特集 葬送という文化 ││││││││││││││││││││││││││││││││││││││││││││ 現代の香港における葬送事情
死者をどのように弔うのか︒弔いの形︒弔いの姿︒弔いに託す生者の思い││葬送は︑人々の生きる姿を映し出す︒ 香港における葬送に投影された香港のいま 44444を生きる人々のありのままの姿に︑ 中華圏に生きる人々の文化︵=生きる形︶が浮かびあがってくる︒
インタビュアー
樋泉克夫
︿愛知大学現代中国学部教授﹀+ 彭 浩斌
︿香港第一日語曁文化学校日本語講師﹀公壽中西殯儀 ︵Kung Sau Funeral Service︶
イ ン タ ビ ュ ー に 応 じ て く れ た の は︑ 公 壽 中 西 殯 儀 総 経 理 の 駱 敏 儀 女 史 で あ る︒ 経済学を学ぶためにカナダに留学し︑香 港に戻った後に家業を継いだ彼女は︑香 港の葬祭ビジネス業界に新感覚を吹き込 んでいることでも知られている︒その一 端 は 同 社 社 屋 の デ ザ イ ン に も 現 れ て い た ︒
香 港 島 中 央 部 に 位 置 す る 中 環︵
Central︶ の 荷 李 活 道︵
Hollywood Road︶ に あ る 同 社の壁面の色は内外ともに白を基調に統 一され︑道路に面した店舗正面は一面が 大きなガラスで︑歩行者から店内が見通 せる︒高級ブランドショップを思わせる 明るい雰囲気の店構えで︑そこに棺が並 べられていることが不思議に思えるほど だ︒一帯には葬儀関連業者が軒を並べて いるが︑大部分がいかにも葬祭業者だと 思わせる一種抹香臭く薄暗い佇まいが多 いだけに︑やはり異彩を放っている︒ 彼女が語ってくれているように︑同社 の前身は鮮魚︑野菜︑労働者の組合が相 互扶助のために開いた葬儀店で︑創業時 の名称は
「公壽長生壽板店
」であった︒ 創業時の広告を見ると︑冒頭に
「人生最 後 の た め に 思 い を 致 す
」と 綴 ら れ︑
「営 業 正真正銘の汀洲︑柳洲産材使用の各 式棺︑出棺に際しての生花︑西洋式と中 国式の儀仗音楽隊を常備しています︒縁
ベンツの霊柩車と白亜の社屋が印象的な 公壽中西殯儀のパンフレット
者のご遺骨・霊柩を海外から運搬と故郷 へ の 埋 葬 を 担 当 致 し ま す
」と あ り︑
「営 業趣旨 心から社会のために服務致しま す︒費用を誤魔化しふっかけるようなこ とは決して致しません︒暴利主義を徹底 して打倒します
」と続き︑末尾に
「迅速 で適正・丁寧︑実質的で安価を保障
」と 記されている︒
ここから公壽長生壽板店が単に棺を販 売するだけでなく︑葬儀の手配に加え︑ 海外在住者の遺体を収めて棺や遺骨を香 港まで運び︑さらに中国の故郷に埋葬す る所謂
「運棺
」業を営んでいたことも判 る︒また
「営業趣旨
」からは︑遺族の足 元 を 見 透 か し た 阿 漕 な 商 売 が 少 な く な かった当時の葬儀事情が浮かんでくるよ うだ︒ イ ン タ ビ ュ ー の な か に︑ し ば し ば
「︵
iPadの 映 像 を 示 し な が ら ︶
」の 一 句 を 挿入してあるが︑これは駱敏儀女史が顧 客に営業内容を具体的に説明する際に用 いる映像資料である︒遺体の引き取りか ら︑化粧︑ 納棺︑ 斎場の設え︑ 埋葬︑ 棺の 製造過程︑さらには二次葬のための遺骨 の掘り起こしまで葬儀に関する多くの映 像 が 収 め ら れ て い た︒ 貴 重 な 資 料 で あ り︑葬送文化を理解するうえで大いに参 考になると考え︑その映像の一部でも使 わせてもらえないかとお願いしたが︑亡 くなられた方の人権︑遺族を含めた関係 者の個人情報に属することを理由に許可 を い た だ け な か っ た︒ な お︑
「運 棺
」に つ い て は
9
頁 に 若 干 の 解 説 を 付 し て お い た ︒
* * *
四代目の経営者
││ ま ず 伺 い ま す が︑ こ の お 店 の 創 業 は︑いつ頃のことなんでしょうか︒ 駱 創業は第二次世界大戦前です︒ ││ あ な た で 何 代 目 に な る ん で し ょ う か ︒ 駱 創業が曾祖父ですから︑数えて私で 四代目に当たります︒ ││ 曾 祖 父 の 方 は︑ ど の よ う な 動 機 か ら︑この店を創業されたのですか︒ 駱 この店の創業について正確に申しま すと︑創業者は必ずしも曾祖父というわ けでもないんです︒港九鮮魚業総商会︑ 港九菓菜行工商総会︑港九同徳伕力総工 会の三つの同業者の組合が組合員の葬儀 をサービスする形で始めたのがきっかけ でして︑そういった組合員は基本的には 低所得者ですから︑みんなで資金を出し 合 っ て 相 互 扶 助 的 に 葬 儀 を 取 り 仕 切 る サービスを始めたわけです︒葬儀を行お うとする組合員は必要に応じて葬儀サー ビスを受けられました︒ ││ところで︑その三つの組合ですが︑ どのような内容の組合でしたか︒ 駱
「港 九
」と は 香 港 島 の
「港
」と 九 龍 の
「九
」を合わせた表現です︒狭い意味 でいうなら香港島と九龍を指しますが︑ 広くいえば香港全体を表します︒ ですから港九鮮魚業総商会とは香港の 海産物業者の組合ということです︒港九 菓菜行工商総会は野菜や果物業者の組合 で︑あなたには判らないかも知れません が︑港九同徳伕力総工会とは社会の底辺 に置かれた肉体労働者である苦力の組合 なんです︒創業当時︑非営利団体も宗教 団体もなく︑貧しい人々は仲間内でカネ を持ち寄って葬儀をしていたわけです︒ ││現在は︑その三つの組合とは関係は ないんですか︒ 駱 現在は︑もう関係ありません︒曾祖 父は︑その組織の構成員として働いてい たんですが︑戦争の時代に葬儀サービス の需要がなくなってしまい︑そこで祖父 がお店の株を全部買い取って︑単独で経 営するようになったのです︒ ││では︑そのおじいさんの出身はどち らですか︒ 駱 香港か東莞のはずです︒じつはこの 葬祭業者の創業世代はほぼ全員が東莞出 身者です︒香港外からやって来た人々が 苦しいことに耐えたんです︒我が一族の 祖先も同じです︒ ││出身地を同じくする者が同じ職業を 独占する︒つまり地縁と業縁の結びつき は香港の葬祭業者の間でも見られるとい うことですね︒香港にこういうお店は何 軒ぐらいありますか︒ 駱 同 業 者 で す か︑ 百 社 ほ ど で す か ね え︒わが社のように
「持牌殮葬商
」と呼 ぶライセンスを持った葬儀社は香港島に 七社︑九龍に七四社︑新界に二〇社で︑ 合わせて百社と少しですね︒殯儀館と呼 ばれる斎場は︑香港島の
