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東北中国の女性作家と喪失の意識 ―再生への力―

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(1)

東北中国の女性作家と喪失の意識 ―再生への力―

著者 川俣 優

雑誌名 明治学院大学教養教育センター紀要 : カルチュー

ル = The MGU journal of liberal arts studies : Karuchuru

巻 1

号 1

ページ 27‑35

発行年 2007‑03‑24

その他のタイトル Female Authors of Northeastern China and Their Sense of Loss ―Force for Resurrection―

URL http://hdl.handle.net/10723/3125

(2)

東北中国の女性作家と喪失の意識

再生への力

川 俣 優

は じ め に

1930年代の中国北方の都市ハルピンで,文学 の世界へ足を踏み出した女性作家として蕭紅がい る。蕭紅は1911年にハルピン北方の古い町呼蘭 で生まれ,幼い時に母親を亡くし,少女時代はハ ルピンの女子中学校で寄宿生活を送る。最初の著 書を蕭軍と共作で刊行したのは1933年のことで あり,日本が中国の東北地方を侵略して満洲国を 成立させた翌年であった(1。その後,上海文壇に 登場したが,1942年の初めに,日本軍の攻撃に より陥落した直後の香港で病のため短い生涯を閉 じた。蕭紅が生きたのは,古い中国が近代的な社 会へ生まれ変わろうとする転換の時代であった。

生まれ故郷の黒龍江省は日本の侵略を受け,蕭紅 は古い中国の封建的な制度・因習と異民族による 支配という二重の桎梏の元で文学の世界を目指さ なければならなかった。

蕭紅の文学のテーマは,そうした転換期の時代

の中で母と故郷を失い,味わわされた自らの孤独 と不安の意味を重層的に探ってみることであった。

蕭紅は異郷の地・東京で1936年の後半を独りで 過し,そうした孤独をテーマとする作品の執筆に 集中した。そこで書かれ,上海の文芸誌に発表さ れた作品群,「家族以外的人」「手」「孤独的生活」

などの中短編はいずれもこのテーマをめぐって執 筆されている(2。題材や背景には蕭紅自身の幼少 期,少女期,青年期に体験した出来事や境遇が用 いられている。蕭紅がそれぞれの時期に体験した,

家庭と学校,異郷における孤独の思いが表現され た作品群である。25歳の蕭紅がこれらの作品に よって試みた自らのアイデンティティーの追求は,

同じ境遇に置かれた東北中国の女性作家たちにも 共通するテーマだと思われる。本稿では,蕭紅の 文学と ・満洲国・時代や現在の東北中国で活躍す る女性作家たちの文学が共有しているものについ て再考してみたい。彼女たちの抱えていた喪失と 孤独の意識について,またその孤独を乗り越えて とらえようとしたものについて,対比しながら考 目 次

はじめに

1)蕭紅研究の問題点と新たな展開 2)曹革成による検証 蕭紅と父親の葛藤 3)梅娘と母の喪失

4)遅子建と ・父親殺し・

おわりに

(3)

察していくことにする。

1

)蕭紅研究の問題点と新たな展開

蕭紅の文学に関する研究の困難さは先ず第一に,

成長した彼女の生きた時代が日本の侵略に対して 中国民族が抵抗する戦乱のさなかにあったことに 起因する。安定した日常生活の中での執筆活動は,

蕭紅の生きた時代の中国作家にはありえなかった。

そのために,散佚した蕭紅の作品を収集し,実生 活の細部を明確にとらえることは難しい作業であっ た。1949年に中華人民共和国が成立した当初は,

中国社会に1930年代の文学研究を深める余裕は 与えられていなかった。さらに,1960年代の文 化大革命期には魯迅以外の近代中国の文学の成果 が全面的に否定され,その作家たちに関する資料 は大量に破棄,封印される状況が続いた。こうし た他の作家の研究と共通する面に加えて,さらに 蕭紅研究においては特有の困難さがあった。それ は蕭紅の生まれ育った黒龍江省が日本の侵略を受 け,植民地として統治された時期があり,その時 代の文学資料が未整備で乏しい点である。また,

