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アンデス高地の環境利用 : 垂直統御をめぐる問題

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アンデス高地の環境利用 : 垂直統御をめぐる問題

著者 大貫 良夫

雑誌名 国立民族学博物館研究報告

巻 3

号 4

ページ 709‑733

発行年 1979‑03‑30

URL http://doi.org/10.15021/00004567

(2)

大貫 アンデ ス高地の環境利用

ア ン デ ス 高 地 の 環 境 利 用

垂 直 統 御 をめ ぐ る問 題

夫*

Vertical Control: Some Problems on the Exploitation of the Environment in the Central Andean Highlands.

Yoshio ONUKI

Murra's study, published in 1972, on the nature of environ- mental exploitation among the Central Andean highlanders has elicited considerable interest in the cultural ecology of the Andes in an attempt to clarify the notion of "vertical control". This article (1) outlines the classification of natural or ecological zones most relevant to human life; (2) considers several cases of "vertical control"; (3) analyzes, in a historical perspective, some tentative types of environmental exploitation; and (4) indicates some pro- blems for future study.

Although more individual case studies_are needed for a-precise discussion, Brush has postulated three types for "vertical control", or "the manifold exploitation of multiple ecological zones", of the Andean Highlands. It is suggested here that a fourth type, "the specialized type", may exist. In this type at least two different ethnic groups occupy different ecological zones, each devoting themselves to the exploitation of natural resources of their particular zone of occupancy and exchanging specialized products.

It should also be noted, that the four types, together with others which may exist, are the products of historical conditions as well as local circumstances, as is illustrated by the case of the Chaupiwaranga, or the Huaris and the Llacuaces. However, it seems generally apparent that in the Central Andes there first existed the compressed type of exploitation, whereby each household sought to maintain economic self-sufficiency, and that later when this became impossible, it was replaced by economic self-sufficiency

*東 京大学教養学部 ・国立民族学博物館展示企画委員

(3)

国立民族学博物館研究報 告  3巻4号

on the community level, and a variety of exploitative types appeared.

Where even this was difficult or impossible the specialized type was favored.

Apart from the accumulation of precise data on individual cases, some of the tasks remaining are to clarify the local and histor- ical situations that caused a shift from one type to another, and to relate types of vertical. control to various aspects or specific features of a given society and culture. It is also of great significance to relate such kinds of economic behavior to a people's system of symbols or cosmology, for the historical and present day basic unity of the cultures of the Central Andes may depend on the sharing of the essential nature of the system of symbols.

1.は じめ に

2.ア ンデ ス高 地 の 自然 区分 3.垂 直 統 御 一Murraの 垂 直 列 島論 4.垂 直 統 御 現 代 の 事例 一

(1)ケ ー ロ (2)ウ チ ュ クマ ル カ (3)垂 直 統 御 の類 型 5.垂 直 統 御 一 歴史 的 側面 一

(1)異 民 族 間 の交 換 (2)ワ リと リャク ワス (3)チ ャ ウ ビワ ランガ 6.問 題 と考 察

(1)垂 直 統 御 の古 さ

垂 直 統 御 の一 般 性 と特殊 性 (3)垂 直 統 御 の背 景

1.は

  中 央 ア ンデ ス の高 地 は,急 峻 な 山 と深 い谷 の錯 綜 す る と こ ろで,そ こで は 南 北 と か 東 西 とい った水 平 方 向で はな く,む しろ高 低 の差 に よ って 自然 の条 件 が 著 しい ちが い を 示 して い る。 中央 ア ンデ ス に お け る人 間 の生 活 領 域 は,海 抜 お よ そ5,000メ ー トル か ら1,000メ ー トル まで の 範 囲 で あ る 。高 度 に よ る 自然条 件 の差 異 は,そ れ に応 じた 生 業 資 源 の 差異 を生 んで お り,高 地 の 人 び とは その 差 異 を効 果 的 に利 用 す る生 活様 式 を 作 りあ げて きた。 ア ンデ ス高 地 の 文 化生 態 学 は,こ の高 度 に よ り異 な る 自然 資 源 の 活 用 と い う側 面 を指 摘 したMurraの 研 究 論 文[MuRRA  1972]以 降 少 な か らぬ 関 心 を よぶ よ うに な った。 本 論 は,(1)ア ンデ ス高 地 の 自然 を人 問 生 活 との 関 連 か ら区 分 す る,そ の 区 分法 を概 説 し,(2)Murraの 考 え方 と,そ れ以 後 の研 究 に よ って 明 ら か に な りつ つ あ る,『ア ンデ ス高 地 の 環 境 利 用 の諸 事 例 を 検 討 し,(3)環 境 利 用 の い く つ か の類 型 に歴 史 的観 点 か らの 分 析 を加 え,(4)今 後 の研 究 方 向 や問 題 点 を 抽 出す る

(4)

大貫   ア ンデ ス高地 の環境利用 こ と,を 試 み た も の で あ る 。

2.ア ン デ ス高 地 の 自然 区分

  ア ン デ ス高 地 の 自然 区 分 に つ い て は,い ろ い ろ な 試 み が な さ れ て き た が,文 化 と の 関 連 で よ く用 い ら れ る の は,Tosiの 区 分 法[TosI  I 960]とPulgar  Vidalの 区 分 法[PuLGAR  VIDAL  l946]で あ る 。 特 に 後 者 は,文 化 と 自 然 を く み あ わ せ た 区 分 法 と も い え る も の で,ア ン デ ス の 住 民 の 使 用 して い る 用 語 を と りい れ て い る 。 そ の 区 分 法 は,第1表 に 示 す 通 りで あ る 。 な お,標 高 に つ い て は,地 方 に よ り300メ ー トル く

表1  中 央 ア ン デ ス 高 地 の 自 然 区 分 海 抜

5000m

4100m

プ ー ナ

(Puna)

3500m

2300m

1000m

ハ ル カ ま た は ス ー 二

(Jalca,Suni)

広 大 な 草 原 。 寒 冷 。 降 雨500mm以 上 。 作 物:キ ノ ァ(Chenopodium quinoa),

ジ ャ ガ イ モ(Solanum  sp.)ほ か 。 家 畜:リ ャ マ(Lama  glama  glama),

ア ル パ カ(LamaPacos), ヒ ツ ジ 。

な だ ら か な 草 地 。 山 の 斜 面 上 部 。 や や 寒 冷 。 降 雨 約500mm。

作 物:ジ ャ ガ イ モ,キ ノ ァ, オ ユ コ  (Ullucus  tuberosus), オ カ  (Oxalis  taberosa)。

キ チ ュ ワ (Kichwa,

Quechua)

ユ ンガ

(Yunga)

山 の 斜 面 。 温 暖 。 降 雨250‑500mm。

ト ウ モ ロ コ シ(Zea  mais), ア ラ カ チ ャ(Arracacia  xanthorrhiza), マ メ 類(Phaseolus  sp.),

オ オ ム ギ,コ ム ギ,ソ ラ マ メ 。

山 の 斜 面 下 部 。 狭 い 谷 底 。 降 雨250mm。 温 暖,乾 燥 。 ト ウ モ ロ コ シ,マ メ 類,サ ト ウ キ ビ,ピ ー ナ ツ, サ ツ マ イ モ(IPomea  batatas),

マ ニ オ ク(Manihot  esculenta),

果 樹 一 甘 橘 類,ア ボ カ ド(Persea  americanα), チ リ モ ヤ(Annona  muricata),

グ ァ ノぐ(Psidium  guayava)o 棉(Gossipiwm  barbadense), コ カ(Erythroxylon  coca), ト ウ ガ ラ シ(CaPsicumsp.)。

(5)

国立民族学博物館研究報告  3巻4号 ら い の 異 同 が あ る 。 ま た,名 称 と そ の 意 味 す る と こ ろ も,地 方 に よ り 若 干 の 異 同 が あ る の で,個 々 の モ ノ グ ラ フ を 読 む と き に は 注 意 しな け れ ば な ら な い 。

