組織間知識創造の場 としての港町
‑ 港町小樽の再生‑の提言 ‑
PortTownasAnOrganizationalFieldforKnowledgeCreation
‑ A ProposalforRevitalizationofOtaru‑
久 野 光 朗 鈴 木 智 弘 川 村 尚 也
はじめに
21世紀に向けて企業 と地域社会の新たな関係づ くりが求め られている。本稿 は,歴 史 的 に見 て企業 と地域 社会 が ダイナ ミックに共 存 し,持続 的成長 (sustainabledevelopment)1)を実現 して きた地域の一つ として港町に着 目し,今後その特性を組織間関係及び組織的知識創造の 2つの視点か ら分析 し てい くための予備的考察を行 うと共に,そこか ら得 られた知見を基に,港町小 樽 の再生 に向けた政策提言を行 う2)。具体的には,まず理論的背景 となる組 織間関係論 と組織的知識創造理論について簡単な レビューを行い,次いで本稿 1)1987年 に国連 ・環境 と開発 に関す る世界委員会 (ブル ン トラン ト委員会)が提唱 した概念であり,現在の世代のみな らず,次世代,次 々世代を も視野に入れた資源 配分の社会的公平性の確保を目指す ビジョンである。
2)本研究の成果の一部 は既 に (社)北方圏セ ンター (1993)「新港湾都市の創造 に向 けた小樽の街づ くりと国際化」『企業 と地域社会』(総合研究機構) として発表 され ている。同報告において対 ロシア極東経済交流についての研究を担当された小 田福 男小樽商科大学教授,研究事務局 として様 々な レポー トを提供 して頂いた (社)北 方圏セ ンター,及 び調査 ・イ ンタ ビューに快 く応 じて下 さった小樽,敦賀,小浜, 新潟,富山各市の市役所,商工会議所,企業,市民団体の皆様に感謝の意を表 した
い。
〔 3
1〕の中核概念 となる (1)港町 という普遍性の高い概念 と,それを小樽固有の歴 史的 ・地理的特性に即 して展開す るために必要な (2) 日本海回船港 とい う概 念をそれぞれ検討 し,最後 にそれ らを踏 まえて港町小樽の活性化 に向けた提言 を示 したい。
1.本研究の理論的背景 1. 1 組織間関係論
本研 究 の一つの重要 な理論 的背景で あ る組織 間関係論 (interorganiza‑
tionaltheoryandmanagement)の創始 は1960年代 に遡 る3)。 Levine
&
White(1961)は,組織間で資源を交換するという資源交換パースペ クティブ を提示 し, キー コ ンセ プ トと して,資源,交換, ドメイ ンを挙 げた。 また Evan(1966)は,焦点組織 と,それに資源 ・情報を提供す るイ ンプ ッ ト組織 セ ッ ト (群),及 び焦点組織が資源 ・情報を提供す るアウ トプ ッ ト組織セ ッ ト
(群) との関係を記述す る,組織セ ッ ト・パースペ クティブを提唱 した。ただ し組織セ ッ ト・パースペ クティブでは,組織間の対境担当者の分析を通 じた焦 点組織の行動の記述 に重点が置かれ,組織間関係その ものの形成理 由を説明で きない。このためその後1970年代 に入 ると,現在,組織間関係論の支配的パ ラダイム とな って い る資源依 存パ ースペ クテ ィブが登場 した。Pfeffer
&
Salancik(1978)が集大成 した資源依存パ ースペ クティブは,以下 の前提 に 基づいて組織間関係が形成 される理 由を明かに しよ うとす る。 第‑ に,組織 は 自己充足的な存在ではな く,組織の存続に必要な資源を保有 ・コン トロールす る外部の他組織 に依存 している。 この依存関係 は,他組織の保有, コン トロー ルす る資源の重要性 と,資源の獲得チ ャンネルの多様性 (資源の集 中度)によっ て規定 され,組織 は,他組織 にとって稀少かつ重要 な資源を独 占す るほど,他
3)組織 間関係論 につ いての優 れた レビュー と して は,山倉 (1993),佐 々木 (1990), Galaskiewlcz(1985)などが挙 げ られ る。本稿 での レビュー は山倉 (1993)の枠 組 を参照 している。
組織 間知識創造 の場 と しての港 町 83 組織に対 してパ ワーを持っ 。 第二 に,一般 に組織 は自らの自律性を高め,他組 織‑の依存を回避 しようとする。資源依存パースペクティブの基本的な分析単 位 は,組織セ ッ トパースペ クティブと同 じく個別組織であり,焦点組織 は他組 織への依存を減少 させ,組織間のパ ワー不均衡に対処す るための環境の操作 ・ 処理を行 うことによって,組織間関係の管理を行 うことができる。
1980年代 に入 ると,組織間関係論の分析単位 は,個別組織か ら,雛織の集 合体などにまで拡張 され,い くつかの新たな視点が提唱された。例えばAst‑ 1ey&Fombrun (1983)による協同戦略パースペクティブは,組織の集合体 を分析単位 とし,異なる価値や利害を持つ複数の組織による協同,共生,協力 関係の形成 に焦点を当て る。また Meyer& Rowan (1991),DiMaggio&
Powell(1991),Scott& Meyer (1991)な ど4)によって展開 された制度化 パースペクティブは,組織 はそれが埋め込まれている制度化 された環境,すな わち 「組織 フィール ド5) (organizationalfield,DiMaggio
&
Powell, 1991)」に同調す ることによって正統性6)を獲得す ると主張す る。組織 フィー ル ドとは,Warren (1967)の 「組織 間 フィール ド (interorganizational field)」,即ちある地域 に共存す る様 々な組織が相互作用を行 う場7)という概 念を発展 させた ものであ り,組織間フィール ドが特定の地理的境界内部での組 織間の水平的関係 に焦点をあてるのに対 して,組織 フィール ドは組織間の水平 的および垂直的な機能的連関を強調 した概念である (Scott,1991)。議会 ・政 4)初 出 はそれ ぞれ Meyer&Rowan (1977),DiMaggio&Powell(1983), Scott& Meyer(1983)であ るが,本稿で はPowell& DiMaggio (1991)所 収の論文を用いる。5)Scott(1991)によれば,Scott& Meyer(1991)の 「社会的セ クター (societal sector)」及 びScott(1987)の「機能的組織 フィール ド(functionalorganizational field)」に相当す る。
