1.はじめに
最近、沖縄の諸問題の解決方法として、沖 縄県と沖縄県民がとり組んでいる「ソフト・
パワー」が国内外から評価を受ける傾向にあ る。近事の例として、2017年のショーン・マ クブライド平和賞を受賞した「オール沖縄会 議」がある。また、2017年のノーベル平和賞 の候補にノミネートされた「元沖縄県知事大 田昌秀氏」の話題も記憶に新しい。琉球王国 時代末期の1879年の明治政府による琉球処 分、また1945年から1972年まで戦後の米軍 政府の統治下にありながら、時の支配者、権
力者に対抗し苦難の歴史を体験したにもかか わらず、為政者、支配者にはげしく抵抗、反 対した歴史的事例を聞いたことがない。沖縄 人は勇気がないのか、おとなしいのか、すで に権力者に慣らされてしまったのか、いろい ろな解釈、推測は可能である。毎日の如く流 れる世界ニュースは、貧富、人権、宗教、民 族などの違い、対立によって紛争、戦争が起 こっている。でも、なぜ沖縄では、このよう な大規模な紛争、暴力沙汰にいたらなかった のか。そこには、暴力を否定する文化が底流 にあるのではないか。「意地ぬ 出じらー手
【目 次】
1.はじめに
2.ソフト・パワー論
3.沖縄のソフト・パワーの歴史的 経緯と特質
4.アジア太平洋センター構想案
(Asia Pacific Center Plan) 1)設立主旨
2)沖縄に設置する理由 3)センターの概要 4)センターの機能 5)その他の特色 6)APC設立の意義 5.結論:評価と課題
【要 旨】
ジョセフ・S・ナイの「ソフト・パワー」の定義を応用して、沖縄県、沖縄人の擁するソフト・
パワーの特質を「反戦平和と人権擁護」に限定して明らかにすることと、その特質を根拠に「ア ジア太平洋センター(Asia Pacific Center)構想」を提示する。
仲地 清
Kiyoshi NAKACHI
Characteristics of Soft Power in Okinawa and the Initial Proposal of Asia Pacific Center ( APC )
沖縄におけるソフト・パワーの特質と
アジア太平洋センター( APC )構想案
引き,手ぬ出じらー意地引きー」(1)の沖縄の 格言にもあるように、暴力を否定する文化が あるのではないか。そのような問題意識を背 景にして、沖縄の昨今の政治、社会運動を分 析する中で「沖縄のソフト・パワー」の特質 を明らかにして、それに基づいて、アジア太 平洋センター構想「The Initial Proposal of Asia Pacific Center」を提案する。
2.ソフト・パワー論
アメリカの政治学者、ジョセフ・S・ナイは 1995年2月に「ナイレポート」を提示して、東 アジアに米兵10万人を擁する軍事力が必要 であると断じた。その根拠は明らかに、ハー ド・パワーに依拠した論理であった。すなわ ち、軍事力による均衡こそが平和を維持する とする国際学者ハンス・J・モーゲンソーの パワーバランス理論である。それゆえに、日 米安全保条約体制においても沖縄基地が重要 になっており、それは抑止理論の根拠である。
沖縄の基地はハード・パワーの側面から重要 であるという論が成り立ったわけである。多 くの政治学者はこの理論で論文を書いてきた。
ところが、このナイは2004年にソフト・パ ワー論を紹介し、パワー理論ばかりに頼るア メリカ外交を批判した。「ソフト・パワーとは、
強制や報酬ではなく、魅力によって望む結果を 得る能力である。ソフト・パワーは国の文化、
政治的な理想、政策の魅力によって生まれる」
(2)とする。確かにアメリカの外交の歴史をみ ると、ソフト・パワーに支えられ、それはアメ リカ外交の特質である。1620年にメイフラワー 号でイギリスから新天地のアメリカ大陸に渡 り、信教の自由を求めた歴史からも明らかであ る。まさに、信教、教育、労働の自由などの基
本的人権に基づいた外交であった。いわゆるア メリカ民主主義、基本的人権に依拠する文化力 である。このナイのいう文化力が政治を動かす という理論に依拠して沖縄の文化力の特質を 明らかにする。
3.沖縄のソフト・パワーの歴史的経緯と特質 文化力は広い概念である。政治を取り巻き、
政治を動かす文化は多岐にわたる。文化を分 析する方法としては、ガブリエル・A・アー モンドが提示した「政治文化」の分析があり、
これは行き過ぎたバランスパワー論を批判し て生まれた理論であった。アーモンドの政治 文化の定義は「政治体制や国家に固有な政治 に関わる文化」で、広い概念である。そこで、
当然沖縄の政治に関わる文化も広いので、本 論では「反戦平和と人権保護」に限定して、沖 縄のソフト・パワーの特質を考える。沖縄の戦 後史は、日本が太平洋戦争に負けて、サンフ ランシスコ講和条約第Ⅲ条によって米国が独 占的に沖縄を統治したことから始まる。1972 年の復帰後は日本国憲法が適用されて、沖縄 の人々は主権を回復し、沖縄は米国統治から 日本国に戻った。だが、沖縄にも日米安全保障 条約が適用されて、日本は米国に駐留軍施設 を提供する義務あるので、復帰後も、沖縄に は米軍基地とそれに付随する軍事施設が継続 して残った。実際上、今でも全国の米軍基地 の74%が沖縄にあり、復帰前と比べても米軍 施設の規模に大きな変化はなかった。このよ うな米軍基地の過重負担に起因して、沖縄県 民は「反戦平和と人権擁護」の立場から、基 地の縮小、軍事訓練の反対の運動を進めてき た。(3)
