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戦中戦後知識人の担った使命と役割(2)

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(1)

著者 崔 先鎬

出版者 法学志林協会

雑誌名 法学志林

巻 106

号 3

ページ 167‑184

発行年 2009‑02‑10

URL http://doi.org/10.15002/00006441

(2)

ここで、内村鑑三の無教会キリスト精神を継承し、発展させた人物の一人として、南原繁の思想について概観して

みたい。南原は、第一高等学校で校長であったクリスチャン新渡戸稲造の思想的感化を受け、巫呪帝国大学入学後に

は内村という非権威的な無教会主義の創始者を知るに蕊り、彼の無教会主義の聖書講義に出席することによって薫陶を受けている。南原繁は内村のその人格と教養を汲み取りつつ、他方においては内村から「二つのJ」に象徴される

思想の真髄を継承した人物である。クリスチャンとして、キリスト教の聖書に基づいた神の義と愛の概念に関して問

題意識を感じていた南原は、戦時中に『国家と宗教Iヨーロッパ桁抑史』を公刊し、終戦直後に思想史に関する研究者として高い評価を浴び、この分野の学界において地位を確立した。彼の学問分野における思想史研究は、キリスト

戦中戦後知識人の担った使命と役割(二)(虚)一六七

l内村鑑三の継承者としての南原繁 戦中戦後知識人の担った使命と役割三)

崔先縞

(3)

法学志林第一○六巻第三号一六八教櫛仰を底流に、文化価値哲学における相対性(『の一目aq)を重視した学問体系を柵簗したと考えられる。彼は恩師であった内村鑑三から人生観・学問観を臓極的に引き受け、特に宗教が有する超越性について、神と人との非合理的絲苔関係であるものと判断しつつ、それが一つの価値ではなく本来からの価値の超越、否、価値の転倒で(1) あると見なしていた。彼は、「(キリスト教において)人間と世界との救済は、本画的にはこの世界と人間のうちには

、、なく、それらを超える全然新たな力、絶対的実存者たる力、絶対的実存者たる神から来なければならぬ。しかも、それは現実の世界を超えて、単に本体または高い精神の世界を思惟することにより、そこに神の実存を仮定し、そうしてこの宇宙の本体または神的本質と融合あるいは合致することにおいて解脱を説くがごとき、形而上学的ないし神秘主義的宗教とは根本的に異なるものがある。……プラトンにも超絶的方面があり、かのイデア論において彼岸の世界をさし示し、道徳的善のみならず、宗教的聖の理念をも髻露せしめるものがあることは、われわれの見たごとくであるが、なおそれは『理性』の知的活動であり、ただそれを和げるのに美的・芸術的直観が結合されているにすぎない。

……実にキリスト教においてはこのイエスの人格が核心であって、その教漣や形式には古代社会の多くの哲学あるいは密儀の要素が結合されてあるとしても、イエスのそうした人桁において生きている神的生命の現事実は常に新しいものと一一一一口わなければならない。そうして、それはもはや認識(厚篇目目一切)の問題ではなくして、純粋に信仰(口の岸,(2) のロロ(日⑫)の問題である」と認識したのである。南原は『国家と宗教』の第一章「プラトンの復興」において、シュテファン・ゲオルゲ(の(・厳ロレロ【。。○の。『ぬの.]の91]垣困)とその一派の新たなプラトン(勺巨ppoだ②lmo筐、)解釈、つまりプラトンの神話的要素を強調し、そ(3) れによって「神政政治」を導き出すことを批判するとともに、ルネッサンスと宗教改革、或いはヘレニズム(国の」‐

(4)

』のロ】⑪日)とヘプライズム(頭のワ日一⑫ョ)の伝統のようなヨーロッパ近代文化にとっての固有の価値を無視するナチズ(4) ムを「政治の上の自然主義である権力主義」に陥るものとして批判する立場を示した。南原はこうした思想的独断と

独裁的政沿体制に対して、個人の人格と宗教的目川が侵害を受けてはいけないと考えていた。『川家と宗教」の第二章に幾場する「キリスト教の『神の囮」とプラトンの理想国家」は、トマス・アクィナス(曰ゴ・日ロ⑪シCB8の.」侭、1