蕭紅はその短い生涯の中で何度か男友達との同棲 生活や結婚生活を体験し,身近にあった者たちへ 複雑な思いを残して夭折した。その悲しみを癒や すことのできなかった関係者たちの間では感情的 な軋轢が生じ,蕭紅の生前の生活に関する証言が 錯綜したため,その生涯を明確にとらえることが 難しい時期が長く続いた。こうした諸条件によっ て,蕭紅研究の基盤が整わないという問題が存在 していた。

蕭紅が夭折した1942年以降の,その文学をめ ぐる研究の発展をまず振り返ってみたい。蕭紅の 生涯については, 駱賓基が1947年に刊行した

『蕭紅小伝』によって初めて紹介された。蕭紅文

学の本格的な検証は,1980年代に入って開始さ れる。当初は,駱賓基の『蕭紅小伝』の見解に沿っ て,その生涯の悲劇性を強調する分析がなされる ことが多かった。90年代に入ると,蕭紅文学の 検証を新たな段階に進める基礎的な状況が整った。

蕭紅の最初の全集『蕭紅全集』が1991年5月に 哈爾濱出版社から2巻本として刊行され,1993 年9月には同出版社から研究資料集『蕭紅研究』

1~3輯が刊行された。それをもとにして,さら に数多くの評伝が改めて刊行された。 その後 1998年10月に,哈爾濱出版社版の『蕭紅全集』

は3巻本に増補されて再刊される(3。海外におけ る研究も進展し,アメリカではレイ・チョウが蕭 紅の作品「手」の分析に,引用されるアメリカ文 学の作品の考察などを取り入れて,より広い視野 から精密に彼女の文学を読み直す作業を行った(4

また,中国国内においては1980年代末以降,

生前の蕭紅と親しく過した文学者たちが相次いで 世を去った。結婚生活を送ったことのある作家蕭 軍は1988年に,また同じく端木洳洳良は1996年に 亡くなった。晩年の蕭紅と親しかった駱賓基も,

1999年に亡くなった。駱賓基は蕭紅の死後,い ち早くその生涯をまとめた小伝を刊行し,基礎的 な資料を提供する役割を担った作家である。この 時期以降,蕭紅と親しく過したこれらの男性作家 たちの家族や親族が,新たな調査研究の成果をま とめて刊行するようになった。そのため,新たな 写真資料や事実が公にされて,従来とは異なる蕭 紅の姿や作品世界のとらえ直しが行えるようになっ た。1932年に蕭紅と結婚した蕭軍の娘,蕭耘と その夫王建中は共編で,2003年7月に北京・団 結出版社から『蕭軍与蕭紅』を刊行した。彼らは 父親蕭軍の評伝『蕭軍』も,2004年4月に鄭州・

大象出版社から刊行している。両書には,未見で あった蕭軍と蕭紅のハルピン時代のスナップ写真 東北中国の女性作家と喪失の意識

(4)

も収められ,文学の道に踏み出した時期の蕭紅の イメージをよく伝えている。さらに注目すべき評 伝として,曹革成が刊行した2篇の著作がある。

曹革成は,蕭紅と結婚生活を送ったことのある作 家端木洳洳良の甥に当たる。曹は2002年3月に北 京・華芸出版社から『跋渉生死場的女人蕭紅』を 刊行し,2005年1月に長春・時代文芸出版社か ら『我的蕭紅』を刊行した。前者のタイトル は・生と死の世界を跋渉した女性・蕭紅・の意で,

蕭紅の初期の著作『跋渉』と『生死場』の書名が 組み合わされている。また,後者のタイトルは

・わが叔母蕭紅・の意で,曹革成が叔父端木洳洳良 の甥という立場から蕭紅の実像を多面的に論じた 著作である。

曹革成の研究の基本的な視座は,まず蕭紅の生 涯の伝記的な事実を精密にとらえ直し,その実像 を明らかにする所に置かれている。とりわけ,幼 少期の家庭環境と青年期の友人関係の実態,また 晩期の結婚生活の再考という点に焦点が当てられ ている。曹革成はこうした視点から蕭紅の生涯と 文学を多面的にとらえることの重要性を,すでに 90年代初頭に刊行された哈爾濱出版社版の『蕭 紅研究』に収められた小論で指摘していた。

