詞書の筆跡からみた金蓮寺本『遊行上人縁起絵』の 位相
著者 津田 徹英
雑誌名 美術研究
号 423
ページ 1‑66
発行年 2018‑01‑11
URL http://doi.org/10.18953/00008490
詞書の筆跡からみた金蓮寺本『遊行上人縁起絵』の位相一
詞書の筆跡からみた金蓮寺本『遊行上人縁起絵』の位相
津 田 徹 英
はじめに研究の立脚点と視座一、金蓮寺本の概要二、各巻詞書の筆跡
(1)
巻一(2)
巻二(3)
巻三(4)
巻四・八・九、ならびに、巻十の奥書識語(5)
巻五・六・七 三、金蓮寺本の詞書執筆における三条公忠の位置(6)
巻十 むすびにかえてはじめに研究の立脚点と視座
中世時衆(時宗)の絵巻というとき、最初に思い浮かべるのは聖戒によっ
て正安元年(一二九九)に制作された一遍(一二三九~八九)の伝記絵巻『一
遍聖絵』十二巻であり、研究の蓄積層も厚い。一方、ここで取り上げようと
する『遊行上人縁起絵』は、『一遍聖絵』に比べると一般には馴染みがなく、
絵巻研究の対象になる機会も少ない。この『遊行上人縁起絵』は『一遍聖絵』 の成立から八年後の徳治二年(一三〇七)に宗俊によって制作された )1
(。それ
は十巻で構成されており、四巻までが一遍の行実を、五巻以降が遊行第二祖・
他阿真教(一二三七~一三一九)の行実を取り扱う。原本(逸亡)が制作され
た徳治二年当時、真教は「遊行上人」の立場を退き、相模国当麻(現、神奈
川県相模原市南区当麻無量光寺)に独住(隠居)していた。行実の絵巻化に際
して存命中の真教の全く預かり知らないところで自らの行実絵巻が成立して
いたとは考え難い。そのことは高僧の伝記絵巻の制作が通例、没後に行実の
回顧と顕彰を兼ねて制作がなされたことを思えば、いささか特異である。
この『遊行上人縁起絵』は中世時衆にあって『一遍聖絵』よりも広く受容
されていた。そのことは中世に遡る『遊行上人縁起絵』の現存作例の件数に
端的に示されている )2
(。なお、その呼称であるが、教団における受容に際して
神奈川・清浄光寺所蔵のそれ(以下、遊行寺本)の各巻題箋に示されるように(挿
図
1
)、真教の行実絵巻を含めてすべてを「一遍上人縁起絵」として認知し ていたようである )3(。受容の歴史を念頭に置くとき「一遍上人縁起絵」をもっ
て正式名称とすべきようにも思う。しかしながら、これを「一遍上人絵詞伝」
と呼ぶことがあり )4
(、また、その一方で『一遍聖絵』を「一遍上人絵伝」と称
することもあって )5
(、両者の混同は避け難い。それゆえ本論においても先行研
美 術 研 究 四 二 三 号二
究にしたがい「遊行上人縁起絵」の名称を用いることをあらかじめ断ってお
く。
さて、『遊行上人縁起絵』の研究は宮次男氏によって精力的に進められた。
その集大成は昭和五十四年(一九七九)に『新修日本絵巻物全集』(角川書
店)の一冊として刊行をみた『遊行上人縁起絵(同
23
)』であった 6)(。しかし、
全集のなかの一冊という制約もあり、カラーグラビアはもとより、諸本にお
ける場面比較のモノクローム図版も部分的とならざるを得なかったようであ
る。加えて、文字に関しては原本成立の根拠となる巻十の奥書識語をモノク
ローム図版で金蓮寺本ほか伝世諸本のいくつかのそれをもって提示するが、
詞書については山形・光明寺本 )(
(にもとづく全文を翻刻で提示するものの、詞
書そのものを図版で提示しようという意識は希薄である。それは何よりも『遊
行上人縁起絵』の調巻が十巻に及び、一段の詞書が比較的長いことに起因す
るように思われる。しかしながら現存の主要作例を熟覧して痛感したことで
あるが、諸本において詞書の字句に異同が散見する )(
(。それらの比較検討はも