局鼠)とヘーゲル(○の。『ぬ乏彗ロの一日句『一日『】・ゴ頭の、の」・』「ご-局②])などが主張したいわゆる「神政政治」に対する

批判的視座を含むものであった。南原によれば、これは神政政治における「祭政一致」概念の批判をその目的として

書かれたものであるが、「祭政一致」が大原川だった明治時代に「不敬事件」で迫害された恩師の内村鑑三のために(5) 捧げられたものであった。彼はこの論文においても、現実の政治の問題を宗教的神性との関わりで問うことにし、そ

こで実質的な形で日本の国における図体についての問題を問わざるを得なかったと思われる。これは、当時、現一笑の

日本の政治の深層を形成していた国家神道並びに祭政一致への理論的挑戦を試みたものであろう。続けて第四章にお

ける「ナチス世界観と宗教の問題」においては、宗教と共にナチズムを取り上げながら、その時代的意味を解川しつ

つそれを一つの世界観として前提し、思想的流れを分析した。この論文において彼は、ナチスが宗教における神政政

治観を模倣している点に批判を交えながら、ギリシャの真理至上主義並びにキリストの普週主義を否定したことを脂

摘し、これは「ヨーロッパの柿神的伝統を否定するもの」と指弾したのである。ナチズムのこのような立場について、

「自らの理念を追求していけば没落するほかはない。もし没落せずに存在をつづけようとすれば、自らの理念を放粟(6) せざるを得ない」と述べた。これは、民族神話が崇拝された戦前の国体概念と戦前のⅡ水を助かしていた政莱につい

ての危機感の斐川でもあった。しかしこうした論文の発表が、往時国家がナチス・ドイツとの同盟関係を結んだ翌年

戦中戦後知識人の担った使命と役割三)(腿)一六九

(5)

また、彼は、キリスト教における神の国とは、キリストの霊によって充たされる純粋に精神の国であるとの説明を加え、「神の国」とは、「もはや、古代ローマのごとく、権力と権利のための結合や、または戦争と経済のための組織

の理念ではない。ただ神の栄光を中心とし、キリストの霊によって充たされる純粋E楠神の国である。否、神におい

て結合する者の、いまだ見知らぬ者・敵対する者にまでの『愛の共同体』である。しかり、神を中心としてついにす(7) べての民族・全人類にまで及び得る絶対の「並口遍主義』の理想である」と述べている。そして彼は、「実際イエス自身において、すべての政治社会の問題は最初からその関心の外にあったようである」と述べる一方、「イエスの宗教(8) は道徳的人格価値からの超越であったと同時にまた実に政治的社会価値からの超越でもあったのである」と考壱えてい

た。しかも南原は、これとの関連において日本的キリスト教に関する見解をも取り上げ、その理念と現実について問

題を提起しながら、「世界観をはじめ、教理・礼典・権威などの単一公共性を旨とするカトリシズムの立場において

は当然のことであるであろう。これに対して、もともと教理や組織の多様性の中から興ったプロテスタンテイズムに

おいて事情はおのずから異なるものがある。元来、文化が『普遍的かつ歴史的民族的』問題であるのに対し、何故、

宗教的信仰は単に『普遍的人類的』であらねばならないか。キリスト教が世界・人類の普遍的救済の宗教であるとい

うことと、同時に歴史的Ⅱ国民的性格を有するにいたるということとの間に、矛盾はないはずである。……日本はヨーロッパとは違い、キリスト挫愁偏抑そのものに何か『限界』や『制限塵があるというのであってはならない。かくては、もはやキリスト教としての本質を喪失するに至るであろう。また、それは現下の時局に遭遇して、にわかに英米 る。 法学志林第一○六巻第三号一七○のことであることを想起すれば、決して自ら体制圧力に主体的に屈従することはなかったように見受けられるのであ

(6)

南原は、「ヨーロッパ世界に教会が発展して来たのには、固有の歴史的環境を必要とした」という留保を付加した

上で、「いま欧米のごとき何らの歴史と伝統を持たないわが国に必要なことは、それを創りまたは模倣することでは

なくして、ヨーロッパ世界とは異なった出発をなすべきであろう。何か。それは原初にして且つ新たな方法である。

すなわち、ひたすらキリスト・イエスの人格において象徴せられるごとき神的絶対理念との結びによって、内面的に

更生された新たな人格的関係である。そうしてそれには、長い歴史を通じ君臣・父子のあいだの絶対的忠心と信従の

関係を実践して来たったわが国には、ただに絶対主義的・封建的道徳という以上に、それを越えた、固有の高い道徳

も、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、的基礎を欠きはしない。かようにして、国民の各個がこの聖なる深き結合関係に入り込み、ついには全体のわが国民

