能のコトバの抑揚
ツヴィカ・セルペル
はじめに
能の声楽は二つの異なる形式からなっている。謡とコトバである。正確な記譜法や、明 確で精巧な構造の為か謡の部分がより容易に、頻繁に研究されるのに対し、コトバの声の パターンについてはほとんど分析がされていない。コトバの部分の上演方法については 様々な疑問が浮かび上がってくる。コトバの旋律には基本的なパターンがあるのだろう か。もしあるなら、それらはどのようなパターンなのか。基本のパターンがあるならば、
劇の状況や特定の役の性格は影響するのか、そしてそれはどのように演じられるのか。
この研究は、複合的ストラテジーである能の声楽において、謡の形式に対応するシテの 役柄や謡曲の状況との前後関係から、コトバの旋律におけるパターンの構造を論証しよう と試みたものである。シテによるコトバの演じ方やそれに対する観客の反応は、この伝統 的な演技のほかの要素と同じように、特定のパターンの蓄積された結晶化の結果であるこ とを示したいと思う。シテは手段として声楽の二つの特徴的な形式を用いる。これらの基 本のパターンとその要素を明確にすることにより、私たちはその複雑さの境界を定めるこ とができるようになるだろう。私が思うに、様々な要素は調和と永続的なダイナミズムを 生み出すために組み合わさっている。これらの組み合わせは、三つの主な要素の性差に基 づいて成り立っている。すなわち、斜めで直線的な声の抑揚に対する、まるく平らな抑 揚。休止をはさむパターンに対する、はさまないパターン。そしてピッチと音量の相互関 係の作用。これらの三要素の科学的分析を通して、能楽師の経験的ストラテジーを客観的 に論証したい。
私は、ぞれぞれのコトバのパターンの構成要素を、ピッチの抑揚と音量のコンピュー ターグラフから分析した。分析されたコトバは、シテの五流の内、最大規模の観世流を率 いる二家系のシテによるものである。彼らは同じ謡本を用い、時折共演もしている1。
謡とコトバ
能の謡曲、または謡本は謡とコトバを明確に区別している。各音節は謡においては節を 伴う。そのピッチと持続は音節の右側に表示される。節の印を伴わない音節は、 句の一部 分でもすべてパターンにはまった台詞であるコトバに相当する。謡とコトバの割合は劇の 分類により異なる。能は、その劇の現実性によって現在能か夢幻能かに分けられる。現在 能では、話は自然な筋道で進み、シテも実在する人である。それに対し夢幻能では、時は
逆に流れ、夢のような形をとり、シテは霊か神的なものである。
さらにこれと比較的並行した分類が横道萬里雄により提示されている。演技と模倣が主 要である劇能と、謡と舞をより多く含む風流能という分類である2。現在能は、たいてい夢 幻能よりもコトバを多く含むし、また劇能は、風流能よりもコトバを多く含む。通常二部 に分けられる夢幻能では、シテのコトバの句は前場に現れ、後場はほぼすべて謡である。
能が統合された初期、観阿弥と世阿弥の頃はコトバと並置する吟型は一つしかなかっ た。この時代の謡は現在のヨワ吟、または柔吟に似ている。横道萬里雄によれば、それと 対照的な、今ではツヨ吟または剛吟と呼ばれる力強い吟型は17世紀末、元禄時代の間に 明確になり始め、明治時代の始めに確定したとされる3。旋律的かつ女性的なヨワ吟と力強 く男性的なツヨ吟の対比は、謡そのものを通して初期の謡におけるヨワ吟とコトバの対比 に取って代わった。横道萬里雄4と三宅秔一5がツヨ吟はヨワ吟から発展したものだと考える のに対し、小島英幸は、ヨワ吟とコトバの対比とヨワ吟とツヨ吟の対比が相似していて、
それはコトバとツヨ吟のいくつかの類似点から起こっていることから、ツヨ吟はコトバか ら発展したものであろうと考える6。
ヨワ吟とツヨ吟の対比は能の謡曲の五番立に登場する。これらの部門はシテの役柄とそ の役割によって分類されている。初番目物:シテが神(神能)。二番目物:シテが武士の 霊(修羅物)。三番目物:シテが失恋した女性の霊(鬘物)。四番目物:シテが様々な若い 男や気の狂った女性 (狂女物)。 五番目物:シテが悪魔的なもの(鬼畜物)。いくつかの作 品は一つの謡い方しか使用しない。例えば、ヨワ吟は優雅さ、自然の美しさ、優しさや哀 切を表すため三番目物の謡の句は全てこの謡い方を用いている。その一方、初番目物(神 能)の謡のほとんどと、五番目物(鬼畜物)の後場の謡の全てはツヨ吟のみが用いられて いる。さらに、このような極端な例とは別に、この二つの対照的な謡い方は状況や瞬間、
あるいは役の対比を強めるために複合的に用いられることもある。例えば四番目物の『鉄 輪』では捨てられた女性が悪霊になることで元夫と新しい妻に復讐しようとする。二つの 対照的な謡い方が役の二面性を作り出すために用いられる。「次第」「サシ」「上歌」が謡 曲の前場を構成し、ヨワ吟で女性の痛みと無力さを表している。後場ではヨワ吟がツヨ吟 と混成し、悪霊となって復讐しようとする彼女の痛みと憎しみを表現する。
強弱で表現されるこの二つの対照的な謡い方の連結の源の一つは、陰陽説であろう。陰 陽は対比の調和と迫力の典型的観念であり、中国の旋律美の元とされ、日本文化に大きな 影響を与えた。江戸期以前の能楽秘伝書からは、彼らの中国の観念への敬意が見受けられ る。世阿弥の『風姿花伝』では、「よき能を上手のせん事、なにとて出で来ざらんと工夫 するに、もし、時分の陰陽の和せぬ所か」などと述べている7。世阿弥は陰陽説の一般的な 援用のみに満足せず、『拾玉得花』では、この観念をあらゆる技術的な構成要素やシテの 音声表現のニュアンスに応用した8。
コトバにおけるピッチの性差
謡本の、上の句と下の句の半句ずつから成るそれぞれの句は、たいていヒラキ─ 9に よって二つに分けられ、終止符(コトバにおいては息継ぎあるいは意味上の句切れの記 号)─ によって締めくくられている。このような句は必ずしも完全な文ではなく、多く の場合は文の一部分であるが、声の単体として構成されている。他に特定の音調を示す記 号はなく、たまにコトバの感情の指示がある。例えば、「確かに」「ゆったり」「すらり」
「さらり」「きをかけたっぷり」など。
あるいはこれが謡を綿密に扱った本や論文10が少ない理由かもしれないが、最近までコト バの分析はほとんどと言っていいほどなされていなかった。横道萬里雄がこの主題につい て簡単に書いている。
コトバ 劇のせりふに相当する部分である。定まった旋律はないが、一定の抑揚の型 がある。宝生流・下掛宝生流は抑揚の基本型が二種あり、喜多流・金春流・金剛流は 一種である。観世流も譜本は一種に表記してあるが、実は数種の型があって、役柄に より、またその場の心理や語気によって、演者の判断で使いわける。(中略)なお、