とより、詞書そのものの筆跡から得られる情報は本論で明らかにするように
金蓮寺本はもとより現存する主要諸本それぞれの成立時期を絞り込んでゆく
うえで極めて有力な指針になり得ると考える。
論者は先に室町時代(十六世紀)あるいは江戸時代(十七世紀)の制作と
考えられていた京都・佛光寺本『善信聖人親鸞伝絵(以下、親鸞伝絵)』上・
下巻の詞書について、その筆跡が『慕帰絵』巻二、東寺本『弘法大師行状図』 巻四・五の詞書の筆跡と同筆であることを明らかにし、それが三条公忠(一
三二四~八三)の手になることを指摘した。そして、三条公忠の活動時期を
考慮に入れて、制作年代は南北朝時代にまで遡り、延文五年(一三六〇)三
月に執り行われた佛光寺における親鸞百回忌の記念事業の一環として、その
時までには完成したものと考え、概ね一三五〇年代の制作であろうとの私見
を提示した )(
(。その考察の過程で佛光寺本『親鸞伝絵』の詞書の筆跡に非常に
近い筆跡を京都・金蓮寺に伝来した『遊行上人縁起絵』(以下、金蓮寺本、図
版
1
、2
)のうちの巻四・八・九の詞書、ならびに、巻十の奥書識語に認め、その手跡はやはり三条公忠であること、および、成立時期も佛光寺本『親鸞
伝絵』に近い頃であろうとの指摘を行った。ただし、金蓮寺本のすべての巻
の詞書筆者については及ぶべくもなく、それらの解明に課題を残すこととな
った。
その後、論者は金蓮寺本、および、『遊行上人縁起絵』の現存諸本のうち 主要作例を熟覧・精査する機会に恵まれた )((
(。この熟覧・精査により得られた
『遊行上人縁起絵』主要伝世諸本の詞書筆跡に関する新たな知見は、宮次男
氏によって示された現存諸本の年代観とはかなりの懸隔があるように思われ
た。ちなみに本論で考究の中心に据える金蓮寺本について、宮氏は「筆致は
やや硬くなったところがあり、橙色系統の色調に室町後期の絵巻に共通の色
感があって、その製作も、室町後期と推定して大過ないと考えられる」とい
う所見を示されている )((
(。
論者は金蓮寺本のすべての巻の詞書の執筆者を特定するには至っていない
が、詞書筆跡の検討を通じて金蓮寺本のおおよその制作時期、ならびに現存
諸本のうち主要作例を視野に入れた位相について明らかになし得ると考え
る。加えて、新たに定位し直すこととなった金蓮寺本、および『遊行上人縁
挿図 1 遊行寺本 巻 5 題箋
詞書の筆跡からみた金蓮寺本『遊行上人縁起絵』の位相三 起絵』の主要伝世諸本の存在は、十四世紀後半の絵巻の作風展開を再検討してゆくうえでも一石を投じるように考える。以下はそれらのことについての私見を提示するものである。大方のご叱正を仰ぐ次第である。 一、金蓮寺本の概要
金蓮寺は中世にあっては時衆の京洛における拠点のひとつ「四条道場」と して栄え機能した )((
(。同寺には『遊行上人縁起絵』の十巻本(本論でいう金蓮
寺本)と、これとは別に巻八のみ残巻 )((
((後述、以下、金蓮寺本別巻)、および、
詞書のみの十巻本を伝える )((
(。
これらのうち、金蓮寺本は、各巻を上・下に分かちそれぞれを巻子に仕立
ている。つまり員数そのものは全二十巻となる。各巻ともに表褙の見返し裂
を紺地金糸宝相華唐草文に統一しており、別紙貼付けの題箋(玉子色の地に 竜胆と思われる草花を代赭色で線描する)にはそれぞれの巻数と上・下の別を
墨書する(挿図
2
)。 いずれの巻も第一紙紙背の見返し寄り下辺に単郭のなかに「検」の一字をあらわした朱文の方印を押捺する(挿図
3
)。加えて巻一の上巻と下巻、巻二の上巻には料紙の継ぎ目毎に単郭のなかに金蓮寺の山号である「錦綾山」
の三文字をあらわした方形の墨印を押捺する )((
((挿図
4
)。ともに近世以降の寺務引継ぎ等に際しての宗門による什宝の点検に関わるもののようである。