1)大衆運動
図1 大衆運動
年 代 大会名 主催者 参加人数
(主催者発表) 目的と評価 1956年6月 「プライス勧告拒
否、4原則貫徹」住 民大会
4者協議会(立法院、
行政府、市町村会、
土地連合会)を結 成して、4原則を支 持した。加えて17 団体が主催団体と なった。
市町村では約30万 人(20日)約10万 人(那覇)約5万人
(諸見小)25日
琉球立法院は米軍 の土地接収に反対 する4原則(①一括 払い反対②適正補 償③損害賠償④新 規接収反対)を採 択し、全県民で支 援した。土地を守 る全県民的な運動 で、これが沖縄の 大衆運動の基本形、
モデルとなった。
1960年4月28日(サ ンフランシスコ講 和条約の発効日)
沖縄県祖国復帰協 議会結成大会。沖 縄タイムスホール で、16団体が加盟 した
沖縄教職員会、沖 縄県青年団協議会、
沖縄官公庁労働組 合が世話役となっ て、組織。解散し た77年まで、全県 的な運動団体を担 った。
毎年4月8日に、祖 国復帰県民大会が 持たれた。1972年 月15日、日本政府 は「沖縄復帰記念 式典」が開かれた が、復帰協は「自 衛隊配備反対、軍 用地契約拒否、沖 縄処分抗議、佐藤 内閣打倒県民総決 起大会」を開いた。
沖縄県民のアメリ カ統治から日本の 主権へ戻るという 運動。保守系の政 党、経済人の一部 は「即時復帰」に、
反対して、土地闘 争のような県民全 体の運動にはなり えなかった。しか し、教職員会にま とまった復帰協が 大衆運動を引導し た。
1968年11月 B52撤去と原水力 潜水艦寄港阻止県 民大会
いのちを守る県民
共闘共闘会議 約5000人、140団体 が嘉手納で大会を もった。
ベトナム戦争と沖 縄基地の関係が明 らかにになり、ベ トナム戦争反対、
基地撤去運動が激 しくなっていくき っかけとなった。
1969年7月 毒ガス兵器の撤去 を要求する県民大 会(県庁前)
沖縄県復帰協議会 1969年7月、米新聞 が沖縄に毒ガスが 貯蔵されているこ とを報道。1969年 から71年9月間、ジ ョンソン島へ毒ガ スの撤去完了する まで、撤去運動は 続いた。
1970年12月20日 コザ騒動(暴動) 群集 約5千人の群集と 米軍MP300人が対 立。負傷者88人(米 軍側61人、沖縄側 27人)逮捕者21人。
米軍車両73台が炎 上。
米憲兵隊の米兵と 沖縄人にかかわる 交通事故処理に対 する不満。群集の 米軍政府の圧政に 対する不満、鬱積 が爆発した。
年 代 大会名 主催者 参加人数
(主催者発表) 目的と評価 1987年6月21日 人間の鎖運動 嘉手納基地包囲行
動委員会(沖縄平 和運動センターな ど10団体が加盟)
2万4千人が、嘉手 納基地を包囲(嘉 手納基地撤去を訴 えた)
「人間の鎖」運動は 定番となり、1990 年(26000人)2000 年(27000人)2007 年(15000人)、さ らに普天間基地包 囲(2004)と繋が った。
1995年10月21日 米兵による小学女 児暴行事件に抗議 し、日米地位協定 の見直しなどを求 める沖縄県民総決 起大会
県議会、労組、弁 護士会など約300団 体で構成する実行 委員会。嘉数知賢 県議会議長が実行 委員長を務める超 党派。大田昌秀知 事も登壇。
約8万5千人 島ぐるみ闘争大会
(1956年)以来39年 振りに約8万人台の 参加者。日米地位 協定の早期見直し、
米軍の綱紀粛正な どの決議と要請。
小学生少女が海兵 隊3人の乱暴を受け た事件。
2007年9月29日 「沖縄県における
『集団自決強制』削 除の教科書検定を 巡る県民大会
36市町村の首長、
議長が参加。仲井 真弘多県知事も参 加した。自民党の 仲里利信県議会議 長が実行委員長と なる超党派。
約8万人 文部科学省が「『集 団自決』を削除し た歴史教科書の検 定」を撤回する。
集団自決の歴史事 実の解釈に対する 不満が県民サイド にあった。
2016年3月21日 基地の県内移設に
反対する県民大会 オール沖縄会議主
催 辺野古で緊急集会
を開いた。 超党派の大会 2016年6月20日 沖縄女性殺害事件
に抗議する県民大 会
オール沖縄会議 約8万5千人 ①遺族、県民に謝 罪し、完全補償を
②海兵隊の撤退、
米軍基地の整理縮 小③普天間飛行場 の閉鎖と撤去 2017年8月12日 翁長知事を支え、
辺野古に新基地を 造らせない県民大 会
オール沖縄会議 翁長知事、稲嶺名 護市長、城間那覇 市長も参加。
辺野古埋め立て工 事の即時中止。県 民が参加した。
(特質)県民規模、多くの団体が主催者に加わり、米軍関係の事件事故の度に共同主催の実行委 員会を結成して、常に抗議の大会を開いてきたことは評価できる。これらの事件、事故が 日常茶飯事に起きているので、沖縄県民の抗議大会は一過性で長続きしていないとの厳し い評価もあるが、生活の忙しさに流されずに、抗議集会が行なわれている。
2)市民運動
図2 市民運動
年 代 名 称 目 的 意 義
1983年12月 子供たちにフィルムを通 して沖縄戦を伝える会
(NPO法 人 沖 縄 戦 記 録
Ⅰフィート運動の会)
アメリカから沖縄戦のフィ ルムを取り寄せて、戦争を 知らない子供たちへ沖縄戦 の実相を伝え、平和を希求 する運動を啓発する。
