ジャータカ文献に見られる経典読誦
平 林 二 郎
1.はじめに
ジャータカは本生・本生経などと漢訳され,釈尊がこの世に生まれてくるより
前の生涯の物語をいう
1).ジャータカは,古代インドの民間に広まっていた寓話
の中で主人公などの行動が釈尊の前生としてふさわしい場合に,それらを借用し
て作成されたと考えられている
2).
現在,我々が目にするパーリ聖典の
Jātaka(以下Ja)は
547の物語からなってお
り,それらの物語は韻文と散文によって記されている.伝承によればジャータカ
は,はじめに偈頌だけが聖典に編入されたと考えられており,散文については朗
誦者たちに任され,後世になってから注釈者によって書くことが委託されたと考
えられている
3).
Jaの韻文部分は紀元前
3世紀
4),散文部分は紀元後
5世紀に成立したと考えら
れ
5),当時の仏教や社会状況についての具体的な情報を提供してくれる
6).そこ
で本稿では古代インドにおける経典読誦の実態を解明するために,
Jaにみられ
る経典読誦について検討をおこなってみたい.
2.Jātaka に見られる経典読誦
Jaに お い て「読 誦
(す る)」・「と な え る」 と い う 原 語 と し て は,
sajjhāya- (denominative)7),√
ah-,
saṃ+√
kṣubh-などが使用されている
8).そこで本稿ではこ
れらの動詞,ならびに,その派生語が使用されている用例を挙げ検討していきたい.
2.1.
sajjhāya-
に関する用例
Ja
において,
sajjhāya-という動詞,および,その派生語は
31回使用されている
9).
本稿ではそれらのうち
2つの箇所を検討したい
10).
2.1.1.
Cullakaseṭṭhijātaka
(
Ja no. 4)に見られる
sajjhāya-の用例
Ja. I. p. 116.16–22: imaṃ ekaṃ gātham catuhi māsehi gaṇhituṃ nāsakkhi. so kira Kassapasammāsambuddhakāle pabbajitvā paññavā hutvā aññatarassa dandhabhikkhuno
uddesagahaṇakāle parihāsakeḷiṃ akāsi. so bhikkhu tena parihāsena lajjito n eva uddesaṃ gaṇhi na sajjhāyam akāsi. tena kammenāyaṃ pabbajitvā va dandho jāto. . .(下線筆者)
試訳: 彼(チュッラパンタカ)はこの一偈を四ヶ月かけても学ぶことができなかった.実 に,彼は正等覚者カッサパの時代に出家し,智慧あるものとなった,〔彼は〕ある愚かな 比丘が説誦を学んでいる時に 笑し楽しんだ.彼の比丘はその 笑を恥じ,まさに説誦を 学ばず,読誦もしなかった.彼(チュッラパンタカ)は出家したがその業によってまさに 愚かな者として生じた….
上記は,釈尊の弟子のなかでも最も愚かであったチュッラパンタカが出家した
場面である.チュッラパンタカは過去世カッサパ
( 葉仏)の時代に出家し智慧
あるものとなったが,彼はとある比丘が説誦を学んでいる時にそれを 笑し楽し
んだ,その業の結果として彼は釈尊の弟子のなかでも最も愚か者として生じたと
説かれている.
石上は
Jaに関して上記の用例と,その他に
sajjhāya-が使用されている
3箇所を
挙げ,
sajjhāya-という原語が学習・修行上の実践的行為の一つとして現れている
ことを指摘している
11).
2.1.2.
Chaddantajātaka
(
Ja no. 514)に見られる
sajjhāya-の用例
Ja V. p. 54.8–10: pañcasatāpi paccekabuddhā ākāsenāgantvā mālake otariṃsu. tasmiṃ khaṇe dve taruṇanāgā nāgarañño sarīraṃ dantehi ukkhipitvā paccekabuddhe vandāpetvā citakaṃ āropetvā jhāpayiṃsu. paccekabuddhā sabbarattiṃ āḷāhane sajjhāyam akaṃsu.(下線筆者)
試訳: 五百人もの独覚が虚空からやってきて円庭に降りた.その刹那,二匹の若い象は象 王の遺体を で持ち上げて独覚たちに礼をさせてから,火葬用の薪の上にあげて火をつけ た.独覚たちは夜通し火葬場において読誦をなした.
上記は,釈尊が前世において象王であった物語の一場面である.象王が猟師の
毒矢に射られ亡くなってしまった際に,象王の遺体を他の象たちが火葬しようと
していると,五百人の独覚が虚空からやってきて火葬場で読誦をなした.
釈尊の葬儀の場面を説く
Mahāparinibbānasuttantaには釈尊の遺体を火葬する際
に経典を読誦したという内容は見られない
12).後代では『根本説一切有部毘奈耶
雑事』巻十八の冒頭
13)に,遺体を火葬して供養し,「無常経」などをとなえる記
述がある
14).この
Jaの該当箇所を見ると古代インドではすでに遺体を火葬する
際に,「無常経」かはわからないが,何らかの経典を読誦していたことが窺える.
