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律 令制成立期 の武 器 と武術

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律 令制成立期 の武 器 と武術

笠 井 和 広

一・.は じ め に

人 類 の歴 史 は闘 争 の歴 史 で もあ り,戦 い は絶 えず 繰 り返 され,自 分 自身 の 生 命 や種 族 ・集 団 を守 る た め に互 い に争 って きた。 日本 国 内 で は,お よそ紀 元 前 三 世 紀 以 後 に地 域 的政 治 集 団 とい える小 国 家 が 数 多 く生 まれ,そ の 政 治 集 団 に よる収 奪 や 自衛 の戦 いが 絶 えず 争 わ れ て い た。 そ の 間 に大 和 朝 廷 に よ

り国 内統 一 が進 め られ,お そ くと も四世 紀 半 ば に は国 内 統 一 され た 。

このt期 の大 和 朝 廷 は政 治 組 織 や税 制 を統 制 し,権 力 を維 持 す る た め に も地 方 首 長 層 を支 配 しつ つ,強 大 な 武力 をつ く りあ げ て い くの で あ る。 そ の こ ろ は支 配 者 や 有 力 豪 族 の墳 墓 が 造営 され,墳 墓 の副 葬 品 や埴 輪 か ら当 時用 され た 武 具 ・武 器 が 知 る こ とが で,さ らに そ の武 具 ・武 器 に よ り戦 闘 の様相 も推 測 され る。

そ の 後 朝 廷 は,積 極 的 に大 陸 に使 者 を遣 わ し,経 典 を は じめ とす る多 くの 文物 が 国内 に もた ら され,な か に は軍 事 に関す る もの もあ り,こ れ ら を もと に律 令 が 制 定 され,天 皇 を 中心 とす る軍 事 的 中央 集権 国家 が 成 立 す るの で あ る。こ の 中央 集 権 国家 の軍 事 面 は唐 の制 度 に な らい制 定 され た律 令 にお い て, 整備 ・制 度 化 して い る点 で,統 一 以 来,国 内外 で の抗 争 を経 験 した朝 廷 が 国

内 にお け る権 力 維 持 や外 敵 か らの 防衛 の た め に も,広 汎 な武 力 を もち掌 握 す る必 要 が あ った か らで あ る。

律令制成立期の武器と武術187

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この よ うに広 汎 な武 力 を持 ち,中 央 集 権 国 家 成 立 と と もに軍 事 機 構 を誕 生 させ た背 景 に は,特 に 白村 江 の戦 い と壬 申の 乱 とい う二 つ の歴 史 的大 きな戦 い にお い て舶 載 ・国 産 の 数 多 くの 武 器 を使 用 し,大 陸 か ら もた ら され た 戦術 な どを もち い て の戦 い の結 果 か らで あ っ た の で あ る。 そ して,こ の律 令軍 制 国家 は各 国 に軍 団 兵 士 制 を組 織 し,国 ご との軍 団 兵士 に訓 練 をお こな い 軍備 を充 実 させ,戦 術 ・戦 闘技 術 が発 達 す る ので あ る。

二.軍 団 制

律 令 制 下 の 軍 団 制 は701(大 宝 元)年 に制 定 され た 「大 宝 律 令(軍 防令 令)」

に も とづ き一 般 農 民 の成 年 男 子(二 十 一 歳 以 上 六 十 歳 まで の 正 丁 とい わ れ る 課 税対 象 者)を,三 人 に一 人 の割 合 で徴 兵 し,通 常 千 人 を基 本 とす る兵 士 か らな る軍 団 を各 地 に編 制 す る制 度 で あ る 。奈 良 時代 の全 郷 数 は 『倭 名 類 聚抄 』 か ら4041郷 と算 定 され,『 令 義 解 』 に 「凡 戸 五 十 戸 以 里(郷)為 」 とあ り, 一 郷 は五 十 戸 で あ るの で 全 国 の戸 数 は約 二 十 万戸 に な り

,一 戸 一 兵 士 で徴 兵

くの

され た と推 定 され,兵 士 数 約 二 十万 人 で あ る。奈 良 時代 の人 口 は 『正倉 院文 書 』 の戸 籍 か ら一郷 の 人 口約 千 二 百 人 と算 定 さ れ,全 郷 数 は4041郷 で あ るか

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ら,約560万 人(良 民)と な る。 人 口約560万 人 に対 して兵 士 数 約 二 十 万 人 の 割 合 をみ れ ば,大 規 模 軍 団制 とい う こ と にな るの で あ る(現,陸 上 自衛 隊 数 約 十 四 万 人)。

徴 兵 され た 兵 士 は,出 身地 に近 い 軍 団 に配 属 され,軍 毅 とい わ れ る指 揮 官 の下 で兵 士 は五 十 人 一 隊 を基 本 型 に二 隊 百 人 ・四 隊 二 百 に組 織 され る。 そ の 各 隊 は お もに在 地 有 力 者 が 任 命 され た 大毅 ・小 毅 ・校 尉 ・旅 帥 ・隊正 か ら統

(3;

率 ・教 習 され る。 隊 正 二 十 人 は各 五 十 人 の 兵 ・旅 帥 十 人 は各 百 人 の 兵 ・校 尉 五 人 は各 二百 人 の 兵 を積 み上 げ方 式 で 編成 統 率 し,長 官 大 毅 一 人 と副 長 官 小 毅 二 人 は一 団千 人 を統 括 した(軍 防令 ・軍 団 大 毅 条)。 さ ら に隊 正 が 統 率 す る一 隊 五 十 人 を兵 士 五 人 を伍 とす る 隊伍 へ 編 成 をお こな い,馬 の扱 い にす ぐ れ た もの は騎 兵 隊(結 果 的 に は騎 兵 隊 は在 地 の 有 力 者 が 騎 兵 とな っ た),そ

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の他 を歩 兵 隊 と して校 尉 ・旅 帥 ・隊 正 は騎 兵 ・歩 兵 をそ れ ぞ れ に統 率 し,一 ・ 隊 の なか に騎 兵 ・歩 兵 を相 交 え て は い け なか っ た(軍 防令 ・隊伍 条)。

備 え る武 器 につ い て も細 か く規 定 して い る。 兵 士 み ず か ら準 備 し,た ず さ え た武 器 ・戎 具 は古 墳 時代 以 来 の 弓 矢 ・弓 具 ・大 刀 等 の 基 本 的 な もの の ほ か 行 軍 ・野 営 に必 要 な飯 袋 ・工 具 な ど も携 帯 す る こ とを定 め て い る。 また携 帯 しな くて も よい武 具 ・戎 具 に は,十 人 毎 に斧 ・小 釜 な ど,五 十 人毎 に手 鋸 ・ 火鐙(ひ うち)等,集 団 で 備 え るべ き もの が あ る(軍 防 令 ・備 戎 具 条)。 反 対 に弩 ・長 い矛 の 強力 な武 器 や 権 威 的 武装 用 馬 具 の ほ か,大 角 ・小 角 な ど部 隊 で行 動 す るた め の 軍 事 用 楽 器 等,私 的 に保 有 す る こ と を禁 じて い る武 器 ・ 戎 具 もあ る(軍 防 令 ・私 家 鼓 鉦 条)。 そ れ は有 力 豪 族 層 が 私 的 な武 力 集 団 を

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形 成 す るの を抑 制 す る た め の令 文 とみ な すべ きで あ る。

各 地 か ら徴 兵 さ れ た農 民 兵 士 は,一 部 は 中央 の衛 府 で あ る衛 椚 府 と左 右 衛 士 府 に衛 士 と して配 属 され,ま た 一 部 は西 辺 防備 をお こ な う防 人 と して西 海 道 に赴 き,そ れ 以 外 の兵 士 は軍 団 に編 成 され た 。元 来 農民 で あ る兵 士 は軍 事 訓 練 を受 け る こ とに よ って 戦 闘 能 力 を有 す る兵 士 とな りえ る の で,徴 兵制 に

も とつ く律 令 軍 団制 にお い て,『 続 日本 紀(慶 雲 元 年 六 月条)』 に よれ ば諸 国 兵 士 は 団別 に分 け て 十番 とな し,番 ご とに 十 日武 芸 の 教 習 を受 け る こ とに な って い た。 衛 士 につ い て も衛 府 に て弓 馬,大 刀,矛,弩,抱 石(城 壁 で 敵 に 石 を落 とす 仕 掛 け)を 教 習 してい た の で あ る(軍 防令 ・衛 士 上 下 条)。

軍 団兵 士 の訓 練 は十 集 団(す べ て歩 兵 の 場 合,一 集 団二 隊百 人)に 分 け ら れ た各 集 団 に,十 日交 替 で年 間計 六 十 日間 が 課 せ られ て い た 。 兵 士 の うち有 力 農 民 が 充 て られ た騎 兵 の場 合 は,支 給 さ れ た騎 馬 の飼 育 ・調 教 す る こ とで 訓 練 は免 除 さ れ,年 間 に課 せ られ た 六 十 日間 の訓 練 は歩 兵 中心 の訓 練 で あ っ

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た。 教 習 内 容 は1.弓 術 ・矛 ・剣 術 ・弩 の武 術 教 習 で 強 力 な弓 で あ る弩 の教 習 は,各 隊 か ら二 名 ず つ選 出 され た強 壮 者 の弩 手 が行 って い た(軍 防令 ・軍 団 条)。 だ が徴 兵 期 間で の 強 制 的 な 年 間六 十 日の訓 練 で は習 熟 す るの に不 十 分 で あ り,各 個 人 の 武術 水 準 は あ ま り高 くなか っ た と思 わ れ る 。2.一 隊 五

