奈良教育大学学術リポジトリNEAR
中学歴史「日清戦争」をどう扱ったか
著者 谷口 尚之
雑誌名 高円史学
巻 13
ページ 112‑134
発行年 1997‑11‑01
その他のタイトル How to teach the Sino‑Japanese War in Junior High Schools
URL http://hdl.handle.net/10105/8738
中学歴史 ﹁日清戦争﹂をどう扱ったか
谷 口 尚 之
はじめ に − ﹁近現代史﹂をめぐる最近の動きにもふれてI
過日︑第二次世界大戦中のナチスによるユダヤ人大虐殺を当時の関係者による証言で綴った映画﹃ショアー﹄をみる機会
を得た︒その一場面である︒ワルシャワ・ゲットーの管理担当であった元ナチス補佐官が︑詰問するようなインタビューに
たじろぎながら応じていた︒﹁一か月に五〇〇〇人が死に︑この世の地獄と化したゲットーを管理していたあなたが︑何も
知らなかった︑何もできなかったなどといえるのか﹂矢継ぎ早の厳しい問いに元補佐官は言葉に窮しながら︑苦し紛れのよ
うに﹁それは今だからいえるんだ︒当時は何も・・﹂を繰り返した︒﹁何もできなかったのだ︒当時の状況を考えれば仕方
のないことだったんだ︒﹂と言いたげだった︒
私が大学時代に感銘を覚えた講義のひとつに︑石戸谷重郎先生の﹁西洋史概説﹂がある︒熟のこもった講義の内容を記し
︵ 1
︶
たノートを私は今も大切に残している︒その最初の講義で紹介されたのがE・H・カーの﹃歴史とは何か﹄ であった︒﹁歴
史とは現在と過去との対話である﹂という有名な言葉は︑それまで歴史上の人物の生きざまや戦い︑事件の顛末だけで歴史
好きになっていた私にとって衝撃的なものであった︒大学を卒業し︑教壇に立つようになって教科書の記述をみる時も︑ま
た授業を構想する時も︑常に﹃歴史とは何か﹄で学んだ歴史認識をアプローチの基本にしてきた︒
しかし︑この二︑三年︑歴史教育あるいは平和教育をめぐって喧しく行われているキャンペーンは︑私が大切に考えてき
た方向とは大きく異なるように思う︒﹁自由主義史観﹂と自称している人々の主張である︒本稿は︑あくまで﹁日清戦争﹂
を中学校の歴史学習でどう扱ったのかを報告することが本意なので︑﹁自由主義史観﹂について長々と論ずることは避けた
︵
2 ︶
いが︑彼らが﹁近現代史﹂にターゲットを絞り︑日清・日露戦争をテーマの一つとしているだけに︑一顧もせずというわけ
にい
かな
い︒
﹁自由主義史観﹂は次の四点を柱としている︒
①健全なナショナリズム ②リアリズム︵国家・国民の生存と繁栄を最高の目的とする﹁戦略論﹂の見地の重要性︶
③イデオロギーからの自由 ④官僚主義批判︵﹁自由主義は軍国主義には反対したが︑軍事一般を否定したことはない﹂︶
これらの柱から︑﹁東京裁判史観﹂・﹁コミンテルン史観﹂の克服︑﹁自虐的・反日的日本人を再生産﹂する授業から自国
に対する肯定的イメージに裏付けられた﹂授業へ等々の主張が唱えられ︑さらに九六年からは中学校社会科教科書からの
︵ 3
︶
﹁従軍慰安婦﹂記述の削除を求める政治運動へと展開してきた︒
﹁自由主義史観﹂の論客の一人である高橋史朗氏は最近の論文で︑戦後日本の歴史教育の問題点を︑西尾幹二・坂本太郎
氏の歴史教育論を参考に︑次の四点にまとめてい璽
113