6)Legitimacyは正 当性 と訳 され ることも多 いが,本稿で はその原義 に照 らし,正 統性 と表記す る。
7)Warrenは この 「場」 とい う概念を,区urtLewin,Field Theory inSocial Science(New York,Harper,1951)の 「相互 に依存 しあ うと考え られ る,共 存なる事実の全体」 という意味で用いているが,本稿で も基本的にこの定義を継承 す る。
府や同業他社,専門家組合など複数の組織か ら構成 され る組織 フィール ドは, 立法や行政,業界基準の設定などの制度化を通 じて,組織に制約を課す と共 に 正統性を賦与す る。組織 はこのような制度化 された組織 フィール ドへの同型化 (isomorphicchange,DiMaggio
&
Powell,1991) によ って正統性 を獲 得す る8)が, これ は同時に組織の業務活動の効率性 を低下 させ る。 これを回 避す るため,組織 は取 り込んだ制度 的要素 と日常活動を非連結化(decoupling)した り,組織の内外に対 してその信頼性 と誠実さを強調す ることによって,内 外か らの監査や評価 を形骸化 しよ うとす る (Meyer&Rowan,1991)。80年 代に展開 した組織間関係論の新たな流れには, この他 に取引 コス トパースペ ク ティブやポピュレーシ ョン ・エ コロジ‑パースペ クティブなどがあるが, これ
らは必ず しも対立的な ものではな く,分析の 目的や対象 に応 じて,相互補完的 に使い分 けてい くべ きものであろう。 この うち本稿で はとくに制度化パースペ クティブに依拠 した分析を行 う。 これは (1)分析対象 となる港町の社会組織 が,なん らかの機能的連関を持つ政府,企業,同業者組合,外国政府や外国企 業など,機能 ・目的や社会的 レベルの異 る極めて多様な単位組織によって構成 され る組織 フィール ドであ ること,及 び (2)分析の 目的を,そ う した組織 フィール ドとしての港町をマ クロな社会 ・経済 システムとして包括的に捉え, そこにおける組織間調整のメカニズムを明かにすることに置 く為である。
1. 2 組織的知識創造
本稿の もう一つの重要 な理論的背景である組織的知識創造の理論 は,伝統的 なバーナー ドやサイモ ンのそれ とは異なる組織観,即 ち 「組織は,個人の持っ 知識を共有 し,増幅 し,組織固有の知識を創造す るために形成 され る。」 とい う基礎認識を出発点 とす る, 日本独 自の組織論の新たなパースペ クティブであ 8) 山倉 (1993)は制度化パ ースペ クテ ィブが組織 の受動 的側面 を強調す る環境決定 論的性格 を持つ と指摘 しているが,制度 的同型化 による正統性獲得行動 は,新産業, 企業 による社会的認知の獲得や,官民共同研究開発 プロジェク トや戦略提携 による 新技術 ・産業標準 の確立 などに見 られ るよ うに,能動 的 ・積極 的意 味を も持 ち得
る。
組織 間知識創造 の場 と しての港 町 35 る9) 。 この理論で は,人間の知識 には言語化 ・形態化不能 な知であ る 「暗黙 知」 と,言語或は形態に結晶化 された 「明示知」の2種類があ り,新たな知識 は主 として組織の成員各個人が持っ暗黙知 と明示知の循環的相互変換 によって 創 られると考える。 この相互変換 は集団 という 「場」における個人間の社会的 な相互作用を通 じて行われ る。集団に対す る個人の自律的 ・全人格的なコ ミッ
トメン トと,そこか ら生 まれ る相互信頼,およびそれ らに基づ く濃密かつ継続 的な対話 によって,個人の知識が集団に共有化 され,そ こか ら集団固有の知識 としての新たな概念が創造 されるのである。 こうして創造 された概念 は,次に 具体的な製品やサー ビスなど特定の形へ と形態化 されるが,その過程で基 とな る概念 自体が再び吟味され,場合 によっては全 く新たに創 り直 され ることもあ る。 このよ うに概念化 と形態化の反復を経て産み出された新たな知識 は,最終 的には組織固有の価値基準 によって正当化 されて,初めて組織的な知識,即ち 組織行動を決定す る固有の認知的 ・手法的能力 として結晶化 され る。組織 はこ の能力によって新たな意味空間の形成 と更なる外部の知の獲得を行 い,そ こか
らまた新 たな知の創造を展開 してゆ く。 こうした組織内部での知識創造のモデ ルは組織間 レベルにも拡張が可能であり,企業間の戦略提携などに見 られるよ うに,複数の独立組織が相互 に協力 しあって,単一の組織では作れない新たな 知識 を産み出 してい く, とい う組織間知識創造のモデル化が可能であ る10)。
こうした組織間知識創造を実現す るためには,複数の独立組織が協同作業を行 うことについての正統性の獲得 と, トップマネ ジメ ン トか ら現場 に至 る組織の 全階層での相手組織 との経験の共有,及びそれを踏 まえた強固な相互信頼の確 立が不可欠 となる。
9)組織的知識創造の概念 と理論については野中 (1990),野中 ・紺野 ・川村 (1990) を参照。
10)組織 間知識創造 につ いての これ まで の議 論 と して は野 中 (1991),伊 藤 ・鈴木 (1991)を参照。
2.港 町の経済 ・社会 システム