「香港大酒店
」の異名を持つ香港殯儀館︑九龍の九龍︑ 世界︑万国︑福沢︑鑽石の各殯儀館︑そ れに新界の宝福殯儀館と︑香港全体で七 カ所あります︒ ││御社の従業員は何人ぐらいですか︒ 駱 従業員ですか︒私のところには十数 人おります︒ ││御社では葬儀用品の販売が専門です か︒それとも葬儀全般を取り仕切るので
東華義荘内の荘房。この中で棺は故郷へ還る日を待つ
東華義荘近くの墓地造営業者の看板
「回郷・出國」に注目
すか︒ 駱 我が社では葬儀に関わる全般の仕事 を 扱 っ て お り ま す︒ つ ま り︑ い わ ゆ る
Funeral Planner︵葬儀プランナー︶ という 事業になりますが︑殯儀館と違う点は︑ 我が社は殯儀館のように葬儀を執り行う 斎場を持ってはいないということです︒
我が社ではご遺族様の要望に合わせて 葬儀のプランを立て︑自前のスタッフや 車を用意して対応するだけでなく︑葬儀 を執り行うご遺族の方に棺や葬儀に必要 な品々を提供しています︒さらに︑我が 社のスタッフが指定された殯儀館に赴い て葬祭を取り仕切ったり︑農村地帯では 櫓を組み立てて臨時の葬儀場を建てたり することもあります︒
運棺︑つまり遺体の海外への輸送やら 海外からの受け入れも行います︒遺体︑ 遺骸︑遺骨に関わる一切の仕事に関わっ ています︒ ││御社では︑葬儀のどの時点から関与 することになりますか︒ 駱 現在は必ずしも人が亡くなってから ではなく︑多くの場合はご家族が危篤の ときや重病に罹ったと判明した時点で連 絡をいただき︑お問い合わせに応じてお ります︒もちろん︑近親者がお亡くなり になった後に連絡をいただき︑葬儀の流 れについての問い合わせに対してご説明 することもあります︒死亡届︑火葬許可 証︑火葬場の炉の予約︑土葬用地の確保 に係る書類申請など様々な段取りがあり ます︒ 加えてご遺族に何が必要か︒こういっ た点を踏まえたうえで︑人が亡くなった 時点から当社の方で具体的に葬儀全般に 関与致します︒葬儀の手順︑遺族への案 内︑土葬や火葬︑その他の埋葬方法の段 取り︑それからアフターサービスなど︒ 例えば︑遺骨を置く場所︑知っておくべ きタブー︑葬式後の法要など︑あらゆる ことのサポートをします︒ ││月に平均何件くらいの葬儀がありま すか︒ 駱 同 業 仲 間 で は 多 い 方 だ と 思 い ま す よ︒一二〇件前後です︒ ││葬儀一回の平均必要額はいかほどで しょうか︒
運棺とは、
「入土為安
」(故郷の土に還る)との願いを実現させるために旧中国以来行われ てきた風習。異郷で亡くなった者の遺体を棺に納め故郷に運んで埋葬すること。移送の便や 経費、さらに衛生問題などから遺骨の状態にして運ぶこともあったが、遺体のまま運んだ例 も報告されている。運棺専門業者もみられた。広東から香港を経由して多くの華僑が海外に 進出した19世紀半ば以降、海外各地からの運棺も行われるようになった。
広東からアメリカ西海岸に移住した祖父以来の一族の事跡を追ったドキュメントの
『チャ イナタウンの女
』(デニス・チョン著、山田耕介訳、文春文庫、
1998年)に、「遺骨でなら墓か ら掘り出して洗浄され、箱につめられて祖国への最後の旅に出ることになる。だが、通常七 年ごとの遺骨積み出しに経費を負担していた華人社会でさえ大恐慌の間に積み出しを中止し た
」とあるのが、通常は海外各地の同郷会館などのネットワークを経由して香港に運ばれ、
香港最大の中華系慈善団体である東華三院(前身は1851年創立の広福義祠)が経営する東 華義荘を経由してそれぞれの故郷に運ばれ埋葬された。運棺ネットワークについては上図を 参照のこと。
「
大恐慌の間に
」とあるように、国際情勢や日中戦争、国共内戦、文化大革命などの中国 国内事情により、香港から故郷への移送が不可能になったことで、東華義荘に置き留められ るようになった。それゆえ東華義荘は
「死者ホテル
」の異名を持つ。1960年には棺(670 基)、遺骨(8086柱)、遺灰(116柱)の総計で1万近い死者が故郷への道を絶たれたまま東 華義荘に置かれた。その後、香港の墓地に埋葬されるなど整理が進んでいる。
香港
図1 運棺ネットワーク──積み出し港から香港へ
出所:図1・2ともに葉漢明編著『[東華三院檔案資料彙編系列之三]東華義荘與寰 球慈善網絡──檔案文献資料的印證與啓示』三聯書店(香港)有限公司、2009年
図2 運棺ネットワーク
──香港から故郷の埋葬地へ 香港
広東省
漆塗りに金彩を施した豪華な棺
駱 平 均 額 を 示 す こ と は 難 し い で す ね え︒それというのも︑死亡してから埋葬 まで千差万別ですから︒簡単に説明しま す と︑ 例 え ば 病 院 で 簡 単 な 告 別 式 を し て︑そのまま火葬場に直行し荼毘にふす 場合は︑一万香港ドルぐらい必要です︒ もちろん宗教の違いにもよりますが︒
殯 儀 館 で 葬 式 を 行 う 場 合 は︑ 宗 教 に よって様々です︒キリスト教の場合は︑ 基本的には花と遺影の写真のみですし︑ 供え物もありませんし︑読経の儀式もあ りません︒そこで依頼主の希望によって 必要金額は上下します︒殯儀館で葬式を 行う場合は数万ドルがかかります︒ ││ こ れ ま で 扱 っ た な か で︑ 最 も 高 額 だった葬儀をお教え願えますか︒ 駱 ちょっと言い難いのですが︑基本的 には土葬が比較的に高いと思います︒ま あ 百 万 ド ル 以 上 に な り ま す ね︒ 一 般 の 方々からすれば︑天文学的数字といえま す が︑ 現 在 の 香 港 で は 五︑ 六 百 万 ド ル︒ 時 に 一 千 万 ド ル と い う 例 も 見 ら れ ま す よ︒費用の多い少ないは︑依頼主が望む 葬儀の規模や様式によって決まります︒ 例 え ば︑ 花 の 装 飾 一 つ で 軽 く 二︑ 三 〇 万 ドルかかってしまいますから︒ 葬式は細々したしきたりが実に多く︑ 同じ斎場であっても︑特別な設え︑つま り装飾によって全く違う斎場に変貌させ る こ と が で き る の で す︒ ︵
iPadの 映 像 を 示しながら︶これは殯儀館にある極く一 般的な斎場ですが︑特別な仕立てを加え ますと︑全く別の斎場に模様替えできま す︒こういった場合は︑二〇万ドル以上 が必要です︒葬儀を扱う業者や道教︑仏 教︑ 天 主 教︵ カ ト リ ッ ク ︶︑ 基 督 教︵ プ ロ テ ス タ ン ト ︶︑ 猶 太 教︵ ユ ダ ヤ 教 ︶︑ 回 教 ︵ イ ス ラ ム 教 ︶︑ 印 度 教︵ ヒ ン ズ ー 教 ︶ な どの宗教形式の違いによっても経費は違 いますし︑葬儀の規模︑使用する花の種 類やグレードによっても︑様々です︒ ││式場費用の平均額は︒ 駱 それもご遺族の意向によります︒一 般 的 な 家 庭 な ら 大 体 五︑ 六 〇 人 が 入 れ る 斎場を希望されます︒キリスト教形式な ら二万ドルぐらいかかります︒道教形式 で
