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     名目賃金と実質賃金

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(1)

     名目賃金と実質賃金

       松 坂 兵 三 郎

       一ー購買力と生産力

 賃金所得の購買力の問題は現代における最も重大な問題の一つだといわれている︒それは大きな経済的重要性

をもつだけではなく︑また大きな社会的問題をも形成するからである︒それは経済の発展がそれによって測ら

れ︑また賃金労働者の生活内容が購買力によって規定されるからである︒重要性の一面はまず実にかかる経済的

側面との関係において問題となる︒他方︑購買力の問題はストライキにまで発展するような社会的混乱の原因と

なる︒例えば︑労働省﹁労働争議統計﹂をひもといてみよう︒昭和二八年における争議発生件数一二一六のう

ち︑その三八%︵四六一件︶は積極的な賃金増額を要求したものであったし︑その他燃時給与の要求三五%︵四

二八件︶︑消極的ながら賃金の減額反対や定期支払を内容とするもの八%︵九六件︶となっている︒最後者を除

いても実に七割以上が賃金収入の増加に関係するものであった︒これは生計費の昂騰︑つまりは購買力の低下を

    名目賃金と実質賃金

一一一一37 一一−

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取り戻そうとする組織労働者のつつましやかな要求といわねばならない︒かりに彼等の賃求にして容れられたと

しよう︒その日から彼等の月給袋は何がしか厚みを加えるであろう︒しかし︑そこで受取られたものは果して購

買力なのであろうか︒彼等はいわゆる実賃賃金を受取ったのであろうか︒なる程購買力は受取賃金額に依存して

いる︒他の者より二倍の賃金を受取る者が二倍の購買力をもつことは一見自明なことのように思われる︒もしそ

うならば所得の増大←消費増加という一連の過程を経て︑労働者の生活水準向上を説明するのはそうむつかしい

ことではない︒しかし︑一歩進んで考えてみよう︒購買力は賃金がそれによってあらわされる貨幣単位の数から

独立しているように思われる︒二倍の貨幣賃金が二倍の購買力を実現するためには︑他の労働者の賃金がすべて

同時に倍加しないならば︑という仮定が別に必要だからである︒実質的な財ならびにサービスの生産量にして一

定とするならば︑全賃金労働者の同時的な賃金引上げはただ単位労働時間当りの貨幣単位がそれだけ数を増した

というだけで︑彼等の実質的な分け前は依然として変らないし︑他の生産要素の価格︑例えば利潤そのものは賃

金増加によって何らの減少をも来たさないからである︒否︑賃金がおしなべて倍加するような経済状態では︑む

しろ固定した財ならびにサービスの生産量を考えるのはナンセンスで︑たえず増加するこれらの生産量がもたれ

る時期といわねばならない︒しかもこのような時期にあっては︑利潤の購買力が相対的に増加し︑賃金の購買力

はそれ程増加しないというのが特に戦前日本において示された経験であった︒

 賃金の購買力は賃金労働者の生活水準に直結する︒この意味では︑賃金は消費生活がよって以て営まれる純粋

に家計内部の経済に関係している︒直接購買力は決定できないが︑労働者が受取り︑家計に流入する賃金を一応

生計賃金と名付けておこう︒ところで︑他方︑賃金は投下労働量に対して支払われる一種の価格であるといわれ

一一38 一一一一

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るとき︑それは純粋に企業内部の価値計算と結びついている︒すなわち︑賃金は一つの生産要素たる労働力の生