本章では上述の組織間関係論, とりわけその制度化パースペ クティブと,組 織的知識創造 という2つの理論枠組を基 に,港町の社会組織を組織間知識創造 のための組織 フィール ドと捉え,そのダイナ ミズムの解明に向けた予備的考察 を行 う。 まず本稿の中核概念である港町について,その定義 と機能を明かに し た上で,ベネチア, リューベ ック,アムステルダム, ロン ドンなど,中世以降 に発達 した世界の港町を例 にとりなが ら,それ らの社会組織 に共通の組織化原 哩,およびそ こにおける組織間調整 システムの特徴を明かにす る11)0
最初 に本稿で検討す る 「港町」の概念 を明かに してお こう。 北見 (1993) は,現代の都市学 においては一般 に,「港町」 とは 「港 を中心 に発達 した集落」
とい う都市の歴史的分類を示す用語であ り, これに対 して 「港湾機能を持つ都 市」 とい う都市の機能的分類を示す言葉 として 「港湾都市」がある, と述べて いる。 しか し,北見 自身 も指摘 しているように,現実にはこうした区分 は厳密 な ものではな く,都市論や地理学など関連諸学において も統一的な見解 は存在 していない。従 って本稿ではこうした既存の定義 とは異 った角度か ら,港町を
「海洋 ・河川 ・道路 ・鉄道 ・空路などの交通 ・輸送チャネル と,そ こを流れる 人 ・物 ・知識,チャネルを相互 に結 び付ける港湾や駅,空港などのター ミナル とそれを とりま く都市 システム,それ らを活用 して交易など経済活動を行 う社 会組織 とそれが構築す る交易ネ ッ トワ‑クか ら構成 される,一つの経済 。社会 システム」 として定義 してお きたい。 これ は一般にイメージされ る 「海港ある いは河川港のある都市」を原型 としなが らも,それよ りも一段広 い概念であ り,
こうした広い定義を行 うことによって,港町を,全ての都市 ・地域の経済発展 の原動力 となる経済 ・社会 システムの一つのプロ トタイプとして捉えることが できる。 つまり,われわれの定義す る港町 とは,都市 ・地域 システムの一つの サブシステムであ り,都市 ・地域の経済活動の核 として, ローマや京都,パ リ ll)以下の各港湾都市についての叙述は,高見 (1989),Braunfels(1976),Hib‑
bert(1986),清水 (1989)などを参照 している。
組織 間知識創造 の場 と しての港 町 37 など,一般には港町とは呼ばれない管理機能都市の内部にも存在す るものであ る。
港町を このように捉えると,世界の歴史, とりわけ中世以降の資本主義 シス テムの成立 ・発展期におけるそれは,水運を中心、とした港町を舞台 として創 ら れたといって も過言ではないことは明かであろう。 ロン ドン,ニューヨーク, パ リ,東京など世界の大都市の多 くは,その起源を港町に持ち, これに行政の 管理機能が付加 されて成立 した ものであり,逆に水運 システムを全 く持たない 大都市は極めて稀である。 また歴史を遡 って も,アテネに代表 される古代ギ リ
シアの多 くのポ リス,古代メソポタ ミア文明のウル,バ ビロン,古代エジプ ト 文明のメンフィス,チ‑ベ,マケ ドニア朝のア レクサ ン ドリア,東 ローマ帝国 の首都 ビザ ンチウム (コンスタンティノープル),中国の洛陽,長安など,世 界史を動か した港町は枚挙に暇がない。水利 ・水運に乏 しか ったローマはそれ を代替すべ く陸路を整備 し,全ての道 はローマへ通ず ると呼ばれるほどの発達 した陸上交通 ・輸送ネ ッ トワークを構築 し,そのター ミナルを市内に置いた が, これ もわれわれの定義に従えば一種の港町である。 日本の城下町 もその多
くは商人町と市 (いち)を中核 とした港町を内包 している。ただ し20世紀に入 ると交通 ・輸送機能の陸路 ・空路‑の移転が進み,水運 による港町の物流拠点 としての役割は急速に低下 していることも事実である。都市計画の専門家の中 には,現代において港町 とはせいぜい観光資源 としての利用可能性 しか持たな い,過去の遺物 に過 ぎないという見方 もある。 しか しなが ら,われわれの定義 に従えば, こうした機能移転は港町の位置の移動に過 ぎず,現代及び未来にお いては,駅や トラック ・セ ンター,空i巷を核 とする港町が成立す ることも十分 想定が可能である12)0
12)ただ し現在の空港の多 くは航空輸送 と陸上輸送 とのスピーディーな接続 (イ ンター モーダル機能)を重点においた設計 となってお り,商取引の場 としてはあまり機能 していない。つまり,商品集散港における埠頭の機能だけを持つ港町のサブシステ ムであ り,空港を核 とした港町を構築す るためには,人及び物を滞留 させ る機能(オ フィス機能,マーケ ッ ト機能, コンベ ンション機能,倉庫機能など)の充実が必要 である。
ただ し,現存す る水運を核 とした港町には,古代か ら存在す る商品集散港(ア ン トルポ‑)をベースに した もの と,主に産業革命以降の工業化に伴 って発達 した通過港 (トランジッ トポー ト)をベ‑スとした ものの2種類がある(高見, 1989)。 この うち通過港の多 くは,石炭の輸入港や綿織物の積出港など,交易 ネ ッ トワー ク全体か ら見 ると一部の限定 された機能 に特化 している傾向が強 く, しば しば輸移出/入バ ランスや取扱品 目に偏 りが見 られ,また新たな商取 引が通過港で行われ ることも少ない。従 って通過港の多 くは,交易 システム全 体の動向に強 く影響 されて極端な盛衰を見せる傾向があ り,社会組織や技術の 多様性 と蓄積 に欠けるため,商品集散港ほどの独 自の主体性 とダイナ ミズムを 持たない。 このため本稿では以下,「水運による商品集積港をベースに発達 し た都市」を港町のプロ トタイプとして捉え,その事例研究を通 じて港町の特性 を明かに したい。