狂言の謡では、コトバでありながらリズムに乗って謡う「地蔵舞」「鶉舞」などがあ るが、能のコトバはすべて拍子不合に唱え、また次項に述べる吟の区別がない11。 ここで彼は三種類の型を「なにがなにしてなんとやら」という文を用いてそれぞれ図解 している。ただし深い説明はされていない。(a)彼が基本的な型だとする、男性的な型、
(b)女性的な感じの型、そして(c)老人的な感じの型である(図 1)。
図1 横道による三つのコトバの抑揚の型の図解
(a)基本的な型・男性的な型
(b)女性的な感じの型
(c)老人的な感じの型
横道は三つのパターンについて、深く分析または説明をしていない。しかし私はこの三 つのパターンと、彼の典型的な男性的なパターンの定義の間にある抑揚の区別を発見し、
それが私の研究の出発点となった。丹波 明はコトバについてたった数行「朗読の方式は 流派や個人によって異なり、抑揚はその役が女役なのか、男役なのか、または老人の役な のかによって変化する。」と書いている12。
横道の、男性的な型を基本とし他の二つの型を単なる例とする考え方の代わりに、私は まったく異なる知覚可能なコトバの抑揚のパターンについての認識を呈示したい。コンテ クストの役柄と劇の状況とニュアンス全てが作られるにあたって二つの対照的な極として 女性的なパターンと男性的なパターンが並置されるのである。このようにしてコトバのパ ターンは複雑なストラテジーである能の声楽において、並置した謡の旋律的かつ女性的な 様式(ヨワ吟)と、力強く男性的な様式(ツヨ吟)の組み合わせとして機能する。
横道の主観的な「基本的な型・男性的な型」と「女性的な感じの型」の図を、私が行っ たコンピューターを使用した抑揚のピッチ(図の上段)・音量(図の下段)のグラフから 比較すると13、この二つの型が正反対の構成要素を持っていることがはっきりと分かる。こ のコンピューターグラフから、コトバの『自然居士』による男性的なパターンと、『羽衣』
による最も女性的なパターンを明示する(図2–3)。
コンピューターの分析によると、コトバの抑揚の男性的なパターンと女性的なパターン では、二つの基本的な構成要素が対照的に明示される。
1) 男性の句が二分されるのに対し、女性の句は分かれていない。また男性の句にはヒ ラキによる明らかな休止と呼吸があるのに対し、女性の句にそれらがほぼない。コ トバのパターンにおいて分割されたピッチの曲線と分割されていないピッチの曲線 は役柄上の性差を反映している。力強い休止を含む、分割された男性の旋律は男性 の本質を反映、強調している。
2) 男性のピッチを示す線の急な変化は、女性のピッチを示す線の緩やかで単調な抑揚 図2 「舷に取り付き 引きとどむ 」
『自然居士』より
図3 「天に偽り なきものを」
『羽衣』より
と対照的である。
シテはこれらの原則を用いて性差を表現し、劇の進行に対応する特定の音声表現を用い て、作品ごとに特定の瞬間や状況、そして役柄を表現している。
男性のパターン
私は二つの対照的な例、現在能の『自然居士』と夢幻能の『清経』を使って男性のコト バのパターンを分析することにした。『自然居士』はおそらく現在能または劇能において 最も特徴的かつ古い謡曲である。謡曲中、多くのコトバが登場するだけでなく、あらゆる 劇的な事態がシテを襲う。そのためこの謡曲はコトバの男性のパターンとその多様な明示 を分析するのに適していると思う。謡曲は、亡くなった両親の後世菩提を祈る供養のため に自らを人商人に売る女子の話である。彼女は自分を身売りし、自然居士(シテ)にその 代として得た衣を捧げる。自然居士は諷誦文を読み上げるが、コトバで始め謡で終える。
ほとんどのコトバの句は男性のパターンから成っており、それは「二親精霊頓證、佛果の 為」の抑揚からも見て取ることが出来る(図4:浅見真州1982)。
前半部分の声の音量は徐々に上がり前半部分が終わるまで強まっていく。図のヒラキが 示されているところでシテは呼吸により明確な休止をとり、後半部分はピッチが最初の音 節で下がる。このときには前半部分の低さと同じくらい、またはそれ以上に下がる。続い て次の音節(後半部分の二つめの音節)でピッチは急激に、前半部分の最後の音節以上に 上がる。そして徐々に、前半部分よりもさらに低く下がっていく。
このパターンにはいくつか構造上の相違がある。一つめの決定的な相違はピッチの上が り下がりである。グラフにおける高低の描写は数字の「八」にとても似ており、二分割を 象徴している。17世紀の最も重要な狂言師であり芸術理論家でもある大蔵虎明によると、
これらはただの二つの部分ではなく陰と陽を象徴するという14。中国の旋律芸術論において もピッチの上下は、陰と陽に結び付いている15。
図4 「二親精霊頓證、佛果の為」『自然居士』より
基本的な男性のコトバのパターンではピッチの上がりが二回、下がりが二回ある。これ により生まれる迫力に加え、さらなる対比がそれぞれの部分の緩やかさと鋭さによって表 される。前半部分は後半部分よりもわずかに長い、穏やかな上昇である。それに対して後 半部分の最初は、始めの音節から次の音節にかけて急激な上昇があり、前半部分のどの部 分よりも大きな音域である。前半部分と後半部分の間のヒラキによって行われる、前半部 分の最後の音節から後半部分の一つ目の低い音節にかけての急な下降は、後半部分の二つ 目の音節から句の最後にかけての緩やかで長い下降と対比される。最後の対比は句の二つ の部分にある。前半部分では緩やかで長いピッチの上昇があり、陰というべき比較的平調 な抑揚である。その一方後半部分の急な下降の後は最も急なピッチの上昇があり、そして 下降する、陽というべき比較的力強い抑揚である。二つの部分は間を隔てて一つとなる。
間は日本文化に根付いた、大変強力で重要な意味を持つ休止である。この間は二つの部分 それぞれを際立たせる。
また、男性のコトバのパターンにおける陽の特性は常に短い句に反映され、この短い句 は後半部分のパターンにのみ当てはまる。短い句は別の役への呼び掛け又は終結感の醸成 を表現し、シテは男性のパターンの力強い部分のみを強調のために用いる。能『自然居 士』ではこれが、「何事にて候ぞ」、「さやうの事も候べし」、そして「暫く」などの非常に 短い句に現れる(図5:浅見真州1982)。
このような句ではヒラキが最初の音節の前に置かれ、句全体が一句の後半部分と同じよ うに詠唱される。始まりの音節は低く、その後声が次の音節と共に鋭く上がり、終わりに かけてゆっくりと下がる。
『自然居士』のシテの最初の句、「雲居寺造営の札、召されそおらえ」は、通常はシテに よって元の謡本にあるように男性パターンの前半、後半部分として普通に詠唱される。と ころが、1981年に行われた能『自然居士』における、シテ浅見真州による、非常に特殊 な最初の句の発声のあり方は、コトバの男性のパターンの特性を示す。前置きとなる最初
