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フランスの移民政策とそのディスクール

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(1)

産大法学 42巻2号(2008. 9)

フ ランスの移民 政 策とそのディスクー ル

中谷真憲

はじめに

〇〇五年秋に発生した郊外を舞台とした若者たちの暴動事件を受て︑フランスでは移民の取り扱いに関する大き

な政策変更が行われた︒サルコジ内相︵当時︶のリーダーシップに基づく﹁移民及び統合に関する二〇〇六年七月二四

律第二〇〇六一一号﹂︵以下二〇〇六年移民法と呼ぶによる択的移民政策の導入である同法によっ

︑フランスは︑家族呼び寄せを中心としたこれまでの移民受け入れのありからの転換をはかり︑国家が積極的に高

能力を持つ移民を択する方向へと進むこととなった︒

の法律の理念は押しつられた移民immigration subieから選的移民immigration choisieへ︑と明され

が︑ここには︑これまでは移民の都合による移民の受入れにすぎなかった︑というニュアンスがあると見ていいだ

具体的な法律の ︵1として目を引くのは︑﹁滞在許可証∧能力才能∨ 2︶フランスにおる十年間以上の 住証明に基づく滞在の例的許可正規化規定の廃 ︑﹁滞在証∧個人及び家庭生活∨の交付条件の て﹁受入・合契約﹂︵二〇〇三年導入︶の義務 ある︒

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かし︑これらの大改正にもかかわらず︑移民策をめぐるフランスの議論の枠組み自体は実はそう変化していない

ではないか︑と思われる︒たしかに択的移民︑という語には共和主義的な普遍主義からの逸脱を想起させるところ

ある

とはいえ

︑﹁滞在証∧能力

才能∨

設を除いては

二〇〇六

移民法も基本的にこれまでの移民法改

︑ないし国籍法改正の中でとりあられてきた右派の考え方の延長線上にあるものに過ぎない︒同化できないものを

らかじめ﹁入り口﹂段階で見分けて排除しようとする二〇〇六年移民法の発想は︑たとえ一九九三年の国籍法改正

る﹁意思表明条項﹂や︑移民に対する規制を強化したパスクワ法と精神を一にしている︒これらは社会党ら左派

言うように︑開かれているはずの共和主の否定なのだろうか︒左派にとってはそうだが︑右派にとってはむしろ共

主義の強化である︒右派は移民が滞在許可証や国籍得をするに当たって︑共和国精神を理解しフランス語能力があ

る︑ということを求めているからである

派︑左派がともに共和主義にこだわりながら︑その解釈がなるとすれば︑議論の主戦場がますます共和主義と移

民政策との整合性の問題に固定されがちになるのは当然であろう︒こうして移民策は︑共和主義を巡る論争の中で展

されるという現象が常態化することになる︒これはフランスの顕著な特である︒

動にまで発展したフランスの移民問題を︑人の移動が激しくなったグローバル化時代におるさまざまな矛盾の先

なあらわれと見ることはたぶん間違ってはいない︒この見方は敷衍すれ︑世界の先進国で多かれ少なかれどこにで

起こりうる例として︑フランスの問題をとらえる考え方に行き着くだろう︒しかしながら他方で︑その暴動の規模

きさやしさは︑フランスの例がいくぶん特殊なものではないか︑と思わせるものをもっている︒フランスの移民問

に特殊性があるとすれ︑それはすなわち先に顕著な特徴として述べた︑問題の論じ方そのものと関わるのではない

︒いずれにせよ今日のフランスの移民問題を考える上で︑そこに特性があるとしたら何に由来するものであるのか

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フランスの移民政策とそのディスクール

ついて︑考えておくことは有益であろう︒以下︑このことを目的にこの小をすすめるものとする︒

1︶〇〇六年移民法︵Loi n° 2006-911 du 24 juillet 2006 relative à l’immigration et à l’intégrationの改正点については︑高山

