実質的意義の商法と企業法・序説 : Bydlinskiの企 業法論
その他のタイトル Handels‑oder Unternehmensrecht als Sonderprivatrecht
著者 福瀧 博之
雑誌名 關西大學法學論集
巻 54
号 6
ページ 1131‑1192
発行年 2005‑03‑10
URL http://hdl.handle.net/10112/12200
一︑商法には︑形式的意義と実質的意義との二つの意味がある︒形式的意義の商法とは︑﹁商法﹂︵明治三ニ・三・九 法律四八号︶という名の法律︑すなわち商法典を意味する︒このような商法典は︑沿革的事情や立法政策に応じて︑
( 2 )
これを有する国もあれば、有しない国もある。しかし、商法典の有無•内容とは関係なく、商法として統一的体系的
︑
︑
︑
︑
︑
︑
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︑
︑
︑
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︑
︑
︑ て
3 )
に把握されるべき特殊の法域︹法領域︺﹂が認められると解されている︒このように︑商法に属する諸規定がなんら かの統一的な理念をもって総合的に体系化されるものである︑とする見解を前提にして︑
( 4 )
を実質的意義の商法と呼んでいる︒
もっとも︑そもそも︑このような実質的意義の商法を観念することができるかどうかということがすでに問題であ る︒また︑それを肯定するとして︑それでは実質的意義の商法の内容は如何なるものなのか︑また実質的意義の商法
実 質
的 意
義 の
商 法
と 企
業 法
・ 序
説
B y d l i n s k
i の企業法論 I 実質的意義の商法と企業法・序説
福
瀧
︵ ︱
‑ 三
一 ︶
一般に︑そのような法領域 博
之
( 5 )
と形式的意義の商法との関係はどうなるのか︑といったことも当然問題となる︒しかし︑わが国の現時の学説は実質
( 6 )
的意義の商法の存在を肯定し︑しかもそれを﹁企業に関する法﹂であると解しているといわれている︒
( 7 )
二︑実質的意義の商法の概念に関しては︑かつては︑﹁商法は商に特殊なる私法である﹂とされていたようである︒
( 8 )
ここに商とは︑本来は経済学上の概念であって︑貨物の転換を媒介する営利的行為を意味する︒その後︑わが国にお
( 9 )
いては︑田中耕太郎博士によって︑商的色彩論という見解が唱えられ︑商法学界を風靡したといわれている︒商的色
彩論は︑﹁民商二法の対立は︑其の規定する法律事実の種類に依るのではなく︑両者共に概ね法律事実の種類は之れ
を共通に有するものであり︑商法の特質は寧ろ其の一般私法上の法律事実が受くる色彩に依るべきもので﹂あると説
く見解である︒民法と商法とは︑﹁民法中の一般取引法が私人間の法律関係の一般準則として無色であるのに反して︑
商法は商的色彩を帯びたる私人間の法律関係を規定するものたる点に於て﹂区別されると主張する︒そして︑この見
解にいう﹁商的色彩﹂は﹁商の最も純粋なる形態たる固有の商即ち貨物の転換を媒介することを目的とする行為︑換
( 1 0 )
言すれば投機売買からして演繹すること﹂ができるとされているのである︒
右の商的色彩論に対する批判として登場したのが︑西原寛一博士の商法企業法論である︒これは︑﹁企業に特有の
生活関係を対象とする私法が︑実質的意義の商法である﹂と説くものであり︑それによれば︑﹁企業とは︑私経済的
自己責任負担主義の下に継続的意図を以って企画的に経済行為を実行し︑これによって国民経済に寄与すると共に︑
自己及び構成員の存続発展のために収益を挙げることを目的とする︑ 一個の統一ある独立の経済的生活体である﹂と
されている︒また︑この見解からは︑﹁固有の意味における商︹固有の商︺
( 1 1 )
認め得る﹂といわれている︒
関 法 第 五 四 巻 六 号
︵ ︱
‑ 三
二 ︶
は︑企業なるものが最初に現れた形態と
その後︑わが国においては︑商法を﹁企業に関する法﹂と解するのが漸次一般となり︑このような見解が通説と
( 1 2 )
︵
1 3
)
なっているといわれている︒そして︑ここに﹁企業に関する法﹂とか︑﹁企業関係に関する法﹂というのは︑その説
( 1 4 )
くところが必ずしも一致していないとしても︑いわゆる商法企業法論︵企業法論または企業法説︶に他ならないと解
( 1 5 )
されている︒現時のわが国の主要な学説は︑あるいは︑﹁商法は企業関係に特有な法﹂であり︑﹁商法とは企業関係に
( 1 6 )
特有な法規の総体である﹂と説き︑あるいは︑﹁商法とは︑企業を対象とし︑企業をめぐる経済主体の利益の調整を︑
関係経済主体間の権利義務秩序として規整する私法として︑
( 1 7 )
解しているのである︒
三︑ところで︑このように商法を企業に関する法と捉え︑企業法論に拠る場合︑このことは商法学にとって如何なる
( 1 8 )
意味を有することになるのであろうか︒この点に関して︑企業法論の提唱者である西原博士は︑すでに︑次のように
述べておられる︒
﹁実質的意義の商法は︑学問的立場に立つものであって︑統一性・体系性を主眼に置き︑これに対し︑形式的意 義の商法は︑法律政策的立場に立つものであって︑実際性・便宜性を本位とする︒しかしながら︑両者は関連の ないものではない︒沿革的には︑形式的意義の商法の発生並にその変遷が︑これらの法典中に存続する本質的な
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑
ものの探究︑即ち実質的意義の商法の検討を刺激することが大であった︒また︑実質的意義の商法の研究は︑形
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑
( l i
︑ )
式的意義の商法の改正又は解釈に際して︑有力な指導精神を与え得るのである﹂︒︹傍点付加︺
なるほど︑企業法論は︑現行商法典の規整対象を検討し︑﹁立法論的検討を加え︑実定商法を企業法として純化す ること﹂に役立つかも知れない︒たとえば︑企業と関係がないのに商法典の規整対象とされている絶対的商行為︵商
実 質
的 意
義 の
商 法
と 企
業 法
・ 序
説
︵ ︱
‑ 三 三 ︶
一般私法である民法の特別法の地位に立つ法﹂であると
法五 0
一 条 ︶
︵ 農
・ 業
林 業
・ 漁
業 な
ど ︶
