富 山大 学 教 育 学 部 研 究 論 集 No.3:6 9 ‑8 2 (2 0 0 0)
富 山 県周 辺 に お け る 風 祭 と 風 鎌 に つ い て
田 上 善 夫
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Espe cially in Y a m agata pr efectu r e, S h in‑ets u ar e a! Izu penins ula ,F ukui pr efe ctur e, N a r a prefe cture and ar o u nd Suo n ada
, m a ny wind fe stiv als have c o m e do w n u ntil today・ T he fe stiv al days a r e c onc entrated on mid dle of A ugust a nd e a rly Sep temb e r・ W ind fe stiv als h a v e be e n r elated to the wind gods a nd their sh rine s, and als o e v e n c ontr olled by thelo c al gov e r n m e nt・ It m ay b e estim ated that the st yle a nd pr ayer of wind fe stival ha s bee n cha‑ nged fr o m the e arly days.
キ ー ワ ー ド: 富 山, 風, 祭, 神 社, 神, 鎌
Key w o rds: T oyam a , W ind, Fe stival,S hrine,G od,Sickle
Ⅰ は
じ め
に「風 祭」 の名は, すで に日本 書 紀 中の7世 紀の天 武 朝にみ え る。 万 葉 集にも, 「 峯の上の桜の花は滝の瀬ゆ落ちて流る 君が見む, その日 まで には山お ろ しの風な吹き そ と う ち越え て, 名に負へる杜に風 祭せ な ( 巻9 高 橋 虫麻 呂)」 と あ る。
近代におい ても, 田口龍雄 (1 9 41) の著 書 『風 祭』 の冒頭に, ふか ん ど う
田口克 敏の調 査し た富 山の風 神 堂 ( 不 吹窒) と その祭り が と りあげら れて いる。 お わ ら古謡にも 「二百十日に風さへ吹か
にゃ早 稲の米 食っ てお わ ら踊り ます」 と唄わ れ, 風と祭りの
つ な が り は深い。
富 山の井 波 風 岡山の広 戸 風や愛 媛のや ま じ風のよ う な局 地 的に強 風の吹く地 域には風の宮が み ら れ, そこ で風の祭紀 が行わ れて いる (田上 善 夫,2 00 0)。 風 祭は雨 乞な ど と同様 天 候に深く関わ り, 風 神 祭あ るいは風鎮 祭な ど と して, 風の 災厄を免れ豊作と な る よ うに祈願さ れ る。
局 地 的強 風地 域で鏡 風 祈願が行わ れ る 一方で, 風 祭の行わ れて いる地域におい て強風が吹き やすいという わ けでは ない。
風宮は さ らに, 昭和4 7年の神 社 明細 帳で は, 静 岡3 4, 愛 知 3 1, 岐阜2 2, 三重1 0, 滋 賀1 9, 福井1 8, 富 山9, 群 馬52 が数 え ら れ る という ( 関口 武,1 98 5)。 全 国 各 地に伝わ る さ ま ざ ま な風 宮や風 祭は, 静 岡 県で は その東 部に多く ( 吉 野正 敏,
1 99 9), 日本 海西 部の島 峡部にもみ ら れ ( 谷治 正 孝,1 99 9),
分 布は強 風地 域と必 ずし も対応し ない。
風 祭は ま た, 祭把の形 態が さ ま ざ まであ る。 風 祭は, 社両 を持た な くても集落の行事と して行わ れて いる。 古 来, 風鎮
めな ど は農耕に普遍 的な祈願であ れ ば, 各 地で自 然 発生 的に 行わ れ う る。 し か し, 社 会 的な背 景のも とで風祭の行わ れ る 地に祭神を比定し社 両を おくことによ り, 風 祭は変 容してさ ま ざ ま な形 態を と ることにな る。 それ が地 域の基 層 文化に即 して いれ ば, さ ま ぎ ま な形態が受容さ れ や すい。 すな わ ち風 土 性に根ざ し た変 容が想 定さ れ る。