古代か ら現代に至 る世界の港町の歴史を紐解いてみると, こうした港町の固 有の機能 として,次の 2点を抽出す ることができるだろう。 一つは,資本の集 約 ・蓄積 ・再投資のための社会装置 と しての役割であ り,その実例 は港町に 育 った多 くの金融資本や大貿易商,商社などに見 ることができる。 これは資本 主義経済 ・社会におけるすべての都市 ・地域 ・産業の発展の原動力 となるもの である。二つ 目のより本質的な役割 は,交易ネ ッ トワークを通 じて多様な知識 を集約 ・蓄積 し,さらに新たに創造 してい くための組織 フィール ド,すなわち 組織間知識創造 フィール ドとしての役割である。港町の社会組織 は,貿易業者, 運輸業者,金融業者 (銀行家),港湾業者 (通関 ・検品 ・荷役業者),倉庫業者, 造船 ・機械 ・金属加工の職人などか ら構成 される,ひとつの組織 フィール ドと 捉え ることがで きる。 こうした組織 フィール ドによって構築 され る港町の経 済 ・社会 システムは,同質性 ・求心性の強い 「首都」や 「城下町」 とは対照的 な,異質性を中心に抱えた遠心的 ・開放的システムである。 この異質性 とは, 交易ネ ッ トワークを通 じて絶えず流れ込む多種多様な異国の知であり,港町は これ らを町の周辺ではな く,その中心地に抱え込んでいる点で,都市論的にも 極めて異色の都市 といえる。町の中心に流入 した多様な知 は,港町に蓄積 され
組織間知識創造の場としての港町 39 た固有の知を動員 しなが ら相互作用を繰 り返 し,そこか ら新たな知が創造 され
る。後述す るように,多 くの港町の中心 にある市場や商品取引所 は,組織間相 互作用の場 として こうした組織間知識創造を促進す る。とくにそ こでは,書簡, 新聞,電信,電話, コンピュータなどの他の通信 システムでは伝達できない, 物 と人に体化 された暗黙知が共有 ・伝達 されるのである。そ して こうした組織 間知識創造のプロセスが,港町の経済 ・社会 システムを刺激 して特有のダイナ ミズムを産み出す と共に,他のどの町とも異 る独 自の文化 と景観を醸成 してい く。
このように,港町とは絶えざる資本 と知識のフローによってのみ成立するダ イナ ミックな経済 ・社会 システムであり,新結合 (イノベーション)を産み出 す企業家の貯化器な らびに活躍の舞台 として,都市 ・地域の経済発展の駆動輪 としての役割を果たす もの と考えることができる。 こうした港町の本質 は,資 本 と知識の 「噴水」 というメタファーで表現することができるだろう。ベルグ ソン (1889)は人間の意識の本質を 「純粋持続」,すなわち絶え ざる生 き生 きとした流れ と捉え,それを噴水のメタファーで表現 している。 このように考 えれば,港町とは人間に良 く似た,極めて人間的なまちであり,古来様 々なロ マ ンや ドラマが生まれる場,人間の生 き生 きとした生活が浮 き彫 りにされる場 としてイメージされてきた理由も理解で きる。
2. 1 組織 フィール ドと しての港町
本節ではベネチア,フィレンツェ, リューベ ック,‑ ンブルグ,アムステル ダム,ロン ドンを取 り上げ, これ らの港町の社会組織に共通する組織化原理を 抽出 し,その経済 ・社会 システムのダイナ ミズムの源泉について考察を行 う。 港町の社会組織の特徴を一言で言 い表すな らば,それは開放性 と閉鎖性 (依存 性 と自律性)のダイナ ミックバランスを産み出す組織 フィール ド, と表現する ことができるだろう。 より具体的には,以下の3つの組織化原理を抽出す るこ とができるが, これ らはいずれ も港 としての開放性 ・相互依存性 と,独立の社 会 ・経済 システムとしての独 自性 ・主体性 との絶妙なバ ランスを可能 とす るも
のである。
2. 1. 1 対外的 ・対内的自律性の獲得 と維持
港町の社会組織に特徴的な組織化原理の一つは,対外的 ・対内的な自律性の 獲得 と維持である。港町の社会組織 は,(1)参加者 による自治体制の確立 と (2)外部権力 との巧みな合従連衡,および (3)港町内部への資源蓄積によっ て対外的なパ ワーを強化 し,外部権力の遮断 (内政干渉の排除) と対外的地位 の安定化を同時に達成 しようとする。多 くの港町では,成立期にそ こに移住 し てきた様 々な商人が,港町の内部でのみ通用す る独 自の場のルールを確立 し, それを核 に自由と平等を原則 とした自治体制を構築す る。港町の社会組織 は, この自治体制 という組織間調整 システムを用いて,内部の対立や分裂を防止す ると共 に,対外的には外部権力の形式的受入を行い,独立主体 としての正統性 を獲得 しようとす る。外部権力の形式的受入 とは,まず教会や皇帝,封建領主 などの統治制度 との同型化 (DiMaggio
&
Powell,1991)を行 った上で,さらにそれ に よ って取 り込 ん だ制度 的ル ール を,港 町 自治体制 と非 連結化 (Meyer&Rowan,1991)す ることを指す。港町はこうした内部統合及び外 部権力の形式的受入によって対外的パ ワーを強化 し,外部権力による侵略や支 配,内政干渉を可能な限 り排除 して,いかなる外部権力にも束縛 されない自由 な商業活動を保証 しようとするのである。一旦 こうした自由な商業活動の場が 形成 されると,それは交易の場 として港町内外のより多 くの商人を魅 きっけ, 地場商人の事業拡大 と共に外部か らの新たな商人の移住を促 し,富 ・技術 ・情 報などの資源が急速に蓄積 される。そ して こうした資源蓄積が更にその対外的 パ ワーを強化す るのである。 こうした自律性の獲得 ・維持の施策 としては,共 和制に代表 され る自治体制の確立,皇帝特許などに代表 され る対外条約の締 結,商法体系の整備などによる市場秩序 ・取引秩序の確立などを挙げることが で きるだろう。 また多 くの港町では,地理的特性或は外部秩序 に依拠するので はな く,市場 ・交易所における商取引を中心 とした都市設計が行われたが, こ れ も自律性の獲得 と維持 に関わ っていたものと考えることができる。 この うち
組織間知識創造の場 としての港町 41 自治体制については次節で議論することとし,本節ではそれ以外の施策につい て事例を通 して考えてみたい。