「打 斎
」︵ 主 と し て 客 家 系 の 葬 送 儀 礼 ︶ が 必 要 な 場 合 は 四 万 ド ル ぐ ら い で しょうか︒例えば同じ打斎であっても︑ 適当に神を拝むだけで済ますお客さんも いれば︑六人の道士を求めるご遺族もお られます︒葬儀を派手に盛大に執り行い たい場合は︑やはり二〇人を超える道士 が必要です︒費用と宗教へのこだわりは 千差万別で︑人それぞれです︒とはいう ものの︑一般的には六人の道士の読経だ けで十分でしょう︒
棺の値段は千差万別
││棺は一番安いものから一番高いもの まで︑価格はどのくらいですか︒ 駱 じ つ は 我 が 社 で は 以 前 は 棺 の み を 商 っ て い ま し た が︑ 二︑ 三 〇 年 ま え か ら 葬儀全般を扱うようになりました︒中国 人は儒家思想の影響を強く受けています か ら︑ 厚 く 葬 る こ と に 意 を 注 ぐ わ け で す︒ そ れ が
「孝
」だ か ら で す︒ こ れ が
「陰安陽楽
」︑つまり祖先があの世で安楽 に過ごしていることが︑この世を生きる 子孫を庇護することになるわけです︒だ か ら 棺 を 購 入 す る こ と を
「買 財
」と も
「買 寿
」と も い う ん で す︒ 水 上 で 生 活 す
漆塗りに金彩を施した豪華な棺
る蛋民は
「買艇
」といいますが︑彼らに とって船は生涯を共にする家ですから︑
「艇
」とは家を意味します︒
一 番 安 い の は 四︑ 五 千 ド ル の 火 葬 用 の ものです︒価格は火葬用か土葬用か︑そ れから中国式か西洋式かによっても違い がでてきます︒香港で一般的に使われて い る 西 洋 式 棺 の 場 合 は︑ 数 千 ド ル か ら 一︑ 二 万 ド ル に な り ま す︒ 材 質 は 火 葬 用 の合板ですが︑外国から輸入した木製の 棺ですと︑やはり十万ドル前後にまで跳 ね上がります︒
中 国 式 の 棺 の 場 合︑ 一 般 的 に 一︑ 二 万 ド ル か ら で す が︑ サ イ ズ︑ 木 の 種 類︑ 木 の 希 少 性 に よ っ て 価 格 は 著 し く 異 な り ま す︒本当に希少価値の高い材質を使う場 合は︑棺として製品化したものを店頭に 陳列するのではなく︑材木のまま置いて おき︑お客さんに選んでいただいた後に 職人に特注します︒この場合は︑百万ド ル か ら 数 百 万 ド ル ま で 際 限 が あ り ま せ ん ︒
で す が︑ 香 港 で 一 般 に 使 用 さ れ る も の になり︑葬儀・出棺の日時も︑多くはご を例示しながら︶これは数千ドルのもの にも︑棺の等級をあまり気にしないよう ︵
iPadに 収 め ら れ た 棺 の サ ン プ ル 画 像 た要素が大きい︒そこで棺を購入する際 いますが︑それは他人様に見せるといっ うになりました︒葬儀に多大な費用を使 最近は葬祭事情にも変化が見られるよ 価格帯に位置し︑一万ドル前後です︒ れがちですが︑決して安価ではなく︑中 てあります︒一般に紙製はエコだと思わ 通の木製と見分けがつかないように設え 段ボール製の棺ですが︑一見すると︑普 装飾に凝る場合もありますし︒こちらは 関わってくるわけです︒細部の宗教的な やはりご遺族の好み︑ご意向に大きく はできません︒ ら一概にいくらいくらと価格をいうこと また火葬にしてしまうわけです︒ですか の場合は十数万ドルとなりますが︑これ 棺をお求めの方もいらっしゃいます︒こ お客さんの中には桜のような硬い材質の せ火葬にしてしまうわけですから⁝⁝︒ ニヤ合板の棺は一万ドル程度です︒どう と窓があり︑少しは装飾の施してあるベ は︑このようにカバーがあって︑開ける
遺族や親戚縁者の都合で選ばれるように なりました︒最近では︑我々業者は誰の ために仕事をしているのか︒死者を葬る ことが第一ではなかろうかなどと疑問を 持つこともあります︒
は見えませんよ︒おもしろいものでは︑ 駱 いわゆる飛び込みの客はいません︒ て︑これまでに当社が扱ったことのある 材質では︑こう細部にわたってまで木目 機は︒ 老人の葬儀も担当致しております︒すべ よ︒いい木はいい香りがする︒一般的な の で す か︒ そ れ か ら 御 社 を 依 頼 す る 動 である聖雅各福群会からの依頼で︑独居 す︒すごいでしょう︒いい香りがします ││ い っ た い ど な た が 依 頼 に 来 社 す る こともあります︒キリスト教の慈善団体 メ ー ジ は す べ て 職 人 の 頭 の 中 に あ り ま が︑中には時計式のものもあります︒ になりました︒両者のしきたりが混じる ら全部人間の手で組み立てます︒完成イ その他の国からの木製のものもあります 近年ではキリスト教徒の葬儀も扱うよう す︒ほら︑結構削ったでしょう︒それか ミックの多いものも高価だといえます︒ 手伝いをさせていただいてきましたが︑ 油 分 が 一 番 多 い と こ ろ ま で 削 り 進 み ま り ま す︒ 繊 細 な 彫 刻 が 施 さ れ た り︑ ギ これまで当社は多くの漁民の葬儀のお 一番いい部分︑つまり︑一番色が濃く︑ の玉は特に綺麗ですから︑やはり値が張 ともあります︒ 初はこうですが︑どんどん削っていき︑ で価格は千差万別です︒ミャンマー産出 す︒時折︑双方のしきたりが混在するこ 駱 そ う で す︒ ︵ 写 真 を 見 せ な が ら ︶ 最 です︒これまた数百ドルから数万ドルま らっしゃった方にも独自のものがありま を造るように彫っていくんですね︒ パキスタンから西の中東方面が多いよう け で は な く︑ 元 々 か ら 新 界 に 住 ん で い ││こう見ますと︑材木を刳りぬいて船 ︵ 翡 翠 ︶ で で き て い ま す︒ 玉 の 原 産 地 は があり葬儀の段取りも違います︒漁民だ 木の油の香り⁝⁝どれも超特級品です︒ が︑ 安 価 な の は 大 理 石︑ 高 価 な の は 玉 海出身の人︑皆様それぞれに独自の風習 き︑職人に特注しました︒木目︑材質︑ れ て い ま す︒ 原 材 料 は 石 が 一 般 的 で す 港でも新界の人︑中国北部出身の人︑上 材 質 の 優 れ た 材 木 を 貯 木 場 に 置 い て お ありますが︑サイズは法律でほぼ決めら 民の葬儀のプロになりました︒例えば香 を遥かに超える値段の特注棺です︒最も 駱 骨灰盅にはいろいろな制限・制約が 来られるようになり︑いまや我が社は漁 です︑これが先ほどお話しした百万ドル ますか︒ 係者が主でしたが︑次いで漁業関係者が ︵