各巻における本紙一枚の法量(一紙の最大値を提示)については別に掲げ
た通りである(表
1
)。各巻本紙はいずれも表面に雲母引きの痕跡が認め難 きらく、滲み止めの処理は礬 どう水 さ引きであったようである )((
(。詞書は各段ともに対応
する場面(絵相)の紙面に及ぶことはない。ということは絵と詞書は制作の
過程にあって別々に進行しながらも、最終的に双方を貼り継いで仕上げたと
いうことになる。ただし、目視での表面観察によるものであるが、詞書と場
面(絵相)に用いられた料紙の紙質に差異は認め難く )((
(、それぞれの紙幅もほ
ぼ同じである。詞書とこれに対応する場面が時間を隔てて成立したとみるこ
とは難しく、同時の制作と考えるのが素直な見方であろう。
各巻の詞書の詳細については次章で順次述べることにしたいが、まず金蓮
寺本全体の概要を示しておくと以下の通りである。
挿図 2 金蓮寺本 題箋
挿図 3 単郭朱文方印
「検」(印影)
挿図 4 単郭方印「錦綾山」(印 影)
美 術 研 究 四 二 三 号四
表1 『遊行上人縁起絵』伝世諸本の本紙枚数と一紙の法量等 一覧
料紙1枚の横の法量は1紙ごとに計測した数値のうち最大値をもって提示した。
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詞書の筆跡からみた金蓮寺本『遊行上人縁起絵』の位相五 各巻が上・下巻に分かれることは先に述べた通りである。このうち巻一から巻九までは各巻を上・下巻に分かつものの、詞書の筆跡は上巻と下巻で異なることはない。これに対して巻十のみは上巻と下巻で筆跡を違える。加えて、巻九までの場面描写にあっては、例えばいくつかの場面にあらわれる青柳の描き方において柳枝の周囲に薄緑で面的に地色を施したのちに、濃い緑青で柳の葉を一枚一枚丁寧に描き出してゆくのに対して、巻十では柳枝に淡い緑のみで暈しながら葉をかたまりとして描いている(図版
3
―(a)
、(b)
)。また、遣り霞の描出においても、巻九までのそれがほぼ同様に白群を用いるの
に対して、巻十では上・下巻ともに群青による濃彩となっている。その遣り
霞について巻十・下巻の最終場面上辺のそれは、料紙に及んで剝離・剝落が
生じており紙面の荒れも甚だしく(図版
3
―(c)
)、紙背から折れ伏せを多用して補強している。にもかかわらず続く三条公忠の手跡と判断した奥書識語 )((
(の 紙面には、その荒れが続いておらず、裏面に折れ伏せが施されることもない。
これらを勘案すると、巻十と奥書識語はかつて分離して別々の巻子に仕立て
られており、何らかの事情で巻十が取り出されることがあって、そのままも
とに戻されることなく、その後、この欠巻を既存の別物をもって補い、さら
に伝世の過程にあって、別置・別巻に仕立てられていた奥書識語の一紙分を
下巻の最後に貼り継いだのが現状の巻十であったように考える。
上述のごとく金蓮寺本は全二十巻のすべてにおいて見返し、表褙の裂と題
箋が同一仕様となっている。それらは別物が巻十として補われた時点、もし
くはそれ以降の改装であったとみることができる。その時期がいつであった
かを考えるうえでの手がかりは、同じく金蓮寺に伝来した三巻構成の『浄阿
上人絵伝』の装丁にある。この『浄阿上人絵伝』は上巻と中巻が近世以前に
制作が遡り、下巻は近世に補われたものとみなされるが )((
(、三巻ともに題箋は
玉子色の地に竜胆と思われる草花を代赭色で線描としており、それは金蓮寺
本の題箋と地色、線描の意匠ともども同様とみなし得る(挿図
5
)。加えて、金蓮寺本の題箋に記された「上」「下」の墨書を『浄阿上人絵伝』のそれと
比較してみるとき(挿図
6
