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日本書紀の猨田彦神の記述に関する一考察

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長崎大学教育学部人文科学研究報告 第四八号 一〜一五︵一九九四︶

日本書紀の猨田彦神の記述に関する一考察

       勝

On the Discription of SAARUTAHIKONOKAMI 

         in NIHONNSYOKI

Takashi KATSUMATA

 日本書紀神代下第九段の一書第一には︑援田彦神について︑次       ユ のような記述が見られる︒

   已にして降りまさむとする間に︑先駆の者還りて白さく︑

  ﹁一の神有りて︑天八達之衙に居り︒其の鼻の長さ七戸︑背

  の長さ七尺余り︒当に七尋と言ふべし︵当言七尋︶︒且口尻

  明り造れり︒眼は八歯鏡の如くして︑茄書癖酸醤に似れり﹂

  とまうす︒

 この記述については︑その具体的な描写から︑毒言︵あめふり︶

という星座の形と色を︑援田彦神の容貌に見なしたものであろう         ことを先に指摘した︒その時は︑紙幅の関係もあって詳しく触れ

られなかったが︑この記述には︑問題点がある︒それは︑﹁当に

野駈と言ふべし︒︵当言七尋︶﹂という一文を如何に取り扱うかと

いう問題である︒

 この点については︑未だ十分納得が行く説明がなされていない ので︑本稿では︑この問題を中心に︑種々検討してみたいと思う︒ 援田彦神の記述について︑

騨︑﹁当に七尋と言ふべし︒﹂に関する従来の取扱い

 この﹁当に七難と言ふべし︒﹂に関して︑従来行われてきた取

扱いは大きく三つに分かれる︒

 ①そのまま素直に受け入れてきたもの︒

   井上光貞監訳﹃日本書紀﹄・宇治谷孟﹃講談社学術文庫・

  日本書紀﹄・﹃大系日本書紀﹄・﹃全書日本書紀﹄等︒

 ②後人の付加と見なして︑削除するもの︒

   河村秀根・益根﹃書紀集解﹄・飯田武郷﹃日本書紀通釈﹄等︒

 ③数値に疑問を呈して︑尺度を変えたもの︒

   谷川士清﹃日本書紀愚婦﹄所収の説等︒

(2)

勝 俣

 先ず︑①は︑その取り扱い方に︑問題が残ろう︒確かに日本書

紀の本文をそのまま尊重することは︑一つの立場として︑理解で

きなくはない︒しかし︑当該の本文の場合は︑文脈上︑論理的に

不明確な処置を施したことになる︒何故なら︑﹁当に七尋と言ふ

べし︒﹂という一文は︑﹁当に⁝⁝⁝べし﹂という漢文訓読の用法

から判断して︑直前の﹁背の長さ七尺余り﹂という一文を受けて︑

それを言い換えたものと判断されるからである︒現に︑井上光貞

氏監訳﹃日本書紀﹄では︑川副武胤氏と佐藤有清氏が︑次のよう

に︑現代語訳されている︒         あめのやちまた   ひとりの神が天八達之衙にいます︒その神は︑鼻の長さが   あた  七節︑背の長さが七尺余り︑ちょうど七型といった方がよろ

  しゅうございましょう︒

 また︑宇治谷孟氏も︑次の如く︑現代語訳されている︒      やちまた   一人の神が天の八街︵道の分かれるところ︶に居り︑その

      ななつか      ひろ  鼻の長さ七月︑背の高さ七尺あまり︑正に七尋というべきで

  しょう︒

 この二つの現代語訳は︑﹁背の長さ︵高さ︶七尺余り﹂という

ことと︑﹁ちょうど︵正に︶七尋﹂ということが︑等価であるこ

と︑前者の言い換えが後者であることを示していよう︒つまり︑

﹁七尺余り﹂という長さと︑﹁鉱車﹂という長さは︑等しいという

論理になろう︒これは︑正しいであろうか︒

 説文解題には︑﹁尺﹂と﹁尋﹂について︑次のようにある︒

  尺 十寸也

  尋 癖人薄々胃為尋︑八尺也

 これに拠れば︑﹁尺﹂と﹁尋﹂は︑明らかに異なる長さであり︑

﹁尋﹂は︑﹁尺﹂の八倍もあることになる︒これでは︑両者が等価

ということはあり得ない︒﹁背の長さが七尺余り︑ちょうど七尋

といった方がよろしゅうございましょう︒﹂とか﹁背の高さ七尺

あまり︑正に七尋というべきでしょう︒﹂とかいう本文は︑論理

的には成り立ちえない表現なのである︒尤も︑これは︑現代語訳

が悪いのではなく︑現代語訳の基になった日本書紀の原文自体に

問題があることになろう︒

 そこで︑この日本書紀の本文の何処に問題があるかということ

が重要になるわけであるが︑②の考えは︑当該部分が︑後人の挿

入であるとして︑日本書紀の正しい本文としては認めない立場で

ある︒例えば︑河村男根・益根﹃書記集解﹄では︑次の如く記し

ている︒   ノ    ト      ニ         ト   鯨下原有下當レ言二七尋一        ノ  四字上蓋私−記擁入

 つまり︑当該部分を私記の付加と見なし︑日本書紀の本文とし

ては採らずに︑削除しているのである︒

 これは︑飯田武郷﹃日本書紀通釈﹄も同様で︑

   里言七尋︒此四字除くべし︒纂釜中元々集︒其他の本とも

  に︒細注とせり︒一書に細註しるへきよしなければ︒これは

  後人擁入の談なり︒集解本にも剛れり

としている︒確かに︑後人が賢しらによって付加したものと見な

せば︑それを削った方が意味がよく通るから︑この部分の矛盾を

解決する一つの有効な方法であることは︑確かであろう︒

 しかし乍ら︑何故こうした一文が現存しているのか︑そして︑

仮に︑﹃書記集解﹄や﹃日本書紀通釈﹄のように︑擾質したもの

(3)