iPadの 棺 の 画 像 を 示 し な が ら ︶ こ れ ││
「骨 灰 盅
」︵ 骨 壺 ︶ は ど う な っ て い 創業時の事情から︑当初は労働組合関 駱 はい︑火葬用以外にはありません︒ 談に来られるわけです︒ ││段ボール製は火葬用ですか︒ すから︑人から人を介して︑当社にご相 キを施した棺もあります︒ れます︒こういった輪の広がりがありま
casket︶ と い い ま し て︑ 銅 に 黄 金 の メ ッ スを満足された方が関係者に紹介してく
metalい わ ゆ る メ タ ル・ カ ス ケ ッ ト︵ 一貫して紹介制なんです︒当社のサービ
寿衣のセット
ご遺族や関係者の紹介ということになり ます︒ ││香港はネット社会ですし︑インター ネットでの申し込みはありませんか︒ 駱 たまにはありますが︑やはり少ない ですし︑当社としては︑そういった一種 無機質な関係での仕事は好ましいものと 思 っ て は い ま せ ん︒ や は り 口 コ ミ こ そ が︑ こ の 仕 事 を 続 け る う え で の 最 上 の ツールだと考えます︒ ││具体的には︑香港のどの地方の方が 依頼にいらっしゃいますか︒ 駱 香港島︑九龍︑それに新界ですが︑ 時には離島からも来られます︒ ││とはいえ御社の立地上︑やはりお客 さんは香港島の方が多いんでしょうか︒ 駱 いいえ︑特にそういう偏りはありま せん︒紹介客が多いですから︒紅磡には 同業者の店が百軒近くあって︑あちこち の業者を訊ね歩いては値定めする人が多 いのですが︑業者の中にはスタッフを病 院に派遣して︑客を待っている場合もあ ります︒我が社では︑そういうセールス や 客 引 き の よ う な こ と は 一 切 あ り ま せ ん︒全部が全部︑紹介客です︒新界の店 の場合は確かに新界の客が多いです︒紅 磡の店は紹介なしで︑飛び込みで問い合 わせする客も多いようですが︑我が社の 場合は飛び込みは一切と言っていいほど にありません︒ 我が社が上環に店舗を構えるのは︑香 港に病院が少なかった時代︑近くに東華 医院という病院があったためです︒そこ でここ荷里活道には葬儀屋さんが多いん です︒私たちは病院で仕事するばかりで なく︑亡くなられた方のご自宅で祭壇を 組み立てて葬儀を執り行ったこともあり ます︒その当時から営業を続けている我 が社のような古い葬儀社は︑現在では我 が社を含め六社しかありません︒まあ葬 儀社の老舗というんでしょうか︒政府か ら新規に発行されたライセンスでは葬儀 社の店頭に遺骨と棺を置くことが禁止さ れています︒新しいライセンスでも同じ ように葬儀社の看板を掲げていますが︑ サービス内容は違ってきています︒ 黄泉の国への旅支度 ││話を先に進ませていただきますが︑
「寿 衣
」の 使 い 方︑ 値 段 を 教 え て く だ さ いませんか︒時代によって変化はありま したか︒ 駱 一般的に寿衣は下着︑上着︑帽子︑ 布製の靴︑靴下︑扇子︑ハンカチなどと 揃って一式になります︒もちろん︑亡く なった方の出身地によって形式は異なり ます︒なぜ寿衣があるかというと︑寿衣 は中国の伝統的な礼服です︒男性は六〇
歳︑女性は六一歳の時︑このような服を 作ってもらって︑長寿のお祝いの時に着 ます︒長寿祝いは人生の一大事です︒長 寿祝いのあと︑寿衣はしまっておいて︑ 亡くなった時また着ることになります︒ もちろん︑カネのない人は寿衣など作れ ませんから︑亡くなった時でも︑それを 着て黄泉の国に旅立つわけにはいきませ んが︒
一般的に︑男性は偶数で女性は奇数の 枚数を重ね着することになります︒習慣 的に男性は六枚︑女性は七枚を着ます︒ ただし︑地域によって違いがあります︒ 例えば︑こだわりたい人は八枚︑一二枚 と着ることもあります︒中国の北方の人 は 寿 衣 の 他 に 綿 の 服 と
「袴 子
」︵ ズ ボ ン ︶︑ 笠︑
「申 字 衾
」︵ 外 套 ︶ な ど 保 温 性 の高い服を着ることになります︒地域差 は相当にあります︒
ではマントを着せる例も見られます︒昨 儀館の斎場の奥まった場所に置きます︒ す︒
「申
」の 字 の よ う に 見 え ま す よ ね︒ 最 近 の映像を示して︶普通は︑このように殯 ご 子 息 が 担 ぎ 持 つ こ と が 多 い と 思 い ま
iPadみ ま す︒ 包 み 終 わ る と︑ ま る で 漢 字 の う に ガ ラ ス 窓 の 部 屋 に 置 き ま す︒ ︵ だと考えられています︒亡くなった方の 字衾で︑これはコートのように遺体を包 夜間はご遺族がご遺体と対面できるよ 駱 幡は法事の際に死者の魂を導く道具 ︵
iPadの 映 像 を 示 し な が ら ︶ こ れ が 申 に入れます︒ ││
「幡
」はどうですか︒ て︑殯儀館の霊安室に安置し︑翌日に棺 になるでしょうか︒ 残すような化粧を施した後に寿衣を着せ 級 な ラ ン ︶ に な り ま す と︑ 二︑ 三 千 ド ル 引き取った遺体を清めて︑生きた面影を 使いません︒蕙蘭︵シンビジウム属の高 棺に納める前に着せます︒病院などから 場合もありますが︑我が社では生花しか 理でしょう︒現在︑一般的な形は遺体を 駱 そうです︒もちろん紙製の花を使う うはしません︒家の構造からいっても無 ││すべて生花ですか︒ 遺体を居間に置きましたが︑現在ではそ なものは三〜四ドルでできます︒
iPad駱 昔は亡くなってすぐに着せて︑その ︵ の 映 像 を 示 し て ︶ 例 え ば こ の よ う でしょうか︒ で す と 数 千 ド ル の も の も あ り ま す︒ ││いつの時点で遺体に寿衣を着せるの な相場は三百ドルからですが︑高いもの 駱 男女兼用ですね︒ 用意しません︒各種各様ですが︑一般的 性用ですか︒ 駱 お金持ちでなければ︑やはり花圏を ││申字衾は男性用ですか︑それとも女 ││
「花圏
」︵花輪︶については︒ ます︒ ご遺体との最後の別れとなります︒ の 風 習 は ど ん ど ん 廃 れ て 行 っ て し ま い 儀を執行します︒それがご遺族にとって 寿衣も一般化するようになりました︒昔 日はご遺体を棺に納め︑斎場に移して葬 同じで︑中国古来の寿衣に加え西洋式の の儀式を
「大殮