フランスにおける不法移民対策と会統合﹂︵国立国会図書館外国の立法﹄No.二〇︑二〇〇六年一一月が詳

次章でも原文と照らし合わせた上で依した以下のURLで読むことができるhttp://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/legislation2006.htmlまた同法と入国滞在法典Code de l’entrée et du séjour des étrangers et du droit d’asileそのものについてはhttp://www.legifrance.gouv.fr/から照した

2︶入国滞在法典L第三一

条〜L第三一五

九条︑二〇〇六年移民法第一五条

3︶入国滞在法典L第三一三

四条第三〇〇六年移民法第三

4︶入国滞在法典L第三一三

一条︑二〇〇六年移民法第三一

5︶入国滞在法典L第三一一

条︑〇〇六年移民法第

一章移民問題の全的枠組

一︶移民受け入れに関するフランス的特

ランスは︑過去二世紀にわたってヨーロッパでもっとも移民を受入れてきた国であり︑アメリカやオーストラリ

にも似た移民国としての史を有している︒たとえば一九三〇年の時点で︑人口十万人あたりの外国人人口はフラン

人であるのに対しアメリカは四九二人であり︑アメリカをも凌駕していたことにな

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ランスが移民に対して開放的であった理由は人口増大への指向植民との歴史的つながり共和主義的な理