①過去の日本の対外戦争を︑単純な二分法論理の善玉悪玉史観に立脚して︑﹁戦争勢力﹂と﹁平和勢力﹂という二つに
割り切って︑一方的な﹁侵略戦争﹂とみなしている︒
②歴史にあまりにも倫理的評価︑すなわち︑侵略戦争か否か︑平和的であったか否かなどを持ち込みすぎている︒
③歴史は科学的でなければならないとして︑普遍的客観的事実から成り立つ動かない世界という前提に固執している︒
④歴史のすべてを抵抗と敵視の系譜としてのみ認識していることである︒その根底には体制は悪で︑反体制が善である
という単純きわまりない思想がある︒
そして︑こうした戦後の歴史教育の根底には︑﹁東京裁判史観﹂・﹁コ︑︑︑ンテルン史観﹂・﹁日教組の反日史観﹂・﹁中
国・韓国の反日史観﹂という四つの反日史観の源流があるというのである︒
高橋氏は第二点に関連して﹁過去を現在の価値基準に合わせて切り捨て断罪することは間違っている︒その時代はその時
代の価値観において共感的に理解することが大切である︒﹂と述べている︒この発想は︑現在という﹁眼﹂ で過去を見︑過
去の歴史事象から現在の社会をみようとする歴史研究のあり方を重視してきた者には承服Lがたいものであるし︑第三点の
指摘も︑サイエンスとしての歴史学を否定し︑﹁歴史をロマンで語ろう﹂とするもので︑氏が﹁あやふやな相対性と個別事
実の絶対性との人間的解釈の相剋の世界こそ歴史だ﹂などと言葉をついでも詭弁にしか聞こえない︒
冒頭で紹介した映画﹃ショアー﹄の元ナチ党員の証言と︑﹁自由主義史観﹂を称する人々の主張にどれほどの違いがあろ
か︒前ドイツ大統領ヴァイツゼッカーが︑戦後四〇周年の記念式典で述べた﹁過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる﹂
というあまりにも有名な言葉を︑私たちは改めて心に刻まなければならないのではないか︒
本稿で取り上げようとする﹁日清戦争﹂は︑彼ら﹁自由主義史観﹂研究会が議論の姐上にものせる要もなく﹁義戦﹂とし
ているものである︒しかし︑﹁日清戦争﹂は本当に正義の戦いだったのだろうか︒日本および東アジアの近・現代史学習の
なかで︑どのような位置づけが必要な事象なのか︒以下の実践報告を通して考えてみたいと思う︒尚︑実践報告は九五年の
公開授業の指導案および研究ノートをもとにしている︒
一 ﹁日清戦争﹂という題材について
次の文は︑自由主義史観研究会が出版し︑発行部数の多さがキャンペーンの材料の一つにもされた﹃教科書が教えない歴
︵
5 ︶
史﹄の一部である︒
﹁不平等条約改正の端緒をつかんだ日本﹂
・︵福沢は︶﹃福翁自伝﹄の中で日清戦争を振り返って︑﹁愉快とも有り難いとも言いようがない︒命あればこそコン
ナことを見聞きするのだ︑前に死んだ同志の朋友が不幸だ︑アアみせてやりたい﹂と書きました︒
・日清戦争に勝利を収めたことによって︑日本は幕末以来の不平等条約を改正する端緒をつかみ︑東アジアの市場で
欧米列強と経済的に競争する機縁を得ることになりました︒福沢諭吉の︑日本を欧米列強の一員にしたいという年
来のねがいがかなえられる大きな二歩となったわけです︒︵小笠原幹夫︶
115
日清戦争は︑明治維新政府の外交上の最重要課題であった不平等条約の改正を成し遂げる第一歩であり︑指導要領にい
う﹁国際的地位の向上﹂に大きく寄与した出来事であるとする立場から︑福沢諭吉にかかわる﹁お話﹂が語られている︒当
