こ と が で き る 。C
『 大 智 度 論 』 こ の 論 で は 「 法 性 」 と 言 い 、コ
切 世 間 法 中 に 涅 槃 性 が 皆 あ り L と 言 っ て 、 こ れ は 仏 性 義 の釈
名 で 用 い ら れ て い る 。D
『 十 地 経 論 』特
に は 、 仏 性 義 の こ と は 論 じ て は い な い が 、 三界
唯 心 偈 が 体弁
中 の真
妄
和 合 の 因 縁 を 説 明 し て い と こ ろ で 用 い ら れ て い る 。 〔2
〕地
論
宗
の仏
性
義
A
『 大 乗 義 章 』 「 仏 性 義 」1
. 仏 の 釈 名 で 「 仏 を挙
げ て 性 を 樹 て る 」11
「 仏 を 明 か す 」 と い う 言 明 が 先 ず あ る 。仏
性 は 「仏
・ 性 」 ・ 「 果 ・ 因 」 と い う 関 係 を慧
遠 は意
識 し て い る 。 と い う こ と は 、 こ の 項 で は 「 性 」 の分
析 が 中 心 と な る 。 一112
一浄 影寺慧遠の仏性義につ いて (原
隆政) 性 の 釈 名 で は 〔 性 の 体 〕 を、 真
識
心 を 因 、法
身
を 果 、 両 者 共 通 の 場 をコ
来
性 L と い い 、 仏性
の 能動
的 な 面 で あ る 。受
動
的 な 面 で は 、 諸 法 自体
ー 諸 仏 の窮
ま る と こ ろ 、 と し て い る 。 〔 性 の 不 改 〕 「11
用 」 を 、 同 様 に 因 ・ 果 ・ 通 ・諸
法
と わ け る 。 〔 性 の 別 〕 「 ー 性 の 所 在 」 も 同 様 で あ る 。2
. 仏 性 と い う の は 法 界門
の 一 門 であ
る 。 真 識 心 は 無 明 と 合 わ せ る と妄
心 を 起 こ す 。 「 心 あ る も の に は 全 て 仏 性 が あ る 。 」 と 言 い 、 非情
の も の に は 仏 性 を み と め な い 。 所知
と し て 第 一 義 空 や 中 道 も 仏 性 で あ る 。 と に か く 論 理 構 造 は 、 非A
・ 非B
・C
と い う こ と で あ り 、C
が 前両
者
(11AB
) を 支 え て い る 。 体 を 語 る 上 で こ の よ う なAB
を ふ や し て い く 。 つ ま り 、AB
とC
と は 同 一 次 元 上 に は い な い 。常
にC
は 前 者 の 必 要 条 件 と な り 、AB
はC
に と っ て 充分
条
件 と な ろ う 。3
.闡
提
に は 不善
の 性 が あ り 、 仏 性 縁 起 に よ っ て 不善
と な る 。 単 な る 縁 起 に よ る の で は な い の だ か ら 、 仏 性義
か ( 注 3 ) ら も染
が 生 じ る と 考 え ら れ る 。 理 性 は 内 外 通 じ る 。 こ の こ と に お い て 、 『 涅 槃経
』 で は 非 情 ー外
に は 仏 性 が な い とあ
る が 、 そ う す る と 、 仏 性 壮 理 性 と い う こ と に な る 。4
.縁
に よ り て、 生 ず る こ と に つ い て は 二 つ の 原 因 が 考 え ら れ る 。 縁 因 と 正 因 と であ
る 。 つ ま り 間接
原 因 と 直 接 原 因 。仏
性
、 菩 提、 性 浄 、 方 便 と い う 果 、 そ れ ぞ れ に 対 し て 正 ・縁
が あ る 。 仏 性 と い う 、 立 場 的 に は 絶 対 者 の原
因 を 以 て 語 る と い う こ と に な る 。 つ ま り 第 一 原因
の 原 因 を 設 定 し て い る こ と に な る 。 仏 性 は転
変
し て 生 と な る が 、 虚空
は 観 念 上 の も の で 顕 現 す る こ と は な い 。 了 因 は 方便
で あ る 。 よ っ て 理 性 の こ と を鑑
み る と 「 性 」 に は 二義
あ
る こ と に な る 。 仏 性 と 本質
と 。5
、諸
々 の 経 論 に お い て 、 空 と い う の は固
執
す る衆
生 の た め に 説 く も の で あ っ て 、 性 は 空 を 知 っ て し ま う こ と で 、 一113
一智山学報第四十一輯
安
息 し て し ま う 衆 生 を 怠 け さ せ な い た め に あ る 。 ( 注 4 )B
『 大 乗 義 章 』 「 八 識 義 」 体 相 論 は 『 大 乗 起 信 論 』 に よ る 。 心 真如
門 ( 如 実空
・ 如 実 不 空 ) は 心 の体
、 心 生 滅門
( 真妄
和 合/
本 覚 ・ 不 覚 ) ( 注 5 ) は 心 の 相 。 ほ と ん ど は 、 『 大 乗 起 信 論 』 に よ る 説 明 と な っ て い る 。 以 上 で 説 明 す る 上 で5
つ の分
類 が あ る 。 簡 単 に ま と め る と次
の よ う に な る 。名 前 ” 性 に
関
し て そ れ ぞ れ の 性質