図5 「暫く」『自然居士』より
の句の前半「雲居寺造営の札」を通常通り終えた後、句の後半「召されそおらえ」も前半 と同じ方法で抑揚をつけた。句の終わりまで緩やかにピッチを上げ強めたのだ。そのあと になってやっと後半の「召されそおらえ」を、もう一度、通常のコトバの男性のパターン の後半部分と同じ抑揚で、つまり最初の音節を下げ、次の音節を急激に上げ、残りを緩や かに下げて謡った (図6:浅見真州1981)。
要するに浅見真州は、コトバの最初の部分の抑揚を著しく長く伸ばし、次第に語調を早め ることでこの謡曲のコトバの冒頭の句を大変印象的に始めた。パターンの後半部分に繰り 返しの表現があるために、前半では二つの部分からなる一般的なパターンを用い、そのあ とになってパターンの後半部分の通常の抑揚でコトバを完結させた。
これら男性のパターンの主なる特性、すなわち休止をはさんだ明確な二分割と急激で直 線的なピッチの上下は、各作品において特定の性別による特徴づけの構造を作り出すため に広く扱われている。『自然居士』において最も躍動的なのは、自然居士と人商人たちの 対決場面である。人商人たちはまさに岸を離れようとする船に、買い取った少女を乗せて いる。この場面を構成する五つのコトバの句のうち、二つ目の句で自然居士は身の代衣の 小袖を彼らに向かって投げ、三つ目、四つ目の句で水に入り、五つ目の句でふなばたに手 を掛ける。
「御僻事とも申さばこそ、とにかくに。元の小袖は、参らする。舟に離れて、叶はじ と。裳裾を波に、浸しつつ。舷に取りつき、引きとどむ。」
この部分における最高潮の瞬間、小袖を投げ込み船出を妨げるという二つの場面のセリ フは、一定の抑揚が男性的な役柄を表すためにどのように使われるかという、好例であ る。自然居士が人商人たちと言い争って終わる上記の句は、さきほど分析した総体的なパ
図6 「雲居寺造営の札、召されそおらえ。」『自然居士』より
ターンと似たように詠唱される。「御僻事とも申さばこそ、とにかくに。」(図7:浅見真 州 1982)。
その後自然居士は対決の最初の句において、小袖を人商人に投げながら「元の小袖は、参 らする」という。シテはこの句全体のピッチを上げ、後半部分の間隔を広げることでこの パターンの男性らしさを強調している(図8:浅見真州 1982)。
三つ目の句から最後にかけて、シテはこの荒っぽい対決を表すために男性的要素を強調し ている。三つ目の句「舟に離れて、叶はじと」では前半部分を完全に単調にし、ピッチさ えもやや下げている。続く休止を短く、そして後半部分の最初の音節のピッチを下げた 後、最初の句より大幅に高くピッチを上げている(図9:浅見真州1982)。
図7 「御僻事とも申さばこそ、とにかくに。」『自然居士』より
図8 「元の小袖は、参らする」『自然居士』より
前半部分を単調にしたこと、ピッチを下げたこと、休止を短くしたことによって前半部分 の句、四つ目と五つ目の句の明示のための新たな出発点を作り出そうとしている。ピッチ を下げたことによる弱まりとのバランスをとるためにシテは音量を上げる。こうして男性 的なパターンからのずれを埋め合わせている。四つ目の句「裳裾を波に、浸しつつ」では ピッチを最高潮まで上げ休止を伸ばし、後半の最初の音節の低いピッチから、音量を大幅 に上げる(図10:浅見真州 1982)。
クライマックスである五つ目の句「舷にとりつき、引き留む」では、前半部分でピッチを 上げ、一番長い休止をはさみ、コトバとしては異例なまでに後半部分のピッチを上げる
(図11:浅見真州1982)。
図9 「舟に離れて、叶はじと。」『自然居士』より
図10 「裳裾を波に、浸しつつ。」『自然居士』より
対照的な二つの部分からなるコトバのすべての男性的要素は、みな明確で力強い休止と、
それに続く急激で直線的な抑揚によって分割される。この急激な抑揚によってパターンの 波形は最高潮に達する。
謡曲における男性的な特徴の表現方法は、役と状況によって決まる。夢幻能『清経』の 抑揚のあり方はまったく異なる。シテは戦さに破れ入水した武士・平清経の霊である。夢 幻能でありながら、一場物である。霊であるシテは、妻の夢枕に現れる。妻は夫の形見 も、彼の「故意の死」も受け入れようとしない。彼らの会話には、清経が妻の拒絶を嘆 き、自身の思いを説明するコトバがある。「さしも贈りし、黒髪を。飽かずは留むべき、
形見ぞかし。」
シテが実存の若者である『自然居士』 のコトバの抑揚の構造は主に男性のパターンから 成っており、特定の瞬間に男性的なコトバの特性が強まる。それに対し、シテが亡霊であ る『清経』ではこの特性が和らぎ、クライマックスの瞬間にだけ、コトバの抑揚の男性的 特性が強まる。しかしこの瞬間的特性は『自然居士』のクライマックスでない通常のパ ターンと似通っている。『清経』のシテは前半部分をまるく発音することで印象を和らげ、
休止を短くする。その両要素はあたかも女性のパターンのようである。後半部分はほどよ くピッチを上げた後、鋭く下げる男性のパターンとなる(図12:観世清和1985)。
図11 「舷に取りつき、引きとどむ。」『自然居士』より
続く句では前半部分のピッチを上げて頂点を高め、休止を前の句より延ばし、そのあとの 音節のピッチを下げ、前半部分の最後の音節以上に上がる。そして徐々に下がっていく
(図13:観世清和1985)。
この句は、前の句よりも迫力ある声の上下がある。前の比較的和らいだ句と並べること で、この部分の男らしい終結を具現化している。
陰を含まずして生粋の陽は存在しえない。逆もまたしかり。『自然居士』ではほとんど の謡曲がツヨ吟で謡われる。そしてたった一回のみ、諷誦文読み上げの最後と自然居士の 涙する様子のみヨワ吟で謡われる。この後半の柔らかな瞬間は、諷誦文の読み上げに先立 つ、平行したコトバのために、より効果的になる。読み上げのコトバの部分は五つの句か ら成っている。三つ目の句を除いた全てが、さきほど分析した典型的な男性のパターンで 構成されている。例えば、四つ目の句「二親精霊頓證、佛果の為」という文の抑揚から分
図13 「飽かずは留むべき、形見ぞかし」『清経』より 図12 「さしも贈りし、黒髪を」『清経』より
かるように、ほとんどのコトバの句は典型的な男性のパターンを含む(図14:浅見真州 1982)。
前半部分の始めからピッチが徐々に上がっていき、終わりにかけて強まっていく。その後 図に示されているように、ヒラキによって明確な呼吸による休止がある。休止の後、最初 の音節でのピッチは、前半部分の始めの音節と同じくらい又はそれ以上緩やかに下がって いく。続く音節でのピッチは急激に上がり、前半部分でピッチが最も高かった最後よりも 高くなる。そしてゆっくりと終わりにかけて下がっていき、前半部分の最も低かったとこ ろよりも下がる。
