• 検索結果がありません。

美術館での作品鑑賞によるリアリティの感得

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "美術館での作品鑑賞によるリアリティの感得"

Copied!
12
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

美術館での作品鑑賞によるリアリティの感得

一生涯学習社会の身体性をめぐって−

藤 澤 まどか

1.はじめに

本研究では,美術館での作品鑑賞によるリアリティの感得について明らかにすることを目的と する。近年,情報通信技術によるコミュニケーションや輸送の新たなシステムの構築等によって,

ヴァーチャル化が進んでいる。例えば,レヴイ(PierreL6vy,1956こ)は,ヴァーチャル化の主要を 諸様態の1つとして,「今ここからの離脱」(1)を指摘しており,その特性を「ユビキタス性であり,

同時性であり,炸裂しどこまでもパラレルな分配」(2)とし,同時化が場所という単位に取って代わ り,連結が時間という単位に置き換えられると述べる。つまり,時間や空間のとらえ方が変容し,歴 史的・社会的な観点から自己をとらえる機会が少なくなったことから,自己のリアリティが不確かに

なっていると考えられる(3)。また,コミュニケーション手段も直接的な対面から間接的なものになっ ており,身体的な関与を必要としない傾向にある。そのため,身体的な関わりが減少することによっ て人間の感覚も変質していくが(4),身体の疎外による自己存在の希薄化と世界や他者の存在の希薄 化は相関関係にある(5)。したがって,実在しているという感覚が薄れていく原因には,自己の身体 感覚を感じられないということ,それと同時に他者や世界の関係性を感じられないということが挙げ られよう。このようなことから,他者と交流しながら関係を築いたり,他者の立場になって考えられ るような思いやりのあるこころを育んだりすることを難しくさせる面がある。

また,移動技術の発達によって世界中を気軽に行き来でき,インターネットの普及によってどこか らでも商品や製品を購入できるようになった一方で,特産品を開発し,観光地化を目指して地域独自 のものをアピールして生き残ろうとする地域の姿も伺える。なぜ,これほどまでに特定の場所から離 れ,また逆に固執するのか。その理由には,自己の存在根拠の1つの要素に「場所あるいは基体と しての身体」(6)が据えられるため,日常生活を送る特定の地域も空間も身体的実存によって意味付 けられることが挙げられる。したがって,「ある場所で生まれた身体を持ったわたしが育つ空間こそ,

かけがえのないローカルな空間」(7)となり,そこで育まれる知を学ぶことは生涯学習の観点からみ ても重要であることから,身体や空間は学びの基礎的要素になると言えよう。

特に,最近の美術館の展示テーマや関連イベントの中で, 建築 , ファッション, ダンス 等を取り扱ったものが数多くあるのも(8),社会全体として身体やリアリティを感得しにくくなって いる状況の反動のように見受けられる。さらに,参加型,作品制作のプロセスを見せる,鑑賞者同士

(2)

のコミュニケーションを取り入れる,インタラクティブな形態,触覚や嗅覚,聴覚を強調するといっ た作品が登場する背景にも,直接的体験の減少によって失われつつあるリアリティや身体性の回復 が含まれているのではないだろうか。もちろん,鑑賞行為は想像力や創造力と密接に関係するため,

ヴァーチャルなものと完全に分離することはできないが,作品鑑賞とリアリティの感得について注目 することは,美術館の今日的な学びの意義を検証することになると考える。

2.作品鑑賞と身体の関わり

上記の事柄を考える前提として,作品鑑賞と身体の関わりがどのように生起するのかに着目した い。そこで,本研究では,作品・鑑賞者・展示空間の3つに注目するが,これらの要素は相互に影響

し合っているため,同時発生的であると考える。

第1に,作品の定義として,広義には人の手によって作られたものであり,作品と単なる人工品の 違いには,作品の「内」が人々の指向性の終極になるということ,つまり,作品の「内」がIつの精 神的世界であることが挙げられる(9)。そもそも,作品の創造は,作家の存在を抜きにして考えられ ないが,作品の精神世界を開き,作品の創造性を現実化する解釈の重要性が見出せるため(10),鑑賞 者の存在とも切り離せないと言える。これに加えて,現代美術の動向に関しても,鑑賞者が知軋 身 体的に関わることで完結する開放型の作品の増加が指摘されており(11),作品の制作過程や展示後に 鑑賞者が関与することで作品が成立するため(12),鑑賞者は作品解釈の面だけでなく行為という形式 からも作品の成立に関わっていると言える。

また,作品は単に作者を表現するのではなく,作品こそが創造主体としての作者を構成していくた め,作者は創造のたびに変貌を遂げる03)。つまり,作品の作者である作家も自身が創造した作品か ら影響を受けて変化するという循環が生じるため,作品制作による人間形成の側面が理解できる。ま た,学校の美術で行われる「創作」に関しても,「教育空間における『つくること』の原型としての 創作は,子どもたちの身体圏において,その身体的能力や美的・芸術的な精礼 あるいは知的・感性

的な意識を形成するものとしての教育的効果をもたらす」(14)ことから,身体圏での内化が重要にな ると指摘されている。したがって,制作活動による学びに関しても,身体を抜きにして考えられない だけでなく,作品と作家を結ぶ交差点に身体が位置するとも言えよう。

