﹃ 直 指 伝 ﹄ 翻 刻 と 考 察
1 ﹃ 三 冊 子 ﹄ を 視 野 に 入 れ つ つ の 再 評 価 ー
復 本 一 郎
置指伝﹄なる俳論書がある︒安永甲午(三年)五月の紫江坊栢舟の序︑同年同月の二柳庵三四坊の蹟を付して︑
安永四乙未年(一七七五)正月に刊行されている.出版書騨は︑京寺町二条下ル町.野田治兵衛︑江戸室町三丁目.
須原市兵衛・大坂心斉橋南壼丁目右原茂兵衛の三書讐合梓)である︒従来﹁﹃三冊子﹄か︑b剰窃した跡が多い﹂
(昭和三+二年刊﹃俳糞辞典﹄の尾形仇氏による﹃俳謹指伝﹄の項)︑﹁大半は﹃三冊子﹄からの到窃である﹂(平
成七年刊﹃俳文学大藍ハ﹄の東聖子氏による﹃俳譜直指伝﹄の項)等︑その評価蛙.同くない︒小稿では︑特に﹃三
冊子﹄とのかかわりを視座とすることによって︑俳論書としての﹃直指伝﹄の再評価を試みんとするものである(結
論を先取りして述べておくならば︑本文の正確さ︑内容の的確さにおいて︑﹃三冊子﹄解読に資するζ﹂ろ︑すこ
ぶる大であると言えるのである)︒
ちなみに・板本﹃三冊子﹄は︑安永五丙申年(一七七六)の半化房閲更の序を付して出版されているが︑刊記は
1(Zoo}
記されていない.出版童日覆︑江戸.西村源六︑伊州・内神屋三四郎︑京・井筒屋庄兵衛・野田治兵衛・西村市郎
右衛門︑士︑田九郎右衛門の奎臼攣ある.野田治兵衛は︑置指伝﹄と﹃三冊子﹄の両書の出版にかかわっ三るわけである.ただし.︑の安︑永五年版(あるいは︑刊行は︑六年か)三冊子﹄の板木は︑﹁為謎祝融唇所奪ハ・﹂(瑞
馬の蹟文参照)︑すなわち︑板木が火災によって焼失し︑享和元年(一八〇一)辛酉春︑再刻版が・生々庵瑞馬の蹟文を新たに付して刊行され︑.︑の書が大いに流布したのであった.享和版三草紙;三冊子﹄)の出版書讐・大坂心斉霧.奈良屋長兵衛︑京寺町押小路上ル・謹治兵衛︑井筒屋庄兵衛︑同三条寺町西江入.菊舎太兵衛の四皇嗣騨である︒享和版は︑安永版を板下として︑か襟せ醗したものである︒
すなわち︑三冊子﹄が板本によって流布したのは︑まずは安永五年(}七七六)︑ないし六年のことであり・置
指伝﹄の刊行よ2両年遅れているという.﹂となのである.ということは︑﹃直指伝﹄は・﹃三冊子﹄の内容の一部を︑剥窃か否かはしばら藷≦﹂とにしても︑いちはやく不特定多数の読者に伝えたということであり・この一点
のみにおいても︑+分に評価されなければならないのである.加えて︑その本文︑内容がいかに三冊子﹄の解読に有効であるかを︑本文の翻刻︑紹介の後に述べてみることにしたい︒
糊擁だって︑板本置指伝﹄皇.畢私の架桑によって簡単に記して畜.﹃直指伝﹄・半紙本(雛三.
一糎︑横+五.九糎二冊︒序二丁︑目録二丁︑遊び紙二丁︑本文三+丁︑竺丁︑刊記・表紙は・櫨だ色に芭華だいせん
の 空 押 し 爆 ︒ 馨 は ︑ 中 央 に 紅 梅 色 後 鷺 枠 無 し 短 冊 (縦 + 五 糎 ︑ 横 三 三 糎 ) で 貼 付 墨 書 ・ 置 指 伝 全 L ・
内題﹁俳譜直指伝﹂︒そ.﹂で翻刻であるが︑翻刻にあたっては︑表記を原則的に現行の字体に改め︑筆者によって句読点・濁点・振り
仮名︑傍占⁝等を施した.原本にも︑一部に濁点︑振り仮名が施されているが︑それらと私に施した濁点・振り仮名
(199)2
国 際 経 営 論 集No131997
との区別は︑煩雑さを避けて︑ 便宜︑私に通し番号を付した︒ あえてしなかった︒ただし︑片仮名の振り仮名は原本のものである︒章段の頭に︑
一 ﹃ 直 指 伝 ﹂ 本 文 の 翻 刻
直 指 伝 序
マシロシアメウシいでや︑物の多く類ひせる中にも︑扶石は︑玉に似て︑玉にはあらざる也︒薫牛の黄なるは︑虎に似て︑虎にはあ
クサおのおのらざるなり︒才は人をもて殊なれば︑はせをの翁の示し給ふける種くのこと﹀ひも︑門人各みつからのかうがへ
まじヘモへを雑て録し︑己がむき/\の家のつたへとなせばや︑村肝の心のくまの百くまを︑かぎろ火のほのかにも︑翁の書
くだりあめには似て︑翁の意にはあらざるなり︒しかしてより︑後の人は︑才降︑世推遷て︑編る書ども沢にありといゑど
すくなも︑見るにたる物鮮し︒さればこそ翁の伝へ給し書︑且ッ自ら著し給ふ書は︑いと得がたく︑誰も見まくほしきわ
このおかよむざなれ︒此一巻は︑みちのく須賀川てふむややちなる晋流のひめ置れしを︑僕が若かりし年ごろ︑読ことをゆるさ
ウツれ︑伝へ謄し侍りぬ︒普流は︑其角の門人なり︒晋嬰云︑この書は︑翁世にいまそかりける時︑其角︑嵐雪がとも
ときききうちがなほさづけがらに︑口つから説給ふ事どもを聞得ることの差ひもやすると︑猶うらもとなくおぼし︑みつから書して授給ふ︑
ツテゴトとなり︒それよりこのかた梓に行はんとおもひしかど︑晋隻の伝言といへども︑己がをうかなる意もて極めかね︑
ウカそしりタヅキここアマタヘヒ且︒あだし名を︑佑の識をはちしらひ︑跡状もしらに年を経ぬ︒愛に我友二柳庵︑この書を読こと数回︑かくて云︑
このカラスサミ此書は文の髄を飾らず︑また其︑嵐の二子の口実にあらず︑心まめやかに︑清き水の流れて︑石をあらふがごと
あつさし︒翁の自ら筆をとらして︑記したまふに疑ひなき物なり︒をしむべし︑玉を渕に潜めんことを︒我請.得て梓に
ちりば鎮め︑同じ志なる人/\おしひろめん︒此端を記せよと︑あやに求めらる︒僕︑文に拙く︑いなめども︑ねもごろに
『直 指伝 垂翻 刻 と考 察
3(198)
ヘトもハヤヨスガこのナツキ吹挙せば︑げにや晋嬰の意にもかなはめ︑と庵主の言を因処として︑終にうけひにたり︒此書︑もと標題を記され