の取扱いであり︑また︑逆に︑実質的には企業に属しているのに商法の対象とされていない原始産業
( 2 0 )
の位置付けの問題である︒
四︑しかし︑私見は︑右の西原博士の見解が︑企業法論または実質的意義の商法の研究が立法論との関係だけでなく︑
実定商法の解釈との関係でも意味を持つとされていることには︑素朴な疑問を抱いている︒なるほど︑実質的意義の 商法が企業に関する法に他ならないとしても︑また﹁企業はまず固有の商を業とする形態において﹂現れたものであ
( 2 1 )
︵
2 2
)
り︑﹁固有の意味における商は︑企業なるものが最初に現れた形態﹂であるとしても︑しかしながら︑現行商法の中
( 2 3 )
︵
2 4 )
心的な法源ともいうべき商法典が︑商行為および商人の概念を基礎として構成されている以上︑これを企業法論の観 点から解釈によって修正することには︑およそ原理的な制約があるのではないか︑との疑問である︒
実質的意義の商法の研究が︑形式的意義の商法の解釈に際して︑﹁有力な指導精神﹂を与える︑といわれているこ との趣旨が︑解釈論においても﹁企業﹂であるということから直ちに何らかの結論が導かれることがあるという意味 であれば︑それは﹁企業﹂という概念に一定の法規範または法原則としての地位を認めることになるのではないのか︒
あるいは︑類推によって︑本来︑現行商法︵商法典︶
の規整の対象となっていない対象領域にまで商法の諸規定の適 用を及ぼすというのであれば︑これは︑立法者が商行為の概念を規定するに当たって明らかに消極に解していた領域 にまで規整を及ぼすことになるのではないのか︒このような解釈は許されるのか︑といった素朴な疑問である︒
的にいえば︑企業法論は︑実定商法の解釈にとって如何なる意味を有するのかという問題である︒法学方法論の知識 に欠ける本稿の筆者は︑このような疑問に直ちに何らかの解答を与える用意に欠ける︒
五︑そこで︑本稿においては︑右の問題を論ずるための準備作業の一として︑いわゆる法学方法論の立場から商法の
関 法 第 五 四 巻 六 号
四
︵ ︱
‑ 三
四 ︶
几 又
一 舟
ここで取り上げるのは︑
F r a n z B y d l i n s k i
教授︵ウイーン大学︑民法および法学方法論︶の﹁私法の特別法として
( 2 5 )
の商法または企業法﹂と題する論文に現れた所説である︒以下に見るように︑
B y d l i n s k
i が︑私の取り上げた問題と
同一の問題を議論の対象にしているのかどうかは︑多少︑疑問である︒これは外国の文献であって︑したがって︑ま た︑そこで議論の前提となっている商法典も︑商法の体系も︑さらには︑法学方法論も︑わが国におけるのとは少な からず違うはずである︒しかし︑そこに見られる議論は︑少なくとも︑その問題意識において私の疑問と少なからず 関連するものであり︑その意味で︑今後の私の作業にとっても有益であると考えるものである︒本稿に︑﹁実質的意 義の商法と企業法・序説
Bydlinski
の企業法論ーー—」と題する所以である。
( 1 )
大 隅
健 一
郎 ・
商 法
総 則
︹ 新
版 ︺
頁 ︒ ( 2 ) もっとも︑大陸法の諸国では︑多くの場合には︑ー大陸法系にもフランス法系とドイツ法系の諸国があり︑またこれら の国のなかには独立の商法典を持たない国もあるが︑ー一定の法典︵商法典︶のあることを前提にして︑そこに規定され ているような法規範を中心として実質的意義の商法も理解されている。大隅•前掲書――頁以下参照。さらに、英米法系の 国に関しては、たとえば、大隅•前掲書一頁、一五頁以下参照。
(3)
大隅•前掲書一頁。
(4)
鴻•前掲書二頁参照。
(5)
鴻•前掲書二頁が明快に指摘するところである。
( 6 )
鴻 ・
ニ 頁
︒
し ︑ ︒
実質的意義の商法と企業法・序説
(有斐閣•昭和五三年)
五
︵ ︱
‑ 三
五 ︶
一頁、鴻常夫・商法総則〔新訂第五版〕(弘文堂•平成―一年)
独自性︵または商法の体系的位置付けの問題︶を取り上げたと考えられるある見解を取り上げて多少の検討を試みた
(7) 竹田省・商法総則(新青出版•平成九年〔弘文堂書房•昭和七年、商行為法とともに合冊復刻〕)一頁。
( 8
)
しかし︑各国の商法は︑このような﹁貨物の転換を媒介する営利的行為﹂︵固有の商︶だけではなく︑そのような営利的
媒介行為を補助する行為︵補助商︶に規整の対象︵商の概念︶を拡大し︑さらには︑これらの商と類似した行為までをも規 整の対象とするに至ったと解されている。竹田•前掲書一頁以下、大隅•前掲書三二頁以下、鴻•前掲書二頁以下参照。 (9) 鴻•前掲書四頁。なお、本稿本段における実質的意義の商法に関するわが国の諸学説の紹介は、大隅•前掲書二七頁以下 および鴻•前掲書四頁以下に拠って、わが国において一般に言われているところを素描したに過ぎない。わが国における実
質的意義の商法に関する諸学説の検討は︑別の機会に譲ることにする︒ (10) 田中耕太郎・改正商法総則概論(有斐閣•昭和一三年)七頁、四四頁。なお、商的色彩論そのものの評価と位置付けも大 きな問題である。上柳克郎「商的色彩論について」商事法論集(有斐閣•一九九九年)三頁以下所収参照。
( 1 1 )
西原寛一・日本商法論第一巻︵日本評論社・昭和二五年︹改訂版︺︹初版︑昭和一八年︺二五頁︑一八頁︑二三頁︒ なお、大隅•前掲書三三頁が、「企業はまず固有の商を業とする商業の形態において現われ、ついでその商業の周辺にお
いてこれを補助する行為の営業として現われた結果︑商法はこれを追ってその支配を拡大したものと考えられる﹂とするの
も右と同趣旨であろう︒ (12) 鴻•前掲書五頁。
( 1 3 )
大隅・前掲書三六頁以下︒
( 1 4 )
たとえば︑企業の概念の理解︑公法的規定の位置付け︑手形法を包摂するかどうか︑などといった問題が議論されている が、各見解は必ずしも一致を見ていない。大隅•前掲書三五頁、三七頁以下、三八頁以下参照。 (15) 鴻•前掲書五頁によれば、「商法が当初は固有の商の法であったのは、固有の商が企業の原初形態として現われたためで
あり︑現在では︑それが発展して︑生産経済一般にも及ぶ高度の企業の法となっているという認識﹂および﹁そのような企
業の概念によって初めて商法の対象が的確に把握され︑商法体系の中心概念が定立されるという理解がなされている点﹂に おいては、商法が「企業に関する法である」とする学説は大体一致している。そして、鴻•前掲書六頁は、商的色彩論の商