、口、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、的共同体が真の神的生命によって充たされるにいたるまで、神の国の形成は已まないであろう。しかるとき、日本国

戦中戦後知識人の担った使命と役割三)(崖)一七一 教会と絶縁して日本全体の教会の連合統一を結成する如き『組織』の問題ではない。かくては『国家的教会』とほとんど選ぶところがなくなるであろう。……まことに、プロテスタンテイズムに内在する根本の問題は「教会」にある(9) と思う」という自説を展開している。彼も内村に倣って「日本的キリスト教」という一一一口葉を用い、それが何よりも、そうした教会の組織やドグマの「権威」から自由独立でなければならないことを力説したのであった。ここで日本的キリスト教を提唱した彼は、具体的、かつ現実的な次元へと進み、自らの経験に基づいた一種の信仰的告白を行ったのである。これは内村の精神を継承し、されに発展させた一形態と見倣すべきであろう。

2ヨーロッパと日本の歴史的背景の相違、そして無教会主義

(7)

(肥)事実であるし」考えられる。 法学志林第一○六巻節二号一七二家の内的基礎は最も蕊間な、水遠の精神と地盤の上に据えられたものとなるであろう。『日本的キリスト教』とは、これ以外のものではないのである。その他に、いかなる現代の宗教運動と宗教哲学からもlしかり、無の弁証法や神秘的汎神論からも、真に何事をも期待し得ないであろう。以上のごときは、往々『無教会』主義の名をもって呼ばれる(川)ところのものである」と述べている。

南原はまず宗教の本質について「宗教の特質は純粋な非合理性においてある。」と述べ、キリスト教思想がもつ普

遍的側而とは区別している。彼は「宗教においては、倫理も歴史および政治も、究極においてひとしく形而上学の問

題に逢若せざるを得ない。すなわち超経験的問題として最後に宗教が残るのである。それは人間の認識の椛限を超え

た境域である。ここに、すなわちは、歴史的経験の事実と知識の認識論的証明のいかんにかかわらず、最後に正義の

国の成就と(キリスト教的な)神の図の出現を待望し得るのである。正義の国の完成は、同時にすべての善きもの、

美しいもの、真なるものの成就であって、人類歴史の意味と帰趨はそこにあり、それなくして一切の文化と政治の進(Ⅱ) 歩を川凹惟し得ないであろう。」と述べた。近代日本では多くの欧米人キリスト教宣教師を受け入れてきたが、彼らの

背跳となっている彼らの川身国家と日本人との関係から生じる様々な問題に、Ⅱ本人クリスチャンたちは直面せざる

を得なかった。近代n本が列強による植民地化の危機から川発したことを考えれば、近代川本国家の担い手たること

と信仰者たることとの間には、諸外刷から流れ込んでくる教会ネットワークを介して様々な確執が生じていたことは

一方、「無教会主義」クリスチャンとしての南原繁は自己の信仰を学問的生活において公にすることはなかったが、(旧)その「日本的キリスト教」が当時の「教会のムロ同統一迎動において呼ばれるごときものとは異なる」ものであること

(8)

は明言している。そこでは同時に、明治以降に移入した西洋文化の延長線上の「新日本文化」として、「それによっ

て日本が新たな意味において世界性を獲得し、普遍的にして且つ特殊的な、それ故に具体的な根拠を一層議固にし、(M) 日本国家の世界精神的意義の附明もさらに深化せられるであろう」と述べられていることに着眼したいと思う。この

著作『国家と宗教』が岩波書店より一九四二年に出版されていることはある意味で注目に値する。彼はクリスチャン

でありながらも、大多数のクリスチャンが追従を強いられた合同統一迩吻への収束・拘禁からも、国家により思想的

に国体明徴への背反と捉えられることからも免れるところとなっている。こうした事態は、あたかも南原が来るべき

将来を予期して振る舞っていたかのような感慨を喋脆させるものでさえある。「宗教」としてのキリスト教は国家を

超え、しかも同時にナショナルなものを基盤とすべきであり、かつ個々人の良心は国家よりも大であるとしたに違い

ないと思われる。南原繁はこのような批判を通じて、第一に日本における「無教会」こそが、新たな宗教改革への動

きであるとし、さらに当時の超国家主義に内在する権力を牽制する装置として試みていた自分の「共同体論」内の権力装置とは異なるという点を公表したと考えられる。このように南原は、日本人自らによる近代思想としてのキリス