」といいますが︑大殮の チャイナドレスを着るでしょう︒あれと とができます︒ご遺体を棺に納める納棺 今では︑子供の結婚式に親はスーツやら ご遺族は︑その場でご遺体と対面するこ
紙紮の iPhone ならぬ iPhonie
を待つことになります︒ 度︑つまりこの世からあの世への旅立ち 打 斎 を 見 せ た り し ま す︒ そ こ で 魂 は 済 くからです︒そこでお経を聞かせたり︑ いいますと︑それらの魂を幡が斎場に導 す︒なぜ死者の幡と先祖の幡があるかと 先祖のものです︒幡は打斎の時に使いま は死者のための幡で︑こっちの赤い幡は ︵
iPadの 棺 の 画 像 を 示 し な が ら ︶ こ れ 魂を斎場に呼び寄せたことで︑葬儀が 行われている間に︑死者のために様々な 品物を燃やすこともあります︒亡くなっ た方︑先祖︑それぞれの位牌が葬儀場に 置かれていますから︑ご遺族の方は葬儀 のついでに故人である祖父︑曾祖父など ご先祖様があの世で使うカネや他の様々 な品物を燃やすことができます︒
一 般 的 な 慣 例 で は︑ 死 者 の 幡 は 長 男 が︑先祖の幡は次男︑もしくは孫が担ぐ ことになります︒ ││
「紙紮
」「紙銭
」はどうですか︒ 駱 こ れ は
paper offeringと い い ま す︒ この世にあって日常的に接する凡ての物 を葬儀が終わった後に燃やします︒マン ション︑一戸建ての邸宅︑金銀の橋︑金 銀の山︑お手伝いさん︑
「紅大槓
」︵つづ ら ︶︑ 金 庫︑ 乗 用 車︑ ベ ッ ド︑ 扇 風 機︑ タンス︑クーラー︑冷蔵庫︑テレビ︑コ ンピューター︑金庫︑位牌︑駕籠と駕籠 かき︑冥通銀行発行の紙幣やキャッシュ カード︑シャツ︑スニーカーなど何でも あります︒ 基本的には紙と竹ひごで作ってありま す︒時に死者が好きな物︑好んだ物を特 注し︑燃やすこともあります︒そういえ ば日系デパートの
「そごう
」を燃やした ことがあります︒特注でレストランの鳳 城酒家とか︑大きな仏船とかも燃やしま した︒ ││ 最 近 で は
iPhoneや キ ャ ッ シ ュ カ ー ドも見られますよね︒ 駱 あ り ま す︒ 冥 通 銀 行 発 行 の キ ャ ッ シュカードは引き出し額が無制限です︒ これは冗談ですが⁝⁝︒
冥通銀行発行キャッシュカード
││ な ぜ そ う い っ た 品 物 を 燃 や す ん で すか︒ 駱 中国人の葬儀に関する考えは︑儒教 思想に強く影響されています︒人は来世 があると信じています︒遺族は亡くなっ た人のあの世での生活のために準備して おきます︒亡くなった人にとって一番い いものをあの世に持たせようとします︒ この世ではついぞ叶えられなかった満ち 足りた生活を︑セレブな生活を送った人 の場合にはより豪華で贅沢な生活を︑あ の世でも送ってもらいたいという遺族の 強い思いが込められているわけです︒加 え て︑
「陰 安 陽 楽
」と い う 言 葉 を 信 じ て います︒あの世︑つまり陰の世界で亡く なった人が心安らかな生活を送っていれ ば︑この世︑つまり陽の世界で現に生き
あの世に送られる紙紮の実物大のベンツ
ている遺族も心安らかで物質的にも満ち 足 り た 暮 ら し が で き る︑ と い う 考 え で す︒ つ ま り 死 者 を 厚 く 葬 り︑ 多 く の 品々︑もちろん模造品を燃やしてあの世 に送り届けることは︑死者のためである と同時に生きている残された遺族のため であり︑子々孫々のため︑いわば子孫の 福を祈ることを意味します︒
りに細部まで再現できる台湾の業者の製 駱 私の推測では六割の人は殯儀館を使 はなく︑高い技術をもった︑本物そっく 人の割合はどのぐらいですか︒ やした特注品もあります︒これは香港で ││香港では殯儀館を使う人と使わない 駱 千ドルちょっとです︒数万ドルを費 ります︒ ││そのマッサージチェアの価格は︒ 儀館のような式場を備えている場合もあ マッサージチェアの模造品などでも︒ 寄せられる設備の整った病院の中には殯 て︑ 燃 や す こ と が で き ま す︒ 例 え ば︑ 設は千差万別ですが︑より多額の寄金が 能 力 が あ っ た ら︑ 様 々 な 特 注 品 を 作 っ 場所を設け︑葬式を行います︒病院の施 さい︑ということでしょう︒遺族に金銭 ておく冷蔵庫の隣にカーテンで仕切った あの世でも思う存分に賭博を楽しんで下 額な料金を払えない遺族は︑遺体を収め がカジノ ︵の模造品︶ を燃やしてあげて︑ ための式場があるわけではないので︑高 博が好きだったんでしょう︒そこで遺族 に運びます︒すべての病院に葬式を行う す︒おそらく亡くなった方は生前には賭 遺体は病院の霊安室に置いた後︑殯儀館 を象徴するリスボア・ホテルのカジノで す︒これを
「院出
」といいます︒一般に がら︶これはカジノ都市でもあるマカオ の 霊 安 室 で 簡 単 な 儀 式 を 行 う 人 も い ま ︵
iPadの ビ ル の 模 造 品 の 画 像 を 示 し な 駱 まず病院の霊安室に置きます︒病院 こに運びますか︒ ││病院で亡くなった場合は︑遺体はど でしょうか︒ 仮託したこの世の現世利益意識というの る︒心と心はもちろんですが︑あの世に と こ の 世 は︑ や は り 深 く 結 び つ い て い です︒その意味が判りますよね︒あの世 品です︒数万ドルの紙の家を燃やすわけ
あの世に送られる紙紮の実物大のベンツ
いません︒多くの遺族はあまり裕福では ないからです︒教会で葬式を行う場合も あ る し︑ 故 郷 に 戻 っ て 行 う 場 合 も あ り ます︒ ││ 殯 儀 館 を 使 う 場 合 の 費 用 は 如 何 で すか︒ 駱 殯儀館を使う場合は︑病院で葬儀を 済ませる場合に較べ︑一万ドル以上多く 必要です︒もちろん︑葬儀の仕方によっ て違いはありますが︒ ││香港では殯儀館を使う人は増えてい るんですか︑減っているんですか︒最近 の傾向を教えていただけますか︒ 駱 変化はあまりありませんね︒そうい え ば︑ か つ て は 一 般 的 に 行 わ れ て い た
「最 期 の 対 面
」で す が︑ 最 近 で は 遠 慮 し たいというご遺族も見受けられます︒そ ういうお申し出の原因を考えますに︑長 期の闘病生活︑あるいは療養生活で容貌 が変化してしまい︑元気だった頃の顔と あ ま り に も 違 っ て し ま っ て い る か ら で しょうか︒また亡くなられたご本人が生 前に
「最期の対面は不要
」と遺言してい る場合もあります︒こちらは︑変り果て てしまった顔を見せたくない︑という思 いからでしょう︒ 現在の香港では︑