と見なした場合も︑何故︑後人が︑そうした一文を擁入したのか

を見極める必要があろう︒

 そこで︑日本書紀の援田彦神の記述に現われる尺度について︑

改めて整理してみたい︒

二︑獲田彦神の記述に現われる尺度

 先ず︑援田彦神の特徴的な鼻の長さが﹁七腿﹂である点につい

て考察したい︒

 説文解字には︑

   腿 中婦人手長八寸謂油魚 周尺也

とある︒平均的な女性の手の長さを腿︵し︶と呼んだわけである︒

これは︑大広益牽引篇︵宋代︶でも︑

   腿 之首切中婦人手長八寸也

としているから︑中国では︑この考えが︑ずっと支配的であった

ことが知られる︒

 一方︑先にも引用したように︑説文解字では︑

   尺 十寸也

とあった︒これは︑現在の尺貫法でも同じであるが︑﹁寸﹂の十

倍を﹁尺﹂とするものである︒﹁腿﹂は︑先に﹁八寸﹂とあった

から︑﹁腿﹂は﹁尺﹂の○・八倍の長さであることになる︒よく

二つのものが極めて近くにあることを﹁腿尺の間﹂と言うが︑こ

れは︑﹁尺﹂と﹁腿﹂が︑一対○・八の比率であることを表わす

表現と言えるのである︒

 ところが︑古事記の天の石屋戸の段に︑次のような記述がある

     日本書紀の援田彦神の記述に関する一考察 ことが︑話を複雑にしている︒   上枝に八尺の勾聰の五百津の御要寒流の玉を取り挫け︑中  枝に八尺鏡 八尺を詰みてヤアタと云ふ︵取二身八腿鏡一︑  訓二八尺一云二八阿多一︒︶ 即ち︑記の割注では︑﹁尺﹂を﹁あた﹂と訓んでいるのである︒これについて︑倉野憲司氏は︑大系本﹃古事記・祝詞﹄の中で︑   書紀には﹁八腿鏡﹂とある︒尺は腿の誤写であろう︒とされ︑西郷信綱氏も︑﹃古事記注釈﹄で︑   尺は腿の誤り︑または省略であろう︒とされた︒ 古事記と日本書紀で対応する神名や器物などが存する場合︑大体において︑書紀の表記の方が字義に叶っていることが多いから︑この﹁八尺鏡﹂を﹁やあたかがみ﹂または﹁やたのかがみ﹂と訓むのは︑﹁尺﹂が﹁腿﹂の省画の文字であると見なすのが理解し易いであろう︒それに︑﹁八尺﹂もある鏡では︑いくら何でも大きすぎて非現実的である︒﹁八腿鏡﹂なら︑大きさとしては︑現実性をもつだろうから︑その点でも︑この場合の﹁八尺﹂は﹁八腿﹂の誤り︑または省画と見なすべきであろう︒しかし乍ら︑多くの注釈書が︑﹁八腿鏡﹂でも︑実際の大きさではなく︑単に大きいことを言うための比喩としているのは如何であろうか︒ 例えば︑大系本﹃日本書紀﹄の補注では︑   腿は︑︵中略︶周制の八寸︒今の十六センチ弱︒従って八  薬事を文字通り直径八二の鏡と解することはできない︒と説明する︒腿の長さについては︑諸説あるようであるが︑仮に︑右の説の﹁十六センチ弱﹂に従うと︑八枢では百二十八センチ弱

       三

(4)

勝 俣

となって︑確かに鏡の直径としては大き過ぎる︒しかし︑これを

直径とは考えずに︑鏡の円周の長さと見なせば︑円周率で割って︑

直径約四十センチの鏡となるから︑現実に十分あり得る大きさと

なる︒ 西宮一民氏の如く︑腿を約十三センチ︵﹃集成古事記﹄︶とすれ

ば︑八虐で九十六センチ︑それを円周率で割れば︑直径約三十セ

ンチとなってさらに現実的な数値の鏡となろう︒

 それ故︑八腿が鏡の実際の大きさを表している可能性も否定で

きないのではなかろうか︒それは︑腿の語源からも言いうること

である︒腿︵あた︶の語源については︑諸説あるが︑﹁当つ﹂の

名詞形であるとすれ説が有力である︒その場合︑鏡の周囲に手を

当てて行って︑所謂尺採り虫の如き方法で鏡の大きさを測ること

は︑十分ありうることだと思われる︒

 このように︑﹁尺﹂と﹁腿﹂の使い方が紛らわしい例もあるが︑

当該の援田彦神の記述においては︑これらの尺度は厳密に使い分

けられていると考えて良いであろう︒

 そして︑援田彦神の記述では︑尺度は実質的な長さを表してい

ると推測される︒というのは︑日本書紀における尺度の用例を調

べみると︑ほとんど例外なく実際の尺度を表わしていると帰納さ

れるからである︒

 例えば︑寸は︑十一例あるが︑石の大きさ︑矢の刺さった深さ︑

霰の直径︑氷の厚さ︑茸の高さ︑鱗の長さ︑亀の大きさ︑小人の

身長︑甘露の長さ︑鹿の毛の長さ等鷺山体的なものばかりである︒

尋も同じく︑船の大きさ︑海の深さ︑墓の大きさ︑布の大きさ︑

御殿の大きさ︑縄の長さ︑鰐の大きさであって︑十七例とも例外 はない︒ 腿も︑鏡︒鳥の頭の大きさであって︑十一例ともそれぞれ周径を表わす例と思われる︒ 尺は︑慶の長さ︑石の長さ・幅・厚さ・剣の長さ︑人の身長︑椎の実が二人の人に変化して︑飛び上がった高さ︑ユリの葉の茎の長さ︑布の長さ︑魚の死骸の重なった厚さ︑彗星の尾の長さ︑甘露の長さ︑芝草の長さの用例で︑二十七例とも︑具体的な長さを表している︒ ところで︑当該の援田彦神の鼻の長さは︑﹁其の鼻の長さ七腿﹂と記されており︑当然︑これも具体的な長さをあらわすものと理解すべきであろう︒この援田彦神の鼻の場合︑仮に︑一橋を十六センチ弱で計算すれぼ︑百十ニセンチにもなる長大な鼻である︒ これは︑一見したところ︑鼻の長さとして︑異常に長過ぎる印象を与え兼ねないが︑先に拙稿で論じた如く︑これは︑援田彦神の顔を形作る畢星のY字型の棒の部分の長さを天空上の距離に換      ︵2︶算してみると︑適切な長さであることが判明した︒つまり︑拙稿で復元した援田彦神の図︵図1︶に拠れば︑七曲ある鼻は︑天空上の実際の視覚上の長さを表わすのであって︑何ら不思議なことはないと考える︒この点については︑後で︑改めて外国の神話との関係で論じたい︒ 一方︑﹁背の長さ七尺余り﹂と記されている背の長さは︑尺が腿の一・二五倍であることからすれば︑約百五十センチ余りとなる︒百五十センチ余りあれば︑当時の人の身長としては︑普く平均的であろう︒ところが︑鼻の長さが約百十ニセンチに対して︑身長が約百五十センチ余りでは︑あまりに不釣り合いだというこ

