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『歩きかたの理論』について

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(1)

『優雅な生活論』と

『歩きかたの理論』について

一二篇にみるバノレザックの近代認識一

山 田 登世子

はじめに

 1829年く結婚の生理学〉で文壇にデビューしたバルザックは,ひき続き ジャーナリズムの世界でめざましい活躍をみせる。〈盗人〉,<ラ・シル エット〉,〈ラ・モード〉など,この時期ジラノレダンが相次いで創刊した 新聞,雑誌には売れっ子ジャe・一ナリスト・バノレザックの手になる面白い風 俗批評が多々顔をならべている。本稿でとりあげるご篇はいずれもここか

ら生れた。〈優雅な生活論〉は1830年くラ・モード〉誌に,<歩きかたの 理論〉は1833年くヨーロッパ文芸〉誌に連載された。二篇をはじめ,この 時期パノレザックが手がけた一連の風俗批評を,〈人間喜劇〉の余技に属す るただの雑文として片づけてしまうのは早計であろう。バルザックにとっ てそれは,なによりも卑近な現実の認識という点で大きな意義をもつ。

 しかもこの時期,フランスは新しい時代を迎えようとしていた。1830年 7月革命によってブノレジョアジーが権力の座につき,産業革命が開始され てゆく。やがてセーヌに蒸気船が姿を現し,ロワPル地方に鉄道が開通 する。フランスがまさに産業社会にむかって展開を遂げていこうとする 時代であった。バルザックにとってジャーナリストとしての活躍は,こ

うした社会の動勢に触れるまたとない機会であったにちがいない。しかも       一25一

(2)

パノレザックにあって観察はただの観察に終らない。パノレパックは眼に.

触れるさまざまな文明の風物を通して,近代世界そのものを洞察してゆ く。ブノレヴァールの街頭風景,そこを行き過ぎる人々の歩きかたや服装,

バノレザックはそれら一つひとつに内奥の意味を読みとりながら,近代の 都市像を構築してゆくのである。川端香男里はく世界観,世界像と小説〉

ヴイジヨン

のなかで,古典主義文学が前提とした既成の普遍的世界像が崩壊した後,

新しい近代世界に立ち向う作家にとっては,自分の眼を通してとらえた

〈おびただしい感覚的ディテーノレの集積とそれを統一的な視点に収飲させ る想像力的構築〉が必要であり,その意味で〈都市という描写対象に立ち・

向う作家はmyth−markerミュトス創造者}こなる〉(1)と述べている。

バノレザックにとって,この時期手がけた一連の風俗批評は,観察からミュ トスの創造に向う過程として重要な意味をもつといえるだろう。

 なかでもく優雅な生活論〉とく歩きかたの理論〉の二篇は,分量もあ.

り,パリという近代の都市のくディテーノレ〉を豊富に集めているばかりで なく,上に言うミュトスにつながっていく統一的な社会認識を宿している 点で注目に値する。しだいに産業社会の相貌を呈してゆくこの都市は病ん でいる,その病理を分析しなければならない一こうした姿勢が二篇を支 えているのである。そのことはバルザックがこの二篇をく社会生活の病理 学〉と題して集成しようとしたことにも明らかであろう。(2)たしかにそ こ}こはく社会生活の病理学〉という野心的な表題にふさわしい深い社会認.

識がうかがわれる。目覚ましい展開を遂げてゆく19世紀近代フランスをバ

!レザックはどのように見ていたのか。そしてその認識はいかなる世界像に 結びついてゆくのだろうか。以下,二篇についてみてゆきたい。

一26一

(3)

『優雅な生活論』と『歩きかたの理論』について

〈優雅な生活論〉

 1830年10月から5回}こわたってくラ・モード〉誌に連載されたく優雅な 生活論〉は,はじめに触れたように大衆むけの風俗批評であり,なにより

も作品形式がそれを語っている。公理やアフォリスムを多用しながら学術 論文のパロディの形で批評を展開してゆくのは,当時の通俗文学の常套的 手法であった。しかし注目すべきことはこの作品が七月革命のわずか三カ