「死
」に関するタブー はどんどん少なくなっているようです︒ 自分の
「死
」を口にしたり︑生前から自 分の葬式を計画したりすることを︑昔の 人のように嫌がりませんね︒ ││ で は︑ ご 遺 族︑ ご 家 族 は だ ん だ ん 遺 体 を 見 な く な っ て い る と い う こ と で す か︒ 駱 そうです︒近親も見なくなっていま すね︒一般的傾向としては︑ご遺体の確 認を済ませた後は︑あまり見たがらない ん で す︒ そ う い う 傾 向 が 出 て き て い ま す︒それに自分の葬式について事前に計 画しておく人も増えていますよ︒葬式は 必ずや悲しいものであり︑黒と白で構成 すべきものという考えは︑廃れる傾向が 見られるようになりました︒例えば︑紫 色が好きだった人が自分の葬式の花輪は 必ず紫色で彩ってくれと指定するとか︑ 中には葬式への参列者に必ずカラフルな 服を着ること︑泣いてはいけないなどと 指 示 し て お く 例 も 見 ら れ ま す︒ も っ と も︑極端な例ですが︒ ││ 葬 儀 に 殯 儀 館 を 使 う 場 合︑ 遺 体 は いったん病院から御社のような施設に仮 安置し︑その後で殯儀館に運びますか︒ それとも直接︑殯儀館に運びますか︒ 駱 遺体は我が社のような施設に運んで はいけません︒香港では霊柩車が遺体搬 送の唯一の手段で︑法律で定められた場 所でしか遺体を保管できません︒当社の ような業者の店舗は遺体を保管するとこ ろではありません︒ ││遺体搬送には︑御社の担当者が当た りますか︒ 駱 そうです︒我が社のスタッフが搬送 します︒
「院出
」「大殮
」︑ そして
「買水
」││殯儀館に行った後に納棺しますか︒ それとも病院であらかじめ納棺してから 搬送しますか︒ 駱 殯儀館に行ってから遺体を納棺しま す︒
「院 出
」の 場 合 は 病 院 で 遺 体 を 納 め ます︒
「大殮
」︵納棺︶という儀式を行い ますが︑その際に遺体を棺に納めます︒
││遺体を清める作業に遺族は関わりま すか︒それとも御社の担当者が執り行い ますか︒ 駱 日本と同じだと思いますよ︒昔は遺 族 が 関 係 し ま し た が︑ 今 は 見 ら れ ま せ ん︒実務的な部分は当社の担当が行いま す︒一般に
「買水
」といいますが︑顔を 清める儀式があり︑ご遺族は水龍王から 水を購入し︑ご遺体の顔を綺麗に清め︑ 亡くなった方をあの世に送り出します︒ こういった形式を採らない場合には︑法 士あるいは道士が
「灑浄
」します︒これ も遺体を清めることを意味します︒遺体 を清めるのはご遺族ではありません︒我 が社の担当です︒
昔はそれぞれの家庭で葬儀を行いまし たから︑子供たちは寝床の周囲で親の最 期を見守り︑息を引き取ったことを見届 けたら︑ご遺体に寿衣を着せ︑自分たち も喪服を着ます︒それまでは家族が全部 用意したのですが︑今はそんなことはあ りません︒ ││ 遺 体 を 清 め る た め に は 水 を 使 い ま すか︒ 駱 水を使うこともあります︒しかし︑ 遺体処理という問題なら話は別です︒水 だけではないかもしれません︒ ││アルコールは使いますか︑日本では アルコールを使いますが︒ 駱 アルコールもその一つです︒香港で は遺体を受け取るのに二週間もかかるこ とがあります︒遺体を保管する施設は冷 凍庫ではなく︑冷蔵庫ですから︑ご遺体 の肌にいろいろな物が付着したり︑皮膚 が剥がれたり︑カビが生えたりするかも しれません︒遺体の状態を見てから︑ど んな処置が必要かを判断します︒これは 葬儀というセレモニーとは全く別で︑環 境や衛生の問題になります︒ ││儀式には水道水を使いますか︒ 駱 そうです︒しかし︑古い習慣の残っ ている農村や漁村では︑例外なく︑その 村の井戸水を使います︒当社は水道水を 使います︒ ││水道水に何かを入れますか︒香料と か薬品とか︒それともそのまま使います か︒ 駱 そのまま使います︒ ││日本ではあの世への長い旅の旅支度 という意味で︑遺族が遺体に白い足袋と 草履を履かせますが︑そういう習慣は香 港でも見られますか︒ 駱 あ り ま せ ん ね︒ 昔 は あ っ た ん で す が︑今は稀にしか見られません︒でも︑ 台湾ではそういうことがあります︒遺族 に葬儀の進行に関わらせます︒香港では さっき言った
「買水
」の他に︑ちょっと おかしな儀式があります︒亡くなった人 から物が盗られなくするための儀式など が多いんです︒例えば亡くなった人の服 に息子が線香で穴を空けたり︑手形を付 けたりします︒それというのも︑新しい 服ですから︑強奪されないように︑あら かじめ傷をつけておくんです︒ 遺族が関わる儀式はあるかどうかとい うと︑それはあります︒例えば上海出身 者の場合︑入棺の時に亡くなった方のお 子さんがご遺体を支えますし︑自分で寿 衣を着て温めてから︑遺体に着せます︒ 蛋民と呼ばれる水上生活者などは母親の 髪を梳きます︒こんな風に︑千差万別で す︒実状をいいますと︑現在の香港では
葬儀は︑ より一層一般化︑ 言い換えますと 個性をなくしつつあります︒それといい ますのも︑誰もが葬儀の細々した手順︑ それぞれの所作事の意味が判らなくなっ ているからです︒なぜ︑遺体をこんな風 に扱わなければならないのか︒なぜ︑こ んな手順で納棺する必要があるのかなど です︒だから︑昔からこうしてきたから こうする︑こうするらしい︑ああするも のだと︑真似をしているだけなんです︒ 形と心の乖離というのでしょうか︒ ││火葬には誰が参列しますか︒ 駱 遺 族 と 親 戚 と 親 友 と 招 待 さ れ た 人 です︒ ││火葬にはどれほどの費用がかかりま すか︒ 駱 一二〇〇ドル︒子供の場合は六五〇 ドルです︒ ││土葬では︒ 駱 土葬ですか︒香港は土地がせまく︑ 当然︑墓地用の場所も少ないわけですか ら︑土葬といっても︑一時的な墓地が多 いんです︒一番安いのは政府の墓地で三 一九〇ドル︒埋葬期間は七年と定められ ています︒華人永遠墳場管理委員会の墓 地は二万一六〇〇ドルで期間は一〇年で す︒期間延長可能な墓場は二万八〇〇ド ルで︑期限なしの墓場は二八万八〇〇ド ルです︒以上は一般的なケースですが︑ 極端的な例ですが︑キリスト教の永遠墓 地の場合は巨額な寄付金が必要です︒相 場では三百万ドルです︒
七年後の
「執骨
」││七年の墓地の場合︑七年が過ぎた後 はどのように処理しますか︒ 駱
「執骨
」︑つまり遺骨を掘り出して拾 う必要があります︒墓地を掘り返して︑ 専門の業者が墓穴に降りていって骨を拾 い集め︑それから