第2に,鑑賞者は作品の成立についても重要な位置付けにあるが,作品鑑賞に関しては,作品や来 館者や展示空間から何かを 感じる , 感覚する ということがある。例えば,モーリス・メルロ

=ボンティ(MauriceMerleau−Ponty,1908−1961)によれば,感覚するということは性質に一つの生 命的な価値を授与することであり,性質をわれわれの身体にとってのその意味の中でとらえることと

しているように,感覚することには身体への照合が伴っている(15)。これに加えて,映像を見ること で生じる感情移入に関しても,視覚だけでなく身体感覚も共鳴するかのごとく動き始めることが指摘 されており(16),特に映像といった視覚が強調されることの多い作品に関しても視覚にのみ依拠する のではなく,全身で鑑賞していると言える。そのため,作品鑑賞の過程で感じるリアリティは身体感

(3)

覚との関わりによって生起すると考えられるが,「身体は文化を内蔵する」(17)とされるように日々の 経験は身体に沈殿していく。つまり,作品を目前にして感じたことも身体に蓄積され,その後の行動 や身のこなし,判断基準や思考にまで影響をおよぼす可能性があることから,作品鑑賞による学びが 生まれていくと言える。

第3に,美術館という建築物を伴って活動を行っている場合,作品はある空間に展示され,そこで 鑑賞者は作品鑑賞を行っていく。そのため,作品鑑賞を考えるうえで空間との関わりは看過できない が,鑑賞者は美術館で作品にのみ集中しているのではなく,意識・無意識のうちに展示空間や美術館 内部を感じ取っており,建築や雰囲気,におい,音,場所の印象といった美術館の物理的側面から強 く影響される(18)。これに加えて,空間や場所全体を作品として見せる表現方法であるインスタレー ションや60年代アメリカでの商業主義と閉鎖性から脱出するため,美術館やアトリエを出て大地を カンヴァスにして自然との素朴な交感を目指したアース・ワークのように(19),作品そのものが空間 的・場所的である場合も多々ある。特に,インスタレーションは彫刻とそれが置かれる場所との関係 性を追及した環境彫刻の系譜から生まれ(20),特定の展示空間や屋外の場所のために特別に制作され るが,ひとつの全体であり環境として存在するため,アートに囲まれているという感覚を体験させる ことになる(21)。このように,展示空間の重要性を理解するとともに,「私の身体は私にとっての空間 の一断面にすぎぬどころか,逆にもし私が身体をもたなければ,私にとって空間なぞ存在せぬことに なる」(22)ということばの様に,展示空間の知覚に関しても身体は切り離せない。

以上のことから,作品・鑑賞者・展示空間の相互関与が理解できると同時に,作品鑑賞は単に視覚 のみを駆使しているのではなく全身で体感しており,作品鑑賞で感じるリアリティに関しても身体と の関わりなく成立するものではないことが読み取れる。

3.展覧会・作品の事例

上記のことを受け,作品鑑賞と身体の関わりが見出せるが,実際に美術館で作品を鑑賞する場合,

どのような作用がもたらされるのかに着目したい。本研究では,特にエルネストネト(Ernesto Neto,1964−),鈴木埋策(1963−),ピピロッテイ・リスト(PipilottiRist,1962−)の展覧会・作品を取 り上げるが,ネトは2001年の第49回ヴェネツィア・ビエンナーレのブラジル代表に選ばれる等,現 代美術シーンで最も注目を集める作家の1人であり(23),鈴木は,2000年に第25回(1999年度)木 村伊兵衛写真賞を受賞しており,複数の写真をシークエンス(連続したシーン)として構成し,写真 から写真への視線の移り変わりや写真と写真の間によって表現する手法で注目される作家である(24)。

また,リストは1997年の第47回ヴェネツィア・ビエンナーレで若手作家優秀賞を受賞し,その後も 各国の美術館や国際展に出品しており(25),映像を巧みに使用して独特の表現を行っている。三者と

も国際的に活躍している作家であり,それぞれ立体作品・写真・映像と作品の表現方法が異なるにせ よ,身体に着目した場合,通底する部分がある。

(4)

(1)工ルネスト・ネト

まず,ネトに注目するが,テキスタイルを使用したオブジェやインスタレーション作品を制作して いる作家で,丸亀市猪熊弦一郎現代美術館での「エルネスト・ネト展」(2007.7.15−10.8)は国内初の 個展となった。同展覧会にさいして,1点の巨大な作品<キスをするふたり。愛し合い,ともに夢見 る。よりよい世界を,まだ見ぬ我が子を,そして人生と人類とこの星の未来を。/ulerearetWOpeO−

plekissing,Whiletheyloveeachother,theydreamwithabetterworld,withtheirkidsthatdidn,tcome yetandthefuture…Ofthehumanbeings,theearthandthelife.>(2007)【写真1】が新たに制作され

【写真1】エルネスト・ネト<キスをするふたり。愛し合 い,ともに夢見る。よりよい世界を,まだ見ぬ我が子を,

そして人生と人類とこの星の未来を。>(2007)

「エルネスト・ネト展」丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(撮 影:木奥恵三)