諷誦文の読み上げは男性が行っているが、諷誦文を捧げたのは少女である。この二重性 を表現するために大事な三つ目の句「右、志す處は」は、男性と女性のパターン両方を含 む独特の構造とパターンを持つ。ヒラキは二つの音節の後にのみ入り、最初の句を極端 に短くする。またピッチの上下は非常に穏やかである(女性的)。その後長い休止があり
(男性的)、次の後半部分は急なピッチの上がり下がりで始まり(男性的)、最後にかけて は緩やかな上下がある(女性的)(図15:浅見真州1982)。
図14 「二親精霊頓證、佛果の為。」『自然居士』より
さらにこの句のピッチと音量の相互関係は、また別の女性的要素をも含んでいる。さき ほど分析した、同じ能楽師により演じられた男性役の他の句における順を追った相互関係 と対比して、この句では女性のコトバを特徴付ける逆の相互関係があることが分かる。シ テはピッチを上げる時に音量を下げピッチを下げる時に音量を上げる。かくしてこの句は 孤立した女性的なニュアンスを伴う典型的な男性的なパターンとして構成されていること が分かる。
また、一つの句における、男性的な特性と女性的な特性の組み合わせは、シテがパター ンを完成させるため同じ言葉を繰り返すときに用いられる。句の前半部分は女性的なパ ターンの縮小として吟唱される一方、同じ言葉の繰り返しである後半部分は男性的なパ ターンの後半部分として構成されており二つの部分の対比が強調されている。例えば『自 然居士』における自然居士と人商人の対決では、彼は「道理、道理」と言う。始めの言葉 は僅かな上がりとともに発せられ、そしてやや下がることで女性的なパターンの縮小を行 う。繰り返しの際は最初の音節はその前よりもぐっと下がり、それと共にピッチが急激に 上がる。その後その音節の延長に従って下がり始め、次の音節まで下がり続ける。このよ うにしてシテは、このコトバの前半部分の発音より3倍も広い範囲のピッチを伴う急激な 抑揚に基づいている陽の要素を構成している(図16:浅見真州1982)。
図15 「右、志す處は。」『自然居士』より
この対照的な組み合わせはピッチの範囲を含むだけでなく、ピッチと音量の逆の相互関 係を証明している。これは図16に示された音量の波形をより強調させた図(図17)から 見て取ることができる。前半部分の音量とピッチの相互関係をみると、音量の図がピッチ の図を追っているようにみえるが、ピッチが最高潮になるところでシテはピッチに比べる と音量を対照的に下げる。このようにして女性的なパターンの声でもまとめることで逆の 相互関係を作り出している。句の後半部分での相互関係は正比例する。シテはピッチを上 げるに従って音量を上げ、ピッチを下げるに従って音量を下げる。この例はたった一つの 言葉の繰り返しに、これほど複雑なストラテジーを練った大いなる芸術的手腕を明らかに するものである。
図16 「道理、道理」『自然居士』より
図17 「道理、道理」『自然居士』より─音量
女性のパターン
能のすべての女役の中で最も美しく優雅なのは、恋する女性のシテである。すなわち謡 曲の三番目物のシテである。このようなシテのコトバの分析は女性のパターンを形作る一 般的なストラテジーを明らかにするだけでなく、均一に見えた役たちの、役や状況による 豊かで多様な声の扱いをも明らかにする。これを説明するために謡曲『井筒』と『羽衣』
におけるコトバの声楽的なあり方を分析することにする。
『井筒』のシテは紀有常の娘の霊だが、前生を通して詩人在原業平を愛した女の化身と して前場に登場する。これは夢幻能であるため謡のほとんどはヨワ吟のみとなっている。
シテは最初に次第、サシ、下ゲ哥、上ゲ哥を謡うことで役の優雅さをかもし出す。シテの 女とワキの旅僧の最初の会話は、コトバで演じられる。シテはコトバを、このような謡曲 では典型的な自己紹介「これはこの辺に、住むものなり。」から始める(図18:観世元正 日付不明)。
この図から分かるように、女性のコトバのパターンは長く緩やかな上昇と最後にかけての ピッチの短い下降から成る。女性のコトバにもヒラキが示されているが、ピッチの上昇と 下降の強調を含まない、ゆるやかな単体と考えられる。休止の時、シテはとても短くほと んど気付かれないように息を継ぐ。これが女性の基本のコトバのパターンである。
前に書いたとおり、声のピッチと音量の相互関係の分析は、男性と女性のコトバのパ ターンのさらなる対照的要素を明らかにする。男性のコトバのパターンの相互関係に対し て、女性のコトバのパターンは逆の相互関係を示す。図の下の窓によると低いピッチのと きは大きな音量、ピッチが最高潮に達するとシテは音量を下げる。この男性のパターンに おける声のピッチと音量の相互関係に対して、女性のパターンにおけるこれら二つの要素 の相互関係は逆である。このような相互に対照的な関係は、発声の相違により起こったの
図18 「これはこの辺に、住む者なり。」(井筒)
かもしれない。私はこの違いが、すでに世阿弥がその音曲論で示したように、パターンに より異なる声の発声によって生まれたのではないかと考える。例えば『風曲集』で世阿弥 はシテが二つの対照的な発声をするよう指導する。謡とコトバの両方にわたる、横の声と 主の声である。
調子を含んで音取る機は主なり。さて、声を出してすでに歌ふ所は横たり。「横に謡 ひて、主に云納めよ」と云り、〔中略〕主より横へ謡ひ出して、又主に納まる声流な り。横は出息の扱ひ、主は入息の色どりなるべし。〔中略〕 横・主足りたるをば相音 と云16。
世阿弥は横の声を「遣る声」、あるいは、活発、刺激的なものと捉えているが、いっぽ う主の声を「持つ声」としている17。先学はこれら対照的な発声は起源が異なることを指摘 している。横道萬里雄によると横の声は胸から発せられる太く力強い声である一方、主の 声は頭から発せられ細く繊細である18。表章と加藤周一によると横の声は声帯のリラクゼー ションから発せられ、一方主の声は声帯をきつく締めることから発せられる19。能楽師観世 寿夫はこの二つの説明を結合したような説を述べる:これら声の発声を、声帯の緊張と弛 緩、さらに共鳴器としての胸と頭の使用とに関連付ける20。しかし彼はさらに二つの対照的 な特徴を加える。対照的な発声の方向と対照的な身体の使い方である。すなわち、1)横 ノ声が外側に向けられるのに対し、豎ノ声は内側に向けられる。2)もしシテが発声に力 を加えればそれは横ノ声となるが、力を抑え落ち着いた音色となれば豎ノ声が生まれる21。 この二つの対照的な声は、コトバの性別による特徴づけのストラテジーにも使われた。横 ノ声はピッチと音量が相呼応する男性のパターンに用いられ、豎ノ声はピッチと音量が相 反する女性のパターンに用いられた。