「骨位
」と呼ばれる遺 骨を安置する場所に納めます︒拾い集め た遺骨を︑改めて荼毘に付す場合もあり ます︒
ます︒これは政府の食物環境衛生署条例 うのも︑ご遺族が差し掛けた傘で陽光が き寄せ集め︑棺に入れ直してから火葬し 集落︶では黒い傘を差します︒それとい 化
」といいますが︑この場合は遺体を掻 防衛のために周囲を土楼で囲んだ伝統的 に 遺 体 が 液 体 化 し た 場 合︑ こ れ を
「唔 駱 客家系の人が住む新界の囲村︵自己 ︵
iPadの 画 像 を 示 し な が ら ︶ こ ん な 風 族が多いのですが︑なぜですか︒ ││その場合︑黒い傘を差しているご遺 です︒ なのは立ち会うこと︑確認することだけ 全体を見守る必要はないわけです︒必要 認をするだけで︑必ずしも掘り出し作業 いましても︑じつはご遺体と埋葬品の確 を申し込むわけですから︒見届けるとい 駱 遺族は必ず現場にいます︒その作業 見届けますか︒ ││ご遺骨を掘り出す作業を︑ご遺族は 駱 特別な呼び方は特にありませんね︒ すか︒ ││骨を掘りだす専門の人を何と呼びま の墓地に葬ることもあります︒ て火葬にするか︒それぞれですが︑家族 えて骨壺に納めてお祀りするのか︑改め 番いいことです︒集められたご遺骨を整 すべての遺骨を拾えるのが︑もちろん一 によって定められていることなんです︒
直 に 墓 石 に 当 た ら な い よ う に 遮 る ん で す︒傘で陽光から墓石を守るんですね︒ しかし︑遺骨を掘り出す場合になると傘 は使いません︒これは客家の人だけの習 慣といっていいでしょう︒ ││納棺するとき︑石灰を入れますか︑ 茶葉を入れますか︒ 駱 石 灰 や 茶 葉 を 入 れ る の は 潮 州 の 人 の︑それも土葬の場合だけに見られる習 慣です︒古くからの習慣は生活文化とし て 日 々 の 生 活 中 に 記 憶 さ れ て は い ま す が︑ 時 の 経 過 の 中 で︑ な ぜ そ う す る の か︑そうしなければならないのか︑そう することにどんな意味があるのかが判ら な く な っ て い る こ と が 少 な く あ り ま せ ん︒そこで︑時間の経過とともに︑茶葉 でいいのなら同じような物なら他でもい いんじゃないかということで︑変化して きたわけです︒ですから本来なら茶葉で なければならなかったものが︑いつしか 忘れられ︑そのうちに菊の花でもいいん じゃないか︑ということになってしまう んです︒
ご承知のように︑納棺した遺体の周囲 に茶葉をぎっしりと詰めるんですが︑そ れは遺体から滲み出る体液などの水分を 吸収させるためです︒一般に普洱茶の葉 を使いますが︑遺骨を掘り起こした時に 骨が非常に黒く変色してしまうため︑菊 の花に替えたほうがいいと︒じつは掘り 起こした骨が白ければ白いほど︑子孫に 幸 運 と 富 を も た ら す と 信 じ ら れ て い ま す︒それというのも︑白は白銀︑お金を 意味するからです︒ 石灰も茶葉と同じように棺の中の水分 を吸収する働きを持っていますが︑水分 を吸収すると塊になってしまい︑結局は 水 分 の 吸 収 に は 役 立 ち ま せ ん︒ で す か ら︑ 大方は茶葉を使うことになります︒ 石 灰にせよ茶葉にせよ︑袋に入ったものを 遺体の周囲にぎっしりと押し込みます︒ その後︑遺体の上を紙札・紙銭で覆っ た後︑棺の蓋をします︒ ││カネ︑ カネ︑ カネですね︒ ところで︑ 御社では墓地の紹介をしていますか︒ 駱 ご遺族の要望があった時には墓地を 案内することもあります︒ですが︑こと 墓地ということになりますと︑土地の少 ない香港ですから︑選択肢は非常に限ら れてしまいます︒公営の墓地なら埋葬に 特別の条件や制限はありませんので︑当 社の者が案内することもできますが︑特 定の宗教団体の経営する墓地となります と︑誰でもというわけにはいきません︒ やはり死者が生前にその宗教の信者だっ たのかどうかが問われますし︑その点を 確認しておく必要があります︒ 香港で探せなかった場合︑次善の策と して中国やマカオの私営墓地ということ になります︒もちろん私企業が合法的に 開 発・ 造 成・ 販 売・ 管 理 を 行 っ て い ま す︒じつは転売できるような墓地は︑香 港 に は そ ん な に 多 く は あ り ま せ ん︒ 先 月︑一二〇万ドルの墓地の購入を仲介し ました︒深圳の大鵬湾の墓地などは予め 購入することができますが︑そういうこ とは香港では不可能です︒ ││現在でも風水学で適地と認定された 墓地の地価が高いんですか︒ 駱 風水学でいう適地よりは︑周囲の景 色の良し悪しですね︒やはり周りの景色 です︒風水学には様々な流派があります
住宅に迫る墓地──東華義荘
ので︑これこれという風に特定の条件を 備えた土地がいいとはいえませんが︑一 般には墓地の正面前方に川であれ︑湖で あれ︑海であれ︑水に関わるものが控え ている土地が高価です︒水の反対が工業 ビルで︑それが墓地の正面前方にあった 場合は値段が極端に安い︑ということに なります︒ ││現在では︑香港の人はマカオとか中 国に埋葬することが多いですか︒ 駱 さほどに多くはありません︒やはり 国外へ行かなければならない︑香港を後 にしなければならない︑となると火葬し なければなりません︒誰もが真っ先に火 葬 に さ れ る こ と を 考 え れ ば︑ 躊 躇 し ま す︒やはり火葬は⁝⁝︒ですから︑マカ オや中国での埋葬は少ないと思います︒ ││火葬の日にちは︑どうやって決める んですか︒ 駱 火葬の日時は基本的には自分で選べ ます︒香港政府の規約に拠りますと︑死 後一五日以内に火葬できるんですが︑や は り 死 者 の 数 と 火 葬 場 の 処 理 能 力 か ら いって︑希望通りの日にちに火葬できる というわけではありません︒そこで急が れる場合は︑離島である長洲島の火葬場 を 選 ぶ こ と を 勧 め ま す︒ と い い ま す の も︑そこでは長洲島の住人の遺体しか火 葬しませんので︑ほぼ毎日空きがありま す︒とはいうものの︑離島ですから船を 利用しなければなりませんので︑敬遠さ れる場合がほとんどです︒ やはり離島での火葬は望まれませんか ら︑香港では平均して死後二週間ほど待 つことになります︒ ││では︑土葬の場合は如何ですか︒ 駱 公営墓地の場合ですと土地を確保し てから二四時間以内に︑私営の華人永遠 墳場管理委員会が管理する墓場ですと土 地確保後の四八時間以内に埋葬というこ とになります︒最終的には殯儀館の都合 や埋葬に適した日かどうかによって決ま りますが︑やはり火葬と較べ︑極めて短 時日内に埋葬しなければなりません︒公 衆衛生の面から見ても︑そういった短時 日内の処理は当然でしょうね︒ ││日本を考えてみますと︑一般的に日 常生活のなかから死が排除され︑死は日
