[論文]
後宮の聖女と悪女
── Udena 王妃たちの物語が説く教え──
山 口 周 子
A Saint and a Villainess in a Palace:
Teachings from the Stories of King Udena’s wives
Yamaguchi, Nariko
The sixth story of the Udenavatthu (Uvt-6) in the Dhammapadāṭṭhakathā is about the deaths of Sāmāvatī and Māgandiyā, who were wives of King Udena. Sāmāvatī was a disciple of the Buddha and a Sottapannā (one who has entered the path of wisdom), which is a saint. She was killed by the villainess, Māgandiyā, who held malice against the Buddha. The story of this murder shows the teaching of appamāda (carefulness) by quoting the twenty-first through the twenty-third verses of the Dhammapada. It also contains Sāmāvatī’s previous birth story and a quotation from Udāna to explain the principle of karma and the Buddhist worldview.
Several other stories in the Northern Buddhist texts written in classical Chinese or classical Tibetan have topics similar to Uvt-6. These stories and their teachings are of two groups: (1) stories on the failure and detection of Māgandiyā’s plan to kill Sāmāvatī, which warn of the lust for sexual pleasure, and (2) stories on the execution of Māgandiyā’s evil plan, Sāmāvatī’s death, and Sāmāvatī’s karma from her previous lives, which demonstrate the strict rule of karma.
Each of these Northern Buddhist texts has a singular teaching; however, Uvt-6 has teachings in addition to carefulness as a main doctrine, which are the rule of karma and the Buddhist worldview. Therefore, Uvt-6 contains more teaching messages than other stories in the Northern Buddhist tradition.
キーワード: ウデーナヴァットゥ,仏説優填王経,優陀延王会,根本説一切 有部毘奈耶
1.本稿の目的
Udenavatthu(「ウデーナ王物語」:以下 Uvt とする)は,Buddhaghosa(5
世紀)による翻訳テキスト Dhammapadāṭṭhakatā(以下 DhpA とする)(1)に収
められた物語であり,6つの小話によって構成されている(2)。本稿で扱う
第6話(以下 Uvt-6とする)は Sāmāvatiyā Māgandiyāya ca maraṇaparidīpikā-Udenavatthu と題されるが,表題に maraṇaparidīpikā-Udenavatthu が含まれるのはこの小話のみ である点と,Uvt の冒頭箇所に見られる記述(3)より,Uvt の根幹にあたる物 語と考えられる。ウデーナ王に嫁いだ2人の妃の死を通して,Dhammapada (以下 Dhp とする)第21から23偈に説かれる「不放逸(appamāda)」を解き 明かす内容である。本稿は,この Uvt-6に着目し,テキストにある「教え」 に重点をおいて,北伝仏教テキストに見られる類話との比較を行う。 なお,北伝仏教に伝わる類話は,「物語の構成」および「物語を通して示 される教え」という観点からいくつかに類別することができる。本稿は,ま ず「構成の分類」を簡潔に示し,次いで,各類話の教説に関する記述をあげ ながら,Uvt-6との比較考察を行う。また,各テキストの関係性についても 可能な限り触れる。
2.Uvt-6のあらすじ
表題にもあるサーマーヴァティーとマーガンディヤー(4)が,この小話の中 心となる2人のウデーナ王妃である。前者は預流果を得た在家仏弟子であ り,「聖女」といえる存在である。それに対して,後者は奸計をもって殺人 を犯す人物であり,「悪女」と位置付けることができる。以下に,物語の大 筋を示す。 マーガンディヤーは,釈尊への私怨を抱いたままウデーナ王に嫁いだ(5) 後,その恨みを濯ごうと復讐を図るが失敗する。そして,マーガンディヤーの悪意は在家仏弟子であるサーマーヴァティーへと向けられ,彼女が王の怒 りを買って殺害されるよう,幾度かに渡って邪な策略を巡らせるようにな る。3度目の奸計が実行された時,騙された王はサーマーヴァティーを射殺 そうとするが,サーマーヴァティーの「慈の神通力 (mettānubhāva)」により 矢は反転し,王の胸の前で止まった。これに驚いた王は,すぐさまサーマー ヴァティーに敬意を払うようになる。一方,王を操ることにも失敗したマー ガンディヤーは,自身の叔父に対し,サーマーヴァティーと侍女らを宮中に 閉じ込めて火を放つよう命じた。その命令は遂行され,ついにサーマーヴァ ティーらは焼死してしまう。ただし,彼女らは死に臨んで動揺することはな かった。 この事件に驚いた王は,嘆き悲しみながらも真相を確かめ,マーガンディ ヤーと叔父を極刑にかけた。また,サーマーヴァティーらの非業の死は,比 丘たちにとっても衝撃的な事であった。動揺と疑念を抱く彼らに対し,釈尊 は,「不放逸」の教えを説いた。さらに,彼女らの横死の根本的な原因は前 世の悪業にあると諭し,彼女らの前世譚も語った。
3.本稿で使用する類話テキストと物語の構成