  ア ンデ ス 高 地 の 自 然 は,ユ ン ガ(Yunga),キ チ ュ ワ(Kichwa),ハ ル カ(Jalca),プ ー ナ(Puna)の 区 分 帯 に 分 類 す る こ と が で き る。 ユ ンガ と は,海 抜1,000メ ー トル 付 近 か ら,2,3◎0な い し2,500メ ー トル ぐ ら い ま で の あ い だ に 位 置 す る 土 地 で,地 形 的 に は 谷 底 と か 山 の 斜 面 下 部 に 見 出 さ れ る 。 年 間 の 降 雨 量 は250ミ リ以 下 で,乾 燥 が 強 く, 気 温 も高 く,0°C以 下 に は な らな い 。 サ ボ テ ン,リ ュ ウ ゼ ツ ラ ン な ど 乾 燥 に 強 い 植 物 が 多 い が,適 当 な 水 を 与 え る な ら ば 作 物 は 何 で も で き る と ま で い え る ほ ど 気 候 の 良 好 な と こ ろ で あ る 。 トウ モ ロ コ シ,マ メ 類,カ ボ チ ャ,ト ウ ガ ラ シ な ど,ア ン デ ス の 主 要 作 物 の ほ か,サ ツ マ イ モ,ピ ー ナ ッ,ユ カ(マ ニ オ ク)も 栽 培 可 能 で,そ の ほ か ア ボ カ ド,グ ァバ,パ カ エ  (lnga feuittei),チ リモ ヤ,パ パ イ ヤ,バ ナ ナ な ど の 果 樹 も よ く 育 つ 。・現 在 で は,オ レ ン ジ,グ レ ー プ ・フ ル ー ツ,サ トウ キ ビ が さ か ん に 作 られ て い る 。 ま た,コ カ や 棉 も 育 つ 。

  キ チ ュ ワ地 帯 は,ケ チ ュ ア と か キ シ ュ ワ と も よ ば れ,海 抜2,500メ ー トル か ら3,500 メ ー トル く ら い の と こ ろ で,山 の 斜 面 や 谷 の 上 流 部 に ひ ろ が る 。 ユ ン ガ 地 帯 の 谷 間 に

く らべ て,上 流 部 の 谷 間 は か な り広 い 盆 地 状 と な り,山 の 斜 面 は 傾 斜 の ゆ る い ひ ろ が り と な る 。 年 間 雨 量 は250ミ リか ら500ミ リ く ら い に 増 加 す る 。 ト ウ モ ロ コ シ,ア ラ カ チ ャ(Arrαcaeia  sp.の イ モ),そ れ に オ オ ム ギ,コ ム ギ,ジ ャ ガ イ モ な ど が 作 ら れ る が, ユ ン ガ 地 帯 の 果 樹 を は じ め,サ ツ マ イ モ,ユ カ,コ カ,棉 な ど は 育 た な い 。 し か し な が ら ユ ンガ に く らべ て 土 地 は 広 大 で,ト ウ モ ロ コ シ や ジ ャ ガ イ モ の 生 産 量 は 大 き く, 今 日 の ペ ル ー 高 地 の 人 口 集 中 地 は,ほ と ん ど こ の キ チ ュ ワ地 帯 に 見 出 さ れ る 。   ハ ル カ は ス ー 二(Suni)と も よ ば れ,山 の 斜 面 上 部,谷 の 源 流 部 な ど に ま た が り,

海 抜3,500メ ー トル か ら4,100メ ー トル ぐ らい に 位 置 し,雨 量 は500ミ リほ ど と 多 く な る が,高 度 の せ い で,か な り寒 い と こ ろ と な る 。  トウ モ ロ コ シ の 栽 培 は で き な く な

り,か わ っ て ジ ャ ガ イ モ,オ ユ コ,オ カ,キ ノ ァ な ど が 主 作 物 と な る 。

  プ ー ナ は 海 抜4,000メ ー トル 以 上 の と こ ろ に ひ ろ が る な だ らか な 草 原 で,ハ ル カ の 作 物 が 栽 培 さ れ る こ と も あ る が,リ ャマ や ア ル パ カ の 飼 育 が さ か ん な と こ ろ で,16世 紀 以 後 は ヒ ツ ジ も 飼 わ れ る よ う に な っ た 。

(6)

大貫   ア ンデス高地の環境利用

3 ..垂 直 統 御 Murraの 垂 直 列 島論

  ユ ン ガ か ら プ ー ナ ま で,標 高 差 に し て4,000メ ー トル 以 上 の へ だ た り の な か に 分 布 す る 自 然 区 分 帯 は,そ れ ぞ れ に 特 有 な 自 然 資 源 を も つ 。 ア ン デ ス 高 地 の 人 び と は,そ れ ら の 自然 資 源 の す べ て を で き る 限 り 利 用 して,自 給 度 の 高 い 生 活 を 確 立 し よ う とつ と め て き た 。 こ の よ う な 環 境 利 用 の 形 態 をMurraは 「垂 直 統 御 」(vertical control) と よ び,少 な く と も イ ン カ 時 代 に ア ン デ ス 各 地 に 存 在 し,し か も そ れ は,「 垂 直 列 島 」 (vertical archipelago)の 形 を と る と述 べ た[MuRRA  l 972]。 そ れ に つ い て, Murra の 事 例 を2例 紹 介 す る 。

  今 日 の ワ ヌ コ 市(Huanuco)の あ る ワ リ ャ ガ 川(Rio  Huallaga)上 流 の 一 帯 に は, 16世 紀 に お い て,チ ュ パ チ ュ(Chupachu),ヤ チ ャ(Yacha),ケ ー ロ(Quero),ヤ (Yaru),な ど の 民 族(エ ス ニ ッ ク ・グ ル ー プ)が 分 布 し て い た 。 各 グ ル ー プ の 人 口 は, 18,000〜20,000人 ぐ らい で,小 さ な 集 落 を い くつ も作 っ て 住 ん で い た 。 この 地 方 に, 1562年,ス ペ イ ン国 王 の 命 を 受 け て,Inigo  Ortiz  de ZUnigaと い う 役 人 が 現 地 調 査

(Visitaと い う も の で,植 民 地 行 政 に 利 す る た め の 実 情 調 査 。 Visita全 般 に つ い て は, [増 田  1967]を 参 照)に 訪 れ た が,Murraの 努 力 に よ っ て そ の 報 告 書 が 公 刊 さ れ た

図tワ ヌ コ 盆 地 概 略 図

    Ortiz  de Zdfiiga[1967附 録 地 図(R.  Bird製 作)}よ り

(7)

国立民族学博物館研究報告   3巻4号 [ORTIz  DE Z6歯IGA  l967,1972]。

  そ こ に 出 て く る ワ リ ャガ 上 流 部 の 住 民 は,川 を 見 下 ろす 山 の 中 腹 に 集 落 を 構 え て い た が,そ こ は 先 の 自 然 区 分 法 で い う ハ ル カ と キ チ ュ ワ で あ っ た 。 そ して 集 落 の 上 下 に 畑 を も っ て い て,畑 の 往 復 は1日 で 十 分 足 りた 。 も っ と も,ハ ル カ 地 帯 の 上 方 に も 畑 が 入 り こ む こ と が あ り,そ の 場 合 は,往 復 に3〜4日 か か る こ と も あ っ た 。 ハ ル カ で は ジ ャ ガ イ モ,キ チ ュ ワ で は トウ モ ロ コ シ が 主 作 物 で あ っ た 。