12‑15世紀にかけて地中海世界で繁栄を誇 ったベネチアは,535年 に東 ロー マ帝国の領土 となったが,政治的 ・経済的には自律性を維持 し, ビザ ンチウム を核 とした地中海交易ネ ットワークを活用 して都市経済を発展 させた。そ して 840年 にはフランク王国のカール大帝 と条約を結び,西 ヨーロッパ と東 ローマ 帝国全域 との通商特権を獲得 した。 また1177年 にはローマ教皇及び神聖 ロー マ皇帝パルバ ロツサとの同盟条約を結ぶなど巧みな外交政策によって,西欧 ・ 地中海世界の政治情勢が大 きく変動する中でその独立を保ち,交易ネ ッ トワー
クを拡大 ・維揺す ることに成功 したのである。‑方内政面では,商人貴族 (マー チャン ト・プ リンス)の個人資産及び家族事業 としての商船の保有 と運行を早 くか ら承認 し, 自由な企業活動を保証 した。また,都市 自治のシンボルである 市の守護聖人マル コの遺骨を市政の中心である総督 (ド‑ジュ)の礼拝堂に安 置する一方で,外部権力である司教座聖堂は町の辺境に配置する, といった都 市空間の設計 も, こうした自治体制の確立 ・強化 と外部権力の形式的受入を象 徴的に示す ものである。
ベネチアとほぼ同時期の13‑15世紀に北 ヨーロッパ交易で栄えた‑ ンザ同盟 は, リューベ ックを実質的な盟主 とす る,‑ ンブルグ,プレ‑メン,ケル ン, ダンチ ヒ, リガなどの自由港湾都市同盟である。 同盟各都市は, リューベ ック 都市法をベースに したそれぞれの都市法 と共に,共同で レセスス ・‑ ンザ及び レセスス ・シピタツム ・‑ ンゼアティカルムと呼ばれ る 2つの成文法を確立 し,I同盟の内部組織及び商取引の秩序の維持を図 った。その中核 となるリュー ベ ックは, とりわけ1226年以降神聖 ローマ帝国直属の 自由特権を獲得す るま での60年間に,北 ヨーロッパ東西交易の集散中継地,すなわち高度な手工芸品 などの西側商品 と東側の狩猟 ・漁労 ・農産物の交換地 として急速に発展 した都 市である。その商業都市 としての発展 は,1158年の商人居住区の新設に始まった が,1257年 にこれが焼失す ると,領主ハイ ンリッヒ獅子王 は都市支配権の掌 瞳を目論み,商人 に川沿いの条件の悪い土地を割 り当てた。 これに対 して商人
層 は,港 と商品倉庫 に通 じる中心地区の一部の割譲を要求 し,以後それまでの 土地領主の主権の排除 と司教権の制限を進 めていった。 この結果,領主の居城 は修道院 と市壁 に変貌 し,司教座聖堂 も辺境地区に設立 された。そ して1286 年 には市参事会が聖堂保護権を獲得 し,教区聖職者の任免権を も握 って,商人 層 による自治体制の基盤が築かれたのである。 こうした商人勢力によって構築 された市の中心、建造物 としては,市議会議場 としての都市教会堂,市庁舎,市 長用の公的礼拝堂,織物会館,そ して市の参事会館 としてのベネディク ト派修 道院などが挙げ られ る。‑ ンザ同盟の もう一つの中心的都市である‑ ンブルグ は,1189年 に大地主兼商人のア ドル フ3世が,神聖 ローマ皇帝 フ リー ドリヒ 1世 (パルバ ロツサ)か ら,免税特権,南エルベ川か ら北海 までの 自由航行権, 司法 ・裁判権,漁業権 な どの特権 を獲得 して成立 した都市 で あ る。 その後 1190年 には市議会設立,1292年 には憲法採択,1241年 には リューベ ックとの 相互防衛協定の締結が行われ るなど,内部の自治体制の整備 とハ ンザ同盟参加 による対外関係の安定化が同時に推進 された。 この結果,‑ ンブルグの商業資 本 も,初期の行商人か ら定住の卸/小売商人へ,そ して更には馬車 ・商船隊を 持っ貿易商人へ と成長を遂げていったのである。
16世紀に入 ると,新大陸など地理上の発見 に伴 って, こうしたイタ リア ・ド イツの 自由都市の勢力 は低下 し,代わ ってスペイ ンとポル トガルが世界規模で の貿易の支配権を握 った。イ ン ド・中国 との遠隔地貿易で栄えたポル トガルの 港町 リスボ ンでは,旧来の土地貴族 はスペイ ンへ追放 され,代わ って貿易商ギ ル ドを支持基盤 とす るア ビス王朝が,商業重視 の町づ くりを行 った。 ジェノ ヴァ生 まれの冒険商人 コロンブスもこの時期 に リスボ ンに移住 している。 しか
し,スペイ ンとポル トガルの遠隔地交易は,中南米, イン ド,東南 アジア植民 地か らの希少物資の輸入を中心に植民地の富の一方的略奪 に終始 し, 自国経済 と植民地経済 との有機的結合を行わなか ったため,17世紀 に入 ると,本国工業 の市場 として植民地経営を行 ったオランダ‑ と繁栄の中心が移行 した。
このオラ ンダの繁栄 もまた,資本蓄積 と外部権力の利用 による自律性の確立 と維持か ら生 まれた ものである。16世紀の北部ネ‑デルラ ン ドの商人階級 は,
組織 間知識創造 の場 と しての港町 43 新教 と商工業を抑圧す るスペイ ン王政の下で苦 しんでいたが,16世紀末にはそ の資本力 と巧みな外交 によ って英仏 や ドイ ツの新教諸侯 の支援 を取 り付 け,
1609年 にはオ レンジ公 ウィ レムの下 にオ ラ ンダの独立を勝 ち取 り,外部権力 の くび きを取 り去 ったのであ る。オ ラ ンダの首都 アムステルダムは,1275年 に商業都市 として設立 され,14世紀 には都市権を認め られた古い港町であるが,
16世紀にはフランスを追われたユ グノー教徒を中心 とした新教徒 と,スペイ ン を追われた裕福なユダヤ商人の移住を受 け入れた。前者 は新教諸侯か らの支援 の獲得を,後者 は資本蓄積を促進 した。
17世紀のアムステルダムの繁栄 は,英蘭戦争 によってオラ ンダの制海権がイ ギ リスに奪われ ると共 に, ロン ドンへ と移行 した。 ロン ドン (シティー)の起 源 は古代 ローマ帝国の要塞都市 ロン ドニウムにまで遡 ることがで きるが,410
年 にローマ帝国が これを放棄 した後 もブ リテ ン島最大の都市 として発展 を続 け,10世紀以降はケル ン,ブレーメン,‑ ンブルグなどか ら来た ドイツ商人団 が ここを拠点に活躍 した。かれ らは13世紀以降は‑ ンザ同盟の商人 (スチール ヤー ド・マーチ ャン ト) として,北イタ リアの金融資本 と共 に,国王 に応分の 税金を支払 うことで, 自由な交易を保証 され,他の封建諸候に匹敵す る都市 と しての国際政治力を持つ ことがで きた。その後16世紀の重商主義期には,ギル