( 因 ・ 本、体
、 不改
、性
別 ) を 名 付 け て 四 種 あ る 。本 質 鱒 相 対 立 す る も の に 、 根 底 に
第
三 項 を 設定
す る 。 又 、 悉 有 仏 性 と 真妄
和 合 そ し て 、 そ れ 故 、 闡提
成 仏 を み と め る 。 〔 『 亡 是 非 論 』 ・ 『 大 乗 起 信 論 』 〕所
在 ” 理 性 と し て 闡 提 や 善 根 に あ り 、 縁 に 関 し て は 無自
性 、 因果
の 性 は 内 に あ る が 、 体 や 理 性 は内
外 を 問 わ な い 。 仏 性 昇 妄 情 。 時 間 的 に は 三 世 を 越 え て い る が 、 そ の 理 性 は 現在
・未
来 に 通 じ て い る 。 因 の 義 ” 縁 因 と 正 因 と が あ り 、 〔 仏 性 ・ 菩 提 ・ 性浄
・ 方 便 〕 に そ れ ぞ れ 、 縁 ・ 正 を あ て て い る 。 ま た 、 生 因 ・ 了 因 ( 推 量 す る と き の 認 識 根 拠 ) を 兎 角 と仏
性 に 当 て は め て 説明
す る 。 諸 経 論 で の 評価
” 総 合 的 な 判 断 を 空 (法
蔵 の 教 判 で は 大 乗 始教
) に 対 し て述
べ る 。 「 性 を 説 く の は衆
生 に怠
け 心 を 起 こ さ せ な い た め だ o 」 以 上 は直
接 的 な 資 料 を 基 に し て 仏 性 義 を 見 て き た が 、 次 に は 副 次的
な 意 味 で 必要
と 思 わ れ る資
料 を 見 て い き た い 。 ( 注 6 ) 理 由 と し て は、 東 洋 的 無 に 適 う よ う な 概 念 が 仏 性 を 語 る 上 で 慧 遠 の中
で 用 い ら れ てき
た の で 、無
礙 な る根
拠 と し て の概
念 の模
索
と い う こ と が、 必 要 に 感 じ ら れ る か ら で あ る 。 し た が っ て 、 こ こ に 示 す資
料 は 模 索 と い う こ と を 基 に し て み れ ば 不 充 分 な感
か ら 免 れ な い か も し れ な い 。 〈 資 料V
一 114 一浄影 寺慧 遠の仏性義に つ い て (原 隆政)
A
『 亡 是 非論
』 曇 遷 著Zo
」
Q。 『 α Q。9
密
H 切 『 孔 目 章 』内
B
『 十 地経
論
』 世親
著Zo
° 呂 卜。 b。 < or 卜。這
゜。 〜C
『大
乗
起 信 論 』 馬 鳴著
Z
ρ δ3
< o ピ ω b。 α謡
〜A
『 亡 是 非 論 』一 無 心 と い う
考
え 方 を 「 是 非 」 の と は 違 う次
元 に 設 定 す る こ と 、仏
性 の 設定
の さ れ 方 に似
通 っ て い る と い う こ と で 取 り 上 げ た 。 『 荘 子 』 の 「斉
物 論 こ の 論 は 根拠
を 持 っ て い る こ と は 諸 先達
が 考 究 し た と こ ろ で も あ る 。 唯 、慧
遠 は曇
遷 か ら 教 え を 受 け た が 、 ヒ の 仏 性 義 に は そ の 影 響 は未
詳 で あ る 。論
の 要点
は 、 「 自 ら は彼
を 非 と し 、 、 己 を美
と し 、 人 を悪
と す る 。 つ ま り 物 は 然 ら ざ る こ と の 無 い の は、 皆 然 を拠
り所
と し て い る か ら で あ る 。 世 間 で は て紛
紜 ( 複 雑 な さ ま ) と し て 、 自 ら が 正 し い 者 は い な い 。 か く な る 由 は 未 だ 、 是 非 の 【患
】 に達
し て い な い か ら 。 【 患 】 に は 、 す な わ ち 、 十 種 の 不 可 が あ る 。 」 と 言 い 、 そ れ ら を 列 挙 し て い る 。 是 非 無適
主 自 性 不定
*彼
我 倶有
・更
互 因生
互 不 相 及 * 穏 顕 有
無
性 自 相 違 * 執 者 情 偏 是 非 差 別 一115
一智山学報第四十 一輯
無 是
無
非
* は荘
子 の 「斉
物 論 」 の 説 明 に 似 て い る と の 指 摘 が 木 村 博 士 に よ っ て な さ れ て い る 。 こ の 論 は 『 孔 目章
』 の 「 性 起 品 」 の 説 明 に付
し て あ る 。 す な わ ち 、性
起
品 の 関 連 で あ る か ら 、 『 亡 是 非 論 』 の 無 を 是 非 と い う対
立概
念
の第
三 項 と し て設
定 し、 是 非 と い う 執 な る 状 況 を 脱 し よ う と し た 。 鎌 田博
士 に ょ れ ば 、曇
遷 は自
分
の 名 利 を ひ け ら か し て い る の を 否定
す る た め に 、 「 世 間 の名
利
と 恭 敬 と を 求 め る に 非 ざ る が 故 に 」 を 根 拠 に し て い る 。 ( 注 7 )B
『 十 地 経 論 』現
前 地 〔 経 〕「 こ の 菩
薩