……近年,彼女の遺作や書簡の発見が続き,

蕭紅の研究に関しては比較的大きな進展と変化 が見られる。とりわけ,作家の初期と晩期に関 する研究には質的な変化が起こっている。つま るところ,蕭紅に関する研究はようやく,あの いわゆる ・不幸・な生活に絡めとられた小さな 枠を突き抜け,まさに多面的に,重層的に展開 されつつあるのだ。

……蕭紅研究にはまだ多くの面で不充分な所 がある。たとえば,彼女の文学的な素養や理論 的な素養,中国現代文学,外国文学,中国古典

文学が彼女に与えた影響などについては研究が 充分ではない。(『蕭紅研究』第3輯)(5

蕭紅の作品世界は幼少期の家庭生活や青年期に経 験した男友達との同棲生活,また結婚生活を題材 としたものが多い。そのため,蕭紅の文学を理解 するには伝記的な事実の充分な検証が必要である。

こうした作業が,他の作家の場合よりも一段と重 要な意味を孕んでいる。そうした検証作業を進め,

固定的な蕭紅像にとらわれることなく,多面的に より多くの意味を新たに読み取ることが重要だろ う。蕭紅の文学をより広い世界の中に位置づけて みるべきだという曹革成の指摘は,きわめて貴重 である。曹革成の2篇の近著にまとめられた新た な蕭紅の世界は様々な問題提起を含んだものと高 く評価できよう。

2

)曹革成による検証 蕭紅と父親の葛藤

曹革成が2篇の近著で指摘しようとしているこ とは,まず従来の蕭紅像や家族像,とりわけ父親 像をより多面的にとらえることの重要性である。

蕭紅の父親像は従来,蕭紅自身の証言とそのエッ セイや作品の言葉を引用した駱賓基の評伝による イメージが定着していた。旧中国の封建的な意識 にとらわれた,無情で酷薄な父親というイメージ である。1935年に書かれた蕭紅の「初冬」では,

弟に対して自分の家には戻らないことを語る彼女 自身の言葉が記されている。

あんな家には帰りたくないの。

……

あんな家には帰れないのよ。私は私と正反対 の父親に飼われていたくないの(6

東北中国の女性作家と喪失の意識

(5)

また,1936年12月のエッセイ「永遠的憧憬和追 求」では,以下のように語っている。

父はいつも強欲のために人間らしい心を失っ ていた。父は召使に対しても,自分の娘に対し ても,また祖父に対しても同じようにけちでよ そよそしく,無情でさえあった。

……

けれど,祖父からは,人生には冷酷さと憎し みのほかに,温かさと愛があることを教えられ た。

だから,私はこの ・温かさ・と ・愛・に向かっ ていつまでも憧れを抱き,追い求めていく(7

これらの蕭紅の言葉が駱賓基の評伝に引用され,

その後長く蕭紅の父親,張廷挙の実像として通用 してきた。駱賓基の評伝が書かれたのは蕭紅が死 んで5年にならない頃のことであった。蕭紅の異 郷における夭折という悲劇が駱賓基に与えた衝撃 も冷めやらぬ時期であった。そのために,蕭紅に 悲劇的な運命をもたらしたのは,何よりも父親の 無情な仕打ちなのだという思いが強く表現された のであろう。また,実際に父親に対する蕭紅の感 情はその通りのものであったろう。曹革成はこの 蕭紅と父親の葛藤を,当時の家庭環境を丁寧にと らえ直すことによってその意味を問い直そうとし ている。

蕭紅がこうした父親に対する反感を募らせたの は,幼少期からの家庭環境にその要因がある。蕭 紅が生まれたのは1911年という辛亥革命の起こっ た年であり,清王朝が打ち倒されて近代中国に生 まれ変わろうとする歴史の転換期に当っていた。