  人 び と は さ らに 上 方 の プ ー ナ 地 帯 と,下 方 の ユ ン ガ 地 帯 も 利 用 し て い た 。 プ ー ナ で は 家 畜 の 飼 育 や 塩 と り が 行 わ れ,ユ ン ガ や そ の 下 に ひ ろ が る 森 林 地 帯 は,暖 地 産 の 作 物(棉 と か コ カ)や,野 生 資 源(ハ チ ミ ッ と か 木 材)の 入 手 の た め に 利 用 さ れ た 。 プ ー ナ や ユ ンガ は,集 落 か ら比 較 的 遠 く,片 道3〜4日 を 要 す る が,そ こ で の 活 動 は3

〜4家 族 単 位 で 営 ま れ ,本 拠 地 の集 落 と はつ ね に密 接 な連 絡 を 保 ち,働 き先 で 死 亡 そ の 他 の 事 故 が あ る と,本 拠 地 か ら交 替 や 補 充 の 要 員 が 出 か け て い っ た 。

  興 味 深 い 点 は,プ ー ナ と か ユ ンガ の 地 帯 は,異 な る エ ス ニ ッ ク ・グ ル ボ ブ の 利 用 す る と こ ろ だ っ た と い う こ と で あ る 。 つ ま り,ヤ チ ャ も チ ュ パ チ ュ も 同 じ と こ ろ で 家 畜 を 飼 い,塩 を と り,棉 を 植 え,木 材 を と っ て い た の で あ る 。

  以 上 を 要 約 して,Murraは つ ぎ の よ う な 図(図2)を 描 い て い る[MuRRA  l 975:

65]。

図2  チ ュ パ チ ュ 族 の 垂 直 統 御(16世 紀)     Murra[1972:433]よ り

(8)

大貫  アンデ ス高地の環境利用

  ワ ヌ コ の 場 合 と 同 じ原 則 で あ る が,も っ と規 模 の 大 き い 例 を,Murraは チ チ カ カ 湖 岸 の ル パ カ 族(Lupaqa)に 見 出 す 。 そ れ は1567年 のGarci  Diez  de  San  Miguel のVisitaの 記 録 に 基 く。

  ル パ カ 族 は,チ チ カ カ 湖 西 岸 の チ ュ ク イ ト(Chucuito)か ら セ ピ ー タ(Zcpita)ま で の お よ そ100キ ロ メ ー トル の 範 囲 を 占 め,16世 紀 後 半 の 人 口 は10万 か ら15万 人 と い う,大 き な 民 族 で あ っ た 。 チ チ カ カ 湖 西 岸 は 海 抜3,800メ ー トル よ り高 く,そ の 周 囲 の 土 地 は プ ー ナ と い う 自 然 区 分 帯 に 入 る 。 そ こで は ジ ャ ガ イ モ,キ ノ ア な ど の 農 耕, 湖 で の 漁,そ し て 草 原 で の リ ャ マ と ア ル パ カ の 飼 育,が 行 わ れ て い た 。

  ル パ カ 族 は こ の ほ か に,西 方 の 太 平 洋 側 の 低 地 と,チ チ カ カ 湖 東 方 の 低 地 に も土 地 を も ち,か な り 多 く の 住 民 が そ こ で 農 耕 を 営 ん で い た 。 太 平 洋 側 で は,イ ロ(IlO),モ ケ グ ア(Moquegua),サ マ(Sama,  Zama),ア リカ(Arica)な ど の 谷 間 が 利 用 さ れ, チ ュ ク イ トか ら は 片 道10日 以 上 も か か る 遠 い と こ ろ で あ っ た 。 こ こ で は,ト ウ モ ロ コ シ や 棉 を 栽 培 す る ほ か,海 鳥 の 糞(グ ァノ)を 肥 料 痢 に 採 取 し て い た 。 一 方,東 部 の 低 地 は,ラ レ カ バ(Larecaj  a)と か,ボ リ ビ ア の コ チ ャバ ンバ(Cochabamba)南 の こ と で,チ チ カ カ 湖 か ら100〜40◎ キ ロ メ ー トル も は な れ て い る 。 ト ウ モ ロ コ シ と コ カ を 栽 培 し,ま た 木 材 も入 手 した 。 こ れ ら の 低 地 に は,西 側 も 東 側 も,ル パ カ 族 以 外 の 人 び と が や って き て,や は り 暖 地 産 の 作 物 を 栽 培 した り,野 生 資 源 の 入 手 を 行 っ て い た 。 ル パ カ 族 の 場 合 を 図 示 す る と第3図 の よ う に な る[MURRA  l 975:77]。

  こ う してMurraは,ア ンデ ス 高 地 の 経 済 の 基 本 は,高 度 に よ り異 な る 自 然 資 源 を 最 大 限 に 活 用 す る こ と に あり,各 民 族 あ る い'は各 集 落 て共 同 体)が,い ろ い ろ な 自 然

図3ル パ カ 族 の 垂 直 統 御(16世 紀)     Murra  [1972:441]よ り

(9)

国立民族学博物館研究報告  3巻4号

図4中

区分 帯 に人 員 を 送 って,資 源 の入 手 につ と めて い た,そ して それ は,生 態 学 的 環境 が 垂直 に 分 布 す る 列 島 の ご とき形 で あ り,ア ンデ ス高 地 の 環 境 利 用 の 形 態 を 「垂直 列 島 」 とよべ る,と 結 論 す る。

 4.垂 直 統 御一 現 代 の 事例   一

Murraの研究 が刺 激 とな って,ア ンデ ス高 地 の垂 直 統 御 とい う 観点 か らす る 民 族 誌 的研 究 が最 近 増 加 して きて い る。 そ こで,現 代 の ア ンデ ス高 地 の垂 直 統 御 の事 例 を み て み よ う。

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大貫  ア ンデス高地 の環境利用

  (1)ケ     ー     ロ

第1の 例 は,南 高 地 ク ス コ 県 の ケ ー ロ((2'ero)の 場 合 で,  Websterの 研 究 に 基 く [WEBSTER  1971]。

  ケ ー ロ は,ク ス コ の 東 方 約90キ ロ メ ー トル の と こ ろ に あ る 谷 間 を 占 め,人 口 お よ そ 350人 の グ ル ー プ で,12の 集 落 に 分 か れ て 住 む 。 そ の な か で 中 核 と な る 集 落 が ケ ー ロ で,海 抜3,400メ ー トル の と こ ろ に あ る が,こ こに 人 び と が 集 ま る の は1年 の 内 の ご く短 期 間 で,通 常 は 海 抜4,000〜4,300メ ー トル の と 乙 う に 分 散 す る 小 さ な 集 落 に 住 む 。   ケ ー ロ は,ケ チ ュ ア 語 を 話 し,言 語 や 諸 慣 習 の 点 で,ク ス コ県 の 他 の イ ン デ ィ オ と ほ と ん ど 変 る と こ ろ が な く,い わ ゆ る ヶ チ ュ ア 族 に 入 る と い っ て よ い が,ケ ー ロ 内 部 で の 社 会 的 経 済 的 相 互 依 存 の 度 合 と 内 婚 率 が 非 常 に 高 く,隣 接 す る 同 じ よ う な グ ル ー プ(行 政 上comunidadと い う単 位)と は 画 然 と し た 区 別 を 自 他 と も に 認 め て お り, 日 常 生 活 の 場 に お い て は 社 会 的 ・経 済 的 ・宗 教 的 に ほ と ん ど 自 己 完 結 的 な 社 会 と み て よ く,そ の 意 味 で,16世 紀 の ワ ヌ コ の チ ュパ チ ュ と か ヤ チ ャ と 同 じ よ う な,ひ と つ の エ ス ニ ッ ク ・グ ル ー プ と 似 た 性 格 を も って い る 。

  さ て,ケ ー ロ の 生 活 に お い て 利 用 さ れ る 自 然 区 分 帯 は,表2の 通 りで あ る 。   ケ ー ロ各 人 の 経 済 に お い て,家 畜,ジ ャ ガ イ モ,ト ウ モ ロ コ シ は,不 可 欠 の 要 素 で