然のこととして︑世に知られる﹁脱亜論﹂を紹介することなどはない︒
﹁自由主義史観﹂の立場からの実践は日露戦争を取り上げたものが多いが︑﹃﹁近現代史﹂の授業改革2﹄ ︵明治図書︶所
︵6︶収の深澤秀興氏の実践報告には︑ノルマントン号事件から日露戦争までの四次にわたる授業の骨子が示されており︑彼らの
主張が︑教育現場でどのように体現されるのかがわかって興味深い︒
深澤氏は小学校指導書社会科編の要点を︑①日清・日露戦争が﹁国の安全を確保する﹂ことに成功した戦いであったこと
②他民族に損害を与えた﹁戦争の影の部分にも気付かせること﹂としながら︑従来の実践が︵明治政府の基本的対外政策は
朝鮮・中国への武力侵略であり︑東アジアの政治的支配をめざす膨張主義路線であった︶とする︑一面的な歴史観をもとに
していると批判し︑①の要点に依拠したへ明治維新を成し遂げた指導者達が︑厳しい国際環境の中で︑近代国家の法体系を
整備し︑日清・日露の戦争で国の安全を確保し︑国際的地位を向上させた︶という指導目標を設定している︒
﹁国の安全と日清戦争﹂と題した授業は︑ロシアの領土拡大図などをもとにロシアの侵略性に気付かせ︑子どもたちを当
時の人々と同様のロシア脅威論に導き︑最後にビゴーの絵の橋上に誰を措けばよいでしょうと問うというものである︒まさ
に筋書き通りの展開なのだが︑途中︑﹁日本はなぜ︑朝鮮を自分のものにしようとしたのかな﹂という重大な発問をしてい
る︒これに対する子どもたちの反応は面白いが︑氏はその答えを下関条約から考えようとし︑﹁実はね︑清と戦った一番の
理由はね︑清に朝鮮の独立を認めさせることだったんだよ﹂と述べ︑その意味を考えようと言いながら︑﹁朝鮮の独立を求
めたのは︑ロシアから日本の安全を守るためでした﹂と解説する︒授業の最後に﹁︵橋の上にいるのは︶ ロシア人です﹂と
元気に答える子どもたちが︑この大切な場面で発言していない︒︽日本が清と戦ったのは朝鮮を独立させるためで︑それは
ロシアの脅威から日本を守るためでした︒︾などという説明で子どもたちが納得したのだろうか︒︽それじゃ︑結局日本は
自分の安全のために朝鮮という国を自分のものにしただけじゃないの?︾ ︽そんなことをして朝鮮の人たちは何も言わなかっ
たの?︾素直な子どもたちからこうした疑問が出てきて当然なのではないだろうか︒
︵7︶安井俊夫氏は最近の論文で︑歴史の授業論の立場から﹁自由主義史観﹂批判をしている︒安井氏は藤岡氏らのすすめる日
清・日露戦争の授業に関して︑最も欠落しているのは﹁歴史の主体としての朝鮮﹂という視点であると指摘している︒藤岡
氏は福沢諭吉が脱亜論を書いた認識と同じレベルで朝鮮近代化の挫折をみて授業を構想しているが︑それは現在明らかになっ
ている事実をみようとしないものである︒今日︑韓国の学校では︑甲午農民戦争の最中︑李朝封建社会への根本的な改革の
提起がなされ︑近代化への一歩を踏み出そうとしていたことを学習している︒とすれば︑私たちも︑﹁歴史の主体として﹂
歩みだそうとした朝鮮を︑自らの国益のために圧殺したのが﹁日清戦争﹂の一面であることを認識することなしに授業を組
み立ててはいけないのではないだろうか︒深澤氏の授業を受けた子どもたちの︑声にならなかった疑問が授業で出され︑そ
の答えを探究することが﹁日清戦争﹂の学習の核心に迫る実践になるのではないだろうか︒
安井氏は同じ論文で次のように述べて﹁自由主義史観﹂の主張に異論をとなえている︒