産貢献度に応じて支払われる一種のコストである︒labour‑costとかwage︲costとかいわれるものは︑賃金の

この側面を映しだしたもので︑先の生計賃金に対して賃金コストと呼ぶを適当としよう︒いま︑労働力以外の他

の生産要素がフルに動いているものとする︒この際︑かりに何らかの理由で賃金コストが二倍に引上げられたな

らば︑労働の生産能率はそれだけで倍加するであろうか︒平均生産力は多少上るかもしれないが︑限界生産力は

恐らく低下するであろう︒従って︑賃金コストの上昇はそのままでは合理化の推進となりえないこと︑あたかも

先の生計賃金が購買力を決定できないのと同じである︒

 ところで︑産業革命以来︑生計賃金や賃金コストが漸次上昇し︑それにつれて購買力も大いに改善をみたこ

と例えばフーラスチェ︵JeanFourastie;LaProductivite。 1952酒井一夫訳﹁生産性﹂ ︵文庫クセジユ︶︶の示

すところによっても明らかである︒もちろん生計賃金や賃金コストが直接購買力を規定するという意味ではない︒

フーラスチェが証明したいのは技術的進歩︑われわれの用語を以てするならば生産力ないしは生産性こそ購買

力の尺度だという点にある︒第一表は一七二五年以降フランス地方労働者の平均時間当り総賃金の推移を物語っ

ている︒ここで総賃金というのは︑労働者に支払われる直接賃金︵これが労働者の生計のもとになるいわば受取賃

金︶と祖税及び賃金に応じて雇用者から払込まれる諸々の社会負担︵家族手当・社会保証等の企業負担分︶とを

合計したものである︒従って︑第一表の総賃金とは︑雇用者が未熟練労働者の労働力一時間分をうるために支払

う貨幣単位数︑すなわち賃金コストの総額であり︑直接賃金が生計賃金を意味する︒フーラスチェによると︑一

九五〇年第四︑四半期における未熟練労働者の賃金コストは生計賃金の約一︑四三倍に当り︑この差四三%は次

‑−39‑

(4)

第一表 フラソス未熟練労働者の平均時間当り総賃金

しかしながら︑このうち労災保険や所得税は賃金コストというよりもむしろ労働者の生計にとって必要な一般的

支出とみられるから︑生計賃金に含めらるべき性質のものとしてこのなかに数えるのが妥当であろう・︒それ故︑

これらを考慮すると︑生計賃金と賃金コストの開きは約三五%になり︑生計賃金は賃金コストの約七五%に相当

することとなる︒ここでは名目的な賃金コストの支払総額や生計賃金収入額が問題ではない︒発展的な経済にあ

の如き費用によるものとしている︒すなわち︑ 労災保険︵平均額︶   三︑六% 家族手当        一四︑六μ 社会保証の雇用者負担分       一〇   ″″ 有給休暇        七  ″ 勤続手当        〇︑四″ 勤労所得税       五  ″ 通勤手当        二  ″ メーデーの休業に対する日給      〇︑四が        計   四三︑〇が

‑40 一一

(5)

一一−41一一一一

(6)