は こ の 念 を作
し て 、 三界
は虚
妄 に し て 、 但 、 こ の 一 心 が 作 る の み 。 」 〔 論 〕「 但 是 一 心
作
」 と は 、 一 切 三 界 唯 心 の転
な る 故 な り 。 云 何 世諦
の 差 別 な り や 。 随 順 し て 世諦
を 観 る に 即 、第
一 義 諦 に 入 る 。 此 観 は 六種
あ り 。 一 染 染 依 止 観 、 二 因 観 、 三 摂 過観
、 四護
過
観 、 五 不 厭 厭 観 、 六 深 観 で あ る 。 こ の中
の 染 依 止 観 は 、 因 縁 有分
は 一 心 に 依 止 す る 故 な り 。 [ 経 〕「 如
来
蔵 の所
説 は 十 二 因 縁 分 に 皆 一 心 に よ る … … 」 [ 論 〕 こ れ は 「 第 二 の 差別
」 で あ る 。コ
心 L は 「 雑 染 和 合 因 縁 集 観 」 で あ る 。 「 因縁
観 」 に は 、 「 自 因 観 」 ・ 「他
因観
」 が あ る 。 ( 注 8 )C
『 大 乗 起 信 論 』 立 義 分/
解 釈分
慧
遠
の 真妄
和
合
と い う 考 え 方 を こ の 論 は 助 け て い る 。引
用 に つ い て は 、 慧 遠 の 「 仏性
義
」 中 の本
質
「体
」 を 論ず
る中
に2
箇
所 こ の 論 が 引 かれ
る 。 〈 立 義分
〉 「 所 言 の 法 は 衆 生 心 」 は 三 界唯
心 偈 に つ な が る と す れ ば し か も そ の 「 心 」 は 「 世 間法
・ 出 世 間法
」 を 含 ん で い る 。 一116
一浄影寺慧 遠の仏性義につ い て (原
隆政) 又 、 こ の 「 心 」 は 「
摩
訶 衍 義 」 が あ り 、 「 心 真 如 相 」 は 「摩
訶
衍
体 」 顕 し 、 「 心 生 滅 相 」 は 「摩
訶
衍
自体
・ 相 ・ 用 」 を 顕 わ す 。 よ っ て 「衆
生 心 」 は義
に よ っ て 説 明 さ れ る 。 義 に は 三 つ あ っ て 、 〔 体 大 〕 は真
如 。 〔 相 大 〕 は 如 来 蔵 、 〔 用 大 〕 は 世 間 ・ 出 世間
の 善 な る 因果
を 生ず
。 「 一 切諸
仏 の 本所
乗
」 で あ る か ら 。 全 て の 菩薩
は こ の教
え に 従 っ て 如来
の 地 へ行
っ た 。 〈解
釈分
〉 〔 顕 示 正 義 〕 一 心 は 「 心 真 如門
」 と 「 心 生滅
門 」 と に 分 か れ る 。 こ の 二 つ ( も と は 一 心 だ が ) の 心 に ょ っ て 全 存在
が 抱 摂 (説
明 ) さ れ る 。 心 の本
性
が 不 生 不滅
で あ る 。コ
切 諸 法 は 唯 、妄
念 に よ る L と 言 う 。 し か し 、 妄 念 を離
れ れ ば 、 「 一 切境
界 之 相 」 は 無 く な る 。 だ か ら 、 一 切 法 は本
来 「離
言 説 相 」 「 離 名 字相
」 「離
心縁
相 」 で あ る 。真
如 は 「 依 言 説 」 に よ っ て 二分
さ れ る 。 「 如 実 空 」 ・ 「如
実
不 如 工 」 で あ る 。 「 心 生滅
」 に如
来 蔵 が 当 て ら れ て い る が 、 こ の 説 明 こ そ が 慧遠
の 仏 性義
に 相 当 す る の で は な い だ ろ う か 。 『 大 乗起
信 論 』 の 阿黎
耶 識11
衆 生 心 と 唯 識 と ア ラ ヤ 識1
ー第
八識
と は 全 く別
物
で あ る が 、 慧 遠 の 場 合 は 第 八 識 “清
浄
心 “仏
性 と し て と ら え て い る き ら い があ
る 。 〔3
〕吉
蔵
の仏
性
義
地 論宗
を 見 て い た 吉蔵
の 著 作す
で 検討
る 。A
『 涅槃
経遊
意
』「 釈 名 」 = o °
嵩
。。 bδ G。 ωO
歯 。。 心 〉 『 大 乗 義章
』浄
法 聚 第 四 の 果 法第
二 の 「 涅槃
義 」 の 文意
を引
い て い る 。 「 涅 槃 」 と い う 言葉
を支
那 語 に ど う 訳 す か 、 一 117 一智由学報第四十 一輯 と い う こ と で 慧 遠 は 「
安
楽
」 と し て い る と 言 っ て い る 。反
対 に、 不 安 は 生 死 。然
る に 安 楽 は涅
槃
。 北 人 の 言 う に は 、 「 般涅
槃
夥 」 を 訳 す と 「 入 息 」 な る 。 「 入 」 に は 三 種 類 あ る と し て 、『
成
実
論 』 で は 「妄
を 止 め て 、 真 に 帰 る 。因
に 従 い 、果
に 魁 く 」 と 言 う 。 「真
応 相 対 」 は 「 化 を 止 め て 、 真 に 帰 る 」 と 言 う 。 「 但 就 応 為 書 扁 は 「有
為 を捨
て 、 無為
に 入 る 」 と 言 う 。 し か し 、 正 し く は 「滅
」 と 訳 す 。 も し 義 に 従 う と 、 「 不 生 解 脱等