『井筒』の後場でシテは紀有常の娘の霊として現れる。愛する業平が身に着けていた帽 子と冠直衣をまとい登場するのだが、男装の麗人を想起させる魅力的な演出である。コト バが何もない後場では、衣裳そのものに男性的な要素がみられるが、 前場のコトバには男 性的なニュアンスが含まれている。ほとんどのコトバの句が女性の基本のパターンに従っ ている一方、愛する人について話すときには徐々に非常に繊細な男性のパターンのニュア ンスになる。最初の会話で彼女は「[業平は]世に名を、留めし人なり。」と語る(図19:
観世元正 日付不明)。
ヒラキはより句の冒頭近くにあり、前半部分が後半部分よりも短くなるようにしている。
そしてさらに謡本には描かれていない、より長い休止がヒラキのない後半部分に入り、そ れにより後半部分が分けられる。結果として前半部分が後半部分の始めと結合され、通常 の女性のパターンを形成する(図18と似ている)。この謡本にヒラキとして明示されない 休止の後、シテは後半部分で明確な男性のパターンを見せる。ピッチが最初の音節で下が り次で急激に上がりまた下がる。
その後、彼女が愛する人の墓について「さればその跡のしるしもこれなる塚の、陰やら ん。」と語るとき、ピッチのパターンには男性のパターンと似通ったものが生じ、いくつ かの休止が男性的な特色を生み出す。(図20:観世元正 日付不明)
図19 「世に名を、留めし人なり。」『井筒』より
図20 「さればその跡のしるしもこれなる塚の、陰やらん。」『井筒』より
句は比較的長く、ヒラキは最後の五つの音節の前に表れる。この長い前半部分の間、シテ はヒラキとしては表記されない二つの休止を加える。最初の休止が一番長く、最後のヒラ キはほとんど気付かないほど短くなる。一つの句におけるこのような休止は非常に強い印 象を残し、女性のコトバのパターンとしては随分珍しい。前の句の前半部分の女性らしさ とは違い、この句は三つの直線的な上昇に特色があり、それぞれが男性のパターンの前半 部分と似ている。ヒラキのあとの後半部分は、男性のパターンの後半部分と同じように構 成されていて、前の句と似ている。
コトバの句のほとんどが、今挙げた『井筒』の二つの例のように男性的な発声の要素の 少ない、女性の基本のパターンに従うが、時にはシテがコトバの抑揚のパターンを、男性 的要素を多く含んだものに変化させる。これはとても似通った女性らしい役でも起こる。
これには、コトバを通して個性的で劇的な過程を反映させる意図がある。例えば、シテが 天女である『羽衣』においてこれが起こる。漁師たち(ワキとワキツレ)が松の木の枝に かかった羽衣を見つける。天女が現れるが、彼らは羽衣を返すことを拒む。天女は羽衣が なければ天国に帰ることが出来ない。両者の応酬の間の天女のセリフのほとんどは、最初 と最後の句を含めすべてコトバで演じられる。シテは「のおその衣は、此方のにてそお ろ」という句でコトバを始める(図21:観世寿夫1982)。
男性のパターンのようにシテはピッチを上げ、ヒラキを用いて明確に前半部分を分け、ヒ ラキのあいだにピッチを下げ、後半部分では女性のパターンを反映させるためにピッチを 緩やかに上下させる。次の句「何しに、召されそおろおぞ」ではワキとの争いの気分を強 める(図22:観世寿夫1982)。
図21 「なうその衣は、此方のにて候」『羽衣』より
もし前の句が部分的にわずかな男性的要素を含む一般的な女性のパターンだとするなら、
この句では劇的な争いはほぼ男性のコトバのパターンで強調されたことになる。前半部分 の上昇、ヒラキを表す珍しく長い休止、前半部分でもっとも低かったピッチよりもさらに 下がる後半部分の最初の音節のピッチ、三つ目の音節にかけての上昇、そして終わりにか けての緩やかな下降が特色である。
ここから会話を通してシテは徐々に男性的なパターンの特性を弱めていく。ヒラキによ る休止はだんだんと消え、ピッチの急激な上昇または下降がない単体の声が形作られる。
漁師が天女の言を疑い、返すことを逡巡していると、天女は「いや疑いは、人間にあり。
天に偽り、なきものを。」という句でコトバを締めくくる。最初の句は非常に基本的な女 性のコトバのパターンでピッチを緩やかに上下させる。(図23:観世寿夫 1982)。
図22 「何しに、召され候ふぞ。」『羽衣』より
図23 「いや疑いは、人間にあり。」『羽衣』より
最後の句「天に偽り、なきものを」は前の句よりほぼ平らで柔らかく、途切れることのな い完全な女性のパターンで会話を結び、その後彼女は様々の舞を見せ、一曲が締めくくら れる(図24:観世寿夫 1982)。
女性役による男性的要素の表現も劇的な状況に伴って行われるため多様である。四番目 物の、狂乱する女の鬼がシテである『葵上』において、嫉妬に狂う六条御息所の生き霊 は、産褥の床にある源氏の正妻葵上を呪いにより苦しめる。前場では、霊の存在を見抜き それに喋らせる力を持つ巫女(ツレ)が六条御息所の生き霊を見顕し彼女の葵上に対する 憎悪を語らせる。ここでは六条御息所による三つの句をふくむ単一体のコトバしかない。
これがクライマックスの場面を造り出し、二つ目と三つ目の句において憎悪を動作でも表 現する。シテは男性のコトバの要素を女性のパターンと組み合わせた、特徴的なコトバの 表現をもたらしている。最初の句で彼女は「今は打たでは、かのおまじと」と言う。前半 部分は女性のパターンで後半部分は男性のパターンである(図25:野村四郎 1980)。
図24 「天に偽り、なきものを。」『羽衣』より
図25 「今は打たでは、叶ふまじと。」『葵上』より
前半部分ではピッチは円を描くように上がりその後非常に短いヒラキの休止がある。男性 のパターンを用いた後半部分では最初の音節でピッチが下がり、次の音節で異常に上がり 急激に下がる。そして一時的に止まり、終わりにかけて再びゆっくりと上がっていく22。こ の句でシテはピッチと音量の対比による特徴的な調和を生み出す。女性のパターンを用い た前半部分でピッチを上げると共に音量も上げる。これは男性のパターンのピッチと音量 の相互関係と同じである。そして、男性のパターンを用いた後半部分でピッチを上げると 共に思い切って音量を下げる。これは女性のパターンのピッチと音量の逆の相互関係で ある。
次の句で六条御息所は「枕に立ち寄り、ちょおと打てば。」と言う。この句に対応する シテの所作は、発声パターンの男性的な要素を強める (図26:野村四郎 1980)。