法性格論としの面を高く評価しながらも︑しかし︑﹁特定の分野の実体法の本質を論ずるにあたっては︑当該の法の対象で
ある生活事実が何であるかを明らかにすることこそ第一義的に重要である﹂とし︑﹁商法の対象は企業であるとする商法企
関 法 第 五 四 巻 六 号
六
︵ ︱
‑ 三
六 ︶
実質的意義の商法と企業法・序説
七
業法論は︑商法の本質の把握において︑経済的社会学的考察の面でも︑また︑歴史的考察の面でも︑さらには︑比較法的考 察の面でも︑確固たる成功を収めた理論﹂であると評価して︑これに賛成されるのである︒
(16) 大隅•前掲書三六頁以下。
(17)鴻•前掲書六頁以下。
( 1 8 )
竹内昭夫﹁企業法の地位と構成﹂竹内昭夫
I I 龍田節編・現代企業法講座第
1 巻・企業法総論︵東京大学出版会・一九八四
年︶一頁以下所収︑一九頁以下が︑﹁商法を企業に関する法として理解する今日の通説的な商法対象論は︑それによってい かなる機能を果たすか﹂と問い掛けておられるのも︑同じ問題を指摘するものではないかと考える︒
(19)西原•前掲書二六頁。
(20) 竹内•前出註
(18)
二
0
頁以下。さらに、竹内•前出註
(18) ニニ頁以下は、「商法の規整対象を明らかにすることは、商法 学の体系化の基礎をなす﹂として︑企業法論の果たす機能として︑商法学の体系化との関係にも言及される︒とくに手形法 や独占禁止法が商法に属するかという問題である︒
なお、竹内•前出註
(18) 二五頁が、「商法対象論の機能と厳格性を過大に評価することは正当でないように思われる」と しておられることが注目される︒
(21) 大隅•前掲書三三頁。
蕊)西原•前掲書二五頁。
(23) たとえば、大隅•前掲書七三頁は、商法の領域においては、制定法のもつ欠陥がもっともよく現れるとしながらではある が︑﹁商法の領域においては制定法がとくに重要な意義を有する﹂とし︑そして︑大隅・前掲書七四頁は︑﹁商事制定法のう ち︑形式的意義における商法︑すなわち商法典が最も主要なものであることは︑いうまでもない︵商一条︶﹂とされている の で あ る
︒ (24) 大隅•前掲書八七頁。また、鴻•前掲書七九頁は、「日本商法では、商行為の概念と商人の概念の二つが中核を成して」
いることを指摘されるとともに︑﹁日本商法は︑企業概念を中核とするにはいたっておらず︑ヨーロッパ大陸諸国における と同様に︑多分に経済上の商の概念への伝統的な執着を示している﹂と説明しておられる︒
( 2 5 )
ここで取り上げるのは︑
B y d l i n s k
教授 i
( D r . i u r . , D r . i u r . h . c . m u l t . , e m e r . o P r . o f . F r a n z B y d l i n s k i ( e m e r . o . P r o f e s s o r
︵ ︱
‑ 三
七 ︶
巨坦
i朕ば国~~(ll}t> < (1 1111<)
fi.ir Zivilrecht und Juristische Methodenlehre an der Universitat Wien)) Q 「遥坦 Q 器要坦刈 ,...)¥..JQ 湮坦悩北迂<哉嵌坦――
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卜全―-―('~全=";、社捕皿ぐ灯以ぷ士~1
兵兵0
恙Ill
匹キ圧rQ
碧甥5) 」 (1~ 午〇) (Handels‑ oder Unternehmensrecht als Sonderprivatrecht: Ein Modellbeispiel fur die systematische und metodologische Grundlagendiskussion ; V ortrag gehalten var der J uristischen Gesellschaft zu Berlin am 7. Marz 1990 (1990))
」刈製怜~-E, 揺や玲:;;-,'船製全ふ 1"'~ 旦鯉悪 Q 国抵 Q 知↑や玲心茶 'Schriftenreihe der J uristischen Gesellschaft zu Berlin, Heft 121 (1990)
刈,..̲J¥....1<4 早や菜
¥....I:C, ~o
I I
I トー t>‑ ..lJ 匡圏 S 益 ~-Y を担
1 ,. 択后 Bydlinski 竺終恥 J QI トート「逗坦 Q 器忌坦 A ⇒ \JQ 湮坦冊心竺<卓惑祖」 (Bydlinski 竺「湮悉 Q~ 咲
茎送聴 (die systematische Stellung des Handelsrechts) 」刈炉喘窓 ....J¥J 勾 ‑0) 如益ミ斗生北 0 会°
Bydlinski Q 「巨令竺,. 1 茎忌終廷咲忌将 ,'6
択坦忌終惹諷〔料笹〕旦囃
0 :., ¥J,.
感迭終渥涅〔訃唇梨字七〕
Q~'(
全如苔湮旦凶宗ヤ炉 J 刈以 ..L‑iS 0 ¥J (durch deutliche Unterscheidung verschiedener
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J 刈旦埒肉」 A) :., A{""¥ 0 「恒坦 Q~ 咲忌迄起」以巨 1°'l‑0
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methodologische Thesen) Q 叫報⇒梵い←ふー K 刈終心如 Q ゃ ~l-0 」 A.IQ 呂絲如翠 V 直叩¥刈::, Aパ Q ゃ ~l-00
~Q
坦眺萎牲〔坦~-地〕旦匡
'JO'!{a Iトー中茶,. t米経 U' 湮坦 Q~ 咲呂終坦起旦巨 1°'l‑0 蓋愉唇 A.IQ 目終産や,. ~Q 識匿旦肱
実 質
的 意
義 の 商 法
と 企
業 法
・ 序 説
ていえば︑多くの重要な法解釈学の方法においては︑
九
﹁ある法領域およびある法の指導的な諸原則にまで至る規範的 法解釈により︑現行法から法を獲得する方法
に 関 し
右の体系的なテーゼに続けて︑ いる︒法的な素材︹材料︺
( R e c h t s m a t e r i e ) を 一 時 的 に
︑ そして大体において
( v o r l a u f i g u n d g r o h )
( 4 )
( s .