(5)

とで︑辻褄を合わそうとして︑次の如き説が行われた︒それが③

の説である︒      ナンアタハ      ナェヒロバ   兼良日七腿猶レ言一七−瓜−寸許一七尋猶レ言二七−八尺許一       ニ      ノ      ノ       ノ  重遠日八−聖日レ腿七−腿五尺六寸也鼻長五尺六−寸巡回長

  七−尺−鯨長短不レ称故里−者改レ尺日レ常北当レ作二七−尋︸也

    ニ         ノ       ニ  八−尺日レ尋則背長五丈六−尺正為二相−称一也

     ノ       ノ  見番日当レ言二七尋一四−雪後−人所レ加 今按纂疏本元集等為ニ      ノ      ト ノ  細字一宜レ従蓋八−腿鏡亦為二八寸砂型不三必拘二字−義一而可也       ニ  導者当二二レ字訓一左−加一也訓為二比−呂一者誤揚子方言日自レ       ノ     ト  関以−西園物恥謂二岩髭一華−訓比−勘弁有二此−意一也

 例えば︑重遠の説に拠れば︑鼻の長さが七腿︑即ち一腿を八寸

と換算する計算で︑七掛ける八で五尺六寸あるとすると︑背の長

さが七尺余りでは︑鼻と背があまりに不釣り合いだから︑七尺の

﹁尺﹂を﹁尋﹂に直し︑七尋とし︑一位を八尺に換算する計算で︑

五丈六尺としたことになる︒確かに︑ぞうすれば︑身長が︑鼻の

長さの十倍になって︑常識的には︑釣り合いが取れた形になろう︒

 しかし︑この考えには︑大きな疑問をいだかざるを得ない︒そ

れは︑﹁当﹂の使い方についてである︒

 書紀の本文は︑﹁背の長さ七尺余り︒当に︑七海と言ふべし︒﹂

とあった︒もし︑重遠の言う通りであれば︑ここには︑﹁当に﹂

という言い方は︑決して出て来ないはずである︒何故なら︑先に

も見た如く︑﹁当に⁝⁝⁝べし﹂の意味は︑﹁ちょうど⁝⁝⁝と同

じである﹂ということで︑﹁七尺余り﹂と﹁七尋﹂とを同等のも

のとする表現法だからである︒︐つまり︑﹁七尺余り﹂の﹁七尺﹂

を﹁七尋﹂にかえても︑﹁七尺余り﹂は︑﹁七二余り﹂になるので あり︑﹁七尋﹂になるのではない︒﹁七尋余り﹂と﹁七尋﹂は︑明らかに異なる数値である︒だから︑﹁当に⁝⁝⁝べし﹂という表現を使うのは不可能なのである︒ そこで︑﹁尋﹂の長さについて︑確認してみたい︒ 説文読字には︑先にも引用したように︑   尋 二人之両胃為尋八尺也とあった︒即ち︑一尋が八尺に当たる︒故に︑﹁七尺余り﹂と言えば︑﹁八尺﹂に大変近いわけだから︑それはまさしく︑コ尋﹂に相当すると言ってもよいであろう︒そもそも︑﹁七尺余り﹂を言い換えて﹁七尋﹂にしたという考えの根本的に問題な点は︑﹁七尺余り﹂の﹁余り﹂を全く無視してしまっている点にある︒つまり︑﹁七尺余り﹂奎言い換えれば︑﹁八尺﹂即ちコ尋﹂にはなるが︑﹁七尋﹂には成りえないのである︒ 古代の人だから︑いい加減な尺度を使ったというようなことは︑正しい見方とは思われない︒

三︑﹁当に七尋と言ふべし﹂の解釈

 以上の考察から︑当該の﹁七並﹂は︑その尺度から言って︑コ

尋﹂の誤りではないかという見通しが出てくる︒﹁背の長さ七尺

余り﹂を言い換えて︑﹁当に一粟と言ふべし﹂とすることは︑極

めて自然である︒当該本文の直前に︑﹁その鼻の長さ七腿︑背の

長さ七尺余り﹂とあって︑﹁七﹂という数字が連続したので︑そ

の﹁七﹂に引きずられて︑=尋﹂を﹁七尋﹂と書き誤ったので

はなかろうか︒=﹂に一画加えるだけで︑﹁七﹂になってしまう

日本書紀の援田彦神の記述に関する一考察

(6)