︑そして労働力補の必要︑などさまざまに数え上げることができる︒ホスト国であるフランス側の要因として最大

ものは言うまでもなく︑労働力の補であり︑これは十九世紀から第一次︑第二次大戦後に至るまで︑もっとも自覚

に追求された︒十九世紀の産業発展は都市部での労力を必要としたし︑大戦後はまずは戦後復興のため︑そして経

成長のための労力が不足したからである︒

ランスはこの労働政策としての移民受け入れをコアとしながら︑上に挙たその他の要因によって︑移民の流入に

4 4

といってよい姿勢を見せてきた言い換えれ外からの労働力を必要としている社会状況がある限り 4

︑レッセ・フェール的で市場任せの移民流入が放置され︑法移民もかなり安易に事後承認するような傾向があった

のである

とえば一九五〇年代から六〇年代の済成長期にフランスにやってきた移民は︑国立入国管理局︵ONI︶の正式

手続きによらない不法入国であっても︑ひとたびフランスのを踏んでしまえば比較的簡単に合法的位を得ること

だっ 移民は︑戦後当初はヨーロッパ諸国出身が多くを占めたものの︑一九六〇年代に入りヨーロッパ諸国

の経済環境が平準化していくにつれ彼らに代わってマグレブロッコ︑チュニア︑アジェリア︶諸国出身者

︑そして七〇年代末からは東南アジア出身者︑九〇年代からはサハラ以南出身者が大してい 8︶

日のフランスにヨーロッパ諸国中最大の︑五〇〇万人とも推計されるムスリム︵イスラム徒︶が居住しているの

︑明らかに植民地との歴史的つながりによる︒第三共和制のフランスは︑内に対しては国民国家としての充実︑

しては植民地支の推進︑というヤヌスの顔を持つ体制であったが︑それは﹁啓蒙の思想﹂と﹁普遍主義の理想﹂の

様の現れ方であったと言える︒植民では︑フランス文明の光の下に植民住民を化せんとして︑フランス語

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フランスの移民政策とそのディスクール

はじめとする同化策が熱心に展開され︱しかし権利と法的地位に関してはフランス人とめったに同じではなかった

結果としてアフリカの地には広大なフランス語地域が広がることにな第二次大戦後に非植民地化がむ中

済的チャンスを求めるフランス語圏アフリカの人々が︑移民となってフランスを目指すのはごく当たり前の成り

きであった︒そして︑ホスト国フランスの側も︑労政策上の必要性︑かつての宗主国としての鷹揚さ︑人権大国と

ての意識︑などが妙に入り交じりつつ移民を迎え入れることになる︒少なくとも戦後の﹁栄光の三十年﹂の間は︑

民に国を閉す理由は存在しなかったのである︒

ランス社会の移民受入れに対する無頓着な姿勢にはおそらく︑より散文的な事実も介在していた︒つまり︑移民

関する統計的なデータが足しており︑事態の客観的な把握が難しかったのである︒フランスにおいてはエスニック

帰属も宗教的帰属も個人の事柄にぎず︑そういった事柄についての公式の統計が保存されない︒回答者の宗教が特

された国勢調査は一八七二年が最後であり︑一九七八年には人種的︑エスニック的データに関する公式計の記録が

的にも制限されているほどなのであ むろんこのこと自が共主義思想に由来することは言うまでもない︒しか

︑逆に無責任な当て量的数値が飛び交うことをむしろ許してしまうことになる︒たとえば︑ムスリム移民の数は研

者や的機関の推定ではおおよそ最大五〇〇万あたりに落ち着くことが多 ︵亜︶しかし︑式統計がないがゆえに︑

っとより過大な字が治的意図の元で極右国民戦線等にプロパガンダとして利用されても防ぎようがな 唖︶

た︑エスニック的︑宗教的な移民の内訳だでなく︑移民の総数についても分からないことが多い︒統計は﹁外国

生まれ出生時にフランス国籍を持っていなかったフランス定住者﹂である移民一世︱この中には定義上︑フランス

と外国人の双方が含まれる︱については記録しても︑国民に組み入れられた移民二世︑三世については痕跡を残さない

らである特に三世については国籍の自動取得条が生きている限り出生地主義と血統主義の組み合わせの中

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︑自動的に必ずフランス人となるため︑正確な統計的把は非常に困難である︒一九九三年の国籍法がこの自動取得