)、同筆とみなしてよさそうである。したがって、現状の金蓮寺本全二十巻の装丁、題箋は近世に入ってからの改装と判断する。
挿図5-(2) 『浄阿上人絵伝』題箋の地模 様
挿図5-(1) 金蓮寺 本題箋の地模様
挿図6-(1) 金蓮 寺本題箋の文字
「上」
挿図6-(2) 『浄 阿上人絵伝』上 巻題箋の文字
「上」
挿図 6-(3) 金蓮 寺本題箋の文字
「下」
挿図6-(4) 『浄 阿上人絵伝』下 巻題箋の文字
「下」
美 術 研 究 四 二 三 号六 二、各巻詞書の筆跡
以下に金蓮寺本各巻の詞書にあらわれた筆跡について検討を進めてゆく。
その際、論者の念頭にあるのは、佛光寺本『親鸞伝絵』の詞書執筆者を特定
してゆく過程で実感するに至った次の三つの事柄である。
①同一人物の手になるものであっても日記類、書状、絵巻の詞書で文字
の書き振りが異なる。それゆえ詞書における筆跡の検討を行う際に比較対
象とすべきは第一に絵巻の詞書であり、博捜の範囲を拡げるのであれば、
和歌懐紙もしくは和歌集の古筆切に留めることが肝要と考える。
②詞書の筆跡にあらわれた文字の筆遣い(書き癖)については加齢による
硬軟の差は確かに存在する。ただし、基本的な文字のかたち(字形)につ
いては年齢にさほど左右されることがなさそうである )((
(。
③絵巻の詞書執筆に携わった人物は限られており、ほかの絵巻の詞書の
執筆にも携わっていた可能性が高い。それゆえ詞書の筆跡から執筆者の特
定を行い、携わった人物の生没年もしくは活動時期を手がかりに絵巻のお
およその制作年代について見当をつけようとするならば、ほかの絵巻の詞
書のなかに同一筆跡を探し出すことが効率的であり、かつ、非常に有効で
ある。 この三つの事柄が各時代の絵巻に適用できるかどうかについては確言でき
ないが、佛光寺本『親鸞伝絵』の詞書の執筆者を特定してゆく作業の経験か
ら少なくとも十四世紀の絵巻を対象にする場合、かなり有力な手段になり得
るように論者は考える。
もとより詞書にあらわれたすべての文字に筆跡の特徴を見出そうとするこ
とは時間と労力を惜しまなければ実行すべきであるが、往々にして労力とそ れに費やした時間に見合うだけの結果がともなわないようにも思われる。というのも特徴が出やすい文字とそうでない文字が存在するからである。そこで以下の筆跡の検討においては、まず金蓮寺本各巻の詞書にあらわれた仮名の筆遣い・字形について格別特徴のあるものを五ないし六文字程度を拾いあげ、それらを手がかりにして同じ特徴をもつ仮名が詞書中に含まれる絵巻を探し、次いでそこにあらわれたすべての仮名、および、同一の真名(漢字)
について比較を行い、それらのなかに違和が存在しないかどうかを確認した
うえで執筆者の手がかりを求め、筆跡が誰の手になるか、その特定を進めて
ゆくという手法を採りたいと思う。
(1)
巻一 金蓮寺本十巻は各巻をいずれも上巻と下巻に分かつ。巻一は全三段からなり、上巻には二段を収める。これらのうち、上巻は冒頭(すなわち第一段詞
書の冒頭)を欠失する。分量から判断して一紙分に相当するようである。加
えて現状の巻頭から第二段の絵相にまで及んで上半には等間隔の焼損の痕跡
が繰り返されている。同様の焼損は後述する巻四の上巻にも認めることがで
きる。これは過去の火災に際して巻子の状態で一部が燃えてしまったことに
よるものであり )((
(、巻一の上巻冒頭の詞書一紙分が失われてしまったこともこ
れに起因するのかも知れない。
詞書は上・下巻ともに一紙十四行宛を基本としている )((
(。ここで巻一の詞書
(挿図
(
)にあらわれた特徴的な仮名を拾い上げ(挿図(
)、その文字のかたちについて記述しておくと以下の通りである。
「あ」三画で構成されるところを、筆脈を途切らすことなくひと筆で文字を