⑴ 主な先行研究 Uvt-6の類話について指摘している研究として,次のものがあげられる。 1.Burlingame(1921):Uvt-6の関連資料として Udāna をあげる(6)。 2.平岡聡 (2007):Divyāvadāna 第36話の訳注において,Udenavatthu との関連性を指摘している。 3.長井真琴 (1929) :『大宝積経』の解題において,本稿でもあつかう 『仏説優填王経』,『大宝積経』中の「優陀延会」,そして『仏説大乗 日子王所問経』の三者に関連性があることを指摘している。 いずれもテキストの翻訳だが,類話などの関連資料も示されている。本稿 では,これらの指摘を踏まえた上で,さらに関連テキストを加えて比較す る。⑵ 類話テキストとその構成の分類
以下に,Uvt-6,およびその類話と見なし得るテキストとその成立時期, および本稿で使用する略号をあげる。
1.Udāna (VII (Cūlavagga)-10)(7)(紀元前2世紀以前)(8)【Ud】
2.『法句譬喩經』「利養品」(第三十三)(9)(3‒4世紀)(10)【法譬】 3.『仏説優填王経』(11)(3‒4世紀)(12)【優填】 4.『 根 本 説 一 切 有 部 毘 奈 耶』(13)[T 1442, vol. 23, 891c15‒893a21].( 義 浄 (唐):8世紀)(14)【MSV-Ch】 5.「優陀延王会」(『大宝積経』第二十九会)(15)(8世紀)(16)【優陀延-Ch】 6.『仏説大乗日子王処問経』(17)(10‒11世紀)(18)【日子】
7.’Dul ba rnam par byed pa(19)(9世紀)(20)【MSV-T】
8.’Phags pa dkon mchog brtsegs pa chen po’i chos kyi rnam grangs le’u stong
phrag brgya ba pas le’u nyi shu dgu ba ste bad-sa’i rgyal po ’char byed kyis zhus pa(21)(8‒9世紀)(22)
【優陀延-T】
7および8には,それぞれ蒙語訳も現存しているが,蔵語訳とよく対応し ているため,本稿では比較テキストとしては用いない。なお,テキスト名は 以下のとおりである。
Nomuγadqaqui teyin böged ilaγaγči(23)(7に相当する蒙語テキスト)
Qutuγ-tu batsa-yin qaγan udaki öčigsen kemegdekü bölüg(24)(8に相当する蒙語
テキスト) また,MSV-Ch および MSV-T に関連する梵語テキストとして,10世紀 前 後 に 成 立 した(25)Divyāvadāna 第36話 Mākandikāvadāna(26)も 存 在 す る が, MSV-T と非常に近い内容であるため,本稿では割愛する。 ところで,上記1から8のテキストは,物語の構成という点で以下のⅠか らⅢに大別できる。ここでは便宜上,サーマーヴァティーに相当する人物を 「正妃」,マーガンディヤーに相当する人物を「第2妃」とする(27)。Uvt-6と の比較も示しつつ,できるだけ簡潔に示したいが,それに先立ち,Ud 以外
の類話には次のような共通点があることを指摘しておく。 ・第2妃がウデーナ王に正妃を殺害させようと奸計を弄する。 ・騙された王は正妃を射殺そうとするが,正妃が「慈」による神通を顕 したため,放たれた矢は悉く外れる。 ・正妃の神通を目にしたウデーナ王は恐れ驚き,正妃に敬意を抱くよう になる。 ただし,第2妃の奸計の内容およびそれを実行した回数,また,王によっ て放たれた矢の数など,詳細な点ではやはりテキスト間での差異が認められ る。しかしながら,紙面の都合上,これらの問題についての比較考察は割愛 し,後の機会に譲りたい。そして,本稿では,Uvt-6にも共通するこれら一 連の事柄を「正妃の神通譚」とし,以下に各類話のあらすじを示す。 Ⅰ.Ud:預流である正妃が焼死したことに衝撃を受けた比丘たちの描 写から始まり,凡俗な視点で世間を見る事を戒めるような,釈尊の「詠 嘆の偈(udāna)」で終わる短い物語である。前述のとおり,「正妃の神 通譚」はなく,また,Uvt-6にあるような正妃焼死までの経緯や,正妃 以外の后に関する記述も見られない。なお,このテキストとほぼ同じ記 述が,Uvt-6の本文中に存在する(28)。成立年代から考えると,Uvt-6に 引用されたと考えられるだろう。 Ⅱ.法譬,優填,優陀延-Ch,優陀延-T,日子:「正妃の神通譚」の後の 展開が,Uvt-6とは大きく異なる。正妃の神通力で矢が退けられたこと により,王は第2妃の邪さに気づき,動揺する。そして,正妃の師であ る釈尊に自ら赴いて教えを乞い,釈尊はその求めに応じて説法を行う。 これらのテキストは全て,説法の終わりを以って完結するため, Uvt-6のような正妃殺害に関する事柄を始め,説法後の出来事について は記載がない。なお,法譬のみが,第2妃の本性に気づいた王は,釈尊 のもとを訪れる前に彼女を実家に戻し,正妃に宮中を取仕切らせること にしたと伝える(29)。 Ⅲ.MSV-Ch,MSV-T:「正妃の神通譚」に加え,第2妃が叔父を手先
として正妃殺害を実行し,また,王によって第2妃と叔父に極刑が申し 渡されるところまで,概ね Uvt-6と共通している。上記のⅠ,Ⅱと比べ て Uvt-6にかなり近い構成を持つ物語といえる。また,正妃たちの横死 の原因は前世にあると説く前世譚がみられ,その内容も Uvt-6のものと 非常によく類似する。 ただし,第2妃の処刑が申し渡された後の内容は,Uvt-6と大きく異 なる。第2妃は,家臣の配慮により命を奪われる事なく牢内に幽閉さ れ,事件後しばらくしてから王との面会を許される。ただし,その後に 彼女がどうなったのかが明確にされないまま,物語は終わってしまう。 以上の通り,Uvt-6の類話の構成は3種に大別できるが,Uvt-6と完全に一致 する構成をもつ物語はみられない。次に,Uvt-6も含めた各テキストの「教 え」に着目し,比較考察を進める。
4.物語の説く教え
本稿で扱う各物語は,一連の事件を踏まえた上で,釈尊が何らかの教えを 説いたと伝える。換言すれば,これが各テキストの「経典として説く教え」 といえる。まず,Uvt-6の教説を確認し,ついで,各類話の説く教えをみる。 なお,各類話が伝える教説の趣旨を類別すると,上述の「物語の構成の分 類」に一致する。そのため,各テキストの記述内容の提示は,前掲のⅠから Ⅲの分類に基づいて進める。 ⑴ Uvt-6の教え`bhikkhave ye keci pamattā te vassasataṃ jīvantāpi matā yeva nāma, ye appamattā te matāpi jīvantāpi jīvanti yeva, … ’ ti vatvā imā gāthā abhāsi.