こ こ では まず富 山 県と その周 辺におい て, 現在 行わ れて い る風 祭につい て, 杜 嗣や祭 神, 他の祭り との関 係や地 域の特 色につい て, 現地 調 査を行う。 さ らに局 地 的強 風地 域でも, 風の宮の風 祭と は別に, 強 風のと きには風切 鎌や鎌 立な どに
よ る鎮風の祈 願が伝え ら れて いる。 こう し た習 俗をも含めて, さ ま ざ ま な風の祭示巳の実例を明ら かにする。
続い て風祭の名称や分布お よ び その祭日につ い て の特 色を 明ら かにする。 全 国で行わ れて いる祭り が 「 平 成 祭デ ー タ」
にま と め ら れて いる( 全 国神社 祭 紀祭 礼総 合 調査 本庁 委 員会, 1 9 95)。 これには, 神 社や祭 神な どの基 礎 資料の はか, 延べ 30 4,9 66件の祭り が収 録さ れて いる ( 神 社 本 庁 教 学 研 究
軌
1 9 96)。 こ の調 査は平 成3年以降に実 施さ れて いる た め, 最 近まで伝わ る風 祭につい て知ること ができ る。
風 祭は古 代におい て記さ れて い ても, そ の初期の姿は推 定
の域をでない。 さ らに風祭に限らず, 寺社は神仏 習合や分 離, ま た合把な どのさ ま ざ ま な外 的要 因に よ っても変容を してき
た。 近 世および近代におい て得ら れ る資料にも と づい て, そ の変容の実 態につ い て明ら かにす る。 さ らに富 山県周 辺の風 祭につい て, 全 国のものとの関連におい て検討を加え, 風祭
の由来や成立の背景につ い て の解 明を試み る。
Ⅱ
富 山 県 周 辺
にみ ら れ る 風
の祭 而巳
1.
山 麓 付 近
で の風 祭
と 不吹 堂
多くの風の神は, 田 や畑, ま た夏の暑いところに肥ら れ る といわ れ る。 風 祭は農 耕神 事の性 格が あ り, そのた め さ ま ざ ま な風 祭は土地の特 色と結びっくものと考え ら れ る( 図1)0
富 山県では砺 波平 野南 部を は じ め と して各 地に不吹堂が あ り,
近世よりそれ ぞ れの地 域の行事と して風 祭が行わ れてき た実 態が明ら かにさ れて いる( 大 捕瑞 代,2 00 0)。 と り わ け城端 町 是 安の風 宮 不 吹堂で の風祭は, 寛 文二(16 62) 年の創建の頃 か ら続く盛大なもの であっ た。 藩 政 時代には風 祭のと きに賭 博が開 帳さ れ たこと か ら 「不 吹堂の賭博 祭」 と もいわ れ た。
ま た 7月15 日 を 「不 吹堂」 盆と称して, 農 家では野 良 仕事を 休んで祭り を し た( 富 山新 聞社,19 86)。 さ らに高 岡市 戸 出の 字正園野にあ る川 上の風の宮では, 享 保三(1 71 8) 年の 二百 十日にあ た る 八月二十二日に, 砺 波 郡の4組に より大 風 厄 除 けの風 鎮 祭が行わ れ, 湯の花と各 組2 升の酒が供え ら れ た という( 平 凡 社地 方 資料センター ,199 4)。
風 祭はこう し た不 吹堂 以 外でも行わ れ る。 平 成 祭りデ ー タ に よる と, 氷 見 市 長 坂の長 坂神 社で8 月3 1 日に風 神 祭が行
さ んきょ
わ れ る。 福野 町三清の天 満宮で は, 6 月15 日に風 祭が行わ れ る。 こ の天 満宮の本社には菅 原 道真を示巳り, 境 内の神 明宮に
と ようけ の か み
は豊 宇 気神が示巳ら れ る。 氏子 総 代の方に よる と, 風 祭は氏 子
90戸の こ の部 落の祭りであ り, 区長や営 農 組 合長が出席す る。 風 祭のと きには, 高 瀬神 社より神主が迎え ら れ る。
ま た新 川におい ても, 不 吹堂と想 定さ れ る ものを含めて,
にれは ら