勝俣

のだから︑その変化も複雑な手続きは要せず︑容易に起こり得る

ことである︒

 それにしても︑何故︑こうした注の如き記述が存在するのであ

ろうか︒本来︑﹁背の長さ七尺余り﹂とあることで︑用は足りる

のだから︑それを言い換えて︑﹁当に一種と言ふべし︵ちょうど

一尋に当たると言えよう︒︶﹂とする必要がどうしてあったのだろ

うか︒ 一つは︑﹃書紀集解﹄や﹃日本書紀通釈﹄の如く︑後人のさか

しらに拠る擁入という見方が可能であろう︒その人物は︑﹁八尺﹂

がコ尋﹂に相当することを知っていて︑﹁七尺余り﹂なら︑ほ

とんど八尺に近い︑つまり﹁一価﹂ではないかと思い︑街学的に︑

﹁当に一舟と言ふべし︒﹂という注を付けたのかも知れない︒

 ところで︑当該部分に相当するものが︑斎部広成の﹃古語拾遺﹄

︵大同二年︹八〇七︺︶にも見られる︒それは︑次の通りである︒

   一の神有りて天八達之衙に居り︒其の鼻の長七腿︑背の長

  七尺︑口尻明曜︒眼は八宿雪の如し︒

 これは︑明らかに日本書紀を基にした記述と推測されるが︑こ

こには︑現在問題としている﹁当に七尋と言ふべし﹂の部分がな

い︒斎部広成の﹃古語拾遺﹄には︑日本書紀を省略したと思われ

るところが多いから︑該当部分がないからと言って︑すぐに元々

の日本書紀にも︑この部分の記事がなかったと結論付けるには

少々問題が残る︒

 ﹃古語拾遺﹄では︑他にも︑日本書紀の援田彦神の記述のうち︑

﹁七尺余り﹂の﹁余り﹂を省き︑﹁眼は八腿鏡の如くして︑艶然赤

酸醤に似れり﹂の後半部分も︑略してしまったと思われる︒それ

故︑﹁七尺余り﹂の﹁余り﹂を省いた時に︑それに続いていた﹁当

に一尋と言ふべし﹂という一文も︑単なる言い換えだから不要で

あるとして︑略した可能性もあるのである︒

 実際︑校本日本書紀に拠っても︑日本書紀の本文としては︑﹁当

に享宴と言ふべし﹂は︑古写本のすべてにあるようだから︑簡単

に後人の.擁入と片づけてしまうわけにもいかない︒

 そこで︑もし成立当初から︑この一文が存在したとすれば︑編

者あるいは︑それ以前の伝承者は︑如何なる意図で︑﹁当に一尋

と言ふべし﹂という︼文を伝えたのだろうか︒

 説文解字本文には︑先に引用した如く︑

   度人之両腎為尋︑八尺也

とあった︒人の両手を広げた長さを尋というわけで︑これは︑ほ

ぼ身長に匹敵する︒段玉葱の注に拠れば︑﹁丈夫﹂という言葉も︑

本来︑尋にあたる﹁八尺﹂を﹁丈﹂と呼んだことがあったことに

基づくようである︒それ故︑=尋﹂は︑丈夫の身長そのもので

あって︑援田彦神の場合︑﹁当に一荷と言ふべし﹂は︑援田彦神

が︑丁度一丈夫の大きさあることを︑示すと言えるのでなかろう

か︒ つまり︑天上の援田彦神像をちょうど一人前の男性の大きさと

して把握した表現と言える可能性もあるのではないか︒勿論︑こ

の一文が擁入の可能性も大きいことは否定できない︒

(7)

図1

 ﹁背の長さ七尺余り﹂については︑本居宣長が古事記伝の中で︑﹁ま セノサ      タケダチ  セ       タケダチた背長七尺鯨とあるも︑俗に人の長立を背といへば︑只凡その長立      シ       タケのことにもあるぺければ︑若其義ならば︑ただに長とのみこそいふ

    セレハヒマスノセ

べきに︑背をしも云るは︑是も援の如く︑這居坐形につきて︑其背

の長さをいふにてもあるべし﹂と述べているのに拠れば︑矢印③と

なろう︒

ぴσ

認識町朝        \.∵●        冷       \鳥    . 箭       O      ●      ●      4         ●  ●

し ψ紡  醐  =  ; ^

﹂︸    ∴③メツ        の講蒙   .     ︑.    鞭3.酵

搾︐三.駄噂ぞ親●摺  .       OW㌦瀞  〜 四︑援田彦神の星図上の大きさ

 ところで︑この援田彦神は︑空想の産物ではなく︑学事︵あめ

ふり︶を中心とした星座として描けることは︑先にも指摘した通   ︵2︶りである︒

 現在︑天空上の星の見かけ上の間隔は︑天の半球を百八十度に

分割した角度で測られているが︑古くは︑日本でも︑中国でも︑

朝鮮でも︑尺度を用いて示してきたことは︑良く知られたところ      ︵3︶である︒一例を示すと︑次のようなものである︒

   応和三年十二月一日己卯︵ユリウス暦九六三年十二月十九

  日︶暁寅時︑太白犯鍵閉星︑二丁六寸所︒

      ︵土御門家﹃家秘要録六﹄︶

 この記事は太白︵金星︶が︑鍵閉星︵さそり座の一部︶の一星

に六寸の距離まで近づいたということを記録したもので︑実際は

天文学的数値計算で︑○・八度まで接近したことが検証されてい

る︒ 渡辺敏夫氏は︑﹁古記録の凌犯について﹂という論文のなかで︑      ︵4︶日本の天文記事と理論上の計算値について︑次の通り述べられた︒

   大体に於いて一尺が一度に相当しておることが判るが︑な

  お︑詳しく言えば︑一尺以下では一尺は一度に相当しておる

  が︑一尺以上では︑一尺︸度の割に両度加えたものになって

  おる︒

 渡辺氏に拠れば︑日本では︑天空上の見かけの星間距離が︑一

尺以内の場合は︑一尺一度︑一尺以上では︑一尺が一・五度に当

日本書紀の援田彦神の記述に関する一考察

(8)