また,この用例から
Jaにおいて
sajjhāya-が学習・修行上の実践的行為以外に
も使用されていることが明らかとなった.
2.2.
その他の用例
Ja
においては「読誦
(する)」・「となえる」という原語として
sajjhāya-の他に
√
ah-,
saṃ+√
kṣub-などが使用されている.以下にそれらの用例を
1箇所ずつ挙
げ検討したい.
2.2.1.
Kumbhajātaka
(
Ja no. 467)に見られる√
ah-の用例
Ja V. p. 11.23–28: S. tattha ṭhito va tāsaṃ saṃvegajananatthāyako nu hāso kim ānando niccaṃ pajjalite sati,
andhakārena onaddhā padīpaṃ na gavessathā ti (Dhp. p. 146.)
imaṃ gātham āha. gāthāpariyosāne tā pañcasatāpi sotāpattiphale patiṭṭhahiṃsu. (下線筆者) 試訳: そこで立ち上がった師(S.=satthā)は彼女たち(五百人の酔っている婦人たち)に恐 れを起こすために, 〔この世が〕常に燃えているときに,どうして笑い,どうして喜んでいるのか. 汝らは暗闇に覆われている,燈明を求めないのか,と この偈をとなえた15).偈が〔となえ〕終わると,彼女ら五百人とも預流果に達した.
上記は,釈尊が酒祭を楽しんでいる五百人の婦人たちに
Dhammapada(以下Dhp)の偈をとなえ,彼女たちに恐れを抱かせ預流果に導いたという場面である.
以上から
Jaの朗誦者,もしくは,注釈者は,釈尊が在家の女性たちにも
Dhpをとなえており,出家していない女性であっても
Dhpを聴けば預流果を得るこ
とができると考えていたと明らかとなった.
2.2.2.
Cullakaseṭṭhijātaka
(
Ja no. 4)に見られる
saṃ+√
kṣubh-の用例
Ja I. p. 119.3–6: satthā bhattakiccapariyosāne Jīvakaṃ āmantesi: Jīvaka, Cullapantha- kassa pattaṃ gaṇha, ayan te anumodanaṃ karissatīti. Jīvako tathā akāsi. thero sīhanādaṃ nadanto taruṇasīho viya tīhi Piṭakehi saṃkhobhetvā anumodanaṃ akāsi.
(下線筆者) 試訳: 師は食事を終えるとジーヴァカに告げた,「ジーヴァカよ,チュッラパンタカの鉢 を取りなさい,彼は汝に感謝するだろう」と.ジーヴァカはそのようにした.長老 (チュッラパンタカ)は若獅子が獅子吼するように三蔵を震わせ〔となえ〕,感謝をなした.
上記は,医者であるジーヴァカ
(Jīvaka Komārabhacca)が釈尊からチュッラパン
タカを呼びに行くよう頼まれ,チュッラパンタカを捜し出し,彼とともに釈尊の
ところに向かった場面である.ここで,チュッラパンタカはジーヴァカに釈尊の
ところに連れてきてもらい,自分の鉢を取ってもらった
16).チュッラパンタカ
はその感謝の意を示し,ジーヴァカに三蔵を震わせ〔となえ〕ている.
以上から,古代インドの仏教教団においては出家者が在家者の行為に対して感
謝の意を示すために三蔵を震わせ〔となえ〕ることがあったと明らかになった.
3
.小結
本稿では,
Jaにおける経典読誦について
sajjhāya-,√
ah-,
saṃ+√
kṣubh-が使用
されている用例を挙げ,その内容を検討した.本稿の小結として以下の
2点を述
べたい.
①本稿
2.1.1.の用例,ならびに,石上の指摘
17)から
sajjhāya-は学習・修行上の実
践 的 行 為 を 現 し て い る.
2.1.2.の 用 例 で は 独 覚 が 象 王 の 火 葬 の 際 に 読 誦
(sajjhāyam)をなしている.この用例から,
Jaにおいては
sajjhāya-が学習・修行上
の実践的行為以外にも使用されていると明らかとなった.
②
2.1.1.の用例では学習・修行上の実践的行為として経典を読誦する
sajjhāya-が使
用されている.
2.1.2.では火葬の際に
(何らかの経典を)読誦する箇所で
sajjhāya-が
使用されている.
2.2.1.では釈尊が在家女性たちを導くために
Dhpをとなえる箇
所で√
ah-が使用されている.
2.2.2.では出家者が在家者の行為に対して感謝の意
を示すために三蔵を震わせ〔となえ〕る箇所で
saṃ+√
kṣubh-が使用されている.
本稿では動詞の語根によって訳語を使い分けたが,
Jaにおいて「読誦
(する)」・
「となえる」という原語は一定しておらず,それらの目的は多岐にわたっている
ことが明らかとなった.
古代インドにおける経典読誦の実態を解明するには,「読誦
(する)」・「となえ
る」という訳語を再検討するとともに,本稿で扱った以外の用例についても詳細
に検討する必要がある.