21. `appamādo amatapadaṃ, pamādo maccuno padaṃ
appamattā na mīyanti, ye pamattā yathā matā. … [227‒228] 「比丘たちよ,誰であれ放逸なる人々は,100年生きようとも死人に他なら
に生きているのだ。……」といって,この偈頌を詠じられた。 不放逸は不死への道,放逸は死への道。不放逸なる人々が死ぬことはない [が,]放逸なる人々は死人も同然である。…… テキスト中に示されているとおり,これは Dhp 第21偈である。割愛した が,さらに第22偈と第23偈が続く。正妃の死に驚く比丘たちに,釈尊が不 放逸(appamāda)の大切さを説く場面だが,Uvt-6自体がこれらの偈頌に対 する解説で終わる点(30)からも,「不放逸の重要性」がこの物語の主要な教え といえる(31)。 ただし,先にも述べた通り,Uvt-6では,サーマーヴァティーらの横死 の原因として,その前世譚も語られる。Dhp に関する内容でもないため, DhpA の本来の役割から考えれば,いわば「副次的な教え」として位置付け るべきだが,その具体的な記述もみておきたい。
atīte bārāṇasiyaṃ brahmadatte rajjaṃ kārente rājagehe nibaddhaṃ aṭṭha paccekabuddhā bhuñjanti, pañcasatā itthiyo upaṭṭhahanti. … ath’ ekadivasaṃ rājā paccekabuddhesu gatesu tā itthiyo ādāya udakakīḷaṃ kīḷituṃ gato, tattha tā itthiyo divasabhāgaṃ udake kīḷitvā uttaritvā sītapīḷitā visīvetukāmā, `amhākaṃ aggikaraṇaṭṭhānaṃ olokethā’ ti, aparāparaṃ vicarantiyo taṃ tiṇagahanaṃ disvā `tiṇarāsī’ ti saññāya parivāretvā ṭhitā aggiṃ adaṃsu. tiṇesu jhāyitvā patantesu paccekabuddhaṃ disvā, `naṭṭh’ amhā naṭṭh’ amhā, raññō paccekabuddho jhāyati, rājā ñatvā amhe nāsessati, sudaḍḍhaṃ naṃ karissāmā’ ti sabbā ito cito ca dārūni āharitvā …. atha naṃ ālimpetvā `idāni jhāyissatī’ ti pakkamiṃsu. … tā tassa kammassa katattā bahūni vassasatasahassāni niraye pacitvā tass’ eva kammassa vipākāvasesena attabhāvasate iminā va niyāmena gehe jhāyamāne jhāyiṃsu. idaṃ etāsaṃ pubbakammaṃ’ ti. [224‒225]
「昔,バーラーナシーの街を,ブラフマダッタ王が治めている時に,王の館 では常に,8人の独覚たちが食事を取っていた。500人の女性たちが [その] 世話をしていた。……さて,ある日,王は,独覚が立ち去ったので,かの女 性らを連れて水遊びに出かけた。そこで,その女性たちは,昼間,水で遊
んで [水から]上がると寒さに苛まれ,[身体を]温めたかったので [互い に]「私たちのために火を燃やすところを見繕ってください」と [言い合っ て]あちこち歩き回るうちに, [王宮にいた独覚の一人が住む]その茂みを 目にして「草の塊だわ」と思い込み, [それを]取り囲んで佇み,火をつけ た。草々が燃えて崩れていった時,独覚 [がいたの]を見て,「おしまいだ わ,おしまいだわ! 王の独覚が燃えておられる。王がお知りになれば,私 たちを殺させるでしょう。彼をすっかり燃やしましょう。」と,全員があち こちから薪をもってきて,…… さて,彼 [の上に被せた薪]に火をつけて 「もう燃えてしまうでしょう」と立ち去った。……彼女らはその業により, 何千何百年間と地獄で [自身を]焼いてから,まさにその業の異熟の残りに よって百の転生において丁度この [今生で起こった]ように燃え盛る館で燃 えて [死んだ]のだ。これが,あの女性たちの前世の業なのだよ。 この前世譚自体は,「自身の業から逃れることはできない」ことを示す事 例といえる。つまり,Uvt-6は,不放逸を教えの要としながらも,二次的な 教えとして「因果応報の理」を含むテキストといえるだろう(32)。 ⑵ Ud の教え
`sant’ ettha bhikkhave upāsikāyo sotāpannā, santi sakadāgāminiyo, santi anāgāminiyo, sabbā tā bhikkhave upāsikāyo anipphalāni kālaṅkatānī’ ti.
atha kho bhagavā etam atthaṃ viditvā tāyaṃ velāyaṃ imaṃ udānaṃ udānesi: mohasambandhano loko bhabbarūpo va dissati,
upadhibandhano bālo tamasā parivārito
sassar iva khāyati, passato n’ atthi kiñcanan ti(33). [79]
「比丘たちよ,この場には預流であるウパーシカーたちがいた。 一来である [ウパーシカーら]がいた。不還である [ウパーシカーら]がいた。比丘た
ちよ,彼女らはみな,結果空しからざるものとして世を去った。」そこで, 世尊はこの意義を悟り,その時にこのウダーナを詠じられた。