ド的なロン ドン商人団体マーチ ャン ト・ア ドベ ンチャラーズや東イ ン ド会社な ど,王権 と結び付 いた特権的商業資本が台頭 し,強力な軍事力を持つ大規模な 商船隊を組織 して交易ネ ッ トワークを拡大 し,国際貿易港 としてのロン ドンの 地位を確立 した。 しか し17世紀に入 ると, こうした特権的商業資本による植民 地交易の独 占に対 して,中小商工業者 ・労働者 ・産業資本家など新興の中産市 民階級か らの反発が強まった。 こうした対立は清教徒革命 と名誉革命を生み, これによって特権的商業資本の地位が低下す る一方,代わ って権利章典の公布 によって産業資本家の自由な活動が保証 された。更に18世紀には,アメ リカな ど植民地 の政治支配か らの後退 に伴 って植民地交易その ものの独 占も廃止 さ れ,18世紀半ばまでには自由貿易の原則がほぼ確立 されたのである。
2. 1. 2 交易ネ ッ トワークを通 じた知の還流
港町の社会組織の第2の組織化原理 は,交易ネ ッ トワーク内部の多様な知の 還流を促進す ることにある。 このためにはまず,(1)経済力 ・政治力 ・軍事 力などを背景 とした交易ネ ッ トワークその ものの拡張 と維持,(2)交易ネ ッ
トワー ク内部での人 ・物 ・情報の還流を促進す る産業連関の確立,及 び (3)
そ うした人 ・物 ・情報の還流を保証す る共通のコ ミュニケーションプロ トコル の確立が不可欠である。さらに (4)交易ネ ッ トワーク内部では,様 々な港町 がただ単 に人や物,知識の流れによってつながれているだけでな く, より能動 的にそれぞれの内部 に相互 に浸透 しあ うことが極 めて重要で ある。つ ま り租 界 ・商館の相互設立や移民の相互受入 に典型的に見 られるよ うな港町間の相互 浸透 によって,初 めて本来的な意味での知の還流が可能 にな ると言 え る13)0 以下の事例で示すように, これ らは交易先 との同盟関係の樹立や通商条約の締 紘,租界 ・外国人居留地 ・在外公館 ・商館の相互設立,渡航 ・移住制限の撤廃, 移民の送 り出 しと受 け入れ,植民地の開発 と経営,郵便制度や為替制度の確立 などの施策を通 じて行われる。
ベネチアの交易ネ ッ トワークの基礎 は,東 ローマ帝国支配下の地 中海交易に よって築かれた。840年 には ビザ ンチウム及びバ グダ ッ トとの直接交易を望む フランク王国のカール大帝 と, フランコ ・ベネチア ン ・パ ク トゥムを締結 し, 西欧 とビザ ンチウム帝国全域 との通商特権を他のイタ リア都市 に先駆 けて取得 した。ll‑12世紀には十字軍への参加 ・輸送協力によって,オ リエ ン ト通商権 を獲得 し, シ ドン,テイルスなどレバ ン ト都市や, ロー ドス島,ギ リシア西海 岸,ペ ロボネソス南岸, クレク島, シ リア,エ ジプ ト沿岸古.=港町やデポ (交易 中継地)を設置 した。特 に第 4次十字軍では,それまでの宗主国であ った東 ロー マ帝国を攻撃 し,その交易ネ ッ トワークの支配権を獲得 した上で,強力な海軍 力でその維持を図 った。また この時期 には, フラヒクー (馬車屋)への輸送委 託を通 じて ヨーロッパ全土への陸運ネ ッ トワークをはりめ ぐらし,‑ ンザ商人 13)こうした様々な知識 ・コミュニティー問の相互浸透による知の獲得と蓄積の重要性
についてはBrown& Duguid (1991)を参照。
組織間知識創造の場 としての港町 45 との積極的な交易を展開 した。 これ と呼応 して,市内には ドイツ人 ・ユダヤ人 商人のための宿泊施設が設置 され,1346年 には水夫 ・兵隊 ・造船労働者 に も 居住施設が供与 された。
‑ ンザ同盟の交易の特色 は,各港町の商人が,海運組織である商船隊 と共に 陸運組織 として馬車隊を組織 し,単なる交易の枠を超えて,商品生産の推進を 中心に交易先での新たな産業の創設をも行 ったことにある。まず北 ドイツ商人 の交易ネ ッ トワークは, リューベ ックを核に, ビス ビー (1161年創設),‑ ン ブル グ, リガ (1165年頃創設), リーパル,ダ ンチ ヒ (1240年創設)‑ と拡大
した。また このほかにもリューベ ック商人の移民によって, シュベ‑ リン, ビ スマ‑ル, ロス トソク居住地が創設 された。 これ らの北 ドイツ商人は, フラン ドル地方に織物の工場制手工業を確立 し,その製品をロシア,‑北欧,バル ト海 沿岸‑輸出す ると共に,毛皮 ・木材 (ロシア),銅 ・鉄 (スウェーデ ン),穀物 (バル ト)の輸入を行 った。またベルゲ ンか ら西 ヨーロッパ一帯の魚マーケ ッ トを掌握 し,特に塩漬けニ シンの独 占輸出を行 った。一方,ケル ンを中核拠点 とす るライ ン商人は,ライ ン渓谷の交易を独 占す ると共に,ナ ミュール,ディ ナ ン, リエージュの金属製品の交易を掌握 し,またイギ リスでは免税特権を も つスチールヤ‑ ド・マーチャン トとしてロン ドンを拠点に交易を展開 した。北
ドイツ商人 とライ ン商人のそれぞれの交易ネ ッ トワークは,1259年 に リュー ベ ック ・‑ ンブルグとフラン ドル地方のブルージュとが貿易協定を結び, ドイ ツ‑ ンザを形成す るに至 って,相互 に結合 された。そ して1280年 には これに 西 ヨーロッパ商人団の交易ネ ッ トワークが結合 し,1358年 には北西 ヨ‑ロツ パ全体をネ ッ トワークする‑ ンザ同盟が成立 した。‑ ンザ同盟は強力な同盟海 軍を創設 して競争相手であるデンマーク商人の進出を抑止する一方で,血縁 ・ 地縁 ・宗教 による親密な人的関係を構築 し,そのネ ッ トワークの維持 ・強化を 図 った。
大航海時代 に入 ると,ポル トガル王家の庇護を受 けた リスボンの貿易商は, アフ リカ東西海岸か らイ ン ド (ゴア),マラ ッカ,マカオ,長崎に至 る巨大な 交易ネ ッ トワークを構築 し,各都市‑フオー ト・ファク トリー (城壁に守 られ