さ ま ざ ま な不 吹堂が み ら れ る。 神 通 川河 岸の細 入 村檎 原か ら 山腹を1 00 m 余り登ると小さ な平 坦 面と な り, そ こ に割 山の 集 落が あ る。 標 高2 80m 付 近の山際に八幡宮が東面して建っ。
その境 内南 側にあ る小さ な番 神堂の中には, 雛 壇のよ うに5 段6 列に三十 番 神が並ぶ。 三十 番 神は, 延 久五年 (1 07 3) に 僧 良正に よっ て選定さ れ た, 法華 経を護 持す る た めに勧 請さ れ た神々 で, 1 ヶ月の30 日 を 日々交 替し( 長 野 県立 歴 史 館, 1 9 98), その中には風の神であ る諏 訪 明 神も含ま れて いる。 番 神堂 内に掲 げら れ た表 額の裏面には, 「三十 番 神/ 婦 寒 野 / 青 雲 生 謹 毒」 と書か れて いる。 細 入 村でも上 行 寺で は 8 月30 日に風お さ えの祈 祷が行わ れてお り, 表 額 裏の 「 婦 寒 野」 は不 吹 堂の靴りでは ないか と考え ら れて いる( 細入 村 史 編纂 委 員 会,19 8 7)。
前 述の城端 町 是安の風宮 不 吹堂で は, そ の祭のと きには境 内の入り口 に 「 風の盆」 と掲 げら れ る。 八尾 町の 「お わ ら風
の盆」 は, 9 月1 ‑ 3 日に催さ れ る行 事であ る。 元 禄年 間に 臨 時の祝 事と して行 った め ぐ り盆が始ま り といわ れ, 後に旧 暦七月の孟 蘭盆と な り, 近代に入って 二百十日の風 祭盆と なっ
おおな が た に
た という。 ま た, 風の盆を 八尾 町大長 谷で は「フカ ンド ノマ ツリ」 という( 太田栄太 郎,19 74)。
前 述のよ うに, 是 安では 「風 宮」 と「 不吹 堂」 と は併 記さ れ, そ の近くの蓑谷におい ても 「 不吹 堂」 は「 風の宮」 とい わ れ る(田口克 敏,1 96 7)。 ま た是安の 「 風 祭」 には, 「風の 盆」 と掲 げら れ る。 こ の風宮と風 祭は神式の呼称であ り, 不 吹堂と風の盆は仏 式の呼 称であ る。 紀 宝あ るいは社殿で行わ
図1 主 要 な 調 査 対 象 地 域
富 山 県 周 辺で風 祭の現 地 調 査 を実 施し た範 囲を示 す。 市 町 村 別の風 祭の行わ れて い る数 ( 円) と, 鎌 打な どの行 事が伝え ら れて いる地 点(四角)の分 布には, 主と して山 麓 部に集 中 する傾 向が み ら れ る。
れ ることによ り祭示巳の様 式は異な り, 同様
さ い こう
に斎 行に神 官あ るいは僧 侶が あ た ることに よっ ても様 式は大き く異な る。 しか し, 社 両 名や祭 名が神 仏 両 用で併 記さ れ た り,
「風 祭 盆」, 「 不 吹 堂の祭」 な どの呼 称も あ ること, さ らに風宮も不 吹望 もな くても風 祭や風の盆の行事が ある こと か ら, これ ら は本来の風の祭把につ い て の, 地 域に よる 表 現の差異を示 すものと考え ら れる。
2.
風 祭
と山 祭
な ど とのか か わ りさ んきょ
前 述の福 野 町三清の天 満宮に隣接 する同
もり蓋よ
町森 清の神 明宮は, き き と りによると共 通
の神 主の持 宮であ る が, こ こ では風 祭が行 わ れて いない。 境 内の裏手に小さ な お宮が あ る が, 不要のものを納めておくた めのも の で不吹 堂で はないという。 風 祭は井口村 赤 祖 父の不 吹堂まで出向い て行な わ れて い る。 部 落か ら 一 人づっ役員が行き, 城 国寺
の御 札を も らっ て帰る。 こ こ では 7 月に
虫 盆の祭り が村 全体でおこな わ れ る。 平成 祭り デ ー タではこ の森 清の神 明 宮では,
富 山 県 周 辺にお け る風 祭と風 鎌につい て
1 月18 日に風 祭が収 録さ れて い るが, 風 祭では な く火 伏せ ・ 火祭りであ る という。
風の祭把には さ ま ざ ま な呼称が あ り, ま た風 祭と その他の 祭り が兼ね ら れ同時に行わ れ ること が あ る。 平 成祭りデ ー タ
さ ん ごう Eん Eや