基盤である世俗的な]愛着に縛られ,暗愚に取り巻かれた愚者は, [世間を]恒久のもののごとく考える [が],[正しく]見る人にとっ ては,[恒久なものなど]何もない。 預流や一来といった「聖女」だったはずの正妃たちが横死を遂げたことに驚 き,訝しがる比丘たちの前で釈尊が述べた言葉である。まず,彼女らが優れ た境地に至っていたことが保証されてから,釈尊自身がその胸中から湧き上 がった想いを詠ずる形で,凡庸な人と真実を見通す人の世界観の違いが示さ れる。いわゆる「説法」として述べられた言葉ではないが,結果的に「見せ かけの世界」に惑わされ続ける弟子たちへの訓戒にもなっている。つまり, この詠 ウ ダ ー ナ 嘆の偈そのものが,このテキストの教えといえるだろう。なお,ここ には「不放逸」や「因果応報」に関する言及はないため,教説という点では Uvt-6との共通要素はみられない。 ⑶ 法譬,優填,優陀延-Ch,優陀延-T,日子の教え これらのテキストの「教え」は,第2妃の悪辣な本性に気づいて動揺した 王に乞われ,釈尊が語った内容にあるといえる。まず,法譬の記述をあげ る。 【法譬】佛告大王。妖蠱女人有八十四態。大態有八慧人所惡。何謂爲八。一 者嫉妬二者妄瞋三者罵詈四者呪詛五者鎭厭六者慳貪七者好飾八者含毒。是爲 八大態。於是世尊即説偈言 天雨七寶欲猶無厭 樂少苦多覺之爲賢 雖有天欲慧捨不貪 樂離恩愛爲佛弟子[604a20‒28] 仏は,大王(ウデーナ王)にいった。「人を惑わす美女には,84の[特徴的 な]有り様をもつが,主だったものとしては8つある。[それらを]智慧あ る人は嫌う。[その]8つとは何かといえば,1つは嫉妬する,2つは筋の 通らぬことで怒る,3つ目は罵る,4つ目は呪詛する,5つ目は[人を]抑 えつける,6つ目は吝嗇で欲深く,7つ目は着飾るのを好む,8つ目は悪意 を抱く,というものだ。これが8つの主な有り様である。そこで,世尊は偈
頌を説かれた。 天が七宝を雨ふらすとも,なお欲しがることをやめない。楽しみは 少なく,苦が多いと知るのは,賢人である。天[への]欲があれ ど,[悪]知恵を捨て,貪らぬ。[それを]楽しんで恩愛を離れる [人]を仏弟子となす。 このテキストは,男性を惑わす魅力的な女性がもつ8つの欠点を具体的に列 挙し,さらに,偈頌では無欲を勧めていることがわかる。つまり,色欲への 戒めに加えて,無欲を奨める内容といえる。 一方,優填は,「色欲に惑う男性が陥る過失」という視点から教えを説く。 【優填】佛言。具聽男子有四惡急所。當知世有婬夫。……恒想覩女思聞妖 聲。遠捨正法疑眞信邪。……注意在婬捐忘親既得爲妻貴之如寶。……若有 布施之意。雖欲發言相呼女色。絶清淨行更成小人。……但以東西廣求婬路。 懷持寶物招人婦女。或殺六畜婬祀鬼神。……至求方便更相招呼。以遂奸情。 [71b15‒71c11] 仏はいった。「よくお聞き。男には,4つの主な欠点がある。世には,好色 な男がいると知るべきである。……[そういう男は]いつも女を目にするこ とを考え,なまめかしい声を聞きたがる。正法を遠ざけ,真実を疑って邪な ことを信じる。……淫らなことに気をとられ,親を忘れ,手に入れた妻を宝 のように扱う。……布施をする意志があって,言葉に出そうとしても[結局 は]女色を呼びあい,清い行いは絶え,さらに徳のない人物になる。……ひ たすら金品をもって,広く情事を求め,高価なものを懐に抱いて女を招き入 れる。あるいは,六畜(34)を殺し,鬼神や邪神を祀り,……方便を使ってさ らに[女を]招き入れ,ついに狡猾な思いを遂げる。 ここで示される「男性が陥る4つの過失」とは,⑴好色で正しい法から離 れる,⑵妻に夢中になり,親をないがしろにする,⑶情事を求めて徳を失 う,⑷色欲のために金品や不当な手段を使う,というものである。法譬が 「女性の欠点」を説くのに対し,こちらは「男性の過失」を示すことで,色 欲を戒める内容になっている。また,法譬の偈頌にあるような,無欲への勧
めは見られない。 次にあげる優陀延-Ch も,色欲の危険性を主張している。男性の過失とし て4つの事柄をあげるが,優填とは一部異なる。 【優陀延-Ch】佛言。一切丈夫。皆由四種不善愆過。爲諸女人之所迷亂。何者 爲四。一者於諸欲染耽著無厭樂觀女人而自縱逸。不知親近沙門及婆羅門。具 清淨戒修福業者。……夫父母者。皆願利樂所生子故。難作能作。能忍一切難 忍之事。……既婚娶已。於他女人愛戀耽著。……若諸丈夫由於邪見。不知自 身速當壞滅。造作諸惡而自欺誑。……或有丈夫爲於身命。極自勞苦積集珍 財。後爲女人所纒攝故。如彼僮僕敬事供承。……或被女人捶打呵叱。或至怖 懼屈意瞻奉。[543c11‒545a21] 仏はいった。「全ての男は,4種の不善によって過失を犯すが,これは女に 迷ってのことである。何が4つなのかといえば,1つには,様々な欲望に溺 れて女を見るに飽くことなく,節操がなくなる。沙門やバラモンなど,清戒 をもち,福業を修する人に親しむことを知らない。……[また]父母はみ な,我が子の利益と幸せを願うため,為し難きもなせるし,忍び難き一切の 事を忍ぶことができる[が,育てられた息子は]……妻を娶ると,[他人で あった]女を溺愛して執着する。……もし,男らが誤った考えによって,自 身が瞬く間に破滅することを知らないなら,様々な悪をなし,自らを欺く。 ……あるいは,男が懸命に苦労して貯めた貴重な財を,後に女に纏めて取ら れるため,彼は[女の]下僕のように[彼女を]尊重し,言いなりになる ……あるいは,女に殴られ詰られ,または,脅され,意を枉げて傅く。 優陀延-Ch は,⑴色事に溺れ,出家者には近づかない,⑵妻を溺愛して親 を粗末にする,⑶身の破滅を考えずに悪事に走る,⑷女性のために財や自ら の尊厳を損なう,などを過失とする。これらの中で,⑴および⑵は,優填と ほぼ一致するが,⑶と⑷は,異なる点といえる。次いで,蔵語テキストであ る優陀延-T の内容を確認する。
【優陀延-T】rgyal po chen po skyes pa skyon gang dag dang ldan na skyes pa bud med kyi dbang du ’gro bar ’gyur ba’i skyes pa’i skyes bu’i skyon ni bzhi po ’di dag