詞書の筆跡からみた金蓮寺本『遊行上人縁起絵』の位相七 成り立たせている。上辺の右よりで短く横画を下反り気味に引き、その右端で筆脈を途切らすことなく折り返し、すぐに直前に引いた横画と交わるとともに左に反り気味に縦画を引き下ろし、下端において右斜め上に跳ね上げて筆脈を途切らすことなく直前に引き下ろした縦画と交わるように左斜め下に筆を進める。この二度の折り返し部と縦画に交差するところでかたちづくる小三角形をほぼ中央に収め、右肩上がりに筆線を周回させて、下辺右に引き払う。
「き」短く引いた一画目の横画よりやや右よりの下で(一画目より)長くほ
ぼ平行に二画目の横画を引き、この二本の横画を貫くように三画目の筆
線を上辺の正中より右斜め下に向けて僅かに上反り気味に引き下ろし、
筆脈を途切らすことなく下辺の手前で屈曲を繰り返して四画目へと続
き、下辺のほぼ正中に及んで引き留める。ことに三画目から四画目へと
屈曲するところでの開き具合が狭く、この両画をもって形成された字形
は「多」を字母とする「た」に近いかたちとなる(後掲の仮名比較一覧
1
「た」参照)。 「す(「須」を字母とする)」さんづくりを左に湾曲させた一本の縦画であらわし、下端で小さく
V
字状に右上へと跳ね上げ、つくりの「頁」は左の一画目(縦画)の起筆部よりやや高い位置の右外から内向きに点画を打
ちつつ、この点画を含んで以下が縦に細長い「ら」のようなかたちとなる。
「の(「農」を字母とする)」文字全体のかたちを二等辺三角形の内に収める
べく上半の横巾が狭く、下半は底辺広がりで「心」の草書体のような表
記となる。
「ひ」上辺の正中より左において起筆部を点画に留め、すぐ折り返して起筆
部の点画よりも外側へと緩やかに湾曲しながら下辺に及んで屈曲し、右
斜め上四十五度の角度でほぼまっすぐに引き上げ、一画目の点画より僅
かに低い位置で逆
V
字状に右斜め下に向けて折り返し、下辺右隅手前までほぼまっすぐに引き下ろす。
「を」左上において一画目の横画を短く引き、右端で上に小さく折り返して
すぐに短く左斜め下に払いつつ左端で右斜め上に向けて鋭角に折り返
し、筆線を一画目の横画の高さ近くにまで引き上げ屈曲し、ほぼ正中に
おいて垂線を下ろす。下辺に至って右斜め上に向けて跳ね上げ、筆脈を
挿図 7 金蓮寺本 巻 1 下 詞書 第 1 段(部分)
※3連の数字は、当該文字があらわれる絵巻の「巻数-紙数-行数」を示す。なお、上端の項目欄に絵巻の巻数が示される場合は、冒頭の巻数を省略し、2連の数字とした(以下、同じ)。
挿図8 仮名比較(金蓮寺本 巻 1 の詞書 文字と六条有光の筆跡)
美 術 研 究 四 二 三 号八
途切れさせることなく、左端折り返し部とほぼ同じ高さで、かつ、この
左端と左右対称の幅となるように右端において上から下へと小さくまわ
り込み、そのまま二画目の垂線とその下端から折り返して跳ね上げたと
ころが分岐するあたりを通過し、すぐ下辺に向けて右に屈曲し、二画目
の垂線折り返し部を掬うように及んで筆線を引き留める。
これらの特徴をもつ仮名を現存する中世絵巻の詞書のなかに求めてみると
き、極めて近い筆遣い・字形を『慕帰絵』巻五・六の詞書(挿図
(
)に見出すことができる(前掲挿図
(
参照)。 そこで金蓮寺本の巻一の詞書にあらわれたすべての仮名を『慕帰絵』巻五・六の詞書にあらわれたそれと比較対照させてみるとき(後掲の仮名比較一覧
1
)、極端に筆跡を違えるものは認め難い。また、金蓮寺本巻一と『慕帰絵』巻五、巻六の詞書にあらわれた同一の真名(漢字)を拾いあげて比較対照さ
せてみても(挿図
10
)、「又」「其」「事」「信」「得」「名」などの字形(草書体)においてよく通じており、このほかの真名についての比較対照でも(後掲の
真名比較一覧
1
