第 1章 1991年 度岡山大学構内遺跡調査報告 1
調査の概要当 セ ンターにおいて は
,大
学構 内 にお ける掘削 を伴 う工事 に際 して,事
務局施設部企画課 を 通 じて事務手続 きを行 った うえで,発
掘調査 。試掘調査・立会調査 にわけて調査 を実施 してい る。これ までの ところ
,そ
の調査 の対象 は津 島地 区 と鹿 田地区 とが中心 になっている。 と くに,鹿 田地 区 は周知 の遺跡 (鹿田遺跡
)と
して,掘
削 を伴 う工事 に際 し,届
出 を提 出 した上で対応 を行 なっている。 また,津
島地 区 において も,新
たな遺跡 の確認が進 んでいる ことか ら,遺
跡名称を「津島岡大遺跡」と総称し ,届 出の有無にかかわらず ,少 なくとも立会調査を実施して
いる。
1991年 度 は
,発
掘調査2件
(津島地 区,鹿
田地 区各1件 ),立
会調査 43件 (津島地 区37件,鹿 田地 区
6件)を
実施 した。 その うち,発
掘調査 については本章 でその概要 を述べ,立
会調査 の詳細 について は表1(p.15〜 16)に
示 す。 (松木)2
発掘調査① 津 島 岡大遺 跡 第
3次
調 査 〈A地
点 :遺伝 子 実験 施設津 島地 区BD18・ 19区
, B地
点 :合併 処理槽津 島地 区
BH13区
〉I.A地
点 調査 の経過この調査 は遺伝子実験施設 の新営 に ともな って行 われた ものである。調査地点 は農学部小動 物飼育室 の南側 にあた り
,発
掘調査前 は空地 にな っていた。当地点で は1988年 の試掘調査 で,縄 文時代 晩期 〜弥生時代前期 の黒色土層 に切 りこんだ溝 を検 出 し
,ま
た,陶
磁 器,中
世土器,弥生土器
,縄
文土器,石
鏃 な どが出土 したため,当
地点 には遺構,遺
物包含層 が存在 する こと が確認 されていた。 また,調
査 区に隣接 して設置 してあった防火用水槽 を撤去す る際の立会調 査 で も溝 と思 われる遺構 が検 出 され,弥
生土器 や石鏃が出上 し,上
記 の試掘調査 と同様 に遺構,遺物包含層が存在 す る ことが確認 された。
調査 は 7月23日か ら翌年 の12月 25日 まで
,調
査員2名
で行 った。調査面積 は約650ポ である。層序 と地形 (図1)
現 地表面 は標 高
3.5m〜 4mで
ある。現表土下 の1層
は1907年 に旧陸軍屯営地建設 の際の造 成上 で,花
尚岩 のバ イ ラ ン上 である。2層
は明治時代 の耕作上 である。3〜
5層は,僅
少 なが1991年度岡山大学構内遺跡調査報告
らも出土 した遺物 か ら
,近
世 の耕作土 と考 えられる。6層
も良好 な遺物 は出上 していないが,中世 の耕作 上 であ る と考 え られ る。場所 によ って はa層 と
b層
に分層 で き,b層
の方が若干,きめ力群田かい。 ともに出土 した土器 か ら14世紀 頃の上層 である と考 えられる。
7層
は黒色上 の 上 に薄 く堆積 した黄灰色細砂質土で,調
査 区南西部 の旧地形 が低 く落 ちてい く部分 に分布 して い る。8層
は黒色 土 で, 7層
同様 に調査 区南西 部 に分 布 して い る。場所 によって はa層 と b 層 に分層 で き,b層
の方が若干砂 っぽい。 出土 した遺物 は弥生時代前期 の上器 を中心 とし,縄
文時代 晩期 の突帯文土器 をわず か に含 んでいる。9層はマ ンガ ンを多 く含 んだ黄褐色上 で
,僅
少 なが らも
,出
土 した土器 か ら,縄
文時代後期 の上層 と思 われる。10層 以下 は無遺物層 で あ り,SL=3.Om一
2.5m一
7
20m―
1.5m一
SL=3.Om―
7
2.5m―
2.Om一
6b 青灰色細砂質土 (中世
)
■7
黄灰色細砂質土 (中世?) 12
8a 黒色土 (弥生前期〜縄文晩期
) 13
8b 黒色弱砂質土 (弥生前期〜縄文晩期)149
黄褐色土 (縄文後期) 15
10 明茶灰色土
図
1
土層断面図 (縮尺1/40け 1 2 3 4 5
6 a
造成土 青灰色土 (明治)
橙灰色土 (近世)
黄灰色土 (近世)
黄灰色粘質土 (近世)
青仄色土 (中世)