た在外商館)を設置 して貿易を推進 した。 これに対 して同様にスペイ ン王家の 支援を受 けたセ ビリアの商人は,中南米か らフィリピン (マニラ)に至 る太平 洋を横断す る交易ネ ッ トワークを構築 したが,ポル トガルとの相違は単なる交 易ではな く,各都市への植民を も促進 したことにある。またセ ビリアは,河川 によるコル ドバ, トレ ド,マ ドリー ドとのネ ッ トワークと共に,アングルシア 平原の馬車ネ ッ トワークを も発達 させた。
アムステルダムでは,1609年のオ ランダの実質的独立以降,商業資本 によ る交易ネ ッ トワークの拡大 と植民地経営が本格化 した。その主役 は, ジャカル タを根拠地 として東洋貿易を独 占した東イン ド会社,及びニューアムステルダ ム (ニューヨーク)を根拠地に新大陸貿易を独 占した西イ ン ド会社などであっ た。 この時期のオランダ海運の特色は商業 と海軍の一体化であ り,高性能の帆 船 と強力な軍事力によってポル トガルとスペイ ンの商船を駆逐 し,両国の交易 ネ ッ トワークを奪取 したが,やがてその地位はより強力な軍事 ・経済力を持つ イギ リスにとって代わ られることになる。
ロン ドンの交易ネ ッ トワークは,15世紀半ばに鉛,錫,羊毛など原材料輸出 か ら毛織物輸出‑の転換が行われて以降急速に拡大 し,工場制手工業の生産額 は1500‑1550年の間に3倍 に急増 した。 この拡大 は16世紀後半 の絶対王政 に よる重商主義の下で更に加速化 され,1588年 にイギ リス艦隊が スペイ ン無敵 艦隊を破 って以降は,制海権を伴 うより強力なネ ットワークが構築 された。ま た1651年 に護国卿 クロムウェルが航海条例を制定 し, 自国船主義による国内 経済 と植民地経済 との結合を図ったことにより,18世紀 にはオランダ及びフラ ンスを駆逐 して,世界最大の交易ネ ッ トワークを確立 した。その特色は,オラ ンダとは逆に貿易 と海軍を分離 して,それぞれを専門強化 した ことにあるが, この結果18世紀には貿易商が荷主 と船主 とに分離 して,船主 としての海運業が 成立 し,ロン ドンは世界の海運中心,地 としての地位を獲得 したのである。
2. 1. 3 移行対象を媒介 とした組織間の相互浸透
港町の社会組織の第 3の組織化原理 は,組織 フィール ドとしての港町への多
組織 間知識創造 の場 と しての港 町 47
様な参加者が一定のルールの下で 自由な相互作用を行 うための 「場」,及び参 加者が自由に利用で きる技術集積の創出と維持,およびそれ らを媒介 とした組 織間の相互浸透である。 こう した 「場」や技術集積は,経済学的にはいわゆる 公共財に相当するが,港町におけるその本質的な機能は,参加者 によって港町 に持込まれた知識を,言語で伝達可能な明示知のみな らず,言語化できない暗 黙知を も含めて共有 ・蓄積 ・伝達 し,そこか ら新たな知識を創造 してい く組織 間知識創造 システムとしての役割 にある。時間地理学者 ブ レッ ド(Pred,1984) は,18世紀末か ら19世紀初頭のボス トンの商業資本家の日記か ら,かれ らの日 常の行動パ ターンを起床か ら就寝 まで時間を追 って地図上 に再現 し,当時の商 人が昼間は市場 (FaneuilHa1114)),埠頭 (LongWharf,IndianWharf), オ フィス街の路上 (StateStreet), コー ヒーハ ウス,夜 にはいきっ けのクラ
ブハ ウス,商工会議所,海事協会,‑ーバー ド大学などにおいて,他の商人 と 直接対面 して,市況や交易に関す る知識の獲得を行 っていたことを明かにして いる15)0
ここでは 「場」や技術集積が持っ組織間知識創造を促進す る機能, とりわけ 暗黙知の伝達機能の重要性を強調するために, これ らをイギ リスの対象関係学 派の精神分析家 ウィニ コッ トの概念を借 りて 「移行対象 (transitionalob‑
ject)」と呼ぶ ことにす る (Winnicott,1971)。本来 この移行対象 とは, 自他 未分化の状態にある乳児が 自分の身体の一部 として認識す る,人形や乳房など の外部対象を指す ものであ り,いわば自分の一部であると同時に他者 ・外界の 一部で もあるとい う,二重身体的な存在である。暗黙知の共有 と伝達 は,言語 によってではな く,身体的な相互接触 と共時化によってのみ可能であるが,二 重の身体性を もつ移行対象は, この暗黙知の共有を促進す る媒介物 として機能
14)QuincyMarketの内部にある。
15)スウェーデ ンのヘーゲルス トラン ドによって創始 された時間地理学 は,Giddens (1984)の構造化 (Structuration)理論の影響を受けなが ら, ミクロレベルでの 個人の 日常の時空間行動 とマクロの社会構造 との再帰的連関を明かに しようとして いる。時間地理学の概要については荒井良雄 ・川口太郎 ・岡本耕平 ・神谷浩夫編訳
(1989)「生活の空間 都市の時間」(古今書院)を参照。
す る。つま り言語を持たない乳児 は, この移行対象を媒介 として他者及び外界 についての暗黙知を獲得 し,それを通 じて,環境や他者 とは区別 された,主体 的 ・能動的存在 としての自己を確立 してい くのである。
港町における相互作用の場や技術集積 も,全ての参加者に開かれているが, 同時に誰 に も占有 されない一種の公的領域 (Sennett,1976)である。港町を 構成する様 々な組織 は,移行対象の利用を通 じてそれを自らの組織 (身体)境 界の内部に取 り込み,それによってお互いの境界をオーバーラップさせている
と見 ることができる.つまり場や技術集積 は,それを利用す る全ての組織の一 部 として,まさに 「共有」 された多重身体的存在であり,組織間で暗黙知を伝 達す る機能を果たす。以下の事例で示すように, こうした相互作用の場 として は,埠頭, ドックなどの港湾施設,広場,商品取引所,市場,市壁,教会 (聖 堂),パ ブ,コー ヒー‑ ウスなどが挙げ られる。また貿易 ・商業,航海,造船, 加工などの技術集積の例 としては,商業学校,大学,商工業者ギル ドなどが挙