律 令 制成 立期 の 武 器 と武 術189

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十 人 か ら な る隊 の・基本 隊 形(「 陣 列 之 法 」)は,盾 の後 に兵士 五 人 組 み の伍 が 整 列 し,前 列 に この伍 が 五 組 二 十 五 人,同 様 に後 列 に伍 を五 組 二 十 五 人 で合 計 五 十 人 の 隊形 で あ る。 有 事 の と きは この 隊 形 を崩 さな い ま ま,指 揮 官 の号 令 ど う りに整 列 ・行 進 ・突 撃 ・後 退 等 を行 う様 式 を693年 『日本 書 紀(持 統 七 年)』 陣法 博 士 を派 遣 して 全 国 画 一 的 に教 習 して い た。 こ れ は 整 然 と した 大 規模 な歩 兵 集 団戦 に よ っ て,兵 士 個 人 の武 術 の 未 熟 さ を補 うた め に も重 要 な もの で あ っ た 。3.『 万 葉 集 』 の 防 人 の歌 に 「皇 軍 」 を意 識 す る歌 が 随所 にみ られ る。 この 「皇 軍 」 意 識 は兵 士 個 人 の 自発 的意 識 とは思 わ れず,訓 練 期 間 に 「皇 軍」 意 識 を もたせ る教 育 が お こな わ れ た の で あ ろ う。 訓 練 され た 兵 士 た ち は,こ れ らの訓 練 にお け る積 極 的 な姿 勢 と士 気 高揚 の た め,年 間一 度 軍 団 で 国府 勤 務期 間 に騎 兵 も参加 して 国司 か らの検 閲 を うけ,成 績 優 秀 者

は褒 賞 され た 。

平 時 に お い て各 諸 国 の軍 団 は 国司 の管 理 下 に お か れ,毎 年 国 司 が 年 齢 ・性 別 や個 人 の特 徴 な どを記 した課 役 徴 収 の基 本 台 帳 で あ る計 帳 を作 成 して,徴 兵 兵士 を確 定 し,武 具 ・牛 馬 ・船 舶 の 帳簿 と と もに軍 団 を管 理 す る兵 部省 に 提 出 され,中 央 と国 に保 管 ・管 理 され て い た 。 この 各 国 の 国 司 は兵 士 や武 器 の 管理 に 関 して は兵 部 省 の管 轄 下 に あ り,兵 部 省 は最 高行 政 府 で あ る太 政 官 に統 轄 され,行 政 上 は太 政 官 一 兵 部 省 一国 司 一軍 団 とい う指 揮 系 統 とな る。

す なわ ち平 時 の 軍 団 は太 政 官 の指 揮 下 にお か れ,国 司 は その 国 の最 高 軍 事 責 任 者 で あ った 。 た だ し有 事 の場 合 に は,兵 士 動 員 数 に応 じて 別 に朝 廷 か ら節 刀授 与 され た 大 将 を筆 頭 に指 揮 官 数 人 が任 命 され,各 国 の 軍 団 を指 揮 した の で あ る(軍 防令 ・節 刀 条,将 帥 条)。

当時 の朝 廷 が,こ の よ うな大 規 模 な律 令 軍 団 制 を成 立 させ た 目的 は何 で あ っ たの か とい え ば,七 世 紀 初 頭 の推 古 朝 以 来,大 陸 や半 島 の動 きの 活発 化 に 対 応 して 中央 集 権 の 強化 を はか り,軍 事 力 の拡 大 と組 織 化 をす るた め で あ っ

たの で あ る。

朝 鮮 半 島 で は唐 と新 羅 に よ っ て百 済 が 滅 ぼ さ れ た 後 も遺 臣 の 抵 抗 は つ づ 190国 際経営論集No.272004

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き,百 済 は 日本 に救 済 を求 め て きた の を機 に,朝 鮮 に軍 を派 遣 す る こ とを決 定 した。 こ こ に初 め て の 中 国王 朝 の 軍 隊 と直接 対 決 で あ る海 戦 に よる 白村 江

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の戦 い が お こ り,唐 軍 船 団 の挟 み 撃 ち戦術 に よ り大 敗 を喫 す る の で あ る。 国 内 に お い て は 白村 江 の戦 の後,わ ず か に して当 時 最 大 の 内乱 で あ る壬 申 のが 起 こる の で あ る。 こ の戦 い は全 国 の 地 方 豪 族 軍 まで も動 員 して の 乱 で,両 者 が 全 国 の兵 を動 員 した全 国規 模 の乱 で,そ の深 刻 さ を示 す もの で あ っ た。 こ の二 大 大 戦 を経 験 した朝 廷 は,国 家 対 国 家 の総 力 戦 を想 定 し,海 外 に対 す る 防備 だ けで は な く国 内 の権 力 保 持 の ため に も,地 方 豪 族 の広 汎 な武 力 を掌 握 す る こ とに よ り,国 家 に武 力 を集 中す る た め に律 令 軍 団 制 を確 立 しな け れ ば な らなか っ たの で あ る。

三.刀 剣

攻 撃 用 武 器 で敵 に対 し,手 に持 っ て両 刃 で 突 く事 を 目的 とす る武 器 を剣, 片 刃 で 主 に斬 る武 ・器 を刀 とい い,こ の剣 と刀 の 中間 形 態 もみ られ る 。剣 は湾 曲 しな い直 剣 で,刀 もほ とん ど直 刀 が 一 般 的 で あ る。剣 につ い て は,片 乎 に 剣 を もち敵 を刺 殺 す る武 器 で,二,三 十 セ ンチ くらい の 短剣 か ら八 十 セ ンチ くらい の剣 まで あ る。元 来 祭 器 色 が 強 か った剣 は,し だ い に鉄 製 の 強力 な武

くの

器 で 敵 を斬 る刀 の需 要 が増 して くる と剣 は衰 退 して い く。

律 令 国家 成 立 以前 よ り大 和 朝 廷 は大 陸 の 階 ・唐 と交 流 をお こな い,国 内 に は多 くの文 物 や 武 器 も輸 入 され た。 『東 大 寺 献 物 帳 』 に は 聖 武 天 皇 所 有 の

「大 刀 壼 百 口」 を遺 愛 の 品 と して 収 め られ た 目録 が あ り,「 唐 大 刀 十 三 口 ・唐

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様 大 刀 六 口 ・高 麗 様 大 刀(こ ま よ うた ち)二 口 ・横 刀(た ち)一 口 ・大 刀 (た ち)六 十 四 口 ・懸 侃 刀 九 口 ・杖 刀 二 口 」 が 記 され て い る 。 こ の な か の

「唐 大 刀 」・「唐 様 大 刀 」 の記 載 に よ り唐 の 影 響 が 大 きか っ た こ とが わ か る 。 又,「 高 麗 様 大 刀」 は朝 鮮 半 島 か ら もた ら され た高 句 麗 刀 の様 式 で,他 の 大 刀 よ り刀 身 が 長 く多 くの装 飾 が あ り,把 の 端 が 丸 い環 に な って い る のが 特 徴 で あ る。元 来,高 句 麗 刀 の把 の端 が 丸 い 環 で あ る の は,戦 闘 時 に手 か ら落 ち

律 令 制 成 立期 の 武 器 と武 術191

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ない よ うに布 で 手 首 を ま きつ け る た め と され る が,日 本 の 「高 麗 様 大 刀 」 は 刀 身 の長 さや 身 幅 の大 きさか ら,実 用 刀 と して使 用 す る こ とを 目的 と した の で は な く,有 力 者 の み が 所 有 す る権 威 の象 徴 色 が 強 い刀 で あ る 。 「横 刀 」 は

「大 刀 」 同 一 とみ なす の で あ る が,『 東 大 寺 献 物 帳 』 の 「横 刀 」 の 注 文 に は

「刃 長 一 尺 四寸 七 分,鋒 者偏 刃 」 とあ り,刃 渡 りが 短 く,日 常 に お い て携 帯 す る儀 礼 的 要 素 を もつ もの と考 え られ る。 しか し,横 刀 は 日常儀 礼 的 に宮 中 にお い て も携 帯 す る こ とが で き,こ の 時代 の かず かず の 政変 や 政 敵 の暗 殺 に

{1Q)

使 用 され た もの と推 測 され る。 大 刀 は,こ の横 刀 よ り刀 身が 長 い 黒作(こ く さ く)が 大 部 分 で,正 倉 院 に現 存 す る黒 作 大 刀 にみ る こ とが で き,地 下 の武 官 に この種 の大 刀 が用 い られ た の で あ る 。

こ の律 令 国家 成 立 期 前 後 に使 用 され た刀 剣 類 の武 器 は,片 手 で刺 突 す る武 器 で あ る両 刃 の剣 か ら,主 に全 長 八 十 セ ンチ くらい で,刃 渡 り六,七 十 セ ン チ の 片 刃 で鋒 が ふ く らみ の な い直 刀 の大 刀 が 主 力 とな り,盛 行 す る よ うに な るの で あ る。 この種 の大 刀 は実 用 的 で剣 に くらべ て 刃 渡 りや柄 が 長 くt両 手 で柄 を握 る こ とが で きる よ うに な り,相 手 を打 ち斬 る こ とに大 きな効 果 をあ げ る こ とが で き る よ う に な っ た。 だが,鋒 にふ くらみ が な い こ とか ら突 くこ