月後に書かれていることである。あるいは気楽な読物に終ったかもしれぬ

・〈優雅な生活論〉は,そのことによって見逃せない作品となった。ことに 前半部には,明らかに七月革命に触発されたと思われる社会分析が展開さ

,れている。(3)しかもバノレザックはたんに七月革命後の時評というにとど まらず,遠く大革命に遡って近代フランスの歩みをふりかえる。そこに,

.バノレザックの独自な近代認識がうかがわれるのである。

 このときどうしても触れておかねばならないのがサン=シモン主義であ

.る。生産者と非生産者の基本的概念をはじめとして,「科学」と「知性」

の顕場,「人間による人間の搾取」,「人間の完成可能性の法則」,そして 進歩の歴史,〈優雅な生活論〉は随所でサン=シモン主義の用語を用いて いる。この時期,アンファンタンとバザーノレを首領とするサン=シモン主 義者たちはすでに「教会」を設立して機関紙く地球〉を創刊し,1830年8 月にはく教義》を公刊していた。彼らの広報活動は広汎にわたり,1830年

.3月ジラノレダンが創刊したく政治新聞便覧〉も,編集者の一人H.オージ ェを中心にサン=シモン主義の機関紙の様相を呈している。(4)オージェは 伺時にくラ・モード〉の編集にも当っており,彼を通してこの時期のバノレ ザックがサン=シeン主義に触れたことは十分考えられることであろう。

一くバルザックの政治社会思想〉でこの点を考察したギィヨンは,サン=シ モンの「組織」の思想や,現代を「危機の時代」と見る歴史哲学がバルザ        ー27一

(4)

ックの共鳴をよんだに相違ないと結んでいる。(5)

 サン=シモンの思想が究極のところバルザックの思想形成にいかなる影 響を与えたかは措くとして,ここで重要なのはく優雅な生活論〉に独自な サン=シモン主義用語の用い方である。パノレザックはたしかにサン=シモ ン主義の用語を用いて語っているが,そこには本来サン=シモン主義が言 おうとするものと対照的なずれが見うけられ,そのずれにパノレザックの時

      コ      

代認識がうかがわれるのである。サン=シモン主義者たちの攻撃の的は,

労働にもとずかない貴族的土地所有であり,「出世の権利による財産」で あった。彼らにとっては「能力の権利による財産」こそこれにとって代る べき新しい時代の武器であった。サン=シモン主義は「能力」と「労働」

を掲げて貴族的有閑階級を打ち倒し,「人間による人間の搾取」を終らせ ようとしたのである。大革命は彼らにとって「進歩」の歴史の一道程であ った。ところが,1830年の現在,バノレザックが語るのは優雅な生活なので

      

ある。現代のフランスに,依然として閑暇を楽しむ有閑階級が存在するの だ。バノレザックは言う,〈1789年の革命は一見社会体制を改革したかにみ えるけれども,財産の不平等は必ずや弊害を生み出さずにはいないのであ って,いままた新しい形態のもとに特権が復活している〉と。(6)「閑暇」

に代って「労働」が価値となったはずの現代に,依然として有閑階級がい る一優雅な生活論は,その表題からしてすでにアイロニーなのである。

   ●   ■   ●   ●   ●   ●

 しかもそのアイPニーの辛辣さは,サン=シモン主義が解放の武器とし て謳った「能力」と「産業」が他ならぬその特権階級を形成しているのだ

というところにある。貴族階級の消滅を謳った彼らは,実は自ら新しい貴 族階級に成りかわったにすぎない。〈今日の社会には,失墜した笑うべき 封建制にとって代って,金銭,権力,才能という三大貴族階級が存在する のではなかろうか。この貴族階級は,いかに合法的とはいえ大衆の上に重 圧を課していることには変りない〉。m四十年来の社会革命は,解放を もたらしたのではなく,新しい支配階級をつくりだしたにすぎなかった。

       ●   ・   ●

      −28一

(5)

       『優雅な生活論』と『歩きかたの理論』について

大革命の掲げた平等の約束は裏切りに終ったのだ。この幻滅感が,一見 ユーモラスなく優雅な生活論〉の基調に流れている。パノレザックは言う,

〈十八世紀の大いなる闘争は,既成秩序と第三身分の一騎打ちに他ならな かった。民衆は狡猪な人々の手足となって使われたにすぎない〉と。(8)

 むろんそこには,今終った七月革命に対するいまだ記憶に生々しい幻滅 感が働いているのは言うまでもないであろう。七月革命もまたこうした事 態の根底を何ら変えはしなかったのだ。だからバルザックは上の文を次の ように続けるのである。〈かくして1830年10月の現在,依然として二種類 の人々がいる。すなわち金持と貧乏人,馬車に乗る人々と足で歩く人々,