茶灰色細砂質土 黄灰色土 茶灰色土 暗茶灰色細砂質土 茶灰砂
柱状図位置
‑2‑
図
2 6層
下面検出遺構 (縮尺1/250)13層か ら砂 質が強 くな ってい く。調査 区の中央部 で は
,15層
の下 に砂利 か らなる沖積層 の盛 り 上 が りがみ られる。平面 的 には
, 6層
まで は調査 区全面 に分布 している。6層以下 は,調
査 区北東部 を頂部 とし,調査 区の周縁 に向 って緩 やか に落 ち込 んでい く微高地 とな っている。黒色土 は
,こ
の落 ち込 ん で い く部分 に分布 している (図 3)。 また,弥
生 時代 中期 〜古代 の土層 は認 め られなか った。中世層 である
6層
に6世
紀以 降の須恵器 が混入 している こ とや, 6層
下面 に高 さが ほぼ一定 して平 らになっている こと,黒
色上 が微高地 の頂部 には分布 していない ことな どか ら,中
世 の段 階で削平 が行 われている と考 え られる。 そ して
,
このため に弥生時代 中期 〜古代 の上層が失 われた と考 えられる。調査の概要
造成上以下
2層
か ら6層
にかけて検 出 された遺構 は以下の とお りである。2層上面で は畝跡,3層
上面で は,調
査 区の中央 と東隅 を南北 に横 断す る幅lm程
の溝 を2本
と畝跡 を検 出 した。4, 5層
上面で は鋤跡, 6a層
上面で は,調
査 区の北西隅 にわずか にかかる溝4本
を,そ
れぞれ検 出 している。いずれの層 で も図化 に耐 える遺物 は出土 しなか った。
1991年度岡山大学構内遺跡調査報告
6b層
を手Jいだ ところで,多
くの溝 を検 出 した。可能性 のある もの をすべ て含 める と総数 は69本 に及ぶが,主
な溝 を,切
りあい,埋
土,出
土遺物 な どか ら,図
2・3,写
真1・2の
よ うに分類 した。図2に
示 したの は古代 〜古墳時代 と考 えられる溝 である。 中世の削平 でかな り の部分が失 われてお り,平
均 的規模 は幅17〜 8 clll,深 さ5〜 6 cIIIである。埋 め土 は黄灰色土,ない し青灰色上 である。北東 〜南西方向 に走 る溝群 1と 南北
,東
西方向 に走 る溝群2に
分 けることがで きる。 出上 した遺物が僅少 のため
,時
期 決定が困難 だが, 6世
紀以 降の須 恵器 を含 ん でいるため,溝
群 1と 溝群2は
同時 に存在 した とは考 えに くいが,出
土遺物 や埋土 か ら考 えて,近似 した時期 に掘 られた と思 われる。溝群
2は
図 に示 したよ うに途 中で直角方 向 に曲が ってい る こ とか ら,方
形 に区画す る こ とを意 図 している よ うである。 また,溝
1の底 か らは,ほ
ぼ等 間隔 に並 ぶ浅 い ピ ッ トを検 出 しているが,今
の ところその機能・性格 は不 明である。図
3に
示 した もの は弥生 時代 の溝,
ピ ット群,縄
文時代後期 の上娠 な どで ある。調査 区西側 には,南
北方 向 に3 cIII程の黒色上の盛 り上が りが確認 で きた。1本
しか検 出で きなか ったが,畦畔 の可能性 が高 い。溝
2は
幅60cm,深
さ45〜25cIII程で,弥
生 時代 中期前半 の上器 を中心 に出 土 している。溝3は
幅80cm,深
さ20clll程で,弥
生時代 中期初頭 の上器 を出土 している。溝4は
図
3 6層
下面〜9層検 出遺構 (縮尺1/250)艤 :辞 ‖
‑ 4 ‑
幅
110cm,深
さ40clll程で
,断
面 を観察 した と こ ろ で は,数
回 に わ た って掘 り直 されてい るよ うである。遺物 は,当調査地点で は最 も多 く出土 してお り
,弥
生時代 中期
,後
期前半 の上器 (図4・ 1〜 6) を中心 に出上 している。
調査 区南東 隅 の溝群 は 幅60〜
80cm,深
さ50clll程 で
,図
示 した以外 にも数本 の溝が並行 して 切 りあ っている。 この
o 10cm
図
4
出土遺物 (縮尺1〜 6は1/4,7は 1/3,7の み右スケール対応) 溝群 で は弥生 時代前期 〜後期 の上器 を出上 している。 ピ ッ ト群1・2は