とは不 向 きで,切 る こ とが 主 目的 の 実 用 的 武 器 で あ った の で あ る。

この 黒作 大 刀 の造 りに鋒 の 部分 だ けが 両 刃 に作 られ た鋒 両 刃 造 とい う珍 し い 形 式 が あ る。 『東 大 寺 献 物 長 』 に はそ れ ぞ れ の大 刀 の特 徴 を記 して い る な か で,「 鋒 者 両 刃 」 とあ る の が この 形式 で あ り,お そ ら く中 国 か らの 渡 来 品 と思 わ れ る。 この形 式 か ら考 え られ る こ とは,突 くこ と も斬 る こ と もで きる 実 用 大 刀 とい え るが,渡 来 品 とい うこ とか らす れ ば,中 央 の 上 級 武 官 や 地 方 の有 力 豪 族 の 指 揮 官 層 だ け が所 持 す る こ とが で きる もの と思 われ る。 そ の こ とか ら十分 に実 用 大 刀 と して使 用 で きる ので あ るが,こ の鋒 両 刃 造 の大 刀 は 所 有 者 の権 威 の 象徴 色 が 強 い大 刀 とい え る。

一 般 的 に

,こ の時代 の大 刀 は斬 る こ とが 目的 に作 られ た の は明 らか で あ る が,こ の期 の 戦 闘 にお い て,大 刀 は どの よ うな と き に使 用 され た の か とい う

192国 際経営論集No.272004

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問 題 が あ る。古 墳 の副 葬 品 か らす で に馬 を使 用 して い た こ とは認 め られ るが, 馬 上 か ら敵 に対 して 大刀 を振 りか ざ し,暫 撃 す る方 法 は大 刀 が 直刀 造 りとい う点 か ら適 切 で は な い 。 馬 上 か らの暫 撃 法 は,十 世 紀 以 降 に成 立 す る反 りの あ る湾 刀 で な け れ ば有 効 な方 法 とは い えな い 。 そ れ は,刀 で斬 る と きは打 撃 を くわ え て 円 を描 くよ うに引 くこ とが 肝 要 で あ る か ら,反 りが あ る ほ うが 合 理 的 だか らで あ る 。 よ って,馬 上 で大 刀 を使 用 す る こ とは な く,大 刀 を使 用

す る 戦 闘 は 白兵 戦 で の徒 歩 戦 が 主 な戦 い で あ った の で あ る。

しか し,前 述 した鋒 両 刃 造 の こ の大 刀 を実 際 に使 用 して の戦 闘 で考 え られ るの は,歩 兵 戦 で威 力 を発 揮 す る と と もに 馬上 で の指 揮 官 は この大 刀 を持 ち 敵 を威 嚇 し,片 手 で持 ち突 く ・斬 る こ とが で きる大 刀 を使 用 す る こ とで,騎 馬 戦 や対 歩 兵 戦 で 威 力 を発 揮 し有 利 な戦 い が 可 能 と思 わ れ る。

律 令 国 家体 制 下 で の 中央 武 官 や 地 方 で 徴 収 され た兵 士 は,軍 防令 に よ り備 え る武 器 が 規 定 され,そ の 中 に大 刀 が 含 ま れ て い る。 平 時 の軍 事 訓 練 は 中央 武 官 は む ろ ん地 方 兵 士 に も武 事 の教 習 が 命 じられ,大 刀 の操 法 につ い て も訓 練 を行 って い た と考 え られ る。訓 練 の 内 容 に つ い て は,当 時,戦 闘 の勝 敗 は

闘志 ・体 力 の 強 さ で決 定 す る と考 え られ,敵 の攻 撃 に対 し,そ れ に応 じて受 け る ・か わ す な どの後 に反 撃 を くわ え る技 術 は確 立 して い た と は思 わ れ な い 。 よ って,大 刀 の握 り方 ・振 り方 ・斬 り方 ・個 別 お よ び集 団 攻 撃 法 の初 歩 的 な基 本 動 作 が 中心 で あ っ た と推 測 され る。

四.矛

矛 は刀 剣 と同 じ く攻 撃 用 の武 器 で,鋭 利 な刃 部 に穂 袋 が つ い てい て,長 い 柄 の先 に これ に挿 入 し,通 常 柄 の 中央 を片 手 に持 ち,敵 に対 して突 い た り投 げ た りす る のが 目的 の 長 い 刺 突 武 器 で あ る。

この 矛 と同 じよ う な武 器 に槍 が あ る が,槍 は矛 と違 い刃 部 の基 部 が茎(な か ご)に な っ て い て,こ れ を柄 の先 に は め こみ,柄 を糸 で 巻 い て漆 を ほ ど こ

し固 め て い る。 この 槍 に比 べ 矛 は刃 の先 端 で あ る,き っ さ きが 細 身 で 鋭 く,

律 令 制 成 立 期 の武 器 と武術193

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刀 身 は一 尺 前 後 の 無 反 り ・両 刃 の 両 鏑 造 り(断 面 が 菱 型)・ 三 角 造 り(断 面 が 三角 形)が あ り,柄 は最 短 で も三 メ ー トル を越 え竹 を細 く切 って 合 わせ た 打 柄 とい う手 法 とな って い る。 そ の うえ に糸 な どを巻 き漆 をか け 強化 さ れ た 柄 との接 続 が 奥 行 の あ る穂 袋 に は め こむ とい う手 法 で,ぐ らつ か ず 安 定 して い る こ とか ら両 手 に持 ち突 き進 ん だ り,片 手 で握 り刺 突 す る こ とが 主 な使 用 法 で あ っ た と考 え られ る。

柄 の長 さ につ い て は短 い もの は三 メー トル 前後 か ら,長 い もの は四 メ ー ト ル 以 上 の もの まで あ り,長 さに よ って使 用 方 法 が 違 って い た 。矛 はあ くまで

も柄 に直 角 に突 く武 器 で あ り,柄 の長 さ に対 す る刀 身部 分 が 短 く,柄 が 長 大 に な る ほ ど刃 筋 に沿 って 目標 を正 確 に突 くこ とが 難 し くな る 。

しか し長 柄 矛 の使 用 しに くい短 所 を補 うた め に,馬 上 よ り戦 う騎 馬 兵 が 片 手 に長 柄 矛 を持 ち 敵 に突 進 して攻 撃 を加 え た と思 わ れ る 。 一 方柄 の 短 い短 柄 矛 は長 い長 柄 矛 よ り使 用 す る際 に身 の こ な しが き き,使 用 しや す い 長 所 が あ る の で歩 兵 が 持 ち,散 開す る歩 兵へ の 刀剣 の 接 近 戦 にな る前 の使 用 武 器 で あ

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っ た と考 え られ る。 この こ と は高句 麗 の 壁 画 や 戦 い 方 か ら推 測 で きる。 な お 日本 の律 令 時代 に長柄 矛 をマ ケ ドニ ア な どの戦 術 で密 集 方 陣 にみ られ る よ う な集 団歩 兵 に持 た せ 配 備 して の野 戦 は なか っ た で あ ろ う。

矛 の 中 に は穂 の 元 の と こ ろか ら鉤 形 の枝 が で て い る もの もあ る。 これ は長 柄 の武 ・器 と して 本 来 の 目的 と した対 騎馬 兵 との 戦 闘用 の もの で あ る。 枝 の よ

う に出 て い る支 刃 の あ る矛 は,乗 馬 者 を引 掛 け て 馬上 よ り引 き落 とす 事 が 目 的 で あ るが,そ れ ば か りで は な く,深 い 傷 をお わせ る こ と もで き る有 利 な武 器 で,大 陸 で 騎 馬 兵 との戦 闘 の 経験 か ら発 展 を とげ 日本 に もた ら され た もの

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とされ る。 この鉤 形 長 柄 矛 の戦 闘方 法 に記 録 は は な く,こ の武 器 の特 性 か ら 考 え られ る方 法 を推 測 して み る。

鉤 形 長 柄 矛 の主 な操 作 方法 は,突 く ・引 い て 引掛 け る ・水 平 に振 る こ との 三 種 類 で あ る こ とか ら,次 の有 効 な攻 撃 方 法 が 考 え られ る。

第 一 の 方 法 は戦 場 の近 くか 戦 場 に お い て攻 撃 に有利 な場 所 で待 ち伏 せ を し

194国 際 経 営 論 集No.272004

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て奇 襲 攻撃 を行 う。 通 常,鉤 形 長 柄 矛 で 騎乗 者 を引 掛 け 引 き落 とす 攻 撃 を加 え る とき は右 手 を前,左 手 を後 ろ に持 って構 え る もの な の で,攻 撃 側 の 待 ち 伏 せ 場 所 は,攻 撃側 か ら見 て前 進 して くる騎 馬 兵 の左 側 に位 置 しな けれ ば有 効 な攻 撃 が で きない 。 よっ て有 利 な待 ち伏 せ 場 所 は,騎 馬 兵 が 移動 す る道 筋 をあ らか じめ予 測 し決 定 す る必 要 が あ る。騎 乗 者 へ の攻 撃 は歩 兵 の 前 を騎 馬 兵 が 通 過 す る と き,鉤 形 長 柄 矛 を水 平 に振 り,首 を ね らい一 撃 を加 え,た だ

ち に手 前 に引 き騎 乗 者 を引 き落 とす 方 法 で あ る。

第 二 の方 法 は 二 人 以 上 の 歩 兵 で,一 人 は騎 馬 兵 が 武 器 を持 た な い側 か ら背 後 に 回 り込 み な が ら攻 撃 を加 え,他 方 の歩 兵 は騎 馬 兵 の 動 き に合 わせ て,背 後 も し くは側 面 か ら首 へ の 攻 撃 を行 い,騎 乗 者 を引 き落 とす 方 法 で あ る。 こ の よ うな複 数 に よる戦 い 方 は,中 国 で は各 人 が得 意 な武 器 を持 ち各 々 そ の武