」 と な る 。B
『大
乗
玄 論 』 「仏
姓 義 」1
、 大 意 ト カ モ ト吉
蔵
の 仏 性 義 を概
観
す る 。 「 識 を 蕩 し て 原 に 還 る を § づ け て 仏 徃 と 為 す 」 〔 識 に あ る 汚 物 を取
り 除 い て そ の 素 に戻
り こ と を 仏 性 と 言 う 〕隻 と い う こ と は
吉
蔵
自体
が 仏 性 の 在 処 を真
妄
和
合 識 と み な し て い る 。2
、 明 異釈
こ こ で は11
種 類 の諸
家 の 説 を あ げ て 、 蕊 つ の 要 索 に ま と め る 。 地 論 師 は7
/
11
で 陣梨
耶識
麕
性 溝浄
心 と み て い る 。 「中
道
を 以 て 仏性
と 為 す 」 と し 、 『 涅 槃 義疏
』道
朗
・曇
無 讖 共 著 か ら の説
を 受 け 入 れ て い る 。 そ し て、 以後
の 諸 家 は こ の疏
を も と に 仏牲
義
を 論 じ て い る 。 一 二 つ の 要素
と し て は 、仮
。実
( 衆 生 ・ 六 法 ) の 二義
1
・2
』 心 。 心識
の 二 義 と 五 解3
。4
。5
・6
・7
− 理 の 義
8
・9
・10
・11
・ 一
118
一浄影寺慧遠の仏性義につ い て (原
隆政) で
あ
っ て 、 地 論 師 は の 心 識 に 分 類 さ れ る 。吉
蔵 の 批 判 と し て は 、 〔 ア ラ ヤ 識 は 仏 性 で は な い 。 よ っ て 、 『 摂 大乗
論 』 に こ れ ー ア ラ ヤ 識 は 無 明 の 母 、 生 死 の 根 本 で あ る 。 六 識 、 七 識 、 八 識 、 九 識 ・…
無
限
に 識 を 設 定 し た と し て も 、 全 て仏
性
で は な い 。 何 故 な ら こ れ ら は 有 所 得 で 、 五 眼 の み な い と こ ろ であ
る 。 〕 と い う こ と 。 つ ぎ に 、 吉 蔵 の 仏 性 義 の 正 因 を 語 る 。 つ ま り 、 「 非A
非B
。A
ル ー 〜11
の 識 。A
の 反 対概
念
と し て のB
」 、 こ れ が 中 道 で あ る 。3
、尋
経
( 経 証 )4
、簡
正 因 こ れ を検
討
す る た め に は 、 無 始 終 義 と作
三 世義
と を 用 い る 。 無 始 終 で は 、 菩 提 ー 果 は智
、 涅槃
11
果果
は 断 、 で あ る か ら、智
に よ る の で 断 と 説 く 。5
、 釈名
通
名
・ 別 名 があ
る 。6
、 本有
始 有 地 論 師 の意
見 を引
く 。 つ ま り 〔 仏 性 に 二 種 あ る ゆ 理 性 と 行 性 。 理 は 作 ら れ る べ き も の で な い の で、 本 有 。 行 は修
を借
り て 成 立 す る の で 始 有 。 し か し 、有
所 得 に 対 し て は 了 解 さ れ る よ う だ が 実 は そ う で は な く て 、 そ れ ぞ れ の 言葉
に執
着
し て し ま う か ら 、 か え っ て 迷 執 と な っ て し ま う 、 と い う の であ
る 。 中 道 の義
が な い か ら 、 か よ う に 批 判 さ れ る よ う で あ る 。7
、弁
内
外
有 無 ・ 明 仏 性 有無
理 外 と い う 立 場 に 立 て ば 、 に は 衆 生 も な く 仏性
も な い 。火
に 水 を 求 め る よ う な も の で あ る 。 そ し て 五 眼 の 見 な い と こ ろ であ
る 。 理 内 と い う 立 場 で は 、 全 て に 仏性
が あ る 。闡
提
に 関 し て は 、 三宝
を 誹 る の は闡
提
で あ る か ら 、 「今
」 罵 る こ と が な け れ ば 闡提
で は な い か ら 、 「 過 去 」 に 闡提
だ っ た 人 は 「 今 」 は 違 う か ら 仏性
は あ る 。 だ か ら (仏
性 の 一 119 一智山学報第四十一輯
内
外 ・有
無 は 定 ま っ て い な い 。 衆 生 は 仏 で あ り 、 密 で あ る 。 衆 生 に仏
性 が あ る と 言 う の は如
来
蔵 に ょ る し 、 仏 性 に 衆 生 あ り と い う の は 、 如来
蔵
生 死 の た め に依
持建
立 す る か ら で あ る 。8
、 明 見 性見
に 二種
あ る 。慧 眼
見
〔 十 地 ・ 十 住 〕 仏 眼 は 仏 性 を 見 て 了 了 で あ る が 、 慧 眼 は し か ら ず 。 た だ 、 『華
厳 経 』 は 初 発 心 時便
成 正 覚 と い う こ と か ら 、 「 初発
心 時 」 に 仏 性 を 見 る の で あ る 。 よ っ て 、 涅槃
の 明 か す 十 地 は 地 懿 で あ る 。 と こ ろ が 、 地 論 師 は 行 位 に よ っ て 決 め て い る 。 浬 槃 は 位 別 に ょ っ て 、 仏 牲 の見
不 晃 を決