って︑このような賃金の実質的な購買力がいかなる改善をみたかである︒われわれはフーラスチェに従って財な

らびにサービスの実質価格の動きに注目しよう︒財ならびにサービスの実質価格とは︑一労働者が一定時点にお

けるある財︑サービス価格の支払に必要な貨幣単位数をうるために働かねばならない労働時間数をいう︒すなわ

ち︑当該財・サービスの名目価格をその時の時間当り賃金で除したものである︒第二表から一例を拾ってみよ

う︒一九〇〇年におけるガス一立方米の時価は〇︑ニフラン︑時間当り賃金〇︑二九フランであるから︑

U.;iU‑‑U.29‑1.03 時間が一九〇〇年におけるガス一立方米の実質価格となる︒一九五一年四月の実質価格は

^4.Z0‑^109 = 0.22時間八13.25≫であるから︑今世紀に入ってこの方︑ガス一立方米をうるのに一時間○二分働

かねばならなかった労働者が一九五一年には僅かに一三分強の労働時間でこれを購入するようになったわけで︑

ガス一立方米に関する限り︑その購買力は五倍弱増加したことになる︒同様なことは電力一KWHの三七︑一

倍︑電球の三︑六倍︑自転車の六︑四倍︑自転車チューブの一六︑五倍についてもいえる︒ただし第一次産業の

生産物︑例えば小麦︑馬鈴薯一キンタルについてはそれぞれ二︑八倍︑一︑二倍に止まり︑さしたる購買力の増

進がみられない︒それにもまして注目すべきは第三次サービス業に属する理髪料金の場合であろう︒半世紀にわ

たりその実質価格には殆んど変化がないからである︒従って第二表を一覧した結果︑確実にいえることは生産力

の偉大な進歩を示した第二次産業の生産物の実質価格は驚くべき低落を示し︵時間当り賃金の購買力が大いに増

進し︶︑第一次産業の生産物については購買力が二ないし三倍程度高まったにしかすぎず︑第三次サービスのあ

るものについては実質価格が殆んど停滞しているということである︒これから︑生産力の上昇に相応ずる財およ

びサービス実質価格の低落従って購買力の増進を関係づけるのは容易である︒われわれの購買力は︑全部とはい

‑42−一一

(7)

第三表 1951年における製造工業労働者平均賃金と     各種財サービス実質価格の国際比較

えなしまでも︑大部分︑生産力の上昇に依

存するといえよう︒生産力の向上なくして

購買力︑しいては生活水準の上昇はありえ

ない︒生産力こそ購買力を規定し︑実質賃

金を決定するといわれるゆえんである︒

 このような一国異時点間における実質価

格の変動︑すなわち購買力の増進は若于静

態的分析のそしりを甘受して︑一時点にお

ける国際間の比較にも適用することができ

るであろう︒第二表末尾におけるアメリカ

との比較は僅かながらこの要求をみたして

くれる︒すなわちー例えば︑家庭用電力一

KWHは︑一九世紀末に約六時間賃金に相

当したが︑一九五一年にはフランスで○︑

一四︑アメリカで○︑○二時間賃金にまで

低落しており︑小麦はフランスで三倍︑ア

メリカでは五倍の購買力増進を記録してい

‑一一43一一‑

(8)

   第四表

フランス名目賃金とその購買力

業の活動については︑購買力が各国殆んど大差のないことが分る︒逆に︑第二次産業の生産物について︑生産力 る︒これは米仏間生産力の開差が然らしめて いることで︑一般に生産力の高い国にあって は︑賃金の購買力もまた高いと結論すること ができよう︒第三表は購買力の国際比較につ いてさらにその範囲を拡大したものである︒ 一九五一年にあって︑時間給一ドルの未熟練 労働者が︑砂糖一キロの支払に必要な賃金を 稼ぐためには〇︑三時間︵一八分︶働かねば ならないし︵カナダ︶︑時間給ニフロリンの ハンガリー労働者はその一二倍の三︑六時間 を要する等々この実質価格の開差︵電カ一K WHでは最低を基準とする最高の格差は三五 である︶は各国における生産力の格差をその まま映し出しているとみて大過ないであろ う︒ちなみに︑映画入場料や理髪料金の如き 生産力開差の殆んど問題とならない第三次産

一一44‑

(9)