117
﹁そうするしかなかった﹂という判断を日露戦争以後何度か繰り返すことによって一九四五年の破綻に向かっていく
ことは︑同時代には見えなかった︵見えにくい︶ことだが︑一九四五年までの歴史を学んでいる学習者にはよく見えて
いることである︒歴史の授業で重視されるべきは︑そのように同時代ではできなかった判断材料を提供することであり︑
そうやって過去のなかに克服すべきものがあるのなら︑それを議論できるようにすることである︒
日清戦争研究の第一人者である中塚明氏も︑陸奥外交を解明した﹃﹃憲章録﹄の世界﹄で︑藤同氏らの動きを予見するよ
︵
8 ︶
うに警鐘を鳴らしておられる︒
では︑日清戦争の性格や意義をどうようなものと捉えて授業を構想すればよいのか︒これについては︑藤村道生氏・中塚
︵9︶明氏・姜在彦氏・姜東鎮氏・朴宗根氏らの諸論文をはじめとして︑歴史学者の真撃な研究の成果が蓄積されているので︑次
にまとめて列挙してみたい︒
① 日清戦争は近代日本が最初におこなった本格的な対外侵略戦争であり︑十五年戦争での日本帝国主義の破局に至る
長い戦争史の序幕をなすものである︒
② 日清戦争によって︑日本は台湾を植民地として領有するアジア最初の帝国主義国となり︑﹁圧迫される国﹂から﹁圧
迫す
る国
﹂
へ転
化し
た︒
③ 東アジアに帝国主義を成立させる契機をつくり︑台湾・朝鮮・中国をしてつぎつぎと植民地︑半植民地に転落させ
た戦争であった︒
④ 日清戦争は朝鮮と中国の民衆を抑圧し︑その近代化を阻害した面を持ち︑特に朝鮮では近代的改革を目指した農民
の蜂起を圧殺し︑朝鮮民衆の自主的変革への道を妨げた︒戦後は帝国主義の抑圧下にはいった諸民族をして︑反封建・
反侵略の民族解放運動を本格的に展開させることになった︒
⑤ 戦争の原因は︑資本の原始的蓄積が急激に進行した日本資本主義の形成にかかわって︑さらなる資本の蓄積のため
に朝鮮に原料市場を求めたものであること︑仏露に対抗するイギリスの東アジア戦略を背景としたものであったこと︑
さらに藩閥政府が︑野党との決戦場と化していた帝国議会を乗り切るための方策の一つとしての派兵という面もあっ
たことなどが挙げられる︒東学農民の反乱や清からの朝鮮の独立援助︑ロシア脅威論等は︑﹁日本がなぜ朝鮮を自分の
ものにしようとしたのか﹂という核心的な問いに対しては︑あくまで副次的なものである︒
⑥ 戦いの経緯でみれば︑朝鮮の甲午農民戦争に対する出兵・弾圧を口実として始まり︑独立を宣言した台湾民主国に
対する流血の弾圧に終わったことを正しく教えるべきである︒特に︑戦闘の開始が7月23日の日本軍による朝鮮王宮
占領から始まっていたこと︒しかもそれが︑その後の戦いを有利に進めるため︑日本公使館・日本軍が一体になって
︵ 川︶
仕組んだ計画的戦闘行動であったことを指摘し︑﹁日清戦争はまず朝鮮国に対する戦争から始まった﹂ことをおさえな
ければならない︒
︵‖
︑
⑦ はかに︑国際的な大事件となった旅順虐殺事件︑講和後に四か月もかかった台湾の制圧︑大本営が置かれた﹁加害
︵ 1
2
︶
者﹂としてのヒロシマ︑朝鮮の人々が日本軍の侵攻を秀吉による壬辰倭乱と同一視していたこと︒
など︑﹁日清戦争﹂という教材を授業化するにあたって組み込まなければならない材料は数多い︒
二 授業の実際 − ﹁日清戦争は正義の戦争だったか﹂!