め 、華
厳
は 行 通 に よ っ て決
め て い る 。 つ ま り 地 論 師 は 華厳
の 説 を取
っ て い る と い う こ と に な る 。 儒 見 〔 外 道 ・ 凡 央 〕9
、 会 経仏
性 は 、各
経
典
で定
義 さ れ て い る 。 書 葉 を 挙 げ る と 、 仏 性 『 淫 槃 経 』 ・ 法 界 『華
厳 経 』 ・ 如 来蔵
自 性 清浄
心 『 勝鬘
経 』 ・ 八識
『 楞 伽 経 』 ・ 首楞
厳
三 昧 『 首 楞 厳 経 』 ・ 一道
一乗
『 法 華 経 』 ・ 般若
法 性 『 般 若 経 』 ・無
住 実際
『 維摩
経
』 。 吉蔵
自 身 は 「 識 を 蕩 か し て 原 に 選 る を 名 づ け て 仏性
と 為 す 」 と い う 定義
を し て い る 。 こ の 場 合 の 「識
し は真
妄
和 合 識 と み る 。 「 明 異 釈 」 で は自
分
の 知 り 得 る 限 り の 諸 説 を11
説取
り 上げ
、慧
遠 を7
番 目 の 「 阿梨
耶 識 自 挫 清浄
心 」 と み て い る 。 し か し 、 こ の 場 合 こ れ は 仏 盤 で は な い と い う 主 張 を 『 摂 大乗
論 』 の ア ラ ヤ識
の定
義
を 根 拠 に し 、最
終 的 に は 「中
道
の 義 」 が無
い 故 に他
の11
説
の 仏 性 義 は 否 定 さ れ る 。 し か し 、 慧 遠 は 、体
弁
中 で 中 道 も 仏 性 と 言 っ て い る 。 ま た闡
提 成 仏 は み と め て い る 。 以 上 、慧
遠 は こ の よ う に 見 る限
り 、吉
蔵 の よ う な 個 性 あ る 主 張 を し て い な い の が 解 る 。 飽 く ま で も 、 百 科辞
典
並 一120
一浄影寺慧遠の仏性義につ い て (原 隆政 ) の
枠
を で な い感
が あ る 。唯
、 次 の 骨 子 は 充 分 に読
み取
れ る 。真
妄
和
合一
仏
性
縁
起空
よ り の優
位 性に 関 し て は
存
在 論 上 の構
造 で 明 確 で な い と こ ろ が あ る 。 つ ま り 、 不 善 が 生起
す るき
っ か け を仏
性 と し て い る が 、曇
遷
1
『荘
子 』 に 裏付
け さ れ た 、 或 は 影 響 を 受 け た こ と を否
定
で き な い の で 、 二 元論
的 な 実 在論
を 有 し て い る の で は な い か と も受
け 取 れ る 。今
後 の 課 題 と し た い 。 ま た、 こ の慧
遠 の 仏 性義
の 全 体 的 な特
徴 と し て は 、 引 用 と し て 唯 識 関 係 の 論疏
が な い と い う こ と で あ ろ う 。 全 て が 、真
如随
縁
を 説 く 論 疏 か ら の 説 明 で あ る 。 同 じ 様 に 「 八 識 義 」 に お い て も 、 『 摂 大 乗 論 』 が 引 か れ て い る も の の体
制
は 『大
乗
起
信 論 』 であ
る 。 〔4
〕智
儼
( 注 9 )A
『 華 厳 五 十 要 問 答 』「 三
衆
生 作 仏 義十 稠 林
後
釈 」 〔 小乗
〕 で は 成仏
す る の は菩
薩
と し て の釈
尊
だ け で あ る 。 他 は無
余涅
槃 が 最 高 の 悟 で あ る 。 〔 始教
〕 は 不 成 仏 が あ る 。直
進 と 回 心 の 菩薩
が成
仏
。 心 満 の堪
任 地 に 到 ら な い も の は 、闡
提 と 同 じ 不 成仏
で あ る 。 〔終
教
〕 で は 一 切 の 衆 生 が 成 仏 す る 。 仏 の智
(11
他 聖智
) に ょ っ て 仏 性 と 行 性 と が 相 俟 っ て顕
現 す る か ら であ
る 。 し か し 、 知 覚 のあ
る も の だ け に仏
性
が 限 ら れ る 。 し か し 、 〔 一 乗 〕 で は 全 て の存
在 が成
仏 す る 。 こ の考
え 方 は 同 教 一 乗 の も の であ
る 。 別 教 で は な い 。 ( 注 玲 )B
『 孔 目章
』 コ ニ 種 仏 種性
」 一121
一智
山学報第四十一輯 仏 盤 と は 仏 所 の 師 、 つ ま り 法 で あ る 。 そ の 本質
は 平 等 で 虚 空 の よ う で あ る 。衆
生 に お い て は 、 制 限 さ れ る こ と の な い 、 妨 げ の 無 い も の で あ る 。 仏 性 は覚
時
に ょ っ て 語 る 。 な ぜ な ら 、 そ の流
れ 出 る 場 所 に 従 っ て 、種
々 の 味 が あ る 。 法 身 は 流 転 し て 五 つ の 道 と 成 る 。 〔 衆 生 〕 は こ の 因 縁 に よ っ て 仏 性 と は 名付
け な い 。 〔 声聞
〕 は 仏 性 を 持 つ が 、 彼 は 先 ず無
余 浬槃
に 向 か っ て 成 仏 は し な い 。今
は声
聞 や 成仏
を 巡 つ る の で (?