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器 の 特徴 を生 か し,敵 の 首 を取 る数 人 で の集 団 戦術 が あ り,日 本 に もこの よ うな戦術 が 存 在 した こ とは否 定 で きない 。

以 上 二 つ の攻 撃 方 法 を推 測 したの で あ るが,馬 に乗 る騎 馬 兵 は機 動 力 が あ り,歩 兵 よ り上 部 か ら攻 撃 が で きる ので 歩 兵 よ り有 利 に戦 う事 が で きる 。 よ って 歩 兵 は騎 馬 兵 と戦 う に は鉤 形 長 柄 矛 を使 用 して の 十分 な訓 練 と経 験 が必 要 に な る。

五.弓 矢

弓矢 は律 令 制 下 にお い て も武 官 の 象徴 で,刀 剣 ・矛 な ど接 近 戦 に使 用 す る 白兵戦 用 武 器 に対 して,遠 距 離 よ り狙 撃 が 可 能 な射 撃 用 の武 器 で あ り,一 斉 射 撃 に よっ て攻 撃 や 防 御 を向上 させ る こ と もで き,さ ら にす ぐれ た貫徹 力 は

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攻 撃 力 を一段 と高 め る こ とが で きる。 そ して 弓 矢 は狩 猟 用 具 か ら弥 生 時代 に 戦 闘用 武 器 の 長 弓 と して発 達 し,多 くの経 験 か ら攻 撃 用 武 器 と しての 特 性 を さ ら に強 め,明 らか に攻 撃 用 武 器 の 主流 の位 置 を確 立 す る こ とに な っ た ので あ る。

日本 の 弓 矢 は木 製 弓 を基本 と し,自 然 木 を利 用 した丸 木 弓 と大 木 を割 り削 律令制成立期の武器と武術195

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った木 弓 が あ る。 弓 材 は梓 ・檀(ま ゆみ)・ 櫨(は じ)・ 槻 の類 で,こ の うち 梓 弓 ・槻 弓 が 最 も多 く,あ ま り太 くない材 は丸 木 の ま ま用 い るの で,木 の成 長 す る側(末)を 上 端 と し,そ の逆(本)を 下 端 と して,両 端 に弓 弦 を掛 け る弼 を設 け,上 端 を末 弓耳(う らは ず),下 端 を本 弼(も と はず)と よ ん だ 。

しか も本 は太 く,末 は細 い上 に,本 はす で に成 木 で あ る が,末 は未 熟 なの で, 本 は 末 よ り弾 力 が あ る の で,上 下 の 弾 力 差 の均 衡 を とる ため に,弓 射 の際 に 握 る弓 柄 を真 ん 中 よ り下 方 に置 き,本 を削 り,内 部 に細 く浅 い樋 を入 れ た。

寸 法 は七 尺 前 後 と し,世 界 最 大 級 とい え るが 強靭 だ が 弾 力 の少 ない木 製 弓 は しな らず,引 き絞 りす ぎ る と折 れ る た め,引 き絞 らず と も威 力 が 出 る よ うに 長 寸 に な っ てい る。

『魏 志(倭 人伝)』 に 「木 弓 短 下 長 上 」 とあ る の は,握 る弓 柄 を真 ん 中 よ り下 方 に置 くこ とを さす もの で あ り,古 墳 ・奈 良 時代 を通 して 同様 の 形 を な

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す もの で あ る と察 知 され る。 なお 平 安 末 期 に竹 を伏 せ た合 わせ 弓 と して成 立 した この短 下長 上 の 弓 矢 は 中世 以 後 もみ る こ とが で き,わ が 国 の 弓 の 特徴 と い え る の で あ る。

矢 は使 用 目的 で 軍 陣用 の征 矢(そ や)・ 狩 猟 用 の狩 矢(か りや)・ 歩 射 の競 技 用 の 的矢(ま とや)な どの種 類 が あ り,鎌 は そ れぞ れ の 目的 に よ り,征 矢 は丸 根 ・柳 葉 な どの 細 長 い鎌 を,狩 矢 は狩俣 ・平 根 の偏 平 の 鐵 を,的 矢 は先 端 を偏 平 に した 木 ・角 ・金 属 の平 題(い た つ き)を 用 い た。

矢 の 容 器 で あ る 弓 具 は,靭(ゆ き)・ 胡 緑(や な ぐい)が あ り,と もに矢 五 十 隻 を納 め る もの で あ っ た。

靭 は,長 方 形 の筒 形 の箱 で,背 板 を高 く,前 板 を低 め に作 り,上 の 口 か ら 矢 を さ し入 れ,前 板 下 部 付 近 に手 形 とい う長 円形 の 窓 を え ぐっ て,矢 を抜 き 出せ る よ うに し,右 腰 に負 う よ うに した。 胡 緑 は 方位 とい う鎌 を さ し込 む小 型 の箱 で 後 部 の板 を長 く上 方 に延 長 させ て,矢 をか らみ負 い 緒 をつ け る背板

と し,鐡 を収 め る だ け で,矢 並 の 乱 れ は背板 の前 緒 で整 えた の で あ る。

律 令 国 家 成 立 以 前 に も弥 生 時代 ・古 墳 時 代 を通 じ,『 魏 志(倭 人伝)』 にみ

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られ る記 述 や,遺 跡 ・古墳 か ら出土 す る武器 な どか ら国 内 にお い て 激 しい 武 力 抗 争 が あ った と考 え られ る。 長 崎 県 平戸 市 の 根 獅 子 遺 跡 か らは鐵 が刺 さ っ

た人 骨 が 発 掘 され た り,多 くの古 墳 か ら細 長 く貫徹 力 の あ る実用 性 が 強 い 錺i が 大 量 に出土 して い る こ とは,こ の 時代 か らの 戦 闘 の主 要 武 器 が 弓 矢 で あ る

ロの

こ とが わ か る。

この よ う に遺 跡 や古 墳 か ら出 土 す る弓 矢 の ほ か に,「 東 大 寺 献 物 帳 』 に は

「梓 弓 八 十 四張 ・槻 弓 六 張 ・阿 恵 弓 張 ・檀 弓 八 張 … 」 の 記 載 が あ り,正 倉 院 には梓 弓 三 張 ・槻 弓 二 十 四 張 が あ る。 『東 大 寺 献 物 帳』 記 載 の 弓 は恵 美 押 勝 の乱 に際 し出蔵 さ れ,乱 後 に正 倉 院 に返納 した もの で あ ろ うが,記 載 と合 わ な い もの もあ り,代 わ りの もの が収 め られ た と され 弓 矢 の需 要 が 多 か っ た と 考 え られ る 。 『続 日本 紀 』 には 「大 宝 二 年 二 月 己 未,甲 斐 国献 梓 弓 五 百 張 以 充 大 宰 府 。 同年 三 月 甲午,信 濃 国献 梓 弓 一 千 二 十 張 以 充大 宰 府 」 と記 載 が あ り,大 宰 府 に弓 を交付 した との こ とか ら実用 の弓 と知 る こ とが で き,こ の時 代 に 弓矢 が 重 要 か つ 需 要 が あ っ た と思 わ れ る。

『日本 書 記(神 代 上 第 六 段 本 文)』 に は の天 照 大 神 の 武 装 描 写 が あ り,こ の姿 は 弓 矢 と剣 とで武 装 した古 代 日本 にお け る理 想 的 な武 人像 で弓 矢 を備 え て い る。

大 化 改 新 の 翌 年,646(大 化 二)年 正 月 に定 め た 「改 新 の詔(四 条 副 文)」

に刀 ・甲 ・弓 矢 ・幡 ・鼓 の武 器 武 具 を備 え る こ と と して い る。 ま た大 化 改 新

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は 宮 廷 の儀 礼 が大 陸風 に整 備 され 画 期 的 で もあ った 。 『日本 書 記(大 化 三 年 正 月 条)』 に は朝 廷 で射 を行 っ た とあ る の は,後 世 の 年 中行 事 と して の正 月 十 七 日を 中心 とす る大 射 とい う親 王 以 下 の射 術 競 技 が 正 史 で は初 見 の記 述 で あ る。 この 大 射 は宮 中 にお け る正 月 の行 事 と して,675(天 武朝 四)年 以 降 は毎 年 行 わ れ 親 王 も参 加 した 。 大 射 の こ とは 令 に規 定 され,文 武 朝 の706 (慶 雲 三)年 に は,射 的 の成 績 と位 階 に応 じて 賜 る禄 も制 定 さ れ た 。 こ の よ う に皇族 ・貴 族 ・官 人層 に弓 矢 をつ う じて の武 術 の 習 熟 が 要 請 され,特 に弓 矢 の技 術 は重 要 視 され て い た の で あ る。 幾 多 の戦 闘 を経 験 して きた軍 事 制 律

律 令 制 成 立 期 の武 器 と武 術197

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令 国家 は,皇 族 以 下 の武 官 に射 術 競 技 で技 術 を争 わせ る こ とで,弓 矢 に よる 武 術 と武 官 と しての 意 識 の 向上 を 目的 と し,中 央 集 権 化 政 策 を推 進 す る意 図 が あ った の で あ ろ う。