あ る 。 ア ル パ カ は,毛 と 肉 の 利 用 価 値 の ほ か に,富 の シ ン ボ ル と し て も重 要 で あ る 。 毛 は 上 質 の 織 物 や,外 部 と の 交 易 用 と な る 。 リ ャ マ は 自 分 た ち の た め の 織 物 や 肉 の た め と い う 用 途 の ほ か に,駄 獣 と して の 役 割 が 大 き い 。 ア ル パ カ よ り丈 夫 で,低 い と こ

表2  ケ ー ロ の 自 然 区 分

4600m

4000m

3800m

3400m

2400m

2000m

自 然 区 分

プ ー ナ

徴 ・作 物 ・資

ハ ル カ

キ チ ュ ワ

ユ ン ガ

草地,湿 地 。 リャマ,ア ルパ カの 飼 育。

下 半部 に集 落 が散 在 。

ジ ャ ガ イ モ,特 に チ ュ ー ニ ョ 用 ジ ャ ガ イ モ 。

ジ ャ ガ イ モ,オ カ,lisa,anuな ど 塊 茎 類 。 ケ ー ロ の 中 核 村 は,こ の下 限 に 位 置 す る 。

急 峻 な 斜面 で,ほ とん ど利 用 で きない 。

ト ウ モ ロ コ シ,カ ボ チ ャ,マ ニ オ ク ほ か 。

ジ ャ ングル 。 ほ とん ど利 用 しな い。

(11)

国立民族学 博物 館研究報告  3巻4号 ろ で も 使 え る の で 重 宝 で あ る 。 ジ ャ ガ イ モ は 主 食 で,食 事 の80パ ー セ ン トを 占 め る と い う。 冷 凍 乾 燥 して チ ュー ニ ョや モ ラ ー ヤ(moraya)と した も の を た く さ ん 作 り,日 常 の 食 事 と か,外 部 と の 交 易 用 に す る1)。  ト ウ モ ロ コ シ は 食 用 の ほ か に,チ チ ャ と い

う酒 を 作 る 上 で 不 可 欠 で あ る 。

  これ らの 産 物 を 入 手 す る 経 済 活 動 に お い て,ケ ー ロ で は,す べ て の 世 帯 が,高 い と こ ろ か ら低 い と こ ろ ま で を 往 復 して1年 を す ご して い る 。 そ こ に は,労 働 と 人 員 動 員 の ス ケ ジ ュ ー ル が 確 立 して い る 。 ア ル パ カ の 飼 育 は 女 や 子 供 が 高 い と こ ろ で 行 い,ジ ャ ガ イ モ と トウ モ ロ コ シの 畑 作 り は 男 が 行 う。 そ し て 低 い と こ ろ に 植 え た ト ウ モ ロ コ シ の 収 穫 の と き に な る と,ほ と ん ど 全 員 が 約1カ 月 間 低 地 へ 移 動 して 仕 事 を す る 。 そ の 間 の 家 畜 の 世 話 は,集 落 の 長 に ゆ だ ね ら れ る 。

  ケ ー ロ の 土 地 に は 小 さ な 谷 が4本 あ り,そ こ に 人 び と は 分 散 して 住 む 。 ケ ー ロ 内 で の 内 婚 率 は80パ ー セ ン ト以 上 で あ る が,ひ と つ の 谷 の な か で の 内 婚 率 は50パ ー セ ン ト 以 下 に な る。 す な わ ち 、4本 の 谷 の あ い だ で 婚 姻 が 成 立 す る 場 合 の 方 が 多 い 。 ま た, 人 び と は,自 分 の 家 屋 敷 の あ る 谷 間 以 外 の,他 の3本 の 谷 に も,土 地,家 屋,家 畜 を 所 有 す る 権 利 を 保 有 して お り,必 要 が 生 ず る と,べ つ の 谷 の 方 に 畑 を 作 っ た り,家 建 て た り す る こ と が で き る 。 こ う して,谷 間 相 互 の あ い だ に は,婚 姻 と か 権 利 の 網 が か ぶ り,相 互 に 密 接 な つ な が りが で き て お り,そ れ を 通 し て の 相 互 的 労 働 提 供 の 慣 習 も 発 達 し て い る 。

  こ う し て,ケ ー ロ は,経 済 的 社 会 的 に ほ と ん ど 独 立 し た 形 で,自 給 自 足 の 生 活 を 営 ん で い る 。 外 部 か ら入 っ て く る も の は,コ カ,塩,砂 糖,石 油,パ ン,染 料 な ど で, い ず れ も 必 要 最 低 限 の 量 で し か な く,し か も そ れ ら は 外 部 の 人 間 が と き お り持 ち こ ん で く る だ け で,ケ ー ロ の 人 が 町 な ど へ 出 か け て 行 っ て 買 う の で は な い 。 ケ ー ロ か ら 出 す も の は,ア ル パ カ の 毛,上 等 の 毛 織 物,ジ ャガ イ モ,チ ュ ー ニ ョで あ る 。 ま た,経 済 面 で の 世 帯 別 分 業 は な く,ど の 世 帯 も,あ らゆ る 仕 事 を す る こ と に な っ て い る 。 若 干 の 品 物 の 出 入 り は あ る が,ケ ー ロ は,比 較 的 狭 い 範 囲 の 土 地 で 高 度 差 を 利 用 し て, 世 帯 単 位 で,極 め て 高 い 自 給 度 を 達 成 し て い る と い え る 。

(2)  ウ チ ュ ク マ ル カ

第2の 例 は,北 高 地 の マ ラ ニ ョ ン川(Rio  Marafi6n)東 部 ウ チ ュ ク マ ル カ(Uchuc‑

marca)で,  Brushの 研 究 に 拠 る[BRusH  1974,1977]。

  ウ チ ュ ク マ ル カ の 村 は,海 抜3,500メ ー トル の と こ ろ に 位 置 す る が,村 人 の 利 用 す 1)ジ ャガ イモ の このす ば ら しい加 工 法 につ い て は,山 本 の くわ しい 報告 が あ る[山 本   1976]。

(12)

大貫  アンデ ス高地の環境利用

表3  ウ チ ュ ク マ ル カ の 自 然 区 分 自然区勇

プ ー ナ

住 民 によ る 区 分

Jalca fuerte

特徴 ・作 物 ・資 源

ハ ル カ

キ チ ュ ワ

ユ ン ガ

Jalca

Templada

Kichwa

Kichwa fuerte

Temple

冷 涼 。 多 雨 。 な だ ら か な 草 地 。 家 畜(ウ シ,ヒ ツ ジ)。

冷 涼 。 灌 木 と 草 地 。 ジ ャ ガ イ モ, オ カ,マ シ ュ ワ,オ ユ コ,

ハ ウ チ ワ マ メ,ソ ラ マ メ,オ オ ム ギ 。

温 暖 。 適 度 の 雨 。 トウ モ ロ コ シ, オ オ ム ギ,コ ム ギ,ジ ヤガ イ モ, ス ズ メ ノ エ ン ドウ 。

ウ チ ュ ク マ ル カ

温 暖 。 適 度 の 雨 。 トウ モ ロ コ シ,マ メ, カ ボ チ ャ,チ リ モ ヤ, マ ゲ イ,コ ム ギ 。

4000m

3500m

3000m

2500m

2000m

1500m

1000m

montaria 狩猟木材

温 暖,乾 燥 。

コ ム ギ,ト ウ モ ロ コ シ,薪 用 雑 木 。

暑 く,乾 燥 。 か ん が い 。 サ トウ キ ビ,コ カ,

トウ モ ロ コ シ,甘 橘 類, バ ナ ナ,マ ニ オ ク,

トウ ガ ラ シ,カ カ オ 。

Brush[1974,1977]  よ り

る 土 地 は 海 抜800メ ー トル か ら4,300メ ー トル の 範 囲 に わ た り,さ らに マ ラ ニ ョ ン川 と ワ リ ャ ガ 川 の 分 水 嶺 を 越 え て,そ の 東 斜 面 上 部 の 森 林 地 帯 も利 用 さ れ て い る 。   村 人 は,急 斜 面 に 階 段 状 に 連 な る 形 で,土 地 を つ ぎ の よ う に 区 分 け す る(表3)。