それぞれ溝3・4の
底 で検 出 され,い
ず れ も青灰色砂 質土 を埋土 としている。 ピ ッ ト群3については,遺
物 が 出土 し ていないため,時
期 が明確 でない。検 出面 は9層
上面であるが,平
均 的 な深 さが10数cln程度 で ある こ とか ら,実
際 には さらに上層 か らの掘 りこみであ った可能性 が高 い。埋 め土 は淡黄灰色 上 の ものがほ とん どであるが,一
部 には黒色土 を埋 め土 とす る もの も認 め られ,時
期 が異 なるピ ッ トとなる可能性がある。
9層
上 面 で は土媛 を6基
検 出 した (写真3)。 上 媛 の平均 的 な規模 は,直
径lm程 ,深
さ50clll程である。焼土
,炭
化物 が多 く含 まれてお り,現
在,学
習 院大学 に炭化物 の年代 測定 を依 頼 中で ある。掘 り込 み面 か ら縄文時代後期 の上媛 である と考 えられるが,遺
物 は僅少 である。調査 区北端 の土壌 と思 われる落 ち込 み よ り
,安
山岩製の縦長 の石匙 (図4‑7)が
出土 してい る。辞 器 種 法 量 (ctr)
形 態 ・手 法 の 特 徴 ほ か 色 調 胎 土
口径 底 径 器 高
1 弥 生 土 器 養 (167) 内外 面 口縁 部 〜頸都 ナデ,胴部 外 面 ハ ケ メ,内面押圧 橙 灰 色 細砂多 弥生 土 器 養 内外 面 口縁部 〜頸部 ナデ,胴部外 面 ハ ケ メ,内面 ケ ズ リ 橙 灰 色 細砂 シャモット含 弥生 土 器 養 (133) 外 面 ナ デ,内面 口縁 部 〜頭部 ナ デ,胴部 ケ ズ リ 橙 灰 色 細 砂 含
4 弥生 土 器 壷 内外面 口縁部 〜顕部上瑞 ナデ,頸部外 面 ハ ケ メ 橙 灰 色 細砂多
5 弥生 土 器 養 口縁部 〜頸部 ナデ,胴部外 面 ミガキ,内面 ケ ズ リ,押圧 痣橙 灰ぞ 徴砂・シャモット含
弥生 土 器 鉢 外 面 ナ デ,脚端 部 押 灰.脚部 内面 ナデ.胴部 内面 ケ ズ リ 橙 灰 色 微 砂 多 い
7 石 匙 自然面 打面 をもつ安 山岩 の不定形章J片素材
番号 は実 測 図 の番号 にテ↓応 す る。7は口径,底径,器高 をそれ ぞ れ長 さ,福,厚さに読 みか える。
T
1991年度岡山大学構内遺跡調査報告
写真
3
縄文時代土境 す る こ とがで きる。以上 のよ うに,に集落が営 まれていたよ うであ り,
か とな った。
以上 の他 に
,岡
山理科大学 に各土層 での花粉 分析 を依頼 中である。ま とめ
今 回の調査 で は
,調
査 区が安定 した微高地 の 頂部 〜斜面部 にあた ってお り,微
高地 に沿 って 掘 られ た弥生時代 の溝 や,時
期 は不詳 であるが,柱穴 と思 われ る ピ ッ ト群 な どが検 出で きた。 こ のよ うに
,弥
生時代 〜古代集落 に関する と思 わ れる遺構 は岡山大学構 内で は少 な く,貴
重 な資料 である。 これ らは微高地 の利用法 を知 る うえ での資料 とする ことがで きる。遺物 を概観 する と
,縄
文時代後期以降,ほ
ぼ各時期 の遺物が見 られるが,弥
生時代後期末〜古墳時代前期,平
安 時代 後期 の遺物 はほ とん ど見 られず
,集
落 の 断絶 が あ った と考 えられる。 この時期 を埋 める 資料 は,1988年
度 に行 った津 島岡大遺跡第6次
調査 (工学部生物応用工学科棟新営 に伴 う発掘 調 査
)な
どで確 認 されてお り,集
落 の移 動 が あ った ことが考 え られる。 また,試
掘調査 で は 縄 文時代 の上層 は確認 されていなか ったが,黒
色上 の下 に縄 文時代後期 の土層 が堆積 している こ とが確認 された。そ して
,微
高地 の縁辺部 に 土壌が掘 られてお り,土
壊 の立地 を示 す資料 と 当調査 地点 で は,縄
文 時代後期 か ら古代 にかけては断続的 中世 〜明治時代 は,田
畑 として利用 されていた ことが明 ら (富樫)注
(1)『岡山大学構内遺跡調査研究年報6』 岡山大学埋蔵文化財調査研究センター 1989年 写真
1 6層
下面検 出遺構写真
2 6層