では, 砺 波 市三合 大 島の三合神 社で の2 月1 5日の風 祭が収 録さ れて いる が, 一 般に風 祭の行わ れ る夏季か ら大き く外れ
て いる。 富 山 県では火 祭り は多 くの場 合2 月あ るいは 3 月
に行わ れ, その総数は746に のぼ る。 森 滝の神 明 宮 同 様に, 局 地 的強 風地 域の周 辺で は, 類 似す る主 要な祭りの中に風祭 が包摂さ れて いく可 能性も あ る。
ま た富 山県 内でも砺 波や上 新川な どの山 麓部と は異な り,
下 新川の黒部 川 流域の山麓 部では不 吹堂が み ら れ ない。 た だ
いするぎひ こしゃ あけぴ
し宇奈 月 町中ノ ロ の石動 彦 社や明日の八幡社な どには, 境 内
げぶ ぜ
入り口 に 一対の立石が据え ら れ, 大沢 野 町 下伏の不吹 堂な ど と共通の特色が み ら れ る。 ま た入 善 町では, 風の盆が行わ れ る。
む し ろ特徴 的であ るのは, こ の地域で は山 祭が行わ れ るこ とであ る。 山祭は平 成 祭りデ ー タによ る と, 朝日町3, 宇 奈 月 町4, 黒 部市1 が あ り, 富 山 県 内の総 数1 6のう ち半 分を占 め る。 宇 奈月 町 愛本よ り上 流 側の内山八幡 宮, 吉 沢八幡 社, 栗 虫八幡 杜な どで のき き と りでは, 山 祭は2 月ある い は 3 月に行な わ れ る。 お よ そ その1 ヶ月 後には火祭が行わ れ る。 山祭では部落の人た ち全員が集まって, お酒と鰻 頑な ど が供 え ら れ る。 祭りの後で, 男は2 5 ・4 2 ・6 1歳, 女は3 3歳と場 合に より61歳の厄 払い のお破いをする。 こ の地 域で はかっ
て炭焼きの人た ち や猟師の人た ち が山に入り, そこ で草を刈っ
て山を焼い て薙を し, 小 豆, 莱, 秦, 蕎 麦 大根, 蕪な ど を 作って いた。 こう し た山に入る人達の祭り が山祭であ る。 す な わ ち, 黒部 川 周 辺で砺 波や上 新 川と祭り が異な るのは, 山 間部と平野 部のか か わ り方の差 異も 一 因と考え ら れ る。
3. 平
野 部
で の風祭
と鎮 風
の習俗
平 成 祭りデ ー タに よれ ば, 石川 県では風 祭が海 岸部にも み ら れ る( 図1)。 松 任 市では 7 社で風 祭が行な わ れてお り, そ れ ら は中L、市 街 地か ら北 西の海岸 部にか けて集 中して いる。
えび す
相 川 町の蛭子 神 社, 相 川新 町の蛭 子 神社の はか, 安田春日神 社, 平 木 諏訪 神 社, 徳 光八坂 神社, 竹 松住 吉 神社, 郷宮 白 山 神 社のよ うにさ ま ざ ま な神 社にわ た っ て い る。 祭 神 も,
た け みな かた の かみ こ と しろ ぬ しの み こ と くくり ひ めの み こと
健 御名 方 神, 事 代主 命, 菊理姫 命, 応神 天 皇が そ れ ぞ れ 2 社で祭ら れ るはか は, 多 岐にわ た る。
た だ し風祭の行わ れ るのは, 8 月12 日 が 3 社, 翌13 日 が4 社とこ の2 日間に限ら れ る。 これ らの神 社のう ち蛭 子 神 社 は明 治 初 年に, 安田春日神 社は明 治5 年に, 徳 光八坂 神 社 は明 治4 1年に, 新た な神を勧 請し た り周 囲の神 社と合社し
て いる。 それ らの影 響は不 明であ る が, さ ま ざ ま な神 社や祭 神にわ たっ て, はぼ同じ 日におい て風 祭が行わ れ ること, ま た そ れ が加 賀でも松 任に集 中して いること か ら, 地域の風の 祭 把と して の共 通性が う か が わ れ る。 これ らの神 社分 布 域に 局 地 的に強風が吹く可 能性は不 明であるが, 風祭が山麓 部に 限らず海 岸部でも普遍 的に行わ れ ること を示して いる。
ところで日の定まっ た風 祭の はかに, 折々 の強 風 時には鎌 が用いら れ ること が あ る。 氷見 市では, 8 月2 7 日 を御 諏 訪ま