1)干潟 (1961, 1)を参照せよ. 2)干潟 (1961, 5)を参照せよ. 3)ヴィンテルニッツ (1978, 92)を参照せよ.4)バルフト(Bharhut)のストゥーパには古いジャータカ(Naccajātaka, Ja no. 32など)が
レリーフに刻まれている.バルフトのストゥーパは紀元前3世紀のものであり,古い韻 文のジャータカは紀元前3世紀頃以前には作成されていたと考えられている(ヴィンテ ルニッツ (1978, 92),ならびに,干潟 (1961, 5–6)を参照せよ). 5)注釈の形をとるJātakaṭṭhavaṇṇanāの著者はBuddhaghosa(5世紀頃)であるという伝承 があり,この伝承が正しければJaの散文は5世紀頃には作成されていたと考えられる (ヴィンテルニッツ (1978, 92; 383–384, (231),(232),(233))を参照せよ). 6)ヴィンテルニッツ (1978, 120)を参照せよ. 7)sajjhāyati PTSD p. 669; svādhyāyati BHSD p. 616を参照せよ.
8)「読誦(する)」という原語としては√jap-, √paṭh-, √bhās, √vac-, ud+ā+√hṛ-などこ の他に多くの動詞が使用されている.
9)使用箇所は以下である.Cullakaseṭṭhijātaka (Ja no. 4): Ja I. 116.19, 118.21. Akālarāvijātaka (Ja no. 119): Ja I. 435.23, 436.13. Susīmajātaka (Ja no. 163): Ja II. 48.5. Sabbadāṭhajātaka (Ja no. 241): Ja II. 243.12–18. Gāmaṇicaṇḍajātaka (Ja no. 257): Ja II. 307.12–19. Supattajātaka (Ja no. 292): Ja II. 435.21. Chavakajātaka (Ja no. 309): 28.21, 29.6. Mūsikajātaka (Ja no. 373): Ja III. 216.19–22, 217.26, 218.11. Setaketujātaka (Ja no. 377): Ja III. 235.22, 236.11. Biḷārikosiyajātaka (Ja no. 450): Ja IV. 64.16. Uddālakajātaka (Ja no. 487): Ja IV. 299.16–17. Hatthipālajātaka (Ja no. 509): Ja IV. 477.22. Chaddantajātaka (Ja no. 514): Ja V. 54.8–9. Naḷinikājātaka (Ja no. 526): Ja V. 204.4. Kuṇālajātaka (Ja no. 536): Ja V. 451.11. Bhūridattajātaka (Ja no. 543): Ja VI. 179.1, 13.
10)sajjhāya-については一部の用例が石上(1967)によって検討されている.本稿では石
上が検討している用例と,それ以外の用例を検討してみたい.
11)石上 (1967, 68–71)を参照せよ.sajjhāya-の3箇所の用例は以下である.Akālarāvijātaka
(Ja no. 119): Ja I. 435.23. Susīmajātaka (Ja no. 163): Ja II. 48.5. Mūsikajātaka (Ja no. 373): Ja III. 216.19–22. 12)Mahāparinibbānasuttanta: DN II. 159–164. 13)『根本説一切有部毘奈耶雑事』T24, 286c7ff. 14)佐々木 1971,および,吉田 2009を参照せよ. 15)√ah-は「言」,「告」などと漢訳されることが多い.しかしながら,ここではimaṃ gātham(この偈)が目的語であることから,「となえる」と試訳した. 16)在家者が比丘の鉢を取ることは,その比丘を食事に接待するという意味がある. 17) 11)を参照せよ. 〈使用テクストと略号〉
パーリ文献はPali Text Society版を使用し,略号はA Critical Pāli Dictionaryに従う. BHSD Buddhist Hybrid Sanskrit Dictionary. Ed. Franklin Edgerton. New Heaven: Yale University
Press, 1953.
PTSD The Pali Text Society's Pali-English Dictionary. Eds. T. W. Rhys Davids and William Stede. London: Pali Text Society, 1913–1925.
『根本説一切有部毘奈耶雑事』T no. 1451. 〈参考文献〉 ヴィンテルニッツ(中野義照訳)1978『仏教文献』インド文献史第3巻,日本印度学会. 石上善應 1956「仏教初期の読誦経典について」『宗教文化』11: 48–58. ― 1967「初期仏教における読誦の意味と読誦経典について」『三康文化研究所年報』2: 45–90. 佐々木教悟 1971「根本説一切有部と三啓無常経について」『印仏研』19(2): 570–577. 干潟龍祥 1961『ジャータカ概観』パドマ叢書2,鈴木学術財団. 吉田道興 2009「仏教における葬祭儀礼の成立とその執行者」『愛知学院大学教養部紀要』 56(4): 23–45. 〈キーワード〉 Jātaka,初期仏教,パーリ聖典,経典読誦 (大正大学綜合佛教研究所研究員)