存すると乙ろが大きかった。
長大の計算機は工学部の拡充と密接に関係しているようにみえる。昭和 4 5 年の電算室開設当時 l 諾 い工学部がようやそ卒業生を送り始めた時期であったし,今回の情報処理センターへの改組およひ'新鋭
システムの導入は工学部の学科完成,大学院設置による計算需要の著しい増加が背景として浮んでくる。
電算室時代の FACOM 2 7 0 ー 2 0 は今思えばかわいい計算機であったが. Tu m a r o u n d t i m e を時間 単位にまで短縮してくれた意義は大きかった。共同利用連絡所としての長大電算室連絡所 ( 7 0 1 6)
が開設されたのは昭和 4 7 年の課題申請からである。乙の頃になると工学部の計算量がどんどん伸び,
コンテナ輸送による九大との往復も始まるが,もう「昔ぱなし J ではない。しかし,
ζのコンテナ 輸送は私には印象的であった。..コンテナ輸送は工学部が始めたととで電算室は取次いでいるだけ"
ときいてうらめしく思った。その後,乙の件は電算室の努力で他学部利用者にも開放されるように なった。
Deckの発送と梱包作業はそれまでずっと付随していたが,やっと面倒な梱包から解放さ れたのである。ありがたい出来事であった。
そして,昭和 5 5 年
Rど乙にも出かけないで計算ができる"
経済学部における情報処理教育
経 済 学 部 梶 原 禎 夫 経済学部でも,経済学系の情報処理教育先進校に遅れる
ζと 1 0 年で,昭和 5 2 年度 l ζ電算室が開設 され情報処理教育がスタートした。スター卜したといっても,フォートランやベーシックの入門教 育を電算室が担当し
7ーケティングや生産管理などの授業科目や卒業研究で必要な計算を電算機 を使って行うという程度のものであった。
しかし. 5鮮度には教官定員 2名の情報処理科目が新設され情報処理 l ζ関する専門科目も置けるよう になり,設備増設もできるようになった。同時
1(.情報処理教育に重点を霞く経営系専門科目として市場 情報処理,生産管理情報処理,会計情報処理などが開設され,これらの科目と情報処理専門科目とが連 係し,経営系専門科目との間連での情報処理教育の効果をあげる乙とができるようになった。 同年度 i 乙は 数学専攻の泉氏を迎え,電算室で数理解析との関連で情報処理の入門教育を行う体制を整える方向 l
と向った。経済学部電算室では,同氏の着任と同時に教材とデータ処理体系の解説書の準備にとりか かり,臼年度だけでもかなりの実績をあげる
ζとができた。成果は長崎大学片測地区情報処理教育 広報に収録する乙とになり. 5 5 年度以降順次印刷され,情報処理教育に生かされる
ζとになっいる
n現在,経済学部には,情報処理専門科目としてプログラミングやシステム分析などがあり,直接 の応用科目として数理計画や市場調査(データ解析を内容とする)がある。また,情報処理教育が
‑5
ー生産管理やマーケティングなどの経営科学,特 ζ l 経営系の数理解析と関係して行われているという 乙ともあって,線型解析を主な内容とする応用数学が情報処理教育をサポートするものとして開設 されている。
経済学部電算室も 5 5 年度から長崎大学情報処理センターと接続され,センターマシンを利用する
TSS 処理と RJE 処理が可能になった。経済学部の既設のメルコムとセンターとの接続は,通信 制御手11買について梶原・泉で三菱側と根気強く行った交渉の結果,経済学部,センター共に特別の
ソフト開発費を負担することなく実現した。
大学l とより程度の差はあるが,いずれの大学でも経済学部では電算機を利用する教員数が少なく,
情報処理教育の拡充には多少の苦難がともなう。特 ζ l ,当経済学部電算室は現在でも他大学の経済 学部 ζ l 比べ恥 加の装備しかもたないが,それでも 5 5 年度後期からはマイコンが順次整備されると とになり,ベーシックやパスカルを本格的に使用する情報処理教育がスター卜する。
(昭和 5 5 年 1 1 月 1 3 日)
蛋白立体構造に関するデータ処理
薬 学 部 芳 本 忠 蛋白質は一般に 1 0 0‑1 0 0 0 個のアミノ酸から成仏生体中で主要な働きをしている。 1960 年
Kendrewがミオグロビン結品の
X線解析によりその立体構造を明らかにして以来,現在まで
X線解 析によって原子座標データの得られている球状蛋白質分子の数は 1 0 0 以上にのぼっている。数千と
。 情 相 ある蛋白質の中ではまだほんの一部にすぎないが,蛋
. 川
T町政制• OXT削