次のような単元設定のもと︑前述のような諸点をふまえて行った授業︵九二年二月︶について︑授業の細案と板書︑授
業プリント等を示して報告としたい︒
◇単 元 ﹁日本の大陸侵略﹂
◇単元目標
○ 日本の政府や軍部・資本家等は︑原料や市場を求め︑国民の不満をそらすため︑大陸侵略を企て︑朝鮮や中国
に侵出し︑日清・日露戦争を起こしたことを理解させる︒
○ わが国の資本主義が︑政府の保護政策︑低賃金で長時間という過酷な労働︑対外侵略による市場の獲得等によっ
て急成長したことをわからせるとともに︑それが極めて不均衡な発達であったために︑多くの矛盾をはらんでい
たことも考察させる︒
○ 欧米列強と日本の帝国主義的侵略によって︑アジアの国々が植民地化されたことを理解させるとともに︑これ
ら被植民地及び日本では︑自国の封建諸勢力に抵抗し︑さらに独立や平和を求める民衆の運動が起こったことを
理解
させ
る︒
○ 資本主義の発達のかげに様々な問題がおこり︑過酷な労働に苦しむ人々の中から労働運動や小作争議等が発生
し︑社会主義運動が芽生えたことを理解させ︑それが政府によって厳しく取り締まられたことをわからせる︒
◇指導計画︵全9時間︶
第1次 ﹁亡国条約を阻止せよ﹂ 〜初期議会と条約改正〜
第2次 ﹁日清戦争は正義の戦いだったか﹂ 〜甲午農民戦争と日清戦争〜 1 本 時
第3次 ﹁廿世紀之怪物 帝国主義﹂ 〜列強の世界分割〜
第4次 ﹁極東の憲兵﹂ 〜義和団事件と日英同盟〜
第5次 ﹁日露の戦いと民衆﹂ 〜日露戦争〜
第6次 ﹁生糸が軍艦を生む﹂ 〜日本の産業革命〜
第7次 ﹁地図の上 朝鮮国にくろぐろと・・・﹂〜韓国併合〜
第8次 ﹁革命いまだ成功せず﹂ 〜辛亥革命と中華民国の成立〜
第9次 ﹁民を殺すは国家を殺すなり﹂ 〜社会・労働運動の高揚〜
◇本時のねらい
○ 朝鮮の民衆が︑日本をはじめとする外国勢力の侵出と政府の圧政のために困窮していったことを理解させる︒
O ﹁外国勢力の排除﹂と﹁悪政改革﹂を求めた朝鮮民衆が︑東学運動を結集の拠り所として立ち上がったことを
理解
させ
る︒
○ 日清戦争は日本と清の朝鮮支配をめぐる戦いであると同時に︑高まりつつあった朝鮮民衆の近代的改革運動を
圧殺した戦争であったということを考察させる︒
◇本時のながれ ︵▽⁚指示︑□⁚発問︑○=説明︶ *紙数の都合上︑指導過程の一部を省略しました︒
1 学
習 活 動
導入
・ ・ ・ ○ ○ ロ ▽
お も な 発 問 と 指
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写 き の 頁
真 込 歌 な
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映 よ を は
す う 聞 板
、 く 書
2 展開I
﹁一九C後半の
朝鮮の様子﹂
・朝鮮と清
・朝鮮と日本の
貿易・混乱する朝鮮
の経
済
・政 府の 腐敗
▽この写真を見てください︒︵全埠準の写真を提示︶
○全壊準が甲午農民戦争の指導者で︑写真は捕らえられてソウル
へ送られる場面であることを説明する︒
○全嘩準が多くの農民とともに蜂起した理由を考えるために農民
戦争前の朝鮮と︑朝鮮への侵出をねらっていた日清の動きを見
てい
きま
す︒
○清は朝鮮を保護国としていたことを説明する︒
□日本は一八七六年︑朝鮮と何という条約を結びましたか?
□それはどのような内容の条約でしたか?
□日本と朝鮮の貿易では︑どのような物が取り引きされましたか?
日本へ輸出したもの・日本から輸入したものは?