条項を廃止する以前の条件で︑移民一世が国籍を取得しなかった場合でもその子孫たちはどうなるかを考えてみよう︒

通しをよくするためにやや簡略化して記すが︑﹁外国生まれの外国人の両親のもとフランスで生まれた子たちは

人︵A︶﹂でる︒こる︵A︶は

年の間はその親によっ

て国籍取得の手続きを取ることがで

また一八歳の成人時にフランス国籍放棄の宣言をしないりはフランス国籍を自動的に取得できる︒︵

フランス国籍を取得した場合は︑その子供の三世は﹁両親のうちどちらかがフランス人であれ︑その子はフランス

であるため自動的にフランスとなるまた移民二世である︵A︶がず︑フランスと結婚しな

ったとしても︑その子である三世は﹁フランスで生まれた国人の両親のもと︑フランスで生まれた子供は出生時に

ランス国籍を有する﹂ため︑結局は﹁自動的に﹂フランスとな ︵娃︶

のような開かれた国籍のあり方はフランスこそがもっとも平等主義的で差別のない国だというりを生んでき

︒市民権に段階を設ける︱アメリカのように︑あるいはかつてのヴィシー府のように︱ことは︑一級市民と二級市

を作り出すことであり国籍=市民権については︑﹁もつかもたないか択しかないのだという考え方が社

に広く浸しているので ︵阿︶︒そしてたしかに生粋のフランスFrançais de souche同様の国民としての利を︑

多くの移民に与えてきたこの国を︑多文化主義的立場に立たないというそれだの理由で差別的だと見なすことは間

っているだろう︒フランスは紛れもなく大変に﹁開かれた国﹂であり︑移民を国家の構成員として抱えていくことに

容であり︑無頓着なのである︒

かしながらこのことは国民としての根本的な権利を与えている以上その後のことは個的事柄に属する問題

︑という態度に帰着しやすい︒利としての 4

4 4 4 4

入り口﹂をどう設計すべきかという議論︑つまり国籍付与を定する 4

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フランスの移民政策とそのディスクール

籍法や︑国民化につながる定住をコントロールする移民法︵入国滞在法︶に関する議が︱左右両派の間で対立しつ

んであるのに比べ︑実質的な

4 4 4

会統合政策がなかなかまないのはこのためである︒フランスは同化主義もしく 4

統合主義であると見なされがちであるが︑実際は会統合のための権利をじているのであって︑事実としての積極

な同化︑統合を進める政策にはむしろ欠ていると見るべきだろう︒

二︶移民問の登場と策の蛇行

在の移民若年層問題の根本は︑一九七四年の移民の受入れ停止に始まる︒石油ショックによる全欧的な景気後退

中で︑フランスも他の欧州諸国と同じく移民の受入れを停止した︒この時期にはすでにマグレブ系が︑ついで九〇

代にはサハラ以南アフリカ諸国出身が移民入の中心となっていくフランスの場合︑石油ショック後の帰国奨励策

もかかわらず︑本国のさらに劣悪な環境を嫌った移民の多くは出国する道をばず︑また家族再結合の権利は一九七

八年のコンセイユ・デタの判決によって守られてい ︵哀︶めに︑民は増えこそすれ減ることはなかった︒フランスに︑

の国に比べて目立つ点があるとすればそれは︑上述のように移民の子が国民に転化しやすいシステムを有している

ゆえに︑済的にそして広く社会的に︑劣悪な環境で育つ新たな国民や潜在的国民を大量に抱えてしまったことにあ

︒そしてこの実質上の二級市民は︑国民としてのフルな権利をっている︱あるいはもつはず︱ことから︑問題がか

って看過されやすい立場におかれた

よりも万人平等の公育が︑移民をエスニック的︑宗的出自から解き放ち共和国の市民へと生育していくことが

待されていたし︑大学に至るまで無償であるフランスの育制度が能力向上のための機会の平等を保障しているはず

もあった︒その期がガラガラと音を立てて崩れ去ったかに見えたのが︑パリ郊外のコレージュ︵中学校︶を舞台と

(8)