閑暇を享受する権利を金で買った人々と,その権利を獲得しようと望む人 々。社会はこの二項によって表現される。項の中味は変っても,項そのも のに変りはない〉。(9)かつての貴族階級に代って,いまや「産業」と「金 銭」の王侯が新しい支配階級の座についた。七月革命後,プノレジョアジー がいよいよ「産業」を調歌していこうとするとき,デノレザックはいち早く その支配性を見てとったのである。

 封建体制を打ち倒して近代社会をきり拓いた解放の武器が,いまや新し        ■   ●

い支配の武器になっている一これがく優雅な生活〉に一貫するレトリッ クである。サン=シモン主義の「武器」をいわば逆手にとった作品のこの アイロニーを,パルベリスは見事に指摘している。<<優雅な生活論〉で バルザックはくり返しサン=シモン学派の用語を使う。しかしそれは,サ ン=シモン的な社会発展の見方をつかうことで,新しい搾取の形態にもと つく近代的な「優雅な生活」なるものがどれほどうまく説明できるか,そ れを示して見せるためである〉。(10)

 たとえば作品のテr−・7の一つである「知性」は,こうしたアイロニ・・一の 最たるものであろう。バノレザックは言う,〈いまや思考で武装した人間が       一29一

(6)

鉄カブbで武装した騎士にとって代った〉〈知性こそ文明の枢軸となっ た〉(11)と。「知性」は,いうまでもなく封建時代の蒙を啓いた近代の武 器である。サン=シモンは十八世紀啓蒙思想を継承して科学と知識を顕揚

した。けれどもバルザックの言うく思考で武装した人間〉は,もはや人類 の解放のためではなく,逆に同胞を支配するためにおのれの頭を使う。

<ひとまわり大きくなったこのカーストを形成する思考と権力と産業の王 侯は,やはり往時の貴族と同じように,自分の権勢のほどをひけらかした いという止みがたい欲求を覚えずにはいない。というわけで今日もまた社 会に生きる人々は,何とか優越性を表すしるしはないものかと頭を悩ませ ることだろう〉。(12)かって近代をきり拓いた偉大なる「知性」は,いま やく自分の優越性を表す〉ための武器となり,つまりは新しい支配階級の 優雅な生活の武器となった。まさにそれはバノレベリスが言うように,サン

●   ●   …

=シモンが認った大いなる武器のパPディというべきであろう。(13)

 作品のもう一つのテーマである「優雅」も,同様の意味での新しい時代       エレガンス

の武器である。バノレザックはそれをユーZラスに語る。〈「他人の上に立 って他人を保護し統治する人間は,話すにも食べるにも歩くにも,飲むに も,眠るにも,咳をするにも,服を着るにも,遊ぶにも,他人に支配され 保護され統治される人間とはちがっている」。かくして『優雅な生活』が 出現したのだ/……〉。(14)近代文明が生みだすさまざまな「財」,そして それを使いこなす暮しぶりは,「人」を表す。<われわれは,自分の身の まわりを囲む持ちものすべてに自分の生活習慣や思想を刻みつけているの ではないだろうか〉(15)〈ステッキの持ち方ひとつにその人の精神が現れ るのだ〉。(16)この意味でく優雅な生活論〉とは「もの」の考現学であり,

 「服装」の観相学だといえるであろう。しかし,重要なのはそれらの事物 が,人を表す以上に人と人との差異を表すということである。かつての貴       ●   ●

族階級は,その衣冠束帯を権力の表徴としていた。そうした旧来の身分差 が消失したいま,人々は文明の「財」によってく自分の権勢のほど〉を表        一30一

(7)

       『優雅な生活論』と『歩きかたの理論』について

す。近代社会の「もの」はもの以上の存在であり,人々の社会的威信の表       プレスァィージユ 徴に他ならない。この認識がく優雅な生活論〉の全篇を支えているといっ てもよいだろう。バノレザックはそれを〈事物の形而上学〉(17)と呼ぶ。

 しかしながら,そうして「財」が力の表徴となり,「剣」に代って「知 性」が支配の武器となったということは,その権力を手にする可能性が 万人のものとなったということもある。バルザックは言う,新しい社会は

〈社会に生きる一人ひとりの胸に「立身出世」の情熱をよびさます〉(18)