た。この作品は,スチロール・ビーズや粒 状ポリプロピレン,そば殻を白い綿素材の 布でくるんだものが床に置かれたり,プラ スチック製のボールとグラスビーズが入っ たものを動かすと音が聞こえたり,2種類 のスパイス(ターメリックとクローブ)の 袋が会場全体を支える構造になっていたり

したことから,視覚・触覚・嗅覚・聴覚を 駆使して鑑賞できるものであった(26)。

さらに,会場全体が布で覆われていたた め,シーツに包まれた時の安心感にも似た 感覚を覚えることや,柔らかな色彩や淡い 照明の光によって和やかな雰囲気が醸し出 されていたことも特徴的である。また,鑑 賞者は展示作晶に触れることができ,オブジェの位置を変えたり,上に座ってくつろいだりしつつ 作家の意図と鑑賞者のひらめきが相侯って,刻一刻,作品が新たな表情を見せていた。美術館で作品

に触れるということは,保存の意味からも制限される場合が多いが,作品に触れることでアートと日 常生活の距離を縮め,また日常生活で気にも留めない行動や感覚を特化し,感覚や身体について改め

て気付ける機会となった。

そして,東京オペラシティアートギャラリーで行われた「MEIJTINGPOINT」(2007.7.21−10.14)

での展示作品<それは地平で起こるできごと,庭/Ithappensinthehorizonofevents,garden>

(2001/2007)も,ライクラ(ポリエチレン繊維),チュール,ストッキングで制作された2つのレイ ヤーの間にチューブ状のものが付けられたり,布が丸くくり抜かれたりしていた。そのため,鑑賞者 同士がチューブ状の管やくり抜かれている間に頭を出すことで,お互いに顔を合わせられるような形 態であった。そのさい,鑑賞者同士は半透明のテキスタイル越しにお互いを見ることになるため,素 材からもたらされる柔らかな雰囲気やベールがかかったように見える風景の中で,自己の視点を再認 識したり,日常とは違った状態で他者との出会いを楽しめたりする側面がある。この展覧会では,ネ

(5)

ト以外に,ジム・ランピーOimLambie,1964一)と渋谷清道(1970−)の作品が展示されており,三 者とも作品の中に入るという共通点があったが,「それらは見るものの感覚にはたらきかけ,身体的 な経験をもたらし,見られるものと見るものの間における,直接的な接触や関係を生み出す」(27)効 果をもたらしていた。そのため,単に鑑賞するというより,体験することが強調されることとなった が,作品鑑賞と身体の関わりが浮き彫りになった展覧会でもあった。前述の「エルネストネト展」

とは作品形態は異なっているが,テキスタイルを使用し,他者との関わりを含みながら全身で鑑賞・

体験していくスタイルは共通していると言えよう。

(2)鈴木理策

次に,写真作家の鈴木理策に注目したいが,東京都写真美術館での「鈴木理策 熊野,雪,桜」展

(2007且1−10.21)では,鈴木のライフワーク的なものにしたいということと,時間が巡っていくとい うことを展示室でつくってい−きたいという意図から(28),1997年から2007年にかけて撮影された作 品を「時系列を解き,季節が巡るように」(29)展示することになった。展示室の構成は鈴木が行った が,「熊野」,「熊野」から「雪」に至る通路,「雪」と「桜」の3つの部屋に分かれ,「熊野」の部屋

はほの暗く作品にのみ照明が当てられ,「熊野」から「雪」に至る通路は狭く暗く,逆に「雪」と「桜」

は壁も床も白く明るい構成になっていた(30)。特に,鈴木は「熊野」の空間から一気に「雪」,「桜」

の明るい空間へと移動することによって,ハレーション現象のような効果が生まれることを意図して いた(31)。さらに,その白によるまぶしさも実際に雪を冒にした時のまぶしい感覚にも合っており(32)

作品を鑑賞することで過去に見たことのある雪や桜の記憶や体験が呼び起こされ,まるで現地の雪山 にいるかのような,桜の木に取り囲まれているかのような感覚に陥り,展示室にいることを忘れてし まうほどのインパクトがあった。特に,「雪」と「桜」の部屋は真っ白な壁と床,作品の白いフレーム,

また展示空間と撮影された対象とが相乗効果をもたらして,1つの空間を形成していた。

これに関しては,写真の被写体になっている桜や雪のまぶしさに加え,展示室の空間構成による効 果が大きいと思われる(33)0つまり,展示室全体の白が視覚的にインパクトを与えるだけでなく,全 身を刺激するほどの強烈な印象をもたらしていることは特筆に値する。特に,鈴木の作品に表現さ れている「自」は,彼の独自性を表すものとして指摘されることもあるが(34),鈴木自身,熊野での 撮影について,「写真と呼べるものと白い印画紙,その境界線のそばに行ってみたかった」(35),また

<桜>とくWhite>のシリーズでも白い雪と印画紙の白の関係について,「見る人は画がないという ことで見ているのか,白い部分は雪だと了解して見ているのか,その視線を宙づりにしてしまいた い」(36)と述べている。つまり,視覚と思考の間に白が置かれていると考えられるが,本展覧会では 単に白いというだけでなく,鑑賞者の感覚を呼び覚ます効果があったと言える。