ヨーロッパの近代文化が中国に及んでその社会体 制は変わったが,人々の古い意識が変わるにはま だ長い時間を必要とする時期であった。蕭紅が生

まれ育ったのは北方の辺境黒龍江省であり,家族 制度や人々の意識,日常生活には古い封建的な色 彩が強く残っていた。蕭紅の父親は教育者であっ たから,家庭内においても旧来の道徳観をより強 く保っていたのかもしれない。さらに蕭紅が8歳 の年に生母は病気で亡くなり,家庭の環境は変わっ ていく。生母の亡くなった年の12月には,新た に若い継母が蕭紅の家に迎えられた。やがて,そ の継母の元で弟や妹が誕生していくたびに,深い 疎外感を蕭紅に与えていく。こうした幼少期に母 を失うという体験は,蕭紅に複雑な影を落とし,

家長としての父親に対して強い反感を抱いて成長 する。蕭紅が父親に正面から抵抗するようになっ たのは,思春期に達してからである。家を離れて ハルピンの女子中学へ進学したいと願う蕭紅に対 し,父親はそれを許さなかった。蕭紅はそれに抵 抗して呼蘭の町のキリスト教教会に逃げ込んで修 道女となると言い張ったため,父親は進学を認め ざるを得なかった。また,女子中学卒業後には父 親が有力な軍人の息子との結婚を蕭紅に迫ったた め,それを拒んだ蕭紅はさらに捨て身の抵抗を示 す。呼蘭の家へ戻らずに出奔し,ハルピンや北京 で遠い親戚の青年や男友達との同棲を重ねた末に,

ついには生涯の終わりまで故郷に戻らぬ身となる。

曹革成はこうした経緯を丁寧にたどって,これ まで理解しにくかった蕭紅の行動や父親の境遇に ついて,様々な興味深い指摘を行っている。曹革 成によれば,蕭紅の父親も3歳で母を亡くし,跡 継ぎのいない親類の家を養子として継ぐために呼 蘭に呼ばれたという。養子という立場や教員の生 活は父親にとって大きな重圧となっただろう。長 女の蕭紅にも厳しくふるまわねばならなかったは ずである。蕭紅が出奔して男友達と同棲するとい う事件は,当時の田舎町では途轍もない波紋を巻 き起こす。蕭紅の引き起こす事件は自分の家族の 東北中国の女性作家と喪失の意識

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みならず,張家一族にとっても名を汚す破廉恥な ふるまいとなる。蕭紅の出奔後,父親は呼蘭の町 の学校勤めを辞めて,同じ省内のチチハルへ転勤 せざるをえなかった。

蕭紅のこうした強い気性は,作家活動を始めて からも変わらなかった。自分の納得のいかない生 活を振り捨てては,新たな道を求める生涯を貫い たわけである。曹革成は少女時代の蕭紅が中学校 でも活発な性格であり,学生たちの街頭での愛国 的な運動にも積極的に参加して行った事実を紹介 している(8。蕭紅の幼少期における母親の喪失と いう体験は父親との葛藤を招き,家庭における強 い疎外感を植えつけた。しかし,蕭紅はその孤独 な境遇を文学の道に進むことで乗り越える強い精 神を両親から受け継いでもいたわけである。蕭紅 は成長する過程で,家族喪失の体験を逆に新たな 可能性をつかむ機会へと転換させられる精神力を 養っていた。曹革成が指摘するように,蕭紅の生 涯はこれまで不幸なものとばかりとらえられる傾 向が強かったが,彼女が貫いた生への積極的な意 志をより高く評価することに注意を向けていきた い。

3

)梅娘と母の喪失

蕭紅が女子中学卒業後,出奔したのは満洲事変 の前年1930年のことであった。また,ハルピン に戻って妊娠し,3月に満洲国が成立した後,蕭 軍と知り合ったのは1932年の夏である。蕭紅は この満洲国で2年を過ごし,1934年夏に蕭軍と ともに青島へ渡り,同年末に上海へ到着する。満 洲国を捨て故国中国へ亡命することによって,自 らの新たな可能性をつかみとろうという決断をし たわけである。蕭紅は父親に支配される生活と異 民族の支配下に置かれた故郷を拒否して,上海に