の甚だしく相違しているものには︑購買力の大なる開きを発見することができるであろう︒第四表では再びフラ

ンスだけの事例に帰り︑生産力の進歩なき第三次産業のサービスと長足の生全力上昇を経験した第二次産業生産

物との実質価格が︑経済の発展過程を経ていかに相違するか示した︒生産力の向上と購買力増進との間の密接な

相関々係を語らしめて余りあるであろう︒もちろん︑この間名目賃金の上昇があって︑これが単なるみせかけの

増加でなかったことも︑以上の分析結果からは既に明らかとなっている︒かりに︑名目賃金の上昇と購買力の増

進が結びつけられるとしても︑経済発展の指標たる生産力という通路を経て始めて可能になるといわねばならな

い︒それ故︑高賃金や低賃金の福音がそれだけで直ちに実質賃金の上昇を物語るというのはむしろ暴論で︑生産

力の向上︑従って産出量や雇用量への効果を通じ︑国民経済全体の活動水準とてらし合わせて理解されねばなら

ない︒  従来︑合理化や能率生産が低賃金コストと理解されるのが常であった︒なる程一時的には賃金コストの節約を

通じて︑費用面からの圧力を軽減することができるかもしれない︒しかし︑低賃金コストは低生計賃金に直結す

る︒低い賃金収入は︑それ以上の価格の低下がないとすれば︑有効需要の減少とシノニムである︒低賃金はやが

て生産量の減少を招来することになろう︒この場合︑低賃金はそのまま購買力の縮少に通ずるのである︒これと

は反対に︑高賃金の経済の理論が容認されるためには一定の条件が必要である︒高賃金が大なる生産力に対応す

る場合これである︒いいかえれば賃金の引上げによる出費の増加が逆に全体としてのコストの引下げをもたらし

うる場合に限られる︒これはいかにして可能であろうか︒いま何らかの理由で賃金支払額が引上げられたとしよ

う︒これによって︑直ちにコスト一般が上昇するとみるのは早計である︒たとえ賃金コストの絶対的な支払額が

‑45 一一

(10)

増加しても︑生産量の増加にしてより以上大なる速度をもつものとすれば︑結局単位当り賃金費用︵労務費比率︶

は低下を来たし︑より多くの生産物価格の引下げにも応じうる筈であろう︒これこそまさに能率的生産の帰結と

いわねばならないし︑生産力上昇の累積的効果もこの点にかかっているといえよう︒

 たしかに古典派の賃金理論が費用面の効果のみを期待して︑肝心の有効需要面の効果を無視していたことは大

いに反省されねばならない︒貨幣賃金の引下げはそれだけ有効需要の減少をもたらすこと︑既にみた通りである︒

ある一企業による賃金切下げか有利な結果をもたらすからといって︑一般的な賃金切下げもまた有利な結果をも

たらすと類推するのは愚かしい︒例えば︑輸出産業にあって︑競争力を高めるため賃金を切下げたとしよう︒一

時的には輸出貿易を増進させることが或は可能かもしれない︒しかし︑それは国内市場の狭隘化を通ずるマイナ

ス効果によって相殺さてしまうかもしれないだろう︒

       二︑貨幣賃金変動の経済活動水準に及ぼす効果

 ここで︑ケインズの賃金理論に一考を与えるのは興味あることだろう︒彼の賃金理論は︑かりに貨幣賃金率に

して変化しても︑消費性向・利子率・資本の限界効率の一つないしは一つ以上にある影響を及ぼさない限り︑実

質賃金率︑雇用ならびに産出高には何らの効果をも及ぼさない︑という形で展開される︒一般的に︑ケインズは

貨幣賃金率の変化が実質賃金や産出高を決定するという意見には反対であった︒現在の組織労働者を与えられた

ものとみる限り︑貨幣賃金の切下げは実際上思わざる大きな障害にぶつからざるをえない︒もし生産力の着実に

増進していくような社会を想定するならば︑貨幣賃金を固定させながら物価を低落させていくよりは︑むしろ貨

一一‑ 46

(11)