  こ れ に 見 る よ う に,ウ チ ュ ク マ ル カ で も,高 い と こ ろ か ら低 い と こ ろ ま で,そ れ ぞ れ の 場 所 に 適 した 作 物 や 資 源 を 入 手 して,自 給 性 の 高 い 生 活 を う ち た て て い る 。 た だ, ケ ー ロ の 場 合 は 世 帯 ご と の 自給 性 で あ った の に 対 し,ウ チ ュ ク マ ル カ で は,コ ミュ ニ テ ィ と し て の 自 給 性 を 維 持 し よ う とす る 。 す な わ ち,ウ チ ュ ク マ ル カ で は,所 有 す る 土 地 の 位 置 や 大 き さ が,世 帯 に よ って 異 な り,す べ て の 世 帯 が そ れ ぞ れ に 高 所 か ら低 地 に わ た って 土 地 を 分 散 し て 所 有 す る と は 限 ら な い 。 そ こ で 人 び と は,産 物 を 村 内 に 流 通 さ せ る こ と に よ っ て,コ ミ ュ ニ テ ィ と し て の 自給 性 を 確 保 す る の で あ る 。   自 給 性 確 保 の メ カ ニ ズ ム は,交 換 で あ る 。 ウ チ ュ ク マ ル カ で は,こ の 交 換 に は,労 働 の 交 換,土 地 の 交 換 使 用,物 の 交 換 が あ る 。 土 地 所 有 者 は,余 分 の 土 地 の あ る と き,         719

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国立民族学博物 館研究報告   3巻4号 パ ー トナー を募 り,そ の 土 地 や 牛,種 子 を パ ー トナ ー に提 供 す る。 パ ー トナー は そ れ

らを 用 い て 働 き,収 穫 物 の 分 け前 を 入手 す る。 そ の ほ か い ろ い ろ な労 働 交 換 が 世帯 間 で行 わ れ るが,労 働 に は労 働 を も って返 す と い う よ り も,産 物 で支 払 う場 合 が 多 い。

また,物 と物 との交 換 も頻 繁 で あ る。 こ の場 合,交 換 の レー トが慣 習 的 に定 ま って い る ら しい が,そ れ は 当事 者 間 の無 言 かつ 自明 の約 束 ご と とな って い て,第 三者 に は知 る こ とが む ず か しい。 交 換 の と きに は,品 物 を布 や ポ ンチ ョに 包 んで もち運 び,何 を どれ だ け も って ゆ き,何 を 受 け と った の か,ほ とん ど わ か らな い と い う。

  ウチ ュク マル カ は,か く して,貨 幣の 入 り こむ必 要 の な い経 済 を 営 む が,最 近 は し だ い に貨 幣 に よ る交 換 も行 わ れ だ した。 近 くに 自動 車道 路 が建 設 さ れ,道 路 の 末端 に 小 さな 町 が で き,商 人 が 進 出 して きて,ウ チ ュ クマ ル カ を商 品経 済 の なか へ少 しず つ ひ き こみ だ したの で あ る。 そ れ で も,村 内で は依 然伝 統 的 な交 換 が 根 強 く存続 して い る。 そ の レー トは,貨 幣 価 値 に直 す と不 釣 合 な場 合 が 多 い ら しい。 それ で も人 び とは, 交換 の価 値 に はべ つ の 尺 度 が あ る と考 えて い る。 そ れ は,後 述 す る よ うに,ワ ヌ コ近 郊 の イ ンデ ィオ農 民 の あ い だ に み られ る考 え 方 と同 じで あ る。

(3)垂 直 統 御 の 類 型

  Brushは,ウ チ ュ ク マ ル カ の 研 究 か ら 出 発 して,そ れ ま で に 知 られ て い る い くつ か の 事 例 を 比 較 し,ア ンデ ス 高 地 の 垂 直 統 御 に は,少 な く と も3つ の 類 型 が あ る と考 え

る[BRusH  l977:10‑16]。

  第1は 圧 縮 型(Compressed  type)で あ る 。 ウ チ ュ ク マ ル カ や ケ ー ロ が こ の タ イ プ に 入 る 。 そ こで は,土 地 の 傾 斜 が 急 で,自 然 区 分 帯 が 相 接 し て 連 続 的 に 分 布 す る 。 そ して,そ の 分 布 の 両 端 の 距 離 が 比 較 的 小 さ い 。 ウ チ ュ ク マ ル カ の 場 合,端 か ら端 ま で は徒 歩2〜3日 の 距 離 で あ る 。 集 落 は こ の 両 端 の ほ ぼ 中 間 に 位 置 して い て,ど ち ら の 端 に も お よ そ1日 あ れ ば ゆ き つ く こ と が で き る 。 そ し て 村 入 は,つ ね に 上 下 に 動 き な が ら,生 産 活 動 に 従 事 す る 。

  第2の タ イ プ は 列 島 型(Archipelago  type)で,利 用 す る 土 地 が 遠 く は な れ ば な れ に な っ て い て,そ れ を 利 用 す る に は 本 村 を あ る期 間 留 守 に す る こ と が 必 要 と な る 。 イ ン カ 時 代 か ら16世 紀 に か け て の ル パ カ 族 が そ の 例 で,少 し規 模 は 小 さ い が,チ ュ パ チ ュ族 も 同 様 で あ る 。 この タ イ プ の 民 族 誌 的 事 例 は く わ し い 報 告 が な い 。 そ れ で も Brushは,ワ ヌ コ県 に 現 在 で も い くつ か の 例 が 実 際 に み られ る と い う。 た と え ば マ ラ ニ ョ ン川 流 域 の ラ バ ヤ ン(Rapayan)と か タ ヤ バ ンバ(Tayabamba)で は,ワ リ ャガ 川 流 域 の 森 林 地 帯 に7〜10日 の 旅 を し て 畑 作 り を 行 う と い う[BRusH  1974:293]。

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大 貫  アンデス高地 の環境利用

  第3の タ イ プ は 拡 散 型(Extcnded  type)で あ る 。 広 い 谷 間 で,自 然 区 分 帯 が 連 続 的 に 分 布 し,そ の な か に 集 落 が 点 在 し,経 済 的 に は 集 落 間 分 業 の 傾 向 が 強 く,複

雑 な 交 換 の 網 を 通 して,産 物 が 谷 間 全 体 に ゆ き わ た る 。 ク ス コ の そ ば の ビル カ ノ タ (Vilcanota)谷 が こ れ に あ た る 。 海 抜3,500メ ー トル か ら1,000メ ー トル の 範 囲 に 分 布 す る い く つ も の 集 落 は,そ れ ぞ れ の 土 地 に適 応 し た 作 物 の 生 産 に90パ ー セ ン ト以 上 の 労 働 と時 間 を あ て,市(マ ー ケ ッ ト)を 通 し て 他 の 集 落 の 産 物 を 入 手 す る。 コ ム ギ だ け,ジ ャ ガ イ モ だ け,あ る い は タ マ ネ ギ だ け を 作 る 専 業 村 も,そ れ ぞ れ3村 く ら い ず つ 見 出 さ れ る 。

  ア ン デ ス 高 地 の 環 境 利 用 の 形 は,Murraの 垂 直 列 島 論 を 契 機 と して,研 究 上 の 関 心 事 に な っ た が,類 型 論 を 試 み た の はBrushが 最 初 で あ ろ う 。 そ れ は ご く新 しい こ と で,し た が っ て ま だ 事 例 数 が 少 な い 。 や は り事 例 を 多 く して は じ め て,類 型 論 は 充 実 し た 内 容 を 備 え て ゆ く も の で あ ろ う 。