2013年3月15日に解散す るまで8900万円募金が集 り、11万フィートのフィ ルムを購入した
1991年から2016年まで 沖縄国際平和研究所
(大田昌秀理事長) 大田元知事の平和行政の一 つとして、沖縄国際平和研 究所をかかげたが、任期中 に実施することができず,
後、個人主宰の研究所とし て運営した。
大田昌秀氏が琉球大学在 職中に集めた沖縄戦関係 の資料を基に運営。赤字 運営だったが、平和教育 に貢献した。
1995年から 基地・軍隊を許さない行 動する女達の会(高里鈴 代、糸数慶子共同代表)
米軍人を加害者に婦女子が 被害者になる事故、事件が 多く、特に女性の立場から 運動を広げている。
高里、糸数氏を中心に沖 縄女性の社会活動は全国 のモデルである。
1996年から 沖縄観光ボランティアガ イド友の会。
沖縄平和祈念資料館が育 成した平和ガイド
日本本土からの修学旅行生 に戦跡、米軍基地、世界遺 産、琉球文化施設などを案 内
沖縄は平和学習の盛んな 場所で、これまでの平和 ガイド、ボランティア、
語り部のおかげである。
1996年 沖縄国連研究会(下地玄
栄会長) 国連アジア本部を沖縄に誘
致する。 沖縄国連研究会は1999年 12月20日、稲嶺恵一知事 に、「国連東アジア本部 誘致」を要望。調査費が 計上された。公明党も公 約にとり入れるなど成果 があった。
1999年12月 琉球弧の先住民族会
(宮里護佐丸会長) 国際連合憲章と世界人権宣 言の精神に則り先住民たる 琉球・沖縄民族の諸権利回 復,自己決定権(自決権・
自治権)の補償、民族が受 けたとする被害の補償を求 める。国連人種差別撤廃委 員会、国連人権委員会で沖 縄のことを報告した。
国連先住民作業会。先住 民族常設会議、人種差別 撤廃委員会に出席した。
また翁長知事が国連で沖 縄の実情を報告する機会 を作った。
2014年7月 沖縄「建白書」を実現 し、未来を拓く島ぐるみ 会議」
結成大会が、宜野湾市で開
かれ、2000人が参加した。 1950年代の土地闘争のよ うな超党派の組織 2015年12月 オール沖縄会議 2013年2月の「建白書」の
実現を求める県民大会 超党派の大会 2017年 「平和の礎のマブイ(魂)
にノーベル平和賞を」実 行員会(石原昌家、高良 鉄美共同代表)
沖縄県民を対象にしていた が、具体的に大田昌秀元知 事が県民代表として受賞に ふさわしいと、推薦した。
2017年大田元知事がノー ベル平和賞にノミネート された。
(特質)米軍基地関係の事件、事故が起こるたびに市民運動がおこり、その運動の目的は、人権、
環境、平和、教育、婦女子など、多岐の分野と関連しており、すでに文化として根づいて いる。
3)沖縄県の政策
図3 沖縄県の政策
年 代 政策名 内 容 結果と評価
1990年から、5年毎に1回 世界ウチナーンチュ大会 西銘順治知事が「世界ウ チナーンチュ・ネットワ ーク構想」を打ち出し、
これに基づき世界ウチナ ーチュのネットワーク造 りが始まった。
ウチナーンチュ大会には 海外から約5000人近くが 集まる大イベントなり、
世世界のウチナーンチュ ネットワークを形成した ソフトパワーの1形態と なった。
1995年6月23日(太平洋 戦争・沖縄戦終結50周年 記念)
平和の礎除幕(太平洋戦 争・沖縄戦終結50周年記 念)
①戦没者の追悼と平和祈念
②戦争体験の教訓の継承
③安らぎと学びの場。が 目的。
敵味方の区別なく、軍 人と非軍人の区別なく 刻銘。毎年増えている。
241,336人刻銘(2015年)
1996年11月 大田昌秀知事が策定した
「国際都市形成構想」(21 世紀・沖縄グランドラン ドンドデザイン)
「共生」の思想や「平和」
を志向する沖縄の心を大 切にし、沖縄県の自立を 図ることを理念に,自ら の歴史・文化・自然環境 等の特性を生かした多面 的交流を推進することに より、沖縄県の自立的発 展を図るとともにアジア 太平洋地域の平和と持続 的発展に寄与する。アジ ア太平洋地域の国際交流 拠点
大田知事は1990年から 1998年までの在任中、こ の構想を具体化すること で県政を運営した。
1997年 国際平和研究所構想 アジア地域及びそれを超 えたグローバル、マクロ 意識を保持しつつ、世界 の平和に関する問題の解 決、平和の構築に貢献す る.①平和研究②平和教 育③情報発信
2000年7月12日から13日 第6回主要国首脳会議(九
州・沖縄サミット) 繁栄、安寧、安定がテー マ。このため「武力紛争 を予防し解決するために 予防の文化の推進」
「固有な琉球王朝の文化 を保持し、多様な文化を 包容できる力」(小渕首 相)沖縄のことを海外に 知らせた。
2001年12月28日 沖縄平和賞 アジア太平洋地域の平 和・非暴力、人間の安全 保障、内発的多様性を基 礎とした平和賞
2002年に第1回の受賞者 が決まり、2年毎の授賞 で、これまで第8回目の 受賞者が選ばれた。賞金 は県民から集めた1000万 円。
2003年3月 国際貢献拠点形成の促進
に関する調査(沖縄県) 国連平和大学の紛争予防 と平和構築のためのアジ ア・太平洋研究機関ネッ トワーク、国連難民高等 弁務官アジア・太平洋地 域人道センター設置に関 する調査
調査報告書は国連機関の 誘致、国際交流機関の開 設に当たっては、なぜ、
沖縄に必要か、地道な実 績造りなどの準備をあげ ている。その後、県庁の 政策に具体的な国際機関 誘致はでていない。