幣賃金を上昇させながら価格を安定させた方が労働者の生活水準向上のためには実現の可能性大であろう︒もち

ろん︑理論的には︑少くとも︑貨幣賃金の切下げが妥当な結果を生みだすような諸条件を発見することはでき

る︒しかしながら︑それは次にあげる如く余り実現されそうもない︒

 第一に︑賃金切下げの結果︑相対的に高い限界消費性向をもつ労働者の所得を切りつめて高い貯蓄性向をもつ

資本家の所得を増大させるのは︑消費需要への効果から余り好ましくないだろう︒ケインズは︑賃金と価格の低

下ならびにこれに続く非賃金所得者の購買力増加に伴って有効需要が増加すると者える古典派的見解に対しとり

わけ批判的であった︒古典派経済学者者達は賃金切下げが産出高に与える影響を無視したが︑産出高や雇用量を

所与として︑そこから非賃金所得者の有効需要の増大を考えるのはたしかにナンセンスだろう︒かりに︑賃金率

の切下げを行い︑賃金コストの低下をはかりながら産出高を拡張したとしても︑やがて企業者は損失を以て酬い

られるだろう︒何となれば︑所得のうち非消費の部分が増大するときには︑この部分が拡大する投資需要によっ

て相殺されない限り︑産出高の拡張は結局無意味とならざるをえないからである︒ところで︑増大する投資需要

はただ資本の限界効率が利子率との比較において上昇する場合にだけ実現される︒しかし︑そもそも賃金切下げ

の行われる事態は︑既に資本の限界効率が零にまで落ちる可能性をはらんでおり︑これと合わせて常時正なる利

子率の存在することを思えば︑投資の増大な到底望みうべくもないであろう︒

 第二に︑賃金率の切下げは資本の限界効率に対して有利な反応を示すであろうか︒事実︑企業者は賃金切下げ

をコスト節約の期待から︑従って予想利潤上昇の期待から行うかもしれないが︑それが期待外れに終らざるをえ

ないことは既にのべた︒またある賃金の切下げがただ一回限りに止まり︑爾後再び賃金が上昇するものと期待で

‑47 一一

(12)

きるときには︑一時的に投資を刺戟することがあるかもしれない︒しかし︑組織労働者の圧力を押し切って賃金

切下げの行われるような事態は︑むしろ不況のドン底ともいわれる時期で︑この場合には資本の限界効率がバラ

色の予想を以て迎えられる見込はまずないとみた方がむしろ現実的だろう︒

 第三に︑賃金の切下げが利子率の通路を経て経済の活動水準にいかなる効果を及ぼすか︒賃金及び価格の低下

はこれに応ずる流通貨幣の需要をそれだけ滅少させるだろう︒保蔵性向の滅少は当然利子率の低落を惹起する︒

しかし︑もし好ましい結果が同時に貨幣供給の膨脹によってもまたえられるとするならば︑この場合︑ケインズ

は社会的混乱を惹起したり︑経済的に重要な問題を形成する貨幣賃金の切下げに代えて︑直ちに流通貨幣の存在

量を増すような政策を唱導するであろう︒この際︑保蔵性向が再び増加するならば︑利子率が低落するかどうか

は依然保証の限りでない︒

 右は﹁不況の経済﹂に特有なその当時までの古典派的な賃金政策を批判したケインズ﹁一般理論﹂における彼

の賃金理論の展開である︒古典派経済学者達が起死回生の策として唱導した賃金切下げの特効薬は︑実質的な賃

金コストの改善を生まなかったし︑またもちろん購買力の上昇をも招かなかった︒従って︑以上から直ちに類推

されることは︑貨幣賃金をいかに動かしても︑それだけでは産出高や雇用量を変化させえないばかりでなく︑ま

たそれ故に実質賃金ないしは購買力をも動かすことができない︑ということである︒貨幣賃金が購買力を決定し

うるのは︑それが産出高や雇用量の変化を通じて一般的な経済活動水準に或る効果を及ぼしうる場合においての

み可能で︑このことは賃金が消費性向や新投資率を変化させて初めていえることである︒かりに賃金の変化が資

本の限界効率を高め︑利子率を低落させたとしよう︒少くとも新投資は資本の限界効率と利子率が均等になるま

‑48 −一一

(13)