と。平等の約束は,逆説的に,すべての人々の内に「支配」への意志を呼 び覚ます。民主々義のアイロニーと,それをよぶこともできるであろう。

パノレザックはここで近代社会の病にふれるのである。封建制の軋から解き 放たれた人々は,いまやその持てる力を挙げてアナーキな私的競争に向か う。〈そこら中に宝棒はないかと探しまわり,またその宝棒を登りながら 自分はまだまだ下の方だ,まだ半分のところまでしか来ていないなどと思 わせる一種熱病にも似たこの情熱は,人々の自尊心を法外にふくらませ,

虚栄心を解き放った〉(19)。

 旧時代の身分差が消失した差異なき社会にあって,新たに差異を求め,

差別を求める欲望。優雅な品々,文明の財は,人々のこの欲望に応える差 異の表徴だといってよいであろう。平等を掲げた近代社会は「悪」(権力)

を廃絶したのではなく,むしろ万人の内に「悪」をめざめさせたのだ。だ からバルザックは書く,〈鉄甲で武装したかつての騎士にいまや思考で武 装した入間がとって代った。悪は世にひろく行きわたることによってその 力を失った〉(20)と。そうして,貴族階級の決定的失墜を告げた7月革命 は,この悪がますます蔓延してゆく 時代の到来であっただろう。<かくし て立憲王政へ立ち帰ったフランスは,欺満的な政治的平等を崇め奉りなが ら実は悪を一般化したにすぎない〉(21)。差異を求め,権力を求めてやま       一31一

(8)

ぬ熾烈な欲望。近代社会が呼び覚ますこの「立身出世」の情熱は,まさに それが差異への欲求であるがゆえに,決して満たされることがない。バル ザックは,近代人の胸に宿るこの抽象的な欲望を,倦くことなくく人間喜 劇〉のなかに描き続けた。それこそパノレザックが新しい時代に見てとった 悪であり,「病」であったといえるだろう。ここに見えている世界は,

〈金色の眼の娘〉のあの世界像からもうそれほど遠くはない。いまパノレザ ックがジャーナリストとして見ている熾烈な欲望の世界を「詩人」として 語るとき,そこにあの〈パリ地獄〉の世界像が現れるのではないだろう

か。

 しかしながらく優雅な生活論〉のパノレザックは,そうした近代社会の悪 と病にのみ眼を向けているわけではむろんない。〈優雅な生活論〉の見せ るもうひとつの顔にも十分注目しておかねぽならないだろう。それは,近 代文明の生みだすさまざまな風物への食欲な好奇心であり,そこに溢れる 豊かな富への瞠目である。バルザックは「才能」と「産業」の支配性に覚 めた眼をむけながら,しかし一方でその動的な生産力に共感を寄せている のである。そこには,いま展開を遂げていこうとする産業社会への熱狂さ えうかがわれる。この意味でく優雅な生活論〉はモデルニスト・パノレザッ クの面目躍如たる作品といってもよいであろう。バルザックは書く,〈優 雅な生活はありとあらゆる蟄沢を表現するのであるから,一国の成しとげ た進歩を表すのではないだろうか〉(22)と。近代が解き放った創造的な

「力」と,その「力」がひき起こす「疎外」と,つまりはこの二つを同時 に見ているところにこそ,この地点のバルザックの近代認識があるという べきであろう。そうして,いまここに見えている時代の「悪」と「力」は 後にも触れるように,そのままく人間喜劇〉の作品世界の光と闇に通じて いく。〈優雅な生活論〉は,瀞たる小品にすぎないけれども,こうして く人間喜劇〉の深部につながってゆくパノレザックの深い時代認識を見せて

くれるのである。

      −32一

(9)

『優雅な生活論』と『歩きかたの理論』について

〈歩きかたの理論〉

 〈優雅な生活論〉がみた近代社会の二重性は,三年後,1833年に書かれた く歩きかたの理論〉においてさら}こ堀り下げられてゆく。この三年の間に ノレイ=フィリップ体制は,波乱をふくみながらも確立の方向へむかってい た。時の銀行家ガジミール・ペリエを首領に戴く保守派が政権を握り,自 由主義的な改革をめざす動きは抑圧されてゆく。要するに「金銭」と「産 業」の王侯たちがいよいよ権力の座にいすわり,フランスは本格的な産業 社会の展開に向ってゆくのである。都市はますます多数の労働者を集め,

