ヒ トエ グ サ の異 常 増 殖 組 織 に つい て
右 田 清 治 ・金 重 来*
Abnormally Proliferous Tissues of Monostroma nitidum WITTROCK Seiji MIGITA and Choong Rae KIM*
Monostroma nitidum, an edible green alga, is widely distributed along the coast of Japan. The authors incidentally encountered abnormally proliferous tissues of M. nitidum collected from Nomozaki, Nagasaki Prefecture, and studied on the abnormal tissues morphologically. The results obtained are as follows:
1) The abnormally proliferous tissues are formed in somewhat thick parts consisting of several cells of two layers, and grow into irregular-shaped projection.
The external appearance is similar to that of the cancerous disease of Porphyra.
2) Between abnormal tissues and other normal parts, there are no differences in size and shape of cells.
3) Fully grown abnormal tissues become hemispherical and hollow being surrounded by one layer of cells.
緑 藻 ヒ トエ グサ は 主 と して海 苔 佃 煮 の 原 料 と して 利 用 され,ま た 抄 製 品 と して も食 用 に 供 され てい る有 用 海 藻 で あ る。 ヒ トエ グサ の養 殖 は ア マ ノ リ ・ワ カ メに 次 い で三 重 県 を 中 心 に各 地 で お こなわ れ て お り,ま た 天 然産 の もの も広 く採 取 販 売 され て い る。
養 殖 ヒ トエ グサ の 被 害 と しては 冬 期 の 「凍 害 」 と珪 藻 類 の 附 着 に よる 「ドタ腐 れ 」 が知 られ てい るが1),養 殖 アマ ノ リに 比 べ る と病害 の種 類 も少 な く,そ の 被害 の程 度 も軽微 で あ る とい え る。 また,天 然 に 自生 す る ヒ トエ グサ の生 育 の被 害 に つ い て は これ まで ほ とん
ど報 告 され て い な い。
筆 者 らは,1970年 春 に長 崎 県 野母 崎 町 の長 崎 大 学 水 産 実 験 所 附 近 で 採 集 した ヒ トエ グサ の 葉 体 で異 常増 殖 組 織 を観 察 した が,そ れ は 一見 ア マ ノ リの癌 腫 病 に似 た症 状 を呈 して い た。 そ の 後 野母 崎町 周 辺 や長 崎県 下 の2,3の 沿 岸 よ り採 集 した ヒ トエ グサ 葉 体 につ い て, 異 常 組 織 の 形態 や発 生 状 況 に つ い て調 査 した の で そ の結 果 を 報 告 す る。
材 料 お よ び 方 法
材 料 の ヒ トエ グ サ は野 母 崎町 と長 崎市 茂 木,手 熊 お よび五 島 岐 宿 町 沿 岸 で,1970年5月 上 旬 か ら下 旬 に かけ て採 集 した もので あ る。 異 常 増 殖 組 織 の 形 態 は 多 くは 生 の ま ま検 鏡 観 察 し,断 面 は凍 結 ミク ロ トー ムで 切 片 を 作 り観 察 した。 各 地 点 の 藻 体 に お け る症 状 の 有 無 は,任 意 に選 んだ50個 体 につ き顕 微 鏡 下 で 調 べ た 。 また,症 状 の 程 度 は,表 面 観 で 病 患 部
*群 山 水産 専 門学 校,韓 国
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長崎大学水産学部研究報告 第30号(1970)が顕微鏡100倍1視野(約1.2mm2)当りの平均値で1個以下のものを便宜上軽症とし,2 個以上のものを重症として表示した。
観 察 結 果
ヒトエグサの葉体では,老成した部分の断面でやや細胞の配列が上下に弛緩するが,そ の栄養細胞は一層よりなっている。異常組織の発現した葉体でその症状の初期のものをみ ると,まず表面観で数個細胞が外部に突出しており(Fig.1. A, Fig.2. A),断面観で 2,3層になっているのが観察された(Fig.1. c, D, Fig・2. D)。やや症状の進んだ数
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Fig. 1. Abnormally proliferous tissues of M. nitidum.
A,B, surface views of the tissues a early stages. C−F, cross sections
at various stages.
10個細胞からなる異常組織では正常な細胞層の外部に増殖した細胞群が明瞭にみられ, そ れらは平面的に広がったものや中央部がやや突出したものがある(Fig.2. B, C)。 この 状態になると肉眼的にも症状が認められるようになり, さらに症状が進んだ異常増殖部は 表面観で直径250〜350μに達し,外観も養殖ノリの癌腫病に似た症状となる。これらは断 面観では表層上に100〜200μも突出しているが,明らかに内部は中空をなし,突出部の細 胞層が多層をなすのはきわめてまれであった(Fig.1. E, Fig.2, E, F)。また,しばしば 患部の周辺や中央部から裂葉を出したものがみられた(Fig.1. F, Fig.2. C)。
ところで,これらの異常増殖組織では,その個々の細胞は大きさ,外形,細胞内容など 正常細胞とほとんど差異は認められず,ただ細胞の平面的配列が幾分不規則であった。表 面観での異常増殖細胞群の形状は円形,楕円形が多いが,症状が進んだのは多角形,不定 形をなすものもみられた。また,異常組織部の細胞も配偶子嚢となることができ,周辺の 正常細胞と同時に配偶子を形成,放出するのが観察された。 なお2これ5の異常増殖組織
蕪
園圃 鶴.
Fig. 2. Photographs of abnormally proliferous tissues of M. nitidum.