ト教の普遍的な受容と、それによる近代的な日本人形成というテーマをはっきり主張していた。それは、日本的無教

会キリスト教により、個々の国民が相互的社会関係をもつ「国民的共同体」を形成することの出発点でもあった。

しかし、南原の意見に対しては異議も存在した。その代表的人物が川中耕太郎二八四○’一九七四)だが、彼は、

信仰の上で内村鑑三の門下であったが、昭和二年(一九二六年)にカトリックの洗礼を受けることによって内村とは信仰上の距離を置くこととなった。彼は数少ない法哲学思想家である一方で、東大法学部で商法を講じていたが、戦後、文部大臣と最高裁判所長官、そして国際司法裁判所の判事を務めた経験から、独自の世界観による近代批判の論

戦中戦後知識人の担った使命と役割(一一)(崖)一七三

(9)

ここに中世的自然法思想において並要なのは『教会』の概念であり、自然法は教会を通しての神的啓示に基づく理

性の解釈にほかならず何が自然法であるかは結局、教会の決定にかかわらしめられてある。近世の主観的な個人主義

的、然法に対する客観性の根隼拠は、ここに慨かれてあると言える。……著者は、かような見地から本瞥においては問

題を主として教会論lカトリックの『教会主義』に災中して論じたのであった。……しかし唯一ローマⅡカトリック 法学志林第一○六巻第三号一七四

皿で終始一貸してL煙とされている・川中によるプロテスタンテイズム批判は、このカトリックの立場に立つnらの

論理を使って、雛教会主義の立場に立つ南原の『国家と宗教』に対する書評の中で、南原の考察の対象の選択やその思想的分析と評価の問題として南原の研究に対する異議を示した。彼は、無教会主義とは「自己中心主義」であり、「自己の反省なき独断、断片的にして不確かな知識」、「一時的な感傷主義(いの目日の。且}のョ)の絶対化」とし、「政(川)袷的アナーキズム(ロロロ【o嵐⑫日)に通じる」と批判した。これに対する南原の答えが、論文「カトリシズム(○四sg‐Qの日)とプロテスタンテイズム(勺『・汁の⑪日口鳥目)」(昭和十八年、’九四三年)であり、これは後で『国家と宗教』(Ⅳ) に補講として収録されることとなる。ここで「スコラ神学の異教性」「カトリック典礼の魔術的要素からくる神秘性」と旧教に対する鋭い批判を行った南原は、さらに無教会主義者の立場に立って、「ヨーロッパ世界に教会が発展してきたのは、固有の歴史的環境と結びついたから」であり、「そうした伝統が欠けている日本の国においては、西洋の(旧)教△云を模倣することは不要である」とし、ヨーロッパ世界とは異なった形でのキリスト教の新たな出発が必要であると強調したのである。また南原は、曲世的自然法思想と教会との関係で、田中に対して次のような論理で問題提起を通して自らの論理を展開した。

(10)

教会の秘儀は、以上の如き政治的Ⅱ社会的秩序としてよりも、むしろ依然、霊的Ⅱ精神的共同体として、人間霊魂の

救済である純粋に宗教的な点に求められるべきはずである。それは周知のよう使徒ペテロに淵源すると解釈せられる

(マタイ伝旧叩旧)歴史的伝統に基づいて興り、司祭制と礼典(サクラメント)とを不可欠の要件として存立する共

同体であって真理と恩寵との保持によって謬ることのない聖なる使徒的結合である。

かようなものとして、それは川中教授の説明されるような単に三般に対して救済の確実性ある道程』として以上

の意義を持ち、それ自ら『地上における神の国』の具体的実在として考えられねばならない。それゆえにカトリック

的信仰を告白する者は教会を通して神の国に属するのである。『教会の外に救いなし」というのはカトリック側の解釈するように「実質的に精神的カトリックたるを要求する』ものとしても、そこに例示される旧約時代の預言者や罪なき嬰児や異邦の哲人らのごとき、キリスト教以前でまだそれについて知らない者や自己意識のない者は問題外とし

て、いやしくもキリスト教成立後に生き、カトリック主義を公然かつ意識的に拒否する者すなわち実質的にも『糖神

的カトリック』でない者は、救済から除外されなければならぬであろう。ここに少なくとも実質的には依然、ローマ普遍的教会の成員たることなくしては神の岡の市民となるを得ないはずではなかろうか。かようにして、教会こそカ

トリック主義の政治社会理論のみならず、神学・道徳・村学・I要するに中世的キリスト教世界観の核心を形作り、

カトリック的世界観の強みも弱みも、すべては、かかって、この教会論に在るのである。然るに川巾教授は説いてい

わく、中世的世界観の特徴は『なにも教会とか教皇とかの制度の意味に存在するのではなく、すべての彼造者が神の

宇宙計画の元に、その世界秩序の中に編入せられ、各々の事物がその範囲内において所を得、理性を具備する被造物

たる人間が他の被造物と異なる特有の使命を有し人間にふさわしく自由に行動し、しかしその自由がいかに方針づけ

戦中戦後知識人の担った使命と役割三)(塵)一七五

(11)

一方において、南原はキリスト教における尊敬すべき歴史的存在について、ヨーロッパにおけるキェルヶゴール

(の。Hのコズーの『【の、目a.(」の扇I』の圏))、他方において日本における内村鑑三の名前を挙げ、その内容について「わが

国においてキルヶゴールの役判を更に預言者的洞察と悩熱とをもって果敢に実践したのは、内村鑑三その人であった。

今より約半世紀前、わが国に西洋文明の流行旺嘘を極め、キリスト教界また英米教会の槽柏を杵めっっあった時代に、

およそドグマと制度の教会の権威に反対して、敢然純枠桶音主義のために闘ったのは彼であった。だが、彼はしばし

ば国人に誤解されたごとき個人主義者では決してなかった。著者の解するところによれば、彼はキェルヶゴールのよ

うに単に神の前における『孤独の人」を説いたのとは異なり、神の前に真の『日本人」たることを教えたのであって、 思うに、川巾が南原の論文に対して、学会誌の書評という形で疑義を差し挟んだことによって、実際的には大きな政治的効用があったのではないだろうか。問題認識の本質的なるものから教義上の形式論へと焦点がはずされたために、幸い思想的には体制圧力から煙幕を張ることにつながったと考えられる。 法学志林第一○六巻第三号一七六

らるべきかを指示する点にある」と。十九世紀ロマン主義の人々も、またかようにして、宇宙の全体性と統一性とを

求める知的欲求と更には芸術的Ⅱ美的要求からカトリック主義に改宗し、カトリックそのものよりも、むしろ子獅と(川)人類が編みムロわされた世界詠い序の深みへと沈潜したのであった。

3日本的キリスト教のための伝統の再構成

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(、)彼の無教会主義信仰の奥には、燃ゆるがごとき扣川国愛が脈うっていた」と紹介している。あたかも世界史におけるル

ター(巨回『目F貝。の『・』あいl]α怠)と同様、日本史における内村鑑一一一も「ドグマと制度の教会の権威に反対して、敢

然純粋福音主義のために闘った」のと同時に、「彼の無教会主義信仰の裏には、燃ゆるがごとき祖国愛が脈うってい

た」ことを力説し強調したのである。

しかし、南原は、伝統的な価値観および宗教的信仰が国家の強制力によるイデオロギーを支える蕊盤として使われ

ることに対して批判的な立場であった。西欧における教会と川家との関係および搬々な教会主義述勅についての彼の

説明は、このように戦前の世界における国家主義の雅樅になる概念とは一櫛の差異化された形で選ばれたものだと考

えられる。中世カトリックの思想および思想体系はローマ教会が究極的には絶対化され、個人の良心と「地上の国家」の独自の意味が見失われる体系であった。このような理解から、南原繁は中世のキリスト教体系とその体系を支

えた中世哲学を批判しつつ、キリスト教がその固有の超越性を見失ったことによってギリシャー哲学と一体化し、そ(別)の形而上学が教会独裁を合理化する理論を提供してしまったと語っている。彼はここで、ルターの宗教改革が当時反

m-マのナショナリズムと側迎性をもつことと共に、ルターを内村的な「信仰によるネーシヨンの形成」の問題意識

においてとらえつつ、ルターの場合、世俗権力と協力して「ルクー派教会」を形成し宗教改革が不徹底に終わったと(埋)批判したのである。

南原は自らの著書の中で、中世の西欧における国家と教会との関係について説明しながら、「宗教においても社会

的要素が重要な契機となったことは事実である。キリスト教においても、当初の純粋福音が間もなくローマ的な政治

原理と結合して考えられるに発った。すなわち中世カトリシズムの宗教的一大綜合の文化において、その支持点とし

戦中戦後知識人の拠った使命と役削(二)(服)一七七

(13)

法些韮心林第一○六巻第三号一七八て重要な役割を果たしたのは、実は教会の権威であった。それは本来、宗教の本質には無縁のもので、むしろローマ的な政治的要素にほかならない。ここに教会を中心として普遍的キリスト教国家の建設を要請するに至った。近世プ

ロテスタンテイズムの立場においても同様のことが可能である。すなわち、キリスト教をもって世界と人類種属の改

造の原理として考え、キリスト教から政治社会の普遍的原理を導出しようとする。これによって、カトリック教会は

否定されたが、政治国家がそれに代って絶対的位置を占め地上の神の国の建設が新しい政治社会の原理として構成さ(鱒)れる」と主張している。そして彼は「いずれの道を取るにしても、一別にも述べた宗教固有の非合理的要素が退いて、

合理的な組織化や制度化が前面に現われる。非合理的な愛の神の国が普遍法則的な政一治王国と化する結果は、愛の天

父としての神はむしろ世界鉾吟序の支配者として君臨し、神の子たちとしての人間がこの王国の忠実な政治的被支配者

と化するのである。その顕著な現れは、国家が外に向かって権力を拡張するに際して、宗教を利川し、伝道事業をそ

の先駆として奉仕せしめることである。近世文明諸国が植民政策において採用した方法はそれにほかならない。その

中には純粋の宗教的動機に励まされて伝道に従事する敬度な人々のあるのを否定するのではない。ただ国家がそれを(別)利用し、また教〈云がその国家目的に追随して、怪しまない事認実を指摘したいのである」と喝破した。

それでは、このような論理を通じて、具体的に彼が表出しようとした論理はいかなるものであって、既存の宗教的

論理に基づいた概念とはいかに区別されるのかについて考えておく必要があろう。ただし彼は、「キリスト教がわが

国体と相容れるか否かは、もはや論議を超えた問題である」、更に「問題は、もはやキリスト教を取るか捨てるかではなくて、これをいかに摂取するかである」という三谷隆正の言葉を引用し、「日本が将来、世界の梢仰界に寄与し得る大なる一つの道は、この本来東洋的にして世界的なキリスト教の東洋的還元と日本化にあると思われる。そして、

(14)

キリスト教を包含する新日本文化を構想した南原は、「価値はその本質上、存在から生ずるものではないけれども、

存在を離れては有り得ない。価値はこれを存在に徴してその内容と多様性を認めることができる。この単なる現存在

ではなく、価値の結びついた存在l一定の価価と結合した緒々の存在lが『文化」である。価仙は文化において発兄(郡)し得るもので、政治哲学は人類の文化事象として政治生活について価値を考察するのである」と述べた。さらに彼は、

イェリネック(○8『ぬ]の一一ヨの【』、、]-]の屋)の『国家学」、他方においてリッヶルト(四の冒臥◎す]。g囚o穴の『が]mgl

ご患)の文化価値哲学を参照している。「経験的文化科学としての政治学は多分に、この方法論に依拠しているが、(幻)批判主義に基づく政治哲学については、いまだわが国にその試みがないと一三口っていい」との発言を通して、先見性を

付与された政淌哲学の榊築を試みたのである。そして彼は世界観を学ぶ学問として-,全体の概念は時代と共に変遷し

ようとも、個々の科学的知識のほかに、それを超えて世界全体について思惟しようとすることは、人間精神ないし知

戦中戦後知識人の担った使命と役割三)(膿)一七九 そのことが完成せられる暁に、それを核心として新たな意義において世界的な新日本文化の展開を期待する者は一人我々のみであろうか。かようにして問題の核心は、教会と国家との関係にあるのでなく、それを超えて、あくまでキ(鴻)リスト艸務脚仰と旧家柿神との関係にあると思う」と日.bの見解を示しつつ、日本にキリスト教を臓極的に受け入れる必要性について力説している。南原の見方に沿えば、このような考え方は、まさに明治の代から新たに打ち立てられた未完の日本の近代糒神史に貢献し続けると同時に、その核心を貫くものと判断できるのである。

4文化における価値的相対性

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法学志林第一○六巻第三号一八○性の要求である。これはヴィンデルバンド(三・ミヨqの」ケロロQ』の』、-己]、)のいう『世界観の学』である。ここに世

界観というのは各人の主観的な個人的世界観ではなくして、あくまで理論的な一個の学として、これを考えるのであ

る。…近時、一方においては自然科学的法則科学に飽き足らないで、梢抑科学をもって人間生活の『梢抑』ないし

「生命』を洞察しようとする試みもある。だが科学は科学として厳密な方法論的限界を守ることが必要であり、それ

によって科学それ自体の尊厳を主張し得るのである。科学が一旦その限界を踏み出でて超経験的世界に昇騰するとき、

その権威は失墜して、遂に科学の破綻を来たさざるを得ない。こR禰仰または生命の意味を『価値』に托し、世界の

「価価的了解』を根拠として哲学を考えたのがリッヶルト(四・四.丙の『{』msI」認の)である。それは同じく西南学派

ヴィンデルバンドの後を継承したもので、後者の世界観の学としての哲学はリッヶルトによって「価値哲学』として

展開されるに至った。そしてリッヶルトは緒言において述べたように価値に関係づけて、自然法則的科学とは別に、

文化科学を樹立したのであるが、価値それ自体は科学を越えた哲学l世界観としての学lの問題でなければならな(鋼)い」と、カントの批判哲学の立場に立脚しヴィンデルバンドの世界観母十を継承発展させ、独自の文化価値哲学を柵簗

したリッヶルトに方法論的立脚点を見出した。「国家と宗教」第三章の「カントにおける世界秩序の理念」という論

文が最初に発表されたのは昭和二年(一九二七年)であったが、この頃はまだ「平和」という概念は自明の価値であ

り、国際協調主義が流行していた時代でもあった。したがって、永久平和を主題とする南原の主張は発表当時とくに

目立つことはなかったのだが、戦時中であった昭和十七年(一九四二年)に『国家と宗教』に収録ざれ公刊された時(、)は、禁句となっていた「平和「一という一一一一口葉は「現実」に対するプロテストの意味を持つことになったのである。南原は、いわゆる相対主義の問題にも言及しつつリッヶルトと共に+々法論的・哲学的相対主義を選択すると同時に、

(16)

次のように相対性(Hの]:ぐ〕ご)なるものを説明するリッヶルトの造語「相対主義(且目・巳のヨロの)」について評価

している。

このような彼の政治と信仰における相対性に関する見方は、日本の時代的状況と直面した自らの現実についての認

識そのものに対する批判でもあると同時に、理想主義的な立場を排除した独自の現実認識を示しているものと考えら

れる。 「我々の要求する哲学は絶対性を有する純粋形式または理念の問題として価値を前提とする。したがって、それは『相対主義』(宛の互一・日の目仁の)の立場でなく「絶対主義』(レウの。E房日Pの)を前提とする。相対主義の起源は、近世においてはオーギュスト・コントの実証主義にまで遡ることができる。その説くところによれば、およそ存在するものは相対性を有するに過ぎない。けだし、経験論の主張であって、思惟の対象を離れて絶対的理念または価値を説くのは、ただ主観的意向に他ならない。なお、相対主義は以上の如き質料を対象とする『客観」からも生ずるが、認識「主観』の側からも主張される。即ち価値判断を「認識』(厚厨目のロ)の問題でなく、究極において『信仰』(ロの丙の目の口)の問題と解するごときである。ラードブルフ(のロ切国ぐ幻口:『ロ。戸]召のl]①怠)は、その一人と解していいであろう。かような立場は一種の心理主義に陥り、遂に真理に対する懐疑説に導かれる危険があ(卯)る」

こうした南原のヨーロッパ思想に対する認識は、更なる問題意識に発展し、また新たな日本の精神世界を形成し、

戦中戦後知識人の担った使命と役割三)(崖)’八一

(17)

維像M糀洲醐特

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法学志体節一○六巻第三号一八二

継承されたのであろう。あたかもヨーロッパにおいて近代が始まった契機となった宗教改革が新たな時代の形成に重

要な一因となったと同様、日本においても戦後六三年を経過した現在、日本の思想を再検討し、すなわち両職簗する

ことが必要となっている。このような時にあたり、内村鑑三をはじめとするキリスト教柿抑の継承者たちの思想世界

を改めて考察することは、極めて有意義なことだと思われる。南原の思想の在り方を彼の信仰世界に立脚して解明し、

日本の歴史的多様性の一部分に照明を当てることは、日本の政治思想史そのものを豊かにする契機を提供するのであ

ろう。

(18)

一方、南原の政治哲学において最善の価値として打ち出されたのが「正義()P⑫骨の)」であったが、このように目標とされた価値、つまりプラトンが説いた政治の究極理念といったものは、ポスト・モダニズム(ロ○m[‐ョ目の『日の日)(加)の台頭による「理念そのものへのシニシズム(◎百一Q⑫日)」が勢力を増した近年においても、しばしば評価を受けて

いる。予てより丸山真男は「政治における理念的あるいは価値的契機を無視するリアリズム(「8房日)は、認識と(鑓)しても実践としても妥当ではない」と語り、さらに南原を批判的理想主義者とする見方からは、政治的リアリズムを

追認していこうとする保守主義(8口⑪の『『且のョ)と対比可能な独自的意義を持つものとして認められている。

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前掲書、二七五頁江端公典「内村護 南原繁「カトリシズムとプロテスタンテイズム」前掲聾、三一一一○’一一一三一頁「カトリシズムとプロテスタンテイズム」前掲書、三三一一一頁前掲書、’五○-一五六頁参照鈴木規夫「世界性の〈東洋的週元と日本化〉の位柵」『現代思想』(第羽号)、一九九五年一○月、一七一頁参照南原繁「国家と宗教」、『南原繁著作染』(第一巻)、岩波書店、二七五頁

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、公典「内村鎧三とその系譜」、二○○六年一一月、一四六頁

戦中戦後知識人の担った使命と役釧三)(股) 「国家と宗教」 「国家と宗教」『南原繁耕作災』(第一巻)、東京、岩波襟店二○○六年一二月、一一五’一六八’六九頁誕「プラトンの呪縛』、東京、講談社、二○○○年一二月、一四○頁参照「解説」、『南原繁著作集』(第一巻)、東京、岩波書店二○○六年一二月、’一一九九頁参照三九八’三九九頁参照四○一頁「南原繁耕作災』(第一巻)、来京、岩波併店二○○六年一二月、七二頁 二○面参照

(19)

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-,参国二三 テ11((家九二 法学志林第一○六巻第三号一八四(旧)三谷太一郎「川巾垪太郎」の近代批判『二つの戦後l権力と知識人』、東京、筑摩轡房、一九八八年六月、一七五頁(Ⅳ)南原繁「カトリシズムとプロテスクンテイズム」『南原鵬耕作災』(第一巻)、東京、岩波掛店二○○六年一二月、二八九’三○二頁参照

桶川飲一「解説」、「南原繁著作災』(第一巻)、型厭、岩波灘店二○○六年一二月、四○三-四○六頁参照南原繁「政治哲学序説」、「南原繁著作巣』(第五巻)、岩波濟店、二○○六年一二月、一一○’一一一頁加藤筋『南原繁』、亜爪、岩波襟店、一九九七年七月、一七九頁参照丸山典列「政治」、『丸山典列災」、(第七懇)、一九九六年三月、一眼爪、濃波謝店、二九二頁

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南原繁「政治哲学序説」、『南原繁著作染』(第五巻)岩波轡店、二○○六年一二月、一六二’一六三頁前掲徴、一六二’一六三頁南原繁「国家と宗教」『南原繁著作集』(第一巻)、璽凧、岩波書店二○○六年一一一月、三三五-一一一三六頁南原繁「政治哲学序説」、「南原繁著作集』(第五巻)、岩波書店、二○○六年一二月、一一一二頁前掲番、二八’三九頁参照 三二九’一一一三三頁参照二九三’二九七頁「国家と宗牧」『南原鵬耕作姫』(第一巻)、班爪、岩波僻店二○○六年一二月、三三四頁

「テーマとしての「国家と宗教E『聖学院大学総合研究所紀麺筐(第陥号)、聖学院大学総合研究所、一九九九年、八六I

参照

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