この 時代 以前 か ら戦 闘 の始 ま り と戦 闘 の 要 は弓 矢 で あ る。 弓 矢 は遠 距 離 か ら 目標 に向 か っ て攻 撃 を行 う もの で,刀 剣 や 矛 を用 い る接 近 戦 よ り負 傷 す る 危 険 が少 な く,弓 矢 を携 帯 しない敵 との 戦 闘 には有 利 で あ る こ とはい う まで もな い 。 国 内 で は弥 生 時代 か ら弓 矢 を使 用 した戦 闘 が行 わ れ てお り,律 令 期 に弓 矢 と刀 剣 を携 帯 す る 歩 兵 と刀 剣 の み 携 帯 す る歩 兵 の 戦 闘 は考 え られ な い。 だ か ら戦 闘 は双 方 弓 矢 の戦 い か ら始 ま り,弓 矢 戦 の勝 敗 を左 右 す る の は 軍 陣用 征 矢 の飛 距 離 と威 力 で あ るか ら,弓 ・征 矢 の性 能 と兵 士 の技 能 ・体 力 で あ る。 これ らの 差 に よっ て指 揮 官 の死 傷 ま た は敗 走 に よ るか,兵 士 の士 気 低 下 にお け る総 崩 れ で勝 敗 は決 定 す る。

この 弓矢 戦 が互 角 の場 合,刀 剣 ・矛 に よる接 近 戦 にな る と思 わ れ,勝 敗 は 弓 矢 戦 と同様 の形 勢 に て決 ま るが,白 兵 戦 は弓 矢 戦 に比 べ 消 耗 戦 とな るの で, 弓 矢 戦 の み で勝 敗 を決 す る の が 上 策 で あ る。 軍 団制 で 前 述 した が,「 伍 」 を 基 本 隊 とす る 「陣 法」を重 要 視 した訓 練 内容 で 集 団 戦術 を実 戦 に もち い れ ば, 盾 一 つ に弓 矢 と大 刀 で武 装 した歩 兵 五 人 を最小 単 位 と な し,前 列 五 単 位 二 十 五 人,後 列 五単 位 二 十 五 人 の計 五 十 人 の 一 隊 を一 つ の戦 闘 集 団 と して組 成 す る。 盾 を前 面 に置 き盾 の後 ろ に歩 兵 五 人 が位 置 し,こ の 隊列 を崩 さず 布 陣 し

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た ま ま弓 矢 を射 なが ら敵 陣 に向 か っ て前 進 す る戦 術 が考 え られ る。 そ の た め に も強靭 な 弓 とす ぐれ た征 矢 を製 作 す る こ とが 必 要 で,兵 士 はそ れ を使 い こ なす 技 術 と体 力 を養 うた め の訓 練 が重 要 で あ った と思 わ れ る 。

地 方 で は 国 ご とに徴 兵 され た軍 団 兵士 は,前 述 したが 自前 で 弓 矢 も含 む武 器 を備 え る こ とが 義 務 づ け られ て い て,百 人 ず つ の十 個 の集 団 が 十 日交 替 で 年 間六 十 日間 の訓 練 を受 け な け れ ば な らなか っ た。 元 来 武 官 で は ない 徴 収 さ れ た農 民 兵 士 で あ るか ら,兵 士 の個 人戦 術 の 熟 達 に は 限度 が あ り,訓 練 の 内 容 は,技 術 を要 す る 弓 矢 よ り大 刀 を用 い て の 突 く斬 る の基 本 戦 術 が 中心 で,

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そ れ と と もに大 刀 を使 う歩 兵 集 団 戦術 を習 熟 す る こ とが 目 的で あ った と考 ら

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れ る。

弓矢 の機 械 化 した強 力 な武 器 に弩・が あ る。も と も と中 国 の漢 唐 代 に盛 行 し, 日本 で は 『日本 書 記(推 古 二 十 六 年 条)』 の と き高 句 麗 か らの 献 上 品 と して 記 載 され て い るの が 初 見 で あ る 。

軍 防令 にお い て は軍 団 の一 隊 ご とに強 壮 者 二 人 を弩 手 に選 ん で扱 い 方 の教 習 を命 じ,国 郡 衙 の ほか 衛 門府 ・衛士 府 ・兵 庫 寮 に も弩 をお くこ と を規 定 し

て い る。 弩 の 製 作 と取 扱 を教 授 す る弩 師 は,762(天 平 宝 字 六)年,藤 原 仲 麻 呂 が大 宰 府 に新 設 したが,つ い で770(宝 亀 元)〜81(宝 亀 十 六)年 に は多 賀 城 ・胆 沢 城 に もお かれ た。 近 年 多 賀 城 にお い て弩 の鉄 製 引 き金 が 発 掘 され て い る こ とか らそ の こ とが わ か る。 これ らの こ と は対 新 羅 関係 の緊 張 や東 北 の蝦 夷 征 討 の た め に,そ の周 辺 諸 国 に守 城 兵 器 と して 弩 を配備 して 防備 の強 化 をお こな い,『 三 代 実 録 』 な どに は蝦 夷征 討 と西 海 防 備 に弩 手 ・弩 兵 の活 躍 した記 述 が あ る。

実 戦 にお け る使 用 は,藤 原 広 嗣 の 乱 にお け る板 櫃 河(現,紫 川,北 九 州 市) の戦 い で あ る。 「続 日本 紀 」 に よれ ば740(天 平 十 二)年,広 嗣 は約 一・万 騎 を 率 い て,板 櫃 河 の西 に 陣 し,み ず か ら隼 人 軍 を統 率 して そ の 先 鋒 に あ った 。

そ こ で広 嗣 軍 は筏 を組 ん で ま さ に河 を渡 ろ う と した。 そ れ に対 して,政 府 軍 の勅 使 で六 千 人 を率 い る佐 伯 常 人 と阿 部 虫麻 呂が これ に弩 で応 酬 して渡 河 を 阻止 し,そ の後 政府 軍 が 勝 利 をお さめ た と され る。 この戦 い で どれ くらい の 弩 が 装 備 され使 用 され た か は,一 隊五 十 人 に強 壮 者 二 人 を弩 手 と して い る こ とか ら,一 軍 団 は約 千 人 の兵 士 で あ り,一 軍 団 に 四十 人 の弩 手 が い る こ とか らそ の数 は推 測 で きる。

時代 は さが るが 平 安 朝 の914(延 喜 十 四)年 に は,従 四位 上 で 文 章 博 士 の 三 善 清 行 が 天 皇 の 求 め に応 じて提 出 した 「意 見 封 事 書 十 二箇 条(『本 朝 文 粋 』)」

の な かで 「縁 辺 諸 國 。 各 置 弩 師者 。 為 防冠 賊 之 来 犯 也 。 臣伏 見 本 朝 戎 器 。 強 弩 為 神 。(中 略・)状望 令 六 衛 府 宿 衛 等 。 練 習 弩 射 之 術 。 其 試 其 方 伎 。 随 其 功

律令制成立期の武器と武術199

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労 。 充 任 件 國 弩 師 。 然 則 人 才 名 城 戎 易 守 。」 と弩 の 武 器 と して の威 力 と重 要 性 を説 い て い る。

国 内 で は原 形 の弩 は現 存 してお らずf朝 鮮 半 島 か ら出 土 した もの か ら考 え られ るの は,機 械 しか け の 引 き金 に よ って矢 を発 射 す る武 器 で あ る弩 は,強 力 で あ るが ゆ え に戦 闘 時 の使 用 には弩 自体 に強 い 力 が か か り,そ れ に耐 え る 性 能 が 高 い弩 の製 造 技 術 が必 要 とな って くる。 ま た,わ ず か な誤 差 で も射 撃 性 能 を低 下 させ る と考 え られ,高 度 な兵 器 製 造 工 程 は複 雑 に な る で あ ろ う し,

『延 喜 式(第 四 十 九 巻)』 に 「造 弩 一 具 軍 功 六 百 冊 三 人 」 と製 作 に多 数 を要 す る構 造 で 国 内生 産 は 困 難 で あ っ た と思 わ れ る。 こ の よ うな点 と文 献 に あ る弩 師 とい う弩 を操 作 す る専 門技 術 者 不 足 が 弩 の 衰 退 に つ な が った 。 も うひ とつ に,こ の時代 の 国 内 で の 主 な戦 闘 は 野戦 で あ り,強 力 で あ る弩 は矢 を放 つ ま

く の

で に弓 矢 よ り力 と手 間が 必 要 で迅 速 性 に欠 け る と思 わ れ,攻 ・守 城 戦(特 に 守 城 側 は上 部 の らの 攻 撃 とな り狙 撃 と威 力 で 有 利 で あ る)で は威 力 を発 揮 す

る弩 が 活 躍 す る場 が な く無 実 とな り消 え て い くの で あ る。

六.甲 冑(か っ ち ゅ う)

刀 剣 ・弓 矢 の 攻 撃 用 武 器 に対 し自己 を保 護 す るた め の 防護 用 武 具 が あ る。

それ は攻 撃 用 殺 傷 武 器 の影 響 下 で 生 まれ発 展 して い った 。 そ の 防 護 用 武 具 は は直 接 身 に付 け 防 護 を 目的 とす る甲 冑が あ り,そ の形 式 に は短 甲 と桂 甲 の 二 系 統 に分 か れ て い る。

まず 短 甲 は後 胴 は肩 ま で お お う こ とが で き,両 脇 は手 が動 きや す い よ う に く りぬ か れ,前 胴 の 上 縁 は鎖 骨 の あ た りまで あ り,後 胴 よ り低 く く,胸 か ら 胴 に か け て 身体 の 曲線 に そ りが あ り実用 的 に製 作 され て い る。 こ の短 甲 の付 属 品 と して,首 の ま わ りを保 護 す るi頸甲(あ かべ よ ろ い),両 肩 に当 て る肩

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甲,腰 か ら大 腿 部 を保 護 す る草 摺(く さず り)な どが あ る。

桂 甲 は小 札 と よば れ る細 長 い鉄 板 を縦 に並 べ,革 紐 や 組紐 で つ な ぎ合 わせ た もの で,短 甲 よ り体 を 自由 に動 か す こ とが で きる 甲で あ る。 こ の桂 甲 は体