4.アジア太平洋センター構想案( Asia Pacific Center )
アジア太平洋センター構想案」は2014年 8月、沖縄県那覇市で東西センター国際会 議が開かれら際、「Developing a Peaceful and Sustainable Asia Pacific Community」 の 大テーマの中のセッシヨンとして、私が
「Asian Center for Solving International Conflicts and Maintaining Peace in the Asia Pacific Regions」を立ち上げて、「ハ ワイのEast-West Centerの機能をモデルに した国際組織を設立し、沖縄の基地問題を含 めた国際問題を解決と平和に寄与する国際機 関の設置を沖縄県に設置する構想する」を報 告した。その後、東西センター沖縄同窓会の メンバーが中心になって検討委員会を組織し て、国際機関の設置の可能性を研究している。
その検討員会の主要なメンバーは、高山朝光
(東西センター沖縄同窓会顧問)、仲地清(東 西センター沖縄同窓会長)、久米昭元(元立教 大学教授、元異文化コミュニケーション学会 会長)である。
1)設立趣旨
現在、世界は、戦争や紛争、内戦、テロが 相次ぐ地域があり、社会的に不安定な状況に ある。アジア地域でも、国境・領土問題など 対立が表面化しつつある。一方で、同地域の 経済発展は目覚しく、社会整備のスピードを しのぐ形で先進国型の社会問題が進行する状 況にある。世界は共通した多様な課題に直面 しており、これらの課題は共に手を携えて解 決に努めることが極めて重要である。
太平洋戦争中、アジア太平洋地域のほぼ全 域にわたって多大な被害を与えた日本は、戦 後70年間、平和憲法を軸に一切の戦争・紛
年 代 政策名 内 容 結果と評価
2017年2月 沖縄県史各論6「沖縄戦」
を発刊 1974年、沖縄戦関係を発
刊し、43年ぶりに改定。 沖縄戦を記録して、沖縄 戦を県民に知らせる。各 市町村でも沖縄戦関連の 本、資料集などを刊行し ている。
2017年9月15日 沖縄21世紀ビジョン基本
計画(平成24年から33年)アジア、太平洋地域と持 続的発展への貢献を目指 し、学術、文化、平和、
人材育成の幅広い活動に おける国際交流や貢献活 動の拠点
軍用地跡地利用として国 へ大型プロジェクトを請 求する方向性が出してい る。
(特質)沖縄県は積極的にソフト・パワーアプローチによる平和、基地行政を行った。実際に取り 組んで成功したのもあるが、本土政府の理解、援助がえられず、また公約に掲げた知事が 任期切れとなりとん挫した。一番、特筆されるのは平和の礎と平和賞であろう。
沖縄のおけるソフトパワーの分野を「反戦平和と人権」に限定して、「県民規模の大衆運 動」「市民活動」「沖縄県の平和行政と構想」の中で、その特質をみてみると、「国際交流拠 点と反戦平和と人権擁護」の面で、沖縄県、沖縄県民の中に文化として、根づいているこ とがわかる。そこで、その積み重ねた文化に立脚し、琉球王朝時代の万国津梁外交の歴史、
と沖縄戦の体験をもとに平和の発信基地とする文化が沖縄では根づいているとし、これを 踏まえて「アジア太平洋センター構想案(APC)を示す。
争に直接的に関わってこなかった。このこと は国際社会で枢要な位置を占める国としては、
世界史において先例がなく、極めて稀なこと である。従って、今後、アジア太平洋地域で 日本が求められている真の役割は、同地域の 持続可能な発展と平和の構築にこれまで以上 に積極的な役割を果たすことである。
戦争・紛争、内戦、テロは、いつの世もそ れらに関わる指導者達の偏見・単眼的思考か ら発生している。人類にとって平和の構築に 必要なものは多様性の受容であるが、その重 要さがないがしろにされている今日である。
そこで、我々は、アジア太平洋地域の持続 的な発展と平和の構築に資するために、多様 な文化的背景を有する人々が、共同生活を通 して共同参画する国際的研究・教育・交流セ ンターを日本に設立することを構想してきた。
そしてその設立場所を沖縄県の沖縄本島内と し、そのセンター名を(仮称として)『アジア 太平洋センター沖縄』(Asia Pacific Center- Okinawa)とする(以降、略してAPCと呼 ぶ)。このAPCはハワイの東西センターが築 いてきた成果から学び、それをさらに発展さ せてグローバル時代に対応できる新しい研究 と教育と交流を目的とする機関を構想するも のである。
日本の戦後の歴史を振りかえると、太平洋 戦争で敗戦した日本は政府と国民の努力で世 界のトップクラスの経済大国に復興し、日本 国憲法に掲げる国際協調主義に基づき特に外 務省、JICA(独立行政法人 国際協力機構)
を中心に国際協力・援助などの外交政策を展 開し、世界からの高い評価を受けてきた。けれ ども21世紀後半から世界はグローバル時代 にはいり、一国だけが提示する解決方法、援
助だけでは完全に解決できないほど国境を超 えた問題(平和と安全、環境、人権に関する 問題など)があらたに起こり、むしろ山積さ れている。すなわち、これらの地球規模の問 題を、世界の人々の協力でどのように解決す るかがグローバル時代の新しい課題になって きている。