はやくも1831年}こはリョンの絹織物工場で暴動をみている。ところでこの 産業社会は,あらゆる意味で「動」の世界をきりひらいたということがで きるだろう。動かぬ「土地」に代って「貨幣」が価値となり,「閑暇」に 代って「勤労」が価値となる。やがて開設される鉄道は,かつてない交通 の世界を出現させてゆく。こうした社会の転換は,人々の生活に著しい影 響を及ぼさずにはいない。ソくルザックは,街行く人々の歩きかたひとつ,

運動ひとつにこうした変化を見てとるのである。〈優雅な生活論〉が人々 の「服装」を通して近代社会を洞察したように,同じような戯文のスタイ ノレで書かれたこのく歩きかたの理論〉も,いわば身体の表徴を通してみた 都市の病理学だといえるだろう。

 せわしなく都市に行きかう人々の歩きかたは,病み,歪んでいる。パノレ ザックは言う,〈文明は一切を堕落させ,一切を歪める,運動さえも/

〉。(23)社会の動きは,人々の動きを一定の型にはめ,偏奇した運動を強い るのである。進歩をめざす近代社会は,本質的に「限度のなさ」によって 特徴づけられる社会である。自然に制約され,季節の周期を世界の中心に すえる農耕社会が円環的世界像を創りあげるのに対し,自然の征服に乗り 出した産業社会は,どこまでも伸びてゆく直線的な世界像を創りあげる。

      −33一

(10)

前へ,前へと,絶えず自己を乗り超えて進む加速化された運動,それが産 業社会のリズムである。忙しくプルヴァーノレを行き過ぎる人々は,社会の このリズムを強要され,そのスピードに追われて生きている。「もの」の 運動が人間から自立化して人間に他律的な運動を強いる,それが,あらゆ

る近代都市の病理であろう。バルザックの眼はいち早くその予兆をとらえ ているのだ。

 ζの近代の都市のなかで人々は錯綜する「もの」の関係の間に引き裂か れ,自己の統一を失ってゆく。文明人のこの貧しさを,バルザックは野蛮 人と比較しながら語っている。野蛮人が自分の行動を唯一の目的に集中さ せるのに対し,〈社会に生きる人間は,円の中心から円周上のあらゆる点 にむかって絶えず行ったり来たりしなければならない。心は千々の情念に 乱れ,頭のなかは色々な考えで一杯だ。基地と作戦行動がこれほど不釣合 ときては,いつ何時弱みを突かれるかわからない〉(24) 〈精神は,遠心 力で得るものを求心力で失う〉(25)。かつてない動の世界をきり拓いた近 代社会は,進歩を謳歌しながら,実は幾重にも人間の精神を貧しくし,そ の肉体を荒廃させていく。

 けれども,それ以上に人々を消耗させるのは,自分のなかの欲望であろ う。あの「立身出世」の情熱は,差異への欲求であるがゆえに決して限度 を知らない。どこまでも肥大化してゆくその欲望は,人々を駆りたてて,

いやがうえにも過度に導く。過度こそパノレザックが近代社会に見てとった       

病であった。〈身体であれ精神であれ,過度こそ社会の永遠の傷であり,

それが肉体に独得のひずみをひきおこす〉(26)。めざましい人間的エネル ギーを解き放った近代社会は,同時にまた人間の破壊と濫用の場でもある のだ。バルザックは格言に言う,<すべて過度な運動はこのうえない浪

         アフオリスム

費である〉(29)と。〈歩きかたの理論〉の主旋律といってもよいこのイデ ーが,あのく金色の眼の娘〉の世界像を支えるイデーであることは言うま でもないであろう。その第一章くパリの相貌〉はく歩きかたの理論〉とほ       一34一

(11)

       『優雅な生活論』と『歩きかたの理論』について

ぼ同時期に書かれ,初版にはいま挙げた格言がエピグラフに掲げられて       アフオリスム

いた。バルザックの描く19世紀のパリは,巨大な欲望と破壊の都である。

〈歩きかたの理論〉もまたく優雅な生活論〉と並んでパルザゥクの都市像       ヴィジョン の形成に大きく与った作品といえよう。

 しかしここで重要なのは,〈歩きかたの理論〉が,以上に見るように,

進歩を言厘歌しようという時代にあってむしろその時代の病を語っていると いうことである。そこにあるのは,つまりは「進歩」への異議申し立てで あり,その進歩を支える「科学」への疑問であろう。この姿勢がく歩きか たの理論〉を一貫して支えている。パノレザックは冒頭から問うてやまな い。19世紀の科学は果して人間に幸福をもたらしただろうかと。〈あわれ 十九世紀の人間よ,キュヴィエは汝を種の最後の存在と言い,ノディエは 汝を進歩的と称するけれども,そんなことを信じられる時代が来たからと いって結局汝がどんな喜びを得たというのか?〉(28)パルベリスの言葉を 借りれば,〈十九世紀の人間とその問題点を考えるのにもはや科学では足 りない〉(29)のである。だからこそパノレザックは,今こそ歩きかたの理論