そして,写真作品の構成に関しても,「熊野」から通路に至るさいには,<海と山のあいだ>(2006)

の水面に木の葉が浮かぶ情景から<唯一の時間>(2004)と<火>(2007),そしてくKumano>

(1997)の祭りの火へ,その火の粉から<Ⅶlite>(2005)の雪の粉へと移り変わっていった。さらに,

(6)

「雪」と「桜」の部屋に至っては,<White>(2006−2007)の銀白の景色が<桜>(2002−2007)(37)

の桜の花霧にエコーしていく。そのため,展示室内を進む過程で,時間の経過を感じつつ,あたかも 韻を踏んでいるかのように配置される作品によって詩的な空間が形成され,鑑賞者はつながりと移ろ い行く季節の変化を知らず知らずのうちに体感することになる。なかでも,鈴木は,くKumano>

の撮影に関して「旅を再現し物語を紡ぐ」(38)ということから出発し,その過程で「断片となった時 間を再構成した時に生じる,いわば写真における『行間』」を発見することとなり,その「行間」は 鑑賞者の様々な記憶によってつなぎ合わされていることを述べている。この点に関して,鈴木の作品 が保有する時間性が浮き彫りになるが,単に時間の移り変わりを撮るだけでなく,「伝統行事として 祭を理解するための手がかりなど見つけられない代わりに,その場に遭遇してしまったという感覚が 強く残る」(39)ことから,被写体となった時事性や場所性をも引き連れてくる作用が見出せる。つまり,

鈴木の作品が決定的な意味を示しているのではなく,様々な解釈を受け容れるある余白を保持してい ることから行間を読むことができるということに加えて,写真が平面として存在すると−いうよりは,

その面を飛び越えて空間を変貌させ,空間を創出する力を持っていると理解できる。つまり,写真と いう視覚に焦点が当てられることの多い作品形態であっても,展示空間と融合し,空間全体が作品と して成立していた。その結果,鈴木の「写真も眼だけで見ているのではない」(40)ということばもあ るが,全身で感じることを強調する空間であったと言える。

(3)ピピロッテイ・リスト

そして,ビデオを中心とした映像作品を制作しているリストについては,原美術館で行われた「ピ ピロッテイリスト:からから」展(2007.11.17−2008.2.11)に注目したい。本展覧会の始まりに位置

【写真2】AppleTreeInnocentOnDiamondHill

くApfelbaumunSChuldigaufdemDiamantenhtigel>,2003,

VideoinstallationbyPipilottiRist,COurteSyOftheartist andHauser&WirthZiirichLondon,installationviewat theHaraMuseumofContemporaryArt,Tbkyo,photoby HirotakaYonekura

する作品は,1階に展示された<星空の下 で/UnderTheSky>(2007)であり,ま るで降り注ぐかのように上から床一面に映 像が映し出されていた。そのため,上から 映し出される映像と鑑賞者が一体となって 展示空間を形成していたが,鑑賞者は1階 で映像の中に件みながら鑑賞できる一方 で,2階に設けられた場所から1階の様子 を観られるような構成であった。

これに加えて,<ダイヤモンドの丘の 無垢な林檎の木/AppleTreeInnocentOn DiamondHill>(2003)【写真2】も1階に 展示されていたが,木の枝に透明のプラス チック製の空き箱やスプーンが飾りのよう

(7)

に吊るされていた。そして,展示室の壁全体にピンクがかった空のような映像や何かが流れていくよ うな抽象的なイメージの映像が映し出されており,その映像がプラスチック等に反射して光を発して いた。これらの透明のプラスチック類は,リストがコレクションしているもので,<イノセント・

コレクション1985年から2032年頃まで/uleInnocentCollection,1985−apprOX.2032>と呼ばれてい るが(41),上記のように光が当たるとキラキラと輝くことからインスタントダイヤモンド(instant diamonds)と表現されている(42)。リストが石油からできたプラスチックの発する光に着目するのは,

廃物の中にもダイヤモンドがあるということ(43)っまり,視点の転換によって「無用なものの美し さ」(叫を見出していることがある。この反射光が展示室をゆらゆらと浮遊することとで,ゆったり とした雰囲気を醸し出し,鑑賞者はクッションに座ったり,立ったりして,思い思いに鑑賞していた。

このように,映像が展示室全体に映し出されることで,空間自体を変貌させるだけでなく,大きなも のに包まれているという感覚をもたらし,<星空の下で>(2007)と同様に,作品の真っただ中で鑑 賞し,−1自ずと作品に集中させる効果をもたらしていた。また,壁に映し出され−る鑑賞者自身の影も作

品の一部となっており(45),映像,プラスチックのオブジェ等,鑑賞者,展示室とが相互に関与し合っ て1つの作品,そして展示空間を形成していた。

4. 包まれている という感覚の生起

以上のことから,作品形態が異なっているにせよ,上記の三者の作品に共通するのは,ネトの張り 巡らされたテキスタイル(46),鈴木の写真と展示空間,リストの壁に映し出された映像や光によって,