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全 体 の 運 動 が 活 動 的 で あ り,甲 を 身 につ け騎 乗 して の移 動 や攻 撃 に支 障 が少 な く,古 墳 の埋 葬 品 や埴 輪 か らみ れ る よ う に騎 乗 が お こな わ れ る こ とに よ っ

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て,大 陸や 朝 鮮 半 島 か ら取 り入 れ られ た もの と考 え られ る。

『続 日本 紀(天 平 宝字 五 年 条)』 の なか に 「住 於 唐 国 。事 畢 欲 帰 。 兵 杖 様 。 甲 冑 一 具 。 伐 刀 一 口 。槍 一 竿 。 矢 二 讐 分 付 元 度 。」 とあ る。 そ こ に 「様 」 と あ り,こ れ に は手 本 ・法 式 とい う意味 が ふ くま れ,唐 の様 式 を持 ち帰 り取 り 入 れ た と思 わ れ る。 こ の翌 年 の 『続 日本 紀 』 の記 載 に は 「造 東 海 。 南 海 。 西 海 等 道 節 度 使 料 綿 襖 冑各 二 万 二 百 五 十 具 於 大 宰 府 。其 制 一如 唐 国新 様 。」 と, お そ ら く 「綿襖 冑」 とい う唐 製 の新 様 式 甲 冑 を製 作 し,装 備 す る こ とに素 早

く着 手 し対 応 しよ う と して い る 。 ま た 「造 綿 甲 冑一 千 領 以 貯 鎮 国 衛 府 。」 と

「綿 甲 冑」 の記 載 が あ り,こ れ らの唐 製 の新 様 式 甲 冑 は,元 来 の桂 甲 を軽 量 化 し,行 動 を迅 速 にす るた め に綿 製 品 と革 製 の小 札 とで作 成 され た もの と推

   

測 され る。

古 墳 時代 を通 じて の基 本 的 な戦 闘 形 態 は 弓矢 戦 と刀剣 を用 い た 白兵 戦 で あ る。 こ れ らの武 器 に対 す る防 護 用 武 具 で あ る 甲 冑の 必 要 性 が 出 て くる。 この 甲 冑で 防護 した敵 を倒 す に は,さ ら に よ り強 い 攻 撃 用 武 器 が必 要 に な る こ と の よ うな相 互 作 用 は,武 器 ・武 具 の発 達 と変 遷 に影 響 を与 えた 。鉄 製 の 桂 甲 は動 きが 比 較 的 自 由が き き,騎 乗 した と き全 身 武 装 して も支 障 が な く上 層 武 官 で あ る騎 馬 兵 が これ で武 装 した。 歩 兵 の 場 合 は歩 く ・走 る こ とが お もで 騎 兵 と同 じ桂 甲で は重 量 が あ り支 障 が 多 く,鉄 製 桂 甲 よ り簡 素化 され た軽 量 の 綿 甲 冑 が多 く製作 され 使 用 され た と思 わ れ る。

七.馬

戦 闘 に関 して戦 闘能 力 を高 め る ため に補 助 的役 割 をす る馬 が あ る。 わが 国 にお い て最 初 に騎 乗 の風 習 が発 生 した の は い つ 頃 で あ るか とい う問題 で あ る が,一 般 的 に は古 墳 に 副 葬 され る金 属 製 品 を主 体 とす る馬 具 が発 見 され た, そ の 古墳 の時 代 を もって騎 乗 の 出現 とみ な して い る。 そ の時 代 か ら律 令 期 に

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お け る まで に騎 乗 目的 の変 遷 は馬 具 に よっ て,お お よそ の こ とが 知 る こ とが で きる。

大 和 朝 廷 に よっ て 国 内統 一 が され た後 も朝 鮮 半 島 に進 出 した朝 廷 は 『広 開 土 王 碑 文 』 や 「宋 書(倭 国伝)』 にあ る宋 の 皇 帝 に送 っ た上 表 文 に よ り朝 鮮 半 島 で勢 力 を強 め た高句 麗 と争 っ た こ とが し られ てい る 。

『日本 書 紀(欽 明十 四年 十 月 条)』 に高句 麗 軍 と百 済 の王 子 との 戦 闘 の記 述 が あ り,高 句 麗 軍 は鼓 吹 と施 旗 を使 用 した騎 馬 兵 で あ る武 将 の 指揮 下 に よる 集 団戦 法 を と って い る。 こ こに で る高 句 麗 軍 騎 馬 兵 の姿 は,高 句 麗 古墳 壁 画 に描 か れ て い る状 況 か ら,防 禦 武 装 を した 馬 に騎 乗 し長 槍 を持 った 桂 甲 を身 に付 け た重 武 装 の騎 馬 兵 で あ る。 高 句 麗 軍 は壁 画 にあ る姿 の騎 馬 兵 が 軍 団 の 基 本 で あ り,『 三 国 史 記 』 の 記 録 か ら騎 馬 兵 は戦 闘 時 には 最 先 頭 に立 ち敵 陣 に突 撃 した と され,当 時 の朝 鮮 で の戦 闘 は先 陣 が騎 馬 兵 を中心 とす る集 団 戦

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法 で あ っ た とい う こ とで あ る。 この 朝 鮮 で倭 の武 将 が新 羅 の 武 将 と騎 馬 で 戦 っ た こ とが 『日本 書 紀(欽 明 二 十 三 年 七 月 条)』 に記 述 され て お り日本 で も 騎馬 兵 が存 在 し,朝 鮮 か ら騎 馬 兵 と して の武 装 ・戦術 を取 り入 れ軍 用 の馬 が 重 要視 され て い た と思 わ れ る 。

日本 国 内 にお い て は672(天 智 十 一)年 に古代 最 大 の 内乱 で あ る壬 申 の乱 が起 きるの で あ る。 この乱 の弘 文 天 皇 に対 す る大 海 人皇 子 の作 戦 計 画 は,美 濃 安 八 磨 郡(あ は ち まの こお り)の 食封 を作 戦 基 地 と し郡 の 人 員 を動 員 して 主 力 兵 力 と し,東 国の 国司 の軍 を招 集 して主 力 部 隊 を編 成 して,そ の兵 力 を 持 って奇 襲 攻 撃 に る先 制 攻 撃 に出 る こ とで 弘 文 天 皇 の大 津 京 を襲 撃 す る こ と で あ った 。 そ こで 大 海 人 皇 子 は この作 戦 の 遂 行 の た め に美 濃 の 兵 三 千 人 を発

して重 要 拠 点 で あ る鈴 鹿 ・不 破 をい ち早 く押 さえ,美 濃 に本 拠 を置 き東 国 の 兵 を集 め た の で あ る。 この 大 海 人 皇 子 の武 力 は どの よ うな もの で あ るか とい え ば,大 海 人 皇子 に従 う舎 人 や 私 領 で あ る美 濃 国 の湯 沐 邑(ゆ も くむ ら)の 武 力,伊 勢 ・尾 張 諸 国 か ら東 海 ・東 山二 道 か らの募 兵 と大 伴 吹負 が ひ きい る

三 輪 ・鴨 ・倭 漢(や ま との あ や)な ど奈 良盆 地 の在 地 領 主 勢 力 で あ った 。 こ

202国 際 経 営 論 集No.272004

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れ らの兵 の 中 に騎 馬 兵 が 多 くの 数 を 占め てい た と思 わ れ,そ れ は 『日本 書 紀 』 の 記 述 か ら,大 和 に挙 兵 した 大伴 吹 負 を救 援 す るた め に伊 勢 か ら兵 を進 め た の は置 始 兎(お きそ め の うさ ぎ)を 将 とす る約 千 騎 の 兵 で あ っ た こ とや,白 馬 に騎 乗 した近 江 の将 盧 井鯨(い お い の く じ ら)と 騎 馬 兵 で あ る 「甲斐 の勇 者 」 との戦 闘 か ら も察 す る こ とが で きる 。一 方,弘 文 天 皇 方 の将 田辺 小 隅 が 得 意 の騎 馬 隊 を率 い て合 い 言 葉 を使 って の夜 襲iを敢 行 し,倉 歴 に 配備 した ば か りの大 海 人皇 子 方 守備 隊 に勝 利 して い る。 この よ うに壬 申の乱 で は,機 動

(25?