      ■   ●   ●   ●   ■   ■   ●

が必要なのだと説くのではないだろうか。むろん「歩きかたの理論」とい うのは学術論文のパロディであって,その「理論」の意義を喧伝するくだ りも譜謹の効果を狙ってのものであることは言うまでもないが,しかしそ こには病理学者パノレザックの真撃な姿勢が重ねあわされている。バルザッ クは冒頭から問うてやまない。科学知識の偉大な進歩を誇るこの時代に,

なぜ〈人間の運動の法則を考えようとする者が一人もいない〉㈹のか と。つまり科学は,人間の肉体の歪みや痛み,時代が招来した新しい「病」

を理解することができないのだ。というよりむしろその「病」は,科学そ のもの,進歩そのものから生れたひずみなのではないだろうか。

       ■   ●   ●

 ここで,同じくだりに現れる短い一節が重要な意味をもつ。パルザック        ー35一

(12)

は自分の「理論」の位置を次のように語る。

 〈狂人とは穴〔深淵〕を見つけてそこに落ちてしまう人間である。落ち た物音を聞きつけると,学者が物差しを取り出してきて,穴の深さを測

り,梯子をかけて降りてゆくと,また地上にとって返す。やおら手の泥を 払うまえに,全世界に向って言う,「この穴は深さ1802ピエあります。底 の温度は地表より2度高い」。

 そして学者は家庭に戻って暮らす。狂人は相変らず独房の中。両者とも どもやがては死んでゆく。狂人と学者とどちらが真理に近いか,そは神 のみぞ知る。エンペドクレスはこ者をかねそなえた最初の学者であった〉

.〈31)<学者のモノサシと狂人の目眩と,私はつねにこのごつの間に立ちた いと思う。このことを読者に堂々と告げておかねばならない。なにしろこ の二つの漸近線の間に踏みとどまるのはすこぶる勇気の要ることなのだか ら。恐れることなく狂気の側に立ち,臆することなく科学の側に立つ者に してはじめてこの「理論」を書くことができたのである〉。(23)

 狂人は「穴」に落ちて叫び声をあげる。学者はその声に耳を貸さずに,

 フー       サヴアン

ただ穴の大きさを正確に測る。ここに言う「穴」 (深淵)とは,社会の見 えない陥穽の見事なメタフォールであろう。近代が約束した夢を信じて生 きようとする者にとって,現実はつねに罠であり落し穴に他ならない。

〈この地上の舗道の下にはいたるところ深淵が隠されていて,狂人がそこ に足を踏みはずす〉㈹。〈優雅な生活論〉のバルザックは,苦いアイロ ニ・・一をこめて,新しい時代の武器は「知性」だと語っていた。差別の現実 に眼を開き,あの熾烈な競争に適応するすべを知った者だけが成功する社 会のなかで,おのれ一個の情念に盲いる者は敗者となる。そうして犬のよ うに死んでいったゴリオ,愛に賭けて破れたく私生活情景〉の娘たち……。

バルザックが描いた数々の「狂人」たちの名をここに挙げるまでもないで あろう。彼らは新しい社会に適応するすべを知らぬ逸脱者であり不適応者

      

なのであって,いわば「進歩」に取り残された存在,社会によって創られ       一36一

(13)

       『優雅な生活論』と『歩きかたの理論』について

た「不能者」といってもよいだろう。彼らの持てるエネルギe−・は,閉ざさ れた「穴」の中でむなしく腐蝕してゆく他はない。彼らの情熱は狂気とし       ●   ●

て疎外されてゆくのである。〈歩きかたの理論〉と同時期に書かれた《ル イ・ランベーノレの知性史〉は(34),まさにその狂気の悲劇を描いたのでは なかっただろうか。そのくランベール〉の一節がく歩きかたの理論〉のエ ピグラフを飾っているという事実は,一見対照的な二作品の主題の親近性 を証している。バルザックは,新しい時代があらたに生みだす悲劇を見て vkるのであり,その悲劇を知らぬ「科学」を批判するのである。