て始まった︑一九八九年のイスラム・スカーフ︵ヴェール︶事件である︒この事件については後の章でまたり上げ

が︑ここでは彼女たちが一九七四以後の環境で育ち︑この頃にちょうど思春期を迎えた頃であったことにだけ注

しておこう︒

九八〇年代以降の政府の移民政策は︑政権後退があるたに右派と左派でシーソーのように揺れてき それは主

入国管理︑法移民に対するコントロール︑滞在許可証の取得︑国籍の取得︑などの条件を巡るもので︑おおむね右

格化し左派が緩和するという形で︑入国滞在法と国籍法の改正に結びついてきた︒

葉の罠に陥らないために付言しておけ︑不法移民︵サンパピエ︶は必ずしも不法に入国︑滞在してきた者を指す

ではない︒正規に入国︑滞在してきて︑ある日突然に滞在許可証取得の条件がしくなったがためにそれを更新する

とができなくなったものをも含むのであ ︵挨一九九三の改正移民法︑通称パスクワ法が生み出した状況はこの典型

あり︑従来は認めてきた﹁フランス生まれの子の親﹂としての正規化の権利を止したため︑非正規滞在が急増

た︒子供が親と住む権利自体は尊重されるため︑こうした例では親も国外退去にはならず居留し続ける点は変わらな

一九九六年のサンタンブロワーズ教会の占拠に始まるサンパピエの正規化を求める動はここに原因があった︒翌

九九七年にジョスパン社会党内閣が足すると︑即時にサンパピエの正規化が通達されるのだが︑つまりフランスは

ねに︑右派的な〝序の回復〟志向と左派的な〝人道への配慮〟志向の間で揺れ動いているのである︒実際︑フラン

の正規化の頻度は︑州諸国の中でもっとも高 ︵逢

籍法についても︑上述した﹁自動的な﹂国籍付与の条項が無自覚なペーパー・フランスを生むという判断で右派

問題 ︵葵左派がそれをまたもとに戻す︑というぶれが見られる︒一九九三年の正国籍法では︑第四四条の﹁自

取得条項﹂を右派バラデュール権が廃止し︑国籍取得にはその﹁意思の表明﹂が必要とされるよう改められた︒し

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フランスの移民政策とそのディスクール

し一九九七年に左翼が権を取り戻すと﹁自動取得条

年間のフランス居住を条件として復活し︑成年にする前

言による得も可能とな 茜︶︒興味深いのはこの条が実

は︑国籍取得にほとんど変化を及さなかったことである

とえばハーグリーヴズの挙る数字に従え 穐︶自動得条

削除され﹁意思の表明﹂が必要となっていた一九九六

れに則った国籍得は二九八四五名であったが︑これは一

三年以前の﹁自動条項﹂による取得の推計二四〇〇〇名

と大きく変わらないむしろ増加している︶︒また左翼

動取得条を復活させたあとの二〇〇三年をとってみると

言による

得が二九四一九名

自動

得が四七一〇名で

︑早い段階で国籍を得してしまおうという移民二世の意

うかがえる

国滞在法

ったの﹁入口﹂で

ールが左右両派の象徴ゲームの様相を呈しそれが移民の

な管理という本質的解決には一向に結

ついてい

︵悪

一方

低家賃公共住宅HLMの集まる郊に犯罪暴力事

多発することはすでに七〇

代の終わりから認識されは

図 1  重罪・軽罪に関する刑事・司法捜査着手の対象人数における未成年者(18 歳未満)の割合(1978年〜 2003年)

出典:Bauer et Raufer, p. 123

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︑またそれらは八〇年代の半ばより︑持続的に上昇する向を見せてき

図1︶︒このような治安の悪化と失業率との関係には府も十分に

がついてはいた︒

〇〇二年に国立計経済研究所INSEE︶は︑問題の起きやす

区︵ZUS: Zones urbaines sensibles︶﹂では︑著な口減少にもかかわ

失業が非常に加している﹂と報告している︒フランス本土の七一六の

︵握うち一九九九年の時点で四六七万が居住︶︑一九九〇年には四 万人 程度だっ

た失業者が一九九九年には五〇万

程度に増加

+二二

渥︶︶︒また表1に見るようにZUS住民の一五一九歳の男性

〇歳︱二四歳の男性の失業率を一九九〇年と九九年で比した場合︑そ

二六

四パ

セントが四四パ

セントへ

二三

セントが

・二パーセントへと大幅に上昇している︒この場合も︑計はあくまで

S全体での数であって︑住民のエスニック別の統計はない︒しかしお

移民のそれだけに限れ失業率はさらに高い数値になる可能性が

︒移民の家庭の世代の技能資格の乏しさは︑子供の社会進出にハンデ

なったであろうし︑やはり実際の雇用の場︑労市場において民族的出

無関係であるかといえそれはそうではないからである︒

別はフランスだけの問題ではないが︑エスニック別政策を忌避するフ

表1 地域別にみた若年層の失業率(1990年、1999年)

フランス全国 ZUSを含む都市部 ZUS

1990年 1999年 1990年 1999年 1990年 1999年 男性の失業率

15歳〜 19歳 16.3 24.1 19.1 29.7 26.4 44.0 20歳〜 24歳 14.8 22.5 16.7 25.2 23.5 37.2 女性の失業率

15歳〜 19歳 28.6 35.1 29.1 36.4 36.3 50.7 20歳〜 24歳 25.3 28.4 24.1 27.4 33.0 39.5 出典:Hargreaves(2007), p. 55 (Source: INSEE data in HCI 2003: 38.)