  と こ ろ で,現 代 の 諸 類 型 は,歴 史 の 所 産 で も あ る 。 歴 史 的 背 景 を 知 る こ と は,ア デ ス 高 地 の 場 合,史 料 が 不 十 分 で 至 難 の 業 で あ る が,つ ぎ に,北 高 地 南 部 の 事 例 に つ い て,垂 直 統 御 の 歴 史 的 側 面 を 垣 間 見 る こ と に す る 。

5.垂 直 統 御 歴史 的側面

(1)異 民 族 間 の 交 換

  こ れ ま で の い く つ か の 例 を 見 る 限 り,ア ンデ ス 高 地 で は,世 帯 ご と も し くは コ ミ ュ ニ テ ィ ご と の 自 給 性 が 非 常 に 高 く,異 な る エ ス ニ ッ ク ・グ ル ー プ 間 の 交 換 も し く は 交 易 が 成 立 し に く く み え る 。

  し か し な が ら,ア ンデ ス で 異 民 族 間 の 交 換 が な か っ た か と い う と,必 ず し も そ うで は な い 。16世 紀 当 時 に お い て も,ワ ヌ コ 地 方 の 記 録 そ の 他 か ら,交 換 を 暗 示 す る 記 述 が 目 に つ く の で あ る 。Murraの 依 拠 し た ワ ヌ コ地 方 のVisitaの 記 録 に も,そ れ は 記 さ れ て い る 。 こ のVisitaで は,あ ら か じ め い くつ も の 調 査 項 目 が 列 挙 さ れ て い る が, そ の 第18番 目 の 項 目 に つ い て,チ ュパ チ ュ 族 や ヤ チ ャ族 の 人 び と が 答 え て い る と こ ろ を 見 て み よ う 。

  そ の 第18項 と は,お お よ そ つ ぎ の よ う な 調 査 指 示 で あ る 。 す な わ ち,イ ン デ ィ オ 間 の 取 引,商 売,収 益 を 調 査 し,イ ン デ ィ オ の 生 活,健 康 に 過 不 足 す る と こ ろ が な い か,家 畜 飼 育 に 過 不 足 す る と こ ろ が な い か,何 を 作 り,1年 間 に ど の く ら い 生 産 し,

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国立民族学博物 館研究報 告  3巻4号 単 位 面 積 あ た り ど の く らい の 収 益 を あ げ る の か,各 村 ご と に 調 べ よ,と い う の で あ る [ORTIz  DE Zm貢iGA  I967:15]。

  こ れ に 対 して,チ ュ パ チ ュ の ひ と り は つ ぎ の よ う に 答 え る 。

… … 近 くに は,チ ン チ ャ ィ コ チ ャ,ヤ ロ,ワ マ リー そ の 他 の イ ン デ ィ オ が 住 ん で い て,彼 等 と は 取 引 が あ る 。 彼 等 は ヒ ツ ジ(リ ャ マ や ア ル パ カ の こ と),毛,塩,乾

肉 を も っ て や っ て く る 。 こ ち ら か ら は,そ れ と ひ き か え に,ト ウ モ ロ コ シ,棉,コ カ,ト ウ ガ ラ シ な ど を 与 え る 。 と き ど き は,こ ち ら か ら彼 等 の 土 地 へ 取 引 に で か け る こ と も あ る … …[ORTIz  DE Z6SilGA  I967:63]。

  こ の チ ンチ ャ イ コ チ ャ,ヤ ロ(ま た は ヤ ル),ワ マ リー な ど の グ ル ー プ は,  ワ リ ャ ガ お よ び マ ラ ニ ョ ン の 両 河 川 の 源 頭 部 の 高 原 に 住 む 民 族 と い って よ く,ワ ヌ コ 盆 地 の ヤ チ ャや チ ュ パ チ ュ と は 異 な る エ ス ニ ッ ク ・グ ル ー プ で あ る 。

  チ ュパ チ ュ た ち は,高 い と こ ろ に 土 地 や 家 畜 を も つ と 記 さ れ て い る と 同 時 に,こ い う異 民 族 間 の 交 換 も行 っ て い た の で あ る 。 そ の こ と は,先 に 引 用 し た 例 の み な らず, 第18番 目 の 質 問 に 対 す る,多 く の イ ン デ ィ オ の 答 え の な か に 見 出 す こ と が で き る 。

(2)  ワ リ と リ ャ ク ワ ス

  ワ ヌ コ の 記 録 に 登 場 す る ヤ ロ 族 に つ い て は,べ つ の 研 究 が 興 味 深 い 示 唆 を 与 え て く れ る 。 そ れ は,マ ラ ニ ョ ン源 頭 か ら,ア ンデ ス 山 脈 西 斜 面 上 方 の カ ハ タ ン ボ(Caja‑

tambo)に か け て の 地 方 の,17世 紀 の 伝 承 に 関 す るDuviolsの 研 究 で あ る[DuvloLs l973]。

  伝 承 に よ る と,16世 紀 に お い て そ こ に は ワ リ(Huari)と リ ャ ク ワ ス(Llacuaz)の 2グ ル ー プ が 住 ん で い た 。 ワ リ族 は,起 源 神 話 に よ る と,ワ リ と い う 同 名 の 神 に よ っ て,灌漑,畑,作 物 を 与 え られ,そ の 神 の 教 え に従 っ て 農 耕 を 営 む 人 び とで,も と も と は 暖 か い 低 い 土 地 か ら移 り住 ん で き た と い う 。 文 化 英 雄 と して の 神 ワ リは,ト ウ モ ロ コ シ の 女 神 の 夫 と して 考 え られ,農 耕 の 祭 り に は,ク ィ(テ ン ジ ク ネ ズ ミ)を 屠 り, こ の 神 に 捧 げ た 。 ワ リ族 の も っ と も 重 要 な 祭 り は,耕 作 ・播 種 の 祭 り と,収 穫 の 祭 り で,そ の ほ か 天 候 不 順 の と き の 祭 り や,灌漑 水 路 の 清 掃 の と き の 祭 り も あ っ た 。   一 方 リ ャ ク ワ ス族 は,プ ー ナ に 住 み,リ ャ マ や シ カ の 肉 を 食 べ て 暮 す と い わ れ る人

び と で,ワ リ族 か ら は ま っ た くべ つ の 異 民 族 と 考 え られ て い る 。 神 話 で は,リ ャ ク ワ ス 族 の 祖 先 は 雷 の 子 で あ る と さ れ る 。 そ の 雷 の 子 は,ヤ ロ,ヤ ロ ・チ チ カ カ,ヤ ロ カ

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大貫  ア ンデス高地 の環境利用

カ な ど と よ ば れ る 場 所 に 落 ち た 雷 に よ っ て,地 上 に も た ら さ れ た 。 リ ャ ク ワ ス 族 の 儀 礼 の な か で は,雷 に 対 す る も の が も っ と も 重 要 で あ り,雷 光 の 神 殿 に は 平 石 を 置 き, そ の 上 で リ ャ マ を 屠 り,心 臓 と肺 を と り 出 し た 。 肺 に は 息 を 吹 き こん で ふ く ら ま せ, 占 い を した 。

  リ ャ ク ワ ス 族 の 神 話 上 の 祖 先 の 出 生 地 に は ヤ ロ と い う 名 が 冠 せ られ て お り,ワ ヌ コ 地 方 の16世 紀 の 記 録 に 登 場 す る ヤ ロ 族 の 分 布 は,マ ラ ニ ョ ン川 源 頭 の 高 原 で あ る 。 ま た べ つ の 文 書 記 録 に よ る と,こ の 地 方 に は ヤ ロ ビ ル カ と い う 国 が あ っ て,イ ン カ 帝 国 に 抵 抗 す る 強 国 で あ っ た と い う[GuAMAN  PoMA  l956:47]。 こ れ ら の こ と か ら, Duviolsは,リ ャ ク ワ ス 族 と ヤu族 は,同 じ 民 族 か,極 め て 近 い 関 係 に あ る も の,と 考 え る 。