8 )
境界付けるこ は︑少なくとも一時的に
ニ つ ここにし の探求
ここにいう法の
﹁ 内
的 な
体 系
﹂ は
︑
は︑法の
と は
.
( v o m , . . m
B y d l i n s k i は
︑ 先
ず ︑
﹁その時々に存在する法的素材が示される順序に関する
二 ︑ る ︒
そ れ
で は
︑
B y d l i n s k i
のいう
与するのであれば︑
( 1 )
( s .
7£.) 一定の確認
( d a s . . a u . B e r e S
y s t e m ^ ^
﹁体系的・方法論的なテーゼ﹂とは︑如何なるものをいうのか︒これは︑商法の体 系的位置に関する
B y d l i n s k
i の議論の前提をなすものである︒
d e r A
b f o l g e , i n d e r d e r j e w
e i l s v o r l i e g e n d e R e c h t s s t o f f d a r g e b o t e n w i r d )
﹃ 外
的 な
体 系
﹄ 区別されなければならない﹂と言っている︒そして︑
n e r e n S y s t e
m ' ^
d e s R e
c h t s )
( 2 )
|—
Canaris
と同様に‘||これを「一般法原則の価値論的または目的論的な秩序
(axiologische
o d e r t e l e o l o g i s c h e
( 3 )
B y d l i n s k i は ︑
O r d n u n g a l l g e m e i n e r R e c h t s p r i n z i p i e n
) ﹂と定義している︒また︑
となくしては︑ある法的素材に関する諸原則を探求することはできないからである︒
材料の内容的な関連を探求すること
︹規範的材料の内容的な関連の探求︺
﹃ 内
的 な
体 系
﹁ ﹄
内 的
な 体
系 ﹂
︹暫定的に︺受け入れられた﹁外的な体系﹂を前提とするものであるということを強調して
B y d l i n s k
i は︑次に法学方法論に関するテーゼを取り上げる︒
B y d l i n s k i に
よ れ
ば ︑
( d i e m e t h o d o l o g i s c h e R e c h t s g e w i n n u n g a u s g e l t e n d e m R e c h t ) ( d i e
E r m i t t l u n g i n h a l t l i c h e r Z u s a
m ,
m e n h a n g e m i N o r m e n m a t e r i a l b i s h i n z
u d e n l e i t e n d e n P r i n z i p i e n i e n e s R e c h t s g e b i e t e s u n d d e s R e c h t s i . i b e r h a u p t )
﹂
︵ ︱
‑ 三
九 ︶
そのようなテーゼは︑
( e i n e g e w i s s e B e s t a t i g u n g )
を得ることになるというのであ
関 す る 諸 原 則 に 著 し く 違 反 し た 法 律 に 関 し て
は︑立法者の真正の事実の錯誤に関して
であり︑法の理念に
( d e m o k r a t i s c h e e L g i t i m a t i o n )
機 能 ( R e c h t s s i c h e h r e i t s f u n k t i o n )
を充分に機能させることはできず︑ また︑立法機関の組織と民主的正当性
が中心的な役割を果たしている︒とりわけ︑立法理由に従った類推︹類推推論︺
( 5 )
との関係では︑そうである︒しかし︑このような方法には限界があり︑このようにして︑法を合法的に獲得で
( 6 )
である︒そして︑
B y d l n i s k i によれば︑この限界は︑その名 ( b i s z u r e l
x , l
a t a , G
r e n z e ) 称の如何を問わず︑法適用の恣意を避けるためには必要なものである︒この現行法の限界の問題は︑法の継続的形成 るが︑規範の内容と矛盾するルールが︑一方では︑法律の表現している規定から
A n o r d n u n e g e d s G e s e t z e s ) ︵あるいは︑そのような法律が表現する規定が明らかにないことから︶明らかな規範の 内容と矛盾し、他方では、立法機関の意図と目的から明らかな規範の内容と矛盾するルールが‘|ー—妥当する法とし ( a l s g e l t e n d e s R e h c t ) 主張され︑そして取り扱われるときには︑それは︑
S ( .
8 f . )
B y l d i n s k i の強調するところによれば︑このような限界を顧慮することなくしては︑実定法は︑その法的安定性の
は︑正しい意味を持たないことになる︒もっとも︑
B y d l i n k s
i も︑現行法の限界を緩
和する例外を認めないわけではない︒ただ︑ここで取り上げられているテーマとの関係では︑その多くは︑明らかに 当てはまらない︒したがって︑それらは︑これ以上追及する必要はない︒すなわち︑そのようにいうことのできるの
( f o r e d n e c h t e n T a t s a c h e n i r t r u m d e s G e s e t z g e b e r s ) ( f l i d r a s k r a B
g e
g e n d i e P r i n z p i i e n d e r R e c h t s i d e e v e r s t o B e n d e
l e x , l
a t a , G
e r n z e ) を超えているのである︒
て
一般的にいって︑現行法の限界
( d i e
( d e u t l i c h a u s e d f r o r m u l i e r t e n
( d i e R e c h t s f o r t b i l d u n g )
との関係においては︑
特に
﹁ 法
律 の
欠 鋏
( ,
G , e s e t z e s l t i e k e
^6)﹂
の問題として取り扱われてい
きるのは︑現行法の限界まで l e
g i s )
関 法 第 五 四 巻 六 号
( A n a l o g i s e c h l u B g m e a B e d r r a t i o
1 0
︵
︱ ‑
四
) O
Gesetz) や
~,s;;-.'~,...)
化坦赳駅彫殴
1~~
瞑応誌恥
nn1 ほど旦ま涅事坦匿...)
¥..J (fur die
besonderen
Konkreti‑
sierungsprobleme
von
gesetzlichen
Generalklauseln)
や ~l-00
やふ以竺蚕座忌終〔垢中坦旦弼丑怜肉〕睾卸坦旦巨
(t‑) ,...) ¥..J‑4l (fur
derogatorisches
Gewohnheitsrecht)
匡送や玲 l‑00 J) リ臼貶 1-0Q
竺翠志瞑海心終塵旦将
:t'l-0 逗咲 A)~
眺終心姦¥終坦赳皿起
A
悪怜田繹狂遠ヨ慰刈::,
J 嗜
lII遣国「縣器
Q 長翡恩」
(,,Funktionswandel"
im Sinne des Hervor‑
(00) tretens neuer und abweichender
Gesetzeszwecke
und
Leitgedartken
in neueren
Schichten
des positiven Rechts) 梨
土や ~,s;;-.'J) 菜旦廿 0 ¥..J'AJv
旦「讐悉起終坦恙
Q ぷ姦
(,,nachtrag
lie he
Gesetzesli.icken
")」茶赳拾心
J A) 茶埒 ,s;;‑. ,r‑‑,
l‑0 ...¥J ::, JI'Q ゃ埒 l‑0°(S. 9)
(,..,) Franz Bydlinski, Handels‑ oder
Unternehmensrecht
als
Sonderprivatrecht:
Ein
Modellbeispiel
fi.ir die
systematische
und
metodologische
Grundlagendiskussion
; Vortrag gehalten vor der
J uristischen
Gesellschaft
zu Berlin am 7. Marz 1990
(1990) s. 7f.