おける文学活動に自己の存在の可能性を見出して いく。こうした蕭紅の生の軌跡と,満洲国の元で 文学活動を進めていった女性作家梅娘の歩みを対 比してみよう。

蕭紅より年下の世代になるが,満洲国で文学の 道を目指した女性作家として,梅娘がいる。蕭紅 が1911年に黒龍江省ハルピンの北方の町,呼蘭 で生まれたのに対し,梅娘は1920年に日本海に 面したウラジオストックで生まれ,吉林省長春市 で育った。長春は満洲国時代には首都新京として,

新たな都市建設が試みられた場所である。梅娘は 実業家の父の元で育ったが,幼い頃に母を亡くし ている。1936年16歳の年,女子中学在学中に最 初の作品集を刊行した早熟な少女であった(9。 1937年に留学のため東京へ向かい,柳龍光と親 しくなり,一旦帰郷した。翌年再度,柳龍光とと もに日本へ渡り,西宮で暮らす。1942年には柳 とともに日本軍の占領下にある北京に向かい,文 学活動を続けた。1944年には作品集『蟹』によ り第3回大東亜文学賞次賞に選ばれた。こうした 親日的な文学活動は民族と祖国を裏切る行為とし て,解放後の中国でその罪を厳しく問われ,労働 改造所で4年間を過すことになる。しかし,文化 大革命後には名誉を回復し,現在は北京で健在で ある。2003年には半世紀以上の時を経て東京を 再訪し,明治学院大学においても講演を行った。

梅娘はその東京滞在中,二人の子供を失うなどの 体験に触れ,自分の生涯は悲惨すぎて回想するこ ともできないと語っている。

蕭紅は蕭軍とともに満洲国を脱出した後,上海 の魯迅の元に赴き,文芸誌に作品を発表していっ た。一時期は東京に赴き,一人で執筆に専念する 生活も送っていた。ほどなく上海に戻ったが,抗 日戦争中には日本軍の攻撃に追われて重慶まで逃 げ延び,さらに空路香港へ避難し,その香港が日 東北中国の女性作家と喪失の意識

(7)

本軍の攻撃で陥落するさなかに病のため夭折した。

蕭紅の死は当時の延安に置かれていた中国共産党 指導部によっても追悼され,解放後の中国でもそ の死は惜しまれた。一方,梅娘は満洲国から日本 へ渡り,さらに日本軍の占領する北京へ行って,

その元で文学活動を続けた。そのために,中華人 民共和国成立後には,梅娘の文学活動は民族を裏 切る利敵行為として厳しく断罪された。こうした 軌跡をたどってみると,この二人の女性作家の二 十代における文学活動は対照的なものと言える。

しかし同時に,二人の文学はひとつのテーマを共 有していることも見逃してはならない。二人の文 学は,母と故郷の喪失というテーマを共有してい る。この点は,梅娘の文学を理解する上で注意し ておくべきことである。

梅娘夫妻は抗日戦争中に日本側の組織と深く関 わったが,梅娘はその作品世界で日本を讃美する ことをテーマとしたことはない。梅娘は古い中国 が変わろうとする時代に生まれ,幼い頃に母を失 い,隣国からの侵略を受けて故郷が植民地となる 不安な環境の中で文学の道を目指した。そうした 不安の中で己の存在を見い出そうとする人間の姿 を繊細にとらえるのが,短かった梅娘の文学活動 のテーマであった。梅娘(メイ・ニアン)という 筆名には同じ音の ・没娘・,すなわち ・母がいな い・の意が読み取れる。梅娘という作家の誕生は,

・私には母がない・という宣言とともにあったわ けである。しかし,梅娘はその孤独な思いに打ち ひしがれずに,独自の視点から人間の存在を見つ めることを自己の文学世界で追求する。こうした 作家梅娘の視点がよく現れている作品として,