下面〜9層上面検 出遺相I B地
点 調査の経過本調査 は農学部遺伝子実験施設 の合併処理施設 の建築 に ともな う記録保存調査 として計画 さ れ
,1991年
8月2日よ り同年12月 18日までの期 間で実施 した。調査地点 の西側 隣接地点 は農学部 合併処理槽 が建築 されてお り,こ
の部分 の調査 は1984年 に行 われている(図13参照)。前 回の調査 で は
,弥
生 時代 の溝 と中,近
世 の水 田層 が確認 され,遺
物 は縄文 時代 晩期 か ら弥 生時代前期,中 ,近
世 の時期 にかけての ものが出土 してお り,今
回の調査 で もこう した時期 の 遺構 や遺物 の発見が予測 されたため,調
査 区内 に2mグ
リ ッ ドを組 み,水
田層以外 の層 につい て は,基
本 的 に遺 物 は原位 置 を記 録 しなが ら層 位 毎 に取 り上 げ をお こな った。調査 面積 は 140m2で ぁる。│
層序 と地形 (図8)
調査 地点 の現 地表 は標高約
4mを
測 る。1層は造成上 であ り,本
層 は重機 によ り掘削 し, 2
層 以下 を手掘 りで層位 的 に掘 り下 げ,調
査 最深部 の標高0。8mま
での あいだに,大
別 15枚 の上 層 の堆積 を識別 した。2層
は近世, 3, 4層
は中世 の遺物 を少量含 んでお り,そ
れぞれに数枚の水 田土壊 を確認 した。
5〜 7層
は古代 の遺物 を少量含 み,砂
質 に富 む土層 と粘 質上 の互層 と な ってお り, 7層
上面で東西 には しる2本
の畦畔 を検 出 した。9層
か らは,わ
ず かで あるが弥生 時代 中期前半 の上器片が出土 している (図8‑8,9)。
(東壁北根1) (東壁南側
) 1
造成上2
青灰色微砂粘土3
黄褐色微砂粘土4
青灰色粘土5
暗青仄色微砂土6
灰 白色微砂土7
青灰色砂質土8
青仄色砂質土(7>8) 9
暗茶仄色砂質土 10 暗青灰色砂質土■
暗青灰色粘質土 12a黒褐色土
学制 Om執 雪 懇 魯 :Q4■
13113 暗褐色土(無遺物層,斜面下方で 青灰色粘土層 に移行)
14 暗褐色土 (無遺物層)
※全体 の統一 をはかるため, B地点 の共通層 のみを図示 し,亜層等 は
省略 してある。
><は
上層の色調 の明るさを示す。図
5
土層断面図1
重
7
「 1991年度岡山大学構内遺跡調査報告
9層は東西 には しる弥生時代 の溝 の検 出面であ り
,全
体 に南 に向か って緩 やかな傾斜 をもつ。10〜 12層 は弥生前期 の遺物 の主包含層 であ り
,
と くに10,12層
に集 中 して,あ
る程度の面的な広 が りをもっている。12層 と した土層 は津 島地 区の微高地上 に特徴 的 に認 め られる土層 で あ り, 本調査 区で は北側 で は比較 的堆積 が安定 しているが
,南
の傾斜面下方 ではそれ らが漸移的 に粘 土化 して黒色粘土層 に移行 してい くことが確認 された。検 出 された遺構 と遺物 (図
7, 8)
今 回の調査 で検 出 された遺構 は
,吉
代 の水 田畦畔 と土坑2基 ,弥
生時代 の溝7条
であ った。畦畔 は東西方向 には しる もので
,こ
の地 区の畦畔の方向 と同一であ った。弥生時代 の溝 は調査 区の北西 隅 に二本 が,中
央付 近 に5本
が重複 して検 出 された。溝 内の土層 の堆積 か ら,い
ず れ も流路 は東 か ら西方 向である ことがわか っている。 これ らは西側 隣接地点の調査 で検 出 された もの と同一 の構 と考 えれる。また一部 の溝 の底部付近 に
,足
跡状 の凹凸が集 中的 に認 め られた部分 が ある。砂層 と粘 質土 の薄層 が互層 を成 す部分 で一部 の互層 を踏 み込 む状況がセ クシ ョンで確認で きた。写真
4 9。
10層 検 出の弥 生 時代 の溝(3〜7) 7本 の濤が複雑に重複しており,いずれも 流路を東→西にとる。砂質に富む土層が堆積し,弥生前・中期の遺物が出土している。
トーンは足跡状痕跡の分布範囲
0 4m
。は弥生時代前期の遺物
図
6
弥 生 時代 の 遺構 と12a,b層
に お け る 遺物分 布 状 態写真
5