げ られ る。
ベネチアにおける相互作用の場は,市の中心に置かれたサ ンマル コ広場であ り,そこには水路を通 じて直接船を接岸す ることができる。 このように直接船 で侵入可能な中心広場 は,フィレンツェ, リューベ ック,アムステルダムにも 見 ることができる。ベネチアは東 ローマ帝国海軍の軍港 として造船 ・補給技術 を蓄積 し,1104年 には最初の造船願が設置 された。15世紀 には帆船 (100‑
250屯)300隻 とそれを護衛す る大型ガ レー船 (ガ レーラ ・グロツサ)か らな る大商船団を持っに至 り,さらに16世紀にはより小型の軽快な高速ガ レー船(ガ リアス)を開発 した。また商業技術 については,586年の ロンパル ド族侵入に 伴 う商人の集団移住 に端を発 し,商人ギル ドによる集積が進め られた。その後
10世紀には東 ローマ帝国にな らって,利子,利益分配及び海上保険の方法 とし てコレガ ンツァ制度を導入 した。コレガ ンツァとは,ギ リシア ・ローマのボ ト ム リー,ハ ンザ同盟の ビズ ビー法ではベ‑デム リーに相当す る制度であり,の ちの銀行制度の原型 とな る。 一方 フィ レンツェでは,1250年以降の第 1ポポ ロ時代に公共空間が独立 し,ベネチアと同様 に交易のための市場が町の中心 と
組織間知識創造の場 としての港町 49 な った。 また商業技術 について は,既 に1252年 に金本位制 を確立 し,商人ギ ル ドが主体 となって金融に特化 した技術集積を行 い,貿易に特化 したベネチア
と対照的に,長 らくヨーロッパの金融界に君臨 した。
‑ ンザ同盟 の リューベ ックで は直接船 で侵入可能 な中心広場 が, また ブ リュージュ, レ‑ヴェン,ユベル ン,ゲ ン ト,ア ン トワープでは交易市場 とし ての織物会館が町の中心に置かれ,相互作用の場 として機能 した。‑ ンブルグ では,埠頭に隣接 して商品取引所が置かれ,週市及 び年3回の大市が開催 され たほか, ヨ‑ ロツパ最大の倉庫群 ・保税地域の設置など,教会を中 L、に相互作 用の場を配置す る空間設計が行われた。商業技術 についてはギル ドによる集積 が行われ,また造船 ・海運技術の集積によって, 1本マス トに四角形の帆の小 型帆船 (コグ)が大型化 され,交易ネ ッ トワークの拡大 ・強化 に大 きく貢献 し
た。
15世紀のポル トガルでは,エ ンリケ航海王が リスボンに船乗 り ・職人を集め て海運 ・造船 ・商業技術の研究を行い,アフ リカ西岸遠征隊を組織 して大航海 時代 の幕を開いた。 こうした技術集積 の結果,1440年頃には大型帆船 (カラ ベラ)が開発 された。またスペイ ンで も同様 に,セ ビリア‑の造船 ・航海関係 者の移住が行われたが,厳格なカ トリック政策がユダヤ人の商業技術の国外流 出を招 いた。 これに対 して16世紀のアムステルダムでは,スペイ ンを追われた ユダヤ人の商 ・手工業者や フランスを追われたユグノー教徒の移住 によって資 金 ・技術の集積が進 み,1570年 にはフレーボー ト,1595年 にはフ レーテなど, 高速かつ経済効率の高い船の開発が行われた。 この結果1671年 にはオ ラ ンダ 商船隊 は16,000隻 ・56万屯 と,イギ リスの400隻 ・10万屯, フラ ンスの8万屯 を圧倒的に凌駕す る規模に成長 した。また市 内には17世紀初頭にヨーロッパ最 大の株式取引所が設置 され,相互作用の場 として商取引を促進 した。
ロン ドンでは,1576年 にスペ イ ンが ア ン トワープ封鎖を行 って以来, ヨー ロッパ貿易 ・金融機能の移転が始 ま った。相互作用の場 と しては,1570年 に ロイヤル ・エ クスチ ェンジ (商品取引所),1558年 には リーガル ・キー (逮 関用埠頭)が設立 され,更に下流 ・対岸 に多 くの民営のサファランス ・ワーフ
(黙許埠頭)が造営 された。 ロン ドンの技術集積で特記すべ きは通関 ・積替 ・ 輸送 な どの港湾技術 の集積 で あ る。既 に1370年 に は,人 を運ぶ大型 ボー ト (フェリー)の運行業者 ウォーターメンへの規制が行われ,料金の公正化 と技 術水準の向上が図 られた。更 に1553年 にはロン ドン市 よ り8人 の有力 ウオー ターメンに,同業者及びライターメン (貨物用ボー ト運行業者)の監督 ・資格 付与の権限が与え られ,両者のギル ド化が促進 された。 また16世紀後半 には前 述のサファランス ・ワーフ設立に伴い,通関 ・検品 ・積替などの業務代行業 と 倉庫業を兼ね る埠頭業者 (ワーフインジャー)が登場 し,更に17世紀 に入 ると ポーター (荷役 ・運送業者)の組織化 も進め られ,それぞれが一種のギル ドを 形成 して,技術集積を進めた。
2. 2 港町の組織間調整 システム
以上で説 明 して きた独特の組織化原理 に従 って形成 された港町の社会組織 は,貿易業者 (荷主),運輸業者 (船主),金融業者 (銀行家),港湾業者 (逮 関 ・検品 ・荷役業者),倉庫業者,造船 ・機械 ・金属加工の職人 などによって 構成 されるが,法的形態 はどうであれ,その多 くの構成員 は純然たる個人では な く,なん らかの組織体 として活動 している16)。 従 って港町の社会組織 とは, こうした様 々な単位組織か ら構成 され る,ひとつの組織 フィール ドと捉えるこ とができる。本節では港町における組織 フィール ドの特徴を,特 に中世 イタ リ アに実質的な起源を持っ共和制 自治 システム,17世紀のオランダに始 まった会 社 システム,そ して19‑20世紀の ロン ドンで成立 した ドックシステム及 びポー ト・オー ソ リティー とい う3つの組織 間調整 システムに着 冒して明か に した
い。
16)多 くの貿易業者 は,例え個人企業 として創業 したとして も,事業の拡大 につれてな ん らかの事業組織 を持つよ うになる。また多 くの港町においては,個人貿易商や職 人,港湾労働者な どの個人事業主 も,それぞれの同業者離合 (ギル ド) によって組 織化 されている。