包まれている という感覚を覚えさせるという点である。つまり, 包まれている ということに よって何かに守られているような安心感や安堵感が生じることがあるが,このような感覚が生じるの は作品形態が保有する物理的な包容力とともに,他者とともにあることを認識できることが大きく影 響している。つまり,作品に包まれるということは,他者である作家の表現や世界観に触れることで

もあり,作品と鑑賞者が融合しつつ,また他者とのつながりを感じることにもなる(47)。

特に,ネトの作品は身体の関与を強く求める作品であり(48),しばしば香りの良いハーブやスパイ スで固定された伸縮性のある半透明の布地から成る大きく皮膜のような区画は,鑑賞者の接触という 直接的関係の意味を帯びるが,それは客観と主観の相互作用の中で実現し,鑑賞者が作品の中を通過

して作品構造に直接影響することで,鑑賞者と作品の境界線を解いていくことになる(49)。なかでも,

ネトのテキスタイルによって生み出される空間は,作品の中に鑑賞者を招き入れる効果をもたらし,

「作品の包容力」(50)を生じさせる重要な要素の1つに位置付けられる(51)。さらに,ネトの作品の中を 歩き回ることで足の裏に床の感触を感じたり,そば殻や布の柔らかさを感じたりする作用も生じる。

そのため,視覚や触覚,嗅覚,聴覚といった感覚的作用を積極的に取り入れることで作品と鑑賞者 を融合させつつ,鑑賞者の感覚を鋭敏にさせる効果が読み取れる。このような現象は鈴木やリストの 展覧会・作品にも当てはまるが,鈴木の写真作品を観て,作家の視点を追いながら鑑賞者自身の記憶

や想いと混ざり合っていくと同時に,展示空間の暗さや明るさを体感し,被写体となっている滝や桜

(8)

や雪の風景と展示空間が相互に作用し合ってみずみずしい感覚を生起させるということがある。そし て,リストに関しては,映像作品や反射光に取り囲まれながら,その光によって鑑賞者の影も壁に映 し出されて作品の一部となりつつ作品に投入していくと同時に,映像や反射光のリズムによってゆっ たりとした時の流れを感じながら鑑賞者の身体感覚もよみがえっていくということがある。

したがって,作品に 包まれている ことによって,他者の表現に触れると同時に,自己の身体感 覚を際立たせる効果が理解できるが,「この私の身体とともに,多くの共同体的身体,つまり『他人』

もまた蘇ってくる」(52)ように,自己の身体感覚を取り戻すことで他者の存在を明確に認識できるよ うになると言える。もちろん,作品鑑賞で感じることはそれぞれに固有であり,個人の知覚は「個人 的歴史の展望のなかに現われてくる」(53)ため,鑑賞者のそれぞれの記憶や経験が基底となって様々 な解釈や感想を生み出していくが,その一方で,個人的歴史には他者との関わりや文化的・社会的側 面が影響していることも忘れてはならない。つまり,「身体感覚は,自分の感覚であると同時に世界 の感覚でもあるような,両義性を持った基層の感覚](嶺)と七て位置付けられるよう一に,知覚や身体 感覚には世界や他者との関係が内包されている。そのため,身体感覚は個人的であると同時に社会

的な側面を保有し,他者との関係性を構築する基礎的要素として重要な意味を持つことになる。した がって,美術館での作品鑑賞に関しては,作品や展示空間と直接向き合う中で,自己の身体感覚を取

り戻し,それを基礎として他者や事物との関係性にまで目を向けられる端緒が見出せる。

5.おわりに

以上の考察から,美術館での作品鑑賞によるリアリティの感得に関して,生涯学習社会の身体性の 観点から考察すると以下の2点に重要性が見出せる。

第1に,美術館で作品鑑賞を行うことで,実際に作品を目前にして感覚を研ぎ澄ましたり,身体感 覚を駆使して展示空間や雰囲気を感じ取ったりするため,自己のリアリティを感得し,自己存在を認 識できるということがある。上記の事例と照らし合わせると,ネトの作品に触れたり,作品の中を歩 いたりすることによって全身で作品を体感し,鈴木の写真作品を鑑賞する中で作品と展示空間の呼応 を感じ,リストの作品を観ながら映像や光から生み出される雰囲気を感受することで,自己の感覚や 身体を自己自身が再確認し,自己のリアリティを感得していくことになる。このようなことから,身 体感覚をもとに自己存在の根拠を獲得し,自己の居場所も感じられるようになるが,人間は「身体そ のものを生きている」(55)ように,感覚することは世界との生活的交流であり,その交流によって世 界も生活になじみ深い場として出現していく(56)。つまり,自己を取り巻く状況や社会との関わりも 認識できるようになり,日常生活や日々の経験の成立を省察する視点にもなるため,そこから学びも 出発していくと考えられる。その結果,作品鑑賞によって,自己形成に必要な自己に対する自己と同 時に,他者に対する自己をとらえる視点(57)の確立にも寄与すると考えられる。

第2に,美術館での作品鑑賞は,他者の表現である作品と実際に対峠することから,他者や事物と の関係性を感じられるということがある。上記の三者の作品を鑑賞することで,身体を軸として 包

(9)