性 にす ぐれ た馬 を使 用 した騎 馬兵 に よる戦 闘 が お こ なわ れ てい た の で あ る。

そ れ で は この 時代 にお い て の騎 馬兵 に よ る戦 闘方 法 は どの よ うな もの で あ り,ど の よ う に馬 を活 用 して い た か を検 討 しな け れ ば な らい がa『 日本 書 紀 』 な どの 記 述 に は騎 馬 兵 にお け る直 接 個 々 の 戦 闘描 写 が ほ とん どみ あ た ら な い。 た だ し現存 す る武 具 ・馬 具 の部 類 か らお お よそ の こ とを察 す る こ とが で きる が,こ れ につ い て の武 具 ・馬 具 か らみ た騎 馬民 族 説 や そ れ を否 定 す る論 争 な どが あ り,こ れ ら を論 じるの で は な く当時 の騎 馬兵 の姿 や 戦術 の み を と

りあ げ る。

現 在 の 騎 乗 用 馬 具 は街(は み)・ 轡(く つ わ)・ 鐙(あ ぶ み)・ 鞍 部 か ら な るが,当 時 の騎 乗 の風 習 を考 え る に は馬 装 が遺 物 と して 発 見 され る場 合 に完 全 な姿 の もの は少 な く,そ の他 の馬 装 具 を とお して 考慮 しな け れ ば な らない こ とが 多 い。 中 には装 飾 と して の馬 具 もあ り,騎 乗 の 目的 や歴 史 的 な相 違 に

よっ て馬 具 の構成 が異 な る もの で あ る。

日本 国 内 にお い て は古 墳 時代 か ら律 令 期 にか け て金 属 製 の街 ・鐙 の発 達 に よ り,戦 闘 に適 した 騎乗 用 の馬 具 を伴 う騎 乗 に変 化 して い っ た。 た だ騎 乗 す る た め で あ れ ば轡 の み備 え て い れ ば 騎乗 は可 能 で あ るが,戦 闘 となれ ば馬 上 で の踏 ん 張 りが き くよ う に鉄 製 輪 鐙 とその 鐙 を備 え る鞍 が必 要 で あ る。 こ れ らの馬 具 を装備 し 自 ら桂 甲 で武 装 す る こ とで,馬 の機 動 力 を利 用 した馬 上 か ら矛 を持 っ て敵 に攻 撃 を加 え る こ とが 可 能 とな る。 な お 弓 矢 を用 い て馬 上 か らの攻 撃 が 考 え られ る が,こ の 攻撃 は適 当 な距 離 をた もち敵 に最 接 近 した と

律 令 制 成 立 期 の武 器 と武 術203

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き矢 を射 る戦 術 が適 して い るが,日 本 の 弓矢 は長 弓 で あ り馬 上 か らの 弓 矢 に お け る実 戦 攻 撃 は,弓 自体 が 長 い た め弓 が馬 に当 た る こ とが あ り適 当 で は な く実 戦 に は む い て い ない 。馬 上 か らの弓 射 は 強 く湾 曲 した弾 力 が 強 い短 弓 が 適 してお り,そ の こ とは この 短 弓 を使 う高 句 麗 の古 墳 壁 画 か ら短 弓 を使 用 し

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て の騎 乗 弓 射 をお こ な う武 人 の姿 か ら知 る とこが で き,こ の 時代 には長 弓 を 使 う 日本 の 戦 闘 で は騎 乗 弓 射 はお こ な われ な か っ た と思 わ れ る。

当 時 の 武 人 が 携 帯 す る主 な武 器 は弓 矢 ・大 刀 ・矛 で,馬 上 か らの攻 撃 は前 述 の ご と く長 弓 で あ る弓 矢 と直 刀 の 大 刀 は不 向 きで あ り,こ の武 器 の 中 で は 矛 が 馬 上 攻 撃 に最 上 で あ る。 この 矛 に よ る馬 上 攻 撃 で は,全 身 を桂 甲 で 固 め 片 手 に矛 を もっ た騎 馬 兵 が お 互 い に向 か っ て突 撃 し,す れ違 い 時 に矛 に よ り 攻 撃 を加 え る西 洋 式 の騎 馬 戦 は 『記 紀 』 な どの記 述 か ら考 え られず,弓 矢 戦 や 白兵 戦 で勝 敗 が 決 した後,敗 走 す る兵 士 を馬 の機 動 力 を活 か し,追 撃 す る こ とが 騎馬 兵 に よ る主 な戦 闘 で あ った と考 え られ る。 また敗 走 す る兵 士 の退 路 を騎 馬 兵 に よ り遮 断 し,背 後 か らの歩 兵 との挟 み撃 ち にす る連 携 した戦 術

もあ っ た と推 測 され る。

律 令 制 成 立 期 の 戦 闘 に は騎 馬 兵 の 働 きが多 く,武 力 の重 要 な支 え とな る馬 は重 要 視 され,国 家 は馬 の 軍 事 ・伝 達 の必 要性 に よ り,こ の軍 馬 供 給 の ため に諸 国 に郊 外 で 馬 牛 を放 し飼 い にす る 「牧 」 を設 置 して い た こ とが 『記 紀 』 に記 載 さ れ てい る。七 世 紀 の初 め に は馬 の 飼 養 の面 で も組 織 化 が 進 ん で い き, 令 制 にお い て馬 の調 教 ・飼 育 を担 当す る の は左 右 馬 寮 で,そ こ には調 教 ・飼 育 を専 門 とす る馬 部 ・飼 丁 が所 属 して い た。 この よ うに馬 の 必 要 性 が生 じた の は,当 時 よ り馬 は軍 用 馬 と して活 躍 す る こ とが 多 く戦 闘 に は欠 か か す こ と の で きない存 在 とな り,乗 馬 を乗 りこ なす こ とが す ぐれ た強 い 武 人 の条 件 に

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な っ て い っ た の で あ る 。

七.兵 法

兵法 は戦場 での幾多 の実戦経験 と理論 的思考 との相互作用 に よる,一 般 的

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原 理 か ら特 殊 的事 実 の意 義 を認 識 す る こ と に よ り確 立 され て い く もの で あ る の で,兵 法 家 は理 論 と実践 に卓 越 した能 力 を もつ 軍 事 家 で な け れ ば な らなか っ た。 実 戦 と と もに必 然 的 に軍 事 の歴 史 的環 境 や 地 域 の 特 殊 性 を受 け て発 展 した兵 法 の な か に,特 にす ぐれ た孫 武 の 軍 事 理 論 で あ る 中 国古 代 の 『孫 子 』 の 兵 法 が あ る。 こ の 『孫 子 』 の 兵 法 は717(霊 亀 三)年 に留 学 生 と して入 唐

し,十 八 年 の留 学 生 活 にお い て主 に軍 事 を学 んで 帰 朝 した吉 備 真 備 に よっ て

X28)

日本 に もた らせ れ た こ とは 『続 日本 紀 』 に よ り知 る こ とが で きる。

吉 備 真 備 が 持 ち帰 っ た軍事 に関 す る武 器 類 は 『続 日本 紀(天 平 七 年 四 月 条)』

に記 述 が あ り,そ れ を あ げ る と① 測 影 鉄 尺 一枚 。 天 文 関 係 の用 具 で あ ろ う。

② 胴 律 管 一 部 。 ③ 鉄 如 方響 。④ 写律 管 声 十 二 条 。② 〜④ は軍 事 用 の 楽器 で あ る ら しい。 ⑤ 絃 纒 漆 角 弓 一 張 。⑥ 馬 上 飲 水 漆 角 弓 一 張 。⑦ 露 面 漆 四節 角 弓 一一 張 。⑤ 〜⑦ は騎 兵 用 の角 の弓 で 日本 に と って は新 兵 器 で あ ろ う。 ⑧ 射 甲箭 廿 讐 。⑨ 平 射 箭 十 隻 。⑧ ・⑨ は矢 の種 類 。 以 上 で あ る。 この ほ か に も留 学 中 に 学 ん だ と思 わ れ る築 城 や 兵 法 につ い て も著 し く,真 備 の 昇 進 は軍 事 に関 す る

  ラ

機 会 に多 く見 られ る。

これ以 前 は 「軍 防 令 」 に よっ て諸 国 に軍 団 を構 成 し,規 定 され た 「陣法 式 」 に よっ て訓 練 され て お り,有 事 の 場合 は諸 国軍 団 兵士 を作 戦 地 点 に結 集 させ, 軍 団 単 位 に 戦 時 体 制 の 編 成 を お こ ない 作 戦 会 議 に お い て各 軍 団 の 配 地 ・布 陣 ・目標 地 の 占拠 ・行 軍 経 路 等 を決 定 し作 戦 を遂 行 す る よ う に な って い た 。 戦 闘単 位 は前 述 した よ うに,大 盾 に 弓矢 と大 刀 で 武 装 した五 十 人0隊 を最小 単位 と して 弓矢 を射 なが ら敵 へ と前 進 して い くもの で あ り,軍 事 理論 に基 ず く戦 略 は み あ た らない 。 壬 申 の乱 にお い て は,吉 野 方 の迅 速 な行 動 に よる重 要 拠 点 の進 撃 に よ り,吉 野 方 は近 江 方 の作 戦 を封 じ,退 路 を遮 断 し各 戦 場 に おい て撃 破 して 最 終 的 に勝 利 した。 この 戦 い で 合 い言 葉 を使 っ た りす る計 略 は あ った もの の 軍事 理論 に よる兵 法 とい える もの は なか っ た。

帰 朝 後 の真 備 は754(天 平 勝 宝 六)年 か ら763(天 平 宝 字 七 〉年 まで 大 宰 府 に お い て 大 宰 少 弐,続 い て 大 弐 と して在 任 した 。 大 宰 府 在 任 期 間 に は756

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(天 平勝 宝 八)年,真 備 の指 揮 下 に筑 前 恰 土 城 を築 城 した 時 か ら築 城 術 に堪 能 な こ と は 中央 に知 られ て い た 。759(天 平 宝 字 三)年 に は恵 美 押 勝 は新 羅 征 討 ため 大 宰 府 に行 軍 式 を造 ら して い るが,こ の行 軍式 とは教 練 の形 式 や 戦 闘 の 原則 な どを規 定 した もの と思 わ れ,お そ ら く真 備 に よっ て作 られ た の で あ ろ う。760(天 平 宝 字 四)年 に 中央 は授 刀 舎 人 春 日部 三 関 ・中衛 舎 人 土 師 宿 禰 関 成 等 六 人 を大 宰 府 に遣 わ し,真 備 に就 い て 「諸葛 亮 の八 陣」,「孫 子 の 九 地」,「結 営 向背 」 を習 得 させ てお り,真 備 の 中 国 兵 法 が 重 要 視 しされ て い た こ とが わか る。