前半部分でシテは音節を圧縮し男性のパターンで急激にピッチを上げ、さらなる男性ら しさを加える。 ここでのヒラキによる休止は、その前の句と比べて3倍長く、しかも男性 のパターンの中でもピッチの下がり方は非常に急激である。 後半部分は印象的な動作が伴 い、陰・陽の強烈な明示となる。最初の音節は異常に低いピッチから始まり、最初の音節 はきわめて高いピッチで止まり、またゆっくりとした抑揚で最後の一言「打てば」にかけ て下げていくが、また上がっていく。ピッチのこの開放的な終わり方により、謡曲のもっ とも劇的な句の最後に不意に、なにか不完全さを残すような休止がもたらされる。また、
シテはピッチと音量にも対比する相互関係をもたらす。前半部分ではピッチが上がるとき は音量を抑える(女性の、反比例する相互関係)。その一方後半部分の始めはピッチが上 がるのに伴い音量も上げ、逆も同様である(男性の、正比例する相互関係)。このように ひとつの句に二つの対比する種類の相互関係を組み込んでいる。このようにして句のどの 瞬間にも男性的な特性と女性の役の組み合わせを盛り込んでいる。
図26 「枕に立ち寄り、ちやうと打てば。」『葵上』より
老人のパターン:性別の併用を用いた表現法
老人のパターンは女性のパターンと男性のパターン両方の三つの特性(ピッチ、休止、
ピッチと音量の相互関係)を対照的に用いている。これにより性別による特徴づけ、また 陰陽の対比を体現しているのである。老人のコトバのパターンでは各句において、これら 三つの特性を様々に組み合わせる。老人のパターンのコトバの複雑さを初番目物『高砂』
から調べていこう。前シテは住吉の松の木の化身の尉である。松の木には長命と平穏の意 味がある。それゆえこの老翁は登場においても本質においても理想的な老体を表してい る。後場のシテは住吉明神であり、謡と舞で国土への恵みを祝福する。初番目物において は劇的な出来事や争いの気分はない。これらの謡曲において一般的なクライマックスは、
ほとんどの場合、前場の老人が後場の神に姿を変えるところである。それゆえ、前場にい くつかヨワ吟の謡の句があっても、後場は一貫してより力強いツヨ吟で謡われる。
力強い後場へと進行する音楽的な展開は、『高砂』前場のコトバにも影響している23。通 常のピッチが女性的な特徴のものから男性的な特徴のものへと変わる。しかしこれまで分 析した男性と女性のパターンの対比に比べると、一つの句のなかにはっきりとした男女の 明示の差は見られない。むしろどちらも常に反する性の特徴を含んでいる。シテ尉は高砂 の松の化身であるツレ姥と共にワキ阿蘇宮神主友成に出会う。ワキはシテ尉に話しかけ、
シテはふたつの句を単体として詠唱される一つのコトバの形でそれに答える。「此方の事 にてそおろおか、何事にてそおろおぞ。」前半部分は男性の前半部分のパターンと同じよ うに形成されており、後半部分は完全な女性のパターンとして詠唱される(図27:武田 太加志1963)。
前半部分のピッチはヒラキの休止にかけて徐々に上がる。後半部分のピッチはとても緩や かに上がり、また下がるためほぼ平たく見え、女性のパターンの縮図を思わせる。後半部
図27 「此方の事にて候ふか、何事にて候ふぞ。」『高砂』より
分のピッチの最高点が前半部分の最高点よりも低いことが、この句の後半部分が女性のパ ターンのピッチに類似していることを裏付けている。また、この後半部分は通常の女性の パターンよりも表現が抑えられ、内向的だといえる。
さらに謡曲が進むにつれ、今までとはまったく異なる男女のパターンの特性の組み合わ せが登場する。シテはより男性的なピッチを展開させるが、女性のパターンのように休止 をなくすことでバランスをとる。通常の女性のパターンよりもさらに休止が少なくなるの である。尉と姥は、隔たりがあっても相生であるとされる有名な松の木と自分たちを比べ あった後、ワキがこの松の木の故事を知っているかと尋ねる。尉は「昔の人の、申しし は。これはめでたき、世の例なり。」と答える。文法的には一つの文が二つの句に分けて 語られる。最初の句「昔の人の、申ししは」でのピッチはその前の句のピッチと反対のパ ターンで表される。前半部分は通常の女性のパターンにおける減少と同じように、低い ピッチとほぼ変化のない抑揚で詠唱される。そして後半部分は男性のパターンの後半部分 の陽の要素に似ている。最初の音節のピッチは低く、次の音節で急激に最高点まで上がり その後終わりにかけて緩やかに下がる。シテはこの非常に男性的なピッチの要素に逆らっ て、女性のパターンの二つの要素も用いることでバランスをとっている。休止をなくし
(謡本にヒラキが示されているにもかかわらず)、女性のパターンにおけるピッチと音量の 明確に反比例する相互関係を援用する(図28:武田太加志1963)。
二つ目の句の「これはめでたき、世の例なり。」はシテのロマンチックな陽の側面を最高 潮で表現している。この部分は男性のパターンにより近い形で形成されている。前半部分 のピッチは直線的に上がり最後に唐突に下がる。そして後半部分では急激に上がり、終わ りにかけて緩やかに下がる。ほとんど休止を気付かせない女性のパターンながら、ヒラキ が表記されるのに休止がまったくないのである (図29:武田太加志1963)。
図28 「昔の人の、申ししは。」『高砂』より
休止をはさまないことに加え、女性のパターンにおけるピッチと音量の相反する関係もま た、男性的なピッチとのバランスを取っている。これは図29に示された音量の波形をよ り強調させた次の図30で明確に見ることが出来る(図30:武田太加志1963)。
比較的低いピッチの前半部分は、高いピッチの後半部分よりも大きい音量で詠唱される。
また各部分のピッチの最高点は控えめな音量で詠唱される。
男女のコトバのパターンの陰陽の特性の対照的なバランスは、男性パターンと女性パ ターンの組み合わせであり、それはこの老体の能の役柄の伝統にも相応する。 世阿弥は
『二曲三体人形図』で基本的な三体の身体的な特色を図示するが、声調の連結に関しては はっきりと述べてはいない24。しかしマーク・J ・ニールマンは、次のように、世阿弥の所 説を陰・陽の理論に結び付けている。
図29 「これはめでたき、世の例なり。」『高砂』より
図30 「これはめでたき、世の例なり。」『高砂』より─音量
…『体』用語は『役』よりも広い意味を持ち、独創的な演技の芸術における原則とみ なされ、陰陽の理論に一部関連している。この理論が役割演技に当てはめられると、
もっとも純粋な明示における男性的な陽のエネルギーと女性的な陰のエネルギーは軍 体と女体とに対応する。老体は外見上は従順(陰)であり内側は強く(陽)、これら 二つの基本的な創造の力の統合を表している25。