□大量の穀物が日本に輸出されたために︑朝鮮では米などの穀物
の値段がどうなったと思いますか7
0米不足←米価高騰−諸物価高騰−ききん︑生活苦等の経過を説
明す
る︒
︵ 1
3 ︶
▽﹃火縄銃のうた﹄という詩の一部を読んでみます︒ここから当 ・サブタイトルの〜〇〇〇〇戦争〜
の〇〇〇〇に書き込む
﹁朝鮮﹂のところは︑三・四行開
けておくように指示
・生徒の答えを導きながら︑板書し
ていく
内容の補足は教師
﹁領事裁判権の承認﹂﹁無関税﹂
・農民蜂起の原因の一つが︑日本を
中心とする経済侵出であったこと
を押
さえ
る︒
・詩
の巾
の難
しい
言糞
を説
明し
てい
く
・宮廷内の勢力
争い 時の朝鮮の様子を読み取ってください︒︵プリントの詩を読む︶□この詩からどんな様子が分かりましたか70︵生徒の答えから︶﹁民衆の困窮﹂﹁政府の腐敗﹂について補足
説明をする︒
○宮廷内の勢力争いも続いていたことを説明する︒︵事前学習の
確認として︑閏氏と大院君の対立に触れる程度︶
□壬午軍乱・甲申事変によって︑朝鮮における日本と清の立場は
どのようになりましたか7
0留意点の内容のみ説明する︒ ・政府の腐敗︵わいろ︑売官など︶
の様
子を
説明
する
︒
・この二つの事件で日清が対立し︑
結果的に朝鮮における日本の立場
が後退したことのみ確認する︒
3 展 開
Ⅱ
﹁農
民の
蜂起
﹂
・蜂 起の 理由
・二 月蜂 起
□一八九四年二月︑立ち上がった全嘩準らの農民軍が掲げた﹁斥
倭洋侶義﹂というスローガンの意味は何ですか7
0﹁斥倭洋﹂とは﹁日本や欧米列強の排除﹂︑﹁侶義﹂とは﹁正義
を唱える=悪政改革﹂であることを説明する︒
〇二月の蜂起について︑以下説明する︒
・全羅道の古皐で起こった局地的なものであったころ
・郡守趨菜甲の虐政が原因だったこと ﹁斥倭洋﹂﹁侶義﹂という二つの内容であること︑漢字の意味を説明
する
︒
・後半の時間確保のため︑二月と五
・政 府の 対応
・再
蜂起
・全 州占 領
・政府の対応
︵清
への
援軍
宝桐
︶
・農 民軍 の判 断
・参加した農民は︑千人余だったこと
・役人が横領した米を奪い返し︑分配すると解散したこと
○農民の蜂起に対して︑政府は﹁民乱調査﹂と称して略奪や放火︑
逮捕を行ったこと︑それが五月の再蜂起の原因となったことを
説明
する
︒
○農民軍が目標をしっかりと掲げ︑規律をもって戦いを進めたこ
とを﹁四つの誓い﹂から説明する︒
〇五・三一︑農民軍が全羅道の首府全州を占領したことを︑説明
する
︒
□農民軍の全州占領に対して︑政府はどうしましたか?
〇一部に反対はあったが︑結局︑壬午軍乱・甲申事変同様の﹁手﹂
︵清に応援を頼む︶ でいくことにしたこと説明する︒
▽日清の出兵を知った農民軍はどうしたか? 次から選びなさい︒
a.外国に応援を求めた政府を非難し総攻撃を開始した
b.日清両軍に口実を与えないよう妥協して引き上げた 月の蜂起をまとめて説明する︒・プリント裏の資料Bの決起宣言は
時間があれば是非読んでみたい︒
・全州は︑李氏の木賃地であったこ
とにふれる
C.政府との戦いを止め︑日本軍との戦いを始めた ・板書するのは︑下線部のみ・
班討
議さ
せた
いが
・・
・︒
・時間があれば︑選択した理由を問
いた
い︒
・全 州和 約 4 展開Ⅲ
﹁日 清開 戦﹂
○正解はbであったこと︒特に情勢判断が的確であったことを説
明す
る︒
○農民軍が政治改革案︵プリント︶を政府との問で交わし︑一斉
に撤退した︵6/11︶ ことを説明する︒