yon no // …bud med la lta ’dod de / tshul khrims dang ldan pa / yon tan dang ldan pa / shes rab dang ldan pa’i dge sbyong dang bram ze dag la lta bar mi ’dod cing / des thul khrims dang ldan pa / yon tan dang ldan pa / shes rab dang ldan pa’i dge sbyong dang bram ze dag mthong na snyen par mi byed / … pha ma dag rang gi khyim nas phyung ste bskrad nas gzhan gyi khyim nas blangs pa’i bud med la bza’ ba dang / btung ba dang / gos rnams kyis bsnyen bkur byed cing bsti stang du byed [P: sti stang byed [218b1]] gces su byed / … rgyal po chen po gzhan na yang skyes bu dam pa ma yin pa ni skyes bu dam pa ma yin pa’i las byed cing log par lta ba la mngon par zhen pa yin te / … sdig pa’i las byed pa dang sangs rgyas dang / byang chub sems dpa’ rnams kyis yong su spangs pa dang /… bud med rnams kyis thul ’og tu chud pa dang / bu med rnams kyis bskol ba dang / bu med rnams la byams pa de nyid kyis bud med de dag nyid gso ba’i phyir sbyin pa spyin pa dang / tshul khyims yang dag par len par mi nus shing de de la chags la bud med rnams kyis spyos pa bzod par byed cing … [D: 207b6‒212a2, P: 205b4‒220a6]
大王よ,男が何らかの過失を伴うなら,それは男が女の虜になってしまう男 の[ものであり,そういった]男の過失はこれら4つである。……女性を見 たがり,戒律あり,徳を具え,智慧ある沙門やバラモンを目にしたがらな い。[そして,]彼は,戒律あり,徳を具え,智慧ある沙門やバラモンを見 ると,近づこうとしない。……父母を自宅から棄て去り追い出してしまう と,他人の家から得た女に食物や飲み物,衣類でもって丁重に扱い,敬意を 払い,大切にする。……また他に,大王よ,立派でない男は,立派でない人 の行いをなし,誤った考えに固執する。そして,……邪な行いをして,仏と 菩薩らに見捨てられる。……女らに手綱を握られ,女らに [考えを]吹き込 まれ,女らに親しみをもつ,他ならぬ彼自身が,まさにその女らを養うため に,布施を与えたり,戒律をしっかり持ったりすることができない。また, 彼は,彼女に愛着して,女らに叱責されるのを耐えねばならず…… ここにあげられた「過失」は,⑴ 好色で,高潔な出家者には関心をもた ない,⑵ 妻を大切にして親を捨てる,⑶ 悪事を好んで仏菩薩にも見捨てら
れる,⑷ 女性に執着して支配され,虐げられようとも耐え忍ぶ,などであ る。内容面では優陀延-Ch と一致する。 ただし,優陀延-Ch と優陀延-T の間には,記述表現において差異が散見さ れる。例えば,⑶ の中で,優陀延-T には「仏らにも見捨てられる」という 比較的強い表現があるが,優陀延-Ch にはこういった記述はない。つまり, 「翻訳」という観点からみると,両者に何らかの緊密な関連性があったとは 考え難い。優陀延-T が収められている蔵語版『大宝積経』には,漢語テキ ストに基づいて翻訳された部分もあるとされるが(35),本稿で見た限り,優 陀延-T は,漢語訳に基づくとはいえないし(36),「原典」を共有しているかと いう点でも疑わしい。 視点をテキストの比較に戻そう。以下に日子の記述をあげる。 【日子】世尊告言。大王。若丈夫之過有其四種。……於其女人深生愛樂。於 苾芻衆中有持戒徳行沙門婆羅門。不欲見聞。…… 選揀親姻娉聚妻妾。…… 深著色慾都不省悟。又於別族姓家。私娶妻妾互相貪愛。於其父母返成不孝。 亦不敬重。…… 復次大王。若彼丈夫行非法業。…… 多得愚癡之人常所稱讃。 有智慧者恒生忿怒。罪業轉深永失大利。於其佛世永不値遇。…… 廣求財利 作諸惡業。……又被女人降伏驅使。…… [73c4‒75a9] 世尊はいった。「大王よ。もし,男の過失があるなら,それは4種である。 ……その女に対して深い情愛と楽しみを感じるようになり,出家者の中に戒 律や徳ある行いを身に付けた沙門やバラモンを見聞きしようとしない。…… 親族の中から妻妾を選びとり,……色欲に溺れて顧みることはない。また, 別の家系から勝手に妻妾をめとって,ともに愛欲を貪る。父母に孝行せず, 鄭重に敬わない。……また次に大王よ,もし男が非法な行いをするなら…… 概ね常に愚人の賞賛を得て,智者の怒りを買う。罪業が深まり,永く多くの 利を失い,仏の世において [仏に]会うことはない。…… [また]広く財産 を求めて様々な悪事を行う。……そして,女に屈してこき使われることにな る。…… 日子も,優陀延-Ch らと同様,色欲への戒めを説いていることがわかる。
⑴情事に耽って出家者とは疎遠になる,⑵ 妻妾を溺愛し,親を粗末にする, ⑶悪事を行い,仏縁を逃す,⑷ 財を求める一方,女性に愛着して虐げられ る,といった事柄を「過失」とする。 なお,[長井 1929]が優填,優陀延-Ch,日子の関連性を指摘しているこ とは前述のとおりであり,今回の比較においても三者の類似性が認められ た。しかしながら,記述自体は異なる点が少なくなく(37),おそらく原典の 共有は考え難い。また,翻訳作業における相互影響があった可能性も低いと みられるが,こういった問題については,やはりテキスト全体の比較検証が 必要であり,後の機会に譲りたい。 ここまで,「物語の分類」でⅡとした5本のテキストにおける教説を確認 したが,いずれも色欲に対する戒めを説く内容である。そして,Uvt-6の主 眼である「不放逸」や,その副次的な教えといえる「因果応報」に関する 教えは見られなかった。従って,Ud と同じく,これらのテキストもまた, Uvt-6に共通する教説は持たないといえる。 ⑷ MSV-Ch,MSV-T の教え これらの物語の教えは,聖女として知られた正妃らが非業の死を遂げた原 因として,釈尊が説く前世譚の中で示される。また,この前世譚は Uvt-6の ものと共通要素が多い。 【MSV-Ch】佛言。大王當知。乃往古昔婆羅䛠斯國有王。名梵摩達多。其王 最大夫人。曾於一時與五百婇女。遊觀花園入芳池浴。既出池已時寒求火。去 此不遠有獨覺聖者。造一草庵在中住止。時彼夫人命一使女。汝可以火燒彼草 庵。女遂往彼見出家者住草庵中。不忍放火。夫人即便自往放火。諸女見已悉 共觀笑。倶言好火。……爾時夫人者即紺容是。彼侍女者即五百内人是。由彼 業力雖復妙容得聖道果。然於五百生中及五百侍女被火燒死。彼使女者即曲脊 女是。由不肯燒故常得免難。善惡報應大王當知。[892c11‒25] 仏はいった。「大王よ,昔,バーラーナシーの国に王がいて,名を梵摩達多 (Brahmadatta)といった。その正室は,かつてある時,500人の侍女たちと