常生活の埒外のことであり︑それゆえに 一般家庭では葬式をどのように執り行う かという知識が忘れられ︑それぞれの段 取りの意味づけが判らなくなってきてい ます︒香港でも同じような情況にあるん でしょうか︒ 駱 同 じ だ と 思 い ま す︒ で も 香 港 の 方 が︑その速度は速いんじゃないでしょう か︒台湾ではまだ多くの儀式を重んじて いますが︑香港人は先も申し上げました ように︑それぞれの段取り︑儀式の意味 づけが判らなくなってきています︒例え ば神仏を拝む場合は手を合わせるという ことは判っていますが︑どのように手を 合わせ︑その後はどうしたらいいのか︒ 神仏に対し︑どのように呼びかけたらい いのかが判らなくなってきています︒
葬儀のことが判っている人でも︑じゃ あ︑自分の子供なり孫に葬儀の段取りを 教え伝えているかというと︑そんなこと はないんです︒日常生活のなかで︑家族 内であえて葬儀について話し合っておこ う な ん て 機 会 は 持 ち よ う が な さ そ う で す︒自分の家族に葬式がなければ︑葬儀 について知らないのも当たり前です︒で も︑それは葬儀だけのことではありませ ん︒ や は り 家 族 関 係 や 家 族 構 成 が 変 化 し︑時の流れの中で社会生活の仕組みが 違ってくれば︑昔は重要と思われた儀礼 は忘れられますし︑そういったものを守 ろうという意識も希薄になることは当然 のことではないでしょうか︒ 以前なら︑亡くなられた方の出身地を 伺い︑それに基づいてご遺族には我が社 で葬儀の概要を提案していましたが︑昨 今ではご遺族の方が以前にどこかで参列 した葬儀方式が気に入ったからと︑そう いった方式を希望されたり︑ご自分たち が好む雰囲気での葬儀を先方から提案さ れることもあります︒静かな葬儀を望ま れるのなら︑尼僧による読経だけで済ま すこともあります︒賑やかな方を好まれ る な ら︑ 道 士 が
「打 斎
」し︑
「破 地 獄
」︵ 死 者 の 霊 の 逸 早 い 輪 廻 再 生 を 望 む た め の道教喪礼︶をしたり︑楽器を鳴らした り︑それは賑やかなものです︒でも葬儀 という儀式そのものを好まないなら︑道 士も僧侶も尼僧も牧師もお願いせず︑葬 儀式場では焼香し︑紙札を燃やすだけで 済ませてしまいます︒それもこれも︑す べてご遺族の希望に沿わせるしかありま せん︒ でも︑最近では葬儀でも棺でも世間体 を気にする傾向も見られますね︒例えば 出棺の日取りにしても︑生きている者や 参列者の都合で適当に決められてしまい ますが︑そんな時︑私どもは誰のために 葬儀をお手伝いしているのか︒亡くなっ た方を第一に考えなくていいのか︒複雑 な気分に陥ってしまいますね︒
香港の農村︑離島における葬儀
││私の子供の頃︑いまから半世紀以上 も昔ですが︑日本の農村では︑ある家で 死者がでますと回り近所の人々が︑なか には子供までが駆り出され︑葬式の手伝 い を し た も の で す︒ 坊 さ ん を 依 頼 す る 人︑ 棺 を 担 ぐ 人︑ 墓 穴 を 掘 る 人︑ 参 列 者 を 応接する人︑葬儀を手伝う人々のために 料理を作る人︑子供たちは通夜の晩にド ンツクドンツクと団扇太鼓を叩いて近所 を廻るなどです︒いささか気取った表現
でいいますと︑葬儀は家族のものである と 同 時 に︑ 生 活 共 同 体 の も の だ っ た ん で す ︒香 港 で も そ ん な こ と は あ り ま し た か ︒ 駱 全く同じというわけではありません が︑それに類したことは香港にもありま す︒例えば坪州のような人情味溢れた田 舎では︑近所の人々がみんなも手伝いま す︒手弁当での手伝いにしても︑後で遺 族から謝礼を受け取るにしても︑みんな 熱心に手伝います︒
ですから︑香港といっても田舎にはま だそういうことがあります︒でも︑市街 地では隣に住んでいる人に挨拶しても返 事がもらえないこともあり︑あまり人情 味が感じられず︑当然のように近所付き 合いはなく︑生活共同体やら相互扶助な どという意識はないですね︒ ││︵
iPadの 農 村 に お け る 葬 儀 の 画 像 を見て︶この櫓を組み立てるのは︑ご葬 儀を執り行うご近所の方ですか︑それと も御社の担当者ですか︒ 駱 我が社のスタッフが建てたんです︒ ここは坪州です︒ ││︵写真の中の葬式を指し︶これは道 教形式ですか︒ 駱 そうです︒道教形式です︒これは蛋 民︑つまり水上生活者の葬式です︒普通 の打斎は執り行わないんです︒ ││この紙の人形は特別な呼び名があり ますか︒ 駱 はい︑これは
「真身
」といいます︒ 昔︑この人形を作る時︑亡くなった人が 生 前 に 使 っ て い た 服 を 人 形 に 着 せ ま し た︒ こ れ は 紙 で は な く︑ ご 本 人 の 服 で す︒この人形はお亡くなりになった方に 代わってお経を聞くことになります︒現 在では本当の服を燃やすことは禁じられ ていますので︑服を人形の上に羽織らせ るだけにしています︒そんなわけで︑こ こに老人の服が見えるんです︒
霊 柩 車 の ナ ン バ ー プ レ ー ト
「4 4 8
」││御社が香港で最初に霊柩車にベンツ を導入したということですが︑ベンツ導 入の動機を教えてくださいませんか︒ 駱 以前の棺は土葬用でしたから大きく て重かった︒そこで霊柩車はトラックを 改造した頑丈なものが用いられていたん です︒ですが最近では火葬が主流ですの で︑旧来とは違った霊柩車に改良できる んではないでしょうか︒やはり人々の考 えも変わってきているんです︒以前は街 で霊柩車を見かけると縁起が悪いと敬遠 されたのですが︑最近では我が社のベン ツの霊柩車を見かけたら︑写真を写しま す︒ ベンツ霊柩車の導入には多くの苦労が ありまして︑まずベンツの代理店が霊柩 車仕様のベンツを製造してくれない︒次 に政府の運輸署が車内にどのように棺を 固定し︑仮に衝突した場合には窓ガラス を割って棺が飛び出すことはないかなど の証明を求めてきました︒そこで自動車 改造工場に依頼して試験の様子をビデオ 撮影し︑運輸署に提示して許可を取った わけです︒この間︑半年ほどかかりまし たが︑二〇〇六年五月に︑やっと我が社 に到着しました︒ 我が社のベンツ霊柩車は大いに迎えら れ︑稼働率は着実に高まっています︒ ││霊柩車のナンバープレートの
「448」