まれている という感覚を生起させ,それによって安心感や安堵感が生まれることが理解できるが,

その背景には作家の表現や世界観に触れるということがあるため,自己以外の他者や事物とともにあ ることを認識する視点に結び付いていく。そのため,前述のコミュニケーション方法がヴァーチャル 化することで生じる自己存在の希薄化 そして世界や他者の存在の希薄化の現象に歯止めを掛けるこ とに貢献すると思われる。それは,作品鑑賞を通して,自己と他者や事物との関係性を認識し,人間 が孤独に陥ることを防ぐ手立てになると考えるからである。

特に,美術館の特性は,様々な作品を鑑賞できることにあるが,それぞれの作家の独自の表現を目 の当たりにし,疑問を感じたり,新たな側面に気付いたりする場合もある半軋 共感したり,心が和 んだりする瞬間も少なからずある。それは,多様な表現に触れる中で,作家や鑑賞者の文化的背景や 世代や考え方の相違や共通点を感じながらも,他者の存在に気付き,他者とともにあるという関係性 を実感することが影響していると考えられる。

このようなことから,美術館という場所で,実際に作品を鑑賞することの重要性が見出せる。作品 鑑賞に関しては,作品が制作された時代背景や作家の思想を学ぶことも非常に重要である一方で,作 品を目前にして感じる事柄を大切にしたり,身体感覚を駆使して楽しんだり,作品そのものに没頭し たりするという原初的体験からリアリティが感得されることも看過できない。もちろん,展覧会のカ タログ,作品や作家のデータベース,美術館のホームページが作成されることによって作品・資料の 検索も簡単に行えるようになり,情報へのアクセスも手軽で便利になった。しかしながら,美術館に 足を運んで作品と対峠し,作品や展示空間を直接的に体験できるという点が重要なのである。それ は,先にも述べたが,単に自己のリアリティを感得することにとどまらず,他者や世界に対するリア リティも感得できる側面が含まれているからである。したがって,上記の点が,美術館での作品鑑賞 の今日的意義になると思われるが,ヴァーチャル化が進む状況の中で自己存在をとらえ,他者や事物 との関係を結んでいくうえでも,大きな可能性を秘めていると考える。

【謝辞】

本研究の調査にご協力頂きました,丸亀市猪熊弦一郎現代美術館主任学芸見 財団法人ミモカ美術 振興財団主査・植松由佳氏,同美術館学芸員,同財団・中田耕市民 東京都写真美術館事業企画課企 画係主任学芸員・丹羽晴美氏,PipilottiRist氏 原美術館学芸員・坪内雅美氏に感謝申し上げます。

注(1)PierreLdvy,米山優監訳『ヴァーチャルとは何か?』昭和堂,2006年,p.7。

(2)同軋 p.11。

(3)例えば,中村は自我にしても主体にしても,それぞれ根拠である共同体や場所との接触 特に緊張関係を 失って自己充足的になった時,本来の力を失ってしまうと述べる。(中村雄二郎「<場所の論理>の彼方へ」

中村雄二郎・木村敏監修『講座l生命12[ 97]』哲学書房,1997年,p.234。)

リアリテイ

(4)これに関連して,知覚世界の現前と現実性に対する身体化された信頼を背景としてのみ特定の知覚経験 のリアリティを疑うことができるため,このような背景的信頼が失われるとあらゆる社会的相互作用の信

(10)

頼性も疑われ,その正当性が保証されるまで信頼を差し控える傾向が生じると指摘されている。(HubertL.

Dreyfus,OntheInternet,London&NewYork:Routledge,2001,p.71.石原孝二訳『インターネットについて一 哲学的考察−』産業国書,2002年,p.93。)

(5)市川浩『精神としての身体』講談社,1992年,pp.19−21。

(6)中村雄二郎『トポス論』岩波書店,1993年,p.85。

(7)前平泰志「地に足をつけ生きるため『ローカルな知』を」『毎日新聞(大阪)』2008.2.1(夕刊),12面。

(8)例えば,森美術館「COLORSファッションと色彩VICTOR&ROLF&KCI」(2004.8.24−12.5),東京都写

アイステ←シス

真美術館「恋よりどきどきコンテンポラリーダンスの感覚」(2005.10.1−11.13),BankARTStudioNYK・

BankART1929Yokoharna「BankARTLife24時間のホスピタリティー」(2005.10.28A12.18),21_21DESIGN SIGHT「安藤忠雄2006年の現場悪戦苦闘」(2007.3.30−4.18),国立新美術館「SKIN+BONES1980年代以降

の建築とファッション」(2007.6.6−8.13)等が挙げられる。

(9)佐々木健一『作品の哲学』東京大学出版会,1985年,pp.21−25。

(10)佐々木健一『美学辞典』東京大学出版会,1995年,pp.153−154。

(11)長谷川祐子「展示空間21世紀に向けて−美術館の変容について」『<美術>展示空間の成立・変容一画廊・

美術館・美術展−』平成10年−12ヰ度科学研究費補助金〔基盤研究(B)(1)〕研究報告書し2001年,p.101。

仕2)例えば,フェリックス・ゴンザレス=トレス(FelixGonzalezlbrres,1957−1996)く「無題」(USAトゥデ イ)/ Untitled USAToday)>(1990),やなぎみわ(1967−)くMyGrandmothersシリーズ>,ゲルダ・シュ タイナー&ユルグ・レンツリンガー(GerdaSteiner,1967T&J6rgLenzlinger,1964−)<ブレインフォレスト