ここで同じような謡のパターン、ヨワ吟とツヨ吟の対照的な組み合わせを、横道萬里雄 が明示した謡の三つ目のパターン・中吟と比較してみよう26。中吟には唯一の音階や発声は ないが、旋律的に演じられるツヨ吟と躍動的に演じられるヨワ吟の繊細な連結から成って いる。
あいまいな境界線
謡本が各音節における謡とコトバを明確に区別しているが、これらの境界は謡とコトバ の相関関係と、音楽的要素の広がりから生まれた。コトバは能のセリフであるにもかかわ らず、狂言の場合では謡の複合体として機能する。狂言は劇としてだけでなく演技におい ても能に対する写実的なアンチテーゼだと考えることが出来る27。狂言の台本も謡と台詞か ら成り、狂言師は、劇において相対的に様式化されていない部分を音曲の一種としてのコ トバではなく、あくまで非音楽的なセリフと見なしている。狂言のセリフの文には通常、
ヒラキやそのほかどんな原文における指示もない、文法上完成された文を含んでいる。け れども狂言において謡や舞と共に披露される、統合された唄である小舞謡はヨワ吟とツヨ 吟を含むだけではない。能において同じように称される謡い方にとても似ているが、時に は、間にヒラキを含み、能における男性のコトバの基本パターンと同じように抑揚をつけ て構成されたコトバの様式の句も含まれることがある。これは例えば、狂言の和泉流の狂 言歌謡『鶉舞28』『海老すくひ29』そして『兎30』に見られる。これらでは、能の台詞に該当す るコトバは狂言の「正式な」謡の一部として機能しており、より写実的な狂言のセリフと 並置される。
いっぽう能における謡とコトバの境界線は非常にあいまいである。小島英幸が見つけた コトバとツヨ吟の類似点に加え、謡からコトバへの移行の特徴をなす句の近似もそれを証 明している31。このような句はヒラキにより二分されており、謡われるべき音節にはゴマ点 がふられている。ツヨ吟からコトバへの移行は、ヨワ吟からコトバへの移行よりも頻繁に 行われる。また、ツヨ吟からコトバへの移行は句の一部分の途中でも行われるがヨワ吟か らコトバへの移行は必ず句の二つの部分の間にあるヒラキによる休止のときにしか行われ ない。例えば『景清』(図31)に出てくる句と『殺生石』(図32)に出てくる句では、シ テはいくつかの音節をツヨ吟で詠唱した後、句の前半部分の途中からコトバに移行する。
対照的に、大変珍しいヨワ吟からコトバへの移行の例として『高野物狂』ではシテは前半 部分をヨワ吟で詠唱し、ヒラキを挟んで、後半部分からコトバに移行する(図33)。休止 をはさまずにツヨ吟からコトバへ移行できることが、両者のピッチと発声の範囲が似てい
ることを示している。
しかしながら、ツヨ吟の根源がヨワ吟であるかコトバであるかよりも重要なことは、必 要不可欠な三つの音楽の要素の連結が、それらの並置に基づく渾然とした音楽的構成を作 り出しているという概念である。私はこの概念を『定家』から証明したいと思う。『定家』
は夢幻能の三番目物である。旅僧が里女に出会う。この女は式子内親王の化身(前シテ)
である。彼女は藤原定家と密かに恋愛関係にあった。後場では式子内親王の霊が旅僧の祈 祷により救済されたことに感謝して舞を舞う。謡は前場にコトバが織り込まれ、すべてヨ ワ吟で詠唱される。後場のシテの謡もヨワ吟を基調とする。しかし例外的な、連続する二 つの句がある。ひとつ目の句は二つの部分から成る。「あらありがたや げにもげにも」。
シテはヨワ吟、ツヨ吟、コトバと三つの声の様式すべてを使う(図34)。32「あら」は前の 文と同じようにヨワ吟で詠唱し、次に休止をはさまず「ありがたや」をツヨ吟に移行しな がら詠唱する。ヒラキの後の「げにも」はコトバとして繰り返す。この句のヒラキの後の 部分は基本的な女性のコトバのパターンだが、シテはピッチを前のヨワ吟とツヨ吟の謡い 部分より上げて、終わりにかけピッチを高めたままにしている(図35:観世元正1981)。
図31 『景清』 図32 『殺生石』 図33 『高野物狂』 図34 『定家』
次の一文「これぞ妙なる、法の教え。」はコトバとして詠唱する。前の一文「げにもげに も」のコトバのピッチより高く、より円を描き、終わりへの気配を漂わし、表現は最高潮 にまで達する。(図36:観世元正 1981)
図35 『定家』より
図36 「これぞ妙なる、法の教え。」『定家』より
その後は終曲までまたヨワ吟に戻る。一つの句の中で滑らかにヨワ吟からツヨ吟、そして コトバへと移行し、この部分をコトバとして詠唱して次のコトバの句へと導くことによ り、この謡曲の後場のより旋律的な謡の全体に、際立った力強い特色を与える。
結論
能の初期における本来のヨワ吟の謡とコトバの違いは年月を経て、ヨワ吟とツヨ吟とい う二つの対照的な謡のパターンに区別され、さらに並列した男性と女性の「謡われる」コ トバのパターンへと細分化された。様々な要素が対照的な構造主義に基づいて並置され、
調和と継続的なダイナミズムを生み出している。この研究は、基本的な明示における男性 と女性のコトバの基本パターンの三つの主なる対照的要素の分析を含んでいる。
1)男性的な句がヒラキによる休止または呼吸のため二分割されるのに対し、女性的な 句はヒラキが存在せず単一である。
2)男性の急激で直線的なピッチの上下に対し、女性はまるい緩やかな上下である。
3)男性のパターンはピッチと音量の相互作用が順を追っているのに対し、女性のパ ターンは逆である。
シテは、ただ女性と男性にそれぞれ対照的なパターンを作り出すだけでなく、これらの 要素を用いてそれぞれの謡曲の声楽全体と一体化した個性的なコトバの句を造り出してい る。音楽的なコトバのパターンの確立とその構成要素はシテの声の表現方法の幅を大いに 広げた。また、一見固定されているように見えるパターンの中から大変に洗練されたニュ アンスを生み出すことで、伝統芸能の多大なる芸術性を表すことを可能にした。さらに観 客が音楽を通して役の特徴、劇的な過程、そしてニュアンスを知覚するための音楽的基盤 を与えた。
謝辞
本研究を進めるにあたり、30年にわたって指導そしてサポートして下さった法政大学能 楽研究所の元所長、故表章教授に感謝の意を表します。また長年、忍耐をもってすばらし い謡い、舞、そして演技の指導をして下さった能楽師、浅見真州先生に深く感謝します。
そして指導と補助をして下さっている早稲田大学演劇博物館館長兼文学学術院教授、竹本 幹夫氏に感謝します。
本研究はイスラエル国立科学基金の協力の下で行われ (番号893/01と948/09)、さらに 演劇博物館の訪問研究者として2011年度に行った調査研究の成果の一部でもある。
This research was supported by THE ISRAEL SCIENCE FOUNDATION (No. 893/01 and 948/09)
録音資料 浅見真州