  さ て,こ の リ ャ ク ワ ス 族 と ワ リ族 の 関 係 は ど う で あ っ た か 。17世 紀 の 文 書 に よ る と, レ ク ワ イ  (Rccuay)の 近 く の プ ー ナ に,リ ャ ク ワ ス族 が い て,毛,皮,肉,乳,糞

(す べ て ラ ク ダ 科 動 物)を も っ て,下 方 の 農 耕 民 の 生 産 す る トウ モ ロ コ シ,ト ウ ガ ラ シ,コ カ な ど と 交 換 し て い た と い う 。 ま た カ ハ タ ン ボ で は,毎 年7月 か ら8月 頃,す な わ ち トウ モ ロ コ シ の 収 穫 期 に な る と,リ ャ ク ワ ス 族 が 山 か ら下 りて き て,100キ の トウ モ ロ コ シ と ヒ ッ ジ1頭 と を 交 換 し,5月 の ジ ャ ガ イ モ の 収 穫 期 に は,ジ ャ ガ イ モ と 家 畜 を 交 換 し た と い う 。 オ ト ゥ ー コ(Otuco)で は,両 者 の 関 係 が 必 ず し も 友 好 的 と は 限 ら な か っ た よ う で あ る 。 た と え ば ワ ン コ(Guanco)村 で は,貧 し い 土 地 を リ ャ ク ワ ス 族 に 与 え て 共 存 を 図 り,マ ン ガ ス(Mangas)村 で は,追 い 払 っ て し ま い, オ ト ゥ ー コ村 で は,産 物 交 換 の 申 出 を 拒 絶 して 戦 争 と な り,逆 に リ ャ ク ワ ス 族 に 征 服 さ れ,皆 殺 しに さ れ て し ま っ た 。

  17世 紀 に は,ス ペ イ ン 人 の 植 民 地 政 策 の た め に,集 中 居 住(reducci6n)が 強 化 さ れ,い くつ も の 村 で,ワ リ族 と リ ャ ク ワ ス 族 が 混 住 す る結 果 と な った 。 そ の よ う な 村 で の 生 業 活 動 の くわ しい こ と は 不 明 だ が,ワ リ族 は 農 業 だ け に 従 事 し,リ ャ ク ワ ス 族 は 農 業 と 牧 畜 の 両 方 を 営 ん だ ら し い 。 ま た,リ ャ ク ワ ス 族 を ま じ え た 村 は,海 抜3,200 メ ー トル 以 下 の と こ ろ に は 見 出 さ れ ず,リ ャ ク ワ ス 族 の 高 所 志 向 は 根 強 か っ た よ う で あ る 。

  以 上 の よ う なDuviolsの 研 究 か ら は,少 な く と も ア ン デ ス 高 地 の 一 部 に お い て, 上 と下 の 生 態 学 的 ゾ ー ン(自 然 区 分 帯)に,べ つ べ つ の 民 族 が い て,相 互 に 産 物 を 交 換 し あ う シ ス テ ム が あ っ た と 推 測 で き る 。 そ して そ れ が,ス ペ イ ン人 の 植 民 地 政 策 の 進 展 と と も に,ひ と つ の 集 落 を 構 成 し て 住 む よ う に な っ た 結 果,ひ と つ の 集 落 の 住 民 が 上 と下 の 土 地 を 利 用 す る 圧 縮 型 も し く は 小 規 模 な 列 島 型 の 垂 直 統 御 の 形 態 を,外

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        国立民 族学博物館研究報告  3巻4号 上 は,と る よ う に 変 化 し た,そ う い う プ ロ セ ス が 予 想 で き る の で あ る 。

  (3)チ ャ ウ ビ ワ ラ ン ガ

  ワ ヌ コ 盆 地 のVisitaの 記 録 の 研 究 は,同 時 に 考 古 学 的 調 査 や 民 族 誌 的 調 査 も含 ん で い た 。 そ し て 特 に,16世 紀 の ヤ チ ャ族 の 分 布 領 域 で あ っ た チ ャ ウ ビ ワ ラ ン ガ(Chau‑

piwaranga)谷 で,民 族 誌 的 研 究 が 進 め ら れ た 。 こ の 谷 間 に は10余 の 集 落 が あ る が, い ず れ の 住 民 も チ ャ ウ ビ ワ ラ ン ガ の 民 と い う 帰 属 意 識 が 強 く,1960年 代 の 住 民 は,16 世 紀 の ヤ チ ャ族 に つ な が る と 考 え て よ い 。

  チ ャ ウ ビ ワ ラ ンガ で の 自 然 区 分 と土 地 利 用 の 形 態 は,表4の よ う に ま と め ら れ て い る[FoNsEcA  MARTEL  l 972:319]。

  1960年 代 に お い て は,チ ャ ウ ビ ワ ラ ン ガ の 大 部 分 は,キ チ ュ ワ地 帯 だ け を 直 接 利 用 し,あ と の 地 帯 の 産 物 は,交 換 と か 購 入 に よ って 入 手 す る よ う に な っ て い た 。 そ れ で も キ チ ュ ワ地 帯 自 体 の 高 度 差 を 利 用 して,ジ ャ ガ イ モ,マ メ,ト ウ モ ロ コ シ な ど を 作

表4  チ ャ ウ ビ ワ ラ ン ガ の 自 然 区 分 自然区分

プ ー ナ

ハ ル カ

集落 ほか

Cauri (3700m)

チ ン チ ェ (3700m)

住民による区分

ト ゥ ン ・ハ ル カ

(,jatun-Jalka)

ハ ル カ

ノ、

ノレ

ハ ル カ ・パ パ

( Jalca-papa)

キ チ ュ ワ

ジ ヤガ イ モ5品

ヤ カ ン (3667m)

ジ ャ ガ イ モ20品 種,オ カ,オ ユ コ, マ シ ュ ワ(Tropaelum  tuberosum), オ オ ム ギ,薬

ジ ャ ガ イ モ50品 種,オ カ,オ ユ コ, マ シ ュ ワ,オ オ ム ギ,ソ ラ マ メ

キ チ ュ ワ ゜パ パ

(Kichwa-papa)

マル カ(集 落)

ジ ャガ イ モ10品 種,ソ ラ マ メ,キ ノ ア, オ オ ム ギ,タ ウ リ(tauri)

野 菜,香 料 植物

ユ ン ガ

タ ン ゴ ー ル パ ル コ イ   (2500m)

農 園

(1500m)

ハ ル カ ・バ ラ

( Jalca-jara)

キ チ ュ ワ ・バ ラ

(Kichwa-jara)

ト ゥ モ ロ コ シ,コ ム ギ,エ ン ド ウ マ メ

ト ウ モ ロ コ シ,マ メ,ヒ ョ ウ タ ン, カ イ ワ(caiwa),ク ラ ウ(curau)

トウ モ ロ コ シ,マ メ,カ ボ チ ャ,果 樹, サ トウ キ ビ ほ か

Fonseca  Martel  [1972]よ

724

(18)

大貫   ア ンデ ス高地 の環境利用

っ て お り,す で に 自 給 性 の 維 持 は で き な く な っ た もの の,垂 直 統 御 の 縮 小 さ れ た 形 が み ら れ る 。

  16世 紀 の チ ャ ウ ビ ワ ラ ン ガ 谷 一 帯 は,ヤ チ ャ族 の 住 む と こ ろ で,16世 紀 前 半 に お い て は,チ ュ パ チ ュ 族 と 同 様,プ ー ナ か ら ユ ン ガ,そ し て そ の 下 方 の 森 林 地 帯 ま で を 利 用 し,一 部 高 所 の ヤ ロ 族 や ワ マ リー 族 な ど と交 易 を 行 っ て い た[ORTIZ  DE  ZuNIGA 1972:72f]。