で続けられるであろうし︑新投資は限界消費性向から規定される乗数倍だけの産出量を新たに附加するであろ

う︒価格効果の比較的小なる完全雇用以下の点にあっては︑この附加価値分が人々の実質的な生活内容をそれだ

け豊かにすることは明らかである︒

       三︑実質賃金を規定するもの

 ケインズ﹁一般理論﹂が古典派の平行の公理から出発していることは既に衆知のところである︒そこでは実質

賃金の仮説から完全雇用の理論を展開する古典派に対して︑貨幣賃金の仮説を大上段にふりかざす不完全雇用の

理論が説かれた︒もちろん︑平行の公理の表現は雇用理論だけに限られるわけではなく︑有名なセイ法則の系と

しての利子率決定の貯蓄投資理論に対するケインズの所得決定の貯蓄投資理論が展開されている︒いま雇用理論

にだけ焦点を合わすならば︑賃金の完全なパラメーター機能に依拠しつつ︑労働の需要函数と供給函数の交点で

新たな賃金と雇用量が決定される︑というのが古典派雇用理論の精髄である︒ここで労働の需要函数とは賃金が

労働の限界生産量の価値に等しいということであり︑供給函数とは賃金が労働の限界苦痛に等しいということで

ある︒  従って現実の雇用量がそれぞれ独立に動くこの二つの函数によって決定されるということは︑雇用量と新たな

賃金が労働の需要と供給のまさに合致する点で決まるということに外ならない︒これは言葉をかえていえば︑労

働者の実質賃金が現に雇用されている労働量を吸引するに過不足ないものであるという意味であり︑さらに換言

すれば︑実質賃金の伸縮性にして完全なる限り︑労働の需要と供給は完全に一致して過不足ない︑つまり完全雇

‑49 一一

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用が到達されるということを意味する︒かくて新たに決定された実質賃金は︑労働の限界生産力に帰せらるべき

生産物価値に相応ずる支払賃金すなわち実質賃金コストを反映すると共に︑労働者の限界苦痛をまさに償うべき

実質生計賃金ともみ合う︒ここでは限界生産力と限界苦痛は相等しいし︑実質賃金コストと実質生計賃金も相等

しい︒いづれも二つながら実質賃金であらわされうる︒またそのような実質賃金の水準で決定された雇用量はま

さに完全雇用のそれに相応ずるものである︒

 しかしながら︑ケインズの古典派雇用理論に対する批判が労働の供給函数に向けられたことは注目すべきであ

る︒﹁賃金の効用は労働量の限界苦痛に等しい﹂という命題は︑雇用量が賃に実質賃金によって動かされ︑労働

供給側の事情が実質賃金を決定することを示すものであるが︑ケインズはそのような仮説が全く現実に反するも

のだとして批判する︒現実は決して完全雇用ではなく︑非自発的失業の存在が一般的である︒非自発的失業は︑

現在の賃金水準でも喜んで働こうとしている者があるにもかわらず︑有効需要が不足するために︑従って︑労働

需要が小なるために生ずる失業である︒このような失業の存在は︑実質賃金コストが労働の限界苦痛をはるかに

上廻っているからに外ならない︒生計費の騰貴よりも低い比率で貨幣賃金率が上昇する場合に︑失業労働者が現

在の実質賃金率もしくはより低い実質賃金率でも働こうとしてもー彼等は必要な実質賃金率の切下げを自ら行う

ことができない︒その結果が非自発的失業の存在となっている︒﹁新しい経済学﹂︵SeymourE.Harris︵ed︶⁚

TheNewEconomics。N.。Y.。 1947日本銀行調査局による邦訳三巻あり︶のなかでトービンJamesTobinが

いうように︑労働者は貨幣の錯覚︵moneyillusion︶に陥っており︑一層低い実質賃金率で働きたいと思っても

自ら低い実質賃金率でそのサービスを提供して︑それに対する潜在的需要を喚起する点では全く無力である︒そ

−一一‑50 一一

(15)