)仏
性
と 言 う 。教
の 起 こ り方
も こ の よ う で あ っ た 。 略 し て 言 え ば 仏 性 は 三 種 類 あ る 。 つ ま り 、1
自 性 住 仏 性2
引 出仏
性
3
至 得 果仏
性 。 自 性住
仏
姓 は 本 性 の こ と 。引
出 仏 盤 は 修 得 性 。 至得
果 仏 性 は修
因 満 足 を名
付 け た も の 。 本 性 があ
っ て、 こ れ を 引 出 し 、得
果
に い た る 。 つ ま り 、 本 性 が 果 に 到 る わ け で あ る 。 ま た 、 仏 姓 に は 鐙 種 あ る 。如
来 蔵 性 は本
性
であ
る Q如
来 蔵性
は紘
に 関 係 し な い で そ の 相 を 説 い た り、 仏 性 義 の 門 は 、 つ ま り 、 地位
に 関 し て そ の 瞬 暗 を 論ず
る の は 、 な ぜ な の か?
答
え る に 、如
来蔵
差
別 は 直 進 の 菩 薩 の た め に あ る の で 、 位 に 関 し て 論 じ な い の で あ る 。 そ の 差 別 た る 仏 性 義 は声
聞 の 為 に 説 き 、声
聞 の 見 は増
え る 。 今 、彼
見 に 順 ず る の で 差 溺 を 説 く の で あ る 。 仏 性義
と は 正 に 三 乗 の義
で あ っ て詳
し く は 、 差 別 を 論 じ て い る の は 諸 論 に 広 く 書 か れ て い る 。 も し 一乗
の た め で あ れ ば 、 そ れ は 一 乗 円 教 の 所 摂 に 入 っ て い る 。 ( 注 11 >C
『 華厳
一 乗 十 玄 門 』「 第 九
唯
心 回転
善
成 門 」 こ れ は 心 に 約 す 。 こ れ は如
来蔵
性
性浄
真
心 が 立 て る 門 で あ る 。 善 悪 は 心 に し た が っ て 回 転 し た 結 果 で あ る 。 だ か ら 、 「 痙 転 善 成 」 と 言 う 。 順 に転
ず れ ば 浬 槃 で あ り 、 逆 に 転 ず れ ば 生 死 で あ る 。 そ こ で、 三界
唯 心 偈 が 証 左 と な る 。 心 ” 性 は浄
不浄
で あ る 。如
来蔵
性 は 不動
本所
で あ る か ら 、体
は 十 方 に あ っ た り 、牲
は常
に転
じ て い て も 、 そ れ は縁
起 自 在 力 に よ る 。 し か し 、 こ れ は マ ジ ッ ク で は な い 。 法 蔵 に 至 る と 教 遡 の 整 理 が 為 さ れ て い る 感 があ
る 。 慧 遠 の 仏 性 義 は ど ち ら か と い う と衆
生 の う ち に 内 在 す る 、 成仏
因 と い う範
囀
に 収 ま っ て い た も の が 、 世 界 観 と い う 、 も う 蝋 つ の 領域
に ま で 仏 性 が 整 理 さ れ 、 定義
さ れ る に い た っ た Q 一122
一浄影寺慧 遠の仏性義につ い て (原 隆政 ) 〔
5
〕法
蔵
の仏
性
義
( 注 14 )A
『 五教
章
』 「 所詮
差 別 」 〔 心 識 差 別 〕 心識
と は 一 心 の こ と で あ る 。 〔 小 乗 〕 は 六 識 だ け 。 縁起
生 滅 の事
の 中 に ア ラ ヤ 識 を 立 て る が 、 不 生滅
の概
念 は 立 て な い 。 〔 大 乗 始教
〕 は仏
の善
巧方
便
であ
る に 過 ぎ な い 。 三 界 唯 心偈
の 心 は ア ラ ヤ識
で あ る 。 〔 大 乗 終 教 〕 に お い て 、 ア ラ ヤ 識 は 不 生 不滅
と 生滅
と が 和 合 し て い る 。如
来
蔵 を ア ラ ヤ 識 と 言 う 。 「 自 性清
浄 心 〕 は 無 明 の 風 に よ っ て染
心 が 生 じ る ( 『 大 乗 起 信 論 』 ) 。 三 界 唯 心 偶 の 心 は 第 一 義 心 ( ー真
の 心 ) で あ る 。 [頓
教 〕 に お い て は 一 切 の 法 は 唯 一 の 真 心 で あ る 。 差 別 の (染
浄
の )相
や 言葉
は な い 。 [ 円 教 / 別 教 〕 に お い て 、 法 体 は 性 海 円 明 、 義 用 は 法 界 縁起
無 礙 自 在 で あ る 。 一 即 一 切 に よ り 、 縁 起 で 一 心 か ら十
心 そ し て無
尽 と な り 、 一 切 即 一 性 起 の義
よ り 、 一 心 中 に 一 切 の 徳 を 具 す る 。 こ の 両 者 に よ っ て 、 主 判 円 融 と 言 う 。 〔 円 教 〕 に お い て 、 小 乗 か ら頓
教 ま で の 四 教 の 心 識 を 収 め て い る 。 四 教 は 別 教 よ り 、 方 便 と し て 派 生 し た も の であ