溝 7下底 面 にお け る足 跡 状 痕 跡 の検 出状 態濤の下底面は,黒色の粘質土層 と砂層の 互層で,踏み込み面の下底面に足跡状の痕 跡が検出された。
‑8‑
これ らは多 くが複雑 に重複 してお り
,確
認状況 で はマー ブル状 の土層 の乱 れ と して検 出 され た。平面形状 やセクシ ョン等 のデー タとともに他 の「足跡」状 の痕跡 との比較検討が必要 であ ろ う。 その際 に掘 り上 りが単 に足跡 に似 ている とい うだけでは根拠 に欠 けることは言 うまで も ない。 この他 に14層 上面で多 くの小穴 を検 出 したが,形
状,土
層 の堆積状態 か ら,い
ず れ も植 物等 の生痕 と判断 された。出土遺物 の主要 な もの を図7・ 8に示 した。 図7は弥生時代前期 の石器である。器種 は比較 的豊富であるが
,出
土量 は少 ない。図8の
1〜7は
12層 出上 の弥生時代前期 の上器である。 8,9は 9層
出土 の中期前半 の上器で8は
平行沈線 が施 され,以
下 に波状文が描 かれる。9は
日縁 が強 く外反する壺 である。ま とめ
今 回の調査 で は
,古
代 〜近世 の土層 の多 くに水 田土壌 が確認 で きた。水 田経営 は南 に緩 やか な傾斜 をもつ弥生時代以来 の地形 が砂質 に富 む土層 の堆積 によ り,ほ
ぼ平坦 となった地形返遷 と連動 した もの と考 えられる。 また弥生時代前期,中
期 には東西 には しる溝 が複数確認 で きた が,
と くに黒色土上面 における遺物 の廃棄 ブロ ックの在 り方 な どか ら,調
査 区北側 にさらに濃 密 な遺構,遺
物群 か ら成 り立 つ生産居住域 の展 開が予測 で きる。今後 は遺構 の性格 や分布状態 とともに,遺
物群 の多角的な分析 による当該期 の生活址 の復元が課題 となろ う。 そ うした意味 で は遺物包含層 も重要 な分析対象 となるはずである。 (阿部)\‖ △
鰯 悶
﹄
眠 糊 脚 脚 即
絢 酬
=
0 5 clll l, 2:
0 10clll
3, 4:Lェ
コにェ==ヨ=======」
図版No 器 種 現存長(mm) 最大幅(mln) 厚 さ(mln) 重量(a) 石 材 出土層位
図7 1 石 鏃 ll サ ヌカイ ト 2b層
ク 2 磨製石斧 78 9 30.2 結晶片岩 2b層
// 3 石疱丁 90 2 2b層
// 4 砥 石 砂 岩 2a層
図
7 12a,い
層 出上遺物(1)1991年度岡山大学構 内遺跡調査報告
鎌 撒 異 }
12a, b帰雪
│!!IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII
1〜
8=
0 10cШ
9= 1‑―
――す―¬ T 卜 一―一一――一引図
8 9,12a,b層
出上の選物(2)9層
図版 No 器 種 部 位 調 整 色 調 胎 土 出土層位
図
8
ユ 壷 口縁 内ヨヨナデ,外ヨヨナデ 赤褐色 石英・長石多含 12a層// 2 鉢 内ヨコナデ,外 ヨヨナデ 12b月ヨ
壺 肩 部 磨 滅 灰色色 12a'署
ク 4 顕 部 内ナデ,外ミガキ 黒禍色
// 5 鉢 口縁 磨 滅 赤褐色
// 6 灰褐色
// 7 胴 部 内 ミガキ,外ナデ 暗灰禍色
// 8 壷 口縁 内ハ ケ メ,外ナデ 仄禍色 石英・長石細粒多含 9層
// 9 磨 滅 黒 〜灰褐色
‑10‑
調査 の概要
②鹿 田遺跡第
6次
調査<ア
イツ トープ総合センター>(鹿
田地区BW〜
CC。 67〜 71区)調査の経過
アイソ トープ総合 セ ンターの新営 に先立 ち
,医
学部構 内の建設予定地 (図13)に
おいて1990 年11月 20日か ら1991年 6月30日 まで,発
掘調査 を実施 した。 その うち1991年 3月 までの調査成 果 は,す
で に本 セ ンター年報第8号
でその概要 を記 したので,以
下 で は1991年 4月 以降 の成果 を中心 に述べ る こととする。基本層序 と地形 について も年報第8号
に既述 しているので参照 さ れたい。なお,調
査面積 は約690m2で, 3名
の調査員が担 当 した。調査の概要
中世層上面 で は
,前
年度 まで に溝6,井
戸1,上