っ り, 鎌まつ り とい っ て, 風の盆と して踊る ところ も あ る ( 友尾 豊, 1 99 8)。 ま た新 湊 市 海 老 江の場 合, 草 刈鎌を長い 竹 竿に取り付け, 風の方 向に刃先を向けて, 手を た た き な が ら, 「 ホ ‑ , ホ ‑」 と大 声を あげて家の回り を ま わ る と, 風 が衰え る と さ れて いた( 新 湊 市 教 育 委 員 会, 19 83)。 こ の よ うに, 草 刈 鎌を竹 竿の先につけて風に刃先を向け, 手を う っ て ホ ウ ホ ウと唱え る風習は, 朝日, 魚 津, 滑 川, 富 山, 新 湊,
呉羽, 小 杉の農村でも み ら れ た( 富 山 県, 1 9 73)0
さ らに近 世 末の婦 中 町ではt 鎌を神 木に打ち 込 む神 事が行
こ う こうせ ん だっろ く
わ れて いたこと が, 文化 十二年の 「肯 清泉 達 録」 に記さ れて
さ だ ぢ こ め
いる。 すな わ ち「 貞 治古の妻は今 麦 島の神これ な り。 こ の神 五穀 豊 熟を守り給い, 誓いあ りて, 我を祈り し な ば試みに社
さ
樹を折くべし。 その樹枯れ な ば誓い空し か ら ん と。 これ よ り 農民 鎌を社 樹に打ち込み祈 願し け るに霊験あ り。 今に社 樹に 数の鎌 打ち込み あ り。 し か れ ど も その樹枯れずして栄え り」
と あ る ( 野 崎雅 明,1 81 5 ;富 山 県郷 土 史会,19 7 4)。 ま た天保
く じ き
十三年 頃の 「越 中旧事 記」 にも, こ の麦 島村の宮の祭が記さ れて いる。 すな わ ち 「こ の村の宮 祭 礼 時 すわ神社 内に樫 木の 古木あ りて, 祭礼の日宿願の人こ の木に草 刈 鎌打ち 込 む と云 う。 今もそ の木に数 本の鎌打ち込み あ り。 百を以 っ て数うべ し。 後はこ の鎌の肉に包ま れて中JL、斗 見ゆ るもあ ま た あ り。
そ の鎌を打っ時 見た る人な し。 いっ の問に打つ と も知れず, ま た その木活 生 少し も か わる こと な し」 と あ る ( 作 者 不 詳,
1 8 42頃; 富 山郷 土研 究 会,1 93 2)。
上記より鎌打の主な目 的は, 豊作 祈願にあ ること が わ か る。
こ の麦 島の宮は現 在の婦 中 町 速星 麦 島にあ る諏 訪 神社と考え ら れ る。 こ の神 社の宮 人 総 代の方によ れ ば, 先年 婦 中 町史 作 成のた め神 主さんと調べた際には, 神社には鎌は見 当た ら な かった という。 そのた め, どのよ う な嫌が用いら れて いたの か不 明であ る。 現 在は水神 社を合示巳して いる。 境 内入り口 に は,
一対の立 石が並べ ら れて い るo こう し た立 石は, 城端 町
げぶ ぜ
是 安, 八尾 町拝椎田, 大 沢 野町 下伏の各不 吹堂にみ ら れ るはか, 中節 川, 下 新 川ま た氷 見にもみ ら れ る。
ま た富 山市 秋ヶ島には, 風宮 石が あ る( 富 山新 聞社,1 9 86) ( 図2)。 婦 中 町と は神 通 川を は さん で東 方にあ た り, いず
れ も山麓か ら離れ た平 野の中L、部にあ る。 こ の大日 八幡 宮に は諏訪 社 も合示巳さ れて いる。 現 在, 7 月27 日に諏 訪 祭が あ る が, 風の祭示巳は行わ れて いないという。
4 .
神 木
への鎌 打
と鎮 風 祈
願婦 中 町麦 島でかつて行わ れ た鎌 打は, 現 在の能 登に伝わ る
ろくせ いまち カゝまの みや
もの に類 する と考え ら れ る。 まず 鹿西 町 金 丸の鎌宮 諏 訪 神 社は, 邑知 潟 平野 南 西 部の丘 陵南 側 斜 面にあ る。 そ の境 内の 中央にあ る神 木には, 祭礼のと きに打た れ た多数の鎌が み ら
や えか ま とがま
れ る( 図3)。 こ の鎌はこ の地で健 御 名 方 命が弥 柄鎌の敏 鎌
ひた り かま
で草を刈り払っ たことに由来し, 辰巻 除 鎌あ るいは 日足 鎌, 比足 鎌と も呼ば れ る( 小 倉 学,1 9 91)。 すな わ ち竜 巻を避け,
虫 害を除き, 豊 作を祈る た めに行わ れ, 祭り は風 鎮め大 祭と