社述以~~\J竺’如Q
llydlinski
Q訳淀如益ミ斗
'±:-\...1~
芦ヤ没茶甜粧
Q 桜圏旦 (S.
_)刈~,r,~,r, 以皿滋怜 Jl 恰 ¥"'Q 竺
担
Qt,<
福Q
寓姦や~l{il (~ 郡旦迫 0
¥...I'Bydlinski,
a. a. 0.
刈⇒V
示ffi:1"'
炉J
刈如~l{il) 0
終兵’怜語Ll~ 七 l{il Bydlinski Q
訳淀 Q 苓く:::::竺桑 Q 囲堂 1"'l{il
い)f 旦疸 0 ¥...I r‑¥J
Q誕脳如益~..i-JTl{il--4>Qや硲~-怜語社甜
(I I) 以昇 I'l{il*
訳丑⇒終勾竺
Bydlinski
愉得以Qr-\,J
菜刈竺~,m...J~1
縣⇒終二゜(N) Canaris,
Systemdenken
und
Systembegriff
in der
Jurisprudenz,
2. Aufl. (1983) S. 40 ff., S. 47. Vgl. Larenz,
Methodenlehre,
5.
Aufl. (1983) S. 456 ff., S. 420 ff.
(M) Bydlinski 竺,
>) Q臨志旦孟如字⇒立「リリや~~
終 0 ,;.2~1*U
巨怜心坦癌呂囲縄
(Ql
恰巻竺’窓翠痴撫...)
\...I~l{il
『函悉 Q
廷咲礼坦墜蚕
(,,Privatrechtssystem
und
allgemeine
Rechtsgrundsiitze")
』旦巨
1"'l{il
索辻旦将~\...I M,ii
弱旦紺''(\...I~l{il O > J
Qi
トーヤ投淫坦
Q 器案坦 AJ...) ¥...IQ 浬坦旦炉搭 v‑‑4>Q'. 梨 0 ,;.! Q や ~l{il 」 A
忠-~〈 \...I~l{il
茶’如u~,
吋榔学茶写如把
ia,Q 全竺吝
挑瞑忌憮遷 i0
湮坦心<哨嵌坦.吐痔
1 1 (1 1 巨 1)
翌悉綜用回痢 ‑1, 曲 1 1 1 (1 1 回 1 1)
1"'....) 如苔ふ会や送終:, 0 V gl. Bydlinski, a. a. 0. S. 8 Fn. 3.
伍)リリ豆 Canaris 茶下正や* ¥‑‑':, か J 刈全ふ如, :,
兵~~Systemdenken (~ 餌獨)嘔芦芦臼碕疇露喫
刈終(¥ ¥‑‑':,
~刈聴華や辛心茶,
>J
>J や竺 Systemdenken Al 今
A吋認尖ゃQ,,6JQ
旦竺1:;;l
心r<~ 如翌終二゜ (LO) >J 菜旦翌....) ¥‑‑'竺 'Bydlinski, Juristische Metohdenlehre und Rechtsbegriff (1982) S. 472 ff. $産° 終奔知鯰垢振直
.;..! (¥ \--'竺’踪
11~ゃ玲
t‑0Bydlinski, Juristische Metohdenlehre und Rechtsbegriff, 2 Aufl. (1991) 謹(¥ .;..lo >J 兵迂端怜
起以’踪1~
刈匡l
包{~や玲~o踪11~Q S. 649 ff. 如幹淫 0 >J Q 択華旦将 :,¥J 竺怜以旦槃 ::.¥‑‑''>JQ 忍薬 t \--'1~ 替ゃ
兵肉択坦訛唇忘終漉皿召器;ぺ盟華旦益ミ斗竺ふ菜¥‑‑':,,
~゜ 回 Bydlinski, a. a. 0. (Fn. 5) S. 566.
>J
兵A
竺要笞江<恥匡泰0
憮嘔如痣v~QAl ....) ¥‑‑''Koch/R
暉mann, Juristische Begriindungslehre (1982) S. 255~\
産°匡即 illQ"R ー K ..L. :::‑‑1>‑‑‑‑ Q 写定迂令終 V 終今 0 .;..!
心K-~- OGH EvBI 1975/148
如~\苗碧 V gl. Bydlinski, a. a. 0. (Fn. 5) S. 569 Fn. 385. (t‑‑)
リ#ふQ窓~t:
坦Q座監如囃品t,~~ 苓旦室....) ¥‑‑'竺 'Bydlinski, a. a. 0. (Fn. 5) S. 115, S. 453; S. 328, S. 332, S. 350, S. 496, S. 582, S. 213 $産゜
(oo) Bydlinski, a. a. 0. (Fn. 5) S. 577 ff.
やふ江l 挙潔密〇悪器 0 長紅憩旦窒 ....)¥J'lji¥li....)v ざ Bydlinski, Moglichkeiten und Grenzen der Prazisierung aktueller Generalklauseln, in : Rechtsdogmatik und praktische V ernunft/Symposion zum 80. Geburtstag von Franz Wieacker (1990) S. 189 $匪°
8 湮悉 S 毎皿ギ
如旦涵く::::::⇒心知:終 l トー中如芸翠旦 ,..j ¥J,. Bydlinski 迂恒坦 O 姓咲忌華廷 0 臣園如益 .$;¥..Y':t‑
殴0 や玲心茶,. Byd‑
linski 迂’巨國心「 l 峯逗坦旦芯 1"'~ 恒坦 Q 索皿起~~::, 述や O 吋 ,r‑, 終崇皿起 Q 恨く用終ぷ忌」如 ~v~ 塞渥 A) ,̲J ¥J 翠
9
沼型...) \J~ ~0 Bydlinski 竺,. ,_J 会,....)"'坦坦〇忌皿起旦巨 1"'~ 瑳纏冊心超訃唇咄〇<咀全旦益 S 華わ憮桓互送終二刈::, 0 ¥J 五ふ
( 9
)
s k
i は︑商法の
﹁独自性またはその
して︑断片的なルール ないものであるとしているのである︒
( s .