壊1,掘
立柱建物3,柵
列1な どの遺構 を 確 認 していたが,本
年度 は これ に加 えて溝20,土
墳1,掘
立柱建物3の
ほか,多
数 の ピ ッ ト群を検 出 した。溝 はほ とん どが浅 く
,東
西 ・南 北方 向に密集 して走 るが (写真6),同
時存在 は 考 えが た く,い
くつかの段 階が想定 されよう。 ただ し,こ
れ らの溝 は,出
土遺物 にさほ どの時 期 幅が認 め られない こ とか ら,短
期 間の うちに頻繁 に掘 りか え られた もの と推測 で きる。溝 の 用途・機能の問題 とあい まって,そ
の解釈 は今後 の課題である。前年度 に検 出 した もの も含 め て,切
合 関係 か ら中世遺構群 の趨勢 を検討 した結果,ま
ず縦横 の浅 い溝が,続
いて調査 区西半 部 を中心 に南北方 向 の深 い滞 がつ ぎつ ぎ と掘 り直 され,そ
ののちに建物 や井戸 が作 られていることが ほぼ明 らか にな った。
古墳 時代前 期 の遺構 面
(7層 )で
は,溝 7本
を検 出 した (図 9)。 方 向が不 規則 で弧状 に走 る場合 があるな どの点で中世の溝群 と様相 が異 なる。遺物 は大部分が土器 であ り,器
種 は奏 。壷 を中心 に高杯 が加 わる。 これ らが溝内数箇所 か らおのおの完形 またはそれに近 い状態で出土 した こ とは
,溝
の性格 を明 らかにする うえで も注 目さ れ よ う (写真7)。 さ らに下 の8層
で は,弥
生 時 代 末 か ら古墳 時代初頭 の土器 と,加
工痕 のある木材片 の入 った土墳 (巻頭写真下
)お
よび溝2本
を 確認 した。ま とめ
鹿 田遺跡 にお ける集落 の実態 は
,医
学部付属病 院外来診療棟用地(1983・84),同
管理棟用地(1987・
88),医
療技術 短期大学部用地(1986。 87)な どの 各調査 によ って しだい に明 らか にな りつつある。今 回の調査 地 は
,こ
れ まで本格 的な調査 の手が及 写真6
中世 の滞群1991年度岡山大学構内遺跡調査報告
` く
\ミ ヾ ヽ 、 \
! ′
イ
7層上面遺構 鯨 尺1/200)
んでいない敷地 の西端部 に当たる ことか ら
,鹿
田遺跡 の変遷 と構造 を解 明するための新 しい材 料 を得 られる期待 が もたれていた。 そ うい う意 味 で
,こ
れ までの調査地点 において比較的少 な か った13世紀代 の遺構・遺物が多数確認 された こ と,及
び東西南北 に走 る滞群が検 出 された こ との意義 は大 きい。 ただ し,
と くに溝群 の解釈 につ いて は,集
落構造 の考察 とあい まって,今
後 さらに綿密 な検討 が必要 であ ろ う。
弥生 時代 末 か ら古墳 時代前期 の遺構・遺物 の
密度 はか な らず しも高 くなか った。 これ までの調査成果 か ら判 断す る と
,こ
の時期 の集落 の中 心 は北東 の付属病 院付近 に推定で き,本
調査 地点 は集落 の西 の縁辺部付近 に当たる もの とみ ら れる。 この ことは,溝
の状況や,や
や特異 な土器 の出土状態 を解釈 する うえで注意すべ き点で ある。以上 の よ うに
,今
回の調査 で は,
これ まで不 明な点の多か った鹿 田集落の縁辺部 の状況 につ いて新 たな知見が得 られる と同時 に,土
器 を中心 と した遺物 について も貴重 な研 究資料 が提供 され,成
果 を挙 げる ことがで きた。(松
木)注
(1)『鹿田遺跡I』 岡山大学構内遺跡発掘調査報告
第 3冊
1988
岡山大学埋蔵文化財調査研究センター(劾 F岡山大学構内遺跡調査研究年報』
5
第 2章‑2 1988
岡山大学埋蔵文化財研究センター13)『鹿田遺跡Ⅱ』岡山大学構内遺跡発掘調査報告
第 4冊
1990
岡山大学埋蔵文化財調査研究センター4
立会調査(1)津
島地 区 (表1,図
11。12 12,13)
1991年 度 の津 島地 区では
,事
業別 にみる と27件,詳
細 にみる と37件 の立会調査 を行 った。 ほ とん どは造成土内あるいは撹乱内で終了 した。掘削深度が大 きい場合 も,