APC構想検討委員会が5年余の検討によっ て生み出した方向性は「アジアの人々が共同 宿泊、交流、教育、研究を通してお互いの問 題を共同認識、理解し同じアジア人の目線で 国境、人種、宗教等から発生す課題にたいし て国家の利害を超えて解決策を編み出すこと が、アジアの平和、福祉、発展には必要とす る」である。それらはAPC検討委員会のメ ンバーの大半が日本の戦後復興期に米国政府 の援助を得て、ハワイの東西センターで交流、
教育、研究を受けた体験から学んだ発想であ る。ハワイの東西センターで、米国、環太平洋、
アジアから参加した学生、研究者、行政官な どは共同宿泊を通して他国の歴史、文化、諸 問題を同じ市民、大きくは人類の共通基盤か ら理解することができるようになった。1960 年に設立した東西センター同窓会のメンバー は現在、世界で6万人余で、主要な活動とし て、各国持ち回りで2年毎の学術と交流の国 際会議を開いている。その実績はグローバル 時代における地球上の問題に対して国家を超 えた共通理解をする基盤を醸成してきた。
APC構想検討委員会が構想する国際機関 は従来の東西センター、日本政府そしてこれ までのJICA(国際協力機構)などの実績と課 題の上にたって、グローバル時代にふさわし い「共同宿泊と交流、教育、研究」を基軸と する国際機関を構想するものである。具体的
には「共同生活を通して教育、研究、交流」
の機関で、「他国の国益、文化、宗教などを寛 容な視点から理解し、その基盤を醸成しなが らアジアの平和と豊かさを達成しようとする 構想である。
2)沖縄に設置する理由
沖縄県にAPCを設置する理由として次の ことがあげられる。
ア.地理的特性
アジア大陸の東側、南北に細長い日本列島 の最南端、さらに太平洋に面する沖縄群島の 地理的特性は、古くから東南アジア、東アジ ア、北東アジア、そして環太平洋文明を繋ぐ 文明の交流の基軸として重宝されてきた。そ の歴史と伝統に注目して、日本政府は沖縄県 を東アジアへ向けた表玄関として国際交流な ど諸策を展開している。まさしく、那覇市を 中心に大きな円を描くと、半径2,000㎞のな かに台北、上海、ソウル、マニラ、北京、香 港等の主要都市がほとんど含まれ、文字通り 沖縄は東アジアの真ん中に位置し、国際交流 の大きな可能性を秘めている。
イ.琉球王国の万国津梁外交
沖縄島には15世紀から19世紀にかけて琉 球王国が存在し、中国をはじめ周辺国(地域)
と貿易を通して、栄華を築いた時代があった。
その時代は大交易時代と呼ばれていた。その 時期の琉球王国の対外関係は1458年に琉球 王・尚泰久の命令で鋳造られ、沖縄戦で首里 城が戦火で崩壊するまで首里城正門に掲げら れていた「万国津梁の鐘」の刻文に込められ ている。その鐘の刻文の中に「以舟揖為万国
乃津梁」とあり、ここに「舟揖をもって津梁 となり」とあり、交易・交流による対外関係 を提示している。フランスのナポレオン皇帝 さえ武器のない島・琉球王国の存在が信じら れなかったとする逸話さへ残っている。すな わち、大国などの軍事力同盟、軍事力による 平和維持ではなく、交易・交流による平和維 持こそ、琉球王国以来、沖縄県民が目指して きた隣国関係の理念であった。
ウ.沖縄戦の体験と平和志向
太平洋戦争中、沖縄県は米軍の日本上陸を 制する日本帝国軍の前線基地となり、県民を 悲惨な戦闘に巻き込む戦場となった。沖縄戦 で、沖縄全土は人類史上まれに見る激戦地と なり、沖縄県民の約4分の1(約20万人)が 犠牲になった。そのため、戦争の悲惨さと平 和の尊さへの思いは、日本のどの地域の人々 よりも強い。現在、沖縄は日米安全保障条約 の基に、日本にある米軍基地のうち約74%が 沖縄に集中しており、沖縄は「基地の島」と 国内外から、認識されているが、沖縄の人々 は、米軍、日本の自衛隊の基地をなくし一刻 も早く「平和の島」に変貌することを強く希 求している。
エ.沖縄県の21世紀ビジョンと国際交流 戦後沖縄県は米軍政府下にあった関係上、
多くの沖縄県出身者が米国の教育資金を受け て米国の大学、あるいはハワイの東西セン ターで学んだ。また、沖縄県は戦前から日本 で有数な移民県で、ハワイ、北米、南米に多 くの沖縄県出身者が住んでいる。特にハワイ の沖縄県出身者は他の都道府県出身者と比べ ても一番多い。県外の沖縄県出身者が集ま
る世界のウチナーンチュ大会が5年に一度開 かれている。また世界で活躍する沖縄県出 身のビジネスマンで組織するWUB(World Uchinanchu Business Association) の 活動も盛んな国際交流先進県である。さらに、
2015年に沖縄県が策定した21世紀ビジョン の将来像Ⅳに「世界に開かれた交流と共生の 島」を掲げ、「世界との交流ネットワークの形 成、国際協力・貢献活動の推進」がその内容 で、具体的には「アジア・太平洋地域の安定 と平和に対する平和・人権協力外交の展開を 掲げて、平和・人権問題研究所の設置、国際 的な安全保障会議や平和外交交渉等の開催拠 点として貢献するための国際機関の誘致、ハ ワイの東西センターをモデルとした国際機関 の設立・誘致案」(4)も検討事項にあげている。
オ.沖縄科学技術大学院大学などとの連携 国際級の研究機関として、沖縄県内にはす でに沖縄科学技術大学院大学が開校しており、
英語による研究と教育が行われ、海外からの 大学院生、研究者が世界をリードする研究成 果を目指している。さらに、国際センター