/Brainforest>(2004),小沢剛(1965−)<相談芸術>等,これらの作品以外にも多々ある。

個 前線『作品の哲学』p.303。

㈹ 那賀貞彦「創作一作家論から作品論の美術教育へ」山本正男監修・川上実編『美術教育の方法』玉川大学 出版部,1985年,p.128。

85)MauriceMerleau−Ponty,mdnom6noIL癖edelaIbrcqt・tion,Paris:Gal1imard,1945,p.64.竹内芳郎・小木貞孝訳

『知覚の現象学』1,みすず書房,1967年,p.104。

㈹ 山田芳明「子どもの身体感覚を生かした鑑賞活動についての考察」『鳴門教育大学実技教育研究』Ⅶ1.17,

鳴門教育大学実技教育研究指導センター,2007年,p.2。

仕の 市川浩『<身>の構造一身体論を超えて−』講談社1993年,p.59。

㈹JohnH・Falk&LynnD・Dierking,771eMuseumEWerience,Whshington,D.C.:WhalesbackBooks,1992,pp.

147−148.高橋順一訳『博物館体験一学芸員のための視点−』有山閤出版,1996年参照。

㈹ 村田真「インスタレーション」「アース・ワーク」水戸芸術館現代美術センタ一編『現代美術事典90S』水 戸芸術館現代美術センター,1997年,p.15,34。

幽 松本晴子「インスタレーション」暮沢剛巳編『現代美術を知るクリティカル・ワーズ』フイルムアート社,

2002年,p」.42。

(2D RobertAtkins,杉山悦子他訳『現代美術のキーワード』美術出版社1993年,p.88。

C22)MauriceMerleau−Pon枕Op.Cit.,p.119.前掲,『知覚の現象学』1,p.179。

幽 中田耕市「関係性の宇宙へ」中田耕市編『エルネスト・ネト展カタログ(資料集)』丸亀市猪熊弦一郎現代 美術館,財団法人ミモカ美術振興財団,2007年,p.8。

糾 吉野弘幸(取材執筆)「鈴木理策」島本惰二・田澤泉編『名作写真館』Ⅶ1.30,小学館,2006年,pp.10−

11。及び,『アサヒカメラ』Ⅶ1.拓No.5(No.880),朝日新聞社,2000年4月号,pp.171−174。

C25)原美術館ホームページ,http://wwwharamuSeum.Or.jp/generarIbp.html,2008.4.14閲覧。

囲 この段落に関しては,前掲,「関係性の宇宙へ」pp.8−12を参照した。

酢)北澤ひろみ「メルテイング・ポイント」佐山由紀編『メルテイング・ポイントMELrINGPOINT』財団法 人東京オペラシティ文化財団,2007年,p.10。

幽 東京都写真美術館事業企画課企画係主任学芸員・丹羽晴美,インタビュー,2008ユ15。

(11)

佃 丹羽晴美「瞬間と悠久を行き交う写真 熊野を原点として」東京都写真美術館監修『鈴木理策 熊野,雪,

桜』淡交社,2007年,p.112。

幽 展示方法に関しては,藤原えりみ(ききて・文)「interview: 見える/見えない,写る/写らない− 逃 げ去る視覚,揺れる知覚。」『美術手帖』Ⅵ)1.59No.901,美術出版社,2007年11月号,pp.126−127を参照した。

郎 白坂ゆり(取材・文)「展示の可能性を探る:2007年の美術館やギャラリーでの展覧会より,5つのケース をピックアップ」『美術手帖』Vol.60No.904,美術出版社,2008年2月号,p.50。

鋤 前掲,「interview‥ 見える/見えない,写る/写らない− 逃げ去る視覚,揺れる知覚。」p.126。

幽 特に,「雪」と「桜」の部屋の照明に関しては,色温度5500K(昼白色)の外灯用ハロゲンライトをリノリ ウムの白い床に反射させて全体を照らし,4500K(白色)のタングステンライト2灯を写真に当てて,写真 のみ5000Kに中和させていた。(前掲,「展示の可能性を探る:2007年の美術館やギャラリーでの展覧会より,

5つのケースをピックアップ」p.50。及び,前掲,丹羽晴美,インタビュー,2008.3.15。)

糾 竹内万里子「写真の白,鈴木理策の自」『Up』Vol.36No.11(No.421),財団法人東京大学出版会,2007 年11月号,pp.45−50。

個 鈴木理策(タイトルなし)和歌山県立美術館(奥村一郎)編『鈴木理策 唯一の時間』和歌山県立近代美 術館,2004年,p.28。

鍋 林浩之(構成)「鈴木理策インタビュー」『アート・トップ』Ⅵ)1.38No.5(No.217),芸術新聞社2007年 9月号,p.62。

帥 展示に関する作品名・制作年に関しては,前掲,『鈴木埋策 熊野,雪,桜』pp.133−134,東京都写真美術 館作成資札 及び,前掲,丹羽晴美,インタビュー,2008.3.15,2008.3」.9を参照した。