きわめて小規模 で遺 跡 へ の影響がほ とん どない ものが大半であった。 したが って,特
筆 すべ き調査 は,以
下 に挙 げる
4件
のみである。写真
7
土器 出土状況1991年度岡山大学構内遺跡調査報告
調査 9と 27は
,津
島岡大8次
調査 に関連 す る立会 で ある。調査9は ,工
事予定地 内 の防火用水 の撤去 に ともない立会 を行 ったが
,壁
面観察 によ り,弥生時代 以 降 と推定 される遺構群 が確認 された。 その際
,壁
面清掃 中に出 上 したのが図10に 掲 げる石鏃 である。 その他 にも土器小片が数点 出上 した。本調査 によ って
,こ
の遺構群 は,弥
生時代 中期 〜古墳時代初頭 の溝群であ る こ とが確認 された。一方,調
査 27は,本
調査 終 了後 に,地
下室工 事 に伴 って立会 を行 った。本調査 終了面 で一部 がのぞいていた砂礫層 が
,地
表下5m以
上 に至 る ま で堆積 しているのが認 め られた。おそ ら く沖積基底礫層 と考 えられるが,こ
の地点か ら南西 に 約150m離
れた,農
場 管理棟合 併処 理糟 の立会調査 で も,地
表下2m足
らず で砂礫層 が確認 さ れてお り,北
東 か ら南西方 向へ沖積基底礫層 が 自然堤 防状 の高 まりを形成 していた よ うで ある。調査 6と 17で は
,か
な り深 く掘削 した ものの,遺
構・遺物 は確 認 されなか った。調査6は
,近接地が1988年 に試掘調査 され
,湿
地状 の地形が広 が っている ことがわか ってお り,今
回 もそれ を追認す る結果 となった。調査17は ,津 島岡大遺跡 の西限 をお さえる資料 になる可能性 がある。
今年度 は
,津
島地 区の西南部 にお ける,遺
跡 の立地 や広 が りをお さえ られる資料 を加 える こ とがで きた。デー タの希薄 な部分 だっただけに,既
存 の調査 と合 わせ,津
島地 区全体 の遺跡立 地・地形復元がかな り進 む ことが期待 で きる。 しか し一方 で,毎
年 の よ うに指摘 されている こ とだが,連
絡不徹底 による悶着が少 なか らずあ った。今後 いっそ う連絡 の徹底 を図 っていかな ければな らない。(2)鹿
田地 区 (表1,図
14)(上井)
鹿 田地 区で は
,今
年度 の立会 は6件
であった。 その うち,調
査 35に おいて は地表 下1,Omで
近 世層
,1.3mで
中世層 に,調
査21・ 34で は地表下O.8〜1.Omで
近世層 に達 したが,遺
構 や遺物 は発見 されなか った。 (松木)
→ 図
10
調 査9出土遺 物
(縮尺2/3)
注
(1)本 年報第 2章 2参照
(動
『岡山大学構内遺跡調査研究年制 (3)『 岡山大学構内遺跡調査研究年報』
岡山大学埋蔵文化財調査研究セ ンター 岡山大学埋蔵文化財調査研究センター
1991年 度調査一覧
番号 種類 調 査 地 区 所属 調 査 名 称 調査期間 掘削深度
(m) 備 考
1 発掘 鹿 田BW〜CC67〜71 アイツトープ総合センター
(RI)
4,1〜 6,30 15〜2,7 調査面積690ポ
鎌倉時代溝・建物群,土器他 弥生〜古墳時代溝・土残,上器 く腐田6次調査>
2 発掘 津島北BD18・19
箇辰 遺伝子実験施設 7,23〜 12,25 1.3〜18 調査面積650ド
弥生時代〜近世溝等,縄文時代 土壊,土器・石器他
<津島岡大8次調査・A地 点>
津島北B■13 (合併処理槽) 7,23〜 12,2 25〜32 調査面積1401r12
古代〜近世水田,弥生時代溝 土器・石器他
<津島岡大8次調査・B地点>
3 立会 津島南BC〜 BE09 教養 樹木移植 3,30〜4,1 03〜05 造成土内
4 津島南BG・BH13 農 テニスコート排水暗渠取設 造成土内
5 津鳥北AV04 工 自転車置場新設 01 造成土内
6 津島南BC26 事 外国人留学生会館グリストラップ坦設 〜GL l.4m攪乱土遺跡未確認
7 津 島北BC18 図 樹木移植 造成土内
8 津島南BF02〜03 学 1日男子学生寮解体 517 05〜06 造成上内
9 津島南BC18 遺 防火用水撤去 61 〜基盤層, 8次調査隣接地