 けれども一方でまたバルザックはく科学の側〉に立って狂人を批判す る。狂人には,おのれ一個の関心を超えた客観的認識が欠けているのだ。

バルザックは言う,〈ジャン=ジャック・ルソe−一であると同時に経度数理 学会であらねばならぬ〉㈹と。苦悩と疎外はどこからやって来たのか,

それを客観的に認識しなけれぱならない。バノレザックが情念の小説を書き 続ける一方でく分析研究〉を志向し,〈理論もの〉を手がけた意義はここ にあると言ってもよいであろう。先にも述べたようにバルザックはく歩き かたの理論〉とく優雅な生活論〉をく社会生活の病理学〉なる大著に集成 しようという意図を抱いていた。まさにそれは〈学者のモノサシ〉を武器 にして時代の病を理論的に認識しようとする試みではないだろうか。真の 学者にとって,病の徴候はいたるところ,街行く人々の歩きかた,表情ひ とつ一つのなかにある。〈われわれの運動のひとつ,行為のひとつとして 深淵でないものはない〉(36)。プノレヴァーノレを散策するジャーナリストは 同時に都市の哲学者なのであり,〈歩きかたの理論〉はまさにその哲学者 の作品であるといえよう。

 以上のように,〈歩きかたの理論〉のこの短い一節は,バルザックの  「理論」について多くを教えてくれるのである。のみならずそれは「個」

と「全体」,「知」と「情念」など,パノレザックの文学世界そのものを理解 する鍵ともされている一節であり,ニクログ,パルベリスが詳しく論じ        一37一

(14)

ているが,ここではバノレザックの理論の視座を見ておくだけにとどめた い。(37)進歩を話歌する時代に,むしろその進歩の生むひずみに眼を向け       ■   ロ   ■

時代の病理を探ろうとすること,そこにく歩きかたの理論〉の基本的な姿 勢がある。

 とはいえバルザックの「病理学」は両義的であり,その両義性はむしろ ここく歩きかたの理論〉でいっそう深められていると言ってよい。「動」

の世界をきりひらいた産業社会のく過度な運動〉に人間の破壊を見なが ら,しかしバルザックは一方で反間するのである。〈精神的であれ物質的 であれ,およそ過度な運動なくして勝ちえられた偉大な人間的事業があっ たためしがあるだろうか〉(38)と。近代社会の運動は,たしかに疎外をひ きおこすけれども,やはりそれは人類の創造的な生産力にちがいない。あ の熾烈な競争は,人々を互に分裂させながら,しかしまぎれもなく豊かな 富を創造するのである。「運動」は破壊を招来するとはいえ,その運動な

くして富も創造も存在しない。パノレザックはこの矛盾を見つめて結ぶ。

〈ありとあらゆる人間的事象を深く探ってみれば,そこには必ず相反する 二つの力の恐るべき二律背反がひそんでいる〉(39)。

 社会の「運動」の創造性と破壊性。この二律背反の認識にこそバルザッ クの近代認識の深さがあるというべきであろう。その二律背反は,まさし く自然の征服に乗りだした,近代社会そのものの矛盾に他ならないのだか ら。バルペリスはそのことを次のように語っている。<(……)過熱か停 滞か,消耗か無力か,まさにそれは,現実の根源的なジレンマ,自由主義 的で資本主義的な社会のジレンマではないだろうか。 「動」なくして人        フオンクシヨヌマン

生はなく,また発展もありえない。この点でバルザックは一貫して若き日 の「産業的」方向に,「土地所有」の不動性を叫弾するサンニシモン的方 向に忠実である。しかしながら一方でまた「動」は,人間の消費と破壊に       一38一

(15)

       『優雅な生活論』と『歩きかたの理論』について

もつながりかねないのだ〉(40)。ここにバルザックが見ているジレンマが あの「あら皮」のジレンマであることは言うまでもないであろう。動か不 動か,破壊につながる富か,貧しさにつながる自然か,バルザックの世界 はつねにこのごつのものの動的な対立に満ちている。こうしてく歩きかた の理論〉は,〈優雅な生活論〉の時代認識をいっそう深めつつ,近代社会 の展開そのものがはらむ二律背反を見つめて結ばれる。