A−C, surface views of the tissues at various stages. D, cross section at early stage. E, F, cross sections of abnormal tissues, showing empty
interior. A, B, E, F, ×60. C, ×40. D, ×150.の細胞をWITTMANN2)の核染色法で染色してみたが,いずれも単核であった。
ヒトエグサの各個体で,異常増殖組織の発現数をみると,軽症の患部をもつもの程出現 数も少なく1cm 2当り30個以下であったのに,重症の患部のある葉体では1cm2当り250個 の多数に及ぶものもみられた。
この研究では前述したように,はじめ野母崎産のヒトエグサ葉体で癌腫様の異常組織を 観察したので,その直後長崎県の他の2,3の産地のものについて地域的な出現状況を調 査した。 各産地の任意の50個体につき症状の有無,および軽症,重症に分けてみると,
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長崎大学水産学部研究報告 第30号(1970)Table 1. Occurrence of abnormally proliferous tissues of M. nitid m collected
from the coastal waters of Nagasaki Prefecture.Station
Nomozaki Mogi Teguma
Kishiku
Number of occurrence
Non Slight Serious
07807 90QJ4 228331←−← 819臼01
Occurrence ratio
100 26
406
%
Table 1に示すようになり,野母崎のものでは全個体で症状がみられ,また重症葉も少な くなかった。 茂木,手熊産では重症の患部はまれであったが,症状葉体の出現率はそれぞ れ26,40%であった。 しかし,五島岐宿産のものではすべて軽症で,罹病葉は全個体の6
%oに過ぎなかった。
採集地の海況は,いずれも近くに大工場はなく,一般の都市,港湾廃水の影響を受ける 程度であった。しかし,そのうち野母崎町の採集地は狭い湾口部をなしやや汚染度が高く,
茂木,手熊も重油などの廃液の影響を幾らか受ける場所で,ただ五島岐宿町沿岸は比較的 に綺麗iな海域であった。
考 察
海藻類において腫瘍状の異常増殖組織としては,従来からアサクサノリの癌腫病が知ら れており。その形状や病徴,発病の原因などについては藤山3・4),石尾他5)の詳しい報告 がある。ここで観察したヒトエグサ藻体の異常増殖組織は,外見的にはアサクサノリやス サビノリなどの癌腫病ときわめてよく類似するが,顕微鏡的な所見にはかなりの相違があ
る。
すなわち,アサクサノリでは癌腫細胞に多核の細胞があり,大きさも正常細胞の2〜3 倍とされているのに, ヒトエグサでは異常増殖細胞は単核で正常細胞と形態的には区別で きない。 とくに,断面観でアサクサノリの癌腫部は多層化しているが,ヒトエグサの異常 組織は多層をなすのはまれで,多くは中空をなし突出している。
このように,アサクサノリの癌腫とヒトエグサの異常組織部は形態的にもかなり相違が あり,その発生原因や機構も幾分違っていることが考えられるので,ここでは一応異常増 殖組織として取扱った。
この研究で,ヒトエグサの異常組織部からしばしば正常細胞層をもつ裂葉が発生するの が観察されたが,このような現象は養殖アサクサノリにもまれにみられるようで,1968,
1970年有明海沿岸では10月中旬に採苗後の幼芽で多層細胞組織が多発し,その後それらの 一部は裂葉片に変った事例がある。
ヒトエグサのこのような異常組織は,調査した長崎県下の4地点で,症状の軽重はあっ たが,いずれの産地でもみられたので,広く天然産の葉体に発生していることが考えられ
る。 しかし,この症状は比較的生育の遅い時期に発現するようで,症状の季節的消長につ いてはさらに今後の調査が必要である。 また,症状の程度は一般的な沿岸の水質とも関係 があるようで,海水に含まれる廃水の成分が当然影響を及ぼしていることが考えられるが,
採 集 地 点 が工 場廃 水 の 少 な い 場 所 で あ る こ とか ら,一 般 都 市 廃 水 に よる もの か,最 近 そ の 流 出が 多 い 重 油 な ど の廃 液 に よる もの か速 断 で き な い。 た だ,ヒ トエ グサ は附 着 層 が 潮 間 帯 の海 藻 生 育 層 の上 部 で あ る た め,干 出 時 に浮 遊 廃 水 の影 響 を受 け 易 い。 も し,今 後 の調 査 で 海 水 の 汚染 と症 状 の発 現 とが何 等 か の 関 係が あ る とす れ ば,ヒ トエ グサ の 天 然 に お け る広 い分 布 か らみ て,沿 岸 の 汚 染 度 の 生物 学 的 な指 標 とす る こ と もで き る と考 え られ る。
摘 要
野 母 崎町 を は じめ長 崎県 下 の4地 点 で 採 集 した ヒ トエ グサ 葉 体 で癌 腫 様 の 異 常 増 殖 組 織 の 発現 を 観 察 した 。
1.ヒ トエグサ の異 常 組 織 は 肉 眼 的 に は アサ クサ ノ リの 癌腫 病 と よ く類 似 し,表 面 に突 出 して い る。
2.異 常 組 織 を な す細 胞 は 正 常 細 胞 と比 べ て大 き さ,形,細 胞 内 容 な どに は と くに相 違 は 見 出せ な い。
3.症 状 の 進 ん だ 患 部 は 中 空 と な り,細 胞 の 多 層 化 は み られ な い 。
文 献
1)喜 田 和 四 郎:ア オ ノ リ養 殖 の 現 況 と 将 来,藻 類,15,164‑154(1967)
2) WITTMANN, W. : Aceto-iron-haematoxylin-chloral hydrate for chromosome staining, Stain. Tecknol. , 40, 161-164 (1965)
3)藤 山 虎 也:ア サ ク サ ノ リ癌 腫 病 の 細 胞 化 学 的 研 究,水 産 学 集 成,東 京 大 学,829‑840(1957) 4)―:ノ リの 癌 腫 病,水 産 増 殖,4,69‑73(1957)