勝俣

たることになる︒

 援田彦神の鼻は︑七腿であったので︑尺に換算して︑五尺六寸︑

一尺を一・五度で計算して八・四度になる︒この長さが︑実際の      ︵5︶星図上でも︑裏付けられることは︑先に指摘した通りである︒

 同様に︑今︑援田彦神の背の長さ︑即ち身長は︑﹁七尺余り﹂︑

即ち﹁一尋﹂と推定されたので︑これも︑天空上の角度に換算す

ることが可能である︒即ち︑一朝陛八尺の一・五倍であるから︑

約十二度となろう︒

 この十二度という数値で︑実際の天空で援田彦神の身長を検討

してみると︑図1の援田彦神像の上部の線の長さが推測される︒

 即ち︑この図からは︑援田彦神の身長が七尺余りであることは︑

鼻の長さ七腿と比べて︑別に何ら不釣り合いではなく︑この数値

が実際の天空上に想像された援田彦神の大きさとして相応しいこ

とが裏付けられるのである︒

 それは︑仮に︑援田彦神の背の伸びている方向が天八達之衙で

ある昴︵すばる︒プレイアデス星団︶の方向であるとすれは︑図

で判るように︑援田彦神が︑天八達之街の近くまで来ることになっ

て︑コの神有りて︑天八達之衙に居り︒﹂という記述とまさに一

致するからである︒勿論︑正確なところは︑それ以上追求するの

は中々困難であるが︑一つの可能性として︑援田彦神の背は︑畢

星の顔から︑昴の方向に向かって伸びていたことが推測されよう︒

結局︑援田彦神の大きさを表す数値が様々に弄ばれてきたのは︑

後世の注釈家達が︑実際の天空上の星座の大きさとは考えずに︑

常識的な人体の組織の数値にこだわっていたからであろう︒ 五︑﹁赤言替﹂の表記について

 当該の援田彦神の記述は︑上述した﹁当に七尋と言ふべし﹂以

外にも︑その表記に問題が見られるところがある︒その中で︑次

の一点について考察してみたい︒

 本文末尾の﹁眼は八腿鏡の如くして︑艶然赤毛醤に似れり﹂の

部分であるが︑末尾の﹁赤酸醤﹂は︑﹁あかかがち﹂と訓まれて︑

赤いホオズキを指している︒ホオズキは︼般的には︑﹁酸漿﹂と

書く︒ それ故︑この﹁酸醤﹂という表記には問題がある︒古辞書には︑

次のようにある︒

  酸漿 兼名苑云︑酸漿︑一名洛神号︑保々豆岐

       箋注倭名類聚抄

  酸漿 兼名苑云酸漿一名洛神珠︑和名保々鶴木

       元和古活字那波道圓本倭名類聚抄

  酸漿 ホウツキ    名古屋市立博物館蔵和名類聚抄

  洛玉珠 和名保々都島 図書寮本類聚名誉抄

  酸漿 ホ・ヅキ    観智院本類聚名爵抄 法上四三

  酸醤 ホ・ヅキ    器皿院本類聚名爵抄 僧下風〇

     草類

  赤墨醤 アカ・ガチ  観智院本類聚名類抄 田下六〇 サンシヤウ  酸漿 ホ・ヅキ 洛神珠 同 前田本色葉字類抄

      ︵黒川本も同じ︶

 これらの古辞書類から判断されることは︑ホオズキの漢字表記

(9)

は原則として︑酸漿が正しく︑紫黒は︑誤りではないかというこ

とである︒

 しかし︑古事記上巻︑八俣大蛇の段でも︑大蛇の﹁赤加賀智﹂

のような目の説明に関する注記に︑

  此謂赤加賀知者︑今酸醤也

とあって︑ホオズキを﹁干肉﹂の漢字表記で表し︑諸本に拠る違

いが見られない︒

 時代別国語大辞典上代編でも︑﹁あかかがち﹂という項目の表

記として︑﹁云為醤﹂を採用している︒

 それでは︑上代は︑﹁酸漿﹂も﹁酸醤﹂も通用したのであろう

か︒ 答えは否である︒古辞書を見るに︑平安前期の倭名類聚抄では︑

ホオズキは﹁酸漿﹂なのに︑平安後期の類聚名義抄になると︑﹁酸

醤﹂という表記が現われていることがわかる︒古事記の最も古い

写本である真福寺本でさえ︑鎌倉時代のものである︒それ故︑平

安後期頃から︑ホオズキの誤表記である﹁酸醤﹂が一般化し︑類

聚名義抄にも採用され︑鎌倉時代以降書写された古事記の写本類

にもその﹁息音﹂の表記が使われたのでないか︒それは︑元を正

せば︑日本書紀神代巻の当該の誤った﹁酸醤﹂という表記を採用

した可能性が高いのではなかろうか︒

 結局︑河村秀根・益根﹃書紀集解﹄で︑当該部分について︑﹁漿

原作醤誤﹂とするのが正しいと考える︒中国の古辞書でも︑本草

名として︑﹁酸漿﹂はあっても﹁酸醤﹂はないのである︵爾雅等︶︒

玉篇や築隷万象名義を見ても︑﹁漿﹂と﹁醤﹂は通用することは

ないようである︒  以上の考察から︑当該の援田彦神の眼の描写に出てくる﹁酸醤﹂という表記は︑﹁酸漿﹂の誤りと考える︒

六︑援田彦神の星座図と外国神話の星座図の比較

 援田彦神︵戸田毘古塁︶の星座図︵図1︶については︑種々の

こ批評を頂いたが︑その中で︑現実の猿には︑これ程に鼻の長い

猿はいないのに︑何故︑援田彦神のように鼻の長い神を古代人は

想像したのかという疑問があった︒鼻が長い猿としては︑南方に

天狗猿がいるが︑古代日本人は︑その存在を知らなかったと思わ

れるので︑もっともな疑問であろう︒確かに︑援田彦神の鼻は長

いと言えば長いが︑眼は赤く︑口は大きく︑全体としては︑猿の

趣がある星座ではないかと考えるが︑その点についての疑問に答

える必要があろう︒そこで︑援田彦神のような星座は︑諸外国の

同様な例と比較して特殊か否か以下検討してみたい︒

 まず︑星座としては︑最も良く知られている西洋の星座につい

て考察してみたい︒ 現在︑世界で行われている標準的星座は︑1930年に国際天

文同盟で提唱された八十八星座である︒このうち︑動物を象った星座は︑竜骨︵りゅうこつ︑Carina︶座を含めて四十三座

で︑約半数に達する︒さらに︑そのうち︑ギリシアのプトレマイ

オス︵トレミ︸︶がアルマゲストに既に載せている星座は︑二十

七座ある︒それを挙げると次のようになる︒

 いるか︵海豚︶・うお︵魚︶・うさぎ︵兎︶・うみへび︵海蛇︶・

おうし︵牡牛︶・おおいぬ︵大犬︶・おおかみ︵狼︶・おおぐま︵大

日本書紀の援田彦神の記述に関する一考察

(10)