おわりに

 以上にみたように,〈優雅な生活論〉とく歩きかたの理論〉の二篇は,

その時事性や文明の風物へのジャーナリスティックな感興もさることなが ら,〈ノレイ・ランベール〉,〈あら皮〉,〈金色の眼の娘〉など重要な作 品につながり,そしてく人間喜劇〉の作品世界全体のミュトスにつながる 時代認識を示している点で意義をもつ。近代社会の豊かさと貧しさ,その 動的な二重性から,〈人間喜劇〉のあの光と闇の世界が,悲惨でありつつ 同時に力に溢れ,富と毒をともにはらんだあの混沌の世界が織りなされて ゆくのである。

 そうして,同じことはその世界に生きる人物についても言える。たとえ ば,〈優雅な生活論〉からただちに想起されるヒーローといえば言うまで もなくダンディであろう。冷たい仮面の下に激しい「立身出世」の情熱を 秘めたバルザックのダンディたちは,新しい「動」の社会がはじめて生み だした青年達である。彼らの「才能」と「知性」はまさしく支配の武器で あって,その限りで彼らは近代の「悪」を体現する存在にちがいない。け れども彼らのその武器は,まぎれもなく近代の解き放った創造的な「力」

であり,新しい人間的エネノレギー}こちがいないのである。彼らはその「悪」

と「力」によって,自らが生きる世界そのものの象徴的存在となるといっ 一39一

(16)

てもよいであろう。パノレザックの世界はつねにそうして光と闇のダイナミ ックな緊張に支えられている。近代がきりひらいた「動」の世界の創造性 と破壊性。この深い矛盾を描き続けることによって,バルザックのく人間 喜劇〉は,まさしくバノレベリスの言うく運動の叙事詩,現実の諸矛盾から 生れた運動の叙事詩〉(41)になるのではないだろうか。 (1981年9月)

      註

(1)岩波講座『文学』5,1976,p.8。

(2)バルザックはこの2篇に1839年のく近代興奮剤考〉を加え,さらに幾篇かを  加えて,〈社会生活の病理学〉と一括し,〈分析研究〉におさめる構想を抱い  ていた。その抱負はく近代興奮剤考〉のく巻頭註〉に詳しい。

 (Ettvres comカtetes de Balzac,6d. Conard,(Euvres diveres, t. III,

 P.769.

(3)パルベリスはく優雅な生活論》の執筆を7月革命以前どし,この部分を革命  後の加筆と推定している。Balzac et le mal du si∂cle, t. II, Gallimard,

 1970.p.1322, note 3,なお本稿はこの著に多くを負うている。

(4) B・Guyon;La pens♂e Pδlitique et sociale de Balzac, A. Colin,

 1969, pp.315〜329.

(5) 同  上

く6) La Com彦die Humaine, t.19, Les Bibliophiles de 1 Origina】e,

 1968,p.176. なお,作品の引用はすべてこの版による。以下ページ数のみ  記す。

〈7). 同  上

⑧  同  上

{9) 同  上

aO) Balzac et le mal du siecle, op. cit., pp.1327〜1328.

tu  P.177.

⑫、 同  上

⑬  、Balzac et le mat du siecte, op. cit., p.1329.

⑭⑮oo p.173.

p.178.

p.180.

一40,一

(17)

佃⑱個⑳倒幽倒⑳⑳岡胡⑳倒劒倒㈱⑬⑭ 同  上

p.172.

同  上 p.177.

p.176.

P.179.

p.245.

p.232.

同  上 p.247.

p.242.

P.212.

『優雅な生活論』と『歩きかたの理論』について

Balzac et le mal du si∂cle, op. cit., p. 1917.

p.211.

P.216.

同  上 同  上

  バルザックは1832年9月に刊行した初版に筆を入れてくルイ・ランペールの  知性史〉と改題した。この加筆訂正の時期がく歩きかたの理論〉執筆期に近  い。

㈲  同上。p.227.

・㈱  同上。p.216.

・働 cf. P. Nykrog;La Pensee de Balzαc dans La Com4die Humaine,

 Munksgaard. Copenhague,1965, pp.24〜29, P. Barb6ris;Balzac  et le mal du si≧cle, op. cit., pp. 1917〜1918.

・倒   p.250.

・倒  同  上

色O Balzac et le mal du s 診c1θ, op. cit. P. 1921.

砲D P.Barberis;Le Monde de Balzac, Arthaud,1973, p.356.

一41一

参照

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