1941年に発表された短篇小説「僑民」がある。

タイトルの ・僑民・とは移住者の意味であり,第 二次世界大戦中に日本にやって来た朝鮮人夫婦の 姿を描いた作品である。作品に描かれるのは,

・私・が阪急電車で乗り合わせた朝鮮人夫婦に席 を譲られるという出来事である(10

……無性に電車の遅さにいらだってきて,目 を窓から戻すと,顔を隠した新聞を持ち直した。

眠気がさしてきたのか,いや,泣きたいのだ。

なんと寂しい海の黄昏ではないか。たとえ親し い友人がいて何か話してくれたとしても,今日 の私だったら楽しい心でそれを聞くことなどあ りはしない,……

こうした寂しい思いにとらわれていた作中の私に,

思いがけなく近くの席に座っていた乗客が席を譲っ てくれる。車内で乗り合わせた見知らぬ人から気 遣いを示された私は,逆にその朝鮮人夫婦の姿が 気になってくる。腕時計をしていない夫の朝鮮人 に,自分の腕時計を外して贈ろうかと思って考え 直す。電車を降りてからも戸惑っているらしい朝 鮮人夫婦の姿が,気になって仕方がない私の思い を描いて作品は終わる。その思いがけぬ出来事を 通して揺れ動く私と朝鮮人夫婦の心の微妙な動き が,短い作品の中に細やかにとらえられている。

梅娘のこの作品には朝鮮と満洲国から日本にやっ て来た人々が戸惑い,揺れ動く心の中がよくとら えられている。この作品にとらえられた ・私・と 朝鮮人夫婦の心の動きは,揺れ動くアジアの歴史 に乗り合わせた中国と朝鮮の多くの人の戸惑いで もあることが読み取れる。こうした日常の風景の 中から人間の心の有り様を細やかにとらえ,時代 を表現しようとする梅娘の文学はきわめて意義深 いものであったと言えよう。こうした人間や世界 の存在に対する秘やかで微妙な感覚を細やかにと らえることは,強固な民族イデオロギーを主張す る戦争文学が盛んであった時代の中できわめて貴 重であった。また,不安な寂しい思いを抱えなが 東北中国の女性作家と喪失の意識

(8)

ら,突然示された気遣いに応えて自分の最も大切 にしている腕時計を差し出そうとする「僑民」の 中の私の姿には,作者梅娘の世界に係わる姿勢が よく現れている。孤独な境遇にめげることなく,

誠実に世界に係わろうとする梅娘の精神がよく現 れている。孤独の体験を乗り越えて新たな世界を つかもうとする二人の女性作家,蕭紅と梅娘の姿 勢にはきわめて貴重なものがあったことを改めて 確認しておきたい。

4

)遅子建と

父親殺し・

第二次世界大戦期の東北中国の女性作家,蕭紅 と梅娘は古い中国の封建的な家族制度や因習を拒 否して家を離れ,自分の存在をつかむために文学 の世界へ歩みこんだ。同じように因習や権威を拒 否して自分自身の存在をつかもうとする試みは,

社会主義中国の時代にも東北中国の女性作家たち に受け継がれていく。中国では文化大革命期を過 ぎた1970年代末に,開かれた豊かな社会を目指 す新たな政治路線が提唱された。それにともない,

文学の世界では新たな時代の到来を宣言する作家 たちの作品が登場してくる。既成の権威を否定す る新鮮な感性が,黒龍江省の文学の世界にも現れ た。その代表が1980年に短篇小説「夏」を発表 した女性作家,張抗抗である(11。張抗抗は作品

「夏」の主人公に少女を配し,因習にとらわれぬ 溌剌とした新たな世代の姿を通して,中国社会の 変貌を印象付けた。蕭紅の作品と同じ様に,松花 江で泳ぐ若い男女の姿も描かれる。