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フランスの移民政策とそのディスクール

スの場合

是正への取り組みが遅れたのは事実である

イギリスの人種平等

員会

CRE: Commission for Racial

Equality

当するような﹁差別と平等のために戦う最高機関︵HALDE: Haute Autorité de Lutte Contre les Discrimina-

tions et pour l’Egalité)をフランスが設けたのは加盟国に独立した反人種差別の機関を設置するよう求めるEU指 て五年が過した二〇〇五年のことであ 旭︶

〇〇五年の暴動後の報道だが︑ヴァル・ドワーズ県のサルセル市の市長は︑地域のアソシアシオンへの国の助金

二〇〇三年以降二〇パセントも削減されたため業訓練支援や識字率向上のための活動ができなくなったと

ってい ︵葦この市長の憤は﹁地区によっては失業率が三〇パーセントを超えているというのに︑一ユーロも出せな

というのか﹂という言葉によくれている︒

の観点から見てみよう︒ある郊外の治安問の専門家は事態悪化の由の一つを︑郊外対策を美的 4

4

空間の 4

優先に進めるという政策ドクトリン上の方向性が間っていたことに求めてい ︵芦実は︑この点に関しては権交代

もかかわらず策の継続性が見られるのが面白い︒

こでは簡単に触れるにとどめるが︑都市計画好きのミッテラン権は一九九一年に都市問題を専門に扱う都市省を

足させていた︒八〇年代後半から頻するようになった郊外の問題に対しても都市政策上の対処が重要であると考え

この左派政権は︑上に述べたZUSを一九九六年に指定して︑低家賃住宅の改修や市街地の整備などの共事業を重

的に進めたのである︒これは言うなれば︑古くみすらしくなった低家賃住宅街を間的美的

4 4 4 4 4

再生して周辺地域 4

の再統合を進めようとするものであった︒この想は右派政権になっても引き継がれ︑﹁都市グランプロジGPV:

Grands Projet de ville︶﹂などの枠組みのもとで都市空間の再生という手法による郊問題への取り組みは続いてい ︒しかし財的に多大な費用を費やしたこれらの事業も︑治安上の効果には乏しかっ ︵鯵