1981年 『自然居士』の公演、東京、宝生能楽堂、五月。
1982年 『自然居士』個人稽古、東京 二月十五日、三月十五日。
観世清和
1985年 『能「清経」 花を伝える』日本放送協会テレビ、チャネル3、東京 二月十一日。
観世寿夫
1982年 『羽衣 砧:観世寿夫名曲を謡う』東京、ビクターレコード SJL-25004-5。
観世元正(二十五世観世宗家)
日付不明『能「井筒」観世流謡曲百番集 37』東京 、キングレコード CNT-527。
1981年『能「定家」能楽鑑賞』東京、日本放送協会ラジオ、十二月十三日。
武田太加志
1963年「能:高砂」『能:五流五番』東京、ビクターレコード:SJ-3005-1a;b。
野村四郎
1980年『能「葵上」 能楽鑑賞』東京 日本放送協会ラジオ、十一月三十日。
註
1 録音されたコトバは観世流において最も重要な二家系のものである。観世流の家元の家系、
観世元正(二十五世観世宗家)、今の家元観世清和、野村四郎、武田太加志。そして異なる観 世流の観世銕之丞率いる家系から観世寿夫と浅見真州。
2 横道萬里雄 表章 共校注 『謡曲集、 上』『日本古典文学大系40』岩波書店、1968、7〜
12ページ。
3 横道萬里雄「能の音楽」『能1巻』付属、ビクターレコード SJ-3005-1~3、1963、12ペー ジ。
4 横道萬里雄「能の音楽」12ページ。
5 三宅秔一『節の精解―新訂版』檜書店、1981、6ページ。
6 小島英幸「ツヨ吟とヨワ吟の特性」『観世』1977年4月、21〜22ページ。「ツヨ吟の発生
時期」『観世』1977年11月18〜21ページ。
7 表章 加藤周一 共編 『世阿弥 禅竹』『日本思想大系24』岩波書店、1974、48〜49ペー ジ。
8 同書184〜185ページ。
9 普通これは古来の中国音楽において、二つの音の間の休止や休息をしめす二種類の印のう ちの一つである。J. A. Van Aalst, Chinese Music. N.Y.: Paragon Book Reprint Corp., 1964 [1884], p. 18.
10 例えば 横道萬里雄 『謡リズムの構造と実技 能―地拍子と技法』檜書店、2002年、と
三宅秔一『謡の稽古基本知識』檜書店、1980、『節の情解―新訂版』東京、檜書店、1981 を、またはTamba Akira, The Musical Structure of Noˉ. Translated from the French by Patricia Matoré. Tōkyō: Tōkai University Press, 1981を参照のこと。
11 横道萬里雄「能の音楽」解説、ビクターレコードSJ-3005-1~3、1963、14ページ。引用は同
氏『能劇の研究』岩波書店、1986、84〜85ページによる。
12 Tamba, The Musical Structure of Noˉ, p.135: The style of the declamation may vary according
to the school and according to the individual, and the intonation varies depending on whether the role is that of a woman, a man, or an old person.
13 図の上部分は水平軸に時間を、縦軸にヘルツで推計した声門の周波数(f0)を表示して、
基本周波数のグラフを示している─ピッチの抑揚。図の下部分は時間経過(ミリセカンド)
による波の振幅をボルトで示している─音量。
14 大蔵虎明 『わらんべ草』笹野堅編 岩波書店、1962年117ページ。
15 John Hazedel Levis, Foundation of Chinese Musical Art: Illustrated with Musical Composition, 2nd ed. New York: Paragon Book Reprint Corp., 1964[1936], p. 29.
16 表、加藤『世阿弥 禅竹』156ページ。
17 同書156〜157ページ。
18 横道「能の音楽」、13ページ。
19 表、加藤『世阿弥 禅竹』444ページ32注。
20 観世寿夫『仮面の演技』『観世寿夫著作集2』、平凡社、1981、31〜32ページ。
21 同書65ページ。
22 この文の最後に現れる、締めのないピッチが最高潮となるのは、最後の文字「と」が「続 き」を意味するためであり、この句と次の句を文法上一つの文へと結合させる。
23 後場はコトバの文を含まず、ツヨ吟からのみ成っている。
24 表、加藤『世阿弥 禅竹』121〜132ページ。
25 Mark J. Nearman, “Zeami’s Kyuˉi: A Pedagogical Guide for Teachers of Acting”. Monumenta Nipponica 33(3), 1978, p. 316:
...the term tai takes on a broader significance than ‘role’ and refers to the underlying principle in the art of creative acting, related in part to Yin-Yang theory. When this theory is applied to role playing, the masculine Yang energy and the feminine Yin energy in their purest manifestations would correlate with the Fighting and the Feminine Roles. The Aged Role, which is outwardly yielding (Yin) while inwardly strong (Yang), represents an integration of these two basic forces of creation.
26 横道「能の音楽」、14ページ。
27 野村万作「狂言の演技 その写実性を通して見た」『謡曲・狂言(日本文学研究資料叢書)』
東京 有精堂 1981、291〜294ページ。
28 和泉保之 『改訂 小舞謡 全』三宅籐九朗監修 わんや書店、1979、57〜58ページ。
29 同書56ページ。
30 同書5ページ。
31 小島英幸「ツヨ吟とヨワ吟の特性」『観世』1977年4月、22ページ。
32 観世左近『観世流謡曲百番集』二十六版発行 檜書店、1982、495ページ。