□農民軍が撤退したことで︑朝鮮政府は日清両軍に何を求めまし
た か 7
0朝鮮政府が︑撤兵を求めたことを説明する︒
□日清両軍は︑どのような対応をしましたか7
0清は撤兵に応じたが︑日本は国内の事情︵議会や世論の激しい
政府批判︑対清・韓強硬論︶から撤兵に応じなかったことを説
明す
る︒
□列強の対応をおそれ︑清との戦争に踏み切れなかった日本に︑
開戦を決意させた出来事とは何か7
0ロシアの南下を警戒したイギリスが︑条約改正に応じる形で︑
日本の行動を承認したこと説明する︒ ・農民軍の情勢判断の良さとともに
改革案の先進性︵封建遺制撤廃や
制度改革︑外圧排除など︶に注目
させる︒1﹁甲午改革﹂に継承さ
れたことにも触れる
・教
科書
から
・国内事情については︑議会の内閣
弾劾上奏案可決のみに触れ︑政府
が﹁一大事業﹂の必要性に迫られ
たいたことをおさえる︒
・条約改正というヒントを与える︒
5 展開Ⅳ
﹁再 々蜂 起﹂
□日清開戦から三か月︑全壊準らは三たび蜂起する︒今度は数十
万ともいう農民軍だった︒彼らの蜂起の目的と戦った相手は7
0彼らの目標が﹁反日﹂であったことを確認する︒
□なぜ日本軍を憎み︑追い出そうとしたのか7
0兵端が不備であった日本軍が︑食糧や輸送をすべて現地調達
︵朝鮮民衆から奪う︶しようとしたことを説明する︒
□今度の蜂起の結果はどうなったと思いますか7
0農民軍は敗れ︑全嘩準は捕らえられ︑ソウルで処刑されたこと︑
その後の日本軍のきびしい掃討で︑三〇〜四〇万の朝鮮民衆が
犠牲になったことなどを説明する︒ ・全球準は︑これを﹁秀吉の朝鮮侵
略﹂と同一視していたことにふれ
る︒・ヒントを与えて︑できれば班で答
えを考えさせたい︒
・この戦いは︑四五年の独立達成に
至るまでの朝鮮人民の抵抗運動の
出発にもなったことをおさえる︒
◇板書事項
︹空車謡廿蒔田淋㊦薄や笥J汁サ▼ 〜0000蒲や什平温渾せ〜︶︵p N1N−〇
〜蜜鴇㊦勝弘〜
﹁茹
匝l
﹂義
朝
薄苛口紅か酔q﹁複印︵藩淋・愚鯖・淳片・払義︶
﹁
ub ゆ蕩樋ノ認装甲竺貿定言1蜘知載暫−捌ノ抄主巾h惑
脚行脚汁叫r一加ト
藩糾8m買﹂でPPJふ
対鰍㊦諸学テロ甘口薄きー叫
叫感謝三嶋伊触ト 払丁ベrノ︵ 儀︵≠u∴1廿ヾいいヾ︶ 躊知細
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◇資料1 ︽事前学習後に生徒から出された疑問点︾
①日清戦争には一体どういう利益があったのか?
②なぜ清の軍隊は戦意が乏しかったのか? なぜ清は日本に負けたのか?
③教科書P.210の﹁欧米諸国﹂ってどこか?
︵﹁一八九四年︑朝鮮では︑日本や欧米諸国の進出と政府に対する不満が爆発し・・・﹂︶
④どうして日本軍は台湾まで攻めていったのか? ︵教科書の地回︶
⑤朝鮮の政府はなぜ﹁民衆の自治﹂を認めようとしなかったのか?
⑥農民戦争が起こったとき︑なぜ政府は日本じゃなく清に援軍を頼んだのか?
⑦清に援軍を頼めば日本も来ることが分かっているのにどうして清に援軍を頼んだのか?
⑧なぜロシア・フランス・ドイツは︑三国干渉をしたのか?
⑨日清戦争は国民にどんな反応を呼んだのか?
⑲全埠準は東学にかんする偉い人だったのか?
⑪イギリスはなぜ日本を選び︑何を条件に日本との不平等条約を改正したのか?
⑫三国干渉は何を条件に交換したのか?
⑬日本が戦争するのに武器はどうやって用意できたのか?
⑭︵日本が輸出した︶綿織物は官営工場で作られたものも入っているのか?