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まとめ

ランスの移民問にはさまざまな要因が絡んではいるが︑以上のように見てくると︑

1︶植民との歴史的つながりによる移民の野放図な受け入れ︑が根底にあり

2︶右派の序志向と左派の人道志向の間で移民政策が象徴ゲーム化し︑

3︶データの足から実態把握が遅れる中で︑

4︶その移民策は﹁入り口﹂のコントロールに終始する︒一方︑

5︶国籍取得をした後の﹁社会的現実﹂は基本的に個の問題として扱われがちで︑

6︶実質的な策オプションにも乏しい︒

いう姿が浮かび上がってくる︒そしてそのすべての段階に根底的影響を及しているのが共和主義であり︑国籍と

教育が合を保障するという幻想である︒

和主義は議論のすべてのレベルに関係してくるがゆえに︑論理が自己撞着を起こしやすい︒共和主義的策が悪い

いうよりも︑共和主義そのものが目くらましになって何もまないのが問題なのである︒

ランスは民的出自に基づくコミュニティの形成は国民を分断するものとしてこれを拒否し︑均質で普遍的な国民

ナシオンからなる国家という形にこだわるフランスの移民政策とはつねに︑﹁啓蒙思想とフランス革に由来す

共和主義的理想を実践することで国人をナシオンへと変形する 梓︶った︒そ果︑﹁共的同化モ

ルでは︑︵移民第二世代のエスニク的民族的出自は消し去られてフランス人の子供との見分はほとんど見

分けがたいものとな ︵圧が︑見分がたくなるがために統合が進んでいるという錯覚も起きやすい︒国籍があっても統

とは言えないのではないか︑という問いに対しては︑フランスは公育があると考える︒共和国は学校に似ており︑

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フランスの移民政策とそのディスクール

校は共国に似ているのである︒

和国は人種的相違を等閑視し宗教的帰属をぎ捨てた学舎でフランス人移民の子供双方に共通 ヴィック文化 フランス的価観への誇りを教えもうとす 斡︶﹂︒

はしかし︑その学校の中で共和主義が挑戦されたらどうなるのか?フランスがイスラム・スカーフ事件に感じた

怖はそこにあるが︑それを論じる前にいったん︑最近の重要な移民法改正を概観して︑現在の移民策の潮流と共和

義との関連をっておこう︒

Gérard Noiriel, “LaRépublique des étrangers” dans Dictionnaire Critique de la RépubliqueVincent Duclert et Christophe Pro-chasson ed. Flammarion, 2002, p. 3277︶Amelie Constant,“ImmigrantAdjustment in France and Impacts on theNativesin EuropeanMigration: What do we know?Klaus F. Zimmermann ed., Oxford, 2005, p. 2738︶Jacques Barou,Europe, terre d'immigration: Flux migratoires et intégration, PUG, 2001, p. 95Jonathan Laurence and Justin Vaisse,Integrating Islam: Political and Religious Challenges in Contemporary France, BrookingsInstitution Press, 2006, p. 17

10ibid., pp. 19

11ibid., pp. 17-8極右の国民戦線は六〇〇万から八〇〇万人と過大に見積もりフランスの伝統の危機をあおるまた各イ

スラム団体が治的意図でもって自団体に所属する信者のを水増しすることもある︒

12中野裕二フランス国家とマイノリテ共生の共和国モデル﹄︵国際書院一九九六年六八六九頁および︑

Michèle Tribalatdir., Cent ans d’immigration,étrangers d’hier Français d’aujourd’hui,PUF, 1991, p. 8

13この典型はレジスドブレがアメリカのデモクラシとフランスの共和制の比較を念頭において書いた有名な論考

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たはデモクラトかそれとも共和主義者かで述べた考え方である一部を引用しておこう︒﹁共和制におティズ

シップは事実の問題ではなく︑権利の問題である︒たとえ︑市民の票権は持っているか持っていないかであって︑持っ

いるのなら︑全面的に持っているのである︒人民主権は分割して与えられるものではないし︑政治的権利には上下の関

があるわでもない︒ところが︑デモクラシーにおいては︑ファーストクラスの市民︑セカンドクラスの市民︑サードクラ

の市民といった区別が可能なのである﹂﹇林章の訳による︒﹃思想としての∧共和国∨日本のデモクラシのために﹄︵

ス・ドゥブレ・樋口陽一・三浦信孝・水林章︑みすず書房︑二〇〇六年︶︑十二頁﹈

14Amelie Constant, op. cit., p. 274

15外国人政策の変遷について高山直也が一覧表を作成しているので参照されたい高山直也フランスにおける不法滞在

の隔離措置の変遷﹂︵国立国会図書館﹃外国の立法﹄二三三号︑二〇〇七年九月︶

16Faiza Guelamine,Intervenir auprès des populations immigrées, DUNOD, 2000, p. 22でもこの点をはっきり摘している

17稲葉奈々子﹁サンパピエと市民権﹂︵三浦信孝編﹃普遍性か差異か﹄藤原書店︑二〇〇一年所収︶︑五二

18Philippe de Bruyckerdir.,Les Régularisations des étrangers illégaux dans l'Union Européenne, BRUYLANT, 2000, p. 49よれば

一九七四年から二〇〇〇年の統計で︑スペイン︑イタリア︑オランダ︑イギリス︑ベルギーと比較して︑フランスは一番頻度

が高く平四・三年間隔で正化を行っている︒これはイギリスの倍の頻度に当たる︒

d'une politique 1914-1997, Fayard, 1998, p. 4637 19Vincent Viet, La France immigrée: construction 右派のこの動きの背景にはむろん極右の国民戦線の伸張という事態がある

20共和主義的議論が国籍法を象徴ゲムのように扱たことについては拙稿フランスにおける移民の社会統合と共和国

念﹂︵河原祐馬︑植村和秀編﹃国人参権問題の国際比較﹄昭和堂︑二〇〇六年︶でも論じている︒

21Alec G. Hargreaves, Multi-Ethnic France: Immigration, Politics, Culture and Societysecond editon, 2007, p. 30 22Ralph Schor,Histoire de l'immigration en France: de la fin du XIXXXsiècle à nos jours, Armand Colin, 1996, pp. 281-2e