㈲ この1文に関しては,鈴木理策「KUMANO」笠原美智子(企画・構成)『日本の新進作家風景論』東京都 写真美術館,2002年,p.6を参照した。

89)松田貴子「ひたすら生起することを待っている写真群」鈴木理策『pilesofTime:鈴木理策写真集』光琳 社出版,1999年,pp.142−143。

㈹ 鈴木理策(増田玲・蔵屋美香漏)「鈴木理策」東京国立近代美術館(増田玲・蔵屋美香)編『写真の現在2 サイトー場所と光景』東京国立近代美術館,2002年,p.48。

hl)PipilottiRist,ApricotsalongtheStreet,Zurich:Scal0,2001,[pp.196−2031・PipilottiRist,ed・RichardJulin,′Rssa

Praun,tr.MatthewPartridge,Cbngmtulations!,Stockholm&Barden:Magasin3StockholmKonsthall&hrs MtillerPublishers,2007,pP.73J75.泉晶子独訳「リカルドユリンとピピロッテイリストの対話」原美術館編

『ピピロッテイリスト:からから』原美術館,2007年,p.25,29。

㈹ 児島やよい(取材・文)「ピピロッテイ・リスト からからの心にひとしずくのユーモアを」『ARTiT』

Ⅵ)1.6No.1,アートイット,2008年1月号,p.15。

㈹ PipilottiRist,ed.RichardJulin,TessaPraun,Op.Cit.,p.76.前掲,「リカルドユリンとピピロッテイリストの 対話」p.25。

糾)原美術館学芸員・坪内雅美,インタビュー,2008.2.7。

㈹ 同前。

幽 北澤がネトの作品を体験したさい,深い安らぎに包まれると同時にまだ見ぬものに対する暖味な不安を感 じたと述べるが,「身体の奥底に眠る,かつて子宮の中を泳いでいた頃のような懐かしい感覚が呼び起こされ,

ア・プリオリな場所へと回帰するようであった」(前掲,「メルテイング・ポイント」p.11。)とするのも, 包 まれている ということが少なからず影響すると考えられる。

㈲リストは「私の作品を観て,ほんの数秒でも,自分は果てしのない孤独な世界にいるんじゃないと感じて もらいたいの」と述べている。(前掲,「ピピロッテイ・リスト からからの心にひとしずくのユーモアを」

p.15。)

的 ネトは,身体(body),空間(space),風景(landscape)のそれぞれに同じウェイトを置き,コンマでは なくスラッシュで分けて,階層的というよりは流動的関係を暗示している。(01gaM.Viso,(untitled),Ernest

(12)

Neto:Directions,WashingtonD・C・:Smithsonian,HirshhornMuseum&SculptureGarden,2002,P・2・BillArning,

ErnestoNeto ,Bomb,No・70,NewYork:NewArtPublications,2000,p.82.)

㈹MadeleineGrynsztejn, CI:99/00 ,CarnegieInternationall999 000,Vol・1,Pittsburgh&Pennsylvania:

CarnegieMuseumofArt,1999,p.103.

餉 鈴木勝雄「ブラジル:ボディ・ノスタルジア」鈴木勝雄・三輪健仁編『ブラジル:ボディ・ノスタルジア』

東京国立近代美術鑑2004年,p.20。

剛 ネト自身・テキスタイルでできた「皮膚」を私たちと世界との関係を表現する場として考えており,内部 と外部の間にあるものとしてとらえている。(エルネストネト「アーティストトーク」前掲,『ェルネス

トネト展カタログ(資料集)』pp.27−28。)

幽 MauriceMerleau−Pon取上′αiletl鋤rit:仲的cedeaaudeLdbrt,Paris:Gallimard,C1964,p.13.滝浦静雄・木 田元訳『眼と精神』みすず書房,1966年,p.255。

幽 MauriceMerleau−Ponty・mdnomdnolPgiedelahneption,Op・Cit・,p・275・竹内芳郎・木田元・宮本忠雄訳『知 覚の現象学』2,みすず書房,1974年,p.53。

糾 前掲,『<身>の構造一身体論を超えて−』p.190。

佃 前掲,『トポス論』p.86。

錮MauriceMerleau−Ponty,mdnomdnolPgiedelahrcWtion,Op・Cit・,pp・64−65滴掲,『知覚の現象学』1,p.104。

銅 前掲,『く身>の構造一身体論を超えて−』p.29。

参照

関連したドキュメント

ところで,このテクストには,「真理を作品のうちへもたらすこと(daslnsaWakPBrinWl

【通常のぞうきんの様子】

編﹁新しき命﹂の最後の一節である︒この作品は弥生子が次男︵茂吉

HS誕生の背景 ①関税協力理事会品目表(CCCN) 世界貿易の75%をカバー 【米、加は使用せず】 ②真に国際的な品目表の作成を目指して

(a) ケースは、特定の物品を収納するために特に製作しも

欄に(Qb)を掲げた品目で関税割当により輸入される品目) については、第 8欄の品名の下に、 “ I, the undersigned, declare that the products described above are classified

にちなんでいる。夢の中で考えたことが続いていて、眠気がいつまでも続く。早朝に出かけ

神戸市外国語大学 外国語学部 中国学科 北村 美月.