さらに,1980年代後半に登場し,黒龍江省に とどまって活躍を続ける女性作家が遅子建である。

遅子建は1985年にハルピンの文芸誌に登場し,

1986年には北京の『人民文学』に作品を発表し て,広く注目を集める作家となった(12。現代の中

国社会において,北京・上海の大都会とは異なる,

もう一つの世界をとらえようとする問題意識に貫 かれた文学を追求している女性作家である。遅子 建の文学においては初期から現在に至るまで,親 と子の葛藤をテーマにした作品が書き継がれてい ることに注目しなければならない。遅子建は幼い 頃に,親元を離れて祖父母の元で暮らした時期が ある。両親と離れて不安な思いを体験したために,

家族のつながりをテーマにした作品を書き続ける ことになったのだろう。蕭紅の文学と同様に,家 族に対する疎外感が中国社会に対するレベルに拡 張されたテーマにつながっている。家族の葛藤を 描いた注目すべき作品としては「北極村童話」

(1986),「霧月牛欄」(1996),「偽満洲国」(2000),

「花弁飯」(2002)が挙げられる。これらの作品に は親子の葛藤が描かれるのだが,その雰囲気は執 筆時期の違いとともに変化している。

遅子建の「北極村童話」は実質的なデビュー作 であるが,きわめて印象的な設定で作品が始まる。

遅子建が幼児期に実際に体験した,両親との離別 を題材とした作品である。母親に連れられて船に 乗り祖父母の家へ遊びに行った三人の子どもが,

帰る時に真ん中の娘だけが置き去りにされる姿が 描かれる。主人公の少女,すなわち遅子建はだま されて取り残されたとわかると,船上の母親に向 かって怒りの言葉を投げつける。作品はその少女 が1年後に親元へ戻る場面で終わるが,親に対す るこうした不信と怒りの感情は遅子建の以後の作 品にもくり返し描かれる。「霧月牛欄」では,継 父が自分になじまぬ息子を殴りとばして精神的な 傷害を与え,自らも悩みながら病に落ちて亡くな るという物語が語られる。長篇小説「偽満洲国」

では満洲国時代の様々な中国人家族の葛藤が描か れた末に,満洲国が崩壊して物語が大団円を迎え ようとする場面で衝撃的な事件が起こる。義父が 東北中国の女性作家と喪失の意識

(9)

新婚の花嫁を犯した末に花婿に殺害され,密かに 東北の荒野に埋葬されるという顛末が語られる。

東北中国の農村の古く悪しき時代の終焉が,この

・父親殺し・のエピソードによって語られる。親 子の葛藤が,古い時代の終焉と新たな時代の到来 を象徴する出来事として表現されている。

また,「花弁飯」では1960年代の文化大革命の 際に,幼い少年が両親に反抗する姿が描かれる。

しかし,戻らぬ両親を待つ内に泣き出す少年の姿 によって,家族の愛が取り戻される場面を描いて 作品が締めくくられる(13

……このようにあれこれ想像しているうちに,

私たちは,二人がもう死んでしまったように感 じた。私がまず泣き出した。姉もしばらくこら えていたが,やがて涙を流しはじめた。弟はと いえば,口をゆがめてずっと動かずにいたが,

ついにこらえきれず泣き出した。弟はとても悲 しそうに言った。「父さんと母さんが死んじゃっ たら,俺たちどうすればいいんだよ」

この「花弁飯」では,親子の葛藤がこうして和解 に至る情景が描かれる。文化大革命の騒ぎに巻き 込まれながらも,身を寄せ合って家族の愛を確か めあう親子五人の姿が描かれている。この家族の 物語では,文化大革命の際に提唱された ・子が親 を弾劾する・というキャンペーンが批判されてい る。家族の愛に不信を抱いて思春期を過した遅子 建が中年期に入って,改めて家族のつながりを取 り戻すことを切実に願う気持ちが表現されている ようだ。この時期に遅子建は初めて結婚したが,

その夫を大興安嶺山中の自動車事故で失うという 悲劇に襲われた。そのために一時期,遅子建の発 表する作品が少なくなったが,現在は旺盛な執筆 活動を再開している(14