れは貨幣賃金の引下げが実質賃金率の低下をもたらしえないからである︒現実の雇用と賃金の動きは︑ケインズ

によれば︑実質賃金ではなく貨幣賃金によって規定されるとするが︑これを証明するものとして次の二つの事実

があげられる︒第一は︑労働者が必ずしも常に物価騰貴による実質賃金の低落に抵抗するものではないというこ

と︒第二に︑労働者は企業者との賃金契約によって彼等の実質賃金を決定するカを有しないこと︑これである︒

実質賃金は貨幣賃金契約からは独立に決定されるのである︒所得の分配を規定し購買力を決定する主要な要因は

貨幣賃金や価格から独立しており︑産出高と雇用は労働供給条件に左右されず︑それはただ価格と貨幣賃金の相

対的均衡価︑すなわち︑生産力上昇による財・サービス実質価格の低落を通じ︑国民経済的規模において決定さ

れるのである︒しかもその限りにおいてのみ結果として決定されるのである︒それ故︑賃金と雇用の関係を考え

るに当ってわれわれが先ず着目しなければならないのは︑貨幣賃金であって実質賃金ではないといわねばならな

い︒古典派の公準はこの重大な事実を見誤ることによって︑非現実性を暴露せざるをえないというのである︒す

なわち︑ケインズの批判の重点は労働の供給曲線の形の新しい想定にあったといえるし︑ケインズ体系における

貨幣賃金の仮説の重要さは何よりもこれによって初めて彼の非自発的失業の存在が浮彫りにされたことにある︒

  ﹁価格伸縮性と雇用﹂︵〇scarLange:PriceFlexibilityandEmployment。1944︶におけるラングが︑通常の

労働供給曲線に代えて横軸︵雇用量︶に平行な部分をもつ供給曲線をケインズの労働供給曲線としたことは︑以上

のケインズ雇用理論の特性を明解にキャッチしたものといえる︒いま縦軸に賃金︑横軸に労働量または雇用量をと

りヽ雇用量013を以て完全雇用に相応ずるものとする︒然らば古典派の教えるところは︑需要曲線皿と供給曲線四

との交点Iで賃金迢と雇用量皿とが決定される︒もちろん︑この場合にも即なる潜在的雇用可能量を残している

‑51‑

(16)

をもつことが古典派に対する最も大きな違いであり︑同時にまた最も大きな批判点であった︒横軸に平行な供給

曲線の想定は︑労働の供給が賃金に関して無限に弾力的な部分であり︑この部分に対しては雇用量を決定するもの

が全く一方的に労働の需要曲線だけだということになるからである︒図において原曲線が印に交わる点Pで賃金

匹︵∽︶と雇用量皿︵J︶とが決定される︒この場合︑m︵HJ︶に属する部分の労働は賃金に不満があって失業

しているわけではなく︑単にその賃金においての需要が不足しているために失業しているのである︒従って︑ケ

インズにあっては︑直接貨幣賃金を操作しなくても︑若干の物価騰貴によって労働に対する需要増大を誘致さえ ない人々︵自発的失業︶の零なる状態を意味し︑組織または予見の改善 によって滅少される可能性のある摩擦的失業の存在と矛盾しないからで ある︒なお一歩を譲って皿の失業を許すものとしても︑賃金の完全なパ ラメーター機能を前提とする限り︑やがて四曲線の引下げ︑及び匹曲線 の引上げ︑または両者の同時作用によって︑完全雇用点に収斂すること を妨げられない︒この意味でも︑失業の存在は一時的なものと理解され た︒ところでケインズの場合にあっては︑需要曲線には一応何らの変化 もないが︑供給曲線の形は四ではなくCPQyとなる︒この場合皿軸に 平行な部分CPQ︑すなわち労働の供給が労働の苦痛に関係のない部合 が︑部がいかなる経済体制の下においても避けることのできない失業︵摩擦的失業︶とすれば︑I点は完全雇用 の均衡点たるを妨げない︒何とれば︑古典派における完全雇用の均衡点とは︑現行の賃金率では働くことを欲し

一一52一一−

(17)