の際も︑ロカールがそれは選挙対策に過ぎず︑効果的でないばかりか社会的に危険だと批判している︒同法が移民問題の解

決にならなかったのは事実だが︑一方︑移民規制に関するこのような左派の批判も常套句である

23ZUSは一九九六年に指定され︑二〇〇六年現在で七五一にえている︒

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フランスの移民政策とそのディスクール

24Alain Bauer et Xavier Raufer, Violences et insécurité urbaines,op. cit., p. 52

25Hargreaves, op. cit.,p. 58 26http://www.lemonde.fr/banlieues-un-an-apres/article/2005/11/05/la-reduction-des-aides-exaspere-les-maires-de-banlieue_ 706879_706693.html︵二〇〇八年七月二五日現在

27Bauer et Raufer, op. cit.,p. 53

28ibid.,p. 53

29Amelie Constant, op. cit.,p. 264

30ibid., p. 264 31ibid.,p. 264

二章二〇〇六年移民法と共和主

策における画期をなしたとされる二〇〇六年移民法だが︑その内容を箇条書き風に簡単にまとめておく︒

一︶目点・﹁滞在許可証∧能力・才能∨﹂の新について

第三一一条はこの滞在許可証の交付対象者となる外国人とはその能力と才能によっフランス及当該

者が国籍を有する国の経済発展又は威光︑特に知的︑科学的︑人道的若しくはスポーツの威光に著しく及持続的な

法で貢する可能性をもっ ︵扱︶もの︑と定める︒期間は三であり︑通常の滞在許可証の一に比べても優遇されて

ることが分かる

更新も可能であるが

アフリカの約六〇カ国で構成される

優先

帯圏域

la zone de solidarité

(16)

prioritaire

︶ ﹂

の場合それは一回に限られており移民創出国の人材出懸念にある度配慮したものであるこ

かる︒

一〇年間の常住による正規化の止について

一〇年以上前からフランスに常住している国人に対する滞在証交付がこれまでのように当然に認めら

るのではなく個別のケース毎に判断されることとなった

定期間の常住証明による正規化の規定は基本的に社会党権下の一九八四年以来存続してきた︒一九八四年の移民

︵宛第一条︶では︑﹁一九四五年十一月日のオルドナンス第四五六五八号﹂を正して︑その第一四条で︑三年以 継続してフランスに正規に居住している国人に対して居住者証carte de résident︶﹂を付するとした他たと

えば三年の在住証明ができる無国籍者第一五条七項︶︑一五年以上の常住を証明できる外国人同条九項などに

も︑当利としてen plein droit自動的に証を交付すると規定していたこの常住証明による

動的な正規化﹂という考え方は︑右派の撃の的になり︑上の第一五条九項は政権交代ごとに廃止︑復活を繰り返す

なる︒

家族呼び寄せの条件の格化について

れまでは外国人は一年間正規に滞在していれ︑配偶者および一八歳未満の子供をフランスに呼び寄せることがで

た︵入国滞在法典L第四一一条︶︒これが︑〇〇六年移民法第四四条によって一八ヶ月の正滞在が必要とされ

ようになった︒また呼び寄せのための︑収入の基準もよりしいものとなってい ︵姐

受入・合契約の義務化について

受入合契約contrat d’accueil et d’intégration︶﹂は〇〇三年七月より行されていたが〇〇六年移民法

図 3 フランスのムスリムにおける断食の実践(%)
表 3 フランスのイスラム教に関する意識調査(%) 回答 1989年 1994年 2001年 2003年 ムスリムの要望があった場合、フラ ンスにモスクを建設することをどう 思いますか? 賛成 反対 どちらでもいい/わからない 333826 303137 312246 49474 自分の自治体の長にムスリムが選ば れることに反対ですか? はい 63 55 35 「ムスリム」の政党や労働組合に対 して敵意を感じますか はい 68 70 52

参照

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