勝俣一〇

熊︶・おひつじ︵牡羊︶・かに︵蟹︶・からす︵烏︶・くじら︵鯨︶

・ケンタウルス・こいぬ︵小犬︶・こうま︵小馬︶・こぐま︵小熊︶

・さそり︵蝋︶・しし︵獅子︶・はい︵蝿︶・はくちょう︵白鳥︶・

へび︵蛇︶・ペガスス︵天馬︶・みなみのうお︵南魚︶・やぎ︵山

羊︶・りゅう︵竜︶・りゅうこつ︵竜骨︶・わし︵鷲︶

 プトレマイオスが定めた星座は四十八座だから︑半数以上が動

物であることになる︒

 一方︑プトレマイオス以降︑近代になって︑バイエルやへベリ

ウス等が付けた動物名も少なくない︒現在ではもう使われていな       ︵6︶いものもあるが︑ここに示すと︑次のようなものがある︒

 ふうちょう︵風鳥︶・つる︵鶴︶・くじゃく︵孔雀︶・きょしちょ

う︵巨留鳥︶・つぐみ︵鵜︶・ふくろう︵桑︶・みつぼち︵蜜蜂︶・

はい︵蝿︶・きたばい︵北蝿︶・かじき︵カジキ︶・とびうお︵飛

び魚︶・カメレオン・とかげ︵蜴︶・みずへび︵水蛇︶・こじし︵小

獅子︶・やまねこ︵山猫︶・ねこ︵猫︶・こぎつね︵小狐︶・りょう

けん︵猟犬︶・きりん︵キリン︶・らくだ︵酪駝︶

 このことから判断できることは︑援田彦神のように︑動物を星

座として描くことは︑最も一般的な思考方法であったことである︒

わが国に猿の星座が存在したとしても︑その点においては怪しむ

に足りない︒

 そこで︑以下もう少し詳しく検討してみたい︒

 星座は︑元々最古の星座である古代バビロニア︵現在のイラク︶

の星座まで逆上ると言われている︒そこで︑古代バビロニアの星

座と現在の星座を比較するため︑最初に現在の星座名を挙げ︑括

弧の中に古代バビロニアでの星座としての動物を挙げると次のよ うになる︒ おうし︵牡牛︶・かに︵蟹︶・しし︵大犬または獅子︶・さそり

︵蝋︶・いて︵射手と蝋の合体した姿︒ギリシアの半人半夏ケン

タウロスの原型︶・やぎ︵山羊と魚の合体︶・みずがめ︵水の女神

と犬︶・うお︵人魚と魚尾の燕が紐で繋がれた姿︶・うしかい︵猪︶

・わし︵鷲︶・ペガスス︵天馬︶・ぎょしゃ︵老翁と羊︶・うみへ

び︵蛇︶・からす︵鳥︶・みなみのうお︵魚の神の妻⁝主星フォー

マルハウト⁝エア神の魚︶・へびつかい︵鷲の爪を持ち︑羽の生

えた怪獣ウド・カ・カブ・アの姿︶・おおかみ︵狼︶

 次に︑フェニキアの星座について同様に指摘すると︑次のよう

である︒ こぐま︵小熊︶・おおぐま︵大熊︶・りゅう︵蛇︶・はくちょう

︵鳥︶・ぎょしゃ︵御者と山羊︶・わし︵鷲︶・いるか︵海豚︶・ペ

ガスス︵馬︶・おひつじ︵羊︶・おうし︵牛︶・かに︵蟹︶・しし︵獅

子︶・てんびん︵蝋の爪︶・さそり︵蝋︶・うみへび︵水蛇︶・から

す︵鳥︶・こいぬ︵海の犬︶

 さらに︑エジプトでは︑次のごとき例がある︒

 おおぐま︵牛︶・りゅう︵河馬︶・こぐま︵ジャッカル︶・さそ

り︵蝋と猿︶・てんびん︵天秤とライオン︶・おおいぬ︵主星シリ

ウス⁝小舟に腹這う聖牛︶・その他の黄道十二宮は︑ほぼ現在と

同じ︒ また︑ギリシアのアラートスの﹃ファイノメナ﹄には︑次のよ

うな動物の星座が載る︒

 こぐま︵犬の尾︶・りゅう︵竜︶・さそり︵蜥︶・てんびん︵つ

め⁝蝋の爪の意︶・かに︵蟹︶・しし︵獅子︶・おうし︵牛︶・ペガ

(11)