参照)違和は認め難い。両者を同一筆跡と判断して大過ない と考える (()(。
『慕帰絵』巻五・六の詞書は六条有光(一三一〇~五八以降)の筆跡である
ことが巻末の識語から知られる。同一筆跡とみなされた金蓮寺本巻一の詞書
執筆者は六条有光に同定されるであろう。
『慕帰絵』
は観応二年(一三五一)に成立した。ちなみに、金蓮寺本の巻四・八・
九の詞書にその筆跡を認めた三条公忠が『慕帰絵』巻二の詞書を執筆してい
たことは周知の通りである )((
(。そして、この『慕帰絵』制作を遡る貞和三年(一
三四七)、六条有光は三条公忠とともに『後三年合戦絵詞』の詞書の執筆に
参画していたことが知られる )((
(。六条有光と三条公忠がともに同じ絵巻の詞書
執筆に従事することが一度ならずあったことは留意されよう。ここに両人が
同じ絵巻の詞書執筆に携わった事例として、金蓮寺本が新たに加わることに
なる。ちなみに六条有光は、このほか延文元年(一三五六)には『諏訪大明
神絵詞』全十巻のうち最終巻である「祭第七冬」の詞書を執筆していた )((
((後
述)、有光は当代にあって絵巻の詞書の書き手としてたびたび要請があり、
これに応じていたことが窺われる。
先に論者は佛光寺本『親鸞伝絵』の成立年代を延文五年(一三六〇)をや
や遡った頃と推定する際、同じく三条公忠の近い筆跡を金蓮寺本の詞書に認
め、金蓮寺本の成立時期について、佛光寺本『親鸞伝絵』とさほど時を隔て
挿図 9 『慕帰絵』巻 5 詞書 第 1 段(部分)
京都・西本願寺
※巻上・巻下の別を「上」「下」で表記し、続く2連の数字は「紙数-行数」を示す。
挿図 10 真名比較(同前)
詞書の筆跡からみた金蓮寺本『遊行上人縁起絵』の位相九 ない頃との私見を示した。その金蓮寺本の詞書執筆に六条有光の参画を認めるならば、記録から知られる六条有光の絵巻の詞書執筆の時期は、上述の通り貞和三年(一三四七)の『後三年合戦絵詞』を嚆矢として、その他の事蹟
はもっぱら一三五〇年代であったということになるが、それは論者が推定し
た金蓮寺本の成立時期とも矛盾することはない。
(2)
巻二 巻二は全五段からなり、上巻には三段を収める。ただし現状、上巻第三段の詞書をすべて欠落させている。現存の詞書は上・下巻ともに一紙十三行宛
を基本とする )((
(。詞書(挿図
11
)にあらわれた仮名はいずれも総じて癖のない端正な文字である。むしろその点に筆遣い・字形の特徴があるように思われ
る。ここで仮名のいくつかに及んで(挿図
12
)、その筆遣い・字形について述べておくと以下の通りである。
「あ」僅かに右上がりに一画目の横画を下反り気味に引き、筆脈を途切らす ことなく、この横画のほぼ中心において二画目の縦画を交えるが、筆圧は一画目と交差するあたりから増して、左に反り気味に筆線を引き下ろす。この縦画の筆線上のほぼ中心から三画目を起筆し、周回に際しては(三画目の)起筆部の上に線を重ねつつ右肩上がりとなり、下辺の右側
において引き払う。
「ひ」正中より左の上辺で横画をごく短く引き、すぐに折り返し、この横画
の起筆部より外側において緩やかに湾曲しつつ下辺に及んで屈曲し、右
斜め上六十度くらいの角度で跳ね上げ、いったん筆脈を途切らせて、短
く引いた横画の折り返し部よりやや下の位置に着地し、右に折り返し、
僅かに下反り気味に下辺右隅のやや上で払い留める。
「ふ」起筆の点画が明確でないままに正中線よりやや右において緩やかに右
に湾曲しつつ筆線を縦に引き下ろし、下辺に及ぶ手前で左に屈曲して筆
脈を途切らすことなく左端下辺に及んで下側に小さく廻り込みつつ、右
挿図 11 金蓮寺本 巻 2 下 詞書 第 4 段(部分)
挿図 12 仮名比較(金蓮寺本 巻 2 の詞書文字と 48 巻本
『法然絵伝』、『鷹手本』、『後三年合戦絵詞』序)