ともに花園に遊び,花咲き誇る池で水浴をした。池から上がると,寒気を感 じて [暖をとる]火を求めた。そこから遠くない所に,独覚の聖者がいた。 草庵を結んで,その中に住んでいた。その時,その正室は一人の雑仕女に命 じた。「お前は,火であの草庵を燃やしなさい。」娘は行って,草庵の中に出 家者がいるのを目にし,火を放つことができなかった。そこで正室自らが行 き,火を放った。他の女たちは,みなそれを見て笑い,口々にいった。「けっ こうな [焚き]火でございますわ。」……その時の正室が,紺容(Śyāmavatī) である。その時の五百人の侍女たちが,[今彼女と共に亡くなった]500人 の宮廷の女性らである。その業の力によって,また美しく,聖なる道果を得 ようとも,また五百の生の中で500人の侍女たちと火に焼かれて死んだ。か の雑仕女は,曲背女(Kubjottarā)である。[草庵を]焼くのを拒んだため, 常に難を逃れている。善悪の報いを,大王はまさに知らねばならない。 次に,MSV-T の記述をあげる。后たちの行動や前世といった主要な点は, MSV-Ch と同一であるため,特に着目しておきたい箇所を抜粋する。 【MSV-T】rgyal po chen po sngon byung ba grong khyer bā-rā-ṇasī na rgyal po
tshangs byin zhes bya bas rgyal srid ’byor ba …de na btsun mo dam pas bu mo mngag gzhug ma la smras pa / … spyil bu ’di la me thong shig / … lha mo ’di na rab tu byung ba zhig mchis so // des smras pa rab tu byung ba ’dug kyang rung // gzhan ’dug kyang rung gyis me thong shig / des ma btang bar bros pa dang / de nas btsun mo’i mchog de la ’khrugs nas de rang gyis me btang ba dang / … rgyal po chen po de ltar na las gcig tu gnag pa rnams kyi rnam par smin pa ni gcig tu gnag pa yin la / las gcig tu dkar ba rnams kyi rnam par smin pa yang gcig tu dkar ba yin / las ’dren ma rnams kyi rnam par smin pa yang ’dren ma yin no // rgyal po chen po de lta bas na las gcig tu gnag pa rnams dang / ’dren ma rnams spangs nas las gcig tu dkar ba rnams la brtsal bar bya ste / rgyal po chen po khyod kyis de ltar bslab par bya’o // [D: 193b2‒194b5, P: 180b4‒181b5]
大王よ,昔,バーラーナシーの街で,ブラフマダッタ王が国を統治していた が,[そこは]豊かで …… そこで,正妃は雑仕女にいった。……「この草庵
に火をつけなさい」……「お后さま,ここにはご出家がおられます。」彼女 は,いった。「出家が住みついていようともけっこうよ。他 [の誰]がいたっ て構わないわ。火をつけなさい。」彼女(雑仕女)は,[火を]かけずに逃げ 出した。そこで,正妃は彼女に腹を立て,自身で火を放った。……大王よ, そのように,真黒い業の異熟は真黒いものであって,真白い業の異熟はま た真白である。[白黒]斑の業の異熟もまた [白黒]斑なのである。大王よ, そのようであるなら,真黒な業と [白黒]斑の業を捨て,真白な業に励むべ きである。大王よ,あなたはそのように学ぶべきである。 MSV-Ch および MSV-T はともに,「聖女」である正妃らが非業の死を遂げ たのは前世の悪業によるものと述べる。つまり,いかなる人も業の報いから は逃れることができないという因果応報の理を説く物語といえる。Uvt-6の 主眼である不放逸に関する教えは見られないが,「業の報いを説く」という 点では,Uvt-6と共通する。また,それを示す物語自体が,Uvt-6のそれと類 似性が高い点は,非常に興味深い。 ところで,MSV-Ch と MSV-T もまた,原典を共有するかどうかは疑わし い。例えば,正妃の言動は明らかに MSV-T の方が強硬である。釈尊の言葉 としても,MSV-T は業と異熟の対応を丁寧に説くが,MSV-Ch は非常に簡 潔な一文で示す。これらの点は,MSV の翻訳について考察する際の課題と して指摘しておきたい。
5.まとめ