スス︵馬︶・おひつじ︵羊︶・うお︵双魚︶・こと︵海がめの甲︶・

はくちょう︵鳥︶・やぎ︵山羊︶・わし︵鷲︶・いるか︵海豚︶・お

おいぬ︵犬︶・うさぎ︵兎︶・くじら︵海の怪物︑鯨︶・みなみの

うお︵南の魚︶・ケンタウルス︵ケンタウルス︶・おおかみ︵獣︶

・うみへび︵水へび︶・からす︵鳥︶・こいぬ︵犬の前に︶

 次に︑アラビアの動物の星座は以下の通りである︒

 こぐま︵二匹の子牛・小熊︶・おおぐま︵大熊︶・りゅう︵竜︶

・カシオペア︵酪駝︶・こと︵亀・主星ヴェガ⁝落ちる鷲︶・はく

ちょう︵雌鳥︶・へび︵蛇︶・こうま︵馬の部分︶・ペガスス︵大

馬︶・わし︵鷲・主星アルタイル⁝飛ぶ鷲︶・さそり︵鰍︶・つる

︵二匹の騙馬︶・いて︵不吉な鳥︶・アンドロメダ︵魚の腹︶・お

ひつじ︵牡羊︶・おうし︵牡牛︶・かに︵蟹︶・しし︵獅子︶・やぎ

︵山羊︶・うお︵魚︶・うさぎ︵兎︶・からす︵烏︶・ケンタウルス

︵ケンタウルス︶・おおかみ︵野獣︶・みなみのうお︵南の魚︶・

おおいぬ︵大犬︶・こいぬ︵小犬︶

 一方︑中国では︑独自の星座が見られる︒その中で︑動物の星

座は︑次の通りである︒

 青竜︵房宿及び心宿︒さそり座︶・朱雀︵柳宿︒海蛇座︶・白虎

︵参宿・留宿︒オリオン座︶・玄武︵危宿・北斗︒水瓶座・ペガ

スス︒大熊座︶・牛︵山羊座︶・狗︵射手座︶・天狼︵大犬座のシ

リウス︶・天鶏︵射手座︶・野鶏︵大犬座︶・騰蛇︵ケフェウス・

とかげ・カシオペア・白鳥座︶・亀︵祭壇座︶・竈︵南冠座︶・魚

︵さそり座︶・海亀︵猪鵤︒オリオン座︶・天狗︵帆座︶

 このうち︑青竜以下の四神については︑東方三宿から︑北方七

宿までの各星宿のそれぞれ全星宿がその星座の形を作っていると

     日本書紀の援田彦神の記述に関する一考察       ︵7︶いう考えもある︒なお︑天心と野鶏は︑一星だけの星座で︑形があるわけではない︒ 最後に︑日本では︑どうかというと︑野尻抱影氏や内田武志氏等が収拾された方言の星名で動物を表すものとして︑次のような    ︵8︶ものがある︒ がにのめ︵蟹の目︒双子座のαβ・こぐま座のβγ・さそり座のλ︶・ねこのめ︵猫の目︒双子座のαβ・さそり座のλη︶・いぬのめ︵犬の目︒双子座のαβ︶・カーレンメ︵諜の目︒双子座のαβ︶・かどやぼし︵エイの目︒双子座のαβ︶・うまのつらぼし︵馬の面星︒ウマノチラーとも言う︒ピアデス星団︶・ひずめのほし︵蹄の星︒﹁うまのつめあと﹂とも呼ぶ︒冠座︶・かわはりぼし︵皮張り星︒からす座︶・ごけぶり︵ゴキブリ︒金星︶・はとぼし︵鳩星︒牛飼座の主星アルクトゥールス︶・ぶたぬまち︵豚の牧︒大きな星を中心に小さな星の取り巻いたもの︒奄美の星名︒何の星か不明︶・ほたるぼし︵蛍星︒さそり座μμ︶・ちょうこぼし︵蝶子星︒カシオペア座︶ 以上︑現代の標準的な星座から︑日本の方言に至るまで︑通して見てきた︒ このことから言えることは︑次のことである︒ ①動物の星座は︑世界中で普遍的に見られ︑数も最も多いもの  である︒ ②古代バビロニアで作られた星座の図が世界中に伝播して行っ  たことが知られる︒ ③各地域での見立てられ方は︑その地域に親しい動物に変えら  れることがある︒

      一一

(12)

勝俣

阿れを一覧表に纏めると︑次のようになる︒

射想

6

3

5

0

0

3

2

3

0

22

3

2

2

3

2

3

2

1

2

21

4

2

1

0

0

2

3

0

2

14

0

0

0

0

0

0

0

0

0

0

5

2

1

2

0

2

2

4

0

18

類鳥

5

3

3

3

0

3 4

2

2

25

瀕嚇

15 14 5

9

10 11 14 5

6 89

像鏑

42 25 17 16 11 23 25 13 2

43 27 17 17 12 24 27 15 13

名国 図轟アレスシトオリプイギ・マア鵬献だ将∬フガジエ ・スアトシ一リ一ブギア冑乃 国中本日計総

この表から言えることは︑次のことである︒ ①動物の星座の多くは︑全身像を持った具体的な姿で描かれて  いる︒②動物の中では︑いわゆる獣︑つまり︑人間にとって身近な哺  乳類の星座が最も多い︒

③両生類は︑星座に描かれていない︒これは︑単に目に付くも

  のが少ないだけかも知れない︒

④動物の中には︑実在するものばかりでなく︑想像上の動物も

  含まれている︒

④日本の場合は︑出典が方言であるせいもあって︑他と異なり︑

  全身像を持たないものが殆どである︒動物の目だけを表した

  り︑一つの星で一つの動物を表すことが多い︒

 以上の考察から︑援田彦神の星座図について次の判断がくださ

れよう︒ ②世界中の星座の中で︑動物の星座が最も多く︑その中でも︑

  哺乳類の星座が一番多い点からすれぼ︑猿という哺乳類の動

  物の星座は︑存在すべき可能性が最も高い︒

 ㈲援田彦神の場合︑その鼻が長い点を除けば︑猿は哺乳類の動

  物として︑日本人に親しい存在である︒

 ㈲援田彦神の鼻のように︑現実の動物の一部分だけが︑現実離

  れしている動物の星座の例としては︑次のようなものがある︒

①ペガスス︵天馬︶⁝⁝これは︑普通の馬に羽という実在しな

いものを付けた姿である︒古代バビロニア以降この図柄︒

②ケンタウルス⁝⁝半人半馬の怪獣︒馬に人の上半身を合成し

たものである︒原型は︑古代バビロニアの蝋人︵ω8葛δ昌ヨき︶

で︑緻と人の合体したもの︒エジプトも同じ︒

(13)

 ③魚山羊⁝⁝山羊座の原型で︑古代バビロニアで︑山羊の上半

身と魚の下半身を合成したもの︒牧神パン︵酒の神バッカス︶が

巨大な怪物テユフォンに襲われて︑ナイル河に飛び込み魚に変身

しようとした際︑慌てたので︑下半身しか魚になれなかったとい

う話を彷彿させる︒パンは︑通常︑山羊の姿に表わされる︒

 ④人魚⁝⁝古代バビロニアの星座で︑魚座の原型︒人と魚の合

成︒次の魚尾の燕と紐で繋がる︒

 ⑤魚尾の燕⁝⁝燕の尾は︑二股に分かれて︑魚の尾鰭に似てい

るので︑想像されたのであろう︒燕に魚の尾鰭を付けたもの︒

 ⑥うみへび⁝⁝古代バビロニアで怪獣のヒドラの姿︒手がある︒

 ⑦ウド・カ・ガブ・ア⁝⁝古代バビロニアで︑体は大きな犬か

虎のようで︑鷲の爪を持ち︑羽も有する怪獣︒鷲と猛獣・猛犬の

合成︒ ⑧りゅう⁝⁝西洋のドラゴンで︑中国の竜に当たる︒想像上の

動物であることは︑言を侯たない︒

 ⑨くじら⁝⁝海の怪物で︑爪を持った手を持ち︑尾は︑ぐるつ

と巻いて魚の尾鰭になっている︒鯨とは異なる想像上の動物︒プ

トレマイオス以降︒

 ⑩青竜⁝⁝中国で東方を司る聖なる動物︒四神の一︒勿論︑想

像の産物である︒

 ⑪朱雀⁝⁝中国で南方を司る聖なる動物︒四神の一︒これも想

像の産物である︒

⑫玄武⁝⁝中国で北方を司る聖なる動物︒四神の一︒蛇と亀が

つるんで一対になったもので︑これも想像の産物である︒

 この他︑プトレマイオス︵トレミー︶以降︑バイエルやヘヴェ

日本書紀の援田彦神の記述に関する一考察 リウス等が付加した星座の中で︑想像上の動物等としては︑次のものがある︒ ⑬いっかくじゅう︵一角獣︶⁝⁝これは︑ユニコーンではなく︑