1 0 £ . )
一 般
私 法
︹ 民
法 ︺
に対する根本的︹徹底
B y d l i n s k
i は︑商法の独自性に関するドイツ語圏の状況を次のように概観する︒すなわち︑
スイスでは︑すべての私法の素材に関する統一的法典化
( E i n h e i t s k o d i f i k a t i o n
)
が行なわれているのであるが︑
( 1 0 )
た と
え ば
︑
E u g e B n u c h e
r は︑依然︑民法と商法の﹁真の構造的対立﹂を説いており︑これには︑もちろん︑た
( 1 1 )
と え
ば ︑
M e r z
は反対である︒他方︑オーストリアと同様に伝統的に独立した商法を有するドイツにおいては︑たと
( 1 2 )
え ば
︑
M 呂
e r ,
F r e i e n f e l s
は︑その詳細かつ徹底した論文において︑賛否の議論を記述した後に︑ドイツ商法の形成は︑
﹁時代に﹂規定された
( z e i t b e d i n g t )
﹂ものであり︑したがって︑それは︑体系的には︑今日では︑もはや︑根拠の
B y d l i n s k
は︑このような極端な対立に言及した後︑このような議論を取り上げることは︑ここでは︑実り少ない i
として︑むしろ︑
般私法︹民法︺
一方では︑商法には︑若干の特殊性があり︑これが︑
一定の規範的な独自性を示すものであること を認めるべきであるとするとともに︑他方では︑商法の独自性といっても︑
的︺な原則の相違
( t i e f g r e i f e n d e
P r i n z i p i e n u n t e r s c h i e d e )
﹂があるのではなく︑商法は︑商法に属する法律関係に関
( f r a g m e n t a r i s c h e R e g e l n )
だけを与えるものであると説いている︒そのようなルールは︑
の例外と補充を含むものに過ぎず、したがって、民法が同時に適用されることをー—|それが補充的な
( 1 3 )
ものではあるとしてもーーー常に
( s t a n d i g )
広範に必要とするものであるというのである︒これを要するに︑
B y d l i n
,
︹独自性の︺欠如に関する過激な問題設定﹂ではなくて︑むしろ比較的控え目な 程度の独自性を問題にすべきことを主張しているのである︒
( S .
1 0 )
B y d l i n s k i
は ︑
商 法
の 独 自 性
に 関
す る 多 く の 文 献 を
引 用
し て い る
︒
V g l .
B y d l i n s k i , a . a . 0 . S
.
7
F n .
1 ,
S
.
1 0
F n
8 .
次
の よ
う 実 質
的 意
義 の 商 法 と 企 業 法
・ 序
説
︵ ︱
‑ 四
三 ︶
スイスにおいては︑
巨坦 :lf* l-R
回~-j(ajt> 1 回 (1 1 臣巨)
終 ...PQ ゃ母碍゜
Raisch, Die Abgrenzung des Handelsrechts von Biirgerlichen Recht als Kodifikationsproblem im 19. Jahrhundert (1962); Raisch, Geschichtliche Voraussetzungen, dogmatische Grundlagen und Sinnwandlung des Handelsrechts (1965); Raisch, Zur Analogie handelsrechtlicher Normen, Festschrift flir Walter Stimpel zum 68. Geburtstag am 29. November 1985 (1985) S. 29; Karsten Schmidt, Das HGB und die Gegenwartsaufgaben des Handelsrechts: Die
Handelsrechtskodifikation
im Lichte der Praxis (1983); Karsten Schmidt, Vom Handelsrecht zum
Unternehmens‑Privatrecht
?, JuS 1985, 249; Karsten Schmidt, Spekulation oder skeptischer Empirismus im Umgang mit kodifiziertem Recht, JuS 1985, 939; Karsten Schmidt, Handelsrecht, 3. Aufl. (1987); Zollner, Wovon handelt das Handelsrecht ?, ZGR 1983, 82; Capelle/Canaris, Handelsrecht, 20. Aufl. (1985); Vossius, Noch einmal: Vom Handelsrecht zum Unternehmensrecht? , JuS 1985, 936; Heck, Weshalb besteht ein von dem bi.irgerlichen Rechte gesondertes Handelsprivatrecht? , AcP 92 (1902), 438; Eichler, Die Einheit des Privatrechts: Grundsatzliche Bemerkungen zum Abgrenzung von bi.irgerlichem Recht und Handelsrecht, ZHR 126 (1964), 181; Schwark, Die Abgrenzung von Schuldrecht und Handelsrecht als legislatorisches Problem, in: Kindermann (Hrsg.), Studien zu einer Theorie der Gesetzgebung (1982) S. 11.
終将
'Bydlinski, a. a. 0. S. 7 Fn. 1 旦等('¥
\--'怜語旦~~\--'ゃ’如Q Raisch
将丑もKarsten Schmidt Q 榊 e0 示正以罰 心('¥ \--'竺’宦 ]Q 瑯抑 Q 翠姦 Q 賑辻如凶芙 1°'~-t.!
袋旦'‑t.!
迂沢迎'Raisch, a. a. 0. (Fn. 9) (1962) 刈~'"知 F 以母 rr]t'( モ至 母)如 l 恰,...) \--'忘 ffi:1°'~> J A) 旦 1°'~0 ぼ) V gl. Eugen Bucher, Der Gegensatz von Zivilrecht und Handelsrecht, Aspekte der Rechtsentwicklung zum 50. Geburts‑ tag von Prof. Arthur Meier‑Hayoz (1972) S. I.
(~) Merz, Schweizerisches Privatrecht VI/1 (1984) S. 20 f. ぼ) Mi.iller‑Freienfels, Zur ,,Selbstandigkeit" des Handelsrechts, Festschrift fi.ir Ernst von Caemmerer zum 70. Geburtstag (1978) S. 583, S. 613.
,,Riickblickend erweisen sich alle Beschrankungen auf das ,,eigentliche" Handelsrecht
ーsoweit sie i.iberhaupt mit vollem BewuBtsein des damit Gesagten vertreten werden‑als zeitbedingte Erscheinungen." (Mi.iller‑Freienfels, a. a. 0.)
︑ ︑
︑ ︑
︑ ︑
︑ 少なくとも企業の枠内にお
︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ヽヽ
( 1 6 )
いてのみ現れる法律関係に関係する規範の全体として理解することができるというのである︒ 発展した商法は︑
法律要件的には
ま ︑
9 .