すれば︑それはよって皿線が右方ヘシフトしただは︑P点も右は移動し︑非自発的失業もそれだけ滅少するこ

とになる︒

 もちろん︑ここでのケインズ自身の仮説はは若干の問題がある︒第一に︑労働者は貨幣賃金の大いさにのみ目

を奪われ︑実質賃金の動きには無関心であろうか︒少くとも︑インフレの時代においてはこのことは決して真実

ではなく︑一九三〇年代の不況期においてさえ恐らく真実ではなかったであろう︒第二に︑労働者は果して実質

賃金を決定する能力をもたないか︒これは経験的には労働組合のビヘィビィアに属することで︑一概に論定でき

ないが︑一九三〇年中期以降アメリカで研究の進められた賃金格差と分散は関する結果をみれば︑漸次平準化へ

の傾向を辿っているので︑この面で組織労働者の実質賃金への発言権が評価できよう︒ケインズは組織労働者の

消極的な賃金切下げ抗争ははふれるところがあったが︑積極的な賃金収入の増額はついてふれるところ僅小であ

った︒しかし︑実質賃金の問題は︑第一節でのべた如く財ならびにサービスの実質価格を度外視して語りえない

ので︑少くとも貨幣賃金の外に財ならびはサービス価格の決定はついて労働者の発言権が容認されない限り︑組

織労働者といえども実質賃金の決定力はそれだは割引きされざるをえない︒貨幣賃金の改訂が一部の企業に限ら

れるならば︑或は可能かもしれないが︑貨幣賃金契約が社会の平均的な生産力は応じて決定される現今の傾向に

徴すればヽ組織労働者の実質賃金決定力というよりは︑むしろ賃金の格差や分散を平準化する面で労働者の組織

力を高く評価しなければならないであろう︒

 かくてヽケインズが古典派供給函数の仮説は対して向けた矢は必ずしもそのまま全面的にケインズ自身にとっ

て好都合なものとはなっていない・事実ヽ彼の特殊な供給函数の想定も一方において貨幣賃金の硬直性︑他方に

‑53 一一一一

(18)

おいて物価騰貴による実質賃金の低下を含んで始めて成立するものであって︑単に貨幣賃金の仮説からのみとら

えられるものではない︒さりとて︑物価騰貴による実質賃金の低下が必ずしも先にのべた実質賃金コストの低下

を通じて収益性の予想にプラスの符号をつけるわけでもない︒

 とにかく︑労働者が賃金契約を通じて決定できるのは貨幣賃金であって実質賃金ではない︑というのは依然と して真実であろう︒実質賃金は資本蓄積の生産力効果によって結局は規定されるものだからである︒実質賃金の

決定が広く生産性の問題に連結するといわれる所以はここにある︒

 しかしながら︑不完全雇用下における遊休過剰設備の存在を与えられたものとして出発し︑それ故に短期分析

を骨子とするケインズの理論は︑購買力の決定要因を生産力に求めるというよりはむしろ収益性は帰着させてい

る︒投資の所得造出効果︵有効需要効果︶を分析するケインズの理論では︑オーストリア学派でとりあげられた

生産期間の単なる長期化から一応離れて︑資本の収益性に積極的な意味が認められる︒失業者や遊休設備を前提

とする限り︑過剰投資を覚悟するのでなければ︑積極的な生産構造の拡張や深化が問題とならないこというまで

もないoしかしヽ一応収益性から説明される購買力の上昇もやがてみせかけのものとならざるをえない段階に到

達するかもしれないo収穫逓滅法則が自己を主張し始めるからである︒完全雇用や資源の完全利用が実現される

とヽ実質賃金の上昇を可能にするものは生産力の上昇以外にないであろう︒従って︑合理的な経営管理や技術的

革新の導入を可能にする資本蓄積こそ︑購買力の短期・長期分析を超越する︑実質賃金の決定要因といわねばな

らない︒

‑54‑

参照

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