ここまでの比較考察内容についてまとめておきたい。まず,Uvt-6は「不 放逸の教え」を主題としている。ただし,サーマーヴァティーの前世譚も含 むため,因果応報の教えも併せ持つといえる。一方,Uvt-6の類話は「物語 の構成」という視点から3種に大別できるが,この類別は「教えの内容」と いう点でも一致している。以下に,物語の構成の分類とともに,その教説内 容を簡潔に示す。なお,Ud については,釈尊が弟子たちの前でその胸中を ふと漏らした「詠 ウ ダ ー ナ 嘆の偈」の内容を,テキストの教えとみなす。Ⅰ.Ud …凡庸な視点で「世間」を見ることへの戒め。 Ⅱ.法譬,優填,優陀延-Ch,優陀延-T,日子 …色欲に対する戒め。 Ⅲ.MSV-Ch,MSV-T … 因果応報の理。 つまり,ⅠおよびⅡのグループにある類話は,「教え」という点では,Uvt-6 との共通性は認められない。一方,Ⅲのグループは Uvt-6の「副次的な教 え」,つまり,因果応報を説くという点において,Uvt-6との類似性を見出す 事ができる。ただし,Uvt-6の主たる教説である不放逸については説かれな い。 なお,本稿であつかった Uvt-6の類話は,二次的なものも含めて,上掲以 外の教説を持たない。こういった点からみれば,主要な教えである「不放 逸」に併せて,因果応報の理も示す Uvt-6は,その類話より多くの教えを内 蔵するテキストともいえる。 注 ⑴ ブッダゴーサにより,シンハラ語(Tambapaṇṇīdīpabhāsā)からパーリ語に翻訳さ れた(ref. [Churn Law 2000: 449], [Norman 1906: 1])。
⑵ [Norman 1909: xix]に基づく。
⑶ `appamādo amatapadan’ ti imaṁ dhammadesanaṁ satthā kosambiyaṁ upa-nissāya ghositārāme viharanto sāmāvatīpamukkhānaṁ pañcannaṁ itthisatānaṁ, māgandikapamukhānaṁ etissā pañcannaṁ ñātisatānaṁ maraṇavyasanaṁ ārabbha kathesi. [Norman 1909: 161] 「不放逸とは,不死の道である」とは。この法の教えを,師(釈尊)は,コーサン ビーの近く,ゴーシタ園に滞在しつつ,サーマーヴァティーをはじめとする500人 の[侍]女たち[と,]マーガンディカーをはじめとするこれらの500人の親戚ら の死と災いに関する[事柄として]語られた。 ⑷ Uvt-6本 文 中 で は, 作 中 で 奸 策 を 巡 ら す「 悪 女 」 の 名 称 と し て Māgandiyā と Māgandikā の2つが混在している。この問題についても詳細な検証が望まれるが, 本稿では割愛したい。また,本稿本文中での表記は「マーガンディヤー」に統一す る。 ⑸ マーガンディヤーが釈尊に拒絶され,ウデーナ王に嫁いだという出来事が,Uvt-6 の「前置き」にあたる物語(Uvt 第5話)として語られる [Norman 1909: 199‒203]。
[Norman 1909]は,この物語を Māgandiyā-Vatthu と称しているが [Norman 1909: xix],テキスト本中にこういった題名は記されていない。 ⑹ [Burlingame 1921: 48].また,[及川2015]には,この [Burlingame 1921]にあげ られる類話のリストが引用されている。 ⑺ [Steinthal 1982: 79]. ⑻ [Churn Law 2000: 65‒66]. ⑼ T 211, vol. 4, 603c1‒604b3. ⑽ 西晋の第2代皇帝(恵帝 在位期間290‒306年間)の時代に活躍した法立,法炬 によって訳された(ref. [慧皎 2009])。 ⑾ T 332, vol. 12, 70c7‒72b11. ⑿ 翻訳者は,西晋の法炬(see. 注⑽)。後にあげる『大宝積経』中の「優陀延王会」 の「異本」とみなされるテキスト(ref. [長井 1929: 5])。また,この経典の表題に ある「優填」が udena の音訳であることは,[水谷 1971: 179]に指摘されている。 ⒀ T 1442, vol. 23, 891c15‒893a21. 無比(skt. Anupamā. Uvt-6の Māgandiyā に相当す
る人物)が王に嫁ぐ場面から無比についての物語が終わるまでの箇所。 ⒁ 訳者は唐の義浄(635(貞観9)年‒713(先天2)年)。671(咸亨2)年にインドに 渡り,695( 証 しょうせい 聖 元/證聖元)年に帰国する。則天武后(武則天 在位 690‒705年) は自ら洛陽の上東門の外に出て,彼を出迎えたと伝えられる (ref. [Sen 2006: 31], [T2061, vol. 50, 710b12‒21])。 ⒂ T 310, vol. 11, 543b26‒547b9. ⒃ 706‒713年間に唐の中宗(在位 705‒710年)の指示により,菩提流志が翻訳,編 纂(ref. [T310, vol. 11, 1a24‒1b8])。南インド出身の菩提流志は,683(永淳2)年 に唐の高宗(第3代皇帝 在位:649‒683)に招かれて唐に赴いた。則天武后は, 彼を東都(洛陽)の福先寺に住まわせ,経典翻訳に従事させたと伝えられる(ref. [T310, vol. 11 1b2‒6])。 ⒄ T 333, vol. 12, 72b16‒76a28. ⒅ 訳者は宋(北宋)の法天。『優填王経』と同じく,「優陀延王会」の異本とされる (ref. [長井 1929: 5])。
⒆ D3 ’Dul ba, Nya 186b2‒197b6; P1032 ’Dul ba, Te 173b8‒184b4. Vinayavibhaṅga に相 当する蔵語テキスト。このテキストについても,dPe med ma(Anupamā)が王に嫁 ぐところから,彼女の物語が終わる所までを参照の範囲とする。
⒇ Sarvajñādeva,Vidyākaraprabha, Dharmākara, dPal gyis lhun po らによって訳された (ref. [平川 1999: 72‒78])。
D 73 dKon brtsegs, Ca 204b1‒215b7; P 760 (29) dKon brtsegs, Zi 212a1‒224a7. 「優陀 延王会」に相当する蔵語テキスト。
翻訳者(Jinamitra, Surendrabodhi, Ye-shes sde)より,8‒9世紀の成立とみられる (ref. [Rhaldi 2002: 20])。
[Chandra 1979: No. 1134].翻訳者は Samdansennge(17世紀)。モンゴル帝国最後 の皇帝リクデン・ハーンの命により,1628‒1629年間に訳された。ただし,より旧 い「原本」の存在が考えられる(ref. [Heissig 1964: 138‒142],[ハイシッヒ 2000: 156‒162])。
[Chandra 1979: No. 821].翻訳年代と訳者については,注 に同じ。 [平岡 2007: ii‒iii].