" `
( t a t b e
s t a n d l i c h )
︑︑︑︑︑︑︑︑︑
企業に関係する規範か︑
あ る
い は
︑
一 五
R a i s c h
によれば︑現
A b g r e n z u n g s k r i t e r i u m )
を﹁企業
( U n t e r n e h m e n )
﹂
という概念において認識するに至ったのである︒
そ れ に よ れ ば
︑ 的 に 継 続 す る こ と に よ っ て
︑
の 表
現 に よ れ
ば ︑
て ︑
B y d l i n s k
i は
︑ も っ ぱ ら ︑
③ 企 業 法 論
﹁ 商 法 を お よ そ 二 ︑
B y d l i n s k i に よ れ
ば ︑
行の商法
( d a s g e l t e n d e H a n d e l s r e c h t ) 実質的意義の商法と企業法・序説
このような理論的な基本思想を充分に実現してはいない︒しかし︑企業
︵ ︱
‑ 四
五 ︶
R a i s c h
は ︑
R a i s c h
の詳細な研究は︑商法と一般私法︹民法︺
歴史的なものであり︑時代遅れのものであることを明らかするとともに︑今日では︑もはや﹁現在の法的状態の明白 で︑体系的な正当化︹理由付け︺
( 1 5 )
ないことを示しているという︒法律を超えて
︹現在の法的状態を明白に体系的に理由付けること︺﹂は可能で
( i . i b e r d e n G e s e t z g
e w o r d e n e n S t a n d h i n a u s )
︑ 嫡
盆 芥
付
2 けの努力を批判
体 系 的 に 耐 え 得 る 境 界 付 け の 基 準
( e i n s y s t e m a t i s c h t r a g f a h i g e
( R e c h t f e r t i g u n g )
との間の現行法の境界付けの根拠が単に
( 1 3 )
こ の
こ と
を 強
調 し
た の
は ︑
た と
え ば
︑
C a p e l l e ¥ C a n a r i s , a . a . 0 . ( F n . 9 ) S .
4 ;
M u l l e r , F r e i e n f e l s , a . a . 0 . ( F n . 1 2 ) S .
591 で
あ る
︒ 一︑右に見たように︑商法の独自性を全面的に否定したり︑あるいは︑その逆を説くような極端に走らない主張とし
P e t e r R a i s c h および
K a r s t e S n c h m i d t
の所説を取り上げている︒それは︑
g e b o t e n e n W e i t e r e n t w i c k l u n g e d s H a n d e l s r e c h t s z u
m ( a u B e r e n ) n U t e r n e h m e n s r e c h t l i b e
r h a u p t ) ﹂
で あ
る ︒
B y d l i n s k i
︵外的な︶企業法へと発展させることが必要であるとする理論
( d i e L e h r
e v
o n e d r ( 1 4 )
( s . 1 0
f .
)
本 理
念 ﹂
からすれば
1 1
f . )
においては︑︹そのような事例への︺
を 規
定 す
る の
は ︑
これを体系的に正しく理解すると︑その
B y d l i n s k i に
よ れ
ば ︑
というのである︒
R a i s c h
は ︑
w e i t h i n t i b e r i e n s t i m m e n d e r R e a l t y p u s )
基本思想である
で ﹁ 基 ( S
.
一次的には︑商法の妥当領域規範を顧 に言及していたのであり︑
かつての
a R i s c h
の著作に
( d a s i s n n n g e b e n d e ( S o n d e r u n g s '
︶
P r i n
z i p u d n d e n L e i g t e d a n k e n f o r d i e s y s t e m a t i s c h e n U t e r s c h e i d u n g ) ( S .
1 1 )
すに至っているとのことである︒すなわち︑最近︑
として適用すること
法典の個々の規範の法律の意味 さらに法学方法論におよぶ帰結
( d i e m e h t o d i s c h e n K o n s e q u e n z e n ) R a i s c h
は︑類推推論に基づいて︑商法の規範を企業一般に原則
i e ( d g r u n d s a t z l i c h e A n w e n d u n g d e r h a n d e l s r e c h t l i h c e n N o m r e n a u f U n t e r n e h m e n l i b e r h a u p t )
を推奨している︒商人の概念は問題とされていないようである︒
R a i s c h
は︑最初は︑支配的な方法論に従って︑商
︹ 立
法 理
由 ︺
︵
d i e r a t i o l e g i s )
( 1 8 )
おいては︑そのことにウエイトが置かれていた︒しかし︑現在では︑類推は︑
﹁特別名宛人の範囲
( S o n d e r a d r e s s a t e n k r e i s
) ﹂を顧慮して││ー行なわ
慮してー~そのことば通りいえば、商法典の
( 1 9 )
れているのである︒規定されてはいないが︑法的に似た事例が企業概念によって把握できるのであれば︑│
‑ R a i s c h
関係する商法典の規範の類推適用が正当化されるというのである︒
三 ︑
B y d l i n s k i に
よ れ
︑ ば
K a r s t e n S c h m i d t
も︑全く同様に︑商法は︑
( s e i n e r , , L e i t i d e e "
n a c h
) ︑
( 2 0 )
あるとする思想を展開している︒それによれば︑商法の対象︹題材︺
﹁企業の外的な私法
( d a s , , A u B e n p r i v a t r e c h t e d r U n t e r n e h m e n
﹂ )
( d e n S t o f f d e s H a n d e l s r e c h t s )
であるが︑体系的な区別にとっては︑意味のある︵選別︶
という法概念は││I企業は︑
関 法 第 五 四 巻 六 号
基本的な特徴においては︑ 広く一致する現実的な類型
一 六
原 理
で あ
り ︑
( e i n i n e d n G r u n d z l i g e n
︵ ︱
‑ 四
六 ︶
をも引き出
( A u B e n p r i v a t r e c h t d e r U n t e r n e h m e n )
﹂
へと更に発展させることを一般的な﹁法の継続的形成目標﹂
( 2 3 )
) , R e c h t
s f o r t b i l d u n g s z i e l "
﹂にしているのである︒その教科書において︑ )
K a r s t e n S c h m i d t
は︑このような理論的な試
( 2 4 )
みを直ちに多くの個別的問題において実行している︒
K a r s t e n S c h m i
d 自身は︑ドイツ商法五四条︵代理権︶︑三六二
条︵黙示の承諾︶︑三六六条︵善意取得︶︑三六九条︵留置権︶︑三七七条︵通知義務︶