ならタへず︒巻の中に直指の文字もあれば︑素書に傲ひ︑こを直に題目として︑伝来の由縁を︑聞るま〜にしるすことしか
なり︒
安永甲午五月紫江坊栢舟誌
圃
俳 譜 直 指 伝 目 録
1
2
354
76
81110 9
変 化 之 事
俳 譜 濫 膓
連 歌 の 式 権 輿
俳 譜 字 義
変 風 俳 譜 の 弁
誹 言 の 弁
心 の 俳 譜 詞 の 俳 譜 の 弁
俳 譜 式 の 事
恋 旅 の 句 の 事
本 歌 用 捨
本 歌 を 取 と 証 歌 に 引 と 差 別 の 事
(197)4
国 際 経 営 論 集No.131997
1918171615141312
輪 回 の 事
等 類 の 事
切 字 の 事
文 章 の 事
句 合 判 者 の 事
懐 紙 表 裏 用 捨 の 事
一 巻 句 容 の 事
賦 物 の 事
俳譜直指伝
芭蕉庵桃青述謂鴎埆瀟諜
1変化の事
大をいへば天地の変化︑小をいへば人間の盛衰︑俳譜にも古今の変化あり︒一巻は小天地の変化にして︑百韻百色
なりにかはり︑流行する也︒文章といふも変化の上手にうかぶをいふ︒或は虚︑或は実︑自在に優游す︒歳次に寒暑な
きときは︑陰陽欝滞して万物生ぜず︒食物も五味を和せずば︑人をやしなふ事あたはず︒人の行事も僻ごとあるを︑
調諫せずば和する事なし︒左伝に斉の曼子の和と同との格言あり︒はいかいの一巻もかくのごとし︒人よき句をせ
ば︑やり句にて変化すべし︒ひたぶるに変化することにもあらじ︒年中の変化の毎年同じきがごとし︒強て奇異を
もとむべからず︒
『直 指伝 』翻 刻 と考 察
5(196)
らんしやう
2 俳 譜 の 濫 膓
オガミメカミオノコロシマまつウマシァヒ俳譜は︑歌なり︒歌は︑天地開關の時よりおのつからあり︒陽神陰神︑畷駅盧嶋に天降まして︑先陰神︑喜哉遇コ可
ヲトコヲトメとなへ美少男一と宣ふ︒陽神は︑喜哉遇コ可美少女一と唱給へり︒是は歌としもなけれども︑心に念ふ事︑言に出る所は︑
すなわちなりすさのをのみこと則歌なり︒故に︑是を歌の始とする也︒神代には文字の数もさだまらず︑人の世となりて︑素蓋鳥尊よりぞ三十
なりヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘへ一文字となれると也︒猶︑古今集の序を見るべし︒素蓋雄尊は︑天照太神の兄なり︒女と住たまはんとて︑出雲の
ヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘへ国に宮造りし給ふ時に︑其処に八色の雲のたつを見てよみ給へるなり︒
八雲たついつもやへ垣つまこめに
やへ垣つくるそのやへがきを
ヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘへやまとたけのみことヘヘヘヘヘエゾヘヘヘヘヘヘヒタカミクニヘヘヘヘヘへ日本記を按ずるに︑景行天皇四十年冬十月︑日本武尊東征し給ふ︒蝦夷すでに平らぎ︑日高見国より帰り給ひ︑
ヘヘヘヘ
ヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヒトモヘヘミケヘヘへもつてサムラヒヒト常陸を経て︑甲斐に到り︑酒折の宮に居たまふ時に︑挙燭して進食せらる︒この夜︑歌を以侍者に問て日へにひ
モロくサムラヒヒトヒトモシうたひばりつくばをすぎていくよかねつる︒諸侍者︑答る事あたはず︒時に乗燭者在て︑御歌の末に続て歌て日へか・
ヘヘヘへ
すなはちヘヘヘヘサトキヘヘヘヘヘヘヘアツヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘへこれなべてよにはこ﹀のよひにはとをかを︒即乗燭人の聡明ことを誉給ひて︑膜くめぐみたまふ︒釈日本紀に云︑是連
歌の濫膓なり︒
業平︑伊勢国かりの使の時に︑斉宮︑
かち人のわたれどぬれぬえにしあれば
といふ句に︑
またあふ坂の関は越なん
ヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘへ其盃につい松のすみして歌の末を書つけるとなり︒是等は︑正しき連歌のはじめなるべし︒
(19S)6
国 際 経 営 論 集No.131997
けんよ
3 連 歌 の 式 の 権 輿
セウリン後鳥羽院の御宇︑禅阿弥法師小林︑連歌の去嫌︑其外句の法式を作れり︒
ヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘへ目を為家卿作りたまふ︒禅阿弥の作れる法式は聯句の法より取しとなり︒ ヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘへ其後九十年ほどへて︑建治二年に連歌式
4 俳 譜 字 義
なリマザつけ黄門定家卿の云︑利口也︒物を証むきたる意成べし︒心なき物にご﹀ろを付︑物いはぬものに物いはせ︑利口した
る体なり︒
タハムレヤワラグ韻学などにも︑鄭啓が詩語︑多く俳譜といへり︒俳は戯なり︑譜は和なり︒唐にもたはれて作れる詩を俳譜といふ︒
ヘヘヘヘヘヘヘヘ
ヘヘナメラカなリヘヘバカルナリヘヘヘへなりヘヘヘノミクチヘヘへなりヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘへ滑稽とは︑滑は瀦也︑稽は計也︒酒器の名也︒和語の母口のこと也︒滑稽︑猶俳譜ともいへり︒漢の東方朔︑本
なぞ朝の一休和尚など︑其人なり︒古今集にざれ歌を俳譜と定む︒是に准らへて︑連歌のたゴごとを俳譜之連歌といツラネウタ
ふ︒
5 変 風 俳 譜 の 弁