一本の角の馬であるという︒

 ⑭ほうおう︵鳳鳳︶⁝⁝これは︑不死鳥フェニックスのことで︑

勿論︑実在はしない︒

 このように︑星座になっている動物には︑全くの想像の産物で

あるものや︑現実の動物に角や爪や羽を付けたりして︑変形させ

たものが多い︒このことから言えば︑援田彦神の場合︑鼻が長い

のは︑そうした星座の描かれ方からすれば︑極めてありふれた自

然なものと言えよう︒

 つぎに︑星座の形から︑どれだけその動物の姿が連想できるの

か検討してみたい︒

 上記の動物星座の中で︑比較的その形が明確なものとしては︑

次のものが挙げられよう︒

 ①おうし︵牡牛︶⁝⁝特に顔の周辺︒

②おおいぬ︵大犬︶・⁝−全体の輪郭︒

 ③こぐま︵小熊︶⁝⁝全体の大体の輪郭︒

 ④さそり︵蝋︶⁝⁝全体の形状がほぼ確認できる数少ない星座

 ⑤しし︵獅子︶⁝⁝鎌の形が獅子の首を連想させる︒

 ⑥はくちょう︵白鳥︶⁝⁝銀河の中で羽を広げた形が分かる︒

 ⑦わし︵鷲︶⁝⁝翼を広げた形が分かる︒

 ⑧白虎︵オリオン︶⁝⁝オリオンの手足の四星が虎の四足に︑

留宿は︑虎の顔に見なせる︒

 ⑨亀︵琴︶⁝⁝琴座の形は︑亀が首を出した形に確かに見える︒

=二

(14)

勝俣一四

 主な星座を挙げれば以上である︒これらから分かることは︑動

物の形が明確なものは︑それほど多くはないこと︑西洋の星座の

場合は︑すべてプトレマイオスの時代から存在する長い歴史のあ

るものであること︑おうし︵牡牛︶以外は︑全身像であること等

である︒ そして︑このことは︑星座の成り立ちについて︑やはり︑先ず

天上の星があり︑その愈々の繋がりから︑ある動物の形を連想し

て星座が作られていったことが改めて確認されよう︒例えば︑さ

そり座一つ考えても︑あのS字型が︑蝋の形を連想させた故に︑

さそり座という星座が誕生したのであって︑その逆ではない︒

 これらのことから判断すれば︑援田彦神の場合も︑畢星を古代

日本人が見て︑鼻の長い猿の星座を連想したのであって︑猿の形

の星座を作ろうとして︑天上を探し廻ったわけではない︒

 そもそも︑援田彦神は︑その職掌から言っても︑道案内さえで

きれぼ良い訳だから︑眼が赤かったり︑口の両端が光っていたり︑

鼻が長かったりすることの必然性は全くないと言ってもよい︒つ

まりこれらの援田彦神の特徴は︑畢星から援田彦神の顔が連想さ

れた時に︑畢星の星座としての特徴が︑そのまま援田彦神の容貌

の特徴となったのであり︑その逆ではない︒即ち︑援田彦神の鼻

が長いのはその星座としての形が鼻が長い形態をしているので︑

必然的にそうなったまでであって︑鼻が長いという伝承があって︑

獲田彦神の鼻が長くなった訳ではない︒そのことが︑諸外国の動

物の星座との比較によって裏付けられるのである︒

 また︑原恵氏は︑﹃星座の文化史﹄の中で︑次のように述べら

れている︒   ここで興味ふかいことは︑星座の神話となっている物語は︑ ギリシア日ローマ神話の全体の中でみると︑やや傍系の物語に よって占められていて︑たとえば︑ギリシア神話の主要な神々 であるオリュンポスの神々そのものは︑星座になっていない︒ ⁝⁝星座にはギリシアーーローマ神話においていわば傍系的な物 語を構成する神々やニンフたち︑またはその持ち物である器物︑ そして主役たちが変身したと伝えられる動物たち︑さらには星 座神話に登場する英雄たちに関係のある動物や怪物などがデザ インされている︒ ギリシア神話というと︑ほとんどが星座神話として成り立っているように思われがちで︑それが日本神話との大きな違いのように言われているが︑実は︑ギリシア神話でも星座になっているのは︑傍系の神々であって︑主要な神は星座にはなっていないというのである︒ 日本の記紀神話でも︑現在星座として考えられる援田彦神や住吉三神等は︑日本神話の中の傍系の神々であるから︑その点も興味深いことに共通していると言えよう︒ 以上︑種々の観点から︑援田彦神の記述について検討してきた︒結論として︑日本書紀の援田彦神の記述に見られる幾つかの問題点は︑実際の天空上の援田彦神像と比較することでほぼ解決し︑また︑外国神話の動物星座と比較した結果︑援田彦神という鼻の長い猿の形をした星座は︑畢星︵ピアデス︶の形から必然的に誕生したものであって︑その有りようは︑諸外国の星座と比べて︑決して特殊なものではないと言えよう︒

(15)

 注︵1︶ 本稿中︑日本書紀・古事記の引用は︑日本古典文学大系本に拠った︒

  但し︑漢字の宇体は︑新字体に統一した︒

︵2︶ 昭和六十年度の古事記学会大会での研究発表︑並びに︑﹁援田毘古神

  の解釈について﹂﹃古事記年報﹄二十八号︵昭和六十一年一月︶︒さらに︑

  補説として︑﹁日本神話の星﹂﹃星の手帖﹄四十四号︵平成元年五月︶

︵3︶ 引用は︑斉藤国治氏﹃国史国文に現れる星の記録の検証﹄に拠る︒

︵4︶ ﹃天界﹄三四三号︒︵東亜天文学会︶

︵5︶ ﹁日本神話の星︵下︶﹂︵﹃星の手帖﹄四四巻所収︶

︵6︶ 以下の引用は︑﹃新版新天文学講座1 星座﹄並びに︑原恵﹃星座の

  神話﹄等に拠る︒

︵7︶ 以上︑中国の星座の用例は︑藪内清﹁中国・朝鮮・日本・印度の星座﹂

  ﹃新版新天文学講座1 星座﹄︑大崎正次﹃中国の星座の歴史﹄に拠る︒

  大崎氏は︑七宿の全星宿で︑四神を形作るとされている︒

︵8︶ 以上︑日本の星名は︑野尻抱影氏﹃日本星名辞典﹄・内田武志﹃星の

 方言と民俗﹄・﹃日本方言大辞典﹄等に拠る︒

日本書紀の援田彦神の記述に関する一考察一五

参照

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