イツ商法三四八条︵違約金︶および三五
0 条
︵ 方
式 の
自 由
︶
実 質
的 意
義 の
商 法
と 企
業 法
・ 序
説
その外部関係に
︵ ﹁
原 則
的 と
し て
﹂
に超えているが︑しかし︑その
( A n s a t z ) は
︑ と
り わ
け ︑
行なわれている法律における境界設定に対する徹底的な批判によって支えられている︒
B y d l i n s k
i の説明によれば︑このような批判が説得的に証明しているところによれば︑法律上の商人の概念は︑すで
に本来の商品の取引
( W a r e n h a n d e l )
を ︑
し た
が っ
て ︑
一般的なことばの意味における﹁商人
( K a u f m a n n )
﹂を明らか
︹概念の︺営業上のサービス
( g e w e r b l i c h e D i e n s t l e i s u n g e n )
への拡張に当たって
は︑明白な境界付けの視点
( e i n l e u c h t e n d A e b g r e n z u n g s g e s i c h t s p u n k t e )
を欠いているのである︒すでに︑このよう な拡大の結果︑商人身分︹商人階級︺
一 七 の拡張は否定している︒商号または商号の続用に関して
の類推適用を強調するが︑
の特別法という思想が法律上の規定を支えることができないことは明らかであ
る ︒
さ ら
に ︑
K a r s t e n S c h m i d t
は︑卓越した問題の洞察によって︑右の拡大の結果として生ずる実際的な法適用の困 難を示すとともに︑商法の意味が大きく失われていること
示しているのである︒このような困難の是正のために︑ K a
r s t e n S c h m i d t
のこのような試み ﹁素材﹂自体
( d i e , , M a t e r i e ^ ( s e l b s t )
( d e r t s a r k e B e
d e u t u n g s v e r l u s t d e s H a n d e l s r e c h t e s )
をも
K a r s t e n S c h m i d t
は︑商法規定を非商人的な企業に関しても
( 2 2 )
( p r i n z i p i e l l ) )
類推適用することによって︑伝統的な商法を﹁企業の外的私法
︵ ︱
‑ 四 七 ︶
︹ 業 ︺
であって︑瑕疵︹欠点︺
( s .
12)
ド
( 2 1 )
のある規範のカタログではない︑というのである︒
︵ 補 註 ︶
ドイツ商法一条以下の非常に複雑な商人概念を用いて
( g
e n
e r
e l
l e
s
巨坦綜ば回瑯
~(n]t, I< (I I 回<)
!L,_~0 恒坦 1 1 ば《知よ翌 ,....J ¥‑.J 柑恙ゃ菜 ¥‑.J ::, 心苺宗超器旦+<国や埒心 0 (S. 12 f.)
(;:::) Raisch
将吋もKarsten Schmidt Q 訳裳以巨̲) ¥J 迂怜語 I I' 淀溢 (en) 志翠 O 奴語摘産゜ ぼ) Bydlinski 旦丹#迎, 1"' ゃ江 Raisch, a. a. 0. (Fn. 9) (1962)
旦将~\J (器旦 'S. 26 f.
以浜~I--'), !'t‑'0 廿'"終拇ぺ茶訳ふ 菜 t‑0 0
ぼ) 器旦 'Raisch, a. a. 0. (Fn. 9) (1965) S. 21 ff. ~\産゜
,,Daher rechtfertigt es sich, unter dem Begriff des Handelsrechts nur solche Rechtsvorschriften zu erfassen, die den Rechts‑ gedanken des Unternehmens als Bestandsteil sichtbar machen." (Raisch, a. a. 0. S. 21)
各兵
'Raisch, a. a. 0. (Fn. 9) (1965) 如湿く:::::怜心如 Q 立田廿蓄 l 「淫迅 0 廿令叡砂⇒ \JQ~ 哨約翠函忌起 0 拳出」艦ヨ 祖料唇遥 l 1 l 漿 11・l1)ll 記 (1 寓菜埒殴° やふ旦田丑塘 1 1・‑<) 用益計担坦翁岳器縄(酉擬榊 III) 皿・皆忌ば l 母)巨 I 佃応芸ヒ撒硲呈° (~) Raisch, a. a. 0. (Fn. 9) (1965) S. 16 f. (dogmatisches Prinzip). 怜や旦 'Raisch, a. a. 0. (Fn. 9) (1962) S. 10 f. 竺中聴 凜哀〕如出部ギ怜心「坦巽豆」 (das die Sonderung rechtfertigende ,,Rechtsprinzip") 如路榮̲) \J~.uo 皿飴赳旦 'Raisch, a. a. 0. (Fn. 9) (1985) S. 39
旦兵二化「翠要幽豆」兵号る袖持田繹
~A) ̲)¥J 0<‑::1 嵌菜濯尽ぷ t‑OQ
や玲t‑00 ぽ) Vgl. insbesondere Raisch, a. a. 0. (Fn. 9) (1965) S. 230 ff. ぼ) Raisch, a. a. 0. (Fn. 9) (1985) S. 45. V gl. auch Raisch, a. a. 0. (Fn. 9) (1985) S. 39. 環) Karsten Schmidt, a. a. 0. (Fn. 9) (1983) S. 13, S. 17, S. 31; Karsten Schmidt, a. a. 0. (Fn. 9) JuS 1985, 249, 250, 254; Karsten Schmidt, a. a. 0. (Fn. 9) (1987) S. V f., S. 6, S. 11, S. 44 ff.
(~) Karsten Schmidt, a. a. 0. (Fn 9) JuS 1985, 249, 250. (斜) Karsten Schmidt, a. a. 0. (Fn 9) (1987) S. 50. ぼ) Karsten Schmidt, a. a. 0. (Fn 9) (1983) S. 31; Karsten Schmidt, a. a. 0. (Fn. 9) (1987) S. 11, S. 44 f. (苫) Karsten Schmidt, a. a. 0. (Fn. 9) J uS 1985, 249, 254.
に基づいて けが である︒とりわけ︑拘束的な法律である商法とのほとんど と t i o n d e s H a n d e l s r e c h t s )
﹂
ま
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に対しては︑敬意が払われた︒
一 九
にとって
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︑ 外 的 な 私 法 と い う 考 え
( d e r
一 ︑
B y d l i n s k
i によれば︑右に紹介したような﹁商法に関する体系的な新たな構想
( d i e s y s t e m a t i s c h e N e u k o n z e p '
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r ︑ 一連の批判的な見解を惹起することになった︒特に︑
K a r s t e n S c h m i d t に対する
( 2 5 )
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