(JICA)が1985年に開所し、これまで約5000 人近くの国外からの研修生が訓練を受けてき た。その他、国立大学法人・琉球大学など県 下の7大学、沖縄工業高等専門学校との教育、
交流プログラムと連携協力することもできる。
現在の大学院大学が科学技術系で日本を代表 する研究機関であれば、APCは文化・交流面 の日本を代表する機関を目ざす。
3)センターの概要
APCは、国際的かつ様々な文化を包含する 研究・教育・交流機関として、アジア太平洋地
域が直面している様々な問題を直視し、領域 横断的かつ課題解決型の多国間・多文化間共 同研究を行う。そして地域間の紛争・緊張を 緩和し、広範囲にわたる社会的インパクトの 創出を目指した独自の政策的提言を行い、さ らには多文化共生社会および平和構築の実現 に着実に貢献できる次世代のリーダー(異文 化メディエイタ―)の輩出を目指す。
APCの活動基盤の主柱を次の概念図で示 す。
(APC概念図説明)
ア.APCの根幹は、持続可能な社会の構築、平 和的共生に向けての協働体制を作る、という 目標を持つアジア太平洋の人々が、各々の文 化、社会、歴史的背景、自然環境によって醸 成された知識を沖縄に持ち寄り、多様なアイ ディアや視点から、新たな問題解決の方策を 探る対話のプラットフォーム(場)である。
イ.活動の柱
a.学際・国際チームによる研究(多国籍、多 文化、文理融合)と実践的プロジェクトに関わ
図 APC概念図
りながら学ぶ課題解決型教育・研修(Project Based Learning)
b.体感交流(一定期間の共同生活をベース にした研究・教育交流、多様な文化・社会・
歴史等を体験的に理解する交流活動)
c.紛争解決のためのメディエーターシップ
(媒介力)の開発と人材育成
4) APC センターの8機能
実質的なAPCの運営は機能別に下記の8 つの部門を中心に行われる。
ア.APCプラットフォーム
APCプラットフォームは、当センター活動 のコアともいえる異文化対話のための場(プ ラザ、交流スペース)である。そこでは、APC が行う研究・教育・研修・文化交流活動への 全ての参加者は、まずAPC研究棟に設けら れたプラットフォームに出向き、未知の人々 との遭遇、対話、意見交換、議論などを行う。
参加者は研究者に限定されず、むしろ幅広い 職業や年代の参加者が国籍や宗教、文化を超 えて集い、相互の対話を通じた学び合いを行 う。例えば、研究者は、出身地域の独自の視 点を有する参加者からフィードバックを受け 取ることで研究の質をさらに高め、実行可能 な具体的提言を行う一方、参加者は、研究者 や専門家と共に学ぶことで、新たなアイディ アを生み出し、自身の活動分野での多文化共 生的ならびに平和的実践につなげるための資 質を高めることができる。
イ.研究プロジェクト
アジア太平洋地域における平和と持続可能 な未来の構築に向けて、グローバル化した現 代社会が直面する諸問題に対し、領域横断的 なテーマ設定を行い、根本的な問題解決を目
指した研究活動を行う。関連する問題の深層 文化的側面にも細心の注意を払い、また地域 に既に存在する実践や知恵の結集を視野に入 れるため、研究は複数名からなる多文化共同 研究となる。本センターには、各国・地域出 身の研究者・専門家がそれぞれの課題ごとに 多文化チームを結成し、徹底した分析、統合、
異文化対話を通して解決策を模索する。その 結果は、各国政府への提言から民間団体を含 めた対話の促進に繋がる実質的成果をもたら すことを目指す。
ウ.セミナーとワークショップ
APCで取り上げられる研究テーマに焦点 を当てたセミナー、シンポジウム、あるいは ワークショップが、APC内あるいは国際的 テレビ会議システムを利用して、各国の研究 者、専門家の参加のもとに定期的に開催され る。これらの各種セミナーやワークショップ から生み出される研究成果の質を大幅に向上 させることができる。
エ.研修プログラム
研修プログラムは、ビジネス、教育、自治 体、メディア、NPOなど既に各分野で活躍 しはじめている次世代リーダーが、グローバ ル社会で必要な異文化コミュニケーション能 力と、異なる組織や集団をつなぎ、目標を達 成する文化媒介力、さらには、対立を緩和し、
平和と持続可能な未来を志向する上で求めら れる資質を高めるための6か月のプログラム
「異文化メディエーターシップ」を用意する。
プログラムは文化的背景の異なる複数の専門 家がファシリテーターとなるワークショップ 形式で行われるが、メソッドとしては、講義、
ディスカッション、ケーススタディー、シミュ レーションゲームの他、沖縄の自治体、NGO,
企業、メディアなど諸機関へのインターン シップ、日本各地へのフィールドワークなど が含まれる。
オ.紛争解決メヂエーション(継続的ダイア ローグ)
紛争当事者間、利害対立関係者間、衝突寸 前の当事者間など、対峙する集団のリーダー、
サブリーダーなどをAPCに招き、無期限で 徹底した継続的ダイアローグ(交渉・対話等)
を行う。当事者はすべて自身の母語で意見表 明できるようにプロ通訳者が介在する。また、
交渉・対話にはメディエーターとして当事者 とは文化的背景を異にする関係分野の専門家、
および必要に応じて、国際関係専門家、葛藤 処理専門家、国際弁護士などが介在する。
カ.APCスカラ−シップ
APCでは、日本を含むアジア太平洋地域の 若者が、沖縄県にある琉球大学および県下の 大学、沖縄科学技術大学院大学で学び、生活 するための奨学金「APCスカラシップ」制度 を設ける(毎年100 〜 120名程度)。奨学金受 給者は、APCの学生寮で諸外国の学生と生活 を共にしつつ、修士号あるいは博士号を目指 すと同時に、APCで行われる各種の研究・教 育・セミナー、文化交流活動に、研修生ある いは助手として参加できる。
キ.体感的異文化交流
上述の各種プログラムを通じた人的文化交 流の促進と共に、スポーツ・芸術・音楽、舞 踊などの各分野における文化交流プログラム を沖縄にある関係諸機関と連携しつつ沖縄全 土で定期的に実施する。APCの諸活動への参 加者(奨学金受給学生、教育・研修プログラ ム受講生、セミナー参加者、会議参加者、研 究者、専門家、講師他)、さらには沖縄県民、
子どもたちや若年層の人々からシニア世代ま で、沖縄を訪問する旅行者をも含めた様々な 人々が文化と言語の障壁を超えて多種多様な 文化交流ができる場を提供する。
ク.バーチャルコミュニティ
APCでは、日々進化する情報技術を取り入 れ、APCコミュニティの住民が享受できる ものに限りなく近い形で海外の人々が対話し、
学べるようなAPCバーチャルコミュニティ を作る。例えば、APCのセミナーやワーク ショップではテレビ会議システムを利用して、
世界の各地から会議に参加できるようにする。
また、APCのリソースセンターには、伝統的 な図書室(アジア太平洋図書館)以外に、世 界有数の図書館の図書、論文等にアクセスで きるようにする。さらには、APCで行うセミ ナーやワークショップの記録、研修プログラ ムのコースシラバスや関連資料などとする。
ケ.その他の特色
a.使用語は英語、日本語、中国語とする。
(但し、APCでのフォーラム、シンポジウ ム、継続的ダイアローグなどでは他の言語 も使用でき、必要に応じて英日間や英中 間などの通訳サービスを受けることができ る。)アジア太平洋各国からの留学生は沖 縄で生活する上では日本語が必要となるた め、APCの付属機関『アジア言語センター』
の日本語集中プログラムに参加し、最低限、
中級レベルの日本語を一年以内に習得する ことが求められる。
b.他機関・大学等との提携
琉球大学など県内大学、沖縄工業高等専門 学校、沖縄科学技術大学院大学、JICA沖縄 国際センターの他、アジア太平洋地域の研 究機関(例:East-West Center)などと
提携し、人文・社会・自然科学の幅広い観 点から平和と持続可能な未来の構築に向け た研究活動を行う。また、全世界のシンク タンク、研究所、研究センター、さらには 国連とも緊密なネットワークを結び、平和 構築のための具体的方策を講ずる。
c.人的ネットワーク
APCの奨学金を受けて沖縄の大学院で学 んだ人々、およびAPCの教育・研修プログ ラムへ参加した人々の世界的ネットワーク を構築し、その活動と持続的なつながりを 支援する。当ネットワークはまたAPCの設 立趣旨に賛同する人であれば誰でも参加す ることができる。ネットワーク構築の目的 は、学問間のエリート主義や排他性を取り 除き、開放的な多様性を受容しつつ、多文 化共生と平和の構築に向けての人々の相互 交流をさらに発展させるためである。
d.施設概要
地理的・歴史的な重要性を持ち、豊かな自 然環境とアジア太平洋諸国へのアクセスに 恵まれた沖縄県の沖縄本島内にAPC諸施 設を建設する。APCの敷地には研究棟、会 議(教育・研修・セミナー)棟、学生用宿 舎、研究員・講師・ビジター用宿舎、アジ ア言語センター、常設シネマ館が建設され る。尚、APC敷地内の建造物はすべて、現 代建築の中に沖縄の伝統的な様式を活かし、
沖縄の風土と自然に調和したものとする。
e.組織運営
特殊非営利団体としてのAPCは、国際的研 究機関としての独立性を保ちつつ、主とし て沖縄県、日本政府からの資金提供を中心 に、アジア太平洋地域の各国政府、民間事 業家、企業・機関・NPO、財団、個人から
の追加資金ならびにAPCの行う諸活動(教 育・研修プログラムおよび常設シネマ館、ア ジア言語センター等の運営)の収益をもっ て運営する。(初期投資+10年間は日本政府 と沖縄県からの100%資金提供が必要だが、
10年目以降は、APC収益、各種財団、各国 政府の拠出金の漸増を見込んでおり、日本 政府支出の割合は漸減する見込みである。)
6)APC設立の意義
日本は、地図上では極東の小さな島国であ りながら、現代史の中で国際社会に対し一国 のみで米国、EU、ロシア、中国等とならび枢 要な影響力を有する特殊な地位を占めている。
また、独自の公教育・高等教育制度を確立し、
国際社会に貢献しうる多くの知見・技術と人 的資源の蓄積を有しており、また民度も決し て低くはない。さらには、歴史的にも非欧米 世界の中で西欧列強に植民地化されることな く独自性を保ってきた稀なる国である。故に、
日本が国際平和構築に向けイニシアティブを とって本センター構想を実現させる意義は大 いにあると言える。
日本は戦後、自らの復興に専念しつつも、同 時に一貫して賠償、有償・無償援助、人材派 遣、開発援助、国際協力、経済協力などを通 してアジア地域の復興、発展のために力を注 いできた。それらの努力は相当な成果を生ん ではいるものの、今日においても、アジア諸 国の中で、日本を真の友好国とみなしている 国・地域は必ずしも多いとは言えず、むしろ 一部の近隣諸国との間では、建設的なコミュ ニケーションができないほど、こじれた関係 にある。
そのような状況の中で、日本がAPCのよ
うなアジア太平洋地域が共通に抱えている問 題を各国が協働して研究・教育をする機関が できることは、日本が敵対する当事国間の媒 介役を担うことにつながり、日本の対外関係、
外交政策推進に大きく寄与できると思われる。
この機関はハワイの東西センターから学び、
さらにそれを発展させることを目指す。東西 センター教育・研究の理念は「共同生活、ハワ イ大での専門教育・研究」を受講することで、
世界的視点、人類的視点のたったネットワー クを生涯にわたって築き、世界の平和維持と 持続的発展に寄与することである。ちなみに 東西センター同窓会の中から、すでにノーベ ル賞受賞者を輩出している。
APCが既存の教育・研究・交流機関と違う 点は、国益、人種、宗教を超えて共同生活を することで、国益にとらわれない視点と理解 を醸成することである。
長期的観点から、日本へのメリットとして 次の点があげられる。
APCで学んだ人々が自国に戻って将来各 界のリーダー的存在になっていくことが予想 されることから、海外との人的ネットワーク の強化とともに、二国間関係、多国間関係の 改善が見込まれる。
ア. 二国間政治交渉が膠着状態のとき、
APCでの紛争解決メディエーションが成果 をあげれば、両国間の関係改善に向けての方 向性が見出される可能性がある。
イ. APCでの多国間対話の積み上げによる 成果が、日本政府の平和外交を支える重要な 要素になる。
5.結論:評価と課題
今回の報告は「反戦平和と米軍基地を起因
とする人権」に限定した沖縄のソフト・パワー をナイの「ソフト・パワー」の定義を肯定的 にみて、分析した。
沖縄の大衆運動、市民運動、県構想で共通 なものは「反戦平和と人権擁護」である。こ れは琉球王国時代の「万国津梁」の対外関係、
1945年から現在までの米軍統治と日米安全 保障条約体制下で生まれたものである。
ただ、これらの政治、社会運動が沖縄(琉 球)の固有な文化に支えられていたかについ ては、さらなる精度の高い分析が必要である。
学問研究における評価基準、分析方法などが 容易でないので、沖縄のソフト・パワーの文化 力として定着したと断定するのはむつかしい。
APC構想は伝統的なバランスパワーの視 点で、継続的に論じられてきた沖縄の基地問 題に対して、沖縄のソフト・パワーの伝統を生 かして、ソフト・パワーによって沖縄の基地 問題の解決を図ろうとするものである。沖縄 にAPCを設置することによって、世界の人々 が沖縄で学び、そこで世界共通の利益(普遍 性)を理解し、沖縄を含めて世界の平和問題 の解決に向けて研究、研修、交流をしようと するものである。幸い、沖縄県、沖縄県民は これまで、培ってきたソフト・パワーを大事 に育ててきたので、その理念を活かした国際 機関の設立を模索してきた。このAPC構想 が、沖縄県の「反戦平和と人権擁護」施策の 後押しになれば、幸いである。
注
(1)仲村(1997)115頁
(2)ナイ(2004)10頁。
(3)沖縄タイムス社編の「沖縄百科事典」、沖縄県 祖国復帰闘争史編纂委員会「沖縄県祖国復帰
闘争史』と沖縄タイムス、琉球新報の記事を参 考にして、県民規模の超党派は大衆運動、市 民運動、沖縄県の政策をとりあげて、ソフト パワーの特質を明らかにする試みをした。
(4)沖縄県(2003)沖縄21ビジョン基本計画(沖 縄振興計画 平成24年度〜平成33年度)
引用・参考文献
沖縄県祖国復帰闘争史編纂委員会編(1982)「沖 縄県祖国復帰闘争史」沖縄時事出版社
沖縄タイムス社編(1983)「沖縄百科事典」沖縄 タイムス社
ジョセフ S・ナイ著(2004)「ソフト・パワー」(日 本経済新聞社)
高宮城繁、仲本政博、新里勝彦編著(2008)「沖 縄空手古武道事典」柏書房
富川盛武(2009)「沖縄の発展とソフトパワー」
沖縄タイムス
仲地 清「国際政治史における沖縄体験の意義
―平和と反軍事基地運動の視点―」386-398頁。
世界に拓く沖縄研究(ヨーロパ大会)」(第4回沖 縄研究国際シンポジウム実行委
員会)2003年、金城印刷
仲地 清「沖縄戦後史における沖縄県民党・超 党派」の役割と特質、名桜大学総合研究所紀要 第20号、71-75頁
仲村優子(1997)「黄金言葉 ウチナーンチュが 伝えることわざ200編」琉球新報社
(沖縄の政治学の領域において、ソフト・パワー アプローチによる論文、著書はまだ緒に就いた ばかりで少ない)
これまでの著者(仲地)による発表論文 1.2004年9月 東西センター東京会議で仲地発
表「A Proposal for North-South Center in Okinawa」
2.2011年9月 東西センター北京会議で仲地発 表「Soft Power of Okinawa in International Relations」
3.2014年9月 東 西 セ ン タ ー 那 覇 会 議「A Proposal for Asia Pacific Center」 で セ ッ ション主催と発表
4.2016年11月、 東 西 セ ン タ ー マ ニ ラ 会 議 で
「Proposing APC in Okinawa」をセッシヨン 主催と発表