る 。 円 教 は 別 教 と 四 教 と の 仲 介役
で あ る 。 こ の よ う に 一 心 ー 識 心 が 一 つ で あ る の に 、5
つ に 分 け た 理 由 は 、 法 と機
根
と に根
拠 を置
く と い う こ と であ
る 。 ( 注 15 )B
『 五 教章
』「 所 詮 差 別 」 宀 明 仏
種
性 〕 こ こ で も 五 教 に 分 類 が な さ れ 、 そ れ ぞ れ の 教 に 種 性 が 配 当 さ れ る 。 〔 小 乗 』 小 乗 で は 唯 一 仏 性 が み と め ら れ る の は 、 釈 尊 一 代 限 り だ け で あ っ て 六 種 あ り と 言 っ て も 、 「 退 ・ 思 ・ 護 ・ 住 ・ 昇進
・ 不動
」 で あ る 。 最後
の 不 動 性 に さ ら に 「仏
種 性 ・ 独 覚 性 ・声
聞 性 」 と分
け る 。 一123
一智山学報第四十一輯 〔 始 教 / 法 爾 〕 五 性 中 に 無 性 が い る が 、 こ の た め 諸
仏
の 利 他 の功
徳 が 尽 き な い 。 〔始
教 / 暫 時 〕種
性 に 二 つ あ っ て 、本
性 住 と 習 所 成 と で あ る 。 瑜伽
で は 種 性 を 持 つ と 言 う こ と は 発 心 と 同 じ こ と で あ る 。 こ れ ら 両 者 は 同 時存
在 で あ っ て 、 約 〔 本 〕 は 性 種 で あ り 、 約 〔修
〕 は 習 種 であ
る 。 し か し 、瑜
伽 の 立 場 で は 性 を 重 ん じ て 、 こ れ に 助 長 さ れ て 一 体 と し て の 種 子 が 成 立 す る の で あ る 。 い ろ い ろ な 経 論 の解
釈 は あ る が 、 仏 種 性 は 信満
で 性 . 習 が 融 通 し 、 種 性 と な り 両 者 が 縁 起 に よ っ て 成 り 立 つ 。無
性
11
闡 提 と 言 う の は 「 習 あ れ ぽ 性 あ り 」 と い う 立 場 を と る限
り 、 仏 種 性 を 成 じ る 可能
性 が あ る 。 〔 始 教 / 分 位 〕 不 定 性 が 六度
を 修 し終
っ て 、 菩薩
の 種 性 を 成 ず 。 諸 乗 の 性 種 は 習 に つ い て 説 く 。 無 習 は無
性 を根
拠 と し な い の で 、 成 仏 の 可能
性 は あ る 。 几 夫 の 愚 位 “無
性有
情 、 四 諦 を 修 し て 四 善根
の 忍 位 の 声 聞 、 十 二 因 縁 を 修 し て 不 退 位 の 縁 覚 、 六 度 を 修 し て 十 信 堪 任 位 の菩
薩 。 そ し て 不 定 性 は 三乗
の 不 退 位 に 到 ら ぬ者
を 言 う o 〔終
教 〕 真 如性
V
種 性一
切
衆 生 に 悉 く仏
性 あ り 。 心n
阿 耨菩
提11
妄
識 。 始 教 は 不 了 、終
教 は 了 で あ る 。 始 教 ー 不 了 は 小 乗 の 人 を導
く た め の 仮 の も の で あ る 。 最 終 的 に 無 性 を 立 て る こ と に 矛盾
があ
る と 言 う こ と を 主 張 す る た め に7
門
の 問 が あ る 。1
衆 生 有 尽 の 難2
損 不 損 の 難3
後
仏 無 化 の 難4
自語
相違
の 難5
仏
徳 有 尽 の 難6
行
欠
成 仏7
総難
の 難 。 終 教 に は 二 つ の 種 性 が あ る ; 性 種 性 /習
種 性 。 性 は真
如 の 理 体 、無
漏 智 に し て 本覚
・真
如
で あ る 。 習 は真
如 よ り現
れ た 仏菩
薩 が 、 衆 生 を 摂 化 す る こ と で外
よ り 、無
明 妄 心 を薫
習 し て 成ず
る も の で あ る 。 し た が っ て 、 性 を根
拠 に し て 成 り 立 つ 。 〔 頓 教 〕 一 切 法 に 相 を成
さ な い か ら 、 性 ・ 習 の 異 は な い 。 〔 円 教 / 同 教 〕 別教
の 主 と 三 乗 の 判 と が 和 合 し て い る 。 一 124 一浄 影寺慧遠の仏性義につ い て (原 隆政 ) 〔 円 教 / 別
教
〕 性 .習
二 種 性 の 因 果 無 二 は証
道 門 で 、 教 道 門 と し て は 菩 薩 五 位 の 各 位 に 六 決 定 ( 六度
と 対 応 す る ) を 以 て種
性
と す る 。 ( 注 16 )C
『探
玄 記 』「 五
教
判 」 『 五教
章
』 の 五教
判 を援
用 す る 。 始教
・ 終教
で は 始 教 を 『 解 深 密 経 』 を根
拠 に し て定
性 の 二 乗 は第
二 ・ 三 時 に お い て 成 仏 し な い 。 と こ ろ が 終 教 で は 、 無 性 と 二 乗 と が 成 仏 す る の で 大乗