[Cowell & Neil 1886: 528.20‒541.20].王に嫁がせる場面から Anupamā の物語の 終わりまでが,Uvt-6の類話になっている。 なお,「正妃」と「第2妃」両者の名が,本稿で扱うテキスト間で必ずしも一致 しないことも確認されたが,この問題については別の機会に譲りたい。 [Norman 1909: 221‒222]. 王曰善哉。豈可言不。即出吉星女還其父母。以大夫人正理宮内。[T211, vol. 4, 604a16‒18] [Nroman 1909: 228‒231].
例えば,第21偈の解説の中では,sakalaṃ pi hi tepiṭakaṃ buddhavacanaṃ āharitvā kathiyamānaṃ appamādaṃ eva otarati, …(なんとなれば,三蔵である仏の言葉を引用 して語られていることはすべて,他ならぬ「不放逸」に行き着くものだから。)と 記されるなど,不放逸の重要性が説かれる。
この点は,迫り来る死を前に,サーマーヴァティーがその侍女たちに言った言葉 からもうかがえる。
sāmāvaī tāsaṃ ovādaṃ adāsi: `amhākaṃ anamatagge saṃsāre vicarantīnaṃ evam evaṃ agginā jhāmaattabhāvānaṃ buddhaññāṇena pi paricchedo na sukaro, appamattā hothā’ ti. [221] サーマーヴァティーは,彼女らに諭した。「始まりもしれぬ輪廻をさまよっている 私たちに,実にこのように火で燃えてしまう[という因をもつ]生まれ変わりが あったことを,仏の智慧でもっても断つことは難しいのですね。[貴女がたは]不 放逸でありなさい。」(jhāmaatta-: テキスト本文のまま。jhāma-atta- と解釈。) Uvt-6の本文中に引かれたものには,部分的に異なる箇所がある。斜字体で示し ておく。
mohasambandhano loko bhabbarūpo va dissati / upadhisambandhano bālo tamassa parivārito / sassati viya khāyati, passato natthi kiñcanaṃ’ ti // [221‒222]
馬,牛,羊,豚,犬,鶏の六種類の家畜。
[岡本 1991: 20]には,チベット訳の「優陀延王会」(本稿における優陀延-T)の 表題に着目し,「原典」,すなわち,梵語テキストに依るものである可能性が指摘さ れている。 例えば,「悪行によって仏縁を逃す」との記述は,優填,優陀延-Ch にはない。 一方で,優陀延─ T に類似する内容がみられるのは,興味深い点である。 略号 D=デルゲ版西蔵大蔵経 MSV=Mūlasarvāstivādavinaya P=北京版西蔵大蔵経 T=大正新修大蔵経 参考文献
Burlingame, Eugene Watson. 1921. Buddhist Legends: Translation from the Original Pali
Text of the Dhammapada Commentary: Part I: Traslation of Books 1 and 2. Cambridge,
Massachusetts: Harbard University Press.
Cowell, E. B. & Neil, R. A. 1886. The Divyāvadāna: A Collection of Early Buddhist Legends. Cambridge: at The University Press.
Chandra, Lokesh (ed.). 1979. Mongolian Kanǰur vols. 52, 101. New Delhi: The International Academy of Indian Culture.
Churn Law, Bimala. 2000 (reprint of 1933). A History of Pāli Literature. New Dlehi: Rekha Printers Pvt. Ltd.
Masefield, Peter (trans). 1994. The Udāna; Translation from the Pāli. Oxford: The Pali Text Society.
Norman, H. C. (ed). 1906. The Commentary on the Dhammapada vol. 1, Part 1. London: Published for the Pali Text Society by Oxford University Press.
Norman, H. C. (ed). 1909. The Commentary on the Dhammapada vol. 1, Part 2. London: Published for the Pali Text Society by Oxford University Press.
Rhaldi, S. 2002. Ye-Shes-sDe; Tibetan Scholar and Saint [digital image]. http://www.dspace. cam.ac.uk/handle/1810/243016(2017/05/23閲覧)
Sen, Tansen. 2006. “The Travel Records of Chinese Pilgrimage”, Education About ASIA 11‒3: 24‒33.
Steinthal, Paul (ed). 1982. Udāna, London: Pali Text Society : Distributed by Routledge & Kegan Paul.
及川真介(訳注)2015『仏の真理のことば註 ─ダンマパダ・アッタカター─』(一), 東京:春秋社. 大竹晋(校注)2008『大宝積経論』(新国訳大蔵経 釈経論部15)東京:大蔵出版. 岡本嘉之 1991「大宝積経原典考」『印度学仏教学研究』第40巻第1号,pp. 17‒20. 鎌田茂雄/他(編)1998『大蔵経全解説大事典』,東京:雄山閣出版社. 長井真琴(訳)昭和4(1929)『国訳一切経』(宝積部5),東京:大東出版社. 昭和6(1931)『国訳一切経』(宝積部5),東京:大東出版社. 西山龍山(訳)1989(1933)『国訳一切経 律部21』,東京:大東出版社. ハイシッヒ・ワルター(著)・田中克彦(訳)2000『モンゴルの歴史と文化』,東京: 岩波書店(原本:Heissig, Walther. 1964. Ein Volk sucht seine Geschichte: die Mongolen
und die verlorenen Dokumente ihrer großen Zeit. Düsseldorf; Wein: Econ Verlag).
平岡聡 2007『ブッダが謎解く三世の物語:『デヴィヤ・アヴァダーナ』全訳』(下), 東京:大蔵出版. 平川彰 1999『律蔵の研究』I,東京:春秋社. 船山徹 2013『仏典はどう翻訳されたのか ──スートラが経典になるとき』,東京:岩 波書店. 水谷真成訳 1971『大唐西域記』,東京:平凡社. 『大正新脩大蔵経』(普及版)第4巻,第11巻,東京:大蔵出版,1988. 『大正新脩大蔵経』第12巻,東京:大正新脩大藏經刊行會,1967. 『大正新脩大蔵経』第23巻,第50巻,東京:大蔵出版,1989, 1990. 『北京版 西藏大藏經』第24巻,第43巻,東京・京都:西藏大藏經硏究會,1956, 1957.
The Nyingma Edition of the sDe-dge bKa’-’gyur end bsTan-’gyur, vols. 3, 16, Oakland, Calif.: