インドネシア渡航後に発症した発疹熱の 1 例
1)東京都立駒込病院感染症科,2)同 臨床検査科
加藤 博史
1)柳澤 如樹
1)関谷 紀貴
2)菅沼 明彦
1)今村 顕史
1)味澤 篤
1)(平成 25 年 9 月 3 日受付)
(平成 25 年 11 月 5 日受理)
Key words : Rickettsia typhi, imported infectious disease, Indonesia
序 文
発疹熱はRickettsia typhiを原因とするリケッチア感
染症である.R. typhiは大きさ 0.4×1.3μm 程度のグラ ム陰性偏性細胞内寄生体であり,クマネズミ(Rattus rattus)やドブネズミ(Rattus norvegicus)などのげっ 歯類とネズミノミ(Xenopsylla cheopis)との間で感染 サイクルが成立している.ネズミノミの糞中に排泄さ
れたR. typhiは刺咬部位からヒトへ侵入し,発熱,頭
痛,発疹などの症状を引き起こす.発疹熱は,保有動 物が多く生息している東南アジア,アフリカ,アメリ カ南部などで多く報告されている1).本邦でも 1950 年 代までは多くの発疹熱症例が報告されていたが,その 後は減少した.しかし 2000 年以降,海外渡航後に発 疹熱と診断される輸入例が本邦で散見される2)〜4).こ れらの報告の中には重症例もあり,海外渡航後の発熱 患者では発疹熱を重要な鑑別診断の 1 つにあげる必要 がある.今回,我々はインドネシア渡航後に発症した 発疹熱の 1 例を経験したので報告する.
症 例 患者:20 歳,日本人男性.
主訴:発熱,咳嗽,下痢.
現病歴:20××年 8 月 4 日より 8 月 26 日まで友人 とインドネシアに観光目的で滞在した.8 月 31 日よ り悪寒が出現し,9 月 1 日には体温が 38.5 度と上昇し ていたため,近医を受診した.血液検査所見では軽度 の炎症反応の上昇以外に,特記事項は認めなかった.
さらにマラリア原虫塗抹検査やデング熱迅速抗原抗体 検査が実施され,陰性であったことから対症療法で経 過観察となった.9 月 2 日より乾性咳嗽,水様性下痢 が新たに出現し,症状が増悪したため,9 月 3 日に当 院を受診.入院となった.
入院時現症:身長 171cm,体重 53kg.体温 38.5 度,
血圧 104!67mmHg,脈拍 89 回!分,呼吸数 24 回!分,
SpO299%(室内気下).意識清明,眼瞼結膜貧血なし,
眼球結膜黄染・充血なし.呼吸音清,心雑音聴取せず.
腹部は平担・軟で,肝を右季肋下 3 横指触知,脾は触 知せず.表在リンパ節の腫大なし.関節に発赤,腫脹,
疼痛なし.明らかな皮疹なし.刺し口や痂疲形成を認 めず.神経学的所見に異常所見を認めず.
既往歴:特記事項なし.
嗜好歴:たばこ 20 本×5 年,アルコール ビール
(350mL)0.5 缶!日.
旅行歴:バックパッカーとして,主にジャカルタや ジョグジャカルタなどの都市部を観光しており,バリ 島ではサーフィンなどのマリンスポーツをしていた.
職業:学生.
入院時検査所見(Table 1):白血球は 4,900!μL と 正常範囲内であったが,CRP は 4.7mg!dL と上昇を 認めた.その他の血算,凝固,生化学所見に明らかな 異常所見は認められなかった.前医の検査ではマラリ ア,デング熱は否定的であったが,偽陰性の可能性も 考慮し,当院においても再度検査を追加した.マラリ ア原虫塗抹・マラリア原虫迅速抗原検査(BinaxNow Malaria:Inverness Medical Inc, USA),デング熱迅 速抗体検査(Dengue duo cassette:Inverness Medi- cal Innovations Australia Pty Ltd, Australia)を実施 し,全て陰性であった.尿検査では比重が 1.025 と上 昇しており,尿蛋白 1+であった.HIV 抗体や A 型 肝炎 IgM 抗体は共に陰性であり,便の直接鏡検では 赤痢アメーバを認めなかった.
入院時画像所見:胸部単純レントゲンで浸潤影を認 めず.
入院後経過(Fig. 1):入院時の検査所見から,マ ラリアやデング熱は考えにくく,臨床経過から腸チフ 症 例
別刷請求先:(〒113―8677)東京都文京区本駒込 3―18―22
東京都立駒込病院感染症科 柳澤 如樹
Fig. 1 Clinical course of the patient.
Fig. 2 Computed tomography scan of abdomen demonstrating hepatosplenomegaly.
Table 1 Laboratory data on admission
Hematology Biochemistry Coagulation
WBC 4,900 /μL BUN 8 mg/dL PT-INR 1.07
Neu. 74.0 % Cr 0.8 mg/dL APTT 31.6 sec
Lym. 20.0 % T.bil 0.6 mg/dL Fibrinogen 444 mg/dL
Mo. 6.0 % AST 26 IU/L Urinalysis
Eo. 0.0 % ALT 18 IU/L specific gravity 1.025
Ba. 0.0 % LDH 224 IU/L pH 8.0
RBC 484×104/μL Na 137 mEq/L Protein 1+
Hb 14.3 g/dL K 4.1 mEq/L Sugar −
Ht 40.7 % Cl 100 mEq/L Ketone body −
Plt 13.1×104/μL Glu 107 mg/dL Occult blood ±
CRP 4.7 mg/dL
スやパラチフスを疑った.血液培養と便培養を採取し た後,セフトリアキソン(CTRX)4g!日で治療を開 始した.しかし,CTRX 開始後も発熱は持続し,そ
の他の症状も改善傾向を示さなかった.採血では,第 5 病日には 7.8×104!μL まで血小板の減少が進行し,入 院時の各種培養検査でも,腸チフスやパラチフスなど,
有意な菌の検出を認めなかった.第 5 病日に全身造影 CT 検査を施行したが,肝脾腫と左肺下葉に極軽度の 浸潤影を認めるのみであった(Fig. 2).これまでの 検査所見や臨床経過から,発疹熱を含むリケッチアに よる感染症を疑い,ミノサイクリン(MINO)200mg! 日で治療を開始した.治療開始 2 日目となる第 7 病日 より解熱し,水様性下痢や乾性咳嗽の症状も改善傾向 を示した.また,血小板は徐々に増加した.MINO 開始後の第 10 病日に,AST が 100IU!L,ALT が 143 IU!L と一時的な肝逸脱酵素の上昇を認めたが,経過 と共に改善した.腸チフスやパラチフスの可能性は極 めて低かったものの,双方の疾患を完全に除外できな かったため,CTRX は標準治療期間である 14 日間投 与した.全身状態は良好であったため,第 16 病日に 退院した.MINO は計 14 日間投与し,終了後の臨床
Table 2 Clinical characteristics of cases of imported murine typhus in Japan
Age Sex Initial diagnosis Symptoms Treatment Country
Azuma M, et al.2) 54 M malaria, dengue fever, SARS, rickettsiosis
Fever, exanthema MINO Vietnam
Takeshita N, et al.3) 23 M enteric fever Fever, hematuria, arthralgia, retro-orbital pain
CTRX, MINO Indonesia
23 M dengue fever Fever, erythema no treatment Indonesia
Sakamoto N, et al4) 56 M dengue shock syndrome,
rickettsiosis, bacteremia Fever, headache,
erythematous CTRX, MINO,
CPFX Thailand
Our case 20 M enteric fever Fever, diarrhea, cough CTRX, MINO Indonesia
NOTE: Abbreviations. MINO, minocycline; CTRX, ceftriaxone; CPFX, ciprofloxacin; SARS, severe acute respiratory syndrome
経過は順調であった.後日,東京都健康安全研究セン ター微生物部ウイルス研究科において入院時血清検体 の PCR 検査を行い,PCR 産物がシークエンス解析に
よりR. typhiの遺伝子配列と 99% の相同性を認めた
ことから発疹熱と確定診断した.
考 察
発疹熱の発生地域は東南アジアやアフリカ,地中海 沿岸,アメリカ合衆国南部などの熱帯や亜熱帯地方に 広く分布している.これらの地域でも,特に保有動物 が多数生息している沿岸・港湾地域の都市部や都市部 周辺での発生数が多い1)5).一般的に衛生環境の悪い発 展途上国に多いとされているが,先進国の一部におい ても発疹熱が発生している.米国では 2002 年にハワ イ州で,2008 年にテキサス州で発疹熱のアウトブレ イクが報告された6)7).近年,本邦において発症した発 疹熱の輸入例では,本例と同様,流行地域であるイン ドネシアやタイ,ベトナムなど,東南アジア渡航後に 発症していた(Table 2).また,その多くは沿岸地域 の都市部周辺やビーチリゾートに滞在していた.
本症例では,当初腸チフスやパラチフスを疑い,抗 菌薬を投与したものの発熱が持続したため,発疹熱を 疑うに至った.発疹熱の 3 徴とされている症状は発熱,
頭痛,皮疹であり,それぞれ 91〜100%,41〜90%,20〜
54% の症例で認められる5).また,頻度は少なくなる ものの,本症例で認められた肝腫大,咳嗽,下痢もそ れ ぞ れ 24〜29%,15〜40%,5〜40% で 認 め ら れ る ことが報告されている5).これらの所見は,腸チフス やパラチフスでも出現することがあるため,臨床症状 のみで双方の疾患を正確に鑑別することは困難であ る8).また,発疹熱はノミによって媒介されるため,皮 膚病変を呈しづらいことが診断を困難にしている一因 と考えられる.Hernadez-Caberera らは,発疹熱と診 断された患者のうち,刺咬されたことを示す皮膚病変 は 13.6% であったと報告した9).本例でも媒介動物に よる刺咬歴や痂皮を認めなかった.
発疹熱は身体所見や臨床症状のみならず,検査所見 でも疾患特異的な所見に乏しい.血液検査では貧血
(18〜75%),白 血 球 の 上 昇(1〜29%)や 減 少(8〜
40%),血沈の亢進(59〜89%),肝酵素の上昇(38〜
90%),低アルブミン血症(46〜89%)が報告されて いる5).画像検査では胸部レントゲン画像で約 4 割の 発疹熱患者が浸潤影を認めたと報告されているが,疾 患特異的なものとは言い難い8).初期診断で発疹熱を 含むリケッチア感染症と診断できた症例は 11% と報 告されており10),本邦での報告例でも当初から発疹熱 を疑った症例は少数であった.また,発疹熱の確定診 断には血清学的検査や遺伝子学的検査などが必要とな るため11),臨床現場で迅速に診断することは困難であ る.本症例でも,発疹熱と確定診断できたのは,全身 状態が改善した退院後であった.
本症例では発疹熱に対する治療が開始されるまでに 5 日間を要した.この理由として,前述した発疹熱を 診断する難しさ以外にも,腸チフスやパラチフスに対 する除外診断や治療効果を判定するのに時間を要した ことがあげられる.腸チフスやパラチフスは細胞内寄 生菌であり,適切な治療を行ったとしても治療効果が 現れるまでに数日間がかかることが知られている.ま た,腸チフスやパラチフスと確定診断するためには,
血液や便などの検体から菌を同定する必要がある.一 方,腸チフス患者での血液培養,便培養陽性例はそれ ぞれで 66% と 30〜40% と報告されており12)13),全例 で陽性とはならない.本症例では発疹熱を疑った時点 で MINO の投与を行い,2 日後に解熱を得た.これ は発疹熱がテトラサイクリン系抗菌薬投与後平均 3 日 で解熱をするとの報告とほぼ合致しており,発疹熱の 診断を支持する所見であった10).しかし,その時点で は,チフス菌やパラチフス A 菌が培養検査で検出で きず,CTRX の治療効果がやや遅れて出現した可能 性も完全に除外することができなかったため,腸チフ スやパラチフスの標準治療期間である 14 日間投与と した.
発疹熱は一般的に 2 週間程度で自然に解熱すること が多い予後良好な疾患であるが14),時に重症化するこ ともある.本邦では急性呼吸窮迫症候群(Acute respi-
ratory distress syndrome ; ARDS)を発病し,気管内 挿管を必要とした例が近年報告されている4).Dumler らは,発疹熱が重症化した場合,死亡率は 3.8% と報 告した10).また,Bernabeu-Wittel らは発疹熱と診断 された 104 例中,重症化した例が 4 例あったと報告し ている15).発疹熱が重症化する因子としては男性,ア フリカ系の人種,G6PD 欠損,高齢者,診断の遅れ,
肝腎機能障害,中枢神経異常,呼吸器系基礎疾患の既 往があり10),これらの危険因子を有する場合は特に注 意が必要である.その他に,合併症として無菌性髄膜 炎や深部静脈血栓症,脾臓破裂などの合併症を起こし たとの報告もあり16)17),これらの発症にも留意する必 要がある.
今回我々は,インドネシア渡航後に発症した発疹熱 の 1 例を経験した.発疹熱は世界的にみると流行地域 が広く,稀な疾患ではないものの18),本邦では感染症 法に基づく届け出疾患に該当しないこともあり,正確 な発生数は不明である.発疹熱の多くは自然軽快する が,時に重症化することがあるため注意すべき疾患で ある.流行地域での滞在歴がある患者の発熱熱性疾患 を診察した際は,マラリア,腸チフス・パラチフス,
デング熱に加え,発疹熱も念頭に置きながら診療を行 う必要がある.
謝辞:診断に際して多大なるご助言ご協力を頂きま した東京都健康安全研究センター微生物部ウイルス研 究科・新開敬行先生に深謝申し上げます.
利益相反自己申告:申告すべきものなし 文 献
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Akifumi IMAMURA1)& Atsushi AJISAWA1)
1)Department of Infectious Diseases and2)Department of Clinical Laboratory, Tokyo Metropolitan Komagome Hospital
We report herein on a 20-year-old Japanese man who was referred to our hospital for fever and diar- rhea after returning from Indonesia. On admission, his blood test was essentially normal, besides a slight ele- vation in inflammatory markers. After excluding malaria and dengue fever, empiric use of ceftriaxone was initiated for suspected enteric fever, which was unsuccessful. However, drastic clinical improvement was ob- served after initiation of minocycline. The polymerase chain reaction test for Rickettsia typhi was positive from serum samples on admission, confirming the diagnosis of murine typhus. Although rarely seen in Ja- pan, clinicians should be aware of this disease when examining patients with fever coming back from murine typhus endemic areas.
〔J.J.A. Inf. D. 88:166〜170, 2014〕