  イ ン カ 帝 国 滅 亡 後,ワ ヌ コ 盆 地 に は ス ペ イ ン人 が 入 り こん で,土 地 や イ ン デ ィ オ を 事 実 上 私 有 化 した 。16 世 紀 後 半 の ス ペ イ ン人 が ま ず 私 有 化

して い っ た 土 地 は,ワ ヌ コ盆 地 の 平 地 で あ る ユ ン ガ 地 帯 と,マ ラ ニ ョ ン 川 源 頭 の ハ ル カ か らプ ー ナ の 地 帯 で あ った 。 ユ ン ガ 地 帯 で は サ トウ キ ビ,

図5  チ ャ ウ ビ ワ ラ ン ガ 谷 概 念 図     Fonseca・Martel[1972:321]よ り

果 樹,コ ム ギ そ の 他 の 穀 物 を 作 りだ した 。 サ トウ キ ビ は1549年 に は も う 作 ら れ て い た ら し く,16世 紀 後 半 の ワ ヌ コ 盆 地 の サ トウ キ ビ 畑 は 広 大 な も の だ った と 記 す 文 書 が い く つ も あ る[VARALLANos  l959:271]。 ま た,家 畜(牛 馬)を 飼 育 し は じ め て お り,牛 や 馬 に 畑 を 荒 ら さ れ て,棉 を 作 る こ と も で き な い と 訴 え る イ ンデ ィ オ も い た [VAMLLANos  l959:272]。 一 方 ハ ル カ か ら プ ー ナ に か け て の 高 い と こ ろ も,豊 な 牧 草 に 目 を つ け た ス ペ イ ン人 が,イ ン デ ィ オ か ら と り あ げ た 土 地 の 多 い と こ ろ で あ っ た[VARALLANos  1959:291]。

  当 時 の ス ペ イ ン 人 が,イ ン デ ィ オ 社 会 に 伝 統 的 で あ っ た 垂 直 統 御 の 原 則 を ど こ ま で 理 解 して い た か は 大 い に 疑 問 で,イ ンデ ィ オ た ち は,山 の 斜 面 の キ チ ュ ア 地 帯 に お し こ め られ て し ま っ た と い っ て よ い 。 さ ら に ス ペ イ ン 人 は イ ンデ ィ オ を 強 制 労 働 に 狩 り 出 した 。 イ ン カ 帝 国 時 代 の 労 働 は,互 酬 と 再 分 配 の 原 理 の 上 に 立 って い た が,ス ペ イ ン の 植 民 地 下 に お い て,こ の 原 理 は ほ と ん ど 崩 壊 し,イ ン デ ィ オ 社 会 の 分 解 が は や ま っ て ゆ く 。 こ の 間 の 事 情 は,豊 富 な 事 例 で,Wachte1が よ く ま と め て い る[WAcHT肌       725

(19)

国 立民族学博物館研究報 告  3巻4号 1971:153‑209]。

  さ て,チ ャ ウ ビ ワ ラ ン ガ の そ の 後 に つ い て は,よ くわ か っ て い な い が,ハ ル カ に 位 置 して い る カ ウ リ(Cauri)村 の1900年 代 前 半 の 様 相 を み る に,直 接 的 な 垂 直 統 御 に か わ って,交 換 の シ ス テ ム が 重 要 に な っ て い っ た と 思 わ れ る 。

  カ ウ リ村 は,マ ラ ニ ョ ン川 源 頭 の 高 地 に あ る 。 か つ て は チ ャ ウ ビ ワ ラ ン ガ 谷 の キ チ ュ ワ地 帯 の 斜 面 に も 畑 を も ち,ト ウ モ ロ コ シ を 作 っ て い た 。 人 び と は マ ラ ニ ョ ン と ワ リ ャ ガ の 分 水 嶺 を 越 え て,こ の 畑 に 耕 作 に 通 っ た 。 垂 直 統 御 の シ ス テ ム の 変 化(縮 小) と と も.に,ス ペ イ ン人 の 牧 場 経 営 に ま き こ ま れ た カ ウ リの 人 び と は,家 畜 飼 育(牛, ヒ ッ ジ,ロ バ,ラ バ,馬)に 専 念 す る よ う に な っ た[FoNsEcA  MARTEL  l972]。

  こ う して,カ ウ リ村 と,チ ャ ウ ビ ワ ラ ン ガ 谷 と の あ い だ に は,交 換 の シ ス テ ム が 成 立 して い っ た 。 カ ウ リか ら は,羊 毛,肉,チ ー ズ,乾 肉,ブ タ,チ ュ ー ニ ョ(冷 凍 乾 燥 ジ ャ ガ イ モ)を 下 方 の 村 々 に 提 供 し,ま た 下 方 の 人 び と の 所 有 す る 家 畜 の 世 話 を し た 。 そ れ と交 換 に 下 方 か らは,カ ン チ ャ(表4のJalca‑jaraで と れ る 色 つ き の トウ モ ロ コ シ 。 妙 っ て 食 べ る),モ テ(白}ウ モ ロ コ シ 。 ゆ で て 食 べ る),コ ム ギ,ソ ラ マ メ, カ ボ チ ャ,チ チ ャ(ト ウ モ ロ コ シ の 酒)な ど を 提 供 した 。

  交 換 の レ ー トや 相 手 は,1960年 代 に お い て は,す で に な が い 伝 統 と し て,き ま って い た 。 交 換 当 事 者 た ち は,宿 舎 と 食 事 を 提 供 し あ う親 密 な 間 柄 と し て 代 々 つ づ い て お り,そ の 関 係 は ヤ ワ シ ナ ク イ(yawasinacuy)と よ ば れ る 。 交 換 の レ ー トに つ い て は, 1965年 当 時,ヒ ッ ジ1頭 に 対 し ト ウ モ ロ コ シ1袋 で あ っ た 。 も し これ を ワ ヌ コ な ど の 町 の 市 場 で 売 れ ば,ヒ ッ ジ は350ソ ー レ ス,ト ウ モ ロ コ シ1袋 は200ソ ー レ ス の 値 段 が つ い た 。 し た が って,カ ウ リの 人 に と って は,ヒ ッ ジ を 売 っ て トウ モ ロ コ シ を 買 え ば, 150ソ ー レ ス の 儲 け が 出 る 計 算 で あ る 。 しか し,人 び と は そ れ を せ ず,貨 幣 計 算 の 上 で は 不 均 衡 な 交 換 を つ づ け る 。

  そ の 理 由 は,ヤ ワ シ ナ ク イ を は じ め,物 々 交 換 を す る 間 柄 が,単 に ヒ ッ ジ と トウ モ ロ コ シ の 交 換 に と ど ま らず,さ ま ざ ま な 相 互 扶 助 を 保 証 す る 関 係 に な っ て い る,と う点 に あ る 。 そ れ ら相 互 扶 助 に は 諸範疇 が あ って,tipinakuy,  wachaka,  gormay, な ど,い ろ い ろ な 名 称 で 区 別 さ れ,そ れ ぞ れ に,提 供 す る 物 や サ ー ビ ス と受 け 取 る 物 や サ ー ビ ス の 内 容 と レー トが き ま っ て い る[FoNsEcA  MARTEL  1972:330]。 そ し て こ れ ら の 互 酬 の 関 係 に よ り,カ ウ リの 人 び と は下 方 か ら の 産 物 の 入 手 が,ま た 下 方 の 人 び と は 家 畜 の 入 手 が,つ ね に 保 証 さ れ て い る の で あ る 。 こ の 保 証 は 極 め て 重 要 で, 天 候 不 順 な ど で ど こ か の 畑 が 凶 作 に な って も,べ つ の 土 地(高 い と こ ろ あ る い は 低 い

と こ ろ)の 産 物 が 分 け て も らえ る の で あ る 。 こ れ に つ い て の 具 体 的 な 事 例 は,チ ャ ウ

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