タハル世に俳譜といふことはじまりて︑代く利口のみに嬉游る故に︑其名世に高しといへども︑如何にぞ世人詞のみを
いるあそぶかるもつてかしこき道に入べけんや︒予︑この道に游こと三十余年︑初て其実を得たり︒名は往昔の誹諮を仮といへど
︑︑猷の︑︑︑︑︑︑︑も︑心は往昔の俳譜にあらず︒されば︑俳譜の名は伝はりて︑其こ﹀ろを用ひず代/\空しく推遷ることは︑いか
ヘヘへ
ここヘヘヘヘヘヘヘヘモトメヘヘへまたヘヘヘヘヘサトへにそや︑愛をもつて予常にいふ︑俳譜に古人なし︑と︒去ながら︑古人のあとを踏て覚ざれば︑復変風の理は識し
ヘヘへこのタメヲソルがたし︒今おもふ処の境にも︑此後何人か出て是を擁ん︒我唯後世を畏るなり︒むかしより詩歌に名ある人多し︒
7(194} 『直 指 伝 』 翻 刻 と考 察
皆その実より出て︑実をたどるのみ︒我は実なき物より実をもとめんと思へり︒8
鋤06俳言の弁
なりをさむおけ連俳元↓つ也︒意詞ともに連歌あり︑俳譜あり︒心は連俳に修れども︑詞は連と俳とに別れ︑昔より沙汰し置る事餅
︑‑よヘヘヘヘヘヘヲンへすべなりへなりどもあり︒俳言といふは︑音にいふ物は都て俳言也︒連歌に出る音の物もあれども︑俳言也︒屏風︑几帳︑拍子︑13
律の調子の類︑例ならぬ︑胡蝶の類脇︒千句連歌に出る鬼︑女︑龍︑虎︑期蠣千句物の詞は俳言なり︒連歌に嫌ふ翫
こと葉の桜本飛梅︑雲の峰︑霧雨︑糠︑門出︑浦人︑賎女などの詞︑無言抄にも紹巴の聞書にも余多見へ侍る・隷
営かやうの類皆俳言なり︒経際国
7心の俳譜詞の俳譜の弁
名にめで︾おれるばかりぞおみなへし
おちわれ落にきと人にかたるな
このよめヘヘへなリへ此歌は︑僧正遍昭︑嵯峨野にて落馬しける時読るなり︒古今の俳譜の手本也︒詞いやしからず︑心のざれたるを上
・・︑︑︑なり︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑叡りの句とし︑詞のいやしく︑心のざれざるを下の句とする也︒こ︾ろのおかしき体は︑俳譜本意也︒又往古の俳譜歌︑
いり雑体余多あれども︑まめやかにおもひ入たる体は︑
思ふてふひとの心のくまことに
立かくれつ︾見るよしもがな
冬ながら春の隣のちかければ
中垣よりぞはなは散ける
なりタニシとる又日︑春雨の柳は全体連歌也︒田螺取鳥は︑全体俳譜なり︒
春雨に嶋のうき巣を見にゆかむ
ゆかヘヘヘヘヘへといふ発句は︑こと葉に俳諸なし︒浮巣を見に行む︑といふ所が心の俳優なり︒
霜月や鶴のつくん/\ならびゐて
冬の朝口のあはれなりけり
なりといふ脇句は︑心詞ともに俳譜なし︒発句をうけて︑一句のごとくいひなしたる所が俳譜也︒はいかいは心にあり︑
ありこのこと葉に有︑此句のごときの類︑作意にあり︒一條におもふべからず︒
ヘへなりヘヘへなく又日︑詩歌連俳ともに風雅は一也︒詩歌連のいひ余すこと葉迄も︑俳はいはずといふ事なし︒花に鳴うぐひすも︑
ころとびこむ餅に糞する橡の先とまだ正月もおかしきこの比を見とめ︑水にすむ蛙も︑古池に飛込水の音といひ放して︑草に荒
ヘヘへとびいるヘヘヘヘへたる古道の中より蛙の飛入響に俳譜の実情あり︒
8 俳 譜 式 の 事
ならなり俳譜の式は︑連歌の式に致ひて︑先達の沙汰しけるなり︒連歌に新式あり︑追加ともに二條摂政良基公の御作也︒
なりヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘへさる今案は一条禅閤の御作也︒この三つを一部としたるは︑肖柏の作なり︒連に四とある物を︑俳には五とし︑七句去
なり物をば︑五句去とし︑俳譜なれば万事やすくとさたしけると也︒今案の追加に漢和の式あり︒是を大概俳譜の法
式とむかしよ雲矯践鵬︒貞徳の鋤傘︑場粥世に多し︒是等の式︑信用しがたき事も郁︒佛無副といへるあり︒大様
よろし︒去嫌もなくては︑調ひがたし︒自門にも一書あれかしといへるものもあれども︑慎むべき所なり︒法式を
『直 指 伝 』 翻 刻 と考 察
9(192)
そのたてその定むるといふことは︑甚重キことなり︒されども花の本と称せらる︾上には︑其法立ずしては︑其名の詮なし︒代く
に欧数蓼か暮︑世人夢用ひざるは︑何の故そや︒私に法を作りて世人に是をまもれとは・恥べきの事脇・蓋
詳事は︑時宜にも傑べし︒箔は大かたにして・藍なり・もし志ある門弟子は・直指の趣を戴して・霧に自門の
なる法ともなさば成べし︒
9 恋 旅 の 句 の 事
つけひろはあつめおきヘヘヘヘヘヘへ恋の句︑昔より二句付ざれば拾ず︒むかしの句は兼日に恋の詞を多く集置︑その詞をつゴり︑句となして︑こ﹀ろ
の恋をば陽ざるなり︒恋は別して大切蟹︒作意易からず・宿黄宗劒・宗祇の頃迄・三句にて鵡事あれば・期例
このおくなきにしもあらず︒此後︑門弟子議して︑一句にても置べきか︑又︑前句恋とも恋ならずともさだめがたき句ある
時は︑かならず恋の句を付て︑前句ともに恋に取曙べし︒かやうの時は・臨句のみにして・其次は恋句を付る臨灘
わけそのべからず︒新式にもこの御沙汰あり︒しかれども︑恋句は分て其座の宗匠に任すべし︒
ひろひ旅の句︑連歌には三句つゴきしかども︑二句にて拾てよし︒神祇︑釈教︑恋︑無常の句︑旅にて離れし所多し︒当
この流には旅︑恋難義にして一トふし此所にあり︒連歌の教には︑旅体の句︑たとへ田舎の句なりとも︑心を都に通は
し︑山坂を越淀の川船に潔心もち鶴て︑都のよすがをもとむるこ急などを本意とすべし・と鵬・霧砂心簾・
ヘヘヘヘヘヘヘへ少しく趣意異なり︒たとへば︑東海道だも見ざる人の風雅は覚束なし︒
10本歌用捨
新式目日︑新古今以後の作者を用ゆべからず︑となり︒八代集は古今︑後撰︑拾遺︑後拾遺︑金葉︑詞花︑千載︑
国 際 経 営 論 集No.13ユ997 (191}1Q
なり新古今これ也︒
とるほかいら新勅撰︑続後撰二代を加へ︑十代集を本歌に取︒又︑堀川両度の作者︑上の十代の外たりとも︑仮令︑集に入ぬ歌
なりとも・作者の吟味郁てもちゆ・となり・後普光恩院の近代風躰に︑購義には︑堀川院の喜までを聴べし︑
このまうしたゴし︑今は金葉︑詞花︑千載︑新古今などをとりたらんは︑何か苦しかるべき︑此分︑古左府へも申侍るなり︒
なり連歌には︑新古今迄をも取也︒証歌には︑近代の歌よみの歌をも用ゆるなり︒定家卿詠歌大概に日︑詞不レ可レ出二
三代二︑先達之所レ用︑新古今︑古人之歌可二同用は之︒
11本歌を取と証歌に引と差別ある事
新式昌・人蕪撃しらざる歌をば・簿にこれを好むべからず︒ことに依て証歌には評ゆべし︑となり︒本歌
を聴といふは・古歌の詞を職合せて儂るをいふ・証歌は︑.聡.違ひあり.或は一句の余情或は名所等に響たる物
つくを付るをいふなり︒証歌は︑いつれの集にてもあるべき事なり︒
12輪回の事
新式に日・馨のなどの句に・こがる主佛て︑又︑紅葉を債べからず︒舟などを債べし.こが螢といふ宅か
つけつけはる故なり︒或説に︑夢といふ句に面影と付て︑又︑月花を付る事︑面影物といふて︑近代これを付ずいといへり︒
更 に 馬 ︑響 し ・ 曄 以 き ら ふ べ か ら ず ・ 又 ・ 花 の 郁 郁 に ・ 風 と も ︑ 霞 と も 付 て ︑ 又 ︑ 勢 募 億 財 螺 か 字 ︒
つけふたたびたとへ句数を隠といへども︑一座にこれをきらふべし︒他︑これに准ず︒又︑竹といふ句に︑世を付て︑再竹の句
い つ る 時 夜 の 字 を も 債 べ か ら 冤 鰍 の ご と き 類 は 態 轍 陣 な り ・ 又 ・ 嵐 と い ふ 句 に ︑ 山 を 解 欝 に 富 士 な ど 佛
『直 指 伝 』 翻 刻 と考 察
11(190)
とりなしやううちこしかへれば︑取成様にて打越に返るなり︒ れ遠輪回なり︒ よりこれらの類を嫌ふ︒他︑これに准ず︒一巻の中に似寄たる句をきらふべし︒サ﹂
13等類の事
等類は︑固く犯すべからず︒他の句より︑箔襟に我句籍なる事をしらぬものなり・よく思ひ分て味ふべし・親
我句に障る他の句ある時は︑かならず我句を戻るべし︒趣向に表と裏との事あり︒句にもよるべしとはいひながら︑
大 や う 轡 て 等 類 に な さ ず 職 べ し ︒ 古 き 連 歌 に 愈 は ぬ 方 に ち ら す 濃 彰 と い ふ 前 句 に 苗 か ぜ の 枝 な き 花 を お く
つけるらむ︑と付たり︒この句︑山風の枝なき花を送ること︑全く散たる体にて︑前句と同意の連歌とて︑嬬頃さたし
けるよし︒また︑
都をば霞と﹀もにいでしかど
あきかぜぞふく白川の関
みやこにはまだ青葉にて見しかども
ちリメ紅葉散しくしら川の関
この歌往昔より色を分ちたる作意に依て等類を謝れたりといひ伝ふ・さも麓べし・稜に憶ふに・醤鞍快卯
月の頃みやこを出て︑+月のころ白川㌫恥紅葉の轡きたるを見て︑能因法師の歌を思ひ出し・馬歌の妙絶をい
のがよ/\感得したるといふ意より詠ぜし歌なるべし︒これにて等類をよく遁る﹀といえり︒
(189)12
国 際 経 営 論 集No.131997
14切字の事
きたしるしなりむかしより用ひ来る文字をもちゅべし︒連俳の書にくわしく記てある事也︒切字なくては︑発句の姿にあらず︒付
きれ句の体なり︒さりながら︑切字を置ても︑付句の姿あり︒誠に切たる発句はすくなし︒定まれる切字はなくとも︑
きるそのそのしり切る句あり︒其分別︑切字の第一なり︒其位は︑自然と発明せざれば知がたし︒猶伝法あり︒
あこくその心はしらず梅の花
いるカタハラヘヘヘヘヘへきるといふ発句をして︑切字を入る事を按ぜしに︑傍にありし其角いへるは︑この発句は切字なくても切るやうに侍る
きるいれなりヘヘヘヘヘへなり︑といふ︒いかにも切るなり︒たしかに入たる切字なれども︑初心の人のまどひに成侍るべし︒これらの切字
ヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘへたしなは︑初心を教る法にあらず︑まして︑させる事もなき句は︑その発句をおもひとゴまるとも︑常に嗜むべし︒
15文章の事
そうみやうユイライナイかきこれかき惣名を文章といふなり︒○序に︑由序︑来序︑内序の三体あり︒由は起るよしを書︑来は是より前の事を書︑内は
そのかくこのかく其書の中の事を書なり︒此三体を一つにして序一つに書事もあり︒○践は︑ふみとゴむるなり︒序あつて後の践な
かくかくなりフミくはしくり︒序も︑践もその書所は同じ︒践は︑序より猶くわしく書べきもの也︒蹟とゴまりて委するの意なり︒序践とも
かくなりかくヘへかくヘヘツイに年号︑月日を書事也︒○文章に五字︑七字と書は︑長歌の格なり︒五七三など︾地盤の詞を乱に書には︑或は対
おきおくヘへおくなりある処には︑かならず対を置︑或は故事を置ときは︑故事の対︑野山︑水辺︑景形等いつれも対を置事︑同前也︒
ことばがきそのアヤその○詞書の書法︑和文には習ひなし︒漢文には其斐もある事のよし︒○記は︑其物を記すの意なり︒その格は︑序蹟
そのなりそのちがひに同じ︒意の違ひのみなり︒o銘は︑其物に銘する意也︒其格︑前に同じ︒本意の違のみなり︒o賛は︑ほむる詞
なりかくなり︒讐ば︑山吹に発句する時は︑山吹をほめて賛する也︒凡︑文章は︑四文字ノ\に書こと大形の格なり︒
13(188} 『直 指 伝 』 翻 刻 と考 察
16句合判者の事
かくいふカハヅアハセシカ衆議判と書は︑連中会合して詮議︑批判するを云なり︒蛙合︑衆議判の格なり︒故に︑判者も碇となし︒本判といかならずかくかつこれ︑︑︑渉︑ふは︑判者︑必序にても︑践にても書なり︒且又︑句引までも付るなり︒歌に歌合あり︒是に格を敷ふ︒即興の判
たてありききあり︒兼日の判あり︒即興の判は︑左右に文台を立て︑判者あり︑難陳有て︑判者これを聞︑それにもか︾わらず︑
かくなり判を書也︒巻頭は︑多くは持のものなり︒
17懐紙表裏用捨の事
さり百韻︑本式なり︒以下︑五十韻︑歌仙等は︑皆撮略の義なり︒連歌の古式は︑表十句︑名残の裏六句︒月七句去︑
ありかならずかく花裏表に一本づ︾有︒表の中に必名所一句あり︒今も清水連歌は︑斯のごとし︒古法表十句の例をまもりて︑八句
の後︑二句過るまで表に嫌ふもの﹀類を︑連歌にはいまに到る迄せず︒俳譜には許すべきか︒連歌に龍︑虎︑鬼︑
女︑さし出たる類は︑表のうちに嫌ふ︒俳譜にも鬼女はなりがたし︒龍︑虎は︑苦しからずとなり︒去ながら︑句
なしほかころすキルシバすぐの主には成がたし︒その外︑人を殺︑斬︑縛る等の類︑用捨すべし︒是等は︑百韻中一句に過べからず︒或問︑恋
たていはタトヒの詞︑述懐の類︑祝言にいひ立たる句は︑表の中いかゴ侍らん︒答て云ク︑句に依べし︒文字は苦しからず︒仮令
祝言にいひなすとても︑人の上にいふは︑いよノ\述懐なり︒花の淋しきの類は︑苦しからず︒崩れし壁にさがる
そのほかゆふ顔などは︑全く貧家を移す句なれば︑用捨すべし︒他人の句は︑省むまじ︒又問︑恋︑無常︑其外︑表に嫌ふ
もちかり故事︑本説を下心に持て自地にいひ顕はさず︑他の物のうへに仮用ひたるなどの句の類は︑如何侍らん︒答て日︑
よるヘヘヘへきらふ大かたは表にきらふべし︒事にも依べきことながら︑いつれとてもかならず嫌なり︒たとへ詞に出さずして︑内心
もちキヨキタナシに嫌ふことを畜たるは︑作者浄からず︑心汚稼︒一向うち出ていひたるかた然るべし︒されども表にあらざればく
(187)14
国 際 経 営 論 集No.131997
るしからず︒表に打出せといふにはあらず︒又問︑古今の人名︑表に出す事如何侍略ん︒答て日︑今の人名は慎むかなちず
べし・古人の名は・ものによりて苦しかるまじ︒されども︑このみては無用なり︒必きらふべし︒猶︒伝あり.又
ヘへ
問 ・ 懐 紙 に 恋 句 な く て は 叶 は ざ る 頴 .︑ 漏 好 畠 耀 協 に . 笠 . て 日 ︑ フ︑ の 事 は 至 て 大 切 の 事 な り ︒ 懐 紙 に 恋 句
を 大 切 に 竪 る 事 は ・ 神 代 陰 和 合 欝 郊 却 罫 婁 離 翫 い ︑ 静 な り . 恋 な ‑ て は か な ひ が た き 事 な り . つ ︑
しむべし︒
プリー8一巻句容の事
↓喬露σ暮レ・一歩もあとへ帰るべからず.行晦ひ意のあらたまるは︑嚇前へ欲こ急なればなり.
発句の事は二座の巻頭なれば・初心は遠慮すべき毒八雲御抄に舞沙汰あり.句魯も錨膏︑盤しきを
すべし・とむかしよりいひ伝ふ・羅の発句は︑響襲よしとす.時代に農べき事にや笹りん.隻日より新宅
の会には・警雄るなどの火の噂追悼に離き道︑迷ふ道︑羅︑隙婚る︑沈む︑浪風等の類︑忌揮るべき
心づかひあるとなり・五体不具の噂︑座に纂事おもひめぐらすべし.発句にかぎらず︑その︑心もちあるべし.
脇句は・帝主の作ること・往昔よりいひ伝ふ.しか無︑首尾にも依べし.客発句とて︑徒日は︑かならず客より
斯房検募発鉱出鳶脇蓉るがごと‑うけて︑蓼拶を郁侍りし毒.雪月花の事のみいひたる句にても︑
そのほか
挨拶の意なり・発句塞に渡る景物のいつる時は︑脇句にて当季を定むべし︒発句に神舐︑釈教︑其外一事面あきどりいつぺん
る時は・脇句もそれに応じて債べし︒たとへ詞に出さずとも︑心にはあ漢毒︒水祝ひなどの季取一遍なる発句に
は・脇句に恋なくても鶴べし・発句に農べし・繰︑讃.佛︑撫郁︑擬佛︑畿の類︑むかしよりいひ伝ふ所とま
なり・篁・発句をうけて・つりあ仇麟打添て付るをよしとす︒句中に作意を好む事あるまじ.留り字は︑韻字
15(186) 『直 指 伝 』 翻 刻 と考 察
甲NrM酬脚開隔隈 踊 陛1馳榊 軸 胡細4‑
一
の 脇 り よ う 誓 す べ ﹄ 手 称 驚 自 然 に 萱 亙 募 慧 い で ︑ 応 慧 勢 童 塁 島 句 忠
得べきは︑先発句出ると︑能聞しめ︑させる事なくとも︑脇蔚か可葱を腰幡ナ様に検掛いで蔚い︒鰍朧ふせず・心
なりとずかざれば︑無礼にして︑無下なる事也︒留を韻といふは︑文字にて留るゆへ擶︒聯句の脇句は・対鵬︒蝪格にならひどめ傲て韻字留といふ︒
第 三 は ︑ 瀞 に て も ︑ 転 じ て 欝 膏 す べ % 古 法 に は 霞 り の 事 沙 汰 な か り し に ・ 婁 宗 祇 の 頃 よ り の 格 式 な 塊
疑 ひ の 切 字 あ る 発 句 の 時 は ︑ 第 三 ︑ 鳳 字 に 騨 疑 ひ の 句 は 二 句 去 ゆ へ 埠 窪 ・ 疑 ひ の 躍 字 な 儒 句 中 に 押 へ 字
あり︒や︑か︑何︑いつの類︑諸書にいへるがごとし︒又︑句に依て押へ字なくても躍る事もあり︒}字躍なり︒
を ら ん ︑ ち ら ん の 類 博 発 句 議 の 時 は ︑ 第 三 に 藷 せ ず と も い ひ 伝 ふ ∴ 籏 饗 の か な な る 故 に せ ず と 噸 は な の
かなかなへさ か り 趨 月 の 光 趨 の 類 な り ︒ 盛 に て ︑ 光 に て ︑ と い ふ に か よ ふ 故 鶴 ︒ に 急 蓉 か に 照 客 い か 家 ・ に て
麟 は ︑ 嫌 ふ べ し . 文 臨 素 羅 蒼 郁 古 法 の 相 伝 萱 一 説 に ・ 古 書 貝 籍 韻 字 麟 故 に ・ 第 三 ・ 文 字
麟 並 ば ざ る 様 榛 奪 誇 柔 臨 な ら ば ・ 第 一二 ・ 文 字 舞 い ふ ・ 愚 暫 悪 蓉 様 伽 払 日篠 難 の 如 き は ・
毒 達 人 に あ り . 忽 緯 の 臨 を よ し と 霞 鳳 こ の 道 の 習 ひ 噸 第 三 は 転 ず る を 専 と す れ ど 蔑 脇 の 句 に も 依 べ し ・
とりなしヘヘヘヘヘヘへ脇句︑違付︑取成付等にて︑発句に離る時は︑第三転ずるにおよばず︒第三転ずる由来は︑発句・神舐・釈教・恋・
無常等の句なれば︑脇もそれに応ずるゆへに︑第三㌫黙これをかならず転じ・離れて付ることなり・
四句目は︑往昔より四句目ぶりなどいひて︑やす/\と軽きをよしとす︒重きは︑四句目の慨にあらず︒脇とひと
しく︑句中に作意をもとめず︑故事︑本説などを嫌ふ事なり︒又︑四句目にて春秋の季を続け︑月花の句を付る事・
かならずあるまじき事なり︒
らん五句目︑七句口の事︑三て五覧など︑いふ古説あり︒七句目も同じこ︾ろ得なり︒第三後は︑一順に上の句を賞翫
(185)16
国 際 経 営 論 集No.131997
ぜ
どめはねどめ
とす・中にも月の座は・名ある所なり.老者に甥べし︒表に同字を嫌ふも︑懐紙を嗜む故なり︒て留︑反留は︑句
法の一体︑表道具なり︒
うゑッカユル初裏墨︒ては・四春八木とて︑連歌に古説あり︒四句暮を出さず︑八句旦.同き栽ものを出さず︒花に室る遠慮な
り・誹諮に撫心得脇・他の句は・返すに及ぼず・春季出なば︑花を債べし.夢雅しの花といふなり.萎削その
句に秋句を遠慮すべし・恋の句の花はむつかしき轡て連歌は秘して︑前句よりつこむとなり.誹譜は︑其さた
なし︒・まれへ
月の定座をこぼす事・五+句より内には夢からず.奥墨︒て︑詠折悉幡すこし興にもなるものなれば︑希になリへ丹をひ掌響強・慰喬ぞ寒い︒歌仙には︑跡を︑濤罫︑くるしかbず︒元来︑略式なるが故也.月
露宵の字も・有明もさし合たる時は︑異名にてすべし︒実名のしかたは︑人くの作立田だあるべし︒月は︑上
つつしの句を賞翫とす︒落月︑無月の句は慎むべし︒時にも依べし︒法にはあらず︒
すあき星月夜は秋季にて・賞翫の月にはあらず︒馨句に出る時は︑素秋にして他の季の有明などの句を出すなり︒月と
いふ字は・五句隔と新式に見へ奮.月二句表に稔に脅.この時は︑月数八つなり.名残の一畏は︑礪にも月なし︑縢
となり︒翻
花四本の内・下の句は一句ばかりなどあり.轡も定座をこぼす事なし︑となり.或は︑賞翫の花の句︑前句への酬
付意か・又・多句の意か・その実は梅・菊・ぼたんなどを下心にして塾正花となしたる句は︑静木にしたが随
ヘヘヘヘへあつかへ
ひ季をさだむべきか.或問︑正月に花を見る︑九月に花喋などいふ句は︑何と撤ふべきや.狡.て日︑正月の花は陽舖
春砂葵各掛か幡・予紐かい︒九月にはなさくなどいふ句は︑非言なり︒なき事也︒名木を隠して︑花といふ句はあ川
カヱー
るべし・花は桜のことながら・攣春花をいふ︒婁を正花にせずしては︑花の句多く出るゆへ︑反りて賞翫軽し.
宗舐時代迄は︑百句に花三本︑雨一つなり︒宗長の時に至て︑飛ひの花禾︑雨;・勅許魚魏り寒奏問せられ
て︑花四本︑雨二つには極り侍るなり︒
ヘヘヘヘヘへ
名 残 の 墓 順 も ︑ 初 裏 Q ︑ と く 軽 ぐ と あ る べ し ︒ 爵 蒔 蓼 忽 ︑ 各 縁 募 体 罫 案 ・ 句 並 を 追 に も 及 ば
ずとなり︒
響 は ︑ 筆 る が よ し ︑ と の 古 説 郁 ム ヱ 句 に な り ・ 餐 暦 い で 興 醒 る 毒 又 ・ 兼 て 案 蓋 と 会 り ・ 発 句 の
ぬししゆひつ主︑又亭主のす鴇にあらず︒はじめの顧に執筆の句なくば︑揚句を執筆にさすべし︒発句に麓文字を用ひず・
と な り . 想 続 ④ ど い 訟 〜 頓 ︑ 馨 馨 等 総 寒 会 総 紙 貧 ﹂綜 ・ 斯 幽 ・ 詠 薩 懲 鴬 ひ ・ 発 句 璽 毒 募 募 毎 象 所 墾 客 事 殊 ︒ 獄 み 陣 快 か 奮 歩 発 毎 に 雰 砂 倉 伯 徐 を 櫛 暮 ひ ・ 藤 σ
募 郵 麓 ︒ か ぶ 花 鯨 肝 慮 ︑ 陽 思 亭 恵 所 縁 か 嫡 雰 嘉 盗 毎 ひ 懸 通 蒜 を 慾 ひ 慕 か ・ 又 ・
塑 縁 裕 伽 可 画 蟻 募 裕 を か 所 里 か 都 ソど か わ ね ゆ 莇 幡 噴 舞 或 塗 聡 裕 を 舗 竺 添 ぶ 0 曲 琳 を ② 愈
ど わ ひ ︒ 常 掛 み 蟻 募 拍 0 句 か ひ 鞭 を 蜘 を ・み τ 仲 ひ ひ ど 替 独 ・ 斯 幽 0 寮 鴎 巧 音 に 所 里 掛 を ど み か ・ か
や み 妻 ︑ 変 億 い で ︑ 誌 雰 審 砦 歓 ぼ 畿 踏 い ・ 募 息幕 綜 ・ 稟 櫓 雰 曹 い 盆 愈
い ︒ 燐 か ⑫ 伯 ど 幡 ︑ 粛 0 会 に 称 声 邸 い ︒ 常 0 会 に 嫡 魯 殊 ㊧ 佃 b 称 か 小 レ ・ 獅 跡 伝 わ か ・
揚句の大事は︑鱗ひの花にて春季五句に灘るとも︑揚句にその季を放すべからず・たとへ春季六句に及びても孟
なり
季 を 続 く べ し ︑ と 也 . い つ れ の 季 に て も ︑ 恋 句 に て も ︑ 揚 句 は 蝪 こ ゑ へ は ︑ 鱗 募 葱 掌 襟 方 額 ・ 鞍 ︒ 麓
えある得有べし︒
(183)18
国 際 経 営 論 集No.131997
19賦物
﹁
..一.日.一.
賦物の権輿は・神道より出て・連歌にはこれを購︑神威を仰ぎ瀞しめたまふことのよし.籍はしからず.元来︑
平俗の言語にあそべば・句の轄も鄙事に多能なるも?故に︑揺錯雑清浄といふべからず.故に賦物を取.︑とな
きも・神秘を露しての毒と・先達既にいまし趣給へり.予これを仰義敬して︑騒を遠ざくるのみ.しかれ
ども・他門の交会愚へざるも︑飛礼を失ふことなり.知りて用ひざるは︑偏僻の識なからん.依て︑ありのす驚ひけ
びに・初学の耳にちかきを挙るのみ・言真理をしらず.かならずよ︑こ︑に引る句をよきといふにはあらず.唯︑
模様の雛形と思ふべし︒
上何何下一字露顕
二字返音三字上略同中略
同下略四字上下略五字上中下略
一字借音二字除偏同除冠
同他添ほかとるなり辮にも・薯・作意をいしなく取ことのよし.然れども︑一字轟の外︑俳譜には取べからずと也.凡︑俳譜
の賦物は・さだまれる峯あらざれば︑噸発句晦ひ何なりとも興ある孝をとるべし.両韻に通ぜざる文字を取
なりること也︒
上賦何茶
クサはつ花や目ざまし草の朝朗すべまぎら
これは・朝茶と賜たるなり・発句の中の朝といふ字を︑何と上舞たるなり.或説に︑樒て連歌に紛はしき文字を
とる取べからず︑といへり︒
『直 指 伝1翻 刻 と考 察
19082}
下 賦 餅 何
とりなり.﹂れは︑餅花と取たる也.句中の花の字を︑何と下急なり.右の二句にて上何・何下と取様准へてしるべし・
=子露顕
なげかじな寝ぬはうき世の子規
といリ.︑れは︑寝を立臼と取たるなり.句中の興字を=義て︑別の物に顕は毒.気を木・名を勲羽を歯に顕はす事・余は准へてしるべし︒
二字返音
籠で買そらねも高し時鳥
これなし田疋は︑句中のきすを返して杉と為たる也︒音を返すこと︑何によらず鰍のごとし・作意麓べし・
三字下略
メカス月は{つ影は眼数の詠め哉
日疋は︑句中のひとつのつの文字を略すれば︑人の字なり.上略︑中略︑四字上下略・拳上中下覧膜紫なり・別に取様︑引句に及ばず︒余は准知べし︒
}字借音
ヒタイ
白 雪 は 山 の 額 の 化 粧 哉
あ.疋は︑句中のけしやつのけ文字禽て︑毛と離しむるなり.句中の音を=喬て臨方に賦べき物の急騰くしる〜
ヨミきき様にすべし.訓に唱ふるものに聞しむべし.牽露に似た難︑音を僻︑藤に訓鍮どの差別なり・よく味ひ
知べし︒
国 際 経 営 論 集No.131997 (18D20
二 字 除 偏
龍 門 な ら で 都 へ の ぼ れ 鱈 の 魚
これは・句中の鱈の字を・偏を曝ば︑雪の字になる鶴︒或は︑松の字の木偏を除ば公になり︑明の字の日偏を除ば
このこころえなり月になるの類︑皆此心得也︒
同佗添
うぐひすやよむ歌毎にはね題目このほかよりなり是は・句中の毎の字に木偏を添れば梅の字になって︑鶯に似合しき文字になる也︒此外に︑猶作意に依︑いろく
の賦棚あり︒家/\の宗匠の流に依ては︑取様に違ひあり︒
ほかとる
一一 百韻の俳譜には一字露顕の外取べからず︒とるなり凡︑賦物︑神祇︑賀鑓︑追福等の座興に取事也︒
とる賦物取様︑数多ある事は︑千句万句に取ときの古法なり︒常は取ものにあらず︒
千句発句︑数十句鶴︒春三句︑秋三句︑夏二句︑冬二句なり︒十句の中︑一句は名所あり︒又︑なきもあり︒
このみよる好に依︒又︑花の通題︑月の通題あり︒
あるもしとるとまメヅラシキ千句の時は︑習ひあり︒発句の切字︑脇第三︑各希奇︒切字も留り字も有べし︒若︑発句に賦物を取ときは︑
ありなし同じ賦に職べからず︒千句は伝授なき人有︒成がたし︒連衆も巧者を撰ぶべし︒
なり巻頭の発句は・たけ高き発句を本意とす︒鱗たる発句は︑かならず無用の事也.題も初春︑霞︑鶯︑梅の類
ゆめよろし︒めづらしくせんとて︑俗過たる題などは︑巻頭の発句に努くあるべからず︒
『直 指 伝 』翻 刻 と考 察
2i(1go>
㎜ 曲1醐 肖 脳 闘 酷 削旧㎜
一
蹟 ⑱
世尊︑金婆羅華を拮たまへば迦葉笑ひ︑夫子︑一貫すれば曽子唯す︒蛎書や︑むかし・はせをの翁・武の深川にい
ませしとき︑両の手に桃と桜の花を拮て︑其嵐の二士につたへ給ふけるよし︑誠に俳譜の正法眼蔵と謂つべし︒さこのまれそのあるれど︑此書︑世に稀にして︑其有事をだにしれる人なし︒然るに︑紫江老人︑壮年の頃︑其晋子のながれよりつた
へて︑久し鳶家に+襲せられしが︑罐かつて予に見る事をゆるされて・巻銃手のおくツ﹂とをしらず・つらーこれを隙するに︑誠舞文の淳朴なる︑蒙の親切なる・古翁の幾まがふべくもあらねば・あながちに簿て・
これを梓にし︑これを公にせんとす︒さは︑翁の騨尾に付て名望を世に求めんとにはあらず︒これた穿翁をしたふ
あはて翁に逢ざる同志のために︑いさ︑か利益せんとするのみ︒これをよまん学者︑何ぞ翁に逢ざるを恨とせん︒巻中
そのうんあうなを口伝多し︒伝あらば︑正に其纏奥を得ん︒惟告安永三甲午のとし夏五月某日
二柳庵
三四坊誌
圏
(179)22
国 際 経 営 論 集No.131997
二 柳 庵 蔵 板 陶 圏
安 永 四 乙 未 年 正 月
京 寺 町 二 条 下 ル 町
野 田 治 兵 衛
江 戸 室 町 三 丁 目
須 原 市 兵 衛
大 坂 心 斉 橋 南 壼 丁 目
石 原 茂 兵 衛
すじよう二﹃直指伝﹂の素性
まず・公刊携わった人々から解決しておくことにする.安永甲午三年.毛七四)五月の年口万︑日付で序を
書いている(本文捻﹁護ともに年号︑月日を勲肇鶴﹂と記されていることを導しているわけである)は雛
紫江坊栢舟である・栢舟については︑﹃俳文学大辞典﹄(角川書店︑平成七年+月刊)の加藤定彦氏蟄の宿舟L
の項によって・そのアウトラインを智得ることができる.生年は︑宝永四年(毛・七)の由.とすると︑﹃直指