真 備 が大 宰 府 の任 を終 え入 京 した の は764(天 平 宝 字 八)年 の正 月 で,こ の年 九 月 に恵 美押 勝 の乱 が起 こ り真 備 は 中 国兵 法 を応 用 して この乱 を鎮 圧 し て い る。

この 乱 にお い て押 勝 の 戦 略 は,宇 治 か ら近 江 の 中原 に に 出 て,愛 発 ・不 破 の 関 との 連 絡 を確 保 し,近 江 一 円 を確保 す る こ とで あ っ た。 これ に対 し真 備 の押 勝 対 策 は朝 廷 か らの追 討 の任 命 が 遅 れ た こ とで,出 遅 れ た た め最 初 不 利 で あ っ た。 そ こで真 備 の とっ た戦 略 は,宇 治 か ら近江 の 中原 に む か う押 勝 を 追 う こ とはせ ず,鈴 鹿 ・不 破 ・愛 発 の 関 を固守 させ 遁走 す る と思 わ れ る要所 を押 さ え た。押 勝 は近 江 に進 ん だが 近 江 国淡 海真 人 三船 ら と援 軍 数 百 騎 が 防 戦 し,勢 多 の橋 を焼 き押 勝 軍 は進 軍 す る こ とが で きず 高 島郡 に引 い た 。真 備 に よ り要所 は押 さえ られ て お り高 島郡 で戦 闘 とな り乱 は17日 で終 結 した 。 こ の 戦術 は押 勝 を追 う こ と な く要所 を 固 め た こ とは 迅 速 で は な く迂 の よ うで あ

るが,こ れ は 「迂 」 を も って 「直 」 とす る 『孫 子 』 の兵 法 の 「迂 直 の計(戦

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争 編)」 を実 行 した もの で あ っ た 。 この 乱 は真 備 に よ る 「孫 子 』 の兵 法 の応 用 に よる鎮 圧 で あ る が,中 国 兵法 を習得 し実 戦 に応 用 で きる人 物 は唐 の留 学 生 で あ る真 備 な ど一 部 の者 に限 られ てお り,こ の よ う に 中国 兵 法 を 自由 に駆 使 で きる武 将 は少 な か っ た と思 われ る。

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八.む す び

国 内 にお け る現 存 す る武 器 ・馬 具 や 『日本 書 紀 』 な ど にみ られ る記 述 の特 徴 か ら だい たい の古 代 武 人 の姿 うか び あが っ て きた 。 甲 冑で 身 を 固 め大 刀 を 腰 に差 し弓 を もっ た姿 が 一 般 的 な武 人 で あ っ た 。武 器 にお い て は い ろ い ろ な 種 類 が あ り,そ れ らの武 器 の長 さや 長所 を活 か す 戦 い の 方 法 が 考 え られ,各 個 人 の体 格 体 力 に よっ て も武 器 の長 短,重 量 も違 っ た もの を使 用 した と思 う。

弓 や,大 刀 は常 備 の武 器 で あ りそ の他 に も個 人 の得 意 とす る武 器 を携 帯 し戦 闘 には そ れ を使 用 した と も思 わ れ る

武 器 は戦 乱 を機 に強 い ものへ と変 化 を し,よ り有 利 な武 器 が 飛 躍 的 に発 達 す る 。戦 闘 方 法 も敵 の弱 点 へ の 攻 撃 も考 え られ,集 団 戦 にお け る戦 術 で は規 定 され た訓 練 に よ り,各 個 人 画 一 さ れ た行 動 に よ る集 団 戦術 を生 み 出 した 。 個 人 的 な戦 闘で は,敵 へ の攻 撃 法 や 敵 か らの攻 撃 に応 じて 反 撃 をす る高 等 技 術 は確 立 してお らず,流 派 とい われ る攻 撃 ・受 け ・反撃 の 形 が 確 立 す る の は 戦 国 時代 末 期 ま で待 また な け れ ば な らない 。矛 や大 刀 の よ うに接 近 戦 で使 用 す る武 器 とは違 い,遠 距 離 か ら攻 撃 す る弓 矢 は,古 代 か ら戦 闘 開始 時 の攻 撃 武 器 で又 攻 撃 の主 力 武 器 で もあ っ た。 古代 よ り武 人 は遠 距 離 か ら攻 撃 で きる 弓矢 に熟 達 し,機 動 性 の あ る 馬 を乗 りこ なす こ とが 求 め られ,中 世 か ら近 世 へ の武 士 へ と受 け継 が れ て い くこ とに な る。

武 器 や個 人 ・集 団戦 術 の発 達 と と もに 中 国 か ら理 論 化 され た勝 利 に導 くた め の兵 法 が 入 っ て くる。 この兵 法 は戦 争 を国家 の大 事 と して,勝 敗 を決 す る 要素 を体 系 的 に規 定 して い る 。 内 容 は気 候 ・地 形 を考慮 して の戦 機,敵 に対

して の対 処 法,将 の 気 質 な ど勝 利 の 法 則 とい え る こ と を細 か に論 じて い る。

日本 の多 くの戦 国武 将 も 「孫 子 』の兵 法 を参 考 に 自国 の家 法 を作 成 してい る。

現 在 の 日本 に も兵 法 に関心 を もつ 政 治 家 が 多 くい る こ とを聞 くが,そ れ は軍 事 的 な活 用 で は な く,政 治 ・外 交 ・対 策 な ど に向 け られ てい る の で は な い だ ろ うか 。 我 々が 自分 自信 の危 機 へ の対 処 や 行 動 を起 す と き,先 哲 が残 した書 物 を読 ん だ り,歴 史 的戦 乱 をみ つ め なお した りす れ ば,人 と して の倫 理 的規

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範 や 武 将 の戦 略 ・対 処 ・決 断 な ど=適切 な判 断 を した武 将 が勝 利 した史 実 が多 くあ り,現 在 の生 活 にお い て 参 考 に な る で あ ろ う。

(1)直 木 孝 次 郎 「律 令 兵 制 につ い て の二,三 の考 察 」 一 『飛 鳥奈 良 時 代 の研 究 』 塙 書 房1975現 実 に は一 戸 一 兵 士 と推 定 され る。

(2)昭 和 初 期 に沢 田吾 一 に よ っ て な され,賎 民 を加 え れ ば約600万 に な る と さ れ る。

(3)角 田 文 衛 「軍 団 と衛 府 」 一 『西 田先 生 頒 寿 記 念 日本 古 代 史 論 叢 』 参 照 吉 川 弘 文 館1960

(4)笹 山晴 生 『古 代 国 家 と軍 隊 』 中央 公 論 社1985P64

(5)下 向 井 龍 彦 「律 令 軍 制 と国衙 軍 制 」 一 『人類 に とっ て 戦 い とは2』 東 洋 書 林1999P85

(6)下 向井 龍 彦 前 掲 書(5)P90参 照

(7)末 永 雅 雄 「増 補 日本 上代 の 武 器 』 木 耳 社1981P110

(8)古 代 の 反 りの な い刀 剣 を 「大 刀 」,反 り ・鏑 が あ り現 在 で い う 日本 刀 の 姿 をす る刀 剣 を 「太 刀」 と して い る。

(9)朝 鮮 民 主 主 義 人民 共和 国社 会科 学 院 考 古 学研 究 所 編 『高 句 麗 の文 化 』 同朋 舎 出版1982P72

(10)聖 徳 太 子 が 大 刀 を さ げ て い る絵 か ら宮 中 にお い て も有 力 者 層 は大 刀 を帯 び て い た と思 わ れ る。

(11)前 掲 書(9)『 高 句 麗 の 文 化 』P70 (12)前 掲 書(9)『 高 句 麗 の 文 化 』P71

(13)林 巳 奈 夫 『中 国股 周 時 代 の 武・器 』 に五 人 が違 う武 器 を持 ち,五 人 一 組 とな る集 団戦 術 を論 じて い る。

(14)西 川 宏 「武 器 」 一 『日本 の 考 古 学V』 河 出書 房1966P257 (15)末 永 雅 雄 前 掲 書(7)P257‑259

(16)森 岡秀 人 『弥 生 文 化 一 日本 文 化 の 源 流 を さ ぐる 一』 平 凡 社1991P115‑

116

(17)笹W晴 生 「文 献 に見 られ る戦 術 と武 器 」 一 『日本 古 代 文 化 の探 求 一 戦 一』

器 」 社 会 思 想 社1984P140‑141

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(18)下 向 井 龍 彦 「日本 律 令 制 の基 本 構 造 」 『史 学 研 究 』175参 照 (19)胡 口靖 夫 「律 令 軍 団制 の 軍事 訓 練 制 度 」 『続 日本 記 』211参 照 (20)末 永 雅 雄 前 掲 書(7)P288‑289

(21)上 田宏 範 「日本 古 代 の 武器 」 前 掲 書(17)P84‑88 (22)上 田宏 範 「日本 古 代 の 武 器」 前 掲 書(17)P88‑92 (23)宮 田俊 彦 『吉 備 真 備 』 吉 川 弘 文館1988P146‑147 (24)前 掲 書(9)『 高 句 麗 の 文 化 』P81

(25)関 晃 「甲斐 の勇 者 」 一 『甲斐 史 学 』1参 照 (26)前 掲 書(9)『 高 句 麗 の 文 化 』P64

(27)吉 沢 幹 夫 「古 代 軍 制 と騎馬 兵 力 に つ い て」 一 『律 令 国 家 の 構 造 』 吉 川 弘 文 館1980参 照

(28)宮 田俊 彦 前 掲 書(24)P44‑45 (29)宮 田俊 彦 前 掲 書(24)P154‑159

(30)浅 野 裕 一 『「孫 子 」 を読 む』 講 談 社1994P138‑‑1.45

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