の 極 み と さ れ る 。 ま た 、 こ の 終 教 で は あ ま り 法 相 は 説 か な い が 、 真 性 を 説 く の は 事 を 融合
し て 理 に従
う の で あ る 。 八 識 は如
来 蔵 に 通 じ縁
に し た が っ て 、 生 滅 . 不 生 滅 が あ る 。参
考 と す る文
献 は 、 『 楞伽
経 』 や 『 究竟
一 乗 宝 性 論 』 な ど で あ る 。 そ し て 、 五教
開 合 で は 始 ・終
は 漸 教 に 用 い ら れ て い る 。 十 宗 判 で は第
八 番 目 の 「 真 徳 不 空 宗 」 と な っ て い る 。 ( 注 17 )D
『 探 玄 記 』 「 教 所 被 機 」 十 種 類 に分
け て前
五 が 非 器 、 後 ろ 五 が 器 で あ る 。1
違 真2
背 正3
乖実
4
狭劣
5
守権
6
正為
7
兼為
菩 提 心 な し に 名声
の た め に 『 華 厳 経 』 を 説 く 。 偽 っ て 菩 提 心 を 起 こ し 、 よ こ し ま な 善 を な す 。 闡 提 。 謬 に陥
っ た見
方
。 二乗
は 広大
心 が な い 。 三 乗 共 教 の菩
薩 は 自宗
の こ と だ け し か見
え な い 。 地 前 の菩
薩 。 一 乗 不 共教
の 普機
の菩
薩
。 別 門 (行
位
を 経 る ) ・ 普門
( 一 即 一 切 ) あ り 。 遺 法 中 に 無 尽 の 法 を見
聞 ・ 信 仰 し て 、 金 剛 種 ( ? 丶 仏 性 か ) を き っ か け に し て 、 と が で き る 。 円 融 の普
法 を 得 る こ 一125
一智山学報 第四十一輯
8
引 為9
転 為10
遠
為 以 上 の 法蔵
の 教 判 に お い て 、 を 生 じ な い 。 う い う 段階
は な い 。 「5
守 権 」 の菩
薩
の 行 位 が あ が り 、普
賢 の 法 界 を得
る 。 「4
狭 劣 」 の 二乗
が 菩 薩 と な り 、 普賢
の 法界
に 入 る 。 展転
し て 、 全 て 法 器 と 成 っ て 普 賢法
界
に 入 る 。 愚 凡 と外
道 と 闡 提 に は 、 仏 性 が あ る が障
り が 大 き い た め に こ の 法 に 入 る こ と は 大変
長 い時
間 を 経 る こ と が 必要
。 従 っ て 、 一 切 の 衆 生 は こ の 普 法 に は い る こ と が 出来
る 。 何故
な ら 、 こ の普
法 は 衆 生 と 倶 に あ る か ら で あ る 。 円 教 に お い て 衆 生 の 仏 性 は 因 を 具 し、 果 を 具 し 、 性 あ り 、 的 あ り 、 円 明 に 徳 を 備 え る 。 そ れ ぞ れ の 立 場 で 悟 と い う も の を 見 て い く が 、 大 乗 始 教 以 前 の も の は 、 頓 に は仏
果 そ れ は、 展転
し て 地 上 に 入 る こ と に よ っ て 、 仏 果 は 可 能 であ
る 。 し か し 、 円 教 と い う 立 場 に 入 れ ば そ 〔 まと
め 〕
智
儼 が 仏 性 を 「 三 乗 の 義 」 と 定 義 し た こ と が 、 法蔵
に ょ っ て体
系 付 け ら れ た 。 つ ま り 、 三 乗 は 仏 性 を 根 拠 と す る の で 、 ま と め て 漸 教 に 収 め 、 教 判 の 第 四番
目 の 頓 教 と バ ラ ン ス を 取 り 、 そ の 上 の 段階
と し て 自 ら の 華厳
宗 を 設定
し た 。強
い て 言 え ば 、 漸 教 と 頓 教 と を 揚 棄 し た 形 を と っ て 、 真如
随
縁 の 思 想 か ら 越 え る こ と に 成 功 し た 。 そ の完
成 は 「 唯 心 回 転 善 成 門 」 を 新 十 玄 で取
払
い 、華
厳 宗11
円 教 を完
全 に 仏 性 思 想 を 越 え た も の と し て 、応
用 し たも
の と し て 『 探 玄 記 』 の 中 で 体 系 づ け た 。華
厳
の 流 れ に お い て、 慧 遠 の 仏 性 義 は 真 如 随 縁 と し て 次 の 智 儼 に 受 け 継 が れ 、 智 儼 は仏
性 を 「 三 乗義
」 と 評 し て教
判
の 中 に 不 完 全 な が ら も 取 り 入 れ た 。 法 蔵 は 、 仏 性義
を 漸 教 と い う 範 疇 に 、 教 判 的 に分
類 し 、 自 ら の華
厳
宗 を 仏 性 思想
と 切 り 放 し な が ら も そ の 優 位 性 を 築 い た 。 一126
一浄影寺慧遠の仏性義につ い て (原 隆政) 註