伝﹄の序を書いた安永三年(毛七四)は︑六+八歳ということになる.享年は︑未詳の由.馬光門.序を摯し
た折は・大坂住・俳論書﹃鎌講﹄(明和五年序︑明和七年蹟)がある由であるが︑未見.序文と同じく安︑踏短
五月に竪を書いているのは三柳庵一西坊.これも︑﹃俳文学大辞典﹄を.攣︑田中道雄氏の執筆になる三柳L
の項によって・アウトラインを見てお≦﹂とにする.享保八年(毛二三)に生まれ︑享和三年(天︒三)に没
している・享年八+一・茜門・﹃直指伝﹄の践を書いた折は︑大坂住.田中道甕は﹁童日讐原茂兵衛(五晴)の
俳書出版にも協力して・中興運動を大(隣で担った﹂と記しているが︑﹃直指伝﹄の出版にかかわった三圭日騨の一が
石原茂兵衛であること・右の翻刻の通りである.板本三冊子﹄の安永五年二七七六)付の序茎日いている半化
坊誰とも・同じ希因門とい三ともあり︑交流がある.ちなみに閲更は︑享保土年(一七三ハ)に生まれ︑寛
政+年(毛九八)・七+三歳で没している.もう天︑﹃直指伝﹄出版に携わった人物で︑三圭日騨の中の一︑野田
23(17'8) 『直 指 伝 』 翻 刻 と考察
治兵衛は︑板本﹃三冊子﹄の出版にも携わっているので︑この人物にも昔しておいてよいかもしれない・塵治
兵衛とも︒俳譜書林︒
そ.﹂で︑いよいよ序.践を通して﹃直指伝﹄の素性を追ってみることにしたい・架蔵本の書誌については・すで
に 小 響 頭 に 記 し て お い た の で 参 照 さ れ た い . ﹃国 書 替 録 ﹄ に よ れ ば ︑ 現 在 ︑ 架 蔵 の 他 に 京 大 頴 原 文 庫 富 山 県 立 図 雛 志 田 文 庫 ︑ 天 理 璽 田 館 綿 屋 文 庫 三 本 ) 箴 さ れ て い る こ と 轍 る . ; だ け 加 え て お く な ら ば ・ 架 蔵 本 巻 査 返 部 分 の 刊 記 の 箇 所 に は 三 柳 庵 蔵 板 L の 下 に 國 の 誰 が 押 さ れ て い る の で あ る ・ 三 柳 庵 蔵 板 ﹂ と 同 意 か ・ あ る い は 二 柳 の 手 沢 李 あ っ た と い う .﹂ と を 示 す 馨 印 で あ る の か . 藁 れ の 跡 馨 し い ・ 二 柳 の 愛 馨 で あ っ た
ことも想像されるのである︒最初に注目すべきは︑栢舟の序の中の左の箇所である︒
このナツキ些目︑もと標題を記されず.巻の中に直指の文字もあれば︑素書に難ひ︑こを猷に讐として(以下略)・﹃直指伝﹄(﹃俳書指伝﹄)は︑本来の書名ではなかった︑ということなのである・この記述は・本書の存在の信漣を考える上で意外に大きな重みを持っているように思われる.本来は︑伝芭頚筆の響名の俳論書であったとい,つのである.その書に置指伝﹄なる書名を付したのは︑誰か.ほかならぬ栢舟であることを・栢舟自身歪q
白しているのである..︑の馨な態度は︑該書に対する栢舟の信頼から生まれているのであろう・栢舟の命名の拠ってきたるところの記述は︑﹁俳譜式の事﹂(8)の条の左の部分である︒
幕 の 事 は ︑ 時 宜 に 惚 し . 箔 は 大 か た に し て ︑ 聯 ・ も し 志 あ る 門 弟 子 は ・ 直 指 の 趣 を 勲 謬 三 攣
自門の法ともなさば成べし︒みずかテ︑.︑での﹁直指﹂は︑俳糞に対する芭蕉自らの折々の指導︑といった限定された意味での用法であり・必ずし
国 際 経 営 論 築No.】31997 (177)24
も;星体を紛べるにふさわしいような使用例ではないが︑栢舟は︑﹁直指﹂本来の止.心味︑すなわち端的な本質把握
の指導の意・として拡大して流用︑書名としたのであろう.小稿でも︑奎日を便宜的に﹃直指伝﹄と呼称するが︑
本来は・無書名の芭蕉俳論書であったということは︑+分過ぎるほど注立臼心しておいてよいであろ,つ︒
そこで︑本書(﹃直指伝﹄)の伝来の経路である︒栢舟は︑まず︑よむ
蛎蕃は・みちのく須賀川てふむまやちなる並日流のひめ鮮しを︑僕が若かりし年ゾ﹂ろ︑読ことをゆるされ︑伝
うつへ謄し侍りぬ︒
と記している・この﹁晋流﹂とは︑誰か.これも﹃俳文学大藍ハ﹄によって弊博氏執筆の﹁並日流﹂の項を見てみ
ることにする・延宝八年三ハ八〇)に生まれ︑宝暦±年二七六一)に八+二歳で没している.その著﹃蕉門
録﹄は・よく智れている.生まれは︑上州(驚県).後︑須賀川(福島県)住.栢舟は︑須賀川の並日流のもと
で・﹃直指伝﹄を披見書写したというのである︒それが︑いつの時期かは定かでない︒栢舟は署かりし年ゾ﹂ろL
と言っている︒栢舟の序は︑さらに次のように続く︒ときききう
晋嬰云・この書は・翁世にいまそかりける時︑其角︑嵐雪がともがらに︑・つから説給憲どもを聞得ること
さづけ
の齢ひもやすると︑難つらもとなくおぼし︑みつから書して授給ふ︑となり︒
この部分あたりから・記禁やや曖昧となってきて︑書の癖性に︑残念ながら腎が差してくる.栢舟がこ
の序を書いている安永三年(毛七四)の時点で︑晋流はすでに没していて︑没後+三年が経過している.栢舟と
晋流との年齢差は・二+七歳.署かりし年ごろLの栢舟は︑晋流を﹁並曼﹂と呼んでいるのである.問題は︑こ.﹂
からである・晋流の言によれば︑芭蕉は︑当初︑置指伝﹄の内容を︑其角︑嵐雪に・述筆記させよ,つと思ったが︑
正確さを期して・自ら籍したというのである.﹁みつから書し薦給ふ﹂とは︑同内容の﹃直指伝﹄を其角と屡ヨ
『直 指 伝 』 翻 刻 と考 察
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掴…「齢 曲旧臨」■日肝L副由 出㎝H凹凹