津 島北AU09。10 工 雨水排水管補修 7,23〜 7,30 0.8〜12 造成土内,緊急
津鳥南BB04 教養 水道管破裂 8,21 11 造成上内,緊急
津島南BF14 農 本館模様替え給排水配管 02〜05 造成土内
13 津島北AV13 図 ボイラー室横水道管破裂 造成土内,緊急
14 津鳥南BC18 事 津鳥地区基幹
整備 (電気)
関連
配管 11,5〜7 GL 0 5mで 明治層上面
津島全域 配管 11.5〜12.14 造成上内
津鳥南BC10, 津島南BF04〜07 津鳥北AZ13〜14 津島北AW04・ 05
ハンドホール 11,14 11,17〜 29
12,2 12,10
11〜13 〜近世層上面
17 津島南BB16 ハンドホール,
アース板
11,12〜 13 17〜18 遺跡未確認
津鳥南AZ15 アース板埋設 攪乱内
津鳥北BD15 アース板坦設 黒色土上面
津鳥北BA12・13 電柱 造成土内,連絡不備
鹿
田CT44 医 水道管破裂 11、7 〜近世層上面
鹿
田BY・BZ15,16 医病 附属病院受水槽設置 12,2 造成上内
津島北AZ07 有機廃液貯蔵施設新営 1,17 1,22 造成上内,連絡不備
1991年度岡山大学構内遺跡調査報告
番号 種類 調 査 地 区 所属 調 査 名 称 調査期間 掘削深度
(m) 備 考
ハバ
エユ
津島南BA18.BC18 遺 遺伝子実験施 設新営関連
電柱 06〜0.9 〜明治層
津鳥南BC18 作業用拡張部 2.12 〜明治層
津島南BC18 地下室 2,21 2,25 40〜50 調査終了面以下,基盤無遺物層 津鳥南BE・BF04〜07
CK58〜62
教養 陸上競技場散水管配管 1,28〜2,24 04〜05 造成土内
鹿
田CB67〜80 村木移植 27 造成土内
津鳥南BE.BF04〜07 教 養 陸上競技場改 修関連
側溝 2,10 造成上内
ラグビーポー ル付替
2,10 15 攪乱内
津鳥北AY08'09 理 樹木移植 2,12 06〜0,7 造成上
鹿
田BV〜 BY45〜47 医 医学部基幹整 備関連
樹木移植 2,26 造成上内
鹿
田BW〜BZ45〜49 駐車場建設 2,28 03〜10 ―近世層上面
鹿
田BK〜 B 3〜54 水銀灯設置 3.17〜 3,19 1.0〜1.5 GL lmで 近世層上面, 13m
で中世層
津鳥北AUll 埋文 木器処理施設新営 3,3〜4 造成上内
津鳥南BE・BF22 農場 有機物処理整備 11〜14 造成上内
津島南BF14 農 電力外線配管 3,9〜14 造成上
津鳥北AY・AZ14 AZ13・AX,AY16
鎌 経
構内衡灯設置 3,10〜■ l0〜1 1 造成上内津鳥南BC・BE,BF12 事 南北道路街灯設置 3,14 15 GL l.4mで古代層確認
半田山A103 高圧鉄塔周辺排水側溝敷設 3,17 04〜07 GL O.lmで 地山
津島南BF14 由辰 学部案内板設置 3,19 造成上内
半 田山A009 A012・ 13 農 自然教育研究林内排水整備 3,23〜31 04〜08 GL O.1ん02mで地山
津鳥北AYll 理 樹木移植 3,24 04〜05 造成上内
津島北AW05 工 樹木移植 3,25 04〜06 造成上内
48 46 44 42 40 38 36 34 32 3028 26 24 22 20 18 1610 08 06 04 02 00 ⇒ケイ:Pミ│ノイズコ、ヽ\判││
A A
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A C A︲
A K
A M
A O
A Q
A S
A U
A W
A Y
B A
BC B E
B
G Ы
0 500m 図
11
津島地区全体図鯨尺1/15000)
ぢ溜命灘目巨汁報離Σ障事謎叫韓 Π任
赤印部分:1991年度調査 黒印部分:1990年度以前調査 斡発掘調査地点 と鶏:議樹木移植地域赤数字は表1に同じ 津島北地区(縮尺1/500の
0 200m 図12
黒印部分:1990年度以前調査 0
1991年度岡山大学構内遺跡調査報告
赤色部分 :1991年 度調査 黒色部分:1990年度以前調査
斡 発掘調査地点
赤数字は表1に同じ 華韓:i:樹木移植地域
図