家族の葛藤が描かれる遅子建の作品は「偽満洲 国」と「花弁飯」において,背景となる現代中国 の歴史に焦点が当てられるようになった。社会体 制が変わっても,人と人との軋轢は絶えることが なく,家族の葛藤も繰り返し反復される。遅子建 は幼い頃に家族とのつながりを失う体験をした苦 しみを作品の世界に再現することによって,その 悲しみを昇華していった。蕭紅や梅娘,遅子建と いう東北中国の女性作家たちは,こうした幼少期 の不安な体験を新たな文学を生み出す力へと転換 することによって,それぞれの文学者としての生 涯に進んでいったことが確認できるだろう。

お わ り に

東北中国の女性作家蕭紅が生まれたのは1911 年,辛亥革命の起こった年の6月であった。ハル ピン地方が明るい夏を迎える時期に,蕭紅は両親 の長女として,また祖父母の初めての孫として誕 生した。誕生の直後に長く続いた清王朝の体制は 崩壊して中華民国が成立し,蕭紅は新たな時代の 息吹の中で成長した。しかし,伝統的な中国の大 家族制度のもとで,この奔放な精神は家族と故郷 を捨てて逃亡せざるを得なかった。蕭紅のわずか 30年の生は封建的な制度と因習との戦いに費や され,植民地香港が新たな侵略者である日本によっ て陥落するさなかにそこで燃えつきた。1920年 に生まれ,満洲国の女子中学で思春期を迎えた梅 娘は在学中に早熟な文学の才能を示し,日本の文 壇でもいち早く注目され,日本占領下の北京で活 躍を続けた。その梅娘も満洲国の崩壊とともに姿 を消し,社会主義中国の収容所に囚われ,苦難の 道を歩んだ。消えていった二人の文学の世界は 20世紀の後半に再び光りが当てられ,新たな時 代に再生していく。人間の生命が永遠につながっ 東北中国の女性作家と喪失の意識

(10)

て再生されていくように,文学作品も次代の文学 に組み込まれて永遠に読みつがれていく。蕭紅か ら梅娘,遅子建へとつながる東北中国の女性作家 たちの文学と彼女たちの生涯が示していることは,

人間の文化に係わるものは個別に分断せず,つな がりあった関係性の中でとらえてみることの重要 性だと思われる。

(1) 三郎・悄吟 『跋渉』(哈爾濱・五画印刷社 1933年10月 三郎・悄吟は当時の蕭軍・蕭紅の ペンネーム)

(2) 蕭紅「家族以外的人」(『作家』第2巻第1号,

第2号 1936年10月~11月),同「手」(『作家』

創刊号 1936年4月),同「孤独的生活」(『中流』

創刊号 1936年9月)

(3)『蕭紅全集』(1991年)は韓長俊編,『蕭紅全集』

(1998年)は劉麗奇・戴淮明編。

(4) Rey Chow,WomanandChineseModernity

(UniversityofMinnesotaPress1991)

(5) 曹革成「無華秋水与波平」(『蕭紅研究』第3輯 哈爾濱出版社 1993年9月)

(6) 悄吟「初冬」(『生活知識』第1巻第7期 1936 年1月)

(7) 蕭紅「永遠的憧憬和追求」(『報告』創刊号 1937年1月)

(8) 1928年11月,ハルピンの学生たちが張作霖爆 殺事件に抗議して日本領事館に押しかけた隊列に 蕭紅も加わった。

(9) 梅娘『小姐集』(長春・益智書店)

(10) 梅娘「僑民」(『新満洲』1941年6月号)

(11) 張抗抗 「夏」(1979年作 黒龍江人民出版社

『夏』1981年1月所収)

(12) 遅子建「那卿卿了的……」(『北方文学』1985年1 月号),同「北極村童話」(『人民文学』1986年2 月号)

(13) 引用は金子わこ訳「花びらの晩ごはん」(季刊

『中国現代小説』第2巻第29号 2003年10月)

より。

(14) 遅子建「春天最深切的懐念 悼世君」(『生活 報』2002年6月2日)

(2006年12月15日論叢事務局受理)